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縄文土器を飾る複雑なデザイン。縄文人は様々な手法を駆使して文様を刻み、美しい土器を生み出しました。 その形は、1万年以上に及ぶ縄文時代にあって多様な変化を遂げます。 端正な形に仕上げられた石槍や石鏃などの石器にも、磨き抜かれた製作テクニックを見て取ることができます。 本企画ではそうした縄文の技と美を、長野や新潟の遺跡から発見された様々な出土品の中に辿ってみます。 |
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210入口展示
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213原始古代年表 |
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214神子柴形石器群 草創期
石器
考察 両尖匕首 縄文時代前期特有の特殊な石器です。 米沢市 一ノ沢遺跡 (6000年前) で製作され、東北南部から関東地方へ搬出されていた。 引用米沢 一ノ坂遺跡 6000年前の日本最長のロングハウス | 米沢の歴史を見える化 情報はほとんどありませんでしたが、上記のブログによってその全貌がわかりました。 以前取材した高畠町郷土資料館の米沢盆地付近では、このような特殊な形状の石器が多く生産使用されていました。 それが、山形県から長野県にまで流通していたとは驚きです。 米沢周辺の石材は、頁岩が中心ですが、展示の石材はガラス質で、黒曜石のように見えます。 秋田・青森の石材を使って米沢で製作し、米沢から運ばれたものか、米沢からやってきた人々が信州の黒曜石で作ったものか、不明です。 しかし、一緒に展示されている有茎尖頭器は頁岩性であり、その他の石器には黒曜石が多く使用されています。 両尖匕首は、信州で作られたものかもしれません。 |
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215縄文人の道具 遺跡に残された石器や骨角器からは、縄文人のモノ作りの腕前を見て取ることができる。 ガラスのように鋭い黒耀石などの石器は、石や角のハンマーでうち欠いて作られたり、 シカ角の先を強く押し当てて細かな加工をする押圧剥離法で製作したものと考えられる。 今と全く変わりのない極細の骨製縫い針も見られ、皮などの縫製も行われていた。J字型の釣り針も作られ、釣をしていたこともわかる。 刃を磨いて作られた磨製石斧は、鉄の斧とさほど変わらない伐採力を持っていた。 |
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217草創期~前期の土器
資料 諸磯式土器 赤城山南麓の縄文part1 諸磯式土器 画像 諸磯式土器 解説 諸磯貝塚 土器画像 国学院大学 |
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218中期土器 5000年前の世界 縄文土器の中でも、とりわけ5000年前頃の中期の土器は、その地方独自の過剰ともいえる装飾がつくことで知られている。 浅間山麓では、焼町土器と呼ばれるドーナツ状の飾りや曲線で飾られた土器が作られた。 新潟では焔のような火焔型土器が、 関東では勝坂式土器がつくられた。 これらの文様は、それぞれの地方や集団のシンボルとして、重要な意味を持つものであったと考えられるが、そのメッセージを読み解くのは 困難な作業である。 |
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221火焔型土器 森上遺跡 中期 十日町博物館 森上遺跡 - 新潟県立歴史博物館 2006十日町市勢要覧 -散歩みち- とおかまち 歴史を歩く
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222焼町式土器 (やけまち) 川原田遺跡 中期 浅間縄文ミュージアム
約4,500年前の焼町土器の特徴は、 眼鏡状やV字型の突起・渦を巻きうねる曲線、それに添う沈線と列点刺突文など躍動感溢れる文様で飾られている。 数多く出土した焼町土器はどれ一つとして同じデザインのものはなく、美しさの原点は「奔放と究極なまでの装飾」を追及したことにあると云える。 これらは浅間山麓特有の土器で、縄文土器工芸の最高傑作の一つであり、縄文中期文化の中心的存在であったと云える。 転載長野県御代田町の縄文遺跡 - Hi-HO |
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223神像筒型土器 藤内遺跡 井戸尻考古館 中期 もうひとつの「神像筒形土器」 縄文時代と現代の接点 ●長野県藤内遺跡出土品 転載長野県藤内遺跡出土品 - 信州の文化財 - 財団法人 八十二文化財団 八ヶ岳山麓の縄文中期集落跡からの出土品。人の姿をかたどったような大型の筒形土器 (神像筒型土器)や、 人あるいは蛙が踊るような文様を施した有孔鍔付土器 (半人半蛙文有孔鍔付土器) など、装飾性に富んだ様々な文様が描かれた土器がある。 中部高地における縄文土器の一つの到達点を示す一括資料として重要。 転載長野県藤内遺跡出土品 - 財団法人 八十二文化財団 |
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224有孔鍔付土器
●久保 上ノ平遺跡出土品 転載1. 縄文中期の集落遺跡 久保 上ノ平遺跡 遠く南アルプスを遠望する天竜川の河岸段丘の上の、縄文中期の集落から奇怪な人体文様をつけた有孔鍔付土器が出土した。 ・久保上ノ平遺跡解説 天竜川を東に見下ろす南箕輪村久保上ノ平地籍の河岸段丘の標高約700mの傾斜地にある縄文中期、弥生後期、奈良末期から平安中期と ほぼ三時代が重なる複合遺跡で、弥生後期の方形周溝墓も見つかった。 出土した土器は人体文付き有孔鍔付土器や、手の文様土器などが有名。「一軒に一個ではなく、集落に1,2個あり共同で使われていた」と推測され、 人体文付き有孔鍔付土器は「人間の上半身と下半身を分けて描き、顔はドクロ様。目は吊り上る」など出土例のない不思議な人体文である。 また、この久保上ノ平遺跡では 土器が野外にも 規則正しく埋められた特殊遺構や配石遺構など 今までに例のないもので、浅鉢型土やその他 多数の出土状況なども総合し、祭祀的色合いの強い集落であると考えられている。 ・有孔鍔付土器解説 長野~山梨の中部地方の高地では 縄文前期末期から中期終末にかけて動物や人体文、人面の装飾をつけた特徴的な土器が出土する。 中部高原地帯の縄文人が好んで描いた人物模様の土器は越後の火焔土器、青森の縄文土器と並ぶ造形美を誇る縄文土器のひとつである。 