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 北海道の縄文 №31 2022.06.12-3

  美幌博物館 北海道網走郡美幌町美禽253-4
   0152-72-2160 月・休日の翌日休館 撮影可

交通 JR美幌駅から2.3km徒歩29分 ・レンタカー
近隣観光地 ・知床観光、網走周辺、阿寒・屈斜路・摩周湖周辺
・知床や三湖(阿寒~摩周)、網走・サロマ湖などは隣接の絶景Point。
拠点を決めて、車で巡ります。特に、早朝の摩周湖は絶景で、
摩周湖YHはとても便利な宿でした。
近隣博物館 知床周辺・網走周辺・白滝周辺
宿泊情報 知床・サロマ湖・三湖周辺は高額(3万)、網走には手頃もあり(5千)。
私の場合摩周湖ユースホステルが最高でした。易くて清潔親切。便利。
 
  
 
 目次

01外観

10第1展示室 地学
12河岸段丘
13泥炭
15屈斜路湖の形成
16地層剥ぎ取り標本
18軽石・火山灰・土壌

0第二展示室 考古

50旧石器時代
60旧石器



100縄文時代
100縄文早期-前期
110石器
120草創期-早期石核

130前期土器
140前期石器

150前-中期土器
160土器の製作
170縄文石器

175絵模様付礫
180中-後期初頭の土器

200縄文前期以降
211石器
215土器

217続縄文時代
217続縄文土器

220オホーツク文化
222骨角器
223オホーツク式土器

230擦文時代
231擦文土器
233擦文住居

240トビニタイ文化
241土ビニタイ式土器

 
300アイヌ文化期
301アイヌ集落の模型

310幕末の美幌
311松浦武四郎の業績
312松浦武四郎の業績

320アイヌ民具

350美幌の自然
360美幌峠の四季

400網走の博物館
 
 
 01外観
美幌博物館 館内には三つの展示室があり、
第1展示室~川とともに~
➀屈斜路湖の成り立ち②太古の人々③アイヌの暮らし④初夏の自然⑤幕末の美幌⑥開拓の始まり

第2展示室~農業と身近な自然~➀温水ため池②トラクター③生物④植物
第3展示室~アートに触れる~美術展示
 


 10第1展示室 地学展示 ~川とともに~


 11➀屈斜路湖の成り立ち
第1展示室 地学

 12■美幌の地形・地質
美幌の地形地質 地形の特質:河岸段丘
地質の特質:泥炭、火山灰台地

 河岸段丘の形成(網走川・美幌川)
河岸段丘の形成 低位段丘面と高位段丘面の形成 1 .上流から流されてきた丸い石や砂が堆積し、平らな川原ができます
 (高位段丘面)。
2.川岸が削られて川幅が広がります。
3.土地隆起により、さらに深く狭く川底が削られ、川底が平らな川原となります
 (低位段丘面)。
集落が低位段丘面
撮影場所と向かいの丘が高位段丘面

・撮影位置は丘陵部
・直線道路は高位段丘面
・直線道路が尽きた先が低位段丘面
◀◀(写真より)
 段丘面は、上流から運ばれた土砂により大変良い田や畑となります。
◀(地形図より)
美幌町周辺には、網走川の東岸に2段になった河岸段丘が見られます。
 

 13泥炭層(古網走湖の範囲に堆積した水生植物の死骸)
泥炭の形成 今から約1500年前までは、網走湖が美幌の街まで広がっていました。
1.湖のまわりに、ヨシ(アシ)などの草が生え始めます。
2.草は枯れ、低温のため水中で腐ることなく湖底にたまっていきます。
3.約1500年前から現在までの間に、網走湖の水が引き泥炭ができました。これを下位泥炭といいます。
泥炭層

