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 2022.06.14-2遠軽町埋蔵文化財センター32

 北海道の縄文 №32 2022.06.14-2

  遠軽町埋蔵文化財センター32  北海道紋別郡遠軽町白滝138-1
   0158-48-2213 5-10月無休 11-4月土日祝休 撮影可


交通 (1)JR白滝駅から1.1km徒歩15分
(2)都市間高速バス白滝停留所から400m徒歩5分
近隣観光地 ・知床観光、網走周辺、阿寒・屈斜路・摩周湖周辺
・知床や三湖(阿寒~摩周)、網走・サロマ湖などは隣接の絶景Point。
拠点を決めて、車で巡ります。特に、早朝の摩周湖は絶景で、
摩周湖YHはとても便利で快適な宿でした。
近隣博物館 知床周辺・網走周辺・白滝周辺
宿泊情報 知床・サロマ湖・三湖周辺は高額(3万)、網走には手頃もあり(5千)。
私の場合摩周湖ユースホステルが最高でした。易くて清潔親切。便利。
   
目次
01外観
03埋蔵文化財センター入口

2F遠軽町
  埋蔵文化財センター


10Ⅰ大地に遺された記憶
11遠軽町の遺跡
13遠軽町の歴史
22白滝の遺跡
23旧石器時代
24縄文土器
26続縄文時代
28擦文時代

30Ⅱ現れた大遺跡群
31旧石器時代
32国内最大の黒曜石産地
※資料白滝黒曜石の成因
33赤石山黒曜石
40黒曜石とは
43黒曜石のでき方
44北海道の黒曜石
45日本の黒曜石
46長野県長和町
48世界の黒曜石

50Ⅲ白滝での石器づくり
※考察白滝の黒曜石産地

60Ⅳ遠間栄治記念室
61白滝の旧石器文化研究史
70Ⅲ白滝の石器作り
70石器製作技術
72接合資料を読み解く
75石器の移り変わり
※考察石器の変遷
※資料北海道の細石刃文化
※考察 石槍と細石刃
80細石刃
83クサビ形細石刃技法
110尖頭器
111巨な尖頭器形石器
※考察巨大尖頭器形黒曜石
113尖頭器製作過程
114有舌尖頭器の製作
115尖頭器の色々

 石刃技法 
150逆転の発想『石刃』
151石刃づくり
155石刃石器
160移動する石器
※小瀬ヶ沢洞窟
165持ち込まれた石器群

200Ⅴ旧石器時代の生活
213自然環境
221生活
222狩猟
223マンモスゾウの臼歯
240黒曜石原石
300Ⅵ黒曜石ギャラリー
320小型剥片石器群
340広郷型尖頭状石器群
340広郷型細石刃石器群
350小型舟底形石器群
370有舌尖頭器群
380大型尖頭器石器群

390細石刃石器群
    紅葉山型
420広郷型
440札滑型
460峠下型

500大型尖頭器石器群
520両面調整石器
540尖頭器
1F遠軽町白滝ジオパーク
交流センター


610遺跡と河岸段丘
613土層標本
620氷河期の森林と気候

650白滝の土台付加体
660約9,000万年前
662付加体の形成
663現在 北海道の付加体
670約2000万年前
671二大プレートの衝突
673現在 白滝花崗岩
680約1,200万年前
684千島弧の衝突
685山脈や断層の形成
686現在 プレート活動
690地球史カレンダー

700『神秘の黒曜石』
701黒曜石が生まれる場所
711北海道の黒曜石原産地
713遠軽町の火山活動
715白滝黒曜石の誕生
720黒い輝きの正体
723光沢と梨肌
725加熱実験
730過去へ
734 220万年前
740黒曜石露頭の秘密
743幌加湧別カルデラの形成

750火山が生み出すもの
751①爆発的噴火
752②溶岩噴火
760世界の黒曜石産地

770マグマの変身
772いろいろなマグマ
775火山の仕組み
776深成岩
780マグマが生まれる場所

800白滝の大地
811➀白滝は幻のプレート上に
812②衝突・合体が作り上げた
813③黒曜石の時代
814氷河期の地球

820渡来動物
830高山植物
835風穴と生き物

840ヒグマの棲む大地
900大地はこうして作られる
 

 01外観
埋文というよりは巨大博物館という外観です。
この建物は、埋文棟、白滝国際交流センター、遠軽町役場白滝総合支所に分かれており、
埋文棟には2F遠軽町埋蔵文化財センター、1F遠軽町白滝ジオパーク交流センターで構成されています。
遠軽町埋蔵文化財センター
なんとも凄い建物です
日本一の黒曜石産地遺跡を擁する地域
考古博物館にも絶対ちからが入ってます

こんな豪華な埋文は
初めて体験です



02遠軽町白滝総合センター
遠軽町白滝総合センター 建物配置

展示施設・博物館  会議場  行政施設・文化施設 
 2F遠軽町埋蔵文化財センター
 1F白滝ジオパーク交流センター
白滝国際交流センター 遠軽町役場白滝総合支所
遠軽町役場白滝図書室
 
 2F:埋蔵文化財センター展示室
 1F:遠軽町白滝ジオパーク交流センター

 03埋蔵文化財センター入口

一階入り口 1F『神秘の黒曜石』室
『ジオパーク白滝」展示
二階へ
2F埋蔵文化財センター展示室
埋蔵文化財センター
入り口
最近寄付された遺物

持ち込み寄贈品らしい
丁寧に洗って乾燥中

1万~3万年前の遺物が今も無造作に

転がって、表面採集しているようです。

さすが北海道白滝。
黒曜石石器の本場
遠軽町埋蔵文化財センター
2F埋文センター館内図
 04
 2F 遠軽町埋蔵文化財センター

 2階 埋蔵文化財センター展示ガイド
1 大地に遺された記憶
2 現れた大遺跡群
3 白滝での石器作り
4 遠間栄治記念室
5 旧石器時代のくらし
6 黒曜石ギャラリー



 10Ⅰ大地に遺された記憶
  Remains of the Engaru Town

 11遠軽町の遺跡
「遺跡」は過去の人々の生活の痕跡で、発掘調査によって発見された住居跡や土器・石器などによってその様子を具体的に知ることができます。
縄文時代の終わり頃から近代まで、本州のように米作りを行わなかった北海道では、周辺地域の影響を受けながらも、豊かな自然環境に育まれた、
続縄文・擦文・オホーツク・アイヌ文化など、本州とは異なった特色ある独自の文化が形成されます。

遠軽町の遺跡

 遠軽町の遺跡分布 黄:旧石器 青(緑に見える):縄文 赤:続縄文 桃(ほぼ判別不能):擦文 白:アイヌ期 黒:年代不明
旧石器~アイヌ期

赤石山白滝黒曜石鉱山遺跡




 13遺跡から読み解く遠軽町の歴史
現在
現在
現在
遠軽町には、旧石器から擦文時代の遺跡が215ヶ所ありますが、その多くは、
湧別川生田原川丸瀬布川沿いの小高い丘の上に見られます。

本州の中・近世に相当するアイヌ文化期の遺跡は
確認されていませんが、瞰望岩(がんぼういわ)にまつわる伝説
町内には多くのアイヌ語地名が残っていることから、
アイヌの人々の生活も営まれていたことがわかります。 参考
1400年前
擦文時代
擦文時代
擦文時代

 7世紀頃から13世紀頃まで、土師器と呼ばれる本州の土器の影響を受けた擦文土器を製作・使用する文化が全道的に展開します。
 寒河江(さがえ)遺跡では、カマド付きの四角い竪穴住居跡が28か所調査されました。
住居跡は土器の特徴から12世紀頃とみられ、さらに木製品やキビ・アワの炭化種子が見つかったことから、狩猟・漁労の他に農耕も行われていたことがわかりました。
2300年前
続縄文時代
続縄文時代 続縄文時代

 約2300年前、本州では米作りとともに弥生文化が始まりますが、稲作を行わなかった北海道では、縄文時代同様の狩猟・漁撈・採集を主とする生活が営まれ本州とは異なった文化伝統が育まれます。
新野上(しんのがみ)2遺跡では、墓から石鏃52点が出土、また、
白滝8遺跡では大形の石製ナイフの素材とみられる両面を加工した石器が発見されています。
5000年前
縄文時代
縄文時代 縄文時代

気候の温暖化と共に森が形成され、10,000年前からは、人々は竪穴住居に住み、狩猟・漁労・採集を行いながら定住生活を送ります。

遠軽町には、縄文時代中期~晩期(5000~2300年前)の遺跡がありますが、土器の量も少なく住居跡は見つかっていません。白滝地区の縄文遺跡の大部分は、各地から黒曜石を求めてやってきて、石器やその素材を製作したときのものと考えられます。
30,000年前
旧石器時代
旧石器時代 旧石器時代

現在のところ、北海道で最も古い石器は、
30,000~25,000年前のものです。(帯広市若葉の森遺跡
当時は氷河期で最も寒い20,000年前には海水面が100m以上も下がり、北海道はサハリンや大陸と陸続きになっていました。

白滝地区では豊富で良質な黒曜石を利用した大規模な石器製作跡が見つかっており、白滝産黒曜石で作られた石器は、道内各地はもとより新潟県やサハリンでも発見されています。
 

 20Ⅰ大地に遺された記憶
 21

 22白滝の遺跡

 23旧石器時代
    服部台2遺跡(旧石器時代) 北海道紋別郡遠軽町白滝字奥白滝18-3
    タチカルシュナイ遺跡群(後期旧石器時代終末期~縄文時代草創期初頭)北海道紋別郡遠軽町字向遠軽

3万年前
旧石器時代
巨大な両面調整石器
服部台2遺跡

巨大な両面調整石器は、今後とも何度も出現します。(他の博物館で既出1)。これらは道具ではなく、黒曜石原石から周囲の酸化被膜や不純物層を剥がし、石器原料となる部分だけを切り出したものです。従って、交易による流通では、このような形状で取引されたようです。

細石刃核と細石刃
タチカルシュナイ遺跡群
彫器(タチカルシュナイ)
掻器(服部台2遺跡)
尖頭器と有舌尖頭器
タチカルシュナイ遺跡群
削器
服部台2遺跡

 24縄文土器
5000年前
縄文時代
石鏃
下白滝遺跡
白滝村字下白滝99-1
石刃鏃
上白滝6遺跡
石斧
下白滝遺跡

 26続縄文時代
続縄文時代
石鏃
新野上2遺跡
ナイフ
旧白滝8遺跡
続縄文土器
栄野1遺跡
宇津内Ⅱb式

 28擦文時代
1400年前
擦文時代
擦文土器
スクレイパー
寒河江遺跡
紡錘車
寒河江遺跡
 


 30Ⅱ現れた大遺跡群

  白滝遺跡群
  The Shirataki Paleolithic sites
国内最大級の規模を誇る旧石器遺跡

調査期間 12年間
調査面積 141,161㎡
出土遺物 7,677,467点(総重量12t)

1995(平成7)~2008(平成20)年に行われた完掘調査で、白滝遺跡群の実体が明らかになりました。
調査の成果から国内最大の埋蔵量と言われる赤石山の黒曜石を材料に、1万年以上にわたって石器作りが繰り返されていたことがわかりました。

現れた大遺跡群 白滝遺跡群の発掘
 31
 10cm下に広がる旧石器時代
遺跡では、粘土層から遺物が出土します。この層は厚さが30~50㎝しかありませんが、多くの遺物が重なり合って出土します。
また、粘土層の下からおよそ3万年前に降り積もった軽石が見つかったため、遺跡はそれよりも新しいことがわかります。

上白滝8遺跡土層断面図(実物)

白滝の剥ぎ取り土層
 32
 国内最大の黒曜石産地「赤石山」
およそ220万年前に地表に流れ出たマグマが急に冷やされて黒曜石ができました。これまでに黒曜石の露頭は10カ所ほど確認されています。
赤石山の中でも遺物を発見することがありますが、時期が不明なものも多く、石器作りの詳しいことは不明な点も多くあります。

国内最大の黒曜石産地
赤石山
黒曜石の露頭 国内最大の黒曜石産地
赤石山
赤石山と白滝遺跡群

赤石山と白滝遺跡群
奧白滝11
奧白滝12

服部台
服部台2
奥白滝1
国指定史跡「白滝遺跡群」
上白滝8
白滝第13地点
上白滝2
上白滝5
上白滝6
上白滝7
北支湧別4
白滝第4地点
白滝第30地点

赤石山と白滝遺跡群

白滝8
白滝18
白滝3

旧白滝5
旧白滝9
旧白滩8
ホロカ沢1
旧白滝3
旧白滝15
旧白滝16
八号沢露頭
球顆の沢露頭
幌加沢遺跡遠間地点
十勝沢露頭

IK露頭
あじさいの滝露頭

※資料 白滝黒曜石の成因
引用「白滝黒曜石」
旧石器時代以来の黒曜石の一大産地として知られる白滝黒曜石は
鮮新世(約500万~258万年前)に形成された直径約5kmの幌加湧別カルデラの内部やカルデラ壁10ヶ所に、鮮新世末期の220万年前に噴出した白滝黒曜石流紋岩とされています。
幌加湧別カルデラジオラマ幌加湧別カルデラ地図幌加湧別カルデラ写真

引用「北海道白滝地域における大規模火砕噴火とカルデラ群の形成」
白滝地域は、鮮新世~更新世前期の大規模火砕流堆積物群(上記➀の幌加湧別カルデラ火砕流)と、
その後に形成された成層火山群からなる大雪-十勝火山列の北東端に位置する。
幌加湧別カルデラ位置
引用Ameba
大雪十勝火山群
この地域には長径約11kmの白滝盆地があり、その北東側に隣接して基盤の凹地を埋積した直径約5kmの幌加湧別堆積盆地(幌加湧別カルデラ)が存在する。これらの盆地状構造の周囲には火砕流堆積物が広く分布している。幌加湧別堆積盆地の成因は、爆発的噴火に伴う陥没カルデラと考えられている

引用「日本の火山」
幌加湧別-白滝の火山 活動期は前期更新世前半(ジュラシアン期)270~220万年前、
 火山の型式・構造はカルデラ・溶岩ドーム群
 卓越する岩質は珪長質、岩質は流紋岩。
 火山の概要:270万年前の幌加湧別カルデラ形成と220万年前の白滝黒曜石流紋岩噴出から構成される。

※まとめ
現在では侵食で不明確になっているが、白滝には220万年前に巨大なカルデラ壁とそこに噴出する流紋岩質火山があり、
二酸化ケイ素を多く含む 溶岩が噴出して黒曜石を形成した。


 33赤石山黒曜石鉱山

➀赤石山の姿
赤石山からは八号沢川、十勝石沢川、 幌加湧別川 が湧別川へ流れています。それぞれの沢と湧別川との合流点付近には遺跡が密集することから、川や 山の質の良い黒曜石を採取するための重要な場所 だった考えられます。

②八号沢露頭
高さ15m、幅20mもの大きな露頭です。 溶岩流の先端部にあたり表面をおおって いた石は一部を除いて失われています。

③幌加沢遺跡遠間地点
赤石山の中腹に位置する遺跡です。
札幌大学木村英明教授の発掘調査では96㎡から50万点以上の遺物が出土しました。
石器をつくるための中継地の役割があったと考えられます。

赤石山模型と原石 ➀赤石山の姿
②八号沢露頭
赤石山山頂部
球顆の沢露頭
十勝石沢露頭➡
赤石山山頂部
IK露頭
あじさいの滝露頭
←幌加沢遺跡
遠間地点
③幌加沢遺跡遠間地点

 35赤石山の黒曜石

八号沢川の黒曜石
「球顆」という球状の流紋岩を含むものや、「花十勝」と呼ばれる赤色のものがみられます。

八号沢川の黒曜石

十勝石沢川の黒曜石
細かい気泡が多く、光沢がないため「梨肌」と呼ばれています。あまり石器の材料には使われません。
転石
湧別川に流れ出たもので、表面が磨かれて丸くなっています。

十勝石沢川の黒曜石 細かい気泡が多く、光沢がないため「梨肌」と呼ばれています。
あまり石器の材料には使われません。
転石 湧別川に流れ出たもので、表面が磨かれて丸くなっています。

 幌加湧別川の黒曜石
紫がかった茶色が混じるものや「梨肌」が見られます

 幌加湧別川の黒曜石
紫がかった茶色が
 
混じるものや「梨肌」
 
が見られます。
     

蜂の巣
火山ガスによってできた小さな穴から「蜂の巣」と呼ばれています。

蜂の巣
 

 40黒曜石とは

 41黒曜石とは
マグマが急に冷えて固まった天然のガラスです。
赤石山のマグマは粘り気が強く、温度が低かったなど黒曜石が誕生する条件がそろっていたようです。

黒曜石とは
※信州の黒曜石形成の説明で「急激に冷やされた」とあり、私は水中などに噴出してできたものかと思っていました。しかし、それは間違いで、インドネシアでは火山弾として噴出した石が落ちて来た時点で既に黒曜石であり、火山周囲に普通に転がっており、割れた破片を踏むと大けがをするとのことでした。
 つまり、黒曜石は珪酸分の多い溶岩が、空気中に放出され冷え固まった時に出来ます。地下などでゆっく冷え固まるとこのようにはならないようです。

 43黒曜石のでき方

 北海道の黒曜石
北海道では質のよい黒曜石の山地として「白滝」・「置戸」・「十勝三股」・「赤井川」が知られ、石器作りに利用されています。

 黒曜石のでき方
二百数十万年以上も前に、白滝では大きな噴火が起きました。地下に溜まったマグマが、大量の火砕流となって吹き出しました。
 ※このシートをめくると、次の説明があったようです。写真撮ってません。
カルデラの壁やその内側に溶岩が饅頭のように盛り上がり、その外皮が黒曜石になった。(引用:白滝ジオパーク|特集-北海道マガジン「カイ」)

