縄文を旅する3 北の縄文 北東北~南北海道旅 04 2013.10.04(金)
大湯環状列石(大湯ストーンサークル館) 秋田県鹿角市十和田大湯字万座45
年代 縄文時代 後期
交通 二戸駅からレンタカーで90分弱。帰りに御所野縄文公園に立ち寄ることができ、便利です。
秋田に御用のない人は太平洋側からのアクセスが便利で早く時間短縮できます。
見所 環状列石は二つでなく沢山あること。 数を記録する粘土板。特殊土器
反省点
環状列石自体の写真が十分撮れていず、日時計型組石も撮れていず間違っていた。
遺跡に着いたら、先に環状列石の写真を撮るべきだったと思う。私は博物館に先に入った。
右の地図を印刷して持っていれば見どころがわかり、こんな失敗はなかったのに。
※私は最初に博物館を見ましたが、逆の方が楽しいでしょう。
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大湯環状列石 遺構配置図見学時には必須です
copy&pasteして使用 |
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目
次 |
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50大湯環状列石
01大湯ストーンサークル館
04周辺建物の役割と出土物
06注目土器
10祭祀具 土偶と土版
11土器
16祭祀具 装飾品
17土器装飾の説明 |
26日本と世界の巨大遺跡(パネル・模型)
45天戸森遺跡
私見
東北地方における縄文時代の気候と生活
温暖期の縄文時代
寒冷期の縄文時代
東北地方における過去の地震津波 |
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50大湯環状列石
いきなりフィールドに出ると意味が分からないので説明します。
①ページ右上の遺構配置図を新しい窓で開く。 ②下の 1)~4) のリンクを開いて読み、③遺構配置図で場所を確認してください。
こうしないと意味がわからないです。よろしくお願いします。
1)環状列石の萌芽 2)一本木後口配石遺構群 3)遺跡の変遷 4)環状列石の構造と規模 地図と リンク先解説と 写真を照らし合わせて下さい。
(最初に作り始めた二か所の墓地) (色々な墓地) (最後に二つの環状列石に)
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01大湯ストーンサークル館 外観と説明パネル
観光名所で集客も多いが展示館の中にはなかなか入らないようです。
館内には優れた展示物があり、遺跡を理解する上でも大切です。
大湯環状列石の保存
ここは、近代に入ってすぐに巨大な遺跡があることが知られ、国が遺跡の周囲全体に高い塀をめぐらし、
長い間人の目を遮断して遺跡を保護しました。このため、盗掘を免れ、大量の貴重な遺物を発掘することができました。
特に北海道などでは先史時代の遺跡はほとんど破壊され、農地や牧場に変えられたことを考えると、随分幸いなことでした。
博物館の事務所はNHKドラマ「超古代からの挑戦-縄文ストーンサークル編-」で旅行会社の事務所との設定でロケが行われました。
※大湯環状列石周辺には生活の痕跡がなく、この館の展示物は全て、墓の副葬品。祭祀具。死者の装束。などです。
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04周辺建物の役割と出土物
墓地周辺の祭祀場、忌小屋は間違い。(忌中に籠る小屋ってなんて名前だっけ)。
などなど この頃もお弔いや法事のおせったいって有ったんダァ~
環状列石の建物跡と貯蔵穴 |
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環状列石の祭祀建物食糧庫あるのに炉がない。どこで煮炊きを? |
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遺跡の種類と変遷 |
フラスコ状土坑環状列石2、環状配石12、方形配石5、立石遺構12、配石99建物91etc |
環状列石の萌芽 野中堂北東に初期遺跡
一本木後口配石遺構群前段階の土壙墓群だと |
一本木後口配石遺構群初期段階から共同墓地の設計と建設工事が計画的に進められ、最初からこの形状を想定 |
万座環状列石北の掘立柱建物跡と土壙墓群配石なしの環状土壙墓 |
現代土木工事の跡のように平坦な土地が続く。
当時も大工事をしたかも |
共同墓地建設は絶対この場所が必須らしい。
周囲の景観と関係あり |
環状列石を作った人々
土木工事と祭祀集団黒又山の見える場所に墓地造成を指揮し祭祀を執り行う専門集団がいた |
環状配石遺構=建物跡=祈りの場五百年間で幾つもの配石遺構や環状列石が作られ、次々と共同墓地の進化が行われた |
祈りの場の建物 |
環状列石出土の遺物副葬品や生活用具、開削用具なのか |
調理道具炉の跡がないのに調理道具があるのはなぜ? |
石器の使い方 |
土堀用打製石斧これで列石広場を作ったのか。スゴイ。 |
石皿と磨り石 |
この石皿は足がついている。北海道式だ |
縄文の服装 |
アンギン編み |
