北海道の縄文 №55 2022.06.26-3
原子力PRセンター「とまりん館」
2階地域展示コーナー (考古資料) 北海道古宇郡泊村堀株村45-1
0135-75-3001 月休 撮影可
地域観光
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2022.06.27-2余市駅とキロロリゾート
2022.06.27-4霧のニセコ高原
2022.06.27-5ニセコ高原ユース
2022.06.27-6ニセコアンヌプリスキー場
2022.06.27-8羊蹄山 噴出し公園
2022.06.28-1羊蹄山 |
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目次
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01地図
10外観
20展示テーマ「海と縄文人」
22泊村の遺跡
23海獣犬歯製骨角製品
25海獣犬歯の釣針
30ヘロカルウス村の発見
35茶津遺跡の土器 |
50縄文人からのメッセージ
51私たちの食事を考えてください
53海を渡ってきたヒスイ
縄文人の交流範囲①
55山を越えてきた黒曜石
縄文人の交流半②
57謎を秘めた真珠
縄文人のアクセサリー |
100土器展示
110縄文前期・中期
130堀株1遺跡の土器
135ヘロカルウス遺跡の土器
150茶津遺跡,続縄文・擦文
170縄文後期・中期土器 |
200余市周辺の観光
210余市駅からキロロリゾートへ
230霧のニセコ高原
240藤山小学校跡
250スキー場
260羊蹄山
261噴き出し公園地図
266羊蹄山山麓の農地
267オオムギ畑
ビール・ウイスキーのつくり方
270羊蹄山
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01地図
泊原発&とまりん館
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泊村の位置 |
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10外観
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20展示テーマ「海と縄文人」
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当時は、野や山や海からの自然産物が生活の場で利用されていました。
特に、海に面しているため、魚・貝やトド、オットセイなどの海獣類を、日常の大切な糧にしていました。
海からの幸は、食料以外にも生活の道具として利用されていました。これらの「遺物」も同時に、遺跡から発見されています。 |
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21
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22泊村の遺跡 ※寿都郡 留寿都 古宇郡
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23海獣犬歯製骨角製品
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茶津貝塚からは、トド、アシカ、オットセイなどの犬歯で作られた、釣り針やモリ、ヤスなどがたくさん発見されています。これらの海獣は、人々の食料以外に道具を作る大切な資源でもありました。
縄文時代の釣り針は、日本列島では、鹿の角、角の肢骨や、イノシシの肢骨、牙などが最も一般的で、海獣犬歯で作られた釣り針は、他の地方に類例を見ない大変重要な意義を持っています。 |
海獣犬歯製骨角製品 |
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骨角製品は、
最適な石材を探すより身近に入手でき、
石器よりもしなやかで耐久性があって折れにくく、
石材よりも加工がしやすかったのでしょう。 |
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25海獣犬歯の釣針
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茶津貝塚から海獣の骨と共に発見された釣針は、「単式釣針」と呼ばれている型式で、針先部に「かえり」を持たない形状が特徴です。 |
海獣犬歯の釣針
製作工程
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犬歯製釣針製作工程
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30ヘロカルウス村の発見 |
31ヘロカルウス村の発見
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泊発電所の建設に伴い、1981年から堀株、宮丘、ヘロカルウスなど多くの遺跡の調査が行われましたが、それらから発見された住居跡、土器、石器、骨角器、動植物遺体などから、当時の人たちの生活ぶりに近づくことができました。
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ヘロカルウス遺跡群
遺跡名 ヘロカルウス遺跡D地点1
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上551外
種別:散布地・遺物包蔵地
時代:縄文中期
主な遺構:遺構なし
主な遺物:土器、石器等
遺跡名 ヘロカルウス遺跡D地点2
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上551外
種別:散布地・遺物包蔵地
時代:縄文中期
主な遺構:遺構なし
主な遺物:土器、石器等
遺跡名 ヘロカルウス遺跡E地点1
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上541-1
種別:集落
主な時代:縄文中期 後期
主な遺構:住居状遺構 土壙
主な遺物:土器 石器等 |
遺跡名 ヘロカルウス遺跡G地点1
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上541-1
種別:集落
主な時代:縄文中期 後期
主な遺構:溝状遺構 土壙
主な遺物:土器 石器等
遺跡名 ヘロカルウス遺跡F地点1
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上541-1
種別:散布地・遺物包蔵地
主な時代:縄文中期 後期
主な遺構:遺構なし
主な遺物:土器 石器等
遺跡名 ヘロカルウス遺跡A地点
北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上48ほか