黒曜石とは 黒曜石とは 北海道の黒曜石 黒曜石のでき方 この絵の下に空になったマグマ溜の絵があり
黒曜石形成の様子があったとしても、
私は展示物にはさわれない。

 44北海道の黒曜石
北海道では質のよい黒曜石の山地として「白滝」・「置戸」・「十勝三股」・「赤井川」が知られ、石器作りに利用されています。
※北海道4大産地の内、特に品質の良いものは置戸産で、赤井川産は小さく、表面にガスの抜けた梨肌がある。
北海道の黒曜石

 45日本
 日本の黒曜石
代表的な山地は 霧ヶ峰(長野県)、高原山(栃木県)、神津島(東京都)、隠岐島(島根県)、姫島(大分県)、腰岳(佐賀県)などです。

日本の黒曜石

 日本の黒曜石産地
北海道
白滝・置戸・十勝・赤井川
東北
深浦男鹿
中部・関東
八ヶ岳霧ヶ峰高原山
箱根天城神津島
中国

隠岐島
九州

腰岳姫島

 46長野県長和町 星糞峠黒曜石原産地遺跡
  繰り返された採掘と縄文時代の地面
火山灰起源の黒曜石原石を含む白色火山灰層を目指し、縄文人が繰り返し、地面を掘った穴と遺跡から発見されたその痕跡(写真左)と採掘した穴から出てきた黒曜石(写真右)

長野県長和町星糞峠 採掘あと 黒曜石
火砕流堆積物中の黒曜石
※星糞峠の黒曜石は、火砕流堆積物の中にあり、その中で再形成されたか、火山弾のように形成されたのだったか、ちょっと記憶が乏しい。

 47各地の黒曜石

 48世界の黒曜石
黒曜石は世界中でも採れますが、太平洋の周りなど、火山や地震の多いところに山地が集中します。
古代エジプトではミイラづくりイースター島ではモアイの瞳に黒曜石が使われています。
世界の黒曜石産地 大陸名入り
 


 50Ⅲ白滝での石器づくり
 Stone tool making in Shirataki

白滝遺跡群の調査では、住居跡や墓などは確認されていませんが、大量の黒曜石の剥片が発見されています。
この剥片も調べていくうちに、石器を作るときの石の選び方や作り方、さらには旧石器時代の人の移動や交流を知るための重要な手がかりであることがわかってきたのです。

白滝での石器づくり


 接合資料 服部台2遺跡
黒曜石の剥片を接合していくと、白い巨大尖頭器形の空間が生まれた。即ち、先史人はこの形の造形物を削り出して持ち去ったわけだ。
 縦30cm以上はあるかと思える、巨大な尖頭器を生み出した剥片の接合資料。
  なぜ、実用ではない巨大尖頭器を作ったのだろうか

接合資料
服部台2遺跡
 
※考察 白滝の黒曜石産地 
 白滝地域の先史時代集落跡は、二つの川の合流点付近に集まっているという。これは、増水期に流されてきた黒曜石の転石採集を生業とするためであろう。
 長野県長和町では、黒曜石産地を独占的に支配管理するものがいて、誰でも勝手に採取することはできなかった。鉱山の麓には交易のムラがあり、宿泊所や食物の提供や物々交換所などがあったように思われる。

 白滝など、重要産物の産地にはおそらく同様の経済システムが敷かれていたものと考えられる。
その中で、このような巨大尖頭器形の造形物の製造は、単に不定形な黒曜石原石を交易するよりも、風化層や不純物を取り去り、さらに形を整えて付加価値を高め、さらに規格化して同形に仕上げた原石製品ならば、交換価値(価格)も付けやすく、品質が見極め易く、お互いに交易に信頼性が担保できる。更に不定形な物よりも、定型のものは複数でも運びやすくなり、不用な物、カスやゴミを運ぶ必要がなく、便利だったに違いない。
 この規格化という現代の流通システム同様のことが旧石器・縄文時代にも行なわれていたことに驚きを感じますが、商品化ということから考えると、至極当然のこととも言えます。
 このような事は無尽蔵に高品質の黒曜石が入手できる地域だからこそできたものだろう。ちなみに、北海道の他の黒曜石産地ではこのような傾向は聞いていない。



 60 Ⅳ遠間栄治記念室
  Pioneer of the Shiratakd paleolithic sites

  ※撮影写真不足
 61白滝の旧石器文化研究史
昭和の初めには、遠間栄治氏松平義人氏らによって大型の石器が見つかることは知られていましたが、本格的に調査が始まったのは1952年(昭和27年)からでした。
中でも吉崎昌一氏が中心となった白滝団体研究会の調査により細石刃の製作技術「湧別技法」の存在が明らかになるなど、旧石器文化研究に貢献しました。
 写真は奥白滝1遺跡 平成9年度調査状況

白滝の旧石器文化研究史 白滝の旧石器文化研究史 研究史 白滝第13遺跡調査風景

 太古のナゾにメス
太古のナゾにメス
判読困難
写真説明
勢ぞろいして現場に向う一行。登山や麦ワラ帽、腰の皮バンドに移植ベラをつき差したいでたちは、カウボーイ・スタイルに似て思わず苦笑を浮ばせる。
発掘方法は小区画ごとに慎重そのものの進め方。“あったぞ”と豆考古学も得意げに歓声を挙げる。
採取した炭素粒を処理するバンク博士。太古の炭素粒といっても普通の木炭と同じ黒色なので、発見は容易だが、米粒大のものが大分なので、析出が大変。
発掘された石器 ブレード、フレークなどが主で、長さも最高で十一㎝大だが、数が多く、小玉教授も “こんなに出土遺物の多い遺跡は珍しい”と大喜び。
考古学が取り持つ縁で結ばれたというバンク夫妻は五゜乱の通りのオシドリ科学者、仲良く地層の断面を町さしているところ。右は児玉教授。
   北海道新聞 昭和31年9月10日(月曜日)
太古のナゾにメス
日米合同調査団 白滝周辺の旧石器遺跡発掘調査

放射能で年代測定
豆考古学者も熱心に協力

北海道新聞文化厚生事業団が
ハンク博士(アメリカ、ミシガン大学アラスカ○○)をリーダーとする二十九名の日米合同調査隊○○した○○、置戸、○○周辺の旧石器時代の○○は八月三十一日の○○○白滝村を皮切りに十五日ごろ置戸、○○の予定で○○に進められている。
本道に旧石器時代が存在したことは二十九年の厚岸、昨年の○○、白滝、○桂などの発掘調査で明らかになっているが、これを今度の調査で再確認したうえ、旧石器時代の最大の重要点である年代の決定と、 ヨーロッパアメリカ、シベリアなどの旧石器との関連を調査するのが最大のネライである。
●一口に旧石器時代といっても一万年から二十万年前までの長い間にまたがり、別名先土器時代といわれるだけに、生産用具といっても木の棒のほかは、もっぱら原石に加工を施した幼稚きわまる社会でこの時代の後期に入り、初めて毛皮が考案されクロマニヨン人といわれる全スト同様の人間の先
祖が、自然石に毛のはえたような石器でマンモスのような巨獣と戦ったり、木の鍬で植物の根を掘り返してたりしながらかろうじて糊口をしのいでいた。
 まだ農業を知らないうえに、道具といっ手も現代の機械とは比べものにならない非能率きわまるものなので、かれらの生活水準は終日野山を駆け回ったところで、ようやく空腹を満たす程度、文字どおりの『手から口へ』の追われ通しの生活だけに富の蓄積も生まれようにもまだ余地がない。

●―大〇。ところでこの太古のナゾを完○する今回の調査団の技術的な特徴を紹介すると、放射能利用と、土中の植物花粉の抽出、検査の二つにしぼられる。
 放射能測定による年代決定のあらましは―粘土層から炭素粒を採取し、これにラジオアイソトープを通しガイガー計数管にかけるとカウント数の減退率で年代が判るという子力の平和利用の一つ。
 また、花粉検出による他大陸との関連性も、原理は植物花粉の外皮に、土中では 絶対変質しない独自の特徴があるので、これを採取して顕微鏡でのぞけば、その年代の植物が寒帯性であった温帯性であったかの区別がつくという。
勢い調査は素人にも興味深いブレード(石刃)フレーク(破片)コア(石核)などの石器類の発掘よりも、炭素粒
の発見と花粉の抽出に重点が注がれることになったが、この二つの方法を考古学に採用したのはわが国では初めてというので、とくにクローズアップされている。
 紋別郡白滝村では同村三和中学校と、白滝知友学校生徒の応援を求めて発掘を行っているが、これら考古学者の協力ぶりも涙ぐましいばかり。
また国際地球観測年の南極探検を翌年に控えて、内雄の神秘に対する一般の関心が深まっているときだけに、発掘地点には連日見物人が押しかけ、ちょっとした考古学ブームめいた ものを描きだしている。

 白滝遺跡の発掘進む
白滝遺跡の発掘進む
白滝遺跡の発掘進む
【北見発】一万年ほど前に道北地方に住んでいた先住民族の古代文化とアラスカなど北太平洋文化との関連性について、わが国考古学界から注目されている白滝遺跡の大がかりな発掘調査が進められている。遺跡は裏大雪の高原、紋別郡白滝村の通称服部台で、明大の杉原荘介教授、大塚初重助教授、戸沢充則講師と明大考古学研究室の学生十人らの総勢二十人。同村の白滝温ホテルを拠点に去る十日から、幅二㍍、長さ五十㍍に渡る発掘をはじめ、早くも地下十五㎝から二十㎝の粘土層上部から大型の先の尖った石器類を多数掘り出し、研究にに大きな成果を上げている。

 ここはオホーツク海にそそぎいまでもサケ、マスがのぼる湧別川の上流で、海抜約四百㍍。
かつては大密林におおわれ、鳥や魚類が豊富だったうえ石器の原石であるコクヨウ石の露頭が無尽蔵にあるところから、先住民族の楽園だったと想像される。

 さきに読売新聞社が行ったアラス、シベリア学術調査団に参加した杉原教授はアラスカ、シベリア文化と白滝文化との関連性について強い関心をよせている。
この発掘調査では表土をはがし 下から長さ十~二十㎝という 大きなヤリ先や、石器作りの道具に使ったと推定される舟底石器類がぎっしり敷きつめたように現われて一行を喜ばせている。
発掘調査は現在のトレンチ (発掘みぞ)に十字型にもう一 本掘ったあと、直径五十㍍にわたる周囲一帯を発掘するという大がかりなもので、きたる二十六日まで続けられる。なお八月には北大の調査班も乗り込む予定になっている。
 杉原教授の話「大昔にこの地で繁栄した民族の文化と同時代のアラスカ、シベリアなど北太平洋民族文化との関連性を究明したいと思っている」

 白滝遺跡の資料が展示される
白滝遺跡の資料が展示される(町誌)
広報 しらたき 1963(昭和38)年5月
 白滝遺跡の資料が展示される
白滝村の旧石器遺跡は、数年前から関係研究者や各大学の手によって発掘地用刺されていましたが、
このたび函館博物館食卓の吉崎昌一氏(現在米国ウイスコンシン大学留学中)より本村提示資料として約100天の遺物が送られてきましたので、教育委員会ではこれらの石器を分類し、解説をつけて、白滝青年○〇○資料室に展示しました。石器の主たるものはブレード(石刃)スクレーパー(掻器)グレーバー()ポイント(尖頭器)コアー(石核)です。みんなで白滝村の貴重な文化財を大切に保存することに務めましょう。

 白滝の旧石器文化研究史
 
 白滝遺跡研究史
1927(昭和2)年~ 遠間栄治が白滝で石器を収集
1930(昭和5)年 間栄治が郷土研究第四輯に白滝の遺跡について記載
1932(昭和7)年~ 松平義人が白滝の遺跡、 黒曜石原産地を探訪
1938(昭和13)年 河野広道・名取武光が北見国上白滝で旧石器を思わせる粗雑な大形十勝石製石器が発見されていると、学会に発表
1949(昭和24)年 (相沢忠洋が群馬県岩宿遺跡を発見:日本旧石器文化の調査・研究のスタート)
1952(昭和27)年 吉崎昌一が白滝村を踏査
1954(昭和29)年 (黒松内町樽岸遺跡において、北海道で最初の旧石器文化の遺跡の発掘調査)
洞爺丸台風の通過で倒木の大被害
造林作業員が幌加沢遺跡遠間地点で露出した石器を発見し、遠間栄治に通報
1955(昭和30)年 吉崎昌一が芹沢長介・河野広道・湊正雄と白滝第13地点・第4地点・第27地点遺跡を発掘調査
1956(昭和31)年 北海道大学解剖学研究室とミシガン大学が白滝第13地点・第25地点遺跡を共同調査
1957(昭和32)年 吉崎昌一が白滝第30地点・第33地点を試掘調査
1959(昭和34)年 白滝団体研究会が白滝第31地点・第32地点遺跡を発掘調査
1960(昭和35)年 白滝団体研究会が白滝第37地点・第38地点遺跡を発掘調査
1961(昭和36)年 明治大学考古学研究室が服部台遺跡を発掘調査
1964(昭和39)年 「白滝の流紋岩球顆」 が北海道指定天然記念物に指定される (30,000m2)
1971(昭和46)年 米村哲英が石井遺跡を確認調査
1972(昭和47)年 白滝村教育委員会が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査
1975(昭和50)年 幌加沢遺跡遠間地点が村指定史跡に指定される (2,300m2)
1981(昭和56)年 白滝村教育委員会が服部台2・近藤台1遺跡を発掘調査
1985(昭和60)年 白滝村教育委員会が白滝第4地点・第30地点遺跡を範囲確認調査
1986(昭和61)年 白滝村教育委員会が白滝第13地点・第33地点・第32地点遺跡を範囲確認調査
1987(昭和62)年 札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第1次)
1988(昭和63)年 札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第2次)
1989(平成元)年 白滝第13地点遺跡が国の史跡に指定される(名称:白滝遺跡、 21,898m2)
札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第3次)
1990(平成2)年 札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第4次)
   1991(平成3)年 「幌加川遺跡出土の石器群」 が北海道指定有形文化財に指定される (1,902点)
1992(平成4)年 札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第5次)
1993(平成5)年 札幌大学文化交流特別研究所が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第6次)
1994(平成6)年 白滝村教育委員会が白滝第4地点・第30地点遺跡を発掘調査
1995(平成7)年 高規格道路建設に伴う発掘調査の開始 (白滝村教育委員会が白滝第4地点遺跡を発掘調査
(財)北海道埋蔵文化センターが上白滝8遺跡を発掘調査)
札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第7次)
1996(平成8)年 白滝村教育委員会が白滝第4地点・第30地点遺跡を発掘調査
(財)北海道埋蔵文化財センターが上白滝2・上白滝8遺跡を発掘調査
1997(平成9)年 白滝村教育委員会が白滝第30地点遺跡を発掘調査
(財)北海道埋蔵文化財センターが奥白滝1・上白滝2・上白滝5・上白滝7・上白滝8遺跡を発掘調査
奥白滝11・奥白滝12・服部台・服部台2・奥白滝1・上白滝8遺跡が国の史跡に追加指定される
名称を「白滝遺跡群」に変更(追加指定 204,352.33m、 合計226,250.33m2)
1998(平成10)年 白滝村教育委員会が白滝第30地点遺跡を発掘調査
(財)北海道埋蔵文化財センターが服部台2・奥白滝1・上白滝5・上白滝6・上白滝7・上白滝8・北支湧別4遺跡を発掘調査
1999(平成11)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが服部台2・奥白滝11遺跡発掘調査
札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第8次)
2000(平成12)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが服部台2・奥白滝1・上白滝8・白滝第30地点・白滝8・白滝18遺跡を発掘調査
2001(平成13)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが上白滝6・白滝3・下白滝遺跡を発掘調査
2002(平成14)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが旧白滝8・旧白滝9・下白滝遺跡を発掘調査
札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第9次)
2003(平成15)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが旧白滝5、旧白滝8遺跡を発掘調査
札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第10次)
2004(平成16)年 札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第11次)
白滝遺跡群が北海道遺産 「オホーツク沿岸の古代遺跡群」に選定される
2005(平成17)年 札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第12次)
2006(平成18)年 (財)北海道埋蔵文化財センターが旧白滝5遺跡を発掘調査
札幌大学埋蔵文化財展示室が幌加沢遺跡遠間地点を発掘調査(第13次)
「白滝黒曜石」が日本の地質百選に選定される
白滝黒曜石遺跡ジオパーク構想推進協議会が設立される
2007(平成19)年 財) 北海道埋蔵文化財センターが旧白滝1・旧白滝5・旧白滝15・旧白滝16・ホロカ沢I遺跡を発掘調査
2008(平成20)年 (財) 北海道埋蔵文化財センターが旧白滝3遺跡を発掘調査 (高規格道路建設に伴う発掘調査の終了)
2010(平成22)年 白滝ジオパークの日本ジオパークネットワークへの加盟が承認される
瞰望岩(インカルシ)が国指定名勝ピリカノカに追加指定される
 

 Ⅲ白滝の石器作り

 70石器製作技術

 71石器づくりの技
ひとつの石器が完成するまでには、様々な道具や技(技術)が使われています。
細石刃を獲得する工程を見ていくと、道具や石の割り方を使い分けていることがわかります。
ここでは、湧別技法を例に紹介します。

石器作りの技
細石刃核をつくる

➀まずはこの黒曜石の原石を割っていくぞ。
最初は叩き石でおおよその形にして、次に鹿の角を使ってきれいに仕上げていく。
道具によって黒曜石の割れ方が違うから、目的に合わせて道具を使い分けるんだ。


➀敲き石で荒く割る

 ② ②こうしてできたものを点線の方向へ割るんだが、ここが1番のポイント。
割れた面が平らにならないと、うまく細石刃が剥がれないんだ。
こういう細かな作業には鹿の角が適している。 
②鹿角で敲き割る


③平らな面が出来たら細石刃を剥がすための準備完了。

③押圧剥離具
で押し剥がす
③この道具の先には、鹿の角が埋め込まれているんだ。
これを平らな面の端に押し当ててゆっくりと力を加えていく。


④すると薄くて細長い細石刃が勢いよく剥がれるってわけだ。
これでできあがりだ!

