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 北海道の縄文 №22  2022.06.10-2

  知床博物館 北海道斜里郡斜里町本町49−2
   0152-23-1256 撮影可
  休館日   4月~10月は月休、11月~3月は月・祝休館

交通 ・JR知床斜里駅~徒歩10分 ・レンタカー
近隣観光地 ・知床観光、網走周辺、阿寒・屈斜路・摩周湖周辺
・知床や三湖(阿寒~摩周)、網走・サロマ湖などは隣接の絶景Point。
拠点を決めて、車で巡ります。特に、早朝の摩周湖は絶景で、
摩周湖YHはとても便利な宿でした。
近隣博物館 知床周辺・網走周辺・白滝周辺
宿泊情報 知床・サロマ湖・三湖周辺は高額(3万)、網走には手頃もあり(5千)。
私の場合摩周湖ユースホステルが最高でした。易くて清潔親切。便利。
 斜里町清里イーハトーヴYHでは非常に険悪で、ゴミを捨てると処分料金を要求された。常にケンカ腰
 でものをいい、浴槽はあるのに使用禁止。寒いのにシャワーだけ。二度と行きたくない。

 このYHは夕食の店と提携し、客を連れて行くのですが、それを断ったためこのようにご機嫌が
 悪かったようです。
 
 
 目次

01外観
03入口展示
05知床へのいざない

10地学展示
12知床半島の生い立ち
13岩石の移り変わり
15半島を形成する岩石
20斜里岳の形成
31化石
33鉱石
37知床硫黄山
40斜里平野の生い立ち

100考古展示
102来運遺跡
※資料 来運1遺跡 
※考察 伏屋式建物
105VTR「知床の遺跡」

107朱円周堤墓群

108チャシコツ岬上遺跡
※考察 知床のオホーツク人
109来運1遺跡
110朱円周堤墓出土物
※研究 北海道の石棒
116栗沢式土器
120斜里朱円周堤墓群
130道東地域の縄文土器
133考古リーフレット2

140縄文土器
141早期
151前期
152中期
161後期
162晩期
180旧石器時代
181細石刃核
183超大型両面調整石器

184 縄文時代
185尖頭器・石鏃
186石棒
187石斧

200続縄文時代
210続縄文土器
220宇津内式土器
225後北式・北大式

250オホーツク文化

270擦文時代

290トビニタイ式土器
300道具
310続縄文~オホーツク期
314続縄文土器
321オホーツク・擦文期
327動物形石偶

330オホーツク文化期
 チャシコツ岬上遺跡
331和人との交流交易
333オホーツク人の道具
335オホーツク人の食糧
337道具
350チャシコツ岬上遺跡

400アイヌ時代
411交易
413道具
440くらし

445近世の斜里

700生物
1000特別展
1000トナカイと暮らす
 ―タイガの遊牧民たち
 
1025二つの遊牧形態
030トナカイの狩人
1040飼育道具
1060乗用道具
1090毛皮の利用
1120トナカイの食利用

1200禽舎
 オオワシ
 オジロワシ
 
 
 01外観
博物館前 博物館内にバス停 藤の花が咲き始めた
晩秋に剪定するともっと綺麗に咲く。
姉妹町友好都市交流
記念館
博物館入口

 03入口展示
巨大高精細の半島写真

知床半島は全て火山列で形成され、摩周湖・屈斜路湖に繋がる
常設展示室入口 知床の断崖に埋め込まれたモニターに
知床にこんな絶景があったとは知らなかった
千島小浜菊
バシクルモン
ウミウ

 05知床へのいざない
 知床半島は日本列島の北東の端。鋭くくさびのようにオホーツク海に突出しています。
何億年か前、激しい火山活動でこの大地は生まれ、不毛の岩山に永い永い時が流れて木々は緑の森をつくりました。
 我々の祖先が、初めてここを訪れたとき彼らは何を見たのでしょうか。
断崖に打ち寄せる大波、森に吠える獣たち、空に鳴き交わす鳥の群れ、そして、時折頭上高く噴煙を上げる火山。
原始の知床は荒々しく、人々に不安や恐れを感じさせたことでしょう。
 やがてここに住みついた、たくましい人々によって知床は開かれていきました。
いま、私たちは断崖の鳥を調べ、山頂に小さな植物を訪ねることができます。
しかし知床はまだまだ未知の世界。広大な半島には人を寄せ付けぬ大自然が生命の時を刻み続けています。

知床へのいざない
おもしろい図法の地図
 
 


 10地学
 11VTR知床半島の生い立ち
知床半島の生い立ち
解説用ディスプレイ
「プレート運動と火山」を選択すると

太平洋の海底が北海道の下に沈み込み、マグマが発生します。

太平洋プレートは斜めに北海道に衝突しているため、火山は雁行配列をしています。知床では3つの活火山が活動しています。
知床半島の活火山
 知床硫黄山
 羅臼岳
 天頂山


 12知床半島の生い立ち
知床半島の生い立ち
約800万年前
知床半島は約860万年前の海底火山活動から始まります。
溶岩が海水で急冷され、細かく砕けた火山砕屑岩(さいせつがん)や、
泥岩などの堆積岩が形成されました。
陸上火山活動
約50万年前
 火山活動は約100万年前に陸上へと移り、半島基部に海別岳(約50万年前)斜里岳(約28万年前)が生まれました。

 13岩石の移り変わり
膨大な岩石標本 岩石の移り変わり
岩石の移り変わり
大陸を形成する軽い岩石安山岩(浅い位置から吹き出す)

海底を形成する重い岩石玄武岩(深層から吹き出す)
 15半島を形成する岩石
斜里岳、武佐岳
第四紀火山岩
半島を形成する岩石

知床の断層帯
プロピライト/変朽安山岩
集塊岩
遠音別岳・羅臼岳
硫黄山・知床岳は
第四紀火山岩
各所の岩石サンプル
 17
知床硫黄山新噴火口の硫黄針状結晶 未撮影
花崗岩のプレパラート
 
 20斜里岳の形成
斜里岳の形成史
100万~12万年前
知床連山の噴火史
3700年~70年前
 30化石
 31化石
主な知床の化石は約1500万年前の新第三紀中新世越川層に産出し、個体数が多いのに種類が少ない特徴がある。
現生種はオホーツク海、北海道などの冷水海域に住んでいる。


二枚貝化石
ルシャ川中流

二枚貝化石
ルシャ川中流

巻貝化石
峯浜町近辺

二枚貝化石
ルシャ川中流
 
 33鉱石
知床の鉱石は火山と密接な関係がある。
例えば、火山ガスが冷えた硫黄、地下のマグマによる黄鉄鉱の熱水鉱床、そして火山岩中の鉄が水に溶け再沈殿した褐鉄鉱。


黄鉄鉱鉱石
新ウトロ鉱山
金・銀・銅・亜鉛・錫
ウトロ潮見台温泉ボーリング

方解石
砂鉄(斜里前浜
鯨類肋骨化石
遠音別
鯨類肋骨化石
(遠音別)
硫黄
菱鉄鉱
産地不明
褐鉄鉱limonite
産地不明
鉄ミョウバン石
産地不明

 37知床硫黄山
 大量の溶融硫黄を噴出した知床硫黄山に行こう!
 知床硫黄山は、知床半島中央部に位置する活火山です。大量の溶融硫黄を噴出することで知られています。最後に噴火したのは1936年のことで、116,523トンもの溶融硫黄が北西中腹にある1号火口(現 新火口)から噴出し、近くのカムイワッカ川に流れ込みました。
 硫黄は、その後採掘されてしまいましたが、今でも硫黄片を見ることができます。

 

 40斜里平野の生い立ち
 斜里町平野には12万年前に始まる屈斜路火山の火砕流が厚く堆積しています。2万年前の氷河期には山麓部の溶岩や火砕流が川で浸食され、段丘面や山麓扇状地をつくりました。
 6000年前には温暖化により、海水が内陸まで侵入し(縄文海進)、その後の寒冷化による海退で海岸線に砂丘が生まれましたが、砂丘の内側には湖が生まれ、現在は干拓され斜里平野となっています。

屈斜路火砕流堆積物
2019/3/20中斜里
鳴き砂
花崗岩起源・
火砕流起源
 



 100考古展示


 102来運遺跡 北海道斜里郡斜里町来運
来運1遺跡は、斜里岳の北側山麓を流れる河川の左岸に位置する縄文時代の集落跡です。
2004年の発掘調査の際に、約3800年前の建物跡が見つかりました。
その建物跡は、竪穴住居のように床を掘り込まず、平坦な土地を床にして、屋根を葺いたものでした。
火災に遭ったために屋根の木材が良好な状態で残されており、建物の構造がわかる貴重な例として、周辺を町の史跡に指定しました。
Raiun 1 historic site is one of the historical spots of the Jomon period, which is located in the left bank of the Shari River running from the Mt.Sharidake. This historic site was discovered by the excavation in 2004 and revealed that the site is composed of several former dwelling sites of Jomon-jin people approximately 3,800 years ago. The floor of the dwellings was flat unlike the pit dwelling (Tateanashiki-jukyo). The pillar of the dwellings remained good conditions to know the detailed structure of dwellings because those experienced a fire.The site is protected and designated as a historic site.

来運1遺跡
来運1遺跡
畑だらけの中の一軒家が隣の空き地を耕作しようとして、この遺跡を発見し通報したのに違いない。
偉い人ですね。多くの遺跡が簡単に破壊されているのに、通報し、現在も埋め戻して保全されています。
 賛辞を送りたい!
焼失住居平面図 平地建物(屋根材)の
 平面図
■指定:町史跡
■時代:縄文中期
■種類:集落跡
屋根材の残存材
こまかく垂木を縦横に組んでいたことがわかる。
土葺屋根なので内部から出火し、炭窯のように完全に炭化したようだ。
 
 ※資料 来運1遺跡 
  遺跡上空の写真。 縄文時代中期末 約3800年前。 土葺き伏屋式平地建物。 
建物構造で、
「土葺き」
 屋根に土をのせて保温と雨水の流入を防いだのでしょう。
「伏屋」
 屋根が低い建物となっている。これまで、初期の開墾住居や、猟師小屋、などで見てきた、柱のない屋根だけを組んだ住居と考えられる。
 上の平面図では柱穴はなく、住居範囲が長楕円形なので、屋根の中心構造材「棟木」に周囲から垂木をさしかけて結び、何人かで押し上げて
 立体の断面三角形の屋根にし、周囲の垂木の端を埋め込んで横材を多数結んで安定させ、ヨシズなどを被せ、更に束ねたヨシなどを並べ、
 最後に土を置いたのでしょう。
 但し、上の図面では柱穴はない代わりに、炉跡もない。
「平地建物」とは、
 地面を掘り込まない建物。これがどんな効果があったのかはわかりませんが、何しろ極寒の地ですから想像するしかありません。
 
 ※考察 伏屋式建物
 ここにご紹介するのは、八戸市立博物館の「根城(ねじょう)」という中世の戦国以前の城郭復元施設にあった布施屋です。
ここでは使用目的が納屋ということで、若干掘り込んでいるため、と復元上土葺きにはできなかったため、茅葺です。
 味噌蔵・しょうゆ蔵・漬物蔵といった建物は、温度変化を嫌うため、このような地中に近い環境で保管します。今は醤油も完成後火を入れて麹菌を殺しますが、当時はおそらくそのままだった(確か江戸時代に火入れを始めたと記憶)でしょうから、低温・一定温度・一定湿度の環境を作るための工夫と思います。

 札幌市では水道管を敷設する時には凍結線である60cm以下に埋めるそうです。網走市は80cm 女満別は100cmだそうです。 すると、来運1遺跡の地上式伏屋も冷蔵保存を目的とした建物であった(土を掘り下げると温度が上がる)と思われ、何を保存したかはわかりませんが、10月頃には氷点下を迎え、建物の入口を一晩開けておけば、冷蔵倉庫となり、そのまま外気温と共に庫内も冷却され、初夏まで氷室状態が続いたことでしょう。これは、モンゴル遊牧民の行なっている智恵と同じです。

 ※参考資料 「八戸市根城 伏屋式建物」
八戸市根城本丸跡 納屋
納屋内部 伏屋
この上に土を被せる

定温のため小さな入口

棟持ち柱はある。凍結防止と定湿度、広く使うために地面を掘り込んだ。

 103来運1遺跡発掘調査写真 
来運1遺跡
土製品の出土 平地建物跡の屋根材 かなり大きな建物で周囲の小屋と比べればただの建物ではないことがわかる。 海に近く、川岸であることから、サケマスの遡上に備えての建物かな。
鮭漁期は9~11月
鱒漁期は3~4月
・サケマスの干物作り用の乾燥小屋?
・集団の寝泊まり?
・道具置き場ってそんなたいそうな道具はなかっただろう!
しかし、炉がない建物で居住場所ではない!
 

