新潟の縄文 №11 2020.09.28-3
片貝縄文資料館 新潟県上越市中郷区片貝92-2 0255-74-4404 火曜休館撮影可
(旧片貝村)
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交通 |
レンタカー |
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特徴 |
縄文後晩期の集落跡と墓地遺跡、土製耳飾りの製作工房跡 |
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2021年日本縦断こころ旅の日野正平さんが訪ね、館長が記念写真を依頼しました。
今頃はその写真が飾られているのではないでしょうか。 |
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目
次 |
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はじめに
上越妙高駅から片貝へ
01高田平野のバイパス18号線
03予備知識:周辺地理・歴史
02外観・入口展示
100展示室1
101籠峰ムラの特産品
103妙高山麓籠峰ムラへようこそ
104籠峰縄文人のムラ
105ムラの移り変わり
110籠峰縄文人のアクセサリー
111土製耳飾り
112縄文人の装身具
113土製耳飾り
円筒形で文様のあるもの
テラス形・ブリッジ形
リング形
臼形・円盤形
119土製 耳飾りを付けた縄文人
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120自然の中で暮した縄文人
121籠峰縄文人の食べ物
狩り・縄文犬・落し穴
123狩猟具
124石器未成品
125漁撈具
130調理具
132籠峰縄文人の食べ物(植物)
133縄文の道具と現代の道具
134鍋と火元
136保存する
干物・燻製・貯蔵
137壺
150後・晩期土器
160住居
161籠峰縄文人の住まい
162大型竪穴住居
163工具
165磨製石斧
168打製石斧
廊下展示
170土器に見る動物
171縄文土器に見られる動物?たち
➀獣面突起とは
③福田大久保遺跡
③-2周辺の縄文時代の遺跡
④いつ?どの地域の土器なの?
⑥獣面突起の移り変わり
175県内及び周辺地域の獣面突起
180獣面突起
190深鉢形土器 |
200展示室2
201不思議な道具
210祈り
212土偶
217心臓の表現のある土偶
218耳飾りをつけた土偶
219土偶変遷
220有孔球状土製品
223土版・土製品
230石棒
235石棒・石冠
237細形石棒
240石冠
241岩版
242各地の岩版
243籠峰遺跡の岩版
244石冠
250墓
251籠峰縄文人の墓
252遺体の納め方
253墓地遺跡
255石棺状配石
260埋甕
270埋設土器
272籠峰遺跡の埋設土器
275深鉢 |
300展示室3
301一万年続いた縄文時代
303人類誕生700万年の図
305縄文土器の移り変わり
320旧石器~縄文前期
321松ケ峰・湯の沢遺跡群
323縄文時代早期土器
325縄文時代前期土器
350縄文中期
351和泉A遺跡
326縄文中期前葉土器
356中期初頭
360縄文後・晩期
361籠峰遺跡
362後期の土器
364東北地方の影響が強い土器
長野県の影響が強い後期土器
370縄文晩期
372長野県の影響が強い晩期土器
373東北地方の影響が強い晩期土器
北陸地方の影響が強い晩期土器
381剥製動物 |
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はじめに
片貝縄文資料館は、籠峰遺跡の展示館です。
籠峰遺跡とは、
位置: 新潟県上越市中郷区稲荷山
年代: 縄文後・晩期が最盛期の集落遺跡。(縄文前期から奈良時代)
特徴: 多量の、石棺状配石・石冠・土偶・石棒、など、葬送祭祀遺物に特徴がある。
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上越妙高駅から片貝へ
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01高田平野のバイパス18号線
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高田平野には高速道路が何本も走っているが、特に上越市から南の信州方向には、高速道路と並行してバイパスが通っており、
バイパスが主動脈となってとなっていて、高速道路を走る人はいない。
ただし、くれぐれも先頭を走らないように、ご当地の交通事情に詳しい、地元の人に走って頂いて、その後をついていきましょう。遅れないように。
パトカーもよく見かけましたョ。 |
バイパス18号線
遠くまですっきり見通せてって、これはまずい |
先頭を走っている様子。 |
飛ばすか、ゆるめるかして他車につかないと
つかまっちまう。
バイパスを高速道路並みで走行中 |
ほんとうに眺めのいい楽しいドライブです。 |
途中に、信越地方の有名な山々、スキー場が見えます。(隣に記述) |
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03予備知識:資料館周辺の地理・歴史
➀上越↔長野の交通網
引用google |
②上越妙高駅→縄文館
バイパス利用経路
引用google |
③高田平野
新潟南部の地形
引用:国土交通省 |
④旧高田市は上越地方の中心都市
引用google |
⑤海岸部:春日山市
内陸部:高田市
最下部:上越妙高駅
引用google |
⑥籠峰遺跡の位置
引用google |
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➀新潟県南部(上越)地方と長野県北部を結ぶ道は整備されて、高速走行が可能である。(高速道路、バイパス、一般道、私鉄、新幹線)
