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 兵庫の縄文4     2025.03.06

 兵庫県立考古博物館 特別展「弥生の墓」
  兵庫県加古郡播磨町大中1丁目1-1
  079-437-5589月休・撮影可

交通 JR土山駅徒歩15分
館南に大中遺跡公園駐車場
館東に野添であい公園駐車場
付近の施設 播磨町郷土資料館(考古)
石の宝殿(飛鳥時代の皇族用石棺を
切り出した竜山石の石切り場)
 
 はじめに
 展示の中心となる遺跡について
AI による概要

玉津田中遺跡は、神戸市西区にある弥生時代から中世にかけての集落跡です。明石川の東岸に位置し、弥生時代中期の集落、墓、水田などの遺構が発見されています。特に、方形周溝墓や平地式建物などが注目されています.

場所:神戸市西区平野町.
時代:弥生時代から中世まで.
特徴:
・弥生時代中期の集落・墓・水田跡.
・方形周溝墓(四角い溝で囲まれた墓).
・平地式建物 (平地にある建物).
・弥生土器(祭祀に使われたとみられる壺など).
発掘:第二神明道路の建設に伴い発掘調査が行われた.
出土品:土師器の鍋・甕・すり鉢、須恵器、青磁など.
重要性:弥生時代の生活様式や文化を理解する上で重要な資料を提供している.

 玉津田中遺跡は、弥生時代から中世にかけての集落跡として、弥生時代の文化や生活を理解する上で重要な遺跡です。特に、方形周溝墓や平地式建物、弥生土器などの出土品から、当時の生活や祭祀の様子が窺えます.

玉津田中遺跡発掘調査報告 第一分冊 第二分冊 第三分冊  その次の報告書
 
目次

01外観
02特別展 入口展示

10「弥生の墓」リーフレット
11弥生の墓・玉津田中遺跡の方形周溝墓
13玉津田中遺跡の方形周溝墓
15方形周溝墓群と棺の種類
194.埋葬にかかわる儀礼

本展展示室
30特別展示室
33弥生時代の墓
36玉津田中遺跡
37方形周溝墓と棺の種類

3003玉津田中遺跡の方形周溝墓
310➀方形周溝墓の変遷
320②墓・棺をつくる
321鍬
323棺材
330③棺と埋葬姿勢

330a玉津田中遺跡の人骨
  ST40046号
331 ST40005号
332 ST40009号
333 ST40046号
336 ST40046号
340topic骨を調べる
341 ST40045号
343 ST40030号
345 ST46005号
347 ST40023号
349 ST40024号
350corner展示
ST40033-46004
353 ST40043号
355 ST40040号
357 ST40033号
359 ST46004号

370棺内から見つかった物
380⑤方形周溝墓以外の墓
383土器棺
385装飾品と武器類

390年輪年代法から見た
  弥生時代の年代
395 SX40018~27

400埋葬に関わる儀礼
401木製器台に載った壺

410埋葬にかかわる儀礼
411➀方形周溝墓から出土した土器
418周溝から出土した土器
419特異な土器

430②平地建物の祭り
431洪水の跡
432平地建物の土器
440石鏃等

450石斧実演

470石の宝殿
471竜山石採石遺跡
473石の宝殿
※考察石の宝殿
※生石神社
474石の宝殿からの眺望
476竜山1号墳

 
 
 01兵庫県立考古博物館 外観
裏面 正面 土盛外装
紅梅があざやかに
こんな濃い紅の梅は
初めてみました。

この色なら、紅梅の
意味が解ります。

むかし中国の掛け軸を買った時に強烈な紅色

に圧倒されました。
日本には合わない画風

そう思いましたが、それが紅梅のほんとの色
だったのでした。
 

 02特別展 入口展示
玉津田中遺跡

解説リーフレット

 10「弥生の墓」解説リーフレット
1page
中折れ2・3page 2page
4page

令和6年度兵庫県立考古博物館冬季企画展 2025.1/18~3/16日
 11弥生の墓・玉津田中遺跡の方形周溝墓

弥生の墓 玉津田中遺跡の方形周溝墓

1.弥生時代の墓
  弥生時代は水稲農耕社会が定着、発展し、前方後円墳が成立するまでの時代です。墓地や集落は社会の姿を反映し、地域や時期によって異なって
 います。
 近畿地方の弥生時代中期 (約2,300年前~約2,000年前) の墓は周囲を四角く囲む区画溝を掘り、墳丘を設け、木棺を埋葬する方形周溝墓➀
 一般的です。
  本展覧会では玉津田中遺跡(神戸市西区)の弥生時代中期(約2,200年前)の方形周溝墓などの墓を取り上げ、埋葬方法から当時の社会を考えます。

2.玉津田中遺跡
  玉津田中遺跡は神戸市西区宮下に所在し、明石川中流域の沖積地に立地しています②。区画整理事業の道路部分を網の目状に発掘調査したため、
 遺跡の広がりや内容が確認できました。また、度重なる洪水を受けており、縄文時代から室町時代の遺構面を層位的に捉えることができました。
  とりわけ、弥生時代中期中葉は安定した生活の後に洪水砂礫に覆われたため、墓域居住域・生産域といった生活の主要な要素の地区分けが良好に
 残っており㉒、弥生時代のムラの様子が復元できました③。

page1
➀方形周溝墓群
②玉津田中遺跡の位置
現在の玉津田中遺跡
玉津田中遺跡概念図
上に墓群・中腹に集落
明石海峡を遠望
対岸は淡路島

 13玉津田中遺跡の方形周溝墓
3.玉津田中遺跡の方形周溝墓
 玉津田中遺跡の方形周溝墓は造られ始めた当初、 居住域にも点在していましたが、やがて居住域北側に位置する最大の方形周溝墓 SX40010を核とし、溝を共有して墓域を 形成していきます➀④。調査した範囲で総数40基を確認しました。周溝内からは掘削に使われた鋤や、溝の底に刺さって折れた鋤の先端が見つかっています⑤・⑥。

 棺は主にコウヤマキで作られていますが、 新しくなると ヒノキやカヤ・クスノキ・モミなども使われています⑧。周溝内からは貯蔵された棺材7や端材、 削屑が見つかって います。 棺の横に墓標が建てられていたもの9もあります。 埋葬方法は、 組合せ式木棺⑩⑪で、人骨から成人や幼小児など体形に合わせた棺⑫⑬を作っていることがわかります。周溝内からも箱形の組合せ式木棺や木蓋土壙⑩が見つかっています。居住域からは土壙墓や乳胎児を葬った と考えられている土器棺墓⑰⑱が見つかっています。

 碧玉製管玉2などの着装品や打製石鏃⑲、銅剣の切先⑭⑮などの武器類が出土している棺もあり、埋葬場所や棺構 造なども合わせて、被葬者の性格や当時の社会を反映して いると考えられます。

page2
3玉津田中遺跡の方形周溝墓 ⑤周溝から出土した鋤
⑥周溝の底に刺さって折れた鋤の先端
⑦周溝に貯蔵していた棺材(クスノキ)

コウヤマキ(蓋板・底板・西側板)
クスノキ(両小口)
モミ(東側板)を組合せた木棺
⑨墓標が立つ方形周溝墓 ⑩2基の木棺が並んだ方形周溝墓 ⑪組合せ状況が良くわかる木棺 (頭部に朱の痕跡が残る)

