2025.11.06-2
京都府京都文化博物館 京都市中京区東片町623-1
075-222-0888 月休 10時~18時(金曜のみ19時30分マデ)
料金¥500但し特別展は今回¥1800でした。
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交通 |
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京都駅、阪急烏丸駅から京都市営地下鉄烏丸御池下車⑤出口から三条通を東へ徒歩三分(結構わかりにくい) |
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タクシー |
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近隣観光地 |
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外国人だらけ |
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近隣博物館 |
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博物館多数、但し文書館もあり |
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はじめに
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京都文化博物館で行われた「北海道・北東北の縄文遺跡群」の展示は、大変な量で、しかも有名な遺物から、普段は展示されていない物まであります。目次にそれらを全て書くと膨大になるので、極力項目のみを書いています。本当に見に行ってよかった。写真を採っていてよかった展示でした。
京都文化博物館の常設展示は、文化という側面に視点を当てた展示です。普通の博物館とは一味違った遺物が興味深いと思います。 |
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目次
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02特別展「世界遺産縄文 」
03prologue縄文の世界へ
04大型板状土偶
1000第1章北の縄文文化一万年
1001 1-1北の縄文時代の始まり
1002大平山元Ⅲ遺
1005 縄文土器のはじまり
1020 1-2北のムラと貝塚
1023北黄金貝塚
1024北の縄文人の食べ物
1030 1-3円筒土器文化と大規模ムラ
1031大船遺跡
円筒土器文化と大規模ムラ
1033尖頭器
1034三内丸山遺跡
1040 1円筒土器文化とは
1043御所野遺跡
1045大木土器文化
1050 1-4 十腰内文化とストーンサークル
1052土器
1053ストーンサークルの土器
1060まつりの道具
1065小牧野遺跡
1067鷲ノ木遺跡
1069大湯環状列石
1100 1-5亀ヶ岡文化と漆
1110亀ヶ岡文化の土器
1130漆製品の様々
1150特集1 遮光器土偶 |
2000第2章縄文人の一生
2010 2-1縄文人の誕生
2012妊婦や出産の土偶
2030 2-2縄文人の成長
2031中空土偶
2032縄文の女神
2041縄文人の頭蓋骨
2042縄文人の姿
2100 2-3縄文人の死
2120副葬品をともなう埋葬
2130犬の埋葬
2200特集2 縄文人と動物
3000第3章縄文の一年
3000特集3(第3章)縄文人と交流
3040三階入口展示
北海道・北東北の縄文遺跡群
3050 3-1里山のくらし
3350描画文土器
3400 3-2里海のくらし
3402漁撈具
3430海産食糧
3500 3-3実りの秋と冬支度
3510サケ漁
3540竹かご
3570調理具
3600 3-4祭の風景
3720描画土器
3730土偶・仮面
3740まつりの道具
3740まつりの道具
4000epilogue |
6000京都文化会館常設展
6001羅城門
6010考古展示
6011京の歴史
6013旧石器時代
6014縄文時代
6015弥生時代
6016銅鐸
6020平安時代
6025縄文~近代の土層
6030平安宮
6031平安宮の建築
6040平安時代の文化
6045平安文学の開花
6100鎌倉時代
6101中世京都の鳥瞰図
6110暮らしとお金
6121まちの移り変わり
6200室町時代
6201職人図鑑
6231戦国時代
6233江戸時代初期
6400江戸時代
6410鏡をつくる町
6500明治時代
6510京都舎密局
6523京焼の近代
6541京都市立陶磁器試験場
6570京都ハリウッド化計画 |
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01外観
京都文化博物館 |
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02 特別展「世界遺産縄文 」
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北海道・北東北の縄文遺跡群の登録
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021 (令和3)年7月に世界遺産に登録されました。 この地域でくらした縄文人は、環境変動や 季節の変化に適応しながら、豊かな森林資源・水産資源を持続的に管理することで、狩猟・漁撈・採集を基盤とする、
1万年以上続く 自然と共生した生活をつくり上げました。 また、墓地や捨て場、盛土、 環状列石などの構築物をつくり、周囲の自然や集団の持続性を願う
祭祀や儀礼を行いました。 縄文人のこのような生活の実態を示す 「世界遺産 北海道 北東北の縄文遺跡群」 は、 17の遺跡で構成 されています。 |
登録遺跡群一覧
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| № |
構成資産 |
所在地 |
時期区分 |
概要 |
| 1 |
大平山元遺跡 |
青森県外ヶ浜町 |
草創期 |
縄文時代のはじまりを示す遺跡 |
| 2 |
垣ノ島遺跡 |
北海道函館市 |
早期~後期 |
居住域と墓域の分離を示す集落跡 |
| 3 |
北黄金貝塚 |
北海道伊達市 |
前期~中期 |
内浦湾に面した大規模な貝塚を伴う集落跡 |
| 4 |
田小屋野貝塚 |
青森県つがる市 |
前期~中期 |
古十三湖に面した貝塚を伴う集落跡 |
| 5 |
二ツ森貝塚 |
青森県七戸町 |
前期~中期 |
海水性及び汽水性の貝塚が環境の変化を表す集落跡 |
| 6 |
三内丸山遺跡 |
青森県青森市 |
前期~中期 |
多様な施設で構成される大規模な拠点集落 |
| 7 |
大船遺跡 |
北海道函館市 |
前期~中期 |
祭祀場が発達した拠点集落跡 |
| 8 |
御所野遺跡 |
岩手県一戸町 |
中期 |
墓域と祭祀場を中心とした拠点集落 |
| 9 |
入江貝塚 |
北海道洞爺湖町 |
前期~晩期 |
共同の祭祀場や墓地を支えた集落跡 |
| 10 |
小牧野遺跡 |
青森県青森市 |
後期 |
複雑な配石構造を持つ大規模な環状列石 |
| 11 |
伊勢堂岱遺跡 |
秋田県北秋田市 |
後期 |
4つの環状列石が集中した祭祀遺跡 |
| 12 |
大湯環狀列石 |
秋田県鹿角市 |
後期 |
規則的な構造を示す2つの環状列石 |
| 13 |
キウス周堤墓群 |
北海道千歳市 |
後期 |
高い土手で囲まれた共同墓地 |
| 14 |
大森勝山遺跡 |
青森県弘前市 |
晩期 |
岩木山麓につくられた大規模な環状列石 |
| 15 |
高砂貝塚 |
北海道洞爺湖町 |
前期~晩期 |
内浦湾に面した共同墓地 |
| 16 |
亀ヶ岡石器時代遺跡 |
青森県つがる市 |
晩期 |
芸術性豊かな土偶や多彩な副葬品が出土した共同墓地 |
| 17 |
是川石器時代遺跡 |
青森県八戸市 |
前期~晩期 |
竪穴建物 土坑墓 水場 捨て場などを伴う集落跡 |
| 関連資産1 |
長七谷地貝塚 |
青森県八戸市 |
早期 |
縄文海進期の貝塚を伴う集落跡 |
| 関連資産2 |
鷲ノ木遺跡 |
北海道森町 |
後期 |
北海道最大規模の環状列石 |
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03
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ごあいさつ
東北 北海道の豊かな自然は、縄文時代から続く人びとの暮らしを育んできました。一万年以上にわたり、この地で生き繋いできた縄文の人びとは、 自然
の恵みを享受し、循環する暮らしを営んでいました。 春には貝や山菜採り 夏 には漁、秋には木の実集め、そして厳しい冬は保存食や狩りで乗り越える。
この 「採って、 集めて、暮らした」 一万年は、東北・北海道の豊かな自然環境により 生み出された、 まさにこの地ならではの文化だったと言えるでしょう。
2021年に 「北海道・北東北の縄文遺跡群」 がユネスコ世界文化遺産に登 録されたことにより、縄文時代への関心が高まってきましたが、 そこで生きていた
「縄文人」がいかなる人びとで、 どう一生を送り、日々どのような暮らしをしていたの かを広く知っていただきたいという思いで、本展覧会の企画が始まりました。
本展では、世界遺産に登録された遺跡群をはじめ、東北・北海道各地の 縄文遺跡から出土した国宝・重要文化財、 そして各道県指定文化財を含む 多岐にわたる資料を一堂に展示します。
この多彩な資料をとおして、縄文時代 に一万年以上も続いた持続可能な文化・社会とはどのようなものだったのか、 そして私たちの祖先である縄文人がどのような人びとだったのかを、
「一万年」 「一生」 「一年」という三つの時間軸からご紹介します。 縄文文化の成り立ちか ら進展、 変容の歴史、 その文化を担った縄文人、そして縄文の一年の暮らしを
お見せしていきます。
この展覧会が、自然との共生や持続可能な社会といった、現代にも通じる価 値観や文化の源流を築き上げた先人たちの姿を再認識する機会となることを
願っております。
最後になりましたが、 本展の開催にあたり、貴重な資料をご出展いただきま した所蔵者のみなさま、実現のためご尽力を賜りました関係各位に心より御礼 申し上げます。
主催者 |
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prologue
縄文の世界へ
現代人である私たちは、「縄文」 という言葉から何を連想するでしょ うか? 現代の豊かな資源や食料、 また高度に発達したテクノロジー や情報社会とは反対の、 厳しいくらしを思い浮べることが少なくない でしょう。
しかしながら、 これまでの調査研究から、 縄文人は、 自分たちの 周りから得られるモノを有効に、 そして計画的に利用していたことが わかってきました。
はるか昔の日本列島に存在した縄文人たちがつくり上げた生活や 文化、 社会とは一体どのようなものであったのか? 縄文時代という 一万年、 縄文人が生きた一生、 そして自然の移り変わりを体感する 一年というそれぞれのテーマに沿って、 縄文の世界を体感していき ましょう。 |
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縄文時代とは
縄文時代とは、 土器を使って定住し、狩猟・漁撈・採集・栽培 を中心として食料を獲得していた時代を言います。 遊動生活を送っ ていた旧石器時代や、
農耕 (稲作) を行った弥生時代とは異なるくら しが営まれていました。 この時代は世界的に農耕や牧畜が行われて いましたが、縄文時代にはそれらがないことも特徴です。
縄文時代は、 約 16,000年前から約2,400年前まで1万年以上にもわたって続きまし た。 草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6時期に区分され、
それぞれの時期で当時の環境に適応した多様な地域文化が展開されました。 |
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日本列島の世界遺産
人類にとって卓越した価値があると考えられる、世界中の文化遺 産および自然遺産を人類全体のための世界の遺産として、損傷・破 壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の
体制を確立することを目的に、 1972(昭和47)年に国連教育科学文 化機関(ユネスコ) 総会で 「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に 関する条約」が採択されました。
日本は、 1992(平成4)年に世界遺産の条約を締結し、 2024 (令和 6)年の「佐渡島の金山」 の登録まで、 文化遺産21件、 自然遺産5
件のあわせて26件が世界遺産に登録されています。 |
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北海道・北東北の縄文遺跡群の登録
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021 (令和3)年7月に世界遺産に登録されました。 この地域でくらした縄文人は、環境変動や 季節の変化に適応しながら、豊かな森林資源・水産資源を持続的に管理することで、狩猟・漁撈・採集を基盤とする、
1万年以上続く 自然と共生した生活をつくり上げました。 また、墓地や捨て場、盛土、 環状列石などの構築物をつくり、周囲の自然や集団の持続性を願う
祭祀や儀礼を行いました。 縄文人のこのような生活の実態を示す 「世界遺産 北海道 北東北の縄文遺跡群」 は、 17の遺跡で構成 されています。 |
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ごあいさつ
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prologue
縄文の世界へ
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縄文時代とは |
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日本列島の世界遺産 |
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04入口展示
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原資料: 重要文化財
大型板状土偶 [複製]
原資料: 三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
粘土の貼り付けや縄文、細かい線により身体が表現されて います。 口から脚にかけて孔が 貫通しています。 |
※十字型の土偶
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AI による概要
十字土偶の不思議 - 好きなもの、心惹かれるもの
十字型の土偶は、縄文時代中期(約5000~4000年前)に東北地方や北海道南部などで作られた、平たい板状で十字の形が特徴の土偶で、三内丸山遺跡などから多く出土しており、大型のものでは乳房やへそ、頭部などが表現され、祭祀に使われたと考えられ、首のところで意図的に壊されている例も多く見られます。
特徴
・形状: 板状で、体部が十字に表現され、頭部や四肢の一部(特に足)が省略されることが多い。
・部位: 乳房やへそ、頭部の結髪(けっぱつ)表現などがあり、顔は逆三角形。
・大きさ: 数cmの小さいものから、三内丸山遺跡で見つかった32cmを超える大型のものまで様々。
・文様: 精緻で幾何学的な文様が特徴で、北陸地方の土偶との共通性も指摘される。
・出土地域: 主に東北地方(青森県など)や北海道南西部。
・用途: 頭頂部の穴から吊り下げて祭祀に使われたと推測され、意図的に壊された破片が各地で出土する。
代表的な例
・三内丸山遺跡の大型板状土偶: 完形として最大級(約32cm)で、首の位置で二つに割られて発見された。
時代と文化
・縄文時代中期の「円筒土器文化」に属し、この時期の土偶の過渡的な様相を示す。
このように、十字型土偶は縄文人の高度な精神文化や祭祀のあり方を示す重要な遺物です。
「十字型の土偶」は、主に縄文時代中期(約5,000〜4,000年前)の北日本で見られる板状土偶(ばんじょうどぐう)の一種です。
主な特徴と詳細は以下の通りです。
1. 名称と特徴
名称: 一般的に「十字形板状土偶(じゅうじけいばんじょうどぐう)」、あるいは単に「十字形土偶」と呼ばれます。
形状: 体が板のように平たく、両腕を水平に突き出した十字の形をしています。
表現: 顔面は逆三角形で、目・口・乳房・へそなどが簡略化して表現されていますが、足は省略されているのが一般的です。
2. 主な出土地と時代
地域: 東北地方(青森県・秋田県など)や日本海側の地域を中心に多く出土します。
代表的な遺跡:
三内丸山遺跡(青森県): 日本最大級の十字形板状土偶(高さ32cm)が出土しています。これは頭部と胴体が別々の場所(約90m離れた位置)で発見されました。
石神遺跡(青森県): 中期の十字形土偶が確認されています。
3. 用途と意味
祭祀: 頭頂部の穴に紐を通して吊り下げ、祭儀に使用されたと考えられています。
象徴: 多くの土偶と同様、ふくらんだ胸や腹部から、安産や子孫繁栄、豊穣を祈るための女性像(地母神)を象徴しているという説が有力です。
もし特定の有名な土偶(例:遮光器土偶や合掌土偶など)との比較や、より詳細な出土情報を知りたい場合はお知らせください。 |
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1000第1章 北の縄文文化一万年
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1北の縄文文化“一万年"
世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」
日本列島北部に位置する東北・北海道地域 でくらした縄文人は、 自然環境の変動を幾度 も乗り越えながらも、豊かな自然のめぐみを享 受し、その資源を枯渇させることなく計画的に
利用した生活を送っていました。 このようなくら しを基盤として生み出された社会は、 生活の知 識や技術の向上と、精神的な豊かさや多様性 を高めながら、一万年以上続くことになります。
このように、この地域でくらす縄文人は、 自然 と共生した持続可能な社会を 「北の縄文文化」 として生み出しました。
本章では、この地における北の縄文文化一 万年のあゆみ、そしてそこで営まれた文化・社 会について、 世界遺産 「北海道 北東北の縄 文遺跡群」の構成資産関連資産を中心に紹介します。
Chapter 1
10,000 Years of the Jomon culture in the North
The World Heritage "Jomon Prehistoric Sites in Northern Japan"
The Jomon people lived in the Tohoku and Hokkaido re- gions located in the northern part of the Japanese archipel-
They enjoyed blessings of rich nature and made sys-atic use of its resources
without depleting them, while overcoming numerous environmental changes.
The sus- tainable livelihood in which the Jomon people coexisted with nature
represent Jomon culture in Northern Japan. The society based on this lifeway
continued for more than 10,000 years, with improvements in technology and
knowl- edge for everyday living as well as enrichment in spiritu- ality
and diversity. Focusing on the components of the "Jomon Prehistoric
Sites in Northern Japan" and its related properties, Chapter 1 introduces
the 10,000-year history of the Jomon period in this region and the culture
and society that the Jomon people developed there.
第1章 北の縄文文化1万年 世界遺産 「北日本の縄文遺跡群」
日本列島北部に位置する東北地方と北海道地方には、縄文人が暮らしていました。彼らは豊かな自然の恵みを享受し、幾多の環境変化を乗り越えながら、資源を枯渇させることなく体系的に利用してきました。自然と共存する持続可能な生業こそが、北日本の縄文文化の真髄です。この生業を基盤とした社会は、生活のための技術や知識の向上、そして精神性と多様性の豊かさを育みながら、1万年以上もの間、存続しました。第1章では、「北日本の縄文遺跡群」の構成要素と関連資産に焦点を当て、この地域における縄文時代1万年の歴史と、そこで縄文人が築いた文化と社会を紹介します。 |
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1001 1-1北の縄文時代の始まり
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1-1
北の縄文文化一万年、
世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」
北の縄文時代のはじまり
寒冷で乾燥した気候のなか、 食料を求めて移動する遊動生活を 送っていた旧石器時代の人びとは、土器や弓矢などの新しい道具 の使用と、 気候の温暖化により、生活の拠点を固定した定住生活を 送るようになりました。 東北・北海道地域の縄文時代はこの頃に始 まったとみられます。 青森県大平山元遺跡では、約 16,000年前に土 器が使われたことが明らかになっています。 一方で、 旧石器時代と 同じような石器を使うなど、 前時代の生活の伝統もまだ残ります。 ここでは、北の縄文時代のはじまりについて、道具の移り変わり とともに紹介します。 |
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現生人類と日本列島
私たち現生人類(ホモ・サピエンス)は、30万年前頃に アフリカで誕生し、ユーラシア大陸を横断して、4万年前頃 に日本列島に移り住み始めたとみられます。 この時代は、 寒冷で乾燥した気候が長く続いた時代 (氷河時代)でした。 現在よりも海面が低く、 日本列島周辺では、本州・四国・ 九州がひとつの陸地となっていました。 また、 植物相も現在 と大きく異なっており、 たとえば2.5万年前頃の日本列島の 大部分は、針葉樹林が優勢でした。 |
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旧石器時代のくらし
旧石器時代は、世界的規模で気候が不安定であり、寒 暖が短期間に激しく繰り返されました。 また、 針葉樹林主体 の植生であったことから、 植物質の食料資源が著しく変化 する環境下にありました。 このため、動物資源を主要な食 料とし、 石器を使った狩猟活動を盛んに行っていました。
このように、 食料の確保が難しく不安定な時代であったこ とから、人びとは食料を求めて遊動する生活を送っていまし た。 ここが縄文時代との大きな違いと言えます。 |
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旧石器時代の道具
当時の道具は、 「石刃」 とよばれる縦長の剥片石のか けら)を素材として、ナイフ形石器や尖頭器 (突き刺す道具)、 彫器・削器(削る道具)、
掻器 (掻きとる道具)などさまざまな形 用途のものが作られました。
また、石刃のほか、 細石刃とよばれる小さな縦長剥片を 大量生産する技術もありました。 細石刃は、槍先につける 交換可能な刃として使われ、交換にかかるコストを著しく抑 えた画期的な道具と言えます。 |
1-1北の縄文時代のはじまり
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現生人類と日本列島 |
旧石器時代のくらし
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旧石器時代の道具
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大平山元遺跡
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1002大平山元Ⅲ遺
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ナイフ形石器
Stone Knife
大平山元Ⅲ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 後期旧石器時代 所蔵 : 青森県立郷土館
石刃を素材として、ナイフの形 に作られた石器です。 槍先に
装着して突き刺す道具として 使われました。
A stone tool made from a stone blade in the shape of a knife.
It was attached to the tip of a spear and used as a stabbing tool.
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尖頭器 (せんとうき)
Stone Point
大平山元川遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 後期旧石器時代 所蔵 : 青森県立郷土館
槍先に装着して突き刺す道具 として使われました。石器の両 面全体を加工して木葉形に整 えています。
It was attached to the tip of a spear and used as a stabbing tool.
The surface of both faces was retouched to form into a leaf shape.
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彫器(ちょうき)
Stone Burin
大平山元Ⅲ遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 後期旧石器時代 所蔵: 青森県立郷土館
先端を彫刻刀の刃のような形 に整えた石器です。 ものを削るなどの道具として使われました。
Astone tool with the tip shaped like the blade of a graving knife.
It was used as a tool for incising objects. |
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掻器 (そうき)
End-Scraper
大平山元Ⅰ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期 後期旧石器時代 所蔵 : 青森県立郷土館
石刃の端部に急角度の加工を 施した石器です。 皮なめしなど、
ものを掻きとる道具として使わ れました。
A stone tool with a steeply angled edge.
It was used as a tool for scraping things, such as tanning hide. |
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削器 (さっき)
Side-Scraper
大平山元Ⅰ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期 後期旧石器時代 所蔵 : 青森県立郷土館
石刃の縁辺を打ち欠いて刃を 付けた石器です。 ものを切るな どの道具として使われました。
It was used as a tool for cutting things.
A stone blade part was chipped off to the side edge of this stone tool. |
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石刃
Blade
大平山元Ⅲ遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 後期旧石器時代 所蔵: 青森県立郷土館
縦に長く剥ぎ取った石のかけ らを石刃とよびます。
大きさや形が揃うように意識してつくら れました。
A piece of stone chipped off lengthways is called a stoneblade.
It was intended to make the size and shape of the stone blade almost the
same. |
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細石刃核
Micro-Cores
大平山元Ⅲ遺跡 青森県外ヶ浜町
時期 : 後期旧石器時代 所蔵 : 青森県立郷土館
細石刃は、極小型で薄い刃を もつため、 良質の石材で作ら
れました。 黒曜石はこれに適し た石材です。
Fine stone blades have an
extremely small and thin blade sides, because they are made
of good quality stone. Obsidian
is a suitable stone for this pur- pose.
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細石刃
Micro-Blades
大平山元Ⅱ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 後期旧石器時代 所蔵: 青森県立郷土館
細石刃は、槍の刃として使わ れました。一つの槍にたくさん 装着でき、容易に交換できる利 点があります。
Fine stone blades were used as spear blades.
They can be em-bedded to a single spear shaft in large numbers and can
be easily replaced. |
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1003 縄文時代の始まり大平山元Ⅰ遺跡無文土器
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縄文時代のはじまり
今から約16,000年前に日本列島で土器が出現しました。 当時はまだ寒冷な気候が続いていたため、土器は「温暖化」 による生活の変化に伴い出現したものではなく、 水産資源 の利用などの生業活動の変化に伴って作られ始めたと考え られています。
また、 土器の出現とともに、 石器も変化しました。 石刃を 素材としてさまざまな道具を作るという旧石器時代の道具の作り方を受け継ぎながらも、
局部磨製石斧や石鏃などの新 しい道具も作られるようになります。 |
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無文土器片 [複製] 原資料: 重要文化財
Incipient-Jomon potteries without decoration (replica)
原資料 : 大平山元Ⅰ遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 草創期
所蔵: 外ヶ浜町教育委員会 大平山元遺跡展示施設むーもん館
鉢の形をした平底の土器です。 両面に炭化物が残っているこ とから、煮炊きに用いられたと みられます。
This is a flat-bottomed earthen- ware in the shape of a bowl. It is believed to have been used for boiling and cooking, as the charred material remains inside
horizontally. |
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無文土器片
大平山元 Ⅰ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 草創期
所蔵 : 青森県立郷土館
鉢の形をした平底の土器です。 両面に炭化物が残っているこ とから、煮炊きに用いられたと みられます。
This is a flat-bottomed earthen+ ware in the shape of a bowl.
It is believed to have been used for boiling and cooking, as the charred
material remains inside horizontally. |
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1004大平山元Ⅰ遺跡
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打製石斧 (だせいせきふ)
Chipped stone axe or adze
大平山元Ⅰ遺跡
青森県外ヶ浜町
青森県重宝
時期: 草創期
所蔵: 青森県立郷土館 |
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石錐 (せきすい)
Stone drill
大平山元Ⅰ遺跡
青森県外ヶ浜町
時期:草創期
所蔵: 青森県立郷土館
一端を鋭く尖るように加工して、 錐状に整形した石器です。旧 石器時代と同様に石刃を利用 しています。
As in the Paleolithic era,stone blades are utilized to sharpen one end
to form this drill-shaped tool.
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青森県重宝
彫掻器(ちょうそうき)
Composite stone tool consisting of a burin and a end-scrape
大平山元Ⅰ遺跡
青森県外ヶ浜町
時期: 草創期
所蔵: 青森県立郷土館
彫器と掻器の両方の特徴を併 せもつ石器です。 石器を転用 した結果、 二つの特徴が残されたとみられます。
This stone tool has both b and end-scraper features a result of converting it t
ferent use, two features to have been retained.
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削器(さっき)
Side-Scraper
青森県重宝
大平山元Ⅰ遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 草創期
所蔵: 青森県立郷土館
石刃の側辺を打ち欠いて刃を 付けた石器です。 旧石器時代 と同様に石刃を利用していま
す。
As in the Paleolithic era, stone blades are used to create this stone tool. The blade part of this stone tool was made with the both sides chipped off.
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石刃
Blades
青森県重宝
大平山元 Ⅰ 遺跡 青森県外ヶ浜町
時期: 草創期
所蔵 : 青森県立郷土館
この時期も、 石刃を素材として さまざまな道具が作られました。
旧石器時代の特徴が残されて います。
During this period, stone blades were used as material fo various tools, which is the characteristics of the Paleolithic era.
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1005 縄文土器のはじまり
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縄文土器のはじまり
縄文時代が始まった頃は、 寒冷な気候と温暖な気候が 交互に繰り返されながらも、 しだい温暖化に向かっていき ます。 最古級の土器は、 文様のない
「無文土器」 とよば れるもので、 数も多くありませんでした。 その後、土器が 多く作られるようになり、 隆線文や爪形文といった文様をも つ土器が出現します。
なお、 「縄文」の語源となった回転 縄文 (縄を回転させて文様をつけるもの) は、この時期の 終わり頃から見られるようになります。 |
縄文土器のはじまり
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隆起線文系土器
青森県重室
Incipient-Jomon pottery decorated with slender clay ridges
表館(1)遺跡 青森県六ヶ所村
時期: 草創期
所蔵: 青森県立郷土館
土器の表面に、 細い粘土を何 段も平行に巡らせて貼り付け ています。 底は尖るように作ら れています。
Many parallel layers of thin clay are pasted on the surface of
the earthenware. The bottom is made to be pointy. |
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爪形文土器
Incipient-Jomon pottery decorated with crescent-impressed patterns
黄檗遺跡 青森県八戸市
時期: 草創期
所蔵: 八戸市南郷歴史民俗資料館
土器の表面全体に、 縄文人の 爪やヘラ状の工具を押し付けて装飾しています。底は丸く作られています。
For decoration, Jomon people pressed the entire surface of the eartheware with their nails and spatula-like tools. The bottom is made round. |
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多縄文土器 [複製]
原資料: 重要文化財
Pottery with multi cord-mark impressions (replica)
原資料: 櫛引遺跡 青森県八戸市
時期:草創期
所蔵 : 青森県埋蔵文化財調査センター
「縄文」 という装飾が使われる のはこの時期の土器からです。 2種類の縄目を用いて装飾さ れています。
It is decorated with two types of cord mark patterns. This dec- orative pattern - "Jomon" deco- ration - was first used on earth- enware from this period. |
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1020 1-2北のムラと貝塚
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1021北のムラと貝塚
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約12,000年前に地球規模で気候が急激に温暖化し、 北極や南極 付近の氷が溶けるなどの影響によって海面が徐々に上昇したことで、 海辺の地形や環境は大きく変化しました。 こうした変化のなか、 縄 文人は穏やかな内湾に面した小高い丘の上などに集落を築き、 豊 かな海の恵みを盛んに利用した生活を営むようになります。 海辺の 生活で使われた道具や食べかすなどの生ゴミが捨てられた場所は、 現在 「貝塚」とよばれています。 ここでは、日本の海洋資源利用のルー ツとも言える、 縄文人の海とのかかわりと、 そこで生まれた文化を 紹介します。 |
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海辺のくらしの道具
海はさまざまな要因で環境が目まぐるしく変化し、 時には 近づくだけでも危険がある場所ですが、 適切な道具を使う ことで豊かな海の幸が得られます。
縄文人が生み出した道 具の多くは、 現在私たちが使っている道具と素材こそ違う ものの、似た形や機能をもっています。 これは、日本という、 海と切り離せない島国そのものに適応した結果であり、
縄文時代の漁撈文化が、 「海洋国家」 としての日本文化の礎 となっていることを示すものです。 |
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北のムラと貝塚 |
海辺のくらしの道具 |
海辺のくらしの道具 |
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銛頭 (もりがしら)
Harpoon heads
北黄金貝塚 北海道伊達市
時期 : 前期
所蔵: 伊達市教育委員会
北黄金貝塚からはオットセイ の骨が多く見つかりました。 銛 を使って盛んにとっていたとみ られます。
Many fur seal bones were found in the North Kogane Shell Mound. It is believed that Jomon People used harpoon to catch fur seals actively.
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銛頭 (もりがしら)
Harpoon heads
入江貝塚 北海道洞爺湖町
北海道指定文化財
時期: 前期~後期
所蔵:洞爺湖町教育委員会
鹿角を素材とし、先端とは反対 側に孔をあけ、そこに縄を通して柄と結びつけたと考えられます。
This harpoon is made of deer antler. It is thought that a hole was drilled
on the opposite end of the tip, through which a rope was threaded and tied
to the shaft. |
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銛頭(もりがしら)
Harpoon heads
長七谷地貝塚 青森県八戸市
時期: 早期~前期 所蔵: 八戸市博物館
鹿角を素材とし、 先端と基部に 段が付き、 末端に切れ込みが あります。 この地域で最も古い 銛の一つです。
It is one of the oldest harpoons in the region. It is made of deer antler with a tiered tip and base, and a cutout at the end.
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銛頭(もりがしら)
Harpoon head
二ツ森貝塚 青森県七戸町
七戸町指定文化財
時期:前期~中期
所蔵: 七戸町教育委員会
鹿角を素材とし、縄で結んで使 用されました。 ほどけないよう に接着剤を付けた痕が黒く残 されています。
This harpoon is made of deer antler. It was tied with a rope. Black marks indicate where glue was applied to prevent it from coming undone. |
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1022釣針
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原資料: 北海道指定文化財
結合式釣針 [複製]
Two-piece hook (replica)
原資料: 入江貝塚 北海道洞爺湖町
時期: 前期~後期
所蔵: 洞爺湖町教育委員会
幅が12cm ある大型の釣針です。鹿角を削り出し、軸とかえしを別に作って組み合わせて使いました。
This is a large fish hook with a width of 12 cm. The hook was made by cutting
deer antler and combining them with a separate shaft and barb. |
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釣針 [複製]
One-piece hook (replica)
原資料: 北海道指定文化財
原資料 : 入江貝塚
時期: 前期~後期
北海道洞爺湖町
所蔵: 洞爺湖町教育委員会
鹿角を素材とし、軸の先端には 糸を結びつけるための突起が 作り出されています。
This fish hook is made of deer antler. The tip of the shaft has a projection for tying a fishing line. |
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結合式釣針
Two-piece hook
長七谷地貝塚 青森県八戸市
時期: 早期~前期 所蔵: 八戸市博物館
組み合わせて使われた釣針 です。 鹿角製で、 結合部には刻 みを入れて紐などを括り付け
やすくしています。
These fish hooks were used in combination. They are made of deer antler. The joints are knurled to make it easier to tie a string to the hook. |
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七戸町指定文化財
釣針
One-piece hook
二ツ森貝塚 青森県七戸町
時期: 前期~中期 所蔵: 七戸町教育委員会
釣針の多くは鹿角で作られま した。 最初に小さく孔をあけ、
そこから削り出して形を作り上 げています。
Most fish hooks were made of deer antler. First, a small hole is drilled, and then the shape is carved out of the hole. |
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釣針(未成品)
Unfinished one-piece hook
二ツ森貝塚 青森県七戸町
時期: 前期~中期 所蔵: 七戸町教育委員会
釣針の多くは鹿角で作られま した。 最初に小さく孔をあけ、 そこから削り出して形を作り上 げています。
Most fish hooks were made of deer antler. First, a small hole is drilled, and then the shape is carved out of the hole. |
※結合式釣り針
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結合式釣り針
1. 起源と普及
・初期の出現: 九州地方を中心に、縄文時代前期から使用が始まりました。佐賀県の菜畑遺跡(縄文晩期)などでは、シカの角を軸、イノシシの牙を針先としたタイプが出土しています。
・広まり: 弥生時代になると、山陰地方や瀬戸内地方、さらに東北(寺脇貝塚など)へも広まりました。
・大陸との関係: 朝鮮半島東海岸にも類似の釣針が存在し、当時の交流を示唆する遺物と考えられています。ただし、日本独自の発展を遂げたという見解もあり、厳密な系譜は現在も研究対象です。
2. 構造の目的
・大型魚への対応: マグロやサメなどの外洋性の大型魚を釣るために開発されました。
・機能性: 針(鉤部)と軸を別々に作ることで、巨大な針の製作を可能にし、また破損した際に一部のみを交換できるメリットがありました。
3. 素材と製法
・材料: 軸部には強靭な「シカの角」、針部には鋭利な「イノシシの牙」や石(石製)が用いられました。
・結合方法: 軸と針を紐で縛り、場合によっては漆などの接着剤で固定していました。
なお、結合式に限らない「日本最古の釣針」としては、沖縄県のサキタリ洞遺跡で発見された約2万3000年前(旧石器時代)の貝製釣針が世界最古級として知られています。
※結合式釣り針は、縄文前期の鬼界カルデラの爆発により、無人と化した九州島に、朝鮮半島南部の海岸域からやって来た縄文人が持ち込んだものとも考えられています。そして、この時に大型の土器も持ち込まれ、山陰・山陽地方で遺物が残り、智頭町埋蔵文化財センターには現物があります。更に、京都では北白川下層式と呼ばれる、一連の 薄手で文様の付いた土器も、この頃に山陰地方に広まったとも考えられます。
結合式釣り針文化と共に九州北部から山陰地方に持ち込まれた土器文化は、それまでのこの地域の土器文化を一新したと思われます。
結合式釣針を伴う文化は、日本海側を舟で一気に北上し、青森県の津軽海峡から下北半島東側にまで短期間で拡散しています。 |
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1023北黄金貝塚
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AI による概要
北黄金貝塚(きたこがね かいづか)は、北海道伊達市にある縄文時代前期~中期の集落遺跡で、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産です。5つの貝塚、住居跡、墓跡、水場遺構などがあり、ホタテなどの貝、魚骨、動物の骨、縄文人骨などが出土しており、縄文人の豊かな漁労生活と、貝塚や水場が「送り場」として用いられた精神文化がわかる貴重な場所です。
主な特徴
・大規模な遺跡: 噴火湾に面した丘陵地に広がる大規模な遺跡で、縄文時代(約7000~4500年前)の生活が営まれていました。
・豊かな出土品: ホタテ、カキ、マグロ、ヒラメ、クジラなどの骨のほか、シカの角で作られたスプーン、クジラの骨の「刀」など、精巧な祭祀用具も出土しています。
・祭祀・儀礼の場: 貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、人や動物、物の命をあの世へ送る「送り場」として神聖視され、墓や、壊された石器が大量に見つかる水場遺構(祭祀場)が確認されています。
見どころ
・貝塚: 5つの貝塚があり、縄文人の食生活や環境適応の様子がわかります。
・水場遺構: 湧き水地点で、石皿やすり石が供養された北海道で唯一の貴重な遺構です。 |
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匙形鯨骨製品 [複製]
Whale-bone spoon (replica)
原資料: 北黄金貝塚 北海道伊達市
時期: 前期
所蔵: 伊達市教育委員会
クジラの骨を削り出して作られ ました。 柄が装飾されており、まつりなどに使われたとみられ ます。
It was made by carving whale bones. The handle is decorated and is believed to have been used for festivals.
