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 北部九州の縄文 №5  2020.11.11-2

  菜畑遺跡・末盧館  佐賀県唐津市菜畑3359-2
   0955-73-3673 月休・撮影可 掲載禁止

交通  鉄道  JR唐津駅から徒歩13分
2022秋の長崎新幹線開業によって
鉄道事業やダイヤが大幅に変更予定
  備考 撮影可・掲載禁止は、菜畑遺跡の出土物が少ないからです。理解して協力しましょう。 
近隣の観光施設 観光マップ
   近隣の博物館 博物館マップ
 




00世界の支石墓
 糸島の支石墓
 菜畑遺跡と周辺遺跡
01JR筑肥線沿線
02唐津駅前広場

10末盧館
11菜畑遺跡説明版
12竪穴住居
13支石墓

14菜畑水田遺構
18末盧館々内展示
 ごあいさつ
20館内展示物について

 

00 世界の支石墓 分布図
支石墓分布地域
西ヨーロッパ、北部アフリカ、南アフリカ南端、中東(派生地)、インド南部、スリランカ、スマトラ、黄河河口、長江河口、朝鮮半島北部・南部、九州北部
西ヨーロッパの支石墓が各地に伝播したのでなく、各地で独自に発達したものとの見方が強まっている。そうです。                    
 
 糸島半島

 支石墓の分布域と唐津湾
 唐津湾沿岸以西は支石墓が多く、支石墓は朝鮮半島南半西側の地域に多いため、この地域の半島人が支配していた地域と思われます。
糸島半島の西側は、博多湾周辺とは文化的に異なるため、博多湾域は別の地域の半島人が支配していたようです。
支石墓分布位置と
初期水田遺跡
参考:北部九州の地形

 菜畑遺跡について
菜畑遺跡は縄文時代晩期中頃(約2500~2600年前)の唐津湾西岸の水田遺跡です。
唐津湾沿岸には
唐津市宇木汲田遺(佐賀県唐津市大字宇木字汲田 縄文晩期末~弥生前期の貝塚と弥生生前~後期 甕棺墓) や
糸島市曲り田遺跡(古曲り田式土器)(糸島市二丈石崎328-6 縄文晩期(後に弥生早期に設定した)) 
 (稲作開始初期の大陸系磨製石器・土器出現、支石墓導入、鉄器の生産が行われた集落遺跡。)
などがそれに続き、
板付遺跡(板付Ⅰ式土器)(福岡市博多区板付、 弥生時代始め(紀元前4c頃)の環濠集落)
 (環濠集落とその周辺の水田、墓地が一体となり、初期稲作の様子をよく伝えている。)
はその後に営まれた遺跡です。

菜畑式土器山ノ寺式土器)には周囲に刻目突帯が付いており、刻目突帯文土器、と言われる縄文晩期(弥生早期)の土器と似ています。
 (九州の突帯文土器は弥生土器と共伴する夜臼式と、共伴しない山ノ寺式という二つの土器の型式学的な検討を十分におこなわないまま時間差とされている)
曲がり田遺跡の発見は、稲作開始時期の想定が早まり、これによって、弥生時代早期、が設定されました。
板付式土器夜臼式土器
 
 
 01JR筑肥線沿線
全国どこからでもJR博多駅を経由してのJR唐津駅までの直通切符は変えません。福岡市が博多↔姪浜間を市営地下鉄線としてしまったためです。
博多から西方面へは大変交通不便で、筑肥線は全て各駅停車で、快速列車などはありません。全ての元凶は市営地下鉄化が原因かと思います。
しかし、急がない旅ならば、のんびり唐津湾を眺めるのもいいかもしれません。


 02唐津駅前広場
各駅停車しか走らない路線の先に大きな駅と広ーーぃ駅前広場がありました。この町は斜陽なのかなと思いました。
  
唐津駅 駅前広場(東方向) 唐津市立近代図書館 駅前広場(西方向)
 

 10末盧館
駅から右方向へ、広い通りをまっすぐ歩くと末盧館にぶつかります。
末盧館は末盧国のことで、魏からの使節は長崎県マツゥラに上陸し、この辺りを末盧国、次が伊都国(糸島市)で、その次が奴国(博多付近)です。