 15方形周溝墓群と棺の種類
 ※一部で、方形周溝墓が切り合っている(⑦⑧⑩ST40009-ST4039付近)部分がありますが、ほとんどが整然と配置されています。
  切り合っているのは、配置から外れた場所の小さな墓です。古い周溝墓の上に無秩序に周溝墓を作ろうとしたためなのでしょうか。
方形周溝墓群と棺の
種類
 17
⑫成人木棺の横に葬られた幼児木棺
⑬乳歯・永久歯が残る人骨木棺
⑮銅剣切先
ST40028
SX40023
銅剣切先が腰部に残る木棺人骨
⑯木蓋土壙

棺はなく木の蓋だけ
⑰土器棺墓群
 
⑱土器棺墓
(棺は:甕)
(蓋は:脚部を打ち欠いた高坏)  
     
⑲棺内出土のサヌカイト製石鏃 ⑳棺内出土の碧玉製管玉
㉑土壙出土のサメ椎骨を加工した玉

 19
4.埋葬にかかわる儀礼
 方形周溝墓の溝などからたくさんの土器が出土しました㉓。 これらの 土器は日常生活で使用される土器とほとんど変わりませんが、 本来貯蔵 に使用される壺が火を受けてススが付着しているものや、 穿孔したり打ち欠いて本来の機能を無くしているものが多数あります ㉔・㉕・㉖。これらの土器に残る痕跡は、 埋葬する際の飲食物共食に伴う儀礼だと考えられています

 また、方形周溝墓群と居住域の間に洪水砂で埋もれた平地建物が見つかり、床面からは完全な形をした土器や一部を打ち欠いた土器が30個体 以上出土しました ㉗。 完形の土器は体部に穿孔があります㉘。 この平地 建物は床面に木棺材に使用されているモミの板材を敷いていること、 穿 孔や打ち欠きのある土器が出土していること、碧玉製管玉や石鏃が出土していること、などから方形周溝墓と関連性があり、 床面に火を焚いた 痕跡があることから飲食物共食に伴う儀礼の場所である可能性が高い施設と考えられます。

4埋葬に関わる儀礼 ㉒弥生時代中期の遺構(水田・墓域・居住域)
㉓周溝内の土器出土状況
㉔周溝墓から出土した土器
㉕周溝墓から出土した土器
㉖周溝に置かれた木製
器台に載った壺
㉗平地建物の遺物出土状況
㉘平地建物から出土した土器
 
本展展示室

 30特別展示室

ごあいさつ
 神戸市西区にある玉津田中遺跡は、弥生時代の大遺跡として知られています。 昭和57年度から平成3年度に至る10年間にわたって、区画整理事業に伴う
発掘調査を兵庫県教育委員会がおこないました。そこでは、住居域、墓域、水田 域が良好に残っていることが判明し、弥生時代のムラの様子が復原できる重要な 成果が得られました。弥生時代中期におこった大規模な洪水の痕跡も見つかり、 災害と人の関わりを知る資料にも恵まれています。

 とりわけ、墓域の調査では、木棺を埋葬施設とする方形周溝墓が、 群を形成している状況が明らかになり、腐りやすい木棺や人骨も良好に残っていて、墓の 構造や埋葬方式を知る多くの手がかりが得られています。重厚なコウヤマキ製の 木棺は、取り上げ後に保存処理も施され、展示できるようになっています。
 平成3年度から平成7年度にかけての出土品整理を経て、報告書もまとめられました。本館では開館時から、その成果の一部をテーマ展示室において展示しており、弥生時代を語る上での重要な遺跡であるという評価を得てきました。

 今回の企画展では玉津田中遺跡の多くの資料の中で、弥生時代中期の方形周溝墓に焦点をあて、木棺や人骨、供献された土器などを一堂に展示することにしました。他ではあまり見ることのできない弥生の棺を多数並べるなど、玉津 田中遺跡ならではの展示を心がけています。タイムマシーンで届けられたかと 思うような資料を、ぜひじっくりとご観覧いただき、弥生時代の社会に思いを はせていただければ幸いです。

 玉津田中遺跡については、発掘調査・出土品整理において多くの方々の助力・ 助言を得ることができました。また、本展を開催するにあたりまして、貴重な資料の出品や写真の提供など、ご協力いただきました各位に厚くお礼を申し上げます。
  令和7年1月
   兵庫県立考古博物館
   館長 菱田哲郎


謝辞
 本展覧会を開催するにあたり下記の方々にご協力を賜りました。 機関名・ご芳名を記し、感謝申し上げます。
機関名
岡山市教育委員会 神戸市 神戸市埋蔵文化財センター 佐賀県
四條畷市立歴史民俗資料館 守山市教育委員会 守山市立埋蔵文化財センター
協力者名
岩﨑 茂、齋藤 瑞穂、原田悠希、中村 大介、野島 稔、光谷 拓実 (五十音順、敬称略)

ごあいさつ
謝辞


 展示遺跡の位置
展示遺跡の位置 
   
|玉津田中遺跡
3中村古墳墓群
4印路台状墓
5西神ニュータウン内遺跡第59地点
6西神ニュータウン内遺跡第40地点
2新方遺跡 

 展示遺跡の位置
| 玉津田中遺跡
2 新方遺跡
3 中村古墳墓群
4 印路台状墓
5 西神ニュータウン内遺跡第59地点
6 西神ニュータウン内遺跡第40地点
7 東武庫遺跡
8 深江北町遺跡
9 坂元遺跡
10 七日市遺跡
11 神子曽遺跡
12 服部遺跡
13 南方釜田遺跡
14 吉野ヶ里遺跡

企画展開催にあたって

・今回の企画展 「弥生の墓 ―玉津田中遺跡の方形周溝墓―」 に関係する資料は、
テーマ展示室
【人】私たちの由来 むかしのひょうご人 「子どもといっしょの弥生女性
【社会】国のなりたち 争う人々 「戦いのぎせいしゃ」
 にも玉津田中遺跡の木棺を展示しています。あわせてご覧ください。

・個別の遺構を示す場合は
  方形周溝墓…SX  木棺墓・土壙墓…ST  土器棺墓…SP  土坑…SK  建物…SB
  と表示しています。
企画展開催にあたって

弥生の墓展
1.18~3.16
次回展
弥生の至宝 銅鐸
4.26~6.29

 33弥生時代の墓
1弥生時代の墓
 弥生時代は水稲農耕社会が定着、発展し、前方後円墳が成立するまでの時代です。 墓や集落は社会の姿を反映し、地域や時期によって異なっています。

 縄文時代の日本列島では、遺体をそのまま埋めた土壙墓や土器に遺骨や遺体を納める土器棺墓が中心でした。次の弥生時代になると朝鮮半島から遺体を木棺に納める木棺墓が伝わりました。

 近畿地方では弥生時代前期から周囲に区画溝を掘り、墳丘を設け木棺に埋葬する方形周溝墓が造られ始めます。玉津田中遺跡では弥生時代中期に方形周溝墓群を造っています。

 地域によって採用する墓は異なり、九州地方では、棺専用の器に埋葬する甕棺墓、中国地方では区画溝を持たない木棺墓、東日本では方形周溝墓が広がります

弥生時代の墓

 弥生時代中期の各地の墓
弥生時代中期の各地の墓
 
頭骨の無い人骨(佐賀県提供)
吉野ヶ里遺跡 (佐賀県)
甕棺墓列 〔佐賀県提供) 
南方釜田遺跡(岡山県)
木棺墓群
(岡山市教育委員会提供)
服部遺跡 (滋賀県)
方形周溝墓群
(守山市教育委員会提供)