 72接合資料を読み解く
石器を作った場所では、たくさんの剥片が出土します。
これをパズルのようにつなぎ合わせることで、元の形に戻すことができ、組み上がったものを「接合資料」といいます。
接合資料には、石の選び方や石器の作り方など、旧石器時代の情報が詰まっているのです。

接合資料を読み解く 接合資料を体験
ハンドルを回すと
色や形が合う
接合資料を体験してみよう!
ハンドルを回して色や模様を合わせてみると石器や星、ハートの形が見つかるぞ!
ヒント1
  接合資料を読み解く 
上に記述
色・模様
 
黒曜石もよく見ると、色や模様が違っている事がわかる。   
接合資料の作成
下に別記

 73接合資料の作成
➀取り出す
発掘-測量-水洗
まずは発掘調査です。遺跡を4m× 4mに区画して調べていきます。出土した遺物物は1点ずつ地点を計測して記録します。  1つの発掘区(グリッド)だけでも4000点以上の遺物が見つかることがあるんだ
 ②整理する
注記・分類
 出土した場所や番号を書き込む作業を注記といいます。
そして、石の重さや状態を観察し、色や模様から黒曜石を5種類に分類していきます。  
  4m×4m
③接合する
 
 色や模様、出土した場所や割れた形などを頼りに、同じ石を探して組み合わせて行きます。知識や経験、観察力がなければできない根気のいる地道な作業です。   えっ!そんなにたくさん! つなぎ合わせるのが大変ですね…
 ④完成
 出来上がった結合資料は、実測図や写真を作って観察結果をまとめ、研究成果として報告されます。   出来上がった結合資料には足りない部分があるが、なぜかわかるかい? 
     はい石器として使われたからですね。

 74接合資料
接合資料
上白滝2遺跡
 

 75石器の移り変わり
北海道では3万~2.5万年前の石器が一番古いと考えられます。
最初は小型の石器ですが、次第に「石刃技法」により得られた「石刃」で形の整った石器が作られ、「細石刃」を使用した組み合わせ道具が発達しました。

石器の移り変わり 石器の変遷
はじめは
色々な形の剥片を加工して石器を作っていたんだ。
3万~2.5万年
小型剥片石器
石刃(2.5万~)
細石刃(2.3万~)

北海道は大陸と陸続きだったので細石刃文化の伝播が本州より早かった
尖頭器(1.8万~)
有舌尖頭器(1.4万~)
石鏃(1.3万~)
この頃には大きな動物はいなくなって、石器も変わっていった。

小さくて、すばしっこい動物には弓矢だね。

石器の移り変わり
3万 2.5万 (小型剥片石器)
2.5万 1.2万 (石刃)石刃技法
2.3万 1.2万 (細石刃)
 1.8万 1.2万 (尖頭器)
  1.4万 1.2万 (有舌尖頭器)
  1.3万  (石鏃)

※考察 石器の変遷
 1.2万年前に石刃・細石刃・尖頭器・有舌尖頭器が絶え、1.3万年前からの石鏃に変わったのは、この1000年間に大型動物が減少し、狩猟対象が中・小型動物に次第に移って行ったことを示している。そして、その最後のとどめを刺したのが、ヤンガードリアス氷期でしょう。
 ヤンガードリアス氷期は、1万2900年前~1万1500年前(1,400年間)の出来事で北半球の高緯度地方で起こった急激な寒冷化で、グリーンランド氷床コアの分析では、現在よりも15℃も気温が低下したとされる。

 原因は二つ推論されており、一つは彗星の衝突で、北半球高緯度地方でイリジウム層が発見されている。
もう一つは、海洋深層水による地球全体の熱循環の停止である。北米大陸五大湖付近に巨大な氷河湖が存在し、ミシシッピ川を通ってメキシコ湾に流れ込んでいたが、気温上昇と共に氷床が北上し、セントローレンス川を通って北大西洋に流出し、真水が海表面を覆い暖流メキシコ湾流の流れを妨げ、海洋深層水の熱循環を停止したためとされる。

 いずれにしても、1万2000年前頃を境に動きの早い、石鏃でなければ仕留められない中・小型動物を狩猟するようになった。
 

 ※資料 北海道の細石刃文化
北海道細石刃文化の始まり
 細石刃文化以前の北海道では、石刃石器が使われていました。その後バイカル湖文化センターからサハリン経由で細石刃文化が広がった。
北見市「常呂遺跡の館」では25,000~24,000年前頃に細石刃文化が始まったとされている。
札幌市「AKARENGA」では後期旧石器の初め頃は本州と同じ石器が使われたが、2万~1.2万年前に極東から樺太経由で細石刃文化が南下した。
北海道の縄文文化」では約2万年前から細石刃が急に増え、約1.2万年前まで使われた。
文化財オンライン細石刃」では細石刃は北海道を代表する石器と讃え、紀元前18,000(約2万)年前の置戸遺跡の細石刃を載せている。

西日本における細石刃文化の起源と展開では、
旧石器時代の終末期になると、日本列島の全域に細石刃文化が展開する。この細石刃文化は、
東北日本に分布の中心をもち 湧別技法に代表される楔形細石刃核や荒屋型彫器を指標とする一群と、
西南日本に分布の中心をもち 野岳-休場型細石刃核を指標とする一群にわけられる。

前者(東日本)は、1950年代における新潟県荒屋遺跡や北海道札滑遺跡の調査研究以来、中国東北部やシベリア地域との共通点が指摘され、大陸起源であることが定説となっている。(湧別技法札滑型)しかし、
後者(西日本)の由来については西南日本型細石刃文化は、中国南半部、とくに山東半島周辺(黄河河口部)より九州地方へ渡来し、さらに東進したものと考えられる。

本州における細石刃文化1.9万年前に華北の黄河文化センターから拡散し、1.2万年前に終了した。
※このことから考えると、本州は北海道より5000年遅れて細石刃文化が到達し、短く走り去ったようだ。

 北海道では8千年間~1.3万年間にも及ぶ長い歴史を持っていたことがわかる。本州では7,000年間。
一つには、この4万年前に始まった文化は北方細石刃文化人が北海道に南下して大繁栄したことを意味する。
二つには、黒曜石の宝庫である黒曜石鉱山からも出土するほど、この節約石器は大流行したと言える。
つまり、広大なシベリアや、黒曜石の乏しいサハリンでは、獲物を追って移動する旅に携行便利な狩猟具として、貴重な黒曜石を節約するために4万年前に開発された技術が、節約ということ以上に便利で使いやすい技術であったことを意味している。

 このようにして発達した北海道細石刃文化は、様々な剥離技術を開発した。 

 ※考察 石槍と細石刃
 石槍と云うから、なぜか離れた場所から長い柄につけた石槍を投げて獲物に刺さって狩猟するイメージが強いのですが、石槍も石鏃も実にもろいもので、しっかり体内に柄の部分まで刺し通さないと簡単に折れて、(いやそれでも大抵は折れて)唯一の狩猟具を無くしてしまう。貴重な黒曜石を長い時間を掛けて作った石槍が一瞬で折れてしまう。それでは獲物を捕獲できないし、飢え死にが待っている。
 石槍は動物との接近戦で、ここぞというときに力を込めて急所を刺し通し、動けなくする。又は、相当な打撃を与えるときでしか使えなかっただろうと思います。槍を投げられるのは、鉄槍になってからのことではないかと思います。石槍では大型動物を追い込んで、動けなくなったときに最後に自分が殺されるか、動物を殺すかの壮絶な接近戦で使ったものと思います。
 細石刃器は周囲についた切れ刃で切るサバイバルナイフ様ものであり、石槍は先端の槍で突くものである。
この機能から考えると、細石刃器は、例えば群れの動物を追い込んで、暴走する動物群に向かってこれを突き出し、一瞬で膝の筋肉や腱を切って走れなくし、転んだで起き上がろうとしたところを更にダメージを与えて動けなくし、群れから引き離して気管や頸動脈などを切り絶命させたものであろうと思う。
 細石刃尖頭器を投げた場合には、(はさんだ骨角器や木製の枝が)やはり壊れるが拾い集めて再生は可能である。動物の体に刺さることは想像できない。よくて擦過傷を与える程度だろう。

 


 76白滝遺跡群の石器  引用「遠軽町埋蔵文化財センター展示ガイド・くろぐろ」別冊Kuroguro「特集 白滝遺跡の石器群」

遠軽町埋蔵文化財センター展示ガイド・くろぐろ
別冊Kuro Guro「特集 白滝遺跡の石器群」から低品位スキャナーで取り込んだ画像
 小型剥片石器
 広郷尖頭状石器群
 ホロカ型彫器石器群
 細石刃石器群
 大型尖頭器石器群
 小型舟底形石器群
 有舌尖頭器石器群
表紙写真は、超大型尖頭器形石器
 幾つかに切断されて出土したものを接合したもの。
 よく見ると横に割れ目が見えます。


小型剥片石器群
北海道最古級の石器
現在北海道で最も古いと考えられている石器です。石刃技法が見られず、不規則な剥片にわずかな加工を行なっています。
写真は、二次加工のある剥片、錐形石器、掻器、石核(奥白滝1、上白滝8遺跡)

広郷尖頭状石器群
石刃技法の始り
ナイフ形石器を特徴とする石器群です。接合資料からは、石刃技法によって原石から効率よく石刃を生産している様子がわかります。
写真:ナイフ形石器(上白滝7、上白滝8遺跡)

小型剥片石器群
北海道最古級の石器
広郷尖頭状石器群
石刃技法の始り
小型剥片石器群
 とても使い込まれた石器。刃の付け直しによって摩耗している。
尖頭状石器群
 石刃技法の尖頭器。高度な石刃剥離技術です。


ホロカ型彫器石器群
規格外の巨大石刃
写真上:石刃に特徴を持つ石器群です。大きなものでは長さが43cmと言う規格外のサイズです。石刃は主に削器や彫器の素材となっていますが、特に彫器は他に類を見ない大きさです。
写真:彫器、石刃、削器(旧白滝15遺跡)

写真左:このような長い石刃を作るためには非常に大きな原石を必要とします。また大きさだけではなく、形にもこだわりが感じられます。効率よく石刃を生産するために、割れる方向や角度を計算し、入念な調整を行っています。その作業は、石刃を作るたびに繰り返していたことが、接合資料から確認することができます。
写真左:赤神の接合資料(旧白滝15遺跡)

メモ
本文中に出てくる「石刃」とは、細長い板状の剥片です。1つの原石から、同じような形状の石刃を連続的に作り出せる技術が後期旧跡時代になってから見られるようになりました。これにより、今まで以上に効率よく石器を制作することが可能になりました。

ホロカ型彫器石器群 石刃接合資料
高度な剥離技術によって大きな石刃が得られ、
この石刃を加工して、様々な刃器に仕上げた。


 細石刃文化の登場
  大形石刃から小形石刃を得る技術変革と発展。

細石刃石器群
旧石器時代のモバイルツール
写真:白滝遺跡群から出土した細石刃と細石刃核
形が異なる細石刃核ですが、目的は細石刃を作るために用意されています。

【紅葉山型】奥白滝1遺跡服部台2遺跡
北見市紅葉山遺跡の資料をもとに名付けられました。円錐形または柱体の細石刃核の周りから細石刃をはがします。奥白滝1遺跡と服部台2遺跡では、沢で隔てられた台地の間で遺跡間接合が確認されています。

【広郷型】上白滝2遺跡
北見市広郷遺跡の資料をもとに名付けられました。大型の石刃を素材として細石刃を剥がします。接合資料により、入念に調整が施された高度な石刃技法の存在が確認されています。いずれも石刃核は遺跡からは出土せず、遺跡外へ持ち出されています。

細石刃石器群 紅葉山型 広郷型



【細石刃とは?】
幅が1センチ以下の小型の石刃で、骨や角などで作られた「植刃器」と呼ばれる細長の軸にはめ込んで使用する組み合わせ道具です。
細石刃を剥がすことができる核は持ち運びに便利で移動生活には欠かせないものでした。

蘭越型旧白滝15遺跡
蘭越町立川遺跡の資料をもとに名付けられました。両面加工の石器を素材として長軸方向に細石刃を剥がします。千歳市柏台遺跡の調査によっておよそ25,000年前のものと考えられています。この年代は細石刃石器群の中で1番古い時期に位置するものです。

峠下型上白滝8遺跡
倶知安町峠下遺跡の資料をもとに名付けられました。接合資料によって原石から剥離した石刃や縦長剥片の片面を加工して、細石刃を剥がしている様子が明らかとなりました

【札滑型】上白滝2遺跡
西興部村札滑遺跡の資料をもとに名付けられました。両面加工の石器を素材として短軸方向に細石刃をはがします。この方法は「湧別技法」と呼ばれ、同様の技術は広くシベリアから日本列島に広がっています。

細石刃とは?
↑植刃器(複製品)に
はめ込まれた細石刃
蘭越型
峠下型
札滑型


大形尖頭器石器群
日本最大級のヤリ

写真上:尖頭器(上白滝8遺跡)
尖頭器は両面を加工して尖らせた槍先形の石器です。白滝遺跡群では一般的な大きさをはるかに上回る尖頭器が出土しています。
最大のもので約36cm、おそらく国内で最大なものと考えられます。

写真左:接合資料(奥白滝1、上白滝8遺跡)
尖頭器を作った際に生じた黒曜石の剥片をパズルのように組み組み立てて、可能な限り復元した接合資料。この資料からは、尖頭器の製作工程や破損の様子を見ることができます。また、尖頭器は見つかっていませんが、その他のパーツがほぼ完全に接合するパターンもあります。この場合は完成して使用されたのか、遺跡からは見つかりません。

大型尖頭器石器群 同接合資料


小形舟底形石器群
謎に包まれた極笑石器
写真:彫器、錐形石器、尖頭器、舟底形石器、削器、掻器(上白滝5遺跡)
長さが2~5cmの舟底型石器を主体とする石器群です。舟底形石器は使い方がよくわかっておらず、謎の多い石器です。


有舌尖頭器石器群
洗練された技術と美しさ
写真:有舌尖頭器(上白滝2遺跡)
柄を装着する舌部を作り出した有舌尖頭器を主体とする石器群で、旧石器時代の終わり頃に見られます。押圧剥離と呼ばれる方法で形を整えていきます。

小形舟底形石器群
有舌尖頭器石器群


 裏表紙
石器の名称と役割
①斧形石器
②掻器
③彫器
④錐形石器
⑤尖頭器
⑥削器
木の伐採や土を掘る道具
皮なめしの道具
彫る道具
穴をあける道具
狩猟の道具(槍先)
切る、削る道具

遠軽町埋蔵文化財センター
〒099-0111
北海道遠軽町白滝138番地1
TEL 0158-48-2215 (白滝教育センター)
E-mail s-kyoui@engaru.jp
Home page http://geopark.engaru.jp

編集 遠軽町埋蔵文化財センター
印刷 株式会社 遠軽新聞社、
撮影 佐藤雅彦(写真事務所クリーク)

このパンフレットは令和3年度 国宝重要文化財等保存・活用事業費補助金によって制作しました

 
 


 80細石刃

  行動範囲を広げた 『細石刃』
細石刃は、幅が1cm以下の小型の石刃で、骨や角などで作られた植刃器と呼ばれる細長の軸にはめ込んで使用する組み合わせ道具です。
細石刃を剥がすことができる核は持ち運びに便利で、移動生活には欠かせないものでした。
 81
細石刃 細石刃の製作
➀材料に平らな原石を用意する
②両面を加工した石器を用意する ③長軸方向に打ち欠き、力を加える平坦面(打面)をつくる
これが湧別技法
押圧剥離によって連続して細石刃をつくる事ができます
細石刃を剥がす 植刃器 細石刃を装着した狩猟具
細石刃は骨や角などの細長の軸の両側縁に彫った溝にいくつも並べてはめ込み、カミソリ
の刃のような役目を果たします。


 83クサビ形細石刃核の広がり
細石刃を剥がすための「クサビ形細石刃核」は、シベリア、北部中国、朝鮮半島、日本列島、アメリカ大陸北部に分布します。
特に湧別技法と呼ばれる技術は、シベリアから日本列島に広がっています。
サビ形細石刃核の広がり

 クサビ形細石刃核の様々な剥離技法
様々な技法 様々な技法

出土石器や接合資料から細石刃を剥がす方法はいくつも存在することが確認されています。
特に北海道では「クサビ形細石刃核」から細石刃を剥がす技法が多いことが特徴です。

 細石刃 服部台2遺跡
蘭越技法 蘭越技法

➀上部が平らで、後側が鋭い横断面が卵形の石器を準備する。
②短軸を打ち欠いて、打面を作る。
③石刃・細石刃を取る。
美利河技法 美利河技法

①分厚い剥片、舟形の礫を用意する。
②スキー状の剥片を取り、打面を作る。
③側面、下縁を加工する。
④細石刃を取る。

 細石刃核 旧白滝1遺跡
峠下技法 峠下技法

①剥片の片面を加工して、断面がD字形の石器を用意する。
②石器の一部を剥ぎ取り、打面を作る。
③細石刃を取る。


 細石刃核 服部台2遺跡
湧別技法
湧別技法

①両面加工の石器を用意する。
②石器の長軸を打ち欠いて舟形にする。
③細石刃を取る。
札滑型
 細石刃核(服部台2遺跡) 細石刃核接合資料(白滝第30地点遺跡)

