北海道の縄文 №16 2022.06.07-2
釧路市埋蔵文化財調査センター 北海道釧路市春湖台1-7
0154-43-0739 月休 撮影可
館の特徴
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・30年前に建設された博物館内に附属する調査所です。
・2024.06.24現在休館中です。 |
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交通 |
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・釧路駅からくしろバス②⑫⑯⑰(55):系統で15分市立病院下車徒歩5分 |
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目次
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100外観
110北海道の先史時代
115旧石器時代
130縄文時代
140縄文時代
141縄文早期・中期
143縄文前期
145縄文中期
120縄文早期
150縄文中期
213縄文早期前半
280骨角器 |
300縄文晩期
320幣舞~大洞A
340晩期~続縄文前半
341亀ヶ岡式土器
350中期 北筒Ⅲ
360後期~晩期
北筒Ⅴ~堂林式
400縄文早期前半
500続縄文時代
510擦文~チャシ
520続縄文
540続縄文後半~擦文後半
560擦文時代
580幣舞2遺跡 |
610縄文晩期
640晩期後半~続縄文前半
690続縄文時代
740続縄文時代
800晩期後半~続縄文前期
900擦文土器
1000緑ヶ岡遺跡
1030緑ヶ岡遺跡
1100大楽毛遺跡 |
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是非参照ください「北海道釧路市の縄文遺跡」 |
はじめに
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釧路市博物館に附属した「釧路市埋蔵文化財調査センター」(2024.07.04現在臨時休業中)の編集ができました。大変困難な編集でした。
現在休館中ですが、特異な型式の土器などがあり、少し驚く展示です。きっともう閲覧できないので、是非ご覧ください。 |
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100外観
釧路市立博物館附属
釧路市埋蔵文化財調査センター |
全景 |
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110 |
111
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北海道の先史時代
北海道の先史時代は、土器を持たない旧石器時代に始まり、縄文時代 (約9,000年~2,000年前)、 続縄文時代 (約2,000年~1,200年前)、
擦文時代 (約1,200年~ 700年前)と続き、 道東北 は擦文時代の始まる少し前から北方文化の影響を受けるが、やがて全道にアイヌ文化が花開き、
終りをつげる。
その特色は、日本列島の北端に位置する北海道の地理的条件もあって、常に北方文化の窓口としての役割を担ってきたことと、狩猟・漁撈を中心とする自然物採集の時代が長く続いたことがあげられよう。 |
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115
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旧石器時代 一約 20,000~9,000年前一
旧石器時代は約400万年前からとされるが、 道内で確認される確実な痕跡は古いものでも末期の約2万年前を少しさかのぼる程度である。 先土器時代・無土器時代とも呼ばれたこの時期は氷期
が終わり温暖な気候へと向ったころで、 後続の縄文・続縄文・擦文 時代などのように土器の使用は知られていない。
この時期の釧路湿原周縁の遺跡は6箇所、 約1万年前の終末期 に位置し、 規模も小さい。 温暖化の影響で陸地が海食され、 失われ た遺跡もあると考えられている。
珍しい発見例の遺物として、 釧路沖14マイルの海底から見つかった、 頁岩製の有舌尖頭器がある。 |
N.G.マンロー寄贈品
テムズ川河畔
サツマイシゴウ遺跡
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有舌尖頭器
旧石器時代
釧路沖海底 |
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130上段
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縄文時代 一約 9,000~2,000年前一
縄文土器、 磨製石斧 弓矢の一般化、 丸木舟の普及、 土偶の出現などによって特徴づけられる。 狩猟・漁撈・採集といった旧石器時 代と同じような生活を営みながら、早期→前期→中期→後期→晩期 と時代を経るにしたがって、 その内容を多彩にした。 釧路地方では、 爆発的な遺跡の増加が見られるようになる。 土器・弓矢の使用は、 生業の基盤をより豊かなものにしていったと考えられる。
縄文時代は本州以南で早期の前に草創期が位置する。 北海道で も帯広で草創期相当の遺物がまとまって出土し、 存在の一端を見せているが、釧路では草創期の遺跡は確認されていない。 |
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大陸文化の波及
北海道は、 旧石器時代には大陸と陸続きであった。 縄文時代の 少し前に、 宗谷・間宮の両海峡が切れ島となったが、 大陸系の文化の波及はその後も各時代に見られる。
そのため、 北海道の先史文化の研究は大陸文化と比較する上で重要だといわれている。
特徴的なひとつに、 石刃鏃文化がある。 石刃という特徴的な石器を素材に作る弓矢の鏃にあたる 「石刃鏃」 を持つことから名づけられ、 その原郷土はアジア大陸に求められる。
北海道ではテンネル・暁式 土器を用いた人々に後続して登場し、 前後する文化の成立に大きな 影響をおよぼしていると考えられている。 |
旧石器時代 |
30年前の
先史時代年表 |
縄文時代 |
大陸文化の波及 |
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東釧路貝塚
貝層底出土土器 |
貝層断面 |
貝層中のイルカ頭骨の出土状況
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複数のイルカ頭骨を口先を中央に向け、放射状に並べた祭祀跡 |
発掘調査
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湿原が海であった頃採集された貝類と魚類
およそ6千年前、縄文海進によって湿原が海でおおわれていた 頃、 次のような貝類 魚類が生息していた。
貝類 |
アサリ、カキ、 オオノガイ、 ウバガイ、 ホタテ、ヒメエゾボラ、チシマタマガイ、ホソウミニナ、 クロタマキビ、ヒメシラトリ、エゾイソシジミ、
