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 北海道の観光 №7 2022.06.25(土)~06.27(月)

 余市周辺の地学・考古学と観光
 2022.06.25-1 フゴッペ洞窟
 2022.06.25-3 赤井川カルデラとストーンサークル
 2022.06.25-4 天狗山展望台
 2022.06.26-1 ニッカウヰスキー
 2022.06.26-2 積丹半島
 2022.06.27-1 ローソク岩

交通 レンタカー

近隣観光地
近隣博物館 旧下ヨイチ運上家旧余市福原漁場、etc
 
 
 目次

10フゴッペ洞窟
※フゴッペ洞窟の怪
11解説用リーフレット

20赤井川カルデラ
21赤井川カルデラと余市川カルデラ
23赤井川カルデラ展望所
25赤井川村
30余市湾南岸の環状列石
31西崎山環状列石
33環状列石
40地鎮山環状列石
50忍路環状列石
51案内板の記述

60天狗山展望台
70ニッカウヰスキー余市蒸留所
71売店
72工場パンフレット
73工場見学
76蒸留棟
86貯蔵棟
87試飲会場
100積丹半島
110積丹半島の地形地質
111余市湾
113ローソク岩
黄金岬エリア
積丹岬エリア
神威岬エリア
165神威岩
173茂岩海岸弁天島
 

 10フゴッペ洞窟 続縄文時代 1500~2000年前 北海道余市郡余市町栄町87 

 フゴッペ洞窟の絵

  フゴッペ洞窟は、北海道余市町栄町にある国指定史跡で、岩壁に800を超える刻画が残されている洞窟遺跡です。
  約1500~2000年前の続縄文時代に彫られたと推測されており、世界的に貴重な遺跡として知られています。
【特徴】
  縄文海進による波浪浸食でえぐられた海食洞
  岩壁には人物や動物、舟、魚、海獣などの刻画が彫られている
  角や翼で仮装した人像が多く見られ、シャーマンを表したものと推察されている
  堆積土層からは土器や骨角器、炉跡なども発見されている
【見学情報】
  開館時間は9時から16時30分(最終入場)で、毎週月曜日と祝祭日の翌日(月曜日が祝日の場合は開館)が休館日です
  入場料は大人300円、小中高生100円、団体(20名以上)2割引です
  見学所要時間は約30分です
  施設内での撮影は禁止されています
  中央バスで「フゴッペ洞窟前」下車、徒歩1分です
  駐車場(10台)もあります
【関連情報】
  フゴッペ洞窟と並んで日本国内で続縄文時代の壁面彫刻を見られるのは、隣まち・小樽の手宮洞窟です。

外観 洞窟を構成する丘陵
洞窟を囲う建物 飛び出した入口
独特な建築
こんな石がゴロゴロ いつの頃かの標識石

 ※フゴッペ洞窟の怪
(1)
 受付で「このあと余市の博物館など行きますか?と聞かれたのでハイと答えると、3倍の料金を請求された。
何も知らなかったらそのまま支払っていただろう。おかしい!高い!3倍ほどじゃないか!というと、勝手に3館入場のチケットを売りつけ、
何も言わずに3倍料金を盗ろうとしていた。
 何のことだと思うと、受け付けは若い男の子。そのそばでジジイがそれを見ている。ははーん。この爺が館長かなんぞで、若い子に
こんなチケットのだまし売りを指示しているのだなと分かった。

(2)
 館内を見ていると、QRコードで見るようになっていた。わざわざこんなことしなくても普通に文書を書けばいいものをそれを
ワザワザ暗号コードに置き換えるなんてバカの所業。
 入口にカメラ禁止と書いてあったので、これってカメラで見るんだな。と言ったら、先ほどの若い男が、なんと、館内カメラ禁止ですという。
???
じゃどうするんだ!と言ったら、ソフトをDLするんだという。そして、指定してDLさせたのが、有料QRコードリーダーのソフト。
しかも、それはうまく入らず、うまく作動しなかった。そのくせ料金が発生すると表示された。

 もうメチャクチャで、ぼったくりで、カメラ禁止のところでカメラを使わせ、たずねたら、メチャクチャする。
 こんなひどい館は二度と行かない。


 11解説用リーフレット
三つ折り表
これってザジィですね
三つ折り中


フゴッペ洞窟発見 フゴッペ洞窟発見 ― 1950

昭和25(1950)年、 札幌市の考古学少年、大塚誠之助氏が発見した土器片がきっかけとなって 発見されました。
昭和26年からの調査前のフゴッペ洞窟 (1951年)北大名取助教授を団長とした調査団による発掘の結果、
国内最大級の刻画のある洞窟遺跡が発見されました。

洞窟を利用した人びと・道具

調査される前までの洞窟は大半が土砂に埋もれたタイムカプセルでした。
続縄文時代の土器や石器、骨角器、動物や魚の骨が 眠っていました。
何よりもおどろきだったのは岩壁に刻まれた絵(岩面刻画) でした。

貝類は二枚貝や巻貝、ヒラメ、カレイなどの沿岸魚 やクジラの骨が出土しています。
アホウドリなどの鳥類、哺乳類ではシカが多く キツネ、タヌキ、オオカミな どの骨もありました。


後北式土器とは
後期北海道式薄手縄文土器の 略称で1~5世紀ころに 使われた土器です。

洞窟を利用した人びと・道具
後北式土器
ナイフ
刻線のある骨製針

 岩面刻画
岩面刻画
(有翼人物,人物像など)

 描かれた岩面刻画-かたち
描かれた岩面刻画
-かたち
鹿骨の卜骨,角斧
描かれた岩面刻画-かたち

 岩に刻まれた絵(刻画)は約800点を数えます。
 それらは道具をもちいて叩く、削る、回転させて穴をほる といった方法で描かれています。
 人物像、 角や翼の仮装をした人物像 舟、 四本足獣、魚などが表現され、
 何らかの願いや祈りをこめるために
 仮装した人物像を表わしたものと考えられています。

 刻画を描くために使われた道具には角斧、石斧などがあります。
 木の枝、あるいは骨なども考えられます。

 昭和46(1971)年には洞窟入口付近から、占いに使われたシカの骨(骨) や7世紀の大刀が出土しました。
 この洞窟のまわりで狩猟・漁労をしていた人たちが岩に刻画を描き、 なにかの儀式を洞窟の中でしていたのでしょうか。


岩面刻画のひろがり
岩面刻画のある続縄文文化の洞窟遺跡は、 フゴッペ洞窟と小樽市手宮洞窟の2ヶ所しか見つかっていません。
北東アジア各地には広く岩面刻画が分布し、舟や人物像などフゴッペ洞窟と似たものもありますが、関連性はわかっていません。

