[戻る][TOP]


 北部九州の縄文 №24  2020.11.17-2

  ひがしみょう
  東名縄文館    佐賀市金立町千布 巨勢川調整池内 月休・撮影可
  ※この館には固定電話はありません。

交通 レンタカー
      ※カーナビに登録されていない場合があります。行く場合は
事前に周囲の目標地点の電話番号を入手し、一帯の地図を持ち
道順をを考えておくと心強いです。グランドゴルフ場になっています。

  備考  放送大学 考古学 で取り上げられる有名な縄文館です。
    佐賀駅方面から向かうと、高い護岸に阻まれて建物が見えないことがあります。
ボランティアによって運営されています。どうぞ、ご丁寧なご挨拶をお願いします。
 



01外観
101東名遺跡
103立地と環境
105貝塚出土物
107骨角器 装身具
110貝塚
130集落と貝塚
132集落域は
135貯蔵穴
150遺物


160企画展「縄文のデザイン」
163塞ノ神B式土器 
167轟A式土器
170編かごの技法
200道具の形
202石鏃
203石匙
207骨角器


210装身具
211縄文のおしゃれ
213貝製品
215角牙製品
219鹿角製品
220カゴ製品
230木製品
240水に関わる祭
242シェーとり祭り

250三体同時に埋葬された人骨
260廃棄物

 
 
 01外観
東名縄文館
ひがしみょう
 
 
 101東名遺跡 縄文早期 約8000年前
東名遺跡は佐賀市金立町南端の平野部に位置し、その貝塚部分については巨勢川調整池掘削工事中に5m以上地下で偶然発見されました。
調査の結果、佐賀平野でも数少ない縄文時代早期の遺跡であることが判明、更に国内最古の湿地性貝塚が伴っていることが明らかとなりました。

特に数多く出土した国内最古の編み籠や木製容器をはじめとした植物性遺物は、8000年もの間、奇跡的に保存されてきたもので、これまでの縄文早期に対するイメージを一新する発見となりました。
また、集落・貝塚・墓地・貯蔵穴がセットで発見された縄文遺跡は国内でも類例が少なく、学術的価値は非常に高いものと言えます。

展示室 貝塚での様子 貝塚での様子(イラスト:早川和子)
左側では、編かごを持った人達が貝塚に貝を捨てたり、貯蔵穴を利用しています。
中央奥では集積炉で、動物の肉などの蒸し焼きをしています。
右手手前には、石が置かれた墓と動物の骨塚があります。




 東名遺跡の時代
 東名遺跡は出土した土器や科学的な方法から、およそ8000年前の遺跡であることがわかっています。
これは考古学的な時代区分でいう縄文時代早期末に当てはまります。

 丁度この頃、日本列島は温暖化によって海水面が上昇(縄文海進)し、魚介類の生息に適した浅い内湾が多く作られました。
縄文海進のピークはおよそ7000年前頃と考えられているので、東名遺跡は海水面が上昇し始める頃から営まれ、次第に海水面が上昇してくる過程で住みにくい環境となったため、廃絶されてしまうようです。(縄文海進によって水没廃絶)
 当時、遺跡の周辺は、河口のような場所で、すぐに海に出ていけて、森も近く、木の実や貝を採ったり、動物や魚を捕まえたりして生活するには、大変住みやすい場所であったようです。

東名遺跡 東名遺跡
最上に記述
東名遺跡の時代
直上に記述
東名遺跡位置図

 103立地と環境
 東名遺跡群は東名遺跡と久富二本杉遺跡とからなり、国土交通省による巨勢川調整池建設作業に伴い発見された、縄文時代早期末の遺跡群です。
現在、東名遺跡周辺は厚い粘土層に覆われた佐賀平野の沖積地に埋没していて、平坦で地形の起伏は全く判りません。
しかし、様々な調査結果から、当時、遺跡は背振山地から延びる丘陵の末端近くにあり、海岸線が最も内陸に入り込んだ河口付近に立地していたと考えられています。
 河口は遺跡群のすぐ南側にあり、久富二本杉遺跡が立地する微高地と東名遺跡が立地する微高地との間には河川の存在が推察されます。
更に居住域や墓域は微高地上、それに伴う貝塚、貯蔵穴群は傾斜面に形成されているのが明らかとなりました。

