発掘された日本列島2025 2025.07.06sasebo
発掘された日本列島2025展佐世保市会場2地域展
福井洞窟ミュージアム
所在地: 長崎県佐世保市吉井町立石473
電話番号:0956-64-3830 月休 撮影可 9:00~17:00
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交通 |
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JR佐世保駅前②バス乗り場から吉井経由バス1日多数 約1時間
JR佐世保駅構内から松浦鉄道で吉井駅下車 |
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近隣観光地 |
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ハウステンボス 長崎市 五島列島 など多数 |
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近隣博物館 |
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島瀬美術センター他多数、泉福寺洞窟、福井洞窟他多数の遺跡 |
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掲載にあたって 2026.02.24
「発掘された日本列島2025佐世保の地域展」としての福井洞窟ミュージアムの展示は、「常設展示」と「地域展」の二部構成となっています。
編集にあたって、当初は「常設展」+「発掘列島地域展」で構成していましたが、あまりにも量が多すぎて、特に地域展の目次も書けなければ、
そもそもの地域展がかすんでしまいました。
そのため、急遽、二つを分けて掲載することにしました。今回は地域展としての福井洞窟ミュージアムです。 |
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目次
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1000 1001ごあいさつ
1100 01洞窟王国佐世保
1110洞窟王国佐世保
1120 01始まりの洞窟
サキタリ洞遺跡
尻労阿部遺跡
菰田洞穴
1130 02九州の狩人
1141貝釣針
1142貝器
1143装飾品
1145石器
1146石英製の石器
1147砂岩製の石器
1150尻労安部洞穴
1151ナイフ形石器,
台形石器
1152ウサギ骨
1153佐世保の洞窟
1153泉福寺洞窟
1154菰田洞穴
1155上原遺跡
1156根引池遺跡
1157烏帽子岳遺跡
1158多久三年山遺跡
116茶園原遺跡 |
1200 コラム
旧石器-縄文の動物化石
下原洞窟遺跡
※空白の1万年とは
1202ナウマンゾウ
1205古代動物骨
ヤベオオツノジカ
アマミノクロウサギ
カトウキヨマサジカ
1300 03縄文時代の始まり と洞窟遺跡
1311福井洞窟の土器
隆起線文土,
爪形文土器
押引文土器
1320 コラム
九州各地の初期縄文
清武上猪ノ原遺跡
薮池洞穴遺跡
1323下原洞窟遺跡
1325磨製石鏃,貝鏃
1327草創期の石器・土器
上黒岩岩陰
1328隆帯文土器
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1350テーマ展示2道具作りの流儀
ナイフ形石器
細石刃
石鏃
1352細石刃
1353港川人骨
1354細石刃核の形式と分布
1355野岳・休場型
※資料 野岳・休場型細石刃
※考察 北方系細石刃核について
※資料1大陸の細石刃核 の型式
※資料2札骨型細石刃核のシベリアでの分布
※資料3泉福寺洞穴11層の土器
※資料4北海道の細石刃核
※資料5白滝型と札滑型とは
1356船野型
1357福井型(西海技法)
1358三大細石刃核
1360こけし型石偶
1370テーマ展示3土器出現の意味
1371土器の出現
1372定住革命
1374南方系爪形文土器
1375南九州型爪形文土器
1376清武上猪ノ原遺跡
1377矢柄研磨器
1378草創期土器
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1380最古級土器の分布
1383佐世保の草創期土器
1384豆粒文土器
1385隆起線文土器
1386隆起線文土器
1387爪形文土器
1388押引文土器
1390土製・石製品
1391有孔円盤
1395隆帯文土器,線刻礫
1397石斧,魚骨製品
1400 04ヒトと洞窟
1411埋葬人骨
1413縄文人骨と弥生人骨
1414縄文人骨
1415弥生人骨
1420福井洞窟の年表
1430福井洞窟の写真
1440落盤
1450発掘作業
1470第2~4層
1480謝辭 |
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1000発掘された日本列島2025 地域展 佐世保会場
参考資料 01
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1001
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ごあいさつ
佐世保市は、北部九州の西端に位置する都市です。 数多くの洞窟遺跡があり、 遺跡の数と各遺跡の質から 「洞窟遺跡日本一のまち佐世保」 を掲げています。
令和6年10月11日には、 福井洞窟が国の特別史跡に指定され、国内で初とな
る旧石器時代の特別史跡となりました。
この特別史跡の誕生の機会に、 今回、佐世保市において、 文化庁主催 『発掘さ れた日本列島2025」展を佐世保市博物館島瀬美術センターで開催することとなりましたことは、大変意義のあることです。
全国各地の発掘された貴重な遺跡の速報展とともに、「わがま誇る遺跡展」として、
「滋賀県琵琶湖の水中遺跡」、「群馬県東国千年の都 古墳から古代へ」と ともに、「洞窟王国 佐世保」展も巡回展示されることとなります。
今年度の「発掘された日本列島2025」展は、本市を皮切りに京都府山城郷土 資料館、 三重県総合博物館、福島県郡山市歴史情報博物館の3会場で巡回展示さ
れる予定でありますが、全国各地の人類史をたどる中で、 佐世保の歴史にどのよ うな特性があるのか、 考古資料を通じて、当時の人々の暮らしぶりに触れていただ
けるものと思います。
この度、文化庁主催の中核展にあわせて、 佐世保市教育委員会では、 地域展 「洞窟王国 佐世保」を福井洞窟ミュージアムで開催いたします。
特別史跡福井洞窟だけでなく、九州各地の洞窟遺跡や旧石器時代から縄文時代 の重要遺跡を一堂に会したこれまでにない展覧会です。新たな時代の幕開けに かかわる遺跡をとおして、先人の暮らしとそのなかで生まれてきた神秘的な資料を ぜひご堪能いただければ幸いです。
結びになりますが、 本展覧会及び地域展開催にあたり、主催者であります文化庁 をはじめ、長崎新聞社、全国新聞社事業協議会、公益財団法人 佐世保地域文化 事業財団の関係者の皆さま、ご後援や情報提供等のご協力を賜りました関係機関、 佐世保市民の皆さまに心より感謝申し上げます。
佐世保市教育委員会教育長 陣内 康昭 |
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1100 01洞窟王国佐世保
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1110洞窟王国佐世保
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佐世保市は日本列島で多くの洞窟が存在する「洞 窟遺跡のまち」として知られ、特に福井洞窟は旧石器 時代初の特別史跡として重要視されている。
本企画展は、佐世保市の主要な洞窟遺跡の特徴を 九州の他の遺跡と比較しながら、「洞窟王国」として の新たな魅力を探求したい。 |
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1120 01始まりの洞窟
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―旧石器時代の洞窟遺跡と開地遺跡―
サキタリ洞遺跡 ( 沖縄県南城市) 写真:沖縄県立博物館・美術館提供 |
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洞窟遺跡は日本列島の人類史において重要であり、琉球 列島には特筆すべき遺跡がある。
石垣島の白保根田原洞穴 では約2万7千年前の埋葬が発見され、 沖縄本島のサキタリ 洞遺跡では独自の旧石器文化が確認された。
また、青森県の尻労安部洞窟では罠猟の利用が見られ、 佐世保市にも旧石器時代の洞窟遺跡が多数存在する。 |
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沖縄県における氷河期の最寒冷期
洞穴遺跡から出土した貝化石と鍾乳洞の鍾乳石(石筍)を用いた新しい地質考古学的手法を構築し、最終氷期における沖縄の気温を季節レベルの高時間分解能で復元することに成功しました。そのデータを解析した結果、
沖縄は23,000年前の最終氷期では現在と比べて6〜7℃低く、16,000〜13,000年前では現在と比べて4〜5℃低かったことが示されました。
最終氷期の気温低下は海水の温度低下より2倍も大きかったと見積もられ、氷期〜間氷期(注2)にかけての海洋と大気の温度変化が異なることを示しています。琉球列島における氷期の気温を季節レベルで推定した試みは初めてであり、遺跡の遺物と鍾乳石の組み合わせによる新しい古気温推定法は、地球科学と考古学の文理融合研究に広く適用できる点で重要であると考えられます。
(注2)氷期と間氷期
第四紀(約258万年前〜現在)を特徴づける気候状態。北半球の氷床が発達した寒冷で乾燥した時期は氷期、現在のような温暖で湿潤な時期は間氷期と呼ばれる。最近の氷期(最終氷期)は約2万年前に終焉を迎え、約1万年をかけて地球は温暖化し、約1万年前に比較的温暖な間氷期が訪れた。
※ここでは、2万年前に氷期は終わったとしている。通常、2万~18000年前頃が最寒冷期とされる。引用「東北大学」
引用「最終氷期の沖縄はどのくらい寒かったのか?〜貝化石と鍾乳石による新しい地質考古学的手法からの復元~」
※これまで、約20,000~18,000が最も寒冷であったと、してきましたが、沖縄県では23,000年前が最寒冷期となっています。
サキタリ洞遺跡 (沖縄県南城市)
貝器の使用痕
摩滅光沢 (左下) 線状痕跡 (右下)
扇状貝器にみられる加工痕跡 (マルスダレガイ科)
約23,000~20,000年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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サキタリ洞窟
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サキタリ洞遺跡 沖縄県南城市玉城字前川浮花原202番地ほか
種別:洞穴
時代:旧石器
主な遺構:赤色土 炭化物集中部
主な遺物:人骨 貝器 石器 動物遺骸
特記事項
旧石器:約3万7千年前~約1万4千年前の人骨と貝器、石器、炉址と推定される遺構を確認。
+縄文:縄文前期層の下位より従来類例のない押引文土器(約9千年前)の包含層を確認。
+グスク:グスク時代初期(11~12Cの岩陰囲込墓や大型家畜(ウシ)骨を検出。+琉球王国:蔵骨器と考えられる宮古式土器や寛永通宝を検出。
遺跡名:沖縄県南城市サキタリ洞遺跡
種別:洞穴
時代:縄文
主な遺構:石棺墓
主な遺物:土器 石器 貝器 動物遺骸 人骨
種別:洞穴
時代:グスク
主な遺構:岩陰囲込墓(崖葬墓)
主な遺物:土器・獣骨集積 人骨 土器 石器 貝器 銭貨 ガラス小玉 動物遺骸
種別:洞穴
時代:琉球王朝
主な遺構:石列 礫集中部
主な遺物:土器 陶器 銭貨
特記事項:
主な時代:琉球王国
要約:
沖縄では旧石器時代の人骨が数多く発見されているが、同時期の文化遺物や生活址は不明確であった。
また、約2万年前の港川人の時代以降、約7000年前の南島爪形文土器の出現まで、1万年以上にわたって人骨や遺物が全く知られていない「空白の時代」が介在することも課題とされてきた。
沖縄県立博物館・美術館では、新たな人骨化石や旧石器の発見をめざして、2009年度より2017年度にかけてサキタリ洞遺跡の発掘調査を実施した。その結果、約3万年前の人骨、約2万3000~2万年前の人骨と世界最古の巻貝製釣針を含む貝器、1万4000年前の人骨と石英製石器、
約9000年前の押引文土器、グスク時代(11世紀頃)の岩陰囲込墓※などが発見された。
また、旧石器時代の炉址と考えられる赤色土・炭化物集中部が複数確認されたほか、9000年前以前の地層中から1体分の埋葬人骨が検出された。
※洞窟利用に考察 少なくとも旧石器から縄文にかけて、洞窟は風雨をしのげる大切な場所。特に夏から秋にかけて台風の多い沖縄にとっては
大切な居住場所だったはず。猛烈な台風で、竪穴住居など吹き飛ばされてしまうはず。そんな大切な場所に遺体を埋葬し、長い間腐敗臭をみなぎらせて使用不能にするとはどういうことだろう。しかも、1体だけ。誰しもが利用せざるを得ない洞窟を利用不可にする。それほどの人物だったのか。
それともただの行きずりの旅人が一家に出た死者を埋葬して出て行っただけなのだろうか。
貝塚時代以降では、一般的に洞窟や岩陰は墓地や、単に死体を投げ込む場所として利用されることが多いが、多数の墓や投入遺体はなく
長い時間を置いての一例に過ぎないことは、洞窟埋葬の何らかの思想が、旧石器から王朝時代まで、あったのではないか。
すなわち、誰を、なぜ、洞窟に葬るのかの、暗黙のルールが存在したのかも知れないと想像した。
岩陰囲込墓※
AI による概要
岩陰囲込墓は、沖縄の墓の一種で、自然の岩陰を利用して、前面を石や漆喰で囲い、墓口を設けた形式の墓です。
特に、名嘉真宜勝氏によって分類された「岩穴囲い込み墓」として知られています。
岩陰囲込墓の特徴:
自然の地形利用:
岩陰という自然の地形をそのまま利用しているため、独特の景観を持つ墓が多いです。
石積みと漆喰:
岩陰の前面を石で積み上げ、漆喰で固めることで、墓としての強度と安定性を確保しています。
墓口の形状:
墓口は、アーチ状に作られていることが多いです。
沖縄の墓制:
沖縄の墓制は、風葬から土葬、そして現在の形へと変化していく中で、岩陰囲込墓は、その過渡期における墓形式の一つとして位置づけられます。
代表的な例:
鬼大城の墓:
知花城址の中腹にあり、岩陰を利用した囲込墓として知られています。
知花グスクの岩陰囲い込み墓:
知花グスクの南側丘陵地に位置し、岩陰を利用した墓です。
関連する情報:
シーミー:
沖縄では、清明祭(シーミー)という墓参りの行事があり、岩陰囲込墓でも、家族で集まって先祖を供養する場として利用されています.