畑の下は泥炭層
◀◀(写真より)泥炭の上には、川によって運ばれた土砂や、田や畑にするためにあらたに入れた土砂が見られます。

◀(地形図より)泥炭は周りの地形と比べて低いところにあることがわかります。
※旧網走湖の水際の範囲に沿って泥炭が堆積している。
 

 15屈斜路湖の形成

北海道誕生からの
道東の火山史
・4千万年前、東から押される地塊が衝突して乗り上げ、北海道が誕生し、その次には千島弧が衝突している。
 これらは現在も東西圧力で衝突し続け、このエネルギーにより火山活動が続く。
・約160-100万年前先カルデラ火山を形成しその名残が現屈斜路カルデラ北壁に残る藻琴山である。
・約40-4万年前 新しいカルデラを形成する活動が起き、10回程度の大規模火砕流噴火を繰り返す。
・約12万年前 最大級の噴火を生じ、その火山灰(クッチャロ羽幌広域テフラ)は札幌以西を除く北海道のほぼ全域を覆った。
・約4万年前に約12万年前の噴火に次ぐ大規模な噴火が生じ、クッチャロ庶路テフラを形成。
・約4万年前~現在 中島やアトサヌプリ(別名「硫黄山」)、摩周火山を生じる活動により溶岩円頂丘群が噴出してカルデラ湖の南東部を失い、空豆状の現在の形になった。引用Wikipedia屈斜路湖

 屈斜路湖の形成
1.数十万年前
幾つかの成層火山ができたあと、30万年ほど前から大規模な軽石流を伴う噴火が繰り返され、その一部はオホーツク海に達しました。
    2.約3万年前
大噴火が繰り返された結果、その噴出口を中心として屈斜路カルデラが形成しました。
藻琴山(999m)はカルデラの北壁にあたります。
    3.約3万年から1万年前
カルデラ内では和琴半島中島アトサヌプリ(硫黄山)などで火山噴火が起こり、屈斜路湖は繭形になりました。
    4.約7千年前
東側に噴出した摩周火山は約7千年前に軽石流を伴う大噴火を起こしてカルデラを生じ、そこに透明度の高い摩周湖がたたえられました。
藻琴山
中島、和琴半島 アトサヌプリ
(硫黄山)
摩周湖
(カムイヌプリ)

 16地層剥ぎ取り標本 美幌町トイエ川(登栄川)付近の土層
美幌町
トイエ川(登栄川)
付近の土層
腐植土

火山灰

砂礫

炭化木
軽石・火山灰

溶結凝灰岩
・覆土が風化して土壌ができ、植物が生え、腐植土、黒ボク土ができる。
 ↑
・更に興った火山活動で火山灰が堆積する。
 ↑
・河川によって砂礫が運搬堆積する。
 ↑
・溶結凝灰岩大地の上に新たな噴火活動で、軽石・火山灰・火山礫・炭化木が堆積する。
 ↑
・巨大カルデラや成層火山があった場所に、更に巨大噴火が起きてそれらを吹き飛ばしたため、
 基盤となる土層はかつての火山活動でできた溶結凝灰岩である。
最下層:溶結凝灰岩

炭化木
軽石・火山灰
溶結凝灰岩

腐植土
火山灰
砂礫

炭化木

炭化木拡大

 18軽石・火山灰・土壌
 軽石・火山灰
1.火山活動によっていったん軽石や火山灰が上昇します。
2.上空の軽い火山灰は、風に流され遠くまで運ばれます。
3.軽石や火山灰は、軽石流となって時速50~60キkmで地上の樹木をなぎ倒して進みます。
現在、美幌町内の火山灰を採取をしているところでは、屈斜路軽石流が厚く堆積しています。

 土壌の形成
腐植土
落葉や植物の根が土中の微生物によって分解され、堆積したものです。

砂礫
川や海の波によって運ばれた砂や礫(直径2mm以上の石)が、長い年月の間に堆積したものです。礫は、ほとんどが水によって運ばれるうちに角が取れて丸くなっています。
  炭化木
軽石流が400~500℃の温度で地上を流れた時、倒された樹木は、その温度と軽石流に覆われたことにより、自然の炭焼きによってできる炭となりました。

溶結凝灰岩
軽石流が流れたときに、高い温度とあとから押し寄せる軽石流の高い圧力によって、軽石流自体が溶結したものです。
美幌町周辺では、屈斜路火山に近い美幌川上流(古梅)で見られ、美幌軟石(古梅軟石)と呼ばれ、比較的柔らかく建築材や墓石として利用されています。
 