※寄りクジラの骨を使ったのでしょうか。 |
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歯牙製装身具
Tooth and fang ornaments
北海道指定文化財
入江貝塚
時期: 前期~後期
北海道洞爺湖町
所蔵: 洞爺湖町教育委員会
ヒグマやタカ、イルカ、オットセイなどいろいろな動物の骨に孔をあけ、身に着けたとみられます。
It is believed that the Jomon people wore these items. They were made by
drilling holes in the bones of various animals,including brown bears, hawks.
dolphins, and fur seals. |
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鹿角製くし [複製]
Antler comb (replica)
原資料: 二ツ森貝塚 青森県七戸町
原資料: 青森県重宝
時期: 前期~中期 所蔵: 七戸町教育委員会
4本のくし歯をもちます。孔と切 れ込み、小さな点からなる複雑な装飾が左右対称に彫られています。
There are four comb teeth. The intricate decoration, consisting of small
dots, holes and slits, is symmetrically carved. |
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骨角製装身具
Bone and antler ornaments
七戸町指定文化財
二ツ森貝塚 青森県七戸町
時期:前期~中期
所蔵: 七戸町教育委員会
貫通孔に紐を通してぶら下げ たものです。 表面が光沢を帯 びるように、長い時間をかけて 磨かれました。
A string was threaded through a through-hole and hung from it. The surface was polished over a long period of time to make it shiny. |
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髪飾り
Hair ornament
長七谷地貝塚 青森県八戸市
時期: 早期~前期 所蔵: 八戸市博物館
鹿角で作られています。 先端と は反対側に、平行する線が彫り込まれて装飾されています。
It is made of deer antler. The tip and its opposite end are deco- rated with carved parallel lines.
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※北海道ではヒグマを形象した造形物や、ヒグマの牙などが使用されます。台湾では巨大なイノシシの牙が装飾に使われます。
イノシシも超危険動物でありますし、ヒグマは更に危険な動物です。このような動物がウヨウヨする北海道や、本州のツキノワグマ・イノシシの驚異のある中で、旧石器時代から縄文・弥生~近代までの人々は、どのようにして身の安全を確保したのでしょう。
しばらく前に、熊の市街地への出没に供えて、小学生に小さなベル(鐘・音がチンチンとなる程度の)を配布したと報道されていました。いったい、そんなもの音でクマが忌避するわけもなく、もしかすると寄ってくるかもしれないような、浅はかな事例がありました。
熊の一撃によって顔の骨を砕かれ、首を折られて引きずり込まれ、内臓を食われるという悲惨な死にざまをこうむった例がいくつもあります。
※私はハイキングも好きなのですが、もう決して山の方にはいかないようにしています。身を守る手段がありませんから。縄文人は熊を殺し、また、神としてあがめることで、祈ることで、危険を避けようとしたのでしょうか。 |
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1024北の縄文人の食べ物
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貝塚から出土する遺物の多くは、 縄文人の食事によって 出た生ゴミです。 縄文人は、膨大な生ゴミを同じ場所に 積み重ねるように捨て、 貝塚を築き上げました。 こうした貝塚から出土した貝や骨を同定し、細かく観察することによっ て、縄文人が何を食べていたのか、地域ごとの特色がわかります。 ここでは北海道・北東北の特徴的な食料を紹介します。 |
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オットセイの骨
Seal bones
北黄金貝塚 北海道伊達市
時期: 前期
所蔵: 伊達市教育委員会
北黄金貝塚の人びとは、冬に 回遊してくる小型のメスや子 どものオットセイを狙ってとっ ていました。
People living in the area of the
Kitakogane Site targeted and caught relatively small female
and young fur seals when they migrated in the winter.
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イルカの椎骨
Dolphin bones
入江貝塚
北海道洞爺湖町
時期: 前期~後期 所蔵: 洞爺湖町教育委員会
入江貝塚では、 カマイルカや ネズミイルカといったイルカ類 を狙った海獣猟が盛んに行わ れていました。
At Irie Site, hunting for marine animal such as pacific white-sid- ed dolphins
and harbor porpois-es was active. |
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ホタテ
Scallops
北黄金貝塚 北海道伊達市
時期 : 前期
所蔵: 伊達市教育委員会
寒冷な海を好む貝です。殻に
あいている孔は、海の中を泳ぐ ホタテを突き刺してできたもの とみられます。
Scallops thrive in cold seas. Holes in the shell may have shown that the Jomon People
caught it by spearfishing when the scallop was swimming in the sea. |
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貝類
Shellfishes
長七谷地貝塚 青森県八戸市
時期: 早期~前期
所蔵:八戸市博物館
長七谷地貝塚からは、 縄文人 が食べた貝として、現在の青 森に生息する貝と同じ種が多 く出土しています。
From the Choshichiyachi Site, many of the same species of shellfish have been excavated. They are exactly the same kinds of shellfish that live in Aomori today. |
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磨石 (すりいし)
Grinding stone
大船遺跡 北海道函館市
時期: 中期
所藏:函館市教育委員会
石皿に乗せ、磨石ですり潰して 食物などを加工しました。 それ ぞれ使いやすいように成形さ れています。
The Jomon people placed food and other items on a stone plate and grinded
them with a polished stone. Each tool is crafted for its ease of use. |
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1030 1-3円筒土器文化と大規模ムラ
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1031大船遺跡
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円筒土器文化と大規模ムラ
約6,000 年前の東北北部から北海道南部地域では、「円筒土器」 をもつ集団によって、生活の拠点となる「大規模ムラ」 がつくられるようになりました。
同じ頃の東北南部地域では、円筒土器とは異な る形や装飾のある「大木式土器」をもつ集団により、同じように大規模ムラがつくられました。
大規模ムラは人口の増加を背景として、道具や食料の生産・加工、葬祭、交流・物流の拠点として機能しました。 また、社会が複雑化していくことで多様な施設がつくられるようになります。
ここでは、高度な機能をもつ大規模ムラのようすを紹介します。 |
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大船遺跡 Ofune Site
出典: JOMON ARCHIVES (https://jomon-japan.jp/archives#/)
大船遺跡は、北海道函館市にある、 約5,500年前から4,500年前 にかけて繰り返し営まれた集落遺跡です。 遺跡からは、居住施設で ある竪穴建物や墓、 廃棄に伴う祭祀場である盛土遺構、 さらに食料 の貯蔵穴などが見つかっており、地域における拠点集落として位置 づけられます。 竪穴建物は800 棟以上と推定され、規模が大きく、 密集していました。 なかでも、 長さが8~11mあり、最も深いもので 深さが2.4m となる大型住居が特筆されます。
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AIによる概要
大船遺跡は、北海道函館市にある縄文時代中期の大規模な拠点集落跡で、国の史跡であり、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。深さ2mを超える大型竪穴住居跡が特徴で、クジラや魚、クリ、クルミなどの豊富な動植物遺物が出土し、当時の縄文人の豊かな生活や精神性を知る上で非常に重要な遺跡です。
主な特徴
・立地: 太平洋を見下ろす標高約45mの段丘上に位置する、日本最大級の縄文集落です。
・大規模な集落: 紀元前3,500年〜2,000年頃(約5,500〜4,000年前)の約1,500年間にわたり継続した集落で、100棟以上の竪穴建物跡が発見されています。
・巨大な竪穴住居: 他の遺跡に比べ、床を深く(最大2m以上)掘り込んだ大型の竪穴住居跡が特徴です。現在は6棟の住居が復元・展示されています。
・豊かな生活: クジラやオットセイなどの海獣の骨、クリやクルミといった植物遺体が出土しており、海と山の両方の資源を巧みに利用していたことがわかっています。
・祭祀の拠点: 大量の土器や石器を含む大規模な「盛土遺構(もりどいこう)」があり、長期間にわたって祭祀や儀礼が行われていたと考えられています
・住居: 100棟以上の竪穴住居跡が見つかっており、床を深く掘り込んだ大型のものが多く、中には深さ2mを超えるものもあります。
・遺物: 20万点以上の遺物が出土し、石皿、スリ石、石棒、ネフライト製ペンダント、クジラやオットセイなどの動物遺体、クリ、クルミ、ブドウなどの植物遺体が含まれます。
・長期の定住: 約1,500年という長期間にわたって集落が維持されており、当時の人々の安定した生活様式や精神文化を示しています。
・大規模な盛土: 膨大な量の土器や石器を含む盛土(もりど)遺構があり、そこでは長期間にわたって祭祀や儀礼が行われていたと考えられています。
・盛土遺構(盛り土遺構): 食べ物や土器などを捨てた場所とされ、感謝を込めて自然へ返す「魂の贈り場」として、祭祀が行われた場所とも考えられています。 |
大船遺跡
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※
写真上左:遺跡全景
写真左下:住居の防寒効果を高めるために深く掘り込んだ竪穴住居。夏から常に火を絶やさずに土壁を温め続けることによって高い暖房効果を得た。
写真右上:1500年もの長期間の定住の結果、古い住居跡を切り合っている。
写真右下:大量の石皿が積み上げられている。男性の土坑には石鏃、既婚成人女性が死ぬと使っていた石皿が置かれる。
長期間に渡った定住のため、そこで死亡した女性の数がこの膨大な石皿の数です。
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磨石 (北海道式石冠)
大船遺跡
北海道函館市
時期 :中期
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石皿
大船遺跡
北海道函館市
時期:中期
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※積み上げらり手板石皿はもっと大きい。
この石皿は特定の芳香のみに動かした特殊な
石皿かも知れません。 |
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1033尖頭器 (槍の穂先)(大船遺跡)
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尖頭器(せんとうき) 尖頭器の種類
Stone Points
大船遺跡 北海道函館市
時期:中期
所蔵: 函館市教育委員会
矢や槍の先に装着して、 突き 刺す道具として使われました。
柄に装着するための加工が見 られます。
It was attached to the tip of an arrow or spear and used as a stabbing tool. There are traces that indicate that it was attached
to a shaft. |
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独鈷形 (とっこがた) ナイフ
Double-edged stone Knife with constricted middle section
大船遺跡
北海道函館市
時期 : 中期
所蔵: 函館市教育委員会
石器の両側に抉りを入れ、 そ の部分を柄に装着して、突き刺 す道具として使われたとみら れます。
It is believed that a gouge was made in the center of the stone tool and the part was attached to a shaft to be used as a stab- bing tool. |
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独鈷形ナイフ 大船遺跡
AI による概要
大船遺跡からは独鈷形ナイフ(とっこがたナイフ)と呼ばれる石器が出土しています。これは縄文時代の特徴的な遺物の一つです。
出土場所: 北海道函館市(旧南茅部町)にある大船遺跡。
時代: 大船遺跡は縄文時代前期から中期(紀元前3,500年〜紀元前2,000年頃)にかけての大規模な拠点集落です。
遺物の特徴:
・独鈷形ナイフは黒曜石(こくようせき)で作られた石器で、その名の通り、仏具の「独鈷杵(とっこしょ)」のような形状をしています。
・具体的には、ナイフの上下(両端)に尖頭部と括れ(くびれ)が形成されているのが特徴です。
これらの遺物は、当時の縄文人の高い石器製作技術や、北海道と本州北部における縄文文化の広がりを示す貴重な資料です。 |
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石錐 (せきすい)
Stone drill
大船遺跡
北海道函館市
時期: 中期
所蔵: 函館市教育委員会
先端を鋭く尖るように加工し、 全体を細長く錐状に整形した
道具です。 孔をあけるために 使われました。
like a long, thin pyramid Shaped for the purpoes of making holes. It has a sharply pointed tip, too. |
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石匙 (つまみ付きナイフ)
Spatula-stone scraper (knife with a handle)
大船遺跡 北海道函館市
時期 : 中期
所蔵: 函館市教育委員会
全体を加工して刃を作り出し、一端につまみをもつ石器です。切るなどの道具として使われ ました。
This stone tool has side blades and a knob at one end. It was used as a tool for cutting things. |
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石べら
Tongue-shaped stone
大船遺跡 北海道函館市
時期 : 中期
所蔵: 函館市教育委員会
全体を加工してヘラ状に作り 出しています。皮なめしなどの、掻き取る道具として使われました。
Sharpened to form into a spat- ula shape. It was used as a tool for scraping things, such as tan- ning hide. |
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尖頭器とは
AI による概要
約1万5700年前。ものすごく古い尖頭器が発掘されてわかったこと ...
尖頭器(せんとうき)とは、先端を鋭く尖らせて作られた石器(せっき)の総称で、主に槍(やり)の穂先として使われた狩猟具(しゅりょうぐ)です。旧石器時代から縄文・弥生時代まで使われ、動物を突き刺したり、大きなものはナイフのように使われたりしました。特に、柄(え)に取り付ける部分が舌(した)のように突出した「有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)」は、縄文時代草創期を代表する重要な石器です。
特徴と用途
・用途: 獲物を突き刺すための「刺突具(しとつぐ)」や「槍先」。
・加工: 石(主に黒曜石)を削り(打製)、両面から細かく剥がす(斜状平行剥離)ことで、鋭利な先端と強度を持たせています。
・種類: 柳葉形(りゅうようけい)、木ノ葉形(このはがた)、三稜(さんりょう)形など、様々な形があります。
・有舌尖頭器: 棒の先に固定しやすくするため、根元に舌状の出っ張り(舌)と返し(かえし)が作られ、抜けないように工夫されています。
時代による呼び名の違い
・旧石器時代: 尖頭器、槍先形尖頭器
・縄文・弥生時代: 石槍(せきそう)、または有舌尖頭器など
重要性
旧石器時代の終わりから縄文時代への移行期を示す重要な資料であり、当時の人々の狩猟技術や生活様式、石材調達ルート(遠隔地からの運搬)を知る手がかりとなります。
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尖頭器の種類
AI による概要
有舌(茎)尖頭器 【旧石器電子辞書】<ゆ>|八ヶ岳旧石器研究 ...
尖頭器は先端が尖った石器の総称で、日本では主に旧石器時代から縄文・弥生時代に用いられ、槍先形尖頭器(大型獣狩りに使用)、木葉形(葉っぱのような形)、三稜形(断面が三角形)などの種類があり、柄に装着する基部が特徴的で、時期や地域によって細かく分類されます。
主な種類と特徴
・槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき):最も代表的で、木の柄の先に装着して投げ槍として使われたと考えられ、大型獣狩りの進歩に貢献しました。
・木葉形 (このはがた) 尖頭器:木の葉のような形をしており、先端が鋭く尖っています。
・三稜形 (さんりょうけい) 尖頭器:断面が三角形(三稜)になっているのが特徴で、旧石器時代から見られます。
・細長いタイプ / 幅広タイプ:長さや幅の形態から、さらに大別されることもあります。
・有舌尖頭器 (ゆうぜつせんとうき):基部に「舌」(翼のような突起)があるタイプで、有舌式とも呼ばれ、特に縄文時代早期に特徴的です。 |
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1034三内丸山遺跡
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Sannai Maruyama Site
出典: JOMON ARCHIVES (https://jomon-japan.jp/archives#/)
三内丸山遺跡は、 青森県青森市にある、 約 5,900年前から4,200 年前にかけての大規模な集落遺跡です。 多数の住居 (竪穴建物) と食料貯蔵施設、 集会施設、 祭祀施設、 集団墓地などが計画的に 配置され、道路もつくられました。 竪穴建物には長さが30mを超える ものがあり、 掘立柱建物にも大型のものがあります。 また、 実用・ 非実用品ともに多く出土するほか、遠方から持ち込まれた物資も集 積するなど、地域の拠点としての役割を果たしました。 |
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AI による概要
特別史跡 三内丸山遺跡は、青森県青森市にある縄文時代前期中頃~中期末まで(約5900~4200年前)、1700年間に及ぶ長期の大規模集落跡で、日本最大級の縄文集落として知られています。
約1700年間継続した集落の跡から、竪穴建物跡や大型掘立柱建物跡、多くの土器や石器、ヒスイなどが出土し、縄文人の定住生活や交易、祭祀の様子を伝える貴重な情報源です。
主な特徴と発見
・巨大な建造物:直径約1メートルのクリの柱を使用した「大型掘立柱建物」や、長さ32メートル以上の「大型竪穴建物」など、当時の高度な技術を示す遺構が復元されています。
・大型建造物: 直径約2mの柱穴を持つ、高さ約15mの大型掘立柱建物(高床倉庫のような建物)が復元されており、当時の技術力の高さを示しています。
・豊かな生活と交易:クリの栽培が行われていたほか、遠方の長野県産の黒曜石や新潟県産のヒスイが見つかっており、広範囲な交易が行われていたことが分かっています
・豊富な出土品: 縄文土器、石器のほか、ヒスイ(新潟県産)、黒曜石(北海道・長野県産)、琥珀(岩手県久慈産)など、遠隔地との交易を示す資料も多数出ます。
・祭祀の痕跡: 大量の土偶や小型土器が盛土から見つかり、活発な祭祀が行われていたことが分かります。 |
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円筒土器の破片
原資料: 三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期 |
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掘立柱建物の木柱
Wooden pillar of embedded-pillar building
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
クリ材を石斧で加工したもので、最下部が腐らずに残っていました。 木の年輪数が66年あります。
The lowest part remained unrotted. The pillars are made of chestnut wood worked with a stone axe. According to the growth rings, the tree was 66years old when ite was cut down. |
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1035縄文ポシェット
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原資料: 重要文化財
編籠 (縄文ポシェット) [複製]
Mesh basket (replica)
原資料 三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
ヒノキ科の内樹皮を、 幅約3~ 5mm、 厚さ約0.4mmの薄い紐 状にして、 袋形に編んだものです。
所蔵: 三内丸山遺跡センター
The inner bark of plants belong- ing to cypress family is made into thin
strings of about 3 to 5 mm wide and 0.4mm thick, and then they were woven
into a bag shape. |
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1036石材
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北海道の黒曜石で作った石器
(石鏃 石槍・石匙)
Stone tools made from obsidian mined in Hokkaido
(stone arrowhead, stone spear head, tanged stone scraper)
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
黒曜石は日本各地に産地があります。本遺跡ではより良質な 北海道産の黒曜石製の石器が出土しています。
Obsidian can be found all over Japan. At Sannai Maruyama Site, stone tools using high-quality obsidian from Hokkaido have been excavated. |
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北海道のアオトラ石で作った磨製石斧 (製品・未成品)
Polished stone axes material Aotora stone from Hokkaido
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
磨製石斧の石材も北海道から 持ち込まれたものがあります。 これを用いて遺跡内で石斧が 作られました。
Some stones for polished stone axes were brought from Hokkai- do. These
were used to make stone axes within the Sannai Maruyama Site.
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アオトラ石製磨製石斧 (ませいせきふ)
Aoto r a polished stone axe
三内丸山遺跡 青森県青森市
全体を磨いて薄く整形してい ます。 柄に装着するところはや や粗く、刃は丁寧に磨いて仕 上げています。
時期 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
The entire piece is polished and thinly shaped. The area where it attaches to the haft is slightly rough, but the blade is carefully polished. |
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糸魚川 (新潟県) 周辺からもたらされたヒスイ
Jades mined around Itoigawa, Niigata Prefecture
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
ヒスイは原石のまま持ち込まれ、装身具(玉類)に加工されました。
製品のかけらなども出土しています。
Raw jade was brought in and processed into accessories.
Pieces of the jade products have also been excavated. |
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1037石器
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左:石べら
右2点:石匙 |
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石べらTongue-shaped stone
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
石匙 (つまみ付きナイフ)Tanged stone scrapers
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期 |
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左:石錐
中:石槍
右:石鏃
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石錐(せきすい) Stone drill
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期:中期
石槍(せきそう) Stone spear head
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 中期
石鏃 (せきぞく) Stone arrowhead
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期:中期
剥片とよばれる石のかけらから作られた石器です。 縄文人は目的に合った形の道具を選んで使いました。
These stone tools were made from pieces of stone called flakes. The Jomon people select-ed tools in shape appropriate for respective purposes.
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1038磨製石斧
磨製石斧 |
磨製石斧 (ませいせきふ)
Polished stone axe
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
全体を磨いて斧の形に作られ た石器です。 木の伐採などに 使われ、その衝撃から刃など が壊れています。
This stone tool was sharpened and polished in the shape of an axe. It was
used for cutting down trees so that the blade and other parts were broken
from the impact. |
凹石 |
凹石 (くぼみいし)
Stone with indentations or surface pitting
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
やや平たい石の中央部にくぼ みの付く石器です。 木の実な
どを固定するためのものと推 定されます。
This is a stone tool with an indentation in the center of a slightly flat
stone. It is presumed to have been used to hold nuts or other objects in
place. |
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10401円筒土器文化とは
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AI による概要
北海道の縄文文化について | 北の縄文ポータルサイト
円筒土器文化とは、縄文時代前期から中期にかけて、東北地方北部から北海道南西部で栄えた、円筒形(バケツ形)の土器(円筒土器)を特徴とする縄文文化です。土器表面には縄目文様が施され、初期の「円筒下層式」と、より装飾的で大型化する「円筒上層式」に大別され、三内丸山遺跡など大型集落と関連し、十和田火山の噴火の影響も指摘されています。
主な特徴
・器形: 樽型や円筒形で、高さが60cmを超える大型の土器も存在。
・文様: 粘土紐を貼って作る「隆帯(りゅうたい)」や、縄を押し付けて作る「押圧縄文(おうあつじょうもん)」が特徴。
・区分:
・円筒下層式: 縄文前期。胎土(粘土)に植物繊維が混ざり、単純な円筒形。
・円筒上層式: 縄文中期。口縁が外反し花弁状の突起がつくなど装飾が複雑化、大型化。
・分布域: 主に東北地方北部(青森・秋田・岩手など)から北海道南部・道央部。 |
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1041
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円筒土器文化とは
6,000 年前から5,000年前頃まで、 北海道南部と東北北 部地域で「円筒土器」 という特徴的な土器が多く使われました。 円筒土器は、 筒形で底が平らな形状となり、 多様な縄文を用いて装飾されています。 この土器をもつ文化圏を「円筒土器文化」とよびます。この時期には、地域の拠点となる「大規模ムラ」が出現し、居住や貯蔵施設に加えて、道路や水場施設、大型建物、共同墓地や盛土遺構などの生活インフラ が整備されたことが特徴です。 |
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円筒土器文化とは |
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円筒(上層式) 土器 Ento-type(Upper Layer) Jomon potteries
大船遺跡 北海道函館市
時期: 中期
所蔵: 函館市教育委員会
4つの突起と粘土紐で装飾さ れています。 粘土紐とその周り には縄文を押し付けた装飾が あります。
It is decorated with four projec- tions and clay strings. The clay string and its surroundings are decorated with a pressed cord mark pattern. |
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円筒(上層式) 土器 Ento-type(Upper Layer) Jomon potteries
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
4つの突起と幅の広い粘土紐 で装飾されています。 粘土紐には縄文を押し付けた装飾が あります。
It is decorated with four projec- tions and a wide clay string. The clay string is decorated with a pressed cord pattern. |
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1043御所野遺跡
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御所野遺跡(ごしょの) Goshono Site
出典: JOMON ARCHIVES (https://jomon-japan.jp/archives#/)
御所野遺跡は、岩手県一戸町にある、 約 5,000年前から4,200年 前に営まれた大規模な集落遺跡です。 この集落では、中央部の広 場を中心として、 居住施設である竪穴建物が東西に広がり、大きく 「東ムラ」 ・ 「中央ムラ」・「西ムラ」の3つに分かれます。 なかでも、 「中 央ムラ」は、配石遺構と墓を中心に、 その外側に掘立柱建物がつく られます。このほか、黒曜石やアスファルトなど遠方の物資も集積し、 地域の拠点的な集落として位置づけられます。 |
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※AI による概要
御所野遺跡は、岩手県一戸町にある縄文時代中期後半(約5000~4200年前)の大規模集落跡です。
縄文人が約800年間にわたり定住した「ムラ」の跡で、土屋根の竪穴建物やストーンサークルなどが復元されており、当時の生活や祭祀の様子を体感できる貴重な史跡です。
主な特徴
・大規模な集落跡: 縄文時代中期後半に約800年間続いた集落で、約800棟の建物跡が発見されています。
・「土屋根」の発見: 縄文時代の竪穴建物が土屋根であったことが初めて証明された場所として知られ、歴史的価値が高いです。
・祭祀の痕跡: 盛土からは、シカ・イノシシなどの動物骨、土偶、石製品などが出土し、火を使った祭祀が繰り返し行われていたことが示されています。
・復元された縄文ムラ: 遺跡内には土屋根の竪穴建物や掘立柱建物、ストーンサークルなどが復元され、当時の風景を再現しています。 |
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御所野遺跡 |
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円筒 (上層式) 土器 Ento-type(Upper Layer) Jomon potteries
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
幅の広い粘土紐を貼り付け、 粘土紐とその周りに縄文を押 し付けて、 直線や曲線、 刻みを 表現しています。
A wide clay string is pasted on. A rope was pressed to a clay string and
its surroundings to create straight lines, curves, and indentations. |
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円筒 (上層式) 土器 Ento-type(Upper Layer) Jomon pottery
御所野遺跡 岩手県一戸町
時期 中期
所蔵:一戸町教育委員会
突起を4つ巡らせ、口縁には粘 土紐を貼り付けています。 ヘラ 状の工具で線を描いた装飾が あります。
It is circled by four projections and has the clay string pasted onto the mouth rim. There are decorations with lines drawn with a spatula-shaped tool. |
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大木式土器 Daigi series pottery
御所野遺跡 岩手県一戸町
時期: 中期
所蔵: 一戸町教育委員会
円筒土器とは、器形や装飾に 違いが見られます。 ヘラ状の工具を用いて渦巻が表現され ています。
It differs from cylindrical earth- enware in shape and decoration. The spiral patterns are made by a spatula-shaped tool. |
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1045
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大木土器文化
6,000 年前から5,000 年前頃にかけて、 おおむね北緯 40°付近を境界として、その北には 「円筒土器文化」、 南 には 「大木土器文化」 とよばれる二つの土器文化圏があ
りました。
東北南部の 「大木式土器」 は、 宮城県の松島湾沿岸に ある大木囲貝塚から発掘された土器をもとに名づけられた 土器です。 円筒土器と異なり、 くびれや膨らみなどの形と 渦巻の文様が特徴です。 大木土器文化と円筒土器文化は 同じ時期に展開しますが、 その後、大木式土器の影響が 北へと延びていきます。 |
| ※ |
大木式土器とは
AI による概要
大木式土器とは、縄文時代前期から中期(約6500〜4500年前)にかけて東北地方南部(宮城県七ヶ浜町の大木囲貝塚が標式遺跡)を中心に使われた縄文土器群の総称です。特徴として、縄文前期末〜中期初頭の「球胴形(金魚鉢形)」など丸みを帯びた器形や、粘土紐とヘラで描くうずまき文様が挙げられ、時代とともに形態や文様が変化し、細かく13種類に分類されます。
主な特徴と変遷
・分布: 縄文前期〜中期中葉は東北南部が中心で、中期後半には北東北へ分布を広げました。
・器形: 縄文前期末〜中期初頭には「金魚鉢形」のような丸い胴体に足がついたような土器が見られ、底部が赤く焼けているのは熱効率を高めるためと考えられています。
・文様: 粘土紐とヘラでうずまき文様を描き、後に円筒土器文化(東北北部・北海道)と並行しながら、渦巻文や唐草文様が発展しました。
・細分: 大木1式から10式(細分含め13段階)に細かく分類され、時代ごとの文様や形態の変化が詳細に研究されています。
・並行する文化: 東北北部から北海道南部で栄えた「円筒土器文化」と同時期に存在し、中期後半には大木式土器文化の影響が円筒土器文化圏にも及びました。
・独特の炉: 縄文時代中期後葉には、竪穴建物内に複式炉という独特の石組炉を伴うことも知られています。
まとめ
大木式土器は、縄文時代前期〜中期の東北地方の多様な文化を代表する土器であり、その豊富な種類と地域性、そして時代による変化が、東北縄文文化の理解に不可欠な資料となっています。
大木式土器とは、縄文時代前期から中期(約7,000〜4,400年前)にかけて、東北地方南部を中心に普及した土器の型式群です。
主な特徴や分類
1.概要と分布
・名称の由来: 宮城県七ヶ浜町にある大木囲(だいぎがこい)貝塚から出土した土器群が基準(モデル)となったことから命名されました。
・分布: 東北地方(特に宮城県や福島県などの南部)を中心に、北は岩手県、南は関東地方北部(栃木県・茨城県など)まで広い範囲に影響を及ぼしました。
2. 特徴的な形態・文様
・形状: 時期によって変遷しますが、前期末から中期初頭には「金魚鉢形(球胴形)」と呼ばれる丸い胴体に小さな台部が付いたような形が見られます。
・装飾: 口縁部(ふち)に「S字形」や渦巻状の立体的な装飾が施されるのが特徴です。
・文様: 縄目の上に沈線(細い溝)で渦巻やクランク、直線などを描く手法がよく用いられます。
3.編年(時期の分類)
・時期と変遷: 縄文前期から中期まで長期間にわたり、古い順に1式から10式に細分されています。
・前期(1〜6式): 文様が比較的シンプルなものから次第に装飾が発達します。
植物繊維を混ぜたものや、金魚鉢のような「球胴形」の丸みのある形状が見られます。
・中期(7〜10式): 口縁部に「S」字形や渦巻状の立体的な装飾が発達し、非常に装飾的なデザインへと変化します。
文様がさらに複雑・立体的になり、東北地方の縄文文化を代表する基準的な資料となります。 |
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大木土器文化 |
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大木式土器 [複製] Daigi series pottery(replica)
原資料: 繫V遺跡
時期: 中期
原資料: 重要文化財 岩手県盛岡市
所蔵: 盛岡市遺跡の学び館
表面全体に粘土紐を貼り付け、 唐草状の渦巻文が装飾されています。 大きな孔をもつ把手が3つ付きます。
A clay string was pasted on the entire surface decorated with swirl patterns in arabesque.
There are three large perforated handles. |
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大木式土器 Daigi series potteries
大木囲貝塚 宮城県七ヶ浜町
時期: 中期
所蔵: 七ヶ浜町教育委員会
全体にくびれをもつ形をして おり、粘土紐とヘラ状の工具で 渦巻などが表現されています。
It has a constricted part. It is dec- orated with clay string and swirl
patterns made by a spatula-like tool. |
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1050 1-4 十腰内文化とストーンサークル
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十腰内文化とストーンサークル
約4,400年前(※縄文中期後半)に起こった気候の寒冷化は、 人口の減少を引き起こ し、これまで営まれていた 「大規模ムラ」はその維持管理が困難
となり、人びとは小さなムラに分散してくらすようになります。 その一方で、 これらのムラから離れた場所には、環状列石(ストーンサークル) とよばれる大規模な墓地がつくられました。
この墓地を共同 で維持・管理する小さなムラの集まりが、ひとつの地域社会を形づくっていきます。
ここでは、こうした地域社会によって育まれた文化について、ストー ンサークルから出土した特徴的な資料により紹介します。 |
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1051ストーンサークルとは
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ストーンサークルとは
ストーンサークルは、石を円環状に配置したものであり、 「環状列石」ともよばれます。 北海道 北東北地域では 4,000年前の前後の時期につくられました。
ストーンサークルは共同墓地で、これを中心に葬送や祭 祀が行われました。 この場所は周辺の小さなムラが共同で 維持・管理していたと言われる一方で、人びとが日常的に くらしていた場所であったとする考えもあります。いずれに しても、地域における「拠点」 として機能したものと言えます。 |
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ストーンサークルの土器
この地域でストーンサークルが営まれた時期は、4,000年 前頃の縄文時代後期にあたります。 この時期になると深鉢や鉢のほかに壺が見られるようになります。
土器の表面に見られる装飾は、鋸歯(のこぎりの歯)状や三角形、方形などに区画する文様と、そのなかに渦巻やS字、 弧線などが入る文様が特徴と言えます。 また、この時期の終わり頃になると、土器の口縁が大きく開き、装飾性の高い突起の付く深鉢なども見られるようになります。 |
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AI による概要
ストーンサークルからは、祭祀や埋葬に使われた土器が数多く出土しており、特に大湯環状列石や伊勢堂岱遺跡では、火焔型土器や、土偶)、土版といった精巧な縄文土器・土製品が見られ、祭祀の場としての縄文文化の精神性を今に伝えています。
出土品の特徴
・土器の種類: 縄文時代中期~晩期のものが多く、火焔型土器(装飾が豊かで、芸術性が高い)や、小型の土製品が出土しています。
・祭祀・儀礼: ストーンサークルは、季節の暦や祖先供養、豊穣祈願など、精神的な拠り所として使われ、その祭祀の際に土器が供えられたと考えられています。
・埋設土器: 鷲ノ木遺跡などでは、ストーンサークルの中に埋められた「埋設土器」も発見されており、特定の儀式に使われた可能性が示唆されます。
・土偶・土版: 土器とともに、土偶や「土版(どばん)」と呼ばれる人面や動物のような形をした土製品も出土しており、これらも祭祀に関連する重要な遺物です。
代表的な遺跡
・大湯環状列石(秋田県): 「大湯ストーンサークル館」で出土品が展示されており、精巧な火焔型土器や土版が見られます。
・伊勢堂岱遺跡(秋田県): 大湯とほぼ同時期に造られ、多くの祭祀遺物が出土しています。
・鷲ノ木5遺跡(北海道): 埋設土器が発見された遺跡です。
ストーンサークルと土器は、縄文人の精神世界や高度な技術、そして生活に深く結びついており、日本の基層文化を示す重要なモニュメントと言えます。
AIによる概要
日本のストーンサークル(環状列石)で見つかる土器は、主に縄文時代後期(約4,000〜3,000年前)のものが中心です。これらの土器は、生活用品としての側面に加え、祭祀や葬送(お葬式)といった儀式的な役割と深く結びついています。
主な特徴と種類は
1. 儀式や祭祀のための土器
ストーンサークルは祭祀や葬送の場と考えられており、実用的なものとは異なる特殊な土器が出土します。
・注口土器: 急須のような形をしており、お酒や飲み物を注ぐ儀式に使われたと考えられています。
・器台: 供え物を載せるための台座のような土器です。
・異形土器(いぎょうどき): 香炉形や鳥の頭が付いたものなど、独特な形の土器も見つかっています。
2. お墓としての土器
・甕棺: ストーンサークルの石組みの下や周辺に、子供などを埋葬するための「土器の棺」として埋められていることがあります。
3. 代表的な遺跡と土器の例
・大湯環状列石(秋田県): 日本最大級の遺跡で、200年以上にわたって使われ続けたことを示す多種多様な土器が出土しています。
隣接する「大湯ストーンサークル館」で、実際に出土した土器や土製品(土偶など)を見学・体験できます。
・伊勢堂岱遺跡(秋田県): 祭祀に伴う数多くの遺物とともに土器が見つかっています。
4つの環状列石からなる大規模な遺跡で、発掘された土器は祭祀の変遷を知る重要な手がかりとなっています。
・小牧野遺跡(青森県): 複雑な三重の輪を持ち、当時の精神文化を反映した土器が多数発見されています。
「縄文の学び舎・小牧野館」にて、遺跡から見つかった土器や、この遺跡を象徴する「三角形岩版」などの遺物が
展示されています。
ストーンサークルから見つかる土器は、当時の人々が「祈り」や「まつり」に込めた思いを伝える重要な手がかりとなっています。
1. ストーンサークルと土器の関わり
・お墓としての利用: 石組の下には土坑墓(どこうぼ)と呼ばれる穴があり、そこに遺体とともに土器が供えられることがありました。
・埋設土器: 石組のすぐそばに、土器を意図的に埋めた「埋設土器」が見つかることがあります。これらは供え物や、亡くなった子供の棺(甕棺)として使われた可能性も指摘されています。
・長期間の祭祀: 秋田県の伊勢堂岱遺跡では、200年以上にわたって土器が供えられ続け、そこが聖域として守られてきたことが分かっています。
2. 主な土器の特徴
・時期:縄文時代後期前半の土器が主流です。例えば、青森県の小牧野遺跡ではこの時期の土器が多数出土しています。
・文様: 縄目模様(縄文)だけでなく、この時期特有の撚糸文や、網目状の模様が施された深鉢などが見られます。
・形状: 煮炊き用の深鉢のほか、儀式で使われたと考えられる注口土器なども見つかります。
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十腰内文化とストーンサークル
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ストーンサークルとは
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ストーンサークルの土器
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1052土器
深鉢形土器 |
深鉢形土器
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深鉢形土器
Deep bowl-shaped pottery
大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期:後期
所蔵:鹿角市教育委員会
ヘラ状の工具を用いてS字状 の曲線と鋸歯状の直線を縦に 描き、横方向に交互に展開し ています。
Earthenware with lines drawn with a spatula-shaped tool. S-shaped curves and chevron stripe, alternates widthways. |
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深鉢形土器
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深鉢形土器
Deep bowl-shaped pottery
鷲ノ木遺跡 北海道森町
時期:後期
所蔵: 森町教育委員会
縄文を施した部分に、ヘラ状の
工具で波状の線を上下に描き、 その間に渦巻や方形の文様を 描いています。
Wavy lines are drawn up and down on the applied cord mark pattern with a spatula-like tool, with spiral and square patterns in between. |
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鉢形土器 Bowl-shaped pottery
鷲ノ木遺跡 北海道森町
時期 後期
所蔵: 森町教育委員会
土器の表面全体に縄文を施し、 上半部に鋸歯状、下半部には 円や三角形の文様を描いてい ます。
The entire surface of the pottery is decorated with coed mark patterns, chevron stripe on the upper half and circles and trian- gles on the lower half. |
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原資料: 秋田県指定文化財
鉢形土器 [複製] Bowl-shaped pottery (replica)
原資料: 大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
5つの突起と、ヘラ状の工具に よる文様を描いて装飾されています。 花弁が外面と内面に 描かれています。
It is decorated with patterns drawn by five projections and spatula-shaped tools.
