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 東北の縄文1   06  2016.10.14-1

秋田県埋蔵文化財センター 秋田県大仙市払田牛嶋20  0187-69-3331撮影可
休館日年末年始、成人の日、建国記念の日、春分の日

交通
見所 すぐ前に「払田柵 (ほったのさく)」遺跡があり、見るものが多い。
解説をして頂けます。詳しい資料を大量に頂けます。
時代 縄文時代 草創期~古墳時代

  払田柵  秋田県大仙市払田 0187-69-2397 4月1日~11月30日マデ休館ナシ 撮影可
土器棺


次 

01外観

10旧石器時代
11石器

20縄文時代
21早期
22前期
24中期
25年表
27後期
29晩期
 

30縄文時代2
32土器棺
34装身具と祭祀具
35虫内Ⅰ遺跡

黒曜石
36二つの遺跡と黒曜石

40黒曜石
41人々と黒曜石
 黒曜石産地の同定
 黒曜石の産地

弥生時代
42弥生時代~近世

県内各地の遺跡と遺物 
43旧石器時代
44風無台Ⅱ遺跡
44元木山根Ⅱ遺跡

45a縄文時代早期
45上祭沢遺跡
46脇本海岸

47縄文前期
48小浜沢遺跡
49蟹子沢遺跡

51縄文中期前葉
52繋沢遺跡

53縄文中期後葉
54泉野冷水遺跡
55河辺松木台Ⅲ遺跡 

56後期
57戸島上野Ⅰ遺跡

58a晩期
58戸平川遺跡
59c大洞式土器


60弥生時代
61弥生前期
62越雄遺跡
63片野遺跡

64古墳時代
65小谷池遺跡
70平安時代

90古代

100払田柵
101遺跡
102展示館
 
 01外観
こまち車内結構揺れたのかな 大曲駅旧大曲市です。現大仙市
市役所本庁舎は大曲に在
花火通り商店街大曲一の繁華街です 秋田県埋蔵文化財センター  大曲(市)の観光情報 (旧大曲市は大仙市です)
  大仙市の観光  大曲駅周辺の観光

  全国花火競技大会 花火は季節毎にあるよ
  大曲の花火〜春の章〜 大曲の花火~冬

  田沢湖・角館 角館・田沢湖観光





 10旧石器時代



  11石器
旧石器時代 旧石器カレンダー 旧石器時代の風景ベースキャンプから離れた野営地にて 接合剥片 此掛沢遺跡米ヶ森型台形石器
剥片剥離作業を示す接合資料約18000年前 接合剥片 此掛沢遺跡 米ヶ森型台形石器 ナイフ形石器・台形石器 縄手下遺跡/能代市
小井出Ⅰ遺跡/大仙市

剥片剥離作業を示す接合資料 -移動生活を証明する-

   旧石器人は移動生活を営んでいました。それは現在の狩猟採集民の生活から推測できますが、石器からもわかります。

   龍門寺茶畑遺跡では、剥片剥離作業の前半・後半それぞれの段階を示す接合資料が見つかりました。
   前半段階の作業の続きは、次の移動先へ持ち越され、後半段階の作業は、ひとつ前の移動元から持ち込まれたことを私たちに教えてくれます。 

 疑問
   旧石器人が、大型動物狩猟を中心としたか、自然死した動物遺体採集だったかは分からない。
   あの小さな米ヶ森型台形石器で、固く分厚い大型獣の皮を裂いて肉を切り分けるなんてとてもじゃないが、小刀(こがたな)でクジラを解体する
   のに等しい。

   随分あとに大きな石刃が登場するが、それまではどうしたんだろう。

   また、寒風で乾燥した肉を火であぶったとしても、とても固くて食えたものじゃない。叩いて柔らかくしないと食えたもんじゃない。
   しかし、叩き石も石皿もない。

   ビーフジャーキー状にしてならそうでもないが。そんなに小さく切れない。どうしたんだろう。想像もつかない。






 20 縄文時代




縄文時代 草創期 (約1万5,000 - 1万2,000年前)  
早期 (約1万2,000 - 7,000年前)  
前期 (約7,000 - 5,500年前  
中期 (約5,500 - 4,500年前)  
後期 (約4,500 - 3,300年前)  
晩期 (約3,300 - 2,800年前)  引用Wikipedia縄文時代




