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  北陸の縄文と観光2 07  2015.10.09(金)

   能美市立博物館 07  石川県能美市倉重町戊80  0761-52-8050  月曜休館
    (※旧石器~中世)
   能美市立歴史民俗資料館 08  能美市寺井町を-20   0761-58-6103  月曜休館  両館の位置を表示した地図
    (※古墳時代を展示)

   平成の町村合併により一つの市に二つの考古資料館が誕生しました。

交通 JR能美根上駅下車  市立博物館まではタクシー\3000片道 歴史資料館までなら2000円くらいかなぁ。断然レンタカーが便利で安い
 
レンタカー  JR金沢駅 からニコニコレンタカーで行くのがもっとも便利です。3500円
 JR小松駅 から駅レンタカーで行く。\7000 バスはない。
 
特徴 石川県南加賀地方の旧石器時代は富山県南砺市と共通性があることがわかったが、
    それ以外の特徴や掘り下げるべき問題点を見いだせなかった。はなはだ不本意ですが、このまま揚げさせて頂きます。

 

 もくじ 

1.能美市立博物館

01外観
02地理的概要

10旧石器時代
11きっかけの石器
 灯台笹遺跡


12縄文時代
13尖頭器
迷子になった尖頭器
21石器
23石器・祭祀具・玉
24南加賀地方の土器編年
24土器 中期
25土器 荕生遺跡
26土器 晩期


30弥生土器
31生活道具

40古墳時代
42アクセサリー
43土器
44木製品
45鉄器
48青銅製品
49線刻土器

2.能美市立歴史民俗資料館

60古墳時代
61外観・入口展示
63土器
 双口壺
 双口土器

64副葬品
65供献土器
66和田山1号墳
 
 
 1.能美市立博物館

  時代 旧石器・縄文中期

  見所 これらの館では、写真撮影を自由にし、ブログやHPへの掲載を勧めています。 考古資料を隠蔽し大衆蔑視の石川県で稀有の博物館です
      海の真脇遺跡に対して、内陸、白山から流れ出る手取川の扇状地・河岸段丘 (能美丘陵) の先史時代が明らかになます。


  注意 この館では、キャプションを展示物と別に掲示しており、撮り逃さないよう、十分な注意が必要です。
      このような展示は、西都原考古博物館の真似ですが、観客には大変不親切です。やめた方がいいと思います。

 01外観
金沢駅から能美根上駅(のうみねあがり)へ。
館へはタクシーで行く。
遠く、不便です。あまり人が訪れないかもね。 旧町村としては破格の立派な建物と設備です。
スタッフも優秀でした。
能美丘陵地遺跡地図  能美市は旧能美郡の3町が合併したため、中心部が三か所あり、田舎町で、バスも通っていない。

 レンタカーは小松市にあるが、
金沢からレンタカーで来た方が便利で安いです

 02地理的概要 -手取川扇状地-
能美市の位置金沢市・野々市市・白山市の南西で、小松市の北東

手取川扇状地に広がる広大な稲作地帯である
金沢市からの距離
金沢市から18.3㎞
約40分のドライブである
能美市立博物館・歴史資料館への位置と距離
地図上部は能美根上駅から歴史資料館を経由していく場合
地図下部は直接博物館に行く場合、タクシー代は約三千円です。
手取川流域


広大な流域面積であるのに急峻な斜面とボトルネックによる激流となっている。
  転載流域及び河川の概要
手取川扇状地
海抜百m鶴来町付近を扇央に、一気に流れ下る
転載白山手取川ジオパーク

  能美市は手取川扇状地の南端にあたる。金沢市・野々市市のチカモリ遺跡(環状木柱列)や御経塚遺跡は、同じ扇状地の北側扇端にあたる。






 10旧石器時代

 11きっかけの石器
    能美の考古学は、一人の少年が、学校で習った覚えのある、旧石器時代の石器を拾ったことに始まる。
    この最初の石は、感動的に展示館の中心に展示されている。


