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はじめに
一般の博物館では、高額で買い付けたナウマン象標本を単に、ネームプレートを付けて展示するだけですが、
当館では、発見の経緯から、発掘の様子、埋もれていた地層、古環境、同時代の動植物、などなど、大変幅広く研究、展示、されています。
これは、単に、古生物学ではないか、とも言えますが、おそらく、シベリアのマンモスハンターが南下してマンモス狩りをしていた時代に生きていた
南方系のナウマン象が、津軽半島と渡島半島の間にある二本の地峡を通って北海道南部に進出し、津軽暖流の影響のある十勝平野で棲息していた、
もしかすると、ナウマン象ハンターたちに追い込まれたのかもしれない泥の底から現れたことは、
考古学的興味を引くものです。
その意味で、ここに掲載して、丹念な調査と分析により、北海道のナウマン象の生活背景を浮き彫りにした研究者様に敬意を表します。
北海道にマンモスがいて、その後にナウマン象が渡って行ったのか、ナウマン象がいるところに、サハリンからナウマン象が南下してきたのか、
この先に答えがあります。よければ、最後までご覧ください。
※津軽半島と渡島半島の間の津軽地峡は現在もあり、太い方の一本の地峡の中を青函トンネルが掘られ、北海道新幹線が開通しています。
ここを渡った動物や旧石器人も、まさかこの下を高速鉄道が走るとは夢にも思わなかったことでしょう。って、あたりまえだけど。
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目
次
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01外観
03入口展示
04ナウマンゾウとゾウの進化
110忠類ナウマン象の発見
120工事現場で化石を掘る
130産出化石の応急処置
140忠類ナウマン象の発掘
150ナウマン象本体の化石を掘る
165忠類ナウマンゾウは何才?
173ナウマン象化石の産状
210産出したナウマン象化石
230マンモスの臼歯化石
240化石産出状況復元模型 |
310忠類ナウマンゾウがいた時代
320地層
330炭化植物
410環境
420堆積物
440十勝団体研究
450昆虫
500沼に沈む
610世界に展示されている
ナウマンゾウ
700全身骨格 |
810象の祖先
910中期中新世~前期更新世の動物
916鮮新~更新世の日本列島と動物化石
917前期更新世とゾウの仲間たち
920北広島動物群
923後期更新世のゾウ骨
930中期更新世の動物
933音江別川動物群
935マンモスゾウ
940野尻湖とナウマンゾウ
951後期更新世とゾウの仲間たち
955マンモスゾウの出現
960後期更新世
965シベリアのマンモスハンター
970最寒冷期の北海道
975日高山脈カール地形
980ナウマンゾウ全身骨格
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01外観
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03入口展示 |
04ナウマンゾウとゾウの進化
象の立体系統樹 |
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05ナウマンゾウとゾウの進化
5000~3200万年前 メリテリュム
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ゾウの先祖 |
ゾウの先祖メリテリュム
5000~3200万年前
ゾウの祖先の仲間
水中生活するカバのような獣 |
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2000万年前 ミヨコゾウ(ステゴロホドン)
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ミヨコゾウ
ステゴロホドン
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2000万年前
頭が細く、 上と下のキバは伸び、体は大きくなる |
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1000~200万年前 シンシュウゾウ(ステゴドン) 、 アケボノゾウ(ステゴドン)
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シンシュウゾウ
ステゴドン
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アケボノゾウ
ステゴドン |
1000~200万年前 |
アケボノゾウ
ステゴドン |
頭は、やや短くなり
上キバだけが長く伸び
体は大きく細長く耳は小さい
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2000万年前 アネクテンスゾウ(ゴンフォテリウム)
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アネクテンスゾウ
ゴンフォテリウム
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500万年前 センダイゾウ(シノマストドン)
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06 200万年以降のゾウの祖先
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マンモスゾウ
マムーサス
400万~1万年前
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アジアゾウ
インドゾウ
エレファス
550万~現代 |
ナウマンゾウ
アフリカゾウ |
ナウマンゾウ
パレオロクソドン
500万~1.5万年前
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アフリカゾウ
ロクソドン |
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200万年~現代
体はやや小さく
頭が上下に長くなるのが特徴
キバは湾曲し、耳は大きくなる |
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100発見・発掘
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110忠類ナウマン象の発見
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1969年7月26日、忠類村晩成の道路工事で側溝掘りの作業をしていた恩田 義さんと細木尚之さんが、ツルハシを地面に打ち下ろしたところ“カチン”と音がした。石の音にしては変なので、注意深く掘り下げると、湯たんぽのような模様のある楕円形のかたまりが出てきた。
このかたまりを見た小玉昌弘さんは「これは理科の教科書に出てくる象の歯だ」と、断言した。これが、ナウマン象発見の糸口である。
この情報は、同年8月6日 偶然その現場に地層の調査のために立ち寄った川崎 敏さん(当時北海道開発局技官)の耳に入り、さらに十勝平野の地形や地質を毎年現地で調査していた「十勝団体研究会」へと伝わっていった。 |
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忠類ナウマン象の発見
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インタビューを受ける発見者