Petals are painted on the outside and inside. |
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1053ストーンサークルの土器
ストーンサークルの土器
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秋田県指定文化財
装飾突起をもつ台付深鉢形土器
Footed deep bowl-shaped pottery with decorative protrusions
大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期: 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
装飾された大きな突起を3つ もち、口縁が大きく広がり、 小さ な胴部が特徴です。 底部には 台が付きます。
It is characterized by three dec- orated projections, with wide mouth opening and its smaller body. A stand is attached to the bottom. |
装飾突起をもつ台付深鉢形土器 |
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装飾突起を持つ台付深鉢形土器
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1054土器
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燭台形台付土器
秋田県指定文化財
Candlestick-shaped footed pottery
大湯環状列石
秋田県鹿角市
時期 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
大きな台と小さな器を組み合わせた、燭台のような形が特徴です。 装飾には赤色顔料が 使われています。
It is characterized by its candle- stick-like shape, consisting of large
base and smaller vessel. Red pigments used for decoration remain. |
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壺形土器
Jar-shaped pottery 伊勢堂岱遺跡 秋田県北秋田市
秋田県指定文化財
時期 後期 所蔵: 北秋田市
全体を赤く彩色した後に、 ヘラ 状の工具により土器の表面を 削り取ることで、 文様が浮き出 ています。
After coloring the entire surface red, a spatula-like tool was used to remove the surface of the pottery to emboss the pattern. |
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焼成前に彩色された土器
Pottery painted before firing
小牧野遺跡 青森県青森市
時期 後期
所蔵: 青森市教育委員会
頸部に把手が付きます。 表面 は焼成前に赤く塗られ、 ヘラ状 の工具で渦巻などの文様が描 かれています。
Handles are attached to the neck. The surface was colored red before firing, and spirals
and other lines were drawn with a spatula-like tool. |
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1060まつりの道具
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ストーンサークルでは祭祀や儀礼行為が行われたとされ ており、それぞれの遺跡からはこれを思わせる道具が多数 出土しています。 土偶や土版などは遺跡ごとにそれぞれ特 徴がありますが、 一方で、 鐸形土製品や円形土製品、 三 角形土製品などは似たような形のものが共通して見られま す。 ただし、これらの種類や数量は遺跡ごとに異なっており、 ストーンサークルそのものの構築の違いも含めて、地域差 や祭祀等の違いが考えられています。 |
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1061
まつりの道具
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板状土偶 |
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板状土偶
Flat clay figurine
伊勢堂岱遺跡 秋田県北秋田市
秋田県指定文化財
時期 後期
所蔵: 北秋田市
身体を表現した逆三角形の粘 土板に、 頭部が立体的に付き ます。 格子状の表現が多用さ れています。
A thin head is attached to an inverted triangular clay plate which represents
human body. Lattice-like patterns are used extensively. |
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土版 [複製]
Clay tablet (replica)
原資料: 秋田県指定文化財
原資料: 大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期 : 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
刺突や貫通孔により身体を表現しています。 1から6までの刺突表現は数の概念があったとみられます。
Stabbing and pierced holes represent body. The stabbing expressions from
1 to 6 seem to be based on the concept of number.
どばんくんの不思議
表に1から5、裏に6を表す孔があけられ、それぞれ身体の一部を表していると考えられています。
1:口 2:目 3: 右胸 4:左胸 5: 正中線 6: 髪型
どばんくんは、縄文人の数遊びで作られたとみられます。 |
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原資料: 森町指定文化財
鐸形 (イカ形) 土製品 [複製]
Bell-shaped (squid-shaped) baked clay objects (replica)
原資料:鷲ノ木4遺跡 北海道森町
冷蔵:ぬり教育委員会
全体がイカのような形の土製品です。鐸と同じく下部に大き な空洞があります。上部には縄文が見えます。
The overall chape of this clay product is like a squid Like the bell, it
has a large cavity at the bottom On the upper part a cord mark pattern
can be seen. |
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1063鐸形土製品
鐸形土製品
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森町指定文化財
鐸形土製品
Bell-shaped baked clay objects
鷲ノ木4遺跡 北海道森町
時期 : 後期
所蔵: 森町教育委員会
鐸 (たく) とよばれる釣鐘のよう な形が特徴です。 上部には紐 を通すような孔のあるものが多く見られます。
It is characterized by the shape of a particular bell, called "taku"
- an ancient Chinese instrument.
Some of them have a hole in the top through which a string is hreaded. |
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鐸形土製品
Bell-shaped baked clay objects
小牧野遺跡
青森県青森市
時期:後期 |
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鐸形土製品
Bell-shaped baked clay objects
小牧野遺跡
秋田県鹿角市 時期:後期 |
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鐸形土製品
Bell-shaped baked clay objects
伊勢堂岱遺跡
秋田県北秋田市 時期:後期 |
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1065小牧野遺跡
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小牧野遺跡 |
AI による概要
小牧野遺跡は、青森市にある縄文時代後期前半の遺跡で、日本最大級の環状列石(ストーンサークル)が特徴です。直径55mにも及ぶ巨大な石の輪が三重にめぐり、埋葬や祭祀・儀礼に使われたとされ、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界文化遺産にも登録されています。
主な特徴とポイント
大規模な環状列石: 約2,900個の石で構成され、三重の輪と弧状の列石が特徴で、独特の「小牧野式配列」という石の積み方が見られます。
用途: 縄文人の精神生活や葬送儀礼、土地利用の実態を示す貴重なモニュメント(記念物)です。
関連遺物: 土偶や「三角形岩版」などの祭祀具、竪穴住居跡、墓などが出土しています。 |
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円形土製品 |
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円形土製品 Round-shaped baked clay objects
大湯環狀列石 秋田県鹿角市
秋田県指定文化財
時期 後期 所蔵: 鹿角市教育委員会
粘土を円や三角形に薄く整形 しています。 土器片を打ち欠いてこのような形に整えたものもあります。
Clay is thinly shaped into circles or triangles. Some earthenware shards
are hammered and shaped in this manner. |
円形土製品
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円形土製品
Round-shaped baked clay objects
秋田県指定文化財
伊勢堂岱遺跡
秋田県北秋田市
時期 後期
所蔵: 北秋田市 |
円形土製品 |
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円形土製品
Round-shaped baked clay objects
小牧野遺跡
青森県青森市
時期 後期
所蔵: 青森市教育委員会
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円形土製品 |
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円形土製品
Round-shaped baked clay objects
鷲ノ木遺跡
北海道森町
時期 後期
所蔵:森町教育委員会
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三角形土製品
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三角形土製品 |
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三角形土製品
秋田県指定文化財
Triangle-shaped baked clay objects
大湯環状列石
秋田県鹿角市
時期 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会 |
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三角形土製品
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三角形土製品
秋田県指定文化財
Triangle-shaped baked clay objects
伊勢堂岱遺跡
秋田県北秋田市
時期 後期
所蔵 : 北秋田市 |
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1067鷲ノ木遺跡
三角形土製品 |
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三角形土製品
Triangle-shaped baked clay objects
小牧野遺跡
青森県青森市
時期: 後期
所蔵: 青森市教育委員会
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三角形土製品
Triangle-shaped baked clay objects
鷲ノ木遺跡
北海道森町
時期 後期
所蔵 森町教育委員会
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三角形岩盤 |
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三角形岩板 Triangle-shaped stones imitation of a clay tablet
小牧野遺跡 青森県青森市
時期 後期
所蔵: 青森市教育委員会
石を打ち欠いたり、表面を磨く などして三角形に整形してい
ます。 表面に文様を描いたも のもあります。
The stone is shaped into a trian- gular shape by hammering out or polishing
the surface. Some have patterns painted on the surface. |
三角形岩盤 |
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三角形岩板
Triangle-shaped stones imitation of a clay tablet•
鷲ノ木4 鷲ノ木遺跡
時期 後期
北海道森町
所蔵: 森町教育委員会
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三脚石器 |
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秋田県指定文化財
三脚石器 Triangular of three-pronged chipped stones
大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
石を打ち欠き、 全体を三角形 に成形しています。
3つの角が突き出るようにさらに打ち欠い ています。
The stone is hammerd out and the entire piece is formed into
a triangle. The three corners are further hammered so that they
protrude. |
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三脚石器
Triangular of three-pronged chipped stones
伊勢堂岱遺跡
秋田県北秋田市
時期 後期 所蔵: 北秋田市 |
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1069大湯環状列石 野中堂日時計
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野中堂環状列石日時計状組石 [模型] Nonakado Stone Circle sundial-like stonework (model)
原資料: 大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期: 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会 |
日時計 |
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野中堂環状列石
日時計狀組石機型
繩尺1/5
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1100 1-5亀ヶ岡文化と漆
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亀ヶ岡文化と漆
約2,900年前から2,200年前にかけて、日本列島各地に水田稲作が伝わっていき、 新たな社会が形成されるようになります。 縄文時代から弥生時代へと社会全体が移り変わっていくなかで、 北海道南西部から東北地域にかけては、縄文時代の伝統的な技術がさらに 継承されます。 人や物が盛んに交流し、新たな技術や生産体制が広域に共有される文化圏である 「亀ヶ岡文化」が展開しました。 ここでは、新たな技術により生み出された多彩な遺物から、 この地域 に展開した亀ヶ岡文化を紹介します。 特に、 この文化に特徴的な土器と漆利用を取り上げ、 縄文人の技と精神を探ります。 |
| ※ |
AI による概要
亀ヶ岡文化とは、縄文時代晩期(約3100~2400年前)に北海道から東北地方に広がった縄文文化で、遮光器土偶(大きな目の土偶)や繊細で美しい漆塗り土器・漆器(籃胎漆器など)、精巧な装飾品**が特徴です。青森県つがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」から多数出土し、その優れた芸術性から「亀ヶ岡物」として江戸時代から珍重され、現在も世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として知られています。
主な特徴
・出土品:遮光器土偶、漆塗土器、籃胎漆器(籠に漆を塗って固めたもの)、木製装身具(櫛など)、漆塗りの飾り太刀など、芸術性の高い工芸品が多数。
・土器:多様で複雑な文様(雲形文など)が描かれ、赤色顔料で彩られたものも多い。二枚貝を模した器形も特徴的です。
・技術:漆を使いこなす高度な技術や、木材を加工する優れた木工技術を有していました。
・分布:北海道渡島半島から東北地方にかけて広がり、日本列島全体の人口が減少する中で、有数の人口密度を保っていたと考えられています。
※亀ヶ岡式土器は、日本全国に分布しており、最南端は沖縄島とされる。
・背景:寒冷化が進む縄文時代晩期の文化であり、祭祀(さいし)と結びついた精神文化の高さがうかがえます。 |
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1110亀ヶ岡文化の土器
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亀ヶ岡式土器とは、亀ヶ岡文化が広がる地域で使われた 土器です。 表面に施された複雑な文様は、 装飾以外に精神 的・呪術的な意味ももちあわせていたと考えられています。 装飾技法は時期により変化し、大まかには、浮き彫りを多用 した文様(大洞B・BC式) から、 文様の一部を磨り消し、残っ た部分を際立たせた「磨消縄文」 とよばれる文様 (大洞C1 C2式) へと移行します。 その後、直線的な文様 (大洞A・A' 式)が多用されるようになります。 |
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1111
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青森県重宝
台付鉢形土器
Vessel with openwork base pottery
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期:晩期
所蔵: 青森県立郷土館 風韻堂コレクション
透かし彫りの台が付く土器で す。 小さな突起と、線や短い刻 みにより文様を描いて装飾さ れています。
This earthenware comes with an openwork base. It is decorated with small projections and pat- terns drawn by lines and short indentation. |
台付鉢形土器
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青森県重宝
台付鉢形土器
Vessel with openwork base pottery
透かし彫りの台が付く土器です。
小さな突起と、線や短い刻みにより文様を描いて装飾されています。 |
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壺形土器
Jar-shaped pottery
槻の木遺跡 青森県平内町
時期
期
所蔵: 青森県立郷土館
縦に長い壺の形をしており、 羊 歯状文とよばれる植物のシダ に似た文様が、 外面のほぼ全 体を巡ります。
風韻堂コレクション
It is in the shape of a long, verti- cal jar. Almost the entire exterior surface is circled by a fern-like plant pattern. |
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1113
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壺形土器
Jar-shaped pottery
十腰内遺跡 青森県弘前市
時期:晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
頸が長く、開いた口縁に装飾 された突起が付きます。 外面 は円弧を組み合わせた文様が 描かれています。
It has a long neck and an open mouth with decorated projec- tions. The outer surface is deco- rated with a cloud-shaped pat-tern. |
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注口土器
Spouted pot-shaped pottery
十腰内遺跡
時期:晩期
青森県弘前市
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
注ぎ口の付く土器です。 羊歯 状文とよばれる植物のシダに 似た文様が、 外面のほぼ全体 に描かれています。
This earthenware has a spout. A fern-like plant pattern is incised on almost the entire exterior sur- face. |
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香炉形土器
Incense burner-shaped pottery
亀ヶ岡遺跡
青森県つがる市
時期:晩期
所蔵 東北大学大学院文学研究科
2個の孔と装飾された突起が 付き、 中は空洞になっています。 全体に透かし彫りによる装飾 が見られます。
It is hollow with two holes and a decorated projection. The entire piece
is decorated with openwork. |
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1120漆で彩られた土器
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約9,000年前の縄文時代早期には、 漆を利用した道具が 作られるようになりました。 その技術や感性は亀ヶ岡文化の 時期にさらに成熟しました。 この時期の漆塗りの器は、 現代 の工芸品を比較しても遜色のない出来栄えです。 また、 漆は しばしば赤色に着色されました。 これは復活や再生、 魔除け といった観念と結びついており、 まつりで使う道具として強 い呪術的な力を宿す意図によるものと考えられています。 |
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1121
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青森県重宝
彩文漆塗り浅鉢形土器
Painted shallow vessel-shaped pottery
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期:晩期
所蔵: 青森県立郷土館 風韻堂コレクション
土器の両面全体に黒色の漆 が塗られ、 内面には円弧を組 み合わせた文様が赤色の漆 により描かれています。
The entire surface is coated in black lacquer. A cloud-shaped pattern is painted on the interior in red lacquer. |
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彩文漆塗り壺形土器
Painted jar-shaped pottery
青森県重宝
亀ヶ岡遺跡
時期 晩期
青森県つがる市
所蔵: 青森県立郷土館
土器の表面全体に黒色の漆 が塗られた後に、 赤色の漆により曲線を組み合わせた文様 が描かれています。
The entire outer surface is coat- ed in black lacquer and then red lacquer is used to paint a curved pattern. |
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1123亀ヶ岡石器時代遺跡 記念碑
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是川石器時代遺跡
遺物出土状況
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壺形土器
Lacquered jar-shaped pottery
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期:晩期 所蔵:東北大学大学院文学研究科 外面の大部分が丁寧に磨か れています。 装飾された突起 が付き、底部には小さな脚が4 個付きます。
Most of the exterior surface has been carefully polished. It comes with a decorated projec tion and four small legs on the bottom. |
注口土器 |
注口土器 |
注口土器
Spouted pot-shaped pottery
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期: 晩期 所蔵: 東北大学大学院文学研究科
注ぎ口の付く土器で、外面に は雲形文とよばれる円弧を組 み合わせた複雑な文様が描 かれています。
This earthenware has a spout. The outer surface is decorated with a complex cloud-shaped pattern.
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壺形土器
Lacquered jar-shaped pottery
川原平(1) 遺跡 青森県西目屋村
時期:晩期
所蔵:青森県埋蔵文化財調査センター
外面全体に装飾があり、 赤色 の漆が塗られています。 底の
近くには孔が意図的にあけら れています。
The entire exterior surface is decorated and coated with red lacquer. A hole is intentionally drilled near the bottom. |
| ※ |
AI による概要
川原平(1)遺跡は、青森県にある縄文時代後期後葉から晩期後葉(約3,000〜2,000年前)の大規模な集落遺跡で、特に晩期後半に作られた盛土遺構や聖山式土器などがまとまって出土し、当時の精神文化や生業を示す重要な遺跡として知られています。
主な特徴と重要性
・時期: 縄文時代後期後半~晩期後半。
・規模: 大規模な集落跡。
・主要遺構・遺物:
・盛土遺構(盛土遺構): 晩期後半に構築されたもので、祭祀(さいし)や儀礼に関わる可能性が指摘されています。
・聖山式土器: 幾何学的な文様が特徴の、精緻で評価の高い土器が出土しています。
・意義: 高度な精神文化や内湾地域の汽水域での生業、祭祀・儀礼のあり方を示す重要な遺跡であり、日本列島の縄文文化を理解する上で欠かせない存在です。
青森県には、三内丸山遺跡(さんないまるやま・いせき)のような日本最大級の縄文集落跡(特別史跡)など、縄文時代を代表する遺跡が点在しており、川原平(1)遺跡もその一つとして、縄文文化の多様性や発展を示す貴重な資料を提供しています。
AI による概要
川原平(1) 遺跡は、青森県中津軽郡西目屋村(にしめやむら)に位置する、縄文時代後期から晩期にかけての大規模な集落遺跡です。
津軽ダムの建設に伴う発掘調査(2003年、2011年、2013〜2015年度)により、当時の人々の高い精神性や白神山地の自然との関わりを示す重要な遺構遺物が多数発見されました。
遺跡の主な特徴
・立地: 西目屋村役場から南西に約9km、岩木川右岸の河成段丘上にあります。
・主な遺構: 竪穴建物跡、掘立柱建物跡、土器埋設遺構、配石遺構、そして晩期後半に構築された大規模な盛土遺構(もりどいこう)などが確認されています。
・注目される出土品:
・人面・動物意匠付土器: 土器の頂部に人面と、ツキノワグマと推定される動物の意匠が共存しており、狩猟対象である動物との精神的な繋がり(祭祀や儀礼)を示唆しています。
・遮光器土偶: 縄文時代晩期の亀ヶ岡文化を代表する精緻な土偶や、中空の動物形土製品(亀形土製品)が出土しています。
・狩猟文土器: 胴部に狩猟に関する物語のような文様が描かれた土器も見つかっています。
歴史的価値
この遺跡は、世界自然遺産「白神山地」の入り口に近く、当時の人々がブナ林などの豊かな自然資源を背景に、クマやカモシカを主要な狩猟対象として高度な精神文化を築いていたことを証明する貴重な場所とされています。 |
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壺形土器
Lacquered jar-shaped pottery
川原平 (1) 遺跡 青森県西目屋村
時期:晩期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
外面全体に赤色の漆が塗られ ています。 内面に残っている黒 色の物質の入れ物に使われま した。
The entire exterior surface is coated with red lacquer. It was used as
a container for the black material remaining on the interior surface. |
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1125
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台付鉢形土器
Lacquered vessel with base
川原平 (1) 遺跡 青森県西目屋村
時期: 晩期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
外面と内面に赤色の漆が塗ら れています。 外面全体が装飾 され、 台には透かし彫りが見ら れます。
After coloring the entire surface red, a spatula-like tool was used to remove the surface of the pottery to emboss the pattern. |
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原資料: 重要文化財
皿形木胎漆器 [複製] Plate-shaped Lacquerware with wooden body (replica)
原資料: 是川石器時代遺跡 時期: 晩期
所蔵 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 青森県八戸市
トチノキの木をくりぬいて作ら れました。 黒色の漆を塗り、 そ の上に赤色の漆を塗り重ねています。
It was made by hollowing out a Japanese horsechestnut tree. It is coated
with black lacquer and then coated with red lacquer
over the black lacquer. |
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是川石器時代遺跡とは
AI による概要
是川石器時代遺跡は、青森県八戸市にある縄文時代前期~晩期の複数遺跡(中居遺跡、一王寺遺跡、堀田遺跡)の総称で、特に晩期の中居遺跡からは、当時の形や色彩を保った漆塗りの木製容器・弓・装飾品などが多数出土し、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として2021年に登録されました。湿地環境のおかげで腐らずに残った貴重な遺物が多く、縄文人の自然共生生活や精神世界を伝える重要な遺跡です。
主な特徴と発見
・3つの遺跡の総称: 縄文時代前・中期の一王寺遺跡、中期・後期の堀田遺跡、晩期の中居遺跡をまとめて指します。
・豊富な漆製品: 湿地から、赤漆が塗られた木製の器、弓、装飾品(腕輪、耳飾りなど)が当時のままの美しさで出土しました。
・縄文の暮らし: トチの実のアク抜き場(水さらし場)、食べ残し(クルミ、トチ、魚骨など)、作業場跡など、自然の資源を活用した生活がうかがえます。
・祭祀の痕跡: 道具を水に流す「送り場」など、儀礼・祭祀の跡も見つかっています。
・保存状態: 遺跡が湿地帯(泥炭層)にあり、地下水に浸っていたため、通常は失われる木製品や植物遺物が良好な状態で残りました。
是川石器時代遺跡とは
青森県八戸市にある是川石器時代遺跡は、縄文時代前期から晩期(約6,000年前〜2,300年前)にかけての集落跡です。
主な特徴と構成
この遺跡は、新井田川(にいだがわ)沿いの河岸段丘に位置する3つの遺跡の総称です。
・一王寺(いちおうじ)遺跡:縄文時代前期〜中期。
・堀田(ほった)遺跡:縄文時代中期。
・中居(なかい)遺跡:縄文時代晩期。最も著名で、高度な「亀ヶ岡文化」を代表する遺跡です。
注目すべき点
・優れた漆器文化: 湿地帯であったため、通常は腐敗してしまう漆器や木製品が非常に良好な状態で出土しました。弓や籠、装身具などの「赤色漆器」は芸術性が高く、当時の高度な技術を伝えています。
・食生活の痕跡: 捨て場からはトチやクルミの殻、動物の骨、貝などが大量に見つかり、トチの実のアク抜きを行うための水場施設も確認されています。 |
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1130漆製品の様々
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亀ヶ岡文化では、弓・くし・腕輪耳飾りなどのさまざま な道具にも赤漆が塗られました。 これは強度や耐久性を高 めるといった実用的な理由だけではなく、 自然界にない鮮 やかでつややかな赤色をまとわせることで呪術的な意味を もたせ、まつりの道具としたためと考えられます。 また、 縄 文人は発色にもこだわり、 別の顔料を混ぜた漆を重ね塗り するなどして、さまざまな赤色を実現することを目指してい ました。 |
漆製品の様々 |
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漆塗りの弓 [複製]
Lacquered bow (replica)
原資料: 重要文化財
原資料 是川石器時代遺跡 時期: 晩期 青森県八戸市
ニシキギ属を素材としていま す。 黒漆に赤漆を重ね塗りして、 中央に紐を巻き付け装飾して います。
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
It is made of a spindle tree. It is decorated with black lacquer overlaid with red lacquer and a rope wrapped around the mid- dle. |
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原資料: 重要文化財
漆塗りの腕輪 [複製]
Lacquered bracelet (replica)
原資料: 是川石器時代遺跡 時期: 晩期 青森県八戸市
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター
是川縄文館
トチノキの木を環状に削り出し て作られました。 黒色の漆の上
に、 赤色の漆が重ね塗りされて います。
It is made by carving a Japanese
horsechestnut tree into a ring shape. Red lacquer is applied over the black lacquer. |
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原資料: 重要文化財
漆塗りの耳飾り[複製]
Lacquered earring (replica)
原資料 是川石器時代遺跡 時期: 晩期 青森県八戸市
所蔵:八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
トチノキの木を耳栓状に削り 出して作られました。黒色の漆 の上に、赤色の漆が重ね塗り されています。
It is made by carving a Japanese horsechestnut tree into the shape of earplugs.
Red lacquer is applied over black lacquer. |
漆塗りの耳飾り[複製] |
漆塗りの耳飾り[複製]
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漆塗りのくし [複製]
Lacquered comb (replica)
原資料: 重要文化財
原資料: 是川石器時代遺跡 時期 晩期 青森県八戸市
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
ムラサキシキブを削り出した 棒を8本並べてくし歯としています。 くし歯以外に赤色の漆が 塗られています。
The 8 pieces are carved out of Japanese beautyberry tree and are arranged side by side to form comb teeth. Red lacquer
is applied to all but the comb teeth. |
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1140漆製品の復元 |
1141
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漆製品の復元
八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館や八幡平市安代漆工芸技術研究センターでは、縄文時代の漆技術を用いて道具を復元する研究が行われています。 数千年前の縄 文時代と現代とでは大きな時間の隔たりがありますが、 同じ地域に生きる私たちとは文化的な連続性ともいうべきつながりもあります。 こうした復元品の製作をとおして、 私たちは、 縄文人と技術という架け橋によってつながり、 疑似的に対話することができるのです。 |
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縄文時代の漆製品 製作工程
ウルシの木から掻き取った樹液 (漆) は、布を使って濾し、かき混ぜるなどして精製作業を行います。
精製した漆には、黒色や赤色などの顔料を混ぜて色漆を作ります。
土器や木製品、 編みカゴなどに、 色漆を3回から5回重ね塗りして、漆製品に仕上げました。 |
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漆製品 製作工程
漆の採取:養育⇒漆掻き⇒ 漆濾し⇒ナやし⇒クロメ⇒漆液完成
色漆の製造:顔料の精製⇒ 漆の着色⇒色漆完成
材料作り:かご作り・土器作り⇒塗布対象完成
製品の製作:漆塗り⇒25℃湿度85%で乾燥硬化⇒繰り返し⇒ 漆製品の完成 |
※漆濾しの方法
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1.漆濾しとは(AIによる)
漆漉しは、採取した生の漆(荒味漆)に含まれる木屑などの不純物を取り除き、なめらかで均一な「生漆(きうるし)」にするための精製作業です。
2.現代の方法
温めて粘度を下げ、綿や寒冷紗、吉野紙などのろ過材を使ってろ過・圧搾するのが基本的な方法です。専門職人は、温熱ヒーター(炭火)で漆を適温に温め(燗)、綿で吸着させた後、寒冷紗や吉野紙(漆漉し紙)で数回ろ過・絞り出すことで、透明度の高い漆を作り出します。
3.縄文時代の漆濾し
博物館の展示に「漆の入っていた鉢形土器」の破片が展示されていることがあります。きっとあの土器で漆を温めていたのでしょう。
さて、漆の濾材ですが、漆濾し紙としての吉野紙は絹やナイロンでできたストッキングのような素材です。こんな素材が当時あったのでしょうか。
縄文時代の織物と言えばアンギン編。私がこれまで見て来たアンギン編み布は目が荒く、とても濾材には適していません。
ところが新潟県(アンギン織の本場)で再現されたアンギンは、縦横の繊維密度が高く、吉野紙まではいかなくとも、濾材の可能性のあるものでした。
そのほかに考えられる濾材は、動物性・植物性を通じて考えられないので、きっとこれだろうと思いました。
4.最古の漆製品 引用1 引用2
北海道(日本)の最古の漆製品は、縄文早期(約9,000年前)に函館市の垣ノ島B遺跡で発見された、漆を塗った繊維製品(漆糸)で編まれた装飾品です。
これは世界最古の漆製品とされており、髪飾りや腕輪、肩当てのようなもので、植物繊維に漆を巻き付けた特殊な技法で作られていました。
発見の経緯と特徴
・時期: 縄文時代早期前半(約9,000年前)の土坑墓から出土。
・内容: 漆を塗った赤い糸で編まれた布状の装飾品(肩当て、腕輪、髪飾りなど)。
・技術: 植物繊維を撚り、その軸糸に細い漆紐をコイル状に巻き付け、赤漆を3回塗布するという高度な技術が用いられていた。
・重要性: 中国の類似品より古く、日本が漆の起源である可能性を示す貴重な資料であり、世界最古の漆製品とされています。
・遺失と復元: 2002年の火災で多くの資料が焼失しましたが、写真や分析資料からその存在が確認され、復元されたものが展示されています。
この垣ノ島B遺跡の漆糸製品は、単に漆が使われていただけでなく、日本独自の漆文化の始まりを物語る、非常に重要な遺物です。
また、福井県の鳥浜貝塚ではさらに古い約12600年前のウルシの木の枝も発見されており、日本に漆文化が深く根付いていたことがわかります。
鳥浜貝塚の漆の木は、漆の木の小枝が発見されたので、決して漆掻きの掻き跡の付いた幹ではないのですが、漆の木の存在を実証しています。
5.漆濾材の存在は何を意味する?
漆は粘度が高く、ゴミの混じった生漆をそのまま塗ることは価値がなく出来ません。ゴミは沈殿しません。どうしても濾材が必要です。
毛足が長い素材としては羊毛や人毛が考えられます。縄文人の毛髪は直毛ではなく、縮毛だったため、これをサイフォンの上側に詰め込んで濾過したかもしれません。そのような二段構えの土器を温めながら使用したかもしれません。但し、現在のところ見つかっていません。
また、アンギン布を深鉢の上で広げて固定し、生漆を注いで濾過したかも知れません。この方法がより効率的と言えるでしょう。
現代人と同じ脳容量を持った縄文人ですから、このようなひらめきは当然あったかもしれません。
つまり、縄文の布は、ずっと古くから、漆製品の発生と共にあったのではないか、その可能性を考えたいと思います。 |
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1143漆製品の復元
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漆製品 [復元]
Reproductions of lacquerware products
所蔵 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 |
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台付鉢形木胎漆器 |
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鉢形木胎漆器 |
籃胎漆器 |
漆塗りの弓
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※縄文木工の技術の高さ
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木胎漆器は木を削って作った木製品。籃胎漆器はカゴで編編み物。樹皮製容器はシラカバなどの樹皮を樹皮の紐で縫い合わせた曲げ物。
この内、木製品はまるでロクロで作ったように精巧で(復元の時には木工旋盤を使用したかもしれませんが)、脚台の透かし彫りも装飾も、鉄製工具で仕上げたような精巧さです。
だいたい、木製のお椀を作るには、山から切り出した木を何年間も室内で乾燥させ、その間に発生した割れが終了したところで小口に切り出し、更に乾燥させて非常に硬くなったところでロクロにかけていました。つまり、この見事な木工品はとても固くなった木を、石器で削り出したものです。
石ノミ(彫器)などというものは切れ味のよい鉄鑿の何分の一ほどの道具ですから、これでここまでの完成度の高い製品を作るには、専門的な技術を持った職人のような、ではなく、普通の縄文人だったのでしょう。きっと、石器作りを職能とする集団がいたように、木工やかご作り、樹皮を利用した容器などもそれぞれの集団が、日常の狩猟・漁撈とは別に特技として持っていた特技だったのかもしれません。
漆器に関するあらゆる物事を全て一つの集団で行なうことは困難で、大規模な集落となるでしょうし、その集団を維持することは困難です。
ですから、漆器作り職能集団は、多くの集団から何らかの方法で集めた材料を元にして、漆器を作ったのではないでしょうか。
きっとその職能集団の中には精緻なアンギン編みを製作する集団もあったのでしょう。
このように考えると、少なくとも漆製品の製作にはアンギン編みが必要で、それは、9,000年前の縄文早期にはすでに存在していた技術ではなかったのだろうかと想像します。 |
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| 1145樹皮製容器
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1150特集1 遮光器土偶
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東北の遮光器土偶
東北地方を中心に展開した亀ヶ岡文化では、 まつりで用られたとみられるさまざまな道具が作られました。その代表的な存在が遮光器土偶です。
「遮光器」 とは北方の民族が雪の反射光を防ぐために 使う道具で、 土偶の目がそのように見えることから名づけられました。
高度な技術を用いて複雑な形に作られた遮光器土偶は、 東北地方の広い範囲で同じような形のものが発見されています。このことは、亀ヶ岡文化を担った縄文人が、技術や精神性を共有していたことを示しています。
東北各地の遮光器土偶から、その共通性と特徴について見ていきます。 |
東北の遮光器土偶
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重要文化財
遮光器土偶 Goggle-eyed clay figurine
手代森遺跡 岩手県盛岡市
時期:晩期
所蔵: 文化庁 (岩手県立博物館保管)
発掘調査で、 バラバラの状態 で発見されました。 顔がやや右に傾くように作られています。
It was found in pieces during excavation. The face is made to tilt slightly
to the right. |
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1151遮光器土偶
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遮光器土偶 |
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1152遮光器土偶
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遮光器土偶 Goggle-eyed clay figurine
豊岡遺跡 岩手県岩手町
時期: 晩期
所蔵: 岩手県立博物館
全身がやや丸みをおびていま す。 後頭部には強く擦れた痕 跡があり、動かして使用した可 能性があります。
It has a slightly rounded shape.
The back side of the head has a strongly rubbed mark and may have been
moved after being fixed to something. |
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1153遮光器土偶
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遮光器土偶 [複製] Goggle-eyed clay figurine (replica)
原資料: 亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期:晩期
原資料: 重要文化財
所蔵: 青森県立郷土館
1887 (明治20)年に苗を育て る田んぼから出土しました。 胴 部に唐草文様の曲線的な装飾 があります。
It was excavated in 1887 from a paddy field for growing rice seedlings.
The body has a curved pattern in the arabesque style. |
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1154遮光器土偶
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遮光器土偶 Goggle-eyed clay figurine
青森県重室
八日町遺跡 青森県三戸町
時期:晩期
所蔵:青森県立郷土館 風韻堂コレクション
胴部に曲線的な文様が、 頭部 には粘土を波状につけた装飾 があります。 上からのぞくと空洞が見えます。
The body of the figurine has a curved pattern in the arabesque style and
the head is decorated with wavy clay. It is hollow inside. |
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1155遮光器土偶
遮光器土偶 |
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1156遮光器土偶
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秋田県指定文化財
遮光器土偶 Goggle-eyed clay figurine
星宮遺跡 秋田県大仙市
時期:晩期
所蔵: 大仙市
胴部に唐草文様の装飾が巡り ます。 上半身に赤彩が残って おり、 全体が赤く塗られていた とみられます。
The body of the figurine has an arabesque pattern, and red paint remains
on the upper half of the body, suggesting that the entire body was painted
in red. |
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1157遮光器土偶
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遮光器土偶
Goggle-eyed clay figurine
藤株遺跡 秋田県北秋田市
時期:晩期
所蔵:東北大学大学院文学研究科
両脚が欠けています。 頭頂部 のやや大きな突起、 1個の孔で 表現された口、 二又になる手 先が特徴です。
Both legs are missing. It is char- acterized by a rather large pro- jection on the top of the head, a mouth represented by a single hole, and a two-pronged hand. |
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1158遮光器土偶
※1154の同一反復です。但し、違った角度から撮影していました。上から覗けとありますが、アンドン展示で、上からは覗けません。
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青森県重宝
遮光器土偶 Goggle-eyed clay figurine
八日町遺跡 青森県三戸町
時期:晩期
所蔵: 青森県立郷土館 風韻堂コレクション
胴部に曲線的な文様が、 頭部 には粘土を波状につけた装飾があります。 上からのぞくと空洞が見えます。
The body of the figurine has a curved pattern in the arabesque style and
the head is decorated with wavy clay. It is hollow inside. |
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※この頭頂から中が覗けたのかもしれません。
兵庫立考古博物館では、中に粘土が詰まった土偶を見ました。壊れた内部には生焼けの粘土が詰まっていました。
また、中に植物の茎を通して、口から水を入れるとオシッコをするという土偶もありました。粘土の塊り土偶ですね。
こんなことから、壊すのも目的の一つである土偶では、中空が主流に発展したのでしょうか。
とても高度な技術で、通常なら、中に芯材を詰めてその周りに粘土を貼り付て、焼くことによって中空になるという、土鈴方式をとりますが、製作時から中空で各部分を作り、乾いた段階でドベ(水溶き粘土)で接着するという高度な方法を発達させたようです。完全に乾ききった粘土を接着すると溶けて壊れます。生乾きでは潰れます。とても難しい技術です。 |
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1159遮光器土偶
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遮光器土偶 [複製] Goggle-eyed clay figurine (replica)
原資料: 重要文化財
原資料: 恵比須田遺跡 宮城県大崎市
時期:晩期
所蔵: 東北歴史博物館
壊れたところがほぼなく、 「石囲い」から見つかったことから、特別な扱いをされていたとみられます。
As it was found in a "stone en-closure" with almost no broken
parts, it seems to have been given special treatment. |
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2000第2章縄文人の一生
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2001第2章 縄文人の“一生”
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縄文人も現代の私たちと同様に、 生まれ、 成長し、そして人生の終わりを迎えるまで、さまざまな経験を積み重ねました。彼らの一生は文字や記録には残っていませんが、遺跡に残された痕跡や、そこから出土した遺物をひも解くことにより、縄文人の営みを生き生きと読み取ることができます。
本章では、東北・ 北海道各地で発見された遺物から、 私たちの 先祖である縄文人の一生を描き出します。 土 偶や人骨など多種多様な資料をとおして、縄文人の誕生から成長、そして死に至るまで、現代にも通じるテーマを紹介します。 また、華麗な装飾品の数々から、おしゃれな縄文人の姿だけではなく、 その背後に見え隠れする複雑な社会にも迫ります。
The Life of the Jomon People
Like us, the Jomon people were born, grew up, and ex- perienced many things before reaching the end of their lives. Although their lives are not archived, tangible trac- es left and various artifacts excavated at archaeological sites provide a vivid picture of their day-to-day activities. Chapter 2 depicts the way of life of the Jomon people from artifacts found throughout the Tohoku and Hok- kaido region. A wide variety of artifacts including clay figurines and human bones present time- less themes - the birth, growth and death of the Jomon people. The many ornaments also reveal not only Jomon's fashion, but also a complex society be- hind the fashionable culture.