破風墓:
沖縄の代表的な墓形式の一つで、岩陰囲込墓は、破風墓の原型になったとも言われています.
亀甲墓:
破風墓から発展した形式で、屋根部分が亀の甲羅のような形をしているのが特徴です.
岩陰囲込墓は、沖縄の歴史と文化を伝える貴重な遺産であり、その独特の景観と構造は、沖縄の墓制を理解する上で重要な要素となっています.
※沖縄では海岸での風葬の後、近くの石灰岸壁に掘った洞窟に袋に入れて人骨を埋納し、年に一回シーミーの時に取り出して、洗骨するらしい。
その後、中国雲南省沿岸との交易の中で、雲南人により亀甲墓が伝わり、巨大な墓が造られるようになった。シーミーでは一族(門中)で
墓前で会食をし、その後は洞窟墓と同じ、洗骨などであったと聞いている。
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尻労阿部遺跡 青森県東通村尻労
尻安部洞窟遺跡 近景
(青森県東通村)
約30,000~20,000年前
写真:尻安部洞窟調查団提供
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発掘調査報告書は未提出。発掘者:慶応大学。
調査報告会案内 尻労安部洞窟は下北半島北東部の石灰岩地帯に所在する旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡です。慶應義塾大学民族学考古学研究室を中心に組織された調査団は、11 年にわたる調査によって、後期更新世の堆積層から旧石器時代の複数の石器と絶滅大型動物を含む多数の動物化石を発掘してきました。これらは、旧石器時代の狩猟活動を解明する上で大変貴重な資料となります。
出土動物化石にウサギの歯が多数含まれていた点は、わけても注目に値します。理化学的な測定により約2 万年前という年代値が得られたそれらは、旧石器時代人がナウマンゾウヤオオツノシカといった大型獣のみならず小型獣も積極的に利用していたことを示す証左となります。
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石灰岩洞窟遺跡における旧石器人の生活跡の調査と人骨の探求
慶應大学を中心とする調査団は, 動物骨や人骨の出土が期待できる石灰岩洞窟から旧石器とそれらの遺存体を同時に検出することを目的にして, 青森県の尻労安部洞窟(安部遺跡)において2002 年より毎年調査を行っている。
遺跡は, 下北半島北東端の尻労集落の北にあり, 桑畑山の麓で太平洋に面した標高約 33 メートルに位置している。
昨年までの7年間に行った調査では, 次のような成果が得られている。
第 1 段階(1・2・3 層) 縄文時代後期~中期 人骨・動物骨を含む各種の遺物多数
第 2 段階(4 層) 縄文時代早期 8,700±50 calBP 土器・石器・動物骨各種
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(12 層)23,409±119 calBP (13 層)33,884±160BP 動物骨小片・焼骨など
……………………………………………………………………………………………………………………………………………
第 3 段階(15 層) 旧石器時代 20,000 calBP ナイフ形石器 ウサギの歯 ムササビの歯
本年夏の調査では、第3段階の昨年と同じ 15 層から新たな頁岩製ナイフ形石器と複数個体のウサギの歯を水洗
選別(フルイ作業)によらず, 原位置において多数とらえることに成功した。このように, 石器と動物骨が比較的
まとまった範囲に確認できたことによって, 出土動物へのヒトの関与の可能性がより高いものとなった。また, 12
層以下における偶蹄類の歯, 焼骨, ムササビの歯の存在を加えると, 本遺跡における旧石器時代の人類活動の証拠がより多様で, 明確な形で得られたといえる。
※石灰岩洞窟で、上層で縄文人骨を発見したとされている。
※野ウサギの捕獲が70%を越えている。ムササビの捕獲もあった。ことから、2万年前の最寒冷期に気候がシベリア化している中で、
ノウサギの毛皮は顔の部分から剥ぎ取った毛皮が足袋・防寒靴となり、ムササビも同様に顔から剥ぎ取った毛皮が手袋となったと考えられる。
「下北の石器時代」では、旧石器時代の残存骨片から狩猟動物を特定しているが、ほとんどがノウサギで、衣類となる大型動物は僅かでした。
このことから、大型動物の回遊経路で狩猟できるのは稀で、毛皮の衣類は大変貴重なものだったと考えられます。
尻労阿部遺跡の参考文献
青森県埋蔵文化財発掘調査報告会 東通村尻労安部洞窟の調査成果 平成28年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告
【第三項 遊動的狩猟採集生活のすがた】 18H00742 研究成果報告書 学生の様子】青森県東通村尻労安部洞窟の発掘調査に参加 ...
21340145 研究成果報告書 尻労阿部遺跡概要 - 慶應義塾大学文学部 民族学考古学研究室
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菰田洞穴 佐世保市菰田町369-1
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1130 02九州の狩人
―安山岩と黒曜石―
白岳遺跡 (佐世保市江迎町)
九州の狩人
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西北九州 (長崎、佐賀、福岡) では、豊富な石材 (安山岩と 黒曜石) が産出され、 旧石器時代の遺跡で多様な石器が発 見されている。
安山岩は大型の槍などの狩猟具や解体具に 用いられ、 黒曜石はナイフ形石器が製作され、 接合資料から も生産技術の高さが分かる。
旧石器時代終末期には石器の 小形化が進み、 細石刃という新たな形態が現れる。このこ ろ、洞窟利用が本格化する。 |
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1140サキタリ洞窟の出土物 |
1141貝製釣針 サキタリ洞窟
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世界最古の釣針
サキタリ洞遺跡調査区1層
(沖縄県南城市)
旧石器時代23,000年前~20,000年前 (沖縄最寒冷期)
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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1142貝器
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サキタリ洞遺跡調査区1 Ⅱ層
(沖縄県南城市
旧石器時代 23,000~20,000年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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この遺物は何?