種別:散布地・包含地
時代:縄文中期
主な遺構:竪穴建物 土坑 焼土
主な遺物:縄文土器 石器 |
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32
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33
磨製石斧 |
磨製石斧 |
磨製石斧 |
縄文土器 |
石鏃 |
ナイフ |
石槍 |
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35茶津遺跡の土器
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50 |
51縄文人からのメッセージ
私たちの食事を考えてください
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縄文人からのメッセージ |
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縄文人からのメッセージ
私達の食事を考えてください
縄文人の食事を考えてみましょう。
茶津貝塚やヘロカルウス遺跡、宮丘遺跡からそのヒントになる遺物が発見されています。 |
糞石
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糞石
糞石とは、糞が乾燥して固まり貝塚の中で自然に保存されたものです。この中に含まれる残存脂肪を分析することにより、糞の落とし主がどのようなものを食べていたかが詳しく推定できます。 |
動物の脂肪が付着していた |
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動物の脂肪が付着していた
ヘロカルウス遺跡出動の石器
付着していた脂肪を分析すると、
イルカ39.4%、オットセイ23.9%、エゾシカ21.3%、イワシ15.4%の順となり
陸上動物より海産動物を多く利用していたことがわかります。
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魚の小片 |
魚の小片
茶通貝塚から採取した貝層を目の細かいフルイを使って丁寧に調べると、ニシン、アイナメ、ホッケなどの魚骨が発見されました。 |
花粉の化石 |
オニグルミ
トチノキ
ミズナラ |
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花粉の化石
宮丘1遺跡の花粉化石の分析により、ミズナラ、オニグルミ、クリ、トチノキなどが 遺跡の周囲に生育していたと推定され、これらの木の実が食用とされていたことがわかります。
宮丘1遺跡(詳細不明) 縄文後期・晩期
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53海を渡ってきたヒスイ
縄文人の交流範囲①
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海
ヒスイの原産地がどこであるかは蛍光X線分析と言う方法で調べることができます。この方法によってヘロカルウス遺跡・堀株1遺跡で発見されたヒスイは、新潟県糸魚川産であることが推定されるようになりました。ここは、有名なヒスイの産地です。古代人は野を越え、山を越え海越えて、約1000km近く離れて交流していたことになります。言葉は通じたのでしょうか。 |
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堀株1遺跡 北海道古宇郡泊村大字堀株村12-1ほか
種別:散布地 包含地
時代:縄文
主な遺構:土坑
主な遺物:土器 石器
種別:散布地 包含地
時代:続縄文
主な遺構:遺構なし
主な遺物:土器
種別:散布地 包含地
時代:擦文
主な遺構:遺構なし
主な遺物:土器
種別:墓
時代:中世(細分不明) 近世(細分不明)
主な遺構:墳墓
主な遺物:鉄器 漆器
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ヒスイ
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古代人はヒスイをネックレス、イヤリングなどに使っていました。ヒスイの深い翠(みどり)の色に人々は神の力を感じたのかもしれません。その力で自分を守ってもらおうと考えたのでしょうか。 |
ヒスイ |
糸魚川産ヒスイ原石
(現在) |
ヒスイ垂飾 |
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ヘロカルウス遺跡出土
堀株1遺跡出土
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55山を越えてきた黒曜石
縄文人の交流半②
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山
黒曜石の原産地は、その噴出年代を調べることによってわかります。その方法は、フィッショントラック法と言って、黒曜石に含まれるウランの様子から求められます。この方法により、ヘロカルウス遺跡から発見された黒曜石を分析した結果、遺跡近くの赤井川産のほかに、白滝産のものが混じっていることがわかりました。古代の人々は、北海道の屋根を超え、約250kmの距離を交流していたことになります。 |
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山を越えてきた黒曜石
縄文人の交流半② |
黒曜石中のウランの核分裂飛跡の腐食像
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泊出土の黒曜石原産地
赤井川・白滝
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黒曜石
北海道の主な原産地は、赤井川、白滝ほか置戸、十勝三股の4カ所です。
黒曜石は、火山活動による天然のガラスで、北海道では十勝石とも呼ばれています。
石質が緻密で貝殻状に剥がしやすく、加工しやすいところから、矢尻やナイフなど鋭利な石器の材料として盛んに用いられました。 |
黒曜石原産地 |
産地別原石
赤井川・白滝・置戸
十勝三股 |
黒曜石 |
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57
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謎を秘めた真珠
縄文人のアクセサリー
真珠は現代もアクセサリーとして利用していますが、古代の人々が身に付けた意味は現代とは随分違ったと想像されます。
静かな光沢を持つ真珠は、どんな目的で使われたのかは、まだまだ謎に包まれています。
