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掲載にあたって
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五郎山古墳館の訪問当日は、特に企画展・特別展などはしていなかったのですが、次々と若い女性のグループ、若い男性のグループ。家族連れ、老夫婦など沢山の人が続々と訪れていました。2~3人の女性スタッフが丁寧に、案内をおこなっていて、大変親切でした。(普通はほったらかしですね。)
館内左側に巨大な装飾壁画のパネルと、絵画をミニチュアで表現した展示があり、室内右側はベンチと、解説用モニターが置かれています。
私はたまたま、その解説映画や、解説画面を全て写真に撮ったので、後で分かったのですが、この解説画面を見ないと実際のところ何もわからないということが、わかりました。(ホント、写真撮ってよかったです。いつもならそんなことはしないんだけど)
もし、記録していなかったら、単にレプリカされた壁画の写真を撮って終わっていたでしょう。
今回の掲載にあたってその、解説映像や、モニター画面を掲載しないと、この古墳館の内容が全く伝わらないので、掲載させて頂きます。
五郎山古墳のこと、その壁画のこと、そして、全国の装飾古墳のことが大変よくわかりました。
実は私は、装飾古墳と言えば、高松塚古墳やキトラ古墳のような壁画と刷り込まれていて、
しかしは、それは極少数で、国内の大半の壁画はもっと違った思想と技術と材料で描かれたものだと、教えられました。
ただし、高松塚古墳が見つかった頃、飛鳥地方を始め全国では乱開発が激しく、夜の間に発掘調査中の古墳がブルで破壊されたり、
何基もある古墳の一つを発掘調査するとその他の古墳は、あっという間に重機で破壊されていました。
高松塚古墳も、大谷大学の学生たちが身を呈して破壊から守ったものでした。ですから実際には、半島や大陸から招いた絵師によって大陸風に描画された古墳壁画はもっと多数あったと思われます。
現在、列島に残る絵画古墳はこれだけしかなく、それをよく知るために今回の五郎山古墳館はかかせないと思いました。 |
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目
次 |
01外観
10解説ビデオ
20「蘇る装飾壁画」
考察1
自然石の持ち送り積
考察2
装飾古墳が熊本に多いわけ
30解説VTR「黄泉の世界」
40五郎山古墳 複製石室
41羨道
43前室
45玄室 |
60ロビー展示
61玄室壁画の展示と再現
62絵画のミニチュア化
100ビデオコンテンツ
110五郎山古墳
112石室
113装飾壁画を描いた絵具
114装飾壁画の謎
120壁画
121悠然と空を飛ぶ鳥
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考察 鳥と埋葬
122はるか遠くに進む船
123鳥に導かれる船
130人物
131冠・冑をかぶる人
132力士
133騎馬人物
134膨らんだ衣装の人物
140武器・武具
142死者を守る1
143死者を守る2
150動作
151弓を引く人物
152動物の表現
153狩猟の儀式 |
考察 狩猟の図
160女性
161女性と建物
162祈る女性
170古墳に描かれた壁画
175彩色顔料
177古墳から出土した品々
190石室のかたち
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200全国の彩色装飾古墳
210彩色で描かれた装飾古墳
以後各地の装飾古墳
を解説
310装飾壁画の解析
320古墳の発見とその後 |
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01外観
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10解説ビデオ |
20「蘇る装飾壁画」
羨道から前室・玄室を
見る
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玄室壁画 |
重複 |
玄室 |
上部壁画 |
絵画 |
蕨文? |
石室上部
自然石を使った持ち送り式石積み※1 |
蘇る装飾壁画
五郎山古墳 |
福岡県筑紫野市 |
五郎山古墳位置 |
五郎山古墳 |
古墳遠望 |
俯瞰図 |
埋葬施設の建設過程
竪穴掘削 |
大石の設置 |
排水施設の構築 |
埋設 |
埋葬施設 |
竪穴式施設 |
蓋石の設置 |
二段築成
竪穴式横口墓の完成 |
羨道 |
玄室 |
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持ち送り式石組 |
玄室入口 |
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岩戸山古墳
6世紀 八女市 |
御塚古墳・権現塚古墳
5世紀 久留米市 |
懿徳太子李重潤墓
8世紀 中国 |
高句麗安岳三号墳
4世紀 北朝鮮 |
高松塚古墳
7-8世紀 奈良県 |
高松塚古墳
7-8世紀 奈良県 |
装飾古墳全国
約600基 |
半分が九州地方に分布 |
熊本>福岡>宮崎※2 |
北西部九州の分布 |
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竹原古墳
6世紀 若宮町 |
チブサン古墳
6世紀 熊本県 |
直弧文 |
同心円文 |
三角文 |
蕨手文 |
石室奥壁 |
奥壁壁画の復元図 |
馬・犬・勢子を伴う狩り |
四足動物の狩猟? |
血が出ている? |
四足動物の狩り |
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※考察1自然石の持ち送り式野面積みを考える
畿内古墳では、側壁に巨石を左右に並べ、その上にまた、巨石の蓋石を置く方法。石川県金沢市では、平たい割り石を積み上げて持ち送り積みにした技法。
しかし、ここでは大小の自然石を積み上げながら持ち送りにし、最後に蓋石を置く方法。
畿内の技法は、最も単純で、巨大な権力による建造。金沢では、朝鮮式と、銘打ってあるので、半島の建築技法そのままで、建造しやすい技法。
五郎山の場合、大小の自然石は滑りやすくそれを持ち送りに積むのは、大変高度な技術だと思う。野面積みは中世の城郭建築で有名だが、これは内側へ徐々に傾斜する積み上げ法。持ち送りで外にせり出す技法は危険で、見たことがない。
これまで気づかなかったが、このような高度な石積技法で作られた古墳を見逃していたのかもしれない。
滋賀の穴太衆(あのうしゅう、野面積み技法で有名)の技法がここに見られているのかもしれない。
※考察2装飾古墳が熊本に多いわけを考える。
大陸や半島貿易と言えば、すぐに博多湾と考えてしまうのだが、縄文・弥生時代には北部九州西部が交易港として栄えていた。
また、吉野ケ里遺跡は有明海での交易によって栄えた巨大遺跡である。
律令政府によって大宰府が置かれ、港湾の管理が確立するまでは、航海の便利さ、船舶の停泊の安全性などの利便性から、
有明海での交易が主流であり、大きかったのではないかと思われます。
ただし、春日市奴国の丘資料館(1・2か月後に掲示)などによると、奴国は博多湾交易で得た技術と材料でテクノポリスを運営しており、博多も盛んだったようです。 |
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30解説VTR2 「黄泉の世界」
映画に出てくる様々な謎は、別のモニター映像なども含めて、全てを見ると、最後にわかるようになっています。
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※感想
これら映像を見て、改めて、チグリスユーフラテス川流域で5千年以上前に始まった星信仰や神殿、死後の世界という宗教観がエジプトや東欧に広がり、それぞれの特有の文化を取り込んで発達し、シルクロードを通って中国大陸に持ち込まれ、そこでも中国の神仙思想を取り込んで列島に伝わり、
列島の小さな石室の中で、簡素な壁画や線刻画として今に伝わり、また、その神仙思想は、アイヌの死生観にも取り込まれていったことがわかる。
京都国立博物館の展示で見た島根県出土の、一般公開していない、船の形をした巨大な陶棺は、死後の世界へ旅立つ船であったと今わかった。
大変珍しい、重要なものであるにもかかわらず、公開せず、また、評価もされていないことは、大変残念ですし、その解説にはそのように記述もなかったことも大変残念です。 |
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五郎山古墳 複製石室
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40石室 |
41羨道
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43前室
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45玄室 壁画
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60ロビー展示
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61玄室壁画の展示と再現
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62絵画のミニチュア化
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動物 馬 |
動物 犬 |
騎馬人物
盾を持ち馬に跨る人 |
人物 矢をつがえる人
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人形と壁画の大きさは同じです |
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槍(矢)が刺さった猪 |
弓を射る騎馬兵 |
靫ゆぎ矢を入れる箱
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弓
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鞆とも
弓の弦から腕を保護する |
船 魂を運ぶ |
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両手を広げた人物
武装兵士
どう見たって戦勝の場面じゃないかな |
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100ビデオコンテンツ
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110五郎山古墳 |
111五郎山古墳 古墳後期 6世紀後半
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五郎山古墳はこの地域の首長を葬るために作られた墓で、治めていた地域を見晴らすことができる小高い丘の上(標高66m付近)に造られました
古墳の形は円墳(直径約32m)の、二段築成で、外側には周溝(幅平均2m、深さ平均0.3m)が1条巡っています。
副葬品は残念ながら盗掘され、よくわかりませんが、発掘調査や(伝)五郎山古墳と言われる資料から、土器・装身具・武器・武具・馬具があったことがわかっています。
古墳が造られた時期は、古墳時代後期(6世紀後半と考えられています。 |
五郎山古墳 |
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墳丘全景 |
(伝)五郎山古墳出土遺物
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出土須恵器 |
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112石室
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石室は横から入る横穴式で、平野を見下ろす南西向きに入口があります。
出土した土器などから、6世紀後半から7世紀前半まで何度か追葬されたようです。
石室の構造は、入口から前室、奥に玄室という2つの部屋があり、入口から玄室の奥壁までの距離が約11mです。
玄室は幅約3m、奥行約4.2m、天井までの高さは約3.5mです。
前室と玄室には装飾壁画が描かれており、その数は約80点にのぼります。
実物の石室は、装飾壁画を保存するためにガラス扉で密閉して外部から遮断し、環境を一定に保つように管理しています。 |
石室 |
石室
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石室の構造 |
石室の環境調査 |
石室内の環境観測機器
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113装飾壁画を描いた絵具
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五郎山古墳の装飾壁画には、赤・緑・黒の3色が用いられ、その素材は、赤=弁柄、緑=緑土、黒=木炭です。
素材を細かく磨り潰し、膠で溶いて絵具としていたようです。
石室の石材は花崗岩で、キャンバスを整える下塗りはなく、石材に直接描いています。石材に色を乗せることは難しく、専門の技術者がいた可能性があります。
近年顔料の科学的研究が進んでおり、緑が緑土の中でもセラドナイトであること、中国大陸の影響を受けた高松塚古墳の顔料とは各色の素材が異なっていることなどがわかってきました。
※九州の壁画は、顔料の入手先も、絵画職人も、描画思想も、高松塚・キトラ古墳とは全く違っていた。 |
装飾壁画を描いた絵具 |
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石材の上の顔料の状況 |
壁画実験 |
ベンガラを膠で溶く |
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114装飾壁画の謎
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五郎山古墳の装飾壁画の特徴は、人物、動物、武器、武具、建物や船などの多様な具象画が描かれていることです。
それぞれの配置は一見バラバラに見えますが、よく見るといくつかの場面を表しているようです。
奥壁の中央には翼を広げた鳥、一番下に波切り板を持つ船が配置されています。
数あるモチーフの中でも船は、大小6艘もあり、その中には方形の箱が乗っています。