 105ビデオ教材 「知床の遺跡」 より

 106来運遺跡

平地式建物跡
約3800年前
火を焚いた跡が無く住居以外の利用

屋根材
火災に遭ったため、木材が炭化し奇跡的に保存されていた。
※火災の原因
 炉もなく火を焚いた跡もない建物がなんで焼失したのだろう。
老朽化か、不用になって火を放ったのかな。
 北海道の竪穴住居群が膨大な数を残していて、再利用されないのは、先住者への敬意、ならば、ゴミ捨て場にはしないはず。土葺竪穴住居の掘り起こしと古材の廃棄や住居跡の汚染を整理するよりは、スパっと新穴、新材で作った方がよかったのかもしれない。土の乗った大きな倉庫を回収するのは割に合わなかったのでしょう。だから燃やした。

 107朱円周堤墓群(斜里朱円周堤墓) 斜里町朱円 縄文後期 約3200年前
 朱円=地域の名
 周堤墓=周囲に土塁を築いた墓群がある。。
 周堤墓群=直径28m と32mの周堤墓が二つあるので墓群。

 時代=縄文後期 約3200年前
 形態=丸い川原石を小さな円に並べた墓(配石遺構)が複数ある。同じ形態なので同じ集落や同じ親族の墓と思われる。
 副葬=人骨と共に土器・石器・編布・装飾品などが出土。

朱円周堤墓群

縄文後期の集団墓地

A号周堤墓
 直径28m
 墓数20基以上
 年代約3千年前

副葬品

B号周堤墓
 直径32m
 墓数 1基以上
 年代約2800年前

 朱円竪穴住居群  斜里町朱円 縄文中期から擦文時代 約700の住居跡
  海岸砂丘状の国有林内にある。現在は落葉広葉樹林内となっているが、おそらく当時も似た環境だったのでしょう。
  周囲の植生はカシワ・イタヤカエデ・トドマツといった樹種でこれは、海風環境下における天然生樹木であり、防砂林としての機能を有している。
  強風と飛砂甚だしい場所に、縄文中期から続縄文期を経て、擦文人、オホーツク人が住み、アイヌ時代のチャシもすぐ近くにある。
  数千年に渡って様々な人々が住み続けた、厳しい環境でありながら、住みやすい土地でもあったようです。

朱円竪穴住居群
 縄文~擦文時代の
 大規模集落

朱円竪穴住居群
竪穴住居の窪み
自然環境の影響で、埋まり切らずに凹みとして残されている。

※まだ無数にあるようです。

 108チャシコツ岬上遺跡 斜里町ウトロ
  最盛期は オホーツク文化終末期 11~13世紀とされているが、出土遺構は8~9世紀末のものとされている。ちょっと意味わからない。

 ※考察 知床のオホーツク人
※オホーツク文化期の遺跡である。(初期3~4世紀末、前期5~6世紀末、中期7~8世紀末、後期9~10世紀末、終末期11~13世紀末)
標高55mの海岸段丘の狭い岬の上に8~9世紀(中期中葉~後期前半)の竪穴建物31、墓、廃棄場が密集する。
 海獣狩猟や漁撈を生業とし、古代本州との交易も行ない神功開寶(765年鋳造)も出土した。
 ヒグマの骨塚を持つオホーツク文化の建物跡が出とする中で、トビニタイ文化期の遺構が見られるという。
 トビニタイ文化期の遺構とは建物跡の意味と解釈し、
  この時期の建物はオホーツク文化期の5~6角形の大型建物ではなく、
  擦文文化の円形竪穴建物でした。資料大空町(女満別元町遺跡)のトビニタイ期復元住居
 アイヌ語 チャシコツ=砦跡の意味

※オホーツク人はこのような内陸人(続縄文・擦文人)には住みにくい、住む意味のない場所に拠点を設けている。枝幸町でも同じ。
これは、内陸性の続縄文人との軋轢があり、防衛のためと、海上交通の利便さからあえてこのような場所を選んだようです。ということは周囲には続縄文・擦文人が次第に文化力を高め、武力を増強して攻撃性を顕著にしていたのでしょう。

※人間はビタミンCを必要とします。オホーツク人はどのようにして摂取していたのでしょう。彼らの食生活からすると、エスキモーと同じ方法だったと思います。つまり、動物の血液や、生肉を食べたり飲んだりしていたと思われます。そうでないと、幕末に北方警備に送り込まれた○○藩士のようにたちまち病気になって死んでしまいます。
 オホーツク人が冬場に海獣狩猟をするのは、このためですね。エスキモーも全く同じ。環境が食生活や生業を決定づけているようです。


オホーツク文化終末期の大規模な集落跡

遺跡の範囲
(小さな半島の上。なぜここに。水も不便だし。)

31軒の竪穴住居跡
 オホーツク文化期の竪穴が密集して築かれる

竪穴住居跡(6角形)

オホーツク人の食物
廃棄場で、ニシン・サケ、トド・アシカの骨が多く見つかった

調査は2016年

遺跡内にはヒグマの
冬眠穴もあった

国指定史跡
 チャシコツ岬上遺跡

北海道指定史跡
 朱円竪穴住居群

北海道指定史跡
 朱円周堤墓群
斜里町指定史跡
 来運1遺跡

 109来運1遺跡
斜里岳
来運1遺跡

猿間川

縄文時代中期の集落跡

発掘地点

火を焚いた跡が見つからないため、住居以外の利用を想定

平地式建物跡
約3800年前

屋根材
火災で木材が炭化し、奇跡的に保存された
 
 

 110朱円周堤墓出土物 縄文後期
 111
朱円周堤墓出土物 装飾品
左端:人の歯かも
黒曜石製石器
右3点:サメの歯

平玉
翡翠製玉飾り

 112漆器片(櫛の破片) 
 古代櫛の破片ではなく、和櫛でしょうか。 北方から来たのか、本州から来たのか。

 石斧・ツマミ付きナイフ 朱円周堤墓出土
石斧朱円周堤墓・石匙
縄文後期
石匙orつまみ付きナイフ

 113炭化物
炭化種子 ドングリ
炭化織布
捩じって撚りをかけた繊維=糸

()てに揃えた糸を、緻密にではなく、かなり粗い間隔で横糸を通して編まれている。

紡錘車か指で撚糸(ねんし)した
原始機(げんしばた)か、アンギン編み機で織ったか

 114耳栓型 耳飾り(耳垂飾) 朱円周堤墓 縄文後期
耳栓型耳飾り 耳栓(耳垂飾)

 115石棒 朱円周堤墓 縄文後期
石棒


 ※研究 北海道の石棒
縄文後期の石棒
 北海道の石棒を検討すると縄文後期の千歳市キウス周堤墓1点の石棒が有名です。また、恵庭市の柏木B遺跡環状土籬から12点、斜里町朱円周堤墓の3点も縄文後期です。
 これらは新しい墓制である周堤墓や環状土籬といった土手で囲った墓地文化と共に急速に北海道を西端から東端へ渡っていったのでしょうか。


引用「北海道における周堤墓の分布」
周堤墓・環状列石
赤点は石棒出土
周堤墓・環状列石
赤丸は石棒出土
  北海道では13遺跡66基+αの周堤墓が確認されています。 
周堤墓1~9は北海道西部石狩低地東端の斜里・標津に集中しており、この文化が
苫小牧から石狩低地に入り、5芦別市を通って斜里・標津に至ったかのようです。
またよく似た石棒が出ていることから、石棒付きで文化が広がったとも考えられます。

 石棒と周堤墓は別の文化で、個別に持ち込まれて、13恵山岬当たりから舟で交易材としていたものが、苫小牧で目新しい二つが一緒になり、また、日高沿岸や余市といった遠方には二次的な交易で広められたのかもしれません。

縄文中期の石棒
 引用「下郷町湯野上遺跡出土の端部彫刻石棒」
 後晩期の石棒が有名ですが、中期中葉と中期後葉の石棒があるようです。
中期中葉の石棒
 東北北部を中心に北海道西南部から山形県まで分布する無頭の端部に陽刻で同心円状の高まりを表出する石棒
 北陸・飛騨地方を中心に東北地方日本海側まで分布する側面に陽刻で鍔をめぐらす石棒、
 これらは中期中葉頃に東日本の日本海側に対峙して分布する個性的な石棒です。
中期後葉の石棒
 端部に同心円や十字状の彫刻をほどこす無頭石棒を「端部彫刻石棒」と呼称しています。
多孔質安山岩、流紋岩を多用し、中期後葉(大木8b~榎林式土器)に、東北北部を中心に北海道西南部から山形県まで広範囲に分布した。
 南限は、日本海側が山形県であるのに対し、太平洋側は岩手県北上川中流域和賀川付近までのようで、時期は前後しますが、円筒上層式や十腰内1式土器などの分布と似ていることなどを指摘しています。
 また、北陸飛騨地方を中心に広がる彫刻石棒や鍔をもつ石棒が、東北地方日本海側にも点在することから、端部彫刻石棒の成立にこのような石棒の影響が介在した可能性を示唆しています。

縄文中期の石棒が私の目についていないだけで、実は北海道には東北地方の土器文化と共に石棒も多く流入していたようです。


 116栗沢式土器 縄文後期末 朱円周堤墓出土
   ※栗沢式土器及び栗沢遺跡は不明。朱円周堤墓関連でしか出て来ない。謎の土器型式。
 ※東北地方北部の亀ヶ岡式の影響を受けた土器のように見えますが。
 117
 ※列点を打つのは北海道の伝統的な施文方法でしょうか。
 118石臼
石臼
 

 120斜里朱円周堤墓群
斜里朱円雌雄堤墓群
A号・B号
A号の内部
配石が整然と並んでいる集団墓地

 125朱円周堤墓
周堤墓とは、周囲を掘りくぼ め、円形に築いた土堤の中に死 者を埋葬した縄文時代の墓地の ことです。 斜里町朱円には、 2 つの周堤墓があり、 どちらも墓 の上部には石が集められていま した。 墓からは土器や石器のほ か、ヒスイの玉や漆塗りの櫛な どが見つかりました。特に、 炭 化した繊維製品は、 縄文時代の 布としては国内初の出土例であ り、古くから注目されています。
The earthwork burial circle is a communal grave in the Jomon period. Jomon-jin excavated soils and constructed a bank in a circular shape, and they buried dead bodies into grave mounds built inside the circular embankment. There are two earthwork burial circles in Shuen, Shari Town. Many stones are placed on the top of the grave mounds. Grave goods such as earthenwares, stone tools, jadeite beads, and Urushi lacquered combs were found from this site. This historic site is famous for the carbonized textiles of the Jomon period discovered the first time in Japan.

朱円周堤墓群
縄文時代の大規模な集団墓
朱円周堤墓群
Earthwork Burial Circles
朱円周堤墓群の平面図
二つの周堤墓
北海道指定史跡
縄文時代後期
墳墓
庶民用A号周堤墓の配石遺構と 首長個人用B号周堤墓
既に権力差が著しい。羅臼博物館でも貴族女性の墓が出土している。時代は違うが
 

 リーフレットによる
 130道東地域の縄文土器 解説

 131縄文早期
  土器の形と文様の美 その1
1. 縄文早期・沼尻式土器早期の貝殻文平底土器
   (ウトロ地区幌別川口遺跡出土)
写真1-b: 横線は貝殻の縁を押し付けたのでギザギザの線になっています。
2. 縄文早期・コッタロ式土器類似資料
        (平底で縄文や絡条体圧痕文を施文)
   (朱円東地区オクシベツ川遺跡出土)
写真2-b: 文様の縄目の中心に軸となっ た縄の線が見えます。これは 写真3のような自縄自巻の縄 を使ったと思われます。
写真2-c: 自縄自巻を復元した原体。
13. 縄文早期・ 嘉多山タイプ土器類似資料
(峰浜地区ポンシュマトカリペツ9遺跡出土)

写真3-b : 細い粘土ひもを2本貼り付けている
のに注目してください。
4. 縄文早期・トコロ14類式土器類似資料
(大栄地区大栄1遺跡出土)

写真4-b:丸い穴は植物の茎(中空) で突いたものです。 下部 に見える薄い線は植物の 束で引っかいたものです。


 器のかたちと文様の美 その1・縄文早期
土器の形と文様の美
その1 縄文早期

土器のかたちと文様の美 その1・縄文早期 博物館のひろばNo.94

1万数千年前の昔から試行錯誤を繰り返し、人々によって造りあげられてきた土器には製作者の思いや情熱が注がれ ています。そこで、その土器のかたちや文様に残された思いや創造力について、道内でも屈指の遺跡数を誇る斜里町か ら出土した土器に焦点を当て考えてみます。
縄文土器とは縄文時代 (1万数千年前から2千数百年前)に製作・使用されていた土器の総称です。 現在、 縄文時代
(の文化)は土器形式の変遷により、 草創期 (約1万数千年前~10,000年前)、 早期 (~約6,000年前)、 前期 ~~約 5,000年前)、 中期 (~約4,000年前)、 後期 (~約3,000年前)、 晩期 (~約2千数百年前) の6期に区分されています。 最近では市町村単位で炭素同位体年代測定などの年代を時間軸の絶対基準とし、それに地域ごとの土器編年や文化的特 徴を加味し、より詳細な地域密着の時期区分がおこなわれています。
 町内では、草創期を除く縄文早期から晩期の土器が確認されています。 これらの土器のかたちや文様などから各時期 を見分けるポイントと、その中に秘められている面白さについて時代を追って解説します。

1. 縄文早期の土器
 縄文早期の古手の土器群は、東北地方や道南地域の貝殻文沈線文系の尖底土器群と道東地域の平底土器群とにわかれ ます。尖底土器群は移動性重視、 平底群は定住性と考えられており、生活形態の差が土器にあらわれたものと考えられ ています。

1) 貝殻で文様を描いた土器
 多くは二枚貝や巻貝の腹縁部や放射肋、 殻頂部を用い、 押したり引いたりして文様を付けています。 代表的なものに 沼尻式土器があり、町内ではウトロの幌別川口遺跡などから見つかっています。博物館に展示されているもの(写真1-a, 1-b)には、4つの山形突起が非対称の位置に付いている深鉢の貝殻腹縁文を器面全体に付けた平底土器があります。 土器の器形や文様は対称にすることが多いのですが、 沼尻式土器には突起が5つという奇数のものも多く、故意に非対 称形としているところが造り手の意図を強く感じるところです。また、文様の道具として利用された貝が放射肋の明瞭 なものであり、 どこに生息するどんな種類であるかも含め当時の生活を推察するのも面白いのではないでしょうか。

