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 北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて17 2014.05.27(火)

   上市町弓の里歴史文化館 富山県中新川郡上市町舘182番地  076-473-8100月曜休館

年代   旧石器時代~中世  縄文時代前期初頭の極楽寺式土器の標識遺跡 極楽寺遺跡 を中心として前期末~中期初頭
位置   富山県東部のこれまでとは環境や地形的にも文化の異なる地域です
交通   レンタカー以外は無理です
 
考察   上市町は二級河川の上市川の左右河岸段丘上に大変近接して沢山の遺跡が点在している。
  遺跡が狩猟・採取の生活には不敵なほど近接している。
従って広大な扇状地が共同の狩場であり、みな同族・同系の集団だったのかと思います。
 
見所   ・上市川扇状地の遺跡群。
  ・西種遺跡の有孔球状土製品
・極楽寺遺跡は、滑石製玦状耳飾りの製作集落であり、極楽寺式土器の標準遺跡でもある。

・極楽寺遺跡出土の「ヘビの胴体を表したような口縁部」をもつ土器

(笑) ヘビの胴体のような口縁を持つ土器を 誰もヘビのようだと言わないし、
  それを「極楽寺式とも呼ばない」。
  それどころか、 まるでなにもついていないかのようにそれには触れない。不思議です


01外観・位置
02上市町の
 旧石器時代~縄文時代の遺跡地図
 上市町の遺跡

03富山の旧石器遺跡地図
05旧石器時代 遺跡の位置

10縄文時代
11概略 遺跡の位置
 第二の道具 -祭祀具- 
12西種遺跡
3いのりの道具
14極楽寺遺跡
14極楽寺遺跡の土器
14a極楽寺遺跡の土器形式
 土器型式の特徴
14G極楽寺遺跡の土器
 極楽寺遺跡の石器について
18永代遺跡
19砂林開北遺跡

20弥生時代
30古墳時代
40古代
50中世
参考文献
 上市町理蔵文化財分布調査報告
 永代遺跡緊急発掘調査概要.
 眼目新丸山遺跡発掘調査概報
 砂林開北遺跡発掘調査概報
 湯神子A遺跡発掘調査概報

 01外観・位置
弓の里の位置
田んぼの中にたたずむ
立派な郷土館今後の発掘を考えると小規模かな 雪対策のシェルター
雪国ですよね
館の展示方針 遺跡が語る上市の歩 遺跡の立地
2万年前 上市川左岸の
 河岸段丘上の遺跡
 眼目新丸山遺跡
 (さっかしんまるやま)
旧石器・縄文遺跡は
    左右河岸段丘上

弥生遺跡は 扇状地
古墳期以降は平野全域 


 02上市町の旧石器時代~縄文時代の遺跡地図

 常願寺川扇状地全景

広大な立山カルデラが源の成願寺川扇状地
 その東に上市川扇状地
 その西には飛騨高山の南からの神通川扇状地。
・富山平野西半分は庄川扇状地でできている
上市町の旧石器・縄文のおもな遺跡地図
上市川の扇状地の始点の河岸段丘上に、しかも、大変近接してある。
異近接は100m以内。

 旧石器時代の人口は五千人ほどと推計されている。なぜ密集したのか。
上市町の旧石器・縄文のおもな遺跡写真

山地と、扇状地開始点と、河岸段丘、の位置関係がよくわかる。

集落遺跡は全て同じ条件のところにある。

鮭の溯上や山菜採り、積雪期の狩猟に便利だったのか、
それとも扇状地特有の水害を避けるためだったのか

上越市~滑川の海岸線
 
富山平野
図表借用防災基礎講座
北アルプスが日本海に落ち込んだ断崖の地形。

親不知断崖は人も獣も陸上交通不能。動物の分布境界で、文化の境界でもある。

親不知、子不知の難所
だがここが参勤交代の経路だったとある。詳細は書いてないが、舟による往来のようです。
奥の細道一行や滝廉太郎も通った道だという。

だとすると天候や潮によっては案外通れたのかもしれない。

最近できたブロンズ像。
 写真はなんだか裸の母子の像だが、これがこの海岸のイメージだってなんのこっちゃめちゃくちゃじゃん。

 旧北陸街道のボトルネック、親不知海岸の断崖は、 やはり、旧石器時代からの交通の難所だったのでしょう。
 モータリゼーションの発達した現在は道路が万能ですが、 つい先日までは船が交通手段でした。

