北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて21 2014.05.27(火)
立山町埋蔵文化財センター 富山県中新川郡立山町谷口43 076-463-1050 休館:祝日及び振替休日 12月~3月までの土・日
交通 レンタカー以外は無理です
見所 古屋敷遺跡の西日本系文化。瀬戸内系の横長剥片石器や西日本形土器。
(周辺は北日本系土器や縦長剥片石器の北方系民族だのに、ここには西日本文化人が住んでいた。)
特記 彫刻石棒 玉抱三叉文 縄文の絵記号
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01外観
立山町付近扇状地写真
成願寺川扇状地 |
廃校を利用した立山町埋文ですから、膨大な資料が保存できますね。 |
山影にあるためか、
老朽化のためか
汚れが激しい。 |
床には竪穴住居の間取りが描いてある |
教室をそのまま展示室にしてありました |
付近に何もない本当に
びっくりするような山の中です |
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10旧石器~縄文時代
11概要
立山町の 後期旧石器時代 前半の遺跡
白岩藪ノ上遺跡 (2万5千年前)は、
局部磨製石斧が発見されたウワダイラⅠ遺跡 (3万年前) と同じ立野ケ原石器群の小型のナイフ形 石器 文化です。
立野ケ原式の石器群は5000年以上使い続けられ、富山県福光町・城端町立野原から立山付近まで広まっていったようです。
縄文時代の遺跡
二ツ塚遺跡 (前期~後期 6~3千年前) 引用立山町埋蔵文化財分布調査報告III.pdf
縄文時代早期から後期にかけての集落の存在を確認した。
多数の竪穴住居lIを検出し、遺物は、多量の縄文土器にともない
磨製石斧、石鏃、石匙、石錘、石皿、凹石、すり石、石棒、玉類、土偶などが出土している。
古屋敷Ⅲ遺跡 (前期中葉~後期前葉。最盛期は中期前葉5~4千年前) 引用古屋敷Ⅲ遺跡.pdf ( 23.5 MB )
土器は
が出土している。
石器は、石鏃 (凹基、無茎)、 磨製石斧 (蛇紋岩製)、 打製石斧 (横長剥片)、 叩石 ()、 凹石 (安山岩製) ※横長剥片石器は瀬戸内式です
※前回の弓の里博物館では北方型の縦長剥片石器でした。そのすぐ南で西日本型横長剥片石器です。
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※最初の写真でわかるとおり、遺物の並べ方が、重なっていて、区分がよくわからない不思議な展示です。
他の遺跡と混じってしまうのでご容赦ください。
12二ツ塚遺跡・古屋敷Ⅲ遺跡
右:二ツ塚遺跡の石棒
住居の入口に立っていた
彫刻石棒※というべきか |
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石棒(男性器)は狩猟儀礼に使用したといっている
彫刻絵記号の意味 |
二ツ塚遺跡の土器 |
古屋敷遺跡 |
古屋敷遺跡 |
石棒 |
西日本系の形状 |
舟形土器※ |
妊婦土偶 |
人物または動物をかたどった土製品。土偶は大地の恵を祈る女神。 |
母神を表している。板状の三角形のものが多いが、それに乳房がつけられる。 |
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野沢苦情池遺跡新保式土器 |
利田横枕遺跡この形状の土器は始めてみました。文様は縄文時代のようですが何式かな |
利田横枕遺跡立山町利田横枕遺跡予備調査報告書.pdf
舟橋村埋蔵文化財調査報告書6.pdf |
※
舟形土器は東北地方のどこかで見た形です。
その時は別の名前で呼ばれていたと思います。 |
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※彫刻石棒 縄文の絵記号
今まで触れてこなかった土器石器に施された文様に意味があることに、今頃言及します。
彫刻石棒には多く「玉抱き三叉文」が施されるという。その意味を含めて、縄文模様をちょっとだけ調べました。
彫刻石棒は北陸地方で始まった文化です。
・石棒
磨製石器の一種。男根を模した呪術祭祀の道具 (以後 Wikipedia「石棒」より転載)
亀頭状の頭部によって、両頭・単頭・無頭に区別。東日本に偏在。呪具・葬祭具など多機能な道具。
縄文前期 秋田・岩手で頭部に沈線を巡らし、刻み目を入れた写実的な男根型石製品が作られた。
縄文中期 大型製品が出現。 北陸・中部・関東に多い。
中期前半 佐渡長者ヶ平遺跡で、単頭石棒の頭部を亀頭形として男根を表象した。
中期半ば 北陸を中心に、大型で頭部に巡る隆起帯の上下や下に三叉文帯を彫り、女性器の表現ともみる。