 11末盧館・菜畑遺跡説明版
この施設は、日本最古の稲作遺跡である菜畠遺跡を将来にわたって顕彰するために歴史博物館と遺跡公園を建設したものです。
建設には文化庁の協力をはじめ国土庁・林野庁・佐賀県などから助成をいただきました。
 利用案内
歴史博物館『末盧館』は古代の高床倉庫をイメージして設計したもので、内部には日本稲作発祥の地―菜畑遺跡―の展示を行っています。
遺跡公園は、縄文時代晩期(2500~2600年前)の日本最古の稲作のムラの竪穴住居・日本最古の水田・縄文の森を復元しています。

 末盧館
日本古代の高床倉庫をイメージして造った建物で、木造建築のよさを取り入れています。
内部は展示室・収蔵庫などからなり、日本稲作発祥の地―菜畑遺跡―の出土品を展示している歴史博物館です。

 縄文の森
菜畑のムラに生息していた樹木の実を用いています。当時はシイ・カシ・ヤマモモなどの照葉樹が優勢で、マツもおおく海岸特有の植生でした。
ムラができるとエノキ・ムクノクなど、人での加わったところに多い樹木が増加します。

利用案内 施設案内図
菜畑遺跡は
縄文晩期
2500~2600年前
日本最古の稲作のムラ
水田遺構
竪穴住居
縄文の森
を復元しています。
末盧館 縄文の森 縄文の森

 12竪穴住居
菜畑遺跡で発掘調査された住居跡をもとに復元したものです。(縄文時代晩期)
唐津周辺に特徴的な円形面で、弥生中期のものに比べるとやや小型の住居です。
6本柱で中央に炉跡があり、特徴として屋根を地に伏せたようなカヤ葺の建物です。


竪穴住居
縄文晩期
石鍬の跡か、横槌で敲きしめた壁面。後者?
縄文の森公園内

 13支石墓
 この支石墓は市内宇木の宇木汲田遺跡約2100年前の弥生前期末から中期初頭)で昭和40年11月に発見されたものをこの地に移しました。
 支石墓は、今から約2600年前の縄文時代晩期から弥生時代前期にかけて造られたもので、
掌石(じょういし、上石)が長さ3.07m幅1.04m厚さ0.39m重さ3.0tもある大きなものです。墓の内部は土壙墓(土葬)と考えられます。

支石墓


 菜畑遺跡

 14水田遺構(復元)
菜畑遺跡で発見された日本最古の水田は小規模(10~40㎡、平均20~30㎡程度)なもので谷に沿って細長く広がった谷水田と考えられています。
深い湿田で、土盛の畔と水路が掘られ、おそらく赤米が実っていたことでしょう。

水田
体験学習による

 18末盧館
 ごあいさつ
 末盧館は、昭和58年5月に国の史跡に指定された、菜畑遺跡の出土品を常設展示しています。
そのほか、解説パネルやイラスト、ビデオ、菜畑のムラ地形模型、竪穴住居ジオラマなどの展示で、菜畑遺跡を分かりやすく紹介しています。
 企画展示室では、秋に特別企画展を行っています。常設展とは違った視点で、古代を優しく紹介しています。
 出会いふれあいの広場では、春は赤米の田植え祭、夏は土器つくり教室、秋は収穫祭を開催しています。
 地域の皆様と一緒につくる楽しい企画も、常設展示と合わせてお楽しみください。
 末盧館では、出土品から見た末盧国を取り上げてきました。(※この館は菜畑館ではなく、末盧国の展示館として運営されています。)
 今後も様々な角度から末盧国の人々の暮らしを考えて行きます。


末盧館入口 ごあいさつ
 

 20末盧館
 館内展示物について
 菜畑遺跡は水田遺構なので、遺物(土器炻器等)はほぼ皆無に近く、撮影は可でも掲載不可の理由は、菜畑遺跡の全てが流出するからです。

 館内では黒岩前田遺跡 (Ⅰ期:弥生後期~約2000年前)(Ⅱ期:弥生終末期 約1800年前)(Ⅲ期:~古墳前期中頃 約1700年前唐津市相知町黒岩
が取り上げられています。
この遺跡からは縄文早期(11500~7000年前)の大型石槍(神子柴型のような)や、押し形文土器が出土し、展示されています。
しかし、その後の弥生後期までの間の人跡は残されていません。