縄文人の暮らし
縄文人も私たちと同じように生まれ、育ち、様々な経験を経て生涯を終えました。彼らの生活は記録に残されていませんが、遺跡から残された具体的な痕跡や出土品は、彼らの日々の営みを鮮やかに伝えてくれます。第2章では、東北・北海道各地で出土した遺物から、縄文人の暮らしを描き出します。土偶や人骨など、多種多様な遺物は、縄文人の誕生、成長、そして死という時代を超えたテーマを提示しています。また、数々の装飾品は、縄文人のファッションだけでなく、そのファッショナブルな文化の背後にある複雑な社会構造をも明らかにしています。 |
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2010 2-1縄文人の誕生
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2011縄文人の誕生
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縄文人にとっても新たな命を育むことは大切なことであり、 それは 彼らが残した土偶からも読み取ることができます。 土偶はほぼすべて女性をかたどっており、これらにはしばしば妊娠やお産、授乳にかかわる表現が強調されています。 縄文人にとって土偶とは、子どもが無事に生まれることを真摯に願い、祈り、そして親の心の支えとなる特別なものだったのかもしれません。
ここでは、 縄文人の祈りが込められたさまざまな形の土偶のほか、子どもの手形や足形が付けられた土製品などから、子どもの誕生と 成長を願う縄文人のすがたに迫ります。 |
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妊娠から出産
土偶のほとんどは女性をかたどったものであり、女性らし さが強調された表現からは母の姿が強く思い起こされます。 この背景には、 縄文時代の出産事情が関係しているとみら れます。 出産には、 医学が発達した現代でも危険が伴いま すが、医学が未発達だった縄文時代は、 母子ともに命の危 険が伴うものでした。 そのため縄文人は土偶をとおして、 母 子の無事を願い、 祈りの象徴としての役割を土偶にもたせ たものと考えられます。 |
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妊娠痕のある人骨 |
妊娠痕のある人骨
女性が子どもを出産したとき、骨盤の一部が壊れることで 妊娠痕とよばれる溝やくぼみが残ることが知られています。 この女性の骨盤には深くはっきりした妊娠痕が確認され、 生前に何度も妊娠した可能性が高いことをあらわしています。 |
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2012妊婦や出産の土偶
妊婦土偶
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土偶
Clay figurine
漆下遺跡 秋田県北秋田市 (※この土偶は具体的な姿が発出されなかったようで、ネット上に現われるのはこれが初めてのようです。)
時期: 後期 所蔵: 北秋田市
妊娠した女性として乳房とお腹を強調しています。 また、孔
As a pregnant woman, her breasts and belly are empha- |
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土偶
Clay figurine
椛の木遺跡 岩手県一戸町 (かばのきいせき)
時期: 後期
所蔵: 一戸町教育委員会
大きな乳房と膨らんだお腹か ら妊娠を表現した土偶です。右脚はアスファルトで付け直したとみられます。
This clay figurine represents pregnancy through its large breasts and baby bump. The right leg appears to have been reattached with asphalt. |
座産土偶
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しゃがむ土偶
Squatting clay figurine
上岡遺跡 福島県福島市
時期 後期 所蔵: 福島市
膝を深く折り曲げて腰を下ろし、膝の上で腕を組んでいます。 出産を表現したものと考えられています。
重要文化財
This earthenware has a spout. A fern-like plant pattern is incised on almost the entire exterior sur- face. |
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2015合掌土偶
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合掌土偶 [複製]
Cray figurine with clasping hands (replica)
原資料 : 風張1遺跡 青森県八戸市
時期:後期
原資料 : 国宝
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
発掘調査で竪穴住居跡から出 土しました。 発見時に欠けてい た左脚は同じ住居内から見つ かっています。
It was excavated from a dugout shelter site. The left leg, which was missing at the time of dis- covery, was found in the same shelter. |
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2017
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子どもへのおもい
東北・北海道地域でくらした縄文人は、 現代の私たちと 同じように、幼い子どもの手形や足形を残すことがありました。縄文時代は、今よりも衛生状態や食料事情が悪く、幼児の死亡率も高かったとみられることから、
縄文人は、子どもの健やかな成長を祈るため、あるいは亡くなった子どもの 形見として、これらを作ったのかもしれません。 このような道具は、縄文時代から現代に至るまで変わることのない、
親子 の愛情を象徴するものと言えます。 |
出産土偶
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後ろ手土偶
Clay figurine with hands behind the back
山井遺跡 岩手県一戸町
時期: 晩期
所蔵:一戸町教育委員会
人体を簡素に表現しています。 座った姿勢で、 後ろ手に組んだようすが出産を表しているとみられます。
This clay figurine is thought to represent childbirth. The simple representation
of the human body is characterized with the seated posture and the hands
clasped behind the back. |
手形・足形土製品
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原資料:重要文化財
手形·足形土製品[複製]
Hand and footprint-imprinted clay tablets (replica)
原資料:大石平(1)遺跡 青森県六ケ所村
時期:後期
所蔵:青森県立郷土館
手形は以10~12月か月の乳児や 2歲前後の幼児、星形は生後
The handprints appear to be eam 10-12 month old unders |
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足形土製品 [複製]
Footprint-imprinted clay tablets (replica)
原資料: 垣ノ島遺跡 北海道函館市
時期 : 早期
所蔵: 函館市教育委員会
1歳前後の子どもの足形です。 埋葬された人物の形見として 墓に一緒に納められたとみられます。
These are the footprints of a child around one year old. It is believed
that they were placed in the tomb together as a memento of the person buried
there. |
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| 2020 |
2030 2-2縄文人の成長
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2031中空土偶
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国宝
中空土偶
Hollow clay figurine
著保内野遺跡 北海道函館市
時期 後期 所蔵: 函館市
中が空洞であり、 頭部の突起 と両腕を欠いています。 顎には 黒く、胴部には赤く塗られた痕があります。
It is hollow and lacks a head projection and both arms. There are traces
that indicate that the jaws were colored black and the body red. |
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2032縄文の女神
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縄文の女神 [複製]
原資料 : 国宝
Beauty of Jomon "Jomon-no-megami" (replica)
原資料: 西ノ前遺跡 山形県舟形町
時期: 中期
所蔵: 公益財団法人
発掘調査で、 バラバラの状態 で出土しました。 突き出た尻と 脚を厚く強調して形作られて います。
山形県埋蔵文化財センター It was found in pieces during excavation, thickly finished
with the projecting buttocks and legs. |
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| 2040 |
2040縄文人の成長
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縄文人は、どのような顔つき、 体つきだったのでしょうか? 彼らは 病気やけがとどう向き合っていたのかでしょうか? どんな髪型で、どのように身を飾っていたのでしょうか?
これまでの研究から、 縄文人は私たちと多くの共通点をもつ一方 で、異なる生活様式や価値観をもち、これらが反映された体つきや 装いだったことがわかってきました。
特に近年では、美麗な飾りを身につけた人とそうではない人がいた可能性が指摘されるなど、 これ までの縄文人のイメージが見直されつつあります。
ここではさまざまな資料から、 彼らの生活や文化を見ていきます。 |
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縄文人の成長 |
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2041縄文人の頭蓋骨
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縄文人の頭蓋骨
Human skull of the Jomon period
台の下貝塚 宮城県気仙沼市
時期:晩期
所蔵: 気仙沼市教育委員会
熟年の男性で、 身長は約 156cm と推定されています。 頭骨の残りが良いことから、 復 顔されています。
It is estimated to be a mature male, approximately 156 cm tall. His face
has been restored because remnants of the skull are in good condition. |
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2042縄文人の姿
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縄文人のすがた
発掘調査で出土した人骨のうち、 顔の部分が良好に残さ れたものから縄文人の顔立ちを復元することができます。 現在は、3Dプリンターで頭蓋骨の模型を作成し、 それに粘 土で肉付けすることで縄文人の顔立ちを復元しています。 また、人骨そのものを試料として、年代測定や炭素・窒素安 定同位体比分析、ミトコンドリアDNA解析などの化学分析 が行われています。 これらの分析により、 縄文人の個人情 報が明らかとなっています。
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頭蓋骨から復元した縄文人の顔模型
The face of a Jomon person restored from the skull
所蔵: 気仙沼市教育委員会
現代の日本人と比べて頭の形 が前後に長く、ほりの深い顔立 ちで、 目鼻がはっきりとしてい ます。
Compared to the modern Japa- nese, the head is longer in front and back, with a deeply chiseled face and distinct eyes and nose.
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縄文人のすがた
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頭蓋骨から復元した
縄文人の顔模型 |
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顔模型と頭蓋骨は並んでいた |
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2043筋萎縮症
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筋萎縮症にかかった縄文人
入江貝塚で発見された男性の人骨は、 手足の骨が非常に細いことから、 筋肉を長時間動かすこ とが困難であったと考えられます。 その原因は小児マヒもしくは筋ジストロフィーであったと考え られ、常に介護を必要とする状況でした。 ところが、この男性は寿命が尽きるまで20年ほどくら しており、周りの人びとによる手厚い介護があったことを示しています。 |
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2044虫歯 (※虫歯は、澱粉質の食物を食べることによって起こります。栗やドングリなどを食べていたのでしょうか)
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2045骨折
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骨折し腕が曲がったまま治った腕
An arm with a broken bone that healed crooked.
青島貝塚 宮城県登米市
時期:中期~後期
所藏:東北大学総合学術博物館
左腕は上腕骨、 右腕は橈骨と 尺骨がそれぞれ骨折しています。その箇所は曲がった状態 で治療しました。
The humerus was fractured in the left arm and the radius and ulna in the right arm. They were healed in a bent position. |
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2054縄文人の装い
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縄文人の装い
縄文時代の遺跡からは、多様なアクセサリーが出土しま す。 髪飾りや耳飾り、首飾り、 腕飾り、腰飾りなど体のあら ゆるところに身に着けていたとみられ、これらは、 縄文人の 「おしゃれ」や「ファッション」を思わせるものです。しかし ながら、 このようなアクセサリーは多くの遺跡で出土するも のではなく、数も限定的であるため、すべての縄文人が身 に着けるには少なすぎます。 このため、 特定の人物あるい は場面でのみ身に着けたものとも考えられます。 |
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縄文人の装い |
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入れ墨のある土偶
Clay figurine with tattoos
二月田貝塚 宮城県七ヶ浜町
時期:晩期
所蔵: 宮城県教育委員会
束ねてねじった髪や目・鼻・耳· 口が表現されています。 口の 左右にある三角形は入れ墨と みられます。
The hair is tied together and twisted. The eyes, nose, ears, and mouth are also represented. The triangles on either side of
the mouth appear to be tattoos. |
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入れ墨のある土偶
Clay figurine with tattoos
根岸遺跡 宮城県大崎市
時期 晩期
所蔵: 東北歴史博物館
顔に小さな孔を列状にあけ、 入れ墨を表現しています。 耳には大きな孔があり、耳飾りとみ られます。
The face has rows of small holes, representing tattoos. The ears have large holes, representing earrings. |
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結髪土偶 [複製]
Hairdressing clay figurine (replica)
原資料 : 釜淵C遺跡 山形県真室川町
時期:晩期
原資料: 重要文化財
所蔵: 山形県立博物館
束ねた髪を表現している土偶 です。 胸や腰、 両脚が強調され る一方で、両腕や乳房は簡略 化されています。
This clay figure represents tied hair. The breasts, waist and legs are
emphasized while the arms and breasts are simplified. |
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2055結髪土偶
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結髪土偶
Hairdressing clay figurine
山王囲遺跡 宮城県栗原市
時期:晚期
所蔵: 栗原市教育委員会
中空の頭部に、 アーチを描くよ うに粘土を足して髪型を作り、
線により髪を束ねたようすを 描いています。
Clay is added to form an arch to represent hair around the hollow head. Lines are used to depict the tied hair. |
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結髪土偶
Hairdressing clay figurine
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期 晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
粘土を成形して線と刺突で髪 型を作ることで、頭の両側でお 団子状に結い上げた髪を表現 しています。
The clay is molded and lines and pricks are used to express the hair style, which is tied up in a bun on both sides of the head. |
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結髪土偶
Hairdressing clay figurine
亀ヶ岡遺跡 青森県つがる市
時期 晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
ヘラ状の工具で描いた線と縄 文により、 頭の上で髪を束ね、後ろに丸く広がった髪型を表 現しています。
Lines drawn with a spatu-la-shaped tool and a cord mark pattern depict
a hairstyle in which the hair is tied up on top of the head and spread
roundly behind the head. |
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2056髪飾り
髪飾り
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髪飾り Hair ornament
宮城県指定文化財
沼津貝塚 宮城県石巻市
時期: 後期~晩期
所蔵: 東北歴史博物館
鹿角を削り出し、 そこに線を刻 むなどして、 人の顔や胴体、 手 または脚を表現したものとみ られます。
It represents a human face, torso, hands or legs by carving out deer antler
and engraving lines on it. |
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髪飾り
Hair ornament
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期:晩期
所蔵: 東北歴史博物館
鹿角を細長く削り出し、 一端に は装飾がみられます。 装飾さ れたところには赤漆が塗られ ています。
Deer antler is carved into a long and slender shape. The decorat- ed areas at one end are coated with red lacquer. |
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髪飾り
Hair ornament
貝鳥貝塚 岩手県一関市
時期: 後期~晩期 所蔵: 一関市教育委員会
鹿角製で、 先端が尖り、 反対側 が装飾されています。 大型で、 まつりの時に身に着けたもの とみられます。
It is made of deer antler with a pointed tip and decorated on the opposite end. It is large and appears to have been worn at a festival. |
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オオカミの意匠のある髪飾り[複製] (※カエル形角製品もあり)
Hair omament with a wolf design (replica)
原資料:貝鳥貝塚 岩手県一関市
時期:後期~晩期
所有:東北歴史博物館
鹿角をほぼ1本使って、細長く削り出しています。先端にはオオカミの頭が表現されています。
Almostintra deer ander pressed on the ap Carved into a long and slen der
shape. A wolf's head is ex tip: |
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2057櫛をさす土偶
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くしをさす土偶
Clay figurine combing its hair
美々4遺跡 北海道千歳市
時期 後期
所蔵: 北海道立埋蔵文化財センター
粘土の貼り付けと刺突による 小さな点で、 乳房や膨らんだ お腹、 くしを刺した頭部などを 表現しています。
Pasted clay and small dots made by stubbing represent breasts, swollen
bellies, and combed heads. |
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くし
Lacquered comb
川原平 (1) 遺跡 青森県西目屋村
時期 晩期
所蔵:青森県埋蔵文化財調査センター
ノリウツギを用いて作られ、 く し歯が8本あります。 くし歯以 外に装飾があり、赤色の漆が 塗られています。
It is made of panicled hydran-gea tree and has eight comb teeth. Parts
other than the comb teeth are decorated and colored with red lacquer. |
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2058耳飾り土偶
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耳飾りを着けた土偶
Clay figurine with earrings
田柄貝塚 宮城県気仙沼市
時期 後期
重要文化財
所蔵: 東北歴史博物館
耳に孔をあけ、そこに細長い 玉にしたツノガイをはめ込み
耳飾り (ピアス) を表現してい ます。
The earrings are expressed by drilling a hole in the ear and then inserting a small ball of horn shells into the hole.
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土製耳飾り
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土製耳飾り
Earthen ear ornament
川原平 (1) 遺跡 青森県西目屋村
時期:晩期
所蔵 : 青森県埋蔵文化財調査センター
器のような形をしており、 透か し彫りで装飾されています。 細 長いくぼみに赤い塗料が残さ れています。
It is shaped like a vessel and decorated with openwork. Red paint remains in the thin groove.
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土製耳飾り |
土製耳飾り
Earthen ear ornament
金剛寺貝塚 宮城県名取市
時期: 後期~晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
器のような形をした耳飾りで、 中央に貫通孔があり、そこから 三叉文とよばれる文様が広が ります。
The earrings are shaped like vessels and have a through hole in the center,
through which a pattern called a trident extends. |
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2059鹿角製腰飾り
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土製耳飾り
Earthen ear ornaments
時期:晩期
所蔵: 東北歴史博物館
北小松遺跡 宮城県大崎市
小型で全体に赤漆が塗られて います。 耳栓の形に似ており、 この時期に東北地方で多く見られるものです。
It is small and coated entirely in red lacquer. It resembles the shape
of an earplug and is most commonly seen in the Tohoku region during this
period. |
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土製耳飾り
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鹿角製腰飾り
Deer Antler Waist Ornament
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期:晩期
重要文化財
所蔵: 東北歴史博物館
角が分岐する部分を用いて作 られています。 2個の貫通孔に 紐を通してぶら下げたものと みられます。
It is made with a splited horn, and appears to have been hung from a string
through two through holes. |
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ヒスイ玉をもつ首飾り
Necklace with jade ornaments
川原平 (4) 遺跡 青森県西目屋村
時期:晩期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
勾玉などさまざまな形の玉が まとまって見つかっており、首飾りのように連ねていたとみら れます。
Various shapes of beads, such as comma-shaped beads, were found in clusters. It is believed that they were strung together like a necklace. |
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2100 2-3縄文人の死
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縄文人の死
私たちが縄文人のすがたを実際に見ることができるのは、亡くなり葬られた後のみです。 縄文人の墓からは、 葬られた人のすがた だけではなく、 彼らを見送り共に生きていた人びとの生活や考え方まで想像することができます。
彼らの墓には、 「再生・循環思想」 の考え方が色濃く反映されているとも言われています。 この考え方は、縄文人にとって死は終わりではなく始まりでもあるというもので
あり、その考え方に基づいて縄文人は埋葬行為を行ってきたとみられます。
ここでは、 埋葬にかかわる資料から縄文人の死への向き合い方を探ります。 |
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縄文人の死
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縄文人の埋葬
縄文人の一般的な埋葬方法は、 穴を掘って遺体を土の中に葬るものです。 東北・北海道地域では、体を折り曲げた姿勢で埋葬する 「屈葬」 とよばれる葬法が多く確認され
ます。 これについては、 死者のすがたを胎児に見立て再生を願うとする説や、 反対に死者が不用意に蘇らないようにするという説もあります。 また、幼い子どもの遺体は、しば
しば土器に納めて埋葬されました。 これは、土器を女性の体に見立て、子どもを女性に返す象徴的な行為と想定されています。 |
縄文人の埋葬 |
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埋葬された縄文人
Burial human bones
田柄貝塚 宮城県気仙沼市
時期: 後期~晩期 所蔵: 東北歴史博物館
壮年から熟年の男性です。 関 節症が多数みられ、晩年は日 常生活に支障をきたしていた とみられます。
He is a mature to middle-aged man with numerous joint symp- toms. In his
later years, it appears that he had difficulty with daily living. |
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2120副葬品をともなう埋葬
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副葬品をともなう埋葬
縄文人の墓には、貴重で珍しい品々が納められているこ とがあります。しかしながら、すべての墓から納められた品々 (副葬品) が出土することはありません。 副葬品を納められ た人とそうでない人との明らかな区別があったことも考えら れます。 副葬品とともに葬られた人びとは、 ムラのリーダー やシャーマンといった特別な立場にある人だったのかもしれ ません。 |
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副葬品とともに埋葬された縄文人
Burial skull with grave goods
東要害貝塚 宮城県大崎市
時期: 中期
所蔵: 大崎市教育委員会
30歳代の女性と推定されます。 土器や首飾り、玉とともに埋葬 されました。 虫歯が多いのも特徴です。
It is estimated to be a female in her 30s. She was buried with earthenware,
necklace and beads. She also had many cavi- ties. |
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副葬された縄文土器
Pottery used as grave goods
東要害貝塚 宮城県大崎市
時期: 中期
所蔵: 大崎市教育委員会
墓を埋めた土からつぶれた状 態で出土しました。 多くの部分 が残っていることから、 副葬品 とみられます。
It was discovered crushed from the soil which was used to fill the tomb. Since many parts remain, it is believed to be a
secondary burial object. |
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副葬された首飾り (穿孔ヒト指骨)
Ornaments made of human finger bones used as grave goods
東要害貝塚 宮城県大崎市
時期: 中期
所蔵: 大崎市教育委員会
埋葬された女性とは別の人物 (夫か) の指骨に孔をあけ、 それを連ねて首飾りとしていたと みられます。
It is believed that a hole was drilled in the finger bone of a person other
than the woman buried there (possibly her husband), and a string of these
bones was used as a necklace. |
※人骨を首飾りにするなんて
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今から60年も前のテレビ番組では、南米やニューギニアの縄文段階の原住民のレポートが毎週放送されていました。
その中で、夫を失った女性が死者の体の一部を切り取って首に下げるという風習を紹介していました。ニューギニアです。
その女性は夫の足首に孔をあけて首に下げていました。
南方スンダランドからやって来た縄文人の一部と、台湾島から南下してニューギニア島にたどり着いた人々とは違うのかもしれません。
ただ、ここで想像できるのは、死者の土壙墓を掘り返して指の骨だけ拾って首飾りにするよりは、死者の手首を首飾りにしていて、
やがて腐って落ちてしまう時に指の第一間接だけを集めて、それを並べるように横穴をあけ、首から下げたと考える方が妥当ではないでしょうか。 |
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副葬されたコハク玉
Amber ornament used in grave goods
東要害貝塚 宮城県大崎市
時期: 中期
所蔵:大崎市教育委員会
扁平に整形され、縦方向に孔 があけられています。 コハクの 産地は遠く離れており、貴重品 と言えます。
is flattened and then a verti- cally long hole was made. As amber was not produced in this region, this is a rare and valuable product. |
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2130犬の埋葬
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縄文人が埋葬したものは、人間だけにとどまりませんでした。 最古の家畜であり、人間のパートナーとして長期間その関係を築き上げてきたイヌもその対象でした。
遺跡に埋葬されたイヌを分析すると、若くして亡くなった事例も少なくないことがわかります。 これは、 栄養状態や病気への対応が現代よりも十分ではなかったことがあげられ、
また、狩猟のパートナーとして常に危険な状況にもあったことが 大きく関連しているとみられます。 |
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埋葬されたイヌ
Burial dog bones
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期 : 晩期
所蔵: 東北歴史博物館
足の一部が失われていますが、 非常に状態のよいイヌです。 年齢は7か月から1歳半程度 です。
The age of the dog is about 7 months to 1.5 years old. It is in very good condition, although part of the leg is missing. |
| ※ |
つい最近まで東アジアの各国では犬を食べていました。韓国では赤犬は特に滋養強壮の食べ物として、夏場には好んで食べられていたようです。
しかし、韓国での最初のオリンピックが行なわれた年に、政府が欧米からの非難を避けるために、犬食を禁止したと記憶しています。
日本では徳川時代の生類憐みの令によって肉食が禁じられ、表だっての犬食いはなくなりました。しかし、… |
犬を埋葬した遺跡一覧
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AI による概要
犬の埋葬が確認された日本の主な遺跡は縄文時代の貝塚や集落跡に多く見られ、特に東日本で多数報告されています。
弥生時代以降は、地域や時代により食用の風習も現れたため、縄文時代ほど一般的ではないものの、一部で埋葬事例が確認されています。
以下に、犬の埋葬骨が出土した代表的な遺跡の一部を示します。 |
縄文時代の主な犬埋葬遺跡
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| 遺跡名 |
所在地 |
時代区分 |
概要 |
| 上黒岩岩陰遺跡 |
愛媛県久万高原町 |
縄文時代早期 |
日本最古級の埋葬犬骨の出土事例として知られており、約1万年前のものです。 |
| 夏島貝塚 |
神奈川県横須賀市 |
縄文時代早期 |
こちらも日本最古級の犬骨出土例の一つです。 |
| 小竹貝塚 |
富山県富山市 |
縄文時代前期〜後期 |
69個体もの多数の埋葬犬が確認されており、犬が人々の生活に深く関わっていたことが伺えます。 |
| 三引遺跡 |
石川県七尾市 |
縄文時代前半期 |
37個体もの犬の骨が出土しており、北陸地方における重要な事例です。 |
| 鳥浜貝塚 |
福井県三方上中郡若狭町 |
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| 朝日貝塚 |
千葉県旭市他 |
縄文時代 |
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| 南境貝塚 |
宮城県石巻市 |
縄文時代 |
複数頭の埋葬犬が確認されています。 |
| 里浜貝塚 |
宮城県東松島市 |
縄文時代 |
こちらも複数頭の埋葬犬が確認されています。 |
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弥生時代・古墳時代以降の主な遺跡
弥生時代には犬を食用とする文化も大陸から伝わりましたが、引き続き埋葬する地域・事例も存在しました。 |
| 朝日遺跡 |
愛知県清須市他 |
弥生時代 |
縄文犬と弥生犬の特徴を併せ持つ犬の骨が見つかっています。 |
| 青谷上寺地遺跡 |
鳥取県鳥取市 |
弥生時代 |
歯牙の分析などから、使役犬としての性格が薄かった可能性が指摘されています。 |
| 纏向遺跡 |
奈良県桜井市 |
古墳時代 |
古墳時代のものとしては貴重な犬の骨の出土事例です。 |
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2200特集2 縄文人と動物
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縄文人と動物
自然と共に生きた縄文人にとって、 動物は生きるかてであり、 憧 れと畏怖を抱く隣人であり、 祈りを捧げる神獣でもありました。 彼ら が動物に思いを込めた証として、土や骨などを素材として動物をか たどった製品が発見されています。 動物それぞれの特徴的なすが たや形には、現代人である私たちもその美しさやかわいらしさを感 じることができます。 しかしながら、 縄文人がこうした造形に込めた 祈りは、われわれが想像する以上に真摯で切実だったのかもしれま せん。
ここでは、動物をかたどった製品から、 縄文人と動物のかかわり を探ります。 |
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特集2縄文人と動物 |
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クマ形土製品 Bear-shaped clay figure
尾上山 (1) 遺跡 青森県弘前市
時期:晩期
所蔵 : 青森県立郷土館 風韻堂コレクション
中が空洞になっています。 口に は小さい牙があり、 首にはツキ ノワグマを思わせる模様が描 かれています。
It is hollow inside. It has small fangs in its mouth and a pattern on its
neck which appears to indicate an Asian black bear. |
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クマ形土製品
Bear-shaped clay figure
三内丸山 (6) 遺跡 青森県青森市
時期 後期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
三本脚の動物として形作られ ています。 分厚い胴体と背を 丸めた姿勢、顔の表現からク マとみられます。
It is shaped as a three-legged animal. The thick torso, rounded back posture, and facial expres- sion suggest that it is a bear. |
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原資料: 重要文化財
イノシシ形土製品 [複製]
Wild boar-shaped clay figure (replica)
原資料: 十腰内(2)遺跡 青森県弘前市
時期:後期
所藏:東北歷史博物館
両耳が左右に張り出し、たてがみが逆立っています。足先には蹄状の切れ込み、お尻には孔があります。
Both ears protrude to the left and right, and the mane bristles. The toes have hoof-like slits, and the rump has a hole. |
ピンボケ
イノシシ形土製品
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イノシシ形土製品 |
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イノシシ形土製品
(ウリ坊) |
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サル形土製品
Japanese macaque-shaped clay figure
漆下遺跡 秋田県北秋田市
時期 後期
所蔵: 北秋田市
繋がった眉、巨大な耳、窪んだ 頬と突き出た口、 鳴き袋の表 現は写実的にニホンザルを模 しています。
The connected eyebrows, huge ears, hollow cheeks and pouting mouth, and throat pouch are
realistically modeled after a Japanese monkey. |
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サル形土製品
Japanese macaque-shaped clay figure
岩の入遺跡 宮城県丸森町
時期 晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
縦に長い耳や繋がった眉、 窪 んだ頬と突き出た口の表現か らニホンザルを模したものと みられます。
The long, vertical ears, connect- ed eyebrows, hollow cheeks, and pouting
mouth suggest that it was made to resemble a Japanese monkey. |
サル形土製品 |
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シャチ形土製品
Orca-shaped clay figure
桔梗2遺跡 北海道函館市
時期: 中期
所蔵: 函館市教育委員会
背びれや胸びれ、 尾びれの形、 口が横に大きく開く表現から、 シャチを模したものとみられます。
The shape of the back fin, pecto- ral fin, and tail fin, as well as the expression of the mouth open- ing wide to the side suggest that it was made to resemble a killer whale. |
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コノハズク形土製品
Japanese scops owl-shaped clay figure
草ヶ沢遺跡 岩手県一関市
時期 晩期
所蔵: 一関市博物館
ピンと立った耳羽根や丸い目、 突き出したくちばし、2本の短 い脚での立ち姿がコノハズク に似ています。
Ruffled ear coverts, round eyes,Protruding beak, and standing posture with
two short legs re- semble an oriental scops owl. |
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カエル形角製品 (※オオカミ意匠の髪飾りが前出)
Frog-shaped bone figure
貝鳥貝塚 岩手県一関市
時期: 後期
所蔵: 一関市教育委員会
目の大きさや位置、やや尖った 口はカエルに似ています。 直 立した姿勢と伸びた手足はヒ トにも見えます。
The size and position of the eyes and the slightly pointed mouth. resemble
frogs, while its upright posture and outstretched limbs suggests it modelled
after human. |
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動物形土製品 Animal-shaped clay figure
美々4遺跡 北海道千歳市
時期: 晩期
重要文化財
所蔵: 千歳市教育委員会
顔に見える部分が2か所あり、 先端を顔とすると水鳥、広い面の模様を顔とすると海獣に見えます。
It has two parts that look like a face. If the tip is considered as a face, it looks like a waterfowl.
While if the pattern on the broad side is considered as a face, it looks like a sea animal. |
※動物型土製品
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鳥形土製品でなく動物型土製品と言われています。私にはカモに見えます。かつては赤彩が施されていました。
祭祀土器ではないかとも言われています。
ある学者によると、これは鳥形ルアーで、背中から腹への貫通孔を通して鈎針を垂らし、首に結んだ紐と針につながった紐を、舟で引いて大型魚に飲み込ませたそうだ。
北海道埋蔵文化財センターでは、これと同時に、石でできた鰹節形石器というのが展示されていて、これはルアーだとされていました。
現代の感覚とは少し異なる、かなりアバウトな作りでしたが、縄文時代は海に魚が溢れていた時代ですから、食いついたのでしょう。
それに比べたら、この愛称ビビちゃんはもっと鳥形で赤彩。ロウニンアジが太平洋の真ん中で、渡り鳥を水面からとび上がって捕まえるように、
深い水深からまっしぐらに浮上して食いついたのかもしれません。 |
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3000第3章縄文の一年
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おことわり
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展示会場では、第2章の展示会場に第3章の展示が入り込んでいて、すでに第3章がはじまっているのですが、この階には第3章の“のぼり”がありません。それは、階下の第3章の展示会場の途中にあります。このページだと3100ホルダーになっています。あしからず。 |
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3000特集3(第3章) 縄文人と交流
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縄文時代の遺跡からは遠方より運ばれてきた物資が見つかること から、遠くの地域の人びととの交流のようすがうかがえます。 たとえ ば 新潟県の糸魚川周辺で採れたヒスイは、古来より「玉」として 珍重され、 装身具等として各地に流通しました。ヒスイと同様に「玉」 とされるネフライトも、石斧や装身具として流通したことが確認され ています。このほか、石斧の材料となったアオトラ石や、接着剤とし て利用されたアスファルトなどがあります。 ほかにも遠方由来の石 材等が多数あり、これらの種類の多さを見ても 「交流」は欠かせな いものであったことがわかります。 |
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解説 ネフライト
ネフライトは、Ca 角閃石が90%以上を占め、 緻密な繊 維構造をもつ単鉱岩です。 地下約50km以上の圧力、 約 500°C以上、850°C以下の温度条件による変成岩であると されています。 Ca角閃石の緻密な集合体であるネフライト は、打撃に強いことでも知られており、こうした物性の特 徴によって、 石斧として利用されていたと考えられています。 産地は、 長野県北部から新潟県西部、 岩手県盛岡市東部 で確認されています。 |
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解説 ヒスイ
「ヒスイ」は、ヒスイ輝石が90%以上を占める単鉱岩の 呼称です。 ヒスイ輝石は比重が約 3.3 ~ 3.4あり、 非常に緻 密であることが特徴です。
また、 「ヒスイ」は岩石学的に 高圧変成岩に区分されます。 きわめて高い圧力で形成さ れているため、密度が高く頑丈です。 日本において、縄 文時代に利用される品質と大きさをもつ「ヒスイ」
は、 新 潟県西部の糸魚川 青海地域が産地とされています。 な お、 主な 「ヒスイ」 製品には、 磨製石斧や玉類があります。 |
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| 3010
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3011MAP
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アオトラ石
●北海道日高地方の額平川流 域が産地
●火成岩を原岩とする層状の変成岩
●濃淡の異なる青緑色の縞模
様が特徴
●磨製石斧の材料として利用
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ネフライト
●長野県北部から新潟県西部、
●岩手県盛岡市東部が産地
●Ca角閃石が90%以上を占め る単鉱岩であり、変成岩
●白色や緑色、黒色など多彩で、 やや透明がかった表面が特徴
●磨製石斧や装身具の材料として利用 |
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アスファルト
●日本海側の石油産出地を想定
●産地付近で精製。 その後、 塊とし て各地へ運搬
●黒色の塊状のものから、 土器や石 器等の道具に付着しているものが 出社
●主に接着剤や補修剤として利用
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ヒスイ
●新潟県西部の糸魚川 青海地域 が産地
●ヒスイ輝石が90%以上を占める単 鉱岩であり、 変成岩
●白色から緑色を呈し、 光を透過す るのが特徴
●磨製石斧や玉類(装身具) の材料 として利用 |
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3020交流の産物
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ネフライト製磨製石斧 (ませいせきふ)
Nephrite polished stone axes
川目A遺跡 岩手県盛岡市
時期: 後期~晩期
所蔵: 盛岡市遺跡の学び館
近くで採れる石材を利用して 石斧を多く作りました。 これら の石斧は東北各地へ運ばれ たようです。
Many stone axes were made using stone materials quarried nearby. It is now known that stone axes were transported to various places in the Tohoku region. |
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重要文化財
ヒスイ製磨製石斧 (ませいせきふ)
Jade polished stone axe
(伝) 亀ヶ岡遺跡 (青森県つがる市)
時期: (晩期)
所蔵: 東北歴史博物館
ヒスイが石斧に利用されること はごく稀であり、 実用品ではな く、所有者の力を示すものと考 えられます。
Jade was rarely used for stone axes. Therefore this stone axe isconsidered
to be a sign of the owner's power rather than an item of practical use. |
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ヒスイ大珠 (たいしゅ)
Large jade pendant
三内丸山遺跡 青森県青森市
時期 : 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
三内丸山遺跡では、 遺跡内で ヒスイ製品を作っていました。 本地域の大規模ムラでも稀な 事例です。
Jade products were finished at the Sannai Maruyama Site. This is a rare example, which was not observed in other large-scale vil- lages in this region. |
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ヒスイの玉
Jade beads and pendants
川目C 遺跡 岩手県盛岡市
時期: 中期
所蔵: 盛岡市遺跡の学び館
大規模ムラである川目C遺跡 から出土した玉です。 全体の 形状や孔のあけ方がさまざま です。
The jade beads were excavated from the Kawame C site, one of the large-scale villages. There is a variation in the overall shape
and the way the holes are drilled.
