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 北海道の縄文 №62  2022.06.29-3
  「いかりん館」※咸臨丸のものと見られる「いかり」を展示
 木古内町郷土資料館 北海道上磯郡木古内町鶴岡74-1
  01392-2-4366 月休 撮影可

館の特徴 咸臨丸とみられる船の錨を展示
交通 ・レンタカー 
近隣観光地
近隣博物館
宿泊情報
 
 目次
01外観
03入口展示

100考古展示
101人面描画石製品
102幸連遺跡
103木古内年表
105信州産石鏃

110旧石器時代
111木古内の古代
112町内の遺跡包含地

113縄文の文化
115札苅遺跡
117新道遺跡
130土器展示棚
140縄文前期土器
153縄文中期土器 
170縄文後期土器
200縄文晩期土器
300円筒上層式
400石器
※考察 黒曜石の文様
※考察 刻線石製品
500石製品
 縄文時代
510石製装身具
520旧石器時代 石器
530土偶
537人面描画石板
540縄文晩期遺物
551発掘調査の様子
560カブトムシ土器
※研究
 仮称カブトムシ型土器

 
 01外観
木古内町郷土資料館

旧鶴岡小学校
 03入口展示
咸臨丸のいかり
松前線・江差線関連


 100考古展示


 101人面描画石製品 木古内町 幸連(こうれん)5遺跡 縄文中期後半

幸連5遺跡
AI による概要

 木古内町の幸連5遺跡から、縄文時代中期後半(約4300年前)の竪穴住居跡から、顔料で人の顔が描かれた石製品が出土しました。
 この石製品は、顔料で人の顔が描かれていることから、人面石と呼ばれています。
遺跡:幸連5遺跡 (北海道上磯郡木古内町)
時代:縄文時代中期後半 (約4300年前)
特徴:竪穴住居跡から出土した石製品で、顔料で人の顔が描かれている。

顔が描かれた石製品 描画面 裏面 出土状況 正立させた画像

 102幸連遺跡
 2017年
 【木古内】 渡島管内木古内町の幸連(こうれん)5遺跡で出土した、人の顔が描かれた縄文時代中期後半 (約4300年前) の石製品は全国初の発見で、 縄文人の精神性などを探る貴重な手がかりになる。 道や東北3県が目指す 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録の追い風にもなりそうだ。
 「これは顔じゃないか」。 10月19日、 幸連5遺跡で発掘を行っていた道埋蔵文化財センターの調査員は、石製品の上下の向きを変えながら眺めていて気付いた。
 縄文の出土品には線を刻んで人の体や顔を描いた石や土器、人の体や顔の形にした土偶、岩偶が見つかっている。
また長野県の唐渡宮(とうどのみや)遺跡では顔料で人の体を描いた縄文時代中期の土器が発見されているが、顔料で人の顔が描かれた石製品は聞いたことがない。 「大変なものが出てきたぞ」⤵

2017年 幸連5遺跡 幸連5遺跡の発掘作業
この写真が撮影された10月18日の翌日、丸印の場所から、人の顔が描かれた石製品が出土した(道埋蔵文化財センター提供)
※写真はピンボケで発見場所の丸印も見えません。よく似た写真があります。

 縄文人特有の顔
 眉毛と鼻がつながって描かれた線は縄文時代共通の特徴。また逆三角形の顔の形は津軽海峡を挟んで対岸に位置する。国内最大級の縄文集落跡の国特別史跡三内丸山遺跡(青森市)から出土した土偶の頭の形と非常によく似ていた。

 縄文時代の文化や異物に詳しい北大大学院文学研究科の小杉康教授(考古学)は「幸連、三内丸山の両遺跡は出土する土器の型式が同じ。絵と土偶の類似性の発見は道南と青森の結び付きを探る新たな材料」と期待する。

 一方、三内丸山遺跡を含む北海道・北東北の縄文遺跡群は、4道県や函館市など14市町が世界文化遺産の登録を目指している。

 道南縄文文化推進協議会の境勝則会長(函館商工会議所副会頭)は、人の顔が描かれた石製品の発見について「大変喜ばしい。幸連5遺跡は世界遺産登録を目指す縄文遺跡群に入っていないが、来年度文化庁に提出する推薦書に石製品を含められるかどうか、検討できれば」と話している。

 幸蓮5遺跡は海岸に近い台地で、縄文人が繰り返し住居を建てた跡が見つかっている。
地元木古内町の大森伊佐緒町長は「今回の発見は、木古内が古くから住みやすいマチとして発展してきた証し。その良さが改めて伝われば」と喜んでいる。⤵

※考察 眉と鼻がつながった顔
全国の縄文土面を思い起こしてみると、顔の表現は眉と鼻がつながったものが多い。それは土偶に関しても言える
明治初頭に渡欧した誰かの文章にも同様の驚きが書かれていた。そして、女性がひげを生やしていたとたまげていた。
芸能人の井上咲楽さんは、当初左右の眉がつながった眉毛でデビューした。おそらく全身多毛なのでしょう。
カミソリなどなかった時代には、髪や髭・体毛は伸び放題だったのでしょう。
おまけに、眉の下の骨(眉骨)が高く盛り上がった顔立ちでは、両眉と鼻がつながった感じ、両津勘吉顔になるでしょう

縄文人の顔は西洋的で、大変多毛だった。現在でも言われる上毛(毛人国=縄文系の人々が多く住んでいる国)と残るほど
特徴的な体質だったのでしょう。

幸連遺跡
縄文期の石製品に「人の顔」木古内・幸連5遺跡で国内初出土 11月30日05:00 北海道新聞

【木古内】道埋蔵文化財センターは29日、渡島管内木古内町の幸連5遺跡で、
人の顔が描かれた縄文時代中期後半(約4300年前)の石製品が出土したと発表した。
三角形の板状の石に目や眉などが黒色の顔料で描かれている。縄文時代の顔の絵は極めて珍しく、顔料で描かれ、また石製品に⤵

           

人面土器
描かれている絵が見つかったのは全国で初めて。同センターは「縄文人の精神文化を探る貴重な資料」としている。

 石製品は砂岩で、縄文時代の竪穴住居址を覆っていた土から10月19日に出土した。
一辺約12cm、厚さ1.4cm。砥石で整えたような跡があり、片面に石の形を顔の輪郭に見立てて、眉や鼻、右目などが描かれている。

顔料の成分は不明。眉と鼻はつながり、目には瞳がある。口の辺りにはヒゲ、または刺青のような表現が見られる。用途は不明だが、縄文人の精神文化に関わるものと考えられている。