玉抱三叉文は彫刻石棒にも施され飛騨方面への広がりを示しています。(考古学から見た富山の歴史 縄文時代)
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敷石住居の敷石や石囲炉に配置したものがあり、火熱による変色・損傷が見られる。
住居外では、土坑の中央や縁部に直立するものや、施設を伴わず単独で直立するものもある。 |
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後期 |
住居内ではなく、屋外の配石遺構に伴う例となって、晩期に続く。 |
結論 石棒は、シベリア・北アジアからの北方系文化であり、北陸-中央高地-関東が分布の主流である。※
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※縄文晩期末~弥生初頭 に西日本にも拡散し、豊岡市見蔵岡遺跡などで生産。関西・瀬戸内海・高知など短期間に使用された。 |
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晩期に北陸地方から西日本へ大量の移住者があり、北陸でも西日本形土器が出土する時期と重なる。 |
・玉抱三叉文 (玉抱き三叉文) 三叉状をなす 沈線文。沈線の交点を抉る場合も多い。
縄文晩期初頭の大洞おおぼらB式に特徴的な文様で、 玉抱三叉文、入組三叉文などがある。
縄文後期末~晩期前半の東日本を中心に、一部西日本にも見られるほか、
縄文中期の勝坂式などにも同様の文様がある。 引用ウィキまとめ 三叉文 勝坂式 と三叉文図
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中期中葉頃 |
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この文様の成立の詳細はわからないが、石棒に彫刻する動きは北陸から始まり、飛騨方面へ広がったようだ。 |
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これまで気づかなかったが、玉抱三叉文付きの、彫刻石棒や縄文土器は北陸が中心だった。
特に御経塚遺跡(後~晩期)に顕著である。 石棒 玉抱三叉文土器 連結三叉文土器 山字状・棘状三叉文土器 また、中期中葉の飛騨宮川の堂ノ前遺跡から玉抱三叉文付きの石棒が出土し、近隣の金清神社遺跡は石棒の生産ムラだった。 |
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後期末~晩期 |
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見てきたように、この頃には縄文模様が様々な意味を持ち、バリエーションを生んで発達したようです。 |
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従って、北陸と諏訪と関東では、模様も、その意味もかなり違っています。 |
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12y彫刻石棒 |
意外なことに チカモリ遺跡・小矢部ふるさと歴史館・朝日不動堂まいぶんKAN・富山県埋蔵文化財センター・北代縄文館 には |
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展示なし。小学生の来館が多いのでそれへの配慮かと思います。 |
12y縄文記号・玉抱三叉文
北陸 経塚遺跡の玉抱三叉文
引用御園小学校とコラボ |
発見者が小学校三年生に教えている写真より拡大転載 |
引用交合と妊娠と出産 - Mind42
このHP全体は不明
検索画面の脚注が→ |
Mind map: 交合と妊娠と出産 -> 国宝 長野県茅野市棚畑遺跡 縄文のビーナス (上半身, 縄文のビーナス), 国宝 長野県茅野市中ツ原遺跡
仮面の女神 (仮面と紐部分で変形玉抱き三叉文), 背面 頭部に男性器を表現 (玉抱き三叉文と結合する男性器) |
比較文化史の試み |
石棒の例では、あいだにひとつ玉がある場合と、玉がふたつある場合がある。これでモデルの 最下段の意味がわかる。裏と表の玉が合成されている。当然、三叉文のどちらかは裏を意味している。中段の右もおなじ。玉が「ふたつ」を表現したもの |
佐藤国男の縄文の本
このような考え方もある |
また中央アジアから渡来したといわれ、青銅器時代から鉄器時代にかけては、アイルランドやイングランドほか、広くヨーロッパに居住したケルト人の馬具には、玉抱三叉文や太極図そのものというべき装飾が施されている。
