北海道の観光 №1 2022.05.28(土)~5/30(月)
北海道prologue
敦賀港→支笏湖(5/28・29・30)
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2022.5.28-7.6の取材旅行で、僅かにおこなっ観光を、「北海道の観光」として別枠を設けました。まぁ、僅かです。
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はじめに
私の祖父は明治・大正・昭和の時代に、日本中を何度も旅行した人で、北海道から鹿児島まで、とても古い観光地図や鹿児島切子製品等の遺品がありました。
隔世遺伝なのか、私は学生時代には、Discover Japanのcampaignに乗り、格安切符の周遊券でバイト代が入るたびにあちこち旅行しました。
そしてそれは社会に出てからも続き、現在に至っています。
今回、長年の夢だった北海道へのくるま旅を計画しました。人生最後の長旅で、しかも運転には自信がない私ですが、北海道格安旅には自家用車しかないと思い、40日の予定で旅立ちました。
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目
次 |
001敦賀港フェリーターミナル
002フェリーはまなす船内
003海上遠望
004苫小牧港入港
10支笏湖
11支笏湖通り 蝦夷春蝉
12支笏湖休暇村
21支笏湖休暇村
23野鳥の森遊歩道
30山線鉄橋
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100支笏湖ビジターセンター
101支笏洞爺国立公園センターの展示
110四万年前
支笏火山とカルデラの誕生
120二万年前
風不死岳の火山活動
130一万三千年前
恵庭岳の火山活動
140九千年前
樽前山の火山活動
142支笏湖3D模型
143支笏の風景
150自然探訪
160支笏湖の生き物
シマリスの冬越し
野鳥たちのくらす場所
クマゲラの営巣
170支笏湖の樹木
火山活動の証人 二重根
200樽前山
溶岩ドームの成り立ち
樽前山の植物たち
火山の歴史に見る植生の違い
火山が作ったいろいろな石
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220苔の洞門
221苔の洞門の形成史と岩盤崩壊
222苔の洞門の成り立ち
223洞門に生えるコケ
224自然造形物「柱状節理」
225苔の洞門 写真
233観覧台まで歩こう
236洞門内部の様子
250支笏湖の魚
252支笏湖の湖底木と生き物たち
261千歳鉱山の鉱物
263オコタンペ湖
264支笏湖の自然の恵み
木材資源 金鉱山 |
265アイヌの自然観と 松浦武四郎
271洞爺丸台風と森林回復
272札幌オリンピックと植生回復
320ミュージアム山線湖畔駅
王子軽便鉄道の博物館
416山線鉄橋
420登別化石林
423化石林(炭化木)の概要
425地球岬 |
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001敦賀港フェリーターミナル
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2022年5月末28日に、人生最後の自動車旅行を決意して、初めてフェリーで車を運び、北海道を一周する旅に出ました。
何度も訪れた北海道でしたが一周するのは初めてで、やがて視力を失う前に、ぜひ見ておきたいと、学生時代のように胸をときめかせながら旅立ちました。
数年前、BBAの当たり屋にやられて以降、運転に自信をなくしていました。この日、googlemapで調べると自宅→敦賀港3時間とあったので、白内障・緑内障・急速に進んだ老眼・近視のため、日没前までに到着しようと、午後3時前に出発しました。
運転はずっと高速ですが、しょっぱなからカーナビに騙されて、市内をグルグル1時間走らされました。ガソリンスタンドでは悪質なシジイ店員がドロだらけの雑巾でドアミラーを汚し、更にミラーを押し込んでリモートコントロールできないようにするなど、考えられないような素行の悪さを体験しました。私の住んでいる街はこれほどガラの悪い街だとこの時初めて知りました。途中のparking
areaで直しましたが、本当にろくでもないド田舎街です。
まぁ、とにかく自信がない上に出鼻をくじかれ、腹が立っていたので、乱暴な運転にならないように、高速では、必ず他車の後ろについて走り、追い越さないようにしました。北海道に着く前に事故ったり、つかまったりしたくありませんので。
自宅から3時間なのに、市内だけで1時間も引き回され、あせっていましたが、普段スーパーがよいしか運転せず、不慣れなため、ゆっくりあせっていました。
旅程3分の2程になった時、数百メートル先の大きくカーブした湾曲道路を、私を追い越したSUVが一団の車列を追い越した時です。
車列中の軽四が突然派手なランプを沢山出して光り始め、サイレンを鳴らしました。2台はそのまま、前方にあったサービスエリアに入っていきました。
捕まえやすい場所があり、丁度その手前でネズミが引っかかたようでした。桑原桑原。
敦賀港には高速走行する車についたおかげで、しかし、5時間以上かかって到着しました。ガソリンは空っぽになったので、翌々日に備えて満タンにして港に急ぎました。
敦賀湾は天然の内湾の奥深くに作られた港湾で、北海道と西日本を結ぶ重要な港となっています。
初めての乗船で、とまどい、あせりましたが、私が到着した時には車は数台しかおらず、その後、船の接岸間際に続々とやってきました。
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敦賀港フェリーターミナル
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ターミナル
早すぎてガラ~ン♪ |
貨物船の荷揚げ荷下し |
夜9時の下船客を待つバス
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敦賀駅から関西・中京に乗り継ぐのでしょう。 |
フェリー入船 |
二階乗船通路
タラップというのか
客の下船と同時に船内清掃員が多数乗船 |
この時まで、フェリーターミナル内を物珍しくうろついて、乗船手続きもしました。 |
ターミナル内には土産物屋もあり、白い恋人も売っていました。 |
コンテナ牽引車
沢山のコンテナが運び出され、また、積み込まれていきます。 |
港湾内でのコンテナ運搬専門の運転手が高速で作業をします。 |
トラック運転手にもいろんな職種があり、この港で船内と港湾内だけを |
往復する仕事があるなんて思いもよらなかった。ただし、いつも夜勤ですね。 |
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初めてのカーフェリーです。船内へ車を先頭から入れたら、下船時にはバックで出るのか?、それとも船の後部甲板から入って船の前方から出るのか? などと真剣に考えていました。いや、私が馬鹿なのは知っています。昔の夫婦漫才師春日サンキュー照代は、地下鉄をつくるときに車両をどうやって入れるんだという定番の漫才がありました。まるっきりあれですね。 |
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002フェリーはまなす船内
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往路は、オフシーズンなので安く個室(ステートB和室)を取ることができ、初めての船旅をリラックスして楽しむことができました。
たしか、浴衣に、洗面具、などとなどもアメニティーも沢山付いていましたし、お茶のセットやポットもあったと思います。
この部屋は外向きなので海が見えるのです。それ以外は海が見えません。
復路は繁忙期で、同じ金額では一段下のツーリストS、ベッドだけで入口はカーテンでした。その下のツーリストAはベッドだけでした。 |
5階フロアー
往路は個室に宿泊する。ビジネスホテル並のアメニティー常備。 |
5階個室群
換気はホテルと同じで個室内の空気は廊下に排出。トイレも同じ。廊下は糞尿の臭いがする |
船首
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船首喫煙室と展望窓
船首展望室 |
元はラウンジだったのでしょうか |
いい展望ですが。水平線だけ。 |
5階中心部
