[戻る][TOP]


  中部地方の縄文2 08  撮影2017.11.24-02  2019年2月リニューアルオープン

 南アルプス市ふるさと文化伝承館  山梨県南アルプス市野牛島2727 055-282-7408 木曜休館撮影可


 交通  ・中央本線 塩崎駅からタクシー約1200円 竜王駅から1700円
 ・バスはあるが、大変不便

 見所 鋳物師屋遺跡の有名な円錐土偶と土器

 注意 脚注はほぼない。QRコードをスマホで読み取って見る方式でした。こんな館は初めてです。
  (南アルプス市はQRcoadによる観光案内板などに取り組み中です。これはホントに先進的なんですか。)

  私にとっては、なんでそんな手間な事するの。誰にでもわかるように小さなラベルを貼るだけでいいのに。
  展示内容は、何んにも分からなかったです。どんだけ意味があるんだろう。
写真に映り込んでいたQRcoad。ほぼこのくらいです。  
 
  ※このページはインターネットエクスプローラかグーグルクロームで正しく表示されます。




01外観
02入口展示

10縄文時代

11鋳物師屋遺跡 出土遺物
12円錐形土偶

20展示
21人体文様付有孔鍔付土器
21鋳物師屋遺跡 出土土器
22人体文様付有孔鍔付土器

25土器
 棚上の土器
26棚下の土器

30縄文王国山梨
32土器
33浅鉢・土偶・耳環
34石斧

36縄文王国山梨l
37動物文様
38土製円盤
39人面把手

50世界に誇る縄文文化の顔
 -鋳物師屋遺跡-

52縄文人のこころに触れる
53円錐形土偶の
  海外出張履歴

 人体文様付有孔鍔付土器
 土偶装飾土器
 鋳物師屋縄文人の豆栽培

60土器
61鋳物師屋遺跡
62a〆木遺跡
63鋳物師屋
63a装飾土器
 土偶装飾土器
 土偶装飾把手
67土製品

81百々・上八田遺跡
 石器・鯛骨
82石器

83土器 横道遺跡
84土器 徳永・御崎遺跡
85土器 新居田遺跡
87土器 曽根遺跡

90北原C遺跡
91水煙文土器
100土器
102象鼻把手
103釣手土器様の土製品
107幾何学文土器
115蛇鎌首揚げ土器
119トロフィー型土器

120北原C遺跡
121北原C遺跡の土偶
122イノシシ装飾土器
124人面把手
125土偶破片
128三本指の土器

130北原C遺跡
131櫛書文土器
133ヘビを装飾した土器
縄文時代後期の土器

144中畑遺跡
145土器
150中畑遺跡
151中期土器

162中畑・長田口遺跡土器


180長田口遺
184大型石核・土偶・石棒
185顔面付土器

190展示室全景

200一階展示場
200弥生時代

201稲作の開始
210弥生時代後期
211住吉遺跡
212六科丘遺跡

220古墳時代

221ヤマト政権と
  南アルプス市のクニ

222寺部村附第6遺跡
223村内遺跡
225野牛島・西ノ久保遺跡

350古代

352奈良時代平安時代
354〆木遺跡
355鋳物師屋遺跡

360中世
361武家文化の台頭

370近世
371水を治め水を生かす知恵と技術

380近現代
381近代技術の導入と戦争の影
390一階ロビー展示
632寺部村附第6遺跡
 


  お知らせ

   南アルプス市ふるさと文化伝承館は。現在閉館中です。

    このページの掲載後、2019年3月頃にリニューアルオープンします。 ぜひ、新しい展示を見に行きたいものです。
   皆さんも、ここでご覧になって生じた沢山の疑問を、お尋ねになってはいかがでしようか。

   この館の展示やパネルは。もう過去のものになりました。

 

 01外観
ふるさと文化伝承館
ここはふるさと文化

伝承館という名前の

考古博物館です。
この街はどこからでも
富士山が美しい

 02一階入口展示

南アルプス市遺跡地図
どうしてこんなに遺跡が沢山あるんだと思う。

この市のことを全然知らないから。
南アルプス市は、2003年平成15年)4月1日 - 中巨摩郡櫛形町若草町白根町甲西町八田村芦安村が合併して発足。(Wiki)

