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 2018特別展の旅03 2018.08.29-2  2018特別展「縄文―1万年の美の鼓動」見学時

  東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9 03-3822-1111月休撮影可

    東洋5F10室『朝鮮の磨製石器と金属器』
    本館3F『中国文明の始まり』
    本館3F『中国の青銅器・墳墓の始まり』


 交通 上野駅公園口から徒歩10分


 

10朝鮮の磨製石器と金属器 100中国文明の始まり 200中国の青銅器・墳墓の始まり
 
 



 2018.8.29-2

  東洋館5F10室 朝鮮の磨製石器と金属器



10入口展示
11黄金の冠
20磨製石器


21朝鮮の磨製石器と金属器
23石器
 石槍
 有肩石斧
 蛤刃石斧
 石包丁
24異形勾玉

40石製武器
41石剣
42銅鏃
43環状石斧
50金属器 武器
51剣・矛・戈
52鉄剣柄頭
53銅剣

60石製葺
61銅剣・銅矛など
62馬具
63碗
64虁鳳鏡
 
 10入口展示

 11
  古代朝鮮で、金の冠は王の証でした。伽耶の冠は、正面中央に立飾(たちかざり)を

伝韓国慶尚南道出土
三国時代(伽耶)5世紀



 20磨製石器


 21朝鮮の磨製石器と金属器
このコーナーでは、朝鮮半島の磨製石器や青銅器について紹介します。朝鮮半島では旧石器時代にはすでに人類の足跡が確認されています。
新石器時代(前10,000-前 1,000年頃)には狩猟や採集に加えて農耕が行われ、磨製石器が使われました。

青銅器時代(前10-前4世紀)から初期鉄器時代(前3-前1世紀)にかけて、各地に有力者が登場し、その地位を示したのは剣・矛(ほこ)・戈(たて)のような青銅製の祭器や磨製石剣でした。その独特な造形にご注目ください。

紀元前108年、朝鮮半島北部に漢王朝が進出し、現地支配の為の機関として楽浪郡を設置すると、土着の文化と韓文化が融合し、独特の楽浪文化が形成されました。

朝鮮の磨製石器と金属器 朝鮮の磨製石器と金属器


 23石器

石槍
柄を付けて狩猟の道具として用いられました。咸鏡北道(ハムギョン)は朝鮮半島東北部にあり、中国東北地方やロシア沿海州に接しています。
会寧は豆満江沿岸で、中国東北地方と向い合う地位にあり、青銅器時代の無文土器や石器の出土で知られています。

石槍
伝韓国玄風出土
新石器時代
前6千年~前2千年紀
石槍
朝鮮会寧出土
青銅器時代
前10~前4世紀

石鏃
伝韓国大邱出土
新石器時代
前6千年紀~前2千年紀
石鏃
伝韓国玄風出土
新石器時代
前6千年~前2千年紀


有肩石斧
柄を付けて鍬のように用いた農具です。中国東北地方や朝鮮半島北部では、新石器時代から青銅器時代の遺跡で有肩石斧が出土しています。
これらの地域で農耕が始まっていた証拠です。

蛤刃石斧
蛤刃石斧は木の伐採に、柱状片刃石斧は伐採した木材の加工に使われた磨製石器です。朝鮮半島青銅器文化で成立した石器の組み合わせは、弥生時代の開始と共に日本列島にも伝えられたため、日本考古学では「大陸系磨製石器」とも呼ばれています。

有肩石斧
朝鮮会寧出土
青銅器時代
前10~前4世紀
有肩石斧
朝鮮会寧八乙川出土
青銅器時代
前10~前4世紀
蛤刃石斧
韓国慶州出土
青銅器時代
前10~前4世紀
    柱状片刃石斧
韓国慶州出土
青銅器時代
前10~前4世紀 


石包丁
石包丁は中国華北地方から渤海湾沿岸・朝鮮半島を経て日本列島に伝えられました。弥生時代の日本の石包丁は、稲の穂首刈りした道具と考えられていますが、稲の生育しにくい華北・渤海湾・北朝鮮では、雑穀類の収穫具として用いられたようです。

石包丁韓国扶余出土
青銅器時代
前10~前4世紀
 24異形勾玉
高坏

青銅器時代
前4~前2世紀
異形勾玉 異形勾玉
青銅器時代
前10~前4世紀
紡錘車
伝韓国慶尚北道出土
青銅器時代
前10~前4世紀
 
 40石製武器
 41石剣

左:前8~前7世紀
右:前6~前5世紀
韓国慶尚北道出土
青銅器時代

右:韓国扶余出土
青銅器時代
前5~前4世紀

左:朝鮮出土
右:扶余出土
青銅器時代
前5~前4世紀

右:
伝韓国慶尚北道出土
青銅器時代
前5~前4世紀
 42銅鏃

韓国慶州出土
青銅器時代前8世紀

韓国公州出土
青銅器時代前8世紀

韓国金海出土
青銅器時代
前6~前4世紀


韓国扶余窺岩面出土
青銅器時代前8世紀

韓国慶州出土
青銅器時代前7世紀

 43環状石斧
環状石斧
伝韓国慶州神堂里出土
青銅器時代
前10~前4世紀
環状石斧 環状石斧は、
中央の穴に棒を通し、棍棒の先端として用いられたようです。
青銅器時代に、主に朝鮮半島北部では、環状石斧の周縁の刃部に切り込みを入れた、
「多頭石斧」と呼ばれる形の武器もありました。
 