 


 40②太古の人々 考古展示



 50旧石器時代 2万~1.2万年前

 60旧石器

no caption
旧石器時代石器
置戸町出土 
         

 元町2遺跡 no caption
 石器(細石刃+石刃+削器+抉入石器+掻器++彫器+尖頭器+舟形石器+石核+細石核+使用痕のある剥片+細部調整のある剥片)元町2遺跡
旧石器時代石器
元町2遺跡
 
 

  縄文時代   1万5000年前~2400年前


 100縄文早期・前期


 110縄文時代石器
   石錐、石錘 石槍       
石鏃
石鏃(有茎) 石鏃(無茎)
つまみ付きナイフ
(全てタテ型)
つまみ付きナイフ つまみ付きナイフ つまみ付きナイフ
 

 120草創期-早期石核
 ※石刃石核は、風化した原石の表面を削り取って黒曜石面を出し、それを石核型に整形した交易用の石器材料原石です。
石刃石核 石刃石核 石核と石刃

※⑥の写真では長大な石刃が剥がれています。一瞬の打撃で、ガラス質の結合に長大なすべり面を作って剥がすことができるのだろうか。
 それとも、ゆっくりと圧力を加え、連鎖的にすべり面を伸ばしていって、剥離できるのでしょうか。

 130前期土器   縄文前期前葉 三橋遺跡 網走郡美幌町字新町1丁目13-4/64-3 種別:集落 遺構:住居・墳墓・土坑 遺物:土器・石器

  綱文式土器(つなもんしき)
    北海道東部に分布。
    縄文の縄目が太いことから「綱文式」という型式名がつけられた。
    底部が尖底になること、胎土に繊維を多く含むことも特徴である。

綱文式土器
縄文早期
三橋遺跡


 140縄文石器
綱文式土器
三橋遺跡
縄文前期前葉
砥石、擦石 砥石 棒状原石

長大な剥片(石刃)
棗玉(なつめだま)
磨製石斧
石製ナイフ

サイドスクレイパー
つまみ付きナイフ
エンドスクレイパー
←短辺に刃部がある
エンドスクレイパー
(皮剥ぎ)
対して
長辺に刃部がある
サイドスクレイパー
(ナイフ)
古墳時代の棗玉に形状の類似から命名か。
管玉にも似て、両端がすぼまるところから棗玉か。
縄文人は割れずに如何にしてこの穴を開けたのか。

 150前-中期土器
綱文式土器
三橋遺跡
縄文前期前葉
押型文土器
網走式土器
(解説なし)
ピラオツマッコウマナイチャシ遺跡
前期~中期の土器 網走式土器

押型文土器
ピラオツマッコウマナイチャシ遺跡
網走式土器
ピラオツマッコウマナイチャシ遺跡
網走式土器
ピラオツマッコウマナイチャシ遺跡
ピラオツマッコウマナイチャシ遺 北海道網走郡美幌町字稲美206-2
遺構:竪穴建物1、土坑14、焼土71、礫群3、スクレイパー集中1(工房)
遺物:縄文土器(早期から晩期)
遺物:石鏃、石槍、石錐、スクレイパー、石核、石斧、凹石、敲石
遺物:砥石、土製品(耳栓)、石製品(刻線文)、
 

 160土器の製作
土器のできるまで

1、ねん土に砂などを混ぜながら、水を加えて良く練ります。
2、練り上げたねん土は、かわかないようにぬらした布などにくるんで、 日かげのすずしい場所で何日間かねかせておきます。
3.十分ねかせたねん土で土器を形づくります。
最初に底をつくり、 その上にねん土のひもをまき上げていきます。 特に、 内側は良くなでるようにして、形を整えていきます。
4、仕上げとして、表面にもようを付けます。
縄文土器では、名前のとおり縄を転がして付けたもよう(縄文)が多いのですが、 木の棒や貝殻を、押し付けたりひっかいたりして付けた模様もあ ります。
  5、形ができたら、 日の当らない場所で陰干しして乾燥させます。
6、最後にたき火で焼き上げます。
土器自体がまっ赤になったら、 取り出して自然に熱がさめるのを待ちます。
完成
これで土器が完成しました。
 