立地と環境 立地と環境 立地と環境 久冨二本杉遺跡と
東名遺跡
巨勢川調整池全景


 湿地性貝塚とは
「湿地遺跡」と「貝塚」という性格の両者を兼ね備えた遺跡で、国内でもその数は決して多くなく、大変珍しいものです。
【湿地遺跡】
川や湖等の傍らにある遺跡で、水に漬かっていたため植物質のものや木製品が残りの良い状態で保存されています。
【貝塚】
貝殻のカルシウム分が土に溶け出し、酸性土壌を中和してしまうので、動物や魚の骨が良く残ります。
この2つの特徴に加え、縄文海進の影響で一気に「粘土層で覆われる」ため、通常では残らないような動植物性遺物が良好に残存しています。
また、東名遺跡は縄文時代早期段階としては、南北500m以上と広域に及ぶ国内最大級の貝塚群で、傾斜面に点在する6か所の貝層の総面積は1700㎡を超えています。

湿地性貝塚とは 第1・第2貝塚調査 ←右上の黒色部分が第1貝塚、
←中央左側が第2貝塚です。
貝塚がある部分は地形的に窪地となり、
貝層下部には黒色土が堆積していました。
第1~第6貝塚位置図

 105貝塚出土物

貝輪(貝製腕輪)
サルボウ貝、マツバ貝
マツバガイ
ベンケイガイ
オオツタノハガイ
※オオツタノハガイは八丈島以南に棲息する。大潮の干潮時のみ採取できる。
近年までよく知られなかった。大変貴重な貝。
後に銅製貝釧としても登場する。
貝玉
貝のペンダント
(イモガイ・二枚貝等
ハナマルユキ
イモガイ
カニノテムシロ
マルフトコロ
イボニシ

ウノアシ
東名の貝塚は、
縄文早期に北部九州に関東の希少貝殻や、あまり見たことのない珍種貝が出土する。

 107骨角器 装身具
ニホンジカ角製品 髪針
ニホンジカ角製
装身具
イノシシ牙製
装身具(玉類)
骨製ペンダント
(鳥骨)
(エイ・サメ類椎骨)

刺突具
ニホンジカ中手骨
・中足骨・四肢骨など
骨ヘラ
ニホンジカ角製
 

 110貝塚

111貝塚断面剥ぎ取り標本

 第2貝塚Hベルト北壁土層断面剥ぎ取り標本
これは現地で実際の貝層の断面に接着剤を付け剥ぎ取った標本です。右が微高地側で地形か高くなる方、左が地形的に低い方になります。
貝層が地形に沿って堆積している状況と、粘土層と交互に堆積している状況が観察できます。

貝種は、カキ・ハイガイ・アゲマキ・ヤマトシジミの4種類がほとんどで、当時の人々が好んで食していたことが考えられます。
また、カキが最上層に集中する傾向にあり、好みや周辺環境の変化などがその要因として考えられます。

右上の貝層が抜けているところは、貯蔵穴があったところで、貝層が堆積した後につくられたことがわかります。

第2貝塚Hベルト北壁土層断面剥ぎ取り標本 東名の貝塚
 113第2貝塚
貝層が地形に沿って三日月状に堆積。貝層の厚みは上面が掘削工事で削平されているものの、最も残存状況の良い部分で約1.4mを測ります。
地形の傾斜が比較的緩やかな地点に形成され、貝層の周辺には多数の貯蔵穴が設けられていました。
貝種はヤマトシジミ・ハイガイ・アゲマキ・カキの4種類が主体。