2) 縄で文様を描いた土器
 縄は繊維の束をいくつか撚り合わせたもので、その縄を利用して施された文様を縄文と呼んでいます。 狭義でいう縄 文は縄自体を転がした斜行縄文(回転縄文)を指し、 広義では縄を押し付けた押圧縄文・撚糸圧痕文のほか、 枝などの 軸に撚り紐を巻き付けた施文具(絡条体)を押圧した絡条体圧痕文と絡条体を回転させ施文した撚糸文なども含んでい ます。 代表的なものに東釧路III式土器がありますが、現在までのところ町内では破片資料が見つかっている程度で、 生 活の痕跡は発見されていません。 この東釧路III式土器に続く土器にコッタロ式、中茶路式土器がありますが、町内朱円 東のオクシベツ4遺跡からはこのコッタロ式土器に類似するものが出土しています (写真2-a, 2-b)。 自縄自巻の縄(縄 を半分に折り、 一方をもう一方の縄に巻き付けたもの:写真2-c)を押圧し文様を付けています。形態上、絡条体圧痕 文ですが軸を自分の縄としている点が面白いところです。

3) その他の道具で文様を描いた土器
 その他の道具には指や爪、歯、骨など体の一部や棒状に加工した工具を利用したもの、 粘土そのものを貼り付け文様 としたものなど、 おそらくまだ知られていない数多くの道具があると思われます。 それらを押圧したり引いたり、 回 転させて文様を付けています。 町内峰浜のポンシュマトカリペツ9遺跡からは、棒状工具を使い短刻線や沈線文を描き、 さらに細長い粘土からなる微隆起線文をも付け加えた土器が出土しています (写真3-a, 3-b)。 とても薄い土器で、 網走市 の嘉多山4遺跡からまとまった土器資料が出土しています。 町内では現在のところ峰浜からの出土例があるだけです。 棒で線を引いたり、 突いたり、 刻んだりは一連の流れと思われますが、 粘土を貼り付け隆起線を作るという更なる発想 は造り手の思いが感じられます。
 また、町内大栄の大栄1遺跡からは植物の茎(中空のもの)を刺突したり、沈線文に利用したり、いくつかを束にし て条痕文とした土器が出土しています (写真4-a, 4-b)。類例には常呂町の朝日トコロ貝塚出土第14類土器があります。 貝殻もそうですが、身近にある植物を使い道具とすることはごく自然なことに思われますが、出土する遺跡が限られて いる(見つかっていない?)のはなぜなのでしょうか。 (松田 功)

  132縄文前期~中期
  土器の形と文様の美 その2
1. 縄文前期・ 朱円式土器
(峰浜地区ポンシュマトカリペツ9遺跡出土)
写真1-b: 回転押型文の拡大写真
写真1 : 回転型文の施文工具とそれに よって付けられた文様
2. 縄文前期・綱文式土器 (大栄地区大栄6遺跡出土)
3. 縄文前期・ 朱円式土器 (大栄地区大栄6遺跡出土)
4. 縄文前期・ 朱円式土器 (大栄地区大栄6遺跡出土)
写真2: 底が丸い土器。 太い縄を押し 当てている。
写真3: 底が尖っている土器。うっすら と回転押型文が見られる。
写真4 : 乳房状の底の土器。縦方向の撚糸文が見られる。


5.縄文前期・朱円式土器(大栄地区大栄6遺跡出土)

写真5-a: 土器に残された撚糸文の拡大写真。
写真5-b: 撚糸文の施文工具とそれ によって付けられた文様。
6. 縄文中期・トコロ6類式土器(峰浜地区峰浜海岸1遺跡出土)(北筒式
写真6-b : 口縁部拡大写真
写真6-c: 押引文の施文工具とそれに よって付けられた文様。

7.縄文中期・トコロ5類式土器 (町内楓ヶ丘遺跡出土)
写真7-b: 口縁部拡大写真 写真7-c: 胴部に見られた縄の端を結んだ痕(結束) 1
写真7-d: 写真上部は縄を2本合わせ結んだ痕、
     写真下部は縄の片方をもう片方に結んだ痕。


 土器のかたちと文様の美 その2・縄文前期~中期
土器の形と文様の美
その2


土器のかたちと文様の美 その2・縄文前期~中期  博物館のひろばNo.95

2. 縄文前期の土器 

 道南地方の縄文前期土器は縄文早期以降、東北地方の影響をさらに受け、平底の円筒式土器が主となります。一方、 道東や道央など他の地域では尖底や丸底を主とした土器群が先行し、その後、平底土器へと変化していきます。この時 期も早期同様、縄や紐以外に多くの道具を使って文様を描いています。 中でも注目して欲しいものとして、 枝などの棒 状の工具に幾何学的な文様を掘り込み、それをスタンプのように土器表面に押し付けてみたり、あるいはそれを転がし たりして文様を付けたものがあることです。また、かたちでは道南部や本州では縄文早期からすでに出現していますが、 土器の底が平らではなく、不安定な丸や尖った底のものが見られるようになることです。本州の中部地方以西では縄文 早期の頃にこのような押型文系の尖底土器が出現しているのですが、 北海道の押型文土器は、本州のとは違った土器と して考えられています。

1) 棒状工具に刻み目や幾何学模様を描き転がした土器
 棒状工具に矢羽形の文様を刻み込み、 それを回転し、押し付け、 文様を描いています (写真1-a)。 縄や紐などが棒に 変化したものと考えられます。代表的なものに朱円式土器があります。町内の朱円ではじめて確認され、朱円という地 名が付けられた土器です。町内では峰浜、大栄でも見つかっています(写真1,3~5)。 根室市でも似た文様の土器が温 根沼周辺で見つかっていて、 温根沼式土器と呼ばれています。
これらの土器は丸底(写真2)であったり、あるいは、尖底(写真3)や乳房状底部(写真4)であるため、地面を掘 って埋めるか、石などで支えたりしなければ自立できません。なぜ、このようなかたちの土器が造られたのでしょうか。 陶芸をやられている方にたずねたところ、 丸底の土器は平底のものより煮炊きする上で熱効率がとても良いのだそうで す。全ての土器が煮炊きに使われていたとは考え難いですが、このようなことは生活体験を通じて獲得した技術なので しょうか。

2)棒状工具に縄を巻きつけて文様を描いた土器
 繊維束を撚り合わせ作られた縄を棒状工具(軸)に巻き付け回転させて文様を描いています(写真5-b)。このような 文様は撚糸文と呼ばれています。前述の朱円式土器の中にも見られる文様です。縄を巻きつける間隔や太さによっても 文様の雰囲気が違って見えるところが面白いところです。

3) 縄や紐を押し付けて文様を描いた土器
 様々の太さの縄を押し当てて文様を付けている土器があります。 網走の大曲洞窟遺跡では綱のように太い縄を用 いているものがあり、 綱文式土器と呼ばれています。 町内では朱円や大栄から類似の土器が見つかっています(写真2)。

3.縄文中期の土器
 この時期になると道内の土器群は東北地方の影響をより一層受け、かたちはほぼ筒型平底土器に画一化します。 文様 は縄を転がすものが主となりますが、一方では刺突文を積極的に文様要素に取り込んでおり、 北海道の地域性が発達す る時期とも考えられています。縄以外には、断面が円あるいは竹管状の工具や指先を押し付けた刺突文、棒・板状の工 具を押し引いた押引文 (写真6-b, 6-c) のほか、 紐状の粘土を貼り付けた文様なども見られるようになります。

1)円形、竹管状工具を用いて文様を描いた土器
 縄文中期の土器は筒型のかたちであることは述べましたが、ここで少し土器の部位について解説します。 筒型は円筒 や鉢および深鉢形に分類されます。筒や鉢形の構成部位は大きく口、胴、底に区分され、さらに口の部分は文様が最も 複雑化することが多く、 口唇部と口縁部とに分けて説明されることが多いようです (写真7-a)。 縄文中期の土器を観察 すると、文様が華やかな部位は口唇部と口縁部とで、突起や肥厚帯(粘土を貼り付け厚くしたもの)を付けています。 また、口縁部には縄文を指や工具などで故意に消した無文帯を設け、棒状の工具などを押し付けたりもしています(写 真7-b)。一方、胴部や底部は縄を転がしているだけのものが多く単調な感じがします。 代表的な土器は北筒式(北海道 筒型)土器と呼ばれ、道東(釧路方面)や道東北(オホーツク海方面)地域などで、それぞれ形式分類されています。町 内の至るところから見つかっていますが、海岸砂丘より台地や丘陵地で見つかることが多い土器です。 博物館で展示し ているものの中に、トコロ5類式土器があり、口縁部に草の茎を押し当てた円形刺突文が観察できます (写真7-b)。こ の径はおおよそ15~20ミリあり、比較的大きな植物の茎か枝と考えられますが、 何でしょうか。

2)縄目が特異な土器
 写真6-a7-aの土器胴部を観察すると、 鳥の羽状に縄が転がされており、このような縄を羽状縄文 (写真7-c)と呼ん でいます。縄の端部をしっかりと結んでいなければ転がすうちに解けてきます。このため、解けないよういろいろな結 び方をするのですが、写真7-aの土器の場合、片側の撚り縄をもう片方の縄に巻き付けて結んでいることが土器表面に 残された痕跡に観察できます (写真7-c)。 このように、 土器の表面に残された縄結びの痕にも土器製作者の癖が見られ ます(写真7-d)。 縄文と一言で表されることがありますが、縄は調べれば調べるほど奥の深い、芸術性をも秘めた面白 い道具であると思いませんか。 ( 松田 功 )
 
 

 133考古リーフレット2

 134石器はどこから
石器はどこから 黒曜石の産地

赤井川・白滝・置戸
十勝三又
石器にはいろいろな石が使われますが、中で も黒曜石はガラス質で加工しやすいため、 よ く使われました。 知床では良質の黒曜石が算 出されないので、 多くが100km以上離れた白 滝や置戸地域から運ばれてきましたが、 どの ようなルートを通って持ち込まれたかはわか っていません。

 土器のちがいに注目
土器には時代によって異なる特徴がみられま す。 各時代の土器の特徴を比べてみてください。
土器のちがいに注目
縄文時代の土器 (右) や続縄文時代の土器 は、縄を転がしたり、 押して文様をつけて います。

擦文式土器は、へら などでつけた刻み 縦・横・斜めについた線の跡が特 徴です。

オホーツク式土器 は刻み目とひも状 の粘土をつけた跡 が特徴です。
 136旧石器・縄文文化
北海道最古の遺跡
越川遺跡から出土した細石刃
旧石器時代
B.C.30000-B.C.12000
北海道最古期の遺跡
知床では、二万年以上も前から人々の暮らしが 営まれてきました。人々は定住せず、氷河期の影 響で南下したマンモスやナウマンゾウなどを追 って移動しながら生活していたと考えられま す。この時代には土器はまだ作られず、黒曜石の ナイフや槍の先などの石器が出土しています。 特徴的なのは、細石刃と呼ばれる薄くて小さな 刃の石器で、シカ角や木製の槍の先につけて使 われたと考えられています。 斜里町では約 23,000年前の越川遺跡から細石器や細石刃な どが見つかっており、 北海道内最古期の遺跡と されています。
10000年続いた文化
焦げたどんぐりや繊維片
朱円周堤墓からの出土品
縄文時代
B.C.12000-B.C.200
10000年続いた文化
斜里町では、約8,000年前ごろの縄文早期から 人々が竪穴住居を作り、定住生活を送るよう になりました。このころは、シカなどの動物や 魚を捕獲し、貝や野生の植物などを採集して いたと考えられています。 今から約3,500年前 の縄文後期の斜里朱円周堤墓群からは、土器 や石器のほか、 人骨とともにヒ スイなどのアク セサリーや漆塗 りの櫛、石棒、 炭 化した織物片や ドングリなどが 見つかっています。
鉄器を使い始めた人々
ウトロ遺跡から出土したアクセサリー類 縄文時代
B.C.200-A.D.600
鉄器を使い始めた人々
稲作が本格的に導入された本州の弥生時代と 異なり、北海道では縄文時代と同じような生活 が行われていたので1世紀から約800年間は 続縄文時代とよばれています。 この時代に鉄器 が本州から流入し、石器と鉄器の両方が使われ ていました。 また、縄文時代末期より一層 豪華な品物をともなった墓がつくられるよう になりました。斜里町ウトロ遺跡の墓からは琥 珀の玉や石製の勾玉などが見つかっています。
 138オホーツク文化
オホーツク人の交易 オホーツク人の交易 オホーツク人の交易
チャシコツ岬上遺跡から1枚の古銭が発見さ れました。それは今から約1,200年前に畿内 で生産された神功開寳と呼ばれる貨幣です。 この発見によって、北海道に暮らすオホーツク 人と本州の古代国家との交流の可能性が示 されました。古銭や刀子などの本州製品の見 返りは、ヒグマやアザラシの毛皮だったと考え られます。
2つの熊送り
猟熊送り場(千歳市美笛)
2つの熊おくり儀礼
ヒグマはアイヌ語でキムンカムイ(山の神)と 呼ばれ、最高位に位置づけられています。 人 々は山の神から肉や毛皮を享受した後、盛大 な祭を行って霊を送り返すことで、再びこの 世を訪れてくれると考えたようです。
このように、カムイ(神)の霊を天へと送る一 連の儀式をイオマンテといい、ヒグマの場合 は主にコタンにて飼育した仔グマを対象とし た儀礼を指します(飼熊送り)。 ただし、狩猟 で得た成獣や亜成獣を猟場近くの岩陰など で送る場合もあります(猟熊送り)。 つまり、ア イヌの熊送りには飼熊送りと猟熊送りの2つ の形態があることになります。
 139
石でつくられたヒグマの彫刻
石で作られたヒグマの彫像
オホーツク文化期 5-9 世紀
海に生きた民族
5世紀中頃、サハリン南部から北海道へと渡っ てきた海洋狩猟民族がいました。 彼らはオホー ツク文化と呼ばれる独特な文化を持ち、動物に 対する信仰心がありました。 その生活は海洋資 源に強く依存し、クジラやアザラシなどの海獣 類だけでなく、サケやニシン、タラといった魚類 も多く獲っていたことがわかっています。 しか し、オホーツク文化は北海道では9世紀を境に こつ然と姿を消してしまいます。
町内ではウトロのチャシコツ岬上遺跡に彼ら の集落跡が残されており、 終焉を迎える直前の オホーツク文化の痕跡を見ることができます。