 170縄文時代石器

北海道式石冠持ち手つきの磨石。
・礫を細かく敲いて、正月のお供え餅型に作り出し、底面を平らな擦り面とした磨石
・土器を製作する際に粘土に繊維を混ぜ合わせるために使った。引用「函館市地域資料」

北海道式石冠 磨石
凹石と擦石 砥石
砥石と擦石
有溝砥石
矢柄研磨器か
敲石 凹石
堅果類を沢山置いてポンポンと景気よく叩いて割った
凹石 凹石

 175絵模様付礫 みどり2遺跡 縄文中期 北海道網走郡美幌町字美禽253-4
絵模様付礫
みどり2遺跡

 180中期~後期初頭の土器 北筒式土器
北筒式土器
縄文中期~後期初頭
北筒式土器の特徴 引用「函館史地域資料アーカイブ」
 北筒式土器は北海道円筒式土器の略で、中期後半に主として道東や道北に分布した、若干の繊維を含んだ円筒形の土器である。
 口縁は山形突起をもった波状もしくは平縁で、口縁部に肥厚帯がつくられ、その直下に円形の刺突文が数センチメートル間隔でめぐる特徴を持った土器で、
その南限は日本海側では岩内町、噴火湾岸では登別市である。
 
 

 200縄文前期以降
 201全景
 204縄文年表
縄文年表

縄文前期~中期
後期~続縄文時代
続縄文~擦文時代
縄文 続縄文 擦文
 前期 中期 後期 晩期 
3000 2000 1000  0
500
1000 1500
ピラオツ マッコウマナイ チャシ遺跡
元町2・3遺跡
三橋遺跡 みどり2遺跡 ・日甜遺跡
・縄文海進全盛期・貝塚の発達 ・大規模な集団墓地(環状土籬)出現 …………オホーツク文化……
・尖底土器が使われる ・筒形土器が使われる ・いろいろな形の土器が使われる ・鉄器など金属器が使われる

 205背景 詳細は下に記述
掻器、石臼・磨り石 石臼・磨り石、削器
弓と矢
削器 弓と矢
 206作業詳細
石斧

石槍
掻器(皮なめし)
石臼・磨り石 削器(ナイフ)
弓と矢
 
 211縄文石器
掻器 皮なめし

ミニチュア磨製石斧
ミニチュア磨製石斧
ミニチュア磨製石斧
・耳栓型土製耳飾り
・刻文付礫
 214縄文石器
磨製石斧
石棒
石斧と磨石 磨製石斧 石皿と敲石
 

 215縄文晩期土器 幣舞式土器
縄文晩期土器 幣舞式土器特徴:
 底面が平らでなく軽く膨らんでいる。
 底が丸くて不安定という意味らしい。
 
 

  続縄文時代 紀元前3世紀~紀元後7世紀 (弥生時代が前期、古墳時代が後期)


 217続縄文土器
   前半期:宇津内式土器……上部に2つの穴のあいた把手のような出っ張りが4つあり、その下の文様と共にフクロウを表現している。
    紀元前1世紀~紀元後1世紀頃 
   後半期:後北式・北大式
    後北式…倒立した釣鐘型の深鉢、提灯型の釣耳が付いた壺形土器
     2~4世紀頃
    北大式…口縁部に直径4~5mmの細い棒で表面を突き、丸い穴の文様を付ける。
        口縁部の刺突文列は、続縄文終末期に樺太から南下した鈴谷式・十和田式など、樺太系北方文化の影響である。
     5~7世紀頃
続縄文土器
注口土器
続縄文時代の土器
サンショウウオ浮彫
続縄文土器 サンショウウオの浮彫