オオイシカゲガイ、 シオフキ、 アカガイ |
魚類 |
サメ類 チョウザメ、ニシン、イワシ類、サケ、マス類、 ウグイ、ボラ、マグロ カジキ類、ブリ、スズキ、ヒラメ、カレイ類 |
(東釧路貝塚出土資料より) |
釧路湿原が海であった頃採集された貝と魚
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遺物出土状況 写真不鮮明
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140上段 |
141最上段土器列 縄文早期土器 テンネル式、東釧路Ⅰ、大楽毛式、浦幌式
※浦幌式土器:平底絡条体圧痕文、石刃鏃
※女満別式土器:組紐圧痕文土器、刺突文・竹管文の模様の土器、型押文(スタンプ文)土器、石刃鏃
※大楽毛遺跡:釧路市大楽毛131(くしろしおたのしけ)
※大楽毛式土器:早期の土器、微隆起線文(かなり長期の土器型式)
深鉢
縄文早期 |
縄文早期 |
テンネル式
幣舞遺跡 |
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Ⅰ・Ⅱ式は極めて珍しい |
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・浅鉢 大楽毛式
大楽毛第3地点
・浦幌式土器
東釧路第2地点
・浦幌式土器
東釧路第2地点 |
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143上段 縄文前期
145縄文中期 円筒上層b、北筒Ⅰ、北筒Ⅱ(中期末葉の土器)、北筒Ⅲ式、 北筒ⅢA式(細岡式)と北筒ⅢB式(羅臼式)に区分された
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・北筒Ⅰ式
東釧路貝塚
・北筒Ⅱ式×4
大楽毛Ⅰ遺跡
興津遺跡
東釧路3 |
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150 |
151下段 北筒式土器 縄文中期
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・北筒Ⅱ式
大楽毛1
東釧路第1
貝塚町1丁目
大楽毛2~4 |
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200 |
210 |
213縄文早期前半
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土器片
幣舞遺跡 |
土器片
幣舞2遺跡
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土器片・石鏃・剥片
磨石
幣舞2遺跡
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土器片、磨石
幣舞2 |
土器片・磨石
幣舞2
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磨石・砥石・石斧
幣舞2 |
石錘
幣舞2 |
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215縄文早期前半 幣舞2遺跡
石錘
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黒曜石石器各種
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黒曜石石器各種
磨石・土器片
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石錘
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217石錘 縄文早期前半 幣舞2遺跡
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250縄文早期前半 緑ヶ岡遺跡
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石錘・黒曜石石器
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石錘・黒曜石石器 |
北斗遺跡
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テンネル遺跡 |
土器片・黒曜石
東釧路3
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土器片
沼尻遺跡 |
土器片
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黒曜石石器 |
石錘
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石錘
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石錘
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石錘 |
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251縄文早期前半 幣舞2遺跡
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石錘・黒曜石
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黒曜石・石斧・磨石 |
黒曜石・石錘 |
黒曜石・石錘・磨石 |
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253縄文早期前半 幣舞2
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258縄文早期前半 幣舞2遺跡
土器片・磨石 |
磨石・黒曜石 |
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磨石・窪石・ |
黒曜石石器 |
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280 |
281骨角器 縄文前期
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刺突具・銛頭・針・骨箆
東釧路貝塚
縄文前期
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針・銛頭・骨匙
緑ヶ岡遺跡
晩期後半~続縄文前半
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同一反復
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幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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テンネル貝塚