 擦文文化
本州との結びつき
擦文土器 カマド付き竪穴住居跡 擦文時代
7-12 世紀
本州との結びつき
7世紀後半、東北北部からの強い影響を受けて、 道央部や道南部を中心に擦文文化が成立しまし た。 住居にはカマドを備えるようになり、生活様 式の中に本州からの影響が多く見られます。9世 紀頃には、北海道東部にも進出し、次第にオホー ツク文化と融合してゆきます。 その後、12世紀頃 にはシカの儀礼場の位置から神聖な方角の存在 がみとめられ、 ア イヌ文化へのつ ながりが示唆さ れています。町内 ではピラガ丘遺 跡から擦文文化 の集落跡が見つ かっています。

 アイヌ文化
アイヌと日本
アイヌ文様が彫刻された角盆(イタ)
アイヌ文化期 13世紀 -
アイヌと日本
アイヌの人々は北海道、サハリン、 千島列島を舞 台にさまざまな文化を育んできました。 アイヌ とはアイヌ語で人間という意味です。 彼らは文 字を持たず、 口頭伝承によって言葉や物語、 歌な どを守り伝えてきました。 ところが、明治時代に なると日本が北海道の開拓を押し進めたため、 それまでのアイヌの文化や生活に大きく変容し てしまいます。 しかし、彼らの伝統文化は途絶え ることなく、今につながっています。
 
  


 140縄文土器


 141早期 石刃鏃文化の土器
テンネル暁式, 沼尻式, 下頃辺式, 東釧路Ⅰ式, 大楽毛式, 石刃鏃文化期の土器群である引用「十勝地域の縄文土器概観」
トコロ4類土器は竹管文を施文具としており、釧路町テンネルから発見されたテンネル式土器と共通性がある。両者は時期的には近似した時期、ということが可能である。テンネル式土器には、少量ながら絡条体圧痕文の施文された土器の存在が知られている。 引用「札幌市中央図書館」
絡条体圧痕文は浦幌式土器系統であり、北海道縄文人の石刃鏃土器である。北から来た石刃鏃文化人は女満別式土器の押型文である。

テンネル式土器
オライネコタン遺跡
縄文早期
沼尻式土器
縄文早期

沼尻式土器
大栄1遺跡
縄文早期
 142
沼尻式土器
縄文早期
大栄1遺跡
沼尻式土器
縄文早期
大栄1遺跡
沼尻式土器
縄文早期
大栄1遺跡
 143
喜多山式土器
縄文早期
ポンシュマトカリペツ9遺跡
喜多山式土器
縄文早期
ポンシュマトカリペツ9遺跡
喜多山式土器
縄文早期
ポンシュマトカリンベツ9遺跡
シュマトカリペツ9遺跡
 
 150
 151縄文前期に属する土器
    a類:縄文尖底土器・押型文尖底土器など。綱文式・朱円式・温根沼式などに相当するもの。
    b類刺突文土器・押型文平底土器など。網走式シュブノツナイ式などに相当するもの。
 
綱文式土器
大栄6遺跡
朱円式土器
縄文前期
大栄6遺跡
温根沼式土器
大栄6遺跡
縄文前期
朱円式土器
縄文前期
オクシベツ4遺跡
朱円式土器
縄文前期
オクシベツ4遺跡
朱円式土器
縄文前期
大栄6遺跡
朱円式土器
縄文前期
大栄6遺跡

 152縄文中期に属する
  a類:刺突文土器・押引文土器・押型文平底土器など。常呂川河口押型文Ⅰ群、智東式等に相当するもの。
  b類:モコト式北筒Ⅱ式の古段階に相当するもの
トコロ6類土器
中期末-後期前葉
斜里町 不明地
北筒Ⅲ式土器
ピラガ丘遺跡
後期初頭
北筒Ⅲ式土器
オライネコタン遺跡
後期初頭
北筒Ⅲ式土器
ポンシュマトカリベツ遺跡
後期初頭
北筒Ⅲ式土器
遺跡
後期初頭
 
 160
 161縄文後期に属するもの
    a類:北筒Ⅱ式の新段階、北筒式などに相当するもの。
    b類手稲式𩸽澗(ほっけま)式・エリモB式などに相当するもの。
    c類堂林式御殿山式栗沢式などに相当するもの
手稲式土器
縄文後期
オクシベツ川遺跡
手稲式土器
縄文後期
オクシベツ川遺跡
手稲式土器
縄文後期
オクシベツ川遺跡
手稲式土器
縄文後期
オクシベツ川遺跡
ホッケマ式土器
朱円42遺跡
縄文後期
ホッケマ式土器
オクシベツ川遺跡
縄文後期
ホッケマ式土器
オクシベツ川遺跡
縄文後期
堂林式土器
オクシベツ川遺跡
縄文後期

 162縄文時代晩期に属する土器群
   a類大洞BBC式に併行するもの。
   b類:大洞C1C2式、幣舞式などに相当するもの。
   c類大洞A・A´式、緑ヶ岡式などに相当するもの
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
縄文晩期
栗沢式土器
オクシベツ川遺跡
縄文後期
栗沢式土器
オクシベツ川遺跡
縄文後期
ヌサマイ式土器
栄町神社遺跡
縄文晩期
ヌサマイ式土器
斜里町尾河台地遺跡
縄文晩期
 163
北筒式土器
ピラガ丘遺跡
縄文
内藤式土器
ピラガ丘遺跡(秋山)
内藤式土器
ピラガ丘遺跡
内藤式土器
ピラガ丘遺跡
ヌサマイ式土器
ポンシュマトカリペツ9遺跡
縄文晩期
内藤式土器
尾河台地遺跡
内藤式土器
尾河台地遺跡
ヌサマイ式土器
ポンシュマトカリペツ9遺跡
縄文晩期
ヌサマイ式土器
ポンシュマトカリペツ9遺跡
縄文晩期
大洞A式土器
ポンシュマトカリペツ9遺跡
縄文晩期
ヌサマイ式土器
ポンシュマトカリペツ9遺跡
縄文晩期同一反復

no caption
 
 


 180旧石器時代 B.C.30000-B.C.12000

北海道最古期の遺跡 越川遺跡
知床では、二万年以上も前から人々の暮らしが 営まれてきました。人々は定住せず、氷河期の影 響で南下したマンモスやナウマンゾウなどを追 って移動しながら生活していたと考えられま す。この時代には土器はまだ作られず、黒曜石の ナイフや槍の先などの石器が出土しています。 特徴的なのは、細石刃と呼ばれる薄くて小さな 刃の石器で、シカ角や木製の槍の先につけて使 われたと考えられています。 斜里町では約 23,000年前の越川遺跡から細石器や細石刃な どが見つかっており、 北海道内最古期の遺跡と されています。 引用リーフレット

  細石刃の始り

 181細石刃核 越川遺跡 斜里町越川 後期旧石器時代 約23,000年前 二万年前の細石刃様石器

カミソリのような細長い刃を何枚も連続して規則的に剥がすための核。上部には、4枚の刃をはがした痕跡が見られる。
本資料は町内最古の考古資料と考えられる。 
 
細石刃核 細石刃核
越川遺跡出土細石刃
石器
越川遺跡

 183超大型 両面調整石器 斜里町越川 後期旧石器時代
町内の畑地で採取された黒曜石製の石器である。直径40センチ、重量4キログラムを図り、黒曜石の原産地から離れた地点で、これほど巨大な製品が見つかる事は極めて稀である。
大型 両面調整石器
 ※これは尖頭器ではなく、原石からこのように加工し、これを交易品として流通し、これを原石として石器を削り出す。ものであるという。
  確かに、原石のままでは品質がわからないが、ここまで、風化した皮を剥がしてあると高品質な黒曜石であることは一目瞭然である。
  こんなことができるのは、黒曜石の優品が山のようにある白滝だからこそでありましょう。




※資料 超大型両面調整石器

 「日本列島における細石刃石器群の起源」
のなかで、上出の石器を「尖頭器状の完全な「両面体」」と表現して、
  「北海道の細石刃石器群の主体は、削片系湧別方式の細石刃石器群である。削片系細石刃石器群には2者あり、
 尖頭器状の完全な両面体を素材とする狭義の湧別方式を有する札滑・白滝・忍路子型細石刃石器群と、
 非尖頭器状の両面体を素材とする湧別方式の蘭越(役重2012)・美利河型細石刃石器群および剥片・石刃を素材とする峠下型細石刃石器群である」
  と論じている。
  従って、大型の両面調整石器状、いわゆる、「尖頭器状の完全な両面体」 は、削片系湧別方式の細石刃石器群、
  つまり、湧別技法細石刃核の原材料のようである。
 


 184 縄文時代 B.C.12,000-B.C.200

10,000年続いた文化
 斜里町では、約8,000年前頃の縄文早期から 人々が竪穴住居を作り、定住生活を送るよう になりました。このころは、シカなどの動物や 魚を捕獲し、貝や野生の植物などを採集して いたと考えられています。
 今から約3,500年前 の縄文後期の斜里朱円周堤墓群からは、 土器 や石器のほか、 人骨とともにヒ スイなどのアク セサリーや漆塗 りの櫛、石棒、炭 化した織物片や ドングリなどが 見つかっています。  引用館内リーフレット
 

 185尖頭器 オクシベツ4遺跡 縄文時代草創期
打ち欠かれた痕跡が左肩上がりに見えるものは珍しく、本州以西には見られずオホーツク海地域でのみ確認されている。(主語:尖頭器)
北海道における縄文時代草創期の人々の足取りを示す貴重な資料である。
石器類
  尖頭器
オクシベツ4遺跡
縄文草創期 
 
柳葉形
石槍
斜里 縄文
  木葉形
 
削器 縄文 削器(石匙)
ウトロ遺跡 続縄文
 石鏃    
黒曜石・頁岩など使用
     

 186石棒 斜里朱円周堤墓群 縄文後期 約3200年前
石棒
斜里朱円

 187石斧
石斧・彫器・石鏃 異形石器・石鏃
石錐
掻器
石斧
北海道の埋葬形式
これは民族の違いか
 


 200古代・中世の土器

展示土器区分
 
 201続縄文時代 B.C.200-A.D.600  約2500~1400年前(7c頃) (弥生~古墳時代並行期)

鉄器を使い始めた人々
稲作が本格的に導入された本州の弥生時代と 異なり、北海道では縄文時代と同じような生活 が行われていたので1世紀から約800年間は 続縄文時代とよばれています。この時代に鉄器 が本州から流入し、石器と鉄器の両方が使われ ていました。 また、 縄文時代末期より一層 豪華な品物をともなった墓がつくられるよう になりました。斜里町ウトロ遺跡の墓からは琥 珀の玉や石製の勾玉などが見つかっています。 引用リーフレット


 210続縄文土器
 211
続縄文土器
 

 220 宇津内式土器
続縄文時代前期から中期の、道東北部、網走地域を中心に分布する土器。
前期の型式Ⅱa式は口唇部直下に巡る突瘤文が特徴である。
後期の型式Ⅱb式は突瘤文は消失し、かわりに貼付文が巡る。 引用東京大学


 221宇津内Ⅱa式土器
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
 222
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱa式土器
トーツル沼1遺跡


 宇津内Ⅱb式土器
宇津内Ⅱb式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱb式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱb式土器
宇津内遺跡
宇津内Ⅱb式土器
尾河台地遺跡
 223
宇津内Ⅱa式土器
宇津内遺跡
宇津内Ⅱa式土器
宇津内遺跡
宇津内Ⅱa式土器
ピラガ丘遺跡
宇津内Ⅱa式土器
ピラガ丘遺跡
宇津内Ⅱa式土器
ピラガ丘遺跡
 224
宇津内Ⅱa式土器
ピラガ丘遺跡
宇津内Ⅱa式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱb式土器
尾河台地遺跡
宇津内Ⅱb式土器
トーツル沼1遺跡
 

 225後北式北大式

続縄文前期の宇津内式に代わって、後北式、続いて北大式が出土する
後北C2・D式は続縄文後半期の北海道全土に分布し、サハリン南部、南千島、東北地方、越後平野にまで拡大した。
 後北B式 後北C1式
 後北C2・D式は、小さな点が横に並ぶ櫛目文と、底が尖ったサハリンの土器と共通する形
北大式土器は、続縄文時代最後の土器で、後北式同様北海道全土から東北北部までの広範囲に分布する。
 古段階では楕円形の刺突文が土器表面に施されているが、
 新段階では、縄目文は消え、沈線文が施される。

 古墳時代の北海道続縄文人の移動・交易または移住範囲の広さに驚く。オホーツク人との混血以前の北海道原住民の大移動、大航海時代。
  これまで、オホーツク人との混血以前の北海道人の海洋技術は低い。混血擦文人によって海洋進出を果たしたと考えていたが、
  それ以前にもダイナミックな活動があったことを知りました。