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3030アオトラ石 |
3031アオトラ石
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解説 アオトラ石
「アオトラ石」は、 北海道日高地方の額平川流域で産出される火成岩を原岩とする緑色の層状の変成岩です。 石の表面には、名前の由来となっている濃淡の異なる青緑色の縞模様が特徴的に観察されます。
アオトラ石に代表されるような、青緑色の濃淡が縞状に見られる石材で作られた 磨製石斧は東日本各地の縄文遺跡から見つかっています。
北海道で採れた石材が、原石や製品の状態で広く流通したことでこのような現象が見られます。 |
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解説 アスファルト
アスファルトは、接着剤や補修剤などに利用されており、 主に日本海側の石油産出地が天然アスファルトの原産地と して想定されています。 産地で採取されたアスファルトは、 加熱して不純物を取り除き、 純度の高い良質のものに精製 されます。 精製されたものは、それぞれの集落へと運ばれ て使用されました。 遺跡から見つかっているアスファルトに は、 塊や、 土器などの容器に入れたもの、 土器などのパレッ トや道具に付着して残されたものなどがあります。 |
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アオトラ石製大型磨製石斧 (ませいせきふ)
Aotora large polished stone axe
日戸遺跡 岩手県盛岡市
時期: 前期~中期
所蔵: 盛岡市遺跡の学び館
長さ 47.1cm ある長大な石斧で す。 中央には板材を分割して 製作した痕 (擦切痕) が見られ ます。
This is a large stone axe with a length of 47.1 cm. A trace (gr- rove mark) in the center of the axe retains, when it was made
to split stone board into pieces. |
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3033アスファルト
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アスファルトが付着した石器
Stone tools with asphalt
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期:晩期
所蔵: 東北歴史博物館
柄に固定したり、 括り付けた紐 が外れないようにアスファルト が使われ、その痕が石器に残 されています。
There are traces of asphalt used to fix the stone tools to a handle or
haft and to prevent the strapped sting from comingundone. |
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アスファルト塊 Asphalt block
御所野遺跡 岩手県一戸町
時期 : 中期
所蔵一戸町教育委員会
アスファルトは産地の近くで精製され、固形の塊として布や葉などに包まれて各地へ運ばれました。
Asphalt was refined near its place of origin and wrapped in cloth or leaves
as a solid mass. It was then transported to various locations. |
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アスファルトが付着した大型土器片 (パレット)
Large pottery fragment with asphalt (palette)
御所野遺跡 岩手県一戸町
時期: 中期
所蔵:一戸町教育委員会
運ばれたアスファルトは、パ レットを用いて熱を加えると再 び液体となり、接着剤などに使 われました。
The transported asphalt became liquid again when heated using this kind
of pallette. It was then used for adhesive material and other purposes. |
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秋田県指定文化財
目をアスファルトで表現した土偶 Clay figurine with asphalt for eyes
塚ノ下遺跡 秋田県大館市
時期 後期
所蔵: 大館市教育委員会 大館郷土博物館
アスファルトは接着剤以外にも用いられました。 この土偶は アスファルトを塗って目を表現 しています。
Asphalt was used for more than just adhesive materials. Asphalt was applied to this clay figure to represent its eyes. |
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| 3040 |
| 3040三階入口展示 |
世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産
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土器と石鏃 |
1 史跡 大平山元遺跡 青森県外ヶ浜
遺跡と隣接 大平山元遺跡展示施設 むーもん館
住/〒030-1307
青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平沢辺46-4 B/0174-22-2577
Ia: 紀元前13,000年頃 (史跡年代: 紀元前13,000年頃)
旧石器時代の特徴をもつ石器群とともに、 土器と石鏃が出土しました。 土器の年代測定の 結果、 紀元前13,000年頃のものであることが明らかとなり、北東アジア最古級のものです。 土器の出現は、 移動生活から定住生活へと移り変わったことを示し、定住開始期の様子を 伝える重要な遺跡です。 |
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副葬品の足形坏土版と石器
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2 史跡 垣ノ島遺跡 北海道函館市
遺跡と隣接 函館市縄文文化交流センター
住/〒041-1613 北海道函館市臼尻町551-1 /0138-25-2030
Ib: 紀元前5,000年頃 (史跡年代: 紀元前7,000年頃~紀元前1,000年頃)
太平洋をのぞむ段丘上に立地する集落跡。 竪穴建物からなる居住域、 土坑墓からなる墓 域が形成され、日常と非日常の空間が分離したことを示す遺跡です。
墓域の出現は、集落に居住する人々の結びつきを強め、 祖先崇拝の形成にもつながった と考えられています。 |
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クジラの骨でできた刀 |
3 史跡 北黄金貝塚 北海道伊達市
遺跡と隣接 北黄金貝塚情報センター
住/〒059-0272 北海道伊達市北黄金町75 0142-24-2122
Ia: 紀元前5,000年頃~紀元前3,500年頃 (史跡年代: 紀元前5,000年頃~紀元前2,000年頃)
内浦湾をのぞむ丘陵上に立地する集落跡。 貝塚からは、 貝殻、 魚骨、 動物の骨や角を加 工した道具が多数出土し、 海進・海退などの環境変化に適応した漁労を中心とした暮らし を伝えます。 低地にある水場遺構では、 意図的に壊された石皿やすり石などの石器が大量 に確認され、 廃棄に伴う祭祀・儀礼が行われていたと考えられています。 |
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ベンケイガイ製貝輪
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4 史跡 田小屋野貝塚 青森県つがる市
遺跡まで車で約20分 住/〒038-3138
青森県つがる市木造若緑59-1 B/0173-42-6490
Ia:紀元前4,000年頃~紀元前3,000年頃 (史跡年代: 紀元前4,000年頃~紀元前2,000年頃)
海進期に形成された古十三湖に面した貝塚を伴う集落跡。 集落には、 竪穴建物、墓、貝 塚、 貯蔵穴など、 多様な施設が配置されています。 貝塚からはヤマトシジミを主体に、クジ ラ・イルカの骨を加工した骨角器、 ベンケイガイ製貝輪の未製品も多数出土し、内湾地域 における生業の様子を伝えます。 |
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5 史跡 二ツ森貝塚 青森県七戸町
遺跡まで 車で約3分 二ツ森貝塚館
住/〒039-2752 青森県七戸町鉢森平181-26 /0176-68-2612
Ia:紀元前3,500年頃~紀元前3,000年頃 (史跡年代: 紀元前3,500年頃~紀元前2,000 年頃)
太平洋に続く小川原湖に面した段丘上に立地する集落跡。 平坦部に竪穴建物からなる 居住域や貯蔵穴、 その周囲に貝塚や墓域が形成されています。 貝塚には、下層にハマグリ やマガキなどの海水性、上層にヤマトシジミなどの汽水性の貝殻が堆積し、 海進・ 海退に よる環境変化に適応した人々の暮らしを伝えます。 |
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土偶 |
6 特別史跡 三内丸山遺跡 青森県青森市
遺跡と隣接 三内丸山遺跡センター
住/〒038-0031 青森県青森市三内字丸山305 017-766-8282
IIb: 紀元前3,000年頃~紀元前2,200年頃 (史跡年代: 紀元前3,900年頃~紀元前2,200年頃)
陸奥湾をのぞむ段丘上に立地する大規模な拠点集落。 竪穴建物や大型竪穴建物、 墓、 貯蔵穴、掘立柱建物、 捨て場や盛土などが配置されています。膨大な量の土器や石器、日 本最多の2,000点を超える土偶、 祭祀遺物、 多種多様な動物骨や魚骨、クリやクルミなど の堅果類なども出土し、季節に応じて巧みに自然資源を利用していたことを伝えます。 |
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すり石と石皿
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7 史跡 大船遺跡
函館市縄文文化交流センター 北海道函館市
遺跡まで車で約10分
住/〒041-1613 北海道函館市臼尻町551-1 /0138-25-2030
Ib:紀元前2,500年頃~紀元前2,000年頃 (史跡年代: 紀元前3,500年頃~紀元前2,000年頃)
太平洋をのぞむ段丘上に立地する拠点集落。 深さ2mを超える竪穴建物や貯蔵穴、 墓、 盛土などが配置されています。 盛土には膨大な量の土器・石器、
焼土などが積み重なり、長 期間にわたって祭祀・儀礼が行われていたことを示します。 クジラ、マグロなどの海獣骨や 魚骨、クリやクルミなどの堅果類も出土し、
沿岸地域における生業と精神文化を伝えます。 |
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土器  |
8史跡 御所野遺跡 岩手県一戸町
遺跡と隣接 御所野縄文博物館
住/〒028-5316 岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2 /0195-32-2652
Ib:紀元前2,500年頃~紀元前2,000年頃 (史跡年代: 紀元前2,500年頃~紀元前2,000年頃)
馬淵川沿いの段丘上に立地する拠点集落。 東西に長い台地の中央に配石遺構を伴う墓域、 祭祀場である盛土が形成され、その周囲に大型・中型・小型の竪穴建物が配置されています。 盛土からは、大量の土器や石器とともに、焼けた動物骨や堅果類、 土偶などのまつりの道具 が出土し、火を用いた祭祀儀礼が繰り返し行われたことを伝えます。 |
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銛頭 |
9 史跡 入江・高砂貝塚(入江貝塚) 北海道洞爺湖町
遺跡まで 徒歩約5分 入江・高砂貝塚館 住/〒049-5605 北海道虻田郡洞爺湖町高砂町44 /0142-76-5802
Ⅲa: 紀元前1,800年頃 (史跡年代: 紀元前3,500年頃~紀元前800年頃)
内浦湾をのぞむ段丘上にある貝塚を伴う集落跡。 貝塚からは貝殻 魚骨 海獣骨のほ か、動物の骨や角を加工した釣針や銛などが出土し、漁労を中心とした生業を示します。 墓域からは、幼い頃に筋萎縮症に罹患したとみられる成人人骨が見つかっており、集落内 で手厚い介護を受けながら生きながらえたことを伝えます。 |
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三角形岩版
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10 史跡 小牧野遺跡 青森県青森市
遺跡まで 車で約5分 青森市小牧野遺跡保護センター
縄文の学び舎・小牧野館
住/〒030-0152 青森県青森市大字野沢字沢部108-3 B/017-757-8665
Ⅲa:紀元前2,000年頃 (史跡年代: 紀元前2,000年頃)
八甲田山西麓に広がる台地上に立地する祭祀遺跡。 環状列石は、 中央帯・内帯・ 外帯の 三重となり、 その周りに一部四重となる列石もみられ、 全体で直径55mになります。 内帯 と外帯は楕円形の石を縦・横に配置して円環が形成されています。 環状列石の周辺から土偶 やミニチュア土器、 三角形岩版などのまつりの道具が出土しています。 |
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土偶  |
11 史跡 伊勢堂岱遺跡 秋田県北秋田市
遺跡と隣接 伊勢堂岱縄文館
住/〒018-3454 秋田県北秋田市脇神字小ヶ田中田 100-1 B/0186-84-8710
Ⅲa: 紀元前2,000年頃~紀元前1,700年頃 (史跡年代: 紀元前2,000年頃~紀元前1,700年頃)
米代川近くの段丘上に立地する祭祀遺跡。 遠方の山並みが一望できる段丘北西端に4 つの環状列石が隣接して配置されています。 いずれも直径30m以上で、最大のものは直 径約45mです。 環状列石の周囲からは、 土偶や動物形土製品、 鐸形土製品、 岩版、 三脚石 器、 石剣などのまつりの道具が多数出土しています。 |
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土版 (表) (裏)
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12 特別史跡 大湯環状列石 秋田県鹿角市
遺跡と隣接
住/〒018-5421 秋田県鹿角市十和田大湯字万座45 /0186-37-3822
Ⅲa:紀元前2,000年頃~紀元前1,500年頃 (史跡年代:紀元前2,000年頃~紀元前1,500年頃)
大湯川沿いの段丘上に立地する環状列石を主体とする祭祀遺跡。 万座と野中堂の2つ の環状列石は川原石を組み合わせた配石遺構によって二重の円環が形成され、それぞれ に 「日時計状組石」が配置されています。 環状列石の周囲には掘立柱建物が同心円状に配 置され、土偶や鐸形土製品、 石刀等などのまつりの道具が数多く出土しています。 |
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石棒
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13 史跡 キウス周堤墓群 北海道千歳市
遺跡まで車で10分 千歳市埋蔵文化財センター
住/〒066-0001 北海道千歳市長都42-1 B/0123-24-4210
Ⅲb: 紀元前1,200年頃 (史跡年代: 紀元前1,200年頃)
石狩低地帯をのぞむ緩やかな斜面に立地する大規模な共同墓地。 周堤墓は、円形の竪 穴を掘り、掘った土を周囲に積み上げて構築され、 周堤の内側に複数の墓が配置されてい ます。 9基の周堤墓が群集し、最大のものは外径83mで、 高さ4.7mに達します。 この地域 独特の墓制であり、 当時の高い精神性と社会の複雑化を伝えます。 |
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円盤状石製品
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14 史跡 大森勝山遺跡 青森県弘前市
遺跡まで車で10分 裾野地区体育文化交流センター
住/〒036-1202 青森県弘前市十面沢轡8-9 /0172-99-7072
Ⅲb:紀元前1,000年頃 (史跡年代: 紀元前1,000年頃)
岩木山麓の丘陵上に立地する大規模な環状列石を伴う祭祀遺跡。 環状列石は、盛土し た円丘の縁辺部に77基の組石を配置して円環を築いています。 環状列石及びその周辺か らは、まつりの道具と考えられる円盤状石製品が約250点出土しています。 環状列石の後 背には岩木山をのぞむことができ、 冬至の日には山頂に太陽が沈むとされます。 |
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土偶  |
15 史跡 入江・高砂貝塚 (高砂貝塚) 洞爺湖町
遺跡まで徒歩約5分 入江・高砂貝塚館
住/〒049-5605 北海道虻田郡洞爺湖町高砂町44 B/0142-76-5802
Ⅲb: 紀元前1,000年頃 (史跡年代: 紀元前3,500年頃~紀元前800年頃)
内浦湾をのぞむ低地に立地する共同墓地。 土坑墓と配石遺構からなる墓域、 貝塚が配 置されています。 土坑墓には、 土器や石器、 石製品などの副葬品をともない、 ベンガラが散 布されています。 このほか、 抜歯の痕跡が認められる人骨や胎児骨を伴う妊産婦の人骨な ども確認され、当時の葬送の様子を伝えます。 |
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玉類 |
16 史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡 青森県つがる市
遺跡まで車で約で約5分 つがる市木造亀ヶ岡考古資料室
住/〒038-3283 青森県つがる市木造館岡屏風山195 /0173-45-3450
Ⅲb: 紀元前1,000年頃~紀元前400年頃 (史跡年代 : 紀元前1,000年頃~紀元前400年頃)
海進期に形成された内湾である古十三湖に面した大規模な共同墓地。台地上に多数の 墓があり、 その周囲の低湿地には捨て場が形成され、 漆塗り土器や籃胎漆器、 玉類などが 多数出土しています。 なかでも大型土偶 (国指定重要文化財) は、 その眼部の表現が「遮光 器土偶」の名称の起こりとなったことで知られています。 |
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土器  |
17 史跡 是川石器時代遺跡 青森県八戸市
八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
住/〒031-0023 青森県八戸市是川字横山 1 B/0178-38-9511
Ⅲb: 紀元前1,000年頃~紀元前400年頃 (史跡年代: 紀元前4,000年頃~紀元前400年頃)
中居、 一王寺、 堀田の3つの遺跡から構成されています。 なかでも、 中居遺跡からは、 精 巧な土器や土偶、 漆が塗られた弓や櫛、 腕輪などの漆製品が多数出土し、 高い精神性と優 れた工芸技術を知ることができます。 狩猟具や漁労具、堅果類、魚骨のほか、貯木や堅果 類の加工を行ったと推定される水場も確認され、 当時の生業の様子を伝えます。 |
ピンボケ |
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A長七谷地貝塚
海進期に形成された古奥入瀬湾の沿岸に立地する集落遺跡。貝塚からは、暖かい場所に棲息するハマグリをはじめ、多量の貝殻や魚骨、 動物の角や骨を加工した釣針や銛頭などが出土し、活発に漁労が行われていたことを伝えます。
B鷲ノ木遺跡
北海道最大規模の環状列石を伴う祭祀遺跡。環状列石は、楕円形の 配石を中心に円環状の列石が二重に巡り、直径約37mのほぼ円形です。周辺には竪穴墓域や配石遺構などもあり、当時の精神文化を伝えます。 |
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3050 3-1里山のくらし
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里山のくらし
縄文人は、ムラの周りにクリ林やウルシ林などを育てることで森 を人工的につくり変え、そこに集まった動物や植物から、 食料や建 築材、 生活物資、 時には薬などを得ていました。 このように、 自分 たちの周りの自然に手を加えることで資源を計画的に獲得できるよう になった山を 「里山」 と言います。 縄文人は、 「里山」 を管理し、 自然と共生したくらしを持続的に送るようになりました。
里山の一年のくらしのなかでも、 「狩り」は冬から春にかけて盛ん に行われる、食料や生活の道具を得るための大切ななりわいです。 ここでは、 狩りのようすについて紹介します。 |
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石鏃 (せきぞく) と根挟み
Stone arrowhead and fit fixing
中沢目貝塚
時期 晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
宮城県大崎市
石鏃 (せきぞく) を根挟みには め込んで接着剤 (アスファルト か)で固定し、矢柄に取り付け て使われました。
Stone arrowheads were insert- ed into the root pincer, fixed with adhesive
material (possibly asphalt), for attachment to an
arrow shaft. |
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福島県指定重要文化財
弓矢が描かれた狩猟文土器
Pottery with hunting motifs depicting bows and arrows
和台遺跡 福島県福島市
時期: 中期
所蔵: 福島市
右から弓矢、 動物、 足と手が表 現されています。 いずれの意 匠も粘土を貼り付けて立体的 に作られました。
From right to left: bow and arrow, animals, feet and hands are represented.
Each design was created three-dimensional- ly by pasting clay. |
弓矢(復元)
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弓状木製品
Bow-shaped wooden product
小山崎遺跡 山形県遊佐町
時期 後期
所蔵: 山形県立博物館
イヌガヤの丸木を素材とし、 先 端には弦を巻きつける加工が されています。 樹皮の削り残し があります。
It is made from a round cowtail pine tree, and the cutting scrape of the
bark has been left. The tip has been processed to wrap a string around
it. |
イノシシ頭骨現生標本
イノシシ頭骨現生標本 |
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狩猟痕のあるイノシシの骨
A bone with marks of stone tools.
大久保貝塚 宮城県南三陸町
時期 晩期
所蔵: 宮城県教育委員会
イノシシは縄文時代に好んで とられました。 矢が刺さった痕 が、下あごの骨に孔として残さ れています。
Wild boars were a favorite catch during the Jomon period. An arrow pierced in the lower jaw where the hole is now observed in this bone. |
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食べられた痕がわかるイノシシの骨(橈骨・ 尺骨)
Bones of a wild boar showing signs of disassembly (arm, foot)
田柄貝塚 宮城県気仙沼市
時期: 後期~晩期
所蔵: 東北歴史博物館
捨てられた骨には、 肉を石器 で削り剥がした痕跡や、骨を叩 き割って骨髄を食べた跡が残 されています。
The discarded bones show traces of meat scraped off with stone tools or
bones smashed open and the marrow inside eaten. |
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3100 第3章縄文の一年
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縄文人は、豊かな自然のめぐみを食料や生活の 材料などとして計画的に利用するため、 自分たちの
周囲の自然を 「里山」 や 「里海」 として育みました。 「里山」 ・ 「里海」 は季節の移り変わりとともに変化 しながらも、縄文人によって遠い将来までを見すえた 計画的かつ持続的な利用がなされたとみられます。 このように生活資源の供給元である山や海を人が管 理することで、 食料や物資を安定して持続的に得る ことができるようになりました。 一方で、 自然への畏 れや祈りを具現化する 「まつり」を行い、社会の安 定した継続を願う行為もなされたと考えられています。 自然と共生したサステナブルな生活とはいったい 何か?縄文人の一年の営みをとおして探ります。
Chapter 3
The Year of the Jomon life
In order to make managed use of natural resources for food and materials
for daily life, the Jomon people developed "satoya- ma" and "satoumi"
- a specialized land management tradition of meeting challenges of a hunting
and gathering society and tak- ing advantage of natural blessings of surrounding
mountains and oceans. Although faced with seasonal changes, the Jomon people
seemed to plan their use of "satoyama" and "satoumi"
for the next year or even several decades. The land management of moun-
tains and oceans enabled the Jomon people to obtain food and other goods
in a stable and sustainable manner. At the same time, it is believed that
the Jomon people performed "matsuri" that em- bodied their reverence
for and prayers to nature and prayed for social stability. Chater 3 introduces
the Jomon people's daily activities throughout the year so that the question
of "what exactly is a sustainable living in harmony with nature?"
will be explored.
第3章 縄文人の暮らしの一年
縄文人は、食料や生活資材などの自然資源を管理的に利用するために、「里山」と「里海」を発展させました。 これは、狩猟採集社会の課題に対応し、周囲の山や海の自然の恵みを活用するための専門的な土地管理の伝統です。
季節の変化に直面しながらも、縄文人は「里山」と「里海」の利用を1年、あるいは数十年先を見据えて計画していたようです。山や海の土地管理は、縄文人に食料やその他の物資を安定的かつ持続的に確保することを可能にしていました。同時に、縄文人は自然への畏敬の念と祈りを体現し、社会の安定を祈願する「祭り」を行っていたと考えられています。第3章では、縄文人の一年を通しての日々の活動を紹介し、
「自然と調和した持続可能な暮らしとは一体何なのか?」という問いを探求します。 |
第3章 縄文の一年 |
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3350描画文土器 |
3351狩猟文土器
青森県西目屋村
川原平6遺跡
縄文後期
狩猟文深鉢形土器
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弓矢を引いた狩猟文土器
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3353人体文土器 (和台遺跡出土人体文土器及び狩猟文土器)
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福島県指定重要文化財
人体文付き土器
Pottery with patterns of human figure
和台遺跡 福島還福島市
時期:中期
所蔵:福島市
炉に埋めて使われた土器です。 全身を描き、顔や手足の一部を隆起させることで立体的に 表現しています。
This earthenware was used bur. ied in a furnace. The entire body is painted, and parts of the face and limbs are raised to make it three-dimensional |
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3400 3-2 里海のくらし
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3402漁撈具
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里海のくらし
里海とは、人の手が加わることで生き物の多様性が広がった海を 指します。 自然の海では特定の生物が生息域を独占することも珍し くありません。 縄文人は積極的に海を整備・保護することで、 豊か な生態系と自然環境を保ち、 その恵みを手にしていました。 縄文人 は、これらを手に入れるために道具を作り、 里海から貝や魚を日常 的に手に入れ、 日々の食生活を送っていました。 さらに、 将来に備 えて食材を加工し保存するなど、計画的なくらしを送りました。
ここでは、縄文人がつくりだした里海の風景をのぞいてみましょう。 |
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里海のくらし
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銛と釣り竿 |
銛先 |
右:銛 左:釣り竿 |
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銛 |
釣り竿 |
錘と釣針
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3403骨角器
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重要文化財
漁撈具 Fishing gears
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期 晩期
所蔵: 東北歴史博物館
すべて鹿角で作られています。 魚の大きさや生態によって道 具を変えながら使いました。
All of them are made of deer antler. The tools were variable according
to the size and ecolo- gy of the fish. |
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ヤス |
ヤス(三本爪) |
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ヤス |
銛頭 |
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釣針 |
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鉤先
魚を引っかける道具
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3420漁具・漁撈具
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ヤスの軸柄 [複製]
Trident shaft (replica)
原資料: 重要文化財
原資料: 是川石器時代遺跡 青森県八戸市 時期 : 晩期
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
ムラサキシキブ属の木を加工 した柄です。 先端に鏃、 両側に ヤス先を付け三叉のヤスとして使われました。
This is a handle made from a tree of Japanese beautyberry tree. It was
used as a trident fish spear, with an arrowhead at one end and spear tips
on both sides. |
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舟形木製品
時期前期 所蔵:青森県埋蔵文化財調査センター
Boat-shaped wooden products
岩渡小谷 (4) 遺跡 青森県青森市
コシアブラの木を舟の形にくり
ぬいたものです。 舟底は平坦 で、舟首や舟尾に向けて立ち 上がります。
Koshiabura (acanthopanax sci- adophylloides) tree is hollowed out in the
shape of a dugout wooden boat. The bottom of the boat is flat and rises
toward the bow and stern. |
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櫂状木製品(かいじょうもくせいひん)
Paddle-shaped wooden products
岩渡小谷(4) 遺跡
時期 前期
青森県青森市
所藏 青森県埋蔵文化財調査センター
コナラ節の木で作った、舟を漕 ぐ道具です。柄は丸く、水かき は幅広で平らに削り出しています。
This is a tool for rowing a boat, made from Konara oak (quercus serrata)
tree. The grip is round and the blade is carved wide and flat |
櫂状木製品 |
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3430海産食糧
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松島湾でとれた魚の骨
Fishbones
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期 : 後期~晩期
所蔵: 東北歴史博物館
小さなイワシを中心に、 多様な 生態の魚が利用されています 。 毒のあるフグも好んで食べら れました。
Fish with a wide variety of biol-ogy were used. While mall sar- dines were
popular, the Jomon people are a great eater of poisonous pufferfish as
well. |
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ウナギ
マイワシ
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アイナメ
サメの仲間
エイの仲間
アナゴの仲間
サバの仲間
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アイナメ
サメの仲間
エイの仲間
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アナゴの仲間
サバの仲間
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スズキ
マダイ
フグの仲間
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3440漁撈痕のある魚骨
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石器が刺さったマグロの骨
A tuna bone with a stone tool embedded in it.
大久保貝塚
宮城県南三陸町
時期:晩期
所蔵: 宮城県教育委員会
マグロの背骨に石鏃が刺さっ ています。 石鏃は魚とりの道具 としても使われたことがわかり ます。
A stone arrowhead is stuck into the backbone of a tuna, showing that stone arrowheads were also used as a tool for catching fish. |
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3450解体痕のある魚骨
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解体痕のあるマグロの骨
Bones of tuna with signs of disassembly
時期: 前期~中期
所蔵: 気仙沼市教育委員会
波怒棄館遺跡 宮城県気仙沼市
薄い石器を包丁のように使い、 マグロをぶつ切りにしました。壊れた石器の刃が骨に残っています。
Ablade of the sharp stone tool is stuck in the bone. A thin stone tool
was used like a knife to chop the tuna. |
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3460製塩土器
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製塩土器
Salt-production pottery
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期 晩期期
所蔵: 東北歴史博物館
塩を作るための土器です。熱 が伝わりやすいよう薄く仕上 げられ、 表面は熱を受けて劣 化しています。
Earthenware used to make salt. The surface of the earthenware, which is thinly finished to facil- itate heat transfer, has deterio- rated due to heat exposure. |
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3490貝塚
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貝塚を保存する
貝塚の発掘調査では、 貝層が積み重なって堆積してい る状況を写真や図面などで記録するのが一般的です。 堆 積状況が特に良好なものについては、 「土層断面剥ぎ取り」 とよばれる手法で保存することがあります。 これは、貝層 そのものを特殊な薬品で固めて土ごと剥ぎ取る手法で、 実 物の貝層を保存し、 展示などで活用できる利点があります。 また、 貝層の一部を抜き出すことで、貴重な研究資料とし ても活用されています。 |
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貝塚を保存する |
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貝層剥ぎ取り
Peel off specimens of Cross section of the shell mound
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期 : 後期~晩期
所蔵: 東北歴史博物館
アサリなどの貝が斜面に捨て られたために、 斜めに積み重 なって貝層が形成されました。
Sea clams and other sea shells were dumped on the slope, resulting in obliquely stacked shell beds. |
貝層剥ぎ取り |
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3500 3-3実りの秋と冬支度
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3510サケ漁
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実りの秋と冬じたく
秋は、クリやクルミ、 トチノキなどの木の実、 ヤマイモやユリなど の根菜類、 キノコなど、 里山から食料などが豊富に得られる季節で す。 また、 東日本の川にはサケが遡上し、 食料などとして捕獲され ました。
これらは、 秋の貴重な食料となったほか、 冬じたくの一環として保 存食に加工しました。 これらは、これからの季節に備えた計画的で 持続可能な食生活を支えるものでした。
ここでは、 実りの秋における食料の獲得、また冬じたくとしての食 料の加工や保存などのなりわい、 さらに、これらを支えた道具づく りについて紹介します。 |
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川サケ [模型]
River salmon (model)
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
サケは自分が生まれた川を群 れで遡上し産卵します。 内陸に 住む縄文人にとって貴重なた んぱく源でした。
Salmon migrate in herds up the rivers where they were born to spawn. They were a valuable
source of protein for the Jomon people who lived inland. |
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サケの骨
Salmon bones
田柄貝塚 宮城県気仙沼市
時期 : 後期 ~晩期 所蔵: 東北歴史博物館
体長40~60cmと推定されるサ ケの椎骨です。 川を遡上してき
たものをとったのでしょう。
These are the bones of a salmon estimated to be 40-60 cm in length. It is likely that the fish was caught when it came close
to the river to migrate upstream. |
サケの骨 |
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魚叩き棒
Fish-striking stick
小山崎遺跡 山形県遊佐町
時期 : 後期 所蔵 : 山形県立博物館
イヌガヤを削り出し、 握りやす く加工したものです。 現在の鮭 漁で使われる魚叩き棒によく 似ています。
It is carved out of a cowtail pine tree and then processed to be easy to grip. It is very similar to the fish-striking stick currently used in salmon fishing.
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石錘土錘 (せきすい・どすい)
Stone weights, Clay weight
小山崎遺跡 山形県遊佐町
時期 後期
所蔵 : 山形県立博物館
魚をとる網などに付ける錘とし て使われたとみられます。 網に 付けるための溝や刻みがあり ます。
It is thought to have been used as a weight to be attached to a net for
catching fish. Grooves and indentations have been carved out for strings
to be tied. |
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3540竹かご
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原資料: 重要文化財
竹で編まれた籠 [複製]
Woven bamboo basket (replica)
原資料:荒屋敷遺跡 福島県三島町
時期 晩期
所蔵: 三島町教育委員会
タケで編んだ籠の半分が残さ れたものです。口径が17~18 cm、高さが12cmと推定されてい ます。
Half of a basket woven from bamboo. It is estimated to be 17-18 cm in diameter and 12 cm high. |
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竹で編まれた籠[復元]
Woven bamboo basket (restoration) 所藏:三島町教育委員会
三島町生活工芸伝承生が製 作しました。 アズマネザザを用 いて作られています。
By using pleioblastus chino (species of bamboo grass), Ms. Yuka Kobayashi
crafted this piece. She is a member of the Mishima-cho ivingware Crafts
Inheritance Group. |
竹で編まれた籠[復元] |
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クルミが入った籠
Basket for walnuts (inside)
鷺内遺跡 福島県南相馬市
時期:晩期
所蔵: 南相馬市教育委員会
タケ亜科を素材とし、口縁と底 部は目を細かく、 その間は目を 粗く編んでいます。 クズの紐? が付きます。
The material is made of bambu- sioideae, with the mouth rim and bottom finely textured and the intervening areas coarsely textured.
A string-like material made of kuzu vine is attached. |
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クルミが入った籠 [復元]
Basket for walnuts (reconstruction)
時期 :
所蔵: 南相馬市教育委員会
那須工芸研究会が製作しま した。 アズマネザザを用いて作 られています。
By using pleioblastus chino (species of bamboo grass), Mr.
Shunsaku Suzuki crafted this
piece. He is a member of the Nasu Shino-Craft Study Group.
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3560木の実・キノコ
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秋田県指定文化財
キノコ形土製品
Mushroom-shaped baked clay objects
大湯環状列石 秋田県鹿角市
時期 後期
所蔵: 鹿角市教育委員会
粘土をキノコの形に作り上げ たものです。 いろいろなキノコ を模倣して、 さまざまな形に作 られました。
The clay is made up into the shape of a mushroom. They seem to imitate various mush- rooms and come in a variety of shapes. |
キノコ形土製品 |
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※キノコ型土製品は、以前は儀式に使う幻覚作用のある毒キノコだとか考えられていましたが、現在では、これらは食用キノコで、可食キノコを教える標本だとされています。 |
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キノコ形土製品
Mushroom-shaped baked clay objects
伊勢堂遺跡
秋田県北秋田市
時期 後期
所蔵: 北秋田市
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原資料: 重要文化財
掘り棒[複製]
Digging Stick (replica)
原資料:是川石器時代遺跡 青森県八戸市
時期:晩期
所蔵:八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
ヤマイモなどを採るために土を掘る道具とみられます。カバノキの木を削り出して作られま した。
It is believed to be a tool for digging in the soil to gather yams and other crops. It was made by carving out a birch. |
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食用の植物
Edible plants
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期 : 晩期
所蔵 :東北歴史博物館
クルミやトチノキは殻が砕けた 状態で多く出土し、 クリやトチ ノキは炭化したものが多く見 つかっています。
Many walnuts and Japanese horsechestnuts were excavated with their shells crushed, and many chestnuts and Japanese horse chestnuts were found car- bonized. |
食用の植物 |
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クリ,ヒシ |
ヤマブドウ,ミズナラ
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クヌギ,トチ
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トチ,クルミ |
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クリ
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クリ [模型]
Chestnut (model)
時期:
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 |
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トチノキ |
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栃の実 |
トチノキ [模型]
Horse chestnut (model)
時期:
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 |
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3570調理具
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石皿・磨石 (すりいし)
Saddlequern and grinding stone
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期:晩期
所蔵: 東北歴史博物館
石皿は、軟らかい石を加工して 皿状に成形し、さらに中央部を くぼませ、 使いやすい形に仕上げています。
The stone dish is made of soft stone, formed into a dish shape, and hollowed
in the center to make it easy to use. |
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コゲのついた土器こ
Pottery with soot marks from cooking
柴燈林遺跡 山形県遊佐町 (しばとりん ではありませんでした。難読地名)
時期: 中期
所蔵: 遊佐町教育委員会
火焔型土器という、 新潟県内 出土の土器と同じタイプです。 内面に、煮炊きによる炭化物が 残されています。
It is the same type of earthen- ware excavated in Niigata Prefecture, called
"flame-style" earthenware (kaengata doki). The charred material
produced by boiling and cooking remains. |
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糞石
Coprolites
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期:後期~期 所蔵:東北歴史博物館
糞便が化石化したものです。 その形や寄生虫卵から糞便の
落とし主や食べ物を推定する ことができます。
It is a coprolite (fossilized feces).
From its shape and parasitic
eggs, it is possible to estimate
the creator of the feces and the
food s/he ate. |
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3580道具作り
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縄文人は、それぞれの季節の活動に備えて道具づくりを 行いました。 遺跡には、 狩りや魚とりなどに使われた石器や、 食べ物の煮炊きや貯蔵などに使われた土器が多く残されて
おり、これらを主に作っていました。
道具の多くはそれぞれ の集落内で作られたものとみられますが、 複雑な形状をし ているものや貴重な原材料を用いたものは、 特定の道具づ くりをなりわいとする人びとによって別の場所で作られ、各地へ運ばれたものもあります。 |
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珪化木の原石
Silicified wood raw material |
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石鏃の素材剥片 |
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石鏃の製品・未成品
馬場平遺跡
時期 : 中期
岩手県一戸町 |
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未成品と製品 |
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ニホンジカ角 現生標本
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加工痕のあるシカ角と骨角器
加工痕のあるシカ角と骨角器 |
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加工痕のあるシカ角と骨角器
Deer antlers with traces of production. Bone tools.
里浜貝塚 宮城県東松島市
時期:後期~晩期
角は分割して加工することで、 狩りや魚とりの道具の他に、身 を飾る道具の素材としても利 用されました。
By splitting and processing dear antlers, they were used not only as tools
for hunting and catching fish, but also as a material for
ornaments to decorate human body. |
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3590道具
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三内丸山遺跡 |
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磨製石斧
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磨製石斧
Polished stone axe
是川石器時代遺跡
青森県八戸市
時期:晩期 |
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原資料: 重要文化財
石斧(せきふ)の柄 [複製]
Shaft for attaching a stone axe (replica)
原資料 : 是川石器時代遺跡 青森県八戸市
時期:晩期
所蔵: 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
コナラ節の木の枝が分かれる 部分を利用しています。 斧はソ ケットを介して柄に付けられた とみられます。
It is made from the part of a Konara oak tree (quercus serra- ta) where the branches split.