 有史以前の絵画は、原始絵画と呼ばれ、顔料を塗ったもののほか、刻んだ線で粘土などに描く「線刻」などがあるが、縄文時代は原始絵画自体の資料が少ない。
 縄文文化に詳しい小林達雄・国学院大名誉教授(考古学)は「写実的な絵は非常に珍しい。顔は命の象徴で、石製品は貴重な祭祀道具だったのではと話す。

 幸連5遺跡は、縄文時代前期から後期(5500年前~4000年前)の遺跡。
函館江差自動車道路の建設に伴って、昨年春から発掘が行われ、住居跡や土器などが多数発見されている。
縄文人の精神性を示す「顔」木古内で出土世界遺産に追い風、11月30日午前5時


 103木古内年表
木古内年表
中世~江戸
658-1641
    寛文7年に描かれた蝦夷地図。「キコ内」と「ススホッケ」(和泉沢の旧名)の記載がある。

中野館の正確な位置はいまだ明らかになっていない。一説には旧営林署から中野団地向かいの丘陵地にあったものと推定されている。
1443-1716
1674-1791
    木古内町に残る3体の円空物。左からそれぞれ佐女川神社、西野神社、古泉神社のご神体とされている。

天明5年に描かれた蝦夷地図。「キコナイ」が「キロナイ」と表記されている。
※きっとこの地図は模写で、コの字がロに見えたのでしょう。
1745-1845
享保12年の南部藩兵遭難供養碑。現在は知内町大乗寺の境内にある。

「天保六年」の紀年銘がある西野神社の手水鉢
1818-1867     弘化2年に描かれた和泉沢村~当別の様子
1855-1867
安政年間の木古内村の様子
 104

 105信州産石鏃
幸連5遺跡 産地同定資料

 この石鏃は信州産黒曜石を使用したものとわかりました。

※信州産黒曜石は日本海航路の交易船で持ち込まれたもの。珍しいので未使用で保存されたのかも。
 原石でなく石鏃として持ち込まれたようだ。交易人の食料調達用の備品で、食物を得られる環境になったので手放したか
 旅途中の食料調達がままならず、困り果てて食べ物と交換したか、ではないか。
 当時の列島では石鏃ありふれたもので、どこにでも、誰でもが自作する。それでも舶来品は貴重品だったのかも。
※石鏃は消耗品。一回使うと折れてしまう。使わずに取っておいたようだ。

この透明な黒曜石(アイスオブシディアン)日本では長野県和田峠・霧ヶ峰周辺だけが産地で特に珍しく、貴重品とされたのではないか。
 
 


 110旧石器時代


 111木古内の古代
旧石器時代
今からおよそ7万5千年前から1万6千年前の間、地球の平均気温は現在より最大で7℃ほど寒く、海水面も100mほど下にありました。

北海道は樺太やユーラシア大陸と陸続きになっていて、マンモスやオオツノジカなどの大型動物が生息していました。ヒトもこれらの動物を追って日本列島に渡ってきたと考えられており、移動しながら狩りをして暮らしていました。この時代のことを旧石器時代といいます。

道内では、千歳市や今金町知内町(旧石器墓地)などで旧石器時代の遺跡が見つかっており、木古内でも、新道4遺跡札苅5遺跡から旧石器時代の良好な資料が発掘されています。

縄文時代
およそ1万6千年前から徐々に気候が暖かくなり、それまで生息していた大型動物たちは姿を消していきました。代わりに小動物や木の実などが豊富に取れるようになり、人々は土器や弓を使って定住するようになりました。

この時代を縄文時代と言い、およそ1万5千年前から約2千年前まで1万年以上続きました。土器の形から草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つに区分されています。

縄文時代は、今より平均気温が高く、前期をピークに海岸の高さが4mほど高かったと言われています。このため、縄文時代の遺跡は、海岸から近くて、水源がある小高い丘になった場所から見つかることが多いです。

木古内町町内で発見された古代遺跡も、ほとんどが縄文時代のもので、中でも札苅遺跡は、晩期の標準遺跡(時代や特徴の指標にされる遺跡のこと)にされているとても貴重な遺跡です。

木古内の古代 旧石器人の生活想像図
木古内の遺跡包含地

引用 全国文化財総覧 新道4遺跡
新道4遺跡 旧石器・縄文の複合遺跡。円筒土器、晩期土器、土偶。細石刃、舟底形石核、石刃。足形付土版、鐸形土器、骨角製品。

要約 [新道4遺跡 要約]
 遺跡は木古内川の右岸、標高20m前後の段丘縁辺に立地する。遺跡はほぼ東西に700〜800mにわたり広がっており、後期旧石器時代および縄文時代早期〜晩期の遺構・遺物が多数検出されている。

 旧石器時代の遺物は、D地区から掻器・削器・彫刻刀形石器・石刃・細石刃・細石刃核など約24,000点が出土した。
これらは細石刃文化に属するもので、石材は黒曜石24点(産地の判明したものは赤井川産)のほかは、頁岩で、接合により多数の原石に復元され、細石刃の生産、細石刃核の製作過程が明らかになった。
 縄文時代の遺構は早期の土坑がD地区に、前期の円筒下層c式・d式期の住居跡・土坑はD地区に認められ、下層c式期のフラスコ状ピットがG地区にある。
 中期円筒上層式から大安在B式にかけての住居跡がD地区、G地区から検出された。
 後期後葉堂林式期の住居跡がG地区から、また盛土の末端が15m、高さ30mほどの規模で検出された。遺物は土器が157,807点、石器等が148,025点出土した。
 土器は早期中茶路・東釧路?式、前期後半円筒下層c・d式、中期前半の円筒上層a・b・サイベ沢?式と見晴町式をはじめとする後半期の資料が、後期は各段階のものがあり中でも前葉のトリサキ・大津・白坂3式が多量に出土している。
 晩期は大洞各式のものがある。石器は各種の剥片石器、礫石器があり、ほかに鐸形土製品、土偶、石刀、ひすい製玉などが出土している。????