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コンビニ |
マッサージ器室 |
ゲームコーナー |
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自販機 |
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4階中心部のモニュメント
4階は2段ベッド群が並んでいる |
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風呂は5階にある |
男物
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風呂の奥にレストラン |
4階の船尾に行く通路 |
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和食レストラン |
メニュー |
船尾にも飲食店 |
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ここを抜けると船尾甲板 |
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003海上遠望
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10支笏湖
北海道第一日 さぁ!新しい旅の始まりです。
到着翌日は月曜日で博物館は休館日で、付近の観光に当てました。
支笏湖通りという市内から一直線に湖を目指す道路に取り付き、走りました。いや、実に新鮮。これぞ北海道と感動しました。 |
支笏湖通り
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11支笏湖通り(276号線) 苫小牧から支笏湖へ
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エゾハルゼミの声を求めて
(※私が好きなハルゼミの声は、細い声でピーとかシーとか言った声ですが、ちっょとネット上には見つからない)
(※リンクしているエゾハルゼミの声は随分野太く、私が録音したものとは全く異なります。この声は網走のエゾハルゼミ。
もっとかわいらしく、ぴーンとか、しーンとか、の声が沢山あわさって聞こえるのです。どちらかというとヒグラシに似ています。)
エゾハルゼミの声を録音するために動画を録画しました。途中何回となく動画を撮って録音しました。ただ、カメラを向けると、自動焦点の赤外線が照射され、昆虫が(蝉が)鳴き声をやめます。
本州では大昔にハルゼミの声を聞いた気がするが近年は聞かない。(本州と北海道では別種)それで懐かしくて聞こうとしたのです。
今考えてみますと、ハルゼミの声は、私が無音の中にいると聞こえてくる「シ~ン」という聴覚器官が勝手に聞いてしまう音に少し似ています。
それで懐かしいのかもしれない。
ただ、あちこちで撮って行くうちに蝉がだんだん変化して、野太い声になりました。特に網走市立郷土館頃には。
それと、これを音声データに切り出して軽くして載せようとしたのに、もうすっかりそんな技術や知識を忘れ、ソフトもあるのに載せられませんでした。
録音データは低画素のものなら乗りますし、TikTokレベルにしたかったのですが加工できませんでした。
以前はパソコンで音の加工・編集が得意でいろいろなことをしましたのに、この十年で完全に忘れてしまいました。
老化とは本当に恐ろしいものだと思いました。あんなに得意にやっていたのに、、、。耳も目も効かなくなり、記憶も完全に壊れています。
そろそろ人間廃業の時が近付いているようです。
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爽快なドライブでした
first shock |
北海道最初の脅威
クマ出没。当然ですね |
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引きこもり人間にはとても新鮮に映り、それだけで飛び跳ねたい気分 |
本当に北海道に来たと感激しました。 |
自然が美しく、 |
エゾハルゼミの声が降り注いでいました
いつまでもこのままで居たい、、 |
エゾスミレかなぁ |
食用不可のゼンマイなのか、、 |
楡の高木か |
北海道には食用不可の巨大山菜が
どこにでも沢山生えています。
フキ・ゼンマイ・ワラビ |
スーパーで蕗の煮つけを買ったけれど
あく抜きが下手で
クソ、エグイ味でした
買ってはだめでいよ |
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実はこの冒頭の写真を撮る前に、タイヤチェーン装着用待機レーンに車を停めて、フロントガラスを長い時間をかけて洗いました。
走行中に前方の視野が効かなくなったのです。
昨夜の高速走行、今朝の通常走行、支笏湖道路の走行で、大量の昆虫が車の前面にぶつかり、はらわたを出して潰れ、僅かな視界の利く部分に顔を寄せて前を見ながら運転していました。しかも、北海道は高速運転が常識。やばい。ただ、ラッキーなことに、前夜も今朝も私の車の周囲には他車はおらず、事故無しで安全に走行できました。そして、
やっと、冬場の退避場所を見つけて停車しました。
私はいつも、車内に水を大量に備蓄しており、雑巾・洗剤も用意しているので、タンク一本をフロントやボディー、ナンバープレートに掛け、必死で掃除しました。
結局タンク二本使いました。この昆虫騒動は、北海道にいる間中ずっと続きました。ガソリンスタンドでも洗ってくれるのですが、
出発前に地元のガソリン屋のキチジジイにやられたこともあり、フロントだけは、自分で洗いました。
私が20代の頃、実家から勤務先までの40km程の間に夏場はよく虫にやられました。田舎だったのです。夜間走行中、大きな蛾がぶつかると、クリーム状の内臓がべったりと放射状に拡がって、ウインドウォッシャー液を噴射してワイパーを回したりすると、余計に拡がってたちまち運転不能になります。
て言うか、ワイパーを動かした瞬間、一瞬で前方が見えなくなり、路肩に車を停めることもできず、オロオロと走って車を停め、ハンカチで必死になってフロントガラスをこすり、わずかに見えるようにして動き出らねばなりません。
ですから、もっともよい方法はそのまま何もせずに、前方の見えるところから前を見て運転することが最善です。
本当に目も当てられませんでした。蝉も同じですね。でも、北海道では、カブトムシか、クワガタのような、真っ黒で大形甲虫・昆虫が突然あ~っという間に衝突しました。サロベツ原野の無人の荒野でした。あっと思った瞬間、石を投げつけられたような「ガンッ!」と大きな音がして、思わず急ブレーキを踏み、フロントガラスが割れていないかを点検しました。
まぁ、5月・6月は北海道の新緑の季節であり、大自然の中で虫も大繁殖していました。 |
支笏洞爺国立公園入口
国立公園入口 |
白樺林。長野県の高原に行かないと見られない |
苫小牧市内とは樹種が変っている。標高高い。 |
支笏湖温泉街 旧支笏湖ユースホステルのあった場所です。
支笏湖湖畔
道路から撮影
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無料駐車場を探してる途中に撮影しました |
支笏湖畔の高級旅館群
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休暇村支笏湖
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12支笏湖休暇村 休暇村から山線鉄橋を通ってビジターセンターへ
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学生時代の Discover Japan北海道周遊券(道東周遊券)では、支笏湖ユースホステルに宿泊して、しかし、当時は免許も車もなく、支笏湖観光は湖を見るだけ。溶岩ドームも苔の洞門も話と壁の写真鑑賞だけでした。そこでもう一度思い出の地へ行ってみることにしました。
しかし、いまや、苔の洞門は立入禁止。支笏湖周辺は高級リゾート地となり、宿泊代は数万円単位。車で近付くと、ビジターセンターでさえ有料駐車場で、
湖の汀で一枚写真を撮りたいと思ってもお金が必要です。言い換えれば、支笏湖は富裕層専用有料国立公園になっていました。
全てが有料なのは、貧乏人を入れさせないためですね。クソッ!