第2貝塚 貝層全景(俯瞰、南から) 貝層と水成の青灰色土層が互層をなすように堆積しています。
また、微高地側には、陸起源の黒色土(腐植土)が堆積しており、
環境の変化を示しています。

 第1貝塚
第2貝塚に比べると、急斜面で地形的に河道部に突出した地点に形成されていました。
そのため河川の影響を受けやすく、確認した貯蔵穴もわずかでした。
貝層の厚みは最も残存状況の良い部分で約1.2m 測り、貝種は第2貝塚同様ヤマトシジミ・ハイガイ・アゲマキ・カキの4種類が主体。

  第1貝塚 
貝層塚全景
(俯瞰・南西から) 
残念ながら南側(手前側)の一部は掘削工事により消失していました。
河道に近い場所に形成されており、貝層より西側には粘土と砂層が互層をなすように堆積していました。
 115第2・第1貝塚地形図
第2・第1貝塚地形図 東名遺跡内の位置 東名遺跡群位置図 第1~第5貝塚地点 第2次調査個所 久富二本杉遺跡
第2貝塚全景
上が微高地側。貝層が地形に沿うように三日月状に堆積している。
第2貝塚地図 第1貝塚全景 地形的な窪地に黒色土(腐植土)の堆積後、貝塚が形成された。
 
 120第2貝塚
第2貝塚Hベルト北壁土層断面剥ぎ取り標本
上に記述
ヤマトシジミ
この貝が最も多い
ハイガイ

殻が厚く大きいため、貝層中で最も目立つ。ヤマトシジミ・アゲマキに次ぐ量
アゲマキ
殻が薄く割れやすいためほとんど形が残っていない。量的にはかなり含まれていると考えられる。
ハイガイ

殻が厚く大きいため貝層中最も目立つ。個数的にはヤマトシジミ・アゲマキに次ぐ量と思われる

 130集落と貝塚
 131集落と貝塚
集落域は標高+3m前後の微高地上に立地し、平成5~8年にかけて、4200㎡を対象に発掘調査を実施(第1次)しました。
その結果、集石遺構167基や7体分の埋葬人骨をはじめ、大量の塞ノ神式土器や石器が出土しました。

貝塚については平成16~19年にかけて第1・2貝塚を対象に発掘調査を実施(第2次)。
その結果、良港に残存した貝層、150基を超える貯蔵穴群をはじめ、700点を超える編かごや造形的に優れた鹿角製の装身具等、大量の動植物性遺物が出土しました。

このように、東名遺跡は集落・墓地・貝塚・貯蔵穴がセットで確認された、国内でも数少ない縄文遺跡として注目され、縄文時代でも古い段階の生活様式や文化を知るうえで大変貴重な遺跡です。


集落と貝塚
下に再表示
第1次調査区

集石遺構Ⅰ類
322個の細~小礫で構成
東名遺跡地形想定図 遺跡の土地利用 土器文様
 132集落域は(同一反復)
集落域は標高+3m前後の微高地上に立地し、平成5~8年にかけて、4200㎡を対象に発掘調査を実施(第1次)しました。
その結果、集積遺構167基や7体分の埋葬人骨をはじめ、大量の塞ノ神式土器ね石器が出土しました。

貝塚については平成16~19年にかけて第1・2貝塚を対象に発掘調査を実施(第2次)。
その結果、良港に残存した貝層、150基を超える貯蔵穴群をはじめ、700点を超える編かごや造形的に優れた鹿角製の装身具等、大量の動植物性遺物が出土しました。

このように、東名遺跡は集落・墓地・貝塚・貯蔵穴がセットで確認された、国内でも数少ない縄文遺跡として注目され、縄文時代でも古い段階の生活様式や文化を知るうえで大変貴重な遺跡です。

 集積遺構
焼けた石を集めた施設。アース・オーブン法と呼ばれる蒸し焼き料理などに使用されたものと考えられ、縄文時代の遺構に多く発見される施設です。
東名遺跡で発見された集積遺構は構成礫の規模により、細~小礫(1~100g)中心のⅠ類と、中~大礫(100~1000g)中心のⅡ類の2種に大別されます。