 灯台笹遺跡 (とだしのいせき)  旧石器時代

約15000年前の遺跡で、県下で初めて発見された旧石器時代の遺跡です。

黒曜石製の石刃や、頁岩製のナイフ形石器など数点が発見されており、地理的にもよい場所を選んで、古くから人が住んでいました。
 (能美市灯台笹町)  転載北陸中日新聞中山新聞舗 ~灯台笹遺跡~

なだらかな斜面上で人々は狩りの道具を作りました。定住生活は送らず、獲物を追って、移動生活をしていました。転載石川県埋蔵文化財センター
その石器は木の葉状に整形された槍先に用いる尖頭器1点とナイフ形石器5点であった。 転載けんてーごっこ

歴史を変えた 
 石のかけら
少年がこの石を拾い、半年後に専門家に見せる機会を得、能美の考古学が始まった
15000年前
石核・縦長剥片 楔形石器・掻器・ナイフ形石器 鋸歯縁石器・楔形石器

  昭和37年7月14日、灯台笹の台地で一人の高校生が見つけた石器は、石川県の歴史を大きく変える発見となりました・・・

     先土器時代人の生活の場を石川県で初めて発見したのは、田中勲という一人の高校生でした。

     歴史と山歩きの大好きだった田中さんが、自分の住んでいる灯台笹集落の裏山テックでみつけた古い土器と石器は、専門家の手により、
     旧石器時代のナイフと黒曜石でできたナイフであることが確認されたのでした。





 12縄文時代
  13尖頭器

尖頭器 縄文草創期
能美丘陵採集

斧・尖頭器 草創期
湯屋遺跡

尖頭器 草創期
採取地 金剛寺※1
庄が屋敷B遺跡
(旧石器時代~)発掘風景
配石 旧石器時代
集石炉石蒸し料理の跡かな
440cm×290cmの焼石の集石遺構/旧石器
火事痕跡か石蒸し料理の捨て場か、
火葬とは考えられないし

 迷子になった尖頭器

※1尖頭器
南砺市埋蔵文化財センター迷子になり、3000~4000年前の
石槍とされていたものと同じです。
すると、あれは、旧石器時代末期から縄文時代草創期初頭の尖頭器でした。参照

全国の尖頭器にこの形状によく似たものは、南砺市埋文のものしかありません。
南砺市立野ヶ原遺跡にいた旧石器~縄文草創期人が、
ここに来て同形のものを使用して狩りをし、先端が折れたので捨てたようです。
南砺市の尖頭器 富山県南砺市立野ヶ原遺跡~石川県能美市金剛寺町への経路
旧石器人はこんな経路をたどってやって来たようです。検証で来て素晴らしい。


  21石器 -莇生遺跡- 縄文中期
黒曜石の原石
産地はどこでしょう
頁岩製 石匙 鉄石英製(赤石)などの
鏃・石錐/縄文時代中期
莇生遺跡
石錘

遡ってきた鮭を獲ったのでしょうか
石囲炉
六角形は珍しい
莇生遺跡竪穴住居跡
縄文中期


  23石器・祭祀具・玉
石斧 莇生遺跡中期 石皿・磨石/莇生遺跡中期/石皿69磨石1128点 異形石器 莇生遺跡
縄文晩期
石刀 莇生遺跡中期 玉 莇生遺跡中期



  24南加賀地方の土器編年表  転載縄文土器のAMS!4C年代と較正年代 一石川県の縄文前期∼晩期を中心に

縄文前期地域的土器形式
前葉 佐波式
縄文中期後葉 北塚式 縄文後期前葉 前田式
中葉 横北式
    酒見式
縄文晩期
前期 勝木原式  
後葉 柴山出村式
南加賀地域の都市 能美市・小松市・加賀市

  24土器 縄文中期
土 捏ねる 形を作る 焼く 深鉢 莇生遺跡中期 深鉢 莇生遺跡中期 深鉢 莇生遺跡中期
  25土器 莇生遺跡
浅鉢 莇生遺跡 浅鉢 莇生遺跡中期
莇生遺跡土器出土状況
庄が屋敷B遺跡の土器溜め