撮影をあきらめて引き返していた途中に、来る時寄らなかった支笏湖休暇村⇒の案内板を見つけ、行ってみました。
許可をとり写真を撮影し、それと、支笏湖周遊道路について聞きました。学生時代には洞爺湖まで行けたはず。
すると宿泊者でもないのに親切にあれこれと教えていただきました。周遊道路は各地で寸断されていました。50年前ですからね。
休暇村の宿泊料は一泊二食9000円~となっています。そういえば、全国休暇村の割引券を沢山持っていたのに持ってくるのを忘れていた。
残念。まぁ、次のところに行く予定なのだが、老人には福利厚生でこんな券が送られてきます。旅行には持ってくるべきだと思った。
支笏湖周辺観光について教えてもらい、パンフもいただき、そのうえ、休暇村に車を止めて、崖を下ってビジターセンターや湖畔に行ってもよいと許可を頂き、やっとのことで支笏湖に行くことができるようになりました。本当にありがたかったです。地獄に仏でした。
応対して頂いたのは二十歳そこそこの若い女性でしたが、主任かなんかで、男性スタッフに色々指示をしながらでした。
支笏湖休暇村の許可を得て無料で駐車場を利用させてもらい、高い俯瞰で支笏湖を眺められ、また、階段で支笏湖の岸辺周辺に行くことができ、
懐かしい風景と、観光施設を訪ねることもできました。
って、1970年代当初はビジターセンターなどはなく、大きくない店のようなものが並ぶ、質素な観光地でした。
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支笏湖と外輪山
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21支笏湖休暇村
こちらの駐車場広場の支笏湖展望台から山線鉄橋を目指して下に降りていくと支笏湖に行けます。駐車無料。
とてもきれいなことろで大変よく整備されています。
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台湾・韓国・中国の人々があこがれる北海道ですが、それ以前に日本人があこがれています。北海道!
摩周湖ユースの若い経営者が「本州の人は北海道を馬鹿にしているでしょうね」とつぶやいていた。そんなことはない、
北海道は日本人全ての憧れの旅行先ですよ。と言いましたが、それは本当です。
23野鳥の森遊歩道
・・・日本で二番目に大きいカルデラ湖である支笏湖を見ることができます。
山線鉄橋から
この風景は、休暇村からビジターセンターへ行く途中の 旧山線鉄橋から撮影したものです(看板の写真です)。 実際、本当に美しい水の色でした。
碧色のサンクチュアリへ
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30山線鉄橋
王子製紙の原料木材を運ぶ、王子軽便鉄道(山線)が走っていた鉄橋
(上のポスターと同じ場所の写真です)
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100支笏湖ビジターセンター
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101支笏洞爺国立公園
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支笏洞爺国立公園は、昭和24(1949)年5月16日に指定された日本で14番目の国立公園です。
大きく、羊蹄山地域、洞爺湖・登別地域、支笏湖・定山渓地域の3つの地域からなり、総面積は99,473haにも及びます。
これらの地域は、カルデラ湖である支笏湖、洞爺湖や有珠山、樽前山などの火山活動でつくられた山々からなり、山裾は、広大な森林に覆われ、
たくさんの生きものが暮らす豊かな自然が残されています。
また、火山活動の影響で温泉も多く、洞爺湖、登別、定山渓、支笏湖は北海道を代表する温泉地です。
健全で快適な環境を確保し、公共的な公園施設を重点的に整備する利用拠点として、支笏湖、登別、洞爺湖、財田、昭和新山の五ヶ所に「集団施設地区」が設定されています。 |
ヒグマ危険地帯
体重320kg、体長2.3mもの巨大ヒグマが射殺された記事。(これっ普通よりちょっとおおきめくらい。ヒグマは本当に恐ろしい。)
近年では OSO18が有名ですが、昔から巨大ヒグマに襲われる話は、北海道、東北で続いています。気を付けても無駄です。
危険地帯には近付かないことですね。
ヒグマ危険地域の標識 |
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支笏湖の花
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※最近は、ヒグマが、子犬や子猫位の大きさだと思っている馬鹿な都会人がおり、動物愛護を信奉して、この凶暴な猛獣である危険動物を、犬猫愛玩と同一視して、駆除すると、無責任に抗議電話を×人が多くいるそうです。
そのような人には、是非現地に行ってヒグマと対面して、頭を撫でてやってもらいたいと思います。その時にはぜひ、動物愛護家の名刺をクマに見せて安心させてやってもらいたいと思います。 |
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センター内の展示
・・・支笏湖の魅力を探す旅・・・
支笏湖への誘い
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清く深い湖、広大な、森、そして、大カルデラを取り囲む、個性豊かな山々。
支笏の自然は今なお原始の姿をとどめ、たくさんの生き物を育んでいます。
四季折々に見せる様々な表情は、訪れる人たちを引きつけてやみません。
さあ、森へ、山へ、湖へ、あなただけの支笏湖の魅力を探す旅に出かけましょう。 |
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支笏地史への旅
風不死岳・樽前山・恵庭岳
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110四万年前
支笏火山の活動とカルデラの誕生
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約40,000年前、支笏火山が今の支笏湖のあるところで、大きな噴火を起こしました。
吹き出した大量の軽石・火山灰は、遠く東の方に飛ばされ、また火砕流となって周りに厚く積もりました。
その結果、直径約12kmの円形の支笏カルデラ(カルデラはスペイン語で鍋の意味)ができました。
この大きな窪地に水が溜まったのが支笏湖です。 |
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120二万年前
風不死岳の火山活動
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約20,000年ほど前、支笏カルデラの中で噴火が始まり、軽石・火山灰や溶岩などが吹き出して風不死岳ができました。