後北C2・D式土器
後北C2・D式土器
オシャマップ川遺跡
北大Ⅱ式土器
トーツル沼1遺跡
 


 250オホーツク文化期 5-9 世紀 (※サハリンでは3世紀から)
刻文期 沈線文期 貼付文期に分けられる

海に生きた民族
 5世紀中頃、サハリン南部から北海道へと渡っ てきた海洋狩猟民族がいました。 彼らはオホー ツク文化と呼ばれる独特な文化を持ち、動物に 対する信仰心がありました。 その生活は海洋資 源に強く依存し、 クジラやアザラシなどの海獣 類だけでなく、サケやニシン、タラといった魚類 も多く獲っていたことがわかっています。 しか し、 オホーツク文化は北海道では9世紀を境に こつ然と姿を消してしまいます。
町内ではウトロのチャシコツ岬上遺跡に彼ら の集落跡が残されており、終焉を迎える直前の オホーツク文化の痕跡を見ることができます。
 引用館内リーフレット

 252
オホーツク式土器
刻文
ウトロ遺跡
オホーツク式土器
擬縄貼付
トーツル沼1遺跡
 253
オホーツク式土器
刻文
ウトロ遺跡
オホーツク式土器
沈線文
ウトロ遺跡
オホーツク式土器
擬縄貼付
ウトロ遺跡
 254
オホーツク式土器
貼付文
斜里町
オホーツク式土器
(刻文)
ウトロ遺跡

no caption
 刻文➡沈線文➡貼付文 
 


 270擦文時代 7-12 世紀

本州との結びつき
7世紀後半、東北北部からの強い影響を受けて、 道央部や道南部を中心に擦文文化が成立しまし た。 住居にはカマドを備えるようになり、 生活様 式の中に本州からの影響が多く見られます。9世 紀頃には、 北海道東部にも進出し、次第にオホー ツク文化と融合してゆきます。 その後、 12世紀頃 にはシカの儀礼場の位置から神聖な方角の存在 がみとめられ、 ア イヌ文化へのつ ながりが示唆さ れています。 町内 ではピラガ丘遺 跡から擦文文化 の集落跡が見つ かっています。
  引用リーフレット


擦文土器
前代の続縄文土器の影響が残る時期のもの(6-7世紀、飛鳥時代)、
土師器の影響を最も強く受け東北地方の土師器に酷似する時期のもの(7世紀後半 - 8世紀、奈良時代ころ)、
擦文文化独特の土器に刻目状の文様が付けられる時期(9世紀、平安時代前期以降)

 273 ※須藤遺跡(竪穴住居跡30)・ピラガ遺跡(竪穴住居跡1)はともに集落遺跡である。らしい。
擦文土器須藤遺跡
擦文土器ピラガ遺跡
擦文式土器
ピラガ丘遺跡
擦文式土器
須藤遺跡 斜里町
 274
擦文式土器
須藤遺跡
擦文式土器
ピラガ丘遺跡
擦文式土器
須藤遺跡
擦文式土器
須藤遺跡
ピラガ丘遺跡
擦文式土器
須藤遺跡
ピラガ丘遺跡
 275
擦文式土器
ピラガ丘遺跡
須藤遺跡×3
同一反復 ピラガ丘遺跡×2
no caption
須藤遺跡
須藤遺跡×2
 276擦文式土器
ピラガ丘遺跡×2
須藤遺跡×2
須藤遺跡×2
本町遺跡
須藤遺跡
須藤遺跡
ピラガ丘遺跡×2

 トビニタイ文化 9~13世紀頃

 290トビニタイ式土器

トビニタイ文化はオホーツク文化と擦文文化が接触し、変容して成立した文化である。
トビニタイ式土器は、擦文文化の甕形土器に、オホーツク文化のの貼付文を施したものである。
トビニタイⅠ群土器、トビニタイⅡ群土器、トビニタイⅢ群土器の区別がある。

トビニタイ式土器
須藤遺跡

no caption
トビニタイ式土器
中間型
ピラガ丘遺跡
トビニタイⅡ式土器
須藤遺跡
トビニタイ式土器
(中間型)
須藤遺跡

no caption
トビニタイ式土器
ピラガ丘遺跡
 


 300道具


 310続縄文~オホーツク文化期
 311
 312
骨角器など 装飾品 装飾品
ウトロ遺跡map
続縄文
装飾品
ピラガ丘遺跡map
続縄文
骨製容器
ウトロ遺跡
オホーツク文化
 313
装飾品
ウトロ遺跡
続縄文
平玉・装飾品? 管玉・装飾品 骨角器・ウトロ遺跡
オホーツク文化
髪飾り
骨鏃
骨角器
ウトロ遺跡
髪飾り
オホーツク文化
骨角器

 314続縄文土器
宇津内Ⅱ式土器
続縄文
宇津内式Ⅱa式
口唇下に突瘤文
宇津内Ⅱ式
幌別1遺跡
宇津内Ⅱ式
貼付文が巡る
ウトロ遺跡
幌別1遺跡 ウトロ遺跡

 315装飾品 続縄文
管玉破片と垂飾
続縄文
ウトロ遺跡
琥珀垂飾片
続縄文
宇津内遺跡

続縄文
尾河台地遺跡
※宇津内式ab土器が有名なのに、宇津内遺跡のHPが全然ないのは大変な驚き。

 縄文後期 装飾品
装飾品
縄文後期
斜里朱円周堤墓
詳細脚注なしだが、
とても立派な靴です。

半長靴に脚絆を装着して活動したのでしょうか。

※縄文後期に靴があったことに驚きですが、極寒の地に靴がなければ足の指が無くなります。
装飾品
縄文後期
斜里朱円
(土製管玉)
装飾品
縄文後期
斜里朱円
(石製垂飾)
 


 続縄文 ガラス玉 カモイベツ遺跡 続縄文~オホーツク文化期
  砂丘上の後背湿地に面した傾斜地に竪穴住居跡が5棟検出されていました。
 オホーツク文化(5〜9世紀)は海獣狩猟を特徴とする北方系の文化として知られています。
 住居は五角形や六角形の特徴的な形をしており、炉を囲むコの字形の貼り床やクマの頭骨などを祭壇に祀る信仰があります。
 引用「歴史遺産学科」
ガラス玉 斜里町の遺跡 
宇津内遺跡・斜里朱里周堤墓・朱円竪穴住居群・カモイベツ遺跡
尾河台地遺跡・須藤遺跡

 316装飾品 縄文晩期 尾河台地遺跡 里町字以久科北区26-2
装飾品
装飾品
装身具・金属器、骨・歯・角製品 装飾品(Accessories),
金属器(Metal Artifacts)
骨•歯•角製品(Bone, Teeth and Antler Implements)
縄文時代・続縄文時代・擦文時代・オホーツク文化期
 


 320道具

 321オホーツク文化・擦文時代
 322道具
環状製品
オホーツク文化
ピラガ丘遺跡
環状製品
オホーツク文化
ピラガ丘遺跡
環状製品
オホーツク文化
ピラガ丘遺跡
鉄斧
オホーツク文化
ウトロ遺跡
刀子
オホーツク文化
ピラガ丘遺跡

匙状の物は何でしょう
no caprion
フイゴの羽口
擦文時代
須藤遺跡
※野鍛冶が知床までやってきた。
きっと小鍛冶技術を習得した人々が旅をしていたのでしょうね。
私の子供の頃には
鋳掛屋さんが年に1回まわってきました。

 323道具

※動物意匠製品
 脚注不備でよくわかりませんが、どうやら動物意匠と思われる物が集められているようです。

 (不明動物

 彫像(フクロウ?) 骨角製品 チャシコツ岬上遺跡
 324
 (不明)巨大な鰭脚類である、ゾウウアザラシかセイウチでしょうか?

 鰭脚類アザラシ・オットセイ類でしょうか
           


 カエル装飾の土器 オホーツク文化中期 刻文期  ウトロ遺跡
 ※この蛙は胴体と首の区別がある
  蛙は大きな頭骨とそれに続く胸骨の間にくびれはなく、そのまま続いているものです。
  蛙の指は前肢4本 後肢5本です。 

  ウトロ遺跡は刻文期(オホーツク文化期中期)の遺跡です。カエルも横の紐状文も貼り付けられている。彫塑技術の高い人の作品でしょうか。
 カエル以外も高い造形力です。微細に表現されています。土器が壊れて何が造形されたのか不明ですが、素晴らしい作品です。
カエル 右手指 右後ろ足

 (不明土器
不明
 325
 鉄鏃 ウトロ遺跡 オホーツク文化
鉄鏃
ウトロ遺跡
オホーツク文化

 (不明)

 鈴谷(ススヤ)式土器 樺太からオホーツクにかけて分布する土器
 続縄文後期後半 3~4世紀

 326鉄製品 ウトロ遺跡 オホーツク文化
刀子 蕨手刀 鉄矛

 327動物形石偶(クマ) 続縄文 尾河台地遺跡
クマ形石偶
下に蕨手刀
この角度だと左耳の突起が見える
 
 


 330オホーツク文化期  約1500~800年前 5~12世紀 5c=古墳時代中期~12c=鎌倉時代(12c後半~14c前半)


 チャシコツ岬上遺跡 住所:斜里町ウトロ西
 
 チャシコツ岬竪穴住居跡写真  チャシコツ岬上遺跡発掘調査報告書  文化遺産データベース  チャシコツ岬上遺跡(文と写真)
 チャシコツ岬上遺跡(国史跡を目指す)  チャシコツ岬上遺跡Wikipedia チャシコツ岬上遺跡(知床博物館)

標高55mの岬上の海岸段丘に、8~9世紀、約1200年前、オホーツク文化終末期の竪穴建物や墓、廃棄場等の遺構が密集した遺跡であるが一部にトビニタイ文化期の遺構も混じる。


 リーフレットから
 チャシコツ岬上遺跡

展示解説資料1
チャシコツ岬上遺跡
展示解説資料2
交流の証 神功開寶
チャシコツ崎
引用チャシコツ岬上遺跡のドローン測量と3Dモデル
チャシコツ崎
大変素晴らしい実験です。ぜひ論文をご一読ください
神功開寶
裏面に文字ナシ

展示解説資料1
チャシコツ岬上遺跡  チャシコツ岬上遺跡画像

 チャシコツ岬上遺跡は今から 1,200年以上前に営まれたオホーツ ク文化終末期の集落跡です。
オホーツク文化とは、 5-13世紀ごろ北海道、サハリン、千島列島などのオホーツク海沿岸に広く分布した 古代文化のことで、北海道では9世 紀頃に終焉を迎えます。人々は、海 岸から約1km以内に集落を構え、漁労や海獣狩猟などを生活の基盤とした海洋適応度の高い暮らしを営ん でいました。斜里町のウトロ地域にはオホーツク文化の遺跡が数多く存在し、中でも特徴的なのがチャシコツ岬上遺跡です。

崖の上に暮らした人々
 チャシコツはアイヌ語で「砦の跡」という意味があります。この遺跡はチャシコツ岬という海に突き出した段丘面上にあり、周囲を崖に囲まれた 地形はまさに砦のようです。 しかし、
なぜこのような水や食料の入手が困難な場所で暮らす必要があったのでしょうか。
オホーツク文化の遺跡は標高の低い海岸部などでよく見つかりますが、オホーツク文化後期以降は標高 20m以上の段丘上に暮らすようになります。これは、道央部などから居住域を拡大してきた擦文文化の集団を牽制しての対応ととれます。
チャシコツ岬上遺跡も例に漏れず、標高50mを超える高所である ため眺望範囲が広く、 異集団の船 の往来にいち早く気づくことができま す。さらに、重要な食料資源である 海獣などの動きも観察することが可 能でした。
異集団と距離を保ちつつ、海を舞 台として生活を続けてゆくためには チャシコツ岬はうってつけの立地だっ たということです。

オホーツクからトビニタイへ
 チャシコツ岬上遺跡には31軒も の竪穴住居跡が高密度に分布してお り、深さ1mほど窪みとなって残っています。 他にも遺跡内には墓、窪みを利用した廃棄層、配石遺構など、各種の遺構が密集して存在しており、オホーツク文化に典型的な土地利用のあり方を示しています。
さらに、これらの構築物の時期が オホーツク文化終末期‐トビニタイ文化前半期に限定的な点も重要です。北海道東部では、9世紀頃を境にオホーツク文化が変容し、擦文文化とオホーツク文化の特徴を合わせ持ったトビニタイ文化が誕生します。
チャシコツ岬上遺跡は、住居の小型化や動物儀礼の変化といったオホーツク文化終末期に起きた生活様式の変容を今に伝え、トビニタイ文 化への移り変わり過程を知ることができる重要な遺跡です。
知床博物館 特別展「丘に眠るオホーツク文化」解説資料1 2018-11-20-2019-01-20


展示解説資料2
 交流の証 神功開寶

チャシコツ岬上遺跡はオホーツク人の集落跡であるにも関わらず、古代律令国家が発行した神功開寳という貨幣が見つかりました。 この話題は全国に報道され、オホーツク文化集団と律令国家との間に何らかの交流があった可能性が示されました。

中継地は石狩低地帯?
 神功開宝は、奈良時代から平安時代にかけて日本で次々と発行され12枚の貨幣 (皇朝十二銭)の1つで、3番目の765年に初めて鋳造 されたものです。
 この皇朝十二銭の発見例は北海 道では石狩低地帯に偏る傾向があり ます。 とくに、千歳市の遺跡ではオ ホーツク文化との交流を裏付けるように、富壽神寳(ふじゅしんぽう)と完形のオホーツク 土器が見つかっています。 これより、 石狩低地帯こそがオホーツク文化集 団と古代律令国家を結ぶ中継地だったと考えられます。
 おそらく、刀子などの鉄製品を擦文文化集団から入手する際に、神功開宝も一緒にオホーツク文化の集 団に渡ったのでしょう。