同じ経路を3万年前、ナウマンゾウが、直江津の海岸と、冬の野尻湖を通りもっと南の暖地との間を回遊していたともいう。
②上越妙高でレンタカーを借り、旧片貝村に行くには、バイパスが最適。高速道路と時間は変わらない。地元の人は皆バイパスを利用。
③高田平野は長野県北部の妙高山・戸隠・黒姫・飯綱~斑尾・黒岩などの豪雪地帯の山岳から流れ下る膨大な量の融雪水を集める
一級河川関川によって形成された豊かな平野である。
④⑤高田平野の中心都市直江津市と高田市。
・旧直江津市は、日本海航路の直江津港が古くから栄えており、海流を利用した佐渡との往復航路で賑わった。(今は昔)
・旧高田市は、それまで山城春日山城が廃城となり、平野部の高田城に移ってから江戸時代を通じて発展した上越地方最大の都市である。
・1971年に両市は合併し上越市となり、2005年周辺の町村を合併した。従ってこの時周辺には上越市と妙高市があった。ために、
・新幹線駅は上越妙高駅となった。しかし、なんともネーミングが悪い。なぜなら、上越新幹線に乗っても上越市には行けない。妙な齟齬が生じた。
⑥籠峰遺跡へ、、行っても何んにもないと思うけど、、、 |
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※籠峰遺跡からはもちろんナウマンゾウの痕跡は見つかりませんが、積雪が10mにもなったという豪雪地帯の、妙高山山麓の地域には、沢山の縄文遺跡が存在します。豪雪のなかで、火山の斜面を利用した冬場の狩猟と植物種子の採集や植物食、だけで暮らしていけたのだろうか。
それとも、もっと豊かな食料獲得の手段があったのだろうか。
長野県大町市周辺の縄文遺跡では、人骨に残された痕跡から獣肉も十分に食べられない、貧栄養状態の遺跡がありました。彼らは縄文海進で海に沈んだ東海や関東からやって来た他部族の縄文人との競争に破れ、山奥に追い詰められたのかもしれない。
しかし、妙高山周辺の火山地帯の集落は繁栄によって集落が増え、分散したかのような遺跡配置である。この地域には住みやすい何かかあったのかもしれない。ただ、火山灰の酸性が強く、人骨・獣骨・魚骨などは残存していないため、何もわからないが。豊かな土器文化がうかがえる。 |
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02外観・入口展示
片貝縄文資料館
写真拝借googlemap |
元、中学校の校舎のようです |
籠峰遺跡の出土品 |
遺物は全て同じ作者か、同じ構想を持った人によって作られている。製作にストーリーがあるようです。 |
資料展示室 |
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※籠峰遺跡 引用google検索
上越市ホームページによると
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縄文時代前期~奈良・平安時代にかけての集落跡です。 なかでも縄文時代後期~晩期の頃は墓・祭祀の場と推定されています。
約80基の石棺状配石や、石冠、石棒など特殊遺物が大量に出土しています。 |
中郷総合事務所
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主に縄文時代後期から晩期の遺跡です。周辺の遺跡には、石棺状配石や第二の道具など縄文時代の精神性を研究する上で貴重な資料が数多く検出されていることから、縄文文化研究の重要なフィールドとなっています。 |
ララネット
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縄文時代後期の中ごろ(約3,500年前)から晩期中ごろ(約2,300年前)を中心とした集落や墓の跡です。 遺跡は約1万8千平方メートルの範囲がありますが、県指定史跡の面積は約2,800平方メートルで、 |
※どうも、信用できそうなのは、縄文後期中頃の遺跡、しかも、集落や、墓の跡のようです。廃絶された集落はそのまま墓地となるため、
集落があったとしても以外に短い期間で、その後は主に副葬品を伴う広大な墓地として利用されたようです。出土物・展示物は副葬品のようです。 |
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100展示室1
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101籠峰ムラの特産品
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籠峰ムラの特産品
その1耳飾り |
籠峰ムラの特産品
その2石鏃
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籠峰ムラの特産品
その3石斧 |
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103籠峰ムラへようこそ
妙高山麓にある籠峰遺跡
上越の歩み 旧石器~弥生の遺跡
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年代 |
時代 |
時期 |
主な出来事 |
上越の主な遺跡 |
松ヶ峰・湯の沢遺跡群 |
和泉A遺跡 |
籠峰遺跡 |
約20000年前 |
旧石器 |
後期 |
・狩猟を中心とした移動生活 |
蛇谷遺跡(向橋)
日向林B遺跡(信濃町) |
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約13000年前 |
縄文 |
草創期 |
・土器や弓矢、竪穴住居の出現 |
蛇谷遺跡(向橋)
大堀遺跡(妙高市) |
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約9500年前 |
縄文 |
早期 |
・定住生活が始まる |
松ヶ峰遺跡群(妙高市) |
↑ |