この火山は早くに活動が終わったため、今は森林に覆われています。また、山は侵食されていて火口は残っていません。 |
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130一万三千年前
恵庭岳の火山活動
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約13,000年前に支笏カルデラの北西壁近くで軽石噴火が起こりました。その後溶岩などを繰り返し噴出して恵庭岳が誕生しました。
山頂の東側には17世紀初めの爆発で火口が開かれ、今も噴気が見られます。 |
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140九千年前 |
141樽前山の火山活動
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約9000年前に支笏カルデラの南東壁上で激しい軽石噴火が始まり、樽前山ができました。
寛文7(1667)年と元文4(1739)年にも軽石噴火が発生し、山頂に大きな(外輪山)ができました。
火口内の溶岩ドームは、明治42(1909)年にできたもので、現代でも活発に煙を出し続け、ドームの南側では、時々小さな爆発も起きています。 |
※支笏湖は、支笏カルデラはいま、活火山で、地下のマグマ溜りにマグマが充填されたら、いつまた噴火するともしれませんね。
約1万年おきに噴火していますから、4000年以内に再度噴火するかもしれません。
あの、ではなく、近くの 洞爺湖のように、 有珠山のように、、、
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142支笏湖3D模型
支笏の形
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支笏カルデラができた後、風不死岳、恵庭岳、樽前山ができました。
この結果円形だった支笏カルデラは、北西と南東~山々で押しつぶされたようになり、現在のようなまゆ型になりました。 |
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143支笏の風景
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支笏をとりまくさまざまな山なみ。
あるものは緑にかがやき、生き物を育み、
あるものは煙を上げ、火山であることを今に伝えています。
神秘的な湖水、白糸のように流れ落ちる滝、
後葉に彩られる山々など。
支笏の壮大で美しい風景は、きっと心に残ることでしょう。 |
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150自然探訪
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160支笏湖の生き物
森の穴掘り名人
シマリスの冬越し シマリスの夏毛
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シマリスは、雪の下の地面の中で冬を起こします。
冬越しの準備は、森の中にたくさんあるトンネル状の古巣のうち1つを選ぶことから始まります。
巣が決まると雪が降る前にドングリなどの餌をせっせと巣穴に運びます。巣穴には巣室が1つあり、3分の2は餌の貯蔵庫でその上に枯れ草のベッドをつくります。冬越し中も定期的に目覚め、蓄えた餌を食べます。トンネル内にはトイレもあり快適です。 |
森のつくり
野鳥たちのくらす場所
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森は、背の高い木や低い木、笹や草など、いろいろな植物から構成されています。例えば1本の木を見ても、上部は小枝と葉の茂みがあり、中部は幹と大枝や中枝、下部には株には日陰に生えるシダやコケ、ササなど様々な環境を作り出しています。
野鳥たちは、体の大きさや餌の種類などによって、森の中の環境をうまく棲み分けて暮らしています。
野鳥を観察するときは、このことにも注目してみましょう。 |
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森の木彫り名人
クマゲラの営巣
アイヌ語でクマゲラのことを「チプタ・チカップ」(船を彫る鳥)といいます。
巣穴を彫られた木を横にして見てみると、まさに丸木舟で、木肌がすべすべしていて、天敵の蛇などが登りにくいことから、よくトドマツを営巣に利用します。
営巣木を決めるのにも2,3本彫ってみて、お気に入りを探します。穴掘りはオス、メス共同で行い、卵を抱くのもオス、メス交代であたためます。 |
クマゲラ以外の鳥の営巣
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170支笏湖の樹木
森の巨木たち
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美笛キャンプ場のほど近くに「巨木の森」と呼ばれる場所があります。その名のとおり樹齢300年以上もあるカツラ、ミズナラなどの巨大な樹木が立ち並び、まるで大昔の森に迷い込んだかのようです。
木も年を経るとこんなに大きく育つのだということが実感できるところです。
皆さんも、ぜひ巨木の森でその大きさを体験してみてください。 |
森の巨木たち |
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二重根
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火山活動の証人
二重根
支笏の火山活動を物語る証人が、二重根です。
樽前山の北東側の山裾(丸山付近)で見られます。
木の根が上にも下にも出ていますが、なぜこのような奇妙な根ができたのでしょうか。 |
二重根の生成過程
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180昆虫
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支笏湖のまわりには、大型の昆虫が住める豊かな森をはじめとして、湿地や水辺など多様な環境が見られ、様々な昆虫たちが暮らしています。
固有種など、特に珍しい昆虫はいませんが、スズメバチの仲間には注意が必要です。巣を守ろうとして人を襲うことがあります。 |
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200樽前山
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210 森の木の実
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森にはたくさんの木の実があります。木の実は動物たちの大切な餌。だからあちこちに隠して食べます。でもどこに隠したかな?