お金? それともまじないの道具 ?
 皇朝十二銭は畿内周辺では通貨 として流通しましたが、その域外では別の用途に使われていました。
 秋田城では子どもの健やかな成長 を祈願して、5枚の貨幣とともに胎 盤を納めた壷が発掘されています。 このほか、地鎮具として建築儀礼な どに用いられることもあり、畿内から 離れた地域では主にまじないの道具 として用いられていたようです。
 オホーツク文化ではどうでしょう か。 たった1枚しか見つかっていな いことからも限られた人しか手にでき なかったことは確かです。
考えられ る利用法は、(1)自らの権威を表す宝物 (2) 装身具の一部、 (3) まじないの道具、といったところでしょうか。

 それらを考える手がかりは見つ かった神功開寳の薄さです。出土品 は一般に貨幣として出回っていたも のよりも非常に軽く、 薄くなっています。銭文は摩耗によって角が取れて 丸みを帯び、外縁には細かな擦り傷 が認められます。発行年と遺跡の年 代が近いことから、激しく摩耗する ほど時間をかけてやってきたとも考え られず、どこかの段階で磨かれたこ とによる結果と考えられます。
 ひょっとすると、 初めて目にする 銅銭の輝きを保つために、 オホーツ ク人が丹念に磨いたのかもしれません。ただし、それだけではその目的 まではわかりませんので、 今後も研 究の進展によって明らかになることが 期待されます。

 知床博物館 特別展 「丘に眠るオホーツク文化」 解説資料 5  2018-11-20-2019-01-20


 331 和人との交流神功開寶 8~9世紀 チャシコツ岬上遺跡
神功開寶(じんぐうかいほう) 神功開寶
古代律令国家との接触
 333オホーツク人の道具
石鏃(ピンボケ)
8~9世紀 
チャシコツ岬上遺跡
石器

擦文人は鉄器全盛の頃であるが、
オホーツク人は鉄製品欠乏のため、骨角器や石器を多用した。
釣針軸
8~9世紀
チャシコツ岬上遺跡
 335オホーツク人の食べ物
ワシ・ウ、ウミスズメ
北狐・蝦夷黒テン・ヒグマ・オットセイ・アザラシ・クジラ・サケ
オオムギ・オニグルミ・ヤマブドウ・ドングリ
ニシン科・メバル属・サケ属・アイナメ属・カレイ科・タラ科
 オオムギの品種は北方種である。
アムール川流域からサハリンを経由し、稚内から南下して、持ち込まれた寒冷気候に馴化した品種であった。
 337道具
縫い針
8~9世紀
チャシコツ岬上遺跡
縫い針
環状石製品
8~9世紀
チャシコツ岬上遺跡
環状石製品
 338
銛頭
8~9世紀
チャシコツ岬上遺跡
銛頭
 339
骨斧
8~9世紀
チャシコツ岬上遺跡
骨斧

 350チャシコツ岬上遺跡 国史跡

 351チャシコツ岬上遺跡 8~9世紀(オホーツク人の遺跡)
チャシコツ岬上遺跡は、サハリン・北海道・千島列島などに広く分布したオホーツク文化の集落跡である。標高55mの海岸段丘上に、8~9世紀にわたって31棟の竪穴住居、墓、廃棄層等が密集して営まれた。また、神功開寶が発見され、本州側と交流があったことが明らかとなった。
Chashikotsu-misakiue site is a settlement of Okhotsk Culture, which is distributed in Sakhalin, Hokkaido, and Kuril islands. There were dense thirty one pit houses, pit burials, and disposal layers on the marine terrace from 8th to 9th centuries.

※あらためてチャシコツ岬の位置を確認。航空写真。 引いた地図。
 激しい岩礁地帯にあり、眼前の岩場にはアザラシ・トドが上陸しそうな場所であり食糧には困らないかもしれない。
 この突き出た岬が灯台や船の見張り台であり、岬周囲に船を引き上げる停泊場所として便利な基地だったのかもしれない。

 隣にはウトロ遺跡(縄文~擦文時代の遺跡)は長く続く原住民の遺跡であり、小河川ペレケ川河岸に立地する。
この地は港としての機能が高く、便利な集落である。オホーツク人はなぜ、あんなに不便な場所に本拠地を構えたのだろうか。

チャシコツ岬上遺跡
チャシコツ岬上遺跡
竪穴住居跡
神功開寶 出土遺物
 355オホーツク人のチャシコツ暮らし
   プロジェクター投影の学習教材です。 音声は再生不能です。

projection mappingによる岬模型への画像
 
 


 400アイヌ時代(中世~近世) 13世紀~

アイヌと日本
アイヌの人々は北海道、サハリン、千島列島を舞 台にさまざまな文化を育んできました。 アイヌ とはアイヌ語で人間という意味です。彼らは文 字を持たず、口頭伝承によって言葉や物語、 歌な どを守り伝えてきました。 ところが、 明治時代に なると日本が北海道の開拓を押し進めたため、 それまでのアイヌの文化や生活に大きく変容し てしまいます。 しかし、 彼らの伝統文化は途絶えることなく、今につながっています。  引用博物館リーフレット

 410
 411交易
以下全てピンボケ
コンプラ瓶 波佐見焼
知床半島アイヌ期の廃棄場から出土
カメ
壺・徳利

※コンプラ瓶考
※コンプラ瓶は長崎県東彼杵郡波佐見村で焼かれていた日本酒と醤油を入れてヨーロッパに送り出す容器である。
 その容器が日本列島をなぜか東廻りで運ばれ、なぜ、知床半島北側中部の岬(海上障害物)で見つかったのか。
 口の部分が壊れているのは、中身を取り出すために壊したものである。

 この時代には海上交通が盛んで、和船洋船を問わず沢山の船が列島周辺を航行しており、至る所で交易がおこなわれていたと考えられます。
 コンプラ瓶は、和人とのアイヌ交易で手に入れたものだったのでしょう。それにしても、酒と醤油の瓶詰が九州だけで生産され、北海道にも届くとは。

 コンプラ瓶以外は、輸出用ではない和人の日常陶器があることから、アイヌと交易するために、安物の陶器を運ぶ中に、コンプラ入り酒・醤油もあったのでしょう。きっと、運びやすく安全な容器として重宝されたのでしょう。

 413アイヌ時代の道具
アイヌ時代 銛先・シカ下顎骨
クシュコタン貝塚
骨角器
針入れ・中柄・キセル雁首
タンネウシ貝塚
骨角器
銛先・中柄・不明
オシャマップ川遺跡
骨角器
銛先・中柄・骨製品
オシャマップ川遺跡
ガラス玉
オンネベツ川西側台地遺跡
ピンボケ
ガラス玉
オンネベツ遺跡
須藤遺跡

 420道具
 421金属製品 オンネベツ川西側台地遺跡 ピンボケ
     アイヌ文化期の貝塚と墳墓遺跡
鉄製品
刀子・舟釘・釣針
鉄製品
山刀・刀子・舟釘
金属製品
銛頭・ヤス・マレク・釣針
耳飾
蝦夷拵え(こしらえ)腰刀
 423古銭
 425
礫石器
(軽石製火皿・砥石)
タンネウシ貝塚
金属製品
(内耳鉄鍋)
オンネベツ川西側台地遺跡
 426骨角器 オンネベツ川西側台地遺跡
中柄、環状製品 銛先・針入れ・吸口
 

 440アイヌの暮らし
 441
イッマムニ
アフンカニ
アッシペラ
ベカウンニ
カマカップ
ウバユリの根掘り
アッツシ織
アイヌの家
杵と臼
ニスとイュタニ
 443
交易漆器とイタ(盆)と
捧酒箸イクパスィ
 444
斜里神社本殿  寛政3年(1795年)斜里場所を請け負っていた村山伝兵衛が○○を祈願して寄進したものです。祭神は、海上神である、住吉大明神が祀られていましたが、明治に入ってからは天照大神を祀るようになりました。
 斜里町では最も古い神社として町の文化財に指定されています。

標津番屋屏風
元治元年1884
 江戸時代末期の標津の様子。
中央を左に番屋、右に塩蔵したサケを貯蔵する塩切蔵が見え、神社には「士?津三社」ののぼりが立つ。奥の山は武佐岳、手前の川は標津川と思われる。左奥と右端に刃アイヌ家屋も描かれサケが干されている。斜里も同じような状況だったと想像される。

※神社ののぼりは遠くであつらえたものを運んできたのか。
 


 445近世の斜里

長者丸斜里に来る 津軽藩士死没者供養碑
開拓使雇技師ライマン
来村
開拓使雇技師ライマン来村
 


 700生物


 701ウバザメ
ウバザメ
ウバザメ顎骨 ウバザメ頭部

斜里に漂着したウバザメ
ウバザメはジンベイザメについで世界で2番目に大きいサメの仲間で温帯から寒帯に分布 する。 肝臓から採取される油や肉、皮を目的 として商業的に捕獲さ れてきた歴史があり、 減少した。
2010年11月4日に斜里町朝日町の海岸に漂着した ウバザメ、体長は3.15mあった。

斜里に漂着したウバザメ
 
 漂着したウバザメ
2010年11月4日に斜里町の海岸に漂着
交換できる歯
特殊な感覚器 
交換できる歯
サメの歯は交換されます。 内側から新しい歯が出てきて 古い歯に置き変わります (水平交換)

特殊な感覚器
頭の先端には穴が多数あります。 この部分はロレンチー 二瓶という感覚器で、温度や磁気を感知します。


 ラッコ・ゴマフアザラシの毛皮
ラッコの毛皮
磯の生き物
ゴマフアザラシの毛皮
 703殻を持った生物

サメハダヘイケガニ
イボイチョウガニ
ウリガニ
ケガエ
オオトガリガニ
クダヒゲガニ

タラバガニ
ハナサキガニ
キタムラサキウニ
エゾバフンウニ
ヒメヒトデ
ハスノハカシパン
エゾヒトデ
マヒトデ
ホタテガイ

 723イトウ
イトウ
イトウの一生 エゾシカ

 724ミンククジラ骨格標本
  知床半島付近は、オホーツク沿岸を南下したクジラ類の通り道で、ミンククジラは現在も多数見かけられる。
ミンククジラ骨格標本
 725サケ
サケ
 728昆虫・哺乳類
 

 730鳥類
ヒグマ
剥製と骨格

 シマフクロウ
巣立ち直後のシマフクロウの雛
6月頃、シマフクロウの雛は巣立ちを迎える。 巣立ちといって もこの時期の雛はまだ飛ぶことができず、樹上から半ば転げ落ち るように巣を離れる。巣を離れた後も雛への親の給餌は続く。
地面に落下した雛は自力で歩いて近くの立ち木によじ登り、ま た落ちるといったことを繰り返すうちに次第に筋力がつき、2週 間ほどで飛べるようになる。

シマフクロウ

 オオワシ
オオワシ オオワシ オオワシ オオワシ オオワシ オオワシ

オジロワシの巣と雛
オジロワシは海や湖沼に近い林内の大木に巨大な巣 をつくり、雛を育てる。 ここに展示した巣は、1997年に 倒れた木につくられていたのを回収し、復元したもの である。巣材は全部で250kgあった。

オジロワシの巣と雛
 740
 741
オジロワシとオオワシ
オジロワシとオオワシは、ともにウミワシ類 (オジロワシ属) の大型猛禽類で、 天然記念物および国内希少野生動植物種に指 定されています。 オジロワシはユーラシア大陸北部に分布し、 わが国では知床半島など北海道東部と北部に少数ながら繁殖し ています。 オオワシはカムチャツカやアムール川下流域、 サハ リン北部などオホーツク海の沿岸地域で繁殖し、 越冬のために 北海道へ渡ってきます。
オジロワシもロシア極東地域で繁殖した個体が冬期に北海道 へ渡るものが多く、冬の知床半島は多くのオオワシとオジロワ シでにぎわいます。


オジロワシの生活
 オジロワシは, ミズナラやエゾマツ, ダケカンバなどの大木に営巣します。
 巣は木の枝をつみかさね, 大きいものでは外径約2m高さ1m以上にもなります。 産座は皿型で, 枯草や樹皮, コケ類などがしきつめられますが, 巣が連年使われることが多く, 厚く堆積した古い産座の上に新たに作られます。

 産卵は3月ごろ、灰白色の卵を1〜3個うみます。 4月下旬には, くずのようなひなが誕生します。
親鳥は、ひなにえさをはこんできますが, ボラやホッケ, カジカ などの魚のほか,カモメやウミガラス, ケイマフリなどの水鳥もつ かまえてきます。
 7月は幼鳥の巣立ちの時 です。 体も親に近いほどに 成長し さを食いちぎる
動作も一人前になったオジ ロワシの幼鳥は、巣の上で 何度もつばさを広げる練習 をした後, 大空に力強くは ばたいてゆくのです。

オジロワシとオオワシ
大空をとぶオジロワシとオオワシ
オジロワシの生活
左頁:
巣でえさをまつ
岩かげで獲ものをねらう
羽をひろげる幼鳥
成長した2羽の幼鳥
右頁:
オジロワシの営巣地
ふ化したばかりのひなと卵
大空にはばたく


冬の使者オオワシ
 オオワシは、11月に知床に姿を見せはじめ, 1月末の流氷の訪れとともに数多く見られる ようになります。
 姿はオジロワシとよく似ていますが、くち ばしが巨大で黄色みも、ずっとあざやかです。 尾のほかに肩と腿が白いこと, 飛んでいると き、尾がはっきりとしたくさび形をしている ことも, オジロワシとの区別です。
 習性はオジロワシに似ていて、海の魚や鳥 頭をえさにしています。