The axe was probably attached to the handle via a socket. |
石斧の柄
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柄付き磨製石斧 [復元]
Polished stone axe with shaft (reconstruction)
所蔵: 盛岡市遺跡の学び館 |
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3600 3-4祭の風景
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3710 3-4祭の風景
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まつりの風景
縄文人は、 自然が繰り返し再生していくことを願い、 まつりを行う ことで神々や祖先に祈りを捧げました。 まつりでは人びとが集うこと で新たな出会いが生まれ、 情報や物資のやり取りをすることで新た な生活の糧となります。
まつりは、人びとの絆を深める大切な行事 であったと考えられます。 これらのまつりはシャーマンが執り行って いたとみられ、その存在をうかがい知る道具も見つかっています。
ここでは、まつりの風景やそれに使われた道具から、 自然と共生し たサステナブルな生活を送っていた縄文人の精神文化を取り上げ、 一年のくらしの非日常的側面を紹介します。 |
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祈りのすがた
土器には、 まつりを執り行うシャーマンのすがたが描かれ たとみられるものがあります。 これらは、縄文時代に呪術を 専門とする特別な立場の人びとがいたことを示す貴重な事 例であるとともに、シャーマンの身なりなどを復元するのに も役立ちます。 ごく一部の土器には人間や動物を表現する ことがあり、 特別なものとして位置づけられます。 このため、 シャーマンもまた特別な存在としてあがめられていたとみら れます。
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仮面のいのり
仮面は、 シャーマンが霊的存在と交信するための道具の 一つとして用いられ、 彼らが、 まつりという日常生活から離 れた行事を執り行うための大切な道具であったと言われて います。 縄文時代の遺跡からは、 さまざまな表情や形をも つ仮面が見つかります。 仮面を付けた土偶が見つかってい ることから、 現代の仮面と同様に紐を通して顔につけて使用 したとみられますが、 顔を隠せないほど小さいものもあり、 多様な使われ方が想像されます。 |
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3720描画土器
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人体文付き土器 (羽付き縄文人)
Pottery with patterns of human body and headdress
御所野遺跡 岩手県一戸町
時期: 中期
所蔵: 一戸町教育委員会
粘土の貼り付けと刺突で人体 を表現しています。 頭から延び る2本の点線は羽飾りと考えら れています。
The human body is represented by pasting and stabbing clay. The two dotted lines extending from the head are thought to be feather ornaments.
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人物画土器 [複製]
原資料: 重要文化財
Pottery with figures human (replica)
原資料: 三内丸山遺跡 青森県青森市
時期: 中期
所蔵: 三内丸山遺跡センター
飾りの付く頭や、躍動感ある手 足の表現から、 踊るシャーマン (呪術師) を描いたものとみら れます。
The ornate head and lively limbs suggest that it depicts a dancing shaman. |
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3730土偶・仮面
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重要文化財
大型土偶頭部 Large clay figurine head wit mask on
萪内遺跡 岩手県盛岡市
時期 後期
所蔵: 文化庁 (岩手県立博物館保管)
仮面を付けた大型の土偶の頭 で、耳・鼻・口が立体的な表 現です。 身長約120cmに復元 されます。
This is the head of a large clay figure wearing a mask, with three-dimensional
representa- tion of ears, nose, and mouth.
It is estimated to be approximate- ly 120 cm tall. |
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鼻曲がり土製仮面
Bent nose clay mask
(伝)雨滝遺跡 ( 岩手県二戸市)
時期:(晩期)
所蔵:東北大学大学院文学研究科
眉と鼻は粘土紐を貼り付け、目 と口は大きな孔で表現してい ます。 鼻は左に大きく曲がって います。
The eyebrows and nose are made of pasted clay strings, and the eyes and mouth are represented by large holes. The nose is bent to the left. |
鼻曲がり土製仮面 |
鼻曲がり土製仮面 |
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鼻曲がり土製仮面 Bent nose clay mask
蒔前遺跡 岩手県一戸町
時期:晩期
重要文化財
所蔵: 一戸町教育委員会
顔全体が歪んだ非対称形で、 眉は波打ち、鼻は左に曲がり、 左に上がった目は左右で大き さが異なります。
The entire face is twisted and asymmetrical in shape,
with wavy eyebrows, a crooked nose to the left,
and eyes raised to the left that vary in size. |
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鼻曲がり土製仮面 |
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鼻曲がり土製仮面 Bent nose clay mask
上尾駮 (1) 遺跡 青森県六ヶ所村
時期 : 晩期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
眉と鼻は粘土紐を貼り付け、目 は大きな孔で表現しています。 眉は波打ち、 鼻は右に曲がっ ています。
The eyebrows and nose are made of pasted clay strings, and the eyes are
represented by large holes. The eyebrows are wavy and the nose is curved
to the right. |
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小型土製仮面 |
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小型土製仮面 Small clay mask
羽黒平遺跡 青森県南津軽郡浪岡町大字五本松字羽黒平
時期:晩期
所蔵: 青森県立郷土館 風韻堂コレクション
眉や目、口に刺突による孔が 巡ります。 頭部には紐を通すよ うな孔が2つあます。
The eyebrows, eyes, and mouth are pierced by punctures. The head has two holes through which a string can be threaded. |
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小型土製仮面 |
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小型土製仮面 Small clay mask
地方遺跡 秋田県秋田市
時期:晩期
秋田県指定文化財
所蔵: 秋田市教育委員会
目・鼻・口を小さく表現する 一方で、額と頬には入れ墨の ような装飾を明瞭に入れるの が特徴的です。
The eyes, nose, and mouth are expressed in a small size, while the forehead
and cheeks are clearly decorated with tattoo-like ornamentation. |
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小型土製仮面 Small clay masks
戸平川遺跡 秋田県秋田市
時期:晩期
秋田県指定文化財
所蔵: 秋田県埋蔵文化財センター (秋田県立博物館保管)
径約5cmから9cmの小さい土面 です。大きさや色調に加えて髪 型や顔の表情がそれぞれ異な ります。
These are small clay masks ranging from about 5 to 9 cm in diameter. In
addition to size and coloration, each has a different
hairstyle and facial expression. |
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3740まつりの道具
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まつりの道具は、 その複雑な形や模様から、 実用的とは 思えない作りをしています。 一部は実用的な道具から発展 したものですが、 非常に丁寧に作られていることから、 使用 するのにはばかられる印象を受けます。 これは、 ものとして の見栄えを重視した結果であり、誰かに見せることを意識 して作られたものと思われます。 まつりを執り行うシャーマ ンやムラの代表が、 特別な道具を使って祈りを捧げ、 そのよ うすを集落の人びとに見せることを重視していたことがう かがえます。 |
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3741石刀
石刀 |
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石刀 Sword-shaped stone object
宇鉄遺跡 青森県外ヶ浜町
時期:晩期
所蔵: 東北大学大学院文学研究科
刀のような刃と柄をもちます。 柄頭の部分には、2つの孔から 曲線が放射状に広がる装飾が あります。
It has a handle and blade like a sword. The handle head is
decorated with circular patterns radiating from two holes. |
石刀 |
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石刀 Sword-shaped stone object
川原平 (1) 遺跡 青森県西目屋村
時期:晩期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
刀の形に仕上げ、 一辺は縁を 平らに整形しています。
頭部に は平行線による装飾が見られ ます。
It is thinly finished like a sword, and one side is shaped like a gusset. The head is decorated with parallel lines. |
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石棒 Stone rod
砂子瀬遺跡 青森県西目屋村
時期 : 後期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
石棒は男性を象徴する道具で す。 両端に頭部をもち、三叉状 に溝を掘って表現しています。
The stone rod is a tool symboliz-ing male characteristics. It is rep-resented
by a combination of figures with heads at both ends and three horns. |
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石棒 Stone rod
イケウルリ出土 (北海道日高町)
時期 (晩期) 所蔵: 東北大学大学院文学研究科
中央がやや太く、両端に装飾 された頭部が付きます。 平行 線と細かい鋸歯状の刻みの表 現があります。
It is slightly thicker in the center with decorated heads at both ends. It has parallel lines and fine indentation in chevron pat-
tern. |
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骨刀 Sword-shaped bone objects
台の下貝塚 宮城県気仙沼市
時期: 中期~後期 所蔵 気仙沼市教育委員会
クジラの顎や肋骨を削り出し、 刃と柄をもつ刀のような形で す。 柄には孔をあけるなどの 装飾があります。
Carved from the jaw and ribs of a whale, it is shaped like a sword with
a blade and handle. The handle is decorated with holes. |
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線刻のある石冠 Stone objects shaped like a crown with line engravings
水上 (2) 遺跡 青森県西目屋村
時期: 中期
所蔵: 青森県埋蔵文化財調査センター
石斧のような刃をもつ石製品 の表面に、 孔を曲線や直線で 結んだり、 線刻を鋸歯状に入 れています。
On the surface of the tool, which has a stone axe-like blade, holes are
connected with circular pat- terns or straight lines. or by serrated line
engravings. Chevron stripes are also engraved. |
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3743顔料と漆
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赤色顔料がついた石皿と磨石 Saddlequern and grinding stone with red pigments
鍛冶沢遺跡 宮城県蔵王町
時期 晩期
所蔵: 東北歴史博物館
赤い石を焼いた後に磨り潰し て顔料にしました。 石皿と磨石 には磨り潰した痕が赤く残さ れています。
The red stone was fired and then grounded to make pig- ment. The stone plate and the
griding stone have red remnants
left by the grinding process. |
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漆を入れた土器 Potteries with lacquer
北小松遺跡 宮城県大崎市
時期 晩期
所蔵: 東北歴史博物館
漆は赤色顔料を混ぜて土器の 彩色などに使われました。 漆が 残されたパレットや壺も見つ かっています。
Lacquer was mixed with red pigment and used to color earthenware. Palettes
and jars with traces of lacquer have also been found. |
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4000epilogue
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epilogue
縄文人と現代
現代を生きる私たちは、食料や生活物資の大量生産や、さまざま なテクノロジーの高度な発達により、 縄文人よりも豊かで便利な生 活を送っていることでしょう。
しかしながら、 その根底には、 縄文人 がつくり上げた生活文化を垣間見ることができます。 定住して資源を安定的に確保した生活、 自然や周りの人間集団と共生したくらし、
そして、これらをおそれ敬う精神など、 現代人である私たちと共通し、 またそこに繋がる文化が、一万年以上ものはるか昔から続いている のです。
持続可能な社会の構築が求められている現代において その出発点となる縄文人の生活から、 自分自身とその周りの環境を 見つめ直し、より豊かな生活のヒントを見つけてみてはいかがでしょ うか。 |
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epilogue
縄文人と現代
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縄文ジオラマの世界
「どうすれば、こんなに面白い縄文時代にもっと興味を もってもらえるだろうか」
日本中の研究者は、日夜みなさんのもとへ素敵な縄文 ワールドをお伝えすべく奮闘しています。
公益財団法人北海道埋蔵文化財センターでは、御所野遺跡 (岩手県一 戸町)で復元した竪穴住居を参考に手作りのジオラマを作成しました。
今回の展示では特別にお貸しくださいましたので、愛らしいキャラクター達が織りなす日常の風景を通して、 縄文人の世界をのぞいてみてはいかがで しょうか。 |
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土偶にさわってみよう
わたしたちがモデルです
遮光器土偶 亀ヶ岡遺跡 東京国立博物館蔵
合掌土偶 風張1遺跡 是川縄文館蔵
縄文の女神 西ノ前遺跡 山形県立博物館蔵
Image: TNM Image Archives
*実際にさわることができます
*肌ざわりや模様を指先で感じてみてください
*本物の土でできています。 優しくさわってください 土偶制作: 菊地逸夫 (縄文工房) |
土偶にさわってみよう
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遮光器土偶 |
合掌土偶 |
縄文の女神 |
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謝辞
「世界遺産 縄文」展の開催及び図録の刊行にあたりまして、 下記のみなさまからご協力を賜りました。 厚く御礼申し上げます。
[機関]
青森県立郷土館、青森県埋蔵文化財調査センター、青森市教育委員会、 秋田県埋蔵文化 財センター、 秋田県立博物館、秋田市、 秋田市教育委員会、 一関市教育委員会、 一関市博 物館、一戸町教育委員会、 岩手県立博物館、大崎市教育委員会、 大館市教育委員会、 奥松 島縄文村歴史資料館、 鹿角市教育委員会、 北秋田市、栗原市教育委員会、 気仙沼市教育 委員会、公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、公益財団法人福島市 振興公社、公益財団法人北海道埋蔵文化財センター、公益財団法人山形県埋蔵文化財セ ンター、三内丸山遺跡センター、 七ヶ浜町教育委員会、 七戸町教育委員会、 市立函館博物 館、 仙台市縄文の森広場、 外ヶ浜町教育委員会、 大仙市、伊達市教育委員会、千歳市教育 委員会、つがる市教育委員会、東京国立博物館、東京富士美術館、東北大学総合学術博物 館、東北大学大学院歯学研究科、東北大学大学院文学研究科、 洞爺湖町教育委員会、弘 前市博物館、函館市、函館市教育委員会、 函館市縄文文化交流センター、八戸市南郷歴史 民俗資料館、 八戸市博物館、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館、 福島市、 文化庁、 北 海道博物館、 北海道立埋蔵文化財センター、宮畑遺跡史跡公園じょーもぴあ宮畑、盛岡市 遺跡の学び館、三島町教育委員会、南相馬市教育委員会、宮城県教育庁文化財課、 森町 教育委員会、柳津町教育委員会、山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館、山形県立博物 館、遊佐町教育委員会
[個人]
阿部千春、 飯塚義之、 菊地逸夫、 高田和徳、 千葉達也、 長島雄一、 村本周三、 山川純一、 山田晃弘、夢枕獏 |
謝辞
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WORLD HERITAGE JOMON
特別展 世界遺產縄文
会場取扱商品
京都会場 |
会場取り扱い商品 |
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世界遺産 縄文」公式図録¥2,530 (税込)
京都会場オリジナル
グーちゃんステッカー 1枚 ¥330 (税込) ※ランダム封入
会場取扱商品 京都会場 オリジナル
遮光器土偶ヘアバンド¥1,800 (税込)
遮光器土偶マスコットキーチェーン¥1,980 (税込)
グーちゃんスタンプ各¥700 (税込)
クリアファイルA4:¥550(税込) A5:¥440 (税込)
手ぬぐい 土器 動物 土偶 各¥1,980 (税込)
Tシャツ各種【サイズ】 S・M・L・XL 各¥4,200 (税込)
スウェット 各種 各¥7,200 (税込)
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リフレクター¥770 (税込)
刺繍バッジ 遮光器土偶,イノシシ,板状土偶各¥770 (税込)
ステッカー 各¥200 (税込)
どんぐり水筒¥3,300 (税込)
世界遺産縄文ハンカチタオル¥1,200(税込)
マスキングテープ¥660(税込)
サガラ刺繍ポーチ(遮光器土偶)¥1,980 (税込)
遮光器土偶ヨーカン¥1,080 (税込)
遮光器土偶マグネット各¥880 (税込)
よもぎ入浴剤¥1,540 (税込)
遮光器土偶プリントたまごボーロ¥860 (税込)
遮光器土偶プリントラムネ¥800 (税込)
※掲載画像はイメージです。実際の商品とはデザインなどが異なる場合があります。
※商品ラインナップ・商品名・価格・デザイン・仕様などは変更になる場合があります。 |
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6000京都文化会館常設展
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6001羅城門
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羅城門とは
What is the Rajomon?
羅城門は、平安京の中央を南北に走る朱雀大路の南端に 建てられた門で、都の表玄関にあたる。 幅約35m、高さ約 21m、奥行き約9mの壮大な2階建ての門だった。
表玄関であったことから外交使節や高僧の送迎をはじめ 疫病鎮祭や法要などが行われる場となった。 羅城門は遷都 から22年後の弘仁七年(816)
八月十六日に早くも倒れ (『日本紀略』)、以後、 天元三年(980) 七月九日の暴風雨で転 倒してからは (「百錬抄』)、 再建されることなく痕跡を留める
のみとなった。
しかしその痕跡には平安京の正門という象徴性のゆえ か、後の時代も人々が関心を寄せ続け、今もなお記憶の場所 として引き継がれている。 これから紹介する数ある京都の 記憶と歴史の場の中でも、代表的存在の一つである。
The Rajomon Gate was constructed at the southern end of Suzaku Avenue, which ran through the center of the capital from north to south, serving as the main entrance to Heian-kyo. It was an impressive two-story gate, approximately 35 meters wide, 21 meters high, and 9 meters deep. After being destroyed several times, the Rajomon Gate was never reconstructed; however, it remained a popular subject in stories and paintings over time and is still recognized as a site of memory. It is one of the most iconic historic sites in Kyoto. |
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正門としての役割
Role as the Main Gate
名前の由来
羅城門とは、羅城 (都市を取り囲む城壁) に設けられた門を指す。 平安時代後期には「ライセイ」 (『世継物語』) と呼ばれたようだが、 中世には他にも
「ラセイ」 (『拾芥抄』) や 「ライショ ウ」 (『延喜式』)、 そして江戸時代では 「ラショウ」 (『京童』) と呼ばれたとある。 文字の上でも、 芥川龍之介で著名な「羅生門」 という表記が、 古くは鎌倉時代の 『北野天神縁起』に見られ る。 また 「頼庄」や「来生」 という地名も「羅城」の音を漢字表記したものと考えられている。
規模
平安京の羅城門の規模は、 幅約35m、奥行約9m、高さ約21m と文献や絵巻から推測さ れている。 『大内裏抄』 (室町時代中期) や 『天文本拾芥抄』 (室町時代末期) には二重閣 (い わば二階建て) 七間とある一方で、『大内裏図考証』(江戸時代後期)には二重閣九間とあり、 史料によって違いがみられる。 本模型は、 羅城門と同規模と推定された平安宮の朱雀門が 間口七間、 奥行二間、 二重閣で、 屋根の形は入母屋造と考えられること(『延喜式』や『伴大納 言絵詞』) や、 平城宮の朱雀門の姿などを考慮し、二重閣七間を採用した。 1/30 サイズの復 元である。
儀礼
羅城門では、 多くの儀礼がおこなわれた。 文献記録からは、仁王会、大嘗祭前の大祓、 鬼気祭などの場所となったことが確認できる。 仁王会は、護国経典として重んじられた『仁王般若経』を講じて、 国の平穏を祈る儀式である。 天皇の即位ごと、 春秋各一回、 災禍など により臨時に行われた。 大嘗祭は天皇即位後の最初の新嘗祭である。 それに先だつ大祓 が、清和天皇 <貞観元年(859)〉、三条天皇 <長和元年(1012)〉、 高倉天皇 <仁安三年(1168)〉に より、執り行われた。 鬼気祭は、 除災儀礼の一つである。 長元三年(1030) に疫病が流行し た際に、それを鎮めるため、陰陽師によって実施された。 |
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記憶に残る門
羅城門の物語
羅城門にまつわる物語は、すでに平安時代末期の成立 といわれる 『今昔物語集』 にあり、 荒廃した羅城門の姿 と、そこに「鬼」 や 「怪」、
「骸骨」 などと関連づくイメージ が語られている。 その後も様々な物語が生み出され、 そ れらは江戸時代の観光案内記や地誌類にも見られる。 こ
れらの書籍は版本であり、 かなり流通したから、これを 手にする旅人はもとより、 京都の人々にも物語は多く知 られるところとなった。 近代以降も、
羅城門はイメージ の中で表現され続ける。 その代表的存在は、 芥川龍之介 の小説『羅生門』 (1915年初出) と黒澤明の映画 『羅生門』 (1950年公開)
だろう。 映画 『羅生門』は、 同名をアルファ ベット表記した 『Rashomon』 の名で海外の映画祭に出 品された。 そして、 1951年、
日本映画として初めてヴェ ネツィア国際映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞し た。 平安京の象徴・羅城門は姿を消したが、 時を経てい まや世界に知られる門となったのである。
その後
羅城門が倒壊してからその場所 はどうなっただろうか。 当地での 発掘調査では、室町時代の記年銘 をもつ石塔が多く出土しており、 少なくとも倒壊から約450年後に は、ここは墓地になっていたこと がうかがえる。 その後、 土地の改 変によって、この付近を流れるこ とになった鍋取川が門の痕跡をますます小さくしたようだ。 この川は江戸時代には農業用水として役割を果たすが、 昭和時代に暗渠となった。 現在、 その土地には明治期に建てられた 「羅城門遺址碑」が立つの みである。
羅城(築地)のごく一部は検出されたものの、羅城門そのものの証拠は未だみつかって おらず、江戸時代から今に至るまでその痕跡探しは続いている。 |
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6010考古展示
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6011京の歴史
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平安時代から京都の歴史は始まった?
少なくとも約二万年前の旧石器時代から、
現在の京都市中にあたる場所で、
人々の活動の歴史が確認できます。
その後も、連綿と生活の痕跡が見られます。
「京都」という場における人々の歴史は、
実は、平安京以前から始まり、現代に続いています。
それは、土に埋もれて、
痕跡としてわずかに遺るだけですが、
注意深く目をこらすことで
見つけることができます。
さあ、みんなで歴史の旅に出かけましょう! |
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Discover the history!
When did the history of Kyoto begin?
In Kyoto, human activities can be traced back at least 20,000 years
to the Paleolithic Period.
The history of the area that later became Heian-kyo (i.e. present-day Kyoto City) began long before it became the capital of Japan. |
歴史を探ろう!
京都の歴史はいつ始まったのでしょうか?
京都における人間の活動は、少なくとも2万年前の旧石器時代にまで遡ることができます。
後に平安京(現在の京都市)となった地域の歴史は、日本の首都となるずっと前から始まっていました。 |
展示遺跡出土場所
展示遺跡出土場所 |
展示遺跡出土場所
旧石器時代遺跡
西ノ京車坂町(朱雀第六小学校)
縄文時代遺跡
菱屋町(烏丸御池遺跡)
弥生時代遺跡
梅ケ畑向ノ地町
長鉾町
坂東屋町 |
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弥生時代の土器石器(約2000年前)
弥生時代の銅鐸(約2000年前)
縄文土器・石器(約3000年前)
ナイフ形石器(約2万年前) |
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6013旧石器時代
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京都市内で発見された貴重な旧石器
ナイフ形石器 Knife-Shaped Stone Tools
約2万年前
出土地:西ノ京車坂町(朱雀第六小学校)、西院三蔵町
京都市内でも山科区中臣遺跡、 中京区朱雀第六 小学校、 右京区広沢池、 右京区西院三蔵町遺跡な どで旧石器時代の遺跡がある。
近畿地方特有のサヌカイト製ナイフ形石器、 掻器、 翼状刺片などが みつかっている。
また、 京都盆地を囲む三方の山 はチャートからできており、チャート製の石器も 発見されている。 |
京都市内で発見された貴重な旧石器 |
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ナイフ形石器 |
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加工痕のある剥片 |
ナイフ形石器 |
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6014縄文時代
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京都文化博物館の真下で見つかった縄文人の痕跡
縄文土器・石器
Jomon Potteries and Stone Tools
約2600年前
出土地 : 菱屋町 (烏丸御池遺跡)
京都大学構内の北白川遺跡一帯が縄文遺跡として知られているが、 京都市中心部のこの三条高倉 菱屋町の地にも縄文遺跡が存在する。
縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての遺跡で、 多数の土器 石器が出土しただけでなく、 当 時の人々が掘削した穴のあとも見つかった。
京都 盆地中央部の低地部分にも微高地状の高まりがあって、 その周縁に縄文時代の遺跡が見られるよ うだ。 |
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縄文土器・石器
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石鏃 ピンボケ
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土偶 ピンボケ
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縄文土器
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石棒
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6015 弥生時代
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四条通に広がる弥生時代の集落
弥生土器・石器
Yayoi Potteries and Stone Tools
約1900年前
出土地: 長刀鉾町・阪東屋町
三条高倉の菱屋町でみられた縄文時代晩期から 弥生時代前期にかけての遺跡はその後、 四条烏丸交差点周辺から南西にかけての広大な範囲 (長刀鉾町 阪東屋町周辺) へと移る。 北から南へ舌状に 伸びる微高地上に遺跡が広がっていると考えられ、 京都盆地の弥生期の遺跡の中で拠点的な集落と目されている。
1982年の発掘調査では、弥生時代後期の良好な土器資料が出土しており、 近江地域や 摂津、 河内地域との交流の様子がうかがえる。 |
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弥生土器・石器 |
石剣,石鏃 |
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石鏃
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石包丁
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石斧
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弥生土器 |
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6016銅鐸
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京都盆地北西部の丘に埋められていたマツリの道具
銅鐸
Dotaku (Ritual Bronze Bell)
約2000年前
出土地:梅ケ畑向ノ地町
銅鐸は、弥生時代中期から後期にかけて、 共同 体の祭祀で用いられた。 梅ケ畑遺跡出土の4口の 銅鐸は、京都盆地北西部に当たる京都市右京区梅
ケ畑の丘陵斜面から、 1963年に宅地造成工事に 伴って発見された。 これらの銅鐸は、1.3号銅鐸 の内部に、より小さな2・4号銅鐸がそれぞれに入
れ込まれた 「入れ子」 の状態になって埋納されて いたと伝えられている。 また、 島根県荒神谷遺跡 の2号銅鐸が梅ケ畑4号銅鐸と同じ鋳型で作られ
たものであることがわかっている。 |
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6020平安時代
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Heian Period
8th century-
都の誕生
今からおよそ1200年ほど前、桓武天皇は今の京都の地に平安京を造営した。 それまでの都城が数十年単位で遷都を繰り返していたのに対し、ここに 日本の都が居を定めた。造営から約百年経つと、雅 な王朝文化が花ひらく。藤原道長が貴族社会の栄 華を極め、紫式部や清少納言などの宮廷女房たちが その才能を発揮した時代である。 貴族たちは寝殿 造と呼ばれる邸宅に居住し、女房たちは華やかな装 束に身をつつんだ。 それまでの唐風の文化が吸収 され、わが国の土壌に、新たな和風の文化世界が誕 生した。 それは京都で生まれた都の文化であった。
Since its establishment, Heian-kyo remained Japan's capital for more than
1,000 years. A century after its foundation, an elegant and refined court
culture began to flourish. The cultural style, which had been heavily influenced
by China, was assimilated into the Japanese aesthetic, forming a new and
distinctively Japanese cultural world. This was the culture of the capital,
born in Kyoto.
平安京は建都以来、1000年以上にわたり日本の首都であり続けました。建都から1世紀後、優美で洗練された宮廷文化が花開きました。中国の影響を強く受けていた文化様式は、日本の美意識と融合し、新たな、そして日本独自の文化世界を形成しました。これが京都で生まれた都の文化でした。 |
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| 2021 |
6022かたち造られた都市平安京の姿
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京都府内には歴史上3つの都が作られた。 恭仁京、 長岡京、 平安京である。
794年に桓武天皇が平安京に都を遷し、人々は 「平安楽土、万年春」と祝ったと言う。その都市の姿は碁盤の目のように整然とつくられた。 中央の基幹道路たる朱雀大路を境に、京内を東側 (左京) と西側(右京) に区分して整理し、全体で東西約4.5km、南北約5.2kmの長方形の都だった。 その後、一千年以上の間に形を変え、平安時代の生活跡は地下に埋もれていくものの、 この都市がつくった道路や区画は、いまの京都のまち並みに影響を与えている。 |
かたち造られた都市
平安京の姿
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かたち造られた都市
平安京の姿 |
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かさねて見てみよう
平安京の区画と現代の比較
京中の区画表示は左京□条坊口町というように、「条」・ 「坊」・「町」で記される。 「条」は北から南へ一条から九条、 「坊」は朱雀大路から東西の京極大路にむけて一坊から四 坊に区分される。 また一つの坊は十六の町から構成される。 例えば、 京都文化博物館の位置を平安京の土地区画で 表現すると、 左京三条四坊四町となる。 |
平安京の区画と現代の比較 |
かさねて見てみよう
平安京の区画と現代の比較
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基盤の目の都市景観 |
基盤の目の都市景観
大路と小路
京内には、東西南北に大路小路が走り、いわ ゆる碁盤の目状の都市区画を形作っていた。 東西 南北とも、大路の道幅は約24mから30m、 小路の 道幅は約12mであった (朱雀大路・二条大路など例外 あり)。 |
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神泉苑 |
京中に残る自然
神泉苑(しんせんえん)
神泉苑は、平安京建設以前からの自然環境を 活かして造営された禁苑である。 正殿の乾臨閣の 南側には広大な苑池が広がっていた。 |
平安宮 |
国家の集中地区 平安宮
京内の中央北部には平安宮(大内裏)と呼ばれる中央官庁街が あった。天皇の住む内裏をはじめ、太政官や民部省など行政 官庁が立ち並び、朱雀門・待賢門など14の門が宮城を取り囲ん でいた。 |
朝堂院と豊楽院 |
政治と儀礼の中心
朝堂院と豊楽院
平安宮(大内裏)の中枢部には、中央に朝堂院、 西に豊楽院、東は太政官・民部省といった重要な 宮殿・庁舎が三つのブロックで並んでいる。いずれ も建物は、基壇上に礎石建ちで瓦葺きの中国風で あった。高御座のある大極殿を正殿とする朝堂院 は、文武百官が参列する重要な国家的儀式が執り 行われる場であり、平安時代初めには毎日政務も 執られていた。 豊楽院は、朝堂院での儀礼の後に席 を移して聞かれる公式の宴会の施設で、節会の儀式 なども行われた。 |
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都の迎賓館
こうろ かん
東西の鴻臚館
七条大路の北側、 朱雀大路をはさんで左右対称 に、 東鴻臚館(左京) 西鴻臚館 (右京) が建ってい た。鴻臚館は外国使節を接待する、いわゆる迎賓館 であった。 |
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都の表玄関
羅城門
羅城門は、 平安京の中央を南北に走る朱雀大路の 南端に建てられた門で、 平安京の表玄関にあたる。 |
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都のメインストリート
朱雀大路
羅城門をくぐると、 約84mの道幅を持つ朱雀大路 が北に向かって一直線にのびる。 通りの左右には、 築地が連なり、街路樹として柳の並木が植えられ ていた。現在の通りでは千本通にあたる。 |
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都の市場
東市・西市
平安京内には、東市(左京)と西市(右京)という 官設の市場が置かれた。京に暮らす人々は、市で 物資を取り引きし、生活に必要なものを求めた。 市では染物・油・牛など50種以上のものが取り引き された。 |
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6025縄文から近代までの土層
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歴史のかさなり
縄文時代から近代までの土層
千年の都・京都の地下をさぐると、 土の層の厚み から都市の活力をみることができる。 この土層 標本は、当館の西約50m地点での発掘調査現場で 採取した。
この場所で人々が生活をはじめたのは縄文時代 に遡る。 現在の路面から約2m下、 自然堆積層直上 の縄文時代の土層には当時の人々が使った土器が 含まれていた。
風景が一変するのは平安京造営時で、 条坊区画
ついじ
にともない土地が整備され築地が建てられる。 そ の時、縄文時代の土層は一部削られ、 一部は築地 基礎の部分に残った。
時が経つ中で、 築地は移され、 溝の位置が変えら れ、何度も地ならしが繰り返された。 人々の営みの 結果、 平安時代以降、地面は次第に高くなっていっ た。 とくに江戸時代は京の人々の活気を示すよう に層は厚い。 幕末の蛤御門の変の戦火による焼土 も土層に残るが、 ここも整地されて、地面は現代の 高さに近づいていった。
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歴史の重なり 縄文時代から近代までの土層
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土層採取位置
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蛤御門の変の焼土
江戸時代
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室町時代
海抜39m
平安時代の築地基部
縄文時代 平安時代 |
平安時代
自然堆積
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6030平安宮
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6031平安宮の建築
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<建築イメージ図 >
建物の基壇(壇上積み基壇)に据えられた石
地覆石 (推定民部省南門の基礎)
Jifukuishi (Foundation Stone)(Assumed to be the Foundation of the South
Gate of the Ministry of Popular Affairs)
Stones Placed Beneath the Podium of a Building
平安時代 8-9世紀
朝堂院の東側に位置する民部省の建物に用い られた凝灰岩製の切石。壇上積という形式に作 られた建物基壇の下部に据えられた石である。 表面が整えられ、背面には荒削りの工具(タガネまたはノミ)の痕も残る。 |
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平安京用の生産窯から出土した建物の床材
敷瓦(西賀茂瓦窯跡出土)
Paving Tiles
(Excavated from the Nishigamo Roof Kiln Site)
Building Flooring Materials Excavated from a Tile
Production Kiln for Heian-kyo
平安時代 8-9世紀
平安宮内の殿舎の多くは、礎石の上に柱を建て屋根は瓦葺きの中国風の建物であり、床は土間または敷瓦(敷磚)が敷き並べられた。 現在のところ、 平安宮内で確かな磚敷き建物遺構の検出例はないが、破片は各所から出土しており、
大極殿など主要な建物は磚敷きであったと考えられる。 この敷瓦は、平安時代前期の造瓦所であった京都市北区の西賀茂瓦窯跡の発掘調査で 出土した。 |
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葛石(かつらいし)
束石(つかいし)
羽目石(はめいし)
磚(敷瓦)(せん、しきがわら)
裏込土
基壇版築土
地覆石
<壇上積み基壇の図 > |
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6033屋根瓦
軒瓦
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平安宮の宮殿を飾った特別な瓦
緑釉軒瓦(平安宮朝堂院・豊楽院跡出土)
Green Glaze Roof Tiles
(Excavated from the Chodoin and Burakuin Sites of Heian Imperial Palace)
Special Decorative Roof Tiles of the Heian Imperial Palace, the Center of Heian-kyo.