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発見されたナウマン象の臼歯
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ナウマン象化石
産出地点図
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忠類村の位置
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化石発見地点 |
発見された工事現場
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発見された地点
発見地は温暖期の海岸 |
海岸で死んだか
河川に流されて来たか
波にうちよせられたか |
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120工事現場で化石を掘る
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農道工事現場で象化石を掘る
「象の臼歯が2個発見された」という情報が伝えられた現場は道路工事中で、まごまごしていると産出地層がわからなくなってしまう恐れがあった。
そのため十勝団体研究会は、緊急発掘に踏み切った。エ事を請け負っていた宮坂建設の好意により、発掘期間はお盆休みの8月13日~17日となった。
臼歯の産出した道路側溝から路面の部分にかけて発掘したところ、切歯(牙)2本、残りの臼歯2個、さらに左上腕骨、左尺骨、左橈骨、左大腿骨など、
ぞくぞくとナウマン象化石の部分があらわれてきた。
この発掘によって、ナウマン象化石の1頭分がかなりまとまった状態で埋没していることが予想され、全身骨格発掘への期待がふくらんだ。 |
農道工事現場で象化石を掘る |
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新聞記事
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ナウマン象 道が異例の調査団
権威者集め発掘
全身復元、開拓記念館に |
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工事現場で発掘する十勝団体研究会のメンバー
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ナウマン象の両牙と臼歯の産出状況
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ナウマン象の両キバの発掘を進める
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130産出化石の応急処置
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お盆休みに行われた緊急発掘によって、高さ10mにもおよぶ道路切割の下に、ほぼ一頭分の全骨格が眠っているという確証が得られた。
発掘された臼歯、切歯(牙)、上腕骨、尺骨、橈骨、大腿骨などは、帯広柏葉高等学校の理科実験室に持ち込まれ、理科サークルの高校生8人の協力を得て、化石に付着している泥炭を取り除いたり、エポキシ樹脂を塗る補強作業などが行われた。
冬季間の実験室で、ストーブを置いての補強作業は、エポキシ樹脂が乾くのをまってはまた塗るなど、根気のいる作業であるうえに、寒さとの闘いでもあった。
※お盆休みの発掘だのに、急に冬季になっている。お盆休みのトレンチ作業で1頭分の骨があることがわかり、その後、準備をして、冬季になって掘り始めたということなのだろうか。 ちょっと乱暴な書き方ですね。(笑) |
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140発掘
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忠類ナウマン象の発掘
前年のナウマン象頭部の発掘にひきつづき、象一頭分の化石が埋没しているというニュースは、全国から150名にも及ぶ研究者、教師、学生の参加を呼んだ。6月23日に先発隊が現地に入り、27日は鍬入れ式が行われて、発掘が始まった。
発掘の体制は、内務班の渉外報道 、宿泊・食事、速報、会計の4係と、発掘班の発掘、調査、測量、記録、サンプル、器械、天幕の7班で構成された。
発掘が進むにつれ、昆虫や植物の種子などが産出し、昆虫や植物の専門班、廃土調査班、局所発掘班、梱包班などが編成された。
発掘は順調に進行し、7月3日には、多くの成果をあげて終了した。
※前年八月のお盆の調査で判明した1頭分の象化石が埋まっていることを確かめ、その後、農道工事は中断され、専門家によって調査が行なわれ、報告書が上がり、翌年6月から発掘することが決まったようですが、ところが、それを待たずに冬の間に頭骨を極秘で発掘して、高校の実験室でストーブで乾かしながら、エポキシを塗ったようですね。
ただ、頭骨は非常に柔らかく、とあるので、うまく採取できなかったのではないでしょうか。それで、その辺りのことが書かれていない。飛ばされているようです。
後の方で、頭骨を除く各部位が出土したと書かれている場所があり頭骨化石の回収は失敗したようです。と、ここではそんな感じがします。もっと先を見ないとわからないのですが。 |
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ナウマン象発掘
-北海道・忠類村-
1969.8.15 発掘 |
ナウマン象の化石骨 六月に本格発掘
昨年八月、本村晩成の道路工事現場から、世界でも珍らしいナウマン象の化石骨が発見されました。
その後、十月に、専門家によってこの貴重な埋蔵文化財の現地調査が行われた結果、道の依頼で、ことしの六月二十七日から七月三日まで、約五十人の調査団が来村し、現地で本格的な発掘調査を行うことになりました。
なお、教育委員会はナウマン象の発掘を記念してスタンプを作りました。役場、郵便局、駅の窓口に備え付けてありますので、ご利用ください。 |
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新聞記事の見出し
145出てくれ!ナウマン象 忠類村はてんやわんや
村をあげ発掘協力 27日から本格作業
全身骨格なら世界的発見
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147道具
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キリ |
スポイト
油状物質の洗浄に用いられた。 |
割りばし
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注射器
樹脂注入に用いられた
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刷毛
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記念スタンプ
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150ナウマン象本体の化石を掘る
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象の化石を含む地層は、地表から約10m下の泥炭層で、この上を火山灰層、風化火山灰のローム質粘土層、そして厚い砂礫層が覆っていた。そのため、泥炭層のすぐ上までの土砂をブルドーザで除去した。
発掘は約15m四方の範囲で進められたが、泥炭層は砂礫を含んでいるために硬く、作業は難航した。