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約6500年前 |
縄文 |
前期 |
・環状集落が現る
・約5300年前妙高山噴火 |
鍋屋町遺跡(林崎区)
古町B遺跡(吉川区) |
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↓ |
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↑ |
約5000年前 |
縄文 |
中期 |
・大きな環状集落が作られる
・4300年前妙高山再噴火 |
和泉A遺跡(中郷区)
山屋敷Ⅰ遺跡(岩木)
長者ヶ原遺跡(糸魚川市) |
↑
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↕ |
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↓ |
約4000年前 |
縄文 |
後期 |
・小さなムラが多くなる |
籠峰遺跡(中郷区)
兼俣B遺跡(妙高市) |
↓ |
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↑ |
約3000年前 |
縄文 |
晩期 |
・土偶など祈りの道具が多く作られる |
籠峰遺跡(中郷区)
寺地遺跡(糸魚川市)
葎生遺跡(妙高市) |
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↑
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↓ |
約2500年前 |
弥生 |
前期 |
・稲作が大陸から北部九州に伝わる |
和泉A遺跡(中郷区)
大塚遺跡(糸魚川市) |
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↑ |
約2200年前 |
弥生 |
中期 |
・上越で米作りが始まる |
吹上遺跡(稲荷)
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↓ |
↓ |
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籠峰ムラへようこそ |
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妙高山麓にある籠峰遺跡
上に記述 |
上越の歩み
旧石器~弥生中期
上に記述 |
高田平野周辺の地形と旧石器~縄文の主な遺跡
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妙高山麓の地形と主な縄文遺跡 |
妙高山麓の地形と主な縄文遺跡
写真は北から南を、
新潟から信州野尻湖を撮影している |
1: 籠峰遺跡群
2: 和泉A遺跡
3: 湯の沢遺跡群
4: 松ケ峰遺跡
5: 南田遺跡
6: 葎生遺跡
7: 上ッ平遺跡
8: 道添遺跡
9: 小重遺跡 |
縄文時代前期~晩期(かごみね)
縄文時代中期~晩期
縄文時代前期・後期
縄文時代早期・前期
縄文時代中期~晩期
縄文時代後期・晩期(むぐろ)
縄文時代前期(うわったいら)
縄文時代中期・後期(みちぞえ)
縄文時代前期(こじゅう) |
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104籠峰縄文人のムラ
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籠峰遺跡では、竪穴建物跡、掘立柱建物跡、埋設土器、配石墓、土壙などが見つかりました。
遺構のない場所は中央広場と考えられ、その周辺に掘立柱建物跡があり、さらに外側に埋設土器(※土器棺墓)があります。
竪穴建物跡は北西と南西部にあります。配石墓は4か所にまとまっています。
これらの遺構は全て同じ時期にあったわけではなく、ムラとして使われていた時期と、墓地として使われていた時期に分かれる可能性があります。 |
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籠峰縄文人のムラ
上に記述 |
上空から見た籠峰遺跡 |
籠峯遺跡で見つかった遺構 |
105籠峰遺跡の移り変わり
籠峰遺跡の移り変わり
・後期中頃~晩期初頭
集落の時代
・晩期中頃~晩期終末
墓地の時代 |
集落の時代 |
②縄文後期終末~晩期初め
→中心に広場があり、それを囲むように掘立柱建物跡が環状に広がる。 |
集落が発達した時代 |
③晩期中頃~晩期終り
→石の墓が作られる。
この時期の建物跡がないことから、
籠峰遺跡の近くに別の集落があったと
考えられる。 |
ムラ廃絶・墓地の時代 |
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110籠峰縄文人のアクセサリー
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籠峰遺跡のアクセサリーには、土製耳飾りや勾玉などがあります。特に多く見つかっているのが土製耳飾りです。約1000点見つかっています。
土製耳飾りが見つかる場所は、土器などの他の道具と同じで、集落の外側が多く、墓からは見つかっていません。
※土器と同じ集落の外側って、中央広場の外側の、掘立柱建物群の外側、の埋設土器の場所。建物群の外の捨て場のことでしょうか。 |
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111土製耳飾り
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現代のファッションの一つ「ピアス」のように耳たぶに穴を開けてはめ込んだものです。耳飾りとわかるのは
、➀土偶に表現されていること、②人骨の装着例、③民族例がある、からです。