種別:散布地
時代:旧石器
主な遺構:
主な遺物:彫刻刀形石器 エンドスクレイパー サイドスクレイパー 石刃 細石刃核 細石刃様剥片 打面再生剥片 スポール 石核 たたき石 剥片 石屑
特記事項:細石刃核の生産、製作址

種別:集落
時代:縄文
主な遺構:竪穴住居跡24 土壙(墓・フラスコ状・大型の円形柱穴状のものを含む)173 小ピット176 埋設土器3 焼土55 石組炉1 盛り土1
主な遺物:中茶路式 東釧路4式 円筒下層c式 円筒下層d式 円筒上層a式 円筒上層b式 サイベ沢7式 見晴町式 榎林式 大安在B式 石器等 
特記事項: 縄文時代後期前葉の盛土遺構

種別:散布地 遺物包含地
時代:旧石器
主な遺構
主な遺物:石器
特記事項: 細石刃核の生産・製作
種別:散布地 遺物包含地
時代:縄文早期
主な遺構:土坑5 主な遺物 土器 石器
種別:集落
時代:縄文前期
主な遺構:竪穴住居跡3 フラスコ状ピット1 土坑 
主な遺物:土器 石器 土製品
種別:集落
時代:縄文中期
主な遺構: 竪穴住居跡15 土坑
主な遺物:土器 石器 石製品
種別:集落 墓
時代:縄文後期
主な遺構:竪穴住居跡5 土坑 盛土 焼土
主な遺物:土器 石器 サメの歯 土製品 石製品
特記事項:堂林式の焼失住居
種別:散布地 遺物包含地
時代:
主な遺構:埋設土器3 小ピット群80
主な遺物:土器 石器

種別:―
時代:縄文晩期、主な遺構:―、主な遺物:―


札苅5遺跡

要約 [札苅5遺跡 要約]
 遺跡は木古内町の北西、標高15から20mの低位の海岸段丘の最奥部にあたり、幸連川の支流の右岸に立地する。
 縄文時代前期後半の遺構・遺物と旧石器時代の石器を検出した。
 竪穴住居跡9軒は集落跡を形成している。旧石器時代の石器は美利河型細石刃核を伴う石器群である。
時代:旧石器
主な遺物:美利河型細石刃核

時代:縄文
主な遺構:竪穴住居跡 Tピット 柱穴様の小土坑 焼土



札苅遺跡
時代:縄文
主な遺構:土壙5 焼土33 
主な遺物:札苅B群土器 大洞C1土器 大洞C2式土器 石鏃 つまみ付きナイフ スクレイパー 石斧 たたき石 くぼみ石 すり石 砥石 石鋸 台石 石皿
     石錘 石核 石棒 垂飾
特記事項 道南部の晩期初頭の大洞B2式の札苅B群土器の設定。


 112木古内の遺跡包含地 引用「木古内町 木古内2遺跡」「木古内町 新道4遺跡(4)」
周辺遺跡一覧 ※引用先の表がかなり劣化していたので、読み取りは断念しました。
 


 113縄文の文化

縄文人は季節に合わせて木の実を集めたり魚を獲ったり、動物を狩って暮らしていました。
また、交易も盛んで、道南には存在しないはずの黒曜石やヒスイを使った装飾品が遺跡から出土することが出土することから、その交易範囲では、遠く十勝地方や新潟県の糸魚川にまで及んでいたことがわかっています。
津軽海峡は俗に「しょっぱい川」とも呼ばれ、縄文時代には既に舟で交流を行っていたのです。

縄文の文化

イモガイ材料供給地
(奄美・沖縄諸島)
縄文時代の主な交易ルート
イモガイ:奄美・沖縄→木古内→船泊(礼文)
ヒスイ:糸魚川
黒曜石:霧ヶ峰・佐渡・月山
アスファルト:男鹿・昭和
コハク:久慈
黒曜石:十勝・置戸・白滝


いろいろな土器・土製品
土器は粘土をこねて器の形にして焼いたもので、表面に縄で付けた文様が付いているので「縄文土器」と呼ばれるようになりました。
土器は主に食べ物の保存や食事の煮炊きに使いましたが、他にも宗教的な儀式に使ったと考えられるものもあります。

一口に縄文土器といっても時代や地域によっていろいろな形があります。例えば縄文時代早期には底が尖った土器が多く、前期にはバケツを長くしたような円筒土器が量産されました。北海道では見られませんが、中期には複雑な飾りのついた火炎土器が作られることもありました。中期から後期の土器は大型のものが多く、晩期では今の青森県で発達した亀ヶ岡式土器が道南でもたくさん出土しており、複雑な文様と粘土の厚みが薄いことが特徴です。
縄文の人々も環境の変化に合わせて、より便利な道具を作り、順応していったのです。

色々な土製品
大平山元遺跡の土器片
約1600年前
尖底土器(早期)
新潟県卯ノ木遺跡
円筒下層土器(前期)
青森県大久保遺跡
火炎土器(中期)
新潟県道尻手遺跡
人形装飾付異形注口土器(後期)
北海道茂辺地遺跡
 

 115札苅遺跡 木古内最重要遺跡
 札苅遺跡は、縄文時代、晩期を主体とした遺跡で、亀ケ岡文化期の北海道の縄文文化を最初に
 明らかにしたとして非常に重要で、渡島半島を代表する遺跡です。
 昭和46(1971)~48 (73)年に北海道開拓記念館による発掘と、48年には国道の拡幅工事に伴う調査が木古内町教育委員会によって行われました。

 札苅遺跡からは縄文時代中期~晩期の住居跡晩期の墓焼土などの調査が行われ、中には近世アイヌ期の墓も発掘されています。
 北海道開拓記念館の調査によって、土器焼場祭祀跡などの集落構造が明らかにされました。
 遺物としては晩期の美しい土器や石鏃、石刀、ヒスイの玉類などが発見され、土器も豊富出土しています。


札苅遺跡の発掘 札苅遺跡の土偶
札苅遺跡からは
板状土偶が多い
大量出土の土器 11-14cの墓。
刀や折敷が副葬された

 札苅遺跡は
  北海道の縄文時代晩期の集落を代表する遺跡です。
  木古内町字札苅の大澗川と無名の川にはさまれた標高7m〜11mの低い海岸段丘上に広がっており、明治21年発行の『東京人類学雑誌』には
  札苅遺跡から出土した遺物についてふれ、古くから知られています。

  縄文前期(約6,000年~5,000年前)から続縄文時代(約2,000年~1,200年前)まで続く遺跡で、
  中心は、縄文晩期(約3,000年〜2,000年前)の北東北から道南にかけての亀ケ岡文化期の集落です。

AI による概要
札苅遺跡は、北海道上磯郡木古内町にある縄文時代晩期の集落遺跡です。津軽海峡に面した海岸段丘上に位置し、古くから知られている遺跡です。

 場所:北海道上磯郡木古内町字札苅
 時代:縄文時代晩期
 特徴:
   ・標高7~10メートルの低い海岸段丘上に立地
   ・大澗川と無名の川に挟まれた場所に位置
   ・縄文時代晩期の集落遺跡として代表的な遺跡の一つ
   ・明治21年発行の『東京人類学雑誌』に遺物が出土したと記されている
   ・北海道の縄文文化を研究する上で重要な遺跡
   ・縄文時代晩期の生活や文化を今に伝えている