平安時代 8-9世紀
朝堂院と豊楽院の正殿である大極殿と豊楽殿 の屋根には、緑色の釉薬をかけた瓦が葺かれて いた。 これらの緑釉瓦は、おもに平安京北郊の 西賀茂や岩倉幡枝地域の瓦窯で生産されたが、 特別な工程でつくられる瓦であるため、 用いら れる建物は平安宮の数多い殿舎の中でも、きわ めて主要な建物に限られる。 なお、 緑釉瓦は屋 根全体に葺かれるものではなく、 軒先部分と棟 部分だけに使用され、 ちょうど屋根を縁取るよ うになっていたと考えられる。 平城京など前代 の宮殿に少ないこの緑釉瓦は、 新たな時代を視 覚的に示す上で大事な道具立てであった。 |
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緑釉軒瓦 |
軒瓦
軒丸瓦
瓦当
軒平瓦
<緑釉軒瓦各部名称図> |
緑釉軒平瓦丸瓦 |
鬼瓦
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宮殿の守り神
鬼瓦(平安宮・豊楽院 ・朝堂院跡出土)
Onigawara (Demon Roof Tiles)(Excavated from the Burakuin and Chodoin Sites
of Heian Imperial Palace)
The Guardian Deity of the Imperial Palace
平安時代 8-9世紀
平安宮のおもな建物の屋根の大棟両端には鴟尾が据えられるが、隅棟や降棟の端には鬼瓦が用いられる。
鬼神面を表すものが多いが、後世 の鬼瓦のような角のあるものはない。平安時代 の鬼瓦は、豊楽院跡出土例のように型でつくら れるものが一般的である。 朝堂院跡出土例は粘土塊を盛り上げて形をつくり、ヘラや指先で調
整する彫刻作品のような特別な鬼瓦である。 |
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鬼瓦 |
熨斗瓦
面戸瓦
降棟 隅棟
鬼瓦
<鬼瓦姿図>
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鬼瓦 |
鬼瓦 |
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6040平安時代の文化 |
6041
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平安の文化世界
平安時代のはじめ、 政治の中心は天皇が担っていたが、 10世紀後半には摂関政治と呼ばれる体制に移っていった。 天皇家と婚姻関係を結び、 摂政・関白という
朝廷の要職に就いた藤原氏が、 政治や社会、文化や宗教の各方面で大きな役割を果たす時代になったのである。 この貴族社会で歌や文章の素養は欠かせぬものとなり、和文や和歌が発展して今まで以上に自由に感情を表現できるようになった。
華やかな文芸競技が催され、宮廷女性は 『源氏物語』 や 『枕草子』 などの傑作を生み出した。 |
平安の文化世界 |
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内裏歌合
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天徳四年(960)、村上天皇が内裏清涼殿で催した豪 華な歌合の様子がうかがえる
だい りうたあわせ
〈復元想定図〉 天徳四年内裏歌合
イラスト: 昭和時代 20世紀 三橋節子・佐々木和子 |
三条通を行き交う人々やそのにぎわい
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平安時代の三条通を行き交う人々やそのにぎわいを想像してみよう
〈復元想定図〉 三条大路
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内裏清涼殿での節句の酒宴
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昭和時代 20世紀 三橋節子・佐々木和子
承安元年(1171) 内裏清涼殿で行われた季節の節目を祝う酒宴の様子がわかる
〈復元想定図〉 承安五節絵
イラスト: 安芸早穂子 |
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6043生活陶器
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平安京の人々に好まれ実際に使われた器です
平安京の器
Helan-kyo Pottery
Vessels favored by people in Heian-kyo
平安時代 9世紀 (内蔵蘭林坊)、9~10世紀(左京八条三坊)
奈良時代の焼き物は土師器と須恵器が大部分で、 国産の奈良三彩が新たに作られるも生産量は全体 のわずか1%にも及ばなかった。 しかし平安時代に入ると、やきものの世界は様変わりする。 緑釉や
灰釉の施釉陶器類が出土量の約1割を占めるようになり、黒色土器や白色土器が登場し、 中国産の陶磁器も一定数もたらされ、黒や朱の漆器も加わる。 平安京の器はかつてないほど色彩豊かになった。 |
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平安時代の器 |
緑釉陶器
平安京左京八条三坊
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白色土器
灰釉陶器
緑釉陶器
内裏蘭林坊跡
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6045平安文学の開花
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平安の実態が記録された貴族の日記
池亭記 複製 Chiteiki (Replica) A Nobleman's Diary Recording Real Life in the Heian-kyo
Capital
平安時代 10世紀成立
平安時代の貴族である慶滋保胤の著作で、当時 の平安京の様子が詳しく記されている。 右京の人 家の少なさや平安京南北の居住格差、 火災があっ た場合の心配事など、当時の生活環境や住宅事情
がダイレクトに伝わってくる。 |
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池亭記 |
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「池亭記」にみる平安京の変容
平安京が建設されてから、ちょうど200年ほど経過した平安時代の中頃、慶滋保胤は 『池亭記』 という随筆を著します。 およそ1300 文字の短文ですが、それは変化しつつある平安京の景観を見事に叙述しました。 まさに千年前の京都の実況レポートといえます。
「池亭記』に記された都の変容
1 右京は早くに廃れて、左京に人口が集中している。
2左京でも、四条以北に人家が集中している。
四条より北には、身分の貴賎を問わず、人々が群集している。
3富める者が、貧しき者の土地を、おびやかしている。
4東や北の郊外に、居住者が増えている。
鴨川べりなどでは、人家があるだけでなく、 田畠があって耕作している。 川をせきとめて、田に水を引いている。
5上辺 (二条通以北)と下辺(同以南)とで、地価が異なっている。
この時期、 平安京の象徴ともいえる羅城門は暴風雨により倒壊し、以後、再建されておらず、 また天皇の居所である内裏も相次ぐ火災に襲われていました。
そして、 『池亭記』に描かれたように平安京の都市的景観も大きく変容していたのです。
一般的に、藤原道長や紫式部が活躍し、王朝文化が最盛期をむかえたように理解される平安時代中頃ですが、 平安京の景観に注目してみると、 都市のあり方が大きく変わろうとしていた過渡期の様子がみえてきます。
摂関政治の展開や王朝文化の隆盛という貴族社会の成熟は、実は このような都市的景観の変容のなかに展開したものだったのです。 |
「池亭記」にみる平安京の変容
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「池亭記」抜粋
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「池亭記」口語訳
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予二十余年以来、東西の二京を歴く見るに、
西京は人家漸く稀にして、殆ど幽墟に幾し。 |
私は二十年余りこのかた東西の二京のあちこちを見て回ったが、
右京には人家が少なく、 ほとんど幽霊が住んでいるのではな いかと思えるような場所だ。 |
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人は去ること有りて、来ること無く、
屋は壊るること有りて、造ること無し。
その移徙するに処無く、賤貧に憚ること無き者は是れ居り。
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出ていく人はいても他所から来る人はおらず、
家屋においては、 倒壊することはあっても新しく 造られることはない。
引っ越して来たとしても住めるようなところはない。
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或は幽隠亡命を楽しみ、
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質素な生活を厭わない者か、 隠居生活を楽しみ、 |
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当に山に入り田に帰るべき者は去らず。
自ら財貨を蓄へ、奔営に心有るが若き者は、一日と雖も住むことを得ず。
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まさに山に入り田に帰るような者はそのまま住み着く。
自分で財産を蓄え、 商売をしようと志す者は一日でさえも住んでいら れないだろう。
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夫れ此の如きは、天の西京を亡すなり。人の罪に非ざること明らかなり。
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こういった状態なので、 西京が滅びても人間のせいではないことは明らかである。
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東京四条以北、乾・艮の二方は、人々貴賤と無く、
多く群聚する所なり。
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左京の四条より北、 乾の二方は、 貴賤の区別なく大勢の人々が群れ集まる場所である。
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高き家は門を比べ堂を連ね、少さき屋は壁を隔て簷を接ぬ。
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高い家は門を並べて堂を連ね、 小 家は壁を隔てて軒がひしめき合っている。 |
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東隣に火災有れば、 西隣余炎を免れず。
※のきという漢字が見つからずこの字はよく似たひさしで代用。
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東隣の家で火事があったら、西隣の家は火が燃え移ってくるのを避けられないだろう。
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南宅に盗賊有れば、 北宅流矢を避り難し。 |
南方の家に盗賊が現れたら、 北方の家は流れ矢を避けがたい。 |
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6100鎌倉時代
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Kamakura Period
12th century-
京と鎌倉の時代
平安時代後期から鎌倉時代にかけての京都は鴨川の東の白河地域、洛南の鳥羽地域などへ都市域を 拡大させ、新たな都市景観を生み出していった。 朝廷と幕府という新たな政治体制も生まれ、
また鎌倉 新仏教祖師たちの活躍や常設の店棚の活況など宗教や経済の新展開も見られた。 政治的に作られた計画都市 平安京は、都に暮らす人々の実態に即した生
活都市へとその姿を大きく変容させていく。
From the late Heian Period to the Kamakura Period, new urban development
took place in areas such as Shirakawa, to the east of the
Kamo River, and Toba, to the south. In addition, a new political administration, known as the bakufu (feudal government headed by a shogun), was established with its base in Kamakura. As a result, Kyoto and Kamakura became the two political capitals of Japan.
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、鴨川の東側の白河や南側の鳥羽といった地域で新たな都市開発が進みました。また、鎌倉を拠点とする幕府(将軍を頂点とする封建国家)が成立し、京都と鎌倉が日本の二大首都となりました。 |
鎌倉時代
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京と鎌倉の時代 |
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6101
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中世京都を鳥瞰した歴史地図
中古京城図 Old Map Depicting Kyoto from the Late Heian Period to Kamakura Period
江戸時代 19世紀
平安時代末~鎌倉時代の12~13世紀にかけての90年間余りにあった京都の姿を江戸時代末期において復古的に表現した鳥瞰図。
平安の昔を研究する江戸中期の学者が、『拾芥抄』 をはじめ多くの史料に基づき各年代の公家邸宅やその跡地、文学史蹟や寺社名所、 名木石などを注記して いる。この京都府所蔵本はこれをさらに模写したもの。
記述のなかでも高倉天皇 土御門天皇から後深草天皇 にかけての里内裏 (大内裏外の天皇在所) であった閑院内裏の来歴が詳しく記述される。 |
中世京都を鳥瞰した歴史地図 |
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中世京都を鳥瞰した歴史地図
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6110
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中世京都の暮らしとお金
Life and Money in Medieval Kyoto
自国の通貨を発行しなかった中世日本。 当時の人々 は、中国から輸入した銅銭を基軸に、経済活動をおこ なった。 中国の銅銭といっても、唐から北宋・南宋、
元、 そして明と、銅銭を発行した王朝や銭種は複数にわた る。 そのなかでも最も日本で流通し、かつ好まれたのは、 北宋で鋳造された銅銭であったようだが、それはそれ
として、当時の人々は、 「銅銭1枚=1文 (現在の物価で、 およそ100~200円程度)」の慣習のもと、 様々な種類の 銅銭を一緒くたにして用いていた。
本コーナーでは、 発掘調査で見つかった銅銭や、 銅 銭の使い方に関する室町幕府の法令などから、 中世の 京都で流通したお金と、 その使われ方に迫りたい。 |
中世京都の暮らしとお金
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6111
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一括出土銭
Coins Excavated in Bulk
A Bucket Full of Excavated Coins
鎌倉~南北朝時代 14世紀
七条町跡(現在の七条新町周辺) の地中から発見された銅銭。 合計31,415枚が、 直径35cmほどの2つの曲物容器に入れられていた。 そのほとんどが中国銭で、 隋の五銖銭から元の至大通宝まで65種類
を数える。 銅銭は、 およそ97枚単位で紐に通された 「緡銭」の状態であり、当時はこれを100文とみな して利用していた。 これらの銭は、 戦乱などから 資産を守るために埋められたと考えられており、 七条町に裕福な商工業者が居住していたことがわ
かる。 |
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6113
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出土状況の再現 |
左:100文相当の差し銭
右:一貫文(1000文相当)のさし銭
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民間で製造された、粗悪な硬貨
模造銭
Private Coinage
Low-Quality Coins Privately Manufactured
鎌倉~南北朝時代 14世紀
七条町跡から発見された銅銭のなかには、明らかに品質の悪いものが混じっていた。 これらは、日本国内や中国で模作された模造銭である。
上は2枚の開元通宝 (中国唐) とその模造銭1枚、 下は1枚の太平通宝 (中国・北宋) とその模造銭2枚 である。 中世の日本では、慢性的な不足を背景に、 このような粗悪な銭貨が精銭とともに流通したが、 取り引きの場で受け取りが拒まれる
(このような銭貨のえり好みを 「撰銭」という) など、 混乱も生じていた。 |
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模造銭 |
どれが模造銭かわかるかな?
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開元通宝
大平通宝
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上は2枚の開元通宝 (中国唐) とその模造銭1枚、
下は1枚の太平通宝 (中国・北宋) とその模造銭2枚 である。 |
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6115
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室町幕府が定めたがめた銭貨利用のルール
室町幕府撰銭令(複製)
Erizenirei (Prohibition on Appraising Coins by Quality ar Condition) (Repilica)
The Law on Coin Usage Enacted by the Muromachi Bakufu
永正9年(1512)
原本 京都府立京都学・歴彩蔵(国宝 東寺百合文書)
取り引きの場で特定の銭貨を選別・忌避すること(撰銭)を規制する法令。 撰銭が社会問題となっ 15世紀末以降、幕府や守護はたびたび禁令を発布した。
本品は、 東寺に伝わった法令の写し 細かすぎる規定 (忌避されていた明銭を一定の割合で使用する、精巧な国産造銭は精銭として用いる) や、 違反者への厳しい罰則
(男性は死刑、女性は指を切る) など、 この法令がどの程度まで厳密に運用された のかは定かではないが、 撰銭への対策を必要とし た幕府の試行錯誤の様子がうかがえる。 |
室町幕府が定めたがめた銭貨利用のルール |
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室町幕府撰銭令(複製)
 定 撰銭事 |
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定 撰銭事
一、百文の内、口さしの分、ふるせに十六文、洪武二文、宣徳二文、
永楽六文、巳上廿文なり、
一、地せにの内、よき永楽五文 大観、嘉定以下うらに
文字あるせに、よき銭の内たるへし、
一、少分つゝもこれをおふて用へし、
一、日本せに、われせにをのぞく、但少かけたるハ、
よき銭の内たるへし、
一、口さしの程、うり物をかふちきになす事あらハ、
罪科同左、(幕府担当者(松田英致〉 の裏判)
右条々、堅被定置訖、若有違犯之輩者、
男ハ頭をきり、女ハゆひをきらるべきなり、
恣ゑり又ゑらする輩あらハ、町人として注進
せしむべし、見かくさハ同罪たるへし、私けんたん、
同為町人可致注進之由、所被仰下也、仍下知如件、
永正九年八月卅日
対馬守平朝臣
散位神宿禰
近江守三善朝臣
美濃守藤原朝臣 |
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定 撰銭事 |
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撰令の徹底を命じる
室町幕府奉行人連署奉書 (複製)
Document Signed by the Magistrates of the
Muromachi Shogunate (Replica)
Ordering Compliance with the Law on Coin Usage
永正10年(1513)
原本 : 京都府立京都学・歴彩館蔵 (国宝 東寺百合文書)
東寺に対して右の撰銭令の徹底を命じた文書。
室町幕府将軍の意を伝える体裁で、 東寺の事務責任者に宛てて幕府奉行人 (幕府の文官) 4人の連名で発信する。 1枚の紙を横半分に折って使う、略式の文書である
(折紙という)。
内容をみると、権力者の身内をかたって撰銭令を守らない人物が問題になっていたようで、 東寺に対し当該者の報告も求めている。
東寺百合文書は、京都の東寺に伝来したおよそ2万5千点の古文書群であり、国宝に指定されている。 |
室町幕府奉行人連署奉書 |
室町幕府奉行人連署奉書
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撰钱事、被定置御
法之処、背御下知、恣
撰之条、重堅被仰付
訖、所詮猶不承引之
輩者、任高札之旨、可被
処罪科、或仮権門之
号、或称勢家之被官、
有及異儀之子細者、為
在所中可注申交名、若
見隱者、可為同罪之段、可
被加下知之由、被仰出候也、仍
執達如件、
永正十
九月三日
英致(花押)
長俊(花押)
貞運(花押)
基雄(花押)
東寺雜掌 |
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6121
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京のまち 移り変わり 鎌倉期/ 室町期
Changes in the city of Kyoto
Kamakura period / Muromachi period |
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平安時代後期以降の京都は、郊外へ と都市域を拡大させてゆく。 鴨川の東 の白河地域、 洛南の鳥羽地域では、院 政を主導した権力の象徴として、大規 模な都市造営がなされる。 平氏が拠点
ろくはら
とした六波羅の地も、平氏政権の確立 に伴って都市的な発展を遂げる。 その 一方で、 朱雀大路の西側では大規模な 邸宅が姿を消し、空き地や耕作地が目 立つようになってゆく。
鎌倉の地に武家政権が成立した後も、 京都は朝廷や有力寺社の本拠地であり 続けた。 鎌倉幕府も、平氏の去った六波
たんだいふ
羅に探題府 (出先機関) を置き、 京都支 配の拠点として利用する。 室町幕府が 成立したのちには、 武家勢力の在京が 進み、 商工業の発展ともあいまって、京 都は再び首都としての繁栄を取り戻す。 |
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鎌倉期
本図は、13世紀半ばごろを想定した京都とその周辺図である。 平安時代後期より洛外へと拡
大した京都の都市域は、基本的には鎌倉期でも維持される。 平氏の拠点であった六波羅には、 鎌倉幕府関係者による集住が始まり、 また、禅宗 臨済禅)の導入にともなって、 洛東には禅宗寺 院の建立が相次いだ。 その一方で、 洛中の大内裏は御所としての機能を喪失してゆき、天皇や 院は閑院内裏や所縁の邸宅に居住するようになる。
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七条町の繁栄
七条町は、七条大路 (現在の七条通) と 町小路 (現在の新町通) との交差点を中心 とする地域である。鎌倉時代の京都を 代表する商工業空間であり、富裕な商 人が集住していた。このあたりの発掘 調査では、大量に埋蔵された銅銭や中 国製の磁器、 豪華な金工品の鋳型など が出土しており、地域の繁栄を物語る。 |
七条町の繁栄 |
刀の装飾部分の鋳型と
中国製の青磁
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現在の京都での位置 |
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6122
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室町期
15世紀前半ごろを想定した京都の都市図である。 洛中では、天皇の居住する内裏が現在の京
都御所の位置におおむね定まり、室町幕府の拠点として室町殿などの将軍邸宅が築かれる。 洛 外には有力な寺社が立ち並び、今に続く景観が確立する。 この時期の京都を特徴づけるもの 高利貸しを営む土倉や、酒造に携わる酒屋の存在である。 彼らは都市京都の発展を背景に 莫大な利益を上げており、 そこから徴収された税は幕府の重要な財源となっていった。 |
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“花の御所” 室町殿
“花の御所”として知られる室町殿は、 三代将軍足利義満が室町小路沿いに築 いた将軍邸宅である。 度重なる荒廃を乗 リ越えて、 室町殿は、幕府の最重要拠点
として維持されることとなる。これを象 徴するかのように、「室町殿」という呼称 は、 足利将軍家の当主 (人物) を指すことばとしても定着した。 |
“花の御所” 室町殿 |
花の御所町殿
(国宝洛中洛外図屏風<上杉本・部分〉 米沢市上杉博物館蔵)
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現在の京都での位置 |
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6123
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藤原道長も住んだ寝殿造の代表例
貴族の住まい―東三条殿復元模型―
The Scale Model of Higashi Sanjo Mansion, a Representative Example of Shinden-zukuri
(Architectural style of court nobles' houses in the Heian period)
1/100サイズ 昭和40年 (1965) 制作
この模型は貴族の邸宅をあらわしたものである。敷地 内の北寄りに、 正殿である寝殿を設け、 対と呼ばれる周囲 の家屋と渡り廊下でつながる。 これらの建物に貴族とそ の子女らが生活していた。 寝殿の南側には庭が設けられ、 そのさらに南に池を配置する。
池は遊宴の場となり、優雅 な船遊びを貴族たちは楽しんだ。
この邸宅様式はいわゆる寝殿造として知られ、 東三条 殿はその代表例である。 平安時代に藤原氏の嫡流やその 親族である皇族が用いた邸宅で、 藤原良房にはじまり、
道長頼通に伝わった。 二条大路南・西洞院大路東の南北 2町 (1町は約120m四方) を占めた大邸宅である。 平安 時代の貴族の日記や年中行事絵巻をはじめ比較的豊富な資料が残り、江戸時代の裏松固禅や藤貞幹が考証を加え
た院宮及私第図などから、 その詳細がうかがえる。 本模型 は、これらの資料をもとに、 庭園史研究者の森蘊が監修
し、東京工業大学藤岡研究室が設計、京都科学が制作した。 |
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| 6125東三条殿復元模型
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6200室町時代
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Muromachi Period
14th century-
活力のある
都市への変貌
室町時代は、政治的・経済的に力を持った武家が、 文化の担い手として登場する時代であった。 この武家の文化は、京都に幕府が置かれたことによって
公家や寺社の文化と融合し、さらに足利義満が日明 貿易を積極的に推進したこともあり、多くの唐物が 日本にもたらされた。 同時に市井には様々な職能をもったひとびとが暮らし、京都を活力のある都市
へと変化させていった。 大きな戦乱や飢饉がおそっ また時代ではあったが、この時代はさまざまな調和と 洗練を経て、今の日本に続く伝統文化を生み出して
いった。
During the Muromachi Period, a new Bakufu was established in Kyoto, restoring
the city's role as the political capital. Chinese culture was actively
embraced, and people with various occupations lived in Kyoto, transforming
the city into a vibrant urban center.
室町時代、京都に幕府が築かれ、政治の中心地としての役割が回復しました。中国文化が積極的に取り入れられ、様々な職業の人々が京都に住み、活気ある都市へと変貌を遂げました。
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6201職人図鑑
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6210職人のすがた
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この模型は室町時代後期から江戸時 代にかけての京都の町中をイメージし て作られたもの。 平安時代の終わりか ら鎌倉時代にかけて (12-3世紀)、職
人 (道々の輩)が市街で商業活動を行 うようになっていった。 都市である京 都にはたくさんの職人が定住し、高い 技術で様々な品物を作り出すように
なった。 この模型はその様子を表現し ている。 俗人、僧侶、 男、女、大人、 子供、 あらゆる人々が見られるところに注目 である。 |
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傘張
Umbrella Craftsman
6世紀頃に中国から日本に伝えられた傘は、 は じめ長柄傘として儀式や外出の際、 貴人の頭上 に家来が差しかけて、 権威を示すために使われ た。 それが日よけ、 雨よけのためにも段々と利 用するようになり、町中でも傘を張る職人が定 住した。
大原女
Peddler Woman
洛北 大原 (京都市左京区) から炭や薪、 柴など を頭に乗せて京中へ売りに来る女性商人。 大原 女が扱う薪はカマで蒸し焼きにした黒木と呼ば れる種類のもので、火持ちがよく高級なもので あった。 |
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糸屋
Thread Merchant
糸商とも。 絹や木綿の糸を生産し販売する店。
とはいえ、室町時代では小売はめずらしく、 もっ
ぱら帯屋や織屋へ直接売り込む卸売が多かった と考えられている。 模型の奥の棚では多様な色 の糸とともに組紐も置かれており、 この店棚が 比較的多くの商品を扱う店であったことを示し
ている。
皮革師
Leather Craftsman
動物の皮を剥いで乾かし鞣すことで得られる皮革はとくに武器や武具に多く利用された。 い まだ戦乱が続き、 町人も武装していた鎌倉時代 や室町時代においては、皮革は欠かすことので
きない素材であった。 室内の向かって左側に筒 状の道具が見られるが、これは 「いぶし胴」 と呼ばれるもので燻煙鞣しを行う際に活用するもの。 |
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纐纈師
Tie-dye Craftsman
纐纈とは絞り染めのこと。 模型では織布を糸 でしぼり桶につけおり、またその奥では女性が 出来栄えを確かめるように小袖を肩いっぱいに 広げている。 絞り染めは古くから活用されてき た技法であり、 作例は東大寺正倉院にも残る。
結桶師
Bucket Craftsman
木製や竹製の円筒形容器が桶。 室町時代に なって細長い板を円筒形に並べて、 箍で締め、 底 板をつけた構造になった。 この桶の生産と販売、 それから修理までをおこなっていたのが結桶師 である。 さまざまな用途でもちいられた桶は人
びとの生活必需品であり、 結桶師も都市生活に は必須の職人であった。 |
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蒔絵師
Makie Artist
漆と金銀および金具などを用いて器物に絵模 様を表す工芸を蒔絵と呼ぶ。 平蒔絵、高蒔絵、研出蒔絵の3種に大別され、 また地には平目地、 梨地、 沃懸地などがある。 模型では、 角盥、 耳盥な どが手前に見え、 絵付けをする職人や製品を磨 く職人が見て取れる。
油売 Oil Seller
天秤棒に丸桶を掛け、 柄杓と打ちわらを持つ男性が油売。 点灯用の種油を売り歩くことを生業としていた。室町時代頃の油はもっぱらエゴ マ油であり、石清水八幡宮に所属する大山崎油
神人が大きな権限を持っていた。 エゴマから取 れる油は、粘性が高く、 容器へ注ぐのに時間がか かった。 時間を無駄にするという慣用句 「油を
売る」の語源である。 |
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機織師
Weaver
部屋中央に据えられているのが高機、手前には糸繰り機がみえる。 高機は5~6世紀頃に中国 から日本に伝わり、 もっぱら朝廷の管轄下にお かれた。 朝廷で用いられる装束を作るには長尺・ 広幅な布が必要であり、大型の高機でなくては 織れなかった。 そのため専門の職能集団である 織手たちが設定され、古代から一貫して朝廷で 着用する装束を調進した。
扇師
Fan Maker
団扇と扇子を販売する店棚の一場面。 とくに 扇は平安時代に日本で開発され定着していった もの。 正装の際の必需品ともなり、 大きな需要 がうまれ、身分に応じて数々の扇を使い分ける 習慣も生まれた。 扇面のデザインは工夫がこら され様々な絵画や書がほどこされ、贈答や神仏 への奉納にも利用された。 |
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一服一銭
Street Tea Vendor お茶一服を一銭の値段で提供する商人。 人が
多くあつまるところに出向き、担い茶具で立売 リをするのが通例であった。 もともと薬として 飲まれていたお茶は公家や武家に広がり、やが て闘茶や茶の湯へと展開した。 その一方で、 京 都の町人たちも茶に親しみ愛好するようになる。
一服一銭の登場はそのような民衆の茶のあり方 をよく示している事象といえる。
檜物師
Hinoki Craftsman
曲物を作る職人が檜物師。 檜や杉などの薄板
をまるめて曲げて、底をとりつけ、合わせ目には 桜や樺の皮をとりつけた。 室内にはそのほかに
も三宝や折敷などもみえ、 薄板加工品の総合商 社のように考えることができる。 制作の仕草と して、 薄板を口で加えて曲げる様子がみられる のは、とてもユーモラスであり注目ポイント。 |
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縫取師
Seamstress
布の上に、様々な模様や文字などを色糸で縫 い出すことを縫取と呼ぶ。 ここは縫取師の工房 である。 頬杖をつく男の奥には作業空間がひろ がり、
枠にしっかり固定された布に対して複数人で刺繍を施している様子がうかがえる。 さら にその奥には小袖が掛けられ、 見事な紅葉模様 がみてとれる。
大工
Carpenter
屋根を瓦で葺くスタイルが一般化する前は、
檜や杉の皮や板を利用して屋根を葺いていた。 模型では屋根の葺き替えの最中で、屋根の上に 3人、ハシゴを登ろうとする人が1人、 地面には 2人の姿が見て取れる。 この後、 たてかけてある 竹で格子を組み、 そこに屋根が飛ばないよう石 を置くこととなる。 ちなみに葺きかえ作業中も、 建物の中では下駄作りが行われている。 |
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筆結
Making Brushes
駒型の掛け看板には筆の絵が描かれており、 一眼で筆を作る工房であることがわかる。 日本 では5世紀頃に中国や朝鮮半島から伝えられた と考えられている。
書画をするには筆は必須の 道具であり、 それゆえ需要は高く町中にも店棚 があった。 店前には狸とおもわれる獣皮を叩い ている人物がいる。 これは筆に用いる体毛を取
得するための作業。
鎧師
Armorer
鎧一式を組み上げる鎧屋の風景。 手前左では籠手を磨いており、 その隣は面頬に筆で彩色を 施している。 後方では、 綴を整えるもの、 胴丸の 背部に総角結びを施すものがみえる。 いくつも の種類の革や金具や紐で構成される甲冑は、総 合的な工芸技術の結集で出来上がっており、 そ れを組みあげる職人には、多様な工芸に通じた 知識とハイレベルな技術が求められた。 |
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6220ジオラマ
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傘張,大原女,糸屋 |
皮革師,纐纈師
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蒔絵師,結桶師
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結桶師,油売り,機織師 |
扇師,檜物師,一服一銭
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一服一銭,縫取師,大工 |
大工,筆結,鎧師 |
筆結,鎧師 |
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6230京のまち移り変わり 戦国/江戸時代初頭
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室町時代では、名実ともに首都とし ての繁栄をきわめた京都であったが、 10年に及んだ応仁 文明の乱の影響は 大きく、乱後の京都は大きく変貌を遂
げる。上京と下京に縮小した市街地は 堀や塀で囲まれ、 その内部には防御施 設が設けられた。 室町幕府を運営した 守護らは自身の領土へと下り、戦乱を
避けて地方へ赴く公家も現れはじめた。
織田信長が本能寺の変で倒れたのち、 豊臣秀吉は、 天下統一に前後して京都の町に大改造を施す。 秀吉は、 聚楽第や御土居を造営するなど京都の都市構 造を一新し、ここに現在へと続く町割 の素形が完成したのである。 そして、 江戸期に至っても、朝廷や大寺社が所 在する京都は、江戸や大坂とともに日 本の中心地の一つであり続けた。 |
京のまち移り変わり |
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6231戦国時代
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戦国期
16世紀前半ごろの概念図である。応仁・文明の乱や天文法華の乱によって大打撃を受けた京 都は、その都市域を縮小させる。
市街地は上京と下京に分かれ、それぞれに惣構と呼ばれる堀や塀で厳重に囲われた。このふたつの惣構は室町通で結ばれており、通りを外れると耕作地が広がっていた。 惣構の中では、 共同体としての町が成立し、独自の自治を展開する。
町の構成員である町衆らの帰依を得て、 法華宗寺院が京都に拡大した様子もうかがえる。 |
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町衆の自衛
―三条御倉町文書より―
戦国期の京都に成立した町は、通りを挟んで向かい合う地域からなる共同体である。 三条御倉町は、下京惣構の町のひとつであり、三条通を挟んで烏丸通から室町通までを町域とする。
この文書は、三条御倉町を対象に、 軍勢による狼藉行為を禁じたもの。 共同体としての三条御倉町が、 武家の有力者である三好政生と交渉を持ち、 町域の保護を認めさせたことが分かる。 |
町衆の自衛
三条御倉町宛の三好政生書状 |
現在の京都での位置
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6233江戸時代初期
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江戸初期
17世紀前半ごろの都市図である。 戦国期に縮小した京都は、豊臣秀吉による都市改造を経て、近世都市として生まれ変わる。
秀吉は、 聚楽第を造営、 御土居を築いて京都を囲い、町中では短冊形の地割を行った。
江戸期に入ると、幕府の拠点として二条城が築かれ、市街地には諸藩の京屋敷が置かれた。 都市域は京都の南方にも拡大し、本願寺の寺内町が形成されてゆく。
朝廷が所在し幕府の直轄地であった京都は、文化的・経済的な中心であり続けたのである。 |
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近世京都を形づくった御土居
天正19年(1591)、豊臣秀吉は京都を 取り囲む土塁と堀を築く。 のちに 「御土居」と呼ばれるこの防塁は、総延長 22.5km、堀底からの高さは約5mという巨大なものであった。
江戸期に入ると、御土居は幕府によって維持・管理され、人々の間では、洛中洛外を隔てる 境界としても認識されるようになる。 |
江戸初期 |
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近世京都を形づくった御土居
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現在の京都での位置 |
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6240屏風絵
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夏の宵に繰り広げられる鴨川原での遊興の数々を詳細に描く
鴨川納涼図屏風
Folding Screen Painting Depicting a Summer Evening around the Kamo River
江戸時代 19世紀
屏風の中央に鴨川を配置し、 その河原で人びとがさま ざまに過ごす様子を活写した屏風絵。 左右の両隻を接続 するとまるで絵巻物のように横長の画面となる。
左隻の 左 (五・六扇) 三条大橋を描き、 右隻の五 六扇には四
条橋が描かれている。 川原には反魂丹や綾織とよばれる
大道芸の風景や、うどんや心太などの料理屋が描かれる。 また、瓜売や瓜を食べる人びとが多く描かれていること も特徴的で、 夕涼みの名物としての瓜の存在を印象づけ ている
冷房も扇風機もない時代、 過酷な夏を乗り切る上で鴨 川を吹く風にあたり、 川水に足を浸すことが人びとの大 きな喜びであった。 人びとが涼を求めて楽しんだ様子を
一双の屏風に描き込んだものが本屏風なのである。 |
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6250屏風絵詳細
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踊り
裾をはしょって手拍子をしながら男女が踊ります。
鴨川の夜の楽しみは尽きません。
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瓜を切る人
振売の人、瓜を切る人、瓜の皮を剥く人が描かれます。 |
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瓜と花火
器に盛った瓜。川の流れを利用して
冷やす瓜には花火を立てて楽しみます。
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見立て遊び
獅子頭のように見えるのは、御を二枚 重ねたもので、教に見えるのは角だらい。 箸で拍子を叩いています。 |
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心太
歌い、涼しい油で食べるのはところてん。
納涼の風物詩です。 |
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四条仮橋の行き交う人々
四条仮橋をわたり大規模な劇場街をとおって祇園社へ。 |
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6400江戸時代
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Edo Period
17th century-
花ひらく京都文化
江戸時代の京都は、江戸 大坂とともに三都と称 され、幕府直轄の大都市として全国市場の中心的存 在であった。 とりわけ京都は、町人・公家 寺社が 共存する伝統都市として大きな意味をもった。 伝統 に裏付けされた技術力をもつ京都の諸産業は、手工 業者によって担われており、彼らの手で作り出され た数々の製品は全国で人気を博した。 また都市の 住民は町や町組と呼ばれる地域共同体を基礎とし、 独自に規律を定めて安定した生活を目指した。
During the Edo Period, Kyoto was one of the three major cities in Japan,
and it held a prominent position as a city of tradition where townspeople,
Kuge (noble families), temples, and shrines coexisted. The industries in
Kyoto were built on traditional craftsmanship and supported by artisans.
The products they created gained great popularity across the country, and
they formed local communities to live and work together.