縄文時代後・晩期の関東から中部地方で多く見られます。籠峰遺跡では約1000点も見つかっています。
これは、長野県エリ穴遺跡(約2000点)や群馬県千網谷戸遺跡(約千数百点)に次ぐ出土量で、これらの遺跡は耳飾りを作っていた遺跡と考えられます。
※耳飾り制作工房の捨て場から見つかった耳飾りというのは、失敗作、廃棄されたもので、使用中に壊れて捨てたものではないということですね。
つまり、完成度が大変高い遺物です。これらの耳飾りは群馬県立歴史博物館に寄託となっていますが、ほぼ展示されていません。
この写真だけでみられます。 |
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籠峰縄文人のアクセサリー
上に記述 |
土製耳飾り
上に記述 |
耳飾りを付けた例
東南アジア |
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112縄文人の装身具
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イヤリング・ビアス・ネックレス・ペンダント・ブレスレットなど、私たちの身の回りには数多くの装身具(アクセサリー)があります。縄文人は、現在の私たちとほぼ同じ種類のアクセサリーを男女ともに身に着けていました。
なぜ縄文人は身を飾っていたのでしょうか。災厄から身を守るため、まじないや儀礼のため、指導者やまじない師など、地位の上下関係や、ムラの中の役割の違いを示すためかもしれません。あるいは狩りの達人などに勲章として与えられたのかもしれません。
様々な役割がアクセサリーにはあったと思われます。 |
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113土製耳飾り 籠峰遺跡 縄文時代後・晩期
円筒形で文様のあるもの
テラス形・ブリッジ形
リング形
臼形・円盤形
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119土製耳飾りを付けた縄文人
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120自然の中で暮した縄文人
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縄文人は今と違って米を作って食べていたわけではありません。縄文人は山や川、海でとれる動植物を採って生活していました。
今でも、旬(しゅん)といって、沢山採れて味のよい季節が決まっているように、縄文人はいつ、どの場所で、どんな食材が採れるのか知り尽くしていたと考えられます。 |
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121籠峰縄文人の食べ物
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籠峰遺跡からは、動物の骨が500点以上見つかっています。骨を調べた結果、ニホンジカやイノシシ、ツキノワグマ、ノウサギ、鳥類、ヒキガエルが確認できました。籠峰遺跡では、弓矢の先につける石の鏃が1000点以上見つかっています。 |
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自然の中で暮した縄文人
上に記述 |
縄文カレンダー
(上越市) |
縄文人の食べ物 |
縄文人の食べ物
上に記述 |
狩りのようす |
狩りをする
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本格的な狩りの季節は冬でした。仲間と一緒に集団で狩りをしていたのでしょう。落とし穴などのワナ猟も行われていました。 |
縄文犬と人間
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犬が大切に扱われていたことは、犬の墓が作られていたことでわかります。弥生時代以降は食べられてバラバラになった犬の骨がゴミと一緒に捨てられているのとは大きな違いです。縄文犬は日本の柴犬に近い犬です。けがをした犬の骨が多く見つかっていることから、狩りに活躍したと考えられます。
※半島人の地を引く日本人は、江戸時代前期、犬公方の登場まで食べていた。隣の韓国ではオリンピック開始まで食べていた。きっと今も闇営業しているだろう。 |
落し穴
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長方形に掘って、そこに棒を立てた穴です。動物の落とし穴と考えられ、多くの場合、列になって見つかります。棒は落ちた動物を殺すためではなく、動きを鈍くするために建てられました。
※底に逆茂木を立てたとする従来の考え方から、穴の中で身動きがとりにくくするためのものに変わってきています。
確かにブスッと刺さって死んだ動物は鮮度が悪く、食中毒を起こすでしょう。 |
狩りをする
上に記述 |
槍を持った縄文人の絵
縄文時代後期
柳古新田下原A遺跡
新潟県南魚沼市
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丸木弓
イヌガヤ製 86.3cm
縄文時代晩期
青田遺跡
新発田市加治川村
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縄文犬と人間
縄文時代晩期
白井大宮台貝塚
千葉県小見川町
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落し穴
妙音寺遺跡
福島県郡山市 |
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123狩猟具 籠峰遺跡 縄文時代後・晩期 約000~2500年前
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狩猟道具 籠峰遺跡
縄文時代後・晩期
約4000~2500