 歴史的にも武田一族などと関わりのある遺跡が目につきます。

信玄堤(しんげんつつみ)というのがここにあった。

 03二階入口展示 縄文考古展示は階上に

歴史文化展示資料室 博物館キャラクターキャラ設定 子宝の神 ラヴィ  




 10縄文時代



 
遺跡で散歩
眺望の大遺跡群
市之瀬台地を歩
市之瀬台地散策マップ

  11鋳物師屋遺跡 出土 遺物展示


  12円錐形土偶
    山梨県南アルプス市鋳物師屋遺跡出土縄文時代中期 (5,000〜4,000年前)

    円錐形の中空の胴をもつ土偶を円錐形土偶と呼んでいます。腹部上に当てた左手は3本に表現されています。
    空洞の胴部には石や粘土玉を入れ、音が出るように作られており、音を聞く土偶とも言えます。


  13panel



 鋳物師屋遺跡の円錐形土偶



  胴体が円錐形で中空であることからこの名があります。この館で最も有名な展示品です。

  縄文中期に中部地方から関東地方にかけて作られた独特の土偶形式で、鋳物師屋遺跡の出土品は、
  その中でも、最も均整のとれた美術的にも非常に優れた土偶と言えます。


  円錐形土偶は完形で出土した貴重なもので、縄文中期の関東・中部地方における特有の形式。本体は中空、胴体の側面・底部に孔が存在する。
  切れ長の目に乳房と妊娠による正中線が現された妊婦を表現したもので、3本指の手を腰と腹部にあてている。引用Wikipedia

同じ形の土偶の中には、腹部が中空で鈴のように鳴子を入れたものもあり、明らかに妊婦を表現しています。
鋳物師屋遺跡の縄文人達は、子供を出産するための安産のお守りにしたのでしょうか。

あるいは、自然の豊穣と恵みを女性に託して祈ったのでしょうか。
お腹を大事そうに抱える縄文人の祈りを感ぜずにはいられません。
  円錐形土偶
円錐形土偶

←腹部下方に、
頭を上、両膝を左右に広げ、
両腕斜め上に伸ばした、
胎児が浮彫りされている
と、見えます。
  14円錐土偶

  図面では革製マタニティドレスの文様の一部と解釈されていますが、私には胎児を描いたようにしか見えない。(逆子)
  側頭部から後頭部にかけての粗雑に見える作りは、一部欠損しているためで、かえって中の構造が、頭部まで中空であるのがわかる。







 


 20展示


  21人体文様付有孔鍔付土器

   鋳物師屋遺跡出土、「人体文様付 有孔鍔付土器」 は、三本指の人物が片手をあげて踊っているような姿が装飾されています。

   このような装飾は、土器の口縁部に鍔がつけられ、孔の開いた縄文中期の有孔鍔付土器の中に類例が知られています。
   一説には酒作りの土器といわれ、祭祀具と考えられています。

   人体装飾は、同時代の土偶と同じく女性を現した文様で、その中には、女神が身体を焼かれることによって死に、再び新しい生命として誕生する
   ことを願う「死と再生」の神話が潜んでいるとする研究者もいます。この土器の装飾には、実は縄文人の深い世界観が隠されているようです。

人体文様付
有孔鍔付土器
人体文様付 有孔鍔付土器の広がり 久保上ノ平遺跡
長野県南箕輪村
大野遺跡
長野県大桑村
人体文様付有孔鍔付土器

鋳物師屋遺跡
山梨県南アルプス市下市ノ瀬

藤内遺跡 長野県
諏訪郡富士見町落合烏帽子

原山遺跡 東京都調布市柴崎1丁目.
林王子遺跡 神奈川県
厚木市
人体文様付 有孔鍔付土器は、山梨・長野・東京・神奈川から発見されており、
中部高地を中心に分布しているのは明らか。



  21鋳物師屋遺跡 出土土器

  遺跡は甲府盆地西部の南アルプス市下市之瀬の漆川と坪川の合流地点に位置する遺跡で、約5千年前の縄文中期のムラ跡が発見されました。
  ムラの中心には広場があり、それを取り囲むように住居が巡っていました。

  住居跡からの出土品の内205点が縄文人の精神文化を知る貴重な資料として、国の重要文化財に指定されました。
  これらの土器は、当時の日本列島の文化を大飛揚する資料として、世界の様々な博物館で紹介されています。

