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目
次 |
01縄文の森
03入口展示
04新潟県遺跡地図
05年表
21埋文業務
31信州から来た磨製石斧
33新潟のヒスイ
35石棒
40北野遺跡の地層
100常設展
110旧石器時代
113ナイフ形石器文化 前半
114瀬戸内系ナイフ形石器 後半
115細石刃文化 終末期
116尖頭器 終末期~縄文草創期
120縄文時代
121草創期
122土器
123早期
133前期
134中期 独特な土器
135後期
136晩期
200石器
210磨製石斧製作工程
220アスファルト
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230弥生時代
231弥生中期土器
233石器
234勾玉・管玉製作工程
235玉製品加工具
250古墳時代
252古墳時代の生活土器
254農具
255マツリの道具
270古代
272奈良時代の土器・食器
273平安時代の土器・食器
275奈良~平安の土器
277奈良~平安の道具
278飛鳥・奈良・平安の道具
300中世
303鎌倉・室町時代の土器
307鎌倉~江戸の道具
308鎌倉時代の木製品
330近世
332安土桃山・江戸時代の土器 |
stage2
400世界最古のヒスイ製 石器
403縄文時代のアクセサリー
420縄文の祈り
421縄文の土偶
425独鈷石・岩偶
426石冠・石棒・石剣
510鎌倉・室町時代の信仰
513銅製仏具・地鎮具
520流通
530銭貨
540南魚沼の古墳時代遺跡
541余川中道遺跡
首長墓と地域社会
543装飾品
545古墳時代土器
547飛鳥・室町の土器
549奈良・平安の道具
600縄文の漆工芸
602漆製品
620縄文時代の木工
623木製品
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630国宝火焔土器
640縄文時代の食べ物
650石船戸東遺跡の丸木舟
660編み物敷土坑
670木柱
stage3二階収蔵庫
6803つの時代の大甕
1000二階収蔵庫 縄文土器
1002城之腰・五丁歩の土器
1003清水上遺跡
1004その他の遺跡の土器
1100外庭 縄文の森 |
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01outside
縄文の森
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縄文時代の遺跡の発掘調査では、ドングリ・クリ・クルミ・トチなどの実がよく発見されます。特に、これらの木の実は当時の人々の貴重な食料となっており、一部は管理栽培されていたといわれています。
ここではこれらの植物を植え、縄文時代の自然環境を一部復元しています。 |
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縄文の森 |
新潟県立埋蔵文化財センター |
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秋季企画展「争乱」
発掘された白川荘 |
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玄関 |
案内図 |
業務報告 |
パノラマ撮影でしたが、普通に遠景で撮って横長に切り出す方がきれいですね。よくわかりました。 |
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03入口展示
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04新潟県遺跡地図
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新潟県内では、これまでに13000を超える旧石器時代から明治時代の遺跡の存在が知られています。
その中でも縄文時代の「火焔型土器」は全国的にも有名で、信濃川流域を中心に県内全域から出土しており、新潟県を代表する出土品です。
とくに、十日町市笹山遺跡の出土品は、縄文時代の深鉢形土器としては全国で唯一の国宝に指定されています。 |
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新潟県の主な遺跡 |
上に記述 |
【国宝】
十日町市笹山遺跡出土火焔型・王冠型土器 |
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新潟県北部 |
新潟県中部 |
新潟県佐渡地方 |
新潟県南部 |
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05年表
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20 |
21埋文業務
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埋文センターの業務 |
昔の人々の遺跡 |
昔の人々との対話 |
発掘調査の流れ |
整理作業の流れ |
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31信州から来た磨製石斧
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展示品の磨製石斧は太形蛤刃石斧と呼ばれています。その名の通り、刃先がハマグリ形をしていることから名付けられました。
県内では主に長岡市大武遺跡で21点、上越市吹上遺跡で、17点出土していて、いずれも搬入品と考えられます。
お隣の長野県に、太型蛤刃石斧の生産遺跡があります。長野市の榎田遺跡と松原遺跡です。
榎田遺跡からは大量の原石や未完成の石斧・石屑が出土し、松原遺跡からは磨き上げる段階のものや完成品が見つかりました。
このことから石斧を分業生産していたようです。完成品は周囲約200kmもの広範囲に流入しました
展示品の長岡市大武遺跡の太形蛤刃石斧も、素材となる石材や形が類似していることから、榎田遺跡や松原遺跡周辺で生産されたと考えられます。
一方このころの新潟県では、玉作が盛んに行われていました。長岡市大武遺跡や上越市吹上遺跡では、糸魚川産のヒスイで勾玉などが大量に生産され、完成品は信州などを始め、広範囲に流通しました。当時の人々はそれぞれ特産品を使って交流をしていたと思われます。 |
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信州から来た磨製石斧 |
磨製石斧の製作過程を示す石器群
長野市榎田遺跡 |
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弥生時代中期・長野県で作られた太型蛤刃石斧 |
仕上げ前の石斧
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扁平片刃石斧。榎田遺跡・松原遺跡では、こちらも生産し、広く流通した。
長野市榎田遺跡 弥生中期 |
完成品の石斧
長野市松原遺跡
弥生中期 |
遺跡の位置 |
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新潟で見つかった完成品
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新潟で見つかった
完成品の石斧長岡市大武遺跡 |
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33新潟のヒスイ
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新潟のヒスイ製勾玉 長岡市大武遺跡
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原石 |
勾玉 完成品 |
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35石棒
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石棒
糸魚川市六反田南遺跡
縄文中期
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40北野遺跡の地層 ※北野遺跡 東蒲原郡阿賀町(旧上川村)大字九島字長木3429番地 |
41遺跡の地層
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阿賀町北野遺跡で剥ぎ取った現地の地層です。
約5000年前に福島県沼沢火山の噴火によって、火砕流を含む洪水層が阿賀野川を流れ下り、縄文時代前期のムラを厚く覆いました。 |
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43Ⅱ層 暗褐色砂質シルト 縄文時代中期~後期中頃の集落(約5000~3800年前)
