|
|
目次
|
10ハイランド小清水
※資料 藻琴山の秘密
20川湯硫黄山
30川湯ビジターセンター
31阿寒摩周国立公園
32周辺観光地
33つつじヶ原
34トレイル
40風と土の風景
41硫黄山麓のイソツツジ
51硫黄山の恵み
52川湯温泉の構造
54外輪山と屈斜路カルデラ
55屈斜路カルデラと地球
56クロユリ
60摩周湖
63摩周湖の不思議
73硫黄山と人々の暮らし
74川湯温泉の昭和写真
75硫黄採掘
82硫黄の精錬
83屈斜路湖のメッセージ
90摩周湖
95屈斜路湖の生物 |
|
100阿寒湖畔Eco-museum Center
103自然探勝路
112マリモ
106泥火山
200阿寒湖アイヌコタン
202駐車場案内
203工夫を凝らした商店街
204民俗文化
205摩周駅
301摩周・屈斜路・硫黄山
カルデラの成り立ち
310霧の摩周湖畔を求めて
※考察 摩周カルデラの形成と石刃鏃文化
320摩周湖
420美幌峠へ |
|
|
|
|
2022.6.13霧の屈斜路湖・摩周湖・阿寒湖
01網走市から芝桜公園へ
|
この日は月曜日で、全ての博物館は休館日なので、週一回の観光予定日です。数日間逗留していた網走市「北海ホテル」をチェックアウトし、摩周湖・屈斜路湖、阿寒湖の観光に行きました。
一週間前、釧路湿原で聞いた京都と大阪から来た旅行者の話では、
霧が深くて真っ白で何も見えなかったとのことでしたが、この刷り込みが原因で失敗することになりました。
とにかく朝早く網走市をたち、東藻琴シバザクラ公園、屈斜路湖展望台ハイランド小清水、摩周湖から連なる道東三湖に向かいます。 |
|
10ハイランド小清水・屈斜路湖~川湯硫黄山 |
11東藻琴
旅程
霧の摩周湖を求めて屈斜路湖を目指す
網走➡屈斜路湖 |
東藻琴芝桜公園
引用Wikipedia
見頃は5月。当日残念 |
ハイランド小清水
屈斜路湖展望台
屈斜路湖外輪山藻琴山の展望台 |
|
ここまでの行程は、ひたすら屈斜路カルデラの斜面を登る。
ハイランド小清水は
カルデラ外輪山の藻琴山※の中腹にある。
この日は全てが霧(雲)の中にあり、超寒くて何も見えなかった。 |
※資料 藻琴山の秘密
|
この時は、藻琴山は、屈斜路カルデラの側壁に噴出した、寄生火山・側火山だと思っていました。
摩周湖はまさにそれで、しかも、大規模噴火によって大きなカルデラまで作っています。屈斜路カルデラと同じ火道から上がって来たマグマの仕業。同じことが阿寒湖周辺に沢山ある火山群にも見られます。また、これまで通って来た支笏湖の周囲にある火山群も同じ寄生火山です。
ところが、藻琴山は違っていました。あとで出てきますが、この道東三湖は千島列島が衝突し続けているために長い間、火山群が発達し続けている場所なのです。
それこそ何百万年も前からのことです。通常は火山の寿命は何十万年単位ですから、噴火・成長・侵食で火山の残骸になりますが、ここではそれを同じ場所で何回も繰り返しているのです。
藻琴山は、屈斜路カルデラができる前に形成されていた火山群の一部で、この辺りには幾つかの成層火山があったようです。
やがて、その火山群の下から新たな火山活動が始り、それまであった火山を押しのけ吹き飛ばして屈斜路火山が成長し、やがて巨大噴火と同時にマグマ溜りの中身を火砕流として全て噴出してしまい、その爆発力によって亀裂の入った山体がマグマ溜りの中に落ち込んでカルデラとなりました。
それまであった藻琴山などの間に噴出した屈斜路火山が崩落したために、その山体の一部に取り込まれていた古い成層火山が残り、それが藻琴山なのです。藻琴山は古い火山群の形成状態を知ることのできる火山です。 |
|
12ハイランド小清水
景観案内板 |
東から、知床連山、が連なり、千島列島が北海道に衝突した続きの火山群だとわかります。
⑪オホーツク海 ⑩知床硫黄山 ⑨羅臼岳 ⑧遠音別岳 ⑦海別岳 ⑥斜里岳(知床半島の山々)
その知床火山群の続きが知床三湖の巨大カルデラ火山群です。
⑤カムイヌプリ ⑬摩周湖 ④硫黄山 ③屈斜路湖 ➀雄阿寒岳 ⑭阿寒湖 (千島火山弧が衝突し続ける火山群) |
全て雲で隠された |
この建物が
ハイランド小清水
冬場のレストハウスのようです。 |
知床の山々
➀羅臼岳②音根別岳
③海別岳④斜里岳
|
➀斜里岳
②マサッケヌプリ
③標津岳 |
釧路湿原で聞いた通り霧で真っ白五里霧中。
館内のスタッフは6月だというのに冬装束。
外はとても寒く、中に入れて助かった。
でもこの新たな刷り込みが翌朝の悲惨を招く。 |
|
13展望台(ハイランド小清水展望台)ここからどこかにトレッキングできるようです。
|
屈斜路湖と国有林
阿寒国立公園内で最大、 道内第2位※の 大きさを誇る屈斜路湖は、 周囲 57Km 面積 79.7Km 水面高 121m 水深 117.5m のカルデラ湖です。 また湖面にうかぶ
中島は水面からの高さ234m面積57㎢ あります。 この湖を包んでいる緑ゆたかな森林は国有林であり、レクリェーションの為に指定をし、景観の保持、
保健休養の為のはたらきを大切にした森林管理を行っています。
弟子屈営林署 北海道釧路土木現業所
周囲の交通
屈斜路湖 道道屈斜路津別線 道道網走川線 道道屈斜路摩周湖畔線
国道391号 国道243号 JR網本線
※北海道第1位の湖はサロマ湖だが、本当は海岸の一部にオホーツク海から吹き寄せられた砂が堆積して砂州を作り、海を締めきったもので、
潟湖というもの。元は海の現在汽水湖です。純粋な淡水湖としては屈斜路湖が第一。次支笏湖、次洞爺湖です。 |
オホーツク海や釧路の南の太平洋から吹き付ける、含有量満杯の水蒸気を含んだ風が、斜面を駆け上り、100~200mの高さを得ると気温が下がり、含んでいた水蒸気は雨の粒子となって漂い始め、霧ができる。つまり、霧の摩周湖が見られるのは、その日の風向きと直射によるようです。
|
14藻琴山展望駐車公園
北からやって来た私は、ハイランド小清水って、まるでホテルみたいな名前のレストハウスをあとに屈斜路湖側に下ると、
展望台がありました。藻琴山展望駐車場公園というらしく、観光客もいました。
おそらく100mも下っていないのだが、先ほどの霧は雲となって上空にあり、おそらく雲の下に入って来たのだとわかりました。
わずかな移動ですが、随分変わるものです。
屈斜路湖展望台より
少し雲が晴れてきた |
|
|
雲と湖
釧路湿原で、京都からの30代未婚ペアと、大阪からの初老家族に出会いました。彼らは前泊が摩周湖で、話していたのは霧の状態で、何泊かしても真っ白で見えなかったとか、少しだけ見えたとか、でした。
この話で私は誤解して、雲霧に覆われると一日中見えないものだと思い込んでしまいました。 |
|
それではということで、更に下、屈斜路湖岸に行きました。すると、道路案内板「硫黄山」を見て行くことにしました。
とにかく、雲の下に入れば、湖は見えるだろうし、怪しげな山も見えるのかという、物見胡散。
ビジターセンターを目指していた私は、こんな観光地(川湯硫黄山)があるとは知らなかったのです。 |
|
20川湯硫黄山(=アトサヌプリ)
ビジターセンターを目指して走っていると、噴煙をあげる山を見つけ、「硫黄山」の道路標識を見つけ、行ってみることにしました。
(この山のことは知りませんでした。)
|
|
30川湯ビジターセンター
硫黄山の次にたどり着いたのは、屈斜路湖畔の川湯温泉地区にあるガイダンス施設。
ここでは、摩周・屈斜路・阿寒湖と、それに関わる火山や温泉についての知識が学べると思います。
と、思ったら、入館前に、まず最初にヒグマ情報。北海道ではヒグマに喰われる恐れがある。
|
ヒグマって どんな動物?
ネコ目クマ科の哺乳類 北海道に生息しているのは 「エゾヒグマ」 という種類
体重は成獣 (オス)が200kg~。出生時はわずか400g !
1~2歳は50~70kg
成獣 (メス)は100kg~150kg
最大級だと400kg~420kgの個体も!
体長はオスの成獣で約2m
メスの成獣は約1.5m
(体長は鼻先から尾の付け根まで)
寿命は20年~30年
環境によって変わってきます。動物園などの飼育下では35年ほど生きたケースも。
聴覚 は非常に優れており、小さな音でも敏感に反応します。 100m先の鈴の音にも反応する、という調査結果もあります。
視覚 はやや近眼気味ですが、昼夜を問わず行動できる視力を 持っています。
嗅覚は犬の4~5倍。エゾシカの死骸や生ゴミなら 3km先からでも匂いを追って 嗅ぎ当てることができます。
味覚は食べ物に執着し、一度味を覚えてしまうと再び食べ物を手に入れよう と何度も同じ場所を訪れたりします。
行動範囲はオスは約100㎢以上 一日に50kmほど移動することも。 メスは約5~15㎢ 子グマは1~2歳ほどまで 母グマとともに行動します。
走る速度は50~60km
100mを6秒台で走ることができます。 なので走って逃げることは不可能! ちなみにヒグマは木登りも泳ぎもできちゃいます。 |
|
30川湯ビジターセンター
ここでは、地史や自然との付き合い方を学べます。
|
31阿寒摩周国立公園の概要と摩周地区の紹介
火山と森と湖が織りなす美しい風景
長靴は自然探勝路散策用に貸し出される |
|
|
|
日本の国立公園
国立公園とは、日本を代表する自然の風景地で、雄大な山々、 美しい湾岸、 多くの生命を育む湿原や海といった豊かな自然環境が大切に守られており、 また、これらの自然にふれあうことができる場所です。 国立公園は自然公園 法という法律に基づいて管理され、日本全国で34カ所が指定されています。
Japan is made up of four large islands, and over 6,800 smaller islands, stretching over 3000 kilometers from Russia to the northeast to Taiwan in the southwest. The climate varies from cool temperate in the north to tropical in the south. The 34 national parks of Japan cover 5.796% of the land mass of the country and protect magnificent mountain ranges, scenic coastline, and rivers, lakes, marshes and seas which support a very broad range of biodiversity.
北海道地区
➀利尻礼文サロベツ国立公園
②知床国立公園
③阿寒摩周国立公園
④釧路湿原国立公園
⑤大雪山国立公園
⑥支笏洞爺国立公園 |
|
東北地方
⑦十和田八幡平国立公園
⑧三陸復興国立公園
⑨磐梯朝日国立公園 |
|
関東地方
⑩日光国立公園
⑪尾瀬国立公園
⑭秩父多摩甲斐国立公園
⑮小笠原国立公園
⑯富士箱根伊豆国立公園
⑲南アルプス国立公園 |
|
中部
⑫上信越高原国立公園
⑬妙高戸隠連山国立公園
⑰知友部山岳国立公園
⑱白山国立公園
⑳伊勢志摩国立公園 |
|
|
|
|
|
|
|
近畿
㉑吉野熊野国立公園
㉒山陰海岸国立公園
㉓瀬戸内海国立公園 |
|
中国四国
㉔大山隠岐国立公園
㉕足摺宇和海国立公園 |
|
九州
㉖西海国立公園
㉗雲仙天草国立公園
㉘阿蘇くじゅう国立公園
㉙霧島錦江湾国立公園
㉚屋久島国立公園 |
|
九州2
㉛奄美群島国立公園
㉜やんばる国立公園
㉝慶良間諸島国立公園
㉞西表石垣国立公園 |
|
日本の国立公園
日本の国立公園 |
|
北海道・東北 |
関東・信州・東海 |
近畿・中四国 |
九州・沖縄 |
|
阿寒摩周国立公園
北海道の東に位置する阿寒摩周国立公園は、火山活動によってできた阿寒・屈 斜路・摩周の3つのカルデラ地形が基盤となっていて、火山と森と湖が織りな す美しい風景が特徴の公園です。 国立公園の歴史は古く、 北海道で最初の国立 公園として昭和9年(1934年)に指定されました。 雌阿寒岳、 雄阿寒岳、阿 寒湖の一部や硫黄山一帯、 摩周湖とその周辺部は特別保護地区として守られ ていて今でも指定当時と変わらない原始的な自然が残されています。
Akan-Mashu National Park in east Hokkaido was designated a national park in 1934-the first of its kind on the island of Hokkaido. The volcanoes, lakes and forests, and the interplay of these three elements create a beautiful ecosystem which is the main differentiating feature of the Akan-Mashu National Park. The park is split into two main areas, the Akan area which includes the Akan caldera, and the Mashu area.
美幌峠
道の駅は 4/21 に 全面リニューアル OPEN II 屈斜路 湖が一望できる道 の景観部門6年 連続第1位!!
阿寒摩周国立公園摩周地域
摩周地域は、 屈斜路カルデラと摩周カルデラからなる地域です。 ここでは、今 もなお噴気を上げている硫黄山、 季節ごとに変化する森林、世界有数の透明度 を誇る摩周湖や、 峠や山頂から一望できる屈斜路湖の美しい風景などが見どこ ろとなっています。 また、 火山などの影響を受け、温泉が数多くわき出してい るのも特徴です。
The main attractions of the Mashu area are the beautiful Lake Kussharo, the sulfurous gas spewing Mt. lo, and Lake Mashu, world-renowned for the clarity of its water. Local hot springs are another way of experiencing volcanic activity in the area.
