東北の縄文1 10 2016.10.15-1
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板状土偶 |
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目
次 |
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00霧の道程
05伊勢堂岱縄文館 外観
資料
伊勢堂岱遺跡
10入口展示
11大型板状土偶
13遺跡の広がり
14北の環状列石
20T発見!伊勢堂岱遺跡
21(1)発見から調査、保存まで
22(2)主な遺構
23(1)石はどこから
24(2)どのような石が
25(3)(4)どのように・なぜ
(3)どのように造られた
(4)なぜここに造られた
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30V縄文のココロとカタチ
31(1)伊勢堂岱遺跡の出土品
考察 再葬
32祭祀具
33壺
40(2)伊勢堂岱の○△□
41○△□
42○
43△
44□
50(3)多彩な祭祀の道具
51写真
52動物型土製品
53交易
54祭祀・装身具
56祭祀
57漆・アスファルト容器
58異形台付土器
59縄文の形
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60W土偶
61土偶一覧
62土偶ワールド
63笑う土偶
64遮光器土偶
65
70丘陵全景
71
72伊勢堂岱の未来
73学芸員の活動
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80映画「伊勢堂岱遺跡
ストーンサークルの謎」
81
82
83
85縄文のカタチとココロ
86
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90伊勢堂岱遺跡
91環状列石 |
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00霧の道程
東横イン秋田駅東口から見た秋田市内東側 |
日の出
一番列車で大館へ |
駅裏はきれいな街です |
再開発されたばかりです |
大きな駅通路です |
新旧二両の秋田新幹線 |
奥羽本線北行
この日は大変な霧の中 |
有視界走行が危険なほどの霧。ゆっくり走行。 |
八郎潟干拓地です
日本第2の湖を埋め立てた農耕地。超広大です |
山を担いで日本海に投げた巨人の話を思い出しました。
斎藤隆介「八郎」 |
これがその山。かな。 |
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角助沼 |
秋田杉の美林 |
秋田杉 |
東能代駅 五能線の起点 |
大館駅
ここでの宿泊予定をキャンセル。何もない街でした |
ここは秋田犬。忠犬ハチ公で有名らしい。 |
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05伊勢堂岱縄文館 外観
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2016.4.23開館
長く立ち入り禁止でした。 |
沢山の人達が待ち望んでいた展示館です。 |
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資料
伊勢堂岱遺跡
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特徴 |
環状列石、墓地遺跡。 膨大な量の土偶や祭祀遺物が出土しています。 |
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地理 |
火山性堆積物を浸食して流れる一級河川、米代川の河岸段丘状に形成されている。 |
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時代 |
縄文時代後期 前葉 (4000〜3700年前)に、一部造成された、4基の環状列石と掘立柱建物などの祭祀遺構を有する2300年間の墓地です。 |
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遺構 |
環状列石A〜Dの4基、配石遺構、掘立柱建物、土坑墓、貯蔵穴、溝状遺構100m、道路状遺構 |
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遺物遺物: |
祭祀具 土偶・動物型土製品・鐸形土製品・土版・岩版・三脚石器・石剣など
生活具 石鏃・石錘・石皿・磨石など |
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遺跡遺跡: |
北海道西部から続く環状列石文化の遺跡。 大湯・小牧野と同様に土地を開墾・造成して広い平坦地を作り、記念物を作っている。
記念物は利用された間は管理され、雑草や灌木に覆われないように、居住地から通って来て、常に手を入れていたようである。 |
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土偶土偶:土偶: |
大湯環状列石 (後期前葉〜中葉 4000〜3500年前) からは、大きくて、実用に供さない装飾の付いた鉢形土器が沢山出土している。
小牧野遺跡 (後期前葉 4000年前) からは、祭祀用石器、葬送儀礼用土器(十腰内式)、土偶など、伊勢堂岱遺跡と共通している。