 続縄文土器の特徴

 北海道地方を中心に,縄文時代のあとに続いて使用されていた土器。この土器の後に擦文土器が成立する。
 初期にはほぼ全道的に,少量ながらも突瘤文のみられる兜野式,琴似式,大狩部式,興津(おこつ)式などの土器が分布する。
次いで道南を中心に沈線文のある恵山式,道東・道北地方を中心に縄線文,突瘤文,貼付文のある前北式系統の土器が分布し,
さらに道央部で貼付文の発達する後北式が成立すると,次第に地域色が失われ,ほぼ後北C1式の時期には全道的に一様となる。

 土器の底部があげ底となっているこの時期までを,続縄文土器の前期とする。(弥生時代)
この後,帯状の縄文に特色のある後北C2・D式や北大式が,一時的に東北地方北部に及ぶ広い分布を示す。

北大式の末期に器面調整の刷毛目痕をとどめるようになり,擦文土器が生じたと理解される。
その時期は8世紀の初め頃と考えられ,これまでを後期としている。(古墳時代)

前期は東北地方の弥生時代,後期は同じく古墳時代に相当するものと考えられる。 引用「コトバンク続縄文土器」

続縄文時代前半の土器(紀元前4世紀~紀元後1世紀) 前半の区分を早期・前期・中期
続縄文時代後半の土器(紀元後2世紀~6世紀) 後半の区分を後期・晩期
 
 


 220オホーツク文化 5~12世紀 (北海道では9世紀まで)


 222オホーツク文化の骨角器 no caption
  ※骨角器の使用用途・名称については「オホーツク文化の骨斧・骨箆・骨鍬」が詳しい。  
オホーツク文化の骨角器
骨角器 骨斧・骨箆・骨鍬
堀具
オホーツク文化の骨角器 鉄製品
 223オホーツク式土器
オホーツク式土器
貼付文期
オホーツク文化の土器
ソーメン文期
貼付文期

 オホーツク式土器の特徴
 引用「コトバンクオホーツク式土器」
南サハリンから北海道北東岸,知床・根室半島そして南千島に認められる。
この文化を代表する土器は,オホーツク式土器と呼ばれ,地域と時期により詳細な編年ができている。
概していえば壺形・甕形の器形に,前半期には刻み目を連続した文様を主にし,後半期では細い粘土紐を貼りつけた文様を主にしている

 引用「オホーツク式土器の特徴」
低温で焼かれるため暗黒色を呈した壺、甕などの単純な形態をもつ。
古い段階は、鈴谷式や十和田式とよばれる。鈴谷式にみられる撚糸圧痕文などは、続縄文土器にみられる縄線文と関連するものであろう。




 


 230 擦文時代 7世紀~12・13世紀頃


 231擦文土器 胴部に山形文、矢羽根状線刻が、複数段重なっている。この時期の特徴的文様。 引用「擦文土器」
紡錘車
脚付坏

 232擦文土器
擦文土器の特徴
 一般的な特徴は、器面にヘラ状の道具でこすった擦痕(ハケメ)や種々の刻線文(沈線文)がみられることです。 弥生土器の系統をひく土師器と縄文土器の伝統を残す北海道系の続縄文土器が相互に影響を及ぼし合いながら形成されたと考えられています。引用「擦文土器の特徴」
 奈良時代から平安時代にかけて作られた。 多くは器面全体に刷毛目(はけめ)様の擦文を有するが,無文のもの,刻線文をもつものも含む。 形は甕,深鉢,高坏が主。 北海道の続縄文土器に本州の土師器が接触して生じたと考えられる。 引用「コトバンク擦文土器
 
擦文土器 深鉢


 233擦文住居 美幌町元町2遺跡 擦文文化期 9世紀末~10世紀
 美幌町元町からは、旧石器時代から擦文文化期までの様々な時代の遺物が出土しています。
擦文文化は北部東北人が道央に移住して7世紀頃から始り、道央・道南部で盛行し。12世紀頃にアイヌ文化に移行していきました。
7世紀に始まった擦文文化ですが、道東には約300年遅れて、9世紀後半から10世紀頃に広まってきました。

 元町遺跡群の元町2遺跡では擦文文化期の住居跡が37軒発見され、出土土器の表面の文様構成から、住居跡群は9世紀末~12世紀頃のものとされています。
 遺跡群からは9世紀末~10世紀の遺物が多く、元町2遺跡は道東擦文文化草創期からの遺跡と考えられます。