佐藤国男氏は木版画家 |
北陸御経塚以外の文献は、ほぼ諏訪地方八ヶ岳南部地域の縄文絵記号や亀ヶ岡式(大洞式)などの文様について論じている。
玉抱き三叉文は男性器型石器に彫刻されたことから、性にまつわるすべてのことに関係していると理解されている。
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13野沢苦情池遺跡
野沢苦情池遺跡 |
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二ツ塚遺跡 |
二ツ塚遺跡 |
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串田新式 |
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すみません土器形式名が全くわかりません |
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14吉峰遺跡 (早期~晩期) 引用吉峰遺跡.pdf 第7次調査も無料公開されてたんだけど、いつのまにか販売しています。(笑)
吉峰遺跡 |
石皿と叩き石 |
黒曜石の石核 |
石製装身具 (玦状耳飾)
磨製石斧 打製石斧 |
金剛新遺跡ヒスイ製大珠
土製装身具(耳飾り) |
耳栓型土製品 土偶 |
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天林北遺跡石錘 有舌尖頭器
石冠※2 |
立山町中町出土打製石斧 |
日中墓ノ段遺跡
天林南遺跡※使途不明石製品、土偶 |
玦状耳飾と首飾りと大珠
出土品だと思いますが
色が悪い(笑) |
これ、首が痛いよね。
剥 (む)けるんじゃないか |
白岩尾掛遺跡※1左上:剥片 右上:石鏃
下:土器片
左:草創期 右:早期 |
石鏃 |
※1
白岩尾掛遺跡の土器片
草創期土器片は
線条文、指の圧痕文
爪形文が見られる
早期土器には
キャプションなし |
※使途不明石製品
この石製品は以前出てきました。石鋸でした。
ここでは使途不明となっています |
※2
黒曜石製の有舌尖頭器は土器の出現時期に東北・北海道で出現した。
石冠は北海道式磨石です。
するとここの文化は北海道に出自があるかもね |
この遺跡からは早期から晩期まで東北地方の土器や近畿地方の土器が出土し、常に東北や近畿から人々が流入し続けていたことがわかる。
山中の村が交通路に面していたのだろうか |
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31弥生時代
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40古墳時代 西暦300年頃から約400年続き、前・中・後期に分ける。
41古墳
立山の古墳 |
古墳時代 |
稚児塚古墳、藤塚古墳、塚越古墳など |
竹内天神堂古墳・宮塚古墳・若王子古墳 |
・碧玉製管玉 弥生~古 墳時代にかけての玉
穴に糸を通して多数 つなぎ首飾りにした。
・坏(つき)
・杯と蓋
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稚児塚古墳 円墳
直径16m高さ8.5m
周濠・周庭の直径100m |
その他県内最大の古墳もあったが、今は壊されてしまった。そうだ。 |
北隣の上市町にも多数の古墳があることから、このような辺境に見栄を張って巨大古墳を作らせる、わがまま豪族が多数いたようだ。 |
そして、それほどの無意味な大工事を行える多数の農奴がいたこともわかる |
この辺りは、山岳地帯から流れる大河川が常に反乱を起こし、日常的に土木工事が必要な地域だった。 |
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50古代
51奈良時代の立山 西暦710年平城京遷都から85年間を指す。
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平安末期に入ってから須恵器の生産が始まる。 |
古代・中世には山岳信仰が始まり、巨大寺院や、それを取り巻く塔頭が林立していたのではないかと思います。 |
この先は立山博物館の領域ですが、
そこは撮影禁止で、展示物は最盛期のものが多く、 |
考古学的なアプローチを行ってはいなかった。
ようにおもいます。
なにしろ撮影禁止で、記憶に頼るしかなく、、、 |
中世の展示写真もありますが、これで終わりにします。 |
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