貝器とは道具。破片ではない。
何に使用した?。道具?装身具? |
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1143装飾品
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貝製品
サキタリ洞遺跡調査区1,Ⅱ 層
(沖縄県南城市)
旧石器時代 23,000~20,000年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
貝製品
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貝製装飾品のパーツ |
外側に真珠質の光沢がある貝殻 |

精密部品のように加工された貝殻。材料は大きく肉厚な貝殻 |

材料はニシキツノガイ |
装飾品
サキタリ洞遺跡
(沖縄県南城市)
実験資料
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
貝製装飾品 |
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1144貝殻
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カニ、カワニナ、カタツムリ
サキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)
旧石器時代 23,000年前~20,000年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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カニ
非常に大きなカニ爪
現代にはいない |
カワニナ
殻ごと煮て身を出し |
カタツムリ
食べたので殻が無傷 |
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1146石英製の石器
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サキタリ洞遺跡調査区1 Ⅰ層
(沖縄県南城市)
旧石器時代~縄文時代 16,000~14,000年前 (寒冷期直後)
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
石英製の石器
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小さく摩耗している。何度も刃を付け替えたか。
ナイフの代わりか。 |
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1147砂岩製の石器
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サキタリ洞遺跡調査区1 Ⅱ層
(沖縄県南城市)
旧石器時代 23,000~20,000年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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1148土壌サンプル
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サキタリ洞遺跡調査区1 Ⅰ~Ⅲ層
(沖縄県南城市)
旧石器時代 30,000~1,100年前
沖縄県立博物館・美術館所蔵 |
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1150尻労安部洞窟の出土物
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| 1150石器 |
1151ナイフ形石器、台形石器
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尻労安部洞穴(青森県東通村)
旧石器時代 29,000~23,000年前
慶応義塾大学所蔵 |
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1152ウサギ骨
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尻労安部洞穴 (青森県東通村)
旧石器時代 39,000~20,000年前
慶応義塾大学所蔵 |
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佐世保市内洞窟の出土物
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1153剥片尖頭器、ナイフ形石器、彫器、スクレイパー
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泉福寺洞窟 (佐世保市瀬戸越1丁目)
旧石器時代 29,000~25,000年前
佐世保市教育委員会 |
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1154ナイフ形石器、 三稜尖頭器、スクレイパー
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菰田洞穴 (佐世保市菰田町)
旧石器時代 29,000~25,000年前 |
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1155ナイフ形石器、石核
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上原遺跡(佐世保市上原)
旧石器時代 30,000~25,000年前 |
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1156ナイフ形石器、石刃、石核
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根引池遺跡(佐世保市江迎町)
旧石器時代 29,000~25,000年前 |
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1157剥片尖頭器
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烏帽子岳遺跡 (佐世保市烏帽子岳)、
岡本遺跡 (佐賀県小城市)、
オオサコ遺跡 (長崎県小値賀町)
旧石器時代 29,000~25,000年前
館蔵、個人蔵、小値賀町教育委員会所蔵 |
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1158石核、接合資料
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1160尖頭器
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茶園原遺跡(佐賀県多久市)
旧石器時代 29,000年前~14,000年前
多久市教育委員会所蔵 |
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1200 コラム旧石器から縄文時代の動物化石と福井洞窟
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1201コラム
旧石器から縄文時代の 動物化石と福井洞窟
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旧石器時代は氷河時代で、気温は現代より7~10度低く、 海水面は100m以上低下していた。 九州にはナウマンゾウや オオツノジカなどの大形動物が生息し、動物化石が多く発見されている。
福井洞窟では16,500年前頃に、イノシシやシカと考えられ る動物の焼骨片が見つかり、縄文時代草創期にはサバやカレ イなど海産資源を含む多様な食料資源が利用されていた。 |
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ヒトと洞窟 |
コラム
旧石器から縄文時代の 動物化石と福井洞窟 |
下原洞穴遺跡(鹿児島県天城町)
アマミノクロウサギ17,000年前
天城町教育委員会所歲 |
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ナウマンゾウ
オオツノジカ |
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下原洞穴遺跡 鹿児島県天城町
AI による概要
下原洞穴遺跡は、鹿児島県大島郡天城町西阿木名(徳之島)に位置する洞穴遺跡で、縄文時代前期から中期にかけての貝塚として知られています。
特に、約1万年前~9千年前の 波状条線文土器 の破片が多数発見されたことで注目されています。
下原洞穴遺跡について
・所在地:鹿児島県大島郡天城町西阿木名
・時代:縄文時代前期~中期 (貝塚時代前1期~前3期)
・主な遺物:南島爪形文土器、波状条線文土器、細隆線文土器、磨製石鏃、貝製鏃、魚骨製装飾品など
・特徴:
・空白の1万年と呼ばれる時期の人々の生活を知る上で重要な遺跡。
※空白の1万年とは
「約2万年前の港川人の時代以降、約7000年前の南島爪形文土器の出現まで、1万年以上にわたって人骨や遺物が全く知られていない」時代
・約1万年~9千年前の波状条線文土器が多数発見されている。
・土器には深鉢形、つぼ型など様々な形があり、注ぎ口や装飾とみられる部分も発見されている。
・気候変動と人々の生活の変化を研究する上で貴重な資料となる。
・町では国指定史跡を目指している。
最近の調査
・2022年11月、洞穴前面の斜面で直径約3メートルの琉球石灰岩の巨石が発見され、
その下から爪形文土器より古い13,000年前の地層から 波状条線文土器の破片が 多数見つかった。
・この発見により、下原洞穴遺跡は、旧石器時代から縄文時代にかけての人々の生活を考察する上で、さらに重要な遺跡となった。
・2023年7月6日には、南海日日新聞で、約1万7千年前のクロウサギの骨が食用として発見されたという記事が掲載された。
今後の展望
・天城町と町教育委員会は、下原洞穴遺跡を国指定史跡とすることを目標としている。
・2023年8月8日には、鹿児島大学稲盛会館でシンポジウムが開催され、遺跡についての詳細な発表が行われた。
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1202ナウマン象
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「マンモス」 とはちがうゾウ?
ナウマンゾウはマンモスよりも 新しい時代にあらわれたゾウな んだ。 マンモス は世界各地で見つかるけど、ナウマンゾウは日本と中国の一部 しか見つかっていないよ。
おでこのかたちが、他のゾウとちがうよ
「ナウマン」ってなんだ?
ゾウの化石を日本ではじめて研究した 「エドムント・ナウマン」 博士の名前だよ。
ナウマン博士は日本で最初の地質学教授で、 明治政府に招かれて ドイツからやってきた「お雇い外国人」の1人。 日本列島の真ん中にある大きな溝フォッサマグナも発見したすごい人なんだ。
※フォッサマグナは、日本列島がアジア大陸から離れる時にできた大地の裂け目と考えられています。
なんで絶滅したの?
気候が変わってしまったことと、人の狩りによって 絶滅したと考えられているよ。 氷河時代世界的に 大型の哺乳類が絶滅した時期があって、 ナウマン ゾウだけでなく、 同じ時代に生きていた大型の哺乳類の多くが同じように絶滅してしまったんだ。 提供: 長崎県埋蔵文化財センター |
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日本を代表する氷河時代のゾウ!
ナウマンゾウ 絶滅!!!
学名:Palaeoloxodon naumanni (パレオロクソドンナウマンニ)
分類: 長鼻目 ゾウ科
北海道から九州まで日本各地で化石が見つかる、日本を代表する化石ゾウです。 34万年前日本列島へやって来たと考えられています。 約2万年前の最後の氷期頃に絶滅したことがわかっています。
ナウマンゾウの一番の特徴はベレー帽をかぶったようなおでこの形です。 現在生息しているアジアゾウに近い種類ですが、体長は5~6m、肩までの高さは2.4m~2.8mとやや小さく、2m以上の大きな牙を持っていました。
提供: 長崎県埋蔵文化財センター |
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1203
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・ナウマンゾウ下顎骨
・大臼歯
原の辻遺跡
(長崎県壱岐市)
後期旧石器時代 40,000年前
壱岐市教育委員会所蔵
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下顎骨 |
大臼歯 |
大臼歯 |
ナウマンゾウ 脚
瀬戸内海 諸島水道
中期~後期旧石器時代
300,000~20,000年前
佐賀県立博物館所蔵 |
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二万年前の日本列島
リンク地図に表されたように、
瀬戸内海はなくそこはただの低地で、中央を中国地方四国地方から流れ出た支流を集めた大河が紀伊水道に流れ福岡沖の玄界灘はなく、壱岐対馬まで、広大な平地が広がっていた。
黄海もなく、広大な平原とナウマン象動物群として、ヤベオオツノジカ、ヘラジカ、バイソンなどが群れていた。
その一部が、玄界灘平原から瀬戸内平野に進出し、12万年前には北海道にまで広がって行った。
南方の動物ナウマン象は40万年前頃、ユーラシア大陸に生息範囲を広げ、
日本列島には30万年前に到達したとされている。 |
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1205古代動物骨
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ヤベオオツノジカ
学名: Sinomegaceros yabei (シノメガケロスヤベイ)
分類:哺乳類偶蹄目(ウシ目) シカ科
※イメージ図
絶滅!!!
手の平をひろげたような大きな角(掌状角)が特徴の日本固有の大型のシカです。
ナウマンゾウがいた時代に北海道から九州までの広い範囲に生息していました。
どれくらい大型かというと、足から角の先まで2.5m。これは現在のニホンジカの3倍の大きさで、角を含めた背丈はゾウの背に並ぶほどでした。
提供: 長崎県埋蔵文化財センター
ヤベオオツノジカ 角
原の辻遺跡 (長崎県壱岐市)
後期旧石器時代 40,000年前
壱岐市教育委員会所蔵 |
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ヤベオオツノジカ角
原の辻遺跡(長崎壱岐)
後期旧石器時代
40,000年前
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ヤベオオツノジカ角 |
ヤベオオツノジカ角 |
ヤベオオツノジカ角 |
ヤベオオツノジカ
イメージ図 |
アマミノクロウサギ
アマミノクロウサギ
下原洞穴遺跡 (鹿児島県天城町)
旧石器~縄文時代早期
10,000年前~7,000年前
天城町教育委員会所蔵
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※アマミノクロウサギは1.7~1.6万年前から現代まで棲息中。
左の骨は1万~7千年前のもの。
※徳之島縄文人はウサギの丸焼きなんかを食べていたのでしょうか? かなりのグルメ。
小さな島でのウサギは爆発的に増加して、島の自然を破壊するので、縄文人の格好の食糧だったでしょう。 |
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AI による概要
アマミノクロウサギは、約200万年前の更新世にユーラシア大陸から分かれた島に取り残される形で、奄美大島と徳之島に生息するようになったと考えられています。彼らは、大陸に残された祖先種とは異なり、天敵や競争相手の少ない環境で生き残り、原始的な特徴を維持してきたと鹿児島県教育委員会によると。
詳細:
生息地:
アマミノクロウサギは、世界で奄美大島と徳之島にしか生息していません。
時代:
約200万年前の更新世に、ユーラシア大陸から分かれた島に取り残されたと考えられています。
特徴:
・原始的な形態を維持している。
・夜行性で、主に森林に生息する。
・他のウサギに比べて、耳や足が短い。
・鳴き声は「ピューイ」と表現される。
絶滅危惧種:
アマミノクロウサギは、生息地の減少やマングースによる捕食などにより、絶滅危惧種に指定されています。
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カトウキヨマサジカ
カトウキヨマサジカ頭骨
瀬戸内海 諸島水道
中期~後期旧石器時代
300,000~20,000年前
佐賀県立博物館所蔵 |
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AI による概要
カトウキヨマサジカ(Cervus grayi subsp. katokiyomasai)とは、更新世に生息していたシカ属の一種で、絶滅した化石種です。
熊本大学に標本が所蔵されていることから、加藤清正にちなんで命名されました。
詳細:
分類:シカ科シカ属.
時代:更新世.
特徴:シカ属の一種で、化石種として知られています.
命名:熊本大学に標本があることから、加藤清正にちなんで命名されました.
分布:日本列島の低地部に繁栄したとされています.
共存:ナウマンゾウやムカシジカ亜属などと共に生息していた. |
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1300 03縄文時代の始まりと洞窟遺跡
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1301
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1303
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03縄文時代のはじまりと洞窟遺跡
史跡 泉福寺洞窟 (佐世保市瀬戸越1丁目)
縄文時代の幕開けを象徴する縄文土器が佐世保市の福井洞窟や泉福寺洞窟で発見された。 土器と旧石器 (細石刃) の 共存が確認されたのだ。
(※旧石器人が土器を使い始めて縄文人になったことのあかし。旧石器人⇒縄文人)
時代が進むにつれ、土器の形や文様は変化し、細石刃を用いた「槍」から鏃を用いる「弓矢」への変化が見られる。
西北九州では道具が増え、 狩猟方法が多様化する中で、狩猟具は漸進的に変わったと考えられる。 |
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縄文時代の始まりと洞窟遺跡 |
03縄文時代のはじまりと洞窟遺跡 |
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福井洞窟2~3層の土器と石器
(国指定重要文化財)
縄文時代草創期
約16,000~12,700年前
※細石刃を使う縄文人が住んでいた
※細石刃を使う旧石器人が、土器を使うようになって、後に縄文人と呼ばれるようになった。 |
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福井洞窟4層石器群
(国指定重要文化財)
旧石器時代終末期
約16,600年前
※細石刃を使う旧石器人が住んでいた |
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1311隆起線文土器、爪形文土器 16,000~15,000年前
※福井洞窟ミュージアムでは
豆粒文土器 16,000-15,000年前
隆起線文土器 16,000-15,000年前
爪形文土器 15,200-14,700年前
押引文土器 14,000-13,000年前
※沖縄では、
押引文土器 約8,000年前
無文土器 約7,000-6,000年前
爪形文土器 約6,500年前 (本州とは異なる系譜の土器で南島爪形文土器という)
隆起線文土器、爪形文土器
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隆起線文土器
爪形文土器 |
隆起線文土器
爪形文土器
福井洞窟
縄文草創期
16,000~15,000年前
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左2点は爪形文土器
2点は規則的な凹みが見える |
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隆起線文土器 |
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縦線が見える |
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隆起線文土器 |
左1展に帯状の
これは爪形か?