鋳物師屋遺跡 いもじや遺跡 遺跡位置図 遺跡情報
発掘風景 出土状況 土偶出土状況 竪穴住居址 発掘風景 人体文様付有孔鍔付
土器出土状況


  22人体文様付有孔鍔付土器
    山梨県南アルプス市鋳物師屋遺跡出土 縄文中期 5000〜4000年前

    胴部に女性と考えられる人物像を描いています。右手を挙げ、冠状の帽子を被り、頬には入墨が見られます。
    恍惚として踊る女性の一瞬の姿を表現しているとも言われています。

     ※シャマンが踊りながらトランス状態に入る様子を描いた土器なのだろうか。

  24
人体文様付有孔鍔付土器


上に記述

  この土器の後ろに、重文の認定証が置かれている。
これも、有名なものなんだろうか。

 キャプションなしのため、よくわからない。
きっと同時に出土した土器。
 

  以下の大量の土器については、無脚注のため、一切不明です。画像だけお楽しみください。



  25土器

  棚上の土器

オブジェでなく

土器である
  26棚下の土器
 





 30縄文王国山梨

  31左
  32左棚の最上段 土器
  33左棚の中段 浅鉢・土偶・耳環
浅鉢・土偶・耳環
土偶・耳環
土偶

耳環・土偶
  34左側下の段 石斧

打製石斧
打製石斧

磨製石斧

石匙
大型石匙は、草削り具と聞いたことがある

環状石斧

石匙・石鏃

石錘

  35右

  36縄文王国山梨
  縄文文化は、今から1万2千年前から約1万年の間続いた文化で、
  最後の氷河期から徐々に温暖化した日本列島に現れた豊かな森や四季を基盤に誕生しました。

  縄文時代の人々は、森の恵みである植物を採取し、動物を狩り、魚を捕りながらムラに定住していました。
  中部山岳地域では、今から5千年程前にムラの数が爆発的に増加し、この地域独特の文化が花開きました。

  山梨はその中心として栄えた、まさに「縄文王国」の名にふさわしい地域です。
  この躍動感あふれる土器の造形美からは、自然と共生していた縄文人が作り出した独特な世界観が、数千年の時を超えて浮かび上がってきます。

 panel
縄文王国山梨
把手付深鉢形土器

深鉢形土器

深鉢形土器

  37動物文様

何?蛇or猪or精霊?

蛇の把手

蛇?ミズチ?山椒魚?

区画文と▽文?

  38土製円盤
   釈迦堂遺跡博物館では、土製円盤は死者の額に置いて葬送する一種の呪符として考えられていたと記憶している。

  39人面把手

これは、サル?
 




 50世界に誇る縄文文化の顔  -鋳物師屋遺跡-

   鋳物師屋遺跡の円錐土偶と人体文様付有孔鍔付土器は世界中の博物館で展示されてきた。
  51panel
鋳物師屋遺跡
1住居址内土器出土状況
2調査区住居址分布状況
(赤:縄文時代、緑:古代)

3航空写真
4海外の展示図録

5大英博物館

  52
  縄文人のこころに触れる
   約5000年前、縄文中期のムラの跡で、32軒もの竪穴建物の跡や、膨大な量の土器が発見されました。
   常時4〜5軒で、200〜300年間ムラが存続した結果、32軒分の跡が残ったと考えられています。


上と下に記述

 国指定重要文化財
  鋳物師屋遺跡は、台地直下の扇状地にあり、土石流に覆われたことで、発掘されるまで保存され、完全な形をした土器が多く出土しました。
  それらを観察すると、縄文人の感性や精神文化を感じ取ることができる点で注目され、205点の出土品が国重要文化財に指定されています。

  中でも「円錐形土偶」、「人体文様付有孔鍔付土器」は類例が少なく、世界中の考古学ファンに知られる存在です。

 円錐形土偶 (子宝の女神 ラヴィ)
  高さ約25cmと大型で、円錐形のお腹は安定しています。乳房があり、さらに大きく膨らんだお腹には左手が添えられ、右手は腰をおさえている。
  妊婦さんがお腹の赤ちゃんをいたわっている様子が表現されているようです。家族やムラの繁栄を祈ったことでしょう。

  また、空洞のお腹は鳴子で、土鈴になっていました。この鳴子はお腹の赤ちゃんを表しているとも言えます。まさに命の象徴とも言える土偶です。

 人体文様付有孔鍔付土器
  樽のような形の土器の表面に踊っているかのような姿が丁寧に描かれています。用途は、果実酒醸造の酒造容器説、太鼓説に分けられます。
  一般的な土器には見られない文様であり、また、あまり多くは出土しないことから日常用ではなく、祭り事など特殊な用途と考えられます。