 50金属器 武器

 51剣・矛・戈
銅剣・銅矛・銅戈
銅剣

韓国昌寧出土
初期鉄器時代前3世紀
銅剣
銅剣

朝鮮出土
初期鉄器時代
前3~前2世紀
銅剣
銅矛

伝韓国尚州出土
初期鉄器時代~原三国時代
前3~前1世紀
銅矛
銅戈

伝朝鮮平城貞柏里出土
初期鉄器時代~楽浪
前3~前1世紀
 52鉄剣柄頭
剣把頭(けんはとう)
韓国扶余窺岩面出土
初期鉄器時代
前3~前1世紀
剣把頭(けんはとう)
韓国扶余窺岩面出土
初期鉄器時代
前3~前1世紀
鐔金具(つばかなぐ)
伝韓国平城出土
初期鉄器時代~楽浪
前3~前1世紀
剣把頭(けんはとう)
伝韓国平城出土
初期鉄器時代~楽浪
前3~前1世紀
鞘金具(さやかなぐ)
鞘金具
細形銅剣鞘の両端に付ける金具です。底を作るため斜めの棒が渡してある下側が鞘尻金具、もう一つの上側が鞘口金具です。
おそらく鞘の本体は木製漆塗りで、これに納めた銅剣をお墓に納めたものと思われます。

 53銅剣
銅剣
伝朝鮮平城鰲村里出土
初期鉄器時代
前2世紀
銅剣
細形銅剣は、剣身にいくつかの部品を組み合わせて作りますが、この銅剣では、
鐔(つば)・剣把(けんは=柄つか)・剣把頭飾(けんはとうしょく)が銀で作られています。

鐔(つば)の内側には木質が付着しており、接合部に木製の部品もついていたようです。
細形銅剣の全形を知ることのできる資料です。
 
 60石製
 61銅剣・銅矛
銅剣

伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀
銅剣
銅戈
伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀

銅鐓(どうたい)
(鐓=いしづき)

伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀
戈とは、永い木の柄の先に、ほぼ直角に着け、振り回して使う武器です。
また、戈などの武器につける長い柄の反対側の端につける金具(石突)のうち、
尖っているものを鐏(そん=石突)平らなものを鐓(たい)と呼びますが、
入室里遺跡は、両方が一緒に出土した貴重な例です。



 62馬具


円形飾金具

伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀
馬鐸
伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀
馬鐸 青銅の鐘の内側に、鉄の棒が錆び付いています。この棒を舌として内側に吊っていたようです。

馬鐸を付けた馬が移動すると、鉄の舌が周囲の青銅にぶつかり、音を立てたのです。
 63碗



伝韓国慶州入室里出土
原三国時代、前1世紀
 64虁鳳鏡(きほうきょう)
鳳鏡
朝鮮楽浪遺跡出土
楽浪2世紀
虁鳳鏡
「君宜高官」、「富貴」、「大吉」など、幸せを願うためのめでたい言葉がいくつも書かれています。
紐を通すつまみには、絡まった2頭の龍を表し、周囲の文様には、2羽ずつの向い合った鳳凰を
表しています。
中国の西南部で作られた鏡と考えられています。
獣文飾板
(じゅうもんかざりいた)
伝韓国慶州出土
初期鉄器~原三国時代
前3~前1世紀
犬と鹿が描かれています。鹿の1頭には槍が刺さっており、狩猟の場面と思われます。
このような金具は革袋の飾り、または、肩を覆う鎧の一種とも考えられていますが、確かな証拠はありません。

朝鮮の鋳銅技術の高さを示す青銅器です。


橿考研博物館で、「棺の栓」として展示されていました。
  













 2018.8.23-3

  本館3F 中国文明の始まり





110入口展示
111中国文明の始まり
112甲骨
120封泥
130玉器
131玉斧
 動物形玉器
 鳥頭形石器
 佩玉
 穀粒文珩

140古銭
141布銭・半両銭
142五銖銭
143大泉五十
144貨泉
145貨銭銅笵母

150璧(へき)
152龍文璧
153鉞形玉器
154玉刀
155玉璋
156玉斧

160壺
 灰陶鬲
 紅陶鼎
 灰陶黒色罐
 
 110入口展示
 111中国文明の始まり

このコーナーでは、主に紀元前3,000年から紀元後200年の土器や玉器を紹介します。

中国では1万年以上前に土器が出現しました。中国の土器は煮炊きや貯蔵といった日常生活に使用されたもののほかに、赤みがかった表面に褐色の顔料で文様を描いた彩陶や、全体を黒あるいは白に発色させた黒陶・白陶など、神や祖先に供え物を捧げる祭祀や儀礼などに使用された特別な土器もあります。

土器の他に、潤いのある光沢をもつ石を磨いて作った玉器も非常に珍重されてきました。玉器は神秘的な力を持ち、かつ君子が備えるべき徳の象徴ともされてきました。
土器の造形や色彩、玉器特有の光沢など、古代中国人が追い求め続けた美をご堪能ください。
 