 埋葬人骨
縄文時代早期という古い段階の人骨は国内でも類例の少ないものです。
東名遺跡の人骨は、いずれも手足を折り曲げて葬る「屈葬」の状態で発見されました。


集落域は 集落域は 第1次調査区全景 集積遺構Ⅰ類
322点の細~小礫で鉱石されていました。
集積遺構 集積遺構Ⅱ類
70点の中~大礫で構成
埋葬人骨 手前の人骨から順に、ほぼ同時に埋葬されたと考えられます。 ※手前の遺体の上に
後の遺体が重なっており、その上に、更に後の遺体が重なっているという意味。
なぜこんな葬り方をしたんだ。
3人同時に死ぬってありますか。
インフルエンザかなぁ

 135貯蔵穴
貯蔵穴とは、ドングリ等を貯蔵した冷蔵庫のようなものです。縄文時代には新鮮な水の涌く場所に穴を掘り、そこにドングリ等を水漬けにすることで、一定期間貯蔵することが一般的でした。

東名遺跡ではこうした貯蔵穴が第2貝塚を中心に150基以上確認されました。
その中の多くには、木を割り裂いたヒゴを用いて作った編かごが残っていたことから、ドングリ類はこのかごにいれて水漬けされたと考えられます。

また、貯蔵穴の中には、水漬けの目的で入れられた木製未成品や鹿角、草本類の束(これらは水漬けすることで加工しやすくなる)等が出土していることから、貯蔵以外の目的にも使用されていたことがわかっています。

貯蔵穴 貯蔵穴 穴底の編かご
貯蔵穴(SK2056)

貯蔵穴(SK2056)
貯蔵穴群
貯蔵穴(SK2056)
平面は径1.4mの円形に近く、深さは0.7m 測る。編かごが潰れた状態で出土し、周辺の埋土中からは少量の堅果類が検出されています。
また、目印もしくは編かごを固定するために設けられた可能性のある細い木の棒を、突き刺さった状態で検出しました。

貯蔵穴群
第2貝塚の地形的な窪地を中心に貯蔵穴を検出しました。
流路の痕跡も認められることから、元々は湧水を利用していた可能性があります。

 貯蔵穴:右上(SK2106)・左(2154)
貯蔵穴:右上(SK2106)・左(2154) 貯蔵穴:右上(SK2106)・左(2154)
長軸が2m超えるような楕円形の貯蔵穴が重なって存在しています。いずれも複数の編籠と木製品が入っていました。
機能的に水漬け(さらし)に特化したような様相を呈しています。
また、粘土層中に設けられているため湧水は期待できず、、満潮時の増水を利用したものと考えられます。
下は、SK2106の掘削作業状況。人と比べるとその大きさが一目瞭然です。

 貯蔵穴(Sk2154)
貯蔵穴(Sk2154)
少なくとも5個体以上の編かごが入っていました。
左は編かご類を現地から取り上げた後に、裏面を検出したものです。
現地での劣化が少ない分残存状況が非常に良好。
全形が分かるものも含真れており、編かごの資料として非常に重要なものとなりました。
また、人面状?木製品(右下)も含まれており、縄文人たちの精神文化を知る貴重な資料となりました。

編かご 人面状木製品 
 
 140遺跡周辺ジオラマ
 150遺物
 151
石斧
石匙
石匙

※北方系縦長石匙や、大型石匙が出土している。縦長石匙は西日本でも稀に出土する。大型石匙は大型の獲物の解体に使ったのか。
 153
スクレイパー
石錐
石鏃
編かご
編組製品