 鋳物師屋からのメッセージ
  鋳物師屋遺跡の出土品は世界の博物館で紹介されているだけでなく、様々な本の表紙を飾り、図鑑などにも多く登場しています。

  まさに日本縄文文化の「顔」と言えます。ほぼ完全な形をした数少ない例であることと、見た目の芸術性、そして何よりも、
  鋳物師屋遺跡縄文人達の「祈り」や「命」の大切さ、「愛情」などが感じられるところに世界中の人が強く惹かれているのです。

  鋳物師屋の縄文人たちが残してくれたメッセージは、現代の私たちこそが受け止めるべきものなのかもしれません。

  ※情緒的表現が強い文章ですが、最後は特に、考古学を離れた、かなり感情的に過ぎる表現です。



  53円錐形土偶の海外出張履歴

土偶は通常破片で発見されることが多いが、当土偶は完全形に近い状態で出土しています。
華麗なる海外出張歴 H7重文に指定
H7イタリアローマ市立展示館
H9マレーシア国立博物館
H13イギリス大英博物館
H14韓国国立中央博物館
H18カナダモントリオール博物館
H21イギリス大英博物館
その他国内への貸し出しは多数

  人体文様付有孔鍔付土器

表面に土偶を貼り付けた土器で、非常に珍しく愛嬌ある顔やしぐさに縄文人の感性が光る。、



 土偶装飾土器
 鋳物師屋からは、土偶装飾の土器も出土しており、後姿は両腕でお腹を抱えているように見え、土器が土偶のお腹を表現しているかのようです。

 鋳物師屋縄文人の豆栽培
 レプリカ法により、出土土器表面の穴が、大豆・小豆・エゴマの痕跡であったことが判明した。全て栽培種で、栽培が行われていたことが分かります。

土偶装飾土器 鋳物師屋縄文人の豆の栽培


  60土器

  61鋳物師屋遺跡-右後

  61鋳物師屋 土器 後ろ
  62


 62a〆木遺跡 下市之郷


カエル?ヘビ?


  63鋳物師屋 前 

 



   鋳物師屋 前 

 63a装飾土器 

 何を想定して装飾しているんでしょうか。

 多数の穴の開いた円盤と、両生類のような
 装飾文。
 それに、見たこともない、隆起線を縦に貼って
 指で潰して、蛇の抜け殻のような文様を刻み
 下には波打つ隆起線を円弧状に配している。


 土偶装飾土器 

   神像筒形土器 (井戸尻考古館) と同じモチーフの土偶貼付土器です。肩パットに施された文様は神像筒形土器と全く同じです。
   井戸尻の精緻で写実的な文様に比べ、鋳物師屋のものはスッキリとした現代的なシンプルな装飾です。  参照もう一つの神像筒形土器


肩の文様


  土偶装飾把手 

     蛇の攻撃的な、鋭い目つきを持ち、
 側面にはとぐろを巻く蛇体を表現している。

 台湾原住民の村で見た土器には、百歩蛇と
 が配置されているが、
 これほど大きく攻撃的な蛇の象徴化は珍しい。


 65鋳物師屋遺跡 土偶装飾把手 
   土偶は見えませんが、装着していた、土器片かもしれません。

 65鋳物師屋前右 
 66

 67土製品 
  浅鉢、装飾土器片、筒形土器、ミニチュア土器、環状土製品など、祭祀具や土偶の破片のようにも見えます。

 70
 71
 72
 


 80


 81百々・上八田遺跡 

  旧石器時代の石刃、約1万3000年前
  縄文時代後期の鯛の背骨


QRコード
石刃/旧石器時代
約1万3000年前以前

当時から鯛は美味しいと、干物にして交易した
鯛骨/縄文後期
約4000〜3000年前
タイの背骨相当に大きい鯛で、深場の鯛を大変な技量 タイの椎骨
と、工夫した仕掛けで釣り上げたようです。


 百々・上八田遺跡

  縄文時代後期初頭のタイの第二椎骨。その大きさから体長40cmを越える大型のタイと想定される。
  当時、内陸部であったこの周辺に於いても鯛が流通していたことや、同時に保存技術が確立していたことが分かるなど、この小さな資料が伝える
  情報は多い。