 札苅遺跡 北海道上磯郡木古内町字札苅174・175番地ほか
種別:集落遺跡
時代:縄文晩期 大洞B2群期
主な遺構:土壙5 焼土33 主な遺物 札苅B群土器 大洞C1土器 大洞C2式土器 石鏃 つまみ付きナイフ スクレイパー 石斧 たたき石 くぼみ石
     すり石 砥石 石鋸 台石 石皿 石錘 石核 石棒 垂飾
特記事項 道南部の晩期初頭の大洞B2式の札苅B群土器の設定。
 

 117一万年の記録 新道遺跡
昭和59(1984)年、JR津軽海峡線の建設に伴い、新道地区の発掘調査が始まりました。
発掘されたのは一部にもかかわらず、そこからは旧石器時代から縄文時代の終わりにあたる晩期までの約1万年以上に及ぶ人の生活した跡が多数発見され、長期間にわたって新道に生活の拠点があったことが認められました。

新道からは大量の土器片と石器が出土しました。
80mにわたって形成された盛り土(土砂によって盛り上げられた廃棄場)や、巨大な柱穴などの大規模な土木工事の跡のほか、石斧の絵、サメの歯、シカや北海道には生息していないイノシシの骨、クジラの骨を加工した道具など、特殊な遺物も多数出土しています。

1万年の記録 新道遺跡 新道4遺跡発掘 新道4の旧石器と母岩
埋設土器の発掘
つぶれた土器


 新道遺跡とは
AI による概要
 新道遺跡(しんみちいせき)は、北海道上磯郡木古内町にある遺跡で、旧石器時代と縄文時代の複合遺跡です。
 特に旧石器時代の細石刃文化の石器集中域が見つかっており、約1万4千年前の石器製作跡が確認されています。
 また、縄文時代についても、住居跡や土器などが出土しており、北海道木古内町によると、当時の生活を知る上で重要な遺跡です。
場所:
 木古内町字新道、木古内川右岸の標高15メートルから30メートルの緩やかな段丘、沖積地に位置します。
旧石器時代:
 約1万4千年前の細石刃文化の石器集中域が発見されました。細石刃核の生産、製作に関わる石器の製作跡が確認されています。
縄文時代:
 住居跡や土器などが出土しており、縄文時代の生活の様子を知る手がかりとなっています。
特徴:
 旧石器時代と縄文時代の両方の遺物が出土する複合遺跡である。

 新道遺跡 北海道木古内町字新道113番10外4筆

主な遺構:竪穴住居跡10 土坑34 フラスコ状土坑7 柱穴様小ピット52 焼土14 盛土遺構1
主な遺物:土器 石器

要約 [新道4遺跡 要約]
 遺跡は、JR木古内駅から南西へ約1.8km、木古内川と建有川に挟まれた低位海岸段丘上に立地し、標高は15〜20mである。
昭和59〜61年度に津軽海峡線の建設工事に伴い、北海道埋蔵文化財センターによって15,033㎡の発掘調査が行われ、3冊の報告書(北埋調報33・43・52)が刊行されている。今回の調査範囲はB・C・D・G地区の隣接地になる。  今回の報告範囲は、J・K・Lの3つの地区にわけて調査を行った。
遺構は、竪穴住居跡10軒、土坑34基、フラスコ状土坑7基、柱穴様小ピット52基、焼土14か所、盛土遺構1か所を検出した。
 竪穴住居跡のうち後期後葉の4軒は、焼失住居である。フラスコ状土坑は、前期後半3基、後期前葉3基、後期後葉1基である。
 盛土遺構は後期前葉のもので、B地区からG地区につらなるものの一部が確認されている。  
遺物は、土器23,953点、石器等20,369点の合計44,332点が出土している。
 土器は、縄文時代後期前葉と晩期中葉が多く、次いで中期前半・後期後葉・前期後半のものが続く。
 石器は石鏃・スクレイパー・たたき石・すり石が多く出土している。
 土製品は土偶・有孔土製円盤・象嵌土製品・焼成粘土塊など、石製品は異形石器・石刀・有孔石製品・軽石製模造品などが出土している。

木古内町観光情報
 木古内町郷土資料館「いかりん館」サラキ岬に眠る「咸臨丸」わがまちの「円空仏」地名の由来
 


 130土器展示棚

 131

石器剥片 フレークチップ 木古内町蛇内遺跡

石器を作るには、石を打ち欠いたり、削ったりして形を整えていきますが、その時に出るのがこの薄い石です。1カ所から固まって大量に出動することが多いです。
地域最大の土器 縄文土器 木古内町新道4遺跡 縄文時代後期

木古内町内から発掘された土器の中でも最大級のもので、
右は高さ54cm、
左は70cmもあります。
全体に渦巻き型や雷型の文様があり、いずれも縄文時代後期のものです。


 木古内町蛇内(へびない)遺跡
AI による概要
 木古内町蛇内遺跡は、北海道上磯郡木古内町にある複合遺跡です。旧石器時代と縄文時代にわたる人々の営みが確認されており、
 特に旧石器時代の細石刃文化の石器集中域や、縄文時代の各時期の住居跡、多種多様な遺物が出土している点が特徴です。

蛇内遺跡 北海道上磯郡木古内町字大平
種別:集落、遺物捨て場
時代:縄文前期 中期
主な遺構:竪穴建物 土坑 柱穴 集石 埋設土器 焼土
主な遺物:縄文土器(円筒下層式、円筒上層式) 
石器(石鏃・石錐・石匙・スクレイパー・敲石・磨製石斧・北海道式石冠など)、 垂飾

蛇内遺跡
種別:集落
時代:縄文
主な遺構:住居 土坑 柱穴 集石 焼土
主な遺物:縄文土器 石器 垂飾
特記事項 遺物捨て場から歯形土製品

木古内町蛇内遺跡から幼児の歯形出土
 木古内町は函館湾を挟んで、函館市の向かい側にある町で、JR青函トンネル線の北海道側の最初の駅があるところです。
 この町の大平蛇内遺跡で、2000年秋に見つかった土製品が、幼児の歯形と爪痕が残されてものであることが確認されたと2004年2月24日発表がありました。
 この土製品は、縄文前期後半、約5300~5400年前の土器の廃棄場と思われる所から見つかりました。火で焼かれており、土器を焼成している際に、偶然幼児が口にした粘土の塊が、火の中に入って残されたものではないかと推測しているそうです。
 国立歴史民族博物館の西本豊弘教授が鑑定した結果、この土製品は、横4.3cm 2.7cm 厚さ1.2cmほどで、2~3歳の幼児の上あごの歯形が5~6本分、下あごの歯形が6本分、表と裏の両面に噛んだ形で残り、上あごの面には爪痕が2カ所付いています。