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北野遺跡では、縄文中期~後期なかごろにかけて、64軒の住居跡が見つかった。
建物の中には土器を埋め込み、周りを石で囲った複式炉が作られたものもある。 |
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Ⅰ層黒褐色シルト表土 |
Ⅱ層暗褐色砂質シルト
縄文中~晩期の遺物包含
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縄文中後期土器
北野遺跡 |
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中~後期中頃の集落
5千~3800年前
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北野遺跡の住居跡64軒確認。複式炉も発見。 |
複式炉を持つ竪穴住居
長さ5.2m×幅6.2m |
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44Ⅲ層 黄褐色砂質シルト層
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45 Ⅳ層 淡黄色砂(沼沢火山二次堆積物層)
沼沢火山から噴出した火砕流の二次堆積物 約5400年前
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今から約5400年前に沼沢火山(福島県)が噴火しました。
この時に発生した火砕流の一部が川に流され、約20km離れた北野遺跡の縄文時代前期の集落を覆っています。
火山灰は、遺跡の年代を知る手がかりになる。 |
Ⅳ層淡黄色砂
(沼沢火山二次堆積物層) |
踏ま沢崋山噴出火災流の二次堆積物
約5400年前
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沼沢火山と北の遺跡 |
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46Ⅴ層 黒褐色シルト(縄文時代前期の遺物包含層) 縄文時代前期の集落(約5000年前) 竪穴住居(長さ11.7m×幅6.0m)
Ⅴ層黒色シルト
Ⅵ層暗褐色シルト
Ⅶ層褐色砂質silt
Ⅷ層橙褐色砂 |
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縄文前期土器
北野遺跡 |
縄文前期集落
約5000年前 |
竪穴住居
長さ11.7m×幅6.0m |
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100常設展
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110旧石器時代
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日本列島に人類が到達した約4万年前から約1万5000年前までが旧石器時代です。
当時は、氷河時代で現在より気温が数度低く、人々はナウマンゾウやオオツノジカ、ニホンジカ、イノシシなどの狩で食料を得ていました。
移動する動物を追って、住まいを転々と移す生活でした。
人々は、石を打ち割って石器を作り、動物を獲る槍先や、獲物を解体したりする道具として使いました。
新潟県最古の糸魚川市大角地遺跡(おがくち)は約3万数千年前の遺跡で、台形石器が槍先として使われました。
その後、槍先はナイフ形石器、尖頭器、細石刃と移り変わりました。石器の材料は頁岩などの地元の石や、長野県産の黒曜石なども使われました。 |
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111後期旧石器時代
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旧石器時代 |
オオツノジカの狩り |
阿賀町 吉ヶ沢遺跡B地点 石器出土状況 |
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112後期旧石器時代前半
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113ナイフ形石器文化
ナイフ形石器文化
旧石器時代
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左2点:
阿賀野市円山遺跡
右2点:
上ノ平遺跡C地点 |
彫器、彫刻刀形石器
阿賀町
上ノ平遺跡C地点
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彫器・削片接合資料 阿賀町
上ノ平遺跡C地点
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掻器
阿賀野市円山遺跡
縦長剥片の端部に円形の刃を作り出した石器で、皮なめしの道具と考えられる。 |
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114ナイフ形石器文化 瀬戸内系ナイフ形石器 (国府系) 旧石器時代後半
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ナイフ形石器
国府系(瀬戸内系石器)
妙高市大堀遺跡
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ナイフ形石器
切出形
妙高市大堀遺跡
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石刃技法の接合資料
阿賀町吉ヶ沢遺跡B地点
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約7km離れた地点で採集された岩を打ち割って、縦長の剥片を連続的に作っている。 |
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115細石刃文化 旧石器時代終末期
細石刃の装着方法
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小さな細石刃は、先端の尖った骨製や木製の軸にはめ込んで、槍先やナイフとして使用されました。 |
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116尖頭器文化 旧石器時代終末期~縄文草創期
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120縄文時代
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土器が発明された約15,000年前から約2,400年前までが縄文時代です。
土器は、食べ物を煮る道具で、縄目の文様を付けたものが多いことから縄文土器と呼ばれます。温暖な気候に変わり、狩りや漁に加えて木の実の採集が盛んになりました。人々は、ムラに集まり、地面に穴を掘って草葺きの屋根をかけた竪穴住居などに住みました。
約5000年前の糸魚川市六反田南遺跡では、東北地方や信州地方の土器が見つかりました。
特産品である糸魚川市産のヒスイや蛇紋岩製の石斧を求めて活発な交流が行われたようです。
約2500年前の新発田市青田遺跡では、建物の柱にクリの木が多く利用され、、弓や編み物、漆塗りの糸玉や櫛が見つかりました。 |
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縄文時代
上に記述 |
ムラのようす |
糸魚川市六反田南遺跡
石列と廃棄域 |
六反田南遺跡廃棄域の地層断面 |
新発田市青田遺跡
掘立柱建物の木柱 |
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121草創期
石器
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122土器
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123早期
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133前期
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134中期
※五丁歩遺跡・六反田南遺跡の土器は本当にどれをとっても素晴らしいデザイン、素晴らしい技巧です。どうかゆっくりご覧ください。
六反田南遺跡のユニーク土器
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脚付土器 4本の客を持つ土器
如何に考えてもこの土器は、異形土器すれすれの超造形的な土器です。