ムクロジ等の木を裂いて編んだ

ムクロジの実は石鹸の代用品。非常に泡立ちが良いことで知られている。木の実を常食し、水漬けしていた縄文早期人がこれを知らないはずはなく、
 きっと、石鹸として使っていたのだろう。
 また、ムクロジの葉や実には薬効があり、これも利用していたのかもしれない。
 155
石皿・磨石 編かご
編かご
ツヅラフジなどのツル植物
 
 158撮り忘れ 写真データがありません。
 
 
 



 160企画展「縄文のデザイン」 ~古代人の感性と美~
   東名遺跡保存活用イベント


 161
企画展
「縄文のデザイン」
開催にあたって 国内最古の湿地性貝塚である東名遺跡では、通常の遺跡では残らない動植物性遺物が多量に出土しました。
しかもその多くが国内最古級の大変貴重なものです。日本文化の起源を知る上でも大変貴重な遺跡で、日本を代表する縄文時代の遺跡です。平成28年10月にその重要性が認められ、国史跡に指定されました。

この企画展は、史跡東名遺跡の保存活用の一環として開催するものです。
今回は、東名遺跡の出土品に見られる優れたデザイン性に注目し、縄文人の感性や実的センスについて紹介します。
現代社会に劣らないハイセンスな縄文の世界をご覧ください。
縄文のデザイン  縄文人は、調理具である土器や運搬具である編かごなどの道具類を、様々な文様で飾った。
編かごは、タテ材とヨコ材を組み合わせて形を作るため、必然的に文様が浮き出てくる。

縄文土器はかごを模して造られたという説があり、表面を縄目の文様で飾っているのは、かごの写しだとも言われている。
ただ、東名遺跡から発見された土器は、貝殻で文様を付けていた。

温暖化による海面上昇で海産物の利用が盛んになり、身近な貝殻で模様を付けたのだろう。
縄文人は自然と共生する中で様々なデザインを生み出し、それを独自のネットワークで広域に広げていったのである。
土器のデザイン 塞ノ神B式
貝殻列点文と貝殻条痕文
轟A式
貝殻条痕と隆起線文
東名遺跡から出土した土器のほとんどは「塞ノ神B式土器」と呼ばれる南九州を中心に分布するもので、その他に「轟A式土器」(半島系土器)と呼ばれる土器も少量見つかっている。いずれも、ハイガイやサルボウガイなどのフネガイ科の貝殻を用いて文様を付けているのが特徴である。

貝殻ギザギザの縁を使って、列点文や条痕文など、様々な文様で表面を飾り、作るのに手間が掛る土器を大切にしていた。

 ※東名人は九州南部から来たのだろうか。

編かごの技法
(編み目)
東名では700点以上の編かごが出土し、様々な編組技法が確認された。
技法は編み目として様々な文様を浮かび上がらせ、そこから縄文人の豊かな感性を窺い知ることができる

ドングリ水漬け用の大型かごには、ムクロジとイヌビワのヘギ材が使用され、
運搬用の小型かごには、ツヅラフジとテイカカズラなどのツル植物が使用されている。
素材によって技法が違い、編目も異なる。

多くが波形網代や連続桝網代など、装飾性に富む複雑な技法を使用しており、縄文人のものづくりに対するこだわりも垣間見ることができる。
 163塞ノ神B式土器 
塞ノ神B式土器
貝殻列点文
貝殻条線文(格子)
 164塞ノ神B式土器 貝殻列点文、沈線文
 165塞ノ神B式土器 沈線文(格子) 列点文
ハイガイ
 1664塞ノ神B式土器 貝殻列点文、貝殻波状文
 167轟A式土器 貝殻条痕、隆起線文
 
※塞ノ神式土器・轟A式土器は7300年前のアカホヤ火山灰の下から。轟B式土器は上から出土するようです。 
 轟B式土器は北部九州から西日本の日本海側から広く出土します。そのほとんどは再現不能の小破片ですが、九州に1館と
 鳥取県智頭町歴史民俗博物館では修復品が見られます。大変大きな土器です。