 このような遺物は今まで全国でも出土例がないそうです。


 140縄文前期土器 円筒下層式土器
縄文時代前期土器

 142 縄文土器 縄文前期 円筒下層式土器 木古内町大平遺跡
木古内町 大平遺跡
AI による概要
 木古内町大平遺跡は、北海道上磯郡木古内町に位置する複合遺跡です。
 旧石器時代と縄文時代にまたがり、特に旧石器時代の細石刃文化の石器製作遺跡として知られています。
場所:北海道上磯郡木古内町。
時代:旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡。
特徴:
・旧石器時代には、細石刃文化の石器製作遺跡として、石刃や石核などが出土し、石器の接合資料も豊富に見つかっています。
・縄文時代には、縄文時代のほぼ全期間にわたって人々が生活を営んだことがわかっています。
・縄文時代の住居跡や土器捨て場、木製品、動物の骨、土偶など、様々な遺物が出土しています。
・特に、赤漆塗りの漆器や石斧の柄、丸木の半割材などの木質遺物、サメの歯やシカ、イノシシの骨、クジラ骨の加工品、
 足形付きの土版や鐸形の土 製品、翡翠製の玉、土偶、石刀など、特徴的な遺物が発見されています。
重要性:
・旧石器時代の石器製作技術や、縄文時代の生活様式を知る上で重要な遺跡です。
・北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして、世界遺産に登録されています。
関連する遺跡:
 大平4遺跡: 大平遺跡の近くにあり、土坑や土坑墓、黒曜石製石器などが出土しています。
 新道4遺跡: 大平遺跡の近くにあり、旧石器時代と縄文時代の複合遺跡で、大平遺跡と同様に、細石刃文化の石器製作遺跡として知られています。

大平遺跡 北海道上磯郡木古内町字大平63
種別:集落
時代:縄文
主な遺構:竪穴住居跡8
主な遺物:土器 石器 石製品
特記事項:円筒下層c式期(前期後半 約6000年前)円筒下層式d式期(前期後半 約5900年前)の集落遺跡

大平4遺跡 北海道上磯郡木古内町字大平60
時代:縄文
主な遺構:土坑26 剥片集中14 主な遺物 土器 石器
特記事項: 東釧路4式期(縄文前期中頃 約5500年前)の遺構

要約 [大平遺跡 要約]
 大平遺跡は、木古内町の北東方にあり、孫七川の両岸標高10m前後の低位海岸段丘上に位置する。
 これまでの調査で、住居跡8軒、土坑3基(うち1基はフラスコ状土坑)、軽石製北海道式石冠のミニチュアが出土している。 

要約 [大平4遺跡 要約]
 大平4遺跡は、木古内町の北東方にあり、孫七川の両岸標高10m前後の低位海岸段丘上に位置する。
 これまでの調査で、土坑・土坑墓26基、頁岩製剥片集中14か所などが検出された。また、黒曜石製石器が少量出土している。


 縄文土器 縄文前期 円筒下層式土器 木古内町大平遺跡
縄文時代、前期には底が深くて背の高い形の同期がたくさん作られました。これを円筒土器と言い、中でも下の地層から出土するので、円筒下層式土器と言うこともあります。

円筒下層式土器
大平遺跡
縄文前期
 150大平遺跡
 151円筒下層式 縄文前期 木古内町大平遺跡
木古内町大平遺跡
縄文前期
円筒下層式土器
 153円筒上層式 
  縄文中期土器
 ※脚注や明確な展示の区分けはありません。同じように並んでいますが、以下は中期の円筒上層式と判断しました。
 

 170縄文後期土器
   新道4遺跡
   鶴岡2-Ⅱ遺跡
   蛇内遺跡

鶴岡2遺跡 北海道上磯郡木古内町字鶴岡
種別:集落
時代:縄文
主な遺構:住居 土坑 溝穴 盛土 焼土
主な遺物:縄文土器 石器

鶴岡2遺跡
種別:集落
時代:縄文前期
主な遺構:住居1 主な遺物 縄文土器 石器

種別:集落
時代:縄文中期
主な遺構:住居2 土坑6
主な遺物:縄文土器 石器

種別:集落
時代:縄文中期
主な遺構:住居1 焼土3 主な遺物 縄文土器 石器

種別:散布地、包含地
時代:縄文早期
主な遺構:縄文土器

 171縄文後期土器
  道南では、後期前半は鳥崎式、後期後半は聖山式
 173
 

 200札苅遺跡 晩期
  ※道南晩期の土器型式は大湯1式と亀ヶ岡式。
   小さな土器、壺や鉢が多く、生活環境が変化し、得られる動植物が変化して、食環境が激変したことがわかります。
   小さな壺を抱えて、米科植物の穂から種を集めるような姿が想像されます。
 
 札苅遺跡 晩期
縄文時代晩期になると、北東北・道南地方を中心に薄くて硬い土器が作られるようになりました。文様や形も洗練され、美しさが際立っています。
※東北北部人の流入による生活文化の変化か。

 
 

 300円筒上層式土器 縄文中期  新道4遺跡
縄文時代、中期も円筒同期が作られ続けましたが、前期と区別して「円筒上層式土器」とも呼ばれます。
胴部の飾りが発達し、手の込んだ作りの土器が出土します。

 


 400石器

 401


 環状漆製品 木古内町大釜谷4遺跡 縄文時代晩期
丸い漆製品で、お墓と思われる場所から2つ一緒に出土にしました。

環状漆製品
木古内町大釜谷4遺跡
縄文晩期
竪櫛状漆製品
木古内町大釜谷4遺跡
縄文晩期
※道南南部地域には漆製品の埋納品が多く、それは、9000年前の遺跡からもですが、このような赤漆の生産や交易が盛んだったようです。
 赤漆の原料ベンガラは、津軽半島先端の赤根沢産である。漆樹脂は固まりやすいので、どこか近所で栽培生産していたのかもしれません。
 あまりにも、道南~千歳付近に赤漆遺物の出土が多く、きっと生産地が近くにあったのではと思います。
 それとも、赤漆に魅せられた縄文人達が好んで大陸か、どこかと、交易で入手していたのでしょうか。



 黒曜石製石器 木古内町釜谷遺跡、新道4遺跡
黒曜石は、加工が簡単な上、切れ味も良く石鏃や石匙の材料としてよく利用されました。
右の2つの石器のように、中には用途不明のものもあります。※2つとあるが3つだろ。

不明石器 この特殊な黒曜石を使った石器は、
魔除けとして使われたのだろうか。
とても難しい細工が、正確に施され、
遊びや偶然の産物ではない。

何か必要な道具であったのかもね。
尖頭器・石鏃 石匙



※考察 黒曜石に見られる文様
 上記、不明石器、尖頭器・石鏃、石匙には白い文様の入った黒曜石が使われています。
 このような不純物の入った物は壊れやすく価値の無いものと思われがちですし、これまでこのような黒曜石製品の展示はありませんでした。
 そこで、この文様入りの黒曜石の正体を調べてみました。


