北海道の縄文 №17 2022.06.08-2
根室市歴史と自然の資料館 北海道根室市花咲港209番地
0153-25-3661 月・祝日休館 撮影可営業(9:30~16:30)
館の特徴
|
・北方領土に一番近い博物館として、国後の考古・生物・アイヌ資料がある。
・最東端の土偶が出土。土偶を見たことない人が作った、絵描き歌間違いの土偶がメイン展示。 |
|
交通 |
|
・レンタカー
・JR「根室駅」→根室交通バス花咲線「車石前」下車、徒歩10分(便数僅か) |
|
|
|
|
北海道の東のはて。最東端。 |
|
|
目
次 |
01外観
03入口展示
07ロシアとの関り
09鮭の聖地
考古展示
50遺跡から見る根室の歴史
53初田牛20遺跡
※資料-根室市穂香竪穴群
60土偶
63初田牛出土物 |
100縄文時代
101遺跡の分布と立地
105根室市の遺跡年表
110縄文時代の遺跡
111早期の石刃鏃文化
112遺跡分布図
※資料 竪穴群の概要
113縄文前期の遺跡
114中~後期の遺跡
115晩期~続縄文遺跡
120縄文土器
121堂林式土器
※資料穂香竪穴群写真資料
122北筒式土器期
123動物意匠付土器
124北筒式土器
130石器
150縄文前期
151関江谷1竪穴群
161津波堆積物剥ぎ取り |
200オホーツク文化期
211遺跡の広がり
213動物利用
220オホーツク式土器
240オホーツク文化と擦文文化
241土器・骨角器
250骨角器
260北構コレクション
263温根元竪穴群
268牙製婦人像
※牙製婦人像について
※資料 牙製婦人像
300擦文文化期
310擦文時代の遺跡
※考察 国指定史跡西月ヶ岡遺跡
315擦文土器と住居
320擦文前期土器
331内耳土器
332擦文後期土器
333副葬品
|
400アイヌ文化期
401チャシ跡とは
403チャシ跡の形
409穂香で見つかったコンプラ瓶
410チャシ跡
500根室・千島のアイヌ
505アイヌ期の骨角器
506金属器
521住居の建て方
533軽物交易
537ラッコ猟
600ロシア船の来航
605スケート
607ラクスマン測量の根室港
630千島アイヌ資料
633内耳土器
635アイヌ民具
640近世の根室
700自然史 |
|
|
|
01外観
根室市歴史と自然の資料館
|
隣接は花咲港小学校
そっくりの建物です。
この日平日だのに休校 |
生徒数は12~3人。
誰かが休むと学級閉鎖 |
1家族が風邪を引くと学校閉鎖になってしまう。 |
花咲ガニの花咲港近隣 |
|
02博物館入口
館内入口正式玄関は
閉鎖しています |
正式な玄関は、敷地入口から最奥にあるこれです。設計ミス。
寒冷地気候のためなのか、降雪凍結のためなのか
敷地内にアスファルト舗装がないのは、凍結・地面の盛り上がり対策でしょうか。すごいことですね。寒冷地!
極寒の地、北海道の生活は、私には到底はかり知ることができません。。 |
|
|
03入口展示
日本遺産 「鮭の聖地」の物語 根室海峡一万年の道程
職員通用口が入口。
設計ミス。
主玄関と事務所が離れて管理できないから。 |
|
川、海峡、世界
結び目の波
|
幾星霜の命の循環
集う人々が織りなす世界観
|
時をつなく道、
魅地へと導く道 |
北方の記憶が宿る
山の神、沖の神
、 |
|
05本州の古地図
|
西日本 |
関東・東北 |
東北・松前 |
この地図には
北海道沿岸しか
ないのです |
|
07ロシアとの関り
大黒屋光太夫の漂流
|
大黒屋光太夫は伊勢白子(三重県鈴鹿市)の船頭で、1782年12月に神昌丸に米などを積み江戸に向かう途中遭難した。
7ヶ月間漂流して1783年7月にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着した。
アムチトカ島でで4年過ごした後、カムチャッカに脱出。その後、1789年2月にイルクーツクに到着した。帰国の願いを強く抱き、イルクーツクでは博物学者キリル・ラクスマンと出会い協力を得て、皇帝エカテリーナ2世に懇願し1791年9月に帰国許可と日本への使節団が派遣が正式に認められた。
1792年1月にイルクーツクに戻り、切れるの次男であるアダム、ラクスマンを中心に施設使節団を編成した。
1790年8月にエカテリーナ号で日本を目指し、オホーツク港を出港した。帰国を果たした乗組員は18年のうち3人(光太夫、磯吉、小市)だけで、小市は根室で越冬中に病死した。 |
|
大黒屋光太夫の漂流 |
|
大黒屋光太夫の漂流 |
|
|
|
光太夫らの足跡とエカテリーナ号航路図
|
光太夫らの行程 |
天明2.12.9 (新暦1783.1.11) 神昌丸が白子港を出港
天明3.7.20 (新暦1783.8.17) 神昌丸アムチトカ島漂着 以後ロシア暦
1787.8.2 光太夫らニジニーカムチャツクに到着
1789.2.7 光太夫らイルクーツクに到着
1791.2中旬 光太夫とキリル・ラクスマンはペテルブルグに到着
1791.6.28? 光太夫、エカテリーナII世に謁見
光太夫はイルクーツクに戻り、一行はオホーツク港に移動
1792.9.13 エカテリーナ号、オホーツク出港
寛政4.9.5 (暦1792.10.9、新暦10.20) ラクスマンら根室来航 |
ロシア初の公式遣日使節
ラクスマンの根室来航から230年
|
1792年アダム・ラクスマンが、大黒屋光太夫ら日本人漂流民を伴い根室に来航してから2022年で230年が経過する。
ラクスマンらは漂流民の送還のほか、日本に対し通称を求めた。回答を待つ8カ月間根室に滞在した。
滞在中のロシア人の生活習慣は日本人にとって珍しく、絵図などで記録され、ロシアに関する情報が幕府や藩主の間に広まった。
帰国した光太夫はロシアで見聞きしたことを知識人に伝え、洋学の発展に寄与した。
キリルとアダムのラクスマン親子による献身的な協力で光太夫たちが帰国でき、日露外交の端緒を開いた。 |
|
ロシア初の公式遣日使節
ラクスマンの根村来航から230年 |
|
09鮭の聖地
長い歴史の中、多様な文化が出会うことで生まれた文化がある
|
|
|
考古展示
|
50遺跡から見る根室の歴史
|
51
|
53初田牛20遺跡 北海道根室市初田牛369-1 縄文後期後半 約3500~3000年前
|
初田牛20遺跡は別当賀川の中流域の標高約12メートルの段丘上にあります。
1988年にこの地で土偶が発見されその周囲を発掘した結果、縄文時代後期後半(今から約3000から3500年前)のお墓が2基見つかりました。
お墓の中には漆塗櫛、玉類、石鏃、石槍などが副葬品として収められていました。
土偶を用いた祭祀や漆塗り櫛や玉類を副葬する文化は道南や道央地方を中心に見られますが、そうした文化が東の果てまで広がっていったことを示す重要な資料です。
※道南道央の葬送儀礼での土偶祭祀が、道東の東端にまで波及した。
しかも、土偶のつくり方も理解してない人が、伝聞で作った土偶を用いて、見様見真似ではなく、見たこともない祭祀を行なったようだ。
埋葬地の初田牛20遺跡は強風の吹き荒れる、荒涼とした灌木林だ。こんなところにベンガラが入手できる有力な集落があったのか。交易品は何?
交易を通じて、道南・道央の葬送儀礼を知り、土偶祭祀や、赤漆塗り櫛の複葬をしたが、儀式を見知らずに儀式の伝聞をまねた祭祀だった?
道南・道央からここまで交易に来るほど貴重な産物は何だったのか、あらためて、不思議に思う。 |
遺跡から見る根室の歴史 |
初田牛20遺跡について |
初田牛20遺跡について
|
北海道内の
土偶・漆塗櫛の出土
|
土偶・漆塗り櫛出土地
道南と石狩低地に集中。これは東北地方から伝来の文化のようです。
その他各地の出土は当時の有力な人口集中地域を示す交易拠点集落でしょう。交易品は不明。
初田牛では何が交易品だったのか。 |
初田牛20遺跡の縄文人のお墓と土偶
|
初田牛遺跡では、今から3500年前の土偶が見つかりました。
土偶は、粘土を焼いて作った人形です。
土偶が見つかったところを掘ったら、お墓が2つ見つかりました。
土偶は縄文人のお葬式の時に使われた物かも知れません。 |
|
初田牛20遺跡の縄文人のお墓と土偶 |
1号墓
頭部を中心にベンガラが敷かれる
|
2号墓
頭に漆塗櫛を載せた状態で出土男性の遺体 |
初田牛20遺跡遺跡での土偶を用いた
葬送儀礼の復元想像図
初田牛人も伝聞知識の儀礼を行なっている。 |
|
※資料 根室市穂香竪穴群では、地図 根室市初田牛369-1
大量のベンガラが墓坑に撒かれており、それはまた、北海道の埋葬では通常行なわれているとしている。死亡率が高かった時代である。
その需要を満たすだけの大量の赤鉄鉱がどこからもたらされたのか。
青森県津軽半島北端の宇鉄遺跡が赤鉄鉱鉱山であるが、全てがここから採掘され、道内全域で使用されたのだろうか。
その赤鉄鉱を得るために津軽半島まで出かけ、それによって東北の文化が道内へ広まった。では、初田牛人は津軽まで行ったのだろうか。
おそらく、道内のどこかの中継点で入手したのだろう。だから、その時に聞いた話を元に土偶を作り、伝聞知識の儀礼をしたのだろう。
※穂香竪穴群と初田牛20遺跡とは全くかけ離れた場所にあります。
ただ、両遺跡とも墓地に大量の青森県宇鉄遺跡のベンガラが撒かれ、有力者、高価値の交易品を支配していた遺跡であることは否めない。
また、両遺跡ともオホーツク海側であることから、オホーツク海や千島列島との関りのある品物が入手できたのでしょう。
※穂香竪穴群についてはあとで資料が沢山出てきます。 |
|
|
60土偶 縄文時代後期後半(約3000~3500年前)
|
61北海道指定有形文化財
初田牛20遺跡出土の土偶及び墓坑出土遺物 縄文時代後期後半 地図 根室市初田牛369-1
初田牛20遺跡について 土偶について 出土遺物について
|
土偶は全長18cm。全身を赤色のベンガラ顔料で彩り、沈線で区画された縄文と擦り消し縄文で施文されている。
頭にはマゲを結った髪型が表現されており、手足が開き気味に作られている。
バラバラの状態で見つかり、土偶の見つかった付近からは2基の墓坑が見つかり、漆塗櫛などの副葬品が発見された。 |
※この土偶は、他館の学芸員からは、
|
土偶作りの絵描き歌のようなものがあって、土偶を知らない製作者が、手足を逆向きに接着したため、不自然な姿勢になっている、そうです。 |
と、教えて頂きました。 確かに、全くヘンです。なにか無理のある姿勢です。
※引用「指定文化財/朝日にいちばん近い街-根室市」
|
初田牛20遺跡出土の土偶及び墓坑出土遺物
土偶は縄文時代後期のものですが、この時代の他の土偶と比較すると、面貌・体形が異様である点、性別が特定できない点など相違点が多く、極めて特異な土偶であり、縄文文化研究の貴重な資料となっています。 |
|
63墓坑出土遺物
|
|
槍先形石器
|
有茎石鏃 |
黒曜石棒状原石
|
石製玉(臼玉)北海道の墓坑にはしばしば副葬される。
死者の持ち物かも |
|
65
|
|
未使用の
有茎石鏃・錐形石器
副葬用品かな?
右:髪飾りかな? |
黒曜石棒状原石 |
加工痕のある剥片
|
|
66
|
石製垂飾 |
何を表現した垂飾? 石材不明・製造地不明 |
丹念に整形され、何かを表現した宝飾品。
硬い石をここまで見事に削り込むのに何年も掛かったかも。 |
穴が上側だから逆転
してみた |
これ何?