 元町2遺跡出土物
 擦文時代:竪穴建物37(内トビニタイ3、擦文期34)・土器・土製紡錘車・鉄器(刀子鍔)・骨角器(紡錘車・尖頭器様骨角器)
 続縄文時:集落遺構・土壙墓1・宇津内Ⅱa式土器・石鏃
 縄文時代:集落遺構・土壙1・東釧路Ⅳ式土器・石鏃・石槍・削器・掻器・石匙・石錐・石斧
 旧石器時:細石刃石器

 元町遺跡群からは、旧石器時代の多様な細石刃石器群や続縄文時代の琥珀玉が副葬された墓など、特筆される資料が数多く見つかっていますが、その中でも、元町2遺跡の擦文土器は、知る人ぞ知る貴重なお宝と言えるでしょう。

 引用「元町2遺跡」
 引用「美幌博物館月間情報誌 GREEN LETTER vol.256 01.元町2遺跡の擦文土器」

 ※オホーツク文化の展開は5世紀からですから、擦文文化に先行すること200年です。道南・道央の年表の先入観で、オホーツク文化がわずかに先行した程度と考えていましたが、なんと随分前から始まっていたとは驚きです。そんなに長く続いた文化を駆逐した擦文文化とは、物凄いエネルギーを持った文化だったようです。て言うか、擦文文化は北部東北人の大和古代文化の亜流なんですけどね。やはり鉄器と大和古代文化の物資の流入は、長く続いた古い文化(オホーツク文化)をあっという間に打ち崩したのでしょう。

竪穴住居跡
元町2遺跡
井戸跡(時代不明)
元町2遺跡
 


 240 トビニタイ文化 9世紀~13世紀頃

 241トビニタイ式土器
トビニタイ式土器=擦文土器の形状+オホーツク文化の貼付文

土器の特徴:
文様の貼付文に断面四角形の粘土紐が使われること、
貼付文の構成が直線形のものと波形のものを組にし、密接して配置されること
などが特徴として挙げられる。
なお、この土器は底部が整った平面になっておらず、安定して置けない形になっている。
※幣舞式土器同様、底面が丸くて平面に置けない形状。
 
   

 300③アイヌのくらし アイヌ文化期 13世紀以降


 300アイヌ文化期~近代

 301アイヌ住居の模型
アイヌ文化期
アイヌ住居模型 川漁に出漁か? 倉庫・住居・男厠
アイヌ文物 ※アイヌ文化期になって初めて厠が登場する。
それまではいったいどのように排泄していたのだろうか。うっかり踏んづけたりしたら最悪だからね。

日本人女性で太平洋の島の、原始的生活様式を残した集落へ嫁いだ女性を取材した民放の番組を過去に見た。
住居近くのヤブの中にスペースをつくって、夫と妻のそれぞれの場所を1mほど離して決め、そこで用を足すそうだ。
いずれにしても踏んづけて大変だろう。
もっと以前に見た番組では、川の中ほどまで伸ばした足場の先端に小屋掛けし、厠にしていた集落があった。水洗厠
かつて、NHKがトイレ特集の番組を組んだことがあり、一応しっかりと厠を作り、中に丸い石を置いてそれで拭くんだとか言ってたな。そんな番組をゴールデンで放送すりゃあ、作り物のゴキブリでも苦情で放送中止になるのに、モロでは、二度と放送できないでしょう。
 302
アイヌの民具  ピサック(柄杓)
ニマ(食槽)
タンパクオプ(煙草入)
ニキセリ(木製煙管)
タシロ(山刀)
マキリ(小刀)
タラ=背負い紐
 
 アイヌ文化の特徴
土器がなくなり、鉄器に置き換わった。石器の使用は続縄文時代から徐々に鉄器に置き換わり、擦文時代には野鍛冶も行なわれた。
鉄器の使用によって木器はますます高度に発展した。
 


