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目
次 |
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01熊本県立美術館外観
装飾古墳室
10鍋田横穴
15装飾古墳とは
20チブサン古墳
30千金甲1号(甲号)古墳
40翳・蓋・靫
50鴨籠古墳石棺
60広浦古墳石棺材
70弁慶ヶ穴古墳
80臼塚石人
100井寺古墳
110大村横穴群
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120写真
121いろいろな装飾文様
123全国の装飾古墳
125九州の装飾古墳
127熊本県立装飾古墳館 |
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はじめに
熊本県装飾古墳館の常設展示図録「黄泉の国の彩りPDF」は参考になると思います。
また、以下のリンクもお役に立てると思います。 熊本県立美術館 装飾古墳室 |
01熊本県立美術館外観
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装飾古墳は、九州の北・中部を中心に分布している、
われわれの遠い先祖先が生み出した、芸術創造の遺産です。
当館では、全国に先駆けて、この装飾古墳室を設け、
実物や精巧なレプリカ、模刻、模写により、県内の代表的作例をここに再現しました。
古代から現代に至る、本県の美術史の現点として、装飾古墳の美をご鑑賞ください。 |
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装飾古墳室
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10鍋田横穴 (第27号) 7世紀 山鹿市大字鍋田
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横穴の出入り口を守護するかのように、人物と武器類が浮き彫りされています。
中央の大きな靫を中心に、様々なものを配置した構成いが見事です。
県内の装飾古墳の中でも、最も優れた浮彫の一つです。
山鹿市西部、岩野川に面した凝灰岩の崖に作られた横穴群の一つで、
羨門 (墓室への入口)近くに、足を踏ん張り弓をもつ人物は、墓室を守る番兵でしょう。
人物の頭と弓の間のものは剣と見られ、弓の下には鞆(弓を射る時左手首に浸ける防具)があります。
また、中央には大きな靫(背負う矢筒)を彫り、その横には、上に刀子を、下に小さな靫を表しています。
そして、その左側には、矢をつがえた弓と盾を配しています。中央下部の図様ずようは、馬です。 |
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15装飾古墳
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装飾古墳とは、石棺や石室あるいは横穴墓の内外面に、彫刻や線刻、彩色により文様や絵画などの装飾を施したものです。
装飾古墳は4世紀末頃から7世紀頃まで造られており、全国に約700基、熊本県内では約200基があるとされています。 |
古墳の種類
(1)石棺系装飾古墳 4世紀終り頃から造られ始めます。
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石棺の蓋や身に円文や三角文、あるいは直弧文等の文様を浮彫や線刻で表現しています。
北部九州から日本海沿岸部に広がっています。 |
(2)石障系装飾古墳 4世紀末頃から5世紀初めにかけて、八代海(不知火海)沿岸部で造られ始めます。
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ほぼ正方形の墓室に円文や靫・盾等を浮彫や線刻で表現しています。
5世紀前半期、宇土半島を経由して熊本北部に広がり、6世紀には菊池川流域まで広がります。
当初は浮彫で装飾していましたが、八代海を北上して宇土半島から熊本市に入ると、赤・黄・緑(灰色)などの彩色が浮彫の上から施されるようになります。 |
(3)壁画系装飾古墳 6世紀に入り、北部九州では装飾古墳が多く造られ始めます。
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この装飾古墳の特徴は彩色で装飾文様を表現することです。
熊本では、6世紀前半頃から円文や連続三角文を石室に描くようになります。
その後、武人や人物、馬など絵画的な装飾も多く描かれるようになります。 |
(4)横穴系装飾古墳 (装飾横穴墓) 6世紀の中頃から、熊本では多くの装飾を持つ横穴墓が造られます。
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それまでの古墳と異なり、墓室以外の壁面にも装飾が描かれるようになります。
装飾の中でも人物、靫、盾などの装飾は破邪として描かれたと考えられます。 |
文様の種類
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(1)幾何学的な文様(円文、同心円文、三角文、直弧文など)
(2)器材器物紋様 (靫・盾・弓などの武器武具や舟や家屋など)
(3)人物鳥獣紋様 (人物・馬・鹿・鳥など) などが代表的です。 |
描画する古代人の精神
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これらの装飾には、武器や武具が持つ霊力や幾何学文様による破邪の力を信じる古代人の想い、
あるいは舟や馬を描き、黄泉の国へ死者の魂を送り届ける想いが込められたものと考えられます。 |
装飾古墳 |