 兵庫県の主要な周溝墓群
兵庫県の主要な周溝墓群
七日市遺跡(丹波市)
  方形周溝墓群(中期)
東武庫遺跡(尼崎市)
  方形周溝墓群(前期-中期)
神子曽(みこそ)遺跡(南あわじ市)
 ・方形周溝墓群(中期)
 ・円形周溝墓群(後期)
坂元遺跡 (加古川市)
 ・方形周溝墓群(中期)
深江北町遺跡(神戸市)
  円形周溝墓群(庄内期)

 明石川流域の弥生時代の墳墓 〔※神戸市文化財課提供〕
新方(しんぽう)遺跡
貼り石のある円形周溝墓(中期)[※]
溝状埋葬遺構3号,1号 (前期)※〕


印路(いんじ)台状墓 (中期)
・西神ニュータウン第40地点
  台状墓(中期)[※]



中村群集墳墓(後期)
・西神ニュータウン第59地点
  木棺墓群(中期) [※]

 36玉津田中遺跡 弥生時代中期後半

2玉津田中遺跡と
  弥生時代中期の玉津田中ムラ


 玉津田中遺跡は、明石川中流域の沖積地に立地しています。広域に発掘調査を行ったため、遺跡の広がりや内容が確認できました。また、遺跡は度重なる洪水を 受けているため、縄文時代から中世の遺構面を層位的に捉えることができました。

 とりわけ、弥生時代中期後半に起こった大洪水砂礫に覆われた墓域・居住域・生産域から当時の玉津田中ムラの様子を復元することができました。居住域では 中期初頭から継続して生活が営まれていたため、竪穴住居が建替えられた様子が 分かります。川辺では各種木製品の製作を行っており、製作途中の木器が多数見つかっています。 また、居住域と墓域の西側には用水路や排水路を伴った水田域が広がっています。


2玉津田中遺跡と弥生中期の玉津田中ムラ
弥生中期の玉津田中ムラ復元(淡路島を望む)
  水田・水路
建て替えられた竪穴住居の跡
畦畔と水田に残された足跡
住居の近くの河道で木器づくり 
住居の近くの河道で木器づくり  
弥生時代中期の遺構

 37方形周溝墓と棺の種類
 

 3003玉津田中遺跡の方形周溝墓
 玉津田中遺跡の弥生時代中期の方形周溝墓は長期間継続して生活が営まれたため、微高地上に群をなして築かれています。調査した範囲内だけでも総数40基 を確認できました。
 方形周溝墓の埋葬施設や人骨は、深いところから見つかったものは残りが良く、浅いところにあったものは木や人骨が朽ちてしまって痕跡として確認できました。 埋葬施設は墳丘内では、組合せ式木棺のみで体形に合わせた棺を作っており、周溝内では組合せ式木棺のほかに木蓋土壙(もくがいどこう)があります。
 方形周溝墓の中には墓標を立てているものもありました。


 310➀方形周溝墓の変遷
3玉津田中遺跡の方形周溝墓
方形周溝墓群
洪水に遭った
方形周溝墓墳丘盛土と木棺
  SX46002東周溝 鋤出土狀況
 
SX46002東周溝鋤出土状況
 
     
SX46002西周溝 鋤出土状況
SX46001南周溝底に刺さって折れた鋤の先端 出土状況

 311 311-2➀方形周溝墓の変遷
(1) 方形周溝墓の変遷
 玉津田中遺跡の方形周溝墓は造られ始めた当初、 居住域に もありましたが、 居住域の北側に造られた最大の方形周溝墓 SX40010 (20m×14m) を核として溝を共有して群を形成 し、墓域と居住域が分かれていきます。 調査した範囲で総数 40基を確認しました。
 微高地の縁辺部に造られているものは規模が小さく洪水 砂に覆われて埋葬施設が残っています。 微高地の中心部分に 造られているものは規模が大きく、墳丘は削平されて埋葬施 設の残りはよくありませんが、 周溝から土器が多く出土して いることから、もともとは複数の埋葬施設があったと考えら れます。出土した土器から微高地中心部の大規模なものから 微高地縁辺の小規模なものへと変遷したことが分かります。 微高地の縁辺部の河道付近には余剰帯が存在しており、洪水 が起きなければ、 ここに方形周溝墓を築き続けていったと推定されます。

➀方形周溝墓の変遷 方形周溝墓群が造ら
れ始めた頃の土器
SX40010-40017西
3-1-1
方形周溝墓群が洪水
に遭う直前の土器
SX40038-40039
3-1-2

 320 321②墓・棺をつくる
(2)墓・棺をつくる
 周溝墓の周溝内から墓を掘削する道具の鋤がまとまって出土しています。 鋤は組み合わせ式で、 身と柄をサクラの樹皮紐で縛っています。
身はカシで作られており、長期間使用して短く減っているものや、作られてからあまり使用されていないものまでさまざまです。
また、周溝の底には掘削途中に土に刺さって折れた鋤身の先端も見つかりました。

 棺は通常6枚の板を組み合わせて作られています。
棺材は、古いものはコウヤマキだけで組み合わされ、時期が下るとコウヤマキのほかにヒノキ・カヤ・クスノキ・モミなど複数の樹種を組み合わせて作る傾向があります。 棺の最終的な加工は埋葬場所の近くで行われるようです。コウヤマキの端材や木片、クスノキの板も周溝内から見つかっています。

 321 321-6
②墓・棺をつくる
周溝から見つかった鋤
1~3:SX46002西溝
4~6:SX46002東溝
3-2-1-6
先端が刺さったまま
見つかった鋤
SX46001南溝
3-2-7
 323 328-13棺材
  SX46002東周溝 コウヤマキ材等出土状況
 
SX40039南周溝 クスノキ材出土状況
 
  SX40026墓標 検出状況
 
SX40001墓標とST40030
 


玉津田中遺跡の木棺に使用されている樹種
 玉津田中遺跡の木棺材には、コウヤマキ・ヒノキ・カヤ・モミ・クスノキの5種類があります。
 木は水分を含んで出土したため、保存のためにPEG処理を行っています。
このため、変色しています。 木材本来の色は、下の現生標本のとおりです。
クスノキ、モミ、カヤ、ヒノキ、コウヤマキ

玉津田中遺跡の木棺に使用されていた樹種
周溝から見つかった
端材等
8~10:SX46001南溝
11:SX46002東溝
3-2-8~11
周溝から見つかった
端材等9~10
周溝から見つかった
端材等11
貯蔵された木棺材 クスノキ
SX400039南溝
3-2-12
墓標SX40026
3-2-13
 

 330③棺と埋葬姿勢
(3)-1 さまざまな棺と埋葬姿勢

 玉津田中遺跡の方形周溝墓からは 39基の埋葬施設が見つかりました。
 組合せ式木棺は底板のあるもの(I)とないもの(Ⅱ)があります。
底板のあるものは底板の上に小口板を載せるもの(IA)、
底板を突き抜けてT形の小口板を組み合せるもの(IB)、
底板を挟むように深く小口を埋めるもの(IC)があります。

IA型は小口板の方向によって横方向(IAh)、縦方向(IAv)があります。
ST40045 は小口板が内湾(IAhc)し、ほかに例がないものです。

 木蓋土壙には頭部部分に木を打ち込んでいるものや蓋を被せる前に、根太(ねだ)を置いているものがあります。
 これらの埋葬施設の差は出自や階層の違いを表していると考えられます。