 310⑤幕末の美幌


 311松浦武四郎の業績
地形図と沿岸の集落名 武四郎の旅
冬景色
風俗画
ウバユリ 松浦武四郎が聞き取り描いた美幌川の川筋

 312松浦武四郎の業績
美幌の地理やアイヌの暮らしぶりを記録した松浦武四郎

松浦武四郎 (1818~1888)は、

 江戸時代後期、現在の三重県松阪市 に生まれました。 持ち前の旺盛な好奇心・探求心から、生涯にわたり国内や樺太(現在のサハリン)を調査して、その土地の地理やアイヌの暮らしぶりなど、 細かく記録しました。
 北海道では、1845年~1858年にかけて、計6回にわたる調査を行いました。第6回目 (1858年)の調査では、釧路を出発し、 阿寒、 津別、
を抜けた一行は、5月13日~14日(新暦)にかけて、美幌の地を訪れました。豊幌地区付近にあったとさ
れる川の徒渉地点(フワウシ)で、

網走川を渡り、○○の中につけられた
道を進み、○○と美幌川を越え、

 現在の都橋地区付近にあったと考えられる集落(アシリコタン)に宿泊しました。ここで、アイヌの人々から歓迎を受け、その生活の様子をはじめ、美幌川本流・支流の現状などについて聞き取り、記録として残しました。
 また、6月20日 (新暦)には、網走から、 網走川を舟で上り、 美幌川と網走川の合流点 (ヘテウコビ)で1泊した後、 再び舟で網走川を下り、 調査を行いました。
武四郎が調査したルート 美幌の地理やアイヌの暮らしぶりを記録した松浦武四郎

 320アイヌ民具
杵・臼・網・籠・編機・衣類
籠・編機・衣類・囲炉裏・ 敷物・漆器・行器・衣類
 

 350④初夏の自然 博物学
藻琴山を遠景に、網走川の岸辺に広がる生物模様を描いたこの再現展示は大変よくできていると思います。
剥製動物の動きに不自然がなく、特に感動したのは、リスの激しい動きが再現され、、飛ぶ鳥の動きも違和感がない。
そして、何より、造花の植物が湿原に生えるそのままに再現されて違和感がない。まるで本当の河岸のような臨場感である。

狐の巣穴 キタキツネ・丹頂 丹頂・サギ・カモ リス エゾシカ

 360美幌峠の四季  美幌峠
美幌博物館は1987年創立で、2024年現在、36~7年経つようです。展示物はメンテナンスのおかげで新鮮ですが、写真だけは、どうしても劣化が目立ちます。しかし、36年前の絶景スポット美幌峠と、現在では大いに変貌しているでしょうし、セピア色のかつての面影もいいのかもしれません。
 
美幌峠の絶景屈斜路湖が見える
花の美幌峠

学生時代、大学の寮で1年暮らしました。同期の入寮生は学費の安さから、日本中からやってきました。北海道の人も多くいました。その中に、太めの黒縁メガネを掛けたちょっと小柄な人がいて、ビホロ峠で有名なビホロから来ましたと言っていました。ああ北海道なんだと、わかりましたが、それがどこなのかは、全く知りませんでした。彼は、写真屋の息子だと言っていましたが、法学部でしたから、きっと家業は継いでいないのでしょう。今頃は、関西のどこかの町で静かに老後を送っていることでしょう。
 
 
 以後 第1展示室「⑥開拓の始まり」及び、 第2展示室「農業」、第3展示室「美術」 は未撮影でした。
 

 400道路沿いの網走の博物館
オホーツク流氷館
北海道立北方民族博物館

 網走監獄
網走監獄
こんな山の上に刑務所

沢山の車が停まっていた。

観光客は一体何を見たいんだろう。

ムショは一段高いところにあります。全ては木の陰で見えません。

私はこんな恐ろしいところに入りたくはありません。

 石北本線
石北本線の列車
1日に7本しか走らない列車に遭遇しました。
石北本線釧網本線
釧路から網走を廻り、旭川までの長大な距離を走る列車です。
石北本線:特急は一日2本。
特急オホーツクが早朝と夕方に札幌を出てお昼と深夜に網走に到着します。

北海道は都市間高速バスが発達していて、安く、早く、鉄道は押され気味です。