日の出と雲海
道東の日の出は早 い。 津別峠から。 撮影時間は4:03. 頑張って早起きす ればこんなご褒美 が待ってることも。 |
阿寒摩周国立公園
阿寒摩周国立公園地域
|
阿寒摩周国立公園全域図
|
阿寒地区
足寄町
雌阿寒岳
オンネトー
雄阿寒岳
弟子屈町
阿寒湖
摩周地域
釧路市 |
摩周地区
美幌町
屈斜路湖
美幌峠
津別町
津別峠
JR (釧網線)
硫黄山
̇摩周湖 |
|
阿寒摩周国立公園周辺観光施設
|
a仁伏の森:仁伏半島の自然探勝路。○○高めの広葉樹の森でカツラの巨木もある。半島を横断して○○に〇ることも。
bRECAMP砂湯キャンプ場:屈斜路湖に面した湖畔キャンプ場。
cRECAMP和琴キャンプ場:フィールドハウスにて自然情報もチェックできます。
d安田鉱山鉄道跡:森の中を一直線に伸びる道はかつて硫黄を運んだSLがここを走っていたことを想い起こさせてくれます。
eアイヌ民族資料館:屈斜路湖畔に位置し、アイヌ民族の歴史や文化を今に伝える施設です。
f源流のカヌー:
g摩周湖の雲海:雲に隠れて見えないことも多い摩周湖ですが、運が良ければこんな光景も見られます。但し早起きは必要。
h摩周岳:摩周火口越しに見た摩周岳。標高は857m。火山によってできたダイナミックな景色が見られます。
i爆裂火口:頂上から見た摩周湖の爆裂火口。およそ1000年前に噴火した最大〇〇1.5kmある火口跡は大〇〇。
j摩周湖レストハウス:臨時休業中(5/9から6月中頃まで) ■駐車場、屋外トイレは仕えます。 ■駐車場は硫黄山駐車場と共通料金になっていて有料です。
k風衝草原:摩周湖の外輪山の○○を行く摩周湖登山登山道の途中で見られる風衝草原。見晴らしがよく大変○○も良い。
lRECAMP摩周キャンプ場:森に囲まれたオートキャンプ場。便利な立地も良好。 |
|
31a
|
|
|
|
|
|
仁伏の森
|
屈斜路湖に面した湖畔キャンプ場
|
和琴キャンプ場
|
安田鉱山鉄道跡
|
アイヌ民族資料館
|
源流のカヌー
|
摩周湖の雲海
|
摩周岳
|
爆裂火口
|
摩周湖レストハウス
|
風衝草原
|
摩周キャンプ場
|
|
32阿寒摩周ジオラマ
|
Akan-Mashu National Park Diorama
屈斜路・摩周カルデラを中心とする川湯地域と、 阿寒カルデラを中心とする阿寒地域からなる阿寒国立公園の 1/35000のジオラマです。 |
|
32a阿寒摩周国立公園 周辺観光地
|
藻琴山1000m
屈斜路湖121m(湖面標高)
中島
美幌峠
和琴半島
津別峠-
パンケト―450m(湖面標高)
阿寒湖畔
エコミュージアムセンター
阿寒湖420m(湖面標高)
オンネトー440m(湖面標高)
阿寒富士1476m
雌阿寒岳1499m
|
藻琴峠
小清水峠
野上峠
川湯エコミュージアムセンター
硫黄山(アトサヌプリ)512m
清里峠
西別岳799.8m
釧路川
摩周岳(カムイヌプリ)855m
摩周湖351m(湖面標高)
ペンケトー520m(湖面標高)
雄阿寒岳1370m
阿寒川 |
|
33つつじヶ原
|
つつじヶ原自然探勝路フィールド掲示板
出会いと発見 自然情報
皆さんが発見したもの、 出会った生き物たちの情報をこの掲示板に書き込んでください。
川湯エコミュージアムセンターの周辺では、色とりどりの花や動物たちに出会うことができます。 今日はどんな出会いがあるのでしょうか? さあ、 生き物たちが暮らす森やイソツツジのお花畑
に出かけてみましょう。
アカエゾマツの森コース:アカエゾマツの森を散策します。 1周約0.7km、 ゆっくり歩いて約30分
アカゲラの小径コース:アカエゾマツの森とミズナラなどの広葉樹の森を散策します。 1周約 2.2km、 ゆっくり歩いて約60分
つつじヶ原自然探勝路: イソツツジの大群落や低地のハイマツを楽しみながら硫黄山まで散策します。 往復約5km、 ゆっくり歩いて約120分 |
|
探訪の心得
危険な生きもの
ヒグマ
クマは本来人を避けて行動していますが、 ばったり会うとたいへん危険 です。 事故を防ぐためにはクマに出会わないことです。 鈴を付けるな ど音を出しながら歩きましょう。 また、 ヒグマの気配 (フン、食痕、足跡 など)を感じたら引き返しましょう。
スズメバチ
スズメバチが飛んできてもあわてて払ったりせず、飛び去るまで静か
に待ちましょう。 地中や木の洞など身近な場所にも巣がありますの で、見つけたら静かに離れてください。
アブ・ブユ・蚊
森の中にはアブやブユ、 蚊などがいます。 散策の時は長袖などを着ま しょう。 また、整髪料や香水などにおいが強いものに寄ってくる場合 があるので注意しましょう。
ダニ
ササやぶなどの茂みにはダニがいます。 散策時には袖が閉じた長袖・ 長ズボンなどを着て肌を出さないようにし、休憩時や散策の後には ダニが付いていないか体をチェックしましょう。
ウルシ
川湯の散策路周辺で普通に見られる植物です。 触るとかぶれる場合があります。 また、皮膚の弱い方は近づくだけでかぶれる場合もありますので注意しましょう。
注意事項
ゴミは持ち帰る
ゴミの投げ捨ては美しい自然を壊すだけでなく、野生動植物にも悪影響 を与えます。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
タバコのポイ捨て・たき火
タバコのポイ捨てやたき火は森林火災を引き起こす可能性があります。 野外での喫煙、 ポイ捨て、 たき火はやめましょう。 なお、特別保護 地区内では、たき火は法律で禁止されています。
動植物をとらない
ここで暮らしているさまざまな植物、動物がこの自然の風景をつくり出 しています。 いつまでも変わらない風景を残すため、動植物はとらずに 思い出や写真に残しましょう。 なお、特別保護地区内などで動植物を とる行為は法律で禁止されています。
動物にはエサを与えない
かわいいと思って野生動物に食べ物を与えると人間に警戒心を持た なくなり、交通事故にあいやすくなったり、 本来のエサを探さなく なったりします。野生動物にはエサを与えないでください。
ペット
ペットとの自然散策も楽しいものですが、動物が苦手な利用者も います。 リードの着用やフンの持ち帰りなどのマナーを守りましょう。 また、野生生物に悪影響を与えることもあるので、飼っていたペットを 野外に捨てるのは絶対にやめましょう。
道から外れない
道を外れると道に迷うおそれがあります。 また、道のわきには、小さ な植物たちが生きています。 安全と植物を守るため道からは外れない ようにしましょう。
危険な場所には立ち入らない
美しい景色も時と場合によっては危険になります。 森の木は倒れる ことがあり、 特に強風時やその直後の森は危険です。 また、硫黄山 の噴気孔からは非常に熱い蒸気が出ており、 たまっている熱湯で やけどするおそれがあります。 このような場所には近づかず、立入り が禁止されている場所には入らないでください。
道から外れない
道を外れると道に迷うおそれがあります。 また、道のわきには、小さ な植物たちが生きています。 安全と植物を守るため道からは外れない ようにしましょう。
地球にやさしく
排気ガスはきれいな空気を汚し地球温暖化の原因にもなります。 きれいな環境を残すためにも停車時のアイドリングは控えましょう。 |
|
|
34阿寒摩周国立公園のトレイル
|
阿寒摩周国立公園はその面積が914kmにも及ぶ広大な火山地帯です。 その風景は何十万年も前の火山の大噴火の結果できたもので、活火山や多様な動植物、深い森やそれぞれに特徴を持つ複数のカルデラ湖を擁しています。
トレイルを歩いて公園の 魅力を存分に感じてみてください。 |
|
1 ボッケ遊歩道
一周 1.5km 一周45分
阿寒湖畔エコミュージアムセンターから始まり、エゾリスや野鳥が見られる森や"ボッケ”と呼ばれる 泥火山や温泉が湧く湖岸を歩くトレイルです。 展望スポットがあるボッケまではバリアフリーです。 T
2 白湯山自然探勝路
片道1.9km 登り1時間30分、下り 40分
阿寒湖畔スキー場からスタートし、 温泉が流れる川やボッケ (泥火山) など地熱活動が盛んな山を 登っていくトレイルです。 頂上からは阿寒湖を一望することができます。
3 雄阿寒岳登山道
片道 6.7km 登り3時間20分、下り2時間20分
阿寒湖の滝口からスタートし、太郎湖や次郎湖を眺めながら登ることができます。 5合目までは 急登が続きますが、山頂付近では高山性の植物や小火口跡が見られるうえ、 阿寒カルデラや摩周 エリアも望める大パノラマが広がっています。
4 雌阿寒岳登山道
片道 3.3km~6.3km ※コースにより異なる。 登り2時間30分~3時間30分、下り1時間40分~2時間35分
日本百名山にも選ばれた雌阿寒岳の登山コースは3つあり、それぞれ違う魅力を楽しむことがで きます。 一番距離の短い雌阿寒温泉コースはすぐに森林限界に到達するため眺望が良く、 人気が あります。 頂上の火口には迫力ある噴気孔や青沼、 赤沼などがあり、晴れた日には阿寒湖はもち ろん辺り一帯の山々を一望することができます。
5 オンネトー散策路
片道1.4km~2.4km ※コースにより異なる 片道40~50分
雌阿寒岳のふもとにあるオンネトーの周辺には4つの散策路があります。 静かな湖畔を楽しむこ とができる東岸コース、 苔むす森のなかを軽くアップダウンする雌阿寒温泉コース、温泉の滝が 見どころな湯の滝コース、 オンネトーや雌阿寒岳を一望できる展望台コースです。 |
|
グレーディングについて
1.1時間程度で気軽に自然散策を楽しみたい方 ハイキングの経験がほとんどない方
2.半日程度で登山を楽しみたい方、多少の登山経験がある方
3.1日程度で本格的に登山を楽しみたい方、1日程度のロングハイクを楽しみたい方 ロングハイクの経験がある方 |
|
摩周屈斜路トレイル
摩周・屈斜路(ましゅう・くっしゃろ) トレイルは、 阿寒摩周国立公園内にある全長 44kmのトレイルです。 摩周湖と屈斜路湖という2つのカルデラ湖を 渡り歩き、火山がつくり出した独特の自然景観、 温泉街や野湯、 また古くからあるアイヌのコタン (集落) を通りながら歩くトレイルです。 |
|
6 摩周岳登山道
片道 7.2km 登り2時間30分、下り2時間
摩周湖第一展望台からスタートし、 根釧台地や摩周湖を眺めながら緩やかに登っていきます。 時間や 体力のない人は見晴らしのよい4.2km地点の風衝草原をゴールにしても良いでしょう。 西別岳との分 岐点をすぎると急登が始まります。頂上に立つと眼下に摩周湖や爆裂火口が広がり、360度の絶景が 待っています。
7 西別岳登山道
片道3.3km 登り 1時間30分、下り1時間
川湯エコミュージアムセンターから登山口までは車で1時間ほど。 カラマツ林をぬけ、がまん坂と呼 ばれる急登を終えると高山植物のお花畑が待っています。 頂上からは知床連山や国後島まで見える 360度の景色を楽しむことができます。 摩周岳と縦走する場合は距離 15km、 所要 5時間半です。
8 つつじヶ原自然探勝路
片道2.6km 片道1時間、往復2時間
※左のつつじヶ原フィールド掲示板をご覧ください。
9 アカエゾマツの森
一周 2.2km 一周1時間
※左のつつじヶ原フィールド掲示板をご覧ください。 *Refer to the Tsutsujigahara Nature Trail information panel on the left.
10 和琴半島自然探勝路
一周 2.5km 一周1時間
屈斜路湖につきてた和琴半島の湖岸沿いを一周するコース。 花や木の種類も多いので自然観察にも おすすめです。 途中の展望デッキからは迫力あるオヤコツ地獄や屈斜路湖を一望することができます。
11 藻琴山登山道
片道1~2km~ 一周 8.1km ※コースにより異なる。登り30分~1時間、 下り 20分~45分、 一周3時間40分
藻琴山の登山口は2つあり、 ハイランド小清水 725から尾根沿いに登るコースが代表的です。 ハイマツのトンネルをぬけると左に屈斜路湖、右にオホーツク海や知床連山が見えます。 手軽に登れて眺望も良い山です。 |
広大なトレイルです。きっと、車で近くまで行き、目的地を歩く程度でいいのでは?全部歩きは危険。ヒグマに喰われそう。
|
|
40風と土の風景
|
41イソツツジと生き物たちの関り
イソツツジを中心とした生き物たちの繋がりです。
|
初夏の雪
風渡る初夏のかおりの中で、ふかふかの白くまぶしい丸い雪。 よく見ると、 小さな
白い花が集まってできている。 夏が始まる少し前、 一年にほんの1週間だけその
白く見渡す限りの花景色を見せてくれる。それは硫黄山のふもとに広がる大地と
川湯にそよぐ風とが一緒につくった風景。
In the light breezes at the beginning of summer, the fields in Kawayu seem to be covered in light
snow. If you look more closely, it is actually a carpet of tiny white Labrador tea flowers. Labrador
tea is a low-growing evergreen shrub which blooms for just one week each year. This is actually a very rare sight created by the combination of wind and the proximity of Mt. Io. |
|
硫黄山の麓に広がるつつじヶ原。 そこには、酸性土壌や
火山性ガスに耐えうるひとにぎりの植物たちで作られた 唯一無二の風景が広がっています。
地表を覆うハナゴケやガンコウラン。 可憐な花を咲かせる イソツツジ。 のびやかに空に広がるハイマツ。 そのほとん どが高山や湿原に自生する植物ですが、 活火山の麓という 厳しい環境下では、 彼らが優位となって大群落を形成しま した。
つつじヶ原で生き抜く知恵とたくましさ、そしてその美し さには、何度見ても、どの季節に歩いても、心を揺さぶら れるはず。
さぁ、五感を研ぎ澄まして歩いてみましょう。 |
|
Tsutsujigahara spreads out at the foot of There is a unique landscape created by plants that can only withstand acidic soil and volcanic gases.
Lichen and Crowberry covering the ground. The lovely flowering Labrador tea.
Japanese stone pines stretching out into the sky.
Most of these plants are native to alpine mountains and wetlands, but in the harsh environment near at an active volcano, they have become dominant and formed large colonies.