 ※鯛は深場にいる魚です。それを釣り上げる仕掛け、特に糸、20m〜30mほどの深場とポンピングできる糸と、糸を切られない釣りの腕。
  釣り上げた、肉厚の魚を干物に乾燥させる技術。やはり、寒風が吹く時期が最適か。 

  それを内陸部まで運んで交易する物流の技術とネットワーク。

  縄文時代にすでに現代と同じような釣りや魚加工技術、運搬技術や、交易ネットワークが存在したことは、大変な驚きです。
  そして何より、やはり、鯛がおいしい魚であると、当時から釣りの対象魚であったこともおもしろいですね



 82石器 


石皿・打製石斧
石臼のように深く磨滅した石皿。
北海道では石皿が女性の副葬品ですが、こんなに磨滅していません。

特殊な用途か、何代にも渡って使ったものか、驚きです。

磨製石斧
このタイラギガイ似の大型磨製石斧は、どこかの文化圏で見たことあります。
実用品でなく、祭器だったと思いますが。
水晶原石・石鏃・
石錘・石皿・磨石
水晶原石 黒曜石石鏃
 
石錘
 
石皿・磨石
 黒曜石石屑    石匙
横型(西日本型)
縦型(東北型)
 磨製石斧


 83土器 横道遺跡/下市之瀬 

   横道遺跡は、縄文時代後期初頭の敷石住居。
   石を敷いたり、並べ立て囲んだりしたもので、その様子が良好に残った数少ない例。現在携帯鉄塔で破壊。


土器片
 


 84土器 徳永・御崎遺跡 

  御勅使川扇状地を釜無川が削りとってできた. 崖上にある遺跡。
  縄文時代後期、古墳時代後期、. 平安時代と複数の時代に渡る遺跡である。遺跡. の北側には中世金丸氏の館跡、長盛院がある。.


堀之内1式土器
   


 85新居田遺跡  平岡 

   新居田B遺跡 縄文中期〜古墳時代初頭の住居跡が発見。この一帯の、特に漆川を望む崖線際に縄文時代晩期の遺跡を検出。
   新居田A遺跡 縄文中期前半の竪穴建物跡と、弥生時代終わり〜古墳時代の竪穴建物跡発見。


新居田B遺跡/平岡
十能形土製品
土に埋設され歪み潰れたようです

新居田B遺跡/平岡

新居田A遺跡/平岡
縄文中期初頭
 五領ヶ台U終末期
縄文晩期終末期
 氷T式土器
   (貼付突帯)

 87曽根遺跡 上宮地  土器形式 曽利U〜X式 諸磯B式 五領ヶ台式 藤内式〜井戸尻式 東海系の大廓式などである。




90北原C遺跡



 91水煙文土器  縄文中期 約4500年前

  縄文時代後半の八ヶ岳周辺地域に限定される土器で、把手が豪華で渦巻きや曲線などで表され、まるで水煙が立ち昇る様子に見えることから
  名づけられました。水煙把手土器とも呼ばれます。

  水煙文土器は主に円やS字模様の豪華な把手と、モンブランのような把手がありますが、北原C遺跡からはその両方が出土しています。
  北原C縄文人の美のセンスが感じられる大変貴重な資料です
 91

上に記述
 92
 93
 94

側面の玉抱き三叉文等有意味の施文あり

器台から発展した台付浅鉢でしょうか

器台でしょうか

 100前 北原C遺跡


 101前

 102

像鼻のような把手

 103釣手土器様の土製品


蛇の把手付土器

装飾性の高い鉢
釣手土器か

こちらも同様です

釣手の破片
 104
 
 107前右

正中線を描いたような
この幾何学的模様の装飾は、図形幾何学に長じた人
 
 110 
 111後ろ
 112

把手のような装飾
 115後ろ

これも釣手土器のよう

蛇の頭の装飾土器?