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20チブサン古墳 6世紀 山鹿市大字城字西福寺
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奥壁中央の菱形文に円文を配した図柄は人の顔にも乳房にも見える不思議な紋様です。
チブサンの名は、付近の人々がこれを乳房とみて母乳が豊かに出るように祈ったことに由来します。我が国の代表的な装飾古墳の一つです。
山鹿市北西部、岩野川を見下ろす台地に造られた、全長45m(現状)の前方後円墳。内部は小さな前室をもつ複式の横穴式石室です。
石室の奥に作り付けた家形石棺の内面に、菱形文や円文、人物像などを描いています。石棺の棺身部分には6枚の板石があって、
現在そのうち1枚は失われています。
装飾は、奥と左壁には菱形・三角に円文を加えた幾何学文、また、右壁には、上部に白の円文が7個あり、
その下に冠を被り、両手をあげた人物像などが見られます。 |
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30千金甲1号(甲号)古墳 せんごんこう 5世紀 熊本市西区小島下町字勝負谷
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同心円や柚木゛などのちょうこく矢、赤・緑・黄などの再意識が良く残っている、華やかな装飾古墳の一つです。
靫は、その霊力によって古墳を守るという意味かもしれません。
熊本市の西北部、有明海を見下ろす権現山の中腹に造られた直径12m(現状)の小さな円墳。
横穴式石室の奥と、両脇の壁に、石障 (横穴式石室の壁に、板石を巡らした、衝立のようなもの) があります。
両脇の石障には、三重の同心円と、方形の空間を対角線で区画した文様が上下二段に配置され、それらが横に連続しています。
なお、奥壁では方形の空間に靫 (背に負う矢筒) が彫り加えられています。 |
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40翳・蓋・靫(さしば・きぬがさ・ゆぎ) 6世紀 八代郡氷川町大字大野 姫ノ城古墳出土
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阿蘇溶結凝灰岩で作った石製表飾品は、石人・石馬とも称され、古代九州を代表する遺物です。筑紫野君磐井に関係するものとしても知られています。
熊本県下では10ヶ所で出土しており、姫ノ城古墳はその分布の南限です。
この石製品が出土した姫ノ城古墳は、氷川町・野津古墳群中の一基で、全長約85mの前方後円墳です。全面に葺石があり、石製品のほかにも埴輪も見られます。
蓋は絹を張った柄の長い傘、翳は豪華に飾った大きなうちわのようなもの、ともに貴人の用いるもので、古墳の主の権力を示しているのでしょう。
靫は背に負う矢筒で、装飾古墳の図柄にも多く、その武具の威力で古墳を守護する意味でしょう。 |
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50鴨籠古墳石棺 (かもご) 5世紀 宇城市知ら吹町大字長崎字鴨籠
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この石棺は、棺の上蓋も身も阿蘇溶結凝灰岩を刳り抜いて造ったもので、蓋には直弧文などが線刻されています。
九州の装飾古墳としては初期に属します。
宇土半島の南側の海に近い丘陵に築かれた直径25mの円墳。この古墳は、江戸時代の正徳5年(1715)に盗掘されたと伝えられています。
主体部は板石を立てた石室で、その中にこの家形石棺が安置されていました。重さは約1トンあります。
文様は、棺の和部田の前面に渡って直弧・同心円文・帯状文・梯子形文などが線刻されています。
また、もとは赤・青で鮮やかに塗り分けてありましたが、今はほとんど見えません。身の部分には前面に塗られていた赤色顔料が、今も残っています。 |
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60広浦古墳石棺材 4世紀末頃 上天草市大矢野町大字維和字広瀬
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石棺の内側に浮彫で刀やあぶみ、鏡、刀子などが表現されています。
初期の装飾古墳の一つで、被葬者に対する副葬品の意味を込めて彫られたと考えられます。
大矢野町・千束蔵々島(せんぞくぞうぞうしま)の南端、上大戸ノ鼻の近くにあった小円墳群。
大正7年に工事により破壊され、現在はこの浮彫のある棺材が2枚残されているだけです。
この浮彫は、箱式石棺の側石に彫られたもので、1枚には、柄頭や柄元に鹿角製の飾りを付けた鹿角装の大刀に刀子を付けた様子が写実的に表されています。
下のもう1枚には、大刀、刀子とみられるものが彫られています。 |
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70弁慶ヶ穴古墳 6世紀 山鹿市熊入町
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横穴式石室の壁に、赤・白・灰の顔料(岩絵の具)を用いて、幾何学文や舟・馬・人物などが描かれています。
ことに舟と馬は数も多く、古墳の主と馬とのかかわりが注目されます。
山鹿市北部、岩野川の平野を見下ろす台地に築かれています。複室を持つ横穴行石室で、後室の奥壁に大きな石屋形をつくり付けています。
羨門(石室への入口)外の前庭に面した壁には、人物像が浮き彫りに表されており、その他は彩画です。
図様は、前室の右奥壁に同心円・菱形文が赤・青・白で描かれ、また、
前室の右壁には上下にゴンドラ形の舟が表され、上の船には棺が、下の船には馬がそれぞれ乗せられています。