当時の人々がどの様な思いでこの壁画を描いたのか、鳥に導かれる複数の船にその鍵が隠されているようです。
装飾古墳に描かれた文様をも同時代の埴輪などの資料から解き明かし、原寸大の石室模型を冒険して、古墳時代の人々の思いに振れてみましょう。 |
装飾壁画の謎 |
装飾壁画の謎 |
玄室奥の壁画 |
赤い丸は太陽。黒と緑の二重丸は月。
6艘の船は、1回の本葬と、5回の追葬が行われたということか。
右端には矢を入れる靫ゆぎがあり、
左端には建物と馬が何頭も描かれている。
狩猟の場面と、黄泉の世界への船出を描いているのか。
何度も書き足したかのように思えるが、百年も同じ顔料と描画方法とは考えにくい。一度だけの描画かな。 |
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120壁画 |
121悠然と空を飛ぶ鳥
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奥壁の一番下の大きな石(腰石)に、ひときわ目立つ緑の壁画があります。
これは両翼を広げた鳥の姿と考えられ、その幅は約50cmもあります。人物などと比べても大きく描かれており、重要なモチーフであると考えられます。
他の装飾古墳でも彩色や線刻で描かれており、遠くは東北でも確認されています。近年、翼を広げた鳥の形の埴輪も発見されています。
鳥が悠然と大空を飛ぶ姿は、当時の人々にとって特別な意味か゛あったようです。
※考察 鳥と埋葬(東北の鳥絵は九州人が盛んに関東などへ進出占領したのでそのため広まったのかもしれないが)
鳥が死者を導くという思想は、以前からあったようだ。
風葬にして鳥や動物に食べさせる。鳥葬という、チベット仏教以前からの風習で、死体を切り刻んでハゲタカに食わせる。
しかし、これと、黄泉の国(穴倉)とは全く別思想であり、自然に返すのが古来で、穴倉に入るのは古墳に伴う思想変化か。
ただし、この鳥埴輪は、鷹匠がいないが、鷹狩(ユーラシアモンゴルの狩猟技法)の埴輪なのか? |
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122はるか遠くに進む船
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前室に2艘、玄室の奥壁に1艘、右側壁に2艘、左側壁に1艘の合計6艘の船が確認されており、
船の先端が2つに分かれている様子を色を変えて強調して描いています。
これは木を刳り抜いた丸木舟ではなく、遠く外洋に出るために波切板を備えた準構造船であることを示しています。
船のモチーフは、装飾壁画以外にも古墳に据える埴輪などにも見られ、天理市東殿塚古墳出土の円筒埴輪には船を漕ぐための沢山のオールも刻まれています。 |
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123鳥に導かれる船
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鳥と船は組み合わせることに意味があるようです。
珍敷塚古墳では船の舳先に鳥が乗っています。弁慶ヶ穴古墳では、船に乗った馬や箱が描かれ、箱の上には鳥の姿があります。
鳥と船が何を示しているのか、その答えの鍵は左側壁に描かれた船にあります。
左側壁の船は、中央に方形の箱が乗り、周りには瞬く星を表す珠文しゅもんという黒い丸が描かれています。
棺を乗せた船が鳥に導かれ、遥か彼方を目指して海を静かに進んでいる姿と考えられます。
たくさん描かれた船は、古墳の石室が死後に向かう黄泉の世界であると示しているようです。 |
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130人物 |
131冠・冑(かんむり・かぶと)をかぶる人
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(五郎山古墳の壁画には)
馬にまたがる人や弓矢を構える人など、様々な人物が描かれており、人々は両手や片手をあげています。
片手の場合、主(おも)に 向かって左手をあげています。
装飾壁画は、特徴的な部分を強調してシルエットのように表現している可能性があります。それでは、同じ時代の埴輪などから、
どの様な姿、役割の人々か想像してみましょう。
目の前に広がる奥壁の一番下の大きな石の右側に、靫(ゆぎ)の横に特徴的な頭の形の人物が描かれています。他の装飾古墳にもみられ、各地の古墳から出土する冑や冠などの形に似ています。生前の首長の姿を表したのでしょうか。 |
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132力士
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(五郎山古墳の)
奥壁の一番上の人物は左側の手を悠然とあげ、右側は腰にあて、どっしりと立っています。足は赤で描き分けられ、靴を履いているようです。
この人物は力士と考えられ、地面を踏む地鎮の儀式を表しているようです。
埴輪を見ると靴や、腰に鈴をつけた例もあり、音も大きな役割を果たしたのでしょう。また、埴輪では顔に色を塗っている例もあります。 |
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133騎馬人物
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(五郎山古墳)奥壁の中央の五角形の石には、馬にまたがり弓を引く人物がいます。
赤で色分けされた頭部には何かをかぶっており、自分の背丈ほどもある弓を構え、今にも矢を放ちそうです。
馬のお尻には赤で縁取りされた弓なりの表現があり、その右上に緑の四角が描かれています。
(これは)酒巻1号墳出土の埴輪を参考にすると、蛇行状鉄器というソケット状の馬具に旗を立てている姿のようです。
騎馬文化は半島に由来し、馬も馬具もとても貴重なものでした。騎馬人物と馬の手綱をひく馬子の埴輪がセットで出土している例もあり、五郎山古墳の装飾壁画を考える上で、とても参考になります。 |
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134膨らんだ衣装の人物
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(五郎山古墳)奥壁の弓を引く騎馬人物の左下に、膨らんだ衣装の人物がいます。
頭と胴部と足は赤、ズボンは緑で描き分けられた特徴的な衣装です。
各地の埴輪をみると、上衣は長い筒袖、下のズボンは膨らみ、頭には帽子を被っています。
これらの衣装は、朝鮮半島や中国大陸の服装の影響を受けていると言われています。 |
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140武器・武具 |
141武器・武具
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(五郎山古墳の)奥壁の腰石(こしいし)に靫(ゆぎ)が 3点と、弓、鞆(とも)が描かれています。
靫とは矢尻を上にして矢を納める入れ物で、背中に背負います。
鞆は、弓を射た弦が直接当たらないように腕に巻く道具で、左手につけることが多いようです。
靫や鞆の実物は、木や皮などの有機質で出来ているためにほとんど今に残らず、武人埴輪に装着している姿を見ることができます。 |
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142死者を守る1
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(五郎山古墳)石室に武器・武具を描く古墳が他にもあります。
桂川王塚古墳では、靫や盾、大(太)刀、などを組み合わせて石室のいろいろな場所に描いています。
岩盤を横に刳り抜いて墓にした鍋田27号横穴は、入口の横に弓を引く人物や武器・武具を浮き彫りにしています。
このように沢山の武器・武具を墓に描く理由としては、埋葬された人を守るための破邪が考えられます。 |
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143死者を守る2
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また、これらの弓や靫、鞆などの武器・武具を石製品や埴輪で作り、古墳に並べている例もあります。
八女市の岩戸山古墳は、武器や武具の石製品で墓を飾っています。
素材や表現方法は違えども、当時の人々が埋葬された人を守ろうとする思いは同じだったようです。 |
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150動作 |
151弓を引く人物
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(五郎山古墳玄室)奥壁中央の鳥の下に、弓を引く人物がいます。
弓を引く人物は、泉崎4号横穴(福島県泉崎村)や田代太田古墳(佐賀県鳥栖市)などにも見られ、五郎山古墳や泉崎4号横穴の場合、
矢の向かう先には動物が描かれています。 |
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152動物の表現
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(奥壁の)弓を引く人物は、頭と腰を赤で塗り分け、矢の先には足の長い動物が描かれています。
同じように中央の靫の右側にも動物が描かれ、背中に赤いものが刺さっています。
群馬県の保渡田Ⅶ遺跡や太子塚古墳から出土している埴輪を見ると、これらの姿は狩人と手負いの動物で、足の長いものが鹿、短いものが猪のようです。動物(埴輪)の背中には、鉄製の矢じりが粘土で表現され、赤い顔料で血も表現されています。 |
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153狩猟の儀式
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これらの狩人と猪の埴輪が、保渡田八幡塚古墳で復元されています。狩人は三角の帽子を被り、弓を引いています。その先には血を流す猪の埴輪が、猪の正面には犬の埴輪が配置されており、狩猟の風景を表しています。
五郎山古墳奥壁の腰石の左下にも盾を持ち騎馬人物、動物2頭、手を広げる人物が描かれています。
埴輪を参考にすると、動物は猪などを追う犬、手を挙げた人物は犬を操る勢子の可能性があります。これらの狩猟風景は、その土地の動物を狩ることで力を得る儀式、または、大きな力を持つものを打ち取り首長の力を誇示する儀式など様々な説があります。
考察 狩猟の図
※ただの私の記憶だが、東欧や中央アジアから中国に伝わった石室墳墓の思想は朝鮮半島を通じて列島に伝播した。
最初の東欧や中央アジアの墓室内には狩猟の絵が見事な色彩で描いてあり、王族が楽しむ姿を表したと聞いていた。
それが列島では、乏しい絵具とみすぼらしい筆で、稚拙な表現で「勇壮な狩猟の図」を描こうとしたものと考えていた。
ところが上の解説によると「(土着の)大きな力を持つものを打ち取り、首長の力を誇示した」とは、
土着民を武力で征圧し、その征服戦争の様子を、相手を人ではなく獣として描き、その戦闘を狩猟としてあざけて表現した。とも考えられる。
それは意味の深い考え方で、
奈良の装飾古墳の天井に描かれた星の図は、チグリスユーフラテス文明の星信仰を表したものです。狩猟図はその西側の東欧文化を取り入れたものと考えています。
半島人たちは縄文の大地を開拓にやって来た。
その後を追って、その収穫物や、開拓農地や、港湾やムラを奪いにやって来た者達がいた。
更には、もっと大きな武力で多数の村々を征服し広大な領土を支配して、王になろうとやって来た征服者たちがいた。
彼らにとって農民は単なる征服の対象であり、征服してしまえば奴隷にするのだから、虫けらや、猪や鹿に例えて殺しても心は揺るぎもしなかっただろう。
だから人を狩猟動物に例えたのかもしれない、という考え方は、穿った考えである。矢筒ではなく、戦闘用の沢山の矢を入れた靫はその意味か。
そう考えれば、東欧の王族が、侵略戦争の武勲を描かず、なぜ狩猟図を描いたか。
本当に、野戦の訓練である狩猟の図を描きたかったのか、それとも、それは人殺しは狩りと同じ、言ってみれば、心を爽やかにするスポーツと同じと考えていたから、だったのかもしれない。 |
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160女性 |
161女性と建物
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奥壁の左側に、赤で描かれた、手を挙げている人物がいます。衣装の裾がふんわりと広がっているため、女性と考えられます。
各地の女性の埴輪を見ると、裾の広がった衣装に襷掛けの上衣を着ており、髪の毛を髷まげに結上げいるようです。
壁画の人物のあたまが 黒で塗り分かられているのは、その髷を表現しているようです。
五郎山古墳壁画の女性の目線の先には、3色で色分けされた、角(かど)が飛び出た四角い箱が見えます。
これは切妻造りの建物で、その中心には赤い点が描かれています。 |
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162祈る女性
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この、建物に向かう女性は何をしているのでしょうか。
同じような構図の壁画が、福島県の泉崎4号横穴に描かれています。二人の女性が向かって右側に手を掲げており、左の人は何かを持っているようです。
埴輪の女性達も両手で壺などを捧げ持つ例が多く、儀式を行う巫女の姿と考えられます。
建物に描かれた赤い点が死者の魂だとすると、葬送の儀式での、鎮魂の祈りの風景を描いているのではないでしょうか。 |
祈る女性 |
祈る女性 |
泉崎4号横穴奥壁 |
泉崎4号横穴発見当時の祈る女性
泉崎村教委 |
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170古墳に描かれた壁画 五郎山古墳 |
171古墳に描かれた壁画
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五郎山古墳の壁画は、玄室の奥壁を中心に、側壁と玄門の袖石に描かれています。
壁画は全部で79ヶ所にあります。赤、黒、緑の三食が使われ、描かれた当時は鮮やかな色彩を放っていたと思われます。