深鉢 六反田南
口縁部に獣を模した突起が付く |
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鉢 六反田南
口縁部に巻貝を模した突起が付く |
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深鉢 六反田南 |
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135後期
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136晩期
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縄文時代晩期の土器 |
注口土器
胎内市昼塚遺跡 |
壺
新発田市青田遺跡
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鉢
新発田市青田遺跡 |
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浅鉢
新発田市青田遺跡 |
並行線を引き、網目状の文様をつけた土器 |
浅鉢
新発田市青田遺跡 |
壺
新発田市青田遺跡 |
甕
新発田市青田遺跡 |
甕
新発田市青田遺跡 |
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200石器
縄文時代の石器
(生活用具) |
縄文時代の石器
上:阿賀町北野遺跡
中・後期
下:新発田市青田遺跡
晩期 |
石鏃
上:頁岩・流紋岩
下:流紋岩・玉髄・頁岩 |
石錐
左:阿賀町北野遺跡
中・後期
右:新発田市青田遺跡
晩期 |
石匙
阿賀町北野遺跡
中・後期 |
石箆
左:阿賀町北野遺跡
縄文前期
右:阿賀町大坂上道遺跡 中・後期 |
板状石器
阿賀町北野遺跡
中・後期 |
扁平な礫の周囲を加工した石器で、削る道具として使用された。 |
打製石斧
阿賀町北野遺跡
後期
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土錘
村上市長割遺跡
後期 |
石錘
阿賀町北野遺跡
中・後期 |
磨製石斧
右上:魚沼市五丁歩遺跡 縄文中期
他:小千谷市城之腰遺跡 縄文後期 |
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210磨製石斧製作工程品 糸魚川市六反田南遺跡 縄文中期
原石
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剥離・敲打段階 |
蛇紋岩から磨製石斧を作る過程の副産物と工具。
斧としての形の作り方に、敲き減らし(敲打)と石鋸による擦切りの二種類がある。 |
擦切り・切断・敲打段階 |
研磨段階・完成品 |
敲石、砥石
六反田南 中期 |
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220石皿
アスファルト
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天然アスファルトの原料は石油。新潟県や秋田県などの石油が自然に湧き出る場所で採取することができる。溶かして接着剤として使われた。 |
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230弥生時代
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今から約2400年前に朝鮮半島から本格的な米作りの技術や鉄器・青銅器などが九州に伝わりました。これらは次第に各地に広まり、鉄器は実用品として青銅器は主に豊作などを祈る祭祀道具として使われました。
新潟県ではヒスイを原料にした勾玉づくりや、赤色や緑色の石を原料にした管玉作りが盛んに行われました。
弥生時代の終り頃(約1800年前)には、水田を耕すのに不向きな山の上に濠を巡らせたムラが現れました。
土地や水、鉄などの交易ルートをめぐって争いが起こったためと推測されます。水田の耕作や争いを通して、ムラの中にはリーダーが出現しました。
村のリーダーは、周りを溝で囲った方形周溝墓などの特別な墓に葬られることもありました。 |
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231弥生中期の土器:新潟県の弥生時代は中期から始まった
甕
阿賀野市狐塚遺跡
弥生中期 |
高坏
阿賀野市狐塚遺跡
弥生中期 |
壺、蓋
阿賀野市狐塚遺跡
弥生中期
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甕
長岡市大武遺跡
弥生中期
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鉢
長岡市大武遺跡
弥生中期
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甕
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
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232
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甕
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
壺
長岡市大武遺跡
弥生中期
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233石器
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炭化米
上越市下馬場遺跡
弥生後期 |
石包丁
村上市道端遺跡
弥生中期 |
石鏃
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
扁平片刃石斧
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
土器片製紡錘車
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
柱状片刃石斧
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
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234勾玉・管玉製作工程 長岡市大武遺跡
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ヒスイ勾玉工程品と製品
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
管玉工程品と製品
長岡市大武遺跡
弥生中期
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235玉製品加工具 長岡市大武遺跡 弥生中期 長岡市島崎大武1910 上越市下馬場遺跡 上越市大字下馬場浦山836
擦切具
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管玉や勾玉の製作の際に、石を擦り切ったり、叩いて形を整えたり、穴をあけたりするために使用する道具です。 |
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弾車はずみぐるま
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
擦切具
長岡市大武遺跡
弥生中期 |
ヒスイ敲き石
砥石 長岡市大武遺跡
弥生中期
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石針 長岡市大武遺跡
弥生中期
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鉄針
上越市下馬場遺跡
弥生後期
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250古墳時代
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稲作を基盤に社会が発展してくると、村々をまとめ、地域を治める首長が各地に現れました。彼らは畿内(現在の奈良県・大阪府周辺)を中心に連合し、前方後円墳など様々な形や大きさの墓を権威の象徴として築きました。おおよそ3世紀から6世紀にあたるこの時代を古墳時代と呼びます。
前期の古墳には鏡、中期には鉄製の武器などが遺体ととも納められました。長岡市奈良崎1号墳と上越市黒田古墳群は、それぞれの時期の特徴をよく示しています。
日常生活では、穴窯(窖窯)で灰色の硬い器(須恵器)を焼く技術が朝鮮半島から伝わり、素焼きの土器(土師器)とともに使われ始めました。