(3)-1 さまざまな棺と埋葬姿勢 埋葬施設模式図 埋葬施設➀
埋葬施設②

ⅠAvは間違いではないでしょうか。ⅠAhと同じ構造になっています。
埋葬施設➀は右から、土坑、蓋付、蓋支え、枕と蓋、??、で、
埋葬施設②では、底の無い4枚の側板+蓋、蓋+側板+底板、貫通する端板、端板の加工、??、となっている。
したがって、ⅠAvの木棺は、4枚の側板だけではないかと思われます。


(3)-2 さまざまな棺と埋葬姿勢
 玉津田中遺跡では10棺で人骨が遺存しています。 埋葬姿勢は仰向けのものと俯せのものがあります。いずれも膝を折り曲げた屈葬です。
 俯せのものは下肢の骨を無理やり折り曲げているようです。
 埋葬頭位は人骨や頭部の痕跡が残る 14体を見ると、北位のもの5基、東位のもの9基であり、西位と南位のものはありません。
 人骨の痕跡が残っていないものも、北位あるいは東位 だったと想定できます。 頭位を含めた埋葬姿勢は何らかの規制があったものと考えられます。

(3)-2 さまざまな棺と埋葬姿勢 復元できた埋葬姿勢
頭位と棺の長軸の長さ

 330a
玉津田中遺跡木棺 ST40046号 人骨痕跡

位置:SX40038 の中心埋葬 ST40044 の掘形を切って北側に並列
時期:弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺IB
     底板の小口部分に抉りと孔をあけ、
     T字形の小口板を埋め込む
棺の内法: 長さ 0.43m、 幅 0.23m、 深さ 0.15m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢 : 東枕 頭骸骨・寛骨の痕跡が残る
年齢:幼児 / 性別:不明 / 身長 : 不明
棺内遺物: なし
特徴:棺のサイズから小児棺か

ST40023
ST40024
小口板が底板にのる木棺・底の無い木棺・土壙墓
ST40046
ST40044
丁字小口板の木棺・底板を小口板で挟む木棺墓
玉津田中遺跡木棺 ST40046号 人骨痕跡

 331
玉津田中遺跡木棺 ST40005号・人骨

位置:SX40014 と SX40015 との間の周溝内に溝と平行
時期:弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺I Ah
棺の内法: 長さ 1.28m、 幅 0.36m、 深さ  0.23m
棺材樹種: 蓋はコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕で仰臥屈葬
年齢:右下大臼歯の磨耗が強く40歳前後の成人
性別: 女性 / 身長 : 不明
棺内遺物: 炭化米1

入口展示
玉津田中遺跡木棺 ST40005号・人骨

 332 332
玉津田中遺跡木棺 ST40009号

位置: SX40018 墳丘の上層、 ST40008 と平行
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺I Av
棺の内法: 長さ 0.45m、 幅 0.26m、 深さ 0.24m
棺材樹種:
埋葬姿勢: 不明
年齢:不明 / 性別:不明 / 身長: 不明
棺内遺物:なし
特徴:棺のサイズから小児棺か

玉津田中遺跡木棺 ST40009号

 333
玉津田中遺跡木棺 ST40046号人骨痕跡

位 置: SX40038 の中心埋葬 ST40044の掘形を切って北側に並列
時 期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺IB
     底板の小口部分に抉りと孔をあけ、
     T字形の小口板を埋め込む
棺の内法: 長さ 0.43m、 幅 0.23m、 深さ0.15m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕 頭骸骨・寛骨の痕跡が残る
年齢: 幼児 /性別:不明 / 身長 : 不明
棺内遺物: なし
特徴: 棺のサイズから小児棺か

ST40023
ST40024
小口板が底板にのる木棺・底の無い木棺・土壙墓
ST40046
ST40044
T字小口板の木棺・底板を小口板で挟む木棺墓
 336 334
玉津田中遺跡木棺 ST40046号・人骨痕跡

位置: SX40038 の中心埋葬 ST40044 の掘形を切って北側に並列
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺 IB
     底板の小口部分に抉りと孔をあけ、
     T字形の小口板を埋め込む
棺の内法: 長さ 0.43m、 幅 0.23m、 深さ0.15m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕 頭骸骨 寛骨の痕跡が残る
年齢: 幼児 / 性別:不明 /身長: 不明
棺内遺物 : なし
特徴: 棺のサイズから小児棺か

玉津田中遺跡木棺 ST40046号・人骨痕跡
    

 340topic骨を調べる
トピック
 骨を調べる
日本列島は火山灰に由来する酸性土壌のため炭酸カル シウムを主成分とする骨や歯は残りにくい上に、土壌中 の微生物に分解され朽ち果ててしまいます。
玉津田中遺跡の方形周溝墓からは、残りが良いといえ ませんが骨が残ったことで多くの情報が得られました。 骨全体からは埋葬姿勢が復元できます。また、歯の生 え方や摩耗状況、頭蓋骨の癒合状況から年齢、頭蓋骨や 寛骨の特徴から性別、大腿骨の長さから身長を推定する ことができます。 また残りがよければ、病気やケガなど 体の状態も分かります。
玉津田中遺跡の骨は、手足を折り曲げた姿勢で、仰向け に埋葬されているものに加え、俯せに埋葬されているもの も確認できました。

骨を調べる
ST40033、ST40023
人骨を鑑定する池田次郎先生
  ST40045
ST40045
 
     
  ST40030 小口の抉り
ST40030 頭部の朱
 
     
ST460005
ST460005
  SX40018 ST40009 ST40010  ST40009 ST40010
     
ST40010下層からT5ST40023
ST40023
SX40018下層 ST40024 ST40023
ST40033 ST40023 ST40024
ST40024 倒れた側板 ST40024
 341 335
玉津田中遺跡木棺 ST40045号・人骨

位 置: SX40039 墳丘中心
時 期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺I Ac
     底板に小口板用の抉り、
     側板には小口板用の 内湾した抉りを設け、小口板を嵌め込む
棺の内法: 長さ 1.35m、 幅 0.43m、 深さ 0.48m
棺材樹種: 蓋板・西側板・底板はコウヤマキ、
     東側板はモミ、小口板はクスノキ
埋葬姿勢: 北枕 腑臥屈葬
年齢:成人 / 性別: 男性 / 身長:約160cm
棺内遺物: なし
特徴: 東側板がモミで腐朽していたため、東側に つぶれた状態で検出モミの東側板には孔や 突起の加工があるため転用材か

玉津田中遺跡木棺 ST40045号・人骨
ST40045
ST40045

 343 338
玉津田中遺跡木棺 ST40030号・ 人骨痕跡

位置: :SX40026の墳丘のほぼ中央部
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺 I Ah
     底板・側板に小口板用の抉りを設け、
     小口板を嵌め込む
棺の内法: 長さ 1.02m、 幅 0.26m、 深さ 0.35m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕
年齢:不明 / 性別:女性/身長:不明
棺内遺物 : なし
特徴: 頭部には朱の痕跡あり
   分析の結果、 古野ヶ里遺跡と同じ硫黄同位体比 8値(南ほか 2020)

玉津田中遺跡木棺 ST40030号・ 人骨痕跡

 345 339
玉津田中遺跡木棺 ST46005号

位置: 居住域 D 周溝は不明
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺I Ah
     底板・側板に小口板用の抉りを設け、 小口板を嵌め込む 蓋欠損
棺の内法: 長さ 1.40m、 幅 0.55m、 深さ 0.43m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢: わずかに人骨痕跡あり
年齢:不明 / 性別:不明 / 身長 : 不明
棺内遺物: 蓋欠損のため流入の可能性があるが、 石鏃1点、 砥石1点、
     水洗選別でサヌカイト剥片 19点、
     昆虫羽1点、 炭化米21点以上、
     炭化種子29種510点以上 (内アブラナ科 362点)