逆転意味なし |
磨製石斧
|
|
|
|
|
|
土製耳飾り |
破片ではない。完形 |
|
|
漆塗り櫛
道東では珍しい
根室でしか見つかっていない |
生産地不明
北方交易品か
青森から来たものか |
|
以上、縄文晩期 初田牛遺跡 ふたつの墓坑出土の副葬品の展示でした。 |
以下からは時間軸での歴史展示となります。 |
100縄文時代
|
101遺跡の分布と立地
|
根室市内には約300ヶ所を超える遺跡があります。
古いものでは約8000年前の縄文時代早期まで遡ります。遺跡の多くは、河川や湖沼を臨む台地上にあります。(海岸段丘と根室半島)
遺跡の分布数はオホーツク海岸側で多く、太平洋岸側で少ない傾向にあります。
遺跡を調査すると、土器や石器などが見つかり、昔の人々の生活の様子を知ることができます。
また、動物の骨や火山灰も見つかることもあるので、昔の人々の食べ物や災害の歴史なども知ることができます。 |
|
103遺跡分布図
|
105根室市の遺跡年表
草創期1.6-1.15万年前
早期1.15-0.7万年前
前期7.0-5.5千年前
中期5.5-4.4千年前
後期4.4-3.2千年前
晩期3.2-2.4千年前
続縄文2.4-1.6千年前 |
縄文時代 草創期 |
|
|
早期 |
|
石刃鏃文化を持つ人々が住む(トーサムポロ湖周辺竪穴群)
摩周火山灰の降下 |
前期 |
|
温根沼で貝塚が作られる(関江谷1竪穴群) |
中期 |
|
|
後期 |
|
北筒式土器が使われる
土偶祭祀が行なわれる。 |
晩期 |
|
|
続縄文時代 |
|
|
|
オホーツク1.5千-8百年前
擦文1.4千-7百年前
アイヌ(中世)8百-5百年前
アイヌ(近世)5百-160年前 |
擦文時代
オホーツク文化期 |
オホーツク文化人の到来(弁天島貝塚竪穴群)
オホーツク文化の盛行
(弁天島貝塚竪穴群、トーサムポロ湖周辺竪穴群、オンネモト遺跡)
白頭山、苫小牧火山灰の降下 |
擦文時代 |
擦文文化の集落ができる(西月ヶ岡遺跡、穂香竪穴群) |
アイヌ文化(中世) |
|
アイヌ文化(近世) |
16~18世紀にチャシが築かれる(根室半島チャシ跡群)
1694年駒ヶ岳c2火山灰の降下,
1739年樽前火山灰の降下
1789年クナシリ・メナシの戦い
1792年ラクスマンの根室来航 |
|
|
107遺跡と調査
|
擦文時代の住居跡
穂香竪穴群
|
アイヌ文化期の貝塚
トーサムポロ湖周辺竪穴群
|
貝塚剥ぎ取り制作風景
関江谷1竪穴群 |
|
110縄文時代の遺跡 |
111縄文早期の石刃鏃文化 (約8500年前から7000年前)
|
トーサムポロ湖の周囲ではこの時期の集落跡が見つかっており、「浦幌式」と呼ばれる土器のほか石刃鏃と呼ばれる、シベリア地方のアムール川流域などに起源を持つ、独特な石器が見つかっています。 |
|
縄文時代の遺跡
|
|
縄文早期の石刃鏃文化
下に詳細に |
シベリアの石刃鏃遺跡
|
北海道の石刃鏃遺跡 |
|
112縄文早期の石刃鏃文化遺跡分布図
北海道の石刃鏃遺跡
|
早期の石刃鏃文化はここまでです。
以下に竪穴群が始まります。 |
|
113-0※資料 北海道の竪穴群の概要 引用「北海道の竪穴群の概要」
|
以下に根室市の竪穴群についての記述が各時代ごとにあります。なぜ、根室では竪穴群が多いのか調べたら、驚きでした。
道内の遺跡11%1335遺跡が竪穴群。釧路根室管内がその6割を占める。
道内約6000軒の竪穴住居の内 縄文時代約4500軒(75%) 続縄文時代約200軒(3%) オホーツク・擦文時代約1300軒(20%)
時期の短いオホーツク文化期・擦文文化期が多く、続縄文時代は少ない(寒冷期だったからかも)。
最も古い例は羅臼町トビニウス右岸遺跡の縄文早期である。
道東に多いが、石狩低地にも分布しており、おそらく、開拓以前には、道内各地に広く見られた可能性がある。(壊されてしまった)
※現在のオホーツク沿岸はほぼ何もない海岸で、私は不毛の地と思っていた。ところがかつてはこれほどの住居群があったとは。
続縄文寒冷期にはこの地域から人跡が絶え、そこにオホーツク人が南下してきたが、この沿岸は無人ではなく、わずかな地の利の良いところには続縄文人が竪穴群の集落を営んでいて、オホーツク人も地の利の良いところに住みたいため、軋轢を生じそのために、オホーツク人はかなり、奇妙な場所に拠点を構えたのでしょう。 |
北海道竪穴群分布 |
北海道竪穴群の膨大さ
宗谷・オホーツク・根室・釧路が食糧資源豊富地域
集団居住が生きていける条件かも
引用「北海道の竪穴群の概要」 |
東北北部の竪穴群
|
東北地方北部を巡った時、竪穴は集団墓坑群しか目につかず、また、
どこの博物館でも竪穴住居跡群として脚光を当てていなかった。ところがどうだこの数。
地図上にプロットしていないが、やはり沿岸地域なのか。引用「北海道の竪穴群の概要」 |
竪穴住居群はこんな建物
高砂遺跡焼失住居 |
高砂遺跡住居復元 |
上屋 |
屋内平面図 |
各文化期の住居 |
オホーツク文化期 |
|
113縄文前期の遺跡(約6000から5000年前)
|
この頃は、尖底土器に縄やスタンプを押し付けて文様をつけた「温根沼式」と呼ばれる、押形文土器が使われていました。
温根沼東岸の関江谷1竪穴群では貝塚が見つかっており、トーサムポロ湖周辺竪穴群では集落跡が見つかっています。
※道東は平底、道央・道南は尖底と思っていたが、道東の東端に尖底土器。詳しい解説を参照しましょう。参照文献→(2)縄文尖底土器
前期初頭に道東の平底・絡条体圧痕文土器が全道に広がり、その後、東北・道南から尖底・砲弾型・繊維土器・押型文土器が広がってきた。
それが温根沼式として、根室から出土した。海洋交易による伝播だろうか、その他の要因だろうか。なぜ、飛び地のようにここにあるのだ。 |
|
縄文前期の遺跡 |
埋設土器出土状況
(トーサムポロ湖周辺竪穴群)
|
縄文早期の竪穴住居群
トーサムポロ湖周辺竪穴群
|
|
114縄文中期から後期の遺跡 (約3000~5000年前)
|
縄文時代中期末~後期初頭の遺跡は根室市のオホーツク海岸側に広く見られ、「北筒式」と呼ばれる円筒形の土器が使われていました。
穂香竪穴群では集落跡が発見され、縄文後期初頭(約4000年前)の土器の口縁部、上部4箇所に、一部はクマと考えられる動物の顔が付いた「動物意匠付土器」が出土しています。(※オホーツク文化以前にクマを意匠した土器があった。)
初田牛20遺跡では、縄文時代後期後半の土偶や墓が見つかっています。 |
|
縄文中・後期の遺跡 |
文時代中期~後期初頭の竪穴住居跡(穂香遺跡群)
|
|
115縄文晩期から続縄文の遺跡(約3000~1600年前)
|
根室市では、この時期の遺跡の調査例が少なく、情報が限られています。
続縄文時代は本州で言う弥生時代に相当しますが、北海道には米作りが伝わらず、縄文時代の伝統を引き継いだ暮らしが続きました。
続縄文時代の住居跡は、トーサムポロ湖周辺竪穴群で発掘されていますが、方形の平面図から、押し出しが舌のように伸びると言う特徴的な形をしています。 |
|
縄文晩期・続縄文の遺跡
|
続縄文時代の竪穴住居跡(トーサムポロ湖周辺竪穴群)
|
|
|
|
120縄文土器 縄文後期後半
|
121堂林式土器 縄文後期後半 別当賀一番沢川遺跡出土
|
「堂林式」と呼ばれる深鉢形土器である。波状の口縁部分に突瘤がつけせれ、横位の羽状縄文と沈線で施文されている。 |
堂林式土器(どうばやし)
|
堂林遺跡:長沼町幌内堂林遺跡
堂林式土器:縄文後期末葉の深鉢、鉢などの口縁に内側から突刺して表面に小さな瘤をつくる粗製土器(突瘤文土器)と、沈線文や磨消縄文が発達した壺や浅鉢などの精製土器が組合わさって出土した。
堂林式土器は、道央を中心に全道的に見られている。また、形が特徴的である舟形の土器もあった。 |
縄文土器 深鉢 |
|
縄文土器 |
縄文土器
堂林式
|
堂林式土器
縄文後期後半 |
堂林式
別当賀一番沢川遺跡出土
波状口縁部分に突瘤がつけせれ、横位の羽状縄文と沈線で施文されている。 |
|
|
|
|
|
|
御殿山式土器 縄文後期後半 初田牛20遺跡出土
|
「御殿山式土器」と呼ばれる壺型の土器である。土器表面に縄文を付けた後、一部をすり消して文様としている。
土偶や墓の地殻から出土していることから、儀礼に使われたのかもしれない。 |
御殿山式土器
|
静内御殿山墳墓群:新ひだか町
縄文時代後期~晩期 配石を伴う数十におよぶ大規模な墳墓群である。この遺跡からは、石器・土器・装身具などの副葬品が多数出土しました。
遺跡からは積石墓が群集して検出された。また、土坑からは土偶も出土している。
御殿山式土器:約3500~3000年前
三叉文の施された深鉢や爪形文、の土器 |
|
|
122資料 穂香竪穴群の写真資料 引用「根室市穂香竪穴群」
遺跡遠景 |
遺跡遠景 |
遺跡近景 |
発掘状況 |
調査風景
|
擦文住居
上端に特殊な出入口が見える |
表土を剥がして遺跡探し |
擦文土器
飛鳥~平安時代
|
北筒式土器
縄文中期~後期
|
動物意匠の土器
北筒式土器
|
|
|
擦文時代の玉類 |
|
|
|
|
|
|
|
北筒式土器期 縄文中期~後期
|
123穂香竪穴群出土の動物意匠付土器 縄文中期末~後期初頭
|
「北筒式」と呼ばれる円筒形の土器の口の部分に、動物の顔を模した突起が4ヵ所確認される。
北筒式土器で動物の意匠が着く土器は本資料のみである。 |
|
引用「根室市歴史と視線の資料館」
根室市穂香で発掘された縄文時代後期初頭(約4,000年前)の土器。
この土器には、上部4箇所に一部は熊と考えられる顔が付けられています。
動物意匠が付けられた土器は道東ではこの土器が最も古いものです。 |
|
穂香竪穴群出土の動物意匠坏土器
中期末~後期初頭
|
動物意匠の土器 |
|
|
|
|
|
|
|
4つの内一つはクマと言われている |
|
|
124縄文土器 縄文中期末~後期初頭
|
「北筒式」とよばれる土器で、円筒形で厚みがある。根室市内の遺跡で比較的よく出土する。 |
|
125
北筒式土器 |
|
|
|
|
擦石・石皿
|
すり石は木の実などを磨り潰して、粉にする道具です。石皿は、磨り石を使うときに木の実などを置く皿のような形をした石器です。 |
|
|
130石器
|
131穂香竪穴群
|
穂香竪穴群
発掘調査 |
|
132石槍
木の柄の先に付けて、手で投げたり、付いたりして動物を捕るのに使います。
|
133石鏃
矢の先に付けられた石製の矢じりです。三角形のものや柳の葉のような形とをしたものなどがあります。
|
134ナイフ・スクレイパー
つまみ付きナイフ
動物を解体するときや、物を切ったりする時に使いました。「つまみ」の部分にヒモを付けて指に巻くようにして使ったものと考えられます。
スクレイパー
動物の川から脂肪や肉をそぎ落とすときに使われました。脂が付くと切れ味が鈍るため、簡単なつくりのものが多数作られました。
|
135石斧
打製石斧と磨製石斧があります。
打製石斧は石を打ち欠いて作った石器で、
磨製石斧は打ち欠いた後、全体を砥石で磨き、刃先を整えた石器です。
主に、木を切るときに浸かった道具ですが、、土を掘る道具として使われたとも考えられます。
|
|
150縄文前期
|
151関江谷1竪穴群の調査
|
関江谷1竪穴群は温根沼の東岸、標高11~13mの台地上にあります。一辺が10mを超える擦文時代の竪穴など、48基の凹みを確認しました。
竪穴は温根沼を臨む台地の南斜面に集中しています。
この一角には貝塚があり、1954年に北海道大学の大場利夫先生によって発掘され、縄文時代前期(約6000年前)の押型文土器を伴う貝塚であることがわかりました。
この土器は、温根沼のほとりである関江谷1遺跡で発見され、温根沼式土器と名付けられました。
大場先生の調査から50年以上が経ち、貝塚の調査方法も進み、縄文人が、どのような水産資源を利用したかについて知ることができるようになったため、名古屋大学博物館と根室市歴史と自然の資料館が共同で貝塚の再調査を行いました。
※無関係だけど、2022.06.08温根沼大橋のたもとにタンチョウが営巣しているのを見ました。 |
|
関江谷1竪穴群の調査
|
|
関江谷1竪穴群
遺跡は根室半島の付け根付近の温根沼の湖口に立地しましす。 |
貝塚範囲 |
約10×約6mで、自然の窪地に魚介の骨が捨てられ、堆積している様子が確認されました。 |
関江谷1竪穴群で利用された水産資源
|
貝塚って何?
貝塚は人々が食べた貝殻や魚の骨が集められたものです。縄文時代の貝塚は、根室市周辺や噴火湾手沿岸で横粂使っていますが、
稚内から根室までのオホーツク海側では3カ所しか見つかっていません。
貝塚からわかること
貝塚を掘り、掘った土をふるいで水洗いすると、フルイの上に貝殻や小さな魚の骨が残ります。
それを乾燥させ、貝殻や骨の標本を比べ、昔の人たちが何をどのくらい食べたかと言うことがわかります。また、貝や魚の生態から、当時の海の環境を復元することもできます。
どんな海の幸を食べていたか?