岩面刻画のひろがり
舟の刻画
左: フゴッペ洞窟
右: ロシアシェルメチェーヴォ遺跡
 

 20赤井川カルデラ
   活動期170~130万年前 
   余市川カルデラ350~270万年前の間のどこかで活動


赤井川カルデラは、北海道赤井川村仁木町にまたがる楕円形のカルデラで、約170万~130万年前の火山活動によって形成されました。
【赤井川カルデラの歴史】
  大爆発によってできた噴火口に水が溜まり、大きな湖ができました。
  羊蹄山の噴火による大地震でカルデラの一部が崩れ、流れ出した水が山を削り、カルデラ盆地ができました。
  カルデラ壁の標高は最高で大黒山の725m、カルデラ底はおよそ150mです。

  ※カルデラ底:カルデラの底部の平坦面。普通はその上にカルデラ湖や土砂が堆積している。赤井川村のカルデラ内平坦面は直径6~7km。

【赤井川カルデラの地質】
  赤井川カルデラは、北海道赤井川村、仁木町にまたがる直径およそ直径6-7 kmの楕円形のカルデラである。
  カルデラ壁の標高は最高で大黒山の725m。 カルデラ底はおよそ150m。 地質は安山岩デイサイト流紋岩から成る。
【赤井川村の産業】
 ・赤井川村は、四方を山に囲まれたカルデラ盆地の地形を活かした農業が盛ん。
  また、盆地特有の内陸気候により北海道で最も降雪量の多い地域のひとつとされています。
  昼夜の気温差が大きいことから、良質な果物や野菜が作られています。北海道で栽培できる農産物は何でもできるといわれています。
 ・また、スキー場を中心としたキロロリゾートのオープンなどにより、観光・サービス業の就業者も増加しています。
【農業】
  水稲、南瓜、馬鈴薯、ブロッコリー、ミニトマト、カラーピーマン、パプリカ、メロン、トルコギキョウなどの栽培
  アスパラガス、イチゴ、じゃがいも、スイカ、スイートコーンなどの栽培
  米、かぼちゃ、ブロッコリーといった品種の作付け面積が広く、ハウス栽培の増加によって野菜の栽培比率が増えている
【観光】
  冬期間のウィンタースポーツ(スキーなど)
  夏期のゴルフ、テニス、パークゴルフなど
  フィッシング
  大自然に囲まれた環境
【特産品】
  野菜やフルーツをはじめ、それらを使った赤井川ジェラートや加工品、お酒など
【その他の特徴】
  四方を山に囲まれた「カルデラ」のような地形が四季折々の美しい景色を見せる
  赤井川村は「日本で最も美しい村」連合に加盟しており、四季折々の美しい景色を見せています

【赤井川カルデラ温泉・保養センター】


 21赤井川カルデラと余市川カルデラ

赤井川カルデラは黒曜石産地で有名です。
 活動時期:170万~130万年前
 カルデラ内壁の直径:6~7km
 最大標高:725m
 地質:安山岩・デイサイト(二酸化ケイ素を多く含んだ岩石)
    流紋岩(花崗岩と同じ組成だが、地表近くで急速に冷却され結晶が小さくガラス質に富む)

余市川カルデラは、赤井川カルデラより古いということより踏み込んだ記述がない。
しかし、「J-Stage西南北海道,赤井川カルデラの火山層序とカルデラ形成史」では間接的な記述が見られた。

←左図は、赤井川カルデラとそれを取り巻く余市川カルデラを表していると思われるが、
黒塗の火山はLate pliocene Lava(後期鮮新世)とされている。この頃この付近の地下は東西圧力が強く一斉に巨大噴火が起こったようです。下地図➀には外れていますが、積丹半島もこの頃の火山活動の激しさによってできた陸地です。
 さて、後期鮮新世は3.5~2.7Ma(350~270万年前)ですから、この時代に余市川カルデラができ、その200~100万年後の170万年前に内側に赤井川カルデラが形成され、二重カルデラができたことになります。
しかし、積丹半島の火山群は1200~900万年前に活動しているので、この黒塗り火山は新生代第三紀中新世後期(1000万年前頃)の活動となり、後期鮮新世よりも古いようです。ただ、風化の様子からは、積丹半島の火山群よりは新しいようです。
すると、中新世後期ですから900万年~500万年前頃となるでしょうか。

➀巨大火山密集地帯の道央
赤井川カルデラと
余市川カルデラ
外円:余市川カルデラ外周
内円:赤井川カルデラ外周
外側余市川カルデラ
内側赤井川カルデラ
引用「日本地形千景プラス赤井川の二重カルデラ」

引用「日本地形千景プラス赤井川の二重カルデラ」

引用「no+e」

 23赤井川カルデラ展望所 冷水峠展望所 北海道冷水峠
  展望方向は南方向です。
 
今や、赤井川カルデラの外輪山は余市川カルデラの外輪山。赤井川カルデラ内輪山は赤井川カルデラの外輪山であることがわかりました。
カルデラ内にできた小噴火の跡、つまり溶岩ドームは丸山・北丸山です。
余市川カルデラの外側に見えるのは、羊蹄山(1898m)とニセコ連峰(1308m)です。


googlemap
外輪山斗内輪山
赤井川カルデラ
冷水峠展望所
カルデラ外輪山頂部
展望案内板

 しかし、それにしても、つい最近まで、赤井川カルデラの外側に、つまり赤井川以前に、もっと大きなカルデラ噴火の跡があり、
それが、100万年以上も経ってから、もう一度その内部にカルデラ噴火を起こすとは思いもよりませんでした。
 二重式カルデラとして有名な阿蘇山青ヶ島ですが、もちろんそれら以外にも沢山のカルデラ噴火の地形が全国に見られます。
しかし、それらの多くはカルデラ外輪山と中央火口丘です。阿蘇山も青ヶ島も中央火口丘の噴火口を指して二重カルデラと呼ぶのでしょう。
すると、この赤井川カルデラは、カルデラの中に陥没を伴うカルデラ噴火した二重カルデラとしては私の知る限りでは唯一です。

 紀伊半島のカルデラ噴火では、馬蹄形にマグマを吹き出して外輪山を形成した後、空隙(くうげき)になったマグマ溜の中に山体上部が崩れ落ちカルデラ(鍋底)となる。しかし、カルデラ底部のマグマ溜りに残ったマグマは冷えて巨大な安山岩塊となり、次第に浮かび上がって紀伊半島中部の山岳を形成しました。屋久島はカルデラ噴火ではなく単成火山ですが、地下のマグマ溜が冷えて浮上したためにできた島です。固体は液体に比べると軽いので浮かび上がるのです。こんな安山岩の山は日本中にあります。

 余市川カルデラでは噴火後もマグマ溜は冷えず、100万~200万年もの後まで溶解し続けていて、しかも周囲に側火山噴火などせず、沈静していて
100万年以上経った後にカルデラ内部に、もう一度カルデラ噴火を起こした。という、奇跡のような本物の二重カルデラです。