玉津田中遺跡木棺 ST46005号

 347 3310
玉津田中遺跡木棺 ST40023号・人骨

位置: SX40018 墳丘の下層の南寄り。直上に ST40008 がある
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺 I An
     底板・側板に小口板用の抉りを設け、少口板を嵌め込む
棺の内法: 長さ1.20m、 幅0.45m、 深さ 0.43m
埋葬姿勢: 東枕腑臥屈肢
棺材樹種: 南側板ヒノキ、 底板カヤ、 ほかはコウヤマキ
年齢: 熟年前半 (35歳~45歳)
性別: 女性/身長: 150cm未満
棺内遺物: なし
特徴: ST40024と並列 ST40023号の上層にST40008とST40009あり 側板・小口板は土圧で割れる掘形内にコウヤマキの端材を入れる

玉津田中遺跡木棺 ST46023号

 埋葬位置の説明: SX40018 墳丘の下層の南寄り。直上に ST40008 がある
  SX40018上層 ST40009 ST40010 ST40009 ST40010
     
ST40010下層から ST40023 ST40023
  SX40018下層 ST40024 ST40023
 
ST40033 ST40023 ST40024       

  ST40023号

 349 3311
玉津田中遺跡木棺 ST40024号人骨痕跡

位置: SX40018墳丘の下層の北寄り
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 組合せ式木棺IC 底板なし
棺の内法: 長さ 1.43m、 幅 0.43m、 深さ 0.43m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢 : 東枕 仰臥屈肢
年齢:不明 / 性別:不明 /身長: 不明
内遺物: 石鏃1・植物種子1
特徴: ST40023 と並列
   土圧で南側に傾く
   南小口板と蓋板に小孔あり

ST40024 倒れた側板
ST40024
 
 350corner展示
ST40043 木棺封土の上から見つかった土器
ST40043 蓋
      ST40043根太
ST40043
 
 
ST40040
ST40040
    ST40033蓋 検出状況
ST40033
 
   
ST46004蓋 検出状況
ST46004
 351
 353 3313
玉津田中遺跡木蓋土壙 ST40043号・人骨

位置: SX40037 と SX40041 の間の周溝内に溝と直交
時期: 弥生時代中期
棺の形態: 木蓋土壙0bc 頭部に有機質あり
     墓壙の両脇に根太を渡し、 蓋をする
棺の内法: 長径 1.06m、 短径 0.56m、 深さ 0.13m
棺材樹種: すべてコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕 腑臥屈葬
年齢: 10歳前後小児の可能性/ 性別:不明
身長: 男性であれば 148cm以下、 女性であれば 146cm以下
棺内遺物: なし
特徴: 人骨周囲の底面を精査中に植物の編み物を確認した、 遺骸は編み物にくるまれたか、編み物を 敷いた状態埋葬されたと考えられる

玉津田中遺跡木蓋土壙 ST40043号・人骨
  ST40043 木棺封土の上から見つかった土器  ST40043 蓋
 
     
ST40043
ST40043
 355 3312
玉津田中遺跡土壙 ST40040号・人骨

位置: SX40030 と SX40034 の間の周溝内に溝と直交
時期: 弥生時代中期
棺の形態: OP 土壌で頭部に板を打ち込んでいる
棺の内法: 長径 1.20m、 短径 0.45m、 深さ 0.16m
棺材樹種:
埋葬姿勢: 東枕 仰臥屈葬
年齢: 成人 / 性別:不明 / 身長 : 不明
棺内遺物 : なし
特徴: 蓋は検出できなかった

ST40040
ST40040

 357 3314
玉津田中遺跡木蓋土壙 ST40033号・人骨

位 置: SX40018 の西側の周溝内に溝と平行
時 期: 弥生時代中期
棺の形態: OPc 頭部に板を打ち込み、横板を置く
棺の内法: 長径1.00m、 短径 0.54m、 深さ 0.30m
棺材樹種: 蓋はモミ
埋葬姿勢: 北枕 仰臥屈葬
年齢:不明 / 性別:不明
身 長: 男性であれば約 168cm、 女性であれば約164cm
棺内遺物: なし
埋葬姿勢:
特 徴:人骨周囲の底面を精査中に植物の編み物を確認した 遺骸は編み物にくるまれたか、編み物を敷いた状態で埋葬されたと考えられる

玉津田中遺跡木蓋土壙 ST40033号・人骨
ST40033蓋 検出状況
ST40033

 359 3315
玉津田中遺跡木棺 ST46004号・人骨

位 置: SX46001 南溝周溝内 平行
時 期: 弥生時代中期
棺の形態: IC 組合せ式木棺
棺の内法: 長さ 0.87m、 幅 0.36m、 深さ 0.10m
棺材樹種: 蓋板 西小口板はコウヤマキ
埋葬姿勢: 東枕 下肢を無理やり折り曲げている
年 齢: 小児 乳歯の根元に永久歯が準備されている
性 別: 不明 / 身長 : 不明
棺内遺物: なし
特徴:

玉津田中遺跡木棺 ST46004号・人骨 ST46004蓋 検出状況 ST46004
        

 370 木棺内から見つかったもの
3-(4) 棺内から見つかったもの
 一部の棺の中からは装身具、 武器 種子類が出土しています。

 装身具は ST40019 の ST40025 二つの棺のみから碧玉製管玉が、 それぞれ、 34点と7点見つかっています。

 武器には銅剣の切先と石鏃があり、
銅剣の切先は周溝内にある木棺 SX40004 の腹部から見つかっており、 銅剣が刺さって折れて体内に残った可能性があります。
 (周溝内の木棺とは、溝の中に置かれた木棺の意味ですよね。せっかく木棺に入れてもらったのに、溝の中に放置されたのかな)
石鏃は8棺から 1点もしくは 2点見つかっています。

 また石鏃に加えて、ST46005 からは砥石、ST46017からはサヌカイト剥片が見つかっています。
種子類は ST40024の人骨の腹部からはウリ科の種子、ST40029 からは炭化米や植物種子が見つかっています。
 (ウリを種ごと食べた元気な状態で死亡した?) (ST40029は焼き米や種子を伴葬したのか、それを食べた状態で死んだのか。)
 (これらは自然死か戦争死かは分からないですね。

 371 341
棺内から見つかったもの
管玉
1~34:SX40010 ST40019
35~41:SX40021 ST40025
3-4-1-41
銅剣切先
周溝 ST40004
3-4-42

刺さっていた切先
石鏃
3-4-43~51

縄文人と戦争していたのだろうか。集落に石器製作跡がない
砥石
3-4-52
植物種子
ST40024
3-4-53

※大きな種子です。
何の種?
 