真珠は小さいもので、遺跡からの発見はごくまれですが、茶津貝塚では、丁寧な調査により、 26個も発見されました。その人うちの1つには、人為的な穴が開けられています。真珠の発見例では、鳥浜貝塚(福井県三方郡三方町)のものが、日本最古として知られていますが、穴を開けた例としては、今のところ茶津貝塚の真珠が日本で最も古いものです。
※孔を開ける=装身具とした
真珠の分析
真珠は大変壊れやすいので、慎重な方法で分析されます。茶津貝塚の真珠は、光学顕微鏡による観察や蛍光X線分析により、
母貝は海水産二枚貝のエゾヒバリガイであると推定されています。 |
謎を秘めた真珠
縄文人のアクセサリー
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真珠の分析 |
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エゾヒバリガイの分布(別名ムール貝)
東京湾以北、ベーリング海
水深100mまでの砂泥地
ムール貝のことですから、結構どこでも入手可能
泥を吐かせて煮て食べようとしたら中から真珠が出た。
割れやすいのによく穿孔できたなと思います。慎重に慎重に…
※ムール貝(イガイ)の毛=足糸 |
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100土器展示
※土器型式についての脚注がありません。「北斗市縄文展2021」はやたらと詳しくてわかりやすい説明で には、
道南地区の縄文前期から後期までの土器型式の解説展示が写真で報告されています。
写真はクリックを繰り返すと拡大されるので、読むことができる優れモノです。
copyrightはかかっていませんが、有料会員向けのサイトのようで、勝手に引用できません。よろしくお願いします。 |
101
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1列目 |
2列目 |
3列目 |
4列目 |
上段 |
中期 |
堀株1遺跡 |
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後期 |
中段 |
前期、中期 |
中期 |
茶津遺跡 |
後期 |
下段 |
中期 |
ヘロカルウス遺跡 |
続縄文、擦文、茶津貝塚 |
中期、石皿・磨石 |
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一列目
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110縄文時代 前期・中期 |
111
1列目
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112中期土器 約5000~4000年前 (1列目上段)
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113前期土器 約6000~5000年前 (1列目中段)
中期土器 約5000~4000年前 (1列目中段)
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115中期土器 約5000~4000年前 (1列目下段)
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二列目
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130堀株1遺跡の土器(2列目) |
131
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133堀株1遺跡の土器 縄文中期 (2列目上段)
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134(2列目中段)

縄文中期
円筒上層式土器 |
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2列目中段に脚注がない。
並んでいる土器は縄文中期円筒上層式土器なので、そう表示します。 |
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135ヘロカルウス遺跡の土器 縄文時代中期 (2列目下段)
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三列目
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150茶津・続縄文・擦文 (3列目) |
151
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152(3列目上段)
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155茶津遺跡 縄文・続縄文・散布地 (3列目中段)
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156続縄文・擦文
続縄文時代 約2000~1300年前 (3列目下段)
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157茶津貝塚 縄文中期 (3列目下段)
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四列目
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170縄文後期・中期土器 (4列目) |
171
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172後期土器 約4000~3000年前 (4列目上段)
縄文後期土器
4000-3000年前 |
縄文後期土器
4000-3000年前
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175後期土器 約4000~3000年前 (4列目中段)
縄文後期土器
4000-3000年前
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縄文後期土器
4000-3000年前
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縄文後期土器
4000-3000年前
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縄文後期土器
4000-3000年前
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177縄文中期 約5000~4000年前 (4列目下段)