No matter how many times you see them, no matter what season you walk, you will be moved by their wisdom and resilience, and their beauty. Sharpen our five senses and let's go for a walk. |
|
42
|
|
硫黄と 風
Sulfur and the Wind
日本一の
大群落
Largest colony in Japan |
|
|
|
|
火山灰地の
酸性土壌
Acidic soil of Volcanic ash
低地に生える
高山性 植物
Alpine plants in Lowland |
|
|
|
|
51硫黄山の恵み
|
硫黄山からのめぐみ 川湯温泉
Kawayu Hot Springs: A Gift from Mt. Iwo
地下水と温泉層の逆転現象
硫黄山の麓には1500以上の噴気孔があり、 大地のエネルギーを間近に感じることができます。 この硫黄山は川湯温泉の源にもなっています。 硫黄山の地下では190度13気圧以上の熱水 が絶えることなく地上に向かって上昇していると考えられています。 その熱水は地上近くなると 蒸気と熱水に分離され蒸気は硫黄山周辺の噴気孔から噴出します。 一方、 熱水はつつじヶ原 の地下の浅い部分を通り、 川湯温泉街のいたるところで温泉として湧き出しています。 他の 地域で温泉を掘るときには、 地下数百メートルから数千メートルまで掘ることが多いですが、 川湯温泉街付近では地下1.0~30.0mくらいまで掘るだけで温泉がわき出します。 これは地表 に近い地層に温泉が流れ、 地下水と温泉層の逆転現象が起きているためです。 他では見られ ない珍しい現象ですが、地下を掘ると最初に温泉が出てくるため、 井戸水を利用していたころ は真水の確保に大変苦労しました。
また、 川湯温泉は、 強酸性の硫黄泉として知られていますが、 これは硫黄山の地下にある硫黄 成分に由来するものだと考えられています。 一方、
川湯温泉街から数キロ離れた川湯駅前付近 では中性を示す重曹泉がわき出しています。 このように近距離で泉質が異なる温泉がわき出 しているのも川湯温泉の特徴です。
The source of Kawayu's hot waters is deep under Mt. lo, where water is heated to 190 degrees Celsius at a pressure of 13 atmospheres. As the super-heated water nears the surface, it separates into steam and boiling water, with the steam escaping through over 1,500 vents on Mt. lo. The water flows under the Tsutsujigahara fields before reaching Kawayu, where it supplies the onsen hot baths. Very unusually, the hot spring water is very close to the surface in Kawayu. Unlike other onsens in Japan where the water may be thousands of meters down, the hot spring water here is as shallow as one meter and up to 30 meters below ground. This used to be a problem in the days when wells were used for drinking water because the ground water level is below the hot spring water level. The hot spring waters at Kawayu are generally very acidic because of the sulfur deposits on Mt. lo, but there is also a hot spring just a few kilometers away at Kawayu Station where the waters are closer to being pH neutral. Such a difference in the properties of the hot spring water is one of the attractions of Kawayu. |
|
川湯温泉の昔話
湯の川が流れる街・ 川湯温泉
川湯温泉の名前は、アイヌ語の「セセキペツ」 (湯の川) に由来しています。 その意味のとおり湯川温泉と 名付けるはずでしたが、 すでに函館の温泉名に使われていたため並び順を入れ替えて 「川湯温泉」と名付け られました。 今でも名前の由来となった湯の川が街の中心を流れ、 温泉川として親しまれています。
川湯温泉の始まり
川湯温泉の発見は硫黄山で硫黄の採掘が始まったころとも言われていますが、はっきりとはわかっていません。 明治19年に初めて温泉宿は開かれましたが、 硫黄山で働く坑夫たちの賭博場になり営業不能となってしまい ました。 明治37年、 仁伏で木材業をしていた浅野清次が全く人気のない川湯温泉に温泉宿を再び開業し ました。 これが後の五月女旅館で、今日の川湯温泉の元祖と言えます。 このころから川湯の優れた硫黄泉質 の温泉が世の中に広まり始め、 湯治場として利用されるようになりました。 当時は、 斜里や北見方面などから の湯治客が中心で、 特に農閑期に入ると農家の人々が一年の体の疲れを癒すために多く訪れたようです。 このように、 川湯温泉は湯治場として始まったのです。
湯治場だったころの川湯温泉
湯治客は馬車に米や味噌、鍋や釜や布団などを積んで川湯温泉にやってきました。 川湯の温泉で3週間も湯治 すれば病気や怪我が治るといわれ、 宿に寝泊まりしながら治療しました。 硫黄泉の強い刺激を受けた体を 休めるために、 中性の温泉で 「なおし湯」 をすることもあり、さまざまな泉質の温泉を有する川湯ならではの 湯治が行われていました。 そして怪我などが治ると感謝の気持ちを込めて御不動さん (不動明王) にお参りし、 使っていた杖などを納めて帰った湯治客もいました。 また、 温泉は人の湯治場としてだけでなく、 客車や 木材運搬用の馬が怪我をした時に治療する場所としても利用されていました。 |
川湯温泉の昔話 |
温泉川 |
五月女旅館
|
湯治場だったころの川湯温泉
|
|
|
|
52
川湯温泉の構造(湯量豊富の原因)
|
温泉層が地下水の上にある |
川湯温泉湧出口部
分布図
|
|
地下水と温泉水の逆転
深層地下水が高温熱水に触れ上昇し、更に地下水と混合して温泉層となる。 |
|
摩周温泉の構造(湯量限られる。熱源マグマから離れているため)
摩周温泉は熱源から離れた地下水が源泉 |
摩周温泉は熱源からかなり離れて湧出 |
|
|
|
|
|
川湯温泉(足湯)強酸性・硫黄泉/硫黄泉(火山性物質の溶け込み)
川湯温泉駅(足湯)弱アルカリ性・重曹泉(炭酸水素ナトリウムは火山噴出物。石膏の原料)
屈斜路湖畔コタン温泉 中性・高温/重曹泉
摩周駅(足湯)アルカリ性・高温・食塩泉 |
|
53奇跡の出会い
|
A miraculous encounter
「屈斜路コタンで生きる」 文・写真: 斎藤敬子
Living at Kussharo Kotan by Keiko SAITO
高瀬英雄氏(左)とイソリツカラの子孫・磯里博巳 2007年撮影 |
|
松浦武四郎は 1845年からの13年間に6回、 蝦夷地 (現 在の北海道)を調査した人です。アイヌたちは、寝食をともに過ごす彼に対し、惜しみない協力をします。 武四 郎は所在地名と277人のアイヌ名を書き残しました。1999年、屈斜路コタンに1組の夫婦が来ました。 武四郎 の著書を携えた旅の途中。「イソリツカラというアイヌを 知りませんか?」 と聞いた相手がなんと、「私の先祖です」と答えたのです。行く先々で、記録されているアイヌ名
Takeshiro Matsuura was a man who surveyed "Ezochi" (present-day Hokkaido) six times over a 13-year period
beginning in 1845. The Ainu people were generous in their cooperation with him as he spent his days sleeping and eating together with them. Takeshiro wrote down their locations and names of 277 Ainu people.
In 1999, a couple came to Kussharo Kotan. They were traveling with a copy of Takeshiro's book. They asked, "Do you know any Ainu named "Isoritsukara" ? The man answered, "He is my ancestor". The couple, who had given up on asking about recorded Ainu names |
|
を尋ねては諦めていた夫婦、驚きを隠せませんでした。 1870年代、 明治政府はアイヌたちから風習を取り上げました。これにより、人名から血筋を辿るのが困難になります。イソリツカラの家系は運良く、先祖の名前を語り継いでいました。そして、武四郎を案内していたと知ったのです。後に、 松浦武四郎記念館 (三重県松阪市) の 館長を務めた高瀬英雄夫妻とイソリツカラの子孫たちの交流は、現在も続いています。
everywhere they went, could not hide their surprise. In the 1870s, the Meiji government took away the customs of the Ainu people. This made it difficult to trace the bloodline from a person's name. The Isoritsukara family was fortunate in that they were able to pass on the names of their ancestors. And I learned that they had guided Takeshiro. The exchange between Isoritsukara's descendants and Hideo Takase and his wife, who later served as the directors of the Takeshiro Matsuura Memorial Museum (Matsusaka City, Mie Prefecture), continues to this day. |
|
斎藤敬子 2000年に埼玉県から屈斜路湖畔へ。 コタン (アイヌ語で「集落」) で生まれ育った磯里博巳とパートナーになり、オリジナル
デザイン&ハンドメイドにこだわった Kussharo Factory を開設。 地域性豊かなアイヌ文化の情報発信にも努めている。 |
|
Kussharo Factory
(アイヌ民芸品制作・販売)
2007年に開設。
博巳は道産木を使用した彫物、 エゾシカ角や自作 のガラス玉を素材としたアクセサリー作りに励む。 敬子は、松阪市の特産・藍染木綿にアイヌ文様刺 繍を施す布製品を担当。体験プログラムやフィー
いる。 |
奇跡の出会い |
奇跡の出会い
|
松浦武四郎 |
Kussharo Factory
|
|
54外輪山と屈斜路カルデラの成り立ち
|
The Development Process of the Kussharo Caldera
大噴火と大陥没によってできた屈斜路カルデラ
屈斜路湖の周囲には、 藻琴山や美幌峠などの山々がほぼ円形 (26×20km)に取り囲んでいます。 この地形は大規模な火山噴火 によってできたもので、カルデラと呼ばれています。 今から約200~ 100万年前、 屈斜路湖周辺には複数の巨大な成層火山がつく られ、約30万年前になると大量のマグマが軽石・火山灰などとなって爆発的に噴出する大噴火が繰り返されるようになりました。 これら活動にともなって流出した大規模な火砕流はオホーツク海岸や根釧原野まで広がり、広大な大地を形成しています。古梅石 として採石されている軟石は、この大規模な火砕流が高温のままたい積して固結したものです。 そして約10万年前には最大規模 の噴火が起こり火山の中心部が陥没しました。 藻琴山や美幌峠などの外輪の山々は、その陥没時に崩壊した火山体の名残です。 やがて、カルデラの中には水が蓄えられ、また、 アトサヌプリ火山、 中島火山、 和琴半島のオヤコツ火山やさらに東部には摩周火山 が誕生しました。 このような度重なる噴火活動によって現在の屈斜路カルデラの火山群が形成されたのです。
The landscape from here to the Sea of Okhotsk was formed by a number of stratovolcanoes that were located where Lake Kussharo is now some 1-2 million years ago. Lava and volcanic ash from eruptions 300,000 years ago created the massive plain that surrounds the area and spreads all the way to the Sea of Okhotsk. Stratovolcanoes are one of the more common types of volcano. They are conical and made up of layers of hardened lava, pumice and ash. They tend to be steep and are known for periodic explosive and effusive eruptions. Krakatoa and Mt Vesuvius are famous examples. A massive eruption 100,000 years ago was so huge that the middle of one of the Kussharo volcanoes collapsed creating the enormous caldera (20 by 26 kilometers) in which Lake Kussharo formed. Mt. Mokoto and the Bihoro Pass that surround the caldera are remnants of the original volcanic cluster. Mt. lo, Nakajima Island (in the middle of Lake Kussharo), the Oyakotsu volcano on the Wakoto Peninsula, and Mt. Mashu (east of the caldera) all formed thereafter. Repeated volcanic activity has formed the Kussharo area in this way. |
|
【用語解説】
カルデラ:
火山活動で火口周辺が崩壊・陥没して できた大規模な凹地。 火口より大きく直 径2km以上。 語源はポルトガル語で大 なべを意味する。
成層火山 主に山頂の火口から噴火を繰り返し、 その周囲に噴出した溶岩や岩石片・軽石・ 火山灰などが積み重なってできた火山。 富士山に代表される円すい形の火山の 多くはこのタイプ。
火砕流: 火山噴火の時に溶岩の破片や軽石 ・ 火山灰などが高温ガスと一緒になって火山の斜面を高速で流れ下る現象。
水蒸気爆発: 高圧の水蒸気で起こる爆発的噴火 噴出物 は火山ガスと既存の火山体や基盤となっている岩石の破片だけで、マグマに直接由来 した岩石を含まない。
マグマが地下水層に接触して起こることも多い。 |
屈斜路カルデラができるまで
|
屈斜路カルデラができるまで |
|
|
|
|
|
➀約2000万から1000万年前
阿寒・知床あたりの一帯は海で、 海底火山がさかんに 活動し、 火山噴出物や、 泥、砂などが厚く海底にたまり ました。 この後、200~300万年前からゆっくりと隆起し、 一部が海面に現れました。
②約200万から100万年前
藻琴山・サマッカリヌプリ・コトニヌプリなどいくつかの 成層火山ができました (屈斜路火山)。 その一部は現在 の外輪山になっています。 |
|
③約30万前
屈斜路火山の出現と活動の時代です。 屈斜路火山の活動 が本格化し大噴火が頻繁に起こり、 たくさんの軽石・ 火山灰などが噴出しました。 その噴出物は火砕流となって 北はオホーツクや網走、 南は釧路付近の海岸にまで 広がり、広大な台地をつくっています。
④約10万年前
屈斜路火山の終局の時代です。 大爆発は、 あまりにはげしく 多量の軽石・火山灰などを噴き出したため、 中心部が大き く陥没しました。 これが、 屈斜路カルデラです。
⑤約3万年前
屈斜路火山の噴火活動は、 はげしい爆発とたくさんの軽石、 火山灰を噴き出したため、 底深く空洞化し陥没してしまい ました。 その後カルデラ内には、水がたまり現在よりも 大きな円形の湖 (古屈斜路湖) が誕生しました。 |
|
⑥約2万から1万年前
屈斜路カルデラの東側に古期アトサヌプリ火山、西側には 中島火山が噴出誕生しました。 古期アトサヌプリ火山は くり返し、火砕流を伴う爆発的噴火をおこし、 その中心 が陥没してカルデラが形成されました (アトサヌプリカル デラ)。 今日では山体の一部だけが残っています。
⑦約1万年前
屈斜路湖の誕生と新アトサヌプリ火山群、そして摩周火山 の形成の時代です。 古期アトサヌプリ火山の周りに、オプ タテシケ山、 ヌプリオンドなど小さな円頂火山が生じました。 一方、 屈斜路カルデラ東端では、 溶岩や火山灰などを噴 出して、 成層火山の摩周火山が成長してきました。
⑧約7000年前
摩周カルデラが誕生したころです。 摩周火山はその中心部 からたくさんの軽石 ・ 火山灰などをはげしく噴出して陥没し、 そこに透明な湖水をたたえる円形 (6.5×6.5km) の摩周 カルデラができました。 この頃すでに網走・北見地方には、 古代人が住んでいましたので、この噴火を見た人がいる かもしれません。 |
|
⑨約5000~1000年前
硫黄山などアトサヌプリ火山の仕上げと摩周でのカムイ シュ島、 摩周岳の噴出のころです。 古アトサヌプリの周り にサワンチサップ(かぶと山) と新期アトサヌプリが生まれ、 今の姿をほぼ完成させました。 また、 摩周カルデラの中 には、カムイヌプリ (摩周岳)とカムイシュ島が生まれ ました。
⑩現在
アトサヌプリ (硫黄山) は、 数百年前に山頂付近で水蒸気 爆発が起し熊落とし火口が開きました。現在でも噴気 活動が活発な山です。 |
|
55屈斜路カルデラと地球の繋がり
|
地球の表面は、プレートとよばれる固い板状 の岩盤で覆われておりプレートが移動する ことで地球表面のさまざまな地形がつくり 出されています。 プレートは中央海嶺と よばれる場所で誕生し、 何千万年もかけて ゆっくりと海底を移動し、 海溝と呼ばれる 場所で沈み込み消滅します。 プレートの 沈み込みによってマグマが生成され、 その マグマが上昇して噴出すると火山ができます。 このため、 海溝と平行に火山が連なる火山帯 が形成されるのです。
北海道の北東部には、 阿寒・屈斜路から知床 半島の突端に至るまで火山が連続して分布 しており、 阿寒知床火山列と呼ばれています。 阿寒国立公園は、 火山活動によって生じた 自然景観が特徴となっていて、延長約140km の阿寒知床火山列の南西部に位置し、 択捉島や国後島などとともに千島弧の一部 を形作っています。 千島弧は環太平洋の 火山帯の一部をなす火山列島で、この付近 では太平洋プレートが北米プレートの下に 潜り込んでいます。
このように、 中央海嶺で出来たプレートが 北海道の地下で沈み込む大きな地球の営み にともなって、 屈斜路カルデラはつくられ ました。 |
|
【用語解説】
環太平洋火山帯: 太平洋を取り囲むように分布する活火山の密集地域。
プレート: 地球表面から地球内部の70~100kmまでの固い部分。 固い板のようなものなので
プレートと呼ばれ、 地球の表層は数十枚のプレートでつくられている。
中央海嶺: 大洋のほぼ中央に連なる幅広い海底山脈で、大西洋中央海嶺・東太平洋海膨などが あり、マントルが上昇してプレートができる場と考えられている。
海溝: 比較的急な斜面に囲まれた、 細長い深海底の凹地。 深さが6000m以上になること
も多く、長さは数百キロから数千キロに及ぶ。 海洋プレートが大陸プレートの下に
沈み込む境界と考えられ、 陸側では地震活動や火山活動が活発。
マントル: 地球内部を構成している部分の一つで、 表層部 (地殻)より深い場所にあり地球の体積 の約80%を占める。 ケイ酸、酸化マグネシウム、酸化鉄などを主とする岩石からなる。
火山フロント:日本列島などのプレートの沈み込み帯で、 火山が密集する領域を連ねた線。 この線 よりも沈み込みプレート側には火山が出現しない。 |
プレート分布図・プレート運動
プレート分布図
7枚のプレート |
赤い線分で切った
地球表層のプレート運動
プレート運動 |
|
|
56クロユリ
|
クロユリと魅惑の香り Chocolate lily and fascinating odor
「美留和散歩」 文:金井秀明 Biruwa stroll by Hideaki KANAI
玉川大学 弟子屈農場のクロユリ
野生の花が好きだ。 園芸種の花もきれいだと思う が あまり感動はしない。 春先、 アズマイチゲやヒ メイチゲなどの春の妖精 (spring ephemeral) と 呼ばれる小さな白い花を林の中で見つけると幸せな 気分になれる。 6月頃道東では春の妖精たちはすで に花を落とし、 緑一色の草原でクロユリが黒い花を 咲かす。 うつむき加減に咲く黒い花は、何か神秘的 なものを感じさせる。 ただしこれは人間が見ての話 しで、昆虫がどう見ているのかは分からない。 花に
I like wild flowers. I think garden flowers are also beautiful, but they do not impress me. In early spring, I feel happy when I find small white flowers called "spring ephemeral", such as Anemone raddeana and Anemone debilis, in the woods. In early June, the flowers of the spring ephemeral are over in East Hokkaido, and black lilies bloom in the green meadows. The black lilies rodding flowers, give us the impression of something mysterious. I don't know how insects see
them, but this is how humans see them. When I put my
顔を近づけてみると、とても臭い。 生乾きの雑巾か、 排泄物のようなにおいがする。 アメリカでは「チョ コレートリリー」と呼ばれるが、 「汚れたオムシュリ」 などの別名もある。 だが、ハエの仲間にとってはご 馳走のにおいなのかもしれない。 臭気に誘われ訪花 する。 ハエも立派なポリネーター (花粉媒介者)で ある。 「黒百合の歌」 の歌詞中でも、 花の香りが二人 をくっつけると書かれている。 「黒百合は恋の花♪」 などと口ずさんでいると、年齢がばれますね。
face close to the flower, it smelled very bad. It smells like damp rag or excrement. In the U.S., it is called "chocolate lily" but it also has other names such as "dirty diaper lily". But it may smell delicious for flies. They are lured by the odor to visit the flowers. Flies are excellent pollinators. In the lyrics of "The Song of the Black Lily," there is a line it at says "the smell of the flower stick to us”. The song goes on to say, "The black lily is the flower of love..." if I were hum this song, it would give my age away, wouldn't it?