大森勝山遺跡 (晩期前半 3000年前) |
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10入口展示
11大型板状土偶
実物は高さ19p肩幅16p、厚さ1pです。この模型は12倍で作られています。
環状列石Bの周りの土坑墓から頭部と胴部が分かれて出土。頭の上の2つの穴は髪形を表現しています。
遺跡では200点近くの土偶が出土していますが、完全に復元できたのはこの1点のみです。
秋田杉をイメージした木製の床。少し音がします。床暖房かもしれない。 |
館のマスコット大型板状土偶の時計 |
私が行った日時が記されています。 |
大型板状土偶 |
伊勢堂岱遺跡の歴史 |
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13遺跡の広がり
遺跡地図と写真 |
広大な遺跡
一つの丘が全て遺跡です |
環状列石A |
環状列石B |
環状列石C |
環状列石D |
配石遺構 |
沢 (捨て場) |
溝状遺構 |
中世の空掘 |
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14北の環状列石
北海道・北東北における主な環状列石 |
大森勝山・小牧野・大湯・伊勢堂岱 |
鷲ノ木遺跡 |
東北・北海道には、このほかにも沢山の環状列石があります。
それぞれ、共通の宗教観に基づいていたのでしょうか。
一つ一つにはかなり独特な個性が見えます。
イギリスの記念物同様に夏至・冬至、付近の山との関連も考えられます。
墓地を円形に配置する習俗の人々が、北海道から東北各地に分散居住し、共通部分を残しながら独自の地域文化に変化し、葬送儀礼を行っていたのでしょう。 |
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20T発見!伊勢堂岱遺跡 |
21(1)発見から調査、保存まで
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伊勢堂岱遺跡は平成4年発見。平成8年土器・石器・多くの石組が見つかり、環状列石を中心とした遺跡であることが分かった。 |
秋田埋文が3つの列石を、鷹巣町教委が4つ目の環状列石を発見しました。 |
遺構分布図 |
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22(2)主な遺構
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遺跡は縄文後期(4000年前)の祭祀遺跡です。環状列石をはじめ、配石遺構・掘立柱建物・溝状遺構・道路状遺構、落とし穴が検出されています。 |
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遺跡は約200年間利用されました。 本遺構は広大な台地で掘削・盛土や、溝状遺構といった地形改変を行い、4つの環状列石を造っていることから、縄文時代の集団祭祀を明らかにするための重要な遺跡と考えられます。 |
環状列石
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縄文人が川から石を運び、大きな円を造っています。石の下には土坑墓があります。さらに、石の周りからは祭祀道具が出土することから、
環状列石では墓に葬られた祖先を弔うために、歌や踊りなどのマツリの場として使われたと考えられています。 |
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伊勢堂岱では、環状列石が4つ発見されています。4つも発見されているのは、国内では他に例がありません。
発見順にA・B・C・Dと命名されました。 |
掘立柱建物
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環状列石の周囲を取り囲むように、6本柱の掘立柱建物が見つかっています。同じ場所に何度も繰り返し立て直されていました。
マツリの施設、平地式住居、貯蔵施設や、台上墓(もがり屋)などの説があります。 |
配石遺構
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環状列石より小型の石組を配石遺構と呼んでいます。円形など様々な形があり、環状列石より東側では、日時計状配石が見つかっています。
大湯環状列石では、日時計状配石と環状列石の中心を結んだ先が、夏至の日没になります。伊勢堂岱にもそのような仕掛けが隠れているかも
しれません。 |
溝状遺構
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遺跡の東側では幅1m、最大長100mの溝状遺構が見つかっています。この周りからは特別な施設は未検出で、何のために作ったかは不明です。
鉄器のない時代にこれだけの巨大な溝を掘ることは、大変な労力を必要とされ、多くの人々が関わったと考えられます。 |
主な遺構 |
主な遺構 |
環状列石 |
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掘立柱建物 |
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配石遺構 |
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溝状遺構 |