 西表島船浮集落などはごく最近道路が開通した。それまでは船で行き来していました。
 丹後半島などにもそのような集落が沢山ありました。


  上市町の遺跡は、

    
小さな上市川が山から扇状地に流れ出たところに集中しています。

人口が5000人ほどと言われる旧石器時代に、なぜここに人が長く密集して住んでいたのかわかりません。
それほど四季を通じて食料が豊富だったのか。 上市川の上流には急峻な北アルプスと立山カルデラがあるだけです。

もしかしたら、糸魚川へ越える山道があり、それとも、もっと東へ、東北地方まで続く道があったのでしょうか。その要衝にあたっていたのでしょうか。

広大な成願寺川の扇状地には落葉広葉樹の林が茂り、その奥には杉の巨木が鬱蒼と繁るもののけ姫に出てくる原始の森がありました。
秋には遡上する鮭を捕獲し、冬には広大な雪原が現れて自在に猟をし、春から夏まで高度に応じて尽きぬほどの山菜が採れたことでしょう。

それでも、隣の集落まで80mって、こんな近接した状況は不思議です。どんな条件があったのでしょうか。


 03富山の旧石器遺跡地図
図表引用
富山県の主な旧石器時代遺跡の分布
発見された富山の旧石器遺跡の
 立地条件は、まず、河川の形成する扇状地の始点付近や、次に見晴らしの良い丘陵などに多い。
 文化状態は、バラバラで、西の文化を持つ集団が、モザイク状に点在していた。

 このことから、富山平野には日本列島各地の文化が集まっていた。それは、交通の偶然でした。
 狩猟採集民族の日常交通手段である海上交通。河川沿いの移動。狩猟の道。食料を求めての大移動。などが原因でしょう。 





 05旧石器時代 (2万年前以降)




  遺跡の位置 上市川両岸の河岸段丘上  いずれも縦長剥片石器の 北方型文化です。

上市町の旧石器時代出自不明の旧石器が1点だけ出土した遺跡も 眼目新丸山遺跡からは
数多く出土しており、
ここが標準でしょう。
堤谷ギス谷遺跡
ナイフ形石器
1,6000年前

湯神子A遺跡
石刃
2万年前
掻器 彫器 削器
ナイフ形石器
眼目新丸山遺跡
2万5千年前

折戸西遺跡
ナイフ形石器
2万年前
旧石器遺跡 段丘上
 眼目新丸山遺跡
 (さっかしんまるやま)
   約2万 5千年前
 堤谷ギス谷遺跡
 湯神子A遺跡
   約2万年前






 10縄文時代(12,000~2,300年前)





 11概略 遺跡の位置
   上市川両岸の河岸段丘上
     ・極楽寺遺跡(前期) 
     ・丸山A遺跡(前期~中期)
     ・丸山B遺跡(中期) ・永代遺跡(中期) ・湯神子A遺跡(中期) ・西種遺跡(中期) 
     ・砂林開北遺跡(後期)

旧石器・縄文時代の遺跡 砂林開北遺跡 縄文時代 第二の道具 祭祀具 石器の形と用途石鏃 石錘 磨り石 石皿
磨製石斧 石錐 打製石斧
石匙
土器のかたち

 第二の道具 -祭祀具-
   土偶は農業祭祀具。  三角とう形土or石製品は護符。  石刀・石剣・石棒は男性器の象徴で性にまつわる祭祀。

   石冠は同じく男性器の象徴だが、死者の霊魂を女性に妊娠せるための儀式具でしょうか、偶然、死者の頭部付近から発見されたため石冠となった。
   つまり、当時の人は頭にちんこいしを乗せて歩いたと思ったのでしょうか(笑) 本当のことはわかりません