忘れられた木の実はいろいろな場所で芽を出します。
鳥たちも木の実が大好き。あっちの木、こっちの木、木から木へと飛び移りついばみます。食べたあとは、ぽとりとうんちを落とします。うんちの中には種があります。たねは鳥たちに運ばれるのです。 |
溶岩ドームの成り立ち
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樽前山山頂にある大きなおまんじゅうのような形をした溶岩ドーム。高さ約134m直径450m。明治42(1909)年の噴火でできました。苫小牧測候所の記録によると、ドームは4月17日の夕刻から15日の夕方に、山頂を覆う雲の中で出来上がったと記録されています。現在も活動を続けていて、あちらこちらで活発に煙を上げています。 |
樽前山とタルマイソウ
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樽前山の山頂近くに咲くタルマイソウ。
厚い軽石に覆われた大地にしっかりと根を張り、生きています。6月下旬~8月中旬にかけて美しい花が楽しめます。 |
樽前山の植物たち
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樽前山はとても新しい山です。山の表面は、江戸時代や明治時代の
火山活動で噴出した、軽石や火山礫で厚く覆われていて、とても痩せています。
さらに、北海道は寒さの厳しいところなので、いっそう
普通の植物が育ちにくい環境です。そのため、本州では高山植物と
呼ばれる植物たちが樽前山に暮らしています。開花時期は5月中旬から9月中旬までです。7合目までは車で行けます。ちょっと足を伸ばして樽前山の植物たちに会いに行ってみてはいかがでしょうか。ただし国立公園内であると言うことをお忘れなく。採取は禁止です。 |
もりの木の実 |
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溶岩ドーム |
樽前山とタルマイソウ
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樽前山の植物たち |
樽前山の植物たち |
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火山の歴史に見る植生の違い
樽前山(標高1,041m)とその隣にある風不死岳(標高1,103m)では山全体の樹木の生えている様子が異なります。それは2つの山の火山活動の歴史が違うからです。風不死岳ができたのは20,000年ほど前で今は活動をしていません。一方、樽前山は約9,000年前に活動が始まり、江戸時代や明治時代に入ってからも噴火を繰り返しています。そのため、土壌が安定せず、樹木が育ちにくい環境にあります。この先、噴火が起きなければ、樽前山も数千年後には、風不死岳と同じように木々で覆われた山になるでしょう。 |
樽前山の土壌
貧栄養土壌
砂礫質で腐葉土はない
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火山の歴史に見る植生の違い
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手前:樽前山
奥:風不死岳
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風不死岳の土壌
腐葉土ができ樹木が育ちやすい環境
富栄養土壌
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火山が作ったいろいろな石
支笏地域では約40,000年前から火山活動が始まり、支笏カルデラができ、その後に風不死岳、恵庭岳、樽前山などの山々ができました。これらの山々は、軽石や火山灰、溶岩などをたくさん噴出しました。最も若い火山となる樽前山から噴出したいろいろな石を見てみましょう。 |
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見た目にダマされないで
軽石
樽前山の山頂部にたくさん落ちています。たくさんの小さな穴が開いていて、見た目の大きさよりもずっと軽いのが特徴です。白っぽいものの、ほかに赤や黄など、いろいろな色のものがありますが、これは酸化の程度の違いによるものです。 |
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火山が焼いたパン?
パン皮火山弾
まるでパンの皮のような表面をした石です。熱くてまだ柔らかい溶岩が、大小の塊となって吹き上げられ、表面は冷えて固まります。でも、内部はまだ暑く、たくさんのガスの泡が膨らみ続け、表面がひび割れてできたものです。 |
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火山が作ったいろいろな石
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軽石 |
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パン皮火山弾 |
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溶岩ドームの成り立ち |
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220苔の洞門
苔の洞門 |
苔の回廊 |
苔の洞門は危険につき立ち入れ禁止となっています。
苔の洞門行き方
そこでも手前の苔の回廊がおすすめではないか。
苔の回廊の形成は、きっと苔の洞門が更に侵食を受けてオープンになった状態だと思われます。
ヒグマにだけ気を付けて行けば、苔の洞門の片鱗が見られる。(ホイッスルを鳴らし続けること)
苔の回廊行き方 |
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221苔の洞門の形成史と岩盤崩壊
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1:苔の洞門の形成史
苔の洞門の地形・地質
苔の洞門は樽前山から支笏湖に向かう涸れ沢の下流に位置し(第1図)、その名前は切り立った谷壁に密生する苔に囲まれた景観に由来します(写真1)。
苔の洞門を構成する岩盤は1739(元文4)年の樽前山噴火の火砕流により弱溶結凝灰岩からなります。この柔らかい溶結凝灰岩が深く侵食され、高さ3~15mの崖に囲まれた狭い函型の谷が回廊のように続いています。(第2図)。
苔の洞門の谷の浸食
苔の洞門の谷壁の凝灰岩は軽石状で透水性が高い岩盤のため、現在は、大雨が降った時にしか谷底に水流が現れません。それにもかかわらず、深い谷が刻まれたのは樽前山噴火により山頂から山麓かけて透水性の低い火山灰に覆われたためと考えられます。
地表面が火山灰に覆われると雨水が地下に浸透しにくくなり、他にに水流が集中するため、土石流が頻発し浸食が活発となります。苔の洞門の谷壁は、凹型の曲面が斬り合う形態となっており、激しい水流や土石流により侵食されたことが伺えます。(写真1)。 |
苔の洞門の形成史と
岩盤崩壊
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1苔の洞門の形成史 |
同門内部の写真 |
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第1図
洞門周辺地形 |
第2図
洞門平面図 |
第3図
岩盤崩壊地点の断面
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2:2001年の岩盤崩壊
岩盤崩壊の状況
2001年6月2日夕刻から3日未明の間に苔の洞門の谷壁で岩盤の崩壊が発生しました。
発生箇所は、苔の洞門入り口から谷沿いに約90m上流時点の右岸側で(第2図)、崖の上半部岩体が落下しました。(写真2)。この地点は、谷壁面に平行する亀裂が存在し、さらに岩体上部が突出した不安定な形状の斜面でした。現地調査や数値解析の結果、斜面上部の突出岩体がその自重などにより前方へ転倒し、岩体基部が破壊されることで、岩盤崩壊が発生したことがわかりました。(第3図) |
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崩壊後の谷壁の地形 |
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222苔の洞門の成り立ち
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樽前山北西の麓には寛文7(1667)年と元文4(1739)年の大噴火で噴出した軽石や火山灰が固まってできた岩石が広く厚く積もっています。
これが長い年月をかけ、雨や沢水などで削られ、崩れ落ち、高さ10mもの切り立った壁が出来上がりました。
その岩肌に苔が密生し、長さ約420mの「第一の洞門」、さらに約290m先に進むと約770mの「第二の洞門」が幻想的な緑の回廊(苔の洞門)を作っています。
残念ながら現在は岩が崩れ落ちる危険性があり、通行が禁止されています。 |
苔の洞門の成り立ち
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昔の洞門の浸食作用