 鳥取県の大山に登ると山頂からは大山をぐるりと取り囲む外輪山のようなものが見られます。大山は単成火山です。
地図で見ると、大山を取り囲む南側山塊との間にかつての堰止湖の跡がある
 まるで、➀とても古い外輪山と、その内側にできた火山か、②大山が初期に大噴火を起こしてあたり一帯の広大な地域を吹き飛ばしたため、円形の窪地ができ、そのあとに成長したのが鳥取県大山であるかのように見えます。
 火山があたり一帯の山々を吹き飛ばしてしまうということは、米国イエローストーンではとても広大な山脈の一部を吹き飛ばしている。
 カルデラ噴火とはこんなにも凄いものだと言うことがよくわかりました。

 25赤井川村
 カルデラ内部は6~7kmの窪地で農耕地となっている。

 カルデラと言われる青ヶ島火山は、噴火によってマグマを吹き出し、カラになったマグマ溜(まぐまだまり)内部に、火山の山体上部が崩れ落ちて広大な火口壁が口を開けたため、円形となり、カルデラつまりなべ底と呼ばれるようになったが、カルデラ噴火ではないため、本当に円形窪地であるので、外に流れ出る河川がなく島の内部に河川はない。降った雨は全て火口内に滲み込んで池となっていたが、天明3(1783)の噴火で池の下から噴火し、円錐形の火山を形成し、円形の噴火口を見せている。そのため、二重カルデラと呼ばれている。

 一方、カルデラ噴火は、広大な土地に馬蹄形の線状噴火が起き、大量のマグマを吹き出すため、円形ではなく後に河川が流出する。
 赤井川カルデラでは南東方向は火口壁が切れて、外部への河川の流出が見られる。
 しかし、その外側には更に古い余市川カルデラがあり、そのカルデラ内部に沿って川が流れ、余市湾に注いでいる。

 赤井川カルデラがカルデラ噴火を起こした時、どれほどの山岳地域を吹き飛ばしたかはわからないが、余市川カルデラで残っているのは、
 南東から南西、西側で余市湾にかかった部分については海蝕作用によって消滅したのかもしれない。後に出るシリパ岬のように
 

 赤井川村
肥沃な農地が続く
カルデラ内道路
赤井川外輪山 余市川カルデラ外輪山
カルデラ湖時代に酸性土壌は洗い流されたか 肥沃な土壌が続く
6月末に裸地とは、これから植え付け開始か
6月末に何も植わっていない畑

赤井川小学校 カルデラ公園 赤井川小学校のシンボルタワー
カルデラ内風景
 

 30余市湾南岸の環状列石

 31西崎山環状列石 縄文後期 北海道余市郡余市町栄町551

西崎山環状列石は、小樽市との境界である畚部岬に連なる丘陵上の広い範囲にわたって人為的な配石が見られる遺跡です。
そのうちの保存整備され見学ができる地区は長径20メートル、短径10メートルの楕円形をしており、そのなかに直径1メートル前後の配石7基が集中しています。配石は丸い河原石や角のある柱状の石を日時計型に配置しているのが特徴的で、その周囲にも不規則に石が散在しています。これまで幾度かの発掘調査や分布調査などが行われ、配石の地下には人為的に掘り込まれた跡があり、縄文時代後期の土器片が出土していることから、約3,500年前のお墓であると考えられています。引用「西崎山環状列石」

・西崎山環状列石群は、第1区から第4区に区分されますが、このうち、第1区が西崎山環状列石として史跡に指定されています。
・指定地の第1区は、余市駅から東南へ5.5km、海抜70mの西崎山の丘上にあります。
・このサークルは縄文時代後期の墓で、直径1~2mの遺構が7か所密集して、一つの大きなサークルを形成しており、長径17m、短径12mの楕円形をなし、大小数百個の自然石が並べられています。
・大きいサークルを構成する小さいサークルの一つ一つは墓穴と思われます。土器や石鏃が発見されています。
  引用「文化財オンライン西崎山環状列石」
 
 313案内板
説明
一、指定文化財の名称  道指定史跡 西崎山環状列石
二、指定の年月日 昭和二十六年九月六日
三、指定の理由 古代人の残した石造り遺構として考古学界の学術調査上重要な遺跡として認められ、北海道教育委員会より史跡文化財として
  指定を受けた。
四、説明事項 環状列石(ストンサークル)は直径一m程の環をなして、自然石のやや大きいのが並んでおり現在七ケ所残っているが
  元はそれ以上あった ものと思われ、その構造からみてもまた穴の中の燐分から云っても古代の墳墓であろうと推定されております。
  この丘陵には四つの墓壙状の列石があり立石の最大のもので高さ約七〇~八○cm、穴の深さ一m位で穴内の土中から燐分が検出され、
  また敷石附近から縄文土器の破片が多数出ました。

五、注意
一、無断で内に立入らないで下さい。
一、地域内より出土した埋蔵物を勝手に持ち去ることのないように致しましょう。
一、その他史跡の保存に支障のある行為をした場合、厳重に処罰されることがありますからお互いに気をつけましょう。

  北海道教育委員会 余市町教育委員会

説明


説 明
一、指定文化財の名称  北海道指定史跡 西崎山環状列石
二、指定の年月日  昭和26年9月6日
三、指定の理由  縄文時代の人びとか石を配置させて作った遺跡で考古学上重要な遺跡として認められたため
四、說明事項 環状列石(ストーンサークル)は直径約1mの環状に自然石を配列させた もので、 現在7ヶ所残っていますか、
  かつてはそれ以上あったものと思われ、その構造や発見された土器片などから縄文時代後期(約3500年前)の墓域と推定されています。
  この丘陵には4つの列石群があり、立石は最 大で高さ約70~80cm、深さ1m位の土坑からは燐分が検出され、
また敷石付近から縄文土器の破片が発見されました。

五、注意
一、無断で柵内に立入らないで下さい。
一、地域内より出土した埋蔵物を勝手に ることのないようにしましょ
一、 その他史跡の保存に障のある行為をした場合処罰されることがあります。

北海道教育委 余市町教育委員会

 33環状列石
※環状列石というのは、大きな円形に石が並べられ、それぞれの石の下に個人の骨を埋葬すると思っていましたが、
ここはちょっと違うのかな。
それぞれ個人の墓が円形に並べられた石の下にありこれを環状列石と言い、その環状列石が環状に配置されるのではなく、
現在のところ、かなり無秩序に密集しているようだ。
いや、元来は環状に列石が配置されていたが、やがて、あいた所に円形墓坑を作ったために無秩序密集となってしまったのかもしれない。

 環状列石の中心となる立石があちらにもこちらにも、そして、倒れたのもあるのかな。ちょっとわからなくなっています。
この立石は、現代の墓標または、自他のサークルを区別する目的で立てられたもののようで、大湯環状列石のように
環状列石の中心を示すものでも、周囲の山をもとにした、夏至や冬至の暦や基準とするものでもないようです。