白滝型
 細石刃核(服部台2遺跡)  細石刃核(接合資料)(服部台2遺跡)
幌加技法 幌加技法

①分割した礫または大型の剥片を用意する。
②側面を加工して舟形の石器を作る。
③細石刃を取る。

 細石刃核(白滝第4地点遺跡
オショロッコ技法 オショロッコ(忍路子)技法
①両面加工の石器を用意する。
②石器の長軸の一部を数回打ち欠いて打面を作る。
③細石刃を取る。

 細石刃核(白滝第30号地点遺跡)
紅葉山技法 紅葉山技法

①剥片または礫の側面を加工し、U字型の石器を用意する。
②上面を細かく打ち欠いて打面を作る。
③石刃・細石刃を取る。

  黒曜石ギャラリーに展示
広郷技法 広郷技法

➀大型の石刃を用意する。
②石刃の一部を加工して打面を作る。
③細石刃をとる。途中、作業面からの打面再生が行われる。

 細石刃核(白滝第4地点遺跡)
 

 110尖頭器

  両面を加工した石器『尖頭器』
尖頭器はヤリの先につけて狩りの道具として使用したものです。

 111
 巨大な尖頭器は何に使ったのか
白滝遺跡群からは、40cmを超える大型の尖頭器が出土しています。
こうした石器はそのまま使うのではなく、石器の素材として有効で遠くに運びやすくしたものと考えられます。
また、石器作りの技術の高さや精神性を示す象徴的なものであると言う見方もあります。

※考察 巨大尖頭器形黒曜石
※尖頭器形に成形された黒曜石塊は、交易品の価値をあげるための美化、規格化、であろうことは間違いなさそうだが、
 一方でその美しさや神秘性。狩猟を象徴したような形状が、弥生人が青銅器の美しさと光り輝く姿に驚き、崇めたように、
 遠くからもたらされた貴重な巨大尖頭器形黒曜石を、驚きを持って迎えたのかもしれない。だとするとそれは交易に訪れた者の
 思うつぼだったのかもしれない。高く評価されればそれだけ交易品を多く手に入れることができたに違いない。

※巨大な尖頭器形黒曜石が精神性の象徴、つまり、信仰の対象だったかもという。神子柴型石器の巨大版のような考えがあるということ。
 しかし、だとしたら各地でそのような巨大尖頭器形黒曜石が出土するはずだが、これまでに出土したのは1~2件に過ぎない。
 でも、美しく、整った形で、誰が見ても美しいものに対しては、飛鳥時代の釈迦三尊像や弥勒菩薩に抱いたような美と崇高さに対する憧れから信仰の対象としてもおかしくはない。とも言える。
 釈迦三尊像は今は、錆びた緑青色だが、当時は金ぴかの巨大な造形物だったのでしょう。

巨大尖頭器 巨大尖頭器は何に使用? 重くて使えない尖頭器
精神性の象徴?
尖頭器(上白滝8遺跡)
長さ36.2cm
色々な石器に加工する前の素材?
遠くに運びやすくするため?
交換材としての規格化が行なわれたようです。

 113尖頭器製作過程
尖頭器が出来るまで
➀材料に平らな原石を用意します

②両面から打ち割りながら薄くしていきます
尖頭器復元資料
③形のバランスを整えて先端を尖らせれば完成

これは尖頭器の製作の様子を再現したものです。完成するまでの打ち欠きで多くの剥片が出る事がわかります。

 114有舌尖頭器ができるまで

➀材料は薄手の原石か剥片を用意

②両面を打ち割りながら薄くしていく

③押圧剥離と呼ばれる方法で力を加え、形を整える

 115尖頭器の色々
尖頭器には、柳葉形木葉形のほか、柄を装着する舌部を作り出した有舌尖頭器などがあり、大きさも色々です。時代や用途に応じて作り分けていたと考えられます。

尖頭器の色々 尖頭器(服部台2遺跡) 尖頭器(白滝第30地点遺跡)
尖頭器(服部台2遺跡)
有舌尖頭器
(服部台2遺跡)
(白滝第4地点遺跡)
尖頭器(服部台2遺跡)
 117接合資料
接合資料
服部台2遺跡
 120ヤリの重さ比べ
尖頭器 植刃尖頭器 有舌尖頭器
 
 ※想像 尖頭器と狩猟
 尖頭器、植刃尖頭器、有舌尖頭器の重さ比べ。最も重そうなのが大きな石器の尖頭器。次の二つは同じくらいかもしれない。
しかし、学芸員はそれだけのためこの装置を展示したのだろうか。それよりも用途が違うことを言っているのではないだろうか。
 槍先形尖頭器は、白滝遺跡群では、約15,000~30,000年前に出現。
 細石刃による植刃尖頭器北海道で、2.5万~1万年前
 有舌尖頭器は、北海道では1万4千年前ころから、とされ、縄文時代草創期中頃から、とされている。

  前出の資料では
石器の移り変わり
3万 2.5万 (小型剥片石器)
2.5万 1.2万 (石刃)石刃技法
2.3万 1.2万 (細石刃)
 1.8万 1.2万 (尖頭器)
  1.4万 1.2万 (有舌尖頭器)
  1.3万  (石鏃)
となっており、細石刃石器群、尖頭器、有舌尖頭器となって、
狩猟具の進化が如実にわかる。
   
 2024年に道路横断中の母子グマに近付いた軽四車両に対して、巨体の母熊が、オリンピック選手よりも敏捷に、超速度で突進して、顔と認識したフロントガラスを叩き割り、ワイパーを引きちぎり、危険を察知して、全速力で逃げていく車を更に後方から襲って後部ガラスを叩き割るという、スーパーマン並みの戦闘力を持った、恐ろしい動物ヒグマ。
 あんな危険動物をこの三種の狩猟具で仕留めるとなると、尋常の覚悟と勇気ではできない。

 尖頭器は至近距離から確実に急所を狙わないと殺される。しかし、あの猛然と襲い掛かる熊に至近距離まで近寄るのは不可能。熊の認識する安全距離の中には入れない。しかし、重い尖頭器は投げ槍にして、刺されば、分厚い皮膚を貫き、ダメージを与えるかもしれないが、そんなことで熊が死ぬわけでも、行動を抑制できるものでもなく、ファイトアドレナリンが大量に出ている熊は突進してくるだろう。武器を手放した私は殺される。

 植刃尖頭器はカッターナイフや両刃の包丁。動物を解体する時には役立つかもしれないが、これは、深く刺さらない。折れてしまう。以前、果物ナイフをちらつかせた高校生がいたが、そんなもの、人を刺したら、ポキッと折れるぞ。刺された人間が瞬間に力を入れるから、筋肉で折れて、深くは刺さらないと言った。木や骨に両刃を埋め込んでも刺さらない、折れる。手負い動物を作っただけで、8割方は私が殺される。

 有舌尖頭器は動物を追い込んで、動けなくなったときに使える道具だろう。春熊狩りと言って、冬眠熊が入っている穴の入り口に棒を突き刺しておくと、熊の筋肉構造で、押すことができず、檻の中状態の熊を刺すことができる。また、落し穴の上から猪や鹿を刺すことができる。大きな鮭なら刺せるかもしれないが、あれは、簗とマレクでしょう。

 大きく重量のある尖頭器は大型獣を深く突き通すことができる。細石刃は切り傷を追わせる道具。投げても刺さらない。
 有舌尖頭器は、追い込んだ中型動物を仕留めるための道具。

 などと想像してしまうのです。
 しかし、いずれにしてもこんな道具を100%活用して、どのように狩猟していたのか、実際のところが知りたいです。
 文字や写真で、尖頭器、有舌尖頭器と言っても見ても、実際の狩猟具を見て初めて分かったことが多すぎる。
 


 細石刃とは別の、
 石刃技法


 150逆転の発想『石刃』
石刃とは両側縁がほぼ平行な縦長の剥片で、
それを連続的に剥がす石刃技法は、効率的に同じ規格の石器素材を獲得できると言う点で画期的なものです。
同じ材料からいろいろな用途の石器を作ることができます


 151石刃づくり 参考:石刃技法(実験考古学)
石刃ができるまで
➀四角い原石を材料として、力を加える平坦な面(打面)を用意します。

②平坦な面を叩いて連続して石刃を剥がします。

 白滝での石器作り
石刃技法は無駄なく石器作りを行う方法ですが、白滝遺跡群では様子が違います。
理由は、黒曜石がすぐ手に入るので、まだ使えそうな石核も捨ててしまうのです。
石器づくりへのこだわりなのでしょうか。
白滝の石器作り

 155石刃石器
 石刃からつくる石器
石刃を素材に色々な石器をつくります。
縁辺(えんぺん)は鋭いのでそのままでも利用できますが、切る・削る・掻き取るなどの用途に応じて加工します。


石刃核、石刃
(上白滝8)
ナイフ形石器
錐形石器 掻器
彫器 削器
 159接合資料 服部台2遺跡
接合資料
 

 160移動する石器
黒曜石の成分は産地ごとに異なることがわかっています。
白滝遺跡群にも、他の産地の黒曜石や黒曜石以外の石材を利用した石器が出土します。
また、白滝産の黒曜石が、北海道や本州サハリンの遺跡で出土しています。
このような資料は、人の動きや交流を知る手がかりとして重要です。
 161
移動する石器

 白滝に持ち込まれた他産地の黒曜石
白滝に持ち込まれた
他産地の黒曜石
➀名寄産黒曜石
川原から円礫として見つかります。
表面はゴルフボールのようにデコボコしています。
②近文台産黒曜石 
地層中から円礫として見つかります。
黒曜石は石狩川によって運ばれて来たと考えられますが、その供給源は不明です。
③赤井川産黒曜石
北海道で最も南にある大規模な原産地です。
白滝からは直線距離も200kmも離れています。
丸瀬布ケショマップ 

遠軽から北見市に欠けて分布する原産地です。
色や模様に特徴があります。
⑤所山 黒曜石 
質の良い黒曜石が採取できる原産地です。
灰色の縞模様が特徴的で、白滝遺跡群でも多くの資料が出土しています。
⑥十勝三股 黒曜石
黒曜石は然別湖周辺十勝平野一帯に分布します。

十勝地方の遺跡からも白滝産黒曜石は出土するため、移動や交流が活発だったとみられます。

  白滝黒曜石が発見された遺跡
白滝黒曜石が発見された遠隔地遺跡
ソコル遺跡
ロシア・サハリン
サハリン南部のソコル遺跡から白滝産黒曜石製の細石刃や剥片が出土しています。 小瀬ヶ沢洞窟遺跡
新潟県東蒲原郡阿賀町
新潟県の小瀬ヶ沢遺跡から白滝産の黒曜石の剥片2個体(3点)が見つかりました。
この遺跡は約15000年前の本州では縄文時代草創期にあたります。
※青森縄文人の北海道進出によってもたらされたのか?
 
 新潟県
 小瀬ヶ沢洞窟とは  縄文時代草創期 約14,000年前 新潟県東蒲原郡阿賀町神谷

 出土物:土器片1394点、石器・石製品:11,474点、骨器・獣骨:241点 内、草創期の土器140点、石器・石製品1207点、骨器3点
 出土土器:押型文・撚糸文・押圧文・櫛目文
 出土石器:石槍・植刃器(細石刃)・石斧・骨角器 
 ロシア・沿海州との関連ある石器出土石刃の出現外観石槍阿賀町郷土資料館

 

 162移動する石器
   当時の人の移動や交流を知るために重要な資料が見つかっているぞ。
黄:持ち込まれた石器
赤:持ち出された石器
白滝

白滝には道内から他産地の黒曜石が持ち込まれています。
交流が盛んだったのでしょうか。
白滝に
持ち込まれた原産地

➀名寄②近文台
③赤井川
④丸瀬布・ケショマップ
⑤所山⑥十勝三股
持ち出された遺跡
新潟県 小瀬ヶ沢洞窟遺跡
(縄文草創期)

ここは新潟県です。白滝の黒曜石は海を越えてこんなところまで運ばれていたんですね。
持ち出された遺跡
サハリン ソコル遺跡

ここはサハリンですよ。
当時は陸続きだったので人の移動が活発だったのかも知れないですね。

当時の人の移動や交流を知るために重要な資料が見つかっているぞ。

 165持ち込まれた石器群
   硬質頁岩は東北地方が主産地。北海道では渡島半島森町の黒鷲岬に巨大な珪質頁岩(硬質頁岩)の産地がある。
    北海道では中新世の八雲層
    東北日本では女川層
頁岩製
削器、上白滝8遺跡
頁岩製
掻器、服部台2遺跡
頁岩製
彫器、上白滝8遺跡
頁岩製
彫器、服部台2遺跡
頁岩製
尖頭器、上白滝8遺跡
 166持ち込まれた石器群
錐形石器(メノウ
上白滝8遺跡
服部台2遺跡
石刃(碧玉
服部台2遺跡
縦長剥片(碧玉)
上白滝8遺跡
斧形石器(砂岩)
服部台2遺跡
斧形石器(緑色泥岩
服部台2遺跡
緑色泥岩とアオトラ石
砥石(安山岩
上白滝8遺跡
台石(凝灰岩
服部台2遺跡
土堀具の打製石斧なら砂岩もありうる。
ただ硬質砂岩製もあり、それなら伐採できるものなのかもしれない。詳細不明。
 


 200Ⅴ旧石器時代のくらし
  The paleolithic ate
 210
 211旧石器時代のくらし
  Paleorithic life
展示室全景
 213
 旧石器時代のくらし
地球は約10万年単位で温暖期と寒冷期が繰り返されていたことがわかっています。今から約3万年~1.2万年前の旧石器時代は氷河期に当たります。
この頃はテントのような住居に暮らし、食料を調達するために移動しながら暮らしていたと考えられています。

 旧石器時代の自然環境
気温は現在よりも年平均気温で7~8℃も低く、氷河の影響で海面が100m以上も低下していました。
北海道には現在のシベリアのツンドラ地帯のように寒くて、乾燥した草原が広がっていたようです。
 ※ツンドラ とは サーミ語・ウラル地方の言葉で「木のない土地」を意味する。

旧石器時代のくらし 旧石器時代のくらし
旧石器時代の自然環境

 当時の動物相
大陸の半島となっていた北海道には、サハリンを経由して、北方系のマンモス動物群が南下、一方、日本列島の南側で朝鮮半島を経由して、南方系のナウマンゾウ・オオツノジカ動物群が移動してきています。
北海道では両方の動物群の化石が発見されていることから、気候の寒暖の変化に応じて生息していた動物群に違いがあることがわかります。


 215当時の植生相
寒冷で雨が少ないため、ハイマツやグイマツなどの針葉樹が、わずかに棲息する草原でした。
その中でもコケモモやハイマツの種子などは食用に利用したと推定されます。

最終氷期最寒冷期の
東アジア
植物分布凡例 北海道緯度地域 東北緯度地域
ナウマン象オオツノジカ動物群が北上とあるが?
関東以南地域
南西諸島地域 当時の植物相
コケモモ
ハイマツ

※疑問訂正 南方系動物群の北上
 上記、最終氷期最寒冷期の東アジアの図で、ナウマン象・オオツノジカ動物群北上の矢印がある。
南方系動物群が最寒冷期に北海道に移動するはずがない。むしろ、北方サハリンから極寒に追われてマンモス動物群が南下してきました。
しかし、北海道にナウマン象動物群が北上したのは事実で、ただし、それは、12万年前ころと思われる。マンモス動物群の南下は4万年前頃だったと記憶しており、この東北地方に書かれた記述は、最終氷期以前にナウマン象動物群が北上したことを記述したものと思われます。

 217狩猟
 220

 221生活
寒冷な旧石器時代では、主に狩猟によって食料を手に入れていたとみられます。
このため、動物とともに移動しながら生活を送っていました。
そして白滝には黒曜石を採取して石器を補充するために立ち寄っていたのです。

  たたき石(ハンマー)
黒曜石を打ち割るための道具として使用しました。
白滝遺跡群の出土遺物760万点の中でも数点しか出土していません。
使い慣れたマイハンマーは常に持ち歩いていたと考えられ、石器作りでのハンマーの重要性がうかがえます。
 たたき石と剥片 服部台2遺跡

生活 たたき石(ハンマー)と剥片
たたき石(ハンマー)

 222狩猟
海外では石器の使用例を残す資料が出土しています。石器の威力と当時の狩猟技術の高さを示しています。

 皮なめし
白滝遺跡群では尖頭器など狩猟の道具とともに皮なめし用の道具である掻器が非常に多く出土します。
これは寒さに適応するため、衣服や住居の材料として毛皮を活用していたためと考えられます。
鹿皮と掻器

狩猟 マンモス骨の植刃マンモスの椎骨に残された植刃尖頭器
皮なめし
皮なめし具(掻器)

 223マンモスゾウの臼歯
シベリアから北海道にかけて生息していたのは、ケナガマンモス(ウーリーマンモス)と呼ばれる肩までの高さが、3mほどの中型のマンモスです。
北海道では、羅臼沖野付崎忠類えりも夕張由仁北広島から臼歯の化石が発見されています。

マンモスゾウの臼歯 マンモス臼歯化石
産出地:オランダ、アッセル湖
 
 ゾウの移動
 ゾウの発生はアフリカ大陸。アフリカ大陸からヨーロッパに入ってケマンモスが分離し、シベリア北部を経由して極東に到達し、
 その間に様々な種類を産み、ベーリング海峡を通ってアラスカから北米大陸中央部に達し、
 さらに南下して南米大陸で(コロンビアマンモス)に発展した。

 マンモスゾウの種類
 ケナガマンモスコロンビアマンモストロゴンテリーゾウインペリアルマンモスMammuthus africanavusメリジオナリスゾウ
 Palaeoloxodon mnaidriensisPygmy mammothMammuthu creticusMammuthus subplanifronsDwarf Sardinian Mammoth
 230
 231狩猟
狩猟
 233マンモス象の牙
マンモス象の牙
 235
 237住・食・衣・信仰