本体の化石は、非常にやわらかく、すぐに取り出すことはできない。そのため化石の表面を自然乾燥させ、その上に樹脂を塗って化石を保護した。さらに化石が壊れないように、石膏で上面をおおい、下面
は十分な余裕をもたせて周囲を掘り下げ、泥炭をつけたままのブロックを逆転させて、運搬用の木箱に納めた。 |
※象本体の指す意味が、四肢骨や背骨、肋骨、肩甲骨、骨盤などを指しているとすれば、やはり頭部はなかったのだろうか。
象が沼地に落ちて足が沼の底に着いたが、頭は外に出たまま、死亡し、頭骨が空気にさらされて風化し、もろくなっていたのかもしれない。
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ナウマン象の発掘作業始まる
学者ら約百人参加
大臼歯発見 複数か、初めから熱気 忠類村 |
新聞記事 |
クワ入れする村長 |
ナウマン象産出地点露頭見取り図
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※村長も偉かったと思うよ。考古学的価値を無視して、
ブルで引き潰されてしまう遺跡が多々あるのに、
農道工事を停止して遺跡を保存し、
本格的な発掘につなげたんだから。首長の鏡かもしれない。 |
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155発掘風景
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160
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右上腕骨など右前肢 |
泥炭から産出直後の化石の色
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記録写真撮影が行なわれる発掘現場
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発掘道具
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ナウマン象胴体部
ほぼ全体が産出 |
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油状部室の産状
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樹脂が塗布され補強される
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右大腿骨
取り上げのための石膏流し込み
取り上げ化石の箱詰め
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取り上げのため周囲を掘り下げる
油状部室の採取
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石膏の流し込み |
化石象のアミノ酸分析
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165
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忠類ナウマンゾウは何才?
忠類ナウマンゾウは、当初若いオスのゾウと考えられていました。 しかし、2000年以降、骨端や結合部 (例えば恥骨と坐骨の結合部等)の骨化状態の
分析が行われた結果、 50才程度のおじいちゃんゾウであることが判明しました (ゾウの平均寿命は約 60才)。 |
ナウマン象左牙 |
右上腕骨 |
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忠類ナウマンゾウは何才? |
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左上腕骨 |
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左上腕骨 |
右橈骨 |
右橈骨
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左キバ |
左キバ |
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170発見から発掘まで
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発掘が終了した |
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第1次発掘
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第2次発掘 |
第3次発掘 |
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173ナウマン象化石の産状
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ナウマン象化石は、頭部を南に、胴体部を北にした、ほぼ4×7mの範囲に集中して発見された。
頭部は、胴体部の南北軸よりも西側にずれ、そのうえ左右が逆転していた。もし正常に埋没していたら、道路工事では発見されなかったかもしれない。
寛骨と右大腿骨、右脛骨が原位置を保ち、とくに右脛骨はほぼ直立して発見された。それに比べ、前肢部分は不規則で、とくに左前肢部分が乱れていた。
こうした産状から、忠類ナウマン象は右後肢を泥炭地のぬかるみにとられ、右前肢を折り曲げて、南へ向かってのめりこんだ形で死んだものと考えられる。
頭部や左側部分は、水面近くにあって、腐敗と水流によって移動したものであろう。
※やはり頭骨は長く空気にさらされて風化が進んだものと見られます。 |
ナウマン象化石の産状 |
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化石の産出状況
キバはあるが頭骨はない |
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177
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210産出した忠類産ナウマン象化石
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泥炭層中に埋没していた化石は、切歯 (牙)や臼歯以外は非常にやわらかく、その原形を保たせて発掘するのは、たいへんに難しく手間がかかった。しかし、2年間にわたる発掘の結果、 頭骨をのぞく、四肢骨、寛骨など骨格の主要部分47点の化石が発掘された。
これは全骨格の70~80%にあたるもので、ナウマン象の全身骨格の復元が可能となった。
産出化石47点には、第3大臼歯 1点が含まれていたが、(化石の再調査により マンモスゾウの 臼歯と推定した。産出化石写真12)
これは別個体(※マンモスの歯だった。)のものと考えられ、まだ周辺に他のナウマン象が埋没している可能性を示唆するものであった。(※マンモス化石が埋まっている可能性。)
忠類産ナウマン象は、ほぼ埋没したままの状態で発掘され、しかも、化石の突出部分の保存もよいので研究上貴重で有効な標本である。
※周囲からマンモス象の臼歯が出土した。(当時はナウマンと思われていた)マンモスも埋まっているのか、それとも、生え変わったために抜け落ちた臼歯が、たまたま出土したのかはわからない。 |
産出した忠類産ナウマン象化石
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化石一覧表
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産出化石
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220