中国文明の始まり 中国文明の始まり 中国文明の始まり

 112甲骨 甲骨文字とその和訳が書き連ねてあります。
  中国河南省安陽市殷墟出土 殷時代 前13~前11世紀

 甲骨
殷王朝は亀の腹甲や牛の肩甲骨を熱して生ずる亀裂の状態をみて、様々な事柄を占いました。
甲骨には、占いの内容や結果を文字で刻み込むことがありました。これが漢字の祖先にあたる甲骨文字です。
甲骨文字のほとんどが殷王朝後期の都跡、殷墟で出土しています。
 
 甲骨の時期区分
殷墟出土の甲骨は殷時代後期 (前13~前11世紀) のもので、文中に記された王族の祖先や占いを担当した貞人(ていじん)の名前、書体や字体の違いなどによって、5期に区分することが出来ます。
当館の甲骨は、5期のうち第一期、第二期、第五期のものが大部分を占めます。

甲骨 甲骨の時期区分
 


 120封泥(ふうでい)
  中国 秦~前漢時代、前3~前2世紀

古代中国では器物を縛った紐の結び目を粘土で覆い、印を押して封印者の役職や姓名を明らかにしました。この粘土を封泥といいます。
封泥は秦から新 時代にかけて(前221~後23年)最もよく使用されました。
皇帝を筆頭に政府各部署の公印や個人の私印を押した物など、様々な封泥が出土しています。

 121
封泥
 


 130玉器

 131
 玉斧
玉とは水気を含んでいるかのような柔らかい光沢をもつ石のことです。
中国には遅くとも前6千年頃から玉を研磨・彫刻して祭祀儀礼や信仰などに関わる様々な器物にする伝統がありました。
玉斧は玉器の中でも最古の一種で、権力を象徴する儀器であったとも考えられています。

斧は玉器の中でも最古の一種で、権力を象徴する儀器でした
  由利本荘市修身館のページで、山形県羽黒町出土の「刻文付有孔石斧」(玉器)は、縄文中期のオーパーツで、亡命貴族のものと推測しましたが、
  玉斧を身に付けていることが王族を表すということで、未知の世界に旅立つときに、身に付けてきたのかもしれません。

 動物形玉器
豚の様に鼻先が偏平な動物の側面を表し、表裏全体を細緻な刻線による紋様が覆っています。
近年の発掘調査により、この玉器が櫛の握りの部分であることが分かりました。
もともと下の突出部に設けてある孔に紐を通して、木製の櫛本体を固定して用いました。

 鳥頭形石器
元々孔に柄を通して装着したと考えられます。類例はロシア沿海州、中国長江下流域、朝鮮半島北部などで出土した数点しか知られていません。
中国で玉器が発達した背景には、このように優れた石器を作ることが出来る研磨・彫刻の卓越した技術があったことも関係しています。

玉斧

中国 新石器時代
前5~前4千年紀
玉斧 動物形玉器
中国 新石器時代
前3千年紀
動物形玉器 鳥頭形石器
中国遼寧省大連市旅順口区双台子出土
新石器~青銅器時代
前2千年紀
鳥頭形石器

 佩玉(はいぎょく)

佩玉とは、紐でつづって首や腰帯からつるした玉器。龍・鳥などの土゛動物形、珩(こう=おびだま帯玉)などの弧状のもの、武器・工具形など、様々な形のものが知られています。
瑪瑙・水晶など玉以外の装飾品と組み合わせることもありました。組み合わせの内容によって、身分や地位の違いを表したと考えられています。

石槍
石槍せきそう
中国遼寧省大連市旅順口区南山出土
新石器~青銅器時代
前2千年紀
佩玉
はいぎょく
佩玉(はいぎょく) 玉龍
玉製の龍
玉龍
中国 殷から西周時代
前13~前8世紀


 穀粒文珩
珩とは、弧状の玉器の内若干角張った形のもの。通常、中央か両端にひもを通すための小孔をもっています。
西周時代(前9世紀)、各種の玉器をつづり合わせる佩玉が発達すると、珩は佩玉を構成する最も重要な玉器の一つとして定着しました。

珩とは、おびだま。帯につける玉器の飾り。
穀粒とは、米粒のようなもよう。

 参考展示
  佩玉
水晶珠や玉器を紐でつづり、腰帯から吊るした装身具です。この展示ケースに並べた古代中国の小さな玉器も同じように複数組み合わせて紐でつづり、吊り下げたものと考えられます。
本作品は朝鮮時代の貴族が着用したものですが、佩玉の用途を示す参考資料として展示しました。

穀粒文珩
こくりゅうもんこう
穀粒文珩
中国 戦国時代
前5~前3世紀
参考展示
 佩玉
 佩玉
佩玉
朝鮮 玉・水晶・紫水晶
朝鮮時代
19~20世紀
 


 140古銭

 141布銭・半両銭

 布銭
前221年に始皇帝が天下を統一し、円形の銅貨を標準貨幣と定める前は、様々な形の銅貨が流通していました。
布銭はその一つで、二股の鍬を模したものと考えられています。その鋳型は粘岩製で1度に4枚の布銭を鋳造することが出来ます。

布銭鋳型 布銭
布銭
中国 戦国時代
前5~前3世紀
半両銭
中国 前漢時代
前2世紀
半両銭 半両銭鋳型

 142五銖銭
五銖は現在の重量に換算すれば約3.25g初めて鋳造されたのは元狩5年(前116)で、漢時代の歴史を記した「漢書」によると、その後100年間ほどの間に五銖銭は280億枚も鋳造されたそうです。