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右の破片に続く隆帯が |
左は縦の隆帯
右は上端に隆帯
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1313隆起線文土器、爪形文土器、押引文土器
泉福寺洞窟 (佐世保市瀬戸越1丁目)
縄文時代草創期 16,00~15,000年前
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隆起線文とはAI による概要
隆起線文(りゅうきせんもん)とは、縄文時代草創期(約1万4000年以上前)の土器に見られる代表的な装飾技法です。器の表面に細い粘土紐を貼り付けて、帯状に隆起した線を巡らせる特徴的なデザインであり、日本最古の土器群の一つに分類されます。爪形文や条痕文とともに描かれることも多く、煮炊きに使われていました。
特徴: 口縁部(ふち)や胴部の上位に、粘土の紐を貼り付けた凸状の線を持つ。
時代と地域: 縄文時代草創期(約1万2000年~1万5000年前頃)の最古級の土器。北海道から種子島まで全国的に分布。
機能: 煮炊き用の鍋として使用され、表面の凸凹は滑り止めや補強の役割もあったと考えられている。
外見: 尖底(尖った底)や丸底の、小型の深鉢形土器に多い。
関連する主な用語・バリエーション
微隆起線文(びりゅうきせんもん): より細い線を用いたもの。
隆帯文(りゅうたいもん): 太めの粘土の帯を巡らせたもの。
爪形文(つめがたもん): 粘土の線に沿って爪で押したような文様。
この土器の出現は、日本における定住生活と食文化の幕開けを示唆する重要な文化財です。
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爪形文とはAI による概要
爪形文(つめがたもん)は、縄文時代草創期から早期にかけての土器に見られる、
人間の爪やヘラ状の道具を押し付けて描かれた半月形(C字やD字)の文様です。爪形文土器は日本列島最古の土器群の一つで、器面全体に連続して施されることが特徴であり、北は北海道から南は沖縄まで広く分布しています。
爪形文の主な特徴
技法: 柔らかい粘土の表面に、人間の爪の先、あるいはヘラ・竹管などの工具を押し付けて半月形のくぼみをつける。
文様の種類: 右側に突出したD字形(D字爪形文)や、左側に突出したC字形があり、縄文前期にはこれらが連続する「連続爪形文」が発達した。
時期と分布: 縄文時代草創期(約1万3千年前〜9千年前)から出現し、北海道から九州、沖縄に至るまで広く見られる。
関連する特徴: 尖底(せんてい)や丸底の深鉢形土器に多く、隆起線文土器(粘土紐を貼り付けた文様)の次に流行した。
時代的意義
爪形文土器は、縄文時代の始まりを告げる草創期の代表的な土器である。この時期、人々は煮炊きに使える土器を開発し、多様な食文化を築いていった。沖縄では「ヤブチ式土器」とも呼ばれ、初期には指で押し付けた文様が、次第に明確な爪形文へ変化した。
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押引文とはAI による概要
押引文(おしびきもん)とは、主に縄文時代(特に早期〜前期)の土器に見られる、割箸状の工具やヘラなどで表面を押したり、引きずったりして描かれた線状の模様のことです。土器の表面を掻き傷のようになぞる手法であり、貝殻の縁などを利用して模様をつける「貝殻条痕(かいがらじょうこん)」の一種としても見なされます。
詳細な特徴は以下の通りです。
特徴: 1cmほどの幅で、長さが10cm前後の数本単位の深い線が特徴。
制作手法: 粘土の表面に工具を押して、そのまま引きずる(引っ掻く)。
時代背景: 縄文時代の古い段階から存在し、地域によっては貝殻を使って独特な文様を施した(例:沖縄の土器など)。
その他: 土器の表面を整える過程で生まれた、実用的な側面もある。
なお、この模様が施された土器を「押引文土器」と呼びます。 |
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(重要文化財)
隆起線文土器,
爪形文土器,
押引文土器
泉福寺洞窟
(佐世保市瀬戸越1丁目)
縄文草創期
16,000~15,000年前 |
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6層 深鉢形土器(爪形文)
5層 深鉢形土器(押引文)
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5層 深鉢形土器(押引文)
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7-9層 深鉢形土器(底部) |
7-9層 深鉢形土器(隆起線文) |
7-9層 深鉢形土器(隆起線文) |
10層 深鉢形土器
(豆粒文+隆起線文)
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上端に隆起線文
胴部に豆粒文 |
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上端に隆起線文 |
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豆粒文土器とは AI による概要
豆粒文(とうりゅうもん)土器は、約1万3000年以上前の縄文時代草創期に作られた、日本最古級の土器です。長崎県佐世保市の泉福寺(せんぷくじ)洞窟などで発見され、表面に小豆粒ほどの粘土粒を貼り付けた特徴的な模様を持つ、初期の煮炊き用深鉢です。
特徴と詳細
最古級の土器: 隆起線文(りゅうきせんもん)土器よりもさらに下の層から出土しており、現段階で最も古い土器の形式とされています。
外観: ラグビーボールの一端を切り落としたような形の丸底の深鉢で、口から胴にかけて豆粒状の粘土が貼り付けられています。
用途: 表面の煤(すす)の付着から、煮炊きに使用されていたと考えられています。
歴史的価値: 旧石器時代から縄文時代への移行期における、定住生活の始まりや土器の技術的進化を示す重要な考古資料です。
主に長崎県の泉福寺洞穴遺跡で発見されており、極めて古い段階の土器として位置づけられています。 |
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1320コラム 九州各地の初期縄文
下原洞穴遺跡 写真:徳之島天城町教育委員会提供
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1321
※藪地洞窟遺跡では、波状条線文(1.3万~9千年前)→南方系爪形文(6500年前)。間のつながりがない。別集団がやって来たのか。
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1323下原洞穴遺跡 (鹿児島県徳之島天城町) 隆起線文土器 縄文時代草創期 13,000年前
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隆起線文土器
下原洞穴遺跡 (鹿児島県天城町)
縄文時代草創期 13,000年前
天城町教育委員会所蔵
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西北九州から南下した集団か? |
隆起線文土器
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1325製作工程のわかる磨製石鏃と磨製貝鏃
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下原洞穴遺跡(鹿児島県天城町)
縄文早期 7,000年前 |
※重さの無い貝鏃は遠くまで飛んだのか。矢羽根を付けて回転させればそれなりの威力はあったのかも。
貝の鏃も鋭く、獲物に刺さったであろう。が、よく、今日まで残ったものである。
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1327草創期の石器・土器
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有舌尖頭器
上黒岩岩陰
(愛媛県久万高原町)
縄文時代草創期 14,000年前 |
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隆起線文土器
上黒岩岩陰
(愛媛県久万高原町)
縄文時代草創期 14,000年前 |
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隆帯文土器
清武上猪ノ原遺跡
第5地区
(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前 |
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上黒岩岩陰 愛媛県上浮穴郡久万高原町上黒岩1092
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1,4000年前の岩陰に設けられた墓地遺跡。人骨や女神石と呼ばれる線刻礫などが出土しています。
遺跡は、高さ20mの石灰岩壁のふもとに設けられています。縄文草創期から後期に渡り28体以上の埋葬が行なわれた遺跡ですが、
早期の地層から最も多くの人骨が出ています。
人骨の中には骨盤に投げ槍が刺さったままの男性人骨ものもあり、事故か戦争かで議論があるところです。
線刻礫には、前に垂らした髪の毛、長く垂れた乳房、それに腰みの、を付けた女性が描かれています。
上黒岩遺跡の女性人骨
AI による概要
上黒岩岩陰遺跡から発見された成人女性の人骨は、縄文時代草創期の女性を象徴する遺物の一つです。この人骨は、約1万4千年前のものと推定され、愛媛県上浮穴郡久万高原町の上黒岩岩陰遺跡で発見されました。身長は約145cmと推定され、皮衣をまとい、首や手首に貝飾りをしていたと想定されています。
また、日本で初めて出土した「女神石」と呼ばれる石偶も、この遺跡から発見されており、縄文時代の信仰や文化を理解する上で重要な遺跡となっています。
上黒岩岩陰遺跡の女性人骨に関する詳細:
発見場所:愛媛県上浮穴郡久万高原町の上黒岩岩陰遺跡.
年代:約1万4000年前(縄文時代草創期).
特徴:
・身長約147cm・40~50歳と推定される.
・皮衣をまとい、首や手首に貝飾りをしていたと想定されている.
・日本で初めて出土した「女神石」と呼ばれる石偶もこの遺跡から発見されている.
埋葬:膝を折り曲げ、身体を丸めて埋葬されていた(屈葬).
意義:
・縄文草創期の貴重な人骨資料であり、縄文人の生活や文化を研究する上で重要な
手掛かりとなる.
・縄文時代の信仰や、装身具、埋葬方法などを知る上で貴重な資料. |
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・日本最古級の埋葬人骨の一つ.
上黒岩岩陰遺跡:
・縄文時代草創期から後期にかけての遺跡で、日本最古の縄文文化を知る上で重要な遺跡.
・隣接する考古館では、人骨の他に、女神石や装身具なども展示されている.
・遺跡からは、16人以上の人骨が発掘されており、埋葬されていたと考えられている.
・発見された人骨の中には、シカの角で作った投槍が腰骨に刺さったものもあった. |
上黒岩遺跡の槍が刺さった男性人骨
AI による概要
上黒岩岩陰遺跡から発見された、腰骨に槍が刺さったままの男性の人骨は、縄文時代早期の重要な発見です。この人骨は、愛媛県上浮穴郡久万高原町にある上黒岩岩陰遺跡で発掘され、約10,000年前のものとされています。槍が刺さったまま埋葬されていることから、争いによるものか、儀式的な埋葬であった可能性が指摘されています。
上黒岩岩陰遺跡と槍が刺さった人骨について:
上黒岩岩陰遺跡:
愛媛県久万高原町にある縄文時代草創期から後期にかけての遺跡です。
槍が刺さった人骨:
縄文時代早期の地層から発見され、鹿の骨で作られた槍が腰骨に刺さったままの男性の人骨です。
年代:
1万4500年前と推定されています。
特徴:
槍が刺さった深さから、致命傷になった可能性が高いと考えられています。
埋葬状況:
槍が刺さったまま埋葬されていることから、争いによるものか、呪術的な意味合いでの埋葬か不明とされています。
その他:
同じ遺跡からは、縄文ビーナスと呼ばれる線刻礫や、土器なども出土しており、縄文文化を知る上で重要な遺跡です。
上黒岩岩陰遺跡で出土した人骨に関する追加情報:
人骨の数:
遺跡からは28体の人骨が発掘されており、成人男性、女性、子供が含まれています.