1.大雨が降ると谷川に水が流れます。
2.川の水が谷底を削っていきます。 |
3.谷底がえぐれ、せり出た壁が崩れ落ちます。
4.函型の谷ができあがり、壁に苔が生育します。 |
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223洞門に生えるコケ
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「苔の洞門」には、エビゴケを始めとする約8数種ほどの苔が生育していると言われています。
そそり立つ岸壁を作る岩石(溶結凝灰岩)は、細い穴がたくさんあいたスポンジのような構造をしていて、水分を含みやすく、コケが育つのに必要な適度な湿度を保つことができます。エビゴケが岩に生えている様子を標本で見てみましょう。 |
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エビゴケ |
ジャゴケ |
エゾチョウチンゴケ |
スジチョウチンゴケ
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224自然造形物「柱状節理」(苔の洞門内)
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柱状節理は溶岩が冷え固まってできた自然の造形物です。岩の柱が何本もくっついたような形をしています。支笏湖では、特に湖の東側モラップ近くの岸辺から湖底にかけてダイナミックな柱状節理が見られます。
柱状節理のでき方
溶岩は冷えて固まる時に縮み、割れ目(節理)ができます。
この割れ目は熱が逃げる縦方向に伝わり、その結果、柱のような形になるのです。 |
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225苔の洞門 写真
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230苔の洞門 |
231
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232苔の洞門
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「苔の洞門」の名称は、函(はこ)状の涸沢内の岩壁に
コケ(蘚苔類)が密生し、特異な群落景観を形成していることから名付けられました。
岩盤に密着したコケは、まるで緑のじゅうたんを敷き詰めたような神秘的な雰囲気を醸し出しています。これは、特殊な地形、日射量、気温、湿度の微妙な調和によって出現したものです。
コケの本格的な調査は、1978年8月にまとめたものが最初とされ、
蘚類30種、苔類5種の合わせて35種が報告されています。
2011年度には環境省の調査が行われ、現在の確認は、さらに詳細な調査が必要なものを含め、蘚類59種、苔類25種の合わせて84種となっています。 |
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第1、第2両洞門を通じて圧倒的に広い面積を占めているのはエビゴケです。
第1洞門では、エビゴケに次いで、タカネツボミゴケ、ジャゴケ、エゾチョウチンゴケ、コマノヒツジゴケ、コツボゴケの順に大きな群落が見られます。また岩盤上部の土壌部分や林床でもコケが多く、ここではセイタカスギゴケが目立っています。 |
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233観覧台まで歩こう
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不定根
不定根は土石流で土砂に埋まった木が、新たに積もった土砂の中に本来の根とは別に、幹の途中から新しい根を伸ばしたものです。
苔の洞門では、2001年から2012年末までに7回の土石流の発生が記録されています。その度に大量の土砂が流されたり、堆積したりを繰り返しているのです。この場所を掘ったら、更に二重、三重となった不定根が現れるかもしれません。 |
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岩に根を張る
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洞門の入り口近くにある、大きな岩に根を張った樹齢150年以上と推定されるエゾマツ。 |
不定根 |
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※上記二重根や不定根の解説から、植物(樹木)が根を出す位置が地表近くと決まっており、樹木が埋まってしまい、空気に触れた部分と、土砂に埋もれた部分の位置が以前とずれてしまうと、どうやって検知するのか、光で検知するのか、ホルモンで検知するのか、土圧で検知するのか、出根する位置を変えるという、驚くべき性質がわかりました。 |
観覧台まで歩こう
観覧台まで歩こう |
観覧台への遊歩道 |
観覧台まで歩こう |
イタヤカエデ? |
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苔の洞門位置図
※とても歩ける距離でなく、クマも出る。 |
観覧台の様子 |
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235苔の洞門
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苔の洞門は1739年(元文4年)7月の樽前山(1041m)大噴火の噴出物(火砕流)が堆積してできた溶結凝灰岩が土石流で侵食されてできた涸沢です。下流の第1洞門(延長約420m)とその上のその上流の第2洞門(延長約600m)で構成され、ともに両岸の岸壁がコケで覆われた回廊となっています。
大正時代から樽前山への登山路として使われ、昭和初期の登山ガイドブックでは「唐沢」と呼ばれていました。たくさんの登山客に親しまれていました。
「苔の洞門」としてのスタート
昭和40年代、支笏湖と洞爺湖を結ぶ国道が整備されたことにより、新たな観光資源として「コケ」が注目され始めました。
その頃の観光パンフレットから「苔の洞門」と言う呼び名が登場します。 |
第1洞門は
大きく下流部中流部上流部の3つに分けることができます。
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下流部
下流部は観覧台から高さ約2mの大岩がある約160m区間で、この間の岸壁の高さは7~10mあります。沢幅も狭く、部分的にはオーバーハングになって日の当たらない場所もあります。はさみ岩は観覧台から約130m地点にあります。
中流部
中流部は大きな岩から2006年5月の崩落があった約290m地点の高さ約1.5mの段差までで、この間の岸壁の高さはおよそ4~7mです下流分に比べ、沢幅も広く日もよく入るため、コケの密度も高くなっています。
上流部
上流部は高さ約1.5mの段差から上流出口までの約130m区間で、岩壁の高さは3~5mと低く、また岸壁の溶結凝灰岩の固結度が低い所では剥離が見られます。 |
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236洞門内部の様子
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苔の洞門は、その神秘的な美しさによる観光資源としての利用が注目されていましたが、近年では学術的にも大変貴重な資源であるとされ、地質学や生物学の観点から第1洞門を中心に調査研究が進められています。 |
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オーバーハングした高さ10mもの岸壁に囲まれた下流部の内部。深い谷と緑の苔が幻想的な雰囲気を醸し出しています。 |
観覧台から見た洞門内部
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大雨で出水した様子
はさみ岩
出水でむき出しになった沢底の岩盤
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調査の様子
高さ2mの大岩
苔に覆われた岩や倒木
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第1洞門出口
風化の進む上流部岸壁
城壁のような岸壁が続く中流部
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250支笏湖の魚 |
251
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支笏湖の魚たち
支笏湖は、ミジンコなどのプランクトンが少ないため、透明度が高く、水がきれいな湖です。このような湖では、魚の餌が少ないためか、魚の種類が多くありません。昔から住んでいる魚は、アメマスとハナカジカだけと言われており、他のヒメマス、ニジマス、エゾウグイなどは、人の手によって移入された魚です。 |
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252支笏湖の湖底木と生き物たち