五銖銭ごしゅせん
中国 漢時代
前2~後3世紀

 143大泉五十
大泉五十は、五銖銭50枚分の価値を持つ銭貨。前漢末期からの頃、王莽(おうもう前45~後23、在位9-23年)によって作られました。
表面に残る微細な繊維の痕跡から、麻縄のようなものを通してひと連なりにしていたようです。

※王莽(生没:紀元前45年~紀元23年)は、古代中国の政治家である。 漢王朝から禅譲を受けて「新」王朝の皇帝となったことで知られる。
※大量鋳造された五銖銭によってデフレが引き起こされ、価値が下落したのでより高額硬貨を発行し、しかし、それもやがて下落して縄を通して日本の一文銭のようなぞんざいに扱われたのかもしれません。

大泉五十
だいせんごじゅう

中国遼寧省営口市蘆家屯崗子付近第3号貝墓出土。前漢末~新時代
7~14年代
大泉五十
大泉五十
大泉五十
 144貨泉 新時代 1世紀
貨泉
貨泉
貨泉

 笵=鋳型


 145貨銭銅笵母
土製鋳型を量産するための青銅製の型。「貨泉」は王莽が紀元14年~23年にかけて発行した貨幣。たび重なる貨幣改革で経済は混乱し、王莽政権は倒れた。王莽が発行した貨幣は流通期間が短かったため、今日では遺跡の年代判定に有効な資料となっている。

 大泉五十銅笵
前漢末に政権を掌握した王莽が、紀元後7年から14年にかけて鋳造した「大泉五十」の鋳型の片面。同形の鋳型と組み合わせ、中央の管状の窪みに溶かした銅(湯)を流し入れます。大量鋳造できるよう、湯周りを考慮しつつ鋳型を密に並べています。

 五銖銭石笵
中国の銅銭は鋳造品です。まず鋳型を作り、そこに青銅の熔液を注ぎ込んで銅銭を作りました。鋳型には同じ大きさでペアになる鋳型があり、向かい合わせに固定して用いました。銅銭の鋳型は前2世紀頃までは石製品が、前1世紀頃からは青銅製品がそれぞれ主流となりました。

貨銭銅笵母
かせんどうはんぼ
中国 新時代・1世紀
大泉五十銅笵
中国 前漢末~新時代7~14年
五銖銭石笵
中国 
前漢時代
前2~前1世紀

これは、遺物の写真を撮り忘れています。
布銭石笵
中国 戦国時代
前5~前3世紀
 


 150(へき)

 151

 152龍文璧
璧とは環形の平たい玉器の一種です。表裏両面とも内外に区画し、内側の区画に渦文を、外側に龍と考えられる動物と鳳凰を浮き彫りで表しています。「完璧」という言葉は、貴重な壁を無傷の状態で他国から持ち帰った故事から生まれたものです。

龍文璧 龍文璧
中国 戦国~前漢時代
前4~前2世紀
龍文璧 龍文璧

 153鉞形玉器
  ※鉞(まさかり)には見えませんが鉞形です。両側の切り欠きは、龍のもよう。双龍です。王を表します。
鉞形玉器 鉞形玉器
中国 殷代
前13~前11世紀

 154玉刀
この玉器の形は、穀物の穂摘み具として用いられた包丁形の石器(中国語で石刀)に由来するものと考えられています。
本来の石刀に比べ著しく大型化しているため、実用品ではなく、農耕に関する儀礼に用いたものと推測されます。

玉刀
中国
新石器時代末期~
二里頭文化(夏)
前2千年頃
玉刀 玉刀 玉刀

 155玉璋(ぎょくしょう)
動物の骨を刃先としたスコップ状の農具(骨鏟こつさん、鏟=ならし)をかたどったもの。その形状から、農耕や土地の祭祀儀礼に用いられたものと推測されます。黄河・長江流域だけでなく、香港やベトナム北部からも出土していて、玉器の中でも分布範囲が最も広い種類の一つです。

玉璋
ぎょくしょう
中国
新石器時代末期~
二里頭文化(夏)
前2千年頃

 156玉斧
硬い鉱物でありながら、潤いと光沢を供えた本作のような玉の質感は、後漢時代以降、表面は柔和でも芯は堅固で容易に折れない理想の君子像にも見立てられるようになりました。中国の玉器愛好の永い伝統は、玉器が単なる古美術品ではなく、修身の象徴であったこととも関係しています。

玉斧
中国 新石器時代
前3千年紀
 
 160
 161
彩陶双耳壷
さいとう そうじこ

中国甘粛省あるいは青海省出土
馬家窯文化
前3100~前2800年頃
力強い渦のうねりを壺全体に黒一色で描いています。躍動的な曲線は、中国西北部の甘粛青海省で約5千年前に流行した陶彩とは、焼成前に顔料で文様を描いた土器のことで、新石器時代の中国の西北部と中部で最も発展しました。 彩陶短頸壷 彩陶短頸壷
中国甘粛省あるいは青海省出土
馬家窯文化
前2600~前2300年頃
偏平な胴部に短い頸部と左右一対の把手が付いています。文様は黒で描いていますが、頸部にだけ赤い線を引いています。馬家窯文化の主体的な文様は黒で表現しつつも赤を効果的に加えた彩陶が増えて行きました。
彩陶瓶 彩陶瓶さいとうへい
中国甘粛省あるいは
青海省出土
馬家窯文化
前2200~前2000年頃
彩陶広口壺 彩陶広口壺
さいとうひろくちつぼ中国甘粛省あるいは
青海省出土
辛店文化
前1000年頃
胴部に大きく描かれた文様は牛の頭を表しているものと考えられます。この文様は辛店文化(しんてんぶんか) の彩陶にしばしば飾られます。彩陶は前3000年頃に中国でほとんど作られなくなりますが、黄河上流では本作の様に前1000年頃まで続きます。