 
 40
 40地鎮山環状列石 3500年前 縄文後期
  場所はわかったのですが、森の中への入り口がわかりませんでした。 春か晩秋の、草のない時期がよかったようです。

北海道指定史跡地鎮山環状列石(地鎮山ストーンサークル)
  所 在 地 忍路2丁目
  指定年月日 昭和25年8月28日
  管 理 者 小樽市

 地鎮山環状列石(地鎮山ストーンサークル)は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。
 頂上(標高約50m)の平らな地点に、高さ1mほどの立石を12個使い、長径10m短径8mの楕円形区画をしています。
 昭和224年(1949)に行われた発掘調査では、中央付近の石を敷き詰めた部分の下から、縦横2m、深さ1mの四角い墓穴が見つかりました。
 この尾根には小規模なストーンサークルが他にも存在し、周辺にも忍路、西崎山などのストーンサークルや忍路土場遺跡など
 同じ時代の遺跡が多く知られています。
 なお、貴重な遺跡保護のため、柵内への立ち入りはご遠慮ください。 小樽市教育委員会 引用「地鎮山環状列石」

写真引用文化財オンライン 写真中央の大きな穴を見て破壊の跡だと思いました。しかし、
列石中央から縦横2m深さ1mの墓穴が発見され、それが埋め戻されずに
そのまま残された物てあると確信し、この写真をお借りしました。
 

 50忍路環状列石 3500年前 縄文後期
※ありました。今度は入りやすい広い道路だ。でもちょっと待てよ。ここ、畑? あれ、この道路なんかおかしい。石が直線に並んでいるぞ?

 513案内板の記述
国指定史跡忍路環状列石
所在地 忍路2丁目  指定年月日 昭和36年3月10日  管理者 小 樽 市

 忍路環状列石(ストーン・サークル) は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。
 ゆるやかな斜面を平らな面に造成し、 南北33m、 東西22mの楕円形に石を配置して造られています。 近代になって一部手を加えられ、 造られた往時とは異なっているところがありますが、 隣接する忍路土場遺跡との関係から、縄文時代の生活を知ることのできる重要な遺跡です。

 この頃の東日本では、石を円形に敷きつめたり、あるいは石を環状に配置したお墓、 いわゆるストーン・サークルが造られており、
その技術と文化が北海道にも入り、その後独自の変化をとげていきます。
 ストーンサークルの用途については、各地での調査例から日常の生活空間と区別された墓地で、死者を弔う儀式も行われた場所であると考えられています。
 なお、貴重な遺跡の保護のため、立入りはご遠慮下さい。
  小樽市教育委員会

とか書いてるけれど、最近になって破壊された跡じゃないの。隣の農地に道路を付けるために

 53
環状列石は何んにもないよ。ところどころにセメントで作ったような小さな柱は立っているけど。
広場の真ん中の石は全部端の方に片付けられて、列石がない。こりゃ破壊攪乱の跡だ。畑にしようとしたらしい。しかも最近だぞ。

ネットの写真とは様相が全く違う。この破壊を隠すために草やフキの生え放題にしてあるのだろう。これでは何もわからないが、
かつての整備された当時の写真とは全く違う。文化財保護法違反の重罪だぞ。
 
 

 60天狗山展望台
 余市湾が一望できるだろう山の上に上がってみた。
 ここはスキー場で、ふもとからロープウェイで上がります。展望も良くウインタースポーツ得意な北海道人には憩いの場所らしい。
 
余市湾が一望に見渡せる。
子供の乗るカートは、上に登って行く スライダー
子供¥400大人¥700
終点から再度 下って来るようです。 終点まで行くと、
ブレーキ一つで
急降下する

おもしろい遊具
引用
ジップライン 爽快な気分に成れそう
ぶら下がり姿勢が
ダサい

こんな風に滑りたい
絶景を見ながらコーヒーブレイク
シマリス公園 本当にシマリスがいた。 飼ってみたいですけど北海道固有種で、
南の地域ではタヒぬ
 70

 70ニッカウヰスキー余市蒸留所

 この日工場見学でなく、工場の見学に行った。売店や工場などを眺めて、売店のみやげを少し買って帰るつもりだった。
 71売店
売店と案内棟 工場らしき… 大企業にしては小さな建物と思ったが中は広かった
一階事務棟
二階試飲・レストラン
売店はまだ閉店中 事務棟は入れた
トイレを借りる名目で
いい気分になって写真も撮った。

 ところが、その内に、工場見学がしたくなり、警備員に尋ねると、電話を掛けて聞けということだった。
 翌日の見学を申し込むことになると聞いていたので、そのつもりで掛けたら、居場所を尋ねられ、今すぐに参加を!と言われ、走って入った。
 どうやら尋ねた警備員が連絡したらしい。
 あっという間に、全ての警備員や、案内担当に随時情報が伝わり、走ってても咎められず、参加できた。
 しかも、電話を受けたのは、外で見学者を案内していた係員だったらしい。遠隔で電話を受けるなんて、そんなことができるのか。
 
 考えれば、みんな遠くから観光に来ているのに、また明日、と言われたら、困るよね。もう一日余市に泊れない。が現実。
 実にスマートでスピーディーな対応でした。感謝!

 72工場パンフレット

ここが、
竹鶴が夢見た理想郷。
余市蒸溜所へようこそ。

ここは、ある男の夢の原点。 本物のウイスキーづくり
をかなえる、 約束の地。 豊かな水、 澄んだ空気、冷涼湿潤な気候、 灼熱の炎と熟練の技によって生み出されるこの地のモルト原酒には、微かな潮の香りが漂うと言われます。
ニッカウヰスキー余市蒸溜所。
1934年に創業者・竹鶴政孝によって設立されてから、ニッカウヰスキーの聖地として竹鶴の夢と情熱を受け継ぎ、今も重厚で力強い余市モルトをつくり続けて います。 歴史を刻む建造物と厳しくも豊かな大自然の中、ウイスキーの夢の旅をお楽しみください。

ニッカウヰスキー
余市蒸留所
ここが、
竹鶴が見た理想郷
蒸留所MAP 黄色い動線が
見学コース
ウイスキーの製造工程
ウイスキーの歴史を知る


モルトウイスキーのつくりかた

長い時間をかけ、多くの工程を経てつくられるウイスキー。
余市蒸溜所では、熟練の職人たちが手間を惜しまず、竹鶴政孝が目指した「本物のウイスキーづくり」に情熱を燃やし続けています。

製麦
原料となる大麦を水に浸して
温に保って発芽させ、粒の中に 酵素を生成させます。

乾燥
発芽したらピート(草炭) や無煙炭 を焚いて乾燥させ、芽の成長を止 めてモルト(麦芽) をつくります。 燻したピートの香りがモルトに移り、
ウイスキー独特のスモーキーな香り が生まれます。