  21縄文早期(約1万2,000 - 7,000年前


貝殻文土器坂下Ⅱ遺跡/大館市 貝殻文土器坂下Ⅱ遺跡/大館市
根下戸道下遺跡/大館市
縄文時代の風景 根下戸道下遺跡石錘・磨製石斧・打製石斧 石匙・石槍・石鏃
  縄文時代の風景  定住集落にて
   気候が安定した縄文時代には、竪穴住居が建てられ、安定集落が出現しました。
   縄文人は豊かな森林資源に支えられた東北地方で、自然の恵みに謳歌したことでしょう。





  22縄文前期前期(約7,000 - 5,500年前)
尖底土器/ 前期初頭物見坂3遺跡三ヶ田館跡/(鹿角市) 縄文前期/5000年前
/池内遺跡
円筒土器

池内遺跡/5000年前
石錘 石錘・尖頭器・石錘
石錘・尖頭器三ヶ田館跡/鹿角市 石錘潟前遺跡(第1次)/仙北市





  24中期中期(約5,500 - 4,500年前)
大木式土器
ピンボケなのでって両方や
参考 大木8b式土器
出典不明
朝日下層式に似ています和田Ⅲ/4500年前 古館堤頭Ⅱ遺跡/三種町 剥片上谷地/横手市
深鉢 東日本全土に広がるアスファルトの産地と消費地 烏野上岱遺跡3号住居遺跡 アスファルト精製土器瀝青を入れて熱し流動化させて分離した アスファルト精製工房縄文中期の住居跡出土の土器の中に精製したアスファルトが貯まっていました。 内部にこびりついた瀝青遺跡近くの駒形の瀝青湧出地から砂ごと採取し、熱して不純物を除いた
アスファルトの貯まった様子 家ノ前遺跡/由利本荘市
烏野上岱遺跡/能代市



  25年表




  27後期(約4,500 - 3,300年前)
狐森遺跡/三種町 ヲフキ遺跡/にかほ市 土偶ヲフキ遺跡/にかほ市 土偶ヲフキ遺跡/にかほ市
石皿 (北海道と共通形)長戸呂遺跡/湯沢市 石刀堂の下遺跡/三種町 角柱状土製品江原嶋1遺跡/横手市
後期3500年前
異形石器ヲフキ遺跡/にかほ市 異形石器
鋭く複雑な剥片を
こんなに沢山
何に使ったんだろう。
異形石器ブローチでもないし、
根性焼きの道具でしょうか。勇者を示す傷をつける道具かも知れません。




  29晩期(約3,300 - 2,800年前)

 戸平川遺跡 秋田市 縄文晩期中葉

   JR秋田駅から北4.2km標高30mの旭川左岸に立地。日本海東北自動車道近辺。
   縄文晩期中頃の土坑墓87基、4本柱の掘立柱建物跡5棟が検出。

   遺跡南側の沢の中からは、祭祀具が大量に発見された。中でも、
   漆製品や木工細工には土器、弓、櫛、カゴなどの当時の漆工芸技術の高さを物語る吉様な遺物が出土した。
 
戸平川遺跡 戸平川遺跡 大洞式土器 大洞式土器 出土状況
赤彩土器 磨石-顔料を磨り潰す- 縄文晩期の漆塗り土器 漆塗り土器
漆塗り土器
-光を放つ赤と黒-※2

何これ!石槍の先端
磨いたヒスイ玉、ピアス
耳栓、かなぁ
ベンガラのかけらが入っていた土器とベンガラ

 磨石-顔料を磨り潰す-
   これはベンガラなどの赤色顔料を磨り潰す道具です。 ペンガラとは酸化第二鉄を主成分とする天然鉱物です。秋田県内には産地はありません。
   ベンガラは、土器にそのまま塗られたり、漆と混ぜて赤漆を作ったりするほか、埋葬儀礼の一環として死者にふりかけられたりもしたようです。