   ※北海道式石冠は、把手付き磨り石のことです。

   有孔球状土製品は 「祭祀具でしょう」 くらいで使用目的不明。  御物石器・独鈷石は両頭石斧が神聖化され祭祀具となったもの。


  土器のかたち
   草創期からバケツ型の深鉢  前期に浅鉢が  中期には「釣手形土器」「有孔鍔付土器」「注口土器」などが加わる。
   土器の形や模様は地域によって異なることから、それを見比べることによって他地域との交流など当時の社会の様子を窺い知ることができます。




 12西種遺跡  上市町西種は上市川ダムのそばで、ダム建設に伴って発掘された遺跡のようです。よくそろった縄文の石器セットです。
西種遺跡
縄文時代の石器
縄文時代中期~晩期
5,000~2,300年前
砥石 割れた叩き石
凹み石 磨製石斧
打製石斧  石錘
  大変な山間部ですが 漁網が使えたんですね
 当時から・水量が多く、 為にダムを建設できた
小型磨製石斧 蛇紋岩の石斧は持ち込まれたもの山間部の必需品 削器 石鏃

 13いのりの道具
湯神子D・A遺跡 土偶
縄文中期 約4700年前
西種遺跡
有孔球状土製品
縄文後期 約3500年前

祈りの道具とある。周囲に装飾があります

漁網の石錘みたい。
それとも垂飾かなぁ
あらかじめ壊れやすく作ってある土偶ですね
南方型

丸山A遺跡 石棒・石刀晩期(3000~2300年前)

死者の魂を生きた女性に妊娠させる儀式具か
土製玦状耳飾 土製垂飾石製玦状耳飾 石製垂飾刀状石製品
石製玦状耳飾未成品
極楽寺遺跡 縄文前期
約7000~5000年前


 14極楽寺遺跡 (縄文前期 約7000~5000年前)
  極楽寺遺跡 (縄文前期) は蛇紋岩と同じ岩層から採れる滑石製の玦状耳飾りの一大製作址です。
  ですから、その未成品が展示されています。

  極楽寺遺跡の「土器は、前期初頭の極楽寺式から中期後葉の串田新式のものまで長期間にわたるものが確認できるが、
  このうち主体をなすのは前期末~中期初頭に位置づけられる朝日下層式~新保I式のもので」あるとしている。
        引用極楽寺発掘調査概報
        参考「とやまの土器」編年




  14極楽寺遺跡出土の土器

極楽寺式土器 前期初頭
極楽寺式土器 前期初頭 前期末~中期初頭の→
(極細粘土紐のソーメン文
朝日下層式土器)

朝日下層式~新保式の
土器である
口縁部のデザインはご当地の特徴かと思う

この辺り円筒下層式土器
円筒下層式土器
 縄文時代前期後半の
 東北北部~北海道南西 部の土器

 東北人の流入を立証

 真脇遺跡でも出現し
 東北北部から舟で
 大挙南下したようです。

 何か大きな自然災害や
 気候変動があったか? 
口縁部のデザインは
 私にはヘビに見える

  (笑)

 下の他地域の土器と
意匠が全く違うと感じます。


  14a極楽寺遺跡の時代の前期末~中期初頭の土器形式

串田新式
引用縄文土器
中期後葉
朝日下層式
引用縄文土器の制作技法

前期末
朝日下層式
引用縄文土器の制作技法

前期末

新保・新崎式土器
引用火焔土器出現前夜
中期初頭

新保・新崎式土器
引用火焔土器出現前夜
中期初頭

新保・新崎式土器
引用火焔土器出現前夜
中期初頭


  土器型式の特徴   参考「とやまの土器
・天神山式土器 中期中葉   渦巻文
極楽寺式土器 前期 羽状縄文系土器   羽状縄文とは
・串田新式土器 中期後葉 土器の表面は、貝殻の縁を連続して押しつけたギザギザの文様や、棒状具によって木の葉に似た文様が
描かれています。
      この土器の特徴は、底から口にかけてラッパ状に広がり、口縁部につけた4つの大きな波形の先端がU字状にくぼむ形です。
  ・朝日下層式土器  前期 土器の文様は平面的なものだけでなく、立体的に粘土を盛り上げたり、貼り付けたりする例も多いが、
      ソーメンのような細かい粘土紐を貼り付ける方法は、前期末にみられる特徴的なものである。」
   新保・新崎式土器  中期 半載竹管による半隆起線文によって描かれた文様を特徴としている。