※ただ、この時期から、薄手の先進的な土器がはやります。
 その中に北白川下層式土器があります。この土器は、この半島系土器技術によって成り立った土器ではないかと思います。そんな論文も見たことあります。
 

 170編かごの技法 (編み目)
東名では700点以上の編かごが出土し、様々な編組技法が確認された。
技法は編み目として様々な文様を浮かび上がらせ、そこから縄文人の豊かな感性を窺い知ることができる

ドングリ水漬け用の大型かごには、ムクロジとイヌビワのヘギ材が使用され、
運搬用の小型かごには、ツヅラフジとテイカカズラなどのツル植物が使用されている。
素材によって技法が違い、編目も異なる。

多くが波形網代や連続桝網代など、装飾性に富む複雑な技法を使用しており、縄文人のものづくりに対するこだわりも垣間見ることができる。

※編み物の技術は縄文前期にもうすでに完成していたんですね。

 171
編かご技法のほとんどが、縄文早期(8000年前)から存在していた 編組技法模式図
ござ目、飛びござ目、
木目ござ目、
2本飛び網代

波状網代
連続桝網代

六つ目、2本もじり、
3本もじり
素材植物(大型かご)
大型かごの素材
 へぎ材

ムクロジ(72.7%)
イヌビワ(20.1%)
小型かごの素材 小型かごの素材
 ツル材

ツヅラフジ(47.4%)
テイカカズラ(15.6%)
 172編かご
大型編かごSK2160
大型かこSk2160復元品
ござ目・もじり・2本飛び網代
SK2160(体部イヌビワ)
2本飛び網代
2本飛び網代 連続桝網代
 173
AM2080編かご
体部ムクロジ
六つ目
Am2080小型かご 六つ目
 174
AM2016編かご
体部ムクロジ
連続桝網代
編かご AM2016小型かご
ござ目・連続桝網代
小型かご復元品
ござ目・連続桝網代
 175

AM2154編かご
体部ツヅラフジ
連続桝網代
AM2184小型かご 小型かご復元品
 176
AM2078
編かご
テイカカズラ
2本もじり
復元品 AM2078
小型かご

※潰れて出土した編みかごの印象から、それを復元できるなんて、当時は凄い名人がいたんですね。

 177
貯蔵穴の利用
早川和子
谷部での最小個体数
 土器約240点
 編かご約244点
素材束の水漬け
大型かごは水漬け用
小型かごは運搬用
 採集地-居住地-水場

大型かごの底部は補強されていないため底が抜ける。
採集の様子
早川和子
 
 178貯蔵穴の利用
小型かごAM2061 AM2061編かご
ムクロジ
ヨコ添えもじり
組縄T24918
3本組縄
ワラビ製
お盆を過ぎた蕨は堅いので、水漬け叩きで繊維を採り縄に編んだらしい。
 

 200道具の形
自然素材で製作する道具類は、用途に合わせて素材の質や形状を選択している。遠隔地への
素材の採取、細部の加工、道具から縄文人のものづくりに対するこだわりや感性をうかがい知ることができる。
【石器】
食料を獲得したり、加工したり縄文人が生きていくために欠かせない道具である。
用途に適した石材を選択し、遠隔地から入手していたことがわかっている。
【貝器】
 ハマグリの縁を打ち欠き、刃部加工を施した貝刃が少量出土している。魚のウロコ取りに使用された可能性がある。
【骨角器】
 鹿角はアクセサリー以外にも、様々な道具の素材として利用された。角の形状を利用した鹿角斧(土堀具)やハンマーなどが出土している。

 201パネル
道具の形 道具の形 狩猟の様子
早川和子
漁撈の様子
早川和子
 202石鏃
石鏃
上段:カッコイイ矢じり。サヌカイト
下段:小型の矢尻(小動物用?)
  中央はサヌカイ、他は黒曜石
石鏃
右2点は銛か?右から2点目チャート、他はサヌカイト。細刃付き。