その他の図様も馬が多数描かれています。 |
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80臼塚石人 6世紀 山鹿市大字石字臼塚
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臼塚古墳の墳頂に立っていた石人です。古墳に立てられた石人・石馬・石製品は、北九州を中心に26ヵ所すら発見され、そのうち石人は15ヵ所にあります。頭部を失っているものの、この石人は彫刻として最も優れたものです。
臼塚古墳は、山鹿市西部の平野に築かれた直径22m(現状)の円墳です。
内部は、複室の横穴式石室となっており、人物や幾何学文の装飾も見られます。
この石人は阿蘇溶結凝灰岩から彫り出されたもので、墳丘の頂上に立ち、古墳を守護する武人です。
頭部を失っていますが、短甲(鎧の一種)を身につけています。
短甲には斜めに帯状の文様が赤色顔料で描かれ、また、背には靫(背負う矢筒)が彫られています。 |
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100井寺古墳 6世紀 上益城郡嘉島町大字井寺
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古墳時代の代表的紋様である直弧文(直線と弧線を組み合わせてつくる紋様)。この名称は本古墳の装飾文様の名称から始まり、
、全国的に広がり定着したものです。薄れてはいますが、直線と弧線で区切られた部分が、赤・白・緑で細かく塗り分けられています。
熊本平野南部の低い丘の頂上に築かれた、直径28mの円墳。内部には、阿蘇溶結凝灰岩の切り石を用いた横穴式石室が造られています。
装飾は石障(横穴式石室の壁に、板石を巡らした、衝立のようなもの)の内面と上面、それに羨道(石室への通路)と羨門(羨道の入口)に見られます。
直弧文の型式には、細かく見ると3種類のものがあり、それらが一定の順序で配置され、その間に車輪文や梯子状文を加えています。、 |
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110大村横穴群 (第11号) 6世紀後半 人吉市城本町城本鳥岡
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横穴の入口を守護する科のように、靫などの武具類を浮彫しています。装飾古墳としては、最南端に位置しています。
球磨川流域を代表する装飾横穴墓です。
人吉駅の裏側、凝灰岩の崖に造られた横穴群の一つです。入口の左側に2個の大きな靫(背負う矢筒)を並べています。
右側のものには、鋭く尖った鉄鏃(やじり)が5本表現されており、また、左側のものでは、数多くの鉄鏃を縦線であらわしています。
これらの靫には、それぞれ4個の小さな穴があり、何らかの飾りを付けていたようです。
他に3個の刀子、2個の鞆、4個の円文・2個の三日月文が見られます。入口の右上にも、もう一つ靫があります。 |
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120写真
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121いろいろな装飾文様
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永安寺東古墳(円文と舟)
円文は装飾文様を代表する文様で、鏡をデザイン化したものです。
類似する文様として同心円文があります。
写真の装飾では、この円文と舟が描かれています。
この古墳に描かれた舟は6世紀後半から登場します。
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チブサン古墳 (人物)
6世紀前半のチブサン古墳には死者を安置する石屋形と呼ばれるものの向かって右壁に、
冠を被り、両手を広げて、天をあおぐ人物が描かれています。
この人物はこの古墳の主かもしれません。 |
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大坊古墳 (連続三角文と円文)
連続三角文は複数の三角文をならべたものです。
この古墳の奥壁に描かれた連続三角文と円文は6世紀のう蝕古墳で多く描かれています。
この文様の意味は諸説あります。 |
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弁慶が穴古墳 (馬・舟・太陽)
6世紀後半の弁慶が穴古墳には、多くの装飾文が描かれています。
石室へつながる羨道の文の左壁に描かれた装飾は、馬を載せた舟で、その上に太陽を意味する円文が描かれています。
古墳の入口に向かう舟の意味するものは、死者の魂を運ぶ様子を描いているとする説があります。 |
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清戸迫横穴 76号墓 (渦巻文・武人)
福島県にある装飾横穴墓で、奥壁に武人と渦巻文が描かれています。
この文様は同心円文が東北に伝わる中で変化したものと考えられます。 |
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弁慶が穴古墳 (馬を乗せた舟・荷を乗せた舟)
前室右壁には馬を乗せた舟と荷を乗せた舟が描かれています。
荷の上には、水鳥が描かれています。
この荷は死者の棺であり、水鳥は死者の魂であるとする説があります。 |
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釜尾古墳 (双脚輪状文) そうきゃくりんじょうもん
全国で4例しかない双脚輪状文が描かれています。
