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 北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて10 2014.05.23(金)

   寺地遺跡

    遺跡所在地 寺地遺跡公園 糸魚川市大字寺地2034ですが、糸魚川市大字寺地2020飲み処喜楽 025-562-2417 が一番近い目標
    展示館所在地 親不知ピアパーク翡翠ふるさと館 新潟県糸魚川市外波903-1 025-561-7290 火曜休館(祝日開館)9:00〜17:00

     出土品を展示していた青海自然史博物館は閉館しています。

遺跡名   寺地遺跡
特徴   大きな集落跡は、ヒスイの玉や蛇紋岩 (じゃもんがん)の石斧の生産・交易拠点として有名である。
時代   縄文時代中期と晩期
交通   レンタカー または、えちごトキめき鉄道 青海駅から徒歩15分
見所   木柱列が有名 火葬の葬送痕跡
  中期晩期の玉製作の実態。特殊な祭祀があった。姫川と青海川にはさまれた地域で、翡翠や蛇紋岩が海から打ち上げられ拾いやすかった。
    展示施設が閉館し、遺物が漂流して散らばってしまい、わずかしか見ることができない。


 寺地遺跡の詳細
縄文時代の中期と晩期の遺跡
翡翠や蛇紋岩の岩脈から流れる川にはさまれた地域にあり、石材加工の原材料が拾いやすい立地にあった。
中期遺跡 硬玉製玉類や蛇紋岩製石斧を生産した工房となった竪穴住居7基が発掘された。
遺物 中期土器のほか、
硬玉製玉類(翡翠製大珠・丸玉)、蛇紋岩製打製・磨製石斧、板状石器、釣り針状石器、敲石、石鏃、石槍、石錘、
滑石(蝋石)製大珠。 砥石、研磨砂。等が出土。
尚、 第1号住居跡は、完掘された硬玉工房跡としては、わが国最初のものである。


晩期遺跡 配石遺構、組石墓、木柱群が検出された。
配石遺構は、 いくつかの小単位が集合し、全体として長径16m、短径10mの楕円形を呈していた。
  中央に炉状配石があり、
北側に楕円形積石配石と弧状配石があり、 南側に方形配石と弧状配石があり、
相互を廊状の敷石が結ぶという対照的構成である。
   
また、 北側には大形有孔石が、南側には、大型石棒が多く出土して注目された。

中央の炉状遺跡は、 径約2m。河原石を二重に配し、焼土が充満し、内部北端に10体分の焼人骨埋納ピットがうがたれ、
南側の方形配石は、 一辺3.6mで扁平石を横立して垣状に内外を区切り、四隅に石棒と立石を配し、
  中央に直径60pの根元にえぐりのある木柱4本を90p間隔で対照的に直立させていた。
   
また、 本配石の北側一帯からは、大小多数の木柱及び組石墓が検出された。  ←古くからの墓地が重なっている。


遺物は、 地域的特色の濃い、大洞C1〜A式比定土器のほか、
  土偶、土版、スタンプ形土製品、土製円盤、球体土製品、耳栓、  打製石斧、磨製石斧、御物石器、
石剣、石鏃、石錐、石錘、石棒、  石鋸、筋砥石、平砥石、  石皿、凹石、  朱漆塗櫛、籃胎漆器
 
  有孔円板状木製品、箸状品、丸材、割材、クルミ、竹、山桜皮、 人骨、獣骨、魚骨、牙、 アスファルト塊、朱塊、
硬玉製勾玉、丸玉、小玉、垂玉、硬玉原石、剥片など             引用 新潟県立博物館HP 寺地遺跡

配石遺構とは  
  ・聖域・祭場・斎場の意味をあわせもった施設と考えられています。このような遺構はほかに例がなく、国史跡に指定されました。
     引用 寺地遺跡出土品262点
  ・寺地遺跡の配石遺構を胎児を表す神像を模したものだとする論文が、日本財団 図書館に掲載されている
     引用 ヒスイと鮫と巨大木柱[寺地遺跡=他界からのパースペクティブ]……田中基

 

  縄文晩期の火葬痕跡
    京都府長岡京市伊賀寺遺跡 後期 伊賀寺遺跡報告書 「京都府」南部の縄文社会
    北海道富良野の火葬墓   幼児の火葬 「日本墳墓史」   縄文・弥生の焼人骨