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230マンモスの臼歯化石 は4万年前
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1970年に忠類ナウマンゾウの発掘現場から発見された臼歯化石は、その後の研究で2008年にマンモスの歯と報告されました。
年代測定の結果も忠類ナウマンゾウより新しいものでした (約4万年前)。
日本でナウマンゾウとマンモスの両方が発見されているのは忠類と石狩地方の北広島市だけです。 |
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重大な問題 この展示のどこにも ナウマン象の埋没年代が書かれていない。
一緒に混入していたマンモスゾウの臼歯は4万年前で、ナウマン象より新しいとある。
忠類ナウマン象が沼に沈没死したのは、、12万年前です。
12万年前の地層から出土しました。 |
240化石産出状況復元模型
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300 |
310忠類ナウマンゾウがいた時代 沼:ホロカヤンウ
地質用語の「面」とは
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ナウマン象産出地点周辺の地質
ナウマン象化石が産出した忠類村晩成周辺の丘陵には、基盤の新第三紀層、斜交葉理(画像)が発達した砂礫層で構成される晩成面 (高位段丘)、砂礫層や泥炭層を挟む粘土~シルト層で構成されるホロカヤントウ面(中位段丘) が分布する。
ナウマン象化石は、ホロカヤントウ面の泥炭質粘土層の上部 (標高34~35m付近)から産出した。
泥炭質粘土層の上には、約11万年前ころに噴出した屈斜路火山灰などをレンズ状に挟む厚い砂礫層 (河川堆積物)が堆積している。
表層近くには、約3万年前ころの支笏火山噴出物もみられる。これらのことから、ホロカヤントウ面の形成時期は、後期更新世の初めころと推定される。 |
忠類ナウマンゾウがいた時代
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ナウマン象産出地点周辺の地質
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産出地主変の地質層序
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地質調査
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地質図
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320象発掘地層
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ナウマン象埋没層 |
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泥沼の下には角礫層。風化破砕した岩石の野原が沈下して泥炭沼化し |
食事に来たナウマン象を飲み込んだようだ。ただし、溺れたのは上層 |
とても 深い沼だったようだ。 |
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330炭化植物
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340炭化植物(寒冷地の植物)
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400 |
410環境
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忠類ナウマン象とともに
ナウマン象化石が発掘された(12万年前の)地層からは、多数の植物化石、花粉化石、昆虫化石、珪藻化石などが発掘された。
植物化石や花粉化石から、当時、忠類周辺にはミズナラ、ハルニレ サワシバ、ハシバミ、オニグルミ、エゴノキ、ハクウンボク、ホウノキ、アサダなどの落葉広葉樹を主とする森林が分布し、象の化石が産出した地点の付近には、ヤチダモ林が繁茂していたことが明らかとなった。(温暖な気候)
昆虫化石で完全なものは発掘されなかったが、食肉性のオサムシ科、シデムシ科、食植性のハムシ科、ゾウムシ科の昆虫など22種類の化石が産出した。
また、6種類の淡水性珪藻化石が検出されたことから、当時よどんだ水域になっていたことがわかる。 |
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忠類ナウマン象とともに
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第三泥炭層産出花粉化石
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ナウマンゾウ化石に伴出した化石
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420堆積物
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ナウマン象がいた時代と環境
ナウマン象化石が産出した泥炭質粘土層は、約9万年前ころに噴出した洞爺火山灰などをレンズ状に挟む砂礫層でおおわれている。したがって、 泥炭質粘土層は最終間氷期の高海水面期から海退期
(約13万年~11万年前) のころに堆積したもので、忠類ナウマン象はこの間のいずれかの時期に生息していたことになる。
泥炭質粘土層には、砂や砂礫がたくさん混入していたほか、2~3枚の砂礫層の薄い層もみられ、周囲から砂礫が供給されやすい場所で堆積したことを示している。このことから、象が死んだのは、増水期には流路となった川沿いの沼であったと推定される。
最終間氷期には、十勝平野はブナが分布するほど温暖な気候だったが(現在、ブナの自生分布北限は黒松内低地帯付近)、ナウマン象が水域で足をとられたころには、気候はだんだん冷涼となり、ブナが姿を消してミツバウツギやエゴノキが温暖だった時期のなごりを残していた。このころの気候は、現在と同じか、いくぶん温暖な気候 (現在の札幌周辺) に変わっていたと思われる。
ナウマン象が足をとられた沼の周辺には、ヤチダモやオニグルミの林が繁茂し、春から夏にはミツガシワやノハナショウブの花がいっせいに咲き、ミズスマシ属の昆虫が水面で輪を描いていたであろう。 |
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430人間との関係を求めて
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忠類の発掘では、 ナウマン象と人間のかかわりも話題となった。
それは、規則的に配列されたような状態で発見された数本の樹木、化石の周辺から発見された人工の疑いのある角礫の存在、頭部化石が一回転した状態で出土したことなどからである。
1970年秋に、象と人間とのかかわりを明らかにするための第三次調査が行われた。
象の化石が産出した周辺から、おびただしい量の礫が発掘されたが、その出土状態は水で運ばれて堆積したことを示すものだった。
また、頭部化石が一回転していたのも、水の作用によるものと考えられる。
象と人間とのかかわりについては否定的な結果であったが、 当時、北海道に人間がいなかったとは言い切れない。 |
人間との関係を求めて |
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人間の臭いを求めて砂礫層を掘る
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人工の疑いのある角礫