黒曜石の中の粒は斑晶(はんしょう)と呼ばれる結晶。
 白い斑点模様は「スノーフレークオブシディアン」 ※obsidian=黒曜石
 赤い斑点模様は「マホガニーオブシディアン
 金色の文様は、「ゴールデンオブシディアン」、これらは、これまでにたびたび見かけられたものです。特に赤は十勝に多いものでした。


黒曜石の中の粒は、主に「パーライト」と呼ばれる多孔質の物質や、結晶、気泡などが含まれます。特に、白い粒状の模様が見られるものは
 「スノーフレークオブシディアン」と呼ばれ、アクセサリーに使われることもあります。
 黒曜石の中の粒の種類と特徴:
  パーライト:
   黒曜石を高温で加熱すると、構造水が発泡し、多孔質の軽量な物質(発泡体)になります。これがパーライトです。
  結晶:
   黒曜石はガラス質(ガラス=非晶質)のため、基本的には結晶化しませんが、内部に結晶が見られるものもあります。
  気泡:
   黒曜石は急冷によってできる火山ガラスの一種で、冷却過程で閉じ込められた気泡が含まれることがあります。
  スノーフレークオブシディアン:
   黒曜石の中に白い粒状の模様(主にクリストバライトの結晶)が見られるものを指します。
   雪の結晶のようにも見えるため、この名前が付けられました。


スノーフレークオブシディアンは、
  黒曜石の一種で、黒い地色に白い雪の結晶のような模様が入った天然石です。和名では「雪花黒曜石(せっかこくようせき)」と呼ばれます。
  この白い模様は、クリストバライトという鉱物によるもので、冷却過程で形成されます。
  ケンケンジェムズによると、ヘルムス貿易によると スノーフレークオブシディアンは、才能開花や洞察力、魔除けの効果があるとされる。
 スノーフレークオブシディアンについて:
 ・特徴:黒曜石の中に白い模様が散りばめられた、雪の結晶のような外観が特徴です。
 ・和名:雪花黒曜石
 ・白い模様の正体:クリストバライトという鉱物.
 ・形成過程:火山活動で生じた溶岩が急激に冷える際に、内部にクリストバライトが結晶化することで模様が形成されます.


雪花黒曜石(スノーフレークオブシディアン)は、
      黒曜石の中に雪の結晶のような白い模様が入った石です。
      この白い模様は、クリストバライト方珪石)という鉱物によるものです。
 雪花黒曜石の特徴:
 ・黒曜石:粘性の高いマグマが急冷されてできた天然ガラスの一種です。
 ・白い模様:黒曜石の中に、雪の結晶のように見える白い模様が入っています。
 ・クリストバライト:白い模様は、クリストバライトという鉱物によるもので、急速冷却された際に石英(クォーツ)とは異なる形に
   なったものです。
 ・和名:雪花黒曜石とも呼ばれます。
 ・英名:スノーフレークオブシディアン。
 その他:
 ・黒曜石は、古代から矢じりや刃物として利用されてきました。
 ・スノーフレークオブシディアンは、眠っていた才能を開花させると言われています。
 ・また、黒色の反射効果は魔除けになるとも言われています。


北海道の雪花黒曜石の主な産地は、遠軽町白滝、十勝三股、置戸、赤井川です。これらの地域は黒曜石の産地として知られています。
  特に白滝は、日本最大の黒曜石産地として知られ、遺跡も多く発見されています.
 白滝:
  遠軽町白滝は、2万年以上前の遺跡から黒曜石で作られた石器が発見されるなど、日本最大の黒曜石産地として知られています.(埋蔵量最大)
 十勝三股:
  上士幌町の十勝三股は、13の沢沿いに白い縞模様が入ったものと、黒または黒に茶色が混ざった2種類の黒曜石が生成されています.
 置戸:
  置戸も黒曜石の産地として知られており、「十勝石」と呼ばれる黒曜石の四大産地の一つです.(最高品質)
 赤井川:
  赤井川もまた、「十勝石」と呼ばれる黒曜石の四大産地の一つです.(低品質)



 黒曜石
黒曜石はどこででも採れるわけではなく、いくつかの産地があります。道内では、赤井川、白滝、十勝などがあり、それぞれ固有の特徴を持っています。

黒曜石

右:北海道赤井川村産
左:北海道遠軽町産


 大型石製品 木古内町釜谷遺跡 縄文時代前期 北海道上磯郡木古内町字御宮野
格子状の刻線が入った石製品で、岩偶と思われますが、定かではありません。

大型石製品 釜谷遺跡
種別 集落
時代 縄文早期~前期
主な遺構 住居 土坑 石組炉 埋石 焼土
主な遺物 縄文土器 石器 岩偶
釜谷遺跡
種別 集落
時代 縄文前期
主な遺構 住居 土坑 溝穴 焼土
主な遺物 縄文土器 石器

※考察 刻線の入った石製品
 この石製品の材質は不明ですが、炭酸カルシウム主成分のチョーク、石灰石、の様な材質です。滑石では無いような感じです。
 この石に。細い直線が直角に交わって引かれています。どうやって引いたのでしょう。
 現代なら鋼尺や曲尺、定規を当て、鉄製刃物でスッと引けばいいでしょう。縄文早期・前期に定規や鉄筆に替わるものがあったのでしょうか。
 直線や直角の概念は、竪穴住居を建築する際に出てくるので水平・垂直、直線・直角などの知識は備わっています。

 この石は割れていますが、縦に2カ所が直線的に切断されており、真横にも切断されたようですが途中で割れています。(何かの失敗作だった)
 切断した後、それぞれに摩耗痕があり、その内、更に不規則な割れ目が走って割れたようです。

 これは、まるでチェスボードや碁盤・将棋盤のようにも見えますが、その用途が終わってから、切断や各部の摩耗が始まったように見えます。
 これは何だったんでしょう。柔らかい工作台だったのでしょうか。
 


 403石器 亀川遺跡 釜谷遺跡

亀川遺跡

亀川5遺跡 木古内町字亀川220-2
 木古内町亀川遺跡は、北海道上磯郡木古内町字亀川に位置する遺跡です。具体的には、亀川5遺跡として、全国文化財総覧に登録されています。
 種別 散布地 遺物包含地
 時代 縄文晩期~続縄文
 主な遺構 土坑2 焼土1 Tピット3 フレイクチップ集中域3
 主な遺物 涌元式土器(縄文晩期) 聖山1式土器(縄文晩期) 聖山2式土器(続縄文期)