糖化
細かく砕いたモルトと65°C前後の 温水を、ゆっくり混ぜ合わせます。 麦芽の中の酵素が働き、甘い麦汁 ができます(マッシング)。

醗酵
ろ過した麦汁に酵母を加えて 酵させると、糖分がアルコールに 分解され、アルコール分7~8% 程度の醗酵液(もろみ) ができます。

蒸溜
醗酵液(もろみ)を加熱し、 アル コール分と香味成分を抽出します。 余市蒸溜所では、石炭直火蒸溜 によって重厚でコクのあるモルト 原酒をつくっています。

貯蔵熟成
溶液をアルコール分63%程度に 調整し、樽に詰めて長期間熟成させ ます。 樽材の成分や熟成の間の気温・
湿度などにより、さまざまな個性を持つ、味わい深く香り高い現珀色の液体へと変化していきます。

モルトウイスキーのつくり方

 73工場見学
 74発酵棟
蒸留棟ここがメイン の工場だが…
見学者向きによくデザインされた場内だ。
各所にあるお城のような建物は古い北海道

特有の建築だが、新しい設備に生かされて

カッコイイ
説明パネル
 75発酵棟・モルトの生産
  蒸留所というのは、モルト生産所のこと。ウイスキー原料のモルトを生産する重要な場所。
モルトの生産工程図 モルト生産工程  この図の詳細を見て、子供の頃大きな花瓶に仏花をいけるのに、芯に小麦の束が適しており、それを作るために小麦を育てた。
 採れた小麦の茎は必要だが小麦の実は不用。捨てるものの一部を採って麦芽飴を作ったことを思い出した。これに酵母を加えるとモルト原料ができると知って驚いた。

麦芽の乾燥
種麦を水に浸けて一晩おくと、発芽・芽を出す。これを麦芽という。

麦芽は乾燥させ粉末にする。(石臼で挽く)

 ※この麦芽粉末を、澱粉に混ぜると分解し、糖化する(麦芽糖)。これを煮詰めると飴ができる。(ぎょうせん飴)
 ※麦の種があれば、誰でも麦芽糖を作ることができる。私も子供の時に母に教わって作りました。
 ※今なら、電気釜のご飯に麦芽粉末を振りかけて放置すると溶けて全て水あめになる。

モルト生産ではこの乾燥時にわざと苦味やくさみ(フレーバーな香り)をピートモスで燻してつける。
澱粉の糖化 先ほど述べたように、乾燥麦芽を粉砕し、澱粉に混ぜてタンクで糖分に分解させ麦芽糖を作る。(麦汁(ばくじゅう))

使用する澱粉は二条大麦です。 粒が大きく澱粉が多い。麦焼酎に使われる。

麦汁ができた。

アルコール醗酵 麦汁(麦芽糖)に酵母菌(家庭でパン作りに使うイースト菌のこと)、ただし、ここでは、ニッカ厳選の種菌を入れて
アルコール醗酵させる。

種麦を通販で買って、発芽させ、芽が出たら天日に干して乾燥し、ミキサーなどで粗挽きし、電気釜のご飯に振りかけ、
24時間保温して放置すれば麦汁(甘い汁)。冷ましたら口の広い入れ物に移し、イースト菌を入れて口を通気性のある布を被せてしばっておけば、アルコール醗酵する。醗酵が止まったら布で濾して酒ができる。更にこれを1~3ヶ月熟成放置するとうまい酒ができる。密造酒と言う。売ったりすると捕まる。

蒸留・貯蔵熟成 アルコール醗酵すると泡ができるので攪拌してガス抜きをする。
発酵液をサイホン(ポットスチル)に入れて蒸留し、アルコールを分離する。
樽に詰めて樽材から滲みだす樹液や、長年貯蔵することによるまろみが加わり、熟成される。

発酵液をそのまま布袋などで濾して瓶に詰めると、発泡酒となる。
葡萄にイースト菌を振りかけて発酵させ、濾してペットボトルなどに詰めるとシャンパンができる。

上記で酒税法に引っかかることがあるかも知れないが、知識だけで実行しなければ、捕まらない。
もっと簡単に言えば、砂糖水にイースト菌を入れると酒ができるということですね。

発酵タンク

 76蒸留棟
巨大な蒸留器
ポットスチルが並ぶ
無煙炭を燃料にしていた。 作業服も新品のように汚れがない
水分の混じったアルコール発酵液を圧力鍋に入れ、分銅をさす口に細いビニールパイプを繋ぎ、その途中を水で冷やしてやると、濃いアルコール液が得られる。焼酎は同様にして作られる。

これがおいしいかどうかは、わからない。私は酒は嫌いだが、実験はしてみたいと思う。

 77完璧に整備清掃された工場内というか園内
 なんとも清潔な工場です。落ち葉一つ、咲いてる花の花柄(はながら)(咲き終わった花)一つ落ちてない。
 見学前、客を入れるに、全職員で徹底清掃した様子。なんとも、これが企業だなと、感心させられます。
 

 85工場内
 千石船のバラスト石はほんとに膨大な量が運ばれたんですね。確かに、錦絵に描かれた港に停泊する千石船の数も膨大でした。
 本州から膨大な数の石を運び、その厄介者を倉庫建築に生かす方法で、現代にまでその偉業が伝わってきます。

実に重厚感あふれる建築物です。現代の工場とは違う。
旧事務所 リタハウス

いいアーチ構造で楽しい
旧竹鶴邸
ウイスキー博物館
レストラン
売店
試飲会場

白樺が植えられた場内

記念撮影したくなる
イイ感じです

シマリスを見ているのでしょうか

 86貯蔵棟
 樽はオーク材製で、海外産のようです。一度リンゴ酒の樽を使うと聞いたのですが、真偽不明。樽から出る樹液がウイスキーに溶け、
 樽がモルトを吸い込み、アルコールは半分が蒸発するそうです。
かつて花壇のプランターに洋酒樽があったのですが、やはり古くなると、樽から出る樹液がなくなると、樽の寿命も終わるのだろうか。 本当にモルトの入ってる貯蔵棟を公開するかな。
樽を叩いたりしないから中身入りかは不明。

 87試飲会場
 私は運転者なので、何かおいしい飲み物を頂きました。
 ニッカは日本果実飲料(日果nikka)が発端で、果汁を瓶に詰めると発酵して栓がフッ飛ぶことから、果実酒の製造や、洋酒の製造に転換しました。
 
 泥炭(ピートモス)で麦芽を燻すと独特な味と香りが付きます。研修先の英国と同じ泥炭を得るために北海道に工場を得たとも聞いた。
 イギリスで洋酒造りを学んだ広島県竹鶴酒造のマッさんは北海道のピートモスを使用して ニッカ独特のモルト生産を行ないました。
 一方、大阪で創業した洋酒の寿屋サントリーは泥炭を使用しなかったため、独特の風味や苦味の少ないモルトを生産しました。