 灰陶鬲(かいとうれき、鬲=へだてる)
袋状の3本の足を持つ鬲(れき)は、古代中国で一般的な煮炊き用の土器です。本品は脚部が全て欠損していますが、胴部から口縁にかけてラッパ状に広がる姿は、中国の東北部内モンゴル自治区東部にかけて流行した鬲の典型です。

灰陶鬲 
中国 夏家店下層文化
前2000~前1600年頃
灰陶鬲
中国 西周時代
前10~前9世紀
灰陶鬲  灰陶鬲  灰陶鬲  灰陶鬲 


 紅陶鼎(こうとうてい)
鼎(かなえ)とは柱状の3本足を持った鍋のことで、中国の農村地帯では食材を煮立て神前に供える容器として発達しました。(共献土器)
この鼎は内蒙古東部の草原地帯で出土したもので、農耕地帯の文化の影響を受けて作られたものです。
しかし、左右の小さな把手のように独自の要素も見て取ることが出来ます。

紅陶鼎
こうとうてい
紅陶鼎
中国内蒙古自治区赤峰市出土
西周~春秋時代
前9~前7世紀
灰陶鼎 灰陶鼎
かいとうてい
中国 前漢時代
前2~前1世紀


 灰陶黒色罐
古代中国では、食べ物や水・酒などの液体を貯蔵する大型の土器も発達しました。本作も貯蔵用土器の一例ですが、硬く焼きしめた灰陶の表面をわざわざ黒く変色させていることを考えれば、日常生活用の容器ではなく、墓に副葬する葬送儀礼用のものであった可能性があります。

灰陶器蛋形壺
かいとうたんけいこ
伝中国河南省洛陽付近出土

戦国時代
前4~前3世紀
灰陶壺
かいとうこ

中国
戦国~前漢時代
前4~前2世紀
灰陶黒色罐
かいとうこくしょくかん

中国遼寧省営口市熊岳城出土
        
















 2018.08.29-4

  東洋館 中国の青銅器・墳墓の始まり




  



210入口展示
211中国工芸
 饕餮文瓦
 中国の青銅器

220青銅器 容器
221容器
 斝・觚・雷文爵
 龍文方鼎・象文鬲

230馬具
 馬冠・馬面・鏡板
 銜
 弓型器・車軸頭
235容器
 簋・尊・罍

240武器
 鉞・矛・弩機
 鉄茎銅鏃
251戈・鐓
255剣・鉄鉞戟

261鉄鏃
 帯金具
270馬具

280オブジェ
 揺銭樹
 虺竜透文漏鏟
 加彩鴟鴞壺
 加彩舞人・楽人

290銅器
 蟠螭文鼎・蟠螭文鎛
 饕餮文三犠尊
 饕餮文瓿
 獣文壺
 饕餮文甗
 鍾

300東京国立博物館外観
 

 210入口展示

 211中国工芸

  饕餮文瓦
目を見開いた獣の顔を正面に据え、その上にのけ反った一対の龍を左右均等に配した文様は、燕国(現:北京市、河北省一帯を支配)の瓦に特有のもの。上面にはヒレ状の装飾を付けたと思しき溝跡があります。破格の大きさから、宮殿の屋根の大棟両端を飾った可能性があります。

饕餮文瓦
中国 戦国時代(燕)
前5~前4世紀
饕餮とは、
中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。
「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。 饕餮

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 中国の青銅器
このコーナーでは、主に紀元前1800年前から後1000年頃の青銅器を紹介します。
中国の青銅器は、食べ物や酒を盛るための容器として非常に発達しました。それは日常の食事用ではなく、主に神や祖先に飲食物を供えるための容器でした。その点で、祭祀用の器として発達した土器の伝統を踏襲しています。しかし、表面に飾られた神、あるいは神の使いの文様は、土器にはない青銅器特有の特徴です。

これらの文様は紀元前6世紀になると消えていき、青銅器の用途も祭器から贅沢な生活用品へと変わっていきました。
青銅器の形状や文様の変化から古代中国の人々の信仰や思想の変遷をうかがい知ることが出来ます。

中国の青銅器 中国の青銅器 とうてつもん
 
 220青銅器 容器
 221容器

 (か)
斝は、酒を温めるやや大型の器。中国青銅器の中でも、爵と並んで最初から出現した器種の一つで、本器の制作も夏王朝の時代に遡る可能性があります。
爵と斝の出現は中国古代王朝の青銅器を用いた祭祀儀礼の中で、酒を使う典礼が早くから確立していたことが窺えます。