     縄文の火葬例は大変少ないようです。   



 00寺地遺跡公園  この写真撮影の場所は晩期遺跡です

姫川翡翠や蛇紋岩が流されてくる材料採取場 寺地遺跡公園小さな田海川を渡るとすぐに目的地 配石遺構と巨大木柱配石遺構は裏側・北側にありました 炉状配石で火葬にして埋葬していた 墓地の四本木柱ムラの中央広場は墓地。その周囲に住居がある 通常土葬だがここは何らかの理由で火葬をした
四本木柱から翡翠工房を見る 1号住居が復元された 寺地遺跡遺跡は東西150m南北650mに広がる 住居跡遺跡7個の住居跡が出土 新旧の住居が一部重なって出土している
翡翠の工房跡 出入り口に埋甕があった家内工業の作業場兼住居 縄文時代の植生と環境 中期中葉の硬玉工房

 光のささない暗い家の奥が作業場だったという
 焚き火をしても暗い中でよく作業できたものだ。
当時はかなり寒かった

 1.5〜2.5℃も低かったのは晩期のことのようです。
植物相も変わる大変な気温低下です。




01 親不知ピアパーク   寺時遺跡から西へしばらく行く。バイパスの下の「道の駅」みたいなところです。
   
翡翠ふるさと館   翡翠など、宝飾品の販売所です。が、その中に寺時遺跡出土物が展示されており、写真撮るときはドキドキします。
  一応許可を取りましょう。


ヒスイ街道断崖に道路を取り付けて 下も道路としていました 不慣れな私はナビ頼み こんな所走ったことない 翡翠ふるさと館 これ公共の建物だね

 02ヒスイ原石   翡翠文化発祥の地
糸魚川付近のものかな翡翠原石 北海道産・長崎産翡翠品質が全く違う。
これでは製品が作れない
これは製品ではないかピンボケで読めない
すみません
寺地遺跡発掘翡翠加工前の原石です

 03寺地遺跡の土器
縄文土器 中期・晩期土器形式を勝手に言うことはできませんが、
何度も出てきた形式です
縄文中期 朱塗土器片 縄文晩期 縄文土器 中期 朱塗り土器片 晩期

 04ヒスイ作りの説明パネル  ガラス板に投影するディスプレイは、写真撮りにくいなぁ
見上げるところにディスプレイがある 日本で初めて発見された巨大木柱 翡翠製品の分布
中部東海東北北海道など各地から出土
同一反復すみません

越後の翡翠と姫川沿いにやってきた諏訪の黒曜石がセットで各地に運搬
日本で始めて発見された翡翠工房跡 直径5m円形竪穴住居式工作用特殊ピットに研磨剤・各種砥石・翡翠原石・剥片や未成品が検出 縄文晩期の配石遺構・
巨大木柱群
配石遺構の中心に楕円形敷石遺構。その中心に正方形に四本柱があった  チカモリ・真脇と共に
巨大木柱遺構群は、北陸地方の祭祀形態を示すものであり、

 縄文文化は巨木を積極的に活用した文化であったことは、各地に残る巨大柱穴からも理解される。 

 05出土物
焼人骨が展示されているのはすばらしい 石棒、石錘、焼人骨、
土偶、石鏃
石棒、石錘、焼人骨、 左端の三個が石棒です 土偶は劣化してよく見えない
 06巨大木柱根
  杉材ということです。
 縄文時代のこの一帯は杉の巨木に覆われた大 森林だった。
 墓地の柱のようだ。
 ムラの場所を示す独立柱でもあったかもしれない。

 07ヒスイ加工具
砂岩製筋砥石、砂岩製平砥石、硬玉製敲石 硬玉製敲石、翡翠製未成品、ヒスイ原石 親不知断崖は文化の行き止まりでした

旧石器文化も日本海側ではここが境目です。

ここを舟で往来する縄文人の中に蛇紋岩の加工を知った集団がいて、天候待ちで上陸した海岸にそれを見つけ、蛇紋岩製石斧を作る中で翡翠をみつけたのではないか。
 蛇紋岩の出土する近隣国
  韓国・コリアンジェイド翡翠より柔らかい
 軟玉の産出国
  中国新疆ウイグル自治区ホータン

近隣国に硬玉翡翠の産地はなく、ミャンマーが唯一である。

 翡翠の再発見
   縄文・弥生・古墳期にもてはやされた翡翠は、仏教文化の浸透と共に忘れられていった。翡翠は葬祭儀礼に必要なものだったことになる。

   ミャンマー産の翡翠と考えられていたものが国内産であることを再発見されたのは、1938(昭和13)年のことである。
   発見者は、ダレであるのかわからなくなっている。顛末についてはここに書いてある。宗教も絡んでややこしいのかも。

      引用「本邦に於ける翡翠の新産出」  寄贈:歴史を変えたヒスイ、発見者の孫が 石の博物館で展示 ...