再埋葬:
一度埋葬された後に、再び掘り起こして甕に納めて再埋葬された例も確認されています.
歯の摩耗:
人骨の歯が大きくすり減っていることから、歯を道具として使用していた可能性も指摘されています.
縄文犬の埋葬:
縄文犬の埋葬例も確認されており、家畜として飼われていた可能性も考えられます.
※この遺跡は墓地なのか、死体の捨て場だったのか。岩陰に次々と死体を積み重ねて、斜面上部から流れてくる土砂で埋めたのか。
この時代ならば、オオカミやキツネなどに死体が食い荒らされただろうに。
平安~鎌倉時代には、町の辻に死体を積み上げていたと云うから、現代人とは感情や死体に対する感覚が違っていたのかもしれません。
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1328隆帯文土器
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隆帯文土器
清武上猪ノ原遺跡
第5地区
(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前 |
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隆帯文土器 清武上猪ノ原遺跡
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1350テーマ展示2
道具作りの流儀
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1351 テーマ展示2道具作りの流儀
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旧石器人は求める道具を作り出すため、石の目を見極め、ハンマーをあてる箇所とそこから剥ぎ取られる欠片、残る石の形状をイメージする。
数回の素振りの後、石片を剥ぎ取る。 長年一定の工程で道具を作ることで、 その技術は道具作りの流儀として受け継がれる。
石器研究は、旧石器人の技術や道具への考え、さらには当時の集団や社会に迫るものである。 |
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ナイフ形石器
約 35,000~19,000年前
ナイフという名前のとおり、切ることにも使われたが、槍の先につけても使われた。
剥ぎ取った石の欠片 (剥片)から作り出すもの。
剥片の薄く鋭い縁辺をそのまま刃とし(石刃)、刃と交わる側縁は細かい加工を施している。
先端は尖らせて刺突具として利用している。
刃以外の部分には急な角度で加工を施している。 |
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細石刃
約19,000~14,000年前
カミソリの刃のような小形の石器。 複数を連続して、尖らせた骨などの軸に平行して埋め込んで「組み合わせ」 を作る。 細石刃を剥ぎ取る母岩を細石刃核という。
時代や地域によって、 その製作技術は異なる。
九州では19,000~14,000年前ごろの間、使われていた。 |
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石鏃(弓矢)
約 17,000~1,400年前
竹やカヤのような細長い棒状の矢の先端に石の鏃をくくりつけて使う。
貝殻状の薄い剥片から三角形を作り、周りを押し当てて先端を尖らせている。
縄文時代から弥生時代まで利用され、後に金属の鏃に変わる。 |
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1352細石刃
1.黒曜石の原石

実物
丸い形を下黒曜石の表皮を打ち欠く
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2.細石刃核と打面調整剥片

レプリカ
原石を側面・正面から打ち欠いて
細石刃を作るための面を作る |
3.細石刃核と剥ぎ取った細石刃

レプリカ戸復元資料
鹿の角などを押し当てて定型的な細長い細石刃を剥ぐ |
4.細石刃を埋め込んだ槍

復元資料
尖った鹿の骨に膠で細石刃をくっつける |
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1353港川人骨
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1354細石刃核の形式と分布
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1355野岳・休場型 福井洞窟 12・13層から出土 19,000~17,700年前
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長崎県大村市の野岳遺跡と静岡県の休場遺跡を標式としている。
石核は稜柱形(円錐形)で、背面作業の後、細石刃を剥ぐ。幅広の細石刃が多い。 |
野岳・休場型 |
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野岳・休場型を作る
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野岳遺跡:
長崎県大村市の野岳湖周辺に位置する遺跡で、旧石器時代終末期(約2万年前〜1万5千年前)を代表する遺跡です。特に、黒曜石を用いた「野岳・休場型(のだけ・やすんばがた)細石刃核」と呼ばれる特徴的な石器が発見され、西日本における細石刃文化の起源を知る上で重要な学術的価値を持っています。
休場遺跡:
静岡県沼津市愛鷹山中腹にある、国指定史跡の旧石器時代遺跡(約2万年前~1万数千年前)です。全国に先駆けて旧石器時代の「石囲い炉」が発見され、円錐形細石核など多量の細石器が出土したことから、日本の細石器文化を代表する重要な遺跡とされています。 |
野岳・休場型の分布 |
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シベリアや北海道、朝鮮半島などは北方系の細石刃技術が発達していた。
(北海道・東北・関東・北陸・中国地方~朝鮮半島中部以北)
野岳・休場型は西南日本(九州~北陸・関東)に分布する。
大陸では中国北部にも類似資料がみられる。
※2つの文化圏には時期差があり、同時代に重なった文化圏を持っているかは不明である。
一時期の重なりが考えられる。 |
北方系細石刃核の分布
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北方系
くさび形 |
野岳型

円錐・半円錐形 |
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※資料 野岳・休場型細石刃
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AI による概要
野岳・休場型細石刃は、旧石器時代後期に日本列島で広く使われた細石刃石器群の特徴的な型の一つです。
円錐形や角柱状の石核から、カミソリの刃のように鋭い細石刃を剥離して使用しました。
この型の細石刃は、関東から九州まで分布しており、特に休場遺跡(静岡県)では14,300年前の層から出土しています。
また、野岳遺跡は15,400年前とされています。引用
野岳・休場型細石刃の特徴:
・石核:円錐形、半円錐形、角柱状など、様々な形状の石核から細石刃を剥離しました.
・細石刃:鋭く薄い刃状の石器で、長さ1~4cm、幅4~8mm程度.
・使用方法:骨や木の柄に溝を彫り、細石刃を埋め込んで槍やナイフとして使用しました.
・分布:関東、中部、九州地方を中心に広く分布.
・年代:日本列島では約2万年前から1万2千年前頃まで使用されたと考えられています. |
※考察 北方系細石刃核について
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北方系細石刃核の南下
野岳・休場型細石刃核の分布については、東北地方のもっと北でも分布していると(二戸市あたり)記憶しているが、曖昧記憶はやめる。
広範囲にひかれた赤い北方系細石刃核の分布ですが、いろいろ思い出してみると、細石刃文化の終末期に北海道から日本海側を下って来た
かなり凶暴な集団がいて、日本海沿岸各地に殖民しながら鳥取・島根まで進出して来ました。
例えば長野県の矢出川遺跡では野岳・休場型と入り混じって出土しており、かなりの確執が行なわれたようです。また、東北地方では野岳休場型の上に北方系細石刃が出土して、先住民が放逐されたか殲滅されたかしたのでしょう。
黒曜石のなくなった西日本では隠岐島の黒曜石を使って恩原などに拠点を深め、西日本にも広がっていきました。時代は縄文に入る頃でした。
札滑型細石刃核
赤い線を見ると、まるで朝鮮半島とのつながりがあるかのようですが、半島から渡来したのではなく、北海道から南下したのでした。
彼らが使っていた細石刃技法は、くさび形細石刃核の札滑型です。札滑型は北方系民族がシベリアで広く使っていた技法です。
北方系細石刃核のその後
寒冷期旧石器時代から温暖期縄文時代に入ると、細石刃器で狩猟する動物は、きっと高温障害のため繁殖ができず、更に、狩猟者によって更に追いつめられ、絶滅していきました。サハリン経由でやってきて、多数の細石刃核に発達した細石刃技法にもかかわらず、かたくなに大陸と同じ札滑型の技法を守り続けてきた集団は、やがて在地の縄文人の間に入って暮らすようになった。この頃、西日本では、船野型と北方型の細石刃核が伴出していた遺跡もあったように記憶する。
時代は縄文時代草創期であるが、まだ、細石刃器も通用したのかもしれない。この時代になると、北方系の集団は崩れて各地に移動し、四国島北部の香川県or愛媛県でも、また、北部九州各地でもその北方細石刃核が散見されるようになる。
北方系細石刃核の画像検索
長崎県大村市の「大村湾東岸の遺跡」大村市玖島崎遺跡の細石刃核は、北方系そのものであり、
泉福寺洞穴11層類似の福井型であるという。このような例は以前の北部九州の探訪で多数知られている。 |
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※資料1 大陸の細石刃核 の型式
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AI による概要
大陸の細石刃核の型式は、地域や時代によって様々なタイプが存在します。大きく分けて、楔形細石刃核と舟底形細石刃核、そしてその他の型式に分類できます。
1. 楔形細石刃核:
・シベリアから北海道を経由して本州へ伝播したタイプで、北海道の細石刃核に見られる「湧別技法」が代表的です。
・白滝型、札骨型、峠下型、蘭越型、忍路子型、幌加型、射的山型、紅葉山型など、細石刃核の形態や製作技術に地域的な変化が見られます。
・東北地方では、荒屋型彫器を伴って検出されることがあります。
2. 舟底形細石刃核:
・中国黄河中・下流域から九州を経由して本州へ及んだタイプで、西北九州の福井型や、南九州の畦原型などが知られています。
・野岳・休場型:は、関東・中部地方から九州までの広い地域に分布し、円錐形、半円錐形、角柱状などの形をしています。
・船野型:は、宮崎平野、大野川流域から近畿南部、東海を経て中部南半分、南関東まで広く分布しています。
3. その他の型式:
・遺跡の様相や石器・石材構成によって、複数石材から構成されるものと単一石材から構成されるものに分類されることもあります。
・また、細石核・細石刃が存在しない遺跡では、細石核打面や作業面再生剥片などの調整剥片のみが確認される場合もあります。
これらの型式は、石器の製作技術や分布状況を理解する上で重要な手がかりとなります。
補足:
細石刃核は、細石刃を剥離するための石核で、細長く薄い石刃を連続的に剥離する「石刃技法」によって作られます.
細石刃は、木の棒に取り付けて槍の穂先やナイフとして使用されました.