  ・円筒下層式土器 前期 バケツ型で粘土に繊維を混ぜ、平底で多くの種類の縄文をつけた
   ・大木7b式土器 中期 頸部がくびれ、口縁部が外反する器形であり、口縁部には四つの把手が付き、波状口縁となる

      引用富山県の主な縄文時代遺跡 とやまの縄文土器




  14G極楽寺遺跡の土器
     土器種類は
 前期初頭は極楽寺式、 前期末は朝日下層式  中期初頭は新保式  中期後葉は串田新式

縄文前期末~中期初頭
竹管文は新保式土器
太いヘビがモチーフ
このような突起物はすぐ取れてしまうものです
さしずめこれは祭祀用だから残ったのかと思ってしまいます。 台湾の百歩蛇を描いた土器とはまた趣を異にして、 口縁にぐるりと巻き付いて、邪を祓う神聖なものだったかもしれません
←これらの3つの土器は円筒下層式の影響があるようです
極楽寺遺跡前期前葉の土器 7000年前
 誠にすみません。
私にはヘビに見えます。
 本当は何なのかは知りません。
 どこの本にも極楽寺の土器がヘビだとは書いてありません。
 勝手な妄想か恐怖心です。(笑)
 子供の頃沢山いた蛇のしぐさにそっくりなんです。 って、へびを飼っていたわけではありません



  極楽寺遺跡の石器については、    (極楽寺遺跡出土の石器は展示されていませんでした。)

    石器は、石槍・石鏃・削器・磨製石斧・打製石斧・石錘・叩石・磨石・凹石・砥石・石皿等多岐にわたる器種が出土している。
    このうち、叩石。砥石等、石器。石製品の製作にかかわる道具類が多く出土していることが特筆される。

    さらに、
    前述した前期末~中期初頭土器群とともに今回の調査区を特徴付ける遺物として、土製・石製の玦状耳飾垂飾「刀状石製品」に類似する
    特殊な形態のもの、さらにはそれらの未製品が出土している。 (従ってそのようなものも作っていたことになる)

    これまで知られていた前期初頭段階における石製品製作の伝統が前期末~中期初頭にまで及ぶものであったことを示唆する。

     「玦状耳飾」の一大製作址として広く注目を集めてきた遺跡です。 引用極楽寺発掘調査概報 
      玦状耳飾については台湾南部でも同形のものを作っており、中国から両地域にオリジナルが持ち込まれたものなのでしょうか



 18永代遺跡  中期前葉~中葉の土器 型式は天神山式土器  引用富山県上市町永代遺跡緊急発掘調査概要.pdf ( 12.0 MB )

 19砂林開北遺跡 (中期後葉) 串田新式土器とそれ以前の土器型式 引用富山県上市町砂林開北遺跡発掘調査概報(1).pdf ( 29.0 MB )
中期4200年前 浅鉢 中期4200年前 深鉢 少々奇妙な形の小鉢です 大木式土器に似ています

  ※砂林開北遺跡は弥生時代の遺跡です。その発掘途中に、穴の底から縄文中期土器が発見されました。






 20弥生時代 2300~1750年前  前3世紀から後3世紀半ば550年間




    江上A遺跡では竪穴住居、高床倉庫、城柵、井戸、溝に渡された木橋など弥生のムラが出現した。
    他に、木製農耕具、石包丁、火きり臼、紡錘車、編板などの生活道具や勾玉・管玉などの玉類も出土した。

弥生時代 低湿地でなく現在の棚田の様な田だったでしょう 弥生の生活が出土した
弥生のムラが埋もれていた江上A遺跡
弥生中期 (2000年前)
放士ヶ瀬遺跡
玉造関係遺物と土器

甕と壺
かめとつぼ
亀十坪
ヒスイ 鉄石英 メノウ
緑色凝灰岩 玉鋸 石鏃
江上A遺跡 甕 高坏
壺 小型土器
江上A遺跡
富山県上市町江上A遺跡発掘調査概報.pdf
甕 高坏 壺 小型土器
江上A遺跡の農具
木製穂摘具 木製平鍬
石製穂摘具 石杵
炭化粟or稗&炭化米
江上A遺跡
  弥生時代後期