関江谷1竪穴群の場合は、貝はアサリが1番多く、オオノガイやウバガイ(ホッキ貝)など、現在の温根沼でとれるものと変わりません。
魚は小型のカレイ類やニシンが多く、これも現在の温根沼の周辺で見られる業種ですが、この他に体長40cm近いサバの骨が見つかりました。
サバは暖流系の魚ですので、現在、温根沼周辺では取れません。当時は宗谷海流の勢いが強く、暖流系の魚が沿岸に寄っていたと考えられます。 |
|
|
関江谷1竪穴群で利用された水産資源 |
関江谷1竪穴群で利用された主な魚
カレイ・サバ類・ニシン |
サバ類の椎骨(背骨)が繋がって見つかった |
北海道周辺の海流
引用「水産研究本部」 |
|
|
161津波堆積物剥ぎ取り 採集地 初田牛ガッガラ浜 根室半島北側)
|
根室市の太平洋側の低湿地には、過去の巨大津波が運んできた砂層(津波堆積物)が何層も残っているのが確認されています。
黒色土は泥炭層で通常の堆積層、灰褐色の砂層が津波堆積物で、白色の層は火山灰です。
火山灰は降下年代がわかっているので、津波の発生間隔の推定も可能です。
津波堆積物の中から、海にいる珪藻類が見つかっており、海から運ばれてきた砂であることがわかります。
こうした砂層が海岸から離れた地点で広範囲に広がっていることから、陸地を浸水させるほどの巨大津波が概ね300~400年の周期で何度も襲っていたことが明らかになっています。 |
|
津波堆積物剥ぎ取り |
初田牛ガッガラ浜の津波堆積物
|
|
千島海溝地震と津波
引用産経ニュース |
北海道南岸の地震の巣
千島海溝地震
震源域と地震規模 |
|
樽前 a火山灰 (1739年)
駒ケ岳c2火山灰(1694)
津波堆積物
泥炭層(通常の堆積)
津波堆積物
白頭山・苫小牧火山灰(938年)
津波堆積物
泥炭層
|
|
樽前a火山灰(1739年)
駒ケ岳c2火山灰(1694年)
津波堆積物
泥炭層 (通常の堆積)
津波堆積物
白頭山・苫小牧火山灰(938年)
津波堆積物
泥炭層(通常の堆積)
泥炭層(通常の堆積)
樽前C火山灰(約2500年前)
泥炭層(通常の堆積)
津波堆積物
津波堆積物 |
|
泥炭层(通常の堆積)
津波堆積物
津波堆積物
摩周d火山灰(約3800年前)
|
|
171台地上の土層剥ぎ取り 採集地 穂香竪穴群
|
この剥ぎ取りは、根室市の台地上で典型的な土層を示しています。この地域は年間を通して冷涼であり、腐葉土が発達しにくい環境であるため、
60cmほど掘ると7000年前に降下した摩周火山灰が出てきます。この火山灰は現在の摩周湖となっている摩周カルデラが、噴火によってできたときに降灰したものです。 |
台地上の土層剥ぎ取り |
|
根室市内でみられる火山灰の噴火起源
白頭山・駒ケ岳・樽前山・摩周カルデラ |
穂香竪穴群
基本土層剥ぎ取り
|
|
|
|
谷地坊主
樽前aテフラ
1739年元文4年 |
樽前テフラ1739
Ⅱ層 黒色土
(主に続縄文-擦文時代)
Ⅲ層 黒褐色土 |
Ⅲ層 黒褐色土
(主に縄文中期-後期)
Ⅳ層摩周火山テフラ
Ma-f
6460±130yBP
7190±130yBP |
Ⅴ層 黒褐色土
(主に縄文早期以前) |
Ⅵ層ローム |
|
|
※続縄文時代について
※この館では、続縄文時代を取り上げていません。調べると、根室にも続縄文時代の遺跡があるようです。住居跡です。温根沼2遺跡
展示物の量が少ないので、展示がないのかもしれません。この時期は、寒冷化した時期で、オホーツク文化期も後期からの遺物が展示されていますから、
展示物・遺物が少なく、展示に耐えるものがないのかもしれません。 |
|
200オホーツク文化期 5世紀~13世紀
|
210オホーツク文化期の遺跡 |
211
遺跡の広がり
|
オホーツク文化期は5世紀から13世紀にかけて、サハリン南部から北海道北部、東部地方を中心に、海を舞台に生活をしていた人々が残した文化です。
その文化の影響はサハリンの北部から千島列島と広い範囲に及んでいます。
同じ頃、本州では奈良・平安時代で都を中心に貴族文化が栄えていましたが、北辺の地域では、海獣狩猟と漁労を主体とするオホーツク人が独自の生活文化を形作っていました。 |
|
オホーツク文化期の遺跡 |
遺跡の広がり
|
オホーツク文化期の遺跡 |
北海道西
香深井
亦稚
青苗砂丘 |
樺太・道北
東タライカ
鈴谷貝塚
オンコロマナイ
目梨泊 |
網走以南
松法川
モヨロ貝塚
オンネモト
トーサムポロ
弁天島 |
オホーツク人の住居
|
オホーツク人の住んでいた竪穴住居は、床の形が五角形や六角形をしており、長さ10m前後の大型のものが多いです。
数世帯が一緒に住んでいたと考えられ、クマやシカや海獣の骨を積み重ねた「骨塚」が家の中に作られ、何らかの儀式が行われていたとされています。 |
|
住居跡
弁天島貝塚竪穴群 |
骨塚
弁天島貝塚竪穴群
|
墓
トーサムポロ湖周辺竪穴群 |
|
213オホーツク人の動物利用
|
オホーツク人は優れた狩人でした。海獣はアザラシ類やオットセイを主にとっており、時にはクジラ類も狙ったようです。陸獣はクマやシカといった大型獣のほか、
キツネやクロテンといった中型獣もとっていました。
また、イヌやカラフトブタといった家畜も飼育していました。鳥類はアホウドリをよくとっていたことが明らかになっています。
オホーツク人はこれらの動物の肉を食べるだけではなく、残った骨で釣り針や銛先などの道具を作っています。
また、毛皮や羽毛も衣服や交易品として用いたと考えられています。
魚類はカレイ類やニシンなど、この地方で普段食べられているものと同じですが、マグロ類、スズキ、チョウザメの骨も見つかっており、今よりも海が暖かかったと考えられています。 |
オホーツク人の動物利用 |
|
オホーツク人の生業カレンダー |
魚類:流氷期2~3月以外は通年の漁獲有
鳥類:春~夏が猟期。骨角器材料を入手するために狩猟。骨鏃など
哺乳類:通年狩猟可能。クマの狩猟は最大の宗教行事だったろう。 |
弁天島のオホーツク人の暮らし
|
オホーツク人は今から1500年前、根室港に浮かぶ「弁天島」やトーサムポロ湖周辺など、海の近くに住んでいました。
オホーツク人はアザラシやオットセイなどの海の動物や貝を沢山採っていました。また、時にはクジラも捕まえて居ました。 |
オホーツク人の生業 |
弁天島のオホーツク人の暮らし |
現在、根室半島周辺でホエールウオッチングの季節は3月~10月とされています。
通年という会社もありますが、半島沖を通過して小笠原諸島や伊豆諸島への回遊は春から夏のようです。ですから、オホーツク人のクジラ漁期もその頃のようです。
ただし、この海は、夏場を除き、落ちると、数分で絶命するような冷たい海です。 |
|
|
220オホーツク文化の土器
|
根室市では、オホーツク文化が6から9世紀を中心に発達するが、大きく分けて3種類の土器が見られる。 |
|
オホーツク文化の土器 |
|
|
|
|
十和田式土器
(6世紀頃) |
|
|
十和田式土器(6世紀頃)
オホーツク文化前期の同期で口縁部下の円形刺突文が特徴。
|
十和田式の由来:青森県十和田市に、170箇所以上ある遺跡を総称として十和田遺跡といい、この遺跡から発掘された土器を、十和田式土器といって、オホーツク文化に属するとされています。
「鈴谷式土器」の「鈴谷」ススヤですが、サハリンのススヤ貝塚出土土器の型式設定です。
「十和田式土器」は、十和田市地域で初めてこの種の土器が発見されたため、その名がつけられました。樺太の地名や考古学者の名前とは関連がありません。 |
刻文系土器
(7世紀頃) |
|
|
刻文系土器(7世紀頃)
オホーツク文化中期の土器で彫刻刀で短い刻みを巡らせている。 |
|
貼付文土器
(8~9世紀) |
|
|
貼付文土器(8~9世紀)
オホーツク文化後期の土器で、細い粘土紐を器面に貼り付けて文様を構成する。 |
|
|
230オホーツク式土器
十和田式土器
|
十和田式土器
オホーツク文化期 |
|
十和田式土器
弁天島貝塚竪穴群
オホーツク文化期 |
|
|
刻文系土器
|
刻文系土器
弁天島貝塚竪穴群
オホーツク文化期
|
刻文系土器 |
|
|
|
貼付文土器
|
貼付文土器
トーサムポロ湖周辺竪穴群
オホーツク文化期 |
貼付文土器 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
240 |
241オホーツク文化と擦文文化
|
9世紀頃のオホーツク文化期の集落である、トーサムポロ湖周辺竪穴群では、道央や道南で展開していた擦文土器や秋田産の須恵器が出土している。
これらは本州系文化との接触を示しており、オホーツク文化圏への擦文文化の影響をうかがわせる。
※根室まで、秋田産須恵器が流通していた。 |
|
|
オホーツク文化と擦文文化の接触
|
オホーツク文化の分布と周辺の文化
|
靺鞨系文化
↓↑
オホーツク文化 ↓↑
擦文文化 |
|
オホーツク文化との接触を示す擦文土器 トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期(9世紀頃)
擦文土器
|
擦文土器
トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期
(9世紀頃)
|
|
|
|
|
秋田県で生産された本州との交易品 トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期(9世紀頃)
須恵器皿 |
須恵器皿
トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期
(9世紀頃) |
秋田産須恵器 |
|
|
|
オホーツク文化終末期の土器 トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期(9世紀頃)
オホーツク式土器 |
オホーツク式土器
トーサムポロ湖周辺竪穴群 オホーツク文化後期
(9世紀頃)
|
|
|
|
|
|
245針入れ
|
アホウドリ類の骨を使って作られた縫い針を入れるケース。表面に幾何学文、水鳥、クジラ類の線刻が施されることがある。
特に、弁天島出土の捕鯨シーンを線刻で表現した針入れはオホーツク文化の海獣狩猟を表現した資料として有名である。
針入れはアイヌ文化でも使われ、クジラが線刻されたものも見つかっており、オホーツク文化の伝統が継承されているかのようである。 |
針入れ
|
針入れ |
銛が刺さったクジラの線刻図
|
針入
オホーツク文化中期
7世紀頃
トーサムポロ竪穴群
北蒲江コレクション |
クジラが線刻されたアイヌ文化期の針入 |
針入
アイヌ文化期 18c
トーサムポロ湖周辺竪穴群(豊里)
|
オホーツク文化のクジラ漁を伝える |
針入
オホーツク文化後期
8~9世紀頃
弁天島貝塚竪穴群
北構コレクション |
弁天島貝塚竪穴群出土針入
|
舟に7人が乗り組み、1人が立ち上がり銛を構えている。
クジラには4本の銛が刺さり、うち、2本はロープで舟と繋がっている。
回転離頭銛が使われた。 |
|
|
250骨角器 弁天島遺跡 |
251
|
253骨角器 弁天島遺跡
|
260 |
261北構コレクションについて
|
北構保男氏(1918-)は根室市内で考古学、民俗学等の研究を続けてこられ、戦前から市内のオホーツク文化遺跡の発掘資料を始め、
北千島や北方領土の遺跡の出土品の収集を行った。
戦後は大学等の研究機関やロシア人研究者などとの共同調査を行い、オホーツク文化の解明を目的に発掘調査を主催された。
そうした収集品は13万3千点を数え、2017年2月に一括して根室市に寄贈された。ここでは、コレクションを特徴づける資料について紹介する。 |
|
北構コレクション |
弁天島での発掘指揮 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
銛先と釣針
温根元竪穴群出土 |
掘り具
トーサムポロオホーツク竪穴群 |
|
|
|
|
263温根元竪穴群のオホーツク文化期資料 1300年前
|
納沙布岬に近い温根元では、北構保男氏や東京教育大(現筑波大学)によってオホーツク文化期の住居跡や貝塚が発掘された。
住居跡の長さは14.6mで、道内のオホーツク文化期の住居跡の中でも最大級。貝塚からは銛先や釣り針など狩猟具漁撈具のほか、
牙製夫人像や動物意匠骨角器など、オホーツク文化を特徴づける資料が出土した。
貼付文期の土器が主体で、1300年前の土器となっている。 |
|
264温根元竪穴群
|
石錘
温根元竪穴群
オヒョウらしき浮彫が見える |
釣針軸
オヒョウなど大型魚狙い
オホーツク文化後期
8世紀頃
温根元竪穴群
北構コレクション |
釣針原材
釣針製作工程を示す
オホーツク文化後期
8世紀頃
温根元竪穴群
北構コレクション |
|
265
|
銛先
洗練された海獣狩猟具
オホーツク文化後期
8世紀頃
温根元竪穴群 |
|
|
266動物意匠骨器 ※撮影忘れです。ピンボケ写真です。
|
動物意匠骨器 |
|
|
|
オホーツク人の動物信仰
動物意匠骨器
オホーツク文化後期 8c頃
温根元竪穴群
北構コレクション
|
|
|
|
|
|
|
|
267フクロウ
ヘビ
|
268牙製婦人像 8世紀頃
牙製婦人像 |
マッコウクジラの歯で作られた北のビーナス
牙製婦人像
オホーツク文化後期8c頃
温根元竪穴群
北構コレクション
|
|
|
|
|
※牙製婦人像について
|
➀最初に、とても固いクジラの歯を鉄鑿で細工して精緻な像に仕上げた事は、とても素晴らしい彫刻家だったと称賛いたします。
②8世紀の地の果て根室で、このようなドレス姿の婦人像が(そのような装束の人を見知っていて)作られたのか、それとも、遠く、ヨーロッパからシベリアを経て、サハリンを南下してオホーツク海を渡り、ドン突きの根室にまで、壊されずにもたらされたものなのか。
③シベリアでは旧石器時代から、女性像が数多く見つかっている。シベリアで作られたのだろうか。
④山梨県 鋳物師屋遺跡 出土の縄文時代中期の土偶、通称ラヴィは、この像に大変よく似ている。とても不思議に思います。
(南アルプス市ふるさと文化伝承館に展示)
⑤8世紀頃に婦人の衣装にこのような物がなかったとすると、いったいこの装束は何を現しているんだろう。
(ドレスの発生は15世紀とされている。) |
|
|
269モヨロ貝塚の婦人像 オホーツク文化期
|
271※資料 オホーツク文化の牙製婦人像 引用「オホーツク文化の牙製婦人像」
|
|
牙製婦人像出土
1礼文島 浜中2
2礼文島 香深井A
3利尻島 亦稚貝塚
4枝幸町 目梨泊
5網走市 モヨロ貝塚
6根室市 弁天島
7根室市 オンネモト
|
関連資料出土
利尻島 亦稚貝塚
礼文島 浜中
礼文島 神崎小学校
網走市 モヨロ貝塚
根室市 弁天島
根室市 オンネモト
サハリン 本斗町南浜
二丁目貝塚
|
礼文島 香深井A
枝幸町 目梨泊
根室市 弁天島 |
|
道北地域
|
|
|
|
|
|
道東地域
|
|
|
|
|
|
関連資料
|
|
|
|
|
|
変遷 |
|
道北→道東へ伝播過程での変遷でなく
製作時期の遅れによる表現の変化が起こった |
|
道北部ではシャマンの姿を再現している。
|
道東では写実的な婦人像でつくられたが、
顔か気に入らずに壊されたのなら
顔はシャマンだったかもしれない。 |
|
|
300擦文文化期 6~13世紀 根室では、12~13世紀の遺跡が残されている。
|
310擦文時代の遺跡 |
311遺跡の広がり
|
擦文時代の遺跡は、6~13世紀にかけて北海道島全域に見られます。根室市の擦文時代の遺跡は、12~13世紀の擦文時代の終わり頃の遺跡が多いようです。
本州では、鎌倉幕府の成立など、貴族社会から武家社会に変わった頃です。風蓮湖、温根沼、トーサムポロ沼等の湖や河川を臨む台地上に竪穴住居跡があります。
擦文時代の竪穴は凹みとなって、地表から見えているものが多く、国指定史跡西月ヶ岡遺跡では、約350軒の住居跡が確認されています。 |
|
315擦文時代の土器と住居
|
この頃使用された土器は、外面に縦、横、斜めの刻線を組み合わせた幾何学的な文様が付けられています。