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23(1)石はどこから
環状列石Aは1300個の河原石で作られています。これらの石は遺跡から5km以内の河川から運んできたと考えられます。
道路状遺構
環状列石Aの北側で複数の道路状遺構が検出されました。縄文時代の地層で固く締まっていました。縄文人はソリ状のもので石を運んだようです。
石はどこから運ばれたか |
伊勢堂岱の石 |
道路状遺構 |
段丘堆積物・遺跡・現川床堆積物の礫種構成 |
段丘堆積物・遺跡・現川床堆積物の礫種構成 |
段丘堆積物・遺跡・現川床堆積物の礫種構成 |
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24(2)どのような石が
列石には20種類を超える石が使われています。青、白、黄など、様々な石が使われています。焼いて赤色に変化させた石もあることから、
様々な色を混ぜ、カラフルな環状列石を作ろうとしたのかもしれません。
大湯環状列石では、緑色の石を好んでいたようです。同時代の環状列石で、色の好みが違うのは興味深いことです。
どのような石が選ばれたのか |
どのような石が選ばれたのか |
小牧野式石組 |
使われた石の配置図 |
使われた石 |
使われていたいしの種類 |
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25(3)(4)どのように・なぜ
(3)どのように造られた
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遺跡は河岸段丘の舌状台地上に造られました。直径30m以上の4つの遺構は、計画的に配置され、互いに隣接して、しかし、重なることはありません。そのため、十分な平坦地を確保するため、遺構構築に先立ち、土地の一部を掘り下げ、その土で盛土をすることで、広い平坦地を造り出しています。
環状列石は園内の槌を削って窪地にしています。環状列石Cでは削った土を周りに盛って、その上に石を並べています。
近年では、厚く堆積した黒色土(クロボク土)は縄文人による山焼きや野焼きによる可能性も指摘されています。 |
(4)なぜここに造られた
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遺跡の面積はおよそ20万uです。南側には広大な平たん地があるにもかかわらず、環状列石は台地北西部の狭い範囲に集中します。
南側には広大な平坦地があるにもかかわらず、環状列石は台地北西部の狭い範囲に集中します。
台地辺縁部という特定の場所にこだわった理由は何でしょう。 |
(3)どのように造られた |
どのように |
厚く堆積した黒色土 |
(4)なぜここに造られた |
台地北端から見る
パノラマ |
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30V縄文のココロとカタチ |
31(1)伊勢堂岱遺跡の出土品 十腰内T式土器 縄文後期
(1)伊勢堂岱遺跡の出土品 |
深鉢文様展開 |
十腰内T式土器と
文様展開 |
十腰内T式土器 |
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頭蓋骨の縫合線のような模様 |
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赤彩土器 |
穴あき意匠の壺 |
磨消し縄文 |
切断土器幼児の土器棺 |
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考察 再葬
幼児用甕館があるということは、土器の多くは甕棺でしょう。と、いうことは、再葬があったのでしょうか。
一次葬は、床が石敷きで、上に屋根がある掘立柱建物などで、死体を風葬し、甕に入れて再葬したものです。土器の多くは骨壷でしょうか。
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32祭祀具 伊勢堂岱遺跡 縄文後期
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33壺 伊勢堂岱遺跡 縄文後期 十腰内式土器
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40(2)伊勢堂岱の○△□ |
41○△□ 伊勢堂岱遺跡 縄文後期
以前、これらは護符 (お守り) と聞いていましたが、死者の護符だったのでしょうか。 螺旋模様はまじないにも見えます。
山梨県の展示館では、死者の額に円形の土器片を置くと聞いていました。 青森では三角土版は護符と聞きました。
しかし、墓地から、死者に関するものとして出たので、改めて考え直す必要がありますね。
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42○ 伊勢堂岱遺跡 縄文後期
有孔石製品 |
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土器片利用円盤
(三角板) |
円盤状土製品 |
円盤状石製品 |
渦巻状土製品 |
円盤状土製品 |
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43△ 伊勢堂岱遺跡 縄文後期
三角形土石製品三角形石製品
岩版(三角形)
三脚石器 |
三角形石製品
岩版(三角形) |
三脚石器 |
三角形土板 |