 4月上旬, オホーツク海の流氷が去ってい ころ、知床で冬を過したオオワシは、北の繁殖地へと帰っていきます。

冬の使者オオワシ
氷海を飛ぶオオワシ
雪の斜面を上昇する

オオワシにカラスがつきまとうことも多い。
オオワシはワミウシ類最大のワシ

オオワシの亜成鳥

 742
高山蝶 カラフトルリシジミの生態
 カラフトルリシジミは,日本で は北海道の高山帯にだけ生息し, 天然記念物に指定されています。
 大雪山, 日高山脈, 知床半島が おもな生息地になっており、知床半島では羅臼平をはじめ, 羅臼岳, 斜里岳などの標高1300m付近の高 山植物帯に見ることができます。

  成虫はハイマツ帯のあいだに自 生するクロマメノキ, ガンコウラ ンなどの小低木の群落地に生息し ます。 発生は年1回。 7月中旬か ら8月上旬ごろ出現します。 晴天 時に地上低くを比較的はやく飛び, 天時には低木上に羽をとじて静 止し, 動きません。

高山蝶 カラフトルリシジミの生態 高山蝶 カラフトルリシジミの生態
羅臼岳頂上より南望 ガンコウランの中の雌雄
カラフトルリシジミ雄成虫
カラフトルリシジミ雌成虫

 卵はおもにガンコウランに産み付 けられます。 幼虫の食草としては ガンコウランとクロマメノキが知られています。 4齢幼虫を経て蛹 (さなぎ)となり、 約2週間の後 羽化します。

 越冬態は、若齢 (2齢~3齢) 幼虫と考えられていますが、その 生活史についてはまだ不明の部分 も多く、今後の調査研究に期待が かけられています。

写真 田淵行男 生息地羅臼平と羅臼岳
ガンコウランに産卵
産卵場所(マッチ棒の頭の所)
4齢 (終齢)幼虫
幼虫の育つ環境
4齢老熟幼虫
前蛹(さなぎになる前の姿)
蛹(さなぎ)
 743
生き物たちのつながり
知床にはたくさんの生き物が住んで います。 生き物どうしは、食べるー 食べられる。 寄生、 共生関係などさ まざまな関係でつながりあっていま す。動物の死骸や〇質は多くの生き 物が利用し、分解されます。やがて 栄養は菌類や細菌類。植物にとりこまれ、ふたたび動物たちの食物とな ります。 生き物たちのつながりとま わりの環境をまとめて「生態系」と よびます。

 ペリットからフクロウの食性を知る
 フクロウは食物となる小動物をまるのみにし てしまいます。 ペリットというのは,食物の消化しきれなかった部分―骨や毛―を胃の中でま るめて口から吐きすてたものです。
 そのペリットの内容物をしらべることによっ て, フクロウの食生活を知ることができます。 そこには,食物連鎖の中の一つの鎖について 知る手がかりがかくされています。

生き物たちのつながり
フクロウに捕まったイタチ
ペリットからフクロウの食性を知る
エゾフクロウ
ペリットに見られた小動物
●食虫目
オオアシトガリネズミ
エゾトガリネズミ
●げつ歯目
エゾヤチネズミ
ミカドネズミ
エゾアカネズミ
ドブネズミ
エゾモモンガ

 知床の鳥
知床の鳥
海の動物 オジロワシ オオワシ
 
 750知床の鳥
知床の鳥

 海の生き物

 ゴマフアザラシ
ゴマフアザラシ全身骨格
 オサガメ
オサガメ オサガメ骨角

セイウチ
エゾクロテン キタキツネ
      
 

   別館特別展


 知床博物館姉妹町友好都市交流記念館


 Living with Raindeer
  -Headers of the Taiga
 道立北方民族博物館移動展
 1000トナカイと暮らす
      ―タイガの遊牧民たち 

    2022年4月27日(水)~6月19日(日)
    会場 知床博物館姉妹町友好都市交流記念館
    ※本展示のみの観覧は無料

Greeting
Reindeer, well known as the animals who pull Santa's sled, belong to the Cervidae family. They inhabit a wide area around the Arctic Pole covering Eurasia, North America and Greenland. Wild reindeer have been important game for indigenous peoples living in Northern regions. In Eurasia, domestic reindeer have been used for nomadic grazing.
This special exhibition focuses on Northern peoples such as the Dukha, Evenki, Even, and Uilta and their life with reindeer. These people's lifestyles have developed in the taiga, the boreal coniferous forests that stretch from eastern to southern Siberia, We hope this exhibition provides visitors with opportunities to take interest in the profound connection between Northern peoples and reindeer.
April 2022
Hokkaido Museum of Northern Peoples
Shiretoko Museum

ごあいさつ
 サンタクロースの橇を引く動物として知られる トナカイは、ユーラシア大陸から北アメリカ大陸、 グリーンランドまで、 北極を取り囲む地域に広く 分布するシカ科の動物です。 北方地域に暮らす先 住民にとって、 野生トナカイは狩りの重要な獲物 であり、またユーラシア大陸では家畜化したトナ カイの遊牧がおこなわれてきました。
 本特別展では、 ドゥハ、 エベンキ、エベン、 ウイ ルタなどの民族を対象に、 シベリア東部から南部 にかけてのタイガ (北方針葉樹林帯) 地域で営まれ てきたトナカイとの暮らしについて紹介します。 本特別展を通じ、 人とトナカイとの深いつなが りに関心を持っていただければ幸いです。

              令和4年(2022年)4月  北海道立北方民族博物館  斜里町立知床博物館

 1010タイガの遊牧民  あいさつ
トナカイと暮らす シナカイと暮らす Greeting ごあいさつ

 1020タイガの遊牧民
タイガの遊牧民
 ユーラシア大陸北部に広がったトナカイ遊牧は、
樹木が生えないツンドラ (凍原) 地域のツンドラ型、
タイガ (北方針葉樹林帯) 地域のタイガ型に大別さ れます。
 ツンドラ型トナカイ遊牧では、ときに数千頭に達する大きな群を管理し、 トナカイの肉や血を食料に、毛皮や腱を衣類などの材料として日常 的に利用してきました。
 一方、樹林帯のタイガ地域では、トナカイを飼育しながら 狩猟採集生活を送るタイガ型トナカイ遊牧が営ま れてきました。 飼育されるトナカイは数~数十頭 と比較的少なく、 トナカイはおもに狩りに行く際 の乗物として使われてきました。


Nomadic Peoples in the Taiga
The reindeer herding practiced in northern Eurasia is subdivided into tundra herding and taiga herding. In tundra herding, a large herd that can number in the thousands of reindeer is sometimes managed in the treeless tundra area. People have been using reindeer meat and blood for food and reindeer hides and sinews for clothes on a daily basis.
In taiga, or boreal forests, people have been engaging in taiga reindeer herding. They are reindeer herders who are also hunter- gatherers. These people have been herding relatively small herds of several to several dozen reindeer, and the animals have chiefly been used for transport to hunting grounds.
タイガの遊牧民
ユーラシア北部で行われているトナカイの放牧は、ツンドラの放牧とタイガの放牧に分けられます。 ツンドラの牧畜では、木のないツンドラ地域で数千頭ものトナカイの大群が管理されることがあります。 人々はトナカイの肉や血を食料として、トナカイの皮や筋を衣服として日常的に利用してきました。
タイガ、つまり北方林では、人々はタイガのトナカイの放牧に従事してきました。 彼らはトナカイの遊牧民であり、狩猟採集民でもあります。 これらの人々は数頭から数十頭のトナカイの比較的小さな群れを飼育しており、動物たちは主に狩猟場への移動に使用されます。

タイガの遊牧民 タイガの遊牧民 Nomadic Peoples in the Taiga
本特別展に登場するタイガの遊牧民の居住地
エベンキ
エベン
ドゥハ
ウィルタ
シベリア タイガ風景
ロシア/サハ共和国
アルダン郡
2013年10月

 1025二つの遊牧形態
二つのタイガ型トナカイ遊牧
タイガ型トナカイ遊牧は、 携わってきた民族やトナカイの管理方法、 使われる鞍の違いなどに よって、さらに
「サヤン型」と「ツングース型」の 二つに分けられます。
Two Subdivisions of Taiga Reindeer Herding
Taiga reindeer herding is further divided into a Sayan type and a Tungus type, according to the ethnic groups engaging in it, thereindeer management practices, and the saddles used by the reindeer riders.

二つのタイガ型トナカイ遊牧
トナカイ飼育の類型

サヤン型トナカイ遊牧民 ―ドゥハ
ロシア連邦トゥバ共和国とブリヤート共和国、 モンゴル国の境界付近に連なる東サヤン山脈周辺 には、テュルク系 (トルコ語やウイグル語と同系統) の言葉を話す民族が暮らしてきました。
このうちドゥハは、 おもにモンゴル国北部のフ ブスグル県に住む200人ほどの民族です。
Sayan Reindeer Herders: The Dukha people
Around the Eastern Sayan Mountains in the area bordering the Russian Federation (the Republic of Tyva and the Republic of Buryatia) and Mongolia, peoples speaking Turkic languages have been living. Turkish and Uyghur are in the same language family.
The Dukha, who are among these peoples, are an ethnic group of about 200 people mostly living in Khovsgol Province, northern Mongolia.


ツングース型トナカイ遊牧民 ― エベンキ、 エベン、 ウイルタ
シベリア西部のエニセイ川流域からカムチャツ カ半島、サハリン、 中国東北部に至る地域では、 ツングース系の言葉を話す民族がツングース型ト ナカイ遊牧を営んできました。
このうちエベンキやエベンの居住地は、北は ツンドラ地域を含む広大な範囲に広がっています。 一方、ウイルタはサハリン島の中部から北部に暮 らしてきました。
Tungus Reindeer Herders: The Evenki, Even, and Uilta peoples
Ethnic groups speaking Tungusic languages have been practicing Tungus reindeer herding in an area covering the Yenisey River basin of western Siberia, the Kamchatka Peninsula, Sakhalin, and Northeast China.
The Evenki and the Even have been living in a vast region that includes a tundra area to the north. The Uilta have been living in the central and northern parts of Sakhalin Island.

モンゴル
トナカイ遊牧民ドゥハ
サヤン型トナカイ遊牧民
-ドゥハ
ロシア
トナカイ遊牧民エベン
ツングス型トナカイ遊牧民
モンゴル
トナカイに乗って狩りに

 1030トナカイの狩人
トナカイに乗った狩人たち
タイガ型トナカイ遊牧民にとって、 狩りは肉や 毛皮を手に入れるための重要な生業活動でした。 トナカイに乗る技術を手に入れたことによって、 徒歩に比べて広い範囲を速く移動することができ るようになり、狩りの効率が高まったと考えられ ています。
Hunters Riding Reindeer
Hunting has been an important subsistence activity for taiga reindeer herders, whereby they obtain meat and hides. Reindeer increase the efficiency of hunting by enabling people to travel fast across extensive areas by riding reindeer.

トナカイを引き寄せる
トナカイと暮らすために欠かせないのが 「放牧」 です。 トナカイは、 自然に生える草や苔などを餌に、 原野や森で放牧されます。 放牧の際にトナカイが 逃げてしまわないよう、 また放牧中のトナカイを見 つけやすいよう、 さまざまな工夫がみられます。
そのひとつに、 好物の塩でトナカイを引き寄せ る工夫があります。 例えば、 トナカイ用の塩入れ袋 には鈴が付けられているものがあります。 塩を与 える際に鈴が鳴るので、 トナカイはその音を聞い ただけで寄ってくるようになります。
Luring Reindeer
Grazing is an essential part of a herder's life with reindeer. The herder puts reindeer in fields and forests so that the reindeer can feed on grass and lichen. Various means are used to ensure that the herder can easily locate their reindeer and that no reindeer will leave the herd while grazing.
One such means is the use of salt, a reindeer favorite, to lure reindeer. Some bags for carrying salt for reindeer have a bell attached. The bell jingles when the herder gives salt to the reindeer, so eventually reindeer come to the herder whenever the bell jingles.

トナカイの動きを制御する
放牧中のトナカイが遠くに行きすぎないように、動きを抑えるための工夫もあります。 ドゥハはトナカイ2頭を紐でつなぎ、 ペアの状態で放牧します。 エベンキやエベン、ウイルタは、トナカイの首から 枝や丸太をぶら下げ、トナカイが移動しにくいよ うにして放牧します。
また、トナカイを生け捕りにする道具として、投 げ縄が使われます。
Controlling the Movement of Reindeer
There are also means for controlling reindeer's movement so that they do not go too far off while grazing. The Dukha tie reindeer together in pairs with a string before leaving them to graze. Evenki, Even, and Uilta people hang a branch or log around the reindeer's neck to make it difficult for the reindeer to move around. Lassoes are used for capturing reindeer alive.

トナカイに乗った狩人たち
トナカイを引き寄せる
トナカイの動きを制御する
制御棒を付けた
トナカイ
塩を与える

ロシア/サハ共和国
二頭立てで放牧
モンゴル

 1040道具
塩入れ袋
エベンキ/ロシア
塩入れ袋
エベンキ/ロシア
トナカイ用鈴
ウイルタ/ロシア/サハ
トナカイ制御棒
エベンキ/中国/内モンゴル
トナカイ革製投げ縄
制御棒
トナカイ用投げ縄 トナカイ皮製投げ縄
エベン/ロシア/サハ
トナカイ用鞍 左:冬用
右:夏用

 1050投げ縄
エベンの投げ縄の作り方
Creating an Even Lasso

1. 革紐作り
鞣したトナカイの胴体の皮を約 Icm の幅に切って革紐を作ります。 最初に皮の縁から切り始め、中央に向かって螺旋状に 切り進んでいきます。
1. Making a hide rope
Hide from the reindeer's trunk is tanned and cut into a long, 1cm-wide strip for fashioning into a hide rope. The hide is cut from the edge toward the center in
spirals.
2. 革紐巻き作り
革紐の長さを測り、四等分します。 そして、 それぞれの革紐を木の枝で作った芯に巻き付け、4つの紐巻を作ります。
2. Making spools
The length of the hide strip is measured, and the strip is cut into quarters. Then each quarter is wrapped around a branch to create four spools.