また、村はずれなどでは大量の土器や石製模造品を用いた祭祀が執り行われました。 |
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251
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252古墳時代の生活土器 南魚沼市余川中道遺跡
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土師器 高坏
南魚沼市余川中道遺跡
古墳中期
食べ物を盛る器 |
土師器 甕
南魚沼市余川中道遺跡
古墳中期
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土師器 甕
南魚沼市余川中道遺跡
古墳中期
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253生活土器 南魚沼市余川中道遺跡
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土師器 坏 |
土師器小型壺
余川中道遺跡
古墳中期
新しい土器
須恵器 坏
糸魚川市六反田南遺跡
古墳後期
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須恵器 ハソウ(小・大)
小:上越市黒田古墳群古墳中期
大:南魚沼市余川中道遺跡 古墳中期
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須恵器 壺
南魚沼市余川中道遺跡
古墳中期
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254農具
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木製 鍬
南魚沼市北沖東遺跡
古墳後期
糸魚川市竹花遺跡
古墳前期 |
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鉄斧
上越市黒田古墳群
古墳中期 |
鉄剣・鉄剣「蛇行剣」
上越市黒田古墳群
古墳中期曲がりくねった剣
儀式用 |
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255マツリの道具 南魚沼市余川中道遺跡 弥生中期
石製品 |
勾玉
南魚沼市余川中道遺跡 古墳中期 |
祭祀の想像図 |
石製模造品
石製模造品
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勾玉
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剣形
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鏡形 |
臼玉
南魚沼市余川中道遺跡 弥生中期 |
手づくね土器
南魚沼市余川中道遺跡 弥生中期
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270古代
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飛鳥時代には天皇中心の国づくりを目指し、様々な政治改革が行われました。朝廷は政治を学ぶため中国(隋・唐)に使いを送りました。
奈良時代には東大寺が完成し、各地に国分寺が作られ、平安時代には唐に学びながら日本独自の文化が生まれました。
新潟県では飛鳥時代に渟足柵ぬたりのさく・磐舟柵いわふねのさくがつくられましたが、その場所はわかっていません。
国分寺は上越市・佐渡市に作られました。
阿賀野市山口遺跡からは唐三彩が見つかっており、村の中に朝廷の使いとして唐へ渡った人がいた可能性があります。
砂鉄を原料にして鉄が作られ鉄の道具が普及しました。有力者は漆器や釉薬のかかった食器を使うこともありました。 |
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271
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飛鳥・奈良・平安時代
上に記述 |
東大寺大仏・平安京 |
村上市西部遺跡
平安時代の大型掘立柱建物 |
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272奈良時代の土器・食器
・須恵器 坏蓋
・須恵器 有台坏
聖籠町山三賀Ⅱ遺跡
奈良時代
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・須恵器 有台坏
・須恵器 稜碗
・須恵器 無台坏
聖籠町山三賀Ⅱ遺跡
奈良時代
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須恵器 有台坏
・須恵器 稜碗
・須恵器 無台坏
聖籠町山三賀Ⅱ遺跡
奈良時代
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木製曲物
木製 皿
柏崎市箕輪遺跡
奈良時代
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須恵器円面硯
役所で使用した
上越市滝寺11号窯
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273平安時代の土器・食器
・黒色土器 有台碗
・須恵器 有台碗
村上市西部遺跡
・土師器皿
・黒色土器 皿
柏崎市箕輪遺跡 |
・須恵器 有台碗
村上市西部遺跡
・黒色土器 皿
柏崎市箕輪遺跡
・緑釉陶器 碗
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・緑釉陶器 碗
・灰釉陶器 皿
妙高市関川谷内遺跡
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・青磁碗(中国産)
糸魚川市角地田遺跡
・緑釉陶器 皿
上越市五反田遺跡
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・土師器 無台碗×2
村上市西部遺跡
・黒色土器 無台碗
柏崎市箕輪遺跡
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・黒色土器 無台碗
箕輪遺跡
・土師器 耳皿
村上市西部遺跡
・漆器 椀
柏崎市箕輪遺跡
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275奈良~平安の土器
土師器 長胴甕
聖籠町山三賀Ⅱ遺跡
奈良時代 |
土師器 鍋
柏崎市箕輪遺跡
奈良時代
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土師器 小甕
柏崎市箕輪遺跡
平安時代
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須恵器 平瓶
ピンボケ
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須恵器 横瓶
新発田市小舟渡遺跡
平安時代
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須恵器長頸瓶
上越市木崎山遺跡
平安時代
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須恵器長頸瓶
柏崎市箕輪遺跡
平安時代 |
須恵器長頸瓶
柏崎市箕輪遺跡
平安時代 |
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道具
277奈良~平安
マツリの道具 上越市延命寺遺跡 奈良時代
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穢れを祓うための身代わり人形と、それを遠くへ運ぶもの、馬形・舟形。 |
木製人型
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木製
舟形・馬形 |
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銅製鏡
山吹双鳥鏡
上越市五反田遺跡
平安時代 |
石製 権けん
上越市今池遺跡
奈良・平安時代
重さを量るおもり |
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木製横櫛
柏崎市箕輪遺跡
奈良・平安時代 |
木製 琴柱
上越市延命寺遺跡
奈良時代 |
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278飛鳥・奈良・平安の道具
木製 火鑚臼・杵
ひきりうす
上越市延命寺遺跡
飛鳥時代
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土錘