石銛、サヌカイト製
 203石匙
石核
左:黒曜石、右:讃岐石

サヌカイト剥片
石匙(二本把手)
サヌカイト。つまみが2個の石匙。通常は1個。
エスキモー道具で見たかも
異形石器
抉入り用途不明石器
大:サヌカイト
他は:黒曜石
(用途)不明石器
男根を模した?
左:砂岩、右:蛇紋岩
 207骨角器
鹿角製の
斧とハンマー

鹿角斧は土堀具
ハンマーは角の枝を切断し使いやすいように形を整えている
貝刃

ハマグリ。縁を打ち欠き刃部を作る。
蛤は近隣では採れない
石皿と磨石
安山岩製。扁平な石皿。丸い磨石。用途に応じて形状を選んでいる。
棒状の磨石はこの1点のみ。
 

 210装身具

 211縄文のおしゃれ
縄文人は現代人に負けないくらいオシャレだった。貝殻やシカ角、動物の歯や牙などを使って様々なアクセサリーを作り、身を飾った。
貝製アクセサリーの素材には、食用の貝ではなく、海岸に打ちあがっている貝殻を使用した。

中には鹿児島県以南の南島産の貝殻を使ったものもあり、希少で奇麗なものを身につけるという流行が、縄文時代の日本で、既に全国的に広がっていたことがわかっている。
また、シカ角製の列点文装身具は、縄文人の高い技術力と美意識の高さを窺い知ることができる逸品である。
オシャレへの執着は、縄文人も現代人もかわらないようだ。

゛縄文のおしゃれ アクセサリー作り
早川和子

木製櫛
貝玉・ネックレス・ペンダント 貝輪・ブレスレット

ヘアピン・ピアス
骨角製・鹿角・魚骨

ネックレス・ペンダント
鹿角・鳥骨・牙玉
ブレスレット・アンクレット 貝製

 213貝製品
海器(かいき) 貝輪
クマサルボウ
マツバガイ
オオツタノハ
ベンケイガイ
貝垂飾
ハナマルユキ(宝貝)
クチベニガイ
貝小玉

ヤカドツノガイ
マツムシ類
    ブレスレット
外海の貝輪も多い。特にオオツタノハは種子島以南の所産。
左は現生貝。 
  さげ飾り
・ハナマルユキ(タカラガイ)、クチベニガイ。左は現生貝
貝ピーズ
多くをフルイ餞別二より回収。 
 215角牙製品
骨角器 列点文装飾品と
骨垂飾
列点文装飾品
 鹿角製腰飾りか。
 造形的に優秀
骨垂飾 骨垂飾
 さげかざり。
 イノシシ犬歯
骨角器 骨垂飾
左:ツキノワグマ犬歯
中:イヌ科犬歯(鋸歯文)
右:サメ歯
骨垂飾
大型鳥類の四肢骨
(線刻)
骨垂飾
エイ・サメ類椎骨(穿孔)
耳飾り(ピアス型)
 219鹿角製品
鹿角製腰飾り
(短剣状腰飾り)
鹿角製髪針 ヘアピン(髪針)
 


  籠製品

 220大型編かご SK2160編物
袋状で゜口が狭く、底付近が幅広になった下ぶくれの形を下かごで、高さは88cmを測る。中央よりやや上には
ツル植物(ツヅラフジ)が編み込まれ(帯部)ている。
体部はイヌビワを1cm程の幅に割り裂いて使用している。、

大型編かご
 230木製品
 231
 弓状製品
 いずれも丸木弓の一部と考えられる。
左は表面に樹皮を巻き付けており、飾り弓の可能性がある。
右は弓筈ゆはずと考えられる溝がある。
堀り棒
櫂状木製品
弓状製品 弓状木製品
掬い具(杓子)
ピンボケ
縦11.5cm、幅7.1cm
結歯式
竪櫛
 235縄と素材
結束縄
組縄
素材束 ワラ縄でなく、カヤ(ススキ)が作る縄は本当に硬く作りにくかっただろう。だから、カヤを束にして水漬けして柔らかくしていたのだ。
 237堀棒と櫂