この壁画に古代人が何を描きたかったのかは謎に包まれていますが、魂を黄泉の国へ運ぶと考えられた「船」や、魂を守護するための「靫」や「弓」などの武具が、人物などよりも大きく描かれていることから、これらの壁画が“死者への鎮魂”を願っていたものと思われます。
人物系や動物系などの壁画は“死者の生前の姿”を描いたのではないかとも考えられます。
人物系=騎馬人物・人物
動物系=馬、猪、犬、鳥など
器物系=靫・鞆・弓・旗・建物・船など
文様系=同心円文・円文・三日月文・珠文など
注意
靫 ゆぎ、は、 靭 とも書く。靭は靭ジン、ニン、しなやか、うつぼ と読む。 靫はサイ、セ、うつぼ、ゆぎ と読む
しかし、調べると、靭 靫 となり、日本に来て意味が混同されている。同じ意味として通用している。
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古墳に描かれた壁画
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壁画の種類
人物系=騎馬人物・人物
動物系=馬・猪・犬・鳥
器物系=靫・鞆・弓・旗・建物・船など
文様系=同心円文・円文・三日月文・珠文など |
五郎山古墳奥壁絵画 |
珠文、㉑船
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同心円文、②人物
①動物⑧人物
③騎馬人物、旗 |
円文
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⑯家⑮人物⑫動物
⑪動物⑬騎馬人物
動物⑭人物,騎馬人物
⑱鳥⑰人物㉒靫
朱文
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鳥?㉒靫,珠文,文様
⑦靫⑥弓⑤鞆④靫
⑨人物,同心円文
動物⑩動物,人物,船
人物,三日月文,
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珠文、珠文、⑳船⑲船 |
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175彩色顔料
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176壁画に使われた顔料
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五郎山古墳の壁画は、赤、緑、黒の三色を使って描かれています。
赤にはベンガラと呼ばれる赤鉄鉱(代謝石)、緑は緑土、黒は煤や炭を、それぞれ粉末にした顔料を膠などで溶いて描かれたと考えられています。 |
壁画に使われた顔料
古墳から出土した品々 |
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壁画に使われた顔料 |
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177古墳から出土した品々
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五郎山古墳の副葬品は、以前に盗掘されたり、行方不明になったものもあり、全体はよくわかっていません。
しかし、調査した時の記録などによれば、次の(下の表の)出土資料がわかっています。
このことから、被葬者の埋葬時には豊富な副葬品が備えられていたと考えられます。
※昭和22年の石室陥没時の発掘調査とその記録ですが、戦後のどさくさもあったかもしれませんが、発掘調査とはならず、昭和の盗掘が行われたと考えられます。出土遺物を発掘者や、有力者が欲しがって盗んでしまうことはよくありました。
私の同級生の大平某なる発掘調査員が私の伯父が調査団長を務めた発掘で出土した丹塗りの土器を盗んで返却しませんでした。ドロボーだな。
そんなものを盗んでも何にも使いようがないのに、盗んでいるんです。研究もしてないし、ただの窃盗癖のある男でした。
どうせ古物商に売って銭儲けをしたのでしょう。悪質な男でした。こんな奴が結構多い。
以前、「鑑定団」という番組で、古物商から何千点も土器を買い集め、そのコレクションだけで博物館が作れるという金持ちが出ていました。
一度発掘品を盗んで売ると、なん度でも繰り返すのでしょう。そんな発掘調査員が山ほどいるようです。
そういえば、瀬戸内海の岡山県の遺跡出土の人骨を何体も京都大学に預けたが、全身骨格が1体分が行方不明となっている。うっパラったようです。 |
古墳から出土した品々 |
遺物実測図 |
碧玉製管玉
ガラス製小玉
刀子
金環
刀装具 |
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須恵器 |
坏蓋・坏身・高坏
長脚高坏(有蓋・無蓋)
盌・椀・堤瓶・平瓶・甕 |
土師器 |
碗 |
装身具 |
ガラス製勾玉・碧玉製管玉
ガラス製小玉・金環・銅釧 |
武器 |
鉄鏃・刀子・刀装具 |
馬具 |
心葉形杏葉(鉄地金金銅張) |
その他 |
砥石 |
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178古墳から出土した品々
五郎山古墳出土品 |
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ベンガラ(中国)
赤鉄鉱(魚卵状) |
木炭と煤 |
緑土terre verte |
絵膠
装飾壁画顔料サンプル |
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180五郎山古墳出土須恵器
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須恵器 平瓶 |
須恵器 提瓶さげべ |
須恵器 坏身・蓋
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須恵器 盌まり・ワン
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190石室のかたち
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五郎山古墳の石室は、複式横穴式石室と呼ばれるもので、玄室・前室・羨道からなり、一部を除きほぼ完全な形で残っています。
全長は約11.2mで、細長い羨道を通って被葬者を安置した玄室に至ります。
横穴式石室は、築造後も羨道を使って出入りすることができ、五郎山古墳の場合も最初の被葬者を埋葬したあと2~3代にわたって追葬が行われたと思われます。 |
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石室のかたち |
石室のかたち |
石室展開図 |
左側壁
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玄室奥壁 |
底面部、右側壁 |
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200全国の彩色装飾古墳
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210彩色で描かれた装飾古墳 |
211彩色で描かれた装飾古墳分布図
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彩色のみで装飾を描かれたもの(古墳)は、全国で約160箇所あります。一番多い九州が 約120ヶ所で、東北地方が25箇所と続きます。
九州の中でも福岡県が一番多く、約50箇所、次に熊本県約40箇所。関東や近畿、中国地方では一桁台にとどまり、東北地方以外では九州に分布が密集することがわかります。 |
彩色で描かれた装飾古墳分布図 |
彩色で描かれた装飾古墳分布図 |
九州
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山陰・畿内 |
北関東・東北太平洋側 |
北関東から東北太平洋側に多いのは、北部九州から、船で大量にこの地域に移住したからです。
移住にあたっては、地域首長をだまし討ちにして殺害したりしました。 |
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212清戸迫横穴
所在地 福島県双葉郡双葉町 二葉町立小学校の敷地内
時期・形状 7世紀 横穴墓
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国指定史跡。東日本大震災後、保全と継承の観点から東北大学総合学術博物館が三次元計測を行いました。
日本における彩色壁画の最も北に位置しています。 |
清戸迫76号横穴墓
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赤の彩色で様々な文様が描かれています。最も特徴的な渦巻は東北地方に特色がある文様で、太陽ではないかと言われています。
他にも、冠もしくは帽子を被った大きな二人の人物や騎馬人物、狩猟の風景とみられる弓を射る人物、犬、鹿、猪が描かれています。
※太陽が東北地方で特徴的ということは、我々は太陽の国から来たんだ という意味でしょうか。(日輪=九州のことですね。)
それとも、東北地方の日照の少なさから、太陽を求めているのでしょうか。多分前者でしょうね。 |
清戸迫横穴 |
清戸迫横穴 |
保存施設 |
76号横穴墓装飾図
渦巻文 騎馬人物
狩猟風景
(狩人・弓矢・犬・鹿・猪) |
76号横穴墓
福島県双葉町教委
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213虎塚古墳
所在地 茨城県ひたちなか市大字中根
時期・形状 7世紀 前方後円墳
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国指定史跡。ひたちなか市埋蔵文化財センターに石室内壁画の実物大模型が展示してあります。 |
奥壁
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石室の天井・床の前面が赤で塗られています。壁面は白色粘土で下塗りした後、赤で描かれています。
奥壁の環状文2個は、太陽と月や蛇の目※などの解釈があります。
天井付近には連続三角文、
左壁には円文9個と鎧、
右壁には靫2個と盾3個、渦巻文、頸玉、鐙が描かれています。 これらは魔除けのために描かれたと考えられます。
※死者の魂がやがて蓬莱山に導かれて行く道程で、魔物が取り付いて昇天できなくなることから守るために、魔除けのまじない文や、護身用武器武具が必要だったのか。
※「蛇の目」はヘビの目ではなく、じゃのめです。沢山の格子目があると魔除けになるということで、近年まで魔除けとして用いられてきました。 |
虎塚古墳 |
虎塚古墳 |
全景 |
出土鉄製品一括資料 |
奥壁
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右壁 |
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214チブサン古墳
所在地 熊本県山鹿市城字西福寺
時期 6世紀初頭
形状 前方後円墳
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国指定史跡。山鹿市立博物館に予約してガラス越しに石室内を見学することができます。
古墳の入口や熊本県立装飾古墳館・県立美術館に石屋形のレプリカが展示してあります。 |
石室内石屋形
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壁画は、主に石屋形内壁に赤・白・黒で描かれています。
正面の連続菱形文と同心円が昔の人々には女性の乳房に見えたことから、乳の神様として信仰されていました。
左側石には連続菱形文上に円文があり、
右側石は全面を赤で塗った後、上段に白い円文8個、下段に両手を広げて冠を被った人物を白色で描いています。 |
チブサン古墳 |
チブサン古墳 |
全景 |
石屋形左側石
熊本県立装飾古墳館 |
石屋形右側石
熊本県立装飾古墳館 |
石室内石屋形
熊本県立装飾古墳館 |
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215珍敷塚古墳
所在地 福岡県うきは市吉井町富塚
時期・形状 6世紀後半 形状不明
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国指定史跡。石室は、うきは市吉井歴史民俗資料館に予約して見学できます。 |
装飾は
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装飾は、赤・青の彩色と石の地肌を利用した3色の色合いで構成されています。
下部に4段描いた太い線の上に、大きな靫を3個配置し、その間に大きな蕨手文が描かれています。
鳥がとまる船には、冠を被った人物が櫂を持って乗っています。
他に盾を持つ人物や2匹のヒキガエル、同心円文などが描かれ、線だけでなく点も多用しています。 |
蕨手文
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蕨手文はワラビの形に似た渦巻状の文様で、呪術的な意味合いがあると考えられています。
「ひきがえる」は古代中国では月の生き物と言われていました。
靫を大きく描いたのは死者を守るためと思われ、船の船首には鳥が静止しています。
これらの文様は、死者が太陽のある陽の世界から、月の支配する陰の世界へ、鳥の導く船で旅立つ様子を表していると言われています。 |
珍敷塚古墳 |
珍敷塚古墳 |
蕨手文 |
全景 うきは市教委 |
石室壁画
九州国立博物館 |
日下八光氏復元模写
国立歴史民俗博物館 |
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蕨手文、ヒキガエル |
靫、鳥と船 |
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216竹原古墳
所在地 福岡県宮若市竹原(諏訪神社境内)
時期 6世紀後半
形状 円墳
玄室奥壁
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玄室入口の左袖石に北を守る玄武、右袖石に南を守る朱雀と見られる絵が描かれています。
奥壁には翳さしばや龍(四神の青龍か)、波形文の上に船や三角連続文(旗)、馬を牽いた人物が黒・赤で描かれています。
四神とは、東西南北に動物の形をした上が配置されて四方を守るという中国の信仰で、竹原古墳にはこのうち白虎以外の三神が、大陸の影響を受けて描かれていると考えられています。