 [亀川5遺跡 要約]
 遺跡はサラキ岬の西側を南東側に下刻して流れる亀川の左岸に位置する。標高は85m前後で、川からは500m、海岸線からは1km内陸に位置する。
 検出遺構は土坑2基、Tピット3基、焼土1か所、フレイクチップ集中域3か所である。遺物は1084点出土し、縄文時代後期前葉、晩期中葉の土器、
 およびそれに伴うとみられる石器等が出土している。 

亀川2遺跡
 種別 集落
 時代 縄文後期 晩期
 主な遺構 住居 土坑 焼土
 主な遺物 縄文土器 石器

亀川3遺跡
 種別 集落
 時代 縄文前期 中期
 主な遺構 住居 土坑 焼土
 主な遺物 縄文土器 石器

磨製石斧
亀川遺跡
釜谷遺跡など
伐採用

よく研がれている
石鋸
釜谷遺跡
石皿
亀川遺跡
石錘
亀川遺跡
釜谷遺跡

石錘の山から出てきてから石錘かな?
石皿
海道式石冠
亀川遺跡
北海道式石冠
亀川遺跡
釜谷遺跡など
すり石とも皮なめしとも
石皿
石皿・台石のようなものかな
 


 500石製品


 縄文時代

 510石製装身具



翡翠輝石製玉
大釜谷4 晩期
ヒスイ製玉類。
お墓と思われる場所から出土しました。
玦状耳飾り破片
滑石製
大平遺跡 縄文期
石製装飾品
泥岩・頁岩製
泥岩と頁岩を使った装身具です。
石刀
札苅遺跡 晩期
 
切るためではなく、
儀式用道具と考えられています。
頭部に美しい文様が施されたものもある。
石剣
新道4 晩期
石刀の中でも細身ですが、これも儀式用の道具と思われます。 牙状石製品
蛇内遺跡 前期
 
 蛇紋岩製の勾玉で、動物の牙を使った、勾玉に似た形状を持っています。
石鋸
新道4遺跡
中期~後期
刃部に硬砂を付けて石を引き切る道具。
東北北海道で発達した
ヒスイ製垂飾
新道4遺跡
舟形石製品
釜谷遺跡 前期
石の中心部を刳り抜いて舟形に整えたもの
岩偶 釜谷遺跡 前期
 
側面に刻みが入っており、縄文遺跡からよく出土するサメの歯との類似性が見られます。 岩偶 釜谷遺跡 前期 主面、側面ともに多く刻みが入れられています。


 520旧石器時代 石器

母岩
(接合資料)
母岩 旧石器時代 木古内町新道4遺跡

旧石器時代の石器は、一つの大きな母岩を割り、石核にし、
そこから更に小さく削ぎ割って石器を作ります。
石器一つ一つを繋ぎ合わせることで、元の母岩へ復元することができます。


石刃
新道4遺跡
旧石器時代
石刃
今日石器時代の代表的な石器の一つで、物を切るために使います。
石刃核
新道4遺跡
旧石器時代
石刃核
石核の中でも、石刃を作る元になったものです。
細石刃
新道4遺跡
旧石器時代
細石刃
石核の剥片を利用した小形の石器で、木や骨に射し込んで使いました。

壊れても簡単に替刃ができる便利な道具。
スクレイパー
釜谷遺跡
削ったり、剥いだりする
スクレイパー
釜谷遺跡
スクレイパー
釜谷遺跡
尖頭器
ピンボケ
ヘラ状石器
縄文早期
釜谷遺跡
削る道具
縄文早期から北日本で発達した
石錐
亀川遺跡・釜谷遺跡
石匙 釜谷遺跡
物を切る、皮を剥ぐ
など用途が広い
石鏃
釜谷遺跡


 530土偶

 531

土偶
土偶 釜谷4遺跡

大型土偶の頭部。
表土から出土したため、製作時期は不明です。
鐸形土製品
新道4遺跡 後期

道南に多い用途不明

中は空洞だ
鐸形土製品 新道4遺跡 縄文時代後期

道南地方でよく出土する用途不明の土製品です。

 532土偶 釜谷4遺跡
大型土偶の頭部。表土から出土したため、製作時期は不明。

※これまで本州で見てきた大型土偶や土面などとよく似ています。特に眉毛の下の骨が出ていることです。
ネット検索すると、西洋人の目元とあり、整形手術の一つだそうです。現代日本人にはこの奥目と、のっぺりがあるようで、私は奥目鼻高です。
土偶は鼻も高く、人類がコーカソイドとモンゴロイドに分離する前の、コーカソイド系の顔をしています。


 533土偶 札苅遺跡 縄文晩期
札苅遺跡から出土の土偶類です。全て板状土偶です。

土偶
 札苅遺跡
縄文晩期
板状土偶
土偶➀
土偶②
土偶③
土偶④
土偶⑤
土偶⑥
土偶⑦
土偶⑧
 

 535土偶
札苅遺跡の土偶 札苅遺跡の土偶 土偶
太平遺跡
縄文後期
 536
札苅土偶 札苅土偶
札苅土偶
大平土偶
大平土偶
土偶
太平遺跡 後期
 

 537人面描画石板
人面描画石板 人面描画石板
幸連5遺跡
縄文中期後半
約4300年前

 炭化植物種子
植物種子の炭化物
ブナの実など
炭化物
木古内町建川2遺跡
縄文後期
よくまあ3000年近くも形体を保っていたものだ。
湿地要素の強い場所だったのだろうか。
それとも、堅果類の殻や種子は、大賀ハスのように、長く種子を保存できるのだろうか。
まるで氷河期を乗り切るために、植物が身につけた特殊能力のように。
 

 540縄文晩期遺物
糸巻状土製品
札苅遺跡 晩期
糸巻に似た土製品。
中心に孔が空けられた装飾品と思われます。
 三角形土製品
札苅遺跡 晩期 
 左下が欠損しているが、本来は三角形で、男根をかたどったものと考えられる。

男根形土製品
土製垂飾品
札苅遺跡 晩期
土製垂飾品
上部に孔が開けられた三角形の土製品で
七飯町の聖山遺跡から類似品が出土しています。  
土製垂飾品
札苅遺跡 晩期
 
 


耳飾り
新道4遺跡
耳たぶの穴に差し込む耳飾り。栓状耳飾り(ピアス式耳飾り)。
 玦状耳飾りと別種である。
これは何かわからない 土製円盤
札苅遺跡 晩期
土器片を再利用して円形に削ったあと孔を空けた土製品。