住居は、半地下の竪穴を掘り、床面が正方形になるのが特徴です。住居の主柱は4本で、壁際にカマドが付いていますが、柱やカマドが伴わない長方形の竪穴住居跡も確認されています。
竪穴の規模は、一辺5m前後のものが多いですが、10も近いものもあります。竪穴の周囲には、館穴を掘った際の排土による盛土がなされています。
西月ヶ岡遺跡では、ヒエなどの雑穀が見つかっており、雑穀栽培もされていたようです。また、カマドの内部からサケ・マス類の骨が見つかっており、河川の資源を積極的に利用していたようです |
|
擦文時代の土器と住居 |
|
発掘後の竪穴住居跡
西月ヶ岡遺跡
|
カマドと煙道
東梅3竪穴群
|
竪穴住居の構造
|
擦文竪穴住居
|
カマドを持つ住居
柱穴、掘り上げ土 |
煙道
土止め板・掘り上げ土
柱(紙本柱)・かまど
寝床・物置 |
敷物
地床炉 |
西月ヶ岡遺跡擦文ムラの様子
|
西月ヶ岡遺跡の擦文人の暮らし
擦文人は今から800年前に、西浜町の西月ヶ岡遺跡などに住んでいました。川の近くに住んでいて、川を遡ってくるサケやマスを捕まえていました。
土を掘って、屋根を葺いた家に暮らしていました。今でも、西月ヶ岡遺跡では家の跡がたくさん観察できます。 |
西月ヶ岡遺跡擦文ムラの様子 |
擦文人の暮らし |
竪穴住居の構造 |
|
|
|
|
|
320擦文土器 (西月ヶ岡遺跡) 擦文時代後期
|
深鉢形の土器で、土器の表面には幾何学的な文様が付けられている。
カマドに据え付けて使うためか、底の部分が細くなっている。 |
引用北見市擦文土器
擦文時代前半の土器 7世紀~10世紀
|
前半
大型で深い甕形の土器と小型の坏形の土器が作られていました
8世紀頃
最も古い時期の擦文土器。首の部分がくびれた器形は古い時期の特徴とされています。平行線と点だけで構成された文様が描かれています。
9世紀頃
胴部に描かれる文様が複雑化し、描かれる範囲も広くなっていきます。水平方向の平行線を下地として、斜めの格子目を描いた文様になります。
10世紀頃
水平方向の平行線を下地として、垂直線の両側に「Λ」を連ねたパターンの文様が描かれるようになります。また、首の部分のくびれが弱くなり、口の部分の開きがやや大きくなりました。 |
擦文時代後期の土器 11世紀~13世紀
|
11世紀頃
この頃の擦文土器では、口の部分が外に張り出し、段の付いた形に発達します。また、文様も複数の段に分かれる形となります。
この頃の擦文土器には文様が全く描かれていないものもある。表面は木のヘラで擦った調整のあとだけになる。
12世紀頃
胴の部分が丸くふくらむ、「球胴形」と呼ばれる形の甕形土器もある。
13世紀始め頃
擦文時代の終わり頃。小型で、文様もかなり簡略化されます。 |
擦文時代後半の土器
|
|
|
|
擦文土器
西月ヶ岡遺跡
12~13世紀
擦文時代後期
|
|
|
|
擦文土器
穂香竪穴群出土
11~12世紀
擦文時代後期 |
|
詳細不明 |
|
擦文土器
穂香竪穴群出土
擦文時代後期 |
詳細不明 |
|
|
|
|
|
331内耳土器
|
擦文文化とアイヌ文化の関連を示す
擦文文化後期:: 12世紀期後半頃
国史跡西月ヶ岡遺跡北蒲江コレクション
擦文文化の終わりの竪穴住居跡から出土した。内耳土器は、中世の東日本で内耳鉄を模して製作されたが、擦文文化での出土は珍しい。
土器の内側に紐で吊るすための「耳」がつく。内耳土器は、擦文文化の後のアイヌ文化でも引き続き使われるため、擦文文化とアイヌ文化の関係を考える上でも重要な遺跡である。 |
|
332擦文土器 擦文文化後期 12世紀後半頃 国史跡 西月ヶ岡遺跡 北構コレクション
|
333擦文土器
|
道東では珍しい擦文文化の墓坑副葬品
擦文文化後期: 11-12世紀頃
トーサムポロ湖東岸墳墓群(豊里)北構コレクション
擦文文化の竪穴住居跡は数多く見られるが、墓が見つかっていない。
トーサムポロ湖東岸竪穴群では、周囲に擦文文化の集落が見られない場所で墓坑のみが見つかった。この土器はその墓坑に副葬されていたもの。 |
|
335
木製品 (穂香竪穴群出土)
|
擦文時代後期の住居壁際から出土した。
紡錘形の一端に穴が開けられている。炭化しており、表面の様子は観察できないが、吊るすようにして、何らかの用途に用いたのかもしれない。 |
|
木製品
|
|
|
|
|
|
アイヌ民族伝統漁
マレック漁のしくみ |
➀狙いを定めて
②突く
③魚が暴れても抜けない |
鉤銛マレック |
刀子 |
|
紡錘車 関江谷1竪穴群出土
|
擦文文時代後期の住居跡から出土した。糸に撚りをかけて紡ぐときの「はずみ車」として使われたと考えられている。(関江谷1竪穴群出土)
※石狩低地では、擦文時代に入ると初期から紡錘車が一般化する。 |
紡錘車 |
|
|
|
|
|
|
|
400アイヌ文化期
|
401チャシ跡とは
|
アイヌ文化期の代表的な遺跡にチャシ跡があります。「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされます。
北海道内でチャシ跡は500カ所ほど確認されており、根室市内には32ヵ所のチャシ跡が残り、うち24ヵ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。
根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明ですが、16~18世紀頃とされています。 |
アイヌ文化期の遺跡 |
|
アイヌ文化期の遺跡
|
チャシ跡戸は |
根室市内のチャシ跡分布
|
根室半島北側に集中している。
海を見張っていたのか |
クナシリ・メナシの戦い
|
この地域を支配していた和人が、暴力や脅迫をしてアイヌ民族を漁場で働かせたことがもととなり、1789年に国後島や羅臼、標津地方のアイヌ民族が和人71似んを殺害すると言う「クナシリ・メナシの戦い」が起きます。
「夷酋列象附録」 (1798年成立)には、国後の総首長ツキノエが「クナシリ・メナシの戦い」の際に、国後島でチャシを築き、毒矢や槍の準備をしたとあります。
また、シャモコタン(根室市豊里サンコタン)の首長ノチクサも、5ヵ所のチャシを築き和人との戦いに備えたとあります。
しかし、アイヌ民族と和人は直接的な衝突に至らず、和人を殺害したアイヌ民族37人はノッカマップ(根室市内牧の内)に連れてこられ処刑されました。 |
クナシリ・メナシの戦い |
ノツカマフ1,2号チャシ跡 |
|
クナシリ総首長ツキノエ
シャモコタン首長ノチクサ
「夷酋列像」より |
|
403様々なチャシ跡のかたち
|
チャシ跡には様々な形がありますが、大きく下の図に分類されます。根室市内のチャシ跡は海を臨んで作られた「面崖式」のチャシ跡が多く、
半円形や方形の壕を組み合わせた大規模なものが多いことで知られています。 |
様々なチャシの形 |
面崖式(方形)
壕が方形に入るもの
ヲーナイ1,2号チャシ
(穂香) |
面崖式(方形)
壕が半円状orC字状に入るもの
ノツカマフ1,2号チャシ
(牧の内) |
丘先式
壕が短軸方向に直線または弧状に入るもの
ポンモイチャシ跡
(納沙布) |
丘頂式
肩部に周壕を持つもの
オタフンベチャシ跡
(浦幌町) |
|
405
|
サツコタンチャシ跡 |
チャルコロフィナ1,2号チャシ跡 |
ポンモイチャシ跡 |
ヲーナイ1,2号チャシ跡
|
ヲンネモトチャシ跡
|
|
407ヲンネモトチャシ
|
409穂香で見つかったコンプラ瓶
|
コンプラ瓶とは江戸時代の終わりから大正時代年かけて長崎県東彼杵郡波佐見で焼かれていた磁器で、ヨーロッパに日本の酒や醤油を輸出する際の容器として使われました。
コンプラ瓶には「JAPANSCH ZAKY」(ヤパンセ サキー:日本の酒)、「JAPANNCH ZOYA」(ヤパンセ ソヤ:日本の醤油)と言うオランダ語が書かれています。
デザインが良く、ロシアの文豪トルストイが一輪挿しとして愛用していたとされています。
本来、ヨーロッパ方面に行くべきコンプラ瓶が、なぜか根室で出土しています。これまで知られていなかった販路があったとされていますが詳しい事は分かっていません。
※この時期、オホーツク海周辺には、ロシア船もオランダ船も領土獲得のために、また米・欧の鯨船もうろついていたらしい。
また、アイヌとの交易所を回って商品を持ち帰る船も往路では交易商品を満載しているのだから、もしかしたらナホトカやサハリンを回って、密貿易をしていたのかもしれない。 |
|
410チャシ跡 |
413ヲンネモトチャシ跡
|
温根元湾の湾口にある。盛り土をして頂上を平坦にしている。
壕を掘るなど平面的な構造が多い根室市内のチャシ跡中でも、変わった造りをしている。
松浦武四郎「納沙布日誌」にも登場しており、目を引くチャシ跡だったようである。 |
|
415ノツカマフ1、2号チャシ跡
|
オホーツクの海を臨むノツカマップ湾西岸の崖にある。1号チャシ跡は半円形の壕が2つ連結しており壕の深さも約2mと深い。 |
ヲンネモトチャシ
|
温根元湾の湾口にある。盛り土をして頂上を平坦にしている。
壕を掘るなど平面的な構造が多い根室市内のチャシ跡中でも、変わった造りをしている。
松浦武四郎「納沙布日誌」にも登場しており、目を引くチャシ跡だったようである。 |
|
|
|
500根室・千島のアイヌ文化
|
501根室・千島のアイヌ文化
|
根室市内には18世紀頃のアイヌ民族の集落跡が発掘調査で見つかっており、生活の様子が明らかになっている。この頃は、ロシア人が千島を南下し、アイヌ民族と高野消していた。
また、根室在住の考古学者、きたが前康夫氏(1918 2020)が収集した資料には千島アイヌの貴重な資料があり、当館に基礎をされている。
ここでは、所蔵資料をもとに牽制、近代の愛の文化に関係する出来事を紹介する。 |
発掘で見つかったチセ跡
|
トーサムポロ湖周辺竪穴群では、18世紀頃のアイヌ民族の住居(チセ ci-set)があったことを示す柱穴や炉跡が見つかった。
アイヌ民族の住居は木材で骨組みを作り、屋根や壁には茅、樹皮、笹など手に入りやすい材料を使った。
道東地方でアイヌ民族の住居跡が発掘で見つかるのは珍しく、住居址の周囲からは送り場となっていた貝塚や灰集中も見つかっており、
集落の内容を知る上で重要な発見となった。 |
|
503アイヌ文化期の貝層断面の剥ぎ取り
|
アイヌ民族の送り場
トーサムポロ湖周辺竪穴群では、18世紀のアイヌ文化期の貝塚が20カ所以上見つかっている。
貝塚からは食料とした後に残る貝殻や動物骨等で構成され、金属製品や骨角器も出土している。
食べた動物や使った道具等に宿る魂を神々の世界に送る場であった可能性が指摘されている。 |
|
505
|
アイヌ民族の狩猟、漁労を支えた
アイヌ文化期の骨角製品
トーサムポロ湖周辺竪穴群では貝塚か らクジラ骨やエゾシカの角などの骨を 利用した骨角製品が出土している。
狩猟、漁労用具に用いられる道具を中心にアイヌ民族独特の製品が作り出された。 |
針入(チシボ)
釣針(アブ)
銛先(キテノツ)
中柄 |
直線の針はとても釣り上げが難しいらしい。周末縄文人氏の動画 |
アイヌ文化期の
骨格製品
|
銛猟の様子
シャチかラッコかを狙っているようです |
|
|
銛先
|
銛先、中柄 |
中柄 |
釣針
|
(縫い)針入
|
|
|
507アイヌ文化期の金属製品
|
交易で入手した金属を使った
トーサムポロ湖周辺竪穴群では貝塚をはじめ、多種多様な金属製品が出土している。金属は和人との交易で得たものだが、
動物の解体に使ったとされるタガネ状鉄製品やさけ漁に使った鉤銛(マレク)など、アイヌ民族が再加工し、生業に応じた独自の製品を作っていた |
|
アイヌ文化期の金属製品
|
鉤銛(マレク) |
鉞(まさかりムカラ) |
たがね状鉄製品
動物解体用
|
鯨骨(骨角器原材料)
|
|
511
|
トーサムポロ湖周辺竪穴群で
発掘された18世紀のチセ跡
大正時代の帯広市にあったチセの間取り チセは川の上流、 太陽が昇る東、 高い山などの方向 が尊いとされ、 神窓が作られ、 上座としていた。
(道立アイヌ民族文化研究センター「ポンカンビソシ4」より)
トーサムポロ湖周辺竪穴群では4軒の建物跡がみつかっており、 そのうち中央に炉を 伴う建物跡が2軒かっている。 2011年の発掘調査では、 床の平面形が
5.3m×5.2mの隅丸正方形をしたチセ跡が みつかった。 海に面した部分を出入口とし、 東を上座にしていたものと考えられる。 |
|
18世紀のチセ跡 |
チセ跡の検出状況 |
チセ跡の平面図
|
大正時代の帯広市にあったチセの間取り
|
|
|
|
521チセの建て方の一例 村上島之允 1809 「蝦夷生計図説」 (財) アイヌ文化振興・研究推進機構編 「アイヌ生活文化再現マニュアル
チセの建て方の一例 |
ヤチダモやミズナラの木の皮をむいた 材を用い、 屋根を組む。 結束材には ブドウヅルやシナノキの内皮を用いた。 |
屋根組に水平材を渡し、 屋根の形を組み、垂木を入れて屋根の葺きの土台を作る。 |
屋根を受けるため 「Y」 字形に加工し た柱を立て、 組んだ屋根をのせる。 柱など土に埋まる部分は焼いて、防腐 処理をほどこす。 |
ヨシ、シラカバ、 ササなど調達しや すい材料を用いて下地を作り、 屋根 や外壁を葺く |
|
平凡社 「ロングフェロー日本滞在記」より |
19世紀初め頃の北海道東部でみられるチセ |
1871 (明治4) 年頃に撮影された根室のチセ |
|
|
|
|
533軽物交易
|
軽物はラッコ、アザラシ、クロテンなどの動物皮、ワシ羽、熊胆などを総称したものである。
15世紀からラッコ皮に関する記録が出ており、国内に相当量が出回り、この地域のアイヌ民族の特産品として交易上重要だった。
軽物は海産物とともにアイヌ民族の生活に必要な米、酒、タバコ、木綿衣(糸)、金属製品、漆器、ガラス玉などと交換された。
18世紀後半以降和人支配が強まる中で、アイヌ民族に対し軽物の集荷を出精させる触書も出され、明治時代になっても外貨獲得の重要品目だった。 |
軽物交易
|
|
|
▲東蝦夷地一件 ( 1785年)
根室地方で産出される一般流通を禁じた 「御制禁の品」 としてラッコ皮、 熊胆、 ワシ羽などがあげられている。 (岐阜県歴史資料館所蔵) |
|
▲ 蝦夷島奇観 (1800年) に描かれたラッコ
根室、 国後島のアイヌ民族が初夏に得撫島に渡りラッコ 猟を行うこと、上質な毛皮であることが記されている。 (東京国立博物館デジタルコンテンツ) |
軽物交易 |
|
|
535首飾り (タマサイ) コタンケシ遺跡 15~16世紀頃
|
ガラス玉は、交易によりアイヌ民族が入手 したもの。 銭貨も首飾りの一部だった。 幕末まで軽物と交換されていたが、特に 18世紀から、商人が交易を請け負うようになると、不利な条件で交易を強いられるようになった。 |
|
537ラッコ猟
|
アリュート族のラッコ猟を描いた
大日本物産図絵
千島国海獺(らっこ)採之図 1877 (明治10)年 安藤徳兵衛 (三代目歌川広重)
第一回内国勧業博覧会に合わせて発行されたも の。 ロシアの国策会社である露米会社により、 19世紀半ば頃、 アリューシャン列島から千島 列島に植民されたアリュートが、 海獣の皮で 作った舟 (バイダルカ) に乗り、海に浮かぶラッ コに銛を構えている様子を描いたもの。 1873(明治6) ~ 1884 (明治11)年に北海道開 拓使は官営事業としてラッコ猟を行っていた。 |
|
538
|
オジロワシの羽根 |
弓矢の矢羽。武家社会における贈答品として珍重された。 |
|
|
|
エゾクロテンの毛皮 |
中国へ輸出された |
|
|
|
|
|
|
600ロシア船の来航
|
601ロシア船の来航
|
18世紀初頭からロシアは毛皮獣獲得のため、東に植民地を拡大し、千島列島の南下も見られた。
1778年に国後島のアイヌ民族の総首長であったツキノエの先導により、ロシア商人のシャバーリンがノツカマップ(根室市牧之内)に来航。
1792年には大黒屋光太夫ら漂流民と共に、ロシア初の遣日使節であるラクスマンが現在の根室港に来航した。
18世紀後半、この地域のアイヌ民族の首長には、ラッコ毛皮の入手のため、ロシア人と交易する者もいた。 |