  26土器 縄文晩期
土器棺 莇生遺跡晩期 土器棺 莇生遺跡晩期 土器棺 莇生遺跡晩期 土器棺 莇生遺跡晩期





 30弥生時代

  31
弥生土器
加賀舞子遺跡
たも枠
和田山下遺跡
弥生時代後期(2世紀) 人の線刻のある石 黄色の棒人間 人を棒人間で表す方法は
朝鮮半島から持ち込まれたものなのか

  北陸の米交易航路
     北陸地域は弥生の米交易航路の終点でした。そこには広大な平野が広がり、 奥へ奥へといくら開墾しても際限がないほどの肥沃な原野でした。

     能美市には沢山の古墳群が点在し、従って、弥生時代全期間を通じてコメ生産力の高い土地であり、多くの富を蓄積した土地であったことがわかる。
     従って、弥生遺跡も多数あり、沢山の出土品があるはずですが、ここには、これだけしか展示されていません。






 40古墳時代   能美古墳群   石川県の遺跡群

   北陸は日本海航路を通じて出雲と深い関係があり、四隅突出型墳丘墓や、前方後墳などもあるのだが、取り立てて声高に扱われない。
   出土物も、ごくふつーーのものしか見られない。

   同じ日本海航路上の丹後などでは、大変特徴的で豪華な副葬品や、巨大古墳がとうとうと語られる。

   いったい、北陸の弥生~古墳期はどうなっているのだろうか。。
  42アクセサリー
三輪玉(刀の柄飾り) 茶臼山古墳 管玉 玉製装飾品 勾玉・管玉・ガラス小玉/古墳時代中期5世紀 紡錘車/現代のスピンドル 砥石
  43土器
弥生土器 有蓋高坏・高坏
古墳時代中期5世紀
壺・ハソウ 有蓋須恵器 来丸さくらまち窯跡 横瓶/古墳後期 提瓶/古墳後期
  44木製品
井戸の外枠でしょうか
巨木を伐採・切断し
くり抜いている
竪櫛の出土状況 竪櫛 200枚も出土 古墳時代中期の竪櫛  こんなに大量の竪櫛が出土するのは、ツゲの木を利用した制作工房があったのでしようね。

  45鉄器 茶臼山古墳出土品 古墳時代中期
鉄刀 古墳中期5世紀 鉄鏃・環頭太刀(柄頭)
中国刀は(大刀)   
日本刀は(太刀)引用
甲冑と直刀の出土

鎧・甲

鎧・甲

甲冑の各部の名称
四神の配置
東-青竜、西-白虎
南-朱雀、北-玄武
馬の埴輪各部の名称
細い鉄の板を鋲止めした甲冑

  48青銅製品
四神神獣鏡/中期
馬鐸・杏葉/後期
銅鏡 六鈴鏡・鈴付き銅鏡 古代北陸のクニの変遷
加賀国の分国時の五郷

  49線刻土器
左:線刻礫(弥生)    
右:線刻土器(古墳後期)
線刻礫:人物・川か耕地
屋根のような図形
右:馬の線刻(この壺は
雨乞い用だったんでしょうか)
人の線刻がある土器
ハソウ
岩内経塚
  古代・白鳳・中世は割愛させていただきます。 








 60能美市立歴史民俗資料館  能美市寺井町を-20   0761-58-6103  月曜休館

 交通 能美根上駅から2000円ほど。 または、金沢駅か小松駅からレンタカーを使う。ニコレンなら3000円で移動可能(金沢)