 衣
         
信仰
信仰

 240黒曜石原石
黒曜石原石
 
 250黒曜石の置物
   一時期日本中で流行しました。老人がハマってよく自慢されたものです。今は、もう捨てられたのでしょうか。世代が変わりましたからね。
 


 300 黒曜石ギャラリー 重要文化財 白滝遺跡群出土品
   Obsidian gallery
 301ギャラリー入口
黒曜石ギャラリー
重要文化財
白滝遺跡群出土品

おびただしい石屑全て遺物として収蔵した何tも
 310ギャラリー内全景

 
 320小型剥片石器群
 321
掻器
(上白滝8遺跡)
錐形石器
(上白滝8遺跡)
削器
 322
錐形石器(奥白滝1)
・剥片(上白滝8)
掻器
奥白滝1遺跡
 323
石核
奥白滝1遺跡
二次加工のある剥片
奥白滝1遺跡
石核
上白滝8遺跡
二次加工のある剥片
上白滝8遺跡
 330小型剥片石器群 結合資料
 331正面
石核
上白滝8遺跡
結合資料
 332結合資料
 333裏正面
ナイフ形石器
上白滝7遺跡
 

 340広郷型尖頭状石器群
広郷型尖頭状石器群 彫器
上白滝7遺跡
 ナイフ形石器
上白滝7遺跡
         ナイフ形石器
上白滝7遺跡 
斧形石器
上白滝8遺跡
 341広郷型細石刃石器群
掻器
上白滝7遺跡
ナイフ形石器
上白滝7遺跡
ナイフ形石器
上白滝8遺跡
削器
上白滝8遺跡
 342広郷型細石刃石器群
 
 350小型舟底形石器群
  舟形石器or船底形石器
   断面が三角形状をなし、調整剥離された2面と主要剥離面の3面からなる。細石刃石核との区別はあいまいで、船底形石器とも呼ばれる。
   北海道から北東北にかけてみられる。引用「ADEC 目録詳細/舟形石器」
  用途:木の掻き取りを想定されたことあり。細石刃を剥離すると忍路子型よりも微細な細石刃が取れる。という。ようは用途不明かと。
   しかし、こんなに沢山の舟形石器が同一遺跡から出土するので、何か有用な用途の石器だったのでしょう。
 351
小型舟底形石器群 小型舟底形石器群
尖頭器
上白滝5遺跡
舟底形石器
上白滝5遺跡
斧形石器
上白滝5遺跡
 353
錐形石器(上白滝5)
石刃核(上白滝5遺跡)
石核(上白滝5)
 354舟底形石器
舟底形石器
上白滝5遺跡
舟底形石器
 355削器
削器
上白滝5遺跡
 356
彫器
上白滝5遺跡
掻器

上白滝5遺跡
 
 360小型舟底形石器群

 370有舌尖頭器群
 371
尖頭器
上白滝2遺跡
有舌尖頭器
上白滝2遺跡
尖頭器
上白滝2遺跡
舟底形石器
上白滝2遺跡
 373
尖頭器
上白滝2遺跡
彫器
上白滝2遺跡
削器
上白滝2遺跡
掻器
上白滝2遺跡
彫器
上白滝2遺跡
削器(上白滝2遺跡)
錐形石器(上白滝2)
 

 380大型尖頭器石器群 上白滝8遺跡

 390細石刃石器群 紅葉山型
細石刃石器群紅葉山型 細石刃石器群
紅葉山型
細石刃
服部台2遺跡
細石刃核
奥白滝1
服部台2遺跡
白滝型細石刃核 展示物なし
  掻器
奥白滝1・
服部台2遺跡 
石刃核
奥白滝1・
服部台2遺跡
 
   
石刃
奥白滝1・
服部台2遺跡 
石刃 石刃 石刃
 410細石刃石器群 紅葉山型
  剥がされた剥片を再度貼り付けたもの。よくこれだけ接合できました。いくつもの剥片を別々に張り合わせるなど、まさに神業!
 

 420細石刃石器群 広郷型
細石刃核
上白滝2遺跡
石刃
上白滝2遺跡
縦長剥片
上白滝2遺跡
細石刃
上白滝2遺跡
彫器・掻器
上白滝2遺跡
削器
上白滝2遺跡
 430細石刃石器群 広郷型
細石刃石器群
広郷型
細石刃石器群
 

 440細石刃石器群 札滑型
札滑型細石刃石器群 細石刃
上白滝2遺跡
接合資料
上白滝2遺跡
両面調整石器
上白滝2遺跡
細石刃核
上白滝2遺跡
彫器
上白滝2遺跡
削片
上白滝2遺跡

 450細石刃石器群札滑型
細石刃石器群
札滑型
 

 460細石刃石器群 峠下型
削器
上白滝8遺跡
細石刃核
上白滝8遺跡
斧形石器
上白滝8遺跡
  錐形石器
(上白滝8遺跡)
舟底形石器
上白滝8遺跡 
舟底形石器
上白滝8遺跡 
舟底形石器
上白滝8遺跡 
 
掻器
上白滝8遺跡
彫器
上白滝8遺跡
 470細石刃石器群 峠下型
 471
細石刃石器
峠下型
 472細石刃石器群峠下型
 
 


 500大型尖頭器石器群

※実用的尖頭器ではなく、精神性の象徴。もしくは、交易用の加工品だったかもしれない。
 今日、農産物、海産物でも規格化がされていることは周知の事実である。
今から1万年も前に石材に対しての規格化が行なわれ、これによって、黒曜石の品質が一目瞭然であり、規格品であるから運びやすい。
という利点があるのかもしれない。

 501
 510大型尖頭器石器群
 511
尖頭器
上白滝8遺
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺
 513
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
 515
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
 


 520両面調整石器


 530両面調整石器
両面調整石器
上白滝8遺跡
両面調整石器
上白滝8遺跡

 540尖頭器
 550
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
尖頭器
上白滝8遺跡
 
 
 


 1F 遠軽町白滝ジオパーク交流センター

 600

 610遺跡と河岸段丘

 大地に残る氷河の記憶『遺跡と河岸段丘』
 白滝盆地の中には、川の流れる作用によってできた階段状の地形「河岸段丘」がいくつもあります。
河岸段丘の平らな面(段丘面)上には、たくさんの遺跡が残され、旧石器人の暮らしの舞台となっていました。(写真01)。

 河岸段丘は多くの場合、低い面よりも高い面の方が古い時代に作られたものです。川が大地を下へと削ってできた地形がなぜ階段状になるかと言うと、川が削られ浸食が進む時期と、進まない時期があるためです。
 これは数万年ごとに寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)を繰り返す気候の変化や地殻変動で大地が上昇、下降することに関係することが知られています。(図02)

 611
遺跡と河岸段丘 写真01
白滝の段丘面と遺跡の立地

図02
河岸段丘の形成過程

➀間氷期 ➀間氷期 (温暖期)
温暖期には極地の氷が溶けて海面が上昇します。 中~上流では少しずつ浸食が進み川床が下がりますが、 下流では海面が高いためゆるやかな地形となり、堆積物がたまります。
②氷期 ②氷期 (寒冷期)
寒冷期は乾燥し、植生は少なくなります。
また、極地に雪氷ができるため海面が下がります。
中~上流の浸食が大きくなり、 川床が大きく低下します。
③後氷期 ③後氷期 (現在)
湿潤なので、 植生が多くなります。
また、 極地の氷が溶けて海面が上昇します。
中~上流の浸食は進みますが、 速度が遅くなります。
図03
段丘面区分図
服部台2奥白滝1上白滝8上白滝2上白滝5、の各々有名な白滝遺跡群の遺跡は、全て同じ「上白滝面」に分布している。

※この段丘面が当時もっとも遺跡として便利だったに違いない。
それぞれが同じ高さにあり、沢筋に侵食されて他の遺跡とつながっていないこと。
遺跡それぞれの独自性が保たれ、他に支配を受けにくいこと。しかも、同じ高さで協調性があること。
※実に矛盾したことを述べている。

 613土層標本

 地層に見る環境とくらしの変化
何万年もの台地の歴史が積み重なった遺跡の地層には、移り行く環境と共に変化する旧石器人のくらしも記録されていました。
 旧白滝3遺跡 土葬断面剥ぎ取り標本(実物) 提供:(財)北海道埋蔵文化財センター

白滝の土層剥ぎ取り
小型舟底形石器群(小型舟底形細石刃核)
  長さ2~5cm舟の底の形の石器を主体とする石器群
大雪お鉢平テフラ (約3万年前)が混じる粘土 古い火山灰層がある山側斜面が滑り落ちて混入した
広郷型細石刃石器群
  大型石刃を素材として細石刃を剥がす石器群
←小型剥片石器群 (約3万年前)
  北海道で最も古いとされる石器群
平行ラミナ(水成堆積層)
  水流のある所で粒子が平行に配列することで形成された層。
  この頃、人々が暮らすすぐそばを水が流れていたようだ。

 620氷河期の森林と気候
白滝では、 約3万年前に「大雪御鉢平カルデラ」 をつくった火山灰が降り積もった後に旧石器人 のくらしが始まりました。
湧別川に沿っていくつ もの遺跡が残され、 黒曜石の開発が行われていました。旧石器人がくらしていた氷河期の自然は どのような姿だったのでしょうか。

旧石器人がくらしていた頃の湧別川の河原の堆積物 (写真01) を調べたところ、現在ではサハリン より北に分布するグイマツ (写真02) や、 高山の草地に生えるコケスギラン (写真03) などの植物の 花粉が見つかりました。 これは極めて寒冷で乾燥 した気候を示す植物で、 この年代を調べた結果、 およそ2万年前であることがわかりました。2万年前は氷期の中でも最も寒い時期で、マンモスゾウも棲んでいたのではないかと想像されています。 また、別の地点では1万5千年前の花粉が見つかり、グイマツとトドマツクルミ属が共存するような森林で、やや暖かくなったことがわかりました(岡ほか、2011)。

氷河期の森林と気候
氷河期の森林と気候
写真01植物花粉が見つかった露頭
最終氷期~現在の自然史年表
写真02
2万年前の地層から見つかった花粉
グイマツ属
写真03コケスギラン花粉
 
 


   見て!触れて日本列島の中の白滝
650白滝の土台をつくるもの「付加体」


 660約9,000万年前
 661
 地球では何があったのか?
  北半球の二大大陸プレートが接近
「ユーラシアプレート」「北米プレート」が近付き、その下に古い海洋プレートが沈み込んでいきました。


 その頃の白滝は?
 プレート間の深海で「付加体」が成長!
白滝の位置は、丁度二大大陸プレートの間にあたります。
この時海溝の陸側の地下では、海溝に溜まった砂や泥、海洋プレートにあった岩石がくっつき、「付加体」となりました。

白滝の土台をつくるもの
・地球では何があったの?
・その頃の白滝
二大プレート間の海溝で
堆積物が付加体となる
付加体:海底に溜まった土砂や生物の死骸

二大陸プレートの接近 付加体の形成
深海4,000m
付加体の成長 付加体の成長

 662付加体の形成

二大大陸プレートの接近
ユーラシアプレートに北米プレートが接近することにより、その間にあった古太平洋プレートが沈下する。
ユーラシアプレートには日高山脈から西半分の北海道がのっている。
北米プレートには日高山脈以東の北海道がのっている。
やがて北米プレートは古太平洋プレートの上に乗り上げてユーラシアプレートと衝突する。

大地の変化と水の働き
大地の変化と水の働き
➀岩石が風化・浸食され、土砂をつくる。(風化・侵食)
②土砂が水の流れによって運搬される。(運搬)
③土砂は海に出て堆積し、地層をつくる。(堆積)
④地層が押し固められて堆積岩になる。(堆積岩)
⑤プレートの力を受けて、地層は褶曲や断層を作りながら隆起し、再び地表に現れる。(隆起)

付加体の成長
 
付加体の成長

大洋底のプレート上に
河川堆積物や
海洋生物の死骸
海底火山噴出物が堆積する

対流する海洋プレートは大陸プレートの下に潜り込む。プレート上面の堆積物は海水と共に引き込まれ圧縮されて堆積岩となる。

海溝では堆積岩は順次形成され、
付加体となる。
やがて隆起して地上に現れる。
 

 663現在 北海道の付加体分布

 白滝の土台は「付加体」でできている
北海道は普通の地層のほか、「付加体」で作られた古い地層が南北に帯状に分布しています。白滝の土台は日高帯と言う付加体でできています。

付加体による地層
渡島帯 礼文
|
樺戸帯
空知
|
エゾ帯
神居古潭帯 空知
|
エゾ帯
イドンナップ帯 日高変成帯 日高帯


白滝
常呂帯


 行ってみよう
 白滝上支湧別(かみしゆうべつ)の付加体露頭 (〇かみしゆうべつ ×かみしゅうべつ)
写真は砂岩と泥岩が何度も繰り返している地層(互層)です。砂岩や泥岩は、一般的に水平な縞模様のように堆積しますが、この露頭では波を打ったように変形した地層として観察できます。このように変形した砂岩・泥岩は、付加体に特徴的な岩石です。

左:地層の小褶曲
右:断層面と条線

※条線-鉱物の結晶面発達している平行な筋。
地層における条線
 664
砂岩・泥岩(変形)
白滝パンケ支湧別林道

チャート
北見市北陽
ルクシニコロ川
砂岩泥岩:河川・波頭の運搬堆積物
チャート:海洋生物放散虫の死骸堆積物
  石灰岩
佐呂間町知来
石灰岩:造礁珊瑚の死骸堆積物
  枕状溶岩(緑色岩化)
白滝パンケ支湧別林道
枕状溶岩:海底火山噴出火山弾が斜面を落下回転によって紡錘形などになる。
 

 見て!ふれて!日本列島の中の白滝
 地球が砕いた白滝の岩石!?「白滝花崗岩」

 670約2000万年前

 地球では何があったの?
  二大大陸プレートがついに衝突!
「ユーラシアプレート」「北米プレート」が衝突。
それは、インド大陸がユーラシア大陸に衝突したからという説もあります。


 その頃の白滝は?
  衝突で花崗岩が砕かれた!
この衝突で、北海道からサハリン北部まで続く断層「白滝構造線」ができました。
この時、白滝をはじめ北海道中央部の地下に眠る「花崗岩」がずれ動き、バラバラに壊されたという説があります。
 671二大プレートの衝突
地球では何があったの?
その頃の白滝は?
インド大陸ユーラシア大陸への衝突
二大大陸プレートの衝突

 インド大陸のユーラシア大陸への衝突
7000万年前に南極付近にあったインド大陸は北上を続け4000万年前にはユーラシア大陸と衝突し、
更に北上を続けてユーラシアプレートを押し続け、チベット高原やヒマラヤ山脈等を形成し、
アジア大陸内部は大きく変形し、北上した。(網目部分)

ユーラシアプレートの中では押されるアジア大陸は北上を続け、ついに2000万年前
押し上げられたアジア大陸は北米プレートに衝突し、二つのプレートの境は長大な断層帯である白滝構造線となった。


 二大大陸プレートの衝突
北海道付近にはユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレートがあり、北米プレートは、北から三角形に挟まれている。
ユーラシアプレートと北米プレートの間には、沈み込む古陸があったが、アジア大陸の北上と、太平洋プレートによる西方向への圧縮により、ユーラシアプレートと北米プレートが衝突した。

この東西圧縮により、日高山脈の形成など北海道に大きな変化が起きた。

 672白滝構造線と白滝花崗岩

白滝構造線と白滝花崗岩
インド大陸のユーラシアプレートへの衝突によってシナ陸塊が北上し白滝構造線が割れ進んだ。

インド大陸は現在も北上を続け、白滝構造線は更に割れ進む状態にある。ここを中心に地震や陥没が起き始め、遠い将来、やがては海水の侵入などが始まるだろう。

 深成岩と変成岩が地表に現れるまで
泥岩
玄武岩
塩基性ホルンフェルス
泥質ホルンフェルス
石灰岩
結晶質石灰岩(大理石)及びスカルン
深成岩(花崗岩)

マグマが貫入し、周囲の地層に接触し変成を与える。

台地が侵食して削られ、深成岩が地表に現れる。

 673現在

 今も残る「白滝花崗岩」が砕かれた証拠
写真は現在の「白滝花崗岩」の大露頭です。
顕微鏡で他地域の花崗岩と比較すると「白滝花崗岩」は鉱物が壊れて、一部は細かい破片の集まりになっています。

今も残る白滝花崗岩が砕かれた証拠
行ってみよう
白滝花崗岩の露頭
偏光顕微鏡で見た 白滝花崗岩
石英・斜長石
破砕部
一般の花崗岩
普通角閃石
 674
 

 見て!ふれて!日本列島の中の白滝
 すれ違う北の大地[断層]

 680約1,200万年前

 地球では何があったの?
 千島列島が中央北海道に衝突!
「太平洋プレート」が「北米プレート」に斜めに沈み込むことで、
千島弧が引きずられて西へと移動し、遂には中央北海道へ衝突しました。

 そのころの白滝は?
 衝突で日高山脈や「断層」ができた!
衝突により、北海道の地下深くがめくり上げられ、日高山脈ができました。
さらに「上支湧別構造体」という大きな断層ができました。
 681
すれ違う北の大地
(断層)
すれ違う北の大地
(断層)

上に記述

 683断層のでき方 (大地にかかる、引っ張りの力や圧縮の力で、地層がずれを伴う割れ目を生じること)
1200万年前
太平洋プレートと断層 断層のでき方
断層のでき方
断層はずれを伴う割れ目のことです。
ずれが発生する時の力のかかり方によって、ある決まった方向に断層ができます。