江戸時代、京都は日本三大都市の一つとして、町人、公家、寺社が共存する伝統都市として重要な地位を占めていました。京都の産業は伝統的な職人技によって築かれ、職人によって支えられていました。彼らが生み出した製品は全国的に人気を博し、共に暮らし、共に働く地域社会を形成していました。 |
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6410鏡をつくる町
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鏡を作る町
阪東屋町は中京区東洞院錦小路下ルに所在 する。14世紀には祇園社に所属する材木座 商人が住み、 また17世紀には長崎糸割符商人、 19世紀になると装飾料紙の生産・販売を 行う富裕商人も居住した。
発掘調査によっても大量の銅鏡生産関係遺 物が出土し、 阪東屋町が時代を通じて多様な 都市民が居住する繁華な市街地であったこと がわかる。 |
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6413
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町中で発掘された鏡づくりの跡
鏡師工房関係遺物
Relics from the Mirror Master's Workshop
江戸時代 17世紀
出土地 : 阪東屋町
金属製品は京都の名産品として広く流通した。 ここに展示した遺物は東洞院錦下ル阪東屋町で検 出された鋳造工房跡から出土したもの。 鋳型など の遺物から鏡師の工房であったと考えられる。 各 種の大きさの鏡の鋳型や坩堝やフイゴの羽口など の用具類は、江戸時代の鏡師の覚書とも対応し鋳 造作業の実態を示す好資料であるといえる。
工房内の土坑から茶陶が出土したことも注目に 値する。 これは、 鋳造生産を担う鏡師が利用した 茶道具である可能性が高く、彼らの生活を復元的 に考える上でも重要な資料となるものである。 |
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鏡師工房関係遺物
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鏡師工房関係遺物
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銅鏡の作り方 |
柄鏡の鋳型 |
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6414鏡
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菊花桐文散柄鏡
江戸時代 17世紀
桔梗花文柄鏡
江戸時代 17世紀
梅樹柄鏡
江戸時代 17世紀
銘天下一 |
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梅樹柄鏡
江戸時代 17世紀
鉻天下一
梅樹柄鏡
江戸時代 17世紀
銘天下一竹
花文枝垂桜千鳥柄鏡
江戸時代 18世纪
美天下一蘋果光报 |
扇面柄鏡
江戸時代 18世纪
桐文散柄鏡
江戸時代 18世紀
銘 天下一五十弧石見守 |
蓬莱柄鏡
江戸時代 19世紀
銘 西村豊後○○‥
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6415
柄鏡の鋳型
円鏡野鋳型
柄鏡の鋳型
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柄鏡の鋳型
砥石
香炉
皿
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香炉
皿
向付
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向付
茶碗
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6430町人の暮らし
町人の暮らし |
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江戸時代の京都では、都市の基礎単位である町において、 その運営に関する多種多様な文書が作成された。 それらの文 書は本来の機能が失われてもなお、
町の 格式と伝統を示すための材料となり、 多くは会所と呼ばれる施設で長く保存されることとなった。 残された大量の文書は、 江戸時代の人びとの姿を復元していく上
で格好の史料となる。 |
住民把握の基本台帳
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住民把握の基本台帳
宗門人別改帳
Shumon Ninbetsu Aratamecho
(Town Register of Names and Temple Affiliation)
Basic Ledger for Resident Registration
延享元年(1744)9月
宗門改 (信仰の調査) と人別改 (住民調査)を行 いその結果をまとめあげた書物。
江戸時代にはいるとすぐに行われるようになる が、本史料は御倉町 (三条室町) に伝わったもので、 住人を家持と借家に分け、 その家族や従業員をか き上げ、それぞれの旦那寺 (自身の身分を保証する 寺院)を記述した。 この提出によってキリシタン ではないことが証明された。
人口に関する情報が詳細に記載されており、 町 の住民構成や住民の階層性を探る上で格好の資料 であるといえる。 |
御条目
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京都住民が守るべき規範を書写して共有した書物
御条目
Gojomoku(Concerning the Rules in Town)
A Hand-Copied Book of Rules to be Shared and Observed by Kyoto Residents
明暦元年(1655)11月26日
京都所司代の牧野親成が定めた9ヶ条を写した もの。 定められた法令を遵守すること、 毎月2日 にはしっかりと町の会議を持ち運営について話し 合うこと、 遺産相続を万全に行うこと、 遺言をしっ かり準備しておくこと、 文書を偽造しないこと、 博打など行わないこと、 京都の町々に勝手に遊女 を隠し置かないこと、 親類や家族に迷惑をかける ため悪事を働かないこと、 町の皆の被害になるた め火にはくれぐれも気をつけること、 などが示さ れている。
これらの各条は共同体を維持しつつ安全に生活 する上の条目といえる。 |
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御条目 [翻刻]
一二日触之事
右毎月二日宿老町中共二無緩怠 寄合を仕諸事吟味致へし、但所 定置之書出在之儀者町中一同ニテ 守其法、面々私二異儀申族、政道之妨、 町中之難儀、禁すんは有へからす、且 又寄合二事をよせ遊宴に長し
当分之要用を相妨、剰後日之 申事出来族自由之至也、自今以後
自余之沙汰を不相交一切可守法 令之旨者也 |
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御条目 [大意]
一、二日触之事
右毎月二日、宿老と町中は寄合を催 し諸事吟味致すように。但し定置く 書出があれば町中一同がその法を守 り、それぞれの勝手を言う人々は、 政道の妨であり、町中之難儀であ り、これを禁止する。また寄合と称 して遊宴をしきりにおこない、必要 な経費を消費し、後日に問題をおこ そうとする者たちは身勝手である。 今後は余計なことをせず、すべての 法令をまもるようにせよ。 |
当町年寄役二付町儀控
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町の代表者による町の記録
当町年寄役二付町儀控
Record of Town Affairs Compiled by the Town Leader
Town Records Written by the Town Leader
宝暦9年(1759)
裏書に「宝暦九卯年三月同十一年巳正月廿七 日迄当町年寄役相勤候間之覚書」 とある通り、御 倉町での事件や町内運営に関する事柄を書き留め た記録。
わずか数年に及ぶ記録であるが、 町内でおこった 事象を極めて丹念にひろっており、 江戸時代におけ る町の実態を考える上でも重要な資料である。 本記 録を作成したのは千切屋六代の惣左衛門 (千總)。 千總当主は、年寄役などの町政運営役を担うこ とが多かった。 千總のような大店は、立地する地 域にとって、経済基盤として、あるいはその町の 矜持として重要な役割を担っていた。 |
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当年寄役二付町儀控[翻刻]
一、六日、綾小路室町西入ル町
大原社神主都倉佐渡殿
入来鼡除御札廿封町内へ
相納メ呉候様頼被帰候
御初尾十二銅内御持次第
右用人二申付町中へ相廻シ
五枚町内へ被請、残り之御札 戻し申候、
町中セニ六拾四文集り、残ル所
町たし百文二致遣申候
十四日取ニ来ル、相渡ス
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当年寄役二付町儀控 [大意]
一、六日、綾小路室町西入ル町の 大原社の神主・都倉佐渡殿が来訪。 ネズミ除御札二十封を町内へ納めて くれるよう頼んで帰って行った。
「御初尾十二銅のうち払えるだけ」 と右用人にいい、町中へ回覧。 五枚 を町内が必要とし、残りの御札は戻 した。町中からは六十四文が集ま り、残りは町から足し百文ニして支 払った。
十四日に取りに来るので、渡すこと とする。 |
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禁中年中行事
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民衆によって支えられた朝廷儀礼
禁中年中行事
Kinchu Nenchu Gyouji
(Annual Events at the Imperial Palace)
The Imperial Court Ceremonies Supported by the Public
享保12年(1727)
原本 正徳6年(1716)
朝廷で行われた年間の行事を一覧しその概要と 担当役者を書き上げた書物。 本史料が書写された 年代は、公武関係が安定していた正徳・享保期。 こ の時代の朝廷では制度の見直しや文書記録の整備 が進み、後世に規範とされるような体制が構築さ れた時代であった。 重要なのは担当役者の中に京 都を拠点として活動する職能民がみえること。 たと えば正月の期間、 「御朝物」 として天皇に供される 餅を提供するのは、 餅 粽を生産し富商となった川 端道喜であり、 彼岸行事である御鏡清を担当する のは鏡師の青氏であった。 |
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6500明治時代
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After the Meiji period
1868-
近代京都への道
蛤御門の変と京都の大火、鳥羽伏見の戦い、戊辰 戦争など幕末の京都は大きな戦火に見舞われた。
明治時代にいたると、 天皇は京都から東京に行幸 し、かつ政府機関も東京に移設されたことで政治の中心は東京となった。
しかし一方で、衰退の危機に 直面した京都では、住民自らが主導して番組小学校 を建て、そのほか琵琶湖疏水事業、平安遷都千百年 記念事業などを積極的に企画した。
これらの取り組みは、京都を歴史遺産のみが残る 伝統都市として終わらせるのではなく、活力をもっ た近代都市として再生することを目的としていた。
Due to the destruction caused by the wars at the end of the Edo Period, much of Kyoto was burned to the ground. During the Meiji Period, as the emperor moved to Tokyo and the government relocated there, Kyoto faced the threat of decline. However, local residents took the initiative to build elementary schools, develop the water transportation system, and organize commemorative projects to honor Kyoto's history, working together with both the government and private sectors to regenerate Kyoto as a vibrant modern city.
幕末の戦火によって京都は多くの地域が焼け野原となりました。明治時代に入ると、天皇の東京遷都と政府の東京移転により、京都は衰退の危機に直面しました。しかし、地域住民は自ら小学校の建設、水運の整備、京都の歴史を偲ぶ記念事業などに取り組むなど、官民一体となって、活気あふれる近代都市京都の復興に尽力しました。 |
明治時代以降 |
近代京都への道 |
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6510
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京都舎密局と明石博高
Kyoto SEIMI-KYOKU and Akashi Hiroakira
明治維新の変革は日本の都市に大きな変革をもたらした。 特に天皇を 擁し古くから伝統的都市として権威を保ちつづけていた京都にとってそ の衝撃は大きかった。 新政府が各種の産業にわたって官業をおこし欧米 の新しい技術の導入に努めるなかで、 京都では他の地方にさきがけて勧 業政策が積極的に進められた。
明治3年(1870)12月、 京都舎密局の仮局が河原町二条下ル勧業場内に 開設される。 明治2年4月開設の大阪舎密局で学んだ明石博高が京都府 へ強く働きかけたことで実現した。 「舎密」とは宇田川榕菴の著書『舎密開 宗』 に由来し、 オランダ語のchemie つまり化学の意味である。
明治6年(1873)8月には夷川土手町の元京極宮別邸跡に建物を新築し て本局とし、規模を拡大してこれらの技術を学ぶ受講生も募集した。 各 地から集まった受講生は5年間で3千人を超えた。 明治11年(1878)3月 にはアーレンス商会の紹介で、ドイツ化学者ゴットフリート・ワグネル が来京し、ここで陶磁器、 七宝、ガラス、 石鹸、 漂白粉、 石鹸、 石版術 、 染織、 写真術などの改良に貢献した。
京都舎密局は、 明治3年に京都府官吏となった明石博高のほか、 京都府 知事・槇村正直、 京都府顧問 山本覚馬の三人の尽力によるところが大きい。
特に槇村は明治元年に京都府に出仕して以来、強力な指導力で勧 業殖産の施策を推進した。 京都舎密局は維新早々の混乱期において京都 府独自の近代化施策の中心的施設として重要な役割を果たした。 |
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明治初期の勧業施策の中心施設
京都舎密局門標
Name Board of Kyoto SEIMI-KYOKU
明治3年(1870)
京都舎密局は明治初期の勧業施設の中核をなす もので、 京都の工業発展のため、その基礎となる理 化学の研究と普及を目的としたもの。 門標の裏面 に 「明石医療所」 とあるように、薬学・化学に通じ た明石博高 (1839-1910) が、 明治3年(1870) に京 都府に開設を建議。 同年12月22日に河原町二条 下ル勧業場内に開局した。 ここにおいて陶磁器、 七宝、 ガラス、 漂白粉、 石鹸、 石版術、 染織、 写真術 などの研究が進められ、 またラムネや麦酒醸造の 試みなどもおこなわれた。 |
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京都舎密局と明石博高 |
京都舎密局門標 |
京都舎密局門標 |
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京都舎密局
Kyoto SEIMI-KYOKU
明治6年(1873) 8月に新築された京都舎密局。 場所は夷川土手町の元京極宮 別邸跡。
明治14年(1881)、 槇村正直が知事を辞して京都を去り、 北垣国道に代わると 京都舎密局は民間払い下げとなる。 ワグネルも東京へ戻った。 この事業に心血を 注いできた明石博高は京都府を辞し、 私費を投じてこの事業経営の存続に努める。 しかし経営不振は続き、 明治22年(1889) には閉鎖となった。 |
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京の近代科学産業の先駆者
明石博高肖像画
Portrait of Akashi Hiroakira
/Meiji era (19th century)
明治時代 19世紀
明石博高は幕末の天保10年(1839) 四条堀川西 入唐津屋町に生まれ、 蘭学医の外祖父の影響で、医 学・薬学を学ぶ。 明治2年(1869)に大阪で開設さ れた舎密局でハラタマらにも学び、 京都にも勧業政 策を進めるために京都舎密局の開設に尽力した
明石は京都府官吏として京都府知事・槇村正直 とともに京都博覧会の開催・運営にも尽力しその 審査もつとめている。 明石は他にも病気療養に効 くとして東山に吉水温泉も開くなど、 明治前期の京 都の産業活性化において重要な役割を果たした。 |
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6521
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剛腕で明治初期の産業振興に尽す
書額 「萬物化成」
村正直筆、明石博高賛
Calligraphy BANBUTSU KASEI
Makimura Masanao, Akashi Hiroakira/Early Meiji era (19th century)
明治時代 19世紀
「萬物化成」とは、すべてのものは化合して別の物質になる、との例えから、すべては徳化して成長 を遂げるの意。
槇村正直 (1834-96)は明治4年から14年までの 10年間に京都府大参事、 権知事、 知事となって舎密局をはじめ、 授産所・養蚕所・製靴所などの設立・ 運営に尽力して産業の振興を計った。 槇村は博覧会が京都の観光や産業の振興に不可欠としてその 開催にも尽力し、第一回京都博覧会の際には 「みやこおどり」を創始して現在に至る。この書額は明石家旧蔵であり、書の両側には明石博高の賛があり、 槇村と明石の親密な関係が推察される。 |
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まるやま きっずい
東山の丸山吉水温泉
Maruyama Kissui Spring in Higashiyama
(森寛斎「京都新名所四季図屏風」 右隻の部分より)
明石博高が円山公園内に開いた人工の鉱泉風呂。明石は慶応元年(1865)には 京都医学研究会をつくり、 有馬温泉等の成分分析を試みるなど、温泉の効用を科 学的に明らかにしようとした。 この円山吉水温泉は明治6年(1873) に楼閣が建 てられ人気を博した。本図には多くの人々の集う姿が描かれており、楼閣から望 遠鏡で市中を眺める人々もみられる。 現代でいう健康リゾート施設である。 しか し明治39年(1906) の火災で隣接の他阿弥ホテルとともに焼失し、その後は再建 されなかった。 |
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舎密局制作の稀有な七宝作品
鳳凰文七宝パネル
京都舍密局制作
Cloisonné Panel of Phoenix
Made in Kyoto SEIMI-KYOKU
明治12年(1879)
裏面には 「獨逸國皇孫殿下應御需博士窟弗涅見氏 好 於京都舍密局精造之卷」「明治十三年三月 明石 博高識」 とある。 明治12年(1879) 末にドイツ皇帝 ヴィルヘルム1世の孫・ハインリッヒが京都を訪れ た際、 明石博高が接待役を務めていた。 「窟弗涅見」 とは京都舎密局に当時招かれていたドイツ人化学 ゴットフリート・ワグネルのことで、この七宝の 制作にかかわっていたことがわかる。 楕円形の中 に花を咥えた鳳凰が羽を広げて急降下した構図。 銅板に銅の植線が使われ、青い地色の釉薬は明治初 期の様相を呈しており、 明治12年末までに京都舎 密局で作られたとわかる貴重な資料である。 七宝 は今後、日本の有力な輸出工芸品のひとつとして多 数制作されて世界中の人々を魅了していく。 |
矢立,ルーペ,顕微鏡
明石博高旧蔵
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懷中時計
Pocket Watches
明石博高旧蔵
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鳳凰文七宝パネル |
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6523
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京焼の近代
Modern Kyoto Pottery
京都の産業は、明治維新や東京遷都など時代の荒波に揉まれながらも、 海外市場へも積極的な姿勢をみせ、 強かに近代化への道を切り拓いていっ た。 国内需要の落ち込みを海外需要で補い新しい時代を乗り越えていった のである。政府も日本の国際的地位を高める殖産興業策の要として工芸品 生産を位置づけ、 万国博覧会の開催などで後押しした。
京都の陶磁器業界は、酸化コバルトや西洋顔料などの西洋素材の採用、 窯などの製陶技術を積極的に導入することで革新を遂げていった。 意匠に ついても当初は西洋好みの風俗画や花鳥画に傾倒していたが、やがて海外 からの厳しい評価から意匠改良が必要であることを認識し取り組むように なっていく。
明治29年 (1896)、 京都陶磁器試験所の設立によって、 輸出を見据えた 陶磁器生産の質的向上と人材育成がおこなわれるようになると、 従来の技 術に新しい製陶技術や釉薬研究、 意匠改良などがおこなわれていった。 独 自の技術やより器形に合った意匠で高く評価された三代清風与平のような 人物も活躍するところとなり、 明治24年(1891) の京都市美術学校には 絵画科とともに工芸図案科が設置されるなど、教育機関の整備も進んで いった。
しかし、 官展として同40年(1907) から始まった文部省美術展覧会で は、 「工芸」 が排除される逆風に見舞われ、 工芸関係者は大正2年 (1913) の農商務省展に出品するなどのほか、 昭和2年(1927) の帝展 工芸部門の設置に至るまでさまざまな努力を重ねていったのである。 |
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ゴットフリート・ワグネル (1831-92)
Gottfried Wagener
ドイツ・ハノーバーに生まれる。 明治元年(1868) 長崎で石鹸をつくるために 来日、同3年鍋島藩に招聘され、 酸化コバルトの稀釈法、 本窯、 石炭窯の試焼など おこなう。その後東京で大学の講師となり、 ウイーン万国博覧会には出品物の選 定などに携わる。 明治11年(1878)には京都府に招聘され、 京都舎密局で陶器、 瑠璃、染色などの工業に関する事業に関わった。 明治14年(1881)に京都舎密局 が民間委託された後に再び東京へ戻り、 東京大学で教授をするかたわら陶器の研 究試作を続け、 吾妻焼、のちに旭焼を完成させた。 |
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裏・幕府の御用窯を受けて
粟田焼の器
Awata ware
Edo era to Meiji era
江戸時代末~明治時代 19世紀
粟田の岩倉山や帯山などの有力窯元では、宮中 や徳川将軍家から器調進の拝命を受け、菊の御文 や三つ葉葵の御紋の器が作られていた。 こうした 器は貴人が食べ残されたときに、 宮中に使えた公 家や女官などが 「お下がり」として持ち帰った リ、遺品として伝えられたものである。 古くは土 器が用いられていたが、江戸時代の中期以降は磁 器や陶器へと代わり、 磁器は佐賀県の有田で、 陶 器は京都の粟田で作られていた。 こうした御用品 は、権威的位置付けを反映したものともいえる。 磁器には染付で菊の御紋に併せて他の文様が配さ れたりするが陶器には見られず、 呉須と銹絵によ リ表されている。 |
銹絵染付瓢形水次
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銹絵染付瓢形水次 |
器形に表れる京焼のこだわり
銹絵染付瓢形水次
岩倉山印
Gourd-shaped Ewer with Iwakurazan seal
by IWAKURAZAN
Edo era (19th century)
江戸時代 19世紀
粟田焼らしい卵手の素地に、 鉄釉と呉須で瓢箪 の葉模様を描いた瓢箪形の水次である。底部に は、帯山や錦光山と並ぶ粟田の有力窯元のひとつ 「岩倉山」の印が捺されている。 派手さはない が、器形の器体、 把手、 蓋の摘みなど細部へのこ だわりは、 京焼の美意識を反映している。 |
芦に千鳥文手塩皿 |
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芦に千鳥文手塩皿
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京焼 伝統の卵手の素地
芦に千鳥文手塩皿
御菩薩印
Small dishes with reed and plover design in
underglaze of iron brown and blue
Edo era (19th century)
江戸時代 19世紀
卵手の素地に銹絵染付で芦辺に飛ぶ千鳥を描い た手塩皿で、高台内に 「御菩薩」印がある。 簡略 化された千鳥や水の描き方には琳派風の趣きが 漂っているが、 1枚1枚手描きのため、 絵柄が異 なっている。 こうした手塩皿は実用品として量産 されていたと思われるが、 江戸時代末期の粟田産 のものに多々見受けられ、 呉須と銹絵による装飾 は、粟田焼の特徴的な技法であり、その洗練され た美意識を表現している。 |
色絵笙形掛花生
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色絵笙形掛花生
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典雅なる京焼の美意識
色絵笙形掛花生
長印
Sho shaped vase in overglaze enamels
Edo era (18th century)
江戸時代 18世紀
雅楽のを写した掛け花生で、裏面に「長」印 を持つ。 本来、 竹などの異素材でつくるものを、 やきもので表現しようとした江戸時代の京焼の特 徴のひとつを示す典型例といえる。量産ではなく 一品ものとして製作されていたことがうかがえる。 青や緑色を基調とし、 金 (さらに赤が加わることもあ る)を添えるのも京焼ならではの色彩で、 蒔絵を施 した頭、吸口や金具までが細かく再現された丁寧 で都らしい趣向の一品である。 |
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6530
 染付ブドー酒呑
染付草花模様肉皿
染付草花模様スープ |
染付草花模樣蓋付鉢
染付草花模様小水差
染付草花模樣台付盛皿
染付草花模様ソース鉢
染付紅茶碗
染付草花模樣皿
染付ブドー酒呑
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 染付草花模様砂糖入
染付草花模様蓋付鉢
染付草花模樣小水差
染付紅茶碗 |
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6540 |
6541
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京都市立陶磁器試験場
京都の陶業界の要望を受けて明治29年(1896)、 東山区東大路通五条上ル梅林町に設立された。 初代場長には藤江永孝があたり、 原料や釉薬、製法の研究・改良、 機械化などの指導をおこなった。
また、従来の登り窯ではなく、 石炭窯や洋式側炮式円窯(※情報なし)を築き 一般の利用に供し、 多くの業界人を育てあげた。
大正8年 (1919) に国に移管統合となり伏見へと移転し、 昭和27年(1952) には名古屋工業技術試験所と統合されている。 写真にはまだ幼さが残る表情で指導を受ける姿が写されている。 |
京都市立陶磁器試験場
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 絵付室 |

轆轤実習室
写真: 京都府立京都学・歴彩館 「京の記憶アーカイブ」より
(旧一号書庫写真資料) |
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6543輸出陶磁器の秀品を見る
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輸出陶磁器の秀品を見る
色絵金彩唐人図三足香炉
九代 带山 与兵衛
1856-19224
Tripod incense burner with three leg Chinese
figure design in overglazes and gold
by TAIZAN Yohei
Middle of Meiji era
明治時代中期 19世紀
帯山窯も粟田焼を代表する陶家のひとつで、明 治11年(1878) に八代与兵衛が没したため、五条坂 の三代清水六兵衛の次男が養子となり、 九代とし て家督を継いだ。 色絵金襴手のいわゆる京薩摩や 陶胎七宝など海外への輸出に積極的に取り組み、 万国博覧会など海外でも高く評価された。 しかし 輸出陶器は量産拡大を進める中で粗悪品が横行す るようになり、やがて輸出等の不振から、 同27年 (1894)には、 帯山窯は粟田での製陶を廃した。 獅 子を蓋の摘みとし、 胴の金彩窓枠に唐人物を配し た西欧人好みのデザインのひとつといえる。 |
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海外で人気の図柄とは・・・
色絵母子図三足香炉
七代 錦光山 宗兵衛
1868-1927
Tripod incense burner with three leg woman
figure design in overglazes and gold
by KINKOZAN Sohei VII
Middle of Meiji era
明治時代中期 19世紀
西洋人の好みを意識したデザインと、 金彩を用 いた絢爛豪華な色彩で明治期を中心に輸出用陶器 が盛んに作られた。 錦光山家は、 粟田焼を代表す る陶家で、 慶応年間より海外貿易に着手し、 薩摩 焼の作風から京薩摩の技法の開発に取り組んだ。 七代宗兵衛は、父、 六代宗兵衛の影響を大きく受 け、同17年 (1884) に家督を継いでいる。 初期は京 薩摩独特の装飾的なものを手がけていたが、輸出 の不振や同26年(1893) のシカゴコロンブス万国 博覧会での厳しい評価から、 意匠改良の必要性を 痛感し、 国内外へ出かけ研究を重ねていった。 本 作品は婦女子図を精緻に描いた秀品といえる。 |
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錦光山宗兵衛輸出陶器工場
粟田の伝統的陶家のひとつ。 錦光山家の初代鍵屋徳右衛門(1693~ 1770) は、 18世紀初頭の 『京都御役所向大概覚書』 に名前があり、
宝暦12年(1762) の 『京町鑑』 では錦光山の名を見ることができる。 宮中や徳川将軍家の御用を拝命し、 染付、 銹絵、 色絵陶による飲
食器などを手掛けていたが、 六代宗兵衛 (1823~1884) のときに輸 出を始めた。 京薩摩と呼ばれる色絵彩画法を開発し輸出用の花瓶 や装飾品などを生産していた。
輸出用陶器を手掛ける粟田のなか でも錦光山家は規模も大きく、 明治20年代には職工数205名、 轆 轤20台、 手轆轤50台、 素焼窯5基、
本焼窯3基、 錦窯20基を数えた。 明治12年(1883)刊の 『都の魁』 の挿絵からもそうした様子がうか がえる。 続く七代宗兵衛も明治~大正時代にかけて内外の博覧会
において活躍し、 輸出陶器の生産にとどまらず、 中沢岩太らの遊 陶園にも参加して意匠の改良に力を注いだ。 しかし、 第二次世界 大戦の頃に廃業にいたってしまう。 |
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京都陶磁器合資会社の登り窯
登り窯の前に輸出向けらしい花瓶が並んでいるこの写真は、 『京 焼百年の歩み』 で、 「 大正4年(1915) 京都粟田焼工場の一部(京 都陶磁器合資会社工場)」と紹介されている。 京都陶磁器合資 会社は、 粟田の陶業家である安田氏によって明治39年に創業さ れ、主にアメリカへの輸出向け粟田焼を生産していた。 会社は 三条通白川橋東六丁目を所在地とし、 支店を神戸に、 また窯を 五条坂にもっていた。 第二次大戦による統制、 整理によって同 社は廃業し、五条坂にあったこの窯は昭和18年(1943) に藤平 窯業有限会社が引き継ぎ、 現在は京都市が所有している。 粟田 焼を焼成していた窯が五条坂にあったわけであるが、かつて京 都市内にあった登り窯も昭和46年(1971) の公害防止条例の規 制により煙を上げることはなくなり、 五条坂には5基ほどが残 されているが、粟田には残念ながら残っていない。 |
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明治の焼物の図案集
京都陶器会社図案資料
Kyoto Ceramics Company Design Documents
1890年頃
同社は、大量生産による輸出向け製品をつくる 目的で、 明治20年(1887)、 田中源太郎らの発起に より紀伊郡深草村(現在の東山区福稲柿本町)に設立さ れた。 初代社長に山添直次郎、支配人丹羽圭介、 工場長佐藤友太郎があたり、総勢従業員は125名 を擁した。 資本金20万円、 フランス製の製造機械と 日本初の円窯を採用し、 洋式技術を導入した画期的 な工場として同22年(1889) に操業した。 しかし、 原料土や人件費のコスト高、 またアメリカが廉価 製品の生産を始めたことなどが要因となり経営不 振に陥り、2年後には規模を縮小、 内需向け生産へ と方向転換を図るが、 同32年には解散に至った。
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帝室技芸員
明治23年(1890) から昭和19年(1944) まで、皇室により 保護奨励を目的に定められた制度で優れた美術家、 工芸家 に栄誉と地位が与えたれた。この間に13回の選定がおこ なわれ、日本画、洋画をはじめ、彫刻、陶芸、蒔絵、染織、
刀剣、七宝、書などの分野から79名が任命された。
陶技の改良に尽くし、帝室技芸員へ
宝船置物
初代 伊東 陶山
1846~1920年
Treasure ship in overglaze and gold
by Ito Tozan I
大正4年(1915)
当初は円山派の絵を学んでいたが、 陶磁の道に 転じ、 五条坂の陶工亀屋旭亭に師事、その後は、 帯山奥兵衛など粟田と五条坂の陶家から指導を受 け、各地の窯場をまわり陶技を研究した。 慶応3 年(1867)、 「陶山」と号し、 粟田の白川畔に店を 開き、 洋風の食器や装飾陶器などを輸出してい た。 輸出拡大にともなって作られるようになった 粗悪品を危惧し、 その改良と振興に努め、 本焼色 絵釉の改良や宇治の朝日焼の復興、 京都市陶磁器 試験場の開設にも尽力した。 明治29年(1896)に京 都陶磁器組合頭取となり後身の育成に努め、同32 年(1899)には緑綬褒章を受け、 大正6年(1917)には 帝室技芸員となった。 |
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新しい時代を目指して、国家、胸技の改良に尽くす
青華磁牡丹唐花鳥文花瓶
三代 清風 与平
1801-1914年
Vase with design of peony and birds in underglaze blue by SEIHU Yohel III
明治33年(1900)
明治時代前期は、装飾的なやきものが西洋人に 好まれ輸出工芸品としてもてはやされたが、三代 清風与平はいち早く器形と意匠の調和に目を向け、近代陶芸の礎を築いていった。 飾りすぎず、 白い器肌に十分な余白をとって牡丹と鳥が表されたこの作品は、明治33年(1900) のパリ万国博 覧会へ出品された花瓶の兄弟作。陶磁技術の改 良発明に努め、洗練された作風は当時大いに賞 賛され、26年(1893)には陶芸界初の帝室技芸員に 選ばれた。 帝室技芸員とは、 明治23年(1890) から 昭和19年(1944) まで、皇室により保護奨励を目的 に定められた制度で、優れた美術家や工芸家に栄 醤と地位が与えられた。 |
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青華磁牡丹唐花鳥文花瓶
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青華磁牡丹唐花鳥文花瓶
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青華磁牡丹唐花鳥文花瓶
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文展から排除された工芸、 農展へ
大礼磁唐草文花瓶
五代 清水六兵衛
1875~1959年
Vase with arabesque pattern, Taireiji porcelain
by KIYOMIZU Rokubey V
大正4年(1915)
日本画家の幸野楳嶺門下となり、 明治21年 (1888)に京都府画学校に入学、 後に竹内栖鳳にも 絵の指導を受けた。 陶技は父、 四代六兵衛から学 び、 芸術としての作陶を志した。 京都市立陶磁器 試験場で釉薬の研究をするとともに、 明治36年 (1903) には中沢岩太、 浅井忠らの遊陶園、 明治40 年(1907) には神坂雪佳らの佳美会に参加してアー ル・ヌーボー風、 琳派風の意匠を学び新しい意匠 の創案に努めた。 文部省美術展では工芸分野が排 除されていたため、 大正2年(1913) に始まった農商務省展に出品し、
昭和2年からは帝展など官展 系を中心に活躍し、 京都陶芸界の近代化を先導し ていった。 |
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文明開化に咲いた京焼の洋食器
染付草花模様スープ/染付車花模様スープ鉢/染付ブドー酒呑 / 染付花小水差 染付草花模様ソース鉢 / 染付草花模様肉皿/染付草花模様付鉢/染付車花
染付紅茶碗/染付草花模様砂購入/染付草花模様台付盛皿
Foreign-style tableware from the civilization
and enlightenment period
明治12年(1789)
近代化とともに日本はさまざまなところで西洋の影響を受け、 京都の陶工たちもこれまでにない形やデザインの器や道具づくり に取り組むことになった。
洋食器の導入は、 新しい食文化の象徴 であり、日本の近代化と西洋化の具体的な表れともいえる。 白地 に草花模様を染付であしらったこれらの洋食器は、
第18代アメ リカ大統領のユリシーズ・シンプソン グラント (1822~1885) の訪日に際して明治12年(1879) に京都府によって整えられた
ものである。 グラント接遇準備に大きな力が注がれ、 清水五条 坂の陶工たち (幹山伝七、三代清水六兵衛、 四代高橋道八、 四代 和気亀亭 三代清風与平)
に発注された。 西洋の器形に染付で表 わされた草花模様が上品に調和し、独特の美しさを放つ。一見、 同じ模様に見えるが、 工房によって草花のデザインも異なり、
ま た量産ではなく一点一点手作りされていたため、 同一工房のもの でも微妙に絵付けや器の厚さが異なっている。 |
文明開化に咲いた京焼の洋食器
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三代 清水 六兵衛
1820-1883
KIYOMIZU Rokubey
三代清水六兵衛は、二代の男で、製にたずさわるかたわ ら、四条派の画家小田海に絵を学んだ。豪快な土物を得意と する一方、明治初年には横浜で西洋陶器の製法を学ぶなど、い ち早く西欧へも目を向けた人物であった。明治5年(1872)に は京都府より「職業出精ノ者」として表彰され、翌年には動業場 御用掛に任命された。同8年の京都博覧会をはじめ、内外の博 覧会においても受賞を重ね活躍した。
幹山 伝七
1821-1890
KANZAN Denshichi
尾張瀬戸に生まれた幹山伝七は、湖東焼にて作陶に従事して いたが、文久2年(1862)に京都東山に移り、磁器製造を始めた。 慶応年間に清水坂に磁器製造場を開設し、明治3年(1870)には 西洋絵具の試用に成功し、同5年「職業出ノ者」として京都府 より表彰された。同6年(1873) には宮内省の命により、75種 の洋食器の製作も手掛け、明治前期における京都の陶磁器界を リードした名工のひとりといえる。京都博覧会をはじめ、内外 の博覧会で受賞を重ね活躍した。 |
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四代 和気 亀亭
1826-1902
WAKE Kitei Ⅳ
三代の長男として生まれ、文久2年(1862)に家業を継いだ。 亀屋平吉と称していたが、明治初年に和気を本姓として和気平 吉と改め、屋号の亀事と合わせて和気亀亭と呼ばれるように なった。陶法を父より、絵を四条派の岡本亮彦より学び、染付 磁器に秀でていたが、装飾豊かな京薩摩も手掛けていたとい う。 明治6年(1873)に京都府勧業御用掛に任命された他、国 内外の博覧会で活躍した。
四代 高橋道八
1845-1897
TAKAHASHI Dohachi Ⅳ
四代高橋道八は、三代道八の長男として生まれ、南宋画を前 田山に学んでいる。 明治6年(1873)に京都府勧業場御用掛 となり、翌年に四代道八を襲名し、先代と同じく華中亭と号し た。釉薬の改良や新たな着色法の開発や西洋陶磁の製法の研究 にも熱心に取り組み、青華磁彫刻や青にも高雅な作風を見せ た。同28年(1895) からは京都市美術工芸学校教授をつとめる ほか、内外の各種博覧会で活躍した。
三代 清風 与平
1851-1914
SEIHU Yohei Ⅲ
三代清風与平は、播磨の画家の次男として生まれ、田能村直 入門に入り絵を学んだが、後に清風家の養子となり二代与平 より製陶技術を習得した。 明治11年(1878)に三代与平を襲名 し、各種博覧会で受賞を重ね近代の京都の陶業界で活躍した。 |
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町組改正と番組小学校
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町組改正と番組小学校
Re-zoning of the City and Establishment of
Elementary Schools in Each Zone
慶應4年(1868)、 京都府が成立すると町組改正による 地域再編がなされる。 新たに編成された上京33番組 下京 32番組には日本で最初の小学校が建設され、 町組会所や望 火楼も置かれて地域の自治機能を担った。 |
勧業事業と近代化
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 京都局(京都府立京都学・歴彩館 旧号書庫写真資料) |
勧業事業と近代化
Encouragement of industries
天皇東行後の復興策として京都府は勧業場や舎密局を開設し、お雇外国人を招いて西欧技術を積極 的に取り入れた。また博覧会を毎年開催して、技術革新を加えた西陣織・京焼や理化学機器などを展示し、海外の万国博覧会にも出品して高い評価を得た。 |
琵琶湖疎水
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 疏水(京都府立京都学・歴彩館蔵 黒川翠山撮影写真資料) |
琵琶湖疏水
Canals from Lake Biwa
第3代京都府知事である北垣国道は琵琶湖の水を 京都に引く疏水の建設を計画し、疏水に関する論文 で大学を卒業したばかりの田辺部に工事を担当さ せた。
当初は物運搬が目的だったが、途中で水力発電 も取り入れられ、上発電所が作られた。これによ 街には灯が灯り、全国で初めて市街電車が開通 した。 |
平安遷都千百年の盛りあがり
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 第4回内国勧業博覧会会場門(岡崎)
明治28年(1895)
(京都府立京都学・歴彩館寄託 石井行昌撮影写真資料) |
平安遷都千百年の盛りあがり
Celebrations for the 1,100th Anniversary Since the Birth of Heian-kyo
平安京建設から千百年を迎えた京都では、「三大 「問題」として平安遷都千百年記念祭の挙行、 第四回 内国勧業博覧会の開催、 京都一舞鶴間鉄道の完成を
すすめる。
博覧会場となった岡崎には平安神宮が創建され、 時代祭が市民により催された。 また紀念祭に関連し 平安京の実測調査や、初の京都通史である 『平安 通志』 が編まれた。
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三大事業と都市景観の変化
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 河原町四条
(京都府立京都学・歴彩館蔵 黒川琴山撮影写真資料) |
三大事業と都市景観の変化
Conservation of Urban Environment
第2代京都市長である西郷菊次郎の時期には第二 疏水、上水道、道路拡幅の「三大事業」による都市 整備が行われた。
拡幅された道路には市電が走り、新京極や三条通 など商店が賑わった。 また景観保護の議論が高まり 円山公園など公園整備がすすめられ、増加する労働 者を救済する社会事業として公設市場などが市内に 置かれた。 |
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6570京都ハリウッド化計画
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日本のハリウッド 京都
Japan's Hollywood: Kyoto
明治以降、都市の衰退を脱するべく、 京都府は積極的に近代化政策を推し進めた。 伝統産業の分野でも、 留学生たちが染物や織物などの技術を学びに、ヨーロッパへ向 かった。 その一人・稲畑勝太郎が、 京都に 「映画」 を持ち帰った。 フランスで発明されたシネマトグラフである。大きなスクリーンに映像を投影し、多くの人たちが一緒に見ることができる前例のない娯楽は、“新し物好き” の京都の人々にも受け入れ られ、映画は産業として発展していくことになった。
まず、 二条城の近くに簡易のステージが建てられた。 これが京都で最初の撮影所と言われる。 大正元年(1912)には、 横田商会、 吉沢商店、
福宝堂、 エム・パテー商会によって 「日本活動写真株式会社」)が創立され、 東京の向島撮影所では現代劇、 京都の大将軍撮影所では、時代劇を制作する体制となった。
この他、 松竹などの大手に加え、俳優たちが起こした各独立プロダクションが、 太秦地域に撮影所を建設していった。 大正12年(1923) の関東大震災後は、
制作体制が落ち着くまで、 現代劇の制作現場も京都に移り、 日本映画のほとんどが京都で制作された。
忍ぶ横笛 嵯峨野のすき
今や日本のハリウッド
並ぶスタヂオ あのチャンバラで
斜に斬られた月が出る
「京都行進曲」 (昭和5年、 西條八十作詞、 中山晋平作曲)
昭和5年から10年の間、 京都市内には7~10ほどの撮影所がひしめき合い、若き監督や俳優たちが、 名作・傑作と今でも記憶される作品を、続々と作り出していった。
ここに、日本映画最初の黄金時代が訪れたのである。
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撮影機カメラ |
日本のハリウッド 京都
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日本のハリウッド 京都
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映画フィルム
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映写機
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6590京都の撮影所跡地
京都の撮影所跡地 |
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1 二条城撮影所
2 法華堂撮影所
3日活大将軍撮影所
4 等持院撮影所
5 下加茂撮影所
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6 御室撮影所
9 日活太秦撮影所
10片岡千恵蔵プロダクション 嵯峨野撮影所 |
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7 阪東妻三郎プロ太秦撮影所 8 双ヶ丘撮影所
10 片岡千恵蔵プロダクション嵯峨野撮影所
11 J.O. スタヂオ |
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13嵐寛寿郎プロダクション太秦撮影所
14マキノトーキー撮影所 |
15宝プロダクション撮影所
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8 双ヶ丘撮影所
12第一映画撮影所
A 極東フィルム研究所
B 京都電燈本社
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日活太秦撮影所竣工記念絵葉書
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映画館のチラシ
人気俳優のプロマイド
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