   戸平川遺跡で磨石が3点も出土したことから、赤漆を生成していたことが分かりました。

 ※2漆塗り土器-光を放つ赤と黒-
   戸平川遺跡では鮮やかな光沢を放つ漆塗り土器が特徴的に出土しています。使い続ければ漆の光沢は次第に色あせていく行くはずです。
   展示品にあるような光沢をもつ土器は、おそらく1度きりの使用だったのでしょう。

   また、この遺跡では黒漆塗りの土器がまとまって見つかったことも特徴の一つに挙げられます。
   赤と黒の対照的な色使いは、縄文人にとってどのような意味があったのでしょうか。




 30縄文時代2
  32土器棺 -縄文の再葬墓-
館で頂いた資料をこのまま置き忘れたよ

 再葬
  土器棺は幼児・嬰児も、成人も使用しました。すると、遺体を3か月ほど風葬にして骨だけにし、土器棺に収納したようです。
  死体の腐敗処理のためには屋根をかけ、山犬やカラスに持って行かれないよう、人を張り付けていたかと思います。

 秋田埋文で、入館時にもらった貴重な資料を、忘れて帰ってきたのは本当に残念、おしいことをしたと思いました。


  34装身具と祭祀具

耳飾りとかんざし/上げ髪の土偶頭部

赤色漆塗り耳飾り/分谷地A遺跡

貝製ブレスレット/船泊遺跡

ヒスイ製珠/下宅部遺跡

漆塗櫛/是川中居遺跡
服の文様デザイン例/蒔前遺跡

刺繍に使った赤糸/青田遺跡

朱漆塗木製水差し/分谷地A遺跡

服の文様のモデル工字文/添山遺跡

貝玉のアンクレット/船泊遺跡 


  35虫内Ⅰ遺跡/横手市山内  虫内1遺跡 - 全国遺跡報告総覧

土偶虫内Ⅰ遺跡/横手市 耳飾り 縄文の装い 耳飾り





 黒曜石


  36戸平川・堀ノ内遺跡と黒曜石原産地

 参考リクン
   戸平川遺跡 (秋田県秋田市添川字戸平川)  戸平川遺跡 戸平川遺跡出土土面、地方遺跡出土土面
    堀ノ内遺跡 (湯沢市上関字堀ノ内21外)    堀ノ内遺跡

  様々な産地の黒曜石
    黒曜石の原産地を知るには、蛍光X線分析を使います。黒曜石を構成している元素の比率が原産地ごとに違う特性を生かした方法です。
    この方法が未確立の20年以上前には、肉眼で原産地を推定していました。

様々な原産地の黒曜石 戸平川・堀ノ内遺跡と
黒曜石原産地
北海道・東北の黒曜石産地
北海道の黒曜石産地 東北地方の黒曜石産地 新潟県の黒曜石産地
堀ノ内遺跡の黒曜石交易 雫石・
湯ノ倉・
霧ヶ峰・
月山・
男鹿・
深浦・
出来島
男鹿産男鹿から戸平川へ 男鹿産 長野県産黒曜石




 40 黒曜石 

 41人々と黒曜石

 黒曜石産地の同定
   黒曜石の産地推定分析の結果、男鹿に近い戸平川遺跡では9割以上が男鹿産黒曜石でした。県南内陸の堀ノ内遺跡では半数以上が月山産。
   その他にも湯ノ倉など比較的近い産地がまとまってあり、日本海沿岸部の男鹿、出来島、深浦、更に遠く信州霧ケ峰からも黒曜石が運ばれました。

  参考新潟県北部地域出土黒曜石製石器の化学分析 - 帝京大学    黒曜石原産地分析による先史時代の 石材流通に関する基礎的研究
   秋田県内出土黒曜石製遺物の原産地推定 - 秋田県立博物館  秋田県田沢湖産出黒曜石の岩石学的特徴・形成年代と ... - 秋田県立博