|
|
|
|
|
|
|
ロシア船の来航 |
ノツカマップ
遺跡の位置
|
ノツカマフ1,2号チャシ跡
|
厚岸に上陸した
シャバーリン一行 |
|
|
603
|
ロシア皇帝の名を冠した船
俄羅斯舩之圖 (複製)(おろしゃふねのず) 根室市指定有形文化財
ラクスマンや大黒屋光太夫らが根室にのって きたエカテリーナ号を描いたもの。 根室来航 時は41人が乗り組んでいた。 全長約27m、 幅約5m、重量約75トンの輸送用帆船を改造 したもの。
右上の由緒書によると、 寛政4(1792)年9 月に蝦夷地のネモロ (根室)で松前藩士が描 き、 文政8 (1835) 年5月に秋山廣が写し、 聖堂の石井正継が所蔵したものとある。
エカテリーナ号の絵図は様々な種類があるが、本資料はロープの張り方など精緻に描かれており、原本に近い史料とされる。 |
|
エカテリーナ号の船長さん
ワシレイラフロウ之圖 (複製) 根室市指定有形文化財
1737年生まれ、 没年不明。
エカテリーナ号船長のヴァシリー・フョドロ ヴィチ・ロフツォフを描いたもの。 根室来航 時55歳。 少尉補だった。
松前での日露会談でもラクスマンの補佐とし て活躍し、 帰国後は海軍大尉に昇進。 絵図右 上には身長が190cmあったことが記してある。 |
|
605スケート
|
日本で初めて記録されたスケート
ヱギライ ドロバス ト云
一名 コーニキー
此鉄二分位
魯齊亜人足ニ図ノ如キ 物ヲハキテ氷上ヲスリ淳フ 其早キコト鳥ノ如シ
或ハ両足 或ハマワリ 或ハカヱシ 身体ノ自由ナルコト 感心スベキノ甚キナリ
ラクスマン根室来航時のロシアに関 する情報をまとめた 「魯斉亜」 (刈谷 市図書館蔵)には、氷の上でスケー トをしているロシア人が絵図として 記録されている。 スケートに関する 日本最古の記録であり、ロシア人が 根室に持ち込んだ生活文化は驚きと ともに伝えられた。 |
|
オランダで使われたスケート
スケート
ラクスマンたちが使っていたスケートの 参考品。 ラクスマン根室来航の約100年 後の1880年頃のオランダ・フリースラン トで使われていたもの。 カナダ・アルバー タ州立大学芸術デザイン学部長であった Jetske Sybesma 氏の家に伝わるもの。 根室出身の芸術家である池田良二氏 (武 蔵野美術大学名誉教授) の収集による。 |
|
市民手作りの模型
エカテリーナ号の模型
北洋漁業の機関長として活躍された根 室市在住の経塚勝美さんが2014年に、 ラクスマン根室来航 222年を記念し制 作、 寄贈されたもの。
展示物にさわらないでください |
|
607
|
ラクスマン一行が測量した
根室港 厚岸港図 (複製) ロシア軍事古文書館所蔵
この測量図は、ラクスマン一行が根室滞在中 に測量した図である。 根室や厚岸で実測され た図としては一番古い例だろう。
根室港図では、 「日本役人の兵舎」 「ロシア人 の越冬した兵舎」 「アイヌ民族の家」 等が描か れている。 また、 根室港周辺の植生について も言及されており貴重な記録である。
厚岸港図では1779年のシャバーリンの来航についても触れている。 |
|
厚岸港図
|
|
. 厚岸港図
2. アイヌ人の幕舎
3. アイヌ人の幕舎
4. 日本人の営舎
5. アイカップ岬
6. この場所に去る1779年
水先案内人ドミトリイ・
シャバリンがバイダラ舟を停めた
7. ツクシコイ岬
8. 厚岸港
9. この場所に 1793年にロシア船が停泊した
10. ラムグラ岬? |
11. 暗礁 12.ネチ岬
12. ネチ岬
13. 小大黒島
14. 大黒島
15. 日本船
16. 日本船
17. シリパ岬
18. 暗礁
19. この場所で松前および 北方からの船が出入りする
20. 縮尺半英インチが1ヴェルスタを示す(1/84,000) |
|
|
1. 根室港図
2. 根室島 (弁天島)
3.岩礁
4.アイヌ人の募舎
5.根室港
6.日本人の営舎
7. ロシア人の営舎
|
8. アイヌ人の幕舎
9.この場所にはカシワの森があり、
一部にシラカバが生えている。
またアシが生えている場所は耕作に
適している
10. 縮尺1 英インチが
100 サージェンを示す (1/8,400) |
|
ラクスマン来航時の根室を描いた
キイタフ之内子モロ場所之図 (複製)
学附属図書館蔵
ラクスマンが根室で越冬している間に、松前藩
の役人が描いたものである。
○○下の弁天島にロシア船エカテリーナ号が停
泊し、結氷した海の上をソリをひいて荷物を運
入れる様子が描かれている。
根室には、日本人役人が詰めていた運上屋やラ
クスマン一行が建てたロシア人小屋が確認でき
る。また右上には、根室市指定天然記念物であ
る「ミズナラの風衛林」を思わせる、強風によ
り曲がった木立が描かれ、「此辺皆柏楢木立」
あり、当時の根室港周辺の様子を知ることが
できるとともに、写実性の高さを裏付ける。
撮影禁止 |
|
ロシア人たちの越冬の様子
ヲロシア人物并小屋内図 (複製) 天理大学附属図書館蔵
ラクスマンは幕府に通商を申し込み、回答を 待つ間、小屋を建て越冬した。 右端がラクス マン、となりが商人のバービコフ。 一人おい て、右手にグラスを持つ人物がエカテリーナ 号船長のロフツォフ。 そのとなりの後を向い た人物は磯吉と思われ、かたわらに大黒屋光太夫が立っている。
人物の服装やティーセットなど当時の日本人 にとっては珍しく写り、越冬小屋の内部の様 子を写実的に伝えている。 |
|
|
630千島アイヌ資料
|
631千島アイヌ強制移住
|
1875(明治8)年にロシアと結ばれた樺太千島 交換条約により千島列島は日本領となった。 中部千島から北千島に住んでいた千島アイヌは 国籍選択を迫られ、日本人として北千島に残っ たが、 経済支援にコストがかかる理由などから、 1884 (明治17)年に色丹島へ 97人が移住させ られた。 色丹島では海獣狩猟から農業に生業転 換を迫られ、 本来の生業が奪われた。
和人との共住で病死するものも多く、 文化伝承 者は数を減らし、 太平洋戦争後は言語や生活文 化の伝承が途切れてしまっている。 |
|
千島アイヌの強制移住 |
北千島と積丹島の位置 |
カムチャッカ半島
占冠島 |
占冠島から積丹島へ |
|
|
1878(明治11)年撮影の移住前の千島アイヌ
The picture of Kuril Ainu was taken in 1878 before
relocation. |
|
|
|
|
千島アイヌの考古資料
|
千島アイヌが北千島周辺に住みだしたのは
15世紀後半以降とされ、煮炊きに 「内耳土器」 を使っていた。 内耳土器は中世の東日本で鉄鍋 を模倣して作られはじめ、 千島アイヌは19世紀 初め頃まで使っていた。
カムチャツカ半島南部の遺跡からも内耳土器は 出土しており、 千島アイヌの文化領域は島嶼部 だけではなかった。
太平洋戦争以前、 日本人研究者が北千島で発掘 した千島アイヌに関する資料が残されており、 現在も地理的に発掘調査がされる機会は少ないため、 戦前の発掘資料は貴重である |
千島アイヌの考古資料
|
内耳土器の減少
北千島-カムチャッカ半島における内耳土器出土分布次第に減少 |
|
花咲学校に編入した智今アイヌの子弟
|
3人の千島アイヌ婦人
|
ヤコフ ストローゾフの墓
(千島アイヌの首長)
|
|
633内耳土器
|
北構コレクション 占守島出土
土器の内側に吊り耳が付いている。 北千島では、鉄鍋の供給が少ないた め、近世においても煮炊きに土器を 使った。
土器内部に残っている炭化物を分析 した結果、 魚類や海獣類の脂質によるものであることがわかった。 |
|
635
|
容器 (テンキ) 色丹島収集
北千島から色丹島に移された千島ア イヌが作ったもの。テンキグサ (ハマニンニク) を乾燥させ、 コイル状に巻いたものを積み上 げて成形している。
小刀 (マキリ) アイヌ人 SHIKOTAN M-HAYAG! 北構コレクション 色丹島収集
北千島から色丹島に移された千島アイヌが所持していたもの。使用により刃の部分が著しく摩滅している。 |
|
637根室市で収集されたアイヌ民具 Ainu folkcrafts collected in Nemuro City
|
根室市内で作製され、 現存するアイヌ民具は少 ない。 明治初期に根室市街地で商家を営んでい た家の蔵で、 明治 10~20年頃に幌茂尻(ほろもしり)に住ん
でいたアイヌ民族が作製した木綿衣、 樹皮衣、 前掛けの合計5点が保管されており、2007年に 根室市の指定文化財となっている。
また穂香では行器(ほかい)などの漆器が伝わっている。 根室におけるアイヌ文化の工芸技術を現在に伝 え、製作地やおおまかな製作年代がわかってい る資料として貴重なものである。 |
|
アイヌ民具が作製された場所
幌茂尻ほろもしり
穗香(ほにおい)
The location of town where Ainu folkcrafts were made. |
明治10年頃の根室市街地
Nemuro city area around the 10th year of the Meiji era |
|
|
639
|
捧酒箸 (イクパスイ) 椀・天目台 (トゥキ) 収集地 根室市穂香
行器に収められていたもので、 儀 式の際に、神や先祖に酒を捧げる ために使われたもの。 |
|
行器 (シントコ) 収集地 根室市穂香
アイヌ民族が交易や労働対価によ り、 和人から入手したもの。
宝物として扱われ、 住居の奥に飾 られ、 保有数が家の格を示してい た。 酒を作る容器としても使われ、儀式の際に祭壇に置かれた。 |
|
|
650根室空襲
|
660近代の根室
|
|
700自然誌
|
北海道の東の端の海が豊かなヒミツ
海流と流氷が運ぶものとは?
根室をはじめ、冬の北海道のオホーツク海側には流氷がやってきます。この流氷と海流が知床や北方四島そして、根室の海に多くの生物たちが集まることと深いかかわりをもっています。 |
|
中国、ロシアの豊かな大地を流れる大河アムール川。 窒素・鉄などの栄養を多く含んだこの川の水が
オホーツク海北部ロシア沿岸に大量に流れ込みます。その水が海水に混ざり、シベリアからの北風によって
凍り、流氷になります。 流氷ができる時に窒素などの養分は海水に溶け出し、鉄は流氷の中に閉じ込めら
ます。 養分を含んだ海水と流氷は海流と北風によって運ばれてきます。 |
北海道の東の端の海が豊かなヒミツ
|
|
オホーツク海の海流と流氷
|
|
|
|
|
北からの海流により運ばれた栄養を含む海水は知床や四島周辺で南から来る海流とぶつかり、かき混ぜられ、海の表面にでてきます。
その栄養と流氷が運んだ鉄をもとに、植物プランクトンが春から秋まで他の地域より長い期間、大発生します。
植物プランクトンを食べ動物プランクトンも大増殖、北と南からの海流にのり、それを食べに魚たちが集まります。
魚を狙い、アザラシ、クジラなどの海獣類や海鳥もやってきます。
多様な生物が暮らす海の生態系は、流氷と海流によって遠くアムール川かわ運ばれた栄養で育まれています。 |
|
701根室-羅臼の海の知床と海棲哺乳類の主な分布
|
春〜夏にかけての海棲哺乳類の分布
餌を捕る水深に合わせ、生息する海域が決まっているようです。
【羅臼沖】
マッコウクジラ・イシイルカ・ツチクジラ・シャチ
沿岸から水深が1000mまで一気にさがる羅臼沖の海潜水が得意なマッコウクジラ、ツチクジラやシャチが餌を求め集まってくる。
【 野付半島周辺】
ゴマフアザラシ・ネズミイルカ
水深が浅く、アマモ場が続く野付半島周辺の海ゴマフアザラシが砂洲などで休む姿や浅い海を好むネズミイルカが見られます。
【大陸棚付近海域 水深200m】
カマイルカ・ミンククジラ
水深50-200m海域で見られるミンククジラとカマイルカ。納沙布岬付近を通過していくのをみかけることも。
【根室太平洋岸】
ラッコ・ゼニガタアザラシ・ネズミイルカ
水深100m以下の比較的浅い海域が続く根室太平洋岸。にはラッコやゼニガタアザラシが生息繁殖している。 |
|
ラッコ 体長約130cm 体重:約30kg
ぼくラッコ!! 実はけっこう体が大きいんだ貝やウニ、カニを食べるよ。わきの下にポケットがあってかたいをわるための石が入っているよ。
アザラシさんたちは脂肪で体温を保って冷たい海で暮らすけど私たちは1cm四方に約15万本の毛が全身にはえていて、その毛の中に空気をためて、体温を保つの。ふかふかあったかな毛皮なの。
ラッコの歴史・・・
ふかふかのラッコの毛皮は高級品とされ、かつて多くのラッコが捕獲されました。 一時は絶滅寸前にまでラッコは数を減らしましたが、国際的に保護され、
その数は回復してきています。
根室のお隣の北方四島では現在約2000頭が生息しており、 2014,15年には根室のユルリ・モユルリ島でも子育てをするラッコが確認されています。 |
|
702
|
ラッコの毛皮のひみつ
ラッコは皮下脂肪がほとんどない代わりに、ひとつの毛穴から80本ほど の体毛が高密度に生えている。 この毛皮に空気を含ませることによって、 海上での浮遊生活が可能になる。
上毛 (ガードヘアー) は固く、体を守り、 下毛 (アンダーファー) は柔らかく、 空気 を含ませ、冷たい海水から身を守る。
毛皮はラッコの生命線であるので、グルー ミンク毛の手入れ)は常に行っている。 1989年のアラスカでのタンカー事故の時 は重油が体毛にからみ付き、 毛皮の機能が 低下して、多くのラッコが溺死、 凍死した。 |
|
剥製・骨格標本について
●この標本は、1996年8月2日根室市落石岬海域に設置された44号 定置網に誤ってかかり死亡したチシマラッコです。 完全標本(剥製+ 骨格)は世界でこれだけで、貴重な学術データも得られました。
和名: チシマラッコ
学名: Enhydra lutris gracilius
性・齢: ♂ (オス)・成獣(6歳)
採集 : 1996年8月2日 北海道根室市落石岬海域 (44号定置網)
骨格製作: 1998年・北海道大学獣医学部
標本になったチシマラッコの採集場所 |
ラッコ |
|
|
|
|
|
ラッコの毛皮の秘密 |
太くて長い
ガードヘアー
細くて短い
アンダーファー
皮膚組織
|
剥製骨格標本について |
|
|
|
|
703
|
ゼニガタアザラシ
おいらゼニガタアザラシ。
むかしはお金を“ゼニ”ってよんでたんだ
おいらのもようは5円玉みたいでしょ
だから“ゼニガタアザラシっていうんだ
大きさ:150-200cm
重さ:80-180kg
ノサップ岬や落石岬で
海からぷかーっかおをだしてるよ
おいらは一年中ねむろにいる
サカナやタコをたべるよー
おいらたちは人の来ない海岸の岩場でこどもをうむよ。
毛のぬけかわりの時期にはみんなで岩場でねているよ |
|
ゴマフアザラシ
わたしゴマフアザラシ
黒ゴマのようなもようでしょ。流氷のうえでこどもをうむわ
大きさ: 160-170cm
重さ:70-130kg
流氷のうえはこわいシャチもこないからあんしん。
生まれてしばらくは、毛の色が氷とおなじまっしろで、ワシからもみつかりにくいんだ
わたしたち、サカナが大好き
冬の間ねむろにやってきて春になると北の海にかえるわ
ほとんどが北にかえるけど
夏のあいだもふうれん湖の まわりでくらすゴマフアザラシも いるんだ |
|
705
|
クジラが漂着する根室の海岸!
死んだクジラを調べると?
太平洋とオホーツク海に囲まれ、海流が交差する根室半島の海岸。そこには海で息絶えたクジラやイルカが漂着します。 漂着したクジラたちら採集した頭骨や背骨などの体の一部を展示します。
クジラたちの大きさや、陸上の生物とは異なる骨の形などに注目して観察をしてみてください。 |
|
ここ数年で根室の海に漂着したクジラたち
シャチ・ミンククジラ・ザトウクジラ・セミクジラ・マッコウクジラ |
|
クジラが漂着する根室の海岸
|
|
砂浜に打ち上げられたセミクジラ
砂浜で骨になったミンククジラ |
|
クジラの情報満載・ 漂着死体は宝物
漂着したクジラの死体からは歯・脂肪・筋肉・皮膚などの試料が採取できます。
その試料からどんなことがわかるのでしょうか?