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湖面にひょっこりと顔を出す湖底木。支笏湖の水が増えて、水没してしまった樹木たちです。
水中にむき出しになった根は、魚たちの隠れ家として利用されています。
湖上に突き出た幹はヤマセミやカワセミたちが魚を狙う見張り台として役立っています。
湖底木が見られる浅い湖底には、光が十分に届き、水草もたくさん生えています。この水草もまた魚たちの大切な産卵場やエサとして利用されています。
湖底木が作り出す一見奇妙な風景が、様々な生き物たちの営みの場となっています。
支笏湖の水草たち
支笏湖の平均水深は265.4mで浅い所はわずかしかありません。太陽の光が十分に届く浅い場所の湖底には水草が見られます。
近年湖と人との関わりの中で、水中植物の生育環境が悪化し、その数が減っています。特にチトセバイカモは、北海道レッドデータブックで希少種とされています。 |
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254
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支笏湖の生き物たちの食事
支笏湖には、プランクトン、水中昆虫、水生植物、魚、水鳥など、様々な生き物たちが暮らしています。その生き物たちの間には、小さな生き物が大きな生き物の餌となる「食う・食われるの関係(食物連鎖)」が成り立っています。エサをひいて、どんな生き物のエサになってるか見てみましょう。 |
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255湖底木
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261千歳鉱山の鉱物
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262化石
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263湖
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オコタンペ湖のプロフィール
オコタンペ湖は、恵庭岳の溶岩が川をせき止めてできた湖です。標高は支笏湖より約350メートルも高地にあり、原生林に囲まれた神秘的な場所です。
湖にはアメマス、エゾサンショウオ、ザリガニなどが住んでいます。 |
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支笏湖のプロフィール
支笏湖は支笏湖カルデラに水が溜まってできた湖です。深さは秋田県の田沢湖に次いで、全国第2位。プランクトンが少ないため、透明度が非常に高く、日本で最も北にある不凍湖とも言われ、冬でもほとんど凍りません。 |
オコタンペ湖のProfile
せき止湖
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支笏湖のProfile
カルデラ湖
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264支笏湖の自然の恵み 木材資源 金鉱山
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支笏湖の豊かな水と周りの大きな森は、明治の北海道開拓生の人々にとって、大変魅力的なものとして映っていたに違いありません。そんな支笏の自然に大きな関わりを持ったのは、製紙会社でした。たくさんある森の木々を紙の原料とし、パルプ製造に欠かせない電力を支笏湖の水を利用した水力発電から得たのです。
また資材を運ぶために、苫小牧から支笏湖間に軽便鉄道(当時「山線」と呼ばれていました)を開通させ、後に一般の人々も乗れるようになり、より多くの人々が支笏湖へ足を運ぶようになりました。
大正4 (1915)年頃には、温泉を開業する人も現れました。
また昭和に入ると、支笏湖の西側、美笛地区に金山が見つかり、昭和12(1937)年から千歳鉱山(昭和61(1986)年閉山)として採掘が始まり、たくさんの人々が暮らしていた時期もあります。
昭和24(1949)年5月には、支笏洞爺国立公園の指定がなされ、自然環境や景観のことを考えた計画的な環境整備が進められています。例えば、建物の高さを13m以下に抑えたり、屋外看板やネオンを禁止するなど、支笏ならではの自然景観を損なわないように配慮され、現在に至っています。 |
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王子第1発電所 |
支笏湖の自然と
人々の関り |
支笏湖の自然の恵み |
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山線鉄橋
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大正4年 丸駒温泉 |
支笏湖温泉街 |
昭和47年丸駒温泉 |
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支笏の自然と人々の関り
265アイヌの自然観と
蝦夷地探検家・松浦武四郎
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北海道が本格的に開拓される明治以前には、アイヌの人々が自然を敬い、限りある自然の恵みを受けながら暮らしていました。
北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多く、支笏地域にもたくさんのアイヌ語の地名が残っています。
地名の意味を知ると、アイヌの人々がどのようなに自然を捉えていたかが分かります。
アイヌの人々は、当時“蝦夷”と呼ばれていた北海道の先人であり、その北海道の名付け親が蝦夷地探検家・松浦武四郎でした。
彼は安政4(1857)年、支笏を訪れ、地元に住むアイヌの人々に協力をしてもらい、詳しい地図を作ったり、調査日記を書くなど大切な記録をたくさん残しました。
松浦武四郎の好奇心旺盛な探検意欲が、北海道の姿を明らかにしていったのです。
支笏湖周辺のアイヌ語地名
・支笏(シ・コツ:大きい窪地、または谷)
・恵庭岳(エ・エン・イワ:頭の尖った岩山)
・風不死岳(フップ・ウシ・ヌプリ:トドマツの群生する山)
・樽前山(タオロマイ:川岸の高い所)
・多峰古峰山(モユクンタプコプ:ムジナのいるたんこぶ山)
・オコタンペ(川口に部落のあるもの(沢))
・モラップ(小さな低いもの(山))
・美笛(ピプイ:小石原にある川)
・ポロピナイ(大きな、かれ沢) |
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アイヌの自然と蝦夷地短剣家・松浦武四郎 |
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武四郎探検略歴 |
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270 |
271洞爺丸台風と森林回復
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昭和29(1954)年9月北海道を襲った洞爺丸台風は、最大瞬間風速50m以上の大型台風でした。
一夜にして北海道全域で約2560万㎥(当時の年間伐採量の約3年分)の森林がなぎ倒されました。
樽前山の周辺では200万㎥ものエゾマツ等の原生林が被害を受けました。
倒された木を運び出すために支笏湖周辺にはたくさんの林道が作られたのです。被害跡地は、人々の手によりトドマツ、エゾマツ、カラマツなどが植えられたり、自然に回復するなどして、徐々に以前のような支笏の森が復活しています。一見すると支笏には広大な森林が何事もなかったように広がっていますが、自然災害や人々の森林回復の苦労や努力の上に成り立っている森なのです。 |
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洞爺丸台風と森林回復 |
木の苗畑 |
植林
ほぼ禿山になっている |
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倒木被害拡大 |
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272札幌オリンピックと植生回復
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273ヒメマス水槽
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274支笏の森の野鳥
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275支笏湖の四季
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276支笏湖沿岸地図
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278
