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PART 1 テーマ「北方の衣料と暮らし」 01外観 入口展示 北のファンタジー ―時間と空間を超えてきた資料が 北の文化を話しはじめる― |
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02北のクロスロード 環境に適応した人々 人類はアフリカに起源を持つ。低緯度の熱帯地域から、長い時間をかけて北半球の高緯度、極北の地にまで生活の領域を広げたのは、1万年前のこと。 人類が北方へ進出するためには、寒冷地域の厳しい自然条件を克服する必要があった。 北方の環境の中で安定した生活を可能にしてきたのは、人間の生理的な適応ではなく、住居や衣類をはじめ生活に必要な道具などを生み出し利用 する、文化的な適応による所が大きい。 新大陸への移動 人類は氷期など、繰り返される気候変動を経て来た。2万数千年前から始まった最終氷期には、ペーリング海峡が陸化し新旧両大陸が陸続きとなった。 大型陸獣を狩猟するユーラシアの人々は、この陸地・ベーリンジアを渡って、新大陸の民族の祖先となった。 ベーリンジアが再び水没した後、北太平洋をとりまく北太平洋沿岸地域に豊かな海洋資源に依存した文化が形成されてきた。
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04海洋資源の利用と自然・民族・言語 北方へ進出した初期の人類は、大型陸獣を狩猟していたと考えられるが、その後、極北、亜極北地域の沿岸部では、海洋資源の利用が開始され、 しだいに海獣狩猟も盛んにおこなわれるようになった。 このような海洋資源利用の高まりは、陸の資源は乏しい代りに海洋資源は豊かである北方地域の生物資源のあり方を反映している。 |
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考察 以下引用はWikipedia 05※言語・民族 たくさんの部族語が並べられている。しかし、言語系統は ウラル語族 と アルタイ語族 ウラル語族は、ウラル山脈地域の言語でフン族の大移動によってスカンジナビアにももたらされた。ハプログループNの民族。(引用ハプログループN) 櫛目文土器を使う民族で、 朝鮮半島からバルト海まで広がる。日本でも見つかるので列島に来ていたこともうかがえる。 日本の九州では曽畑式土器、東北北部では円筒土器を使う民族です。 極東ではユカギール語族が近縁ではないかといわれる。そのハプログループはC2,N,Qがほぼ同比。引用ユカギール※ これは、ユカギール族はウラル語族とアルタイ語族とハプログループQの対等混血であった。(下のハプログループQ参照) アルタイ語族 中央アジアを中心に、極東〜西は東ヨーロッパまで広がる言語族。 ハプログループC2の民族。 支語に テュルク諸語(アルタイ語、トルコ語、ウズベク語、カザフ語など) モンゴル諸語(モンゴル語、オイラート語、ブリヤート語など) ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など) テュルク系はコーカソイド (白人) で、黒い髪をしている。(白人なのに黒髪) これは原初のアルタイ人の形質を残しているものです。 モンゴル・ツングース系は寒冷地適応して体型が変化している。この中に日本語・朝鮮語も入るが、日本では確定しないという。(笑) どう逆立ちしても、日本人は朝鮮人だよ。遺伝学 05言語・民族 |
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考察 以下引用はWikipedia ハプログループ ※ ハプログループN 2.5万〜2万年前に東アジア〜東南アジアのどこかでハプログループNOから分岐し、ユーラシア北部、さらにはシベリアを横断して 北欧まで分布を広げた。観察頻度はネネツ人97%、 ガナサン人92%、ヤクート人88%、 フィン人63%、チュクチ人58% など、北方民族の多くがこのタイプ。北部朝鮮の遼河文明の遺跡人骨からはN1が60%以上で、かつては東アジア北部においても 支配的であったと想定される。 青森県にはNが特に多く、青森の縄文遺跡は彼らNが作ったと考えられている。現在の朝鮮半島の民族と同じである。 ハプログループQ イラン付近で1.7―2.2万年前に発生した。その後カスピ海からウラル山脈を通り、シぺリアを抜けアメリカ大陸に渡り、 南北アメリカインディアンとなり大繁栄した。 ハプログループC2 約32,600年(±14,100年)前に中央アジアまたはシベリアで発生したアルタイ語族。北西インドから北ルートを通ったグループ。 ハプログループC1a1 日本列島で誕生した列島固有のハプログループで、誕生は約11,650年前または約41,900年前(拡散は10,000年前)と推定される。 |
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考察 以下引用はWikipedia 母系ハプログループ ハプログループM7a 石垣島で発見された白保竿根田原洞穴人のハプログループである。2.5万年前にスンダランドで誕生し舟で列島に到達した。 沖縄、白保竿根田原洞窟で発見された人骨のハプログループ分析結果、5体から検査に成功した。 3体は約2万年前と約4000年前の人骨で、M7aとされる日本固有のハプログループが特定されています。 1体は約2万年前の人骨で、ハプログループはB4でした。Bは中国南部か東南アジアで5万年ほど前に誕生したと考えられています。 もう1体は、ハプログループRでした。これも、東南アジアや中国南部など南方地域に起源をもつとみられています。 白保竿根田原洞穴遺跡を利用した旧石器人は、中国南部や東南アジアの集団との関連がうかがえるのです。 引用高橋佳大のコーヒータイム 参考縄文人 論証の中で母系と父系のハプログループ名が混在すると訳が分からないよ。小竹貝塚人骨の母系ハプログループ 05言語・民族