堀棒74cm尖った方で掘り、平たい方で土を掻き出した。
櫂状製品
117cm
 
 240水に関わる祭
 241水に関わる祭り(縄文時代)
 人面状木製品(仮面)を用いた「まつり」の場面を描いたものです。現在でも佐賀平野の切通川から佐賀江川流域の広い範囲(満潮時に塩が遡上してくる地域)で行われている「シェーとり祭り」を参考にしました。
 これは有明海の潮水を天狗の面にふりかけ、氏神ヘ迎え入れることで、その地区の安泰を祈願するという行事です。
天狗の面を棒の先に取り付けて行われています。
直接つながるわけけではありませんが、8000年経っても人の精神文化は変わっていないのかもしれません。

水に関わる祭り 水に関わる祭り

 242シェーとり祭り(現代)
 「シェーとり祭り」は、佐賀平野の切通川から佐賀江川流域の広い範囲(満潮時に潮が遡上してくる地域)で行われている神事。
有明海の潮水を天狗面にふりかけ、氏神へ迎え入れることで、その地区の安泰を祈願するという行事で、天狗の面を棒の先に取り付けて行われている。
ちょうど人面状木製品も海面が上昇する時期の所産で、不安定な海域に対して安泰を祈願したものかもしれない。

この祭が8000年もの間続けて行われてきたわけではないが、佐賀の独特な風土の中で育まれてきた精神文化は、8000年の時を越えた繋がりを感じさせる。写真は神埼市千代田町加納地区での行事の様子。

シェーとり祭り シェーとり祭り
シェーとり祭り
 245
円形皿 未成品
直径30~33cm
皿状容器 ニレ材
把手付皿
把手付片口皿
鉢状容器
木の瘤を刳り抜いて作成 ケヤキ製

用途不明板状製品
人面(仮面)にも見える。
周りに複数の穴があり、縄等で固定されていた可能性がある。
クスノキ
 


 250三体同時に埋葬された人骨

何らかの原因で同時期に゜亡くなり葬られたものと考えられます。
 人骨A→人骨B→人骨Cの順に、いずれも屈葬の状態で埋葬されていたようです。
3体とも男性と推定されますが、年齢は不明です。比較的骨も太く、頑丈な体つきであったようです。

 251三体同時に埋葬された人
 253埋葬人骨
 256発掘調査風景
 
 260廃棄物
 261
カキ
スミエガキ・マガキ。貝類は全て現生より大きい ヤマトシジミ ヤマトシジミ(奥)
東名で最も多い

ハイガイ(手前)
殻が厚く大きい。貝層中最も目立つ
石器
石器(奥)
石器製作素材。剥片と呼ばれる。

土器(手前)
塞ノ神式土器の破片
(せのかんしき)


東名からは大小の礫が沢山見つかる。
中には石器を作るために持ち込まれた礫や
、焼き石調理の礫も含まれる。


 263鹿角製品(列点文装身具)の製作工程
鹿角製品
列点文装飾品
の製作
列点文装飾品
 264動物遺存体
ツル科脛足根骨 カモ科上腕骨
カラス属尺骨 カラス属尺骨 カラス属脛跗骨
スッポン大腿骨 スッポン背甲板
 268
ニベ科歯骨・角骨 スズキ属歯骨 クロダイ属前上顎骨 フナ属主鰓蓋骨 スズキ属主鰓蓋骨
ボラ科主鰓蓋骨
ナマズ胸鰭棘 エイ尾棘
 
 270
カモシカ骨 オオカミ骨
カモシカ骨
イヌ骨 イヌ骨 イヌ骨
アナグマ下顎骨 タヌキ骨 カワウソ骨
 273
イノシシ骨 イノシシ骨 ニホンジカ頭蓋骨 ニホンジカ下顎骨 クジラ類椎骨
アシカ上腕骨