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京町家(きょうまちや) photo by yuko   

   近年、取り壊しと保存が取りざたされている 町屋(まちや)を見学してきました。
   また、三千院近くの喫茶店主やタクシーの運転手さんが
  私が写真を取りに来たことを知ると、珍しい建物があるからと、
  盛んに写真を取りに行くように進めてくださった北山通り建物も少し載せてみました。 

   京町家とは、通常商人の家を指します。他の地域では民家を指すところもあります。
  ただし、民家も商家もよく似た構造です。

   京都は明治維新のときにドンドン焼きなどという大火でほとんどの伝統的町家は消失し、それ以降に建築された物が大多数です。
  ご覧戴く町家はかなり華奢な作りで、普通の商人の店舗兼住宅といってよいでしょう。
   
京町家ここは間口3間(まぐちさんけん)程の作りですが 隣の店舗も合わせて間口5間となっています 商家に付き物の暖簾提灯(のれんちょうちん) 写真の引き戸や格子、おばさんが入っている柵等の 名前を全て知っていたのですが、
このような生活にご無沙汰していたために全て忘却 建物の一部が改築され太陽光が入っています この水場は後年取り付けた物です。
嘗てはこんな真っ暗な中で調理していました。 おくどさん大人数が暮らしていたようでかまどが二つあります お湯お米とおかずの煮炊きで一つは予備です 中庭商家らしい庭ですね。面白みが全くないです。
それでも一応の物は置いてあるのが商家。 しかし、上を見上げると巨大なマンションが 周囲を囲んでいます。奇跡の庭と言うべきでしょう 五右衛門風呂 厠など町家が間口が狭く奥に長いのは日本中一緒です。
西陣に行けばこの裏には機織り場や染色工場があります。 狭い炊事場
昔はこんなに暗かった

ここで多人数の調理大変
煙出し
薪を燃やすに必要な空間
水屋

全ての調理道具を入れる
隣の土産物屋同じ所有者です。間口2間の普通の商家ですね 写真撮影禁止でした。
(笑)
北山通りバブルの頃に田圃を埋め立て、道路を造り 新たな市街地を作ろうとした跡。当時は一流の 建築家が腕を競った使い勝手の悪い建物が並ぶ
是非行きなさい素晴らしいと言われたが 何でもない普通の景観でした。人も車もまばら。 ビルも薄汚れ、傷みが見えバブルの残骸を 象徴しているかのようでした。 地下鉄は植物園前下車
植物園は終戦後米軍が接収して本部を置いた 静かで空気のよい所です
歴史があり、大量の
珍しい植物も収集されているようです。 雪の降るこの日は訪れる人も疎らで 私も入る気にはなれませんでした