聖籠町山三賀Ⅱ遺跡
奈良・平安時代
漁網のおもり |
木製 浮子
糸魚川市山岸遺跡
平安時代 |
製塩土器
糸魚川市山岸遺跡
奈良・平安時代 |
木製弓
柏崎市箕輪遺跡
奈良・平安時代 |
木製 糸巻
上越市延命寺遺跡
奈良・平安時代
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木製鍬
柏崎市箕輪遺跡
奈良・平安時代 |
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300中世
鎌倉・室町時代
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平安時代の終り頃、武士は次第に力を持つようになり、平氏との争いに勝利した源頼朝は、
1185年に御家人を守護や地頭として地方に派遣し、鎌倉幕府を開きました。
1338年(14世紀前葉)には足利尊氏が室町幕府を開きましたが、15世紀後半には幕府の力は弱まりました。
新潟県にも多くの御家人が地頭として派遣されました。彼らはまわりに濠をめぐらした館に住んでいました。
室町時代の終り頃に、長尾氏が主君の上杉氏を倒して越後を支配するようになると、山城やその麓に住む武士も現れました。
遺跡からは中国製の青磁・白磁や銭貨、能登半島で作られた珠洲焼が多く見つかり、日本海を利用した交易が活発であったことが推測できます。
※長尾は上杉を下剋上して政権を奪った。後の上杉氏は、長尾氏の四男長尾景虎が下剋上した上杉氏の名前を名乗ったものである。 |
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301
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303鎌倉・室町時代の土器
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鎌倉・室町の土器 |
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・青白磁 蓋(中国産)
・褐釉 合子蓋 新発田市住吉遺跡
鎌倉時代 |
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・青磁碗〔中国産〕
・白磁水注〔中国産〕
新発田市住吉遺跡
鎌倉時代 |
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・青磁碗〔中国産〕
上越市山崎遺跡
鎌倉・室町時代
・青磁碗〔中国産〕
上越市木崎山遺跡
室町時代 |
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305
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307鎌倉~江戸の道具
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古瀬戸水滴:室町
銅製鍔:室町
硯(貸し出し中):鎌倉
将棋駒金将:鎌倉
傘紋のある銅製品:鎌倉 |
木製 扇 鎌倉
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鉄鎌
青磁 火入れ 江戸
煙管 江戸・室町
かんざし 江戸・室町
包丁 室町
青白磁皿中国産 室町
銃弾 |
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308鎌倉時代の木製品
下駄・杓子・箸
漆器椀・皿、燈明皿 |
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440
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木製下駄
出雲崎町寺前遺跡
平安末・鎌倉時代 |
木製杓子
出雲崎町寺前遺跡
平安末・鎌倉時代 |
木製 箸
出雲崎町寺前遺跡
平安末・鎌倉時代
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漆器 椀
糸魚川市山岸遺跡
平安末・鎌倉時代
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漆器 皿
糸魚川市山岸遺跡
平安末・鎌倉時代
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燈明皿
上越市木崎山遺跡
室町時代 |
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330近世
安土桃山時代・江戸時代
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室町幕府を滅ぼし、全国統一を目指していた織田信長は、家来の明智光秀に背かれ、京都の本能寺で亡くなりました。
信長の家来の豊臣秀吉は明智光秀を破り、その後、全国統一しました。秀吉の死後、
徳川家康は関ケ原の合戦で対立する大名たちを破り、江戸幕府を開きました。江戸幕府は各地に大名を置いて地方を支配しました。
金や銀を産出する佐渡は幕府の直轄地となり、越後は小藩に分かれました。当時の町や村からは唐津焼や伊万里焼が多く見つかります。
幕末には11の藩が存在し、新政府軍と幕府軍が戦った戊辰戦争は、中越地方で激しい戦いとなりました。
発掘調査でその時の銃弾が見つかることがあります。 |
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331
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佐渡市佐渡金銀山遺跡道遊の割戸 |
安土桃山・江戸時代
上に記述
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新発田城跡 |
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332安土桃山・江戸時代の土器
安土桃山・江戸時代の土器 |
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安土桃山時代の土器
唐津焼 皿×4
上越市木田遺跡 安土桃山×3
柏崎市丘江遺跡×1
九州北部、佐賀県東部・長崎県北部で焼かれた焼き物。 |
江戸時代の土器
伊万里焼 皿×2、碗
上越市高田城下鍋屋町遺跡
九州の佐賀県有田町周辺で焼かれた土器
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江戸時代の土器
その他
京焼系 陶器
陶器
燈明器(ひょうそく)
燈明皿・受け皿
上越市高田城下鍋屋町遺跡 |
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・唐津焼 鉢
柏崎市丘江遺跡
安土桃山時代
・志野焼
上越市三角田遺跡 安土桃山時代 |
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stage2 |
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400世界最古のヒスイ製 石器
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日本の国石に選ばれたヒスイ。新潟県糸魚川市のヒスイは質・量とも日本一です。
このヒスイを利用した世界最古の石器は、糸魚川市大角地遺跡から見つかった、約6500年前の敲石(ハンマーストーン)です。
重くて硬い特徴を活かして、磨製石斧の原石を割り、形を整えるのに使われました。
その後、ヒスイは大珠や勾玉、管玉などのアクセサリーに加工され、約2500年前までに北海道から沖縄まで流通します。
ヒスイの緑色の輝きは、長く人々を魅了し続けています。 |
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401
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世界最古のヒスイ製石器
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糸魚川市 大角地遺跡
ヒスイ製敲石 |
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世界最古のヒスイ製石器
上に記述 |
海辺の大角地遺跡 |
ヒスイ製敲石が出土したときの様子 |
大角地遺跡の勾玉や丸玉
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403縄文時代のアクセサリー
縄文時代のアクセサリー |
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勾玉・丸玉
糸魚川市大角地遺跡
縄文前期 |