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180
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どうやらこの館では、沢山の撮り忘れが発生しているようです。
大変疲れていたか、浮かれていたか、あせっていたか、ボケていたかです。
今となってはどうしようもありません。 |
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200余市周辺の観光
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210余市駅からキロロリゾートへ
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230霧のニセコ高原
ニセコ町は西欧人の買収や投資が進み、多くの資本が活動しています。
30年前に、毎冬一週間のスキー旅行していた当時のニセコ町の建物は日本的な建物でしたが、現在はなぜか西洋的な雰囲気になっています。
私は物珍しそうに写真を撮りました。
キロロからニセコへ |
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ニセコ高原の現状 |
外国資本の進出によって買い占められ、もはやかつての姿はありません。宿泊費も物価も爆上がりでよっぽどの成金でないと日本人は入れない。 |
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240藤山小学校跡
この建物は元々ニセコ高原ユースホステルでした。その後、経営者夫妻の高齢化のため経営を譲渡し、その後、この料理店が買い取りましたが、
コロナのために立ち行かなくなったようで、私が敷地に入ると、大変な剣幕で対応しました。怖かったです。
ニセコから藤山小学校
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ジャガイモ畑 |
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Bistro French Lodge
hez Doudou
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250ニセコスキー場
スキー場を含めた街中はほとんど昔の面影をとどめてなく、ホテルも外資系に売却され、商店まで外人が経営しており、値段も爆上がりです。
要するに西洋人の町になってしまい、日本人はどんどん西洋人に土地建物を売り渡して引っ越していきます。日本人では生活困難なのです。
このような傾向は、信州の白馬村でも起こっており、西欧デベロッパーが不動産取得と街の建て替えに躍起となっています。
こんなことでいいんですかね~ クソッ
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260羊蹄山
羊蹄山パンフレット
羊蹄山自然公園及び近隣施設
北海道真狩村観光ガイド
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羊蹄山登山情報 |
真狩川河川公園
真狩神社桜並木 |
歌手細川たかし氏は
真狩村の出身です。 |
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261噴き出し公園地図 (伏流水が噴き出す)
噴き出し公園は羊蹄山の北側、北海道虻田郡京極町川西45にあり、真狩村の裏側にあたり、上の地図や写真では見れません。
ニセコから羊蹄山ふきだし公園へ |
火山の伏流水が滝のように流れ出している
伏流水が尻別川の→ |
それが、ふきだし公園
侵食で断崖となった所から噴き出している |

噴き出し公園動画 |

噴き出し公園動画 |
羊蹄山周辺の観光地
何もないからここに来ました |
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262ふきだし公園
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265水源地
噴き出し公園の水は水源として利用され、小さな水源池があります。膨大な量の水が湧き出す伏流水ですから、この程度の貯水量で
足りるのでしょう。それに、伏流水は、随分以前に降った雨水や雪が地下浸透して流下するので、今年日照りになっても水は枯れません。
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266羊蹄山山麓の農地
火山灰土が風化した土壌ですが、2500年前に山頂噴火したのが最後で、土壌も風化が進んでいるのでしょう。
肥沃な土壌のようです。
火山灰土はきめが粗く透水性がよく畑作向きの土です。岡山県の蒜山高原では、深い火山灰の堆積と酸性土壌で、大根の産地です。
関東地方の練馬大根も同じような土壌なのでしょう。ここでは大豆小豆が作られており、土壌が中和されたようです。
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豆です。大豆小豆
広大な豆畑 |
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隣はトウモロコシ畑 |
密植栽培可能なトウモロコシは牛の飼料として欠かせないものです。実だけでなく茎も葉も全て飼料となります。 |
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267農作物
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こんな広大なジャガイモ畑。収穫も |

大変な作業です。 |
ジャガイモ畑
え!手作業ですか。
種イモは丁寧に収穫 |
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オオムギ畑
ビールかウイスキー
になるのでしょう
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アスパラガス畑
但しうね間がひどく広い |
ビールのつくり方
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➀製麦:大麦を発芽させ、乾燥させて麦芽(モルト)にします。この時、麦芽の色や香りの特徴が決まります。
※麦芽とは字の通り、麦を発芽させた状況をいい、これを乾燥させます。
②仕込み:麦芽を粉砕し、温水と混ぜて糖化させます。この際、麦芽の酵素が働き、デンプンが糖に変化します。甘い汁・麦汁ができます。 次に、麦汁をろ過し、ホップを加えて煮沸します。ホップはビールの苦味と香りをつけ、麦汁のタンパク質を凝固させ、濁りを取ります.