 北半球の3つのプレートの分布と北海道の位置(日本地質学会2010)
北半球の3つのプレート
断層のでき方
北半球の3つのプレート
北海道の位置

北半球の3つのプレートの分布と北海道の位置
北海道には北米プレートとユーラシアプレート、太平洋プレートの圧縮力がかかっている。
 三笠ジオパーク「4.現在の地球を北海道」
 集まれ!北海道の学芸員「日高山脈のジオの魅力を伝えたい」 日高山脈の位置と北半球

※現在も北上を続けるインド亜大陸によってユーラシアプレートは押され、北米プレートとの間で白滝構造線から割れ進んだ長大な断層帯を形成し遂に大西洋中央海嶺と繋がった、地球規模の割れ目となった。

 684  地球では何が起こったの?
  千島列島が北海道に衝突!
「太平洋プレート」が「北米プレート」に斜めに沈み込むことで、千島弧が引きずられて西へと移動し、ついには中央北海道へ衝突しました。

千島列島が中央北海道に衝突!
上支湧別構造帯の成り立ち
2000万年前、太平洋プレートの沈み込みによって、
日本列島弧と北海道が大陸から引き裂かれている時に、
北海道東部では同じプレート運動により、オホーツク海が引き裂かれて南に拡大し水深3000mの海盆となり(琉球海盆の形成と同じである)、引き裂かれた陸地は海盆のフチとなり、日本列島弧と同じように
南下した地塊は太平洋プレートに押し付けられて千島前弧(千島弧外弧)となり、西進して潜り込む太平洋プレートに引きずられて北海道に衝突し、
知床半島、国後島、択捉島などの千島列島となった。

現在、同様に琉球海盆が南に引き裂かれ、琉球列島が激しい速度で南下している。

 685 その頃の白滝では?
 衝突で日高山脈や「断層」ができた!
衝突により、北海道の地下深くの地層がめくり上げられ(押し上げられ)、日高山脈ができました。
北海道の上に千島前弧が乗り上げ、地下深くの岩石が持ち上げられ、アポイ岳のような深成岩カンラン岩の山ができた。
さらに、「上支湧別構造帯」という大きな活断層ができました。

衝突で日高山脈や断層ができた
日高山脈が上昇
東西圧力

太平洋プレートの西進により、北米プレートが西進。東西圧力が発生して日高山脈が上昇した。
日高山脈の構造

日高山脈を東西にケーキのように切って南から見たイメージ。

 ※考察 見方を変えてみてみると
  上の見解はユーラシアプレートが止まっていると仮定した動きです。大変複雑になります。しかし、逆に考えると、
各プレートの動き
名称 移動方向 移動速度 cm/年
  太平洋プレート 西北西 10
北アメリカプレート 西 1.0
ユーラシアプレート 0.3
  インドプレート 北  5

➀ユーラシアプレートと北米プレートの下に太平洋プレートが沈み込んでいます。
沈み込みによって北米プレートの一部が引きちぎられて千島弧となり、オホーツク海が広がり、オホーツク海盆が形成されます。

②インド亜大陸の押し上げによってユーラシアプレートは北に移動し、西に進む北米プレートに押し付けられます。
この圧縮によってユーラシアプレートと北米プレートの間にあった付加体が乗り上げ日高山脈となる。
続いて、ちぎれた千島弧にも押し付けられ、道東付近に集中した圧力によって火山活動が活発となる。


 686現在

 プレート活動が北海道をつくり上げた
プレートの移動や衝突が北海道の大地をつくり、南北に延びる地形が成長しました。現在も活動を続ける火山はそれらを横切るようにできています。
地層・岩石は南北に帯状となっている。が、火山帯はプレートの進方向に沿って、東西方向に火山フロントが延びている。て

プレート活動が北海道をつくった プレート活動が北海道をつくった
南北方向の付加体地質と
東西方向の火山フロント
地下深発地震域等高線
←の地図中の距離は太平洋プレートの沈み込み位置からの水平距離を表しているのか、 地下の地震の震源深度を示しているのかわからない。ただ、深発地震帯の深度は地下100km以上となっており、60km~300kmをやや深発地震。300km以上を深発地震と定義する。引用
←地図の100km地点から300km地点をはかってみると水平距離340kmあるので、左地図中の数字は震源域の深さの等高線です。
本州では震源深さは表層で10km、深部で60kmほどですから300kmて本当に深部地震です。

 行ってみよう
 上支湧別の礫岩と南北系断層
大地に残る「断層」を観察しよう。
約1500万年前の断層運動によって、白滝には浅い海ができました。
上支湧別では、その時に堆積した「礫岩」を観察できます。

上支湧別の礫岩と
南北系断層
断層によってできた盆地

盆地?窪地かも
礫岩 北海道の断層  上支湧別の地図
 687
 

 690地球史カレンダー
 地球が誕生した46億年前を元旦として、現代を大みそかとすると…?
地球の活動と白滝の出来事
7つの時代で巡ってみよう
 691地球史カレンダー
地球の活動と白滝の出来事を 7つの時代で巡ってみよう
 ➀恐竜の時代
ジュラ期末~白亜紀初め頃
②沈み込みの時代
白亜紀耕起~古第三紀
③日本海の時代
漸新世~中新世前期
④日高山脈の時代
中新世中期~中新世後期
⑤黒曜石の時代
鮮新世~更新世中期
⑥マンモスの時代
更新世後期
⑦ヒトの時代
更新世後期~完新世

 693地球の活動
 地球が誕生した46億年前を元旦として、現代を大みそかとすると…?


46億年前を元旦とし現代を大晦日とすると
1/1冥王代の開始
46億~40億年前
2/17大古代の開始
40億~25億年前

ストロマトライト

多細胞生物
6/16原生代の開始
25億~5.4億年前

バージェス動物群
11/18顕生代の開始
5.4億~現代

恐竜・始祖鳥
11/15古生代
 5.4億~2.5億年前
12/15中生代②③
 2.5億~6600万年前
12/26新生代④⑤
 6500万~現代
12/31現代⑥⑦
 695白滝の出来事
➀恐竜の時代
ジュラ紀-白亜紀初め
2.3億~6600万年前
爬虫類の時代で、恐竜が繁栄していました。深海ではふつうよりも厚い地殻の海台ができ、海洋プレートの運動で日本列島の場所までやってきて北海道の一部となりました。
②沈み込みの時代
白亜紀後期-古第三紀
6600万~2300万年前
恐竜の時代から哺乳類の時代へ。北海道の近くでは、古太平洋プレートが東西2つの大陸プレートの下へと沈みこみやがて消滅してしまいました。
③日本海の時代
斬新世-中新世前期
2300万~500万年前
日本列島の西側で大地が裂けて大きな落ち込みができ、そこへ海水が入り込んで日本列島ができました。白滝館では、北米プレートとユーラシアプレートの衝突で、白滝構造線ができました。
④日高山脈の時代
中新世中期-中新世後期
~500万年前
西へと移動してきた千島列島が北海道にぶつかり、地殻がめくれて日高山脈ができました。山脈の上昇によってマントルを作る岩石などが地表に現れ、白滝では上支湧別構造帯と言う断層もできました。
⑤黒曜石の時代
鮮新世-更新世中期
500万~250万年前
白滝で火山活動が起こり、幌加湧別カルデラが誕生。その後、溶岩が噴出し、その表面に黒曜石ができました。この頃から、地球は寒い時期と暖かい時期を繰り返すようになりました。
⑥マンモスの時代
更新世後期
4.5万~2万年前
約7万年前に最後の氷期が始まり、約4万年前にはマンモスやオオツノジカ、バイソンなどの大型動物やナキウサギが大陸とつながっていた北海道にやってきました。
⑦ヒトの時代
更新世後期-完新世
2.5万年前
約2万5千年前には白滝に人が暮らし始め、黒曜石を使ってたくさんの石器が作られました。約12,000年前には最後の氷期が終わって暖かくなり定住生活が始まりました。
 


 700『神秘の黒曜石』1F展示室

 701白滝の黒曜石
白滝の黒曜石
日本の黒曜石

 黒曜石が生まれる場所

 702日本の黒曜石
日本列島は、島が弓のように並ぶ「島弧」です。島弧の地下には海洋プレートがあり、それが大陸プレートの下に沈み込んでいくことでマグマが作られ、火山活動が起こります。日本には多くの火山がありますが、そのうち流紋岩マグマが噴出した場所に黒曜石が作られます


 703日本の黒曜石産地  引用「明治大学黒曜石研究センター」
白滝・置戸・十勝・赤井川
深浦・男鹿 八ヶ岳・霧ヶ峰
高原山
箱根・天城・神津島
隠岐島・腰岳・姫島
 704
 705

 710黒曜石が生まれる場所
   北海道の黒曜石


 711北海道の黒曜石原産地の特徴
北海道の黒曜石原産地は道東部に集中しています。これらは「紋別-上士幌地溝帯」と呼ばれる一帯(いったい)の中にあります。
1150万年前東西方向から引っ張られる力によって、この地溝帯はつくられ、南北に細長い落ち込んだ地形ができました。
この断層の割れ目に沿ってマグマが上昇し、粘り気の多い流紋岩マグマもそのまま引っ張られるように吹き出したと考えられています。

・北海道の黒曜石
・遠軽の火山活動
・白滝黒曜石誕生
北海道の黒曜石原産地の特徴
紋別-上士幌地溝帯
➡713
「遠軽町の火山活動」へ
黒曜石原産地
地溝帯
遠軽
白滝
生田原
瑠辺蘂
置戸
十勝三股
十勝然別

名寄
旭川
滝川
赤井川
豊浦
奥尻

 北海道の黒曜石1
北海道の黒曜石 余市町赤井川
上士幌町居辺
置戸町置戸山 奥尻島勝澗山 豊浦町豊泉 上士幌町三股13の沢
 

 713遠軽町の火山活動
600万年前から200万年前にかけて地溝帯の火山活動は東西に広がっていき、また全体に、紋別より南の地域で起こるようになりました。この時期遠軽周辺では、地下のマグマだまりから大量のマグマを吹き出すような大規模な噴火が起きたくさんのカルデラが作られました。

遠軽町の火山活動 遠軽町の遺跡 ➡715
「白滝黒曜石の誕生」へ

白滝黒曜石産地
社名淵
生田原(いくたはら) ニタップ
丸瀬布瑠辺蘂
北海道中央部のブーゲー重力異常マップ  遠軽カルデラ
 
幌加湧別カルデラ
白滝カルデラ
遠軽のカルデラ
 
     

 北海道の黒曜石2
丸瀬布ケショマップ川
遠軽社名淵
丸瀬布ケショマップ川
生田原ニタップ川
 

 715白滝黒曜石の誕生
300万年前以降のある時期に、今の白滝市街地の北側で巨大噴火が起こりました。大量の火砕流が一気に噴き出したため、
火口は陥没して直径約5kmの「幌加湧別カルデラ」ができました。その後220万年前に、このカルデラ内の10カ所もの場所から
流紋岩マグマが溶岩として噴出しました。このマグマは、大きな結晶を含まず、低温(80℃以下)であったため、溶岩の外側が
急速に冷えてガラスになり黒曜石ができました。溶岩の内側はガスがゆっくり抜け出たために流紋岩の岩石になりました。

※幌加湧別カルデラの内側に噴き出した流紋岩マグマが、白滝黒曜石の誕生となった。

白滝黒曜石の誕生 白滝黒曜石の誕生
幌加湧別カルデラ
10箇所の噴出孔
5万/1地質図 白滝
 717
丸瀬布ケショマップ産黒曜石
紋別―上士幌地溝帯の中にあり、黒曜石産出の可能性のある地域である。
留辺蕊町ケショマップ川北側に遠軽町丸瀬布地域がある。
 

 720黒い輝きの正体


 721色の秘密

黒い輝きの正体
黒い秘密・赤い秘密
黒い黒曜石、赤い黒曜石はどこが違うの?その謎を顕微鏡で探ってみましょう。

黒い秘密は「磁鉄鉱
ほとんどガラスからできている黒曜石が黒く見えるのはなぜでしょうか。黒曜石の約77%は二酸化ケイ素(ガラスの主種原料)からできていますが、残りの約23%にはアルミニウムや鉄などの元素が含まれています。この黒曜石を顕微鏡で観察すると、極小サイズの鉱物が見られます。特に鉄を含んだ磁鉄鉱と呼ばれる鉱物は無数に含まれていて、これが光を通さないので、黒曜石全体も黒く見えるようです。

赤い秘密は赤鉄鉱
まだ熱い溶岩が地表を流れ動くとき、すでに固まった塊からバラバラと壊れていくことがあります。この時溶岩に含まれる鉄分が空気(酸素)と反応して「赤鉄鉱」と言う鉱物ができていきます。赤や茶色の黒曜石を観察すると、いち早く固まりバラバラとなった黒い塊の間を埋めて、網目のように赤や茶色の黒曜石ができています。この部分を特殊な顕微鏡で観察すると「赤鉄鉱」ができていることがわかりました。
 花十勝(石) (十勝花子さんていう歌手がいましたが、)

※本州以南では黒い黒曜石しか見たことがなく、北海道にきて初めて赤や茶色の石を見ました。これが十勝の黒曜石だと初めて知りました。
 長野県長和町たかやま黒曜石体験ミュージアムでお土産に買った黒曜石は白滝産の黒い黒曜石でした。北海道各地で黒や赤や取り混ぜて
 出土しています。 

黒い秘密・赤い秘密 白滝黒曜石の化学組成
赤・黒黒曜石の形成
赤:酸化鉄
黒:磁鉄鉱
花十勝石
磁鉄鉱黒曜石
赤鉄鉱黒曜石 Si Ti Al Fe Mn
Mg Ca Na K Cl
シリカ・チタン・アルミ・鉄・マンガン
マグネシウム・カルシウム・ナトリウム・カリウム・塩素

 723光沢と梨肌

黒い輝きの正体
光沢タイプと梨肌タイプ
白滝の黒曜石には2種類のタイプがあります。その違いを見て触れてみましょう。

光沢タイプ
真っ黒でピカピカ。手触りも艶やか。白滝赤石山マグマ十勝石沢マグマから産出。

梨肌タイプ
ざらざらした手触り。果物の梨の外皮よう。十勝石沢マグマから産出。

その違いは、黒曜石の中に1%ほど含まれる鉱物にあります。
 梨肌タイプには光沢タイプにはない。「斜長石」の斑晶(径が200㎛より大きい)やマイクロライト(20-200㎛)が含まれています。ほとんど鉱物を含まない天然ガラスの黒曜石にとって、この斜長石マイクロライトは大きな存在で、色や手触りに影響を与えているようです。
また、黒曜石溶岩の噴出した時期や場所ごとにマグマの成分が異なっていたようで、白滝では赤石山マグマと十勝石沢マグマに大きくグループ分けされています。

1マイクロメートルは0.001ミリメートル ※径が10㎛より小さい斜長石マイクロライトはどの黒曜石にも含まれています。

光沢タイプト梨肌タイプ

 赤石山マグマ
赤石マグマ 赤石山マグマの噴出地点 主成分組織表
赤石山系黒曜石は酸化鉄と酸化カルシウムが多め。
十勝石沢系はどちらも少なめ。

 FeO=酸化鉄 CaO=酸化カルシウム Sio2=二酸化ケイ素
 十勝沢マグマ
十勝石沢マグマ 十勝石沢マグマの噴出地点
成分表
Rb/Zr(ルビジウム-ジルコニウム)系 十勝石沢に多い
Sr/Zr(ストロンチウム-ジルコニウム)系赤石山系に多く十勝石沢少ない

Ba/Zr(バリウム-ジルコニウム)系 赤石山多い。十勝石沢少ない
La/Ce(ランタン-セリウム)系 どちらも同程度含まれている。

 顕微鏡写真
低倍率
高倍率

 725加熱実験

黒い輝きの正体
発砲する黒曜石
黒曜石を加熱すると、たちまちお餅みたいに膨らみます。その謎を実験で確かめましょう。

黒曜石の輝きは水のおかげ!?
マグマの中には水を主体とするガス成分がとけ込んでいて、これが水蒸気として発砲することで爆発的な噴火が起こります。軽石に観察される穴ぼこは、噴火の時にマグマの中の水が発砲してできたものです。このように、地表に出てきた溶岩や軽石には普通水は残っていませんが、黒曜石はどうやら違っていたようです。

黒曜石を800℃以上に加熱すると、全体がお餅やパンのように膨らんでいきます。この現象は黒曜石に含まれていた水が気体となって発泡するためです。黒曜石となった溶岩は、その中に水を閉じ込めてしまったようです。

※北海道の黒曜石は
発泡温度の低いグループ(800℃~1000℃、赤井川や奥尻産)と
発泡温度の高いグループ(1050℃~1200℃)白滝・置戸・十勝産)に分かれます。これらは黒曜石中の水分量の違いを反映してるかもしれません。

発泡する黒曜石 黒曜石の輝きは水のおかげ!? 梨肌タイプの発泡前
発泡後
軽石表面拡大

 726黒曜石の発泡実験

800℃以上の温度を保つ

800℃を越えると黒曜石を入れる

15分程加熱する。
※黒曜石以外の火山岩や軽石を入れておくと比較しやすい。

盛行すると黒曜石は倍以上に膨らむ。
 黒曜石だらけの白滝だけでできる実験ですね。

 728光沢タイプと梨肌タイプ
左:光沢タイプ
右:梨肌タイプ

 729発泡実験
 ※竹島? 鹿児島県鹿児島郡三島村竹島に黒曜石が出るそうです。
 
竹島の黒曜石
発泡実験後
竹島の黒曜石
実験前
白滝の黒曜石
発泡実験後
発泡実験前
 
 