※すると「西の白虎」は石室入口の閉塞石の内側に描かれていたことになる。 |
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竹原古墳全景 |
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左袖石
九州歴史資料館
日下八光氏現況模写
国立歴史民俗博物館
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右袖石
九州歴史資料館
日下八光氏現況模写
国立歴史民俗博物館
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日下八光氏復元模写
国立歴史民俗博物館 |
玄室奥壁
九州歴史資料館 |
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217王塚古墳
所在地 福岡県嘉穂郡桂川町寿命
時期 6世紀中頃
形状 前方後円墳
副葬品
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土師器や須恵器、鉄製品などが出土しています。また、変形神獣鏡にはこれを包んでいた麻布のようなものが付着していました。
その他、管玉や棗玉、切子玉、耳環、銀鈴なども出土しています。 |
玄室
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石室前面が赤・黄・黒・緑で彩られ、国内の装飾古墳で最多の色が使われています。
袖石には人物が乗る黒色の馬と赤色の馬が描かれています。
玄室内の石屋形と左右の側壁は連続三角文、玄室の上部から天井までは円文が密集しています。
右側壁や石屋形前の左右の燈明台などには靫の他、蕨手文や双脚輪状文、同心円文が見られます。
他にも玄室袖石裏には大刀、左側壁には盾など王塚古墳では多くの武具が装飾で表現されています。 |
王塚古墳 |
王塚古墳 |
出土遺物 |
玄室:九州歴史資料館
玄室復元模型:王塚装飾古墳館
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玄室:九州歴史資料館 |
玄室復元模型:王塚装飾古墳館 |
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220 |
221高井田横穴群
所在地 大阪府柏原市高井田
時期 6世紀中頃~7世紀前半
形状 横穴墓
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国指定史跡。周辺は公園として整備され、内部の見学は事前申し込み制です。 |
ゴンドラ型の
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ゴンドラ型の船に乗る人物は旗か槍をもち、その両脇にオールを持つ人物、碇を持つ人物が描かれています。
左の人物はズボンを膝で絞るなど古墳時代の埴輪に表現されているものと同じ服装をしています。
下の人物は裳を着けた女性が踊っており、これらは被葬者が船に乗ってあの世へ旅立つ姿と、それを踊りながら見送る女性ではないかと解釈されています。 |
船は
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船はあの世への乗り物として描かれたと考えられ、鳥もまた死者を導くという説があります。
弓を引く人物や靫などの武人や武具は悪霊を退け、死者を護る意味があったと考えられます。 |
高井田横穴群 |
3-5号横穴
横穴羨道右側壁 |
横穴羨道右側壁
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2-12号横穴
帆を張った船 |
2-3号横穴 鳥 |
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2-5号横穴 建物 |
3-7号横穴 蓮の花 |
3-13号横穴 靫 |
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3-10号横穴
弓を引く人物あり
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222有岡古墳群宮が尾古墳 宮が尾第2号墳
所在地 香川県善通寺市宮が尾
時期・形状 7世紀初頭 横穴式石室
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国指定史跡。御館地神社近くに公園として整備されています。
石室は通常非公開ですが、近くに解説パネルや壁画、石室の実物大模型が展示されています。 |
石室奥壁
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石室奥壁に、船に乗った人や武人などの多くの人物群が描かれています。
人物群の中心に描かれた小型の家のようなものは、葬送儀礼で使われる殯屋であると考えられています。
人物が6人乗った船や下部には船団と考えられる複数の船、簡潔にあるいは低位に櫂の数を表現した船を描いています。
石室左側壁には、細かい曲線と力強い直線で描かれた大刀を持った武人が描かれています。 |
有岡古墳群宮が尾古墳 宮が尾第2号墳 |
宮が尾古墳石室奥壁実測図 善通寺市教委 |
石室左側壁
熊本県立装飾古墳館 |
宮が尾古墳石室奥壁実測図 善通寺市教委 |
石室左側壁実測図
熊本県立装飾古墳館 |
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有岡古墳群宮が尾第2号墳線刻石材 |
実測図
善通寺市教委 |
宮が尾古墳石室奥壁上部
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宮が尾古墳石室奥壁下部
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宮が尾第2号墳
出土土器・装飾品 |
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223千金甲古墳せんごんこう(甲号・乙号)
所在地 熊本市小島下町
時期 6世紀初頭(甲号) 6世紀後半(乙号)
形状 横穴式石室
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国指定史跡。
現在、石室のレプリカが熊本県立装飾古墳館と熊本県立美術館で展示されています。
石室は安山岩の割石を平積みして造り、凝灰岩製の板石6枚を立てて石障を巡らし、屍床を3区に分けています。
石障を用いた横穴式石室は九州独自に発展しました。
石障内面には同心円文や対角線文、靫などが浮彫され、赤、青、黄の3色で彩色されています。 |
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千金甲古墳甲号(1号)
石室奥壁石障 |
石室左側壁石障 |
石室右側壁石障 |
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千金甲古墳乙号(2号)
石室石屋形 |
石室石屋形中央部 |
左側部、右側部 |
写真は全て
熊本県離装飾古墳館 |
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224鍋田横穴群
所在地 熊本県山鹿市鍋田
時期・形状 7世紀頃 横穴墓
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国指定史跡。近くから装飾を見学することができます。 |
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崖面に造られた集団墓地で、横穴墓は61基発見されており、そのうち16基に装飾が描かれています。装飾は、外壁と玄室内壁に描かれています。
線刻された円文や連続三角文をはじめ、人物、弓、靫、鞆、盾、鏃、刀子などがあります。
その中でも 27号横穴左外壁には、人物、弓、靫、盾、馬などが浮き彫りされています。線刻画に赤色顔料が塗られている箇所もあります。 |
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矢を津が得た弓矢盾、靫、鞆など他の横穴にも装飾されていますが、26b号横穴玄室右壁には、くちばしから尾羽まで幅70cm程の鳥の線刻が描かれています。 |
鍋田横穴群 |
鍋田横穴墓群全景
山鹿市教委 |
27号横穴左外壁
熊本県立装飾古墳館 |
横穴墓群の様々な装飾
7、8、12号横穴
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14、26b横穴 |
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225大村横穴群
所在地 熊本県人吉市城本町
時期 古墳時代後期
形状 横穴墓
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国指定史跡。装飾古墳として分布上の南限に位置しています。現地では、案内板で装飾の説明がされています。 |
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凝灰岩の崖面に造られた27基の横穴墓画東西2群分かれて分布し、そのうち8基には装飾文様が浮き彫りされています。
7号横穴では、馬や馬鐸、靫、三角文などが、
11号横穴では靫や刀子、鞆、円文などが描かれており、
それぞれ壁面の一部に赤色が完了の跡が認められます。
装飾は入口の羨門の近くに描かれたことから、魔除けの意味があると考えられます。 |
人吉市教委 |
全景 |
7号横穴左上壁
11号横穴 |
7号横穴 |
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226石人山古墳
所在地 福岡県広川町大字一條
時期・形状 5世紀前半 前方後円墳
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国指定史跡。八女地方最古の前方後円墳、かつ石棺を用いた九州最古の装飾古墳です。
石室は施設の中で保存されており、ガラス越しに見学することができます。
遺物については広川町古墳公園資料館で展示されています。 |
武装石人
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1体の石人が墳丘上に立っており、「石人山古墳」の名の由来になっています。凝灰岩製の身長約2mの石人は、鎧と兜が表現されています。 |
石棺
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石棺は古墳後円部の横穴式石室に安置されています。4枚の板石を立て、その上に屋根状の蓋石を載せています。
蓋石の上部には重圏文じゅうけんもん、蓋の下部には複雑な直弧文が浮き彫りされており、
これらの文様には被葬者に悪い霊を寄せ付けないように魔除けの意味が込められたと考えられます。 |
石人山古墳 |
全景 |
武装石刃
熊本県立装飾古墳館 |
石室内
横口式家形石棺
熊本県立装飾古墳館
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石室内
横口式家形石棺
施設奥から
九州国立博物館
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230 |
231泉崎横穴
所在地 福島県西白河郡泉崎村大字泉崎
時 期 6世紀末~7世紀初頭
形 状 横穴墓
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国指定史跡。泉崎4号横穴は、東北地方で初めて発見された装飾古墳です。 |
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左側壁には、左端に左を向いている馬に乗り両手を広げた人が、中央には大きな馬、その右には馬に乗っている人が描かれたと思われます。 |
泉崎横穴
泉崎村教委 |
泉崎4号横穴玄室奥壁
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日下八光氏現況模写
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泉崎横穴発見当時
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左側壁 |
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泉崎横穴出土品
鉄刀・鉄環・刀子・須恵器の高坏・長胴甕等
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232高井田横穴群
所在地 大三不柏原市高井田
時 期 6世紀荷か頃~7世紀前半
形 状 横穴墓
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国指定史跡。周辺は公園として整備されており、事前申し込みで横穴内部を見学することができます。 |
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2-3号横穴、2-23横穴、2-28号横穴には騎馬人物が線刻されています。
2-3号横穴には騎馬人物が2箇所描かれ、羨道左側は、馬に乗って手綱を引く様子を描いています。
馬の胴体下方に大きく泥除け(泥障)が描かれている点が特徴です。
一方、羨道右側の騎馬人物像は両手を挙げています。
2-23号、2-28号横穴には、馬に乗った人物や馬の後部に旗が立てられた様子が描かれています。
旗の付け根に折れ曲がった部分がありますが、これは馬の腰に付けて旗を指すための馬具である、蛇行状鉄器を表現していると言われています。
馬や船といった乗り物の線刻壁画が羨道部に多いのは、羨道がこの世にあたる横穴の外部であり、死者の世界にあたる玄室とをつなぐ道と考えていたからでしょう。 |
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2-3号横穴羨道左壁
柏原市立歴史資料館 |
2-3号横穴羨道右壁
柏原市立歴史資料館
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大井三倉遺跡5号墳出土
蛇行状鉄器
宗像市教委
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2-23号横穴