金井秀明 東京生まれ千葉県船橋育ち。 弟子屈町美留和在住。 現在は妻と二人暮らし。 ビールと自然をこよなく愛する。 |
|
|
60摩周湖
|
61摩周湖カムイシュ島
神秘の湖として知られる摩周湖ですが、一般に展望台からの眺めになります。
この写真は裏摩周展望台側から見た中島 (カムイシュ島)です。
環境大臣許可のもと2010年8月に摩周湖調査が行われた時に撮影されたものです。
湖水環境測定
|
独立行政法人国立環境研究所では、環境大臣許可のもと30年に渡り摩周湖調査を実施し
ていますが、2012年3月8日に摩周湖調査を行いました。 摩周湖は水深211mで湖
底まで測定器を下ろし観測した結果が上記のグラフになります。 水温・クロロフィル・濁度・EC等を測定しました。 透明度は摩周湖が全面結氷し、その上に積雪があり氷直下が真暗なため18mでしたが、光を測定した値を見ると氷の上に積雪がないとすると、30m 位の透明度であったことが推察されます。 |
|
|
2012年3月8日摩周湖
水温・クロロ・温度
|
水温・EC
|
|
|
|
63摩周湖の不思議 ―透明度を科学する―
|
摩周湖をしらべることは
摩周湖全体は、阿寒国立公園の特別保護地区に指定されています。そのため、国立環境研究所では特別な許可をとった上で調査を行っています。
摩周湖の集水域内には、耕作地や入工の施設がありません。湖岸へおりる道や、流れ込む河川もないので、水質が短期間に大きく変動することがありません。また、高い透明度に象徴されるように、湖水中の汚染物質濃度が低いこともきわだっています。その結果、環境汚染物質が混入した場合にその濃度が鋭敏に変動するのが摩周湖の特徴です。
そのため摩周湖は、国際的な環境モニタリング組織の地球環境監視システム/陸水環境監視計画(GEMS/Water)のベースラインモニタリングステーションに登録されています。世界的にも貴重な湖と言える摩周湖での研究が今日も続けられています。
(編集協力)
地方独立行政法人北海道立総合研究機構、北見工業大学、北海道大学、 千葉大学、 山梨大学、一般財団法人自然公園財団川湯支部
(発行)
独立行政法人国立環境研究所 生物生態系環境研究センター CES
(問い合わせ先)
E-mail: cebes.data@nies.go.jp
http://db.cger.nies.go.jp/gem/inter/GEMS/mashu/index_j.html
2014.12.1 |
|
白い透明度板が見えなくなる深さが透明度です。 18mの水中でも まだ見える!
高いのはなぜ?
水中の光と水の色
水中では赤よりも青い光の方が遠くまで届きます。 その結果、深い所では青い光だけが残ります。上の写真では真っ白 な透明色が、この特徴ある青い板も青く色づいて見えています。
この特徴ある青い色が“摩周湖ブルー”と呼ばれるものです。
古くから水の色は水色標準液と比較して記録されてきまし た。 1931年の摩周湖の水色は3と記録されています。
水の色と透明度には関係があります。真夏には、水中の植物プランクトンが増えるために透明度が悪くなります。また植物プランクトンによる光の吸収によって、水の色もやや緑色を帯びてきます。
2009年7月と8月の2回の観測でも、透明度の違いにより水の色が少し変化していることがわかります。
摩周湖の水色と透明度
2009年7月と8月の観測結果 |
|
65
水中を漂う粒子
|
水深211mの摩周湖の底には、 光は全く届 かず、 水温は1年を通じて4°C。いったい 深い水の中はどんな様子なのでしょうか。
水中カメラで調べてみました。 ライトを 当てると、写真のように水の中にたくさん の粒子がただよっているのが見えました。
これらの粒子は、プランクトンの死んだ ものなどが集まったものと考えられます。 何もないと思われた世界にも、 生物の働き が及んでいるのです。
摩周湖の水中粒子(水深200m) 細長く光っているのはロープの反射光 |
|
日本でいちばん透明な湖
摩周湖の透明度は、1931年に湖の世界最高41.6mを記録 しました。 その後、 次第に透明度の値は小さくなり、 現 在は20m前後を示しています。
しかし多数のデータを比 較すると現在でも日本でいちばん透明度の高い湖です。
それでは、透明度を決めているものは何でしょうか。 摩周湖の透明度を回復することはできるのでしょうか。 私たちは、 極寒の真冬も観測を行い、 特殊な装置を使 って透明度の年間変化を推定しました。
その結果、 透明度は季節 によって大きく変化し、 12 月や 5月に30m前後まで高 くなる時期があることがわ かりました。
このような季節変化には 湖水の循環と生物 (プラン クトン)の量が影響してい ると考えられています。
摩周湖の透明度の変化
1950年は10年でとの平均館 |
|
プランクトンと魚
周囲をカルデラ壁で囲まれた摩周湖は、 魚類の生息し ない湖でしたが、1926~29年にニジマスが、1968~80年にヒメマスが漁業増殖の目的で放流されました。1980年代以降、摩周湖で漁業活動は一切おこなわれていませんが、放流事業のどこかで紛れ込んだと思われるエゾウグイとフクドジョウを合わせた4種の魚類が現在も生息しています。
ヒメマスの放流前は、ミジンコなど比較的大型の動物プランクトンが多数いましたが、それらはヒメマスの餌になって激減しました。ミジンコは植物プランクトンを効率的 に捕食して、湖水中の「濁り」を取り除く働きがあります
ヒメマスの放流でミジンコが減ったことにより、摩周湖の透明度に悪影響があった可能性が考えられています。 |
|
凍らなくなる摩周湖!?
冬の訪れとともに摩周湖の水温は下がってきます。 真冬の冷え込みによって、2月から3月にかけて摩周湖は結氷します。しかし近年は、結氷しない年が増えてきているように見受けられます。結氷は、湖水の循環に影響を与えており、透明度にも関係することが考えられます。
摩周湖周辺の気温をくわしく調べたところ、1月からの最低気温と最高気温から計算した数値 がマイナス1200を下回ると結氷し、マイナス1200に達しないと凍らないことがわかりました。
長年の間に、この数値は次第に大きくなってきています。もしかすると、近い将来には写真のような景色が見られなくなってしまうかもしれません。 |
摩周湖の透明度
日本で一番透明な湖
|
過去からの学び
プランクトンと魚
|
未来をさぐる
凍らなくなる摩周湖? |
|
71美しく大きな水たまり
|
じっと空の移り変わりを見ています
ぐるりと取り囲んだ山が風をさえぎり・・・
水面が鏡のように静まれば、雲も霧も映ります。
朝日に染まることもあれば、 星空を映すことも。
そして、「地球を映す鏡」とも言われています。
無色透明な水は摩周湖色に染まる
水の色は透明だけれど、 摩周湖は何色に見えるだろう? 水色? それとも空色? 藍色って言っている人が多い。
その水は空の雲を映したり、時には山や島を映して みたり、鏡のように周りの色や形を映している。
映しているのは、目に見えるものだけでない。 地球の環境変化もずっと前から映している。
The exceptionally clear waters of Lake Mashu act like a mirror to reflect
the natural surroundings: the sky, clouds, mountains, and the lake's island.