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44□ 伊勢堂岱遺跡 縄文後期
板状土偶破片胴部・脚部・脚部 |
板状土偶破片頭部 |
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50(3)多彩な祭祀の道具 |
51写真
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52動物型土製品 縄文後期
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狩猟文土器日廻岱B遺跡
縄文後期 |
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動物型土製品 |
動物型土製品漆下遺跡 縄文後期 |
サル形/漆下、
猪形/藤株
鳥形/二重鳥B、
貝形/藤株 |
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53交易 藤株遺跡 縄文後期 藤株遺跡発掘調査報告書( 36.7 MB )
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小石入り土製品藤株遺跡
縄文後期 |
貝殻模倣腕輪
向様田D遺跡
縄文晩期 |
北陸系土器片
摩当 縄文時代 |
ヒスイ玉とヒスイ原石
向様田D遺跡
縄文晩期 |
琥珀二重鳥A遺跡
縄文前期 |
黒曜石 |
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54祭祀・装身具 漆下遺跡 縄文後期 北秋田市森吉字漆下2-1外
環状土製品と耳飾り |
環状土製品 |
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耳飾り |
漆下遺跡出土物
竪穴住居跡・掘立柱建物跡・竪穴状遺構・屋外炉・焼土遺構・土坑・土器埋設炉・土器埋設遺構・石積み階段状道路・捨て場・柱列・柱穴様ピット、縄文土器(前期〜後期)・石器・土製品・石製品
引用漆下 | 秋田県遺跡地図情報 |
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56祭祀 漆下遺跡 縄文晩期
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57漆・アスファルト容器 漆下遺跡 縄文後期
漆・アスファルト容器と赤漆塗り土器 |
漆液・アスファルト容器 |
漆液・アスファルト容器 |
赤漆塗り土器 |
赤彩土器 |
赤漆塗り 注口土器 |
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58異形台付土器 漆下遺跡 縄文後期
これらの土器意匠には全て意味があり、何かがモチーフとなり、 |
奇抜なアイデアでこんな
ぶっ飛んだ、驚きの形が出来上がりました。 |
いまでは誰も知ることのできない、デザインの意味を、私は、聞きたいと思う |
異形土器にも、儀式用土器文様にもある、隠された意匠の謎はなにか。 |
意味があるから同じような意匠が再生産され、広範囲に拡散され、長く続いた |
もし、土器がしゃべれるなら。 |
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59縄文の形 向様田D遺跡 縄文晩期 大洞式土器 (大洞B式・大洞BC式・大洞C1式・大洞C2式)
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検索資料
伊勢堂岱遺跡 - 全国遺跡報告総覧 伊 勢 堂 岱 遺 跡 伊勢堂岱遺跡 | 北海道・北東北の縄文遺跡群 伊勢堂岱遺跡伊勢堂岱遺跡 - 北秋田市
伊勢堂岱遺跡景観計画.pdf - 北秋田市 国指定史跡伊勢堂岱史跡景観計画 伊勢堂岱遺跡出土品 伊勢堂岱遺跡 - Wikipedia
考古学ジャーナル 2011年4月号 (立ち読み) 7. 『 秋田・青森 縄文 の ストーンサークル 』探 訪 初秋青森・秋田風来坊【2】
パンフレット_国指定史跡小牧野遺跡(PDF:3103KB) - 青森市 伊勢堂岱遺跡出土品 文化遺産オンライン
考古学研究室:長野県穂高古墳群・秋田県石倉岱遺跡発掘 ... - 國學院大學
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60W土偶
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61土偶一覧
・膨大な数の破壊された土偶があり、土偶は葬送儀礼でも破壊して撒き散らされたことがわかった。決して農業祭祀だけで使われたのではなかった。
・土偶には、似たものがあるとはいえ、一つ一つがそれぞれの遺族が手作りしたものであり、ユニークで、まだ、専門職ではなかったようだ。
亀ヶ岡遺跡の膨大な量の、規格化された土偶は職人の手になるものだ。
・そうすると土偶とは何なんでしょうか。集団墓地に埋めた親族の墓の場所を知る目印だったのでしょうか。遺影にしては、おもしろすぎる。
そして、ある程度年月が過ぎると、土偶を壊してあの世に送ったのでしょうか。
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62土偶ワールド キャプションなど付けられませんので、ゆっくりお楽しみください。
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63笑う土偶