 私にはニッカの味はきつかったですね。友人の多くはHi-Nikkaを飲んでいました。
外からはわからない
試飲会場
orion beerでは息子が飲んでくれた。 美しい眺めです
ニッカのいろいろな
ウヰスキー
運転者マーク付き
金持ちの応接間みたいです もう一枚の写真にも私が写っているので削除しましたが、

竹鶴余市の瓶が写っていました

 見学できて満足して、この日と次の日に、
 工場限定品のウヰスキーをみやげに沢山買いました。後で計算すると〇万円になりました。少しずつ買うと全額が見えなくなる。
 でも、二日間も行ったのに、興奮して、写真撮ることが頭になかったようで、土産物の品定めばかりに費やしたようです。写真無し。

 
 


 100積丹半島  参照動画 北海道・積丹半島と羊蹄山 | バイクで巡る 火山地形だらけの半島のご視聴をお願い致します。
            積丹半島の火山北海道ジオパーク・ジオサイト巡り 2023 ⑦ 積丹半島は景勝地
 
  私はニッカウヰスキーの工場にも、積丹半島にも50年前に来たことがあります。当時は、アルバイトしてはその給料で旅行するか、
 または、多量に専門書を買って引きこもって読みふけるかでした。大学生でした。
  北海道全てに通用する北海道周遊券ではなく、安い道南周遊券でした。函館・余市・積丹半島・札幌・白老などが記憶に残っています。

  京都から寝台特急日本海で、北陸本線周りの寝台車でした。青函連絡船に乗り、函館に着いて、市内観光をし、夜には函館山に登りました。
 小樽のユースホステルで知り合った青年とニッカの工場見学に行き、試飲の時、未成年でしょとか、言われた、童顔の美青年でした。(*^-^*)

  積丹半島一周はかなり危険で、トンネルを通るバスが、規定より一人多いので通れません。とかありました。(この時女性が一人降車した)
 積丹の地質はもろく、トンネルは崩れるものとして、バスの乗客数に制限を設け、崩落事故でも最小限の人数になるようにしてありました。
 その後、やはり、トンネル落盤事故が起こり、バスが圧し潰されて犠牲者が出ました。その時に、あと一人多かったらバスは通っていなかった
 のにと、解説者が語るのを聞いて、やはり、あの時の記憶が鮮明によみがえりました。
  その後、この地域のトンネルは改修されたり、新たに掘り直したりして、新しくなりました。ようは、トンネルに巨大な岩石がのしかかるのです。

  そして50年前の神威岬を訪れた時は、5月末でした。6月からは周遊券が夏価格で高くなるからです。
 雪がいっぱい降っきて猛烈な吹雪となり、びっくりしました。今ではこの時期に半袖の人もいるという。温暖化が加速する今日この頃です。

  その前に特急日本海で東北旅行をした時、朝、目覚めると、山の斜面に赤い大きな花が沢山咲いていました。何の花ですかと老人に尋ねると、
 リンゴだと、えっ!今頃花が咲くんですか、と言うと、リンゴの実だと、、朝寝ボケたままに人に話すんじゃないと思いました。
 そんな寝台列車も、もうなくなりました。あるのはリゾート列車のみ。当時は実業之日本社発行の旅行ガイド ブルーブックでした。
 

 105積丹半島パンフレット
   「どっこい積丹来んかい見んかい」
手にすくうと無色透明な海の 水。なのに、大海では息をのむ ほど美しい色彩をまとい、大自 然の荒々しい造形を優美な芸術 作品に変身させる力を持つ。 日本近海の黒潮はマリンブ ルー。 エーゲ海はコバルトブ ルー。南国リゾートはエメラル ドグリーン。そして、積丹は 「しゃこたんブルー」。 その独特 清冽な紺碧のグラデーション は、日本海の荒波に削られたダ イナミックな奇岩群に一層の神 秘性を与えている。
ここでしか見られない奇跡の絶 景に抱かれ、青い海のイメージ を刷新するとびきりの体験を、 さぁ、積丹で。

雄大な自然に感動する
黄金岬エリア 美国周辺
 どこも海、岩 だらけ だって、ここは、積丹だから
積丹岬エリア 幌武意・入舸周辺
 誰が言ったかしゃこたんブルー どんだけ青いか見に来んかい
神威岬エリア 来岸・余別・神威
 海の青が目にしみる でも痛くねぇからなんぼでも見てや

積丹の多彩な面白さを体感する
 水中展望船ニューしゃこたん号。 岬の湯しゃこたん
多彩な面白さを体感する
キャンプ場 積丹観光フォトコンテスト 積丹岳登山 サクラマスサンクチュアリーセンター
ノスタルジーに触れる
 積丹ソーラン味覚祭り・火渡り
おいしさに感激する
 ほれ、食べんかい名物旨いのなんのって!
積丹逸品
 北海道といえばザンギだべさ! みやげだって旨いもんがいっぱい喜ばれるよ

どっこい積丹 神威岬先端からの眺望 すんげえ青くて
たまげるよ
黄金岬エリア
積丹岬エリア
神威岬エリア

 黄金岬エリア美国周辺
積丹の雄大な自然に感動する
 どこも海 岩島だらけ だってここは 積丹だから

美国町を中心とした黄金岬エリアには、美しい自然、奥深い歴史、新鮮な海の幸と、積丹の 彩な魅力がコンパクトに集積。
観光情報を集めたり、水中展望船で海上散歩を楽しんだり、積丹岳登山に挑んだりと、積丹観 光の基点となっています。

札幌・小樽方面からの玄関口は歴史ある漁港のまち、美国町。そぞろ歩きも楽しい、観光の基点となるエリアです。

 積丹エリア
誰が言ったかしゃこたんフルー どんだけ青いか 見に来んかい

それぞれに趣の違う個性的な眺望を楽しめる展望台が点在する積丹岬エリアは、しゃこたんブルーを満喫できるのが魅力。特に「日本の渚百選」のひとつである島武意海岸は、断崖絶壁が続くなか唯一波打ち際まで下りられるスポット。暗いトンネルを抜け、いきなり眼下に現れる鮮やかな海は衝撃的です。

積丹岬エリア 幌武意町、入舸周辺
崖上から、岸から、港から、眺めるしゃこたんブルーは 変化自在のイリュージョン。 潮騒に心躍らせながら
緑も楽しめるエリアです。

シララ伝説
源頼朝に追われた源義経の一行は、奥州から逃れて蝦夷地・入舸に辿り着きました。そして、義経はこの地に
住む首長のシララと恋におちました。しかし、大陸への野
望を抑えきれなかった義経は、満月の晩、家来とともに密かに船出してしまい、それを知ったシララは、絶壁の上から遠く船を見つめて泣き叫びました。 立ちつくす乙女シララは岩になり、それが女郎子岩だといわれています。


 神威岬エリア 来岸・余別、神威岬周辺
数ある積丹半島の岬の中でも、鋭く突き出た地形が特徴的な北海道遺産に選ばれた神威岬。先端までの小路を歩けば、潮風にあおられたり、きつめの傾斜を上り下りしたりと、ちょっとした冒険気分が味わえます。
ゴールでは、視界いっぱいに広がる海と空が待っています。



 積丹のおいしさに感動する
ほれ、食べんかい 積丹名物 旨いのなんのって!