 730過去へ


 734 220万年前へタイムスリップ
球顆(きゅうか):一般に数㎝以下の球状になった物体。

このイラストは、黒曜石が誕生した当時の白滝をイメージしています。今でも黒曜石溶岩の露頭をジオサイトとして見ることができます。
 735

 736






 737
A.赤石山山頂
(赤石山マグマ・光沢タイプ)

赤石山山頂を覆う溶岩。山頂に立てば足元一面の黒曜石!黒以外に赤や茶色の黒曜石もできている。
B.8号沢露頭
(赤石山マグマ光沢タイプ)

山頂の直感にある赤石山上部溶岩。八号沢露頭はその溶岩の最先端分。高さ15mの大露頭を間近で見よう!
C.球かの沢露頭
(赤石山マグマ、光沢タイプ)

8号沢露頭と同じ赤石山上部溶岩。この露頭は溶岩の真ん中部分。
北海道の天然記念物に指定された球かの密集部も観察できる。
D.あじさいの滝露頭
(十勝石沢マグマ・光沢タイプ)

赤石山の東側にある幌加湧別溶岩。ここも溶岩の最先端分にあたる。流紋岩と黒曜石の間の割れ目からは、滝が吹き出している。
E.十勝石沢露頭
(十勝石沢マグマ・梨肌タイプ)

赤石山よりもやや古い十勝石沢溶岩。黒曜石層の厚さは約7m。その上には流紋岩の柱状節理がが発達している。
F. IK露頭
(十勝石沢マグマ・光沢タイプ)

あじさいの滝と同じ幌加湧別溶岩。
溶岩の内部がまるわかりの大露頭。最も山奥で一番見学が難しい場所。
 738白滝の黒曜石
A.赤石山山頂
赤石山マグマ
光沢タイプ
B.八号沢露頭
赤石山マグマ
光沢タイプ
赤石山山頂西アトリエ
赤石山マグマ
光沢タイプ
C.球かの沢露頭
赤石山マグマ
球かの集合体
D.あじさいの滝露頭
十勝石沢マグマ
光沢タイプ
野宿の沢・蜂の巣沢
マグマ不明
 

 740黒曜石露頭の秘密

 黒曜石溶岩の断面模式図
流紋岩層
溶岩の内部にあたる石質の流紋岩層。
最も厚いところで、約90mの層を作り、柱状節理が発達する。
外皮に比べゆっくりと冷え固まった。
緻密な黒曜石層
白滝では溶岩の外皮(玉ねぎの皮のよう)にできている。
上下に発達し、下側が厚く層をなしている(平均6~7m)。
上側はすでに失われ(球顆の沢でかろうじて残っている)、
ほとんどの露頭では下側にできた層を見ている。
最先端表層破砕部
急な冷却によりバラバラに壊れてしまった溶岩の表層部分。
長い時間が経ち、現在は大部分が雨風で削られて失われて
しまった。
あじさいの滝露頭で一部観察することができる。
縞状発泡黒曜石層
溶岩の外壁がガラス(緻密な黒曜石)として固まったあと、
ガスの発砲が起こったことでできた。
発砲した黒曜石(パーライト)と緻密な黒曜石が縞状に層を
作っている。

黒曜石露頭の秘密
黒曜石溶岩の断面模式図
流紋岩層
緻密な黒曜石層
縞状発泡黒曜石層
最先端表層破砕部

 743幌加湧別カルデラの形成
➀300万年前? 地下のマグマだまりからガスを充満したデイサイトもしくは流紋岩マグマが大量に噴出。
巨大噴火が起こり、周囲には高温の火砕流が噴出した。
②300万年前~ 噴出源の地表が陥没し、直径約5kmの幌加湧別カルデラが誕生。
カルデラの窪地には空中に吹き上げられた火山灰が堆積。その後、雨水が溜まり湖となった。
③~220万年前 火山活動は続き、カルデラ湖内でマグマ水蒸気爆発による噴火が何度も起こった。
噴出物は水中で静かにゆっくりと沈み、厚い堆積層となり、やがて湖の水が低くなって完全に水がなくなった。
 ④220万年前
火山活動はすべて陸地での溶岩噴火に移行。カルデラ内やカルデラ壁で10個の流紋岩溶岩が噴出し、溶岩の外側に黒曜石層を作った。黒曜石層を作った溶岩の噴出はこの一時期であり、1つの場所で1回だけ噴火する単成火山群だった。
幌加湧別カルデラ
ジオラマ
十分に撮影していませんでした。10ヶ所の黒曜石産地があったでしょう。  
 

 750火山が生み出すもの

世界の火山と黒曜石
火山が生み出すもの
黒曜石は「火山岩」の一種です。火山の噴火によってその仲間ができるまでを見てみましょう。

 751
 ①爆発的噴火
火山の噴火は、地球の中の様々なものを運んできます。また噴火は大きく爆発的噴火と溶岩噴火に分けられます。
爆発的噴火はマグマが地表に向かって上昇する時、圧力が下がるとマグマに含まれるガス成分が発砲によって一気に増え、液体のマグマを壊して激しく吹き出します。このような爆発的な噴火を起こすとマグマは粉々に砕かれ吹き飛ばされます。

火山灰
火山灰は1番小さく砕かれたマグマで、噴煙として火口から立ち上がり、軽いため、風で遠くまで運ばれます。火山灰が地球を一周することもあります。
軽石
火山ガスの抜けたあとがたくさん見られ、軽く水に浮きます。ガラスからできていますが、石英や長石など既にできていた鉱物が含まれることもあります。


 752
 ②溶岩噴火
マグマが地表に向かって上昇する時、うまくガス成分が抜けると液体のマグマのまま地表に流れ出ることがあります。これを溶岩といいます。またマグマの性質は主成分のシリカ(二酸化ケイ素(SIO2))の量とマグマの温度によって決まります。

②溶岩噴火

地球の骨格
ケイ酸塩鉱物
シリカ含有量と岩石  ●地球の骨格―ケイ酸塩鉱物―
 シリカについて
岩石や砂・粘土・土壌などこれらはほとんどケイ素(Si)と酸素(O)がくっついたケイ酸塩鉱物でできています。酸素とケイ素の結びつきはとても強く、ほとんどの鉱物の骨角となり、地球上を広く覆っています。また、このケイ酸鉱物はガラスのもとでもあります。
 753
玄武岩
シリカ含有量と岩石の色

少ない=黒い
粘度低い

少≪52%
伊豆大島
玄武岩
玄武岩
高温のマグマからできる黒っぽい岩石です。
粘り気が低くサラサラしているので溶岩が地表を流れます。
安山岩
 

52%~63%
 浅間山鬼押し出し溶岩
安山岩
  安山岩
日本でよく見られる灰色っぽい色をした岩石です。安山岩マグマの多くは玄武岩マグマと流紋岩マグマが混ざってできています。
流紋岩

63%≪以上
 多い=白い
粘度高い
昭和新山
流紋岩
流紋岩
粘り気が強く火口から遠くまでは流れません。火口の上におまんじゅうのような形に固まることがあり、これを溶岩ドームといいます。

 ●急冷でガラス化!?
急冷でガラス化
 
非晶質ガラス
結晶質鉱物の
形成過程
 
溶融マグマ
 バラバラな原子の並び

急冷すると
 非晶質=ガラス
 バラバラな原子の並び
ゆっくり冷却
 結晶化=鉱物
 規則的な原子の並び
急冷でガラス化!?
黒曜石はほとんど結晶を含まないガラス質からなる岩石です。このような岩石が生まれるためには、マグマの温度低下や発砲が起こっても結晶ができないうちに、素早くガラスとして、冷え固まることが1番の条件となります。
 759
カンラン石玄武岩
紋別市紋別山
輝石安山岩
白滝二ノ沢
流紋岩
生田原
火山灰
白滝東白滝牧場
軽石
白滝東白滝牧場
 


 760世界の黒曜石産地
 761世界の黒曜石産地
この世界地図に記された場所は、白滝と同じ黒曜石の産地です。
これらの産地の多くは、プレートの沈み込み帯断層によって地面が引っ張られるようにして落ち込んだ地溝帯で、地球の内部でマグマが生まれる場所。黒曜石は火山活動の場と深い関わりがあるのです。

日本の黒曜石産地 地図と日本の地溝帯(関東九州北海道しか載ってない)や、各地の引っ張り断層との間に関係があったとは。
そのような地溝帯構造のところには流紋岩質マグマが吹き出し、急冷によって非晶質の火山ガラスである黒曜石が生まれる。のか!

世界の黒曜石産地 ユーラシアプレートとアフリカ大陸の衝突地帯
ユーラシアプレートと太平洋プレートの衝突地域
北米ブレートに太平洋プレートが衝突

アフリカ大地溝帯
インドネシアに黒曜石火山
オーストラリアとの衝突地

中米・南米のプレートの活発な地域
世界の黒曜石産地 プレートとホットスポット
 763
 765
 

 770世界の火山と黒曜石

 771マグマの変身
    マグマが冷え固まった岩石には、「深成岩」と「火山岩」があります。
       深成岩:マグマが地下深部でゆっくり冷え固まったもの。(結晶が大きい) (花こう岩せん緑岩斑れい岩)
       火山岩:マグマが火口近くで急激に固まったもの。(結晶がないか小さい) (流紋岩(白色),安山岩(灰色),玄武岩(黒色))

マグマだまりでは、温度が下がり始めると鉱物(結晶)ができ始めます。長い時間をかけ、地下深くでゆっくりと冷え固まったマグマは、鉱物が大きく成長し深成岩となります。
一方、成長の途中でマグマが地表に吹き出すと、急速に冷やされて結晶が大きく成長できず、ガラスとすでにできていた鉱物が混じった火山岩となります。
 火山岩の中でほとんどガラスからできているのが黒曜石です。

マグマの変身
マグマの変身
マグマの変身

 772いろいろなマグマができる仕組み
 火成岩 火成岩とは
火山岩:地表や地表に近いところでマグマが急に冷えて固まった岩石。
 温度が高い順(1200℃≫)に、玄武岩、安山岩、デイサイト、流紋岩、(≫800℃前後)
深成岩:地下深くでマグマがゆっくりと冷え固まった岩石。
 温度が高い順(1200℃≫)に、斑糲(はんれい)岩、閃緑岩、デイサイト、花崗岩、流紋岩、(≫800℃前後)

マグマ溜では:
 ・温度が高い順(1200℃≫)に、玄武岩質マグマ、安山岩質マグマ、デイサイトマグマ、流紋岩質マグマ、(≫800℃前後)
 ・図の説明(有色鉱物):六角形=橄欖石、黒棒=輝石、菱形=角閃石、黒六角=黒雲母、
 ・温度によって析出する鉱物が異なる。
 ・温度によってマグマ含有物がが異なり、名称が変化する。800℃以下のマグマが地表に噴出。

結晶ができる温度範囲
 有色鉱物:橄欖石、輝石、角閃石(輝石・橄欖石は温度帯が共通で混合する)、黒雲母
 無色鉱物:斜長石(全温度範囲で析出する。Caに富む)、中温度から、カリ長石が析出を初め、続いて石英が析出し、混合する。 


 775火山の仕組み
地殻下部
溶けた地殻下部が玄武岩マグマの上に乗る
マントル内部
マントル(カンラン岩)が
溶けてできたマグマ(玄武岩マグマ)

アポイ岳ジオパーク(橄欖岩露頭)
地殻内部
火道(地殻の割れ目のマグマ通り道)
マグマ溜まり
深成岩(地殻内部でゆっくり冷え固まった)
 
火山体(マグマの噴出によって形成された山)
火口(押し上げられたマグマが減圧によって発泡しマグマ成分を噴出する)
火山岩(火山性岩石:含溶岩)
岩脈(噴出せずに固まった安山岩マグマ)

 776深成岩
花崗閃緑岩
閃緑岩は安山岩と同じマグマからできる岩石ですが、これは流紋岩と同じマグマの花崗岩の仲間になる深成岩です。
花崗岩よりカリ長石が少なく、黒雲母やふつう角閃石が多いことが特徴です。

はんれい岩
玄武岩と同じマグマからできた岩石ですが、地下深くでゆっくりと冷えたため、大きな鉱物が集まってできています。
斜長石・輝石などの鉱物を見ることができます。

かんらん岩
マントルのの最上部にあり、玄武岩マグマのもとになる岩石です。かんらん石、輝石などの鉄(Fe)やマグネシウム(Mg)を含む鉱物からできています。地下深くでできた岩石なので、地表でこのカンラン岩を見られる場所は少なく貴重です。
※アポイ岳のカンラン岩は日高山脈のずっと東方で形成されたものが、北海道の西半分に乗り上げたため、地下深部のカンラン岩脈が露頭となって表れたものです。南九州開聞岳のカンラン岩は、噴火によって地下深くから吹き飛ばされてきたものです。

地球の中はこんなにも美しい。
ペリドットと呼ばれる8月の誕生石は大きく美しく結晶したかんらん石のことです。この鉱物を含むカンラン岩は、マントルの上部を作っていますので、地球の中は美しい世界が広がっているかもしれません。
深成岩
深成岩
地球の中はこんなにも美しい
地球の中はこんなにも美しい
 777
 

 780マグマが生まれる場所
世界の火山と黒曜石
マグマが生まれる場所
北海道の地下では、大陸プレートに海洋プレートが沈みこんでいます。海洋プレートが地球の中に沈み込むとマントルに水がもたらされてマグマが生まれます。まわりの岩石よりも軽いマグマは上昇を始めますが、すぐには噴火せず、地下数㎞のところに集まってマグマだまりをつくります。現在でも北海道の地下では次々とマグマが生まれ、火山の噴火が起こっています。

マグマが生まれる場所
沈み込み帯のマグマ活動
十勝岳
雌阿寒岳噴火2006年
旭岳
 781マグマの発生
地下100km前後で海水によって岩石溶解温度が下がり、マグマが発生・上昇し、第1段の火山フロントを形成する。
②地下180km前後で高温高圧によってマグマが発生し、第2段の火山フロントが発生する。



海底堆積物
数mm~数十km
海洋地殻厚み
 5~7km

海洋プレート厚み
平均70km


マグマの発生
数十km~150km

 


 800白滝の大地

 810大地の形成

 810白滝の大地のなりたち
白滝の大地の成り立ち

➀1億年前:白滝は幻のプレートの上にあった!?
②1500万年前:衝突・合体が作り上げた大地
③600~200万年前:黒曜石の時代がやって来た
④現在の白滝:氷河期の知己夕を生きる

 811 一億年前 白滝ジオパーク
 ➀白滝は幻のプレート上にあった
 1億年前、北海道の西側は「ユーラシアプレート」、東側は「北米プレート」の上にあり、2つに分かれていました。その間には「古太平洋プレート」がありましたが、左右のプレートが近づくことでその下に沈み込んでいきました。白滝の大地は、今や地球の奥深くに沈み込んでしまった幻のプレート上に溜まった砂や泥からできています。

白滝は幻のプレートの上にあった!?
地下構造と背後の地図が対応している
遠軽町は消滅する古太平洋プレート上・海溝の位置にある

ユーラシアプレートの東進で海洋性地殻・上部マントル層が押し上げられ、神居古潭帯となって南北350kmの細長い変成帯を形成している。

古太平洋プレートに乗っていたオホーツク古陸
北米プレートの西進により、古太平洋プレートごと地殻の下に押し下げられている。
古太平洋プレートクラプレート

 地球の中身を覗いてみよう
地球の中身はいくつもの層からなっています。中心は6000℃以上ととても高温になっていますが、私たちの住む表面は適度に冷えています。
この表面は地球の殻にあたるので「地殻」と呼ばれ岩石でできています。その下には「マントル」と「核」があり、それぞれがさら分かれていると考えられています。「マントル」はかたい岩石からなるのですが、何千万年もかけてまるで水飴のようにゆっくりと動くことができます。この動きによってより硬い上部のマントルと地殻が合わさり「プレート」が動いていくのです。
地球の中身を覗いてみよう
地球の内部構造
 地球の内部構造(図不鮮明につき)
地球内部構造については
地殻・マントル・プレートの構造
を参照のこと
コピーライトがかかっていますので
 
引用「北海道はこうして生まれた」
2億年前には、今の北海道のあたりは一面の海でした。
約1億4000万年前、東の北米プレートと西のユーラシアプレートが近づきはじめ、それぞれのプレートの上に島が生まれました。
これを「オホーツク古陸」と「西方古陸」と呼んでいます。
約4000万年前、この二つの島はどんどん近づき衝突してひとつの島になりました。

約1300万年前、この二つの大陸プレートの衝突は活発な火山活動を生み、さらに南からせまる太平洋プレートと北米プレートの境界で生まれた千島弧が東から衝突しました。このような地殻活動によって島の中央部は隆起し、プレートがめくれ上がるかたちで北海道の背骨である日高山脈が生まれます。
またその反動で西側の地殻が押し下げられて、石狩平野が生まれました。

約1000万年前には、北海道の原形が誕生したというのが、北海道誕生の説のひとつです。
約250万年前、氷河期と呼ばれる第四紀更新世に入ると、気候の変動によって海岸線は大きく変化しますが、次第に激しい地殻変動はおさまり、少なくとも
約21万年前には北海道は現在と同じような形になりました。

812千五百万年前 白滝構造線
②衝突・合体が作り上げた大地
 2,000万年前ユーラシアプレートと北米プレートが斜めに衝突合体しました。
その痕跡は、北海道からサハリンを超えて北極海まで続く大きな断層を作ったと考えられています。→
この断層は「白滝構造線」といいます。
    その後、1200万年前には千島海溝に斜めに沈み込む太平洋プレートに引きずられて
千島列島の南側が北海道の中央部に衝突しました。
この時、地下深くの岩石地層がめくれ上がって日高山脈ができました。
 参照
「衝突によって生まれた日高山脈とアポイ岳」

衝突・合体が創り上げた大地
➀ユーラシアプレートと北米プレートが右横ずれで接触し長大な断層を形成する。(上出)
②断層帯で地殻が押し上げられ、付加体で日高帯が形成される。
③白滝構造線は断層の一部である。
④二つのプレート間では、礫など粗粒な堆積物がたまる。