古墳時代の儀式の道具を表現したものではないかと考えられています。
埴輪に双脚輪状文が表現されています。
熊本県立装飾古墳館の近くに移築された横山古墳で、この文様を見ることが出来ます。 |
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広浦古墳 (大刀)
大刀は初期の装飾古墳に描かれることが多い装飾です。
副葬品である刀を描く意味は死者を護る意味であったのかもしれません。
また、この刀が簡略化され、棒状の装飾となったとする説があります。 |
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珍敷塚古墳 (蕨手文)
蕨手文は蕨の形に似た渦巻状の文様で、呪術的な意味があるとされます。
珍敷塚古墳にこの装飾文様が描かれています。
向かって左に同心円文、ゴンドラ形の船、その舟の舳先にには鳥、また、舟を操る人、中央には靫、右にはカエルなどが描かれています。
※舟の舳先とともが跳ねあがったゴンドラ形は外洋航海用の舟のことです。波がこの高さまで来ても大丈夫ということです。 |
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大村横穴 (靫)
古墳の石障や石室に描かれる矢筒です。
刀と同じ副葬品を描くことから始まったものと考えられます。
6世紀半ば遺構は、横穴墓の外壁に描かれるようになります。
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井寺古墳 (直弧文)
直弧文は弥生時代から伝わる文様です。
直線と弧が交わる不思議な文様ですが、起源には諸説あります。
熊本県嘉島町の井寺古墳矢宇城市の鴨籠古墳の石棺に描かれています。
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小田良古墳 (盾・同心円文)
盾を描く意味は靫と同じで副葬品を描くことから始まったと考えられています。
小田良古墳の装飾は5世紀中頃のものとされ、
彩色されていない浮彫が特徴です。
また、同心円文は宇上から吊るす表現から鏡であると考えられます。 |
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123全国の装飾古墳
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125九州の装飾古墳
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127熊本県立装飾古墳館
熊本県立装飾古墳館
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写真1 |
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熊本県立装飾古墳館とは
熊本県立装飾古墳館は平成4年4月15日に開館した装飾古墳専門の博物館です。
文化庁の「風土記の丘」構想に基づき整備された「肥後古代の森」鹿央1地区にあります。
周りには国史跡「岩原古墳群」(写真1)が広がり、歴史遺産と触れ合うことができます。 |
写真2 |
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アートポリスと熊本県立装飾古墳館
アートポリスとは、公共性の高い建築物に芸術性を持たせる目的で始まった熊本県の取組で、装飾古墳館もその一環として建築されました。また、装飾古墳館は著名な建築家である安藤忠雄氏の設計(写真2)です。
外観は前方後円墳をイメージした造りで、園内にある岩原双子塚古墳と点対称に配置されています。
建物の外装は安藤設計の特徴である「コンクリート打放し」で、古墳群や周辺環境とも一体として見せる設計となっています。国外からも多くの方が施設見学に訪れています。 |
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装飾古墳とは
装飾古墳とは、古墳の内部にある石棺や石室に浮き彫りや彩色で彩られた古墳です。
全国に数十万あると言われる古墳の中で約700基が確認されています。
このうち、熊本県内には約200基があり、全国の約3割が熊本県内に集中します。
全国の装飾をご本人ついては、県立美術館装飾古墳室の解説パネルや検索システムで最新の情報を知ることができます。 |
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装飾古墳館の展示及び活動
装飾古墳館では、よりリアルに装飾古墳を体感していただくために、県内にある代表的な装飾古墳の石室レプリカ(写真3・4)と、県内の装飾古墳から出土した鉄鏃、青銅鏡、埴輪、勾玉などの副葬品(写真5)、 6世紀に造られた石製装飾品である木柑子高塚古墳出土石人(写真6)を展示しています。
このほか、イマジネーションホール(映像室)では、装飾古墳館オリジナルの映画を上映しており、ゆっくりと装飾古墳や日本の歴史について学ぶことができます。また装飾古墳館では「勾玉づくり」、「古代食づくり」などの体験明治屋(写真7)を豊富に揃えています。
体験メニューには、来館者向けの「体験教室」と、当館の学芸員が出張して行う団体向けの「移動体験教室」があります。
装飾古墳に関する専門性だけではなく、装飾古墳館をご利用いただく皆様に、様々な「古代体験」を提供しています。 |
装飾古墳館の展示及び活動 |
写真7 |
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200熊本市内 上熊本方面
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