豊富なイクラ丼はたかすぎねェ?
うに丼これだけ入って4000円は安すぎる
積丹ルートマップ
 

 110積丹半島の地形地質
北海道積丹半島には新第三紀(2300-258万年前)から第四紀(260万-現代)の堆積岩類や火山岩類が分布しています。
海岸には奇岩や海食崖、波食棚などが形成されており、景勝地の宝庫として知られています。

積丹半島は1200万年~900万年前に活動した火山群です。
安山岩・流紋岩を噴出した火山群で、1000m弱の山々が連なっています。
山肌は、灰色の安山岩と、白い流紋岩で構成されています。
海岸の奇岩怪石は、火山灰に火山礫が混じった凝灰角礫岩によって形成されています。ときには火道に残った安山岩の立柱も見られます。

地質の特徴
 神威岬の下部は後期中新世の余別層火砕岩部層、上部は鮮新世の野塚層砂岩礫岩層で構成されています。
 積丹岬周辺は、新生代新第三紀中新世(約1200万年前頃)に活動した火山による「デイサイト~流紋岩の溶岩・火砕岩」の台地です。
 積丹出岬灯台の手前の斜面にある裸地は変質帯の一部で、地下深部から上昇した熱水が岩石の成分と化学反応を起こし、粘土化しています。
 島武意海岸にもデイサイト~流紋岩の変質帯が分布しています。
海岸の地形
 波食棚(ベンチ)が形づくられています。
 波食棚をきざむ波食溝や、海食崖をえぐった海食洞などがよく観察されます。
 西海岸の川白付近では、窓岩、とよばれるアーチが形成されています。
 積丹岬~幌武意間の海食崖の高さは概ね100mでほぼ一定ですが、マッカ岬付近では170mを越える場所が複数存在します。

AI による概要
北海道西部にある積丹半島には、1000万年前の火山活動の名残がうかがえます。柱状節理と呼ばれる岩や断崖、海底火山から噴出した溶岩が冷え固まった奇岩などを見ることができます。
【火山活動の名残】
  柱状節理と呼ばれる、柱が積み重なったような岩
  断崖が続いており、高さは40mにも達する
  海底火山から吹き出た溶岩が海水で冷え固まってできた奇岩が海から突き出ている
【地質】
  積丹半島の神威岬の地質は、岬の下部が後期中新世の余別層火砕岩部層、上部が鮮新世の野塚層砂岩礫岩層です
  余別層火砕岩部層は、ハイアロクラスタイトや二次堆積物、塊状溶岩で構成されており、いずれも石英含有黒雲母角閃石安山岩です
【関連情報】
  積丹半島周辺の海岸には火山岩類に由来する特異な砂が見られます
  積丹地域の地質観察については「札幌の自然を 歩く」(地学団体研究会札幌支部, 1984)という地質見学会案内書に詳しいです



※文の中で、海蝕台と海蝕棚が出てきます。その違いについて記述します。
AI による概要
 海食棚と海食台は、どちらも波による侵食作用によって形成された平坦な岩床面を指します。
海食棚
 主として潮間帯にあり、海食台地の一段上位にある
 海食崖の下部にある波食窪から沖側にわずかに傾く
 沖側末端には小崖がある
海食台
 海面下に見られる侵食面で、海食崖の前面にみられる
 緩やかに沖に向かって傾く波食地形
 部分的に砂礫が覆っている場合もあるが、通常は岩盤が露出して海藻が着生し、魚貝類が豊富にみられる
 波浪は岩盤を侵食しますが、この侵食作用は干潮時の海面より下には及ばないため、海面下では平坦な岩盤台地が形成されます。
 この平坦な岩盤台地が波食台(海食台ともいう)です。
 波食台と同時に波浪の攻撃前面となる陸側は時には足元をすくわれるように岩盤もろとも崩壊するために断崖のような海食崖が形成されます。


出発点 余市市鶴亀温泉裏の海岸
 111余市湾

 シリパ岬は、海岸にできた山が、約1000万年かけて侵食され、海食崖になった地形です。
余市湾とシリパ岬
山が半分削られた海食崖
海辺で遊ぶ親子
どれほど温暖化していることか
余市湾 いざ、積丹半島一周へ
 
 孀婦岩(そうふがん) 
  太平洋のど真ん中に「そうふがん」と呼ばれる岩が立っています。江戸時代に嵐で船が流され、赤道海流に乗って漂流した船乗りたちが
  しばしば遭遇する岩です。何もない海の真ん中に突っ立っています。近年ロッククライマーをメンバーに加えた調査チームが登頂すると
  太平洋のど真ん中の島に昆虫がいたことが報告され、どうやってたどり着いたのかと推理がいろいろなされました。
  漂流船が持ち込んだか、鳥について渡ったか、詳細は誰にもわかりません。

  このそうふがんは、海底火山の侵食された成れの果てであることは有名です。
  青ヶ島の南南東200kmに位置し、周囲の海底には海底火山が沢山あり、そうふがんはその海底火山が作った火山島が、やがて侵食を受け、
  周囲が海蝕されて削り取られ、遂に火山の火口の下、マグマ溜りから上がって来た火道に残っていたマグマの残りがこの直立する岩なのです。

  安山岩が直立するもので、周囲にあった、火山灰や火山礫、凝灰岩や凝灰角礫岩はたやすく侵食され、固い安山岩が残ったのです。 
  積丹半島でもこのような火山の火口に通じる火道に残った安山岩が海の中に立っていることがあります。
  この指摘は上記の動画の中で述べられています。それは、海岸沿いの道路に何気なく残っていた岩を火道の残りだと指摘しています。

 113ローソク岩
  ローソク岩の周囲にある岩礁は、海蝕台といい、岩が海水面に侵食されてできた平たい地形です。
  このあと、この海蝕台は各所で出てきます。これらも、1000万年かけて侵食されたものです。
 
遠目に灯台にも見える 積丹半島は300万年前の火山密集地帯。
翌朝再度来ました
ウニ採り舟を見るために

なんだか詩的な逆光の景色です

この画が大好きです
積丹周辺は浅い岩礁が多く、昆布などの海藻が繁茂する。
流れてきたウニの幼生プルテウスが昆布に接触すると、やがて高価なウニ丼となる。
 

 黄金岬エリア

 115セタカムイ(沖村) 