晩期後半~続縄文前半
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285骨角器 縄文晩期後半~続縄文前半
幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半 |
幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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288骨角器 縄文晩期後半~続縄文前半 幣舞遺跡
幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半 |
幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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幣舞遺跡
晩期後半~続縄文前半
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300縄文晩期 |
310
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住居跡
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人骨
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住居跡
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土器・副葬品
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土壙・副葬品
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副葬土器
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副葬土器
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320縄文晩期 幣舞式、緑ヶ岡式、大洞C2式、大洞A式
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・幣舞式
幣舞遺跡×2
・大洞C2~A式
幣舞遺跡 |
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・大洞C2~A式
幣舞遺跡
・幣舞式
材木町5遺跡
・大楽毛1遺跡
・緑ヶ岡式
大楽毛1 |
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・緑ヶ岡式
大楽毛1
・幣舞式
鶴ケ岱4
・幣舞式
緑ヶ岡1 |
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340縄文時代晩期
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北海道の時代区分 (縄文~擦文) と展示した土器の時期 は、縄文末~続縄文初頭(BC300前後)
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繩文時代 |
続縄文 |
擦文時代 |
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(BC10000-BC300) |
(BC300-AD700) |
(AD700-AD1200) |
特別?ブランド品?亀ヶ岡式土器
今から約3,500~2,500年ほど前にあたる縄文文化の終わり頃、 道南や東北地方で は亀ヶ岡文化と呼ばれる土器文化が発展します。
立体的な文様が描かれる亀ヶ岡式土 器ですが、 実はとても良く似た土器が釧路市内の遺跡からもみつかっています。
本来、 釧路ではみられない土器が出土する理由として、ひとやものの移動といった 視点から様々な可能性が考えられています。
移動ルートや手段についてはいまだに謎にみちていますが、いずれにせよ亀ヶ岡文化の影響は、長い旅路の果てにこの地へと たどり着いたのでしょう。
大昔の釧路のひとたちにとって、山の向こう海の向こうの文化は、果たしてどのように映っていたのでしょうか・・・? |
縄文晩期~続縄文初頭 緑ヶ岡式 亀ヶ岡式
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・緑ヶ岡式 晩期
緑ヶ岡遺跡×3
・幣舞式、緑ヶ岡遺跡
・大洞C2-A式
幣舞遺跡 |
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亀ヶ岡式土器 |
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350縄文中期土器 北筒Ⅲ式 北筒土器
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360縄文後期~晩期 北筒Ⅴ式 堂林式
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壺の文様とデザイン |
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➀土器の文様を分析するために拓本を採ってみると、このように線によって描かれた文様全体像が浮かび上がってきます。 |
②線をトレースして…
…形にして
…ひし形のよ…
…完成! |
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380
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400縄文早期前半 幣舞2遺跡
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500 |
501
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川船 構造船 |
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住居址 |
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石器出土 |
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炉跡
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土器片
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遺物出土
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510
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続縄文時代 ―約2,000~1,200年前―