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279
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280
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310支笏湖外輪山
風不死岳 |
風不死岳 |
樽前山溶岩ドーム |
風不死岳 |
西側外輪山 |
風不死飛←→恵庭岳
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王子軽便鉄道
320ミュージアム山線湖畔駅
王子軽便鉄道の博物館 |
321
王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛 |
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軽便機関車 |
湖畔駅の様子 |
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鉄道線路 |
山線鉄橋残照 |
支笏湖橋 |
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支笏湖橋
山線鉄橋
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322鉄道模型
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323鉄道模型
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324支笏湖線ジオラマ
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325
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416山線鉄橋
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山線鉄橋は、明治32年(1899年)北海道官設鉄道上川線の空知川(砂川~妹背牛間)に架けられた「第一空知川橋梁」であった。
この橋は、英国技術者ポーナルの設計によるものであり、英国製の200フィートダブルワーレントラス橋である。
その後、王子製紙株式会社がこの橋の払い下げを受け、大正13年頃、現在の位置に移設されたものである。
一方明治41年(1908年)王子製紙株式会社が千歳川に建設する発電所建設資材輸送を目的とした、王子軽便鉄道(通称「山線」)の運行を苫小牧~支笏湖間において開始した。
建設資材、製紙用原木運搬のみならず、旅行者等の輸送も行われ、支笏湖周辺の発展に寄与してきた山線は、昭和26年(1951年)に姿を消すこととなる。
山線鉄橋は現在地に移設されてから、山線が廃止されるまでの間、道内最古の鉄銅鏡として活躍し、その後は支笏湖の景観に溶け込み思い入れのある橋として地元住民を始め、多くの観光客に利用されている。
このような由来のある橋を「現地で原型を保存・現役で使用」を基本思想として、平成6年(1994年)から平成8年にかけて再生、平成9年(1997年)に同じ場所で生涯現役として復元されたものである。
平成9年11月千歳市朝 |
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417支笏湖
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420登別化石林 |
421モラップ・富浦PA
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423登別化石林
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化石林(炭化木)の概要
登別化石林は、ここから約1700m、札幌よりの、皆さんが今通過されてきた高速道路内で発見されました。
化石林とは、火山灰などが森や、林を包み込み、その結果「炭化した木」が化石としてそのまま残ったものです。
発見は1984年5月5日、この地方の自然史を明らかにするために活動している胆振団体研究会のメンバーが、クッタラ火山の火山灰を調査しているときのことでした。
化石林の発見は、国内では2000年前の富山県の「魚津埋没林」、3万2千年前の北海道の「美々化石林」に次ぐものですが、林のまま完全な姿で発見された「登別化石林」は、これらより年代も古く規模もはるかに大きな点が特徴です。
登別、化石林(炭化木)を調べた結果、その年代は今から約4万年前(ウルム氷河期中期)のものであることがわかり、学術的にも当時の自然環境や火山の噴火の様子を知る重要な手がかりとなりました。
この大変貴重な化石林の発見を後世に語り伝えるために、炭化木の標本は北海道開拓記念館と登別市郷土資料館に保管されることになり、ここ富浦パーキングエリアにはこの記念碑を残すことにしました。 |
化石林の概要 |
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クッタラ火山
頂上のカルデラに豊かな水をたたえ、その透明度が日本でも有数であるクッタラ湖及びその周辺は今から約2~3万年前までは活発な噴火活動を繰り返していました。噴火が休止してる期間は、その都度自然が回復し、登別周辺は森林に覆われていたようです。
眠れる化石林
クッタラ火山の噴火が終わった後、いくつかの火山は幾度か爆発し、化石林上に数層もの噴出物を積もらせました。
寒冷だった気候は暖かくなり、この地域の森林もトドマツなどの針葉樹から、現在の広葉樹の多い森林に変わってきました。
4万年もの間、厚い火山噴出物に覆われた化石林は、未来の人類に発見されるのを待つがごとく眠り続けていました。 |
クッタラ火山
大規模な軽石流を噴出するクッタラ山
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眠れる化石林
隅になった針葉樹の森
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出土炭化木の位置 |
発見当時の現場 |
工事中の同箇所
当PAより札幌寄り約1.7km |
炭化木の掘り出し作業 |
最終的には61本が掘り出された
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化石林誕生
約4万年前、クッタラ火山は大噴火をしました。
凄まじいその爆発は山体上部や溶岩などを飛散させたり、ガスの噴出と共に、軽石や火山灰は「軽石流」となるなど、極めて短時間のうちに辺り一面は埋め尽くされてしまいました。
化石林の発見された場所は、クッタラ火山より約4km離れていました。
噴火口に近い場所では、灼熱の火山灰や軽石流がすべてをなぎ倒し、燃やし、溶かし尽くしてしまったことでしょう。
火口から離れた場所では、軽石流のほど良い熱が木々を「完全な直立状態」のままで炭化させました。
倶多楽湖はその後に起こった陥没で現在のような姿になったと考えられています。
化石林の発見
わずか30m弱、上空から見れば細い線のような高速道路が偶然にも化石林の上を通過することになりました。
未来への夢を開く高速道路から先史時代への限りない夢を見せてくれる化石林の発見は大きな驚きでした。
登別化石林から発見された炭化木は、約50本あり、大きなもので長さ7~8m、直径43cm、かつての樹高は最高で30m、樹齢200年前後とみられています。
現場の規模は幅20m長さ60mにわたりました。
化石林の学術的な研究によるデータは後世に発見の意義を伝えるに余りある成果を残しました。
化石林発見の成果
登別化石林が発見されたことにより、数十万年前とされていたこの周辺の地層が約4万年前のものだとわかりました。
また木の種類は、針葉樹のエゾマツ、アカエゾマツ、トドマツ、グイマツの4種類が分かりました。グイマツは南樺太や色丹島が分布の南限で、現代の北海道には生育していない樹木です。
氷河期が始まって海面が低下し、シベリア、樺太と陸続きになった北海道にも4万年前頃にはグイマツが南下し、分布を広げていたに違いありません。
当時の北海道は、南の方までグイマツが生育し、現在のシベリアの森林地帯の風景に似ていたと思われます。
そしてここ登別を中心とする道南地方の気候は、年平均気温は2~3度と現在より約4℃以上も低く、また年間降水量は現在の約半分の700mm前後だったと推定することもできました。 |
寒冷期の海岸線 |
化石林誕生クッタラ湖
倶多楽湖
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現在の広葉樹の多い森林
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化石林の発見 |
現地調査 |
化石林発見の成果 |
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425地球岬
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440登別へ
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