歯 : 断面にできる層から年齢がわかる。
脂肪: 有毒物質の影響がわかる。
皮膚: 遺伝子を調べる。
筋肉組織: 炭素と窒素の比率で食物が推定。
海で暮らし観察がしにくいクジラの生態を解明するため漂着死体は重要なんです。 |
漂着したマッコウクジラから試料採取
|
|
|
マッコウクジラの下顎骨 英名: Sperm Whale 学名: Physeter macrocephalus
マッコウクジラはオスは体長15から18m、体重36~65t、
メスは体長11~13m 体重12~18tの大型の歯クジラ、水深の深い海域を好み、イカ類や魚などを捕食する。下顎にだけ20~26対の歯が生え、上顎の歯は未発達で口の中に出ることはほとんどない。
この下顎の骨は根室市桂木浜に座礁した死体から採取。刃のあった場所に円形の溝が並んでいます。 |
|
セミクジラのヒゲ板 英名: Pacific Northern Right Whale 学名:Eubulena japonica
セミクジラは体長15~17m 体重45~60tにもなるヒゲクジラの仲間です。
上顎には200~270枚のヒゲ板が 並んでいて動物プランクトンなどを海水ごと飲み込み、濾して食べます。
展示してあるヒゲ板は2017年に根室市落石三里浜に座礁したセミクジラの死から採集したものです。 |
|
シャチの頭骨
シャチは体長5-8mの歯クジラの仲間。
お母さんを中心にした群れを作って生活をしているんだ。 根室では納沙布岬でたまに見ることができるよ。
この頭骨は2017年の夏にフレシマ海岸に打ちあげられたシャチのものだよ。
ロの溝になっている部分には鋭く同じ形の歯がならんでいたんだよ。 |
シャチの頭骨 |
|
|
707
|
ヒグマ
ぼくはヒグマ。
ねむろの深い森でくらしてる。
ぼくらは肉や魚ばかり食べてるっておもってるでしょ?
春にはフキ、秋はドングリやヤマブドウじつはいろんなものを食べているよ。
体の大きな私たちはいっぱい餌がいるのだから、餌の少ない冬は大きな木の下にあいた穴なんかで冬眠して春をまつわ。 |
|
711
|
根室の海にも暮らしてるウミスズメの仲間はすごい
潜れる!飛べるすごい奴ら
潜水・泳ぎ上手の鳥と言えば、南半球に生息するペンギンを思い浮かべる方が多いかと思います。
実は、ウミスズメの仲間たち、ペンギンたちにも劣らない潜水泳ぎ上手なんです。
同じような体重のコガタペンギンと比較すると、ウミスズメの仲間の方がより嘆く・深く潜水することができます(図1)。
しかもウミスズメの仲間は空を飛ぶこともでき、飛ぶ能力に関しても他の海鳥と差はありません。
飛ぶ時と泳ぐ時の羽ばたきを比較した研究によると、泳ぐ時は 飛ぶ時の約半分に翼をたたみ、羽ばたいて泳ぐことがわかっています(図2)。
これは飛ぶ時・泳ぐ時、それぞれで効率よく推進力を得られるように翼の使い方を調節した行動と考えられます。
潜れるがゆえの悲しみ
ウミスズメの仲間たちの死亡要因の一つに魚を捕る漁網に誤ってかかる 『混獲』があげられます。
漁網が目に見えにくいナイロン製に変わった1960年以後、北太平洋で行われた刺し網、流し網漁により大量の海鳥たちが混獲されたことが報告されています。
北海道沿岸でも刺し網漁は行われおり、エトピリカなどの減少の一因であると考えられています。 海鳥の混獲を防止するために、海鳥がかかりにくい漁網や漁法の開発がすすめられています。 |
|
ウミスズメ 英名: Ancient Murrlet 学名: Synthliboramphus antiquus
体長約14cm,体重 約200g 食性 オキアミ・イカナゴの幼魚
日本では天売島と岩手の三貫島、 根室でもハボマイモシリ島などで繁殖の記録があるよ。 ヒナは卵から孵って1-3日後には親に巣穴から連れ出され、子育てのほとんどが海上で行われます。
エトピリカと同様に日本国内では絶滅が心配される鳥の一種です。 |
|
エトロフウミスズメ 英名: Crested Auklet 学名: Aethia cristatella
体長 約25cm 体重 約285 食性 カイアシ類など動物プランクトン
アラスカ・北千島・アリューシャン列島などで繁殖し、根室では主に冬にみられる冬鳥。 頭のピヨッした飾り羽は異性を惹きつける! また、シトラスのようないい匂いがエトロフウミスズメの体から出ていて、
オスは匂いが強いほど、飾り羽が長く、健康で 『モテル』 らしい。
参考文献: Douglas et al. (2018) Behavioral Ecology, 29 (3), 736-744. |
|
エトピリカ 英名:Tutted Puttin 学名: Fratercula cirrhat
体長 32-41cm 体重約700g 食性 オキアミ・小魚小さいイカ
アイヌ語で『エト』はクチバシ 『ピリカ」は美しいという意味。冬には飾り羽と嘴の突起が取れて地味にります。海岸の崖の上の土の部分に穴を掘り、子育てを行います。
北方四島を除く国内では根室のユルソ・モエルリ島で数つがいが繁殖するのみ。日本国内での絶滅が心配されています。
ウトウ 英名: Rhinoceros Auklet 学名:Cerorhinca monocerata
体長約28cm 体重約500g 食性 イワシ・イカナゴなど小魚
アイヌ語で「ウトー』は突起という意味で、嘴の上の突起からその名前がついたとされます。根室ではユルソ・モユルソ島などで繁殖しており、環境省の調査ではユルソ・モユルリ両島を合わせて約15000個のウトウの巣があると推定されています。
ヒメウ ペリカン目ウ科 冬 羽 Phalacrocorax pelagicus
時鳥:冬鳥、北海道では留鳥
生息環境:岩礁のある海岸付近の海上
国内分布: 日本各地の海岸
餌:魚類
英名: Pelagic Cormorant |
エトロフウミスズメ |
エトロフウミスズメ
|
ヒメウ・エトピリカ・
ウトウ
|
|
|
|
|
713
|
オオワシ 英名: Steller's Sea Eagle 学名: Haliaeetus pelagicus 絶滅危惧Ⅱ類
体長: 約90cm,体重:6~9kg 食物: 主食は魚。 エゾシカの死体・カモなど
どんな生き物なの?
アジアの東側のみに生息し、世界で約5000羽しかいないワシなんだ。
冬を越すために約1000羽が根室の周りにやってくる。 本来は産卵を終えたサケを冬の餌としていたけど、川にのぼるサケが減り、根室では氷下待網漁のおこ
ぼれやシカの死体を食べ冬を越している。
オジロワシ 英名: White tailed Sea Eagle 学名: Haliaetus albicilla 絶滅危惧Ⅱ類
体長: 約80cm,体重:4~7kg
食物: 主食は魚。 エゾシカの死体・カモなど
どんな生き物なの?
広くヨーロッパまで分布しているよ。根室でも繁殖しているワシだよ。魚が主食だけど、大きなアオサギを捕まえて食べることもあるよ最近は数が増えてきていて、
海鳥の繁殖地を襲い、 海鳥がいなくなってしまった場所も・・・。
ワシたちが抱える問題は?
川が開発され、人間が河口でサケを捕ってしまい、サケが川にのぼらなくなり餌が不足してるよ。かわりに、シカの死体を食べるようなったけど交通事故で死んだシカを食べるために、道路や線路に近づき事故にあってしまう。シカの死体の中に残った鉛の弾を食べてしまって、鉛中毒なってしまったり、風力発電の風車にぶつかって、高圧電線で感電死するワシもいるよ。
守るために何がされているの?
鉛中毒をなくすために、鉛の弾を使うのを禁止する法律ができました。事故や鉛中毒になったワシたちを獣医さんたちが治癒してくれています。
ワシの行動をしらべてどのような場所に風車をたてればワシがぶつからないようにできるか研究がすすめられています。 ワシが冬に食べるサケがたくさんのぼる川を取り戻すことも重要です!!
|
|
715哺乳動物
|
意外と雑食なヒグマの頭骨
肉や魚ばかりを食べていると思われがちなヒグマですが、フキやドングリ、アリなどの昆虫も食べる雑食の動物です。
サケなどをしとめる立派な犬歯を持っていますが、奥歯は平らで草や木の実をすりつぶすことができます。
草食のエゾシカの頭骨
上あごに前歯はなく固く平らな歯茎がある平たく先が薄い下あごの前歯上あごの歯茎がまな板、 下あごの前歯が包丁の役割をして草や木の皮などをスパッと切ります。すり鉢のような溝のある奥歯をしていて、左右に口を動かし草を細かくすりつぶすのに適した歯をしています。
野生動物の歯に関するよくある質問?
Q1. 哺乳類の歯は生え変わるの?
哺乳類の歯は一生に一度だけ、乳歯から永久歯に生え変わるよ。生え変わりはしないけど、固いものをかじるウサギ・ネズミの仲間の前歯は伸び続けるよ。
Q2. 野生動物は虫歯になるの?
虫歯は砂糖を食べて、歯のエナメル質が溶けてかかる病気。砂糖を食べないから野生動物は、ふつうは虫歯にならないよ。ただ、歯が折れたり、年をとって歯がすり減ると虫歯になることもあるんだ。 |
|
哺乳類の頭の骨を見てみよう!
食べるためのかたち=歯』に注目!
哺乳類の歯は、効率よく餌を捕り(採り)、食べるために長い時間をかけて進化してきました。どうして?そんな『かたち』になったのか?歯の『かたち』に注目して頭の骨を観察してみよう。
肉食哺乳類の頭骨
キタキツネ・エゾクロテン
長い犬歯・のこぎり状の奥歯
一見、かわいい、キタキツネやエゾクロテンですが、れっきとした肉食動物。長い犬歯は獲物を
しとめ、ノコギリのように鋭い奥歯は"肉歯”とよばれナイフのように肉を切り裂きます。
魚を食べる 海獣の頭骨
ゴマフアザラシ・カマイルカ・トド
海の中で魚やタコなどを捕まえる海獣たち。捕まえたエサは丸のみすることがほとんどなので 歯で切り裂いたり、かみ砕いたりすることはありません。そのかわり、同じ形の歯が隙間なく並び
捕まえた獲物を逃さない構造になっています。 |
|
|
|
|
|
|
カマイルカ |
トド |
トド |
ゴマフアザラシ |
キタキツネ |
エゾクロテン |
|
|
717
|
鳥の嘴は手のかわり?
鳥たちは前肢が翼に進化し、空を飛ぶことができます。 引き換えに物をつかんだり引っ張ったりする手の持つ機能を失いました。 嘴は手のかわりにつついたり、
つまんだり、くわえたりといった役割をします。 色んな嘴を見てみよう!
鳥に歯はない!?
歯を支えるには重たいあごの骨が必要です。
鳥の嘴はあごの骨が変形し固く軽い角質(毛や爪を形成する外皮)の鞘に覆われたもの。
歯を持たないのは飛ぶのに有利なよう、体を軽量化するための適応だと考えらます。
歯の代わりは『ふくろ』
嘴には歯のように細かくすりつぶす”ような機能はありません。 その代わり鳥は強力な筋肉を持ち、固い食物をすりつぶす”ことのできる砂(筋胃)を持っています。
素嚢: 食べたものを一時的に貯蔵する『ふくろ』。
前胃:消化液を分泌する、消化のはじまりとなる『ふくろ』。
砂嚢:強力な筋肉で固いものをすりつぶし消化する『ふくろ』。
種類によっては砂や小石を飲み込み、砂に貯めて消化の助けにします。 |
|
鳥のくちばしは手? |
|
長い嘴のシギたち オオジシギ・チュウシャクシギ
シギたちの長い嘴の先端には人間の指先のような触覚があります。 嘴を干潟の泥や土の中に差し込み、嘴の先端でゴカイやミミズを探し、捕らえて食べます。
他にも特徴的な嘴のシギたち
ヘラシギ
ヘラのような嘴を泥や水の中で左右に動かし、 甲殻類や昆虫などを捕るよ。
ミヤコドリ
縦に平らな嘴をしています。その嘴を貝殻の隙間に差し込み開いて食べます。
ソリハシシギ
少し上向きに反った嘴は水面や泥の上にいる餌動物を捕るのに適すと考えられます。
多くの鳥が集まる干潟で餌資源を分け、効率よく捕るため、シギ達の多様な形の嘴が進化したと言われています。 |
長い嘴のシギたち |
|
オオジシギ・チュウシャクシギ |
派手なエトピリカの嘴
ノコギリウミアイサの嘴
先が鋭いオオワシの嘴
|
魚とり名人カワセミ
昆虫食のシジュウカラ
種を食べるアトリ
|
|
イスカの交差した嘴
交差した嘴はイスカの大好物である松の実を食べるため進化した『かたち』です。固い松かさの隙間に差し込み 『てこ』のように左右に動かして上手に実を取り出して食べます。花の嶌たちがなかなか食べれない、松の実を利用することで、イスカは生き残ってきたのです。
松の実は松かさ包まれ取り出すのが難しい |
|
721
|
タンチョウ 英名: Japanese crane 学名: Grus japonensis 絕滅危惧Ⅱ類
体長: 約145cm,体重:約10kg 食物: 小魚, 水生昆虫, 小エビ, 植物種子など
どんな生き物なの?
日本で繁殖する唯一のツルで湿原や干潟などで暮しています。翼を広げると240cmもあり、 アイヌの人からはサルルンカムイ=湿原の神と呼ばれています。
湿原のヨシ原の中に1mほどの大きな巣を作って子育てします。 鶴居村や阿寒の給餌場に集まり冬を越します
かつては絶滅の危機に
明治時代に人間に捕られてしまったり、開発によって湿原が激減し住む場所を失い、数を減らし、絶滅したと思われていました。 大正時代に釧路湿原で十数羽が生き残っているのが発見され、そこから保護活動がはじまりました。
守るために何がされているの?