本州以南では西暦紀元前から弥生式土器、 稲作農耕、 金属器の使用により特徴づけられる弥生時代に移行する。
しかし、北海道に住んだ人々は、金属器を輸入し、使用することを学んだが、 寒冷地という気候上の要因と、 また豊富な自然資源に恵まれていたこともあり、
狩猟・漁撈・採集という縄文時代と同じ ような自然物採集の生活が続いた。
金属器と縄文土器の使用されたこの時代は、 続縄文時代とよば れる。 釧路地方のこの時代の大規模な遺跡は厚岸湖の周囲にみ られ、 釧路市では緑ヶ岡1、
興津、 三津浦1遺跡などがある。 |
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擦文時代 ―約1,200~700年前―
刻線や刻目などが複合して施文された土器一擦文土器の使用されていた時代で、8世紀ごろから12・3世紀まで続いた。擦文土 器からは縄文が完全に消失している。
この時代には、本州から多量の鉄製品が輸入され、 紡織技術、 製鉄技術も伝わった。 本州文化の影響は強烈であったらしく、住 居の構造も竪穴が円形から四角形になり、
家の内部に竈を持つ など、 それにならって変化しているほどである。 釧路地方で地表面 から確認できる竪穴の多くはこの時代のもので、 明治期には無慮
数千とうたわれ、 町の名物として数えあげられたこともある。 |
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オホーツク文化 ―約1,500年~900?年前―
擦文時代に入る少し前、 オホーツク海沿岸やサハリン、千島、カムチャツカ半島などに文化圏を持つオホーツク文化が広まった。
海獣狩猟や漁撈に高度の技術を持ち、海資源の依存度が高い。そのためか道内では、稚内からオホーツク海沿岸、浜中 厚岸へと、内陸部には広まらず、海岸台地に多くの集落を残す。平面が多角 形の家に住み、黒色のオホーツク土器を用いるこの文化圏の人々は動物の飼育、雑穀の栽培など、多方面な生業を営んでいた。
後半には道東地方でオホーツク土器と擦文土器が融合した形のトビニタイ土器が生まれるなど、独自の文化を築くようになる。 |
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チャシ アイヌ文化期
チャシは砦館・柵囲いを意味するアイヌ語で、 その機能に(1)戦闘用、(2)祭祀用、 (3) 談合場、 (4) 資源監視場などがあげられ ているが、まだ十分明らかにされていない。おそらくは築造された
時代と地域により、変わっていったと考えられている。 使用年代は 500年前より新しく、 下限は寛政年間とするのが一般的である。
現在、道内に350余箇所の分布が知られている。そのうち、釧 路地方は70箇所と多い。 これらのチャシは、かつてのコタンの分 布と一致していることが注目されている。 |
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続縄文時代 |
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続縄文住居
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続縄文住居
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続縄文住居
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擦文時代
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オホーツク文化
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擦文住居
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オホーツク住居
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チャシ
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遺跡遠景 |
釧路博物館周辺
春採湖 |
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520続縄文時代 フシココタン下層式、興津式、宇津内Ⅱa式、東歌別土器、下田ノ沢式、下田ノ沢Ⅰ式、下田ノ沢Ⅱ式
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深鉢の拓本とそのデザイン
この深鉢には、 一筆書きのようにめぐる一本の線とその脇を挟むように短い線が引かれてます。 隙間には点々と刺突文が埋められ ており、まるで漫画に用いるスクリーントーンのようです。 このような文様は、 変形工字文とよばれる文様のひとつでそのモチーフ から波状工字文などとも呼ばれています。 工字文や変形工字文は、 道南~東北地方の縄文晩期の終わりから弥生文化によく描かれる 文様で、 あちらの文化との関連性をうかがい知ることができます。
文様の拓本 (湿らせた紙を吸着させて墨打ちしたもの) |
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深鉢の拓本とそのデザイン
・興津式
大楽毛1
・続縄文土器
続縄文前半
興津式並行期 |
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540続縄文後半~擦文後半 後北C1式、後北C2式、後北D式、
・後北C1式
大楽毛1
・後北C2式
幣舞遺跡
・後北C2-D式
大楽毛1 |
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・後北C2-D式
大楽毛1
・後北D式
武佐川Ⅰ
標津町塘路 |
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・緑ヶ岡遺跡 擦文
・興津式 続縄文
・幣舞2遺跡
擦文後期 |
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560 擦文土器
擦文時代前半の土器:7世紀頃~11世紀頃。土師器の製法で、表面を期のヘラでこすって仕上げ、線を刻んで文様を描く。
擦文時代後半の土器:11世紀~。大型深鉢と共に坏に客を付けた高坏形土器が出現する。
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580幣舞2遺跡
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600 |
610 |
611縄文晩期
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石斧・剥片
幣舞遺跡
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石斧・砥石
幣舞遺跡
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石斧・剥片