旧石器時代は、前期、中期、後期に区分され、細石刃は主に後期旧石器時代に用いられました. |
※資料2
札骨型細石刃核のシベリアでの分布
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AI による概要
札骨型細石刃核(さつこつがたさいせきじんかく)のシベリアにおける分布は、主にシベリア東部やモンゴル、バイカル湖周辺など、後期旧石器時代から中石器時代にかけての遺跡で確認されています。これらの地域では、細石刃とその基となる細石刃核が、狩猟採集生活を営む人々の生活を支える重要な道具として広く使われていました。
詳細:
分布:
札骨型細石刃核は、シベリア東部(アムール川流域、オホーツク海沿岸など)、モンゴル、バイカル湖周辺など、広範囲に分布しています。特に、シベリアの先史時代遺跡から多数出土しており、これらの地域で細石刃技術が発達していたことを示しています。
年代:
シベリアにおける細石刃技術の出現は、後期旧石器時代末期(約2万年前頃)から、新石器時代初頭(約1万年前頃)にかけてとされています。札骨型細石刃核も、この時期の遺跡から多く発見されています。
特徴:
札骨型細石刃核は、細長い石を加工して作られた「細石刃」を剥離するための石核で、円錐形や角柱状などの特徴的な形状をしています。
用途:
細石刃は、槍やナイフなどの柄に装着され、狩猟や解体、木材加工などに使用されました。シベリアでは、マンモスやトナカイなどの大型動物を狩猟する際に、細石刃が重要な役割を果たしたと考えられています。
関連遺跡:
シベリアでは、アムール川流域のゴルニィ・アファナシエヴォ遺跡、バイカル湖周辺のマリタ遺跡などが、札骨型細石刃核が発見された代表的な遺跡として知られています。
日本との関連:
日本でも、後期旧石器時代末期から縄文時代早期にかけて、細石刃が広く使われていました。シベリアと日本を結ぶルートは、まだ完全には解明されていませんが、細石刃技術の伝播経路を考える上で、シベリアの遺跡は重要な手がかりとなります。
補足:
細石刃とは、長さ1~4cm程度の小さな石刃のことです。
細石刃核とは、細石刃を剥離するための石のことで、カッターナイフの替え刃のような役割を果たしました。
シベリアの細石刃技術は、世界的に見ても高度な技術の一つと評価されています。 |
※資料3 泉福寺洞穴11層
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AI による概要
泉福寺洞窟の11層は、縄文時代草創期の土器が出土した層で、特に豆粒文土器が特徴的です。この土器は、日本における最古段階の土器の一つとされています。11層は、地すべりによって形成されたとみられ、年代測定の結果、約17,500年前のものと推定されています。
泉福寺洞窟と11層について
泉福寺洞窟:
長崎県佐世保市にある洞窟で、国の史跡に指定されています。
11層:
洞窟内に堆積した12層の土層のうち、11層目から縄文時代草創期の土器が出土しました。
豆粒文土器:
11層から出土した土器の特徴的な文様で、縄文時代草創期における土器の初期段階を示すものとして重要です。
隆起線文土器:
豆粒文土器と同時期に存在し、一部の土器には両方の文様が組み合わされている例も確認されています。
年代:
11層の年代は、約17,500年前と推定されており、これは日本における土器の出現時期と重なります。
出土状況:
11層は地すべりによって形成されたと考えられており、土器が出土した層の下の12層からは土器は出土していません。
泉福寺洞窟の11層は、日本の縄文文化の始まりを理解する上で重要な遺跡です。出土した土器は、縄文時代草創期の文化や技術を研究する上で貴重な資料となっています。 |
※資料4 北海道の細石刃核
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AI による概要
北海道の細石刃核は、主に「湧別技法」と呼ばれる独特の剥離技術によって作られた石器です。この技法は、白滝型、札骨型、峠下型、蘭越型、忍路子型、幌加型、射的山型、紅葉山型など、様々な形態の細石刃核を生み出しました。これらの細石刃核は、細石刃を剥離するための石核であり、北海道から東北地方にかけて分布しています。
北海道の細石刃核の特徴:
湧別技法:
北海道で発達した細石刃核の製作技術で、原石の核素材から効率的に細石刃を剥離する.
多様な形態:
白滝型、札骨型、峠下型、蘭越型、忍路子型、幌加型、射的山型、紅葉山型など、様々な形態の細石刃核が存在します.
地域性:
細石刃核の形態や製作技術には地域的な変化がみられ、それが特徴となっています.
分布:
主に北海道から東北地方にかけて分布しています.
他の地域との関連:
湧別技法は、津軽海峡を越えて山形県、新潟県、茨城県など東北地方の北半分に影響を与えたとされています.
細石刃核と細石刃:
細石刃核は、細石刃を剥離するための石核であり、細石刃は、カッターナイフのような替え刃式石器として、狩猟や道具の製作に使われました.
北海道の遺跡:
北海道では、旧石器時代の遺跡から多くの細石刃核や細石刃が出土しており、その中でも若葉の森遺跡からは約3万年前の黒曜石製の石器が見つかっています.
また、千歳市の祝梅三角山遺跡や上士幌町の嶋木遺跡など、道内各地で旧石器時代の遺物が見つかっています. |
※資料5 白滝型と札滑型とは
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AI による概要
白滝型と札滑型は、北海道で発見された旧石器時代の遺跡群に見られる石器製作技術の型式です。特に、細石器文化において重要な意味を持ちます。
白滝型は、北海道遠軽町白滝地区を中心に分布する遺跡群で発見された細石器製作技術です。白滝遺跡群は、黒曜石の産地である赤石山に近く、大量の黒曜石が利用された痕跡があります。
白滝型は、細石刃を剥離するための石核(細石刃核)の形状が特徴的で、剥離面が広く、剥離痕が目立つものが多く見られます。
札滑型は、白滝遺跡群の南に位置する湧別町札滑地区で発見された細石器製作技術です。札滑型も細石刃を剥離するための石核を特徴としますが、白滝型に比べて剥離面が狭く、剥離痕が目立たない傾向があります。また、札滑型では、白滝型よりも剥離回数が少ないという特徴も指摘されています。
まとめ:白滝型は幅広く表面に傷のある、札滑型は幅せまで傷なしの、細石刃が採れる。どちらも湧別技法である。 |
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1356船野型 福井洞窟 4層から出土 16,500~16,000年前
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宮崎県宮崎市佐土原町の船野遺跡を標式としている。
石核は船底形で、打面を調整せず側面を加工し、細石刃を剥ぐ。 短い細石刃が多い。 |
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船野型細石刃核AI による概要
船野型細石刃核(ふなのがたさいせきじんかく)は、主に鹿児島県の船野遺跡を標識とする、旧石器時代末期(約2万年前~)の西日本(特に九州)に特徴的な石器(細石刃)を剥離した石核です。特徴的な楔(くさび)型の形態を持ち、中国大陸の技術的影響を受けて出現した、日本における初期の細石刃技術の一つとされています。
標識遺跡: 鹿児島県南九州市の船野遺跡。
特徴: 石器の形がくさび(楔)のようになっている楔形細石刃核(くさびがたさいせきじんかく)の一種で、細石刃を剥ぎ取るための「打面」が片側に作られる特徴がある。
時期・分布: 旧石器時代終末期、主に九州地方から西日本にかけて分布する。
背景: 中国の山東省や江蘇省などの地域で見つかる細石刃核と共通する特徴があり、大陸からの技術伝播を示す指標とされる。
船野遺跡近隣の下屋敷遺跡では、AT層(姶良丹沢火山灰)上位から小林降下軽石層の間から出土しており、この層序により編年が行われている。
AT層(2.5~2.8万年前) 小林降下軽石層(2.9~3.0万年前)であるから、船野型は3万~2.5万年前には出現していた。 |
船野型
船野型
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船野型石器の剥離技術
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船野型細石刃を作る |
野岳・休場型(19,000~17,700年前)に対して1万年も前の形式 |
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船野型は西南日本に分布する。 同じく打面調整をしない石刃製のホロカ型は 北海道など日本列島北部にみられる。
16,500~16,000年前には、関東以西は船野型。東北以北はホロカ型が支配的な石刃技法だった。 |
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ホロカ型
くさび型 |
船野型
円錐形 |

北海道~南東北 |

関東・北陸~九州 |
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※船野型細石刃
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AI による概要
船野型細石刃は、東九州地方、特に宮崎県南部に見られる特徴的な細石刃核の形態です。頁岩を石材として使用し、使用痕跡や形態から、宮崎県南部との関連性が指摘されています。種子島の遺跡でも発見されています。
船野型細石刃とは?
細石刃は、長さ1~4cm、幅4~8mm程度の小さな石刃で、旧石器時代の終わり頃に広く使われました。細石刃を木や骨に埋め込んで使用したものを細石器と呼びます。船野型細石刃は、特に東九州地方で多く見られる細石刃核の形態で、頁岩を材料として使用しているのが特徴です。
船野型細石刃の特徴
・形態:東九州地方、特に宮崎県南部に見られる特徴的な細石刃核の形態.
・石材:頁岩を使用.
・年代:旧石器時代.
・使用:槍やナイフとして使用.
・関連遺跡:種子島の遺跡でも発見.
細石刃文化
細石刃文化は、日本列島の旧石器時代終末期に現れた文化で、細石刃を特徴とします。
北海道では約2万年前、本州では約14,300年前から始まり、12,000年前に終焉を迎えたとされています。
細石刃は、他の石器と組み合わせて使用され、狩猟や採集活動を効率的に行うための道具として利用されました. |
※ホロカ型細石刃
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AI による概要
ホロカ型細石刃は、旧石器時代に北海道で使われた細石刃の一種で、特に約2万年前の恵庭火山灰の下の地層から発見されたものが国内最古の細石刃石器群として知られています。細石刃は、黒曜石などを加工した長さ1~4cm程度の小さな石刃で、木の柄などに埋め込んで槍やナイフとして使用されました。
ホロカ型:
ホロカ型は、北海道の湧別町幌加内で見つかったことから名付けられた細石刃核の型式です。
ホロカ型は、北海道の旧石器時代に見られる細石刃の型式の一つで、特に古い時期の細石刃を指すことがあります。 この型式の石核は、両面を加工して細石刃を剥離しやすいように整形されているのが特徴です。 |
幌加技法 |
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1357福井型(西海技法) 福井洞窟 2・3層から出土 16,000~14,000年前
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長崎県佐世保市の福井洞窟や泉福寺洞窟を標式としている。
石核は、 楔形で横や縦方向の削片を剥ぎ、細石刃を剥ぐ。長めの細石刃が多い。 |
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福井型細石刃核 AI による概要
福井洞窟|旧石器時代の居住地跡。縄文時代へ移り変わる生活形態 ...