世界最古のヒスイ製石器
敲石
糸魚川市大角地遺跡
縄文前期 |
玦状耳飾、垂玉
糸魚川市大角地遺跡
縄文前期 |
ヒスイ製大珠、大珠
阿賀町北野遺跡
縄文中期
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ヒスイ原石・剥片
糸魚川市六反田南遺跡
縄文中期 |
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垂玉
土製耳飾り
糸魚川市六反田南遺跡
縄文中期 |
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405
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玦状耳飾・管玉
魚沼市清水上遺跡
縄文中期
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垂玉
魚沼市清水上遺跡
縄文中期 |
ヒスイ原石
魚沼市清水上遺跡
縄文中期 |
大珠
村上市長割遺跡
縄文後期
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ヒスイ製垂玉
小千谷市城之腰遺跡
縄文後期 |
垂玉・丸玉・管玉
小千谷市城之腰遺跡
縄文後期 |
ヒスイ製垂玉
新発田市青田遺跡
縄文晩期
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丸玉
新発田市青田遺跡
縄文晩期
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管玉
新発田市青田遺跡
縄文晩期
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420縄文の祈り
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421縄文の土偶
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土偶は粘土から製作された素焼きの像で、縄文時代を通して作り続けられました。
日常的に使用する道具と異なり、縄文人の精神面(祈り・呪術・儀礼など)を反映したものと考えられています。
女性的な特徴を持つ像が大半で、誕生・豊穣・再生など女神信仰と合わせて考えられる場合が多くあります。
破損した状態で見つかるのも特徴で、全身がわかる例は希少です。
新潟県では前期~晩期の土偶の破片が、二千点以上見つかっています。 |
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422土偶
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・小千谷市城之腰遺跡
縄文後期
・村上市上野遺跡
縄文後期 |
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・糸魚川市
六反田南遺跡
縄文中期
・柏崎市剣野沢遺跡
縄文中期 |
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423
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424
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長岡市大武遺跡
後期~晩期
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スタンプ形土製品
阿賀町現明嶽遺跡
後期 |
実際に押すことはなく、お守りや集団を示す印として使用した可能性がある。 |
三角形土版「土偶」
南魚沼市五丁歩遺跡
中期
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縄文時代中期に多く、土偶の変形又はそれに近い性格を持つと考えられている。 |
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425独鈷石
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426
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石冠
上:阿賀町北野遺跡
後期
下:阿賀野市山口野中遺跡 晩期 |
・線刻礫
村上市長割遺跡
後期
・彫刻石棒
柏崎市野沢遺跡
後期
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小型石棒
新発田市青田遺跡
晩期
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石剣
新発田市青田遺跡
晩期
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510鎌倉・室町時代の信仰
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上越市木崎山遺跡では、10点の銅製仏具を納めた瀬戸焼四耳壷と銅製の五鈷鈴が穴から見つかりました。
土地を開発するときに、その土地の神を鎮め、安全を祈るために捧げたものと考えられます。
人形は身についた罪や穢れを取り除くため、鏡と陽物は災いから身を守るためのものです。
また、鎌倉時代以降に五輪塔などのお墓が多く作られるようになりました。当時は神と仏を区別せずに一体のものとして信仰しました。 |
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511
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鎌倉・室町時代の信仰 |
鎌倉・室町の信仰 |
上空から見た木崎山遺跡 |
五鈷鈴の出土
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地鎮具が治められた壺の出土状況
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南無阿弥陀仏と書かれたかわらけ
柏崎市丘江遺跡
・五輪塔(鎌倉・室町の墓)糸魚川市田伏地区
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512鎌倉・室町時代の信仰
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513銅製仏具・地鎮具 上越市木崎山遺跡 鎌倉時代
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銅製 六器「台皿」
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銅製六器「小鋺」
銅製 飯食器
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銅製花瓶
銅製五鈷鈴と舌 |
古瀬戸
四耳壷(茶壷)
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520鎌倉・室町時代の流通
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鎌倉・室町時代の日本では、銭貨をおおやけには鋳造せず、主に中国から輸入して流通させていました。
この頃の銭貨は種類に関係なく1枚=1文とされました。
柏崎市東原町遺跡では、10,674枚の銭貨が入った珠洲焼の壺が発見されました。
銭貨の中で最も新しいものは、陳朝(ベトナム)で作られた紹豊元寶(初鋳:1341年)です。
鎌倉・室町時代より前の飛鳥時代から平安時代、これより後の江戸時代には日本でも銭貨が鋳造されています。 |
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鎌倉・室町時代の流通 |
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柏崎市東原町遺跡
東原町遺跡の掘立柱建物 |
蓋が被せられた壺
銭貨が納められた壺 |
阿賀野市境原遺跡の
出土銭
上越市小重遺跡の出土銭 |
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珠洲焼壺
柏崎市東原町遺跡
室町時代 |
壺に入っていた銭貨 |
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和同開珎
元禄一分判金
寛永通宝
寛永通宝
寛永通宝(四文銭)
天保通宝 |
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530銭貨
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540南魚沼の遺跡