これも蛇が鎌首を持ち上げたところを表現か
 119後ろ

王冠型土器でしょうか
トロフィー型でしょうか
内側の穴は何だろう
 




 120北原C遺跡

 土偶 南アルプス市の土偶 全員集合!
  南アルプス市を中心とする甲府盆地の西縁地域は長いこと縄文時代の遺跡が少ない地域とされてきました。

  昭和50年代に入り発掘調査が急増し、土偶の発見例も徐々に増えています。
  鋳物師屋遺跡の円錐形土偶のように割られない土偶がある一方、頭部や脚部などのように体の一部だけが出土する例が大半を占めます。

  今回初めて公開する2点の土偶片も体の一部のみが発見されています。


  北原C遺跡の生命感
  北原C遺跡は縄文時代中期後半の集落遺跡で、出土する遺物に特徴があります。
  集落のごく一部を調査したに過ぎませんが、土偶破片の出土密度が高く、また、土偶の縁に付けるために作られた顔面把手が2点出土した。

  また、3本指の「手」が描かれた土器や、カエルやイノシシなど様々な動物を装飾した土器もあり、土偶や動物を通して新しい生命や繁栄、
  豊穣などを祈ることを大事にして北北原C遺跡の縄文人の「こころ」を垣間見ることができます。


 121北原C遺跡の土偶

北原C遺跡

 122動物装飾土器 北原C遺跡
   土偶の代わりにイノシシが装飾された土器

この大きな鼻の穴は
イノシシの把手のようです
 124人面把手

ミニチュア土器
 125土偶の破片
 126土偶の破片
 128三本指の土器

このトグロは蛇か?

蛇、山椒魚、精霊?
三本指の土器
両生類か精霊か
 129

三本指の土器
鋳物師屋遺跡

土偶部分・頭部
曽根遺跡,東久保A遺跡

土偶部分
新居田A遺跡

土偶部分
山の上遺跡
 
 130北原C遺跡
 131後ろ

美しい櫛書き文
櫛書き文とうねった線は、
草むらと隠れている蛇を
描いたように見える。



 132動物装飾土器  縄文時代中期 約5000〜4000年前 北原C遺跡

  北原C遺跡からは上を向いたヘビが装飾された土器も数点発見されています。
  装飾としてのヘビの表現は三角や台形の頭に、ウネウネとした胴体や編み込んだような胴体、あるいはとぐろを巻いた様子が多いです。


 133前 ヘビを装飾した土器

   沢山の蛇が描かれています。編み込んだおさげ髪のような装飾は、何匹もの蛇が絡まって交尾している様子を描いたもののようです。
   周り中に本当にたくさんの蛇の交合の様子が描かれた特殊な土器です。


蛇の抜け殻のような

ミミズか蛇か
 140

 141後ろ  
動物装飾土器
蛇二匹装飾されたか


  縄文時代後期の土器
    見たこともない渦巻き文様と、その中心にある小穴は、まるで、豆などを埋め込んで描き始めたような描画である。
    更に、口縁部に有孔を思わせる穴と、四辺にある装飾。ヒョウタンを思わせる緩やかにくねった胴部は実に美しい。(ひさご形?)



  中畑遺跡




 145前 浅鉢 鉢
 


 150中畑遺跡
   縄文前期前半(約6000年前)の、市内最古の住居址群を検出。
     その他、縄文中期〜後期、晩期、弥生中期〜古墳初頭、などの集落跡が検出。

   縄文前期の住居跡から、中越式 (伊那谷中心) の丸底深鉢を検出した。

 151中畑遺跡 縄文時代中期  約5000〜4000年前



 152中畑遺跡 縄文時代中期 約5000〜4000年前


残念ここでは大きく映ってなかった。
QRコード
 160後ろ
 161
 162中畑・長田口遺跡
 163
 164
 



 180長田口遺跡 縄文晩期


  184大型石核・土偶・石棒

   長田口遺跡では,縄文晩期の土坑から、黒曜石の大型石核が4点、1点約1kgが出土しました。
   晩期にこれだけの大きさは考えられないものです。
   黒曜石産地と、太平洋側地域との間で、仲卸をしていたのではないかと考えられています。ほたるみ館北側

石錘

土鈴または土版
土偶

土器底の編み物模様

土器を回転させるため切った編み物を敷いた
黒曜石の大型石核 石棒と岩偶?
QRコード

  185顔面付土器

フクロウが羽根を広げて滑空しているのかと

この顔は何に見えるでしょう。フクロウ?蛙?

只の把手?神鳥の翼?