柏原市立歴史資料館 |
2-28号横穴
柏原市立歴史資料館
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233有岡古墳群宮が尾古墳
所在地 香川県善通寺市宮が尾
時 期 7世紀初頭
形 状 横穴式石室
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国指定史跡。公園として整備され、石室は保存されています。近くに説明パネルや壁画、石室の実物大模型が展示されています。 |
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宮が尾古墳の石室奥壁左側に置かれた巨石の一面に、船や騎馬人物等の様々な人物が描かれています。
騎馬人物を描いた線は、他の人物群を描いた線と比較して彫りが浅く細い特徴があります。
人物の表現方法も異なっているため、複数の人が線刻を施したと考えられています。
馬の体の特徴を含めて、面繋・手綱・鞍・鎧・泥障など、馬具を細部まで丁寧に表現しています。
馬上で手綱を持つ人物の頭部には、冠か帽子を被ったような表現も見られます。 |
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全景 |
石室奥壁実測図
善通寺市教委 |
宮が尾古墳石室奥壁下部
熊本県立装飾古墳館
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宮が尾古墳出土土器 |
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234ガランドヤ古墳2号墳
所在地 大分県日田市大字石井
時期・形状 6世紀中頃 円墳 横穴式石室
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国指定史跡。古墳からは須恵器や銀象嵌の鉄刀、馬具、鉄製工具、鏡、耳環、玉類などが見つかりました。 |
奥壁
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奥壁は全面を赤塗りした後に緑色で騎馬人物・同心円文・連続山形文などが描かれています。
「騎馬人物」は弓を引いており、射る対象は描かれていませんが、狩猟しているのかもしれません。
狩猟は王権の支配の永続と繁栄を願う王権の儀礼と考えられています。 |
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全景 |
騎馬人物部分
大分県埋文 |
石室奥壁実測図
日田市教委
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石室奥壁
日田市教委
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235田代太田古墳
所在地 佐賀県鳥栖市田代本町
時 期 6世紀後半
形 状 円墳 横穴式石室
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国指定史跡。石室は前室・中室・玄室の3室からなる珍しい構造が特徴です。
装飾は、赤、黒、緑の顔料と石室の材料である風化した花崗岩の黄色い岩肌の4つの色が使われています。
玄室奥壁に、連続三角文・同心円文・花文・人物・蕨手文・船・高坏・楯が、
袖石に弓・同心円文・人物・ゴンドラ船画描かれています。
連続三角文は、ヘビのうろこを表しており魔除けの意味が、同心円文は太陽を表現していると考えられています。
中室の右側には、船が赤で描かれており、死者を送っているのかもしれません。 |
田代太田古墳 |
全景 |
中室袖石 |
日下八光氏復元模写 |
玄室奥壁
鳥栖市教委 |
日下八光氏復元模写 |
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236王塚古墳
所在地 福岡県嘉穂郡桂川町寿命
時 期 6世紀中期
形 状 前方後円墳 横穴式石室
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装飾は、石室全面に赤、黄、白、黒、緑の5色の彩色で描かれています。
前室袖石に騎馬人物が5体おり、袖石の左側に黒色の馬2頭・赤色の馬1頭、 右側に黒色の馬・赤色の馬画各1頭ずつ描かれています。
馬に乗った人物が手綱を持っている状態で表現されている例もあります。
馬の体には、面繋、手綱、尻繋、鞍などが描かれており、手綱の飾り金具など細かい部分まで表現されています。
これらの騎馬人物は、生前の被葬者を描いている。もしくは悪い霊から被葬者を守っていると考えられています。 |
王塚古墳 |
全景
王塚装飾古墳館 |
左袖石
九州国立博物館 |
右袖石
九州国立博物館 |
袖石
九州国立博物館 |
袖石復元模型
王塚装飾古墳館 |
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240 |
241合戦原遺跡 横穴墓群
所在地 宮城県山元町高瀬
時 期 7世紀代~8世紀代
形 状 横穴墓
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線刻壁画は、山元町歴史民俗資料館に移設されて展示されています。 |
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54基の横穴墓のうち38号横穴墓では、玄室奥壁に線刻された装飾が発見されました。
壁画は、人物・鳥・靫・家屋・翳(さしば)(長い柄をつけた扇状の道具)・木の葉と考えられるものが描かれています。
鳥は3羽描かれており、そのうちの2羽には足も描かれています。玄門からは装飾付き金銅製大刀が出土しています。 |
山元町教委 |
横穴墓群全景 |
鳥の文様部 |
38号横穴墓玄室奥壁 |
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実測図 |
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242幡山古墳群
所在地 茨城県常陸太田市幡町バッケ下
時 期 6世紀代~7世紀代
形 状 横穴墓
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幡山古墳群には゜通称「幡バッケ横穴墓群」があります。そのうち6号墓と11号墓に、鳥、船、家、連続三角文などの線刻画が描かれています。
6号墓の奥壁には鳥が見られ、幅1cm 超える太い線で頭や脚、尾などが細かく描かれています。
11号墓の左側壁には、2羽の鳥が向合うように描かれ、右側の鳥の尾は細かく表現されています。
鳥のような自由画風に描かれている線刻画で太い線刻の類例は極めて少なく基地ような線刻画です。 |
常陸太田市教委 |
幡バッケ12号横穴墓外観
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12号横穴墓内部 |
6号墓奥壁
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243空山古墳群
所在地 鳥取市大字久末
時 期 古墳時代終末期
形 状 横穴式石室
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県指定史跡。須恵器、土師器、金環などが出土しています。 |
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2号墳、10号墳、16号墳に鳥の線刻画があります。2号墳の玄室奥壁と10号墳の玄室左側壁には、鳥の全体像が描かれており、
足も表現されています。
16号墳は玄室右側壁に描かれ、首と足の長い鳥が表現されています。その他、木の葉文、大刀を持つ人物、魚、船などが描かれています。 |
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10号墳全景 |
16号墳玄室右側壁 |
16号墳全景 |
10号墳玄室左側壁 |
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244穴ヶ葉山古墳
所在地 福岡県築上群上毛町下唐原
時 期 6世紀末~7世紀初頭
形 状 円墳 横穴式石室
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国指定史跡。 須恵器、ガラス玉、耳環などがあります。 |
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1号羨道
九州歴史資料館 |
羨道左側壁
九州歴史資料館 |
羨道左側壁拓影
大平村教委
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1号墳羨道左側壁
同拓影
九州歴史資料館 |
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245鬼塚古墳
所在地 大分県国東市国見町中
時期 6世紀頃
形状 円墳 横穴式石室
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国指定史跡。石室は普段施錠されていますが、国東市教育委員会に申し込むことで見学できます。 |
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石室内部の右側壁には鳥が向かい合い、1羽には鶏冠が描かれています。そして、左側壁には群鳥が線刻で描かれています。
その他、木の葉などの自然の景物や、船と船上の人物が描かれており、漁撈を中心とした日々の営みを表したと考えられています。
古墳から出土した火鉢、ガラス玉、高坏などは国見ふるさと展示館で展示されています。 |
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246穴観音古墳
所在地 大分県日田市大字撃ち河野
時 期 7世紀初頭
形 状 円墳 複室を持つ横穴式石室
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石室内部は赤と緑で彩られた壁画があります。
前室右側壁には円文・人物・鳥が、
前室左側壁には同心円文・船が、
玄室右側壁には円文・大型の鳥などが、
そして奥壁には同心円文・三角文・直線文が描かれています。
「鳥」は緑色で大型の飛鳥が一羽、赤色で小型の鳥が多数描かれています。
線刻に見られるような「鳥」の表現が写実的なものに対し、
彩色の「鳥」はデフォルメされています。これは、五郎山古墳の壁画にも共通する特徴と言えます。 |
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全景 |
玄室右側壁実測図 |
日下八光氏現況模写 |
玄室右側壁
大分県埋文 |
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250 |
251鷺山古墳
所在地 鳥取県鳥取市国分町町屋
時 期 古墳時代後期頃
形 状 円墳 横穴石室
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鷺山古墳の線刻画は、玄室奥壁に、1.2mほどの魚が描かれ、目、口、エラ、ヒレなどが詳しく表現されています。
魚が主として描かれることは珍しいことですが、近隣にある梶山古墳でも魚が描かれています。
その他の玄室壁面には、船、鳥、格子文などが描かれています。ここに描かれた船には、舟から垂直に線刻された線が何本かみられます。
これは、船を漕ぐ時の道具である櫂を表現しているのではないかと考えられます。
※櫂(かい)はオールです。棒状に見えるものは櫓(ろ)かもね。 高速艇は六丁櫓とか八丁櫓とかで漕いでいたのです。 |
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252狐塚古墳
所在地 福岡県朝倉市入地
時 期 7世紀初め頃
形 状 横穴式石室
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県指定史跡。 筑後川中流域の装飾古墳は、一般的に彩色が主流ですが、狐塚古墳は線刻で描かれているという特徴があります。 |
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線刻画にはゴンドラ型の船、動物、的(まと)のようなものなどが描かれています。
その中でも、ゴンドラ型の船は3艘描かれています。玄室の奥壁や左壁の船は特徴から準構造船ではないかと考えられます。
3艘の船はいずれも船を漕ぐ道具である櫂が描かれており、玄室奥壁の櫂は特徴的に描かれています。
船は、狐塚古墳の線刻画では主題として描かれています。 |
熊本県立装飾古墳館 |
石室内
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全景 |
左側壁
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奥壁
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右側壁
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出土遺物
朝倉市教委 |
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253西館(にしのたて)古墳
所在地 福岡県久留米市田主丸町益生田
時 期 6世紀後半
形 状 楕円形複室を持つ横穴式石室
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石室の玄室奥壁には、赤と緑の顔料で船や同心円文、三角文、人物などが描かれています。
また、玄門右袖石には、赤一色で奥壁とは意匠の異なる船がうっすらと描かれています。奥壁の「船」はその形から準構造船と想定されます。
下に描かれた三角文は波を表現したのかもしれません。
船上に屋形は描かれていませんが、五郎山古墳の壁画と類似することから葬送の船と考えられます。 |
西館古墳 |
全景
久留米市教委 |
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袖石
九州国立博物館 |
袖石実測図 |
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奥壁
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奥壁実測図