福井型細石刃核(ふくいがたさいせきじんかく)は、長崎県佐世保市の福井洞穴遺跡第7層(旧石器時代末期)を基準に定義された、船底型の細石刃核(細石核)です。スポール剥離や打面調整で整形し、押圧剥離で細石刃を生産する特徴を持ち、日本列島における細石刃の製作技術の変遷を知る重要な資料です。
特徴と詳細
名称の由来: 長崎県佐世保市の「福井洞穴」。
形状: 船底形(舟底形)をしており、細石刃を剥離する打面をスポール(大きな剥片)剥離や調整により整える。
剥離技法: 押圧剥離(圧力をかけて細石刃を削り出す技法)を用いる。
時代背景: 旧石器時代末期から縄文時代草創期。福井洞穴では、この形式の細石核が多種多様に出土したことで、日本全土の細石刃の編年(年代順の整理)の基準となった。
関連遺跡: 福井洞穴のほか、上場遺跡(かんば遺跡)III層など九州の遺跡でも検出されている。
福井型細石刃核は、黒曜石の利用が始まる時期と重なるなど、旧石器時代から縄文時代へ至る技術・環境の変化を物語る、日本考古学において極めて重要な石器です。 |
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福井型細石刃を作る |
船野型細石刃と第2層から爪形文、第3層から隆起線文土器が出土した。
第2・3層は、1万4~6000年前。 |
細石刃技法の分布
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細石刃技法の分布
本州では16,000年前~15,000年前ごろ、 細石刃は姿を消す。
一方で、 九州では北海道とともに遅くまで細石刃が利用されている。 |
忍路子型と福井型
忍路子型と福井型 |
忍路子型の分布
北海道・下北半島北部
千島列島・サハリン |
福井型の分布
九州島・壱岐対馬
西四国・中国地方西部 |
細石刃技法の利用が減少し、分布範囲が縮小している。 |
福井型細石刃
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AI による概要
福井型細石刃とは、旧石器時代後期に日本で用いられた細石刃の一種で、特に福井洞窟から多く出土したことからその名が付けられました。細石刃は、小型で鋭利な刃物として、狩猟や道具製作に使用された石器です。
小型で鋭利:
幅1cm程度、長さ数cm程度の小さな石刃で、カミソリの刃のように鋭利なのが特徴です。
福井洞窟:
福井洞窟は、旧石器時代から縄文時代への過渡期の文化を研究する上で重要な遺跡であり、細石刃の研究に大きく貢献しました。
旧石器時代後期を象徴する石器:
福井型細石刃は、旧石器時代後期を代表する石器の一つとして、日本の石器文化を理解する上で重要な資料です。
遺跡の年代測定に貢献:
福井洞窟では、細石刃が出土した層位から、旧石器時代から縄文時代への移行期を詳細に分析することが可能になりました。
福井型細石刃は、日本の石器文化を理解する上で欠かせない重要な遺物であり、その研究は、旧石器時代から縄文時代への移行期の生活や文化を解明する上で重要な役割を果たしています。 |
忍路子型細石刃
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AI による概要
忍路子型:
忍路子型細石刃は、北海道の忍路子遺跡で初めて発見された細石刃の型です。
分布:
主に北海道で見られますが、本州の一部地域でも発見されています。 |
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AI による概要
忍路子型細石刃核は、旧石器時代後期に見られる細石刃を作るための石器の一つで、特徴的な形態を持っています。
具体的には、忍路子型細石刃核は、細長い形状で、石核の片側または両側に刃部を形成するための剥離面が発達しています。
この剥離面は、細石刃を剥ぎ取るためのもので、比較的平坦で連続的に剥離しやすいように加工されています。
特徴:
忍路子型細石刃は、他の細石刃と比較して、刃の部分が特に鋭く、細長い形状をしているのが特徴です。
石材:
使用される石材は、黒曜石やサヌカイトなど、硬くて鋭利な刃を形成しやすいものが選ばれることが多いです。
製作技術:
細石刃核は、石材を整形し、剥離面を形成した後、そこから細石刃を剥ぎ取ります。この剥離は、ハンマー状の道具を用いて行われたと考えられています。
分布:
忍路子型細石刃核は、北海道を中心に、日本各地で見つかっています。特に、北海道の忍路子遺跡(おしょろこいせき)で多く発見されたことから、この名前が付けられました。 |
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1358三大細石刃核
野岳型細石刃核
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野岳型細石刃核
野岳遺跡(大村市)
19,000~17,000
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船野型細石刃核
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船野型細石刃核
船野遺跡 (宮崎市)
17,000~16,000
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福井型細石刃核
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福井型細石刃核
(西海技法)
泉福寺洞窟 8層出土
16.000~14.000AD
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非常に綺麗な細石刃核で長くて大きな細石刃が取れたようです。 |
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1360こけし型石偶
岩戸遺跡(大分県豊後大野市)
旧石器時代 29,000~25,000年前 別府大学所蔵
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1370テーマ展示3
土器出現の意味
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狩猟採集の生活を営みつつ定住することを選択した縄文人は、農耕へと移りゆくことなく約10,000年も続く世界に類を見ない縄文文化を築く。
現在の日本文化の基層となる縄文文化の象徴として縄文土器はずっしりと存在している。 |
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1371土器の出現
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人類初の化学反応
土器は、様々な工程を経て粘土から土器を形づくって焼き上げる。人類が初めて体験した化学変化の応用であり、新たな造形物を作り出す原点とも
なる。
縄文人の思想
縄文土器には、多種多様な文様や形があり、縄文人の思想や観念、集団的な意識が集約されている。その魅惑を探究することは縄文人の思想を知る近道になる。
煮炊き具
土器による煮炊きによって、堅果類のアク抜きや生ものを食べられるようになった。野菜と肉類をごった煮したり、貝汁も食べていた。 また、柔らかな離乳食も作られ乳幼児や老人の寿命を延ばし、栄養価の向上はケガ人の回復や幼児の成長に大きく寄与した。 |
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人類初の化学反応 |
縄文人の思想
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煮炊き具 |
煮炊き具 |
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1372定住革命
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土器出現による変化は、 あちこち遊動する生活から一定の場所に居を構えて定住する生活へ変化をもたらした。 定住することは、その集団に食糧だけでなく、長期にわたり知恵や技術を蓄えることになる。
第二の道具と呼ばれる土偶や石棒など祭祀的な道具は、いわば飯の種にはならない心の種を求める縄文人の思想ともいえる。 |
定住革命 |
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旧石器時代=遊動生活
ベースキャンプがない場合
資源を求めて頻繁に移動
ベースキャンプがある場合
ベースキャンプ(洞窟)を
拠点に移動 |
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縄文時代=定住生活
通年定住して一定範囲内に留まり、資源獲得に働く
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1374南方系爪形文土器 藪地洞穴 (沖縄県うるま市)
縄文時代早期7,000年前
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藪地洞穴
(沖縄県うるま市)
縄文時代早期7,000年前 |
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南方系爪形文土器片
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南方系爪形文土器
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1375南九州型爪形文土器 清武上猪ノ原遺跡第5地区(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前
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南九州型爪形文土器 |
南九州型爪形文土器
縄文時代草創期 13,000年前
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爪形文土器
門田遺跡
(福岡県春日市)
縄文時代草創期 13,000年前 |
南九州型爪形文土器
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1376清武上猪ノ原遺跡
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尖頭器,石鏃,スクレイパー
清武上猪ノ原遺跡第5地区
(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前
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尖頭器×3,石鏃×3,
スクレイパー×1
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1377矢柄研磨器,石斧,有溝石製品 清武上猪ノ原遺跡第5地区(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前~12,000年前
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1378押引文土器・刺突文土器
押引文土器、刺突文土器
清武上猪ノ原遺跡第5地区
(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年前 |
下段 押引文土器 |
刺突文土器 |
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1379条痕文土器
条痕文土器
二日市洞穴
(大分県九重町)
縄文時代草創期 12,000年前-11,000年前
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1380最古級土器の分布
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世界最古級土器の分布
世界最古級の土器はユーラシア大陸のなかでも東アジアの各地に点在している。 どこから出現するのか、同時に発生するのか、
日本に世界最古の土器が存在するのか、その起源論は今なお続く研究テーマである。 |
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1381
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仙人洞遺跡
(21,300-19,000年前)
玉蟾岩遺跡
(18,300-15,400)
●于家溝遺跡
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玉蟾岩遺跡
(18,300-15,400)
甑皮岩遺跡
(12,500-11,400)
●于家溝遺跡
甑皮岩遺跡
(12,500-11,400)
●神仙洞遺跡
●仙人洞遺跡 |
甑皮岩遺跡
(12,500-11,400)
神仙洞遺跡
仙人洞遺跡
●玉蟾岩遺跡
●甑皮岩遺跡
●奇和洞
●廟岩
●英徳青塘遺跡群 |
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| 1382
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1383佐世保の草創期土器
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左から
豆粒文土器
隆起線文土器
隆起線文土器
爪形文土器
押引文土器 |
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1384豆粒文土器 泉福寺洞窟 16,000~15,000 レプリカ
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1385隆起線文土器 福井洞窟 16,000~15,000 レプリカ
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出張中!
隆起線文土器は、 「発掘された日本列島展2025」 に展示するため、 島瀬美術センターに貸出中です。
7月12日~8月24日の列島展期間中は、 島瀬美術センターの会場にて見学できます。 |
隆起線文土器
福井洞窟
16,000-15,000 |
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※京都府立山城郷土館 開催の発掘された日本列島2025展に展示された「福井洞窟の隆起線文土器」です。
展示方法の違いにより、色合いが異なっています。
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1386隆起線文土器 福井洞窟 16,000~15,000 レプリカ
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1387爪形文土器 福井洞窟 15,000~14,000 レプリカ
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1388押引文土器 福井洞窟 15,000~14,000 レプリカ
押引文土器
福井洞窟
14,000-13,000
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1390土製・石製品 |
1391有孔円盤
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土製・石製有孔円盤
福井洞窟
(佐世保市吉井町)
縄文時代草創期 16,000-14,000年前 |
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土製有孔円盤 (未製品)
福井洞窟
(佐世保市吉井町)
縄文時代草創期 16,000-14,000年前 |
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1393土製品
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土製品
清武上猪ノ原遺跡第5地区
(宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期 13,000年 |
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土製有孔円盤
清武上猪ノ原遺跡第5地区 (宮崎県宮崎市)
縄文時代草創期
13,000年前
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1395隆帯文土器
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隆帯文土器(赤色顔料)
塚原遺跡 (宮崎県宮崎市)
最古級の赤色顔料付着土器
縄文時代草創期 13,000年前 |
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線刻礫
線刻礫
上黒岩岩陰
(愛媛県久万高原町)
縄文時代草創期 14,000年前 |
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線刻礫
牧野遺跡
(鹿児島県南九州市)
縄文時代草創期
13,000年前
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ちょっとよくわかりません |
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1397石斧
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集積された磨製石斧
藪地洞穴 (沖縄県うるま市)
縄文時代早期 7,000年前
うるま市教育委員会所蔵
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磨製石斧
白蛇山岩陰遺跡
(佐賀県伊万里市)
縄文時代前期4,000年前
佐賀県立博物館所蔵
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魚骨製品
魚骨製装飾品
下原洞穴遺跡
(鹿児島県天城町)
縄文時代前期4,500年前
天城町教育委員会所蔵 |
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1400 04ヒトと洞窟
港川フィッシャー遺跡 写真:沖縄県立博物館・美術館提供
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港川フィッシャー遺跡とは AI による概要
ガンガラーの谷の遺跡発掘について | ガンガラーの谷 生命の神秘 ...