幣舞遺跡
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平玉
幣舞遺跡 |
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613縄文晩期
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640縄文晩期後半~続縄文前半
晩期後半~続縄文前半
幣舞遺跡
ベンケイガイ製組合式腕輪
猪牙製組合式首輪
貝製平玉
コハク平玉 |
コハク平玉
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ベンケイガイ製組合式腕輪
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猪牙製組合式首輪
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貝製平玉
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猪牙製組合式首輪
コハク礫・砥石・掻器
石斧・剥片 |
晩期後半~続縄文前半
幣舞遺跡
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コハク礫 |
猪牙製組合式首輪
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砥石・掻器
石斧・剥片
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出土状況
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690続縄文時代
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幣舞遺跡
尖頭器・石剣・石斧
平玉
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幣舞遺跡
石斧・石鏃・平玉
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幣舞遺跡 |
縄文晩期
石鏃
幣舞遺跡 |
縄文晩期
幣舞遺跡 |
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縄文晩期-続縄文前半
石鏃・石斧 |
縄文晩期副葬品 |
縄文晩期末-続縄文
幣舞遺跡 |
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700 |
740 |
741続縄文時代 幣舞遺跡
続縄文 幣舞遺跡 |
興津式 幣舞遺跡 |
興津式 幣舞遺跡
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興津式 幣舞遺跡
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743続縄文時代 幣舞遺跡
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興津式 幣舞遺跡 |
コハク平玉
副葬品 |
平玉
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続縄文 幣舞遺跡 |
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760続縄文時代 幣舞遺跡副葬品
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幣舞遺跡 |
幣舞遺跡 |
コハク平玉
幣舞遺跡28号墓副葬品
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幣舞遺跡
興津式土器 |
幣舞遺跡 |
幣舞遺跡
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幣舞遺跡
コハク製品 |
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・興津式 幣舞遺跡 |
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780続縄文時代 幣舞遺跡
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800 |
810縄文晩期後半~続縄文前半 土・石製品 幣舞遺跡
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850縄文晩期後半~続縄文前期 土・石製品
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900擦文土器
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擦文土器
擦文土器は、本州の土師器の影響を受けて成立しまし た。文様は、縄目が消え、 刻みや線を入れた独自のもの が登場し、幾何学的な文様が施されるようになります。
時期が新しくなるにつれ、 複雑な文様から簡単な文様 へと変わっていきます。 釧路地方では、この時期後半の 土器が多く検出されています。
このあと、擦文土器は鉄鍋を模した内耳土器へと変わり、鉄製品の普及により○○年ほど続いた土器の用いられた時代が終わりました。 |
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ぐるぐるまわして糸つむぎ 「紡錘車」
紡錘車は、糸をつむぐ道具です。 孔に棒を差し込み、 コマのようにぐるぐるまわして、 植物などの繊維に撚りをかけて糸にします。 上からみると円盤の形をしており、表面に文様が描かれたものもみられます。
本州では弥生時代から使われますが 北海道では粘土を焼いてつくった土製のものが擦文時代に広がります。 つむいだ糸で布を織ったり、 ぬいあわせたりしたのでしょう。
北斗遺跡からは糸が炭になった状態で みつかっています。 この糸でどんな服を作ろうとしたのか、想像がふくらみます。 |
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1000 |
1010緑ヶ岡遺跡出土土器
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1030緑ヶ岡遺跡出土品
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1100大楽毛遺跡出土品
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東釧路Ⅲ式
大楽毛4地点 |
東釧路Ⅳ式
大楽毛2~4地点 |
右:大楽毛式
大楽毛3遺跡 |
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大楽毛式
大楽毛2~4地点 |
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