※ビールとウイスキーの製法違いは
ウイスキー:麦芽を乾燥する時に泥炭で燻して苦味を付け、苦味付麦芽(モルト)の酵素で大麦澱粉を糖化する。→アルコール発酵→蒸留
ビール:大麦澱粉を糖化し、糖液にホップを入れて煮沸し、苦味を付ける。→アルコール醗酵→ろ過→瓶缶に充填。
※二年越しのビールを販売しないのは、瓶缶の中で生き続けた酵素がアルコール発酵し続けCO2を出し、オリと呼ばれる沈殿物が溜まるから
③発酵:煮沸した麦汁を冷却し、酵母を加えて発酵させます。酵母は糖分を分解し、アルコールと二酸化炭素を生成します.(アルコール発酵)
④熟成:発酵が終わったビールを貯蔵タンクで熟成させ、味がなじむようにします.
⑤ろ過:熟成させたビールをろ過し、濁りを取ります.
⑥充填:ろ過したビールを瓶や缶に充填し、完成です.
※酒は家庭でも簡単に作れます。自家用で売らなければ、それと米の場合有害なメチル醗酵がなければ酒税法違反にはならないはずです。
若い頃に葡萄を冷蔵庫で保存して貴腐葡萄にし、糖度を高めてからイースト菌を入れてアルコール発酵させ、葡萄酒を作りました。 |
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270羊蹄山
噴き出し公園から
まっかりYHへ |
ニセコアンヌプリと
羊蹄山 |
ニセコアンヌプリ遠望
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真狩村からニセコアンヌプリまでの距離 |
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羊蹄山
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羊蹄山の名付け
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アイヌ語では女山(マチネシリ)、付近の尻別岳を男山(ピンネシリ)と呼んでいましたが、明治以降国土地理院の地図に記載する名前として
日本書紀に記述のある後方羊蹄という地名から後方羊蹄山としましたが、この難読漢字名の変更を地元倶知安町が
申請し、後方を消して羊蹄山と改名されされました。
日本書紀の記述には、阿倍比羅夫が後方羊蹄(読み:しりべし)という場所に、郡領(他の記述では:政所・軍領(役所))を置いたとされる。
しかし、その場所は不明で、余市・江別・千歳などの説がある。
AI による概要
阿倍比羅夫は、古代日本の武将で、659年にアイヌ語で「マチネシリ」と呼ばれていた現在の喜茂別町付近に、後方羊蹄という郡領を置きました。後方羊蹄の語源は、アイヌ語で「山の川」を意味する「シリ・ペッ」に由来し、後に「後志」と改められました。
後方羊蹄:
659年に阿倍比羅夫が喜茂別町付近に郡領を置いた際に命名した地名です。アイヌ語で「マチネシリ」と呼ばれていた地域を表すもので、
後に「後志国」に改められました.
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比羅夫の地名
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また、付近には比羅夫と言う地名があり、倶知安町に1400年も前の阿倍比羅夫にちなんだ名前が付けられている。
ただし、1400年前に名付けられた地名なのか、明治以降に名付けられたのかは不明。
ただ、1400年前に比羅夫と名付けられたのなら、その後アイヌ語的な音便変化があったはずで、漢字で比羅夫と書くのは、明治以降の命名らしい。
倶知安町比羅夫は、町村合併によって比羅夫(村)が合併したという事実はないようで、初めから比羅夫という地域名があったようです。
なぜここにこの名前がついたのかちょっとわかりません。 |
しりべしの地名
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後志支庁
シリベシシチョウ |
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後志支庁という行政地域。
この地域が全て古代の後方羊蹄という地名ではありませんが、この付近がしりべしと呼ばれていたことは間違いないでしょう。余市町が古代の後方羊蹄と呼ばれた地域だと名乗っているようです。
図引用「小樽建設協会」 |
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おわび
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以前、東北地方を扱った時、阿倍比羅夫に関連して、日本書紀に羊蹄山の地名があるとか書きましたが、全くの間違いでした。
どこで、そのような取り違いをしたのかわかりませんが、おわび申し上げます。羊蹄山という地名はありませんでした。 |
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