 見所 双口壺
      能美古墳群全体には60数基あり、和田山・末寺山古墳群には40数基の古墳がある。 能美は有数の古墳地帯である。引用能美古墳群


 60古墳時代
  61外観・入口展示
資料館外観 和田山古墳群
3c後半~6c
山稜の古墳群は弥生後期からの流れ
5号墳/前方後円墳
2基の粘土槨から
鏡・三輪玉・銅鈴・貨幣、鉄製武器武具
(甲冑・刀剣・槍・鏃)と農耕具(鋤・鍬・斧・刀子)が副葬。また、
中国南朝の銅鏡・
朝鮮王朝の蛇行状槍先出土。前方後方から前方後円墳へ変化
鉄器で君臨した族長の墳墓

眉庇付き冑・短甲

加賀の古墳分布
前方後方・前方後円墳の分布 和田山5号墳の墳丘と埋葬施設 展示室 高床倉庫の柱穴跡
和田山遺跡
ジオラマ 寺井山遺跡の復元
前期/佐野A遺跡

  63土器 双口壺
古墳周溝から出土の
須恵器群/古墳中期/
5世紀末頃
器台・台付き壺
古墳中期/
壺 古墳時代中期 双口壺  双口壺(ふたくちつぼ)
弥生前期末頃(2200年前)
神と人が同じ器で酒食を共にするための祭器
 弥生の双口壺が祭祀具として古墳時代にまで使われたのでしょうか。

 だとすると、いったいどのような祭祀。または、民間信仰なのでしょうか。


 双口壺は 双子角杯の系統なのでしょうか。 羊を飼育する北方遊牧民族の土器・酒器なのでしょうか。 調べる必要がありますね。

 双口土器は、
一つの胴に二つの口をつけた,縄文時代の異形土器の一種。小形のものが多く,液体容器とされる。転載Weblio双口土器
新潟県立歴史博物館蔵は、縄文中期、火焔土器出現前の土器。
箕輪町郷土博物館蔵は、  縄文前期後葉
その他の双口土器
津島岡大遺跡出土は、   縄文後・晩期
北海道埋蔵文化財センター蔵のキウス遺跡のは、縄文後期後半3200年前

あまり見たことのない土器です。東日本に多いようです。
ただ、弥生時代の双子角杯によく似た形状をしています。縄文前期から北方遊牧民が北海道経由でもたらしたのでしょうか。

 双口壺は、
福岡県遠賀町では、弥生前期末(2200年前)  遠賀川式土器と似た形状で遠賀川式土器の一種でしょう。ここでは"ふたくちつぼ"
愛知埋文蔵は、弥生中期
富岡市立美術館博物館蔵は、弥生中期(写真資料なし)

詳しい解説はありませんが、弥生土器。希少なもので、儀式・祭祀用具のようです。

  64副葬品
短甲/古墳中期 古墳の始まり
管玉・勾玉・素環頭大刀/古墳前期/3世紀後半/9号墳出土
高坏・臼玉・鉄柄刀子・針
円筒埴輪破片
臼玉・鉄柄刀子・針
古墳中期/5世紀
埴輪破片
古墳中期/5世紀
円筒埴輪と朝顔形埴輪 和田山5号墳ふたたび
5c後半武力統一の王墓
鉄刀・鉄剣・鉄槍
鉄の原料(インゴット)
鉄鉾・鉄鏃・鉄斧・鍬先
二つの粘土槨
金銅装飾品/5c/中期
臼玉/中期/23号墳

  65供献土器 和田山23号墳 円墳 6世紀初 古墳時代中期
墓前祭祀の祭壇が出土 50組の蓋付き高坏とハソウの器台。器台付壺の祭壇出土状況 供献土器
長頸壺/中期
ハソウ/伽耶の土器 無蓋高坏
有蓋高坏
高坏(土師器) 壺・小型壺

  66和田山1号墳

六鈴鏡・四神四獣鏡・鈴付銅釧
古墳時代後期/6c初め
畿内・東国と交流の王墓 蓋杯・鉄鏃・刀子・はそう・耳環・金銅製馬具・ガラス小玉 提瓶・耳環・小型壺・蓋杯・提瓶・長頸壺 高坏・坏・平瓶・台付長頸壺・平瓶 能美市の古墳分布