 田沢湖にも黒曜石産地が
   田沢湖東岸の春山地区と南岸の大沢地区で原石が採取されています。

秋田県内の史跡案内 虫内Ⅰ遺跡航空写真 人々と黒曜石 黒曜石産地の同定 田沢湖にも黒曜石産地が
全国の黒曜石原産地図 黒曜石の産地 復元された道具



 黒曜石の産地
  黒曜石は溶岩が急冷して凝固したものです。名前の通り、黒く光るガラス質の石で、旧石器時代以来、石器の原材料として多用されてきました。
  火山列島の日本では100か所以上の黒曜石原産地が知られており、秋田県にも男鹿半島の金ヶ崎・脇本などの産地があります。

  男鹿産の黒曜石は波に洗われて、とても小さな丸い石となっています。表面は白っぽく、中にはガラス面があります。

  東北地方では、青森県出来島深浦、 山形県月山、 岩手県雫石折居花泉、 宮城県湯ノ倉などがあり、
  全国的には北海道十勝長野県霧ケ峰が有名です。

  亀ヶ岡文化の戸平川遺跡や堀ノ内遺跡では、数多くの黒曜石が使われてきました。が、ほとんどが、台石に黒曜石を置いて、ハンマーで叩き
  割ったものです。その意味するところは分かっていません。
                             (縄文人が、黒曜石をただ潰して遊んだそうだ。)






 弥生時代




  42弥生時代~近世

弥生時代のムラ 越雄遺跡 井川町 籾圧痕のある土器
三種町/家の上遺跡
籾圧痕の写真 籾圧痕土器と優美な石器
籾圧痕のある土器三種町/家の上遺跡 磨製石斧・打製石斧・石鏃
越雄遺跡

上熊の沢遺跡にかほ市
2300年前
ムサ岱遺跡/能代市
カウヤ遺跡/にかほ市

東根小屋町遺跡/秋田市
近世/江戸時代
唐津・初期伊万里17c前半
平安時代
土垂/小林遺跡/三種町
須恵器/沖田遺跡/大仙市
墨書土器
土師器/大見内遺跡/横手
釈迦内中台Ⅰ遺跡/大館
ムサ岱遺跡/能代市
中世/鎌倉-室町/館堀城跡
かわらけ/青磁

唐津・初期伊万里17c前半 -九州・肥前初!陶磁器の生産と流通-
   豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、多くの朝鮮人陶工が連れ還られ、肥前は九州での朝鮮系陶磁器の一大産地となりました。
   「唐津」は16世紀後半から17世紀初頭まで反映した施釉陶器を言います。黒色や飴色の鉄釉を特徴的に用います。

   「初期伊万里」は17世紀前半の染付の時期をさします。唐津・伊万里とも輸出の港名です。ここを起点に全国へ流通しました。






 県内各地の遺跡と遺物


  43旧石器時代


 44風無台Ⅱ遺跡  秋田市河辺松渕 七曲台遺跡群
   岩見川左岸の標高42mの七曲台台地北端に立地。縄文・弥生の地表面より少し下から、2万年前の旧石器時代の石器も大量に見つかっている。
   5000点近い大量の石器や破片が直径約12mの範囲に集中しています。

 44元木山根Ⅱ遺跡 潟上市昭和大久保
   出羽丘陵西端の標高23~29mに立地する平安時代の集落遺跡。 皮なめし道具エンドスクレイパーが1点検出。
   古野・繋沢遺跡からはナイフ形石器が1点ずつ見つかっている。
     
風無台Ⅱ遺跡 調査区 石器集中区 元木山根Ⅱ遺跡 調査区
エンドスクレイパー   
元木山根Ⅱ遺跡
ナイフ形石器
古野遺跡
ナイフ形石器
繋沢遺跡
台形様石器
ハンマーストーン
エンドスクレイパー
風無台Ⅱ遺跡





  45a縄文時代早期



 45上祭沢遺跡  秋田市河辺戸島

  岩見川左岸、標高60mの河岸段丘に立地。 縄文早期後半の土器片を少量検出。住居は不検出。狩猟などの短期間の滞在跡。
  頻繁に移動する生活だった。

上祭沢遺跡 調査区 早期土器の出土 調査区 早期の土器(早期:槻木1式、中期:大木10式、後期:初頭)