Depending on how and from where you look, the color of the lake appears
to change. The lake does not just reflect daily visible changes; it also
records changes to the natural environment over time. |
|
72ツツジが原探勝路
|
つつじヶ原探勝路 |
|
|
|
|
川湯のへそ硫黄山
|
ここおへそなんです
町の歴史の出発点。 そしてここは、 森への旅の出発点。
川湯の主だけれども、山としてはまだ赤ちゃんです。
屈斜路カルデラー族、 三兄弟の末っ子で。
みんな地球の子どもです。
自然と人の歴史が始まる場所
もくもくと煙を上げて目の前に立ちはだかる硫黄山植物の種類も少なく、まだまだ新しい山 でも川湯の人々との関わりは古い。 ふもとには、昔、硫黄を握り出していた時に使ったレンガ やのかけら、硫黄を運んだ道の跡が残っている。ここから人々の生活が始まった。硫黄山 は川湯の自然と歴史が始まった場所だ。
Mt. lo, venting sulfurous gases that kill off plant life, is a relatively new mountain. Its connection with the local community is deep, though. The foothills of the mountain were heavily mined for sulfur in the 20th century. There are reminders of this still to be found including bricks and broken cauldrons used in extracting the sulfur, and the tracks used to carry the sulfur away. The mountain provided a livelihood for the people who came to live here. |
川湯のへそ硫黄山 |
フィールドインデックス
つつじヶ原と硫黄山 |
|
73硫黄山と人々の暮らし
|
鉱業から温泉観光へ
人々の暮らしの中にある 硫黄山(アトサヌプリ)
アトサヌプリとはアイヌ語で「裸の山」を 意味しますが、硫黄山と人との出会い はアイヌの人々が硫黄山の硫黄を たきつけに使っていたことに始まります。
明治時代には硫黄の採掘事業が始まり これをきっかけに、釧路を含む道東開拓が加速し、川湯が世の中に知られるようになりました。
時代が変わり硫黄の需要 が減少し採掘は中止されますが、川湯は強酸性成分をもつ温泉湯治場として注目されるようになります。
硫黄山は阿寒国立公園川湯地域のシンボル的な存在ですが、今では、川湯で生活する人々には温泉の源として、旅行者には観光地として親しまれて います。 |
|
74川湯温泉
|
昭和の初め頃、川湯には松葉末吉という写真家がいた。
人物
車がまだ少ない時代 川湯の駅と温泉街を結ぶバスの運転手だった松葉末吉。 カメラを持つ人も限られていた頃、
卓越した技術を持ち芸術的な視点が際立つ作品を 数百点あまり世に残した。
作品
火山が創り出した特異な自然の中で家族を中心とした人々を 生き生きと捉えた彼の作品。
今も変わらない自然の風景とおよそ90年前当時の暮らしが 見事に写し出されている。 |
昭和の初め頃
|
|
|
硫黄山
川湯の駅と温泉街を繋ぐ硫黄山通り。 松葉末吉がお客さんを乗せてバスを走 らせていた道だ。 1世紀近くも前の写真だが、 道路が舗装されていること以外はほとんど何も変わらない景色を今 も見ることができる。
道路はすっかり改修されて快適なドライブが楽しめそうだ。 中央に馬の蹄の跡があり、馬車の轍の跡が見られる。時代は昭和十六年太平洋戦争に突入する前くらいではないかと思う。物資も人の移動も馬から自動車に入れ替わる時代であろう。
先頭を歩く洋吉君が、大坂へ発つ頃、左端の憲二、英子さんの年格好、右端の男性の足賄いがゲートルであること、十二月の真珠湾以降とも思われるがどうだろう。後ろから撮っている写真ではみんな花束のようなものを持っている。お墓参りだろうか。
そう云えばこの先左へ曲がったところからシラカンバの純林が始まる。その中に昔の墓地があったのを確認している。
数本の塔婆が立っていたが、程よい太さの丸木の一方をきれいに削って墨で何やら書いてあった。
ほぼ朽ちていて読める状態では無かったが、中には数本一部だが文字が飛び飛び残っているものもあった。
筆者は長いこと標茶集治監の囚人達のお墓、と思ったが違っていた。
藤 泰人 |
硫黄山
|
|
|
川湯温泉駅
昭和5年に開駅した釧網線鉄道川湯駅。 昭和11年に改築された二代目の駅舎が 今現在もそのまま使われている。 材木 の山はないものの、硫黄山を背景にし
駅舎の光景は当時と変わらない。
「汽車は出て行く煙はのこる」何かの歌にあるような風景だが、前景は恋人ではなく、巨大な材木が積み上げられた、
駅土場だ。 |
川湯温泉駅 |
背景はアイヌ語で「アトサヌプリ(岩ばかりで木の生えない)」と言う硫黄山と「マクワンチサップ(マクワンを後方の山、チサップは意味不明)」が控えている。明治時代から硫黄鉱山、それが終わると木材産業、と一つの時代を一つの産業で華やかさを競ってきたので、その時代が終わると人影が消えてしまう悲哀を味わってきた。
そんな時代を超えて昭和六年、鉄道が入ってきた。豊富な木材の輸送は釧路川の流送が主だったところへ、一年中確実に輸送出来る手段が生まれたので、屈斜路湖周辺の材木のすべては鉄道輸送に変わり、
その集積場が川湯駅だった。今(令和3年) 外国産の木材が高騰していると言う。そして国産木材の時代がきた。しかし出荷するべき材木はなく、鉄道は運ぶべき貨物も、乗ってくれる客もいない。略奪式産業のなれの果て、とでも言おうか。
藤 泰人 |
|
屈斜路湖
背景の山頂の形、 対岸の位置からピンとくる人もいる風景だろう。ここはお 湯も湧き出ていて水遊びにはもってこいの場所。 和琴半島西岸。百年近く経った今でも子供二人が並べば、同じ写真が撮れるかもしれないなんて面白い。
初めてこのネガフィルムを見たときはいささ驚いた。果たしてデータ化するべきかどうかについて考えた。八十年以上昔の物とはいえ、データ化すればみんなが見る。男の子はいいとしても女の子についてはいささかの遠慮と一種のおびえがあった。
しかし、ネガフィルムで見ているだけではなくて取り敢えずスキャナーにかけて見る事にした。画像にしてみると、なんとも清々しい画像だ。これを何やら濁った目で見ていた私のほうに罪があると感じ、表に出した。
画像を拡大してじっくりと見ているうちにどこかで見たような気がしてきた。何日か後に改めてチラリと見た瞬間「あっ」と思った。これは映画「南太平洋」の一シーンだ、といきなり思い出したのだ。感動したあの映画のシーンは忘れられない。
この写真の演出の感じられない隙のないカメラマンの目に嫉妬さえ覚えたのである。
これは松葉末吉さん永遠の名作かもしれない、と思うようにもなったのである。憲二君と百合子さんだ。
藤 泰人 |
屈斜路湖 |
|
|
川湯温泉街
ここは川湯温泉街の中央通りである。
遊戯場があり飲み屋があり消防署が あった場所だ。 街並みは今はその面影を残していないが、緩やかに下るこの道を
少し行けばエコミュージアムセン ターすぐそば、足湯のある交差点だ。 |
川湯温泉街
|
無条件降伏と言う無惨な敗戦ではあるが、国民は皆平和と安全とに酔っていたかも知れない。
この写真が何時撮られたかの判定は難しい。
どこかに何らかの記事がないかと探したら、「弟子屈町のあゆみ」に北海道新聞の小さな記事の切り抜きが貼り付けてあった。印刷の印刷で網目がつぶれてとても読みにくかったが何とか解読したらどうやら旅行会社や鉄道会社が連帯して、大きな日帰りツアーを計画したらしい。 見出しは「硫黄とつつじの川会」で「阿寒国立公園観光協会、日本旅行クラブ、釧路交通公社、本社共催の、硫黄とつつじの湯の街、観光のが二十九日(日曜日)日帰り予定で催される。募集人員は五百名、釧路ではとくに客車六台を連結、また地元川温泉の各旅館は部屋を無料開放して、旅人を歓迎する。
△申し込み受付 二十三日から二十五日まで交通公社で、会費 大人二〇円子供十円△集合 二十九日午前五時釧路駅」
この写真の車列は釧路市からと川湯駅から温泉街までの輸送手段だったかも知れない。 藤 泰人 |
|
松葉末吉写真コレクションとの出会い 藤 泰人
私は昭和13年(1938) 根室で生まれ、同年川湯温泉へ移住した。その頃末吉氏は最も精力的に写真を撮っていた。
すでに4人の子供がいて長男洋吉君は昭和3年、長女英子さんは5年、二男憲二君は8年、二女百合子さんは11年、この4人が素晴らしいモデルとして役者として父のカメラの前で輝いていた。
私が小学校へ入学したのは昭和20年4月1日、6年生に憲二君がいた 野球のピッチャーでヒーローだったが、将来、いや晩年に於いてこのようなおつきあいになるとはいささかも考える事はなかった。
末吉氏の名を知ったのは写真展の報道からである。
北海道新聞に末吉氏の写真がたくさん掲載されて、それを見た私は松葉末吉氏とはただ者でない事を知った。
別件で北海道新聞釧路支社の記者と交流をもっていたが、その記者があの記事に関わった人物であった。
いろいろお話を聞いて不意に興味が増大した。
私も20代初期から写真の世界にいて、川湯の歴史や、古い写真を集めていた。思いきって憲二氏に電話を入れて、そのアルバムをお貸しいただけないか、とお願いをした。「あ、いいよ」と言う軽い返事で、アルバム5冊が私の手元にやってきた。
あまりにもあつかましいお願いに気が引ける思いだったが、見事なプリントが並んでいることに全てが飛んでしまった。
これを契機として憲二氏との交流が始まった。 2018年初夏、30センチ四方程度の箱が送られてきた。
松憲二氏からのものである。開けて見ると中には9個の皮ケースが入っていて、ブローニー判のネガフィルムがぎっしりと入っていた。
あわてて憲二氏に電話を入れた。
「兄洋吉が亡くなって兄嫁が遺品整理をしていたら 天井裏からでてきたのだけどどうしょうもない、そちらで調べてください」とのこと「オレにもどうしようもないので、任せます」とのこと。
改めてじっくり調べて見ると、これはとんでもない資料だと身震いする思いで数点スキャニングしてみた。
更に驚いた。このネガフィルムは川湯温泉にとって大変貴重な記録であり、写真家松葉末吉作品として永遠に残すべく性格のものである、と言うことが分かった。それにこのネガフィルムをデータ化するのは私以外川湯にはいない、と言う自負も頭を持ち上げてきた。
川湯温泉に住んで80年、カメラを持って60年、このカルデラの森も街も湖水も川も隅から隅まで歩き回っていた上、写真はフィルム育ちの私こそこの作品にあたるふさわしい人物として適材適所と云うべき、と大いに気を吐いた。
松葉末吉氏には一度逢っている。 中学生の頃、木炭のガスでバスが走っていた時代、バスの後部に取り付けられたプロパンガスの大きなポンベのような炉に手回しの風車で風を送っているのに興味を持ってそれを回させて貰ったことがある。
軽そうに回していたので、やってみたくなったのだが、意外に重く、1分とは続かずダウンしてしまった。
末吉氏は笑って交代し、いかにも軽そうに回して見せたのである。悔しいやら恥ずかしいやらで逃げ帰った記憶がある。
あれは絶対松末吉氏だ。 |
|
松葉末吉(まつばすえきち)
1902年-1998年
昭和2年頃から昭和30年頃まで川湯 駅 (現川湯温泉駅) と川湯温泉街を結 ぶバスの運転手をする傍らアマチュア カメラマンとして数多くの写真を撮影 する。 愛用のカメラはツァイス・イコン・ スーパーシックス。
藤泰人(ふじたいと)
1938年-
根室市出身、 弟子屈町在住。 写真家。 NPO法人ましゅうの里代表。 弟子屈営 林署に勤務していた21歳のころ初めて カメラに触れ、地域の自然風景を中心 に撮影する。 1971年、 雑誌 「暮し の手帖」掲載を機にプロ写真家に転向。 |
|
|
75硫黄採掘
硫黄採掘の歴史
|
私企業時代
硫黄山の硫黄は、古くから先住民の間で焚付用として使われていました。それを釧路の 漁場持であった佐野孫右衛門が聞き、明治五 年、手代に命じて、屈斜路アイヌの案内で実
地調査を行いました。
調査の結果、含有量の優秀なことが判明し、明治九年に試掘願を出して許可を得、お よそ600石を採掘しています。次いで同十年 に約五万坪の硫黄砿借区願を出して許可を
得、本格的な採掘が始まりました。
明治十一年からは搬出のための道路開さくにかかり、標茶までの九里を馬で運び (土 産馬400頭を移入し、毎日300頭ずつを使役、 100頭ずつを交代で休ませる)、その先、釧路までは釧路川を五十石船、百石船の川船で
硫黄を運びました。
採掘当初の作業状況は鶴はしや鍬が用い られ、精錬には土がまを築くという原始的な 方法がとられていました。
明治十四年孫右衛門没後、 経営者が代わり、同十六年からは坑夫を増員し、精錬も「ヅクかまど」を使用するようになり、採砿実績 は九万二千石にはね上がり、全道一になりました。
資本家経営時代
近代的な精錬法による産出高の向上と、搬 出手段の改良には大資本が必要とされました。明治十七年以降は採掘量の不振から、経営者は再度代わり、同二十年、釧路の春採炭
山とともに安田財閥の祖、安田善次郎に譲渡 されます。
近代化を図った安田は、明治二十一年、跡 佐登~標茶間に北海道で二番目という鉄道 を開設し、標茶に当時最新の蒸気精錬所を建 てました。
安田家の経営近代化は、たちまち全山を掘 り尽くし、同二十七年には採砿中止状態に陥 ります。ついに明治二十九年廃坑となり、標 茶の精錬所も衰微し、同三十年には機能を中 止したことで、跡佐登のはなばなしい脚光 は、歴史の幕を閉じることとなります。 |
|
硫黄採掘の歴史
|
|
76二つの溶岩ドーム
硫黄山のプロフィール
|
2つの溶岩ドームでできている硫黄山
硫黄山は二つの溶岩ドームでできています。
一つは、約1700年前に溶岩ドームが噴出したドーム形の 山ろく部分(アトサヌブリ古期溶岩ドーム)です。
その数百年後、 山ろく部分の上にもう一つの溶岩ドーム (アトサヌプリ新期溶岩ドーム)が噴出して硫黄山全体がつくられました。
現在噴煙を上げている場所は 古期溶岩ドームと新期溶岩ドームの境目部分に多く見られます。このように硫黄山は二重式の溶岩ドームなのです。
硫黄山
山 名:アトサヌプリ(硫黄山)
標 高: 508m
構 成: 成層火山と溶岩ドーム
主な岩石: 安山岩、デイサイト |
硫黄山のプロフィール
|
|
二つの溶岩ドームでできている硫黄山
アトサヌプリ古期溶岩ドーム
大噴気孔(ドーム境目)
アトサヌプリ新期溶岩ドーム |
|
硫黄山の地下で
硫黄山の地下深くでは、 太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んで います。
太平洋プレートには海底を通ってくるために水分を含んだ部分があり、地下深くまでくると地中の高温高圧によって水分がしぼり出されること (脱水分解反応)があります。水分には岩石の融点(固体が溶けて液体になる温度)を下げる効果があるといわれ、周囲より低い温度で岩石が溶けはじめ、溶けた部分が集まってマグマだまりとなります。そのマグマが上昇し地表に噴出します。これが火山の噴火です。 |
硫黄山の地下深く |
|
➀北米プレートの下に潜り込む、太平洋プレート
②深海プレートに滲み込んだ海水が、圧力によって絞り出される。
③高温高圧化の水は、岩石の溶融温度を下げ、岩盤を溶かす。
④溶けた岩石は軽いので上昇し、地下に溜まってマグマだまりを形成する。
⑤マグマだまりに供給された溶融岩石は地下の割れ目や軟弱ヶ所を見つけて、圧力によって上昇し、地上に吹き出す。 |
|
77硫黄山の一年
|
硫黄山がつくる不思議な表情
硫黄山には植物の種類が少なく周囲の山とは 異なった様相を見せてくれます。 そして、 今も なお白い噴煙をあげ、 地球のエネルギーを感じ させます。 これらのエネルギーは、天気や気温 などと相まってさまざまに変化する自然の現象 を見せてくれます。 |
硫黄山の一年 |
冬/全面積雪 |
春 |
夏 |
秋 |
冬/日暈ひがさ |
熊落とし落石 |
噴気孔・針状結晶 |
|
|
|
|
|
|
80 |
81硫黄山
|
|
硫黄山硫黄噴気孔 |
硫黄山地名 |
屈斜路湖
ぼうし山
かぶと山
硫黄山熊落とし |
川湯温泉街
|
白い花弁を突けるエンレイソウ ※ここでは白花延齢草に限った個体変異を述べています。
|
エンレイソウは個体変異の激しい種のようで、沢山の変種が生まれています。
受粉した子房から
クリーム色はミヤマエンレイソウ。ここから変異が起こって、子房色が、暗紫色はエゾミヤマエンレイソウ。
雄しべの長さから
雄しべは、花粉の入った袋・葯(ヤク)とそれを支える花糸(カシ)でできている。
葯:花糸=3:1をオオバナノエンレイソウ
オオバナノエンレイソウの変種で、子房がクリーム色はソウヤノエンレイソウ。暗紫色はチシマエンレイソウ
葯:花糸=2:1の種で、子房の先が暗紫色、本体がクリーム色の種は
葯長5~6mmをカワユエンレイソウ、
葯長8~13mmはシラオイエンレイソウ
、 |
白い花をつける
エンレイソウ |
カワユエンレイソウ
ユリ科 |
エンレイソウには白花と暗紫色があり、白花エンレイソウに限っての個体変異を述べています。
白花エンレイソウがなぜこのように激しく個体変異しているのだろうか。
➀花弁色暗紫色から白花になって日が浅く、種が安定していない。
②環境の微妙な変化に反応しやすく不安定な種である。
③かつて聞いたことがある。人類が猿から激しく変異・進化したのは、アフリカの火山から
放出される放射線のせいだと。
では、延齢草が白花に変異し、更に大きく変異を続けているのは、火山地帯北海道の
地下から放出される放射線のせいだろうか。 |
|
82硫黄の精錬
オオバナノエンレイソウ カワユエンレイソウ
ミヤマエンレイソウ
|
硫黄の結晶
|
|
精錬窯のレンガ |
精錬燃料 石炭 |
硫黄の結晶 |
|
|
83
|
屈斜路湖のメッセージ
すべてがつながっています
屈斜路湖を取り囲む国内最大規模のカルデラ火山。 その中で、 さまざま な野生生物が暮らし、私たちは大地を耕し多くのめぐみを受けて暮らして います。 外輪山に降り注いだ雨はいくつもの川となり、森を通り、街を 抜け湖に流れこみます。 そして、その水は1本の川となって流れ出します。 釧路川は湖と海をつなぐ道として多くの生き物たちの命を育むとともに、 私たちの生活を支える大切な場所にもなっています。 |
|
屈斜路湖調査に行ってきました! 2014.09.19
透明度測定 !