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第三泥炭層60cm面の礫の産状
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泥炭層60cm以下の礫産状
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440十勝団体研究
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忠類ナウマン象と十勝団体研究会
1962年8月、十勝平野のおいたちを明らかにしようと、北海道各地から16人の教師、教官、学生、研究者が十勝に集まり、野外調査をはじめた。これが十勝団体研究会(略称・十勝団研)のはじまりで、その活動は十勝平野の全域にわたっている。
1969年夏にナウマン象の化石が発見されたことから、研究テーマを変更して、象の化石の発掘を行うことになり、同年秋に行われた予備調査、1970年の本発掘によって数多くの成果をあげた。
ナウマン象化石の発掘は、十勝団研の数多い研究成果のひとつで、ほかに多数の論文が学会などで発表されている。 なお十数年間にわたる研究成果は、
十勝平野』 という本に集約されている。 |
忠類ナウマン象と十勝団体研究会
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十勝団体研究会
調査年表
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450昆虫
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ゴミムシ
エゾコガムシ |
ゴミムシ |
ゴミムシ
エゾコガムシ
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ナウマン象包含層の角礫
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研究誌「十勝平野」 |
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500沼に沈む
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※子供の頃、「はじめ人間ギャートルズ」によく出ていたマンモスの頭骨。あれは本物を見て書いたんだと、ようやく知ることができました。
長生きと旅行はしてみるもんだね。 |
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600 |
610世界に展示されているナウマンゾウ
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道路工事中にぐうぜん発見された忠類ナウマン象は、2ヵ年にわたり発掘が進められ、日本で初めて全身骨格の完全復元に成功したナウマン象は、更新世中期から後期にかけて日本列島各地に広く生息していた日本の氷河時代を代表する化石象である。
これらのことから、忠類ナウマン象の全身骨格復元模型は、国内や海外で展示され広く公開されている。 |
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611
世界に展示されているナウマン象 |
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ナウマン象展示施設
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国内各地に展示された忠類ナウマン象 |
北海道博物館
忠類ナウマンゾウ記念館 |
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新潟県立自然科学館
栃木県立博物館
富山市科学文化センター
長野市自然史博物館
浜松市立博物館
岐阜県博物館
大阪市立自然史博物館
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倉敷市立史🈜史博物館
高松市民文化センター
北九州市立史🈜史博物館
宮崎県総合博物館 |
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612世界に展示されているナウマンゾウ
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620忠類ナウマン象発掘その後
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忠類ナウマン象の発掘以後、それに関わったいくつかの動きを追ってみよう。
1972年12月22日、 発掘現場に発掘記念碑を建設。
1973年9月15日~21日、 特別展「忠類産ナウマン象展」開催。
1979年10月10日~21日、 特別展 「忠類に 「象がいたころ」 開催。
1985年10月13日、 忠類ナウマ ン象化石発掘15周年記念式典と特別講演・座談会を 開催。
1985年10月12日~11月4日、特別展「忠類と野尻 湖のナウマン象」を開催。
1988年6月22日~7月2日、忠類ナウマン象記念 館の展示資料収集を目的とするミニ発掘を実施。
今後とも、忠類ナウマン象の発掘現場を保全するともに、発掘によって得られた資料の公開に努めていきたい。 |
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700全身骨格
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800 |
810象の祖先
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ゾウの仲間と祖先
アメリカの古生物学者でソウ化石研究の大家であったH.F.オズボーンは、350種類の化石ゾウを記載している。現在、生息しているゾウはアフリカゾウとアジアゾウの2種類のみだから、地質時代には多くのゾウの仲間が繁栄していたことがわかる。 ゾウの仲間のうち、もっとも原始的と考えられるものは、北アフリカの始新世~漸新世の地層 (4千~3千万年前から発見されている。 最近では、より古い化石(始新世前期)が、 北アフリカやインドから発見され ている。
最初は4~5種類だったゾウ (長鼻類) は、中新世の間(約2千万年前から500万年前)に分化し、南極大陸とオーストラリアをのぞく世界中の大陸にひろがった。このときに現在のゾウの祖先も出現した。 |
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ゾウの仲間と祖先 |
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原始的な長鼻類(ゾウの仲間)の分布
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ゾウの仲間
イワダヌキ
デスモスチルス
海牛
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イワダヌキ |
ソウの仲間
●イワダヌキ(ソウの親せき)
イワダヌキ類は南アフリカから北東アフリカ、シナイ半島やアラビア半島に分布している。その外観からモルモットのようなげっ歯類の一種に考えられていたが、胸を
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デスモスチルス
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●デスモスチルス復元図(ゾウの親せき)