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奥壁装飾部
九州国立博物館 |
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254原古墳haru-kofun
所在地 福岡県うきは市吉井町富永
時 期 6世紀後半
形 状 横穴式石室
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国指定史跡。屋形古墳群の1つです。現在、保存施設で保護されています。 |
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奥壁の腰石と側壁の一部に赤一色の絵が見られます。
奥壁に描かれた「船」は大型の準構造船を表現しており、2本の櫂の向きから右方向に進んでいると考えられます。
船上には弓を持つ人物と櫂を漕ぐ人物、屋形か馬と考えられるものが描かれています。
装飾古墳壁画によく表現される葬送の船と見てよいでしょう。その他、靫や大刀、楯なども見られます。 |
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全景 |
奥壁
九州国立博物館 |
壁画実測図
うきは市教委 |
装飾部
九州国立博物館 |
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255弁慶ヶ穴古墳
所在地 熊本県山鹿市熊入町
時 期 6世紀後半
形 状 横穴式石室
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国指定史跡。石室内の壁画は保護のため現在見ることはできませんが、熊本県立装飾古墳館・県立美術館にレプリカ画展示してあります。 |
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赤・白・灰色で円文、三角文、菱形文をはじめ、人物、馬、鳥、舟、靫などが描かれています。その中でも船11艘と馬11頭と多く描かれています。
船に乗せられた馬や、船に荷が積まれたものがありますが、その上に鳥がのった船が見られます。
当時、死者の魂は船に乗って高井へ向かうと考えられていました。船に積まれた荷の一部に描かれた丸い点は魂を、積まれた荷は棺を表現し、この古墳に埋葬された人が黄泉の世界へと導かれる風景を描いているのではないでしょうか。 |
弁慶ヶ穴古墳 |
空中写真 |
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左側玄門
(同心円・馬を載せた船・靫)
熊本県立装飾古墳館
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右側玄門
(積荷と船)
熊本県立装飾古墳館 |
熊本県立装飾古墳館 |
前室右前室壁
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前室左前室壁 |
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256鳥舟塚古墳
所在地 福岡県うきは市吉井町富永
時 期 6世紀後半
形 状 横穴式石室
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国指定史跡。屋形古墳群の一つです。現在保存施設中にあり、通常非公開です。 |
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へきがは赤一色で彩色されています。
盾や靫、大刀、同心円文、人物などが描かれていますが、その中でも船の船首と船尾一羽ずつ鳥が止まっている絵がひときわ特徴的で、
古墳の名の由来にもなりました。
同じ屋形の古墳群の珍敷塚古墳に描かれた船と構成が似ています。
珍敷塚古墳に描かれた船の右側にある平行線が直角に交わったものを舟着き場と仮定すると、鳥船塚古墳に描かれた「鳥船」は、
他界の港に到着した場面を表現したと想定できます。 |
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全景 うきは市教委 |
奥壁
九州国立博物館 |
奥壁(鳥と船) |
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260土器や埴輪に描かれた船 |
261沖出古墳
所在地 福岡県嘉麻市漆生533
時 期 4世紀末頃
遺 構 前方後円墳 竪穴式石室
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県指定史跡。筑豊地方で最古の古墳で、石室は施錠されて保存されています。 |
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沖出古墳で見つかった朝顔形埴輪には「船」が線刻されており、九州で2例目の「船」を描いた埴輪です。
絵画には準構造船が描かれ、屋形も表現されています。
これは、葬られた人物の魂を乗せた船が他界へ向かう様子を表しているのかもしれません。
また、石製腕飾り(鍬形石・車輪石・石釧路)が古墳から出土しており、ヤマト(大和)政権から与えられたものと 考えられています。
そのため、ヤマト(大和)政権と強い結び付きがある人物が埋葬されたと想定されます。石製腕飾りが3種類揃って確認されたのは、
この古墳が九州で唯一の例です。
写真は嘉麻市教委提供 |
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全景 |
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朝顔形埴輪 |
埴輪線刻部分 |
出土した石製腕飾り
鍬形石・車輪石・石釧 |
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262御領遺跡
所在地 広島県福山市神辺町
時 期 縄文時代後期~中世
遺 構 住居・建物・土坑など
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特徴として、弥生時代後期~古墳時代前期にかけての集落画多く見つかっています。 |
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御陵遺跡第7時調査では、準構造船が描かれた土器が発見されました。
弥生時代後期後半(2~3世紀)の壺の口にヘラで線刻されています。
土器の特徴から愛媛県で製作され、広島県に運ばれたものです。
屋形と旗が表現され、船首には波を避けるための堅板がついています。
船尾には、船を漕ぐための櫂らしきものが描かれており、かなり大型の交易船と考えられています。 |
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弥生土器の壺の口縁部
広島県教育事業団 |
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口縁部線刻部 |
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線刻部実測図 |
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263小阪合遺跡
所在地 大阪府八尾市小阪合町・青山町・山本南町
時 期 弥生時代~平安時代
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市指定文化財。八尾市歴史民俗資料館所蔵。
42次調査では溝や遺物が発見され、古墳時代初頭後半(3世紀前半)の溝から手あぶり形絵画土器が出土しました。 |
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手あぶり形絵画土器は、お祀りなどに使われた独別な土器だと考えられています。
土器の外側には、船1艘、鹿6頭、記号文、波線などが描かれており、当時の風景を描いたものだと考えられています。
船は、2本の弧線で船体が描かれ、船の両端が反り上がっていることから準構造船だと思われます。
船を漕ぐための櫂8本と、船の右側に丸印が描かれています。
船は土器の突帯のすぐ上に描かれていることから、突帯を水面に見立てたと考えられています。 |
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264荒尾南遺跡
所在地 岐阜県大垣市檜町
時 期 弥生中期~古墳時代前期
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弥生時代中期の周溝墓228基や弥生後期から古墳時代前期の竪穴建物559軒、掘立柱建物30棟が 見つかっています。 |
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方形周溝墓から出土した弥生時代後期の広口壺には、3艘の「船」が線刻されていました。
中央の大型船は82本もの櫂をもつ、国内最多のものです。
船中央は上から見たように、両端は横から見たように描かれるといった特徴があります。
また、船首と船尾が下を向くため、壺を逆にすると船が正位置になります。
そして、旗がなびく向きから船を逆位置として左方向に進むと考えられます。
大型船の左右には帆掛け船があります。
墓から見つかったことから、土器は船が被葬者の魂を他界へ連れて行く葬送儀礼に持ち言われたと想定されます。 |
荒尾南遺跡 |
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広口壺 |
広口壺展開写真 |
広口壺展開写真 |
広口壺展開実測図 |
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265唐古・鍵遺跡
所在地 奈良県磯城郡田原本町唐古50-2
時 期 弥生時代後期~古墳時代前期
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国指定史跡。弥生時代の大規模環濠集落で、内濠は直径400mの範囲を囲み、外濠を含めた全体では約42万㎡の面積を占める。 |
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唐古鍵遺跡からは全国の半数近くの絵画土器が見つかりました。
その中に「船」と「鳥」が線刻された弥生時代中期の壺があります。
船にはオール5本に対して漕ぐ人物が2人しか描かれておらず、後の3人は省略されたのかもしれません。
船の裏側には2羽の鳥が向かい合って描かれています。
人物の先にある「幡」が神を迎える道具を示すため、「船」と「鳥」の絵画も同様に祭祀に関わったものと推定されます。 |
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266東殿塚古墳
所在地 奈良県天理市萱生町中山町
時 期 3世紀後半
形 状 前方後円墳
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全長139m大和古墳群の1つです。出土したこの埴輪のレプリカは天理市トレイルセンターで展示されており、直接触れることもできます。 |
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発掘調査で埴輪祭祀の遺構が見つかり、埴輪が多量に見つかりました。
鰭を持つ埴輪に3艘の船が線刻されています。これは「船」が描かれた埴輪の中でも最古のものです。
絵画には準構造船、船の先端に鶏、船上には屋形や蓋(きぬがさ)などが見られます。
このような特徴から「葬送の船」を表現したことが わかっています。また船は、鶏が亡者の魂を他界へと水先案内する「鳥船」と考えられます。 |
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270装飾古墳の世界
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271鳥浜貝塚
所在地 福井県三方上中郡若桜町鳥浜
時 期 縄文時代草創期~前期(約14,000~55,00年前)
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土器石器木製品などが発見され、一部は国の重要文化財に指定されています。 |
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貝塚から発見された1号丸木舟は、縄文時代前期中葉のものとされています。
残存している長さは約6mあり、船尾や右舵後部の形は残り、その他は破損が見られます。
その他に縄文時代前期の船を漕ぐための櫂も発見されています。縄文時代では、主に漁業を行うために丸木舟が使われていました。
大陸との交易を行うために次第に準構造船が作り出されていきます。 |
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福井県立博物館 |
1号丸木舟出土状況 |
船尾部出土状況 |
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1号丸木舟全体像 |
出土した櫂 |
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トリハマ村の様子
鳥浜貝塚想像図 |
船尾部分の拡大
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272千代・能美遺跡
所在地 石川県小松市能見町
時 期 弥生後期~中世 (弥生後期から古墳前期)
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千代・能見遺跡では、川跡や柵列などで3地区に分かれた古墳時代前期の首長の居館群が見つかっています。
川跡から2つの地区を結ぶ橋脚状遺構が見つかっており、周りで橋桁に使われた多数の部材が出土しました。
その中に準構造線の部材が含まれていました。 |
竪板外側
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内側両端に舷側板を差し込むための溝と、下方に刳り船部と接合するための方形の切込みがあり、久宝寺遺跡出土の竪板と特徴が同じです。
この遺跡では、準構造船の部材が橋として転用されていたと想定されます。 |
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竪板