餌の少ない冬に給餌をすることで冬を越すことができ数が増え現在推定1500羽!!分布も広がったよ。 しかし生息場所の湿原が減り、牧場など人の近くで暮らすことで、牛の糞尿をためるタンクに落ちて死んだり、交通事故にあうこともあります。
また、 冬にほとんどの個体が給餌場に集まるため鳥インフルエンザなどの病気が広がり、全滅してしまうことも心配されます。 湿原を守り増やす活動や、給餌量を減らし、越冬地を分散させる取り組みが行われています。 |
|
アカエソカイツブリ
オナガガモ
キンクロハジロ |
キンクロハジロ
チュウシャクシギ |
コクガン
チュウシャクシギ・オオジシギ |
タンチョウ |
タンチョウ |
|
風蓮湖・ 春国岱は渡り鳥の休憩所
春と秋の渡りの時期、 風蓮湖、 春国岱、 野付湾や国後島ケラムイ崎には、多くの渡り鳥たちが集まり
羽を休めます。 なぜ、渡り鳥達がこの地域に集まり、休憩するのか、そのヒミツを紹介します。
1 渡りのルート上、重要な場所
風蓮湖 春国岱や野付湾は北海道の東の端に位置しています。 種類や個体にもよりますが、千島列島に沿って渡る鳥や一気に海を越える鳥達にとっては、海を越える前後に休憩をし、エネルギーを蓄えることができる地理的に重要な場所です。
2餌がたっぷり、エネルギー補給できる場所
汽水湖である風蓮湖や遠浅な野付地域の海にはアマモ場が多く、潮がひくと広大な干潟が現れます。
アマモ場や干潟は鳥たちにとって豊富な餌があるレストランです。 オオハクチョウやコクガンは好物のアマモを、シギ・チドリは干潟でゴカイなどの小動物をたっぷり食べて、次の移動に必要なエネルギーをしっかり蓄えることができる場所なのです。
国際的にも大切な水鳥の生息地
風蓮湖、春国岱は、渡り鳥の休憩場所としてだけではなく、夏にはタンチョウが子育てをし、冬は、 オオワシ、オジロワシが越冬のために集まってくる場所でもあります。豊かな自然環境を持ち、水鳥を中心に多くの鳥たちが暮らす風蓮湖・各国は水鳥の生息地として国際的に重要な湿地を保全するための条約、『ラムサール条約』
の登録湿地になっています。 |
|
723哺乳類
|
キタキツネ
|
タヌキ |
エゾシカ幼体 |
エゾユキウサギ |
エゾクロテンと
イイズナ |
イイズナ
|
エゾリス
|
エゾモモンガ
|
エゾモモンガ |
|
|
|
725
|
シマフクロウ
絶滅危惧IA類 体長: 約70cm 体重:約3.5kg 食物: 主食は魚。 ネズミ,カエルなども
どんな生き物なの1
世界最大のフクロウの仲間!! 北海道では現在165~180羽位しかもっとも絶滅の心配されるアクロウだよ。川や湖のほとりにある
深い鼻の奥で暮らしているよ。主食はサケやマスなどの魚だよ。川や湖が凍るとカモやネズミを捕まえる。春はカエルをよく食べるよ。
どんな生き物なの2
オスがボーボー、メスがウーと鳴きあうよ。大きな木にできた州で子育てするよ。卵はメスだけが抱いて、オスはせっせと運びをするよ。
沢山の魚がいる川と大きな木がある豊かな隙がないと暮らしていけないんだ!! |
|
なんで減ってしまったの?
ダムなどで川がせき止められたりして餌の魚が川に少なくなってしまったこと。開発で巣が作れるような樹洞ができる大きな木がなくなってしまった。
交通事故や送電線で感電死してしまうシマフクロウも・・・
守るためにされている事
餌の魚が川の上まで行けるようにダムを取り除いたり、子育てをするための巣箱をかけたりしているよ。
交通事故を防ぐために、塩や道路に旗や肩を立て事故防止をしているよ。 シマフクロウがくらせる森づくりもおこなわれているよ。 |
|
シマフクロウ (成島) フクロウ目フクロウ科 Ketupa blakistoni blakistoni Seebohm, 1884
時期: 留鳥
生息環境: 植生の豊かな河畔林がある河川・湖沼
国内分布: 北海道の東部中心に分散的
餌: 主に魚類、またネズミ類 カエルなど
性 (齡) 不明 (約3年) 採集日
1986年4月29日
採集地 北海道根室市東梅 第一トウバイ川 |
シマフクロウ |
シマフクロウ
絶滅危惧1A類 |
シマフクロウ |
|
シマフクロウ |
|
シマフクロウの雛 |
|
シマフクロウ |
|
|
|
|
727
|
★ エゾシカ
わたし、エゾシカ
ねむろの森と草原にくらしてる。
草や葉っぱ、木の皮なんかを食べるわ
最近は牧場の草がお気に入り!!
わたしは一年通してねむろにいるけど
冬には何千頭もの仲間がねむろに来るわ。
雪がおおい山の方から冬をこすために、 ねむろに来たぜねむろは雪が少ないから、草が食べれるし、移動も楽ちんだただ、 仲間の数が増えすぎて、ちょっと餌が足りない。
今まで食べてなかったトゲトゲのハマナスとか食べないと冬をこすのがきびしいぜ!! |
|
|
731アホウドリ
|
ねむろ沖の海には3種類のアホウドリの仲間が立ち寄るよ
アホウドリ 体長:約90cm 翼開長:約220cm
じつはいちばん会いにくい かなり沖のほうにいるよ
クロアシアホウドリ 体長:約70cm 翼開長:約200cm
黒いボディがかっこいいだろ
コアホウドリ 体長:約80cm 翼開長: 約200cm
ねむろでいちばん会いやすい 目つきがするどいぜい
エサのサカナを求めて何千キロも旅をするんだ
エサをもとめていどうするよ
7月-9月は移動しながらくらす
鳥島(子育て・10月-5月)
(例) アホウドリの渡りルート (長谷川 2013を参考に作成) |
|
アホウドリたち
ぼくはコアホウドリ
旅のとちゅうでねむろの海にたちよるよ。 ぼくのふるさとはずーっと南の島なんだぁ
何千kmも海の上を旅するのさ
私たちはつばさはひろげると2mくらい、とっても長いの。
海のかぜをうけてとぶのにすごくべんりなのよ。
だけど、じめんにおりると長いつばさがじゃまで上手にとびたてないわ
台風のあととかに風で陸にとばされてきて、うまくとびたてなくて困っていることがあるから、みつけたらたすけてねー。 |
|
コアホウドリ ミズナギドリ目 アホウドリ科 Diomedea immutabilis
時期 : 漂鳥
生息環境: 沖合い海上
国内分布: 太平洋・ 伊豆諸島の鳥島、小笠原諸島と
硫黄列島の一部で繁殖
餌: 魚類 イカなど
英名: Laysan Albatross |
|
733
アビ と オハム |
オオハム |
|
アビ |
|
|
カッコウ |
|
タカの威を借るカッコウ |
|
|
托卵カッコウ |
|
735フクロウ
|
フクロウ目フクロウ 英名: Ural Owl 学名: Strix uralensis
体長 58-61cm 体重 約800g 食物 ネズミ類、 小鳥類、 カエルなど
ホー・ゴロスケホゥホゥとなくフクロウ。 北海道の亜種エゾフクロウ は体が白っぽく、とてもきれい。 巣になる樹洞できるような大きな 樹洞ができる広葉樹と隠れ場所になる針葉樹が混在する森を好むようです。音もなく忍び寄りネズミなどを捕える有能なハンターです。 |
|
737
|
コノハズク |
オオコノハズク |
トラフズク |
コミミズク
|
コミミズクのカギヅメ |
|
森の木の実と動物たち
木の実は誰に食べられたい?
森の木の実は、動物にとってはおいしいごちそうです。実は木の実たちも
動物に食べて運んでもらいたいんです。 木の実はなんで運ばれたいんだろ?
木の実が食べられ・運ばれたい理由とは?
理由1. 親から離れたい
光がこない・兄弟多すぎ・栄養たりない 親の近くは光や栄養が少なく育ちにくい
理由2. 新しい場所に拡がりたい その種類が絶滅するリスクが下げれる。異なる遺伝子を持った個体と子孫を残せる。
動物達に食べて運んでもらうために
木の実が動物に運んでもらうためには食べてもらわないといけません。
しっかり食べてもらうために、動物たちにとって魅力的な餌になりました。
ヤマブドウ・ナナカマド・コクワ・ドングリ・サワグルミ
液果類:柔らかい木の実・あま~い、おいしい
堅果類:固い木の実・栄養たっぷり
他にも木の実ごとに、運んでもらいたい動物に合わせて工夫をしています。
そんな木の実の工夫と森の動物たちの関係をいくつか紹介していきますね。 |
トラツグミ
|
|
コクワの実 |
ナナカマド・ヤマブドウ |
|
森の木の実と動物たち
|
|
741
|
森の動物の中でドングリは誰が好き?
ブナ科の木の実のことをドングリと呼びます。 根室ではミズナラの木がドングリを実らせます。 炭水化物やたんぱく質が豊富で多くの森の動物 に利用される秋の実りなのです。
根室に暮らすドングリを食べる動物たち
ヒグマ・エゾシカ・アオバト・エゾリス・アカネズミ・ミヤマカケス
実はドングリには、自分を見つけてほしい動物とそうでない動物とがいます。
ドングリが好きな動物、嫌いな動物、その違いを見ていきましょう。
ドングリが見つかりたくない森の動物は?
ヒグマ、エゾシカ、 アオバトはドングリはその場で食べられて粉々になってウンチになって出てきます。
春に芽をだせない! ボトリ
ヒグマのウンチを二つにわると ドングリが粉々になっている
粉々にされたドングリは春になっても芽吹くことはできません。 ドングリは食べられてしまうだけで、遠くに運んでもらうことはできないんです。 |
|
●ドングリが自分を見つけてほしい森の動物は?
エゾリス、シマリス、アカネズミ、そしてミヤマカケスはドングリをその場で食べる
だけではなく、厳しい冬に備えて土や落ち葉の下などに隠す貯食を行います。
秋冬に備えてドングリ貯食
いいとこあるかな? どこに隠す? 切株の下?
春に食べ忘れのドングリが芽吹く
わすれてた・・・ そんなおまえらが好き
貯食されたドングリは全て利用されるわけではなくありません。食べ残されたり、
忘れられたドングリは、春に芽吹くことができます。 エゾリスがドングリを隠す
ために埋める深さは発芽するのにちょうど良い深さだということがわかっていま |
|
|
742
|
霧が育む根室の生物多様性
春から夏にかけて器が出る日の多い根室。 実はこの『霧』 が根室に独特な生態系をを作り出しています。霧が生み出す独特な生態系とそこに暮らす生物を紹介します。 |
|
どうして霧ができるのか?
根室沖の太平洋には冷たい寒流が流れています。 春~夏にかけ太平洋の南側にできる高気圧から湿った暖かい空気が南風によって運ばれ、 根室沖で寒流とぶつかります。その温度差によって湿った空気(水蒸気)が冷え、霧が発生します。 |
|
霧がもたらす冷涼な気候
霧によって根室は春から夏にかけての日照時間が短く (図1)、暖かさの指標となる温量指数も低い値を示し(図2)、亜高山やより高緯度な地域と同じように冷涼な
気候になります。 |
|
|
霧が育む根室の生物多様性 どうして霧ができるのか?
|
|
霧がもたらす冷涼な気候
|
|
743
|
氷河期からずっと根室に..。
寒かった氷河期には広い地域に分布していたが、気候が暖かくなった現在は生息環境が高山などに限られ、取り残されたように分布・生息する種を 『氷河期の遺存種』
と言います。 代表的な生き物としては本州ではライチョウ、北海道ではナキウサギがあげられます。 霧がもたらす低温により亜高山と同じ環境の根室では高層湿原を中心に低地であるにも関わらず氷河期の遺存種を多くみることができます。 |
|
移動せずに海から亜高山の生物たちに会える!
霧によって冷涼な気候を持つ根室では、低地にありながら、氷河期の遺存種をはじめ高い山に生息・生育する生物たちをみることができます。 もちろん平地で暮らす生物も普通にみることができます。
根室は低地にありながら様々な標高に生息する多様な生物に出会うことができる特別な場所なんです。 |
|
氷河期からずっと根室に
|
サカイツツジ
カラフルリシジミ
アルプスキンウワバ
写真: 根室で確認されている代表的な氷河期の遺存種たち |
移動せずに海から亜高山の生物たちに会える!
|
図3 本州 北海道の他地域と根室の生物の垂直分布の比較 (鳥類を例に)
|
本州・北海道の他地域: 標高に応じて鳥が分布
根室:亜高山~海辺の鳥が混在 |
|
744
|
根室半島のカラフトルリシジミ
.国の天然記念物に指定されているカラフトルリシジミ (Vacciniina optilete Knoch) は、 翅を開いてもわずか 2.5cmほどの小さな蝶です。
日本では、北海道の大雪山や羅臼岳などの高山帯 亜高山帯に生息する 高山蝶の1種として知られていましたが、 最近になって根室半島の低地 にも生息しているのが発見されました。
また、 その生態についても近年 までほとんど未知で、 日本産の蝶の中でも最後まで神秘のベールに包ま れたままの蝶の1種でした。
根室半島の昆虫を代表し、 氷河期の遺存種でもあるカラフトルリシジ ミは、 天然記念物として象徴的ではありますが、 その生息地となってい る高層湿原にはその他にも北方系の昆虫類が数多く生息し、 生息地その ものがまた根室地方特有の貴重な自然となっています。 |
|
資料名: カラフトルリシジミ
学名: Vacciniina optilete knoch
採集地: 北海道根室市 (天然記念物保護の為、 生息地の詳細は伏せる)
採集者: 中谷正彦
受入票 No. 1312
受入番号: 1992-1075
個体毎の開帳測定値
採集個体 E-No1:26.1mm, E-No6:26.3mm
飼育個体: No2:23.9mm, No7:22.8mm
関連資料: 平成4年度天然記念物カラフトルリシジミ生息地報告書 |
|
ガンコウランの蛹殻 |
|
個体差 |
|
幼虫から羽化した寄生蜂 |
根室半島のカラフトルリシジミ |
|
|
|
|
|
|
745
|
カラフトルリシジミ 英名: Cranberry Blue 学名: Vacciniina optilete
国指定天然記念物でもある体長2.5cm程の小さくて、きれいな蝶です。 1982年に根室
の春国岱で発見されるまでは高い山のみに生息している蝶だと考えられていました。
その後、 根室半島全体で調査が行われ、 幼虫の食草であるコケモモやガンコウランの
生育する高層湿原やアカエゾマツ林に生息していることがわかりました。
サカイツツジと同じ氷河期の遺存種。珍しさと美しさから密猟されることもあります。 |
|
カラフトルリシジミ
|
カラフルリシジミのオス
カラフルリシジミのメス
翅を閉じたカラフトルリシジミ |
ガンコウランを食べる
幼虫
ツルコケモモを食べる
幼虫
ガンコウランについた
サナギ
|
北海道内のカラフトルソシジミ分布略図 大雪山系他
日高山系
知床山系
生息地を含む山系
低地の生息地 |
幼虫との写真:中谷正彦撮影・根室市教育委員会委託調査・天然記念物カラフトルリシジミ生息調査報告書より |
|
746
|
霧が生み出す根室の自然景観 ➀
アカエゾマツの森・コケと地衣類が育む林床の小さな世界 |
|
アカエゾマツは山岳地に多く、 湿地や湖岸など厳しい環境を好む木です。 霧が入り夏の気温があらず、高い山に似た気候に加え、湖沼、湿地の多い根室では春国岱、落石岬、
温根沼などにこのアカエゾマツの森がひろがっています。
アカエゾマツの森の林床はミズゴケなどのコケ類に覆われ、その上にコケモモなど亜高山に咲く花が繁茂し、 まるで林床にも小さな森があるように見えます。
枝や樹皮にはサルオガセなどの地衣類が垂れ下がり、 極北の森のような景色が広がります。 |
|
アカエゾマツの森 |
アカエゾマツの森 |
|
オオバスノキ
リンネソウ
ゴゼンタチバナ
|
コケモモ
ハナゴケ
サルオガセの仲間
|
|
747
|
霧が生み出す根室の自然景観②
高層湿原・希少な生物の宝庫
そもそも湿原ってどういう場所?
水分が多く気温は低い場所では、微生物があまり活動せず死んだ植物は分解されずに残ります。 それを泥炭といい、 湿った泥炭の上に植物が生育する場所を湿原と言います。 |
|
|
ヨシ・水草、スゲ類、ヌマガヤ、ミズゴケ 泥炭
植物の死体は分解されずにたまっていく |
|
根室の高層湿原は?
堆積した泥炭の表面が周辺の水面より高く、川などから水分供給を受けず降水 (雪 雨・霧) からの水分供給のみで成立する、 亜高山・高山に多いタイプの湿原です。
根室の高層湿原は、霧がもたらす低温と水分によって、標高の低い台地上に、1万年以上の長い時をかけ成立した国内では珍しいタイプ湿原です。
絨毯のように広がったミズゴケの上にコケモモ、ヤチツツジ、ヒメシャクナゲなどのの高山植物や『氷河期の遺存種』と呼ばれる希少な生物が生息する独特な環境です。 |
根室の高層湿原は? |
ヤチツツジ
ツルコケモモ
トキソウ |
クロマメノキ
コケモモン
イソツツジ |
|
|
|
|
748
|
高層湿原を脅かすものは?