絶滅乳類であるデスモステルスは束柱目に属する。
束柱目に属する他の種にはパレオパラドキシア、デスモスチレラ、コルンフリウス、ベヘモトプスがある。
デスモスチルスでは ”のり巻”をたばねたような歯が特徴的である。
束柱類は中新世中期(約1500万年前)に日本と北米太平洋岸分布し繁栄していたが、中新世末(500万年前)には絶滅した。
漸新世後期(約2500万年前)の原始的な束柱類ベヘモトプスは北米太平洋岸と北海道○○から発見されている。 |
海牛 |
●海牛
人魚のモデルとされた海牛類は、始新世中期(約4500万年前) に出現した。
現在は東南アジアからアフリカのインド洋沿岸にかけてジュゴンが、また、南米とアフリカの大西洋岸に、マナティーの○○が棲息するだけ。北太平洋の○○は○○に○○したステラー海牛が、○○○で○○○つていたが、1768年に人間によって絶滅させられた。
海牛の○○は人間と同じく○○○の〇に一対の・・・
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820象の分布
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830長鼻類の系統
長鼻類の系統 |
現生ゾウの系譜 |
古生ゾウの系譜
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古生ゾウの系譜 |
アフリカゾウ
ナウマンゾウ
アジアゾウ
マンモスゾウ |
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900ゾウを知る |
910中期中新世~前期更新世の動物 |
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915中期中新世の日本と動物たち 中新世2303万年前~533万2千年前
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約1500万年前まではアジア大陸の一部だった日本列島は、火山活動をともなう日本海の拡大により、大陸から分離した。
南からの暖流は、当時多くの島々よりなっていた日本列島へうちよせ、気候はいまよりもはるかに温暖だった。
植物や貝、微化石の資料は熱帯性気候であったことを示している。
海にはデスモスチルス類やクジラ類、トドやアシカの祖先が生息し、陸にはゴンフォテリウム、ステゴロフォドン、トリロフォドンなどの原始的なゾウやサイ、バク、原始的なウマであるアンキテリウム(カロバティプス)、シカなどが生息していた。陸上哺乳類は中国大陸のものとの類縁性を示している。
中期中新世の哺乳動物たちはその後、一部をのぞき絶滅した。 |
中期中新世の日本と動物たち |
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メリテリウム |
パレオマストドン |
ダイノテリウム
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ステゴロフォドンの
下顎臼歯 |
ステゴロフォドンの
上顎臼歯
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916鮮新~更新世の日本列島と動物化石 鮮新世500万年前~258万年前 更新世260万年前~1万年前
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亜熱帯性気候の中新世(2400万年前~510万年前)から氷河時代ともよばれる第四紀にむけて日本列島の気候は寒冷化し、海陸の分布も現在のそれに近づいてきた。
この時期に陸地の上昇と海水面の上昇が競うようにして起こり、海進と海退がくりかえされた。
それにともない、朝鮮海峡、対馬海峡から東シナ海北部にかけて陸地が広がり、日本列島と大陸とがつながった。
このとき大陸からは、ステゴドンの仲間であるエレファントイデスゾウやボンビフロンスゾウなどが渡ってきた。
またセンダイゾウのようなより原始的なゾウも生息していた。
中新世から鮮新世に海で堆積した各地の地層からは、クジラやアシカ、トドなど多くの海生哺乳類の化石が発見されている。 |
鮮新~更新世の日本列島と動物化石
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トリロフォドン
(センダイゾウ) |
トリロフォドンの臼歯 |
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917前期更新世とゾウの仲間たち 258万年前~77万4千年前
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鮮新世の余韻を残す前期更新世の前半 (約180~120万年前) は、気候も温暖だった。
この時期には、ステゴドンの仲間のアカシゾウやアケボノゾウ、マンモスの仲間のシガゾウ、またカズサジカやシフゾウ(四不像=シカの一種)が、朝鮮半島をへて移動した。 シガゾウに近いパラマンモスゾウは、北海道にも生息した。
鮮新世からの温暖な気候を反映して、メタセコイヤ、イヌスギなどメタセコイヤ植物群が東北地方までひろがっていた。この植物群は、前期更新世後期この寒冷化にともなって姿を消し、アカシゾウやシガゾウも中期更新世になると、トウヨウゾウやアルメニアゾウ(トロゴンテリゾウ)におきかわった。
※パラマンモスゾウの説明記事はネットにない。「接頭辞パラ」は「~に似た」の意味で、マンモスに似たゾウの意味のようです。 |
前期更新世とゾウの仲間たち
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トウヨウゾウ
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前期更新世(約80万年前)の古地理と主なゾウ化石産地
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トウヨウゾウ臼歯 |
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920北広島動物群 |
921
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北広島動物群
1971年から1980年にかけて、札幌市の東南に位置する野幌丘陵から、砂利採掘作業の際に大量の脊椎動物化石が発見された。
化石は上下に重なる二つの地層 (層準) から産出している。これらの地層は浅い海で堆積したものであり、化石としてみつかる動物も陸生のものと海生のもの両方が、ふくまれている。
下位の地層である下野幌層からは、カイギュウ、セイウチ、ヒゲクジラなどの海生哺乳類、 陸生のパラマンモスゾウなどの北広島動物群が寒流系の貝化石とともに発見された。下野幌層は、前期更新世(120~70万年前) と考えられている。これらの脊椎動物化石についてのくわしい研究はなされていない。 |
北広島動物群 |
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ステラー海牛臼歯 |
出土地層
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シガゾウ |
アカシゾウ |
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923後期更新世のゾウ骨
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930中期更新世の動物
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中期更新世とゾウの仲間たち