 380⑤方形周溝墓以外の墓
(5)方形周溝墓以外の墓
 居住域からは土壙墓や土器棺墓が見つかっています。 また、これまで墓といわれていなかった土坑の中にも方形周溝 墓の木棺内と同様に、 碧玉製管玉やサメ椎骨を加工した玉な どの装身具や打製石鏃、 磨製石剣の切先などの武器類が出土 しているものもあり、居住域内には溝で囲んでいない墓も作 られていたようです。

 方形周溝墓と同時期の土器棺墓は16基見つかっています。 土器棺は甕や頸部を打ち欠いた壺を棺に用い、 高坏の坏部や 打ち欠いた土器片を蓋にしています。 土器棺内から骨は見つ かっていませんが、ほかの遺跡の調査例から乳胎児を葬った と考えられています。
 381
(5)方形周溝墓以外の墓
  土器棺墓群
 
土器棺墓SP40006
 
     
前期の土器棺ST22001 後期の土器棺SP56001
 383 351土器棺
土器棺
身:甕
蓋 : 高坏 坏部
SP40006
3-5・1~2
 384 353-土器棺
土器棺
身:壺  
蓋:細頸壺
SP40001 3-5-3~4
  土器棺 身:甕
蓋:高坏坏部
SP40002
3-5・5-6 
       

 前期の土器棺
前期の土器棺 前期の土器棺
身:甕
蓋: 蓋
ST22001
3-5・参考

 後期の土器棺
後期の土器棺

SP56001
3・5・参考3


 385 357-9装飾品と武器類
3-(5)
方形周溝墓以外の墓
土壙から見つかった装飾品等と武器類
3-5
管玉・石鏃
SK46004
3-5.7~9
管玉
サメ椎骨でできた玉
管玉SK46050
サメ椎骨:SK46069
3-5.10~16
土壙から見つかった武器類 3-5 石鏃
3-5・30~31
磨製石剣
17:SK46031
18:SK46049
3-5.17~18
打製尖頭器
SK40046
3-5・19
 

 390topic年輪年代法から見た弥生時代の年代
トピック
年輪年代法からみた弥生時代の年代

 年輪年代法は自然科学的年代測定法の一つで、誤差のない年代を確定すること ができます。
樹木の年輪は1年に1層できますが、気候条件によって年輪幅が変 わります。そこに着目し、現生木の年輪から過去に順次さかのぼってその変動変化を調べ、暦年の確定した長期の標準年輪変動パターン(暦年標準パターン)を あらかじめ作成します。

これと年代不明木材の年輪変動パターンとを照合し、双 方の年輪パターンが一致する年代位置が判明すれば、年代不明木材の年輪形成年 (年輪年代)を確定することができます。 樹木の最外年輪が残っていれば、その伐 採年代がわかります。

 日本では1980年から奈良文化財研究所の光谷拓実氏が研究を開始し、現在 はヒノキ、スギ、コウヤマキ、ヒノキアスナロの4樹種で適用できます。なかで もヒノキ、スギは約3000年間の暦年標準パターンが作成されています。

 391
年輪年代法からみた弥生時代の年代
長期の暦年標準パターンの作成法
長期の暦年標準パターンの作成状況(樹種別)
標本抜き取り器と採取した標本 (見本)
木棺の標本採取

 393
年輪年代法で出された弥生時代の年代

 1995年にニノ畦・横枕(にのあぜ・よこまくら)遺跡 (滋賀県) の辺材部が完全に残っている井戸枠材が、 紀元前60年と紀元前97年に伐採されたものであると測定されました。 井戸底からは中期後半の弥生土器が出土しています。

また、1996年の池上曽根遺跡(大阪府)の大型建築物の辺材部が完全に残っているヒノキの 柱 12 は、紀元前52年に伐採されたものであると測定され ました。 柱穴の掘形内からは中期後半の弥生土器が出土してい ます。

 これらの年輪年代法で出された年代は従来の弥生時代 の年代を見直す契機となりました。

 その後、AMS14C 年代測定や酸素同位体比年輪年代法によって弥生時代の開始年代も遡ることが分かりました。


コウヤマキの暦年標準パターンと玉津田中遺跡の木棺

 玉津田中遺跡の木棺材はコウヤマキが中心ですが、発掘調 査当時はコウヤマキの暦年標準パターンは紀元後 22年~741年までのものしか作成されていませんでした。

弥生時代中期の玉津田中遺跡や雁屋(かりや)遺跡 (大阪府) の木棺材を中心に暦 年未確定の781 年間分の標準パターンが作られました。
その後、2014年に4世紀以前の遺跡出土木村の年輪パターンで 連結することができ、 未確定の 781 年間が、 紀元前824年~ 紀元前44年であることが確定しました。

 玉津田中遺跡の棺材で一番新しい年輪年代は、SX40018 の ST40023 の西小ロ板で、紀元前 186年 + α層と判明しましたが、 辺材が残っていないため伐採年代は確定できませんでした。
SX40027 の ST40027 の底板は辺材が残っており、 紀元前274年+α 層と判明したことから伐採年代に近い年代だと考えられます。

 周溝内からは中期中葉の土器が出土しています。

年輪年代法で出された弥生時代の年代
コウヤマキの暦年標準パターンと玉津田中遺跡の木棺
西小口坂

 各年輪パターングラフと暦年標準パターングラフとの照合状況(一部)
各年輪パターングラフと
暦年標準パターングラフとの
照合状況(一部)
ST40030とST40023の照合状況
玉津田中遺跡出土木棺の年輪年代測定結果

 395SX40018
SX40018 周溝土器
SX40018南
トピック年輪年代2
木棺ST40027底板出土状況 SX40027-SX40022間土器出土状況 SX40027
ST40027
底板
トピック年輪年代 3
SX40027
周溝土器
4~5:SX40022-40027
6~8:SX40024-40027
トピック年輪年代 4~8
 


 400埋葬に関わる儀礼

 401 411-2行燈展示

木製器台に載った壺
 神戸市教育委員会が実施した第36次調査において検出した溝の底からクスノキの器台に載った状態で弥生土器の壺が出土しました。
この地点は SX46002 の隣接地であり一部しか発掘調査していませんが、周溝墓の周溝と考えられました。
壺の下部には孔があけられており、溝からは他にコウヤマキやカヤの材のみが出土していることからも裏付けられます。

木製器台に載った壺 周溝に置かれた木製器台に載った壺
出土状況
木製器台
 410
4埋葬にかかわる儀礼
 人の死に際して行われた儀礼について、時代はやや新しくなりますが、中国の歴史書『魏志倭人伝』(『三国志』中の「魏書」第30巻「烏丸鮮卑東夷伝」の「倭人条」)に、「人が死ぬと、棺はあるが槨のない土で封じた塚を作る。死から十日あまり(もがり)を行い、肉食をさける。喪主は泣き叫び、他の人は飲酒し歌舞する。埋葬が終わると家の者は、水に入り(みそぎ)を行う。」と埋葬にかかわる儀礼が記されています。
これらの儀礼に使われた土器や木器が方形周溝墓や平地建物から見つかってい ます。

4埋葬にかかわる儀礼
ST40043埋没状況 ST40043 封土上に立った土器

 411➀方形周溝墓から出土した土器
(1) 方形周溝墓から出土した土器
 方形周溝墓からはたくさんの土器が出土しました。
日常生活で使用される土器と同じものですが、本来貯蔵に使用される壺が火を受けてススが付着していたり、孔をあけたり、や、打ち欠いて本来の容器としての機能を無くしているものが多数あります。

 これらのほとんどの土器が周溝から見つかってい

ますが、周溝内の木蓋土壙(もくがいどこう) ST40043 の盛土の上から立った状態で出土しているものもあります。 このことから、これらの土器は埋葬にかかわる儀礼に使われた後、棺のそばに供えられ、周溝内から出土したものは転落したと考えられます。
この他、 周溝内からはコウヤマキ製の盤(木製皿)も出土しており、同じように使われたと考えられます。

(1)方形周溝墓から出土した土器
焦げた容器
SX40010
4-1-3
穿孔 打欠
棺封土上に
置かれた土器
ST40043 4-1-4
方形周溝墓から 出土した土器
4-1.5~21
 413 413
 415
           
           
 417
 

 418周溝から出土した土器
SX40002周辺 土器出土状況
SX40010西溝 土器出土状況
SX40002周辺 土器出土状況
SX40010西溝 土器出土状況
ST40040の周りの土器出土状況
石の入った土器