セタ・カムイの伝説(由来)
 昔、ラルマキという村の若い漁師が、一匹の犬を飼っていた。 漁師は、犬を可愛がり犬も主人によくなついていた。
ある時、 海が久しぶりになぎになり、 漁師は仲間と共に沖へ漁に出た。 犬は、 いつものように海辺で主人の帰りを待っていた。
 ところが、 朝は穏やかであった海が、 何時のまにか波が高くなり、日暮れとともに暴風雨となってしまった。 村人は、 海辺でかがり火を焚いて無事を祈った。 やがて、難を逃れた漁師が浜に帰って来たが、 犬の主人は、ついに帰って来なかった。
暴風雨は何日もつづいたが、犬は海辺で待っていた。 そして、ある夜、悲しげな犬の遠吠えが、 何時までも聞こえていたと言う。
 翌朝、暴風雨は止んだが、 海辺に犬の姿は無く、 岬に、犬の遠吠えをした形の岩が、 こつ然とそそり立っていた。人々は、その岩を「セタカムイ」 (犬の神様) と呼ぶようになった。

セタカムイ
砂浜でなく丸石の海岸。
SUPの教室かな
石の海岸は流れが激しく砂は流されてしまう

従って、遊泳危険
ニセコ積丹小樽海岸国定公園 積丹案内図
 117積丹半島の絶景
アマモの藻場 積丹半島には昆布やワカメ、アマモなどが 藻場を形成しています。 藻場は魚の産卵場・稚魚の棲息場となります
藻場の無い海岸は磯焼けと言い海の生産力が
低下し、不毛となります。

 セタカムイトンネル
豊浜トンネル事故
 
 トンネルの上に巨大な岩がのしかかり、トンネルを一瞬で圧し潰し、20人の犠牲者を出した。
 その後、トンネルは作り直された。

 事故直後からTV局各社が救出の一部始終を生中継して全国に恐怖を伝えた。

 黄金岬と宝島
 海食崖は海岸にできた安山岩の山が 約1000万年侵食されてできたものです。
 火山から噴出した岩石は、安山岩~流紋岩なので崖が灰色~白っぽい

 その白っぽい岬とハート形の宝島の間を、積丹ブルーの海が取り巻く絶景ポイントです。

美国漁港
黄金岬と宝島
滝ノ間の岬
 

 120美国漁港海岸緑地広場 動画
  突如ビーチパーリー(おっと沖縄表現ですね。浜辺で余暇)を楽しむ場所に出会いました。沖縄さながら、BBQなどをするようで、
  売店もありました。
  売店の経営者は少し離れた地域の農家の老主婦で、気さくに、私に黒にんにくをすすめてくれました。私の大敵なので低調にお断りしつつ
  周辺の情報などをうかがっていました。

  北海道の人は、冷たい海に入るのですが、いざ泳ごうとしても、大人も子供も、特別な温水プールに通っている人以外は、泳ぎ慣れていません。
  見事にそのぎこちなさがわかります。
  水不足でプールの無い沖縄や、寒冷で海に入れない北海道・北東北では、水泳訓練は無理なようです。

この売店の運営は美国から少し奥の村の農家のおばあさんが

あたっていた。いろいろな話を聞かせてもらい楽しかった。
 
 
 積丹岬エリア


 130島武意(しまむい)海岸 (積丹岬)
  積丹岬(島武意海岸)周辺は主に流紋岩でできている。白い岸壁が美しい。
積丹半島島武意海岸
島武意海岸 島武意海岸

島武意海岸トンネル 日本の渚百選
島武意海岸
積丹岬自然歩道案内図
トンネルを通って 島武意海岸の 断崖に出ます。
崖崩れに見えるのは、 熱水によって粘土になった流紋岩。

 島武意海岸には流紋岩の変質岩がある。
 変質岩は地下で流紋岩層に熱水が貫入した。地下の熱水は高圧下で沸点が100℃以上になる。
 この熱水で流紋岩が変質作用を受け、粘土化している。
           

島武意海岸は下にある
あそこまで下りて遊び、また上がってこれるのは若者だけ。
ほとんどの人は、
この会談に怖れをなして、ただ、
このテラスで眺めるだけ。

海鮮丼
うに丼が旬です
岩だらけの海中に根をおろした昆布の胞子が、猟師に採取されなかった生き残りのウニが放った乱から生まれたプランクトンが取りつき、共に餌と害獣として成長し、やがて、

付近の海で採れたウニが翌日には丼になります。
メキシコ産ウニの軍艦巻きを食べてる内地人には本当のウニの味は知るよしもない。
あんなに苦労して一個一個取ったウニは本当に貴重で、4000円では安いでしょう。にもかかわらず、腹を裂けばドバドバ流れ出るイクラはあまりにも高いと思うのです。私だけでしょうか。


 140積丹岬
 141入舩漁港
 142日司漁港
 

 150野塚
  凝灰角礫岩の岩

  火山灰に火山礫が混じった地層で、積丹半島の海岸線に点在する奇岩怪石はほとんどこの凝灰角礫岩でできています。
  もちろんこれまで登場してきた、奇岩は全てそうです。
 
 
 神威岬エリア


 160神威岬 安山岩の岬
 161
➀神威岩 ②展望台、③灯台
④遊歩道
チャレンカの小道
⑤念仏トンネルビューポイント

 163神威岬

 神威岬の先端まで歩くと神威岩が間近に見られます。動画をご覧ください。
神威岬
神威岩
 164
神威岬

 165神岬漁港から見る神威岩
  凄い風景ですね。荒々しいとか、神々しいとか、私には、凄い・すさまじいとかの言葉しか出ません。
  今でも激しい波が打ち寄せていますが、荒天の海では、どんな光景が見られるのでしょう。  

 166神岬町
  167の隣の集落。とても不便で、海が荒れたら漁はできない、こんなところに、、と思うけれど、きっと高価なウニ漁などで生計が成り立つ
  立地な漁村ではないかと思います。そうでなきゃ、とっくにみんな離村しています。
神威岬に続く海食崖
なんとも素敵な景色
 167神岬漁港

積丹半島西海岸からは
どこからでも、いつまでも神威岩が見える
この景色大好き
ターナーの絵みたい

なんだか凛々しく見える。神の岩カムイイワの意味が解るキガスル
 

 170その先
 171

あの島は大昔は陸続きであったが、

1000万年もかけて侵食され、海の中に孤立した

あの崖も海食崖

あのユニークな岩もやはり凝灰角礫岩の島
この辺り一帯は全て陸地で火山噴出物が覆っていた。

いかにも北海道らしい

悪天候が似合う日本海

バイクは一瞬で過ぎ去っていく160km/hでのすれ違い

 173茂岩海岸 北海道泊村の施設 原発誘致で有り余る財政で架けた橋かも。
  弁天島との間に架けられた、観光目的の橋梁。

箸の向こうに何もない。
海食島と海蝕台

観光シーズンには
きっといいことが 茂岩海岸待っているのでしょう。 茂岩弁天橋 弁天島だが祠はない
弁天=福の神

 175興志内トンネル
興志内(おきしない)トンネル

ものすごい岩盤工事が行なわれています。
ここも、崩落を防ぐための工事が重点的に行なわれた結果でしょうか。