70万年~13万年前の中期更新世には、温暖帯の動物群が日本に分布していた。
ゾウでは、トウヨウゾウ(シナゾウ)やアルメニアゾウが中国大陸から渡ってきて、後者は北海道にも分布した。
ほかにサイ、スイギュウ、ニホンザル、ツキノワグマ、トラ、イノシシ、ニホンムカシジカ、それにワニなども生息していた。
中期更新世には、2回の寒冷期 (ミンデル、リス氷期)と、その間の温暖期 (ミンデル-リス間氷期42.4-37.4万年前)があり、この気候の変化にともなって動物群の日本への移動が起こったと考えられる。ナウマンゾウは、中期更新世の後期(約20万年前)に出現した。
※ミンデル氷期(47.8-42.4万年前) リス氷期(20-13万年前) |
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931
中期更新世の動物 |
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中期更新世(約40万年前)の主なゾウ化石産地と海成層の分布
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■現在わかっている当時の海成層の分布(海岸線は現在のもの)
●アルメニアゾウ
◯トウヨウゾウ |
北海道 |
東北 |
関東・東海 |
西日本 |
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933音江別川動物群 40万年前
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札幌市東南の野幌丘陵では、北広島動物群を産出した、下野幌層を不整合におおう音江別川層からも脊椎動物化石が発見された。
これらは音江別動物群とよばれている。
化石は基底礫層からアルメニアゾウの臼歯が、中部の砂層からは野生 (パイソン)の頭骨片が産出した。
音江別川層は谷を埋めるような堆積状況を示し、内湾性から泥炭を挟む陸性への環境の変化を示している。中部の砂層には、多数の巣穴化石が見られる。
地層の年代は、中期更新世(約40万年前)と考えられている。 脊椎動物の化石とともに 産出する貝化石は、おもに温暖系のものである。地層、植物、貝化石の研究にくらべ、脊椎動物についての研究は、それほどすすんでいない。 |
音江別川動物群 |
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トウヨウゾウ |
トウヨウゾウの臼歯 |
マチカネワニ |
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935マンモスゾウ
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940野尻湖とナウマンゾウ
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野尻湖の発掘
長野県の北にある野尻湖から象の臼歯が発見されたのは、1948年のことである。この野尻湖発掘は1962年から着手され、広い湖底からナウマンゾウやオオツノシカの化石などが旧石器と共に発見されている。
研究の結果、約3万年前の野尻湖人の生活環境が詳しく復元されている。
第5次発掘 (1973年)の参加者は、1000人をこえ、その後、全国の友の会と専門別グループとにより、大衆発掘の組織が再編成された。北海道にも友の会がある。
第10次発掘は1987年3月に終了、第11次発掘は、3年後の1990年の予定である。また、発掘の年の間には、陸上発掘や発掘祭りがおこなわれている。 |
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野尻湖の発掘
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ナウマン象臼歯 |
ヤベオオツノジカ
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ヤベオオツノジカ
掌状角 |
野尻湖の古環境
ピンボケ
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950後期更新世の動物 後期更新世 12万6000年~1万1700年前 |
951後期更新世とゾウの仲間たち
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リス氷期後の間氷期におこった下末吉海進 (約12万年前)によって日本列島は大陸より分離されることになった。
リス氷期に大陸から渡ってきた動物たちは、それ以前から日本に固有であったものと共に日本列島にとり残された。
中期更新世まで生息していたステゴドンやシガゾウ、アルメニアゾウなどは、この時期までに絶滅し、ナウマンゾウが日本の唯一のゾウとなった。
ウルム氷期(7万~1万年前)の海水面の低下により、北海道はサハリンをへてシベリアと陸つづきになり、マンモスソウが移動してきたが、本州へは分布しなかった。
※約12万年前には日本列島にはナウマン象だけが棲息し、5万年前にマンモス動物群が南下してきた。従って、ナウマン象が先、マンモスゾウが後でした。 |
後期更新世とゾウの仲間たち
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リス氷期の古地理図
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忠類ナウマン象棲息時代(約11万年前)の古地理図
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ナウマン象臼歯 |
ステゴドン寛骨
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955マンモスゾウの出現
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マンモスゾウの祖先は、鮮新世 (約200万年前)アフリカに生息していたアフリカマンモスにさかのぼる。
このゾウはその後、メリジオナリスゾウ、トロゴンテリゾウ (アルメニアゾウ) へと進化し、ユーラシア全体から北アメリカにかけて広く分布した。
メリジオナリスゾウが北アメリカへ移住したのは約150万年前と考えられている。
トロゴンテリゾウから進化したマンモスゾウ、いわゆるケナガマンモスは寒冷な気候に適応し氷河時代の高緯度地方の広大な森林、草原地帯を食物を求めて移動した。
約1万年前に絶滅したが、 北海道へやってきたのはウルム氷期の初め (約5万年前) ころである。 |
北海道最古のマンモス臼歯と、北海道初のオオツノジカの角
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平成3年6月に空知管内の由仁町東三川発見された、
北海道最古のマンモスの臼歯と、
北海道初のオオツノジカの拿状角の化石です。
北海道ではこれまでにも6点(※現在12点)のマンモス象臼歯化石が発見されていますが、産出した地層がわかる状態で出土したものとしては、由仁町マンモスゾウが初めてのものです。
この化石は、約4万年前に噴火した支笏湖火山に覆われた砂利層であることから、大まかに宗谷海峡が陸橋となった約7万5千年前以降から約4万年前までの何れかの時期ということができます。
產出地空知管内由仁町 原標本所蔵 由仁町教育委員会
※どちらも約5万年前の氷河期のものとされています。 |
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960後期更新世 約4.1~2.5万年前 |
961