記述2017.03.28 人類拡散の北方ルートはなかった 試論:DNA-日本人の起源とモンゴロイド 2009年初稿 最新の研究成果 論文によると、インド大陸北部を通ってシベリアに達したという仮説は、当時、ユーラシア大陸北部は氷河に覆われて北方ルートは塞がれていた。 従って、インド大陸南岸を通ってスンダランドに達した人類が、北上し、中国大陸を通ってバイカル湖に到達し、北方民族となったと言っている。 これは、大変重要な研究論文です。 |
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10衣類を通してみる民族の広がり 伝統文化が急速に失われつつある中で、衣類はその民族のアイデンティティを示す役割を持ち、現在も機会あるごとに着用されている。 人々は限られた動物・植物資源の性質を生かし、現代の衣類に勝るとも劣らないものを作ることによって、北方の寒さに適応してきた。 体の形に合わせた作りは、布を体にじかに巻きつける温暖な地域の方式とはかなり違った趣を感じさせる。 装飾 - 色・形・文様 また、その色や形、文様には、衣類を美しく見せるという効果のみならず、動物への敬意や、魔除け、着る人の性別や身分なども示している。 自然素材そのままの美しさを利用したことは言うまでもなく、捕獲した獲物の一部を狩猟者の誇りとして身につけることもあった。 交易で入手した貝、金属製品、玉、ビーズの類も吉兆なものとして装飾に用いられた。 |
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11北方民族の衣料 生活に適した衣類 毛皮の利用 人間が寒冷地で生きるためには、動物の毛皮を実に付ける必要があった。防寒着として最もよく用いられたのは、軽くて暖かいトナカイ (カリブー) の毛皮だった。 また、夏季や雨季の衣服、靴の底などには防水性が高く丈夫なアザラシ皮を用いるなど、毛皮はその性質によって使い分けられていた。 重ね着 北に暮らす人々は、厳寒期にも大抵は毛皮服2枚で過ごしている。 中の服は毛が体側に、外側の服は毛を表にして重ね着されている。 衣服の間の空気の層は外の喚起を遮断し、体温を閉じ込める役目を果たしている。暑くなった時には、首周りや袖口を弛め、温度調節できる。
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13生活に適した衣料 -毛皮の利用- 軽くて暖かいトナカイ (カリブー) 皮製 夏季・雨季、靴底には防水性の高いアザラシ皮 などを使い分ける -重ね着- 暖かい毛皮は二着で厳寒期も十分だそうだ。 |
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考察 皮なめし技術の発達 皮革衣料を作るためには皮を、毛のついたままor毛をなくしたりと、都合よく生産しなければならない。 薬品でなめす現代と違い、近代まで、糞尿に付け込んだりしていたが、やがて脳漿を使うようになった。 しかし、その実態はよくわからない。 腸・魚皮も なめし と 乾燥 をし、ち密な縫製技術が必要である。 |
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15腸製衣 水上での猟や船旅の際に、着用される防水性に富んだこの衣服は、主にアザラシの腸から作られる。チュクチ、アリュート、イヌイトなど、 北太平洋から北極海沿岸で海獣狩猟を行う民族に多くみられ、腸の縫い目は水の浸入を防ぐように厳重な縫い合わせになっている。 |
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17魚皮衣 鮭・コイチョウザメなど大型魚の皮を何十枚も繋ぎ合わせた衣類。アムール川、オビ川、サハリン、北海道、西南アラスカに多くみられれる。 なめされた魚皮は布のようにしなやかで丈夫なうえ、防水性に富み、帽子、靴、カバンなどにも用いられた。 |
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19樹皮衣 高緯度にありながら比較的温暖で、樹木の多い北アメリカ北西海岸では、木の内皮を裂いて織った衣服が用いられた。 素材はヒノキ科の針葉樹が多く、ケープや巻きスカートのような単純な形をしている。 また、アイヌにはオヒョウなどの木の内皮やイラクサなどの草から織ったアツシと呼ばれる服があった。 |
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21儀礼用衣装、イヌイットの衣料 |
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23機織り道具・裁縫道具