白い円盤を水中に水平に降 ろしていき、見えなくなったと ころで距離を計測します。 9月19日の測定では約9mと なりました。
魚探で水中を観察!
音波によって魚を感知する だけでなく、水深や水温も測 ることができ、底質をグラフ で判断することも可能。
モニター左下に水深が表示され、 これで 水深を確認しながら観測ポイントを目指 しました。 |
|
湖水の色を観察!
フォーレル水色標準液を使いまし た。 太陽光で色の見方が変わらな いように、日影で1~11のアンブ ルの中で一番近い湖水の色を判 断します。
9月19日の測定では3となりました。
魚探で水中を観察!
音波によって魚を感知する だけでなく、水深や水温も測 ることができ、底質をグラフ で判断することも可能。
モニター左下に水深が表示され、これで 水深を確認しながら観測ポイントを目指 しました。 |
|
2014/09/19 屈斜路湖
クロロフィルとは光合成をおこなう上で中心的役割を担っている植物プランクトンであり、その量はppbで表されます。 1ppbとは10 億分の1を表す単位で、目に見えないほどの小ささです。
また、水温も15m付近から急に下がり、20m付近から安定していることが見て取れ、同時にクロロフィルと水中に溶け 込んでいる(DO)の量があがっていることがわかります。
その一方で濃度の数値は0.2~0.3と水が変わっても一定しています。 |
屈斜路湖調査
|
屈斜路湖調査に行ってきました!
|
|
クロロフィルの濁度らしい |
クロロフィルの増加=植物プランクトンの増加=汚水の増加 |
|
84
|
屈斜路湖の一年
豊かな湖の風景
昭和13年に起きた屈斜路湖の湖底地震で湖の水が中性から酸性に変わり、 生物たちには住み にくい環境になりました。 昭和55年ころからは次第にその酸性度が低下し、今では再び中性を 示すようになり、大型の魚も姿を見せるようになりました。春には明るく色づいた新緑の中を散策 し、夏にはキャンプやカヌーを楽しみ、冬には全長10kmにも及ぶ御神渡りやオオハクチョウの越冬 を見ることができます。 屈斜路湖はいつでも自然を感じることができる場所です。 |
|
豊かな湖の風景 |
春 藻琴山 夏 |
冬/しぶき氷
釧路川の源流
冬/御神渡り
|
冬 2016年2月5日
藻琴山天望駐車場
秋
|
|
85
|
屈斜路湖のプロフィール
遥かな時代のカルデラ
屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖で、世界有数の大きさを誇る屈斜路カルデラの中に誕生しま した。 今から数十万年前、 屈斜路湖の位置に複数の大きな火山があり、爆発的な大噴火を繰り 返し膨大な火砕流を噴出したため跡地がくぼみ屈斜路カルデラが出来ました。 これは東西 約26km、南北約20kmも及ぶ日本最大規模のカルデラです。 その後、 カルデラの中に水が たたえられ、 その中央部に硫黄山などを含むアトサヌプリ火山、 東部に摩周火山などができた ため屈斜路湖は半円形になりました。
屈斜路湖
成 因:カルデラ
汽水/淡水:淡水
面 積:79.6km2
標 高:121m
周 囲 長:57km
最大水深:117.5m
平均水深: 28.4m
全面結氷: する
湖 沼 型:酸栄養
流入河川: 38
流出河川:1 |
|
ヤマシギ |
ヤマシギ 渡り鳥
九州沖縄で越冬
北海道~東日本で棲息 |
屈斜路湖プロフィール |
氷結の屈斜路湖 |
|
86森の中の湖
|
四季の移ろいが楽しいのです
|
四季の移ろいが楽しいのです
足元が萌えて、ほとりはなんだか楽しそう。
大きな私に、小さな命が彩りを添えます。
水の中でも、もみじ狩りをしているのでしょう。
しばれる長旅お疲れ様。いっぱい休んでおいきなさい |
|
森の水・川の水
森の中に浮かぶ大きな湖。 大木がどっしり構え根をはる森は、 生き物たちが暮らす
場所になっている。降った雨は森と大地を潤して屈斜路湖に注ぎ込む。森のめぐみ を受けた水は湖を豊かにする。 そして水はゆっくり釧路川を蛇行し釧路湿原を通 り抜けて太平洋へ注いでいく。 |
|
屈斜路湖と生き物たちの関わり
屈斜路湖を中心とした生き物たちとの関わりです。 |
|
|
90
|
摩周湖
知られざるその神秘を探る
阿寒摩周国立公園内でも、特に厳しい規 制がある特別保護地区に指定されている摩 周湖。深い藍色が広がる湖面、小さく浮き 出た無人島、そびえ立つカルデラ壁、松浦 武四郎が一夜を過ごした洞窟・・・。触れるこ とができない美しい湖には、私たちを魅了 する特異な自然現象、地形や歴史の話など が数多く存在する。
近代までは最奥の未開の地であり、その 後も立ち入りを禁じられてきた神秘の湖。 幾つもの事象を紐解くことで、その類いま れな姿が見えてくるだろう。まるで湖面を 覆う霧がだんだんと晴れていくように。
A 摩周湖の水は世界一透明!?
B 摩周ブルーのベストシーズンはいつ?
C 霧の摩周湖と雲海
D 摩周湖の水はどこへ?
E 肉眼では見えない湖面下の地形
F カムイシュ島
G 魚などの生き物は存在しているのか
H 松浦武四郎が一夜を過ごしたホロ
| 厳冬期、 摩周湖の水は凍る?凍らない?
J 地球の変化を映す鏡の湖
K 水質調査の実施、その内容とは
| 摩周湖周辺流域5町による調査の継続 |
|
A摩周湖の水は世界一透明!?
摩周湖を語る上でまず外せないのが、 透明度の高さである。今から約30年前、 1931年8月に行われた調査で測定 された透明度は、4.6m。当時の世界一 を記録した。それ以降、1980年代 後半から現在まで、透明度は平均して 20~25mを推移。過去の水質調査の情 報がないため、透明度が変化した理由 は明確ではない。当初と比べるといさ さか低い値にはなったが、今なお世界 有数の透明度を誇る湖であることに変 わりはない。
ではなぜ摩周湖は、これほど高い透 明度を保ち続けるのか。考えられる要 因のひとつとして、湖へと流れ込む川 がないことが挙げられる。また特別保 護地区であり、立ち入りが禁止されて いるエリアであるのも大きい。その結 果、透明度を左右するプランクトンや 水溶物質による汚染が極めて少ない状 態を維持できているのである。
とはいえ、雨や風など空からの影響 はダイレクトに受けてしまう。 繰り返 台風が襲来した2016年の調査で は、過去最低となる6.3mという値を 記録してしまったことも。翌年の調査 では25mまで透明度が回復したが、今 後もその変化を見守り続けていく必要 があるだろう。 |
|
B摩周ブルーの ベストシーズンはいつ? B
展望台から、または摩周岳から湖を見下ろしたとき、多くの人が「青い」という印象を持つのではないだろうか。
湖水の色は水深や太陽光、見る角度によって変わる。しかし、「摩周ブルー」と呼ばれる摩周湖独特の深い青の秘密は、透明度にある。
透明度が高いということは、プランクトンや土砂の粒子など、光を吸収・反射する物質が少ない状態を表す。それらが少ないほど、青以外の色は水に吸収され、青色だけが私たちの目に届く、これが摩周湖の水が、より青く見える理由なのである。
とはいえ、透明度は季節によって変化する。植物プランクトンが増減するからだ、夏には増殖し透明度が下がって、湖水の色も少し緑がかる。では反対に冬には一番透明度が高まるかというと、実はそうでもない。5月と12月水温変化により湖水が〇湯がすることで植物プランクトンも深層部に沈んでいくため、光がより届きやすくなる。よって透明度が高まり、青さも増すのだ。
吸い込まれそうなほど青く神秘的な「摩周ブルー」。ベストショットを狙うのであれば、5月か12月の晴天の日が良いだろう。 |
|
摩周湖の水は世界一透明
|
摩周湖の周りはほとんどが切り立った崖になっているが一部このように砂浜状になっている所がある。
青く澄んだ水が打ち寄せ、透明感が際立つ。 |
|
天気が良く青空が広がっている日、
画面の青さが一層強く感じられる。 |
|
C霧の摩周湖と雲海
"霧にだかれてしずかに眠る星も見 えない湖にひとり”
これは1966年に発表された布施 明のヒット曲「霧の摩周湖」の冒頭フ レーズ。 この曲が世に広まってからと いうもの、「摩周湖」と聞けば霧に覆わ れた姿を思い浮かべる人が増えた。 し かし実際には、夏以外は湖面がはっき りと見える日の方が断然多い。
摩周湖の霧には、いくつかの種類が ある。風がなく晴れた夜間に湖面が冷 やされて発生する「放射霧」や、山の 斜面をはい上がる上昇気流によって発 「生する「霧」。夏の釧路沖で発生し 海霧が摩周湖にまで流れ込んでくる 「移入霧」は、その際に見られる姿形か 「滝霧」と呼ばれることもある。 湖面いっぱいに霧が広がる「雲海」 を望むなら、最適なのは6~7月、特 日の出から約3時間以内が狙い目と いえる。 3カ所ある展望台のなかでも、
もっとも標高が高い「摩周湖第3展望 台」がおすすめだ。 |
|
D摩周湖の水はどこへ?
流れ込む川も、流れ出る川もない摩 周湖では、その水はどこからやってきてどこへいくのか。 摩周湖の不思議 の一つだろう。
摩周カルデラという大きな「鍋」の中に溜まる水のほとんどは、雨水もし くは雪解け水である。外輪山や湖底の 一部からは湧水も確認されているが、水位の変動にはほとんど影響のない水
量であるという。
約2割は蒸発するものの、それ以外 が溜まる一方だと水位はどんどん上昇 していくはずだが、摩周湖はほぼ一定 を保っている。残り8割は、地下に浸 透して伏流水として流れ出ているから 摩周湖の「鍋底」は標高140m 物理的に伏流水となりやすい構造なの である。流れ出た水は、主に摩周湖の 南東に位置する西別川や、西側の美留 地区でこんこんと湧き出し、ふ化事 業や水道水など私たちの生活に大きく 役立っている。2016年8月の北海 道豪雨の際には摩周湖の水位が増し、 なんと西別川源流部では湧出口が増え たとの記録も。
また、湖の北側で湧き出る神の子池 摩周湖の伏流水と考えられていたが、 近年の調査によって、摩周湖の外輪山 にしみ込んだ地下水が湧出していると もいわれている。とはいえ、摩周湖に ゆかりがあることに違いはない。 |
|
C霧の摩周湖と雲海
|
D摩周湖の水はどこへ
|
摩周湖から4kmほど北にある神の子池。
摩周湖の伏流水と考えられている。
弟子屈町内にもある湧水。
|
|
E肉眼では見えない湖面下の地形
展望台から実際に見ても、写真やジオラマの模型を見てもわからないのが、摩周ブルーといわれる深い藍色をたたえた湖の底の地形だ。高低差等高線で表している国土地理院の地形図を通して見てみよう。
摩周湖は、7千年前に摩周火山が崩壊・陥没してできたカルデラ湖だ。
周囲は急峻な断崖が水中深くまで続いているが、湖底は比較的平坦である。
また、摩周岳や湖の中央にあるカムイシュ島は、カルデラが形成された後に再び噴火が起こり、隆起してできたものだ。
まるで小さな島が浮いているように見えるこのカムイシュ島は、標高382m、湖底の標高は140m。高さ242mの険しい山の頂上部分、31mが水面上に見えていることがわかる。 |
|
Fカムイシュ島
摩周湖の中央に小さく浮き出るカムイシュ島は、アイヌ語で「神となった老婆」という意をもつ。名前に島がついているが、実は高さ242mの山の頂上。近くで見るとその存在感に圧倒される。かつては鳥居が建てられていたというが、その迫力に人ならざる者の気配を感じ取っていたのかもしれない。山肌は切り立った崖になっており、岩にしがみつくように木々が生えている。その樹種はトドマツやダケカンバ、ナナカマドとさまざまだ。
岩場の隙間から、ツバメと思われる野鳥が賑やかに出入りしている。確かに人の手が一切入らないカムイシュ島であれば、のびのびと過ごせるだろう。 |
|
E肉眼では見えない湖面下の地形 |
Fカムイシュ島 |
G魚などの生き物は存在しているのか
H松浦武四郎が一夜を過ごしたホロ |
|
|
I 厳冬期、摩周湖の水は 凍る?凍らない?