装飾品埋葬時の副葬品 |
装身具でもこれって何? |
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06注目土器 大湯環状列石出土土器。 通路中央に置かれた、目玉展示です。立派な祭祀具と思える土器群です。
いろいろな土器 |
縄文土器を作る |
大木式土器の特徴 |
アスファルトも利用していた |
彩色土器ですか |
土器棺大湯は全体が墓地なので、出土する土器は |
土器棺ほとんどが棺ですね。
道具はその副葬品。 |
土器棺すると、食糧保存穴は死者への供え物。だから、炉跡がないんだ。 |
片口土器大湯特有の土器か
大湯式土器 |
この文様を雲形文というんですか。 |
円筒土器有孔土器は埋葬に使用 |
しかし、小さすぎる口縁。幼児用か、二次葬用か |
倒れそうな形の土器だが、平らな祭壇のようなところで使えたのか。 |
梅の花の中にフキノトウをあしらった見事な意匠 |
大木式土器の特徴。口縁が平らでない |
見事な切断土器。低温焼成ならばこそ |
大湯式片口土器は大変珍しい |
台付土器儀式にふさわしい美形 |
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10祭祀具 土偶と土版 土板くん
大型中空土偶
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人や動物のような土偶後期前葉~中葉 |
右上は動物?
体の模様は「根性焼き」? |
三角模様は蛇の象徴。南方系民族の特徴的表現 |
土板くん表裏の模様は1から10までを表す数と考えられている。
一対一対応です。 |
土板くん十進数の概念が便利と知っていたのかなぁ。 |
裏面手作りの回転台に乗ってギコギコと非スムーズに回転 |
表面振動でやがて壊れると心配しています |
土板の謎解きをした人は素晴らしい頭脳の持ち主。 |
種類の違う土偶が混在。使用目的が違うのか。単に色々なお守りを貰ったみたいなのか |
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11土器 口縁部に特異な装飾を施した特殊土器は実用か祭祀用か。 大湯式土器が沢山展示されています
口縁部に特徴的装飾の特殊土器 |
実用性があるのか、頑丈な取っ手 |
後の百万塔(仏教)のような装飾。握り手か吊り手か只の装飾か |
後期特有の壺。口縁部の広口が使用目的を表している |
以後、側面の模様が楽しい |
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人がた、波がた |
蓋形土器 |
大木式模様 |
昔こんな模様が流行 |
貼り付け文になった |
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他地域の影響かな |
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16祭祀具 装飾品
縄文の祈りと祭り |
スタンプはボディペインティングに使ったか |
亀・蛙等土製品
環状土製品 |
副葬用ミニチュア土器 |
まつりの道具
土偶・石剣・石刀
足形付土版・足形石製品
・キノコ型土製品
動物型土製品
大湯では内面に動物を貼り付けた壺があった。是非見てきてください |
鐸形土製品衣服に着けて踊って音を鳴らし盛り上げたのか |
キノコ状土製品トランス状態を象徴するものか毒キノコ |
イモ貝・男根・椀何の祭祀に使用? |
三角形岩板の出土状況は不明も、埋葬用品だった。 |
石刀北黄金貝塚からクジラの骨製が出土 |
軽石製石製品これも埋葬用具? |
墓に入れる円形土版 |
本州式石冠は携帯装飾品ではなく埋葬用品か |
円盤型製品は六文銭のように埋葬跡からよく出土しますね。
これらはすべて墓域から出土しています |
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17土器装飾の説明
縄文って何 |
縄の綯(な)い方で多様な文様ができるとは素晴らしい |
でたらめな文様ではなく |
見て美しい文様を |
付けていたことがよくわかる |
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26日本と世界の巨大遺跡(パネル・模型)
縄文時代と巨大施設
大規模配石遺構・環状列石
縄文後期は集落の分散縮小化。が、同族結束のため環状列石、土蘺、木柱列等を作り祀った |
日本の巨大施設遺構残存する環状列石が意外に多く、本来は大変な数があったと推測可 |
中部地方が最も古く、後に南北海道・北東北に増える |
集団の移動が原因か |
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世界の巨石記念物 |
世界の巨石文化
メンヒル |
立石 |
アリニューマン |
列石 |
ストーンサークル |
環状列石 |
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ストーンサークル夏至や冬至の太陽関連
イギリス、西欧、イラン、南インド、シベリア等 |