 46脇本海岸 男鹿市脇本

   脇本地区~船越地区の海岸では、縄文早期の土器や石器が採取されています。土器も石器も波に洗われて磨滅しています。
   今より海水面が低いときの遺跡が海面下にあり、底から打ち上げられたと考えられます。

脇本海岸 早期の土器片、 スクレイパー、石箆 トランシェ様石器 脇本海岸

 47縄文前期前

  48小浜沢遺跡 男鹿市北浦西黒沢

  男鹿半島北端、標高30mの海成段丘上に立地。縄文前期前半の竪穴住居跡が1軒検出。
  住居は一辺3mでまだ大規模な集落はなく、1家族1軒で暮らす。

  独立して暮らすことが一般的だったようです。

小浜沢遺跡 遺跡の立地 調査区 竪穴住居 石槍・スクレイパー・石匙 円筒下層a式土器
小浜沢遺跡発掘調査報告書
石器

 49蟹子沢遺跡 秋田市濁川

  標高37~46mの上新城丘陵南西端に立地。縄文前期後半の大型竪穴住居跡が2軒検出。
  住居は長さ10mを越え、1軒に複数家族が居住したようです。

  多人数で暮らす方法で協力して生活を切り開いて行った時期だったようです。

蟹子沢遺跡 蟹子沢遺跡 北西から、真上から 大型竪穴住居 凹石、磨石、石鏃、スクレイパー、石錐 円筒土器
 

  51縄文中期前葉

 
52繋沢遺跡   秋田市河辺三内

  岩見川右岸、標高80mの和田丘陵に立地。縄文中前半の竪穴住居跡4軒検出。住居は単独で短期間だけの使用。土坑墓も僅かに検出。
  当時の小集落の一例と考えられるでしょう。

繋沢遺跡 繋沢遺跡 南西側から 竪穴住居跡 土坑墓
円筒上層a式土器

  53縄文中期後葉


  54泉野冷水遺跡 男鹿市北浦相川

  男鹿半島北岸の北浦南部段丘上に立地。標高40m。20軒近くの縄文中期後半の竪穴住居跡検出。住居は沢の縁に沿うように立地し、
  環状集落ではない。

  集落内での人付き合いが、環状集落とは違っていたようです。

泉野冷水遺跡 泉野冷水遺跡 西から見た遠景 遺跡調査 竪穴住居跡 埋甕炉のある住居跡
竪穴住居跡から出土した
石器、凹み石石皿、磨製石斧、凹み石
大木式土器
泉野冷水遺跡・中野遺跡

  55河辺松木台Ⅲ遺跡 秋田市河辺松渕

  岩見川左岸、標高40m。七曲台台地北端に立地。 縄文中期後半の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、土坑墓等検出。これらは長径25mの
  中央広場の周りに巡り、環状集落を呈しています。

  広場には土坑墓が5基あり、特別な人だけが葬られたと推定されることが、遺跡の特徴です。

河辺松木台Ⅲ遺跡 環状集落址

  56後期


  57戸島上野Ⅰ遺跡 秋田市河辺戸島

  岩見川左岸、七曲台台地の北東側に立地。標高42m。縄文晩期の時期の違う竪穴住居跡が2軒分、隣接して検出。直径5m。中央に炉跡。
  この時期ノ住居は単独で点在するのが特徴です。

戸島上野Ⅰ遺跡 南から見た 竪穴住居跡 大洞式土器

  58a晩期


  58戸平川遺跡 秋田市添川

  旭川左岸、羽黒山丘陵北西端の緩斜面に立地します。標高25~30m。縄文晩期の墓地と捨て場を検出。墓地には多数の土坑墓と掘立柱建物跡。
  捨て場からは土器石器が大量に出土した。持ち寄って捨てる祭りをしたのではないか。

  59a
戸平川遺跡 東から見た遺跡 土器が副葬された土坑墓 4本柱の掘立柱建物跡 捨て場の調査


  59c大洞式土器

土坑墓や捨て場から見つかった土器 大洞式土器 注口土器でしょうか 土坑墓や捨て場から見つかった縄文土器 注口土器と大皿 皿型土器 注口土器
捨て場の土偶 捨て場から出土した土偶 捨て場から出土した土偶 捨て場から出土した土偶 捨て場のミニチュア土器