そんな土器の中に、「有孔鍔付土器」と呼ばれる土器がある。 口縁部に内壁を貫通する直径5mm 程度の小孔が列状に数個から20 個程度空き(有孔)、胴体中央部に鍔状隆帯がある(鍔付)。 一般的な深鉢型土器と異なり樽型や壺型のものが多く、口部上面は平坦で、蓋をすることができたと考えられている。 中でも、人体文の模様が付けられた土器は非常に珍しく東日本を中心に37点しか見つかっていない。 特に 赤石・木曽の両山脈に挟まれた伊那谷の北部 天竜川を東に見下ろす南箕輪村の河岸段丘にある縄文中期の集落 久保上ノ平遺跡から 出土した人体文付き有孔鍔付土器は特に特異な珍しい人体文の装飾がほどこされ、注目を集めた。 こんな不思議な模様の土器 はビックリですが、出土の数が少ないことや出土の状況から祭祀に使われたものと見られています。 また このような鍔付土器の使用目的は 1. 土製太鼓説 2.酒具説などがあり、今は酒具説が有力です。でも 真偽のほどは 良くわからない。 また、 この人体文付土器のほか、長野や山梨からは数多くの縄文の人面土器が出土している。 |
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225祭祀具 |
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226釣手土器 縄文中期 ここに揚げられた土器はとても有名で、普段見られない物が多い 人間の顔や動物の釣手の付いた土器が、中部・関東地方の縄文遺跡から時折り出土する。 その内部で火を灯したランプと言われる土器だが、鍋のように火に掛けられたらしいものもあって、謎の多い土器である。 仮にランプだとしても、日常的な灯りというより、神聖な火が灯ったのだろう。
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227釣手土器 縄文中期
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228有孔鍔付土器 土器の縁に鍔と小さな穴が巡る有孔鍔付土器が、縄文時代に特徴的にみられる。 ある研究者はこの穴と鍔を利用して皮を張った、土器太鼓であるとし、別の研究者は醸造具、酒造りの樽ではないかと考える。 この土器には人体の模様が付けられることが多く、いずれにせよ特別な器であったようだ。 |
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229顔面付深鉢形土器 中期 月見松遺跡 伊那市 |
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231縄文土器のデザイン 燃え盛る炎のような火焔型土器、湧き出ずる泉のような水煙土器、縄文土器のデザインには、容器という機能に逆行するかのような 激しい装飾がなされたものがある。 ウルシ塗りの赤い器や黒く研磨された壺など、美しい彩色の土器もあり、縄文人の美意識には感嘆させられる。 |
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232水煙把手付土器 /曽利遺跡/井戸尻考古館 曽利遺跡 |
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233土器形式 「ところ変われば…」ではないが、同じ時期の縄文土器でも、地域によって様々な表情の違いがみられる。 例えば、5000年前の縄文中期の土器では、浅間山麓周辺には焼町式、新潟にはよく知られた火焔型や王冠型、 北関東には阿玉台式、南関東には勝坂式など個性豊かな形と文様を見せる土器が広がる。 文様は決して適当につけられたものではなく、地域の集団ごとにそれぞれ何らかのシンボルやメッセージを表したものなのだろう。 派手な装飾を持つ縄文土器も、内部にはコゲが付くこともあり、実用のナベだったことが伺える。 |
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234いろいろな土器形式 今から1万6000年前に誕生し、2500年前まで作られた縄文土器には、その用途に応じたいくつかの種類がみられる。 尖底土器や深鉢土器はともに煮炊き用のナベで、底がとがった尖底土器は立たないため地面に埋めるなどして使われた。 器台は何かの台になった。 縁に連続して穴のある有孔鍔付土器は、上に皮を張り穴でホゾどめした太鼓説、酒造り器説があり決着を見ない謎の土器である。 人面などがつく釣手土器は、内部で神聖な火を灯したランプと言われる。 やかんのような注口土器は液体を注ぐものであろう。 |
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235中期土器 幅上遺跡 十日町博物館 |
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239火焔土器 森上遺跡/十日町博物館 |
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241後期土器 |
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243縄文土器作り 縄文土器の多くは、粘土紐を輪のように積み上げ、隙間ができないように丁寧に撫でて、様々な形を作った。 更に縄を転がしたり、竹や木などで細かな文様をつけて完成させ、一定の乾燥期間をおいて焼き上げたものと考えられる。 自由に見える文様の付け方にも、時代や地域によって決められたルールがあった。 繊細な土器づくりは世界の多くの民族では女性の仕事とされており、縄文時代も女性が作ったという方が多い。 |
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244注口土器 後期
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245土偶 |
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246入れ墨、抜歯、ピアス 縄文人は顔などに入れ墨をする風習があったらしい。遺跡出土の土偶には、入れ墨ともとれる表現が残っているからである。 また、縄文時代には、あえて健康な歯を抜く、抜歯と呼ばれる風習があった。特に口を開けたときに目立つ歯が抜かれたという。 成人の全員が歯を抜き、一人が10本以上も抜いた例も知られる。 耳たぶに穴をあけて大きなピアスをつけていたのも縄文人である。直径8cmのピアスも出土している。 激しい痛みを伴う通過儀礼を、縄文人は行っていたようだ。 |
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247祭祀具 石神遺跡 小諸市 |