斝(か) 斝(か)
中国 青銅
二里頭文化(夏)~
殷時代
前18~前16世紀


 (こ、さかずき)
觚は、細長い器体と大きく開く口を持つ杯形の青銅器。口を付けて飲むには不向きな形なので、匙で中の液体をすくって飲んだのではないかと推測されます。
本作は殷時代の前半期と中国青銅器の中でも早い時期に属する作品です。比較的簡素な文様は当時の青銅器の特徴です。

 雷文爵(らいもんしゃく)
爵は酒を温める器。小型で注ぎ口と把手を備えています。爵は中国青銅製容器で最も早く作られた器種で、ここに展示しているものは、その中でも比較的早い時期のものです。初期の青銅器は、装飾文様が比較的簡素に表されています。

觚(こ、さかずき)
 
觚 

中国 殷代
前期15~前14世紀 
雷文爵
 
雷文爵

 中国 殷代
前15~前14世紀


 龍文方鼎(りゅうもんほうてい)
祭祀儀礼の場面で神前に肉料理を供えた容器。各方面の上部中央にそれぞれ簡略化された動物の頭部を表し、その両側に一対の龍を配しています。鼎は通常、身の横断面が円形で3本足が付きますが、、横断面が長方形で4本足を持つ方鼎も少数ながら使われました。

 象文鬲(ぞうもんれき)
袋状の三本足に象文を飾ります。鬲は食物を煮炊きして先祖に供えるための器種ですが、本作は底部に彩色していたと思しき痕跡があります。もし、実際に底部に彩色していたとすれば、本器で煮炊きしたとは考え難く、もっぱら供物を盛るためのものだったと考えられます。

龍文方鼎 龍文方鼎

中国 殷代
前13~前11世紀
象文鬲 象文鬲
ぞうもんれき

中国 殷~西周時代
前13~前10世紀
 


 230馬具

 231馬冠
馬冠ばかん
中国 西周時代
馬冠

前11~前8世紀
馬の頭上に載せた飾りです。目を見開き、牙をのぞかせた恐ろしい顔を表現しています。
馬面ばめん
中国
春秋~戦国時代
前6~前4世紀
馬面
馬の額につけた金具。
裏側に環があり、ここに面繋の革紐を通して繋ぎました。
 鏡板かがみいた中国 西周時代
前11~前8世紀
鏡板
 
銜(はみ・くくみ) 左右両端に固定して、馬の口から銜が左右にずれたり脱落するのを防ぎました。


 銜(はみ)
馬の口に含ませて、両端を鏡板で固定して使いました。銜と鏡板が組み合わさって轡(くつわ)となり、その両端を手綱に結び付けることで馬を制御しました。中央で鎖状に連結した2節からなるこのタイプは、中国北方で数多く出土しています。 

銜(はみ)
中国 西周~春秋時代
前9~前7世紀
轡くつわ 轡くつわ
中国内蒙古自治区東部出土、夏家店上層文化
前9~7世紀 


 弓型器(きゅうけいき)
両腕の先端に鈴が付く形態を真横から見ると「弓」の字に似ていることから、弓形器と呼ばれています。
用途については、弓を固定するための金具とみなす説もありますが、しばしば車馬具に伴って出土することから、車馬具の一種であるとする考え方が有力です。

弓型器
きゅうけいき中国 殷~西周時代
前13~前10世紀
弓型器

中国 殷代
前13~前11世紀
踵しょう
踵(しょう)
中国古代において馬車は戦車としても重要な役割を果たしました。
そのため、馬車には随所に金具で補強を加えましたが、踵もその金具の一種で、輿(こし)とながえ)の後端部に装着しました。
一本足の虁龍(きりゅう)と獣面の文様を飾っています。


車軸頭
しゃじくとう
西周~春秋時代
前9~前8世紀
車軸頭
車鑾
しゃらん
車鑾
しゃらん
中国 西周時代
前11~前8世紀
 
 235容器
 236
(き) 中国古代の穀物を盛るのに用いた鉢形の器。 殷周時代の青銅製の祭器がよく知られる。引用コトバンク

(そん) 殷・西周時代に用いられた青銅製の酒器。
   口がらっぱ状に開き,胴部がふくらむ筒形の器。胴には饕餮文,圏足には 夔鳳文,き竜文などの文様が施されている。
   殷代の土器で尊と呼ばれるものは一般に甕形の土器であるが,土器の尊に圏足がつけられた器形が,青銅製の尊の起源と考えられる。
   引用コトバンク

百乳簋
ひゃくにゅうき
百乳簋
ひゃくにゅうき
殷時代
前13~前11
饕餮文尊
とうてつもんそん

中国 西周時代
前11~前10世紀


 (らい)
罍(らい=さかだる)

西周時代
前11~前10世紀
(らい)は祭祀儀礼用の酒を蓄える容器。
口縁部の形態から、元々蓋が載っていたものと推定されます。
両肩に水牛をかたどった把手が一対つき、それぞれに輪がついています。

更に胴下部にも水牛をかたどったつまみが一つついています。
つまみは紐を通すための装置だったのかもしれません。
 





 240武器



 241

 (えつ=まさかり
鉞は大型の斧で。柄の先端に取り付けて武器あるいは罪人を叩き切る刑具として使用されました。
そのため、鉞は所有者が軍事・刑罰の権限を握っていることを示す象徴的な道具としても扱われ、虎などの動物が口を開けた恐ろしい文様を飾ることもありました。