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64遮光器土偶
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65ハート形土偶
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70丘陵全景 |
71
十和田火山の噴出物を河川が浸食し、
あちこちに、こんな段丘や残丘があり、
まるで、別天地のようになっていたのでしょう。 |
自分たち生ける者の世界と
別天地の、死者の世界 |
なにか、縄文人の死生観が
覗けるような気がする。 |
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72伊勢堂岱の未来
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73学芸員の活動
伊勢堂岱野未来像 |
遺跡を守る |
景観を守る |
伊勢堂岱縄文館 |
伊勢堂岱縄文館 |
縄文人のココロを現代に伝える |
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伊勢堂岱に行ってみよう |
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80映画「伊勢堂岱遺跡ストーンサークルの謎」またはhttps://youtu.be/SPznkMoZGtw
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81
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82
円い列石は縄文人の世界観の表れ。 |
太陽や月の循環から |
自然は円く巡っていると考えたのでないか。 |
これが環状列石の円という形でなかったか。 |
遺跡や周辺から生活土器と共に |
土偶や祭祀具が出土
縄文人の願いや祈りが込められている。 |
発見された土偶は |
ほとんどバラバラに |
壊されています。 |
怪我や病気の回復を祈るためか |
サークルから発見された骨壷 |
続いてきた命の連続性を願ったのでしょうか |
板状土偶
伊勢堂岱遺跡 |
笑う土偶
白坂遺跡 |
漆下遺跡 |
列石の中心での巫女の舞い
祭の舞台・劇場空間だったか |
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83
未完の永続 |
200年かけても未完成の意味は、 |
終わらない永続を意味した |
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板状土偶復元 |
日時計といわれる、
配石遺構 |
掘立柱建物跡 |
土坑墓 |
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85縄文のカタチとココロ
縄文の形と心 |
道路遺構 |
配石配石は全て河原石で |
小猿部川色々な石が運ばれ |
米代川並べられている。 |
環状列石遺構の分布 |
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86
東北の縄文時代は
1万5000年前〜2300年前 |
石鏃多分に北方的な匂い |
石槍 (有舌) |
土玉 |
土玉 (赤彩土器) |
三脚石器 |
鐸形土製品大陸渡来品の模倣品 |
十腰内式土器
土器棺 |
土器の効用 |
縄文カレンダー |
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88
4つのストーンサークルの謎 |
環状列石の一部で使われた小牧野式石組 |
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大湯環状列石の日時計
配石遺構です |
イノシシ形土製品猪祭祀があったのかな |
猿形土製品猿の祭祀もあったのか |
祭祀用具 |
子どもの埋葬用切断土器 |
大きな布をまとった様な |
板状土偶 |
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90伊勢堂岱遺跡
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91環状列石
はっきり言って遺跡は まだ整備中でした。 |
いざ、現場に立つと
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どれがAやらCやらわからない。 |
それには、少し高みを作って見れるようにすれば |
いいのだが、そんな台もないから |
だから全景を見ることが出来ないからです。 |
掘建柱建物の柱穴正直長い竿の付いたカメラが必要でした。 |
物凄い力持ちのおばちゃん達が |
重い一輪車を押して行って |
見学者に気軽に解説を
しゃべりながら |
物凄い勢いで遺跡整備をしていました。 |
このおばちゃん、、どうも学芸員さんのようでした |
とても詳しかった。只のパートさんじゃありません。 |
不思議な民家伊勢堂岱付近で見つけた民家は池を併設していた |
池と水田と樹木に覆われた中に高貴な人の住まい |
がありました。 |
これは、
特別な宗教施設だったのかもしれません。
または、物凄い旧家かも。 |
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