アリニューマン始めて聞きました。
この名前 |
メンヘル中世にキリスト教信仰で三つに破壊されている |
ドルメン日本でも山中に支石墓がみられる所もある |
ストーンヘンジ模型 |
小牧野式配列 |
忍路形環状列石 |
秋田県の歴史年表844KB 2000×1375 copy&pasteして使用 |
672KB 2000×1312
保存・印刷して使用 |
環状列石
日本最古の環状列石は縄文前期の長野県原村の阿久遺跡である。
東北北海道は後期晩期である。
その間をつなぐ遺跡が関東にあるらしい |
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カフェ展示
有料展示室が手狭なためか、無料でよいので、来場者に少しでも古代に触れて欲しいとの館員の願いからか
ミュージアムショップ、カフェに置かれ誰でも自由に見ることができますが、入館者自体が少ないので残念です。
45天戸森遺跡(縄文中期 5~4千年前)出土品など 大木式土器例 円筒土器例 亀ヶ岡式土器
キャリパー形土器とはキャリパーのように胴の中央部がくびれた土器。
天戸森遺跡5~4千年前 |
縄文中期 |
装飾の違う |
いくつかの系統の土器が混在していたか |
後期の土器 |
キャリパー形土器
天戸森遺跡 |
脚付き石皿北の方に多い形 |
壺形土器現代的なデザイン |
土偶銅版で作ったのかと思うほどの薄い仕上がり |
切断土器/後期 |
広口壺/後期
八幡平 字黒沢 |
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石冠と清龍刀形石器やはりカムチャッカ経由で大陸から人々がやって来たのでしょうか |
注口土器下に置けない尖底形。不思議です |
彩色壺この時代に彩色!? |
台付鉢こんな台ってあり? |
鋒形石器/前期
八幡平 字根津
リンク1 02 03 |
天戸森遺跡の土製品 |
土偶/中期
天戸森遺跡 |
祭祀具副葬品ともとれる |
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男根型石製品 |
装飾品 |
鋒形石器(ほうけい)
とても珍しい「ほこがた」石器で出土例も少なく貴重です。
が、そういう物がその辺に置いてあるのは驚きです。
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東北地方における縄文時代の気候と生活 についての勝手な想像(2013.11.20記述)
温暖期の縄文時代
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縄文時代は草創期前半以外は平均地球気温最大2℃・海水面最大7mも高く、気候の温暖化は昨今の地球以上です。
このような環境では夏が長く冬が短い。西日本では夏の高温乾燥、東日本は北東に行くに従ってより湿潤温暖な環境になる。
しかし、気象現象はより極端で、豪雨、豪雪、暴風。
そして夏から冬の直前までの長い期間にわたって巨大台風スーパー台風が何度も襲来する。
これは、温暖化によって、今後の地球が向かう未来と同じです。
縄文時代の西日本が実に苛烈な環境だったことは、今年(2013年)の夏を見ればわかります。
今回の取材旅行中、高温と乾燥が当たり前で、植物が枯れ果てた西日本から、
東北地方は湿潤で緑にあふれ、野菜も見事に実り、実に温暖な環境に驚きました。
縄文の東北地方は本当に住み易い環境だったのだと実感します。高冷地の中部地方も同じ理由で住み易い環境だったと思います。
ただし、夏の終わりから長い秋の間、巨大台風と豪雨に襲われたことは大変だったでしょう。 |
寒冷期の縄文時代
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私は縄文後期晩期の地球規模の気候変動や寒冷化が
氷河期を髣髴するほどのものと考えていましたが、そうではなかったようです。
ただ、西日本の気候が
東北地方の気候になるほどの変化があったことは間違いないでしょう。
それは、植生や、住人にとっては大打撃だったでしょう。なぜなら、植生の変化期は食用植物が減ってしまうので大変です。
結局、地球規模で文明が崩壊したり、王朝が滅んだり、大量絶滅や、大移動が起こったりに結び付いたんですね。 |
東北地方における過去の地震津波
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千年に一度起こるといい、
今回の地震の前に起こった巨大地震の、
869年の貞観地震が最古でこれ以前の記録も発掘調査もわからない。(2019.02.06追記この後にかなり詳しく調査されました。)
しかし、千年に一度の巨大地震は確実に起こっており、三陸のリアス式海岸も溺れ谷もすべてこのせいです。
詳しいボーリング調査データの公表は今後に待つしかないのかもしれません。
おそらく一万年の縄文時代には何度も何度も巨大地震が起こっており、
縄文時代の遺跡を発掘すれば津波堆積物などが観察されるはずですが、その資料もネット上に見つかりません。 |
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