鉞(えつ=まさかり)
中国 殷時代
前13~前11世紀




 (ほこ)
中国の青銅製矛は柄の先端を差し込むための袋状部位(ソケット)があることに特徴があります。
殷時代の矛は比較的幅広でしたが、時代が下がるとより強力に突き刺すことを追及して細長く変化していきました。
盾や甲冑などの発達に対応した変化であったと考えられます。

矛ほこ


中国 殷時代
前13~前11世紀


・中国 戦国時代
 前4~前3世紀 

・中国
 春秋~戦国時代
 前5~前3世紀




 弩機(どき)
弩は木製の台の先端に弓を横倒しにして取り付けたクロスボウのこと。発射装置の部分は青銅製で弩機といいます。
右側面に製造した年、場所などを刻銘しています。
引き金の稜は指を掛けやすいように面取り加工をしていて、機能性の追及が細部まで及んでいることが分かります。


弩機どき 弩機
弩機
弩機どき
弩機
 
弩機  弩機
中国 漢時代
前3~後3世紀
 


 鉄茎銅鏃
鉄茎銅鏃
てつけいどうぞく
鉄茎銅鏃

中国 戦国時代
前4~前3世紀
銅鏃
銅鏃

中国遼寧省大連市旅順
口区牧羊城付近出土
銅鏃

戦国時代~前漢時代
前5~後2世紀
 


 250武器

 251
戈か
中国 殷時代
前13~前11世紀

中国 殷時代
前13~前11世紀


中国西周~春秋時代
前8~前7世紀
金象嵌銅戈
きんぞうがんどうか

安寧省六安市寿県
春秋~戦国時代
前5世紀


中国  春秋~戦国時代
前6~前4世紀


戦国~秦時代
前4~前3世紀



 (たい=いしづき)  戈や矛といった武器の柄の末端にはめ込んだ石突。
 表面に設けた浅い凹線やくぼみに金銀を象嵌して文様を表すか、鍍金によって装飾しています。
 底部が平らなものと、細く棒状に突出したものがあり、後者を(そん=いしづき)とも言います。
 鐏には鳥形の装飾を持つものも知られています。

鐓(たい=いしづき)
中国 戦国時代
前5~前3世紀

底部が平坦

平坦底と尖底

尖底
 


 255




・安徽省滁州市鳳陽県
 春秋~戦国時代
 前6~前3世紀

・中国
 青銅トルコ石象嵌
 春秋~戦国時代
 前6~前5世紀




 鉄鉞戟(てつえつげき、鉞=まさかり、戟=ほこ) まさかりつきほこ

鉄鉞戟
鉄鉞戟
鉄鉞戟

中国 前漢~後漢時代
前2~後3世紀
 

 260


 261鉄鏃

鉄鏃
鉄鏃
伝吉林省延吉市出土
青銅製
遼~金時代
10~13世紀
鉄製での鏃で、根元に骨製の鳴鏑(なりかぶら)をつける。これにより弓から放たれると風を切って音を発します。

中国の東北部や内蒙古の各地での出土例が比較的多く、匈奴や鮮卑、契丹などの遊牧騎馬民族が特に愛用したと考えられます。

 ※合図用の鏑矢(かぶらや)ですね。


 帯金具

銀製駱駝形帯飾板
中国北部 戦国時代
前3世紀
鍍金双駝文帯飾板
中国北辺 前漢時代
前2~後1世紀
鍍金牛文帯飾板 鍍金牛文帯飾板
中国北辺 前漢時代
前2~後1世紀
三鹿文帯飾板 三鹿文帯飾板
中国北部 後漢時代
1~3世紀
鍍金鳥獣文帯飾板 鍍金鳥獣文帯飾板
中国北部 後漢時代
1~2世紀
 
 270馬具
 271
小型鑣
小型鑣
(こがたひょう=くつわ)中国 唐時代8世紀
小型鐙
小型鐙
こがたあぶみ
中国 唐時代8世紀
 
 280オブジェ
 281

 揺銭樹(ようせんじゅ)
青銅製の組み立て式の樹が枝を四方に伸ばしています。枝には銅銭のほか龍・鳳凰・仙人などを表し、樹の頂部には玉をくわえた鳳凰がとまっています。緑釉陶器の台座は羊に乗った仙人をかたどっています。古代中国の人々が信じた神仙やめでたいものに満ち満ちた架空の樹木です。

揺銭樹
中国四川かその周辺
青銅・緑釉陶
後漢時代1~2世紀


 虺竜透文漏鏟(虺竜= 漏鏟= 、蛇透かし文入りショベル )

虺竜=中国の殷・周時代の青銅器に飾られた文様の一つ。 虺とは足も角もない小型の蛇状のもので,乙文形虺竜文とか蚕文(さんもん)ともいわれ,身が屈曲し,頭が前方に下がり,尾が後方に上がる文様は殷時代末期から西周時代初期の青銅器に飾られる。 引用コトバンク  (爬虫類文)

漏鏟=ショベル

  

虺竜透文漏鏟
きりゅうすかしもんろうさん

虺=まむし、漏鏟

中国 春秋~戦国時代
前6~前4世紀



 加彩鴟鴞壺(かさい しきょう こ、鴟鴞しきょう=フクロウの異名)