最低気温がマイナス20°Cを下回るこ とも珍しくない、道東の冬。 屈斜路湖 では結氷した湖面に現れる氷の筋「氷 丘脈(御神渡り現象)」が、毎年人々の 注目を集めている。その一方で、摩周 湖が全面結氷するのは数年に一度。 同 じエリアにあり、屈斜路湖よりも面積 が小さい摩周湖が凍らないことがある のは、一体なぜか。その答えは、湖の 深さにある。
最大水深211m。まるで寸胴鍋の ような形の摩周湖は、水深118mの 屈斜路湖より約100mも深く、その 貯水量も屈斜路湖をはるかに上回る。 それゆえ結氷に時間がかかるのである。 また湖は、全面結氷する湖としない 湖
湖)に区別することができるが、 摩周湖はその境界線上に位置付けられ る。結氷が見られるのは、寒さのピー クを越えた2月下旬頃。近年で全面結 氷を確認できたのは、2019年のこ とだ。
国内では、現時点における不凍湖の 北限は支笏湖だが、いつの日か地球温 暖化の影響により摩周湖が凍湖の 北限〟になる日がきてしまうかもしれ ない。凍るか、凍らないか。 摩周湖の 結氷は、地球環境のバロメーターでもある。 |
|
J 地球の変化を映す鏡の湖
1917年に初めて透明度の測定が行われてから、すでに100年以上の時が経った。摩周湖はその周囲を険しいカルデラ型におおわれ、流入河川がなく、人の立ち入りも制限されている。
こうした環境は、湖を原生の姿にとどめておくと同時に、地球全体の汚染の進行状況をチェックするのに有効な条件を揃えることにもつながった。
1981年から国立研究開発法人国立環境研究所による総合的な水質調査が始まり、1994年には国連環境計画(UNEP)などの国際機関が進めている
GEMS/Water(○○○○)の「ベースラインモニタ○○○○ション」となる。日本の湖では○○摩周湖が登録されているのだ。
2019年からは、摩周湖の恩恵を受ける5つの町清里町、別海町、中標津町 標茶町 弟子屈町)と関係機関からなる摩周湖環境保全連絡協議会によって調査が継続されている。 |
|
冷え込みは厳しいが中心部がなかなか氷結しない。2021年2月121日撮影 |
小型船に乗って調査ポイントまで移動する |
|
K 水質調査の実施、その内容とは
透明度板
青い湖水の中で反射する白い円盤 (透明度板) は 沈んでいくにつれ、濁りなどの要因によって見えな くなる。その距離を測定基準としたのが透明度だ。 いたって簡単でありながら、 150年以上ほぼ変わら ない方法で計測されているから驚きだ。
摩周湖は、1931年に透明度 41.6mという世界一 の数値を記録した。 25m前後になった今も、日本 一の透明度を誇る。
クロロフィル
光合成をおこなう植物にはクロロフィル(葉緑素) が含まれている。 植物プランクトンも例外ではない。
水質調査で水中のクロロフィル量を計測すること によって、 植物プランクトンの量がわかる。 植物プ ランクトンが多ければ水中に入った光を吸収し、透
明度は下がる。 よって透明度が変化した時には、ク ロロフィルもその要因を探る大切な指標の一つとな るのである。
觀測裝置
透明度の他にも調査項目はいくつもある。 水温、 電気伝導率、溶存酸素など、水質を分析する手段は 実に多いのだ。調査時には観測装置をゆっくりと最
深部まで沈めていくと、一定の水深ごとに自動的に データが収集される。
また別の観測装置を沈めたままにしておき、年間 を通した計測も実施している。 それによって年に2 回、5月と12月に表層と深層の水が入れ替わるこ とが判明したのだ。 |
|
L 摩周湖周辺流域5町による調査の継続
1981年から国立研究開発法人国立環境研究所が実施してきた総合的な水質調査は、2018年に終了しました。 現在は、摩 周湖の恩恵を受ける周辺流域の5町(清里町 別海町 中標津町 標茶町 弟子屈町) が関係機関と協力し、 摩周湖環境保全 連絡協議会を設立。"摩周湖の守り人” として水質調査を引き継ぎ、環境保全に挑戦しています。
協議会が実施した調査の結果は、 GEMS/Water ナショナルセンター(※)に提出された後、 ドイツ本部に送られてデータ ベース化されます。
これらのデータは、国連機関はもとより各国の研究機関に無償で提供され、学術研究などに幅広く利用さ れています。 摩周湖は水質が短期間に大きく変動する要因がほとんどないので、
大気を通じて汚染物質が混入した場合に、 す ぐ変化を見つけることができます。 地球環境の異変を監視する高感度センサーとして、 非常に重要な役割を果たします。
しかしこの協議会の予算は限られているため、規模を縮小して調査を継続中。 今後も永続的に調査を実施していくために、 弟子屈町が中心となってクラウドファンディングや寄付金等による支援を呼びかけています。
この調査に興味があり、協議会やクラウドファンディングの情報を知りたい方は、メールア ドレスをご登録ください。 ご登録いただいた方には、クラウドファンディングサイトが立ち上 がった際などに、お知らせメールをお送りいたします。
GEMS/Water ・・・・ 国連環境計画 (UNEP) や世界保健機関(WHO) 等の国際機関によって進め られている、炭水水質監視プロジェクト。
地球環境監視システムの陸水監視部門であり、全球をカバー するプロジェクトです。
QRコードを読み取り、 メールアドレスをご登録ください。 ※氏名・住所等の個人情報は一切必要ありません。
摩周湖環境保全連絡協議会の
紹介ページはこちら |
|
95屈斜路湖で見つけた宝物
|
みんなが見つけた宝物コレクション
屈斜路湖に訪れた人が見つけた、小さな宝物を紹介しています。もしも宝物を見つけたらスタッフまで教えてください。 |
|
|
イモリは下北半島が最北端世界の分布限界
アカハライモリは外来生物 |
エゾイワナ |
ヤマメ
|
アメマス |
イトウ |
|
ウチダザリガニ
|
エゾウグイ
|
|
|
|
ミンミンゼミ
|
|
マリゴケ:弟子屈町の天然記念物
マリモとは異なり植物遺体が球形になったもの
イトヨ:トゲウオ目トゲウオ科
オスが作った巣でメス は産卵します
イバラトミヨ:トゲウオ目トミヨ属
きれいな冷水を好む |
|
屈斜路湖に生息する貝 ドブガイ イシガイ科
砂沼のある湖沼や湿原の川に生息する。 砂泥底に体の 1/2 ほど を埋めて水管を出し、 直立あるいは斜めに立っている。 大型の二枚 貝で
20 近いものもいる。 殻はこげ茶色か 南の大沼には殻長
ら黒色で薄く割れやすい。 腹縁は外側へ弓状に膨らんだ卵形。
北海道ではまだ見つかっていないカラスガイに似るが、 左右の殻 の内側にかみ合う歯がないので区別できる。 内側は美しい真珠光沢 があり、 天然真珠を持っていることがある。 雌雄異体。 グロキジウ ム幼生は魚に付着して移動する。 北海道から九州まで分布する。
ヌマガイやタガイともいい、 北海道ではカラスガイといえばドブ ガイを指す。 (稗田一俊著「北海道の淡水魚」より) |
|
マリゴケ (植物遺体)
名 称 屈斜路マリゴケ
所在地 弟子屈町字屈斜路
管理者 弟子屈町
指 定 昭和44年7月11日(町指定の天然記念物)
マリゴケは湖岸に自生するコケや草 根の細片が波に洗われ、 回転運動の に丸く結びついたものです。
屈斜路マリゴケはホソヤナギゴケ、 シミズヒシャクゴケ、マルバチョウセ ンゴケを主体に、 1~10センチぐらい の茶褐色 (まれに緑色)の球状をしています。以前は湖周辺一帯に無数に分布していましたが、現在は湖畔の開発等により減少の一途をたどっています。(弟子屈町史より) |
屈斜路湖に生息する貝 |
マリゴケ
|
|
|
|
100阿寒湖畔エコミュージアムセンターへ!!
|
101つつじが原
再び、つつじが原、硫黄山を通って、阿寒湖へ向かいます。途中、イソツヅジが咲き乱れています。
|
|
|
102屈斜路湖から阿寒湖へ
|
屈斜路湖から阿寒湖へは屈斜路外輪山を登って降りてと、まるで山岳ドライブでした。
屈斜路湖と摩周湖は隣接しています。というか、屈斜路カルデラの外輪山の一部にできた火山が摩周カルデラを形成したかのように思えます。
この二つのカルデラの間は稜線状になっています。 |
川湯から阿寒湖へ
険しい外輪山
|
外輪山の上部には雲がかかっています。 |
オホーツク海から吹き込んだ湿度の高い風が |
外輪山の斜面を駆け上がり、雲となる。 |
外輪山を降りれば、
視界すっきり |
|
|
|
103阿寒湖エコミュージアムセンター
自然探勝路
ここに着いた時、付近の山を縦走してきたらしい、山ガールを見かけた。顔に物凄い疲労困憊が浮かんでいたので話しかけなかったが、
きっと、熊と追いかけっこをして帰って来たのだろうな。といった物凄く疲れた顔をしていました。
北海道の人は、よくまぁ、こんなに恐ろしい山にそれも、単独行でのぼるよな。クマに襲われたら最後行方不明だぜ。
弟子屈を通って
阿寒湖へ |
阿寒湖エコミュージアムセンター
|
自然探勝路 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
112阿寒湖
|
阿寒湖は周囲26km、 海抜420m、 面積 13km、 最大水深42m程のカルデラ湖で 湖上には大島 小島、 ヤイタイ島チュウルイ島と4つの島が浮かんでいます。
国の特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」の棲む湖として知られる阿寒湖ですが、 「ヒメマス」の原産湖としても有名です。 ヒメマスはベニザケの陸封型 (海へ下 らずに湖で一生を過ごすタイプ)です。 ヒメマスの大きさは、20~40cm程で、 秋 の産卵期には体の表面が鮮紅色に染まります。
阿寒湖ではヒメマスの他ニジマスやコイなど十数種の魚が棲んでいて、近年で は、フィッシングの場所としても多くの人々が訪れます。 結氷した湖上でのワカ サギ釣りは冬の阿寒湖の風物詩となっています。 |
マリモ
|
日光が行き届く水深2~3mの浅い湖底のごく限られた場所にいます。 現在の阿 寒湖でのマリモの分布は、北部のチュウルイ湾とキネタンペ湾で多く生息してい ます。
マリモは、湖の底でじっとしていますが、 丸い形をしているので、時々波が立 つとゆらゆらとゆれます。 マリモは、回転することによって体についた砂や泥を 払い落とし、位置を変えて体全体で光合成を行い生長を続けます。 マリモは大き なもので30cm程になるといわれています。 マリモの生長には、きれいな水と日光、 そして波はとても大切です。 |
|
マリモ
|
マリモ |
マリモの断面
|
マリモの中心部から表面にむかって たくさんの緑色の糸状の藻が放射状に のびています。 |
|
|
105
|
阿寒湖 / 阿寒湖/アカムトー
阿寒湖は、 雌阿寒岳と雄阿寒岳にはさまれた標高 420mに位置し、 周囲約26km、 面積約13km、 水深平均 18m (最大45m) の火山活動の陥没によってできたカル デラ湖で 2005年11月にラムサール条約に登録されています。
阿寒湖内で唯一上陸できる島であるチュウルイ島では、 特別天然記念物に指定されているマリモの分布や生態などが観察できます。 |
|
106泥火山 泥火山のメカニズム イエローストーンの泥火山
|
ボッケ /Bokke(泥火山) / ボッケ
ボッケとは、アイヌ語の「煮え立つ」という意味のポフケが訛ったもので泥火山 のことをいいます。 100°Cほどの熱せられた泥が地下から火山ガスとともにボコボコ と音をたて絶えず噴出しています。 泥は盛り上がり、そこに熱泥が積み重なり異様 な灰色の光景を作りだします。 地熱があるため雪が降っても溶けてしまい積もること はなく地下の生命力を感じる事ができる場所です。 |
|
120ボッケの花暦
|
ボッケの花暦
|
|
|
ゴゼンタチバナ
ヒメイチゲ
ミヤマハンショウヅル
ミズヒキ |
フクジュソウ
エゾトリカブト
ミズバショウ
エゾエンゴサク
ニリンソウ
オオウバユリ |
|
130
|
マリモ(毬藻)
アイヌ語/トーカリップ、トーラサンペ、スカナキップ
学名/ Aegagropila linnaei
英名/ Marimo, Lake ball, Moss ball
マリモは北半球の高緯度地方の湖沼に広く分布する緑藻類の一種で、生育 環境の違いによって着生型、 浮遊型、集合型のいずれかの生育形をとります。 直径が15cmを超える球状の集合型マリモが群生するは、世界でも阿寒湖 だけとなっています。 |
|
マリモ
たくさんの糸のような藻が中心から外に向けて並んでいる 「放射型」のマリモは、阿寒湖で最も多くみられるタイプで す。
これが波の力などで壊されると、いくつもの小さなくさび形の塊になります。 これが再び生長して丸いマリモに 発達します。 |
|
アイヌ語
コタンクルカムイ [意味 村を守る神]
シマフクロウ フクロウ目フクロウ科
学名Ketupa blakistoni
英名 Blakiston's Fish-Owl
全長70cm、 羽を広げると2mにもなる大きな体の持ち主。
まさにフクロウの王様です。 川沿いや湖沼周辺の森林に 棲み、魚影を見つけると樹上から音もなく舞い降り足の指でつかみとります。 時には哺乳類や鳥類も捕らえます。
なんとも威厳のあるその姿はアイヌの人々にコタンクルカムイ (村を守る神) としてあがめられました。
●一羽じゃないよ
シマフクロウの魅力はなんといっても森の 中に響き渡る鳴き声です。
一羽の鳴き声のように聞こえますが、実は オスが 「ポポー」と鳴くとメスが続けて 「ウ ウー」と鳴いて応えています。 |
シマフクロウ |
ヒグマ
|
|
川湯ビジターセンター~阿寒湖畔エコミュージアムセンター
山岳ドライブ |
|
|
200阿寒湖アイヌコタン
|
ここ阿寒湖アイヌコタンでは、火祭り「千本たいまつ」が行なわれます。大変幻想的で人気のイベントです。
商店街正面入口から行くと駐車場がありません。商店街の裏に回って、行くと、信号機があり、入って行くと、駐車場がありました。
そればかりでなく、いろいろな文化施設や民俗資料も街頭に展示されていました。 |
|
|
201商店街正面
アイヌコタン |
土産物商店街
駐車場は➡の山側から入ります
|
アイヌコタン入口
シマフクロウの飛翔する彫刻が素晴らしい |
|
|
|
|
202駐車場側施設
商店街裏山側この信号から入ると駐車場 |
阿寒湖アイヌ民族村
駐車場案内・丸木舟 |
裏から入ると、いろいろな施設があります。 |
|
丸木舟 (チプ)
[チ=我ら オプ=乗るもの] と言う意味である。
丸木舟は、昔のアイヌの人々には欠かす事の出来ない生活必需品でした。
舟造りは、木を選ぶ事から始まります。 舟を造るのに最も適しているの は、 ぼうこ柳で、 その次は桂の木です。 太くて舟を造りたくなるような、 ピンニ(やちだも)やチキサニ (にれ)の木は重たく操作しにくいため時 には誤って岩に激突してしまい、死者を出すこともあったためこれらの木 で造った舟をケュプチプ (ケウ=しかばね・ウク=取る・チプ=舟) と呼ん で嫌いました。