 プレートはなぜ動くの
45億年前の大昔から現在も、大地はプレート運動によってゆっくりと移動しています。プレートは誕生した場所から横に広がる力と沈む場所で下に引っ張られる力が合わさり移動します。
沈みこんだプレートは数千万年もかけ、大量の冷たいプルームとなって、地球の核にたどり着きます。すると、反対に核の熱が高温のプルームとなって上昇を始め、やがてプレートを生み出しています。このような地球の仕組みはプルームテクトニクスと呼ばれ、プレートが移動する原動力と考えられています。

プレートはなぜ動くのか 現在のマントルの中のプルー ➀地球内部の中心核では、ウラン・トリウム・カリウムなどの放射性物質が崩壊して放射線を出し、そのエネルギーが熱に変わることで高い温度を維持している。引用「地球内部の熱源
 この内核・外核の高熱によって下部マントルが対流し、上部マントルに吹き出すすことによって地殻が流れ動く。上部マントルから吹き出すマグマはアフリカスーパーホットプルーム、大西洋中央海嶺、南太平洋スーパーホットプルームなどであり、流れて行った地塊は大陸プレートの下で上部マントルの下に落ち込む。

②ユーラシアプレートでは、かつてロシアでスーパープルームが発生し、大量の洪水マグマが地表に吹き出し、ユーラシア大陸を覆った。現在の下では、アジアスーパーコールドプルームがが発生し、上部マントル下に沈み込んだ地殻は下部マントル最下部に落下する。


 813600万~200万年前

③黒曜石の時代がやってきた
600-200万年前、北海道の東部では、激しい火山活動が起こっていました。
紋別―上士幌地溝帯」と呼ばれる南北に凹んだ大地が現れ、幾度もの巨大噴火といくつものカルデラが作られました。
プレートの沈みこみによって、地球の中のマントルが溶けて出てきたマグマは火山によって地表に運ばれ、その中から黒曜石が生まれました。
またその熱は周辺の大地に金や銀などの鉱脈も残していきました。

黒曜石の時代がやってきた
紋別-上士幌地溝帯 東西に引っ張られ、地殻が弱くなった地域は陥没地帯となり、
紋別―上士幌地溝帯となり、カルデラが地域内に多数発生し、
噴き出した熱水鉱床によって金属鉱床が形成された。


 ホットスポットとプレートの謎
「太平洋プレート」上にはたくさんの火山の跡が乗り、一番東端にあるハワイ島は現在も活動する最も新しい火山です。
これらは常に同じ場所にあるホットスポットで作られ、ベルトコンベアのように日本に向かって運ばれてきます。
ところがまっすぐに向かうはずの火山島の列はあるところで折れ曲がっています。

この謎は、太平洋プレートが4500万年前に向きを変えて、移動した結果と考えられ、先程の冷たいプルームの下降がその原因と言われています。
 (※コールドプルーム)
もし太平洋プレートがその向きを変えていなければ、北海道は今とは違った姿になっていたことでしょう。

ホットスポットとプレートの謎
ハワイ諸島と天皇海山列
アジアスーパーコールドプルームの発生によって、
太平洋プレートの沈み込み方向が変わったため、海山列が途中で曲がっている。
スーパーコールドプルーム

 814現在の白滝
④氷河期の地球を生きる。
地球全体が暖かい時期には雨が多く、大きな川の流れは大地をどんどん削っていきます。
寒い時期には万年雪が川の水を減らし平らな大地を残していきます。
氷河期とはこのように暖かい時期と寒い時期が繰り返しやってくる時代のことで、それは現在も続いています。地球が生んだ黒曜石を駆使して、2万年前の最も寒い時期を生き抜いた白滝の旧石器人。この地球と祖先の歴史の上に私たちは生きています。

氷河期の地球を生きる 白滝付近の地質構造

大地は今も動いている。
地球の表面を覆う、10枚ほどのプレートは、年間数cmから10cmと言う速さで今もゆっくりと動いています。これらのプレートが丸い地球の上を動くので、プレート同士がぶつかったりすれ違ったり、下に沈み込んだりします。この運動によって、地球上では地震や火山の噴火が今もひっきりなしに起きているいるのです。

大地は今も動いている
日本付近の海溝とトラフ
列島付近の地殻の移動速度(cm/年)

2000万年前にユーラシア大陸から切り離された日本列島は、
現在はユーラシア大陸に引き寄せられています。
南西諸島は大変な速さで南に引き離されています。
 

 820渡来動物

遠軽の大地と動物
氷期に渡ってきた動物たち
北の大地に暮らす動物たち。彼らは最終氷河期と言う寒い時期に、氷河の発達により拡大した陸地を渡ってきた動物でした。

動物分布の境界線―ブラキストン線―
●約7万年前に始まった最終氷期、極値で氷河が増えて、海が下がり、北海道は大陸と地続きとなって、北からマンモスやナキウサギが渡ってきました。
●その後の温暖化で、北海道は孤立し、独特の動物分布ができる。その境界線は、発見者の名にちなみ「ブラキストン線」と呼ばれています。
●マンモスなどの大大型動物は絶滅。しかしナキウサギはエサの植物とともに高山などに逃れることで生き延びた。
●北海道には北方系の植生を持つ森林が残され、日本で唯一ヒグマを育む生態系を残しました。

氷期に渡って来た動物たち 氷期に渡って来た動物たち
動物分布境界線
―ブラキストン線―
ナキウサギ
エゾマツとシマリス
ブラキストン線と日本列島の動物たち

 日本の生物境界線 引用Xルクセン高橋氏
シュミット線
位置: 樺太西岸ドゥエから中部ポロナイスクまで
提唱者: フリードリヒ・シュミット (1832-1908)
命名者: 工藤 祐舜 (1887-1932)
ササの北限分布境界

宮部線
位置: 択捉島と得撫島(ウルップ)間 (択捉水道)
提唱者: 宮部 金吾 (1860-1951)
命名者: 舘脇操 (1899-1976)
トドマツ、エゾマツ、ミズナラの北限分布境界

八田線
位置 : 樺太と北海道間 (宗谷海峡)
提唱者: 八田 三郎 (1865-1935)
両生類・爬虫類 (はちゅうるい) および淡水性無脊椎動物の分布境界

河野線
位置: 石狩低地帯
提唱者: 河野広道 (1905-63)
昆虫類ヒメオオクワガタの分布境界

黒松内低地帯
位置:寿都町から本町を経て長万部町へと続く一帯は活断層
ブナの北限、マゴチ・カジカの北限、エゾホトケドジヨウ・フクドジョウの南限
ブラキストン線
位置:北海道と本州間 (津軽海峡)
提唱者:トーマス・ブレーキストン (1832-91)
命名者 : ジョン・ミルン (1850-1913)
ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスなどの北限、
ヒグマ、ナキウサギ、エゾシマリスなどの南限

牧野線
位置: フォッサマグナ西縁
提唱者: 牧野富太郎 (1862-1957)
命名者: 前川文夫(1908-84)
ホタルマイマイカブリの分布境界

本州南岸線+ハマオモト線
サンカメイガ分布北限。年間最低気温が-3.5℃
ハマオモト線:植物ハマユウの北限。最低気温-3.5℃で一致する

フォッサマグナや活断層が生物分布の境界というのは2000万年とか、の長い歴史があったと知った。
本州南岸線(ハマオモト線)

朝鮮海峡線:本州側にいるアカネズミ・カヤネズミの境界
対馬海峡線大陸系のツシマヤマネコ、アカマダラヘビの南限

スタイネガー線(敦賀・尾張線)
位置: 敦賀から桑名まで
提唱者 : レナード・スタイネガー (1851-1943)
アベサンショウウオがDNA敵に分かれる

三宅線
位置: 九州と大隅諸島間 (大隅海峡)
命名者: 江崎 悌三(1899-1957)
南方系チョウ類の分布北限

渡瀬線
位置:吐喝喇列島の悪石島と小宝島間
提唱者: 渡瀬 庄三郎 (1862-1929)
命名者: 岡田弥一郎 (1892-1976)
東洋亜区と旧北区亜区とを分ける生物地理学上の境界線。この線は、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、陸産貝類、淡水・陸産サワガニ類などの分布がかわる
蜂須賀線
位置: 沖縄諸島と八重山諸島間
提唱者: 蜂須賀正氏 (1903-53 )
命名者: 山階 芳麿 (1890-1989)
八重山の陸産貝や淡水性の甲殻類には台湾との共通種が見られる。鳥類の分布の違いから

南先島諸島線
先島諸島と台湾島の間に境界線があり、両地域の生物相の生息分布の相違
台湾海峡線

鹿野線
位置: 台湾と緑島・蘭嶼間
提唱者 : 鹿野 忠雄 (1906-45?)

細川線
位置: 小笠原諸島とマリアナ諸島間
提唱者 細川 隆英 (1904-81)

金平線
位置: フィリピンとカロリン諸島間
提唱者 : 金平 亮三 (1882-1948)
スタイネガー線は:1700万年前の西日本島弧と北陸島がこの線で分かれていたことを示している。
渡瀬線~南先島線などは南西諸島がこれらの線で長期間分断孤立し、独自発達した列島の成立経過を表している。



野生動物と出会うために ―フィールドサインを見つけよう。―

●フィールドサインとは足跡や糞、食痕など動物がいる証拠になるものを言います。
●警戒心が強く姿を見せないナキウサギも、ガレ場などで糞が見つかると棲んでいる証拠になります。
●森林ではクマゲラの食痕が見つけやすい。冬に松の木の中で冬眠しているムネアカオオアリが好物でカラスほどの体がすっぽりと入るくらいの縦長の穴をあけます。
野生動物と出会うために
フィールドサインを見つけよう
フィールドサイン エゾシカ足跡 ナキウサギ糞 クマゲラ食痕
 

 830高山植物

遠軽の大地と植物
火山と氷期が作ったお花畑
北大雪の平山や、丸瀬布のガレ場に咲く高山植物、そこには大地の成り立ちが関わっています。
 831
平山の高山植物群―白滝地域―
・平山など北大雪の山々は、100万年以上前の火山。
・2000mに達しない標高ながら、多くの高山植物が見られる。また、ハイマツが優占していることも特徴。
・冬に吹きさらしとなる西向き斜面にはコマクサ
 夏の雪解けが遅い東向け斜面にはチングルマなど、地形により様々な植物が生育しています。
火山と氷期が作ったお花畑
平山の高山植物群
―白滝地域―

 833平山と列島の植物垂直分布図
平山の位置
大雪山と峡谷を挟んだ北東の群峰
日本列島における植物の垂直分布
山頂部溶岩の岩塊
安山岩溶岩の放射状節理
安山岩溶岩の板状節理
 834高山の動植物
高山帯に広がるハイマツ
種子を運ぶホシガラス
ハイマツ種子
コマクサ
チングルマ

 835風穴と生き物

ガレ場が作る風穴と生き物 ―丸瀬布瀬戸瀬地域

丸瀬布瀬戸瀬地域は火砕流が作る大地。
・火砕流は「溶結凝灰岩」となり、岩辺が分解・落下して「崖錐(がいすい)」という「ガレ場」をつくります。
・ガレ場には空気の対流により、夏に冷気を吹き出す風穴ができる。風穴内には、夏でも氷が残るほど。
・風穴の周りは独特の植生ができ、高山植物やコケ類が生育。またナキウサギのすみかにも。

ガレ場が作る風穴と生き物 ナキウサギ コケモモ群落
アカエゾマツ-トドマツ林
風穴の仕組み

岩の間に冷気が入り
岩塊斜面を冷やす


暖気の流入で冷えた岩塊から冷気が出る
武利風穴
つらら コケモモ群落
 

 840ヒグマの棲む大地

ようこそベアカントリーへ。
北の王者、ヒグマが住む大地。
日本最大最強の陸生哺乳類であるヒグマ。日本では、北海道だけに生息し、白滝・丸瀬布地域も有数の生息地です。

食べる・寝る・遊ぶ ―個性豊かなヒグマー
●赤ちゃんの時の体重は約400グラム、最終的に1000倍の400kgまで成長します。
●新芽や草本、木の実、アリなどの昆虫など、とにかく食べる食いしん坊。冬眠前の最高の栄養源だったサケ・マスが欠落し、現在ではデントコーンなど農作物が被害に。
●若熊はやんちゃで遊びざかり。好奇心から近づいてくることも。
●学習能力が高く、年齢や経験・性格によって行動は様々です。

ばったり、会わないために ―ベヤカントリーのスキルー
ヒグマは時速50kmのスピードで走るスプリンター。
長く鋭い爪と強力な顎が武器で、嗅覚は犬の4~5倍です。知能は犬と霊長類の間。(イヌよりもかしこい)

サインを見逃すな!
食痕や足跡、糞は重要な手がかり。五感を働かせて、自然を観察しましょう。
ヒグマを引き寄せない!。
鈴や声で人の存在を知らせましょう。食料やゴミの管理は徹底し、香水などの匂いも引き寄せてしまうので、気をつけましょう。

あってしまったら ―人とヒグマ理想の関係―
棲んでいることをまず意識する。
もしあってしまっても慌てず行動できるようになります。
プラフチャージ(威嚇行動)をしる
地面を叩いたりする行動は、近寄らせないための威嚇行動。
ヒグマなりの警告なので、パニックにならないようにしましょう。

北の王者、ヒグマの棲む大地
食べる・寝る・遊ぶ
ばったり会わないために
あってしまったら
ヒグマの活動 ヒグマの食物と活動

活動期間3月~11月
3月冬眠開け
6月交尾期~7月
8月食い溜め期~11月
11月冬眠穴入り~2月

ヒグマのインテリジェンスフロー ヒグマのインテリジェンスフロー

ヒグマの知能は高い (イヌと霊長類の間)
▶感情・気分によって行動は変化する
 
好奇心が旺盛
▶接近・ じゃれつき行為
(無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマの場合)
 
学習能力が高い
▶意図的な教育が効く (逆に、 悪い学習はさせられない)
 
経験・学習によって変化しうる
▶執着・常習化・エスカレートを起こしがち
▶年齢によって評価基準を変える必要がある
 
個性のばらつきが激しい
▶至近距離遭遇の単純なマニュアルが存在しない
▶環境により異常性・危険性をもつ個体が生ずる可能性あり
▶個体識別をした上で、 個別対応が必要
食痕、足跡 糞、爪跡

 「バッタリ遭遇」対応
バッタリ遭遇対応 遭遇対策=刺激せずなだめながら距離をとる
・距離が稼げたorヒグマが立ち去った→OK
・興味ありげに接近→若熊か→スプレー噴射・うつ伏せ防御(興味を削ぐ)
・Bluff charge(突進してくる)
  →そのまま距離をとる(後ずさり・立ち木に隠れるなど)
・本攻撃(4m以内へ)→スプレー噴射・うつ伏せ防御
クマよけスプレー


こんな生物に気をつけよう
スズメバチ

・北海道には14種類が生息。5月の連休明け頃から女王蜂が活動を始め、被害は8 9月に集中。
・黒い色を敵とみなすので、白など明るい色の服装を。香水など臭いの強いものも引き寄せます。
・自分や子を守るために攻撃するので、近寄ってきても動かないことが肝心。

ヤマダニ(マダニ)
・体調2~3ミリでクモに似た生き物。笹やぶなどに生息し、野生動物や人にくっつき吸血します。
・体内には病気を起こす細菌が潜んでおり、潰したり吸血している口だけ残して取ると危険。
・明るい色の服装で付着したダニを発見しやすくしよう。刺されたらすぐ病院へ!

こんな生物に気を付けよう
スズメバチ ヤマダニ(マダニ)
 
 

  ジオパークの石から読み解く
 900大地はこうして作られる
ジオパークの石から読み解く
大地はこうして作られる

 陸上では
・海洋プレートが海溝から地球深部へ落ちて行くとき、大洋底と共に海水を引き込み、この水分が岩石の溶融温度を下げ、地下10km付近で溶けてマグマとなり、体積が増えるので押し出され、マグマだまりを造りながら上昇してやがて地表に噴出する。

・噴出したマグマは急激に冷やされ、安山岩を形成する。
・噴火は火山灰や溶岩流を伴う。
浸食・運搬・堆積 ・地球の造山運動や大地の隆起で形成された山岳からは風雨や河川の浸食によって削られ・運搬された土砂は、
 扇状地をつくったり、平野をつくったり、泥炭湿地をつくったりする。
・浸食運搬された土砂はやがて海洋に運ばれ、海底に堆積する。これらは圧力を受けて砂岩・泥岩・礫岩などの堆積岩となる。

 大洋底では
・太平洋中央海嶺の噴出で大洋底が押され移動する。
・ホットスポットから海底火山ができ移動すると海山となり、やがて造礁珊瑚で石灰岩を被る。
・海山は大洋底と共に海溝に引き込まれ、上に積もった堆積物が付加体となる。
・海底から3000mもある海山は削られながら地球深部へ落ちてゆくとき、引っかかって地震を起こす原因となる。
・海底噴火・海山の形成・海山はやがて造礁珊瑚によって石灰岩の島となり、やがて海溝へと沈んでいく。
・石灰岩はやがて付加体となる。
・大洋底の下、地殻の上部にはカンラン岩が形成されることがある。

 火山の噴火で作られる遠軽の石
火山の噴火で作られる遠軽の石
溶結凝灰岩
・火山噴火で火山灰・軽石が噴出する。
・火砕流が発生すると火山灰や軽石は高温の火砕流の下になり、高温高圧を受けて溶融し、溶結凝灰岩となる。

黒曜石
・マグマが急激に地表に噴出し、そのまま冷え固まると、急激に冷やされた部分が非晶質の火山ガラスとなり、
 黒曜石が形成される。