とても現代的な施文です

QRコード

  縄文晩期にあっては、遮光器土偶にも見えます。
  また、顔の左右に広がる口縁部のピンと立ち上がった把手は翼の先。フクロウがさっと飛び立ち、獲物にとびかかる姿にも見えます。



この流麗な施文は
風にもみえる。
 
 190展示室全景
 




 200一階展示場






 200弥生時代



  201
 稲作の始まった頃 台地から低地へ


  縄文時代も終わりになると、人々は高台の見晴らしの良い環境から、一段下った低地へと活動を広げ始めます。
  市内全域の扇状地上に於いて、縄文晩期から弥生時代にかけての遺跡が数多く確認されています。

 向河原遺跡では
  弥生時代中期末〜後期の水田跡が発見されるなど、生業と共に活動が変化していくことが読み取れます。

 六科丘遺跡(あやめが丘)
  弥生時代後期には六科丘遺跡などのように依然として台地上を中心に広く集落が展開するほか、扇状地に於いても

 十五所遺跡
  みられる方形周溝墓群や、村前東A遺跡のような古墳時代初頭へかけての大規模な集落などが展開し、この地域における
  大幅な人口増加が認められます。そして後の古墳時代を迎えるのです。

稲作の始まった頃
台地から低地へ
住吉遺跡の土器

QRコード

天神社遺跡 川上
縄文晩期〜弥生前期
約3000〜2000年前
右半分:長田口遺跡
右半分:新居田B遺跡



  210弥生時代後期


  211住吉遺跡
   弥生時代後期 (約2000〜1700年前) 、東海地方との関係を示す豊富な土器群に象徴される特徴的な集落遺跡です。

住吉遺跡

  212六科丘遺跡(あやめが丘) 弥生時代後期 (約2000〜1700年前)

弥生後期
約2000〜1700年前
六科丘遺跡(あやめが丘)

 



 220古墳時代




  221ヤマト政権と南アルプス市のクニ

  村前東A遺跡のような大規模集落で見られるように、膨大な人口増加を迎えた古墳時代初頭の南アルプス市域は、弥生時代に引き続き、
  台地、扇状地ともに大規模な集落が営まれ続けます。

  古墳時代前期末〜中期になると、台地の先端部など、甲府盆地にせり出した眺望の良い場所に古墳が築かれ始めます。

  物見塚古
  現存している最も古くそして最大の古墳は物見塚古墳で、ヤマト政権との繋がりを示す前方後円墳の形をしています。
  河川によって浸食された各舌状台地の先端部にはそれぞれ古墳が築かれていますが、それらはみな物見塚古墳の後継のものとみられ、
  それ以降円墳のみが確認されています。

  低墳丘墓も築かれ、後期になると台地下の扇状地に群集墳が築かれ、古墳時代の集落が営まれていたようです。
    
ヤマト政権と南アルプス市のクニ
上に記述

六科丘遺跡
(むじなおかいせき
・こふん)

六科丘遺跡

寺部村附第6遺跡
弥生中期
村内遺跡 

  222寺部村附第6遺跡

  223村内遺跡 古墳時代中期 5世紀

古墳時代中期/5世紀


  225野牛島・西ノ久保遺跡 野牛島 平安時代 9〜12世紀


  生産遺跡と礫郭墓、和鏡
    平安時代後期の住居跡からは雁又鏃が発見され、また炭焼窯や、平安時代末期の礫で囲んだ墓坑からは和鏡が発見され。
    生産や特殊な身分を示す遺構が特徴となる。


12世紀頃の和鏡

礫郭墓

  野牛島・西ノ久保遺跡の 大甕
    遺跡内の浅い谷底から発見された須恵器の甕。形はゆがみ、窯体の一部が融着することから、廃棄された失敗作であると考えられ、
    この付近に須恵器の窯があったことが推測される
 






 350古代









  351奈良・平安時代



 甲斐源氏活躍の礎

 甲斐国
  奈良時代の直前、山梨県の原型となる「甲斐国」が誕生します。律令制が始まり、全国に国郡里(郷)が施行され、市域は巨麻郡に組み込まれた。

  遺跡の分布は、御勅使川扇状地先端部に集中する傾向があり、段丘上に住みながら、水の豊かな低地を新たに開発した人々の様子が伺えます。
  時代が進むにつれ百々遺跡にみられるように扇央部の開発も進み、扇状地上に「八田牧」と言う馬・牛を飼育する施設もあったと考えられています。

 甲斐源氏
  こうした新たな開発による生産力が着目され、市内甲斐源氏の祖となる遠光が加賀美に配されます。その後、遠光は長男光朝を秋山に、
  二男長清を小笠原に置き、市内に甲斐源氏の礎が築かれていきました。こうして南アルプス市の武士の時代が幕を開けます。