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後期更新世(約4.1-2.5万年前)の古地理と主な象化石の産地
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マンモスゾウ臼歯 |
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夕張産マンモスゾウ上顎大臼歯
サハリン産マンモスゾウ下顎臼歯
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ペレゾフカ産マンモスゾウ復元図 |
えりも産マンモス上顎臼歯
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マンモスゾウの毛
冬になると最低気温が氷点下50℃以下になるシベリアの寒さから身をまもるためマンモスソウには全身に厚く長い体毛が生えていた。
最大の長さが1mに達するような長毛が鼻から尾まで、さらに足にも生えており、この長毛の下には15cmほどの綿毛が生えていた。
長毛の太さは約0.23mm、綿毛の太さは約0.03mmで、黄がかった褐色か明るい褐色をしている。 しかし頭部や背部、足、尾の毛は黒色だった。
マンモスソウの体毛は季節によって抜け替わったのでは ないかとも考えられている。 |
マンモスゾウの毛 |
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962
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襟裳産マンモスゾウ
下顎大臼歯
後期更新世
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羅臼産アルメニアマンモスゾウの臼歯
中期~後期更新世
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965シベリアのマンモスハンター
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マンモスゾウは、先史時代の人類がよく知っていた動物のひとつであった。 後期旧石器時代のクロマニョン人は、その狩人たちであった。
彼らは、マンモスゾウの習性をよく理解していた。 とくに狩りの ときなどは、その経験をたくみに生かし、ゾウの通り道に落とし穴を掘ったり、大木を利用した仕掛けをつくったり、沼地に追い込んだり、さまざまな方法をつかった。
狩人たちはいくつかのグループに分 かれ、移動しながらマンモス狩りに適した場所を選んで生活していた。
1954年にウクライナのデスナ川沿いのメジンスク付近から発掘された住居は、マンモスやトナカイの骨を組み合わせて建てたものである。 |
シベリアのマンモスハンター |
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東アジアの後期更新世におけるマンモスゾウの分布
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ウクライナ・メジリチ遺跡発掘の状況
1965年に発見された。 メジリチとは「川にはまれた真中」という意味で、住居跡はサワ川とロシェ川にはさまれてあった。
4つの住居跡が発見されており、いずれも1万4千~1万7千年前のものである。
4つの住居はそれぞれ形や骨の使い方が異なっていた。1つの住居には385個の骨が用いられており、マンモスの95頭分にあたる。 |
ウクライナのメジリチ遺跡発掘状況
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マンモスゾウの骨で作られた住居(入口)
住居跡は直径約5mの円形で、中央付近に炉があった。
ドーム型の屋根の骨組みは丸太やマンモスの牙でつくり、土台のまわりにはマンモスの頭と下顎骨が積み上げられていた。
屋根や壁には肩甲骨や小さな牙を並べ、ドームの上にはマンモスの毛皮をかぶせていた。
住居の中からはベンガラで模様を描いたマンモスの骨でつくった装飾品(楽器であるとも考えられている)やコハクのネックレスなどが発見されている。 |
マンモスゾウの骨で作られた住居
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マンモス象臼歯(産地不明)
北海産
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マンモスゾウ臼歯
左:産地不明
右:北海産オランダ
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写真:シベリアのマンモスゾウの頭骨
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970最寒冷期の北海道 |
971
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最寒冷期の北海道
約7万年前からはじまった最終氷期 (ウルム氷期)は、そのクライマックスとして最も寒冷な時期を2.5~1万年前にむかえた。
ウルム氷期には、日本列島周辺の海水面はいまより100m前後も低下し、北海道はサハリンをへて大陸と陸つづきになった。
この陸橋を通り、北海道にはマンモスゾウ、ナキウサギなどの動物が、シベリアから渡ってきた。
日高山脈などの高い山々には山岳氷河が形成され、また平野部では各種の周氷河地形が残された。
年平均気温はいまよりも8℃前後も下がり、北海道の大部分には亜寒帯性の疎林がひろがった。
最寒冷期が終わったあと(1万年前) 気候はしだいに暖かくなり、現在にいたった。 |
最寒冷期の北海道
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最終氷期・歳寒冷期(約2.1-1.1万年前)の古地理と主なゾウ化石の産地
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サロベツの
クリオターベーション
氷結による土層の攪乱 |
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973最寒冷期の植生
※博物館の図がピンボケなので、八千代市の最寒冷期の植生図を代用しました。
博物館展示の図表
図表のタイトル名不明。ピンボケ。
大変詳しく植生分類がなされています。
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975日高山脈カール地形
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日高山脈のカール地形分布
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典型的なカール |
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炭化植物
グイマツ毬果
江差町
後期更新世 |
カラマツ原材化石
名寄市徳田二十線
後期更新世
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登別火山噴出物から産出した炭化木
登別市
後期更新世 |
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980ナウマンゾウ全身骨格
広大な駐車場
館の周囲には温泉・プール・ホテル・カフェ・野球場・キャンプ場・公園をはじめ、いろいろな娯楽施設が集まっており、
開業から随分の時間が経ったナウマン象記念館にも多くの人が訪れています。
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