 08弥生以降のヒスイ作り

  記紀に登場するヌナガワという川を全国の地図から探し出し、丹念にフィールド調査されて長い時間の末に姫川を特定された。有名な話である。

奴奈川の郷とヒスイ ヒスイ玉の神秘的な力 翡翠の玉は呪力を持つものとして、権力者や呪術師の必需品立った 奴奈川姫とヒスイ
古墳時代の工房跡 翡翠玉の神秘的な力 奴奈川付近の遺跡分布 奴奈川姫伝説が残る地奴奈川姫は機織の神
直接翡翠加工とはかかわりがない
ただ、この伝説をもとに国内の翡翠原産地を探し当て、科学分析の結果
立証されたのです
牛や馬の出てくる農耕民族の神話ですね

・超古代人たちは翡翠から何らかの力を感じ取れていたのかもしれない。私は翡翠も瑪瑙も唯の緑や赤の玉以外に感じることはできなかった。
・中華圏の人々はいまだに緑の石を護符として身につけるようだ。十数年前の台湾の女性に請われてオニキスのペンダントをプレゼントしたことが
 ある。
   ネット友達で、顔も知らん人だったが。(笑)
  ・弥生の渡来人が玉作りをしたのではなく、縄文系弥生人が作り、渡来人が弥生風にプロデュースしたのでしょう。

  


 09その他の道具
磨製石斧 磨製石斧 石棒の柄、朱塗耳栓
石棒、耳栓、
軟玉製垂飾
 石棒が折れて、頭と柄に分かれていますが、

どのような使い方をしたのでしよう。

 ただ立てておくだけでない、使用方法があったようです。
  以前の博物館では、石棒が高温で焼かれてその後何らかの方法で
壊されたのがあった。

 水をかけたか、叩きつけたか、でしょう。

 どんな祭祀をしたのでしょう。

  ・弥生人は、堆積岩の変成岩である蛇紋岩を使って石斧を作らず、火山岩の変成岩を使って様々な大型石斧を作るのが常だった。
   従って、寺地遺跡での石加工は、玉つくりに特化して行ったでしょう。


 10ヒスイ原石
翡翠ふるさと館に飾ってある
 巨大なヒスイ原石ですが原産地は分かりません。

 国内産は採取禁止になっています。


 21寺地遺跡復元模型  日の丸の旗が立っているのは、お子様ランチについていたものを誰かがふざけて立てたのでしょう。
竪穴住居の居住地区 広場の中心に立柱
遺跡復元模型の下に親不知を通る道路の模型が作られています。
古今を問わず難所市振の海岸です
 立柱の周囲に配石遺構が集中している

 その他に火葬用炉、埋葬溝、各種配石遺構もあった
木柱は
ムラの存在を示す木柱や
先祖供養の立柱。
四本柱は広場の中央

後期晩期になって、なぜ火葬にしたのか。
 信仰や習慣に変化が起きたのか
 22ヒスイ浪漫街道
翡翠境探訪も楽しいかも知れない 寺地遺跡 さよならピアパーク  青海四億年の歴史街道
  翡翠や蛇紋岩が地殻の深い所で形成され、上昇して地表に岩脈を
  形成した。

  青海自然史博物館は閉館しています。
  
  現在、新潟県がフォッサマグナ博物館や長者ヶ原考古館、ジオパーク
  などを統合することを試みているそうですが、、詳細不明  




 99親不知市振の海岸 断崖絶壁で道をつけられず、鎖につかまって往来したようですね。よくわからない。
拡大したくない。悲惨なことが書いてある。 青海八景
天険断崖黎明
意味が分からない(笑)
あえてこの断崖を往来する切迫した意味ある?
それにしても絶景だ!
今ではこんな雪崩シェルター付きの道路。対向車線だと素晴らしい絶景