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竪板内側
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竪板外側
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舷側板
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舷側板差し込み溝 |
方形切り欠き部 |
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273下長遺跡
所在地 滋賀県守山市古高町
時 期 縄文時代~平安時代
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下長遺跡は現在の琵琶湖岸から約3.5km離れた内陸部に位置しています。
旧河道から古墳時代前期の準構造線の部材(船首、刳船部と舷側板)が見つかったことで、湖上を通り、河川を遡って物資の運搬が行われていたと考えられます。
揚げられた物資は、陸路を通って周辺の集落に流通させていたと推察され、拠点集落であった下長遺跡が窓口になっていたと伺われます。 |
下長遺跡
大阪府文化財センター |
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櫂の出土状況 |
出土した準構造船の
部品 |
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下長遺跡の準構造船復元想像図 |
準構造船 |
船の進化
丸木舟→
準構造船(舷側板・竪板を装着)→
構造船(板材を組み合わせて造船)
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丸木舟は現代まで使われている。 |
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274久宝寺遺跡
所在地 大阪府八尾市西久宝寺
時 期 弥生・古墳時代
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旧大和側の主流であった長瀬川の西岸の久宝寺一帯は、古代では水陸交通の要衝でした。
古墳時代前期初頭の溝から見つかった準構造船の部材(刳り船の船首部・竪板・舷側板)から、準構造船の組み立て方法を知ることができます。 |
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刳船部(船底部)先端において、断面台形状の溝があり、船首を取り付けホゾ穴に木栓をすることで2つを結合したことがわかります。
竪板の内側には舷側板と結合させるための溝が彫られています。
竪板の下方には方形の切か基部を設け、刳り船部と組合すことで竪板の左右のずれを防ぎます。 |
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275巣山古墳
所在地 奈良県北葛城郡広陵町大字三吉
時期・形状 4世紀後半 前方後円墳
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国指定史跡。
全長約220mの大型前方後円墳です。前方部西側では出島状遺構が見つかり、水鳥形埴輪や家形埴輪などが配されていました。 |
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古墳周濠の北東角では準構造船の部材(竪板・舷側板)が 見つかっています。復元すると、船の全長は8mを超すと推定されます。
竪板と舷側板には円文、直弧文が掘られ、赤色顔料が塗られていたことから、この船は葬送儀礼に用いられたと考えられています。
船は使用後、意図的に壊されて埋められたことがわかっています。 |
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全景
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喪船竪板部
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円文・直弧文
(魔除けのまじない文)
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準構造船喪船組立復元 |
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280装飾古墳
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281
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一本松塚古墳 |
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市指定史跡。
現況は非公開ですが、いのちのたび博物館で復元石室と出土品を見学できます。
調査当時から盗掘を受けていましたが、出土した土師器や須恵器、鉄製品の武器や工具
・馬具、装飾品の玉類(約289個)は、市指定有形文化財となっています。
所在地 北九州市小倉北区日明
時 代 6世紀後半
形 状 円墳
装 飾 彩色赤 放射状に千を描く |
東光寺剣塚古墳 |
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古墳はアサヒビール工場内にあります。観音山古墳とも呼ばれ、古くは江戸時代(1704年)に
黒田藩の貝原益軒「筑前国続風土記」にも書かれています。
石室からは刀、鏃、勾玉などの遺物が出土し、古墳周辺では人物や馬などの形象埴輪が出土しています。
所在地 福岡市博多区竹下
時 代 6世紀中頃
形 状 前方後円墳
装 飾 線刻 不明瞭 |
萩ノ尾古墳
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国指定史跡。石室は保存施設の中で保護されています。
前室・玄室の壁石は巨大な一枚石が使用され、
この上に長方形の割石を積み上げ、かなり高い天井となっています。
所在地 大牟田市東萩ノ尾町
時 代 6世紀後半
形 状 円墳
装 飾 彩色赤 同心円 円 三角 盾 舟を描く |
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282
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浦山古墳
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国指定史跡。成田山にある前方部が短い帆立貝式の前方後円墳です。
古墳内の家形石棺は、屋根に4個の環状縄掛突起があり、棺の入口にはめ込み扉とかんぬきがあります。
近くには浦山公園古墳館があり、浦山古墳や周辺の古墳、集落跡からの出土品や解説パネルや墳丘模型が展示してあります。
所在地 |
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久留米市上津町浦山 |
時 代 |
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5世紀後半 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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線刻・彩色赤・石棺表面は木の葉、石棺内面には直弧・同心円・鍵手を描き、内面に赤色顔料が塗られる。 |
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水町遺跡群
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県指定史跡。現在、70基の横穴墓の内の2基から装飾が見つかっています。
保存のため非公開のものもありますが、鳥と考えられる線刻のあるB18-1号墓は柵越しに一般公開しています。
鉄刀・馬具・耳環・子持勾玉・貝輪・フイゴ羽口などの副葬品が出土しています。
所在地 |
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直方市大字上境 |
時 代 |
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6世紀中頃~7世紀後半 |
形 状 |
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横穴墓の主な時代 |
装 飾 |
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線刻 画題ははっきりしないが、一部鳥を描いたものか |
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川島11号墳
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県指定史跡。飯塚市内唯一の装飾古墳です。古墳と周辺は公園して整備され、石室は保存のために通常公開されていません。馬具など多くの副葬品が出土しており、市指定有形文化財に指定されています。出土品は飯塚市歴史資料館に展示してあります。
所在地 |
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飯塚市大字川島 |
時 代 |
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6世紀半 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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彩色赤、緑又は青、 円・三角・人物を描く |
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283
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瀬戸横穴墓群
第14号横穴墓 |
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瀬戸横穴墓群の一つです。実物は昭和32年の採土工事のため消失しており、現在は中間市歴史民俗資料館の復元模型でみることができます。
中央には馬上に立って弓を射る人物、その右に船、左には鳥獣が浮き彫りと彩色で描かれていました。
所在地 |
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中間市下大隅大字垣生660-1 |
時 代 |
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不明 |
形 状 |
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横穴墓 |
装 飾 |
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線刻 彩色赤、 円・船・騎馬人物・鳥を描く |
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花立山穴観音古墳
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県指定史跡。現況は入口が開口しています。玄室壁面や袖石などに斜格子などが描かれ、
魔除けの意味があったのではないかと考えられています。
穴観音古墳を含む花立山古墳群は、現在300基もの古墳が確認される県内最大級の群集墳です。
所在地 |
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小郡市大字干潟 |
時 代 |
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6世紀末 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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線刻 格子・斜格子・連続三角に線を描く |
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桜京古墳
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国指定史跡。現況は壁画の保存のために非公開ですが、インターネット上の「むなかた電子博物館」で壁画のデジタルデータを公開しています。
腰石と石棚に装飾が施されています。昭和46年、地元の高校生2人によって発見された古墳です。
所在地 |
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宗像市牟田尻 |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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彩色赤白緑 線刻を併用して連続三角を描く |
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284
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竹原古墳 |
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国指定史跡。石室は境内の施設に保存されています。
竜や朱雀、玄武などの装飾古墳でも特に珍しい文様が特徴です。
石室から副葬品として武器や馬具、装飾品(勾玉・ガラス丸玉・金環)
が出土しています。
所在地 |
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若宮市竹原(諏訪神社境内) |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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彩色赤黒 翳さしは・龍(怪物)・人物・馬・船・波・連続三角・朱雀・玄武などを描く |