一見、原っぱに見えますがスゲなどの下を覗いてみるとミズゴケの上に希少な植物が生育している根室を代表する自然景観です。 そんな湿原を脅かすものとは? |
|
一番の脅威は開発
高層湿原への一番の脅威は開発。 かつて道東地域では多くの湿原が排水され牧草地などにかわり、失われました。 残された湿原も近年、風力・太陽光発電
施設の建設などに伴い、減少しています。直接の開発をされなくても、周囲が開発されることにより乾燥してしまい、湿原が失われることもあります。 |
|
新たな脅威増えすぎたエゾシカ
開発以外にも高層湿原の存続に関わる新たな脅威があります。 数が増えたエゾシカです。 根室はエゾシカの越冬地、冬に沢山のエゾシカが集まります。
そのエゾシカが高層湿原に生育する植物を食べたり、地面を踏みつけ、握り返すことによって高層湿原はあらされて、景観が変わってしまった場所もあります。 |
|
高層湿原を脅かすものは?
|
一番の脅威は開発
海岸の湿原に設置された太陽光発電施設 |
新たな脅威増えすぎたエゾシカ
|
ミズゴケが掘り返された高層湿原
ふまれてドロドロになった高層湿原
掘り返されたアカエゾマツ湿地林
|
|
74 |
749野鳥
|
キツツキが木をつつくためのひみつ
木の中の虫を掘り出して食べるため、巣を作るため、 キツツキたちは嘴を“打ちつけて”木に穴をあけます。 1秒間になんと20回も打ちつけます!その衝撃は
1200G! なぜキツツキは脳とうにならないんだろう? 木に穴をあけるキツツキの“ひみつ”教えちゃいます。 ※ちなみに人間は5gの衝撃がかかっただけで気絶しちゃう。 |
|
➀長〜い舌のひみつ
キツツキたちはとても長い舌を持っている。 その舌は頭の周りを一周していて木を嘴に打ちつける時に衝撃をやわらげるクッションの役割をしているんだ。長い舌の先にはケバケバの“かえし”がついていて木にあけた穴の中にいる昆虫を上手に引っ張り出すよ。 |
|
②嘴・頭骨・筋肉のひみつ
先端が鋭く、根本が太い、 直線的なノミのような嘴は木に穴をあけるのに適した形をしているよ。 その嘴とつながる、 頭の前面の骨は、“スポンジ状”になっていて、
木をつつく時の脳への衝撃を吸収している。 あごと首の筋肉もとても発達していて、衝撃を受け止めるよ。 |
|
③体を支える足と尾羽のひみつ
鋭い爪と発達した筋肉を持つ短い足普通の鳥の足指は前3本後1本だけどキツツキは前2本・後2本にすることができしっかり木の幹をつかむことができるよ。“固い尾羽”
はピッタリと幹にくっついて2本の足と一緒に3点で体を支えるよ。 |
エゾライチョウ |
キツツキ |
キツツキが木をつつくためのひみつ |
➀長~い舌の秘密 |
②嘴・頭骨・筋肉の秘密 |
③体を支える足と尾羽の秘密 |
|
アカゲラの足 |
アカゲラの尾羽 |
アカゲラの舌 |
|
|
|
751コウモリ
|
ぼく、ウサギコウモリ
じつは、ねむろにぼくたちの仲間が10種類もくらしてる。
ぼくたちは力やガなどの虫を 飛びながらつかまえるよ。
ぼくらがいなかったらねむろに もっとガがふえちゃうかも。 |
|
ぼく、 コテングコウモリ
コウモリって、 ”どうくつ”のなかだけじゃなくて、木にあいたべや古い家のやねうら、キツツキの古巣なんかもすみかにしているよー。
種類によってすみかがちがうんだー。 |
|
ねむろで一番お手軽にコウモリに会えるのは明治公園のひょうたん池だよ
夏の夕暮れ、虫をつかまえるために、モモジロコウモリが飛んでいるのを
観察することができるよ。 お父さんやお母さんとみにいってみてー。 |
|
モモジロコウモリ
カグヤコウモリ
ドーベントンコウモリ
ヒメホオヒゲコウモリ
|
|
キタクビワコウモリ
コテングコウモリ
ウサギコウモリ
チチブコウモリ |
|
ブルウキモ Nereocystis lietkeana
レッソニア科 英名: Bull kelp
●アラスカ カリフォルニアなどの北米大陸沿岸に 分布する大型の海藻で、茎の先端部が球形に膨み深 きの役割をさせているのが特徴です。 レッソニア科 に属し、日本の海藻類とは少し違い仲間になります。 標本は1996年7月17日に、海上保安部の当時 の巡視船「いしかり』 によって、 色丹島沖の海上で 流しているところを採集されました。 北海道の東 部沿岸にも漂着することがありますが、 このように 根元から茎までが完全にあることは大変、 珍しいこ とです。 (※葉は全て千切れています) |
ブルウキモ
|
|
|
|
|
800観光
|
810根室車石 |
812車石へ (車石とは巨大な溶岩の円筒形のかたまりが、冷えていくつもの柱状節理に割れたもの。この説明では分からんな。)
|
資料館からすぐに地形ポイントがあるというので行ってみました。旅行ガイドでは、断面円形の柱状節理らしきものがありました。
そこは、強風吹き付ける寒い断崖でした。 |
資料館から車石へ |
車石周辺の地形 |
|
北の海の荒々しく
うねった波が風と共に |
打ち付けています。
「球形の荒野」を想起 |
|
|
813根室車石 [現地:解説看板より]
|
「根室車石」は放射状摂理の構造をしたアルカリ粗粒玄武岩で、球状の岩体をしており、その奇観と大きさは世界でも類を見ないことから、国の天然記念物に指定されています。
砂岩及び頁岩を中心とする海成白亜紀層の沈積中、あるいはその直後に、地層間に整合的に岩床として迸入し、あるいは海底に溶岩流として噴出したものです。
今から約650万年ほど前に深海底の割れ目から流れ出た溶岩は海底に厚く積もった泥や細かい砂の中に押し入り、または溶岩流として海底に流れ出て急激に冷やされて、ちぎれ押し合い、枕状、俵状、楕円体状または円柱状となって団結し、枕状溶岩(Pillow Lava)となり、その枕状体の周辺からさらに冷やされたため、中心に向かう放射状の柱状節理ができたと考えられています。
この背面では直径7.5mにも及ぶ車石が見られ、また足元付近には直径1~3mの車石が数多く見受けられ、個々の枕状体の形成に働いた力が独特の表面構造を作っているのが観察できます。これら車石が作り上げた独特な奇観は私たちが暮らす地球の生い立ちを身近に感じるさせてくれます。 |
※この解説板はさっぱり意味が分からないので、Wikipediaにたよることにしました。
根室車石 Wikipedia拝借
|
根室車石(ねむろくるまいし)は、北海道根室市の根室半島花咲岬附近一帯に広く分布し、方沸石を含み、アルカリ分に富む玄武岩質岩石中に見事な放射状節理の発達した球状岩体である。中央から放射状に割れ目が入るさまをハブからスポークが放射状に延びる車輪の形状にたとえて「車石」と呼ばれる。
1939年(昭和14年)9月7日に、国の天然記念物となった
概要
その形成当時は、白亜紀(6千万年 - 1億3千万年前)と言われた時代で、アンモナイト・イノセラムスなどの動物が住めるような今より暖かい海であった。
その海底の地下深くより千度以上もの温度を持ったマグマが上昇し、海水を含んだ泥(根室層と言われている)の附近で水平に方向を変え、溶岩となって泥の中へ浸入し、そこで泥の中の海水は、この溶岩を冷やすことになる。
表面は冷やされるため、初めは柱状節理と言われる柱のようになった割れ目ができるが、内部はまだ溶けており、後方から送られる溶岩によって(押され、冷えた溶岩が)先に進んでいき先端部より海水が浸入し内部を急冷する。
このような溶岩を「枕状溶岩」といい、この半島での岩質は粗粒玄武岩と言われており一般に長径1~ 2m、最大で6mにおよぶものもある。
このような火成岩の典型的な放射状節理構造は例も少なく、学術上貴重であり、太平洋に面する断崖に球状岩体が多数重なる様は、一大奇観を成している。 |
私なりの解釈 さっぱりわからんので、
|
三原山の噴火を考えると、溶岩は火道を通って火口から出て流れ、やがて海に達する。先端は海水で冷やされ個体となり、後ろは液体なので性質が違うのでちぎれ、ちぎれた部分は海底を転がりながら更に内部から液体の溶岩を吹き出しながらやがて海底に積もる。転がって円筒形になるので、一つ一つを枕状溶岩といわれる。
深海底では、固い地殻からまず堆積した砂や泥の中に溶岩が噴出し、地層の堆積の隙間に沿って流れていく。泥や砂の中に含まれる海水によって冷やされる。
よって、流れる溶岩の周囲には柱状節理ができる。しかし、中心部は溶解溶岩であるため、噴出し続ける溶岩流によってさらに押し流され、先へ先へと進む。
やがて、先端は直径1~3mの円筒形の溶岩のかたまりとなり、先端部分から冷えてY字状に割れ、六角柱の柱状節理となり、冷え固まる。
つまり、口に鉛筆を20本ほどくわえた状態で固まってしまう。これが車石である。
富士山では沢山の溶岩洞穴がある。溶岩が流れて行った跡が洞窟となっている。この洞窟に溶岩が目いっぱい詰まったまま先端が急冷されると
先端の溶岩が冷えて固まるときにY字状のクラックが入って割れ、節理となる。もし、これをみつけたら、洞窟がぶっといたばこを何本も加えているように見えるだろう。
このくわえたタバコのタバの断面が円形になるところから、車石と呼ばれる。
※車石とは、昭和初期にできた言葉で、これが指すのは、牛馬に荷物を引かせる専用石畳にできた、車輪で削られた轍(わだち、へこみ)の事で、前名は輪形石。
※ここでは、円形の柱状節理の外観が(シャリキの)車輪に見えるところから車石と呼ばれた。
※よく見かける六角柱の柱状節理はそんなに巨大なものは少ない。しかし、海底噴火で出来た久米島の海岸にみられる節理は巨大である。
従って、高圧下でできた柱状節理は巨大で、久米島の節理がさらに細かく割れ進んだものを車輪石と呼ぶようだ。 |
現地の看板 |
看板を呼んで後ろを振り返れば、そこに車石があったのです。残念。 |
枕状溶岩や方形節理 |
車石の存在する範囲 |
|
814
枕状溶岩・方形・柱状節理 |
画面最奥に方形節理が並ぶ
|
ただの荒海と思ったら、
この先に花咲港が
あったそうだ |
柱状節理。
溶岩が冷やされた方向 |
枕状溶岩が積み重なる。
昔の和枕そっくりだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
車石
車石
|
すごいですね。
この車石は、同心円状にY字クラックが入っています。外側からクラックが入って、
まだ、溶けて流れている中心部に迫り、
やがて、中心部まで細かい節理となりながら押し出されましたが、
この巨大な円筒形の車輪、そのものが一つの枕状溶岩ですね。直径7.5mだったか。
深海底に押し出された巨大なボンレスハムのようだ。 |
|
815
wikipedia拝借 |
googlemap拝借 |
これは、先端からY字クラックが入らず、周囲から方形クラックが入って放射状になったようです。
これを車石というようです。放射状構造。
|
|
816エゾタンポポ
|
|
820牧場
根室半島のかたち |
根室半島はしっかり北海道にくっついているのかと思ったら、なんとこんなに、ちぎれそうでした。
付け根には温根沼という湖沼があり、根室本線は大きく南へ迂回し、道路は温根沼大橋を渡って繋がっています。 |
別海町へ
車石から別海町へ
|
車石から別海町へ。
道路両側には牧場、牧草地が広がり、農耕不適地域。広大な牧草地は冬季の飼料を得るため、植物の生育が遅いために、広大な空き地に牧草を生やしているようです。一見無駄に見えてこれが大切なんです。寒冷地では。飼料を安く手に入れ、収益を上げるため。 |
この牧草地は、温根沼大橋を渡ってすぐの西側地域で撮影しました。
広大な牧草地
あんな遠くに牧場のサイロがみえる。 |
ここに生まれ育った人は、学校へ何時間もかけて往復したのでしょう。 |
みわたすかぎり |
冬の餌のための |
草づくり |
|
|
830春国岱(しゅんくにたい)
|
根室湾に浮かぶ大きな砂州です。この付近には、他に野付半島が砂州でできています。強烈な風や海流によって流されてきた砂が堆積しています。
しかし、その自然体系は脆弱で、以前は針葉樹が繁っていた春国岱や野付半島も、現在では海水面が上昇して浸食が激しくなり、植生変化や
野付半島では針葉樹が枯死しています。
また、この付近は年間約1cmずつ地盤が沈下し、広大な低湿地帯となっています。海水面の上昇と地盤の沈下でダブルパンチですね。 |
|
832ネイチャーセンター 水・休日の翌日休館
春国岱と風連湖とネイチャーセンター |
風連湖大橋 |
春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンター
Wikipedia拝借 |
ネイチャーセンターこの日休館日でした
2022.6.8(水) |
|
833春国岱の地形と植生
|
春国岱は、オホーツク海と風蓮湖を隔てる長さ8km、最大幅1.3km、面積約900haの砂州。ここには、砂丘、湿原、森など多様な自然環境があり、300種を超える野鳥が記録されています。※砂州:岸のやや沖合に、砂や小石が細長く堆積して水面上に現れた地形 |
第1砂丘(前面砂丘)
|
3kmにも及ぶハマナスの大群落があります。これほどの規模のものは、今では数少ないものです。 |
第2砂丘(中央砂丘)
|
砂丘に自生するものとしては、世界に2例しかないアカエゾマツの純林があります。もう1例は国後島古釜布にあります。 |
第3砂丘(内海砂丘)
|
春国岱としては最も歴史が古くかつ広大な森林があります。かつてのアカエゾマツ純林には、トドマツ、ミズナラが侵入し、より遷移が進んだ状態に変わっています。
ルリビタキ、キクイタダキなど、本州では高い山で繁殖する取り類が、ここで繁殖しています。 |
春国岱の地形と植生
google 拝借 |
|
第1砂丘(前面砂丘) |
第2砂丘(中央砂丘) |
第3砂丘(内海砂丘) |
|
834概要
|
春国岱は、根室湾と風蓮湖を仕切る砂州で、湿原や干潟、林など様々な環境があり、これまでに250種類を超える野鳥が観察されています。
また州上に自生するアカエゾマツの純林は世界で2例しか知られていない大変貴重なものです。
根室市では、この貴重な自然環境を守り、自然に親しみ、人と自然の共存について考える場とするため、春国岱原生野鳥公園として観察施設等を整備してきました。
春国岱の入り口になるネイチャーセンターでは専門の職員が常駐し、調査研究や自然観察指導などの活動を行っています。お気軽にご入館ください。 |
|
835
春国岱 |
google拝借 |
|
|
|
|
840春国岱と風連湖 |
841風連湖
|
843春国岱
ここの景色は私には最高でした。湖水と枯れたヨシ原、その向日に針葉樹林が続き、カナダの湖沼の写真を見ているようでたまらなかったです。
|
870低湿地と巨大フキ
|
|
|