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541
南魚沼市余川中道遺跡 ―魚沼の首長墓と地域社会―
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魚野川に注ぐ床ノ川の扇状地先端部に立地しています。
遺跡は古墳時代前期(最下層)、古墳時代中期(下層)、古墳時代後期~平安時代(中層)、室町時代(上層)の4時期に大別できます。
古墳時代前期(4世紀)から室町時代(16世紀)まで、何度も地震や洪水の被害に遭いながら、断続的に人々が生活を営んできたことがわかりました。 |
古墳時代の余川中道遺跡
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最下層(古墳時代前期)では水田を検出しました。2m四方程度の小さな区画が整然と並んでいます。
中・下層(古墳時代中・後期)では土器や石製祭祀具を集めた「集積遺構」が見つかりました。集落で行われた祭祀の跡と考えられます。
古墳時代の移行には6世紀後半のものがなく、ここで一旦、生活の痕跡が途切れます。
飯綱山古墳群もこの頃終わりを迎えるようです。 |
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南魚沼市余川中道遺跡
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遺跡近景
中央奥の丘が
飯綱山古墳群 |
古墳時代の
余川中道遺跡
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古墳時代前期の水田 |
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543古墳時代 装飾品 南魚沼市余川中道遺跡
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勾玉 |
管玉
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臼玉
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石製模造品
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土製勾玉
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須恵器 ハソウ
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545古墳時代 土器 南魚沼市余川中道遺跡
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土師器 高坏 |
土師器 小型壺 |
土師器 小型壺 |
土師器 壺 |
土師器 甕 |
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547飛鳥時代 南魚沼市余川中道遺跡
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549奈良・平安時代 南魚沼市余川中道遺跡
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坏
温石
茶臼
青磁 椀 |
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600縄文の漆工芸
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縄文時代の漆利用は、約9000年前に遡り、世界最古の歴史があります。
新発田市青田遺跡では竪櫛や腕輪のほか、この製作に使われた漆容器が見つかりました。
赤漆塗り糸玉は、植物の繊維を撚った糸に赤漆を塗り重ねてから、数十本を束ねて結び目を付けたものです。
アクセサリーのほかに、結び目の数や配置などで意思を伝える道具の可能性があります。
同様の糸玉は福島県や奈良県でも見つかっており、広範囲で糸玉が使われていたようです。 |
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601
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新発田市青田遺跡
竪櫛・ヘアピン状漆製品 |
上に記述 |
新発田市青田遺跡の赤漆塗り糸玉 |
新発田市青田遺跡の赤漆塗り糸玉 |
漆が塗り重ねられた赤漆塗りの糸玉断面の顕微鏡写真 |
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602漆製品 新発田市青田遺跡
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赤漆塗り糸玉
縄文晩期
新発田市青田遺跡 |
赤漆塗り糸玉
縄文晩期
新発田市青田遺跡
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赤漆塗り糸玉
縄文晩期
新発田市青田遺跡
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赤漆塗り糸玉
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赤漆塗り糸玉 |
腕輪状 漆製品
縄文晩期
新発田市青田遺跡 |
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604漆製品 縄文晩期 新発田市青田遺跡
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漆塗り飾弓 |
漆塗結歯式竪櫛
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ヘアピン状漆製品
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漆用具 鉢・深鉢
漆液とベンガラを混ぜる道具 |
漆用具 甕
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顔料粉砕用磨石
ベンガラ容器 壺 |
赤色顔料の塊 |
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620縄文時代の木工 新発田市青田遺跡
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縄文人にとって木は、道具作り建築に欠かせない材料でした。石斧で木を切り倒し、枝を取り除き、ちょうど良い長さに切断し、時にはクサビで打ち割って加工しました。
弓にはイヌガヤのように、用途に適した樹種が選ばれました。新発田市青田遺跡からは堀り棒や横槌、ケヤキの樹皮を加工した箱や曲げ物、竹笹や葦などを編んだ編み物、樹皮を撚った縄など豊富な木製品が見つかりました。縄文時代に発達した木工技術や製品は、現代に通じているのです。 |
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621
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新発田市青田遺跡の
・樹皮製容器
・飾把手付木製品
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新発田市青田遺跡の
丸木弓 |
横槌、樹皮製容器
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623木製品 青田遺跡 縄文晩期
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飾把手付木製品
横槌
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樹皮製 容器
ケヤキの樹皮製 |
樹皮製 指輪状製品
縄
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樹皮製容器
ケヤキ樹皮製
四角い板を結び合わせたもの
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紐で繋がれた木器と石器 |
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筌うけ状編み物 |
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630国宝火焔型土器 複製 十日町市笹山遺跡 縄文中期
縄文土器 深鉢 糸魚川市六反田南遺跡 縄文中期
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640縄文時代の食べ物 |