 60弥生時代





 61弥生前期


  62越雄遺跡  井川町黒坪

 越雄遺跡は、標高15m程の大麦丘陵の西端に立地します。弥生前期の住居跡が1軒検出され、中央に炉、周りに8個の小さな柱穴が巡ります。
 直径3m余の小形で簡易な住居でした。地蔵田遺跡の住居とは規模や構造が大きく異なり、同様に周囲の低地に水田を造成し稲作を行ったかは不明
 です。

越雄遺跡 北から見た越雄遺跡 真上から見た遺跡 住居跡
蓋・凹み石・磨製石斧
壺・高坏・石槍・石鏃・石匙

磨製石斧・凹み石
石槍・石鏃・石匙

大型壺

  63片野遺跡

    弥生前期~後期、平安時代の集落遺跡、弥生土器・石器・紡錘車。住居・水田は未発見。

片野Ⅰ遺跡 片野Ⅰ遺跡紡錘車・アメリカ式石鏃
土師器甕・土師器高坏
続縄文土器片





 64古墳時代





  65小谷池遺跡
    八郎潟の西岸、標高11mの低地。古代の水田に伴う灌漑堰遺跡とその下から、県内では珍しい「古墳時代の土師器」が発見された。

小谷地遺跡こやち 土師器出土地点 土師器の壺・甕・坏



 70平安時代


  71
潟向Ⅰ遺跡 砂丘上の臓骨器 松館遺跡 焼骨が見つかった墓 大杉沢遺跡/御所野台地
末期古墳の痕跡 湯ノ沢F遺跡/御所野台地
木棺墓
潟向Ⅰ遺跡蔵骨器 潟向Ⅰ遺跡蔵骨器

 焼骨
   古代・中世の、庶民の埋葬は、野ざらしか、水葬、などの放置・捨てる。よくて、土壙などでした。
   にもかかわらず、焼骨という手間のかかる方法をとり、それを移して埋葬するというのは、身分のある人だったのでしょうか。

 


 90古代

  91
県内各地の須恵器窯長径1.5mの甕も焼いていた 大神窯跡8c 遺物出土状況から推定の窯内部の推定 最大径90cmの甕県内最大 須恵器大甕
 



 100払田柵   引用払田柵ってなに?   払田柵跡 - Wikipedia

  払田柵跡はこの地に9世紀初頭に創建され、10世紀後半まで存続しました。払田柵跡は多賀城・秋田城跡と並び称される古代城柵遺跡です。

  年輪年代測定法で、801年に伐採された材が発見された。桓武朝における坂上田村麻呂らによる征夷事業による、陸奥国側の胆沢城志波城
  一連のものと判明した。払田柵跡からは「嘉祥二年正月十日」と記された木簡が発見されており、この結果とおおよそ一致する。

  名称は最外側の区画施設(外柵)が柵木塀(材木塀)であることに由来します。柵木は約30cm角に加工した秋田杉で、外柵は二つの丘陵を取り
  囲むように東西1370m、南北780mの長楕円形状に、立て並べています。柵木の長さは、倒壊した柵木が良好な状態で発見されたことから、
  地上高は3.6mと判明した。


   とは、城柵のことで、塀の代わりに木柵で周囲を囲んだものです。中にあったものは役所と、駐屯部隊がいたようです。


 101遺跡

復元遺跡 あの丘の向こうに正庁の建物がありました。 土塁や石垣を積み上げるよりも、あたり一帯を切り払った秋田杉を 製材して、朝廷側に寝返ったエミシに建設させ、仕事を与えたように思う 展示館

 102展示館
遺跡全景二つの丘を取り込んで作った広大な敷地 遺跡発見の契機耕運機の爪が杭にあたって木柱列が発見された 1200年前の杭の根を下駄に加工して売っていたそうです 払田の柵全景 「最上四刻書」角材
瓦の出土少ない 厨川谷遺跡出土土器 木簡 土師器・須恵器
下級役人の食器 外柵南門 外郭文 政庁域正殿 柵の範囲