舟を造る木が決まると、 イナウ (木幣)を捧げ山の神に、 「この木をアイヌ にお下げ渡し下さい」とお願いします。
次に木の女神には、「貴女を舟に造り、美しいイナウで飾ります。 そし て貴女の懐いっぱいに穀物や鮭などを積み込みます。 それは神として、最 も名誉な事であり、
貴女が神の国へお帰りになった時に他の神々から誉め はやされる事でしょう。 どうぞ貴女の堅い肉を内側へ包み込まれ、 軟らか い肉を外側へお出し下さい。
」 と神々の祈りを述べて斧をいれるのです。
その他に使用されていた舟として
『ヤラチプ・樹皮舟 yar-chip 』
木の皮 舟
『イタオマチプ・板付け舟 ita-oma-chip』
板付く 舟
という種類の舟もありました。 |
丸木舟 |
舳先
想像と違う鋭い舳先 |
|
|
この舳先までの波は乗り切れる。
外海にも生けそうです。 |
|
阿寒湖アイヌシアター
イコロ
こんな文化施設や |
高級ホテル
たっかそーなホテル
私は絶対泊まれない |
|
|
|
|
|
203工夫を凝らした商店街の建物
道路中央に駐車場
ここに停めると商店街北端の文化施設や |
民族施設は知らずに帰ることになる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
204民俗文化 チセを中心とする施設
|
ヌササン(幣柵)
母屋の一部に中天井を張り家財を置く。
神窓に近い屋外に幣柵(ヌササン),その南隣に熊檻と倉がならぶ。神窓から幣柵までの庭が,熊祭などの祭場である。引用コトバンク |
阿寒湖アイヌ生活館
チセを中心とする施設 |
祭壇は設置したままにするのか、 |
ヌササン
観光施設として見せるためにおきっばか? |
チセの窓外に幣柵・熊檻・倉が並ぶ庭に常設されるのが普通らしい。見せるためではなかった。 |
アイヌ民族の聖地 |
ヌササン(幣柵) |
|
|
|
考察 ヌササン
平安時代に大和人が北海道に渡り、アイヌに文化が伝わった時、大和の民間信仰がアイヌ文化に取り込まれ、ヌササクがヌササンとしてアイヌ語になったのでしょうか
だとすると、平安時代までに同様の文化が大和にあったということだ。確かに、浅間山噴火で火山灰に埋もれて死んだ村長の火山鎮めの祭壇や、当時は死体など野ざらしだったそうだから、その魂鎮めの儀式に行なわれたかもしれない、野外で今でも行われる、仏教・神道共通の祭壇の作り方がそっくりだと思います。違うのは削りかけが御幣の代わり。 |
|
彫刻の店 |
|
|
|
怒られないようそっと1枚。
下の方の店でひどく怒られたのでね。 |
|
|
なんとなく中米南米の石彫刻に似ている気がする。黄色人種のDNAに組み込まれた何かがあるのかなぁ |
|
|
|
|
205弟子屈町摩周駅
摩周駅
お城か観光施設のような外観です。
きっとバブルの頃には沢山の |
観光客が押し寄せたのでしょう。 |
霧の摩周湖
の名前が一種神秘的で摩が魔に思えてなんだか響きが魅惑的。だから歌と共に人が押し寄せたのかな |
弟子屈町弟子屈駅。平成2年に全国的に通り名の良い摩周駅に改称。
弟子屈は小さな町で、Aコープが一軒あるだけで品数も乏しいです。
この地域は釧路市との繋がりが強く、買い物は70km走って行きます。
北海道の人が高速運転するというのは、これが理由です。
都市部以外は買い物は少なくとも50~100km離れた街まで行く必要があります。北海道の暮らしは本当に大変なのです。
時速60kmで走っている道外者は大変迷惑です。 |
|
|
翌日
2022.6.14摩周湖・屈斜路湖・美幌峠
|
300 |
301摩周・屈斜路・アトサヌプリ(硫黄山)カルデラの成り立ち
|
302
|
〜はじまりは海〜
約2000万年前から1000万年前、阿寒・知床附 近一帯は海でした。 海底火山が盛んに活動し、 火 山からの噴出物や泥、砂などが厚く海底にたまり ました。
この後、200~300万年前からゆっくりと隆起し、 一部が海面に現れました。 |
|
➀約40万~3万年前
今からおよそ40万年前、この地域にはいくつか の火山が連なっていたと考えられています。
そして約3万年前にかけて、この地域で大噴火が 繰り返されました。その噴火に伴う火砕流は、道東全域を埋め尽くすほどの巨大なものでした。
※摩周湖を形成した火山活動は約3万年前から始まったとされている。 4万年前とする説。 |
|
②屈斜路カルデラ
マグマを噴出した場所の地下に空洞ができたため、地面が落ち込み、巨大な屈斜路カルデラが 誕生しました。 このくぼ地に水が溜まり、 屈斜路湖の原型ができました。 |
|
③現在の中島
現在の和半島
摩周火山
古アトサヌプリ火山
屈斜路カルデラ形成後も活発な火山活動が続き、 摩周火山や古アトサヌプリ火山など、 新たな火 山がいくつも生まれました。
※アトサヌプリカルデラの形成は2万~2.3万年前とされる。 |
|
摩周カルデラ
④約7千年前~
およそ7千年前には屈斜路カルデラの東側で摩周火山が噴火し、 新たに摩周カルデラを形成。 長い 年月を経て水がたまり、 摩周湖となりました。
※摩周カルデラの形成は7,600年前とされる。 |
|
古アトサヌプリ(硫黄山)カルデラ
⑤古アトサヌプリの周囲にサワンチサップ (現在 のかぶと山) と新期アトサヌプリ (現在の硫黄山) を形成し、今の姿がほぼ完成しました。 |
|
⑥この地域の最後の大きな噴火は約1千年前の 摩周岳の噴火でした。 今でも爆裂火口が残っ ています。 |
|
⑦数百年前にはアトサヌプリ (硫黄山)の山頂付近で水蒸気爆発が起き、「熊落とし」と呼ばれる火口跡が残っています。 |
|
アトサヌプリ溶岩円頂丘群
アトサヌプリ火山群は屈斜路カルデラの中央部 円形であった屈斜路湖の東半部を埋めた形で、 ドーム状をした計10個の溶岩円頂丘からなります。 これらの円頂丘群は約7千年前の摩周火山の火砕 流堆積物を鍵層として、新旧2期に大別されます。 古い1期の6山は新しいII期の4山を取り巻くよう に位置しています。
また、ほとんどの山にアイヌ語にちなんだ名前が ついています。
|
|
アトサヌプリカルデラ
※屈斜路カルデラ内に形成された、アトサヌプリカルデラ。2万年前
※屈斜路カルデラ内に噴出した沢山の噴火口。数百年前のアトサヌプリ溶岩円頂丘群。 |
|
まとめ
➀屈斜路・摩周・アトサヌプリカルデラは、千島列島から知床半島を形成し、北海道中央の大雪山に続く、千島火山帯の一部です。
②屈斜路火山は40万~3万年前まで活発に活動し、2万年前には屈斜路カルデラ内にアトサヌプリカルデラが形成しているためそれ以前に大量の火砕流堆積物を噴出して屈斜路カルデラを形成していたようです。
③3~4万年前に屈斜路カルデラの外輪山付近から摩周湖を形成した火山が活発化し、7600年前に火砕流を噴出して摩周湖カルデラを形成した。
④約1000年前に摩周カルデラの外輪山から摩周火山が爆発的に噴火し、爆裂火口が形成された。
⑤数百年前にアトサヌプリ溶岩円頂丘群が形成された。 |
|
303アトサヌプリ溶岩円頂丘群
アトサヌプリ溶岩円頂丘群 |
|
アトサヌプリ溶岩円頂丘群
➀丸山
標高 225m 1期单一構造
釧路川源流部付近にある丸いドーム型の円頂丘。
②ヌプリオンド
標高231.5m 1期 単一構造
地名:ヌプリ (山) オホンド (尻)
③ニフシオヤコツ
標高 195.8m 1期 单一構造
地名:二 (木) プシ (はねる) オヤコチ くびれたところ)
④トサモシベ
標高370.3m 1期 単一構造
地名:トウ (湖) サム (傍) ウシユ (~にある) ぺ (もの)
〈湖の傍にたっているもの (池の湯の裏山) |
⑤オプタテシュケ
標高 504.1m 1期 二重構造
地名:オプ (槍) 夕 (そこで) シケ (それる)
〈コタンの 裏山で、昔藻琴山と槍投げをして争ったとき槍がそれたという伝説あり〉
⑥リシリ
標高397m || 期 単一構造
扁平な円頂丘で、 溶岩は北方で湯沼をせき止め、 南方へ 2.5kmも流れ、
美留和原野に達する。
⑦サワンチサップ
標高 520m |||期 二重構造
地名:サ(前方) ワ (に) アン (ある) チサップ (?)
別名:帽子山 山の中腹にスキー場の跡あり。
⑧マクワンチサップ
標高 574.3m 1期 二重構造
地名:マク (後方) ワ (ある) チサップ (?)
別名:かぶと山
⑨アトサヌプリ
標高 512m
1期 二重構造
地名:アトサ (株) ヌプリ (山)<硫黄山>
円頂丘群の中で一番新しく、噴気孔は1500以上あり、現在も絶えず活動をしている。
⑩ 274m 山 |
|
|
翌朝 2022.6.14朝早くから、霧の摩周湖を目指して出かけました。
しかし、ここで、これまでの情報が裏目に出て、綺麗な霧の摩周湖を撮影できませんでした。
もう一日いるべきでしたか、、 |
翌朝 霧の摩周湖 を求めて
2022.6.14
310摩周湖畔
|
310屈斜路カルデラの眺望
摩周湖と屈斜路湖の境目の外輪山上の道路から撮影。まず広大な屈斜路カルデラの眺望に圧倒されて撮りました。
|
広大な屈斜路カルデラ
2.2万年以前に形成
|
|
2.2万年前、古屈斜路火山は2000m級の火山。
その火山が噴火し、道東を埋め尽くす膨大な量の火砕流が噴出した。
噴出と同時にマグマ溜りが空洞になり崩壊。空洞の中に山体が落ち込んで屈斜路カルデラができた。この地域のカルデラは皆同様です。
一度の噴火で写真に写る範囲のこんな巨大な穴凹ができた。 |
摩周カルデラ
|
|
鬼界カルデラ噴火は大変有名だが、摩周カルデラを形成した噴火の影響は知られていない。
鬼界カルデラ噴火は東北地方にまで深刻な被害をもたらしたが、一方摩周カルデラ噴火は東方に流れて影響が顕著でないからか?
きっと北海道ではしっかりと調査され、論文も多いのだと思う。 |
阿寒湖カルデラ
阿寒湖方面の眺望
雄阿寒岳・阿寒湖・雌阿寒岳が見える |
雄阿寒岳・阿寒湖・雌阿寒岳 |
引用wikipedia |
阿寒湖カルデラについては全くわからない。ここも大規模火砕流が発生し、カルデラ内にいくつもの湖沼を形成して、一度の活動ではなかったような形跡がある。 |
|
考察 摩周カルデラの形成と石刃鏃文化
|
縄文早期の8.2kaイベントによって北半球が急速に寒冷化し、石刃鏃文化発祥の原因となったが、同じ
縄文早期の7.6kaに摩周湖カルデラを形成した巨大噴火が起きていた。600年後である。更に300年後
縄文早期の7.3kaには鬼界カルデラの巨大噴火が起きた。この二つの巨大噴火が地球の気候に影響を与えたことは間違いないだろう。。
気温の下降、降灰による食糧生物の死滅や枯渇。
これらが具体的に北海道の縄文早期遺跡にどのように残されているのだろうか。 |
|
|
2022.6.14
320摩周湖
|
屈斜路カルデラを撮影して、道路反対側の摩周湖を見ると霧でした。なぜかこの時こりゃだめだと思い込んでしまいました。
実はこの日この時が最もよかったのです。で、馬鹿ですね。そのままハイランド小清水や硫黄山に行って写真を撮り時間を潰して帰ってきました。
すると、340にあるように、もう霧が消えかかった、ベストチャンスを逃した風景でした。
更に馬鹿なことは、これをラインで撮影して友人に何枚も送りました。で、そのスマホ内の画像を探したのですが、全て消えていました。送った友人は迷惑画像として全削除。バカばっかりしていました。 |
霧の摩周湖
霧の摩周湖ですが、 |
展望台からの撮影でなく、 |
道路沿いからで良い景色とは言えませんでした |
樹木を入れると綺麗だと思い込んでいました |
|
|
330アトサヌプリの眺望 (摩周湖と屈斜路湖の境目の外輪山上から撮影)
|
340摩周湖
|
摩周湖には3つの展望台があり、第一展望台は有料。前の日に霧もないのに客を呼び込んでふんだくっていました。
第三展望台は無料です。屈斜路湖からくると物凄い斜面の外輪山をつづら折りに登って行きました。
霧はもっとあった時間帯があったのに、うっかりとハイランド小清水に行ってしまいました。撮影失敗でした。もうひとつ、
裏摩周望台は全く別系統でなかなか行けません。 |
|
摩周湖
アイヌ語で、 神の湖を意味する「カムイ・トー」と呼ばれる 摩周湖は、 阿寒摩周国立公園の東側に位置するカルデラ湖です。
注ぎ込む川も流れ出る川もないため、水位が一定に保たれています。
植物プランクトンの生息密度が小さいこと等により透明度は20m前後で維持されており、この高い透明度が生み出す摩周湖の独特な色は「摩周ブルー」と呼ばれ ています。
第三展望台Observation Deck No.3
摩周湖第三展望台は摩周カルデラの西端にあり、 東西二つ の展望台で構成されています。 駐車帯に隣接した西の展望台 からは、硫黄山や屈斜路湖が見えます。 東側にあるこの展望 台からは、摩周湖の中心にある小島、カムイシュ島を近くで見 ることができます。 ここは、6月から10月の早朝にカルデラ湖 の上に漂う 「雲海」 を見るには、 最高の場所でもあります。 第三展望台から第一展望台までは、3.4キロメートル離れて います。 道路沿いを歩くことが出来ますが、くれぐれも車の 通行にはご注意ください。なお11月上旬より4月下旬までは 降雪、 積雪のため道路は閉鎖され、車での通行は出来ません。 |
|
第一展望台 Observation Deck No.1
摩周湖第一展望台は、摩周カルデラの南西端にあり、カルデラの大きさがよく分かります。
硫黄山 (アトサヌプリ) Mt.lo (Atosa-nupuri)
硫黄山は、 植物の生育が少なく、山肌が岩だらけてあるため、アイヌ語でアトサヌプリ (裸の山) と呼ばれています。
強い硫黄のにおいが充満し、鮮やかな黄色の噴気孔が作り出す光景は、見る者に自然の力強 さを感じさせます。 |
|
|
400美幌峠へ |
410藻琴山展望駐車公園 |
411駐車公園から屈斜路湖 行かなければよかった時の写真
|
413ハイランド小清水から屈斜路湖 行かなければよかった時の写真
|
藻琴山から
知床の山々を遠望
かつての大きな火山がずらりと並ぶ様子は圧巻 |
|
|
|
|
|
|
藻琴山からの眺望 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
420美幌峠 (屈斜路湖を眺める絶景スポットとされる観光名所)
|
美幌峠は標高525m。屈斜路カルデラの西壁面にあり、中ノ島、カルデラ東壁までの広大なカルデラ内部を展望できる観光スポットです。 |
|
421
|
422
秋や冬にはもっと素晴らしい景色が |
堪能できるでしょう。
是非行ってみたい。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
424美幌峠 標柱
|
425美幌峠 展望台
展望台には、沢山の車と、沢山の観光客がひしめいていました。人影を入れずに写真を撮るのは大変でした。おかげで広大さがわかりますよね。
これが北海道だ。って感じにしたかった写真。
|
|
|
|
|
|
|
|