3. 革紐の編み方
紐巻4本を四つ編みにします。 紐巻の紐をすべて編み終わると、しばらく乾燥させます。
3. Plaiting
The four strips are plaited into a rope. It is allowed enough time to dry.
4. 編紐叩き
乾燥させた編紐を斧の背で叩いたり、ナイフで表面の凸凹を削っ たりして、 編紐を柔らかくするとともに、表面を滑らかにします。
4. Beating
The dried rope is softened by beating with the back of an ax, and the surface
is smoothed with a knife by removing irregularities.
5. 輪具の取り付け
投げ縄の先端に輪を作るための部品を結び付けて完成です。
5.Attaching a toggle
Once the toggle is attached, the lasso is complete. The toggle is a part for securing a loop at the end of the lasso.

エベンの投げ縄の作り方
3. 革紐の編み方 革紐編み
編紐叩き
投げ縄を投げる

 1060乗用
乗り物としてのトナカイ
 タイガのトナカイ遊牧民は、 トナカイを乗り物として使ってきました。

 サヤン型では、 トナカイの左側からトナカイにまたがります。 鞍はモンゴルで使われるウマ用の鞍を小ぶりにしたような形で 「鐙」 (鞍の両脇につ るして足を踏みかける道具) も付いています。鞍をトナカイの背に載せ、片手に手綱、もう一方の手に は杖を持ってトナカイを操縦します。

 ツングース型では、トナカイの右側からまたが ります。 鞍は幅が広く、 「鐙」 はついていません。 トナカイの前足の上 (肩) のあたりに鞍を乗せ、 人 は脚を前に出すような形でその上に座ります。 手 綱はウマと同様ですが、 「鐙」 がないので脚はぶら ぶらした状態になります。

 トナカイの騎乗方法: 1. サヤン型、 2.ツングース型 (Vainshtein (1980) より) Form of riding reindeer: 1. Sayan type, 2. Tungus type (from Vainshtein 1980)

乗り物としてのトナカイ
トナカイに騎乗する女性 トナカイに騎乗する少年

 1070
エベンの騎乗用トナカイ鞍の作り方
Creating the Reindeer Saddle of the Even
ここでは、古い骨組を再利用し、クッション部分だけを新たに作る鞍の再生方法を紹介します。
In the process described below, the old saddle frame is reused and new seat cushions are made so as to recycle the saddle.
1. 皮袋の製作
 鞣したトナカイ皮を半円形に切り、毛が生えている面を内側にして袋状に縫い合わせます。こうして作った皮袋を一方の鞍 板にかぶせ、両端を少し縫って開口部を小さくします。
1. Creating a hide bag
A tanned reindeer hide is cut into a semicircle and stitched to make a bag, with the hair side facing the interior. One side of the saddle frame is covered with the bag. The opening of the bag is stitched on both sides to make the opening a little smaller.

2. 毛の詰め込み
皮袋にトナカイの毛を詰めます。
最初は手で、途中からはヤナギで 作った棒を使って皮袋の奥まで毛 を押し込んでいきます
2.Stuffing with reindeer hair
The bag is stuffed with reindeer hair. The hair is stuffed by hand in the beginning, and then by using a willow stick to push the hair deep into the bag.

3.毛の補充
ある程度皮袋が一杯になったら、 開口部を完全に縫い合わせます。 その後、 皮袋の表面にナイフで小さい孔を開け、その孔 にヤナギの棒を差し込んで、さらに毛を奥の方まで詰めていき ます。 これ以上入らないくらいしっかり、バランスよく毛が詰 め込まれたら完了です。 もう一方のクッション部分も同様に作 ります。
3. Replenishing the hair
The opening of the bag is stitched up after the bag is filled with hair. Then, a small hole is cut in the surface of the bag with a knife, and a willow stick is inserted through the hole into the bag to add more reindeer hair and push it deep within. Hair is added until no more can fit. The seat cushion on one side of the saddle frame is completed when the bag is uniformly filled with hair. The seat cushion on the other side of the saddle frame is created in the same manner.

4.敷皮の貼付
鞍の上面にトナカイ 2頭分の顔の皮を縫い合わせた敷皮を縫い付けて完成です。
4. Setting the seat cover
Two pieces of hide taken from the faces of two reindeers are stitched together to create a seat cover. Once the cover has been sewn to the top, the saddle is complete.

エベンの騎乗用トナカイ鞍の作り方
トナカイ鞍
2. 毛の詰め込み
3.毛の補充
4.敷皮の貼付 敷皮

 1080トナカイ橇
トナカイに橇を引かせる文化は、ツンドラのトナカイ遊牧民のあいだでは一般的ですが、タイガ ではツングース型トナカイ遊牧民に限られていま す。 いろいろな形の橇がありますが、東シベリア型 と呼ばれるタイプが一般的です。 2頭のトナカイを 横並びにして引かせ、 橇の後ろに別の橇、 その後ろ にまた別の橇といった具合に、 何台も橇を連結して 移動することもあります。
Reindeer Sled
It is common for tundra reindeer herders to use reindeer to pull a sled. Among taiga reindeer herders, only Tungus reindeer herders have the culture of reindeer sledding. The sled shape varies depending on the region, but a sled called an East Siberian type is generally used. Two reindeer harnessed side-by- side pull the sled. Two or more sleds are sometimes connected for use in tandem.

トナカイ橇 トナカイ橇による移動 トナカイに騎乗する男 ドゥハの移動式住居 トナカイの○○する少年
トナカイ橇模型 トナカイ橇模型

 1090毛皮の利用
素材としてのトナカイ 毛皮
タイガ型トナカイ遊牧の特徴は、 トナカイを生きたまま活用することです。 しかし、 何らかの事情でトナカイを屠畜した場合、 その体一毛皮、腱、 角、蹄、骨、肉、内臓などは余すことなく、 さまざま な形で活用されてきました。
トナカイの毛皮は断熱性に優れているため、広く 防寒着や手袋、 帽子などの素材として利用されてき ました。 毛足が短く耐久性が高い脚の毛皮は、 ブーツ などに加工されてきました。 毛皮は、バッグや道具入 れなどを作る材料としても広く使われています。
Material from Reindeer: Hides
Taiga reindeer herding is characterized by a focus on using reindeer while alive, rather than using them as food or for other materials. But when reindeer are slaughtered for any reason, the hide, sinews, antlers, hooves, bones, meat, and internal organs are used in various ways without anything going to waste.
Because reindeer hides provide insulation, they have been used to make gloves, hats, and other winter clothes. Hide from the legs is short-haired and highly durable, so it has been used for making boots. Reindeer hide has also been used for creating bags and tool containers.

男児用トナカイ毛皮製帽子
トナカイ毛皮製ミトン トナカイ毛皮製ブーツ トナカイ毛皮製ブーツ
素材としてのトナカイ 毛皮
トナカイ毛皮の乾燥

 1110トナカイの小物
角製ペンダント
トナカイ蹄製お守り 角製彫刻
角製彫刻 角製置物
ガット
トナカイ腱製
樹皮製乳容器 トナカイ袋角漢方薬
乳捧げ具

 1120トナカイの利用2
食材としてのトナカイ
トナカイの肉だけでなく、 内臓や骨髄、 血、 袋角 (生え始めの柔らかい角)、 そして乳も食用とされ ます。 角は民間医療薬や健康食品の材料となる場合もありました。
乳はトナカイを生かしたまま利用できる食材です。 特にタイガでは、 トナカイ乳が積極的に活用されて きました。 サヤン型トナカイ遊牧民は、 トナカイ乳を 凍らせたり、トナカイ乳チーズを乾燥して保存して いました。ツングース型トナカイ遊牧民は、乳をおか ゆに入れたり、つぶしたベリー類と一緒に食べるほ か、バターやチーズなどに加工していました。
Reindeer as Food
Not only is the meat consumed as food, but so are the internal organs, bone marrow, blood, velvet antler, and milk. Antlers are sometimes used for indigenous medicines and health foods. People can use reindeer milk without the need to kill the animal. People of the taiga have been particularly active in using reindeer milk. Sayan reindeer herders freeze such milk and preserve dried cheese made from it. Tungus reindeer herders add reindeer milk to porridge or crushed berries and process the milk into butter and cheese.

おわりに
トナカイは人に便利な移動手段をもたらしてく れただけでなく、 着るものや道具を作る材料、 そし て食べるものをも与えてくれる頼りになる存在です。 ただし、トナカイと暮らすためには、 トナカイに とって快適な環境に人が入っていかなければなり ません。トナカイの餌となる自然の植生が豊かで、 夏も涼しい場所というのは、 人里離れた、 冬の寒さ が厳しいところでもあります。
それでもトナカイとの暮らしに充実感を覚えな がら、今日もトナカイを放牧する人たちがいます。 こうした暮らしのなかに、今も伝統的な文化が息づいているのです。

謝辞
 本移動展の開催にあたり、 民族資料の収集や展示企画の基になった現地調査については、 次の多くの機関や方々にご協力い ただきました。
西村幹也氏、風間伸次郎氏、 坂巻正美氏、 思沁夫氏、吉田睦氏、 高倉浩 樹氏、阿部嘉子氏、 廣田千恵子氏、平田昌弘氏、 J. シンジェー氏、B.E. シンジェー氏、S.バヤラー氏とそのご家族、 B. ナランジャルガル氏と そのご家族、ロシア科学アカデミーシベリア支部人文科学・北方少数民 族問題研究所、V.B. イグナティエワ氏、 S.I. ボヤコワ氏、 U. ウンダール 氏、 K. トゥルグン氏、 M.V.エゴロフ氏、 T. エゴロワ氏、 M.A.パガダエフ 氏、M.P.パガダエフ氏とパガダエフ遊牧氏族共同体の皆さん、 S.V.エゴ ロワ氏、O.V.スタロスティーナ氏、 T.V. ネウストローエワ氏、V.S. ゲル モゲノフ氏、 A.P. ゲルモゲノワ氏、 P.S.アヴェロフ氏、V.R.アヴェロワ 氏とその遊牧氏族共同体の皆さん、 E. A. ビビコワ氏、 I.Ja.フェジャエワ氏 本特別展に関わる現地調査は次の助成によって実施されました。

 岡田研究基金 (2004年)、 笹川科学研究助成 (研究番号16-346G、2004 年)、文部科学省科学研究費補助金(平成 17 年度奨励研究課題番号 179090112005年)、 総合地球環境学研究所・研究プロジェクト C- 07 「温暖化するシベリアの自然と人」 (2009-2014年)、 科学研究費補 助金 「乳文化の視座からの牧畜論考 全地球的地域間比較による新しい 牧畜論の創世」(課題番号JP26257014、 研究代表者 : 平田昌弘、 2014- 2018年)、北極域研究推進プロジェクト (ArCS 2015-2020年)ここに記して感謝申し上げます。

角彫刻 食材としてのトナカイ
搾乳
トナカイソーセージ おわりに
謝辞
 
 


 1200禽舎
 
博物館の裏に禽舎があり、ワシタカ類を保護していました。知床にはシベリアから多く飛来し、事故に遭うことも多いそうです。
また、先日どこかの番組で見知ったのは、鳥インフルエンザに感染したワシタカがやってきて、その特徴は頭を大きくフリフリすることで、
これは脳神経を破壊されていて、回復するには何か月もかかり、完全に直るには相当の時間を要するそうです。・・治らないと同義語でしょう。
鳥インフルエンザがそれほど恐ろしい病気だとは知りませんでした。もし人間が感染したら、(今年米国で感染者あり)いったいどうなるんでしょう。

 
オオワシ (タカ科)
Steller's sea eagle
Haliaeetus pelagicus
全長 85-94cm、 翼開長 220-250cm。 メスは オスより大きい。 ロシア極東部、 日本に分布。 サハリン北部やアムール川下流域、マガダン等 で繁殖し、越冬の為北海道に飛来する。 知床半島は主要な越冬地。 全個体数は5,000-6,000羽に過ぎない絶滅危惧種。 北海道には 1,000 羽程が渡来する。知床ではサケの死体や氷上の 海獣類等を餌にするが、漁業など人から供給さ れる餌にも依存している。
国指定天然記念物、 国内希少野生動植物種 ここには事故などで保護された個体を収容しています)

オジロワシ(タカ科)
White-tailed eagle
Haliaeetus albicilla
全長 69-92cm、 翼開長 220-245cm。 オオワ シよりわずかに小さいが、国内で繁殖するワシ タカ類では最大。メスはオスより大きい。 知床 など北海道北部・東部に少数が繁殖する。 ユー ラシア大陸北部に分布し、ロシア極東で繁殖す る個体が越冬のため飛来、冬の北海道では留鳥・冬鳥あわせて個体数を増す。 知床ではミ ズナラやダケカンバの大木の上部に営巣し、 1-2羽のヒナが5月上旬に孵化、7月に巣立つ。 環境の保全や復元が急務である。
国指定天然記念物、 国内希少野生動植物種 (ここには事故などで保護された個体を収容しています)

オオワシ オジロワシ