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31交易 -北太平洋における西洋文明の流入- 交易 18cから19cにかけて、中国や西欧におけるテン、キツネ、ラッコ、ビーバーなどの毛皮需要の高まりから、シベリアや北アメリカの各地で毛皮交易と 毛皮獣狩猟が盛んになった。交易品として食料や嗜好品、布、金属製品などと共に、狩猟効率を上げるための銃やワナなどが入るとともに、 新たな宗教や病気などの影響も受けた。その結果、この地域の動物資源が乱獲され、文化と社会に大きな変革がもたらされ、先住民社会が崩壊した。 ハドソン湾会社 1670年イギリス国王の特許を受け、北アメリカの広大な土地の所有権をはじめとする様々な権益を得て、毛皮交易をおこなってきた。 この歴史上最大の土地所有組織は、カナダ政府にその権益を譲渡した後も、北米における毛皮交易の中心として存続してきた。 毛皮を通じて北方の先住民と強い結びつきを持ってきたハドソン湾会社は、1987年これらの窓口となっていた小売店を売却し、300年に渡る毛皮交易の 歴史に終止符を打った。 先住民間の交易 北方地域における交易は、隣接する民族間でも行われていた。例えば、北東シベリアのチュクチやコリャークでは、海獣狩猟集団と、内陸トナカイ 飼育集団の間で互いに得た肉や脂肪、毛皮などを交換していた。先住民間の交易を通じてかなり古い時代から鉄製品なども知られていた。 北海道アイヌも、かつては日本と中国の二つの市場を相手に毛皮をはじめとする陸海の産物を盛んに交易してきたが、江戸期に和人の支配が強まる 中で、しだいに生業や交易の自由を奪われていくこととなった。 北方にもたらされた煙草 アメリカ産煙草は、コロンブスの到達以後、スペインやポルトガル、イギリスなどのヨーロッパ諸国にもたらされた。その後、煙草は陸路や交易船で、 ユーラシア大陸に広く伝えられ、極北の民族にももたらされた。 日本でも17世紀の初め頃には喫煙やタバコの栽培が普及していた。北海道アイヌにも交易によって煙草とキセルがもたらされ、煙草は本州から 供給された。 |
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40北方民族の食 北に暮らす人々の食料資源は豊かである。しかし、季節的な変動があり、安定したものではない。このような環境の中で暮らす人々は、食料獲得技術を 高度に発達させ、手に入れた食料を有効に利用する知恵と技術を身につけて生きて来た。 長い冬に備えて大量の食料を蓄えることは重要なことであった。保存食を作る必要から、乾燥、燻製、発酵などの技術が発達した。 |
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50北方民族の住居 多くの北方民族は、生業活動に従って季節移動をし、複数の住居を使い分けて生活している。住居タイプは大別して三種類。 一つは冬季狩猟のベースキャンプとなる定住的な家。 二つめは、移動しながら狩猟漁労を行う人々や、トナカイ飼育の人々が用いてきたテント。 三つめは、北太平洋沿岸漁労民などの、高床式倉庫や魚干柵が付随した木造住居である。 イヌイトの竪穴住居 この竪穴住居は、アラスカ最北端のポイント・バロー〜ポイント・ホープにかけての海岸地域で、主に海獣狩猟によって生活してきたイヌイトの伝統的 な冬の住居をほぼ原寸大で復元したものです。向かって左側が地下通路(トンネル)で、4.7m、右側が地上にある主室(生活するところ)で、 面積8.6u(約5畳)とし、5名ほどが暮らせる住居として造りました。実際の住居では、通路が5m〜9m、主室面積が4u〜13uと様々で、大きな住居 では、10名程度が暮らすことができたそうです。 屋根には流木やクジラの骨を用い、保温や防風のため、その上に土をかぶせてあります。
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60火と器 |
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62火 グリーンランド・イヌイトの冬用の石造り住居では、ときに数家族が一緒に生活する。一家族に一つの石ランプがあり、妻は炎を一晩中絶やさない ように注意を払う役目だった。アイヌのチセ(家)では炉は特に位の高い神が座る場所であり、この神が暮らしを守ってくれると信じられている。 火は、人々の環境への適応と生存能力を高めた。それと共に火は家族のきずなを確認し、強め、守る象徴でもあった。 |
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64器 北に暮らす人々は、木を素材にした器を様々な目的で使用した。北米北西海岸のインディアンは木の根で編んだバスケットを調理や食物の貯蔵に 用いる。 また、蒸気で板を曲げて作る箱は、食物の貯蔵の他、儀礼の際の贈物としても用いられる。 アイヌのチセでは、交易で得た漆塗りの行器や鉢などが、家の東北の隅に置かれ、宝物として扱われる。 |
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PART 2 目次 70オホーツク文化人 80オホーツク式土器 貼付文土器 90食料の獲得 漁労具 100大型住居 110信仰と儀礼 130土器 131オホーツク文化の謎 132クマ送り 135仮面 136冬の儀式 138北方の精神世界 139楽器 PART 3 目次 150北方の生業 151北方の生業 152海獣狩猟文化 153アザラシ狩猟 154捕鯨 155水鳥猟 156漁労文化 157様々な漁法 158陸獣狩猟 159トナカイ飼育文化 160移動具 162橇 164舟 170雪上歩行具 かんじき スノーシューズ 180子どもと遊び 181工芸 182玩具 300網走の観光名所 |