641
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植物種実
新発田市青田遺跡
縄文晩期 |
トチノキ
サルナシ |
クリ、オニグルミ |
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獣など |
イノシシ
タヌキ
カエル
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ニホンニジカ
ツキノワグマ |
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魚・貝 |
サメ類・マグロ属・タイ科 |
ブリ属・サバ鏃・サケ科 |
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650石船戸東遺跡の丸木舟 鎌倉~室町時代 約700年前
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阿賀野川右岸の沖積平野に立地する石船戸遺跡では、国道49号線阿賀のバイパス建設に伴う平成27・28年の発掘調査で、井戸側(井戸の囲い)に再利用された丸木舟が見つかりました。
井戸から出土した遺物の年代から、丸木舟が役割を終えたのは鎌倉時代にあたる13世紀の終り頃と推定できます。
当時の遺跡周辺は、ほぼ現在の阿賀野市域に相当する範囲を領域とした白川荘に含まれていました。
丸木舟は、中央から2つに割って筒形に組み合わせて、井戸側の下部に埋め込まれていました。
二つの材を合わせた長さは約5.5mあり、切断された船首と船尾を含めると7m誓い長さであったと推定できます。
これ程保存状態の良い丸木舟は、全国的にも稀有な出土事例です。 |
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651
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653
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660編み物敷土坑(土坑の底に編み物が敷かれていた)
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中央に笹類で作られた国内最大級の敷物があり、端にはマタタビの蔓で作られた籠もある。 |
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670木柱 新発田市青田遺跡 縄文晩期
大型掘立柱建物の木柱
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大型建物SB4の柱。樹種はクリ。年輪数は47年。平均年輪幅は5.2mmと成長が早い。
大型建物には太いクリ材、中型・小型建物にはコナラ節などの他の樹種が使われる。 |
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stage3
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二階収蔵庫
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6803つの時代の大甕
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左から平安時代、鎌倉・室町時代、江戸時代の大甕です。左の新発田市小船戸遺跡の大甕は、鷹さ73.5cm、口径36.5cmにもなります。時代や焼き方の異なる大きな3点の甕は、都のような用途で使われたのでしょうか。ぜひ想像しながらご覧ください。 |
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越前焼大甕妙高市坪ノ内館跡 江戸時代 |
珠洲焼 大甕
上越市虫川城跡
鎌倉・室町時代 |
須恵器 大甕
新発田市小船渡遺跡
平安時代 |
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1000二階収蔵庫 縄文土器
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1001全景
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1002城之腰・五丁歩の土器
城之腰遺跡
中期末~後期初頭 |
『小千谷市』縄文時代中期~後期/関越自動車関係 昭和53~56(1978~81)発掘調査
1.遺跡の概要
遺跡は信濃川が山地部から平野部へ抜ける直前の中流域左岸の河岸段丘上に位置します。標高87m。
発掘面積約65000㎡。縄文中期後葉~後期前葉(約3500年前)を主体とする集落のほぼ全容を明らかにした。 |
城之腰遺跡 |
『小千谷市』縄文時代 中期~後期/関越自動車道関係 昭和53・56(1978~81)発掘調査
3.遺物
出土した土器は縄文早期~晩期に渡ります。主体は中期後葉~後期前葉で、新潟県を中心に分布する「三十稲場式」が多く含まれています。
また、土偶片や土器片円盤、礫石錘が多く見つかっています。 |
五丁歩遺跡
中期前葉 |
『南魚沼市』(旧南魚沼郡塩沢町)縄文時代中期/関越自動車関係 昭和58・59(1983~84)発掘調査
1.遺跡の概要
遺跡は飯士山の形成した扇状地端部、魚野川右岸。標高260mに位置します。
調査の結果、縄文時代中期前半(約4500年前)の環状集落の前葉が明らかになりました。 |
五丁歩遺跡 |
2.遺構
住居は65軒確認されました。床面が円形に誓い一般的な竪穴住居と長方形に柱を灰決する住居が、中央広場(直径30m) を中心に円を描くように環状に配置されていました。
この65軒は建て替えによるもので、同時に存立していたのは4~5県と考えられています。集落の外側に住居、
内側には墓があり、墓標として石が建てられていました。中央広場は共同作業や祭の場として利用されたと考えられます。 |
五丁歩遺跡 |
3.遺物
この時期に新潟県の平野部、海岸部で多く見られる「爪形文様の土器」はこの遺跡でほとんど見られません。
代わって長野県や群馬県に分布の中心を持つ土器が数多く見られます。
また、関東地方の文様を持つ土器もありました。このことは、この遺跡が新潟県の平野部、かいがんぶよりも長野県、群馬県の山間部とより強いつながりがあった。 |
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1003清水上遺跡 南魚沼市
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『魚沼市』(旧北魚沼郡堀之内町)縄文時代前・中期/関越自動車関係
昭和57・58/平成2~5年(1982・83/1990-93)発掘調査
1.遺跡の概要
遺跡は魚野川右岸段丘上に位置します。標高100m~110mで、現魚野川との比高差は約25mです。
調査結果、縄文前期前半、中期初頭、中期前葉、中期中葉の4つの集落が存在していたことがわかりました。
特に中期の集落は途切れなく連続して営まれており、同一集団だった可能性があります。 |
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2.遺構
住居は約100軒発見され、中央広場を中心に直径約100mの範囲で環状に配置されていました。
これらは長方形のものと円形又は楕円形のものの2種類に分けることができます。
長方形の方が大形で、複数の炉を伴います。
また、住居の周囲からは食べ物を貯蔵したと考えられる袋状土坑が約80基見つかっています。 |
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3.遺物
出土土器は、文様から北陸系(51%)、東北系(23%)、越後系(12%)、中部高地系(12%)、関東系(2%)に分類でき、
北陸系土器の割合が高いことがわかりました。
石器は打製石斧、磨石類、石皿といった採取・加工具及び調理具が多く出土しています。
※南の山を越せば会津だのに、北の山を越してまた越して、海に出て、更に北陸と繋がっていたという。
北陸の特産品と強く結びついていたという、いったいどの様な交易がなされ、何が持ち込まれ、何を持って行ったのだろう。 |
清水上遺跡の土器 北陸系の土器が混じっているのだろうか。
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1004
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4005
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1100外庭 縄文の森
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