 ※石の入った土器は、墓前祭祀に使った土器を周溝に捨てるときに浮かないように石を詰めたと考えると、
  周溝には水が溜まっていたと思われます。蚊が発生して大変だったでしょうね。


 419特異な土器
壺スス・打欠 石が入った土器
SX40021-SX40022
4-1-24
他地域の土器
SX40013東溝
4-1-25
 
 
 
 430②平地建物の祭り

(2) 平地建物のまつり
 方形周溝墓群の南端、 居住域と水田の水路に挟まれた微高地から洪水砂で埋もれた平地建物 SB40002 が見つかりました。
床面に火を焚いた痕跡が残り、土器が30個体以上出土しました。
完全な形をした土器は体部に焼成後に孔があけられ、打ち欠いた土器もあります。

 この平地建物は立地(や)、木棺材にも使用されているモミの板材が(床に)敷かれていること、
穿孔や打ち欠きのある土器や碧玉製管玉・石鏃が出土していること、
南側の溝からコウヤマキの板材や炭化米が出土していることなどから

墓との関連性が想定され、埋葬にかかわる飲食物共食の場所であると考えられます。
 方形周溝墓群の南側には同様の遺構 SB40001 がもう1棟見つかっています。

平地建物SB40002 遺物出土状况 主要土器復元

(2) 平地建物のまつり 平地建物から出土した板材
SB40002 4-2-9
 431洪水の跡
洪水砂に埋もれていた土器 土器出土状況
土器出土状況 モミの板材
床面のモミの板材
平地建物SB40002 平地建物SB40001
 432 421-8平地建物の土器
穿孔
平地建物から 出土した土器
SB40002 4-2-1-8
           

 440 4210石鏃等
(2)平地建物の祭り

平地建物で見つかったもの
石鏃・管玉
4-2-10~15 SB40002
管玉
石鏃
SB40001 4-2-17~20
ハモ歯骨
SB40002 4-2-16
ハモ漁は延縄(はえなわ)か、ウナギ漁用のカゴ漁で捉えたのでしょうか。
ただ、ハエナワではワイヤーを使わないと鋭い歯で糸を切られるのですが。
小骨の多いハモを骨切して食べていたのでしょうか。真夏の食べ物としては欠かせない魚です。

ハモの骨を副葬するはずはなく、供献の食べ物として、好物を献じたのでしょうか。


 

 450石斧実演(兵庫県立考古博物館)

 館外では石斧の実演が始まっていました。私は若かった頃に鉄斧を使ったことがあります。見ていると、枯れ木に対して鉄斧と石斧にそんなに大きな差はないように思いました。
 あなたもいかがですか、と言われたのですが、腰痛があるので遠慮しました。後に腰に爆弾を抱えていることが判り遠慮は正解でした。
 私の疑問は、石斧の柄は、あっさりと割れてしまうのではないかと言うことでしたが、以外にも年輪の方向に垂直にはめ込むと割れにくいと教えていただきました。凄いものですね。

 いろいろ訪ねる中で、今回の特別展の 玉津田中遺跡は、館内常設展の『弥生の木工ムラ』として展示されているとのことで見に行きました。
すると、そこには、大量の木製農具の生産が展示されていました。
 木棺の見事な製作は、これらの木工技術の上に成り立っていたとわかりました。大木の伐採と板材へのコビキ。板組みの技術。
 過去に見てきた木棺墓は、土坑の中に、単に幅の狭い割り板を何枚も周囲に建て並べて外壁をつくり、底板を敷いたかどうかもわからない、
かなり、稚拙なつくりでした。同じ弥生時代にもかかわらず、これほど技術に差があるということには驚きました。

 更に、次の古墳時代になっても、この差は残っており、初期の埋葬施設の、割り竹形木棺墓のようなものから、組み立て式の木棺墓が採用される王朝期になると、時代は更に進んでいきました。


 弥生の木工ムラ(館内常設展の一部、玉津田中遺跡)
           

しかし、それにしても

鮮やかな紅梅です

特殊な品種でしょうか

 


 470石の宝殿(いしのほうでん) 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
 「日本の3不思議」とYouTubeに紹介され、水に浮かぶ巨石。など うたい文句の石の宝殿に行きました。

 石の宝殿一帯は天皇家の石棺などをつくるための砕石場でした。

 竜山石はあまりにも均一質なので溶結凝灰岩と思っていましたが、
 『白亜紀(約1億年前)の火山活動によって噴出した火山灰が凝固してできた流紋岩質溶結凝灰岩とされてきたが、近年は高砂市の調べにより当時宝殿周辺はカルデラ湖の底に沈んでいたことがわかり、湖底に噴出したマグマが湖水によって急速に冷却、破砕されてできた流紋岩質ハイアロクラスタイト(水冷破砕岩)であったことが判明している。』
 だそうで、流紋岩質マグマが破砕・粉砕された岩石が堆積したものらしい

 471
国指定史跡 石の宝殿及び竜山石(たつやまいし)採石遺跡

 竜山石採石遺跡は、 古墳時代から現代にいたるまでの遺跡です。 凝灰岩である竜山石を採掘し、西日本各地に供給してきました。
古墳時代には石室や石棺に、古代には宮都の礎石、中世には石造物、近世以降は建築材などに利用され、1700年間にわたって採石されています。

 石の宝殿は、 竜山石の岩盤を掘り込んで製作され、重量は推定465トンで、 古代の採石・ 加工技術の残る重要な遺構です。
現在は生石神社(おうしこじんじゃ)のご神体となっており、 人知の及ばないものとして信仰の対象にもなっています。
 この遺跡は、わが国にとって採石技術の変遷と流通の変化を知るうえで重要であるため、 平成26年(2014)10月6日に、110,399m2の範囲が、 国の史跡に指定されました。

石の宝殿及び竜山石採石遺跡
 史跡全体図 史跡全体図
 史跡南部(竜山地区) 観涛処(かんとうしょ)  観涛:波濤を見る場所
 
史跡北部(宝殿山地区) 石の宝殿 石の宝殿 石の宝殿
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 生石(おうしこ)神社
 古墳時代の皇族の石切り場だった場所に、石切り場の残骸として残る巨石を、のちの時代の人が、不思議石として、神社に祀り上げたものです。
鳥取県米子市天神垣神社では、磐井一族が土製埴輪に対抗して作った石製埴輪の石馬が江戸時代に発見され、神社に持ち込まれて「石馬大明神」と名付けられたのと同様、
 後世の人が、何もわからず、、、か、神様にしました。そして、いまだに、不思議な巨石などと、、、

 石の宝殿と同様な石棺や石室の失敗作は、奈良県明日香地方に沢山あるのに、そこでは信仰対象などにはなっていないのに、
地方では、イワシノアタマも‥‥ですね。

 下の切り出しの様子を見ると、対象物の周囲から非常に大量の石材を掘り取って、切り出されていることがわかります。

 472石の宝殿

正面左

正面右

右側面

背面

背面を見れば何か判明

完成していた石室用材

前面が欠けている

背面と同じものが前面にもあったのです

巨大な縄かけ突起

 473
史跡「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」平成26年(2014) 10月6日国指定

石の宝殿

 竜山石の岩盤を掘り込んで製作されている巨石遺構です。 重量は推定465トンあり、 幅6.47m 高さ 5.68m、奥行き 5.58mの直方体に屋根形の突起部がつきます。えぐり込まれた底面に水がたまり、浮かんでいるように見えることから「浮き石」とも呼ばれています。