 この時期には低湿地でない、山地型の田んぼが開墾され、
 大きな集落を形成するまでになっていた。
 人口の大爆発か

  山の高みに首長の古墳を作り、後には山岳の仏教寺院や宝物の埋納など、山を巡る山稜の崇拝は縄文のものを引き継いでいるのでしようか。





30古墳時代 (1,750~1,300年前) 3世紀後半~7世紀 450年間




            柿沢古墳群や斉神新古墳群などや、飛鳥時代の須恵器の窯址・中山王古窯跡群がある。
            柿沢古墳群第1次測量調査報告   上市町埋蔵文化財分布調査報告書Ⅲ  弓庄城跡第四次緊急発掘調査概要
古墳時代 砂林開北遺跡1750年前 器台 高坏
壺 長頚壺
古墳時代の遺跡 柿沢古墳群  山稜に多数の古墳を設けるなど特殊な埋葬形態が行われていることが、

 やがて古代中世の
山岳寺院、山岳信仰につながっていくようだ。




 40古代 (1.300~850年前) 8世紀~12世紀前半 450年間 平安時代~鎌倉時代




    仏教色の強い文化が栄え、剣岳を中心とした山岳信仰が盛んになる。剣岳・大日岳でこの時代の錫杖頭や鉄剣が発見された。

    経塚  末法思想の流布と気候変動などの社会不安により、仏教思想を後世に残そうとする運動により行われた仏教遺跡

古代 古代の遺跡分布図 中山王古窯跡群
土師器 須恵器の壺
湯神子A遺跡 須恵器
小瓶 杯・杯蓋
上市黒川遺跡群
平安~室町の寺院跡
円念寺山経塚
金銅独鈷杵 仏具
平安時代後期
900~850年前

円念寺山経塚
銅磬 僧侶用仏具
円念寺山経塚 珠洲 (経筒外容器) 白磁小壺 青白磁合子
白磁小壺 青白磁輪花皿
白磁小型杯
金銅独鈷杵出土状況 経筒 短刀 経塚
銅鏡 短刀 同一反復でした 珠洲 珠洲の蓋 円年寺山経塚
壺 珠洲四耳壺 片口鉢 黒川上山墓跡 骨壺
土師器 皿 鎌倉時代800年前
3百年続いた墓地
白磁四耳壺 珠洲壺
八尾壺
土師器 皿
蔵骨器
伝真興寺
千年に渡って続いた
寺院
鉄製風鐸
青磁椀壺甕片口鉢
土師器須恵器皿
何の変哲もない辺境の地
上市町ですが、巨大な廃寺や長期間使われた墓地など、大変な繁栄ぶりです。
 いったいどのような地理的な好条件があったのでしょう。 

  黒川上山墓跡  12世紀後半(平安末期850年前)~15世紀初頭(室町時代諸島600年前)にかけての有力豪族の墓跡
  伝真興寺跡    9~19世紀のうち15~16世紀に最も栄えた寺院跡





 50中世 平安時代の終わりから安土桃山時代までの時期
経塚外容器底面の刻銘 経塚外容器 中世仏教石造物 弓之庄古城と土肥氏 弓之庄古城復元模型 須恵器など
埋葬穴 柱穴 土肥氏
大岩日石寺石仏

大岩日石寺磨崖仏
簪 刀子 硯 毛抜き 碁石
煙管 櫛 将棋駒 木枕
瀬戸・美濃水滴
槍 刀の鞘尻金具
目貫
甲冑の破片 鉄砲玉 鉄鏃
笄(こうがい)小柄 煙管
古鍔 甲冑の破片 青磁・瀬戸・美濃の香炉
茶臼 瀬戸・美濃茶入
中国製天目茶碗
中世には宗教遺跡が増加し、特殊な成長をした地方都市の様相を示しました。  縄文時代の奥山に住む神への祈りが

 弥生でも引き続き行われ、
 やがて古墳時代の山の高みをよいところとして
古墳群を造営しつづけ
 古代中世の山岳寺院や山岳崇拝に繋がっていくかのようです。