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日岡古墳 ひのおか |
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国指定史跡。若宮八幡神社の境内にあります。
若宮古墳群の一つで、発見と絵時には既に盗掘にあっていました。
奥壁には6個の巨大な同心円文、蕨手・連続三角文などが、周辺壁には幾何学文の他に武具や船・魚・馬などの文様が描かれています。
所在地 |
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うきは市吉井町若宮 |
時 代 |
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6世紀前半 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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彩色赤白緑 同心円・蕨手・三角・靫・大刀・盾・船・魚・馬などを描く |
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重定古墳 |
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国指定史跡。古墳は一部削平されていますが、石室は巨石を使用した全長約17mもある豪壮な造りです。
玄室周囲と前室、羨道部に多くの靫や同心円文などが描かれています。
石室は一般公開されていませんが、浮羽歴史民族資料館では模写の壁画を見ることができます。
所在地 |
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うきは市浮羽町朝田 |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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彩色赤緑 主として靫・同心円、他に鞆・三角・蕨手を描く |
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285
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丸ノ口古墳群
(Ⅴ群5号墳・Ⅵ群2号墳)
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市指定史跡。現況は、一部古墳を移転復元した公園として整備されています。
Ⅴ群5号墳は奥壁に円文が3個、Ⅵ群2号墳は奥壁に円文や三角文が描かれています。
石の表面を細かく叩く「敲打技法」という筑後地方などに数例しか確認されていない珍しい技法で装飾されている古墳です。
所在地 |
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中川市大字片縄 |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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線刻 敲打による装飾で円・船・連続三角などを描く |
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古月横穴
(2号墓・6号墓・9号墓)
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国指定史跡。遺跡公園として保存整備され、公開されています。
2号墓、6号墓には線刻で文様があり、9号墓は奥壁、左側壁などに赤の彩色で斜め格子文を
描いています。県内では横穴墓に彩色して文様を描くものは珍しいです。
出土物は鞍手町歴史民俗博物館に展示してあります。
所在地 |
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中川市大字片縄 |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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線刻 敲打による装飾で円・船・連続三角などを描く |
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王塚古墳 |
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国特別史跡。現況は、石室内は密閉施設の中で保存されて非公開です。
隣接する王塚装飾古墳館で事物大の石室模型と文様を見学できます。
副葬品は多数の馬具・武具・銅鏡・装飾品・土器類が出土しており、
国の重要文化財に指定されています。
所在地 |
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嘉穂郡桂川町寿命 |
時 代 |
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6世紀中頃 |
形 状 |
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前方後円墳 |
装 飾 |
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彩色赤黒城緑黄 三角・円・同心円・双脚輪状・靫・盾・大刀・弓・蕨手・騎馬人物を描く |
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286
仙道古墳
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国指定史跡。現況は通常非公開。九州では珍しい「盾持武人埴輪」がほぼ完全な形で出土し、他に円筒埴輪、朝顔形埴輪、柵形円筒埴輪が多く出土しています。現地には埴輪のレプリカが設置してあり、近くのあずまやで石室の減衰台模型が展示されています。
所在地 |
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朝倉市筑前町久光 |
時 代 |
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6世紀 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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彩色赤緑 同心円・三角を描く |
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弘化谷古墳
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国指定史跡止め古墳群の一つです。現況は石人山・弘化谷古墳公園内にあり、石室は通常公開していません。玄室の石屋形の内面と小口部に装飾があります。
近くの広川町古墳公園資料館(こふんピアひろかわ)に壁画のレプリカや遺物が展示されています。
所在地 |
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八女郡広川町大字広川 |
時 代 |
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6世紀後半 |
形 状 |
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円墳 |
装 飾 |
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線刻・彩色赤緑 同心円・連続三角・靫・双脚輪状を描く |
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百留横穴墓群 |
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町指定史跡。現在49基が確認されており、横穴墓の数が多いことから地元で「百穴」と呼ばれています。凝灰岩質の崖面に掘り込まれたもので、自由に見学ができます。
中央の1号墳に赤の彩色による同心円が描かれます。
入口が丸いものや四角いものがあり、横穴の大きさも様々です。
所在地 |
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築上郡上毛町百留 |
時 代 |
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古墳時代 |
形 状 |
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横穴墓 |
装 飾 |
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彩色赤 同心円を描く |
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300 |
310装飾壁画の解析
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装飾壁画の解析 |
次に掲げたパネルは、1400年の歳月を経て薄くなった壁画を、コンピューターを使って復元しました。
当時の人が壁画に何を描こうとしたのか探ってみたいと思います。
ここに取り上げ絵は、奥壁と側壁に描かれたもので、ハイビジョンで撮影した壁画をコンピューターで補色しました。
五郎山古墳の壁画は、大胆に表現されています。
凸凹の岩肌に、膠で溶いた粘り気のある顔料で描いたと思われることから、細かな描写は難しかったのではないでしょうか。
当時の人々は描こうとしたものの特徴を、簡潔に表現しています。
例えば「船」はゴンドラのように舳先と艫を強調しています。この描き方は、熊本県山鹿市の弁慶ヶ穴古墳や吉井町の珍敷塚古墳などにも共通しています。 |
鳥(魂を導く鳥)
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両翼を大きくヘの字形に広げて飛ぶ鳥の絵です。
この時代には大鳥が冥界に霊を先導して飛翔するという鳥霊信仰が存在していました。
船の絵も描かれていることからも、死者の魂を乗せた船を冥界へと導いている様子と捉えることができます。
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船(魂を運ぶ船)
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玄室左の壁画に描かれた船の絵です。舳先と艫(とも)は2本の線で描かれ、この船が準構造船であることを示しています。船の中央に描かれた四角い箱のような物は、死者の魂を入れた棺とも屋形とも言われています。
船の周りに散らばる珠文は、「宿星」(しゅくせい 夜空に散らばる星)と考えられます。このことから、死者の魂を載せ、夜の冥界に漕ぎ出す船の図ではないかと推測されます。(チグリス文明の星信仰が取り入れられた墓室絵画。)
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動物(槍か矢が刺さった猪)
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左を向いた4本足の動物の絵です。
頭に鹿のような角がないことから「猪」ではないかと推測されます。
背中に赤いものが描かれていますが、おそらく槍か矢が刺さった状況を描いたのではないでしょうか。 |
靫
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赤で縁取りされた鼓つづみのような形をした物は「靫ゆぎ」という矢を入れる筒(箱)です。
上に見える赤い棒のようなものは「矢」です。
人物と対比して大きく描かれているのは、靫が死者の魂を守護すると考えられていたからです。
桂川町の王塚古墳のように、壁面に多数の靫を描いた例もあります。
五郎山古墳の壁画には、3つの靫が描かれています。 |
盾を持つ騎馬人物
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馬にまたがり、右手に四角いものを持つ人物が描かれています。おそらく盾ではないでしょうか。
左手には赤い棒のようなものが描かれており、剣か槍を描いたのではないかと思われます。(血が付いているのか)
また、馬の鬼は赤い飾りが付いていることがわかります。
左の2頭の動物も馬ではないでしょうか。 |
人物(神殿に祈りを捧げる女性)
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左の絵(絵の中の左の描画物)は、建物を描いたと考えられます。
角(つの)のように飛び出したものは、切妻屋根ではないでしょうか。
右の人物は、スカートのような裾の広がった着物で、手を前に捧げた姿をしています。
左の建物に向かって祈りを捧げているのではないかと思われます。 |
騎馬人物(旗を挿した馬に乗る人)
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奥壁上段の壁画です。
左端の二重丸の絵は、同心円文と呼ばれるもので、中国古代思想の影響を受け、太陽を表していると言われています。
右下の騎馬人物は、馬にまたがり弓を引く人物を描いており、馬の斧上には赤い縁取りの旗差し物があります。
この人物は、五郎山古墳の被葬者ではないでしょうか。 |
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320古墳の発見とその後
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五郎山古墳の発見 |
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第1回調査と史跡指定 |
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保存への歩み
保存整備計画と第2回調査
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第2回調査時のトレンチ
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第2回発掘調査 |
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