港川(みなとがわ)フィッシャー遺跡は、沖縄県八重瀬町にある約2万2000年前(旧石器時代)の遺跡で、世界的に貴重な4体分のほぼ完全な全身骨格「港川人」が発見された場所です。石灰岩の裂け目(フィッシャー)から発掘された小柄で頑丈な港川人は、南方からの移住者である可能性が指摘されており、同地は2016年に町指定史跡に指定されています。
港川フィッシャー遺跡の主な特徴
・発見の経緯: 1967年、実業家の大山盛保氏が採石場(フィッシャー=岩の裂け目)で動物の化石を発見し、その後1970年に人骨(港川人)が次々と発掘されました。
・港川人(Minatogawa Man):約1万8000年〜2万2000年前のホモ・サピエンス(新人)です。男性1体、女性3体の全身骨格が見つかっており、日本国内では非常に貴重な旧石器時代の骨格資料です。
・特徴:身長は男性で150〜155cm程度と小柄で、筋肉質でがっしりした体格でした。歯が非常に摩耗していることから、粗末な食べ物をよく噛んで食べていたと考えられています。
・場所と見学:沖縄県八重瀬町長毛(ちょうもう)の雄樋(ゆうひ)川河口近くにあります。私有地のため通常は施錠されていますが、八重瀬町立具志頭(ぐしかみ)歴史民俗資料館にて事前連絡で見学相談が可能です。
この遺跡から出土した人骨や関連資料は、沖縄県立博物館・美術館などで見ることができます。 |
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1411埋葬人骨
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岩下洞穴 (佐世保市松瀬町)
縄文時代早期人骨
磨製石槍が副葬されている
約10,000年前
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宮の本遺跡
(佐世保市高島町)
弥生時代中期から後期人骨
約 2,400-1,800年前
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1413縄文人骨と弥生人骨
縄文人骨と弥生人骨
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1414縄文人骨 岩下洞穴 (佐世保市松瀬町) 縄文時代早期 10,000年前
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縄文最古級の人骨。
きゃしゃで、155cm程度の身長だった。 山々で、狩りをするのには良かった。乳児から幼児で亡くなり、成人でも30歳以下の短命だった。 |
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縄文人骨 岩下洞穴 AI による概要
形質人類学 | 居家以岩陰遺跡の研究―早期縄文人の生活と社会―
長崎県佐世保市の岩下洞穴遺跡は、約8,000年前(縄文時代早期)の貴重な埋葬人骨が27体以上発見された県指定史跡です。洞穴最深部に密集して埋葬された人骨は保存状態が良く、頭や胸に石を乗せた特殊な埋葬形態や、生活の場と墓域の使い分けが特徴です。
岩下洞穴遺跡の主な特徴と人骨
場所: 佐世保市松瀬町(相浦川流域、標高約200m)。
時期: 縄文時代早期(約8000年〜8500年前)を主体とする。
人骨: 20体(27体以上とも)を超える埋葬人骨が発見された。
埋葬の特徴: 洞穴の最深部に密集して埋葬。頭や胸に石を載せる埋葬法や、石器が副葬された事例がある。
生活の跡: 炉の跡があり、居住場所と埋葬場所が明確に分けられていた。
その他の出土品: 石鏃、石槍、魚骨、鳥骨、哺乳類や貝類など。
この遺跡は、初期の縄文人の生活と葬儀の様子を知るための重要な資料であり、特に早期の埋葬人骨がこれほど多数出土するケースは貴重です。 |
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縄文人骨
岩下洞穴
(佐世保市松瀬町)
縄文時代早期
10,000年前 |
縄文最古級の人骨 |
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1415弥生人骨 宮の本遺跡 (佐世保市高島町) 弥生時代中期-後期 2,400-1,800年前
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宮の本遺跡 弥生人骨 AI による概要
長崎県佐世保市の高島にある「宮の本遺跡」では、約2000年前の弥生時代前期〜中期頃の人骨がほぼ完全な形で出土しており、当時の人々の生活や身体的特徴を知る貴重な資料となっている。特に腕が長く太い、独特な骨の特徴が認められる。
遺跡の概要: 宮の本遺跡は高島に位置し、1986年の調査で支石墓とともに弥生人骨が発見された。
特徴: 出土した弥生人骨は保存状態が良く、骨格がほぼ完全に残っていた。
この人骨は、北部九州地方や西北九州地方で独自の特徴的な墓制(支石墓など)が普及し始めた初期段階のものである。
身体的特徴: 腕が長く太いなど、内陸の弥生人とは異なる特徴を持っている。
歴史的意義: 弥生時代早期・前期の生活様式(埋葬習慣)を解明する重要な資料として高く評価されている。 |
弥生人骨
宮の本遺跡 (佐世保市高島町)
弥生時代中期-後期
2,400-1,800年前 |
※考察 支石墓と人骨
西北九州の支石墓から出土する人骨は縄文形質が強く、または縄文人とされる。
しかし、展示の人骨は、海洋漁撈民または、当時の交易船の漕ぎ手であったかのような特徴を持ち、そのことが、
内陸弥生人(弥生農耕民)とは異なる特徴と述べているので、これはいずれも半島系でありましょう。
すると、必ずしも支石墓下の埋葬人骨は縄文系ではなく、縄文系や弥生系の、又は混血の人の墓であった。
と考えたいと思います。 |
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1420福井洞窟の年表
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そもそも日本列島に人類が進出したのは約40,000年前の旧石器時代。
寒冷な氷河期を生きた旧石器人は、オオツノジカなどの大型獲物を求め遊動生活を送っていた。
続く縄文時代は約16,000年前にはじまる。
寒くなったり暖かくなったりをくり返しながら、だんだんと温暖化に向かっていくが、安定した温暖期に至るまでの気候の変化は「予測できない過酷な環境だった」
と言われている。
そうした中、人類が生み出した道具とは何だったのか。
人類の叡智が蓄積されたこの時代。福井洞窟で生きた人々の痕跡を読み解くことで、旧石器時代から縄文時代へ移り変わる、この壮絶な変動期を生き抜いた人類の歴史が見えてくる。 |
福井洞窟の年表 |
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寒冷期
4万~1.5万年前
16~11層

1.5万年前定住生活開始
4万年前洞窟利用開始 |
寒冷・温暖交互期
1.5~1万年前
第10層

1.6万年前土器利用開始
地滑りで洞窟利用不能
細石刃利用開始 |
寒冷・温暖期
7~9層洞窟離脱

1.6万年前土器利用開始 |
温暖期
1~2層 弥生時代
4~3層 縄文時代
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| 1430福井洞窟の写真
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1440落盤
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約17,700年前に、天井付近から落ちてきた、砂岩の落石や転石 |
約17700年前の落盤層の剥ぎ取り地層
10・11層
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落石の剥ぎ取り地層 |
10層・11層 |
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| 1450発掘作業の記録
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| 1460
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1470第2~4層 剥ぎ取り標本
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2層
←14,000年前
←白い粒=動物の骨
←石器や土器が沢山
←小さな落石
砂は、ハケで掘る |
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3層
←16,000年前
ここから上に
土器と石器が見つかる
4層
←暗色部分に動物の骨を発見 |
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1480
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謝辭
企画展の開催にあたり、貴重な資料をご出品くださいました関係者の皆さま、 博物館、 埋蔵文化財センターをはじめとする関係諸機関、
写真や資料のご提供 及び調査にご協力をいただきました皆さまに深く感謝申し上げます。
関係協力機関 (五十音順)
天城町教育委員会、壱岐市教育委員会、伊万里市教育委員会、うるま市教育委員会、 大野城心のふるさと館、(公財) 大原芸術財団倉敷考古館
岡山理科大学、 沖縄県立博物館・美術館、小値賀町教育委員会、 鹿児島県埋蔵文化財センター、九州歴史資料館、慶応義塾大学、
九重町教育委員会、佐賀県立博物館、 (公財) 佐世保観光コンベンション協会、佐世保史談会、佐世保市博物館島瀬美術センター、
セインズベリー 日本藝術研究所、 多久市教育委員会、対馬博物館、東北大学、 長崎県教育委員会、長崎県埋蔵文化財セン ター、
福井洞窟整備検討委員会、文化庁、 別府大学、明治大学博物館、(公財) 山形県埋蔵文化財センター
協力者(五十音順)
秋成雅博、 朝川千聖、 穴井由江、 井田 篤、 飯田博之、 岩永雅彦、 上田龍児、 近江俊秀、 大澤正吾、 大塚和義、 大場正善、 岡本東三
奥 綾那、 尾上博一、 甲斐貴充、 海部陽介、 片多雅樹、 鹿又喜隆、 川道 寛、 川内野篤、 小林達雄、 具志堅亮、 桑波田武志、 坂元雄紀
芝康次郎、 島田和高、 下川達彌、 白石浩之、 杉原敏之、 関 明恵 竹中克繁、 筒井克彦、 徳澤啓一、 富岡直人、 堂込秀人、 中西弘樹
中野真澄、 西山賢一、 玉川剛司、 寺田正剛、 萩原博文、 伴 祐子、 久村貞男、日高広人、平田賢明、 福田泰典、 松見裕二、 松元一浩
村上達郎、 山崎真治、 横尾昌樹、 渡部芳久、渡辺丈彦 Simon Kaner |
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福井洞窟ミュージアム協力者一覧
ご協力いただだきました皆様 心から謝意を表します (50音順) |
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阿子島香
片多雅樹
田中哲雄
間壁忠彦
岩永雅彦
鵜澤和宏
川道寛
辻本裕也
間壁葭子
工藤雄一郎
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樋泉岳二
松瀬泰造
内川隆志
黑住耐二
冨樫秦時
松瀬慎一
大塚達朗
小林達雄
徳澤啓一
水ノ江和同 |
大塚和義
小西宗十
富岡直人
森先一貴
大場正善
佐野勝宏
中西弘樹
柳田俊雄
岡本東三
澤田純明
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中島金太郎
越知睦和
澤田正昭
西山賢一
落合知子
芝康次郎
伴祐子
山口敏幸
山崎信治
吉福清和 |
小畑弘己
下川達彌
萩原博文
米田穣
小田静夫
白石純
早川和子
綿貫俊一
海部陽介
白石浩之
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春成秀爾
鹿又喜隆
杉原敏之
久村貞男
Mark Hudson
洪惠媛
鎌木和久
杉山真二
飛髙憲雄
加藤真二 |
芹沢惠子
亀田修一
橘昌信
飛高佐和子
廣田智孝 |
伊万里市教育委員会
沖縄県立博物館・美術館
岡山理科大学
倉敷考古館
國學院大學
国立歴史民俗博物館 佐世保史談会 |
長崎国際大学
日本考古学協会
東彼杵町教育委員会
文化庁 福井洞窟整備検討委員会
福井洞窟史跡保存会 別府大学 |
佐世保市文化財審査委員会
宮崎市教育委員会
外ヶ浜町教育委員会
武蔵野市教育委員会
東北大学
長崎県考古学会 吉井エコツーリズムの会 |
長崎県教育委員会
長崎県埋蔵文化財センター 吉井地区自治協議会
吉井地区文化財保存連絡会 |
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資料等提供者、 市報償等支給者、共同研究者及び機関に限ります。
この他にも様々な先生方にご支援ご協力を頂きました。 記して感謝申し上げます。 |
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