鋳物師屋遺跡 村前東A遺跡 百々・上八田遺跡 野牛島。.・西ノ久保遺跡
奈良・平安時代 甲斐源氏活躍の礎


  352奈良時代



・野牛島・大塚遺跡
  奈良時代8世紀
・溝呂木道上第5遺跡   十日市場
 平安時代9〜12世紀
野牛島・大塚遺跡
奈良時代8世紀

向第1遺跡 十日
奈良時代

野牛島・大塚遺跡
奈良時代8世紀

溝呂木道上第5遺跡 十日市場
 平安時代9〜12世紀
  353
野牛島・大塚遺跡
徳永・御崎遺跡
古墳後期6〜7世紀
徳永・御崎遺跡
古墳後期6〜7世紀
 

 平安時代



  354〆木遺跡 平安時代 9〜12世紀


〆木遺跡/平安時代
9〜12世紀

  355鋳物師屋遺跡 下市之瀬/平安時代9〜12世紀

鋳物師屋遺跡 下市之瀬/平安時代9〜12世紀 鋳物師屋遺跡 下市之瀬/平安時代9〜12世紀

角力場第1遺跡

角力場第1遺跡

鋳物師屋遺跡

鋳物師屋遺跡

〆木遺跡
  356

〆木遺跡
宗持の里遺跡
中世13-16世紀
  357

宗持の里遺跡
中世13-16世紀

野牛島・大塚遺跡
  358村北第2遺跡  中世13-16世紀

村北第2遺跡
中世13-16世紀
 






 360中世






  361武家文化の台頭

 遠光、長清親子は、源平の合戦から鎌倉幕府の成立と確立に深く貢献した。市内には活躍した甲斐源氏の武士達ゆかりの遺跡が随所にある。
 一方大師東反保遺跡では、洪水に被災し砂礫に埋もれた集落跡が発見され、水害の危険と隣り合わせだった低地開発の様子を垣間見られる。

 鎌倉幕府が滅亡し室町幕府が成立する動乱の時代、県内では禅宗の信仰が広がり、市内でも夢窓国師が臨済宗長禅寺を鮎沢に建立している。

 戦国時代に入ると、市内南部に甲斐源氏末裔の大石が勢力を拡大し、武田氏と激しく対立した。両者は後に和解し、武田家に嫁いだ大井夫人は
  晴信(後の信玄)を生むことになる。徳永には武田氏の重臣であった金丸氏が居を構え、武田氏の甲斐国支配を支えた。

武家文化の台頭
上に記述

上ノ東古墳/
古墳中期5世紀

上ノ東古墳/古墳中期
六科丘古墳
(あやめが丘)

野牛島・市之久保遺跡
平安時代9-12世紀

物見塚古墳 
古墳時代4世紀

QRここは残念これしか


  363溝呂木道上第5遺跡 鎌倉時代12〜14世紀

溝呂木道上第5遺跡
鎌倉時代12〜14世紀
 
 




 370近世




  371水を治め水を生かす知恵と技術


ピンボケ
終わりで気が緩んだんですね

宮沢中村遺跡




 380近現代





  381近代技術の導入と戦争の影

  水害の克服に腐心した南アルプスの人々。地域で長く守られてきた堤防は近代に受け継がれ、明治維新による新たな治水思想によって
  改修されていきます。「石積出四番堤」の発掘調査では、鉄線蛇籠や木工沈枠といった新たな技術に守られた近代の堤防遺跡が確認された。

  また「砂防」という新たな思想の導入により国登録文化財「芦安堰堤」が造られるなど、市域は、治山・治水技術が試される先進地となっていく。

  そして、近代の遺跡として忘れてはならないものに「口タコ=ろたこ」(御勅使河原飛行場)があります。
  長さ1500mの滑走路を中心に約800haもの範囲に及んだロタコ工事には、地域住民や朝鮮人労働者が広く動員され、

  地域の負の歴史を伝えるモニュメントとして、アジア太平洋戦争末期の記憶を現代に伝えています。

近代技術の導入と戦争の影


  390一階ロビー展示

   391

土器サンプル

土偶を作ろう
蛇籠
石を詰めて川底に沈め
河川工事を行った。
信玄堤など


  632 寺部村附第6遺跡 古墳中期5世紀


寺部村附第6遺跡
古墳中期5世紀