 奈良時代に編さんされた、我が国最古の地誌 『播磨国風土記』に「大石」と記されています。日本国内で類をみない特異な構造物で、江戸時代以降、製作目的や年代等について諸説出されてきました。 古代以前の採石・ 加工技術を今に伝える貴重な遺構です。

 現在、生石神社のご神体となっています。縁起では、「神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が国土を鎮め、石の宮殿を造営していた。 未完成のままで夜が明けたが、 国土の安寧を願い二神が鎮座している」と伝えらています。 人知の及ばないものとして信仰の対象として崇められ、江戸時代以降多くの人々が訪れました。

史跡石の宝殿及び竜山石採石遺跡

実測図 完成予想図 俯瞰 播磨名所巡覧図絵
文化元年1804

※考察 石の宝殿とは 幅約6.5m、高さ約5.6m、奥行き約7.5m、推定重量は約500t。

 よく知られた話ですが、兵庫県高砂市の竜山石採石場では天皇家の葬祭具を作っていました。最初は、石棺やその蓋でしたが、後に石室そのものを作るようになりました。
 この頃の放置された石造物には、鬼の雪隠鬼の俎板(終末期古墳の横口式石槨)益田の岩船(未完成の横口式石槨)などがあります。
その中で、特に益田岩船は半分土に埋もれていますが、掘り出せば、石の宝殿そっくり。益田岩船では二つの横口式石槨がすでに彫られている。

 石の宝殿は、益田岩船よりさらに大きな石槨を作ろうとし、上部・正面・側面・背面も、更に二つの横口式石槨もすべて完成し、正面の下を掘って切り離す作業中でした。

その途中で正面の綱かけ突起部分(幅6.5m高さ5.6m奥行き1~2m)が割れ落ち、使用不能となって放置されました。

 正面部分の巨大な岩板が崩落した時には多くの石工や、石屑を運び出す人夫が下敷きとなって圧し潰されて瞬時に絶命し、更に前方向に転落したでしょう。この前方向の先は急斜面となっており、背面にあるのと同じ、むかしのブラウン管テレビのような、ロープを掛けて引くための出っ張りが支点となって急斜面を落下し、その下で作業していた沢山の人々に犠牲者がでたことでしょう。

 このため、未完成ではなく、壊れた石槨は放置され、底面を切り離そうとして掘っていたため溝となり、雨水が溜まって、ボウフラがではなく、水に浮かんでいるように見えると、讃えられたのでしょう。

 この地では、おそらく、これ以外の失敗作は残っておらず、あきらめたか、竜山石の別の石切り場から切り出しに成功して飛鳥まで運ばれ、どこかの古墳内に眠っているか、あるいはもう破壊されたか。想像するだけですが不明です。

 日本人は何でも信仰の対象にしてしまう。米子市では大山石製の石馬が石馬大明神。土中から掘り出した農民が神社に持ち込み、早速、御利益があると…?きっと持ち込まれた神社側も処置に困ってのことかもしれませんが。この石の宝殿も、生石神社(おうしこ)というのを立ち上げて、そのご神体となっている。商魂たくましい…。

 いや、そればかりではないのだと私は考える。高松塚古墳は未盗掘だったが、これには隠れた秘密があり、この古墳の前には尼庵が建てられ、長い間盗掘から守られてきたのです。きっと昔の人はこの築山が「尊いお方のお墓」もしくは、墓の主の名前も知っていたのかもしれません。そのようにして飛鳥でも数々の古墳が守られてきたのでしょう。

 飛鳥の大規模な終末期古墳群は、しかし、田中内閣の列島改造論のもと、一夜にしてブルドーザーで何十という古墳が破壊され、それを阻止しようとした大谷大学の学生は、機動隊に棍棒で滅多打ちにされた。この傾向は日本中で起こり、下関市立考古博物館でも夜間にブルドーザーの前に立ちはだかる学芸員の姿が写真で展示されている。日本各地で勇気のある姿で遺跡を守ろうとする人々が記録されている。

 そんな中で発見された絵画古墳でしたが、当時大阪大学教授で、発掘を引き継いだ網干善教のチームが絵画古墳を発表し、時の環境大臣が文化財保護法を成立させ、、、時すでに遅し。絵画古墳の可能性のあった古墳は、キトラ古墳を除いて破壊されつくしたあとだった。
 ただし、高松塚もキトラもこのあとはひどい運命をたどり、結局は破壊されてしまう。

 それは、立ち入り禁止だったにもかかわらず、高松塚古墳内には、しょっちゅう国の権力者が、重要人物を案内して(防護服でなく普通のコートや背広で)中に入らせ、そのために次第にカビが繁殖し始め、温湿度管理施設もなく、厳重な管理もできないまま崩落が始まり、結局どうにもならなくなって破壊してしまったのだ。いわば、証拠隠滅をしたのです。
 
 石の宝殿も、石馬大明神も、宗教による保護がなければ、すでに売り払われて庭石になっていたり、石の宝殿は大阪城の石垣になっていたかもしれない。って、生石神社の成立平安末期から鎌倉初頭には文献記載があった

 石馬については、余計な想像だが、磐井は都に出仕して朝廷に使えていたので、その行き返りに立ち寄る米子で、馬形埴輪に代わる石馬を広めたのかもしれない。しかしその後年、一年間も鎮圧出来なかった磐井の反乱を、鎮圧した物部氏の軍隊は(おそらく私兵)、海路日本海航路を辿り、その中で、九州で散々残酷な暴れまわって石製埴輪を磐井だとして破壊しつくした荒くれ私兵が、米子に停泊した時、九州同様の暴力を怖れて土に埋めたか、九州同様に暴れたか、で土に埋められた石馬だったのかもしれない。

 
生石(おうしこ)神社 本社

流造(ながれづくり)の屋根をもつ木造建築で、棟札の記載により、天保15年(1844) に建てられたと考えられます。文化4年(1807)に焼失したのちに再建され、 昭和 54 年 (1979) に屋根は檜皮葺きから銅板葺きに変更されています。 拝殿とも呼ばれました。

生石神社

 474石の宝殿からの眺望
今も採石が続いています

 476
竜山1号墳

古墳時代終末期の7世紀に築造された古墳です。 墳丘は失われ墳形や規模は不明ですが、 東西約7m×南北約8mの平坦地に築かれています。 主体部は横穴石室が築かれ、 玄室は奥壁2段、 西側壁2段、 東側壁2段のみ残されています。
石室の規模は、幅0.85m×長さ1.5m以上 × 高さ 1.2m以上と推定でき、主軸はほぼ南北方向で、南方向に開口します。

発掘調査の結果、石室内に石棺が安置されていたことがわかりました。石棺は竜山石製で、 棺蓋は家形の無突起、 棺身は刳抜式です。蓋身を合わせた大きさは、全長118cm×幅60cm × 高さ 62cmです。被葬者は不明ですが、 石の宝殿製作との関連が注目されます。
石棺は長らく石室外の南側にありましたが、 整備工事で石室内の元の位置に、 蓋と身を合わせた状態に戻されました。

竜山1号墳 竜山1号墳
石室と石棺
(2009年発掘調査)
石室全景
(2023年整備前)
石棺の位置
 (2009年発掘調査)
石室実測図
 (2023年整備前)
石棺実測図
上空からみた竜山1号墳と石の宝殿

 477竜山1号墳
 天皇家の石切り場を担当していた役人か、石切り場のかしらの墓だろうか。
  以前は、埴輪づくりのかしらの墓が埴輪棺でつくられていたことがある。