墓に納めたミミズク形の容器。夜目が利くミミズクの特性を捕らえ、瞳を強調させた造形です。
前漢時代、フクロウやミミズクの意匠は、現世と来世とをつなぐような場面に表現されます。
当時、闇夜と死後の世界とが通じる観念であったことを示唆します。

加彩鴟鴞壺
かさいしきょうこ
中国 前漢~新時代
前1~後1世紀
鴟鴞=フクロウ
加彩鴟鴞壺×2

(容器)


 加彩舞人・楽人(かさい ぶじん・がくじん)
2体は楽器を演奏し、1体は踊っています。楽人俑の1体は簫(しょう=ふえ)という管楽器を吹き、もう1体は打楽器と思われるものを握っています。
後漢時代の陶俑は種類が豊富で、また、動きのある造形が魅力です。墓の主人に娯楽を提供する舞人・楽人の俑は、当時大変流行しました。

加彩舞人・楽人
かさいぶじん・がくじん
中国 後漢時代
1~2世紀
加彩舞人・楽人
 
 290銅器
 291
 蟠螭文鼎(ばんちもん てい)
鼎は主に肉料理を供えるための容器。
蟠螭文とは龍などが絡み合う文様のことですが、この青銅器の蟠螭文はかなり簡略化されています。
1930年代に、戦国時代の楚国の最後の首都の近くで発見された青銅器の一つ。かなり大型の鼎で、貴顕の墓の出土品と考えられます。

錞于じゅんう
打楽器
中国 戦国時代
前5~前3世紀
錞于じゅんう
蟠螭文鼎
ばんちもんてい
伝安徽省六安市寿県
戦国時代 前3世紀
蟠螭文鼎


 蟠螭文鎛(ばんちもん はく、=鐘のことだが、、一筋縄ではいかない、意味の解明) 
鎛は草刈具のことです。

器の下底を于(う)というが,それがアーチ状に内湾し,上部にある棒状の甬(よう)に旋(せん)という吊り環がついている形式を鐘あるいは甬鐘と称す。
吊り手がコの字形の鈕(ちゅう)になったものは鈕鐘と称する。
于(底部)が平らで吊り手がコの字形の鈕になったものは(はく)と称する。
鐘の各部分については古くからの名称があり,両面の縦の中央帯を鉦と称し,銘文などの多くはここに刻されている。…引用コトバンク

蟠螭文鎛
ばんちもんはく
中国 戦国時代
前5世紀
蟠螭文
蟠は「わだかまる」,
螭(みずち)は角のない若い竜の意で,互いにからみ合うさまを表す。


 饕餮文三犠尊(とうてつもんさんぎそん)
尊は儀式に用いる酒や水などを蓄える容器。この尊はかなり大型の部類に属するものです。肩部に水牛の頭のような立体的な装飾をしています。
胴部と圏足(高台)には目を見開いた獣の顔のような図像・饕餮文を表しています。

三犠とは、神に捧げるいけにえの、牛、羊、豚のこと。三牲(さんせい)。

饕餮文三犠尊
とうてつもんさんぎそん中国 殷時代
前13年~前11年


 饕餮文瓿(とうてつもん ほう)
儀式に使う酒や水を蓄えておくための容器。表面を覆う文様の中心に怪獣の顔のような 饕餮文を配しています。
饕餮文は神を表したものであり、殷周時代の青銅器の最も目立つ位置にしばしば龍や鳳凰を従えられました。

は、腹の膨れた丈の低い甕の酒器

祭祀饗宴の際に参加者たちが飲む普通の穀物の醸造酒を入れておく容器としては,口のすぼんだ大型の壺(罍(らい)),中型の壺(壺(こ))がある。
この期にほとんど限られる腹がふくれた丈の低いかめ(瓿(ほう))も酒類の容器と思われるが証拠がない。
酒の燗をするための器と推測される斝(か)は前の期から引き続き盛んに作られている。…    引用コトバンク

 饕餮文瓿
とうてつもんほう
腹がふくれた丈の低いかめ
 饕餮文瓿         


 獣文壺(じゅうもん こ)
表面に動物などの形を切り抜いた銅板をはめ込んで装飾していました。象嵌した銅は大部分が脱落していますが、青銅器の他に赤銅色の文様が配された製作当初の華やかな姿が想像されます。春秋戦国時代になると、青銅器は荘重さより華麗さが追及されるようになりました。

獣文壺
じゅうもんこ
中国 春秋~戦国時代
前6~前5世紀
 


 饕餮文甗(とうてつもん げん)
甗(げん)は蒸し器の一種です。くびれの下の部分で湯を沸かし、その蒸気でくびれに架けたスノコ上の食べ物を蒸して調理しました。
鼎などの煮炊き具に加えて、蒸し器までもが神前に供える青銅製祭器に組み込まれていました。

饕餮文甗
とうてつもんげん

甗=こしき甑
(とうてつ文付甑)
   


  (しょう)
酒壺の一種で、頚部に「項伯鹿鍾」という銘文が刻まれています。肩部の左右に環をくわえた獣面の飾りがつきます。獣面の目鼻や装飾は鋳造後に彫刻して形を整えたものです。春秋戦国時代以降、中国では鋳造だけでなく彫金の技術も発達していきました。

鍾しょう
中国 後漢時代
2世紀

 
 300東京国立博物館外観
 301