土器の蓋とも、装飾品とも言われている

※穴あきの蓋ッてないよね

 541札苅遺跡同等品の出土
函館市地域資料アーカイブ、第1章/第2節 縄文時代/4.縄文文化の終末(3)亀ヶ岡文化」の中で、札苅遺跡遺物が解説されている。
石器とその他の遺物
 第41図に示したのが日の浜遺跡から出土した、石鏃、つまみのあるナイフ、石錐、磨製石斧、各種のスクレーパーで、特殊な遺物を除けば、その組成は縄文時代早期以来の縄文文化の石器組成としてとらえられるとしている(吉崎、1965)。
 特殊な遺物としては石刀、土偶、円板状土製品、三角形土製品、糸巻形土製品、腕輪様土製品などがある。津軽海峡をはさんだ津軽半島と渡島半島の亀ケ岡文化の遺跡からの出土例が多い内反りの石刀は、その起源が大陸の青銅刀に求められることが多いが、詳細は不明である。

 完全な形で土壙墓に副葬された唯一の例が札苅遺跡で発見されているだけで(第42図1)、多くの場合には破片で出土する。第42図2~4のような小型な板状土偶も札苅遺跡などで多出し、多くの場合、首、足、腕や胴などを故意に折った形跡がみられ、土偶の身体破損にともなった儀礼があったと考えられる。
 円板状土製品、三角形土製品(第42図5)、糸巻状土製品(第42図6)も非日常的用具で、使用方法は不明で、腕輪様土製品(第42図6)のように小石をはめ込んだようなものもみられる。

第41図 日の浜遺跡で発掘された縄文晩期の石器
吉崎昌一「縄文文化の発展と地域性1北海道」
『日本の考古学Ⅱ』河出書房新社、1965
第42図 縄文晩期の特殊な遺物

野村崇「北海道の亀ヶ岡文化」『北海道の研究1』
清文堂、1984
札苅遺跡:
1.石刀、
2-4.
土偶
5.三角形土製品、
6.糸巻状土製品、
7.小石をはめ込む装飾品


引用「函館市地域アーカイブ」

察するところ、これらの土器は、亀ヶ岡文化に関係する、生活に関係した遺物のようです。

 542
三角形土製品
用途不明土製品
新道4遺跡
用途不明。新道4遺跡から同様のものが幾つか出土している 土製垂飾品
釜谷遺跡
縄文前期
ピンボケ
ひし形の装飾品で、土器の再利用品でなく、
この形で作って焼いたものです。
歯型付土塊
蛇内遺跡
 
   上顎と下顎の歯型、
爪跡が付いた土製品。
2~3歳頃の幼児のものと推測される。
国内ではこの他に類例がない。

※幼児が噛んだ粘土塊を焼いたもの。廃棄場から出土。
足形付土版
新道4遺跡 
  子供の右足形の土製品。
北海道では千歳の美々5遺跡に続く3例目の出土品。 
双口土器
札苅遺跡 晩期
注口部を持つ双口土器の一種。
特徴的な文様が筋のように付けられている。
スズラン模様のような彫刻刀の削り跡があざやかな刻画。
 543土器
土器
土器(赤彩)
札苅遺跡 晩期
ベンガラで朱く着色した土器で、右とほぼ同じ物が白老町の
社台遺跡晩期中葉)から出土している。

 交易品・搬入品で、ベンガラが入手できる遺跡で製作されたか。
 土器
札苅遺跡 晩期
    浅鉢型土器で、周囲に縄文時代晩期特有の
複雑で美しい文様が施されている。 

 磨消縄文と、雲形文? 亀ヶ岡系の土器
 
 550
 551太平遺跡蛇内遺跡での発掘調査のようす  (平成21~23年)
太平遺跡発掘状況
太平遺跡土器出土状況
1号小ピット検出状況と上部の土層断面  左:中位の土器の状況
右:下位の土器の状況
1号小ピット出土土器     
蛇内遺跡
 552太平遺跡出土土器 晩期後葉
1号小ピット検出状況と上部の断面
中位の土器の状況 下位の土器の状況 1号小ピット出土土器 これは
晩期の土器ですよね

カブトムシ土器かな?
 
 560
 561大平遺跡 縄文晩期後葉
大平遺跡
縄文晩期後葉
 563

※研究 仮称カブトムシ型土器について

 552~563までに登場するカブトムシが角を振りかざしたような土器、とても把手にはなりそうもない装飾土器は、かすかな記憶にあったので、
調べてみましたところ、青森県津軽半島中泊博物館にありました。
 亀ヶ岡式土器のように、磨消縄文や変形工字文・雲形文のように、東北地方北部から持ち込まれて道南地方に拡散したのでしょうか。
それとも、木古内町で発生して中泊に持ち込まれたのでしょうか。

 土器を作っているとやがてなぜか粘土がたくれ(・・・)て来て、3波形とか4波形とかになることがあるのですが、561と563の土器を見ていると、
できた3波形や4波形の間に、わざと少し小さめの山を作って、それを装飾にしているようです。
 全体としてとげとげの、変わった土器になっています。




右の画像のgoogle画像検索では、中泊博物館と、もう一件ヒットし、(下の②)

中泊博物館の解説では

 「縄文時代後・晩期(中略)にかけては、十三湖周辺に多数の集落が展開するとともに、
  縄文時代後期の堂林式土器、同晩期の聖山(せいざん)式土器、平安時代の擦文土器といった北海道系土器が認められます。
  それらの北海道系文化(とヒト)は、日本海・十三湖・岩木川ルートを経てもたらされたと推定されている」 引用「博物館ニュース」

 として、北海道から人と物がやってきて十三湖を経て津軽半島に住んだといっている。
 しかし、聖山式土器を検索するが、←のリンクのように、カブトムシ型土器は出て来ない。これが出てくるのは木古内と津軽半島中泊である。
 木古内の縄文晩期人が青森県中泊に移住したのだろうか。

   ※堂林式土器は、長沼町堂林遺跡の土器(後期末葉)
   ※聖山式土器は、七飯町聖山遺跡の土器(晩期道南)

七飯町聖山遺跡(聖山式土器)
大平遺跡(カブトムシ形土器)
中泊遺跡(カブトムシ形土器)
長沼町堂林遺跡(堂林式土器)

もう一件のヒットは、2011.10.15~12.11まで、同じく中泊博物館が行なった「西山コレクション -奥津軽の至宝-」展のガイドブックである。
  この写真集の中で、鉢形土器、縄文晩期後葉として、更に全身カブトムシ化した実用不適格な土器があげられている。
  これらは儀式用だったのだろうか。それにしても、カブトムシ型土器はなぜ木古内と中泊で発達したのだろう。

③前出の、沖縄写真通信「七飯町歴史館」の中では、堂林式聖山式土器がふんだんに展示されている。
 しかし、これらの中で、カブトムシ型土器はないし、口縁部トゲトゲ土器もない。やはり、木古内での土器への過剰なデフォルメが
 あのような土器を仕上げ、更にそれを持って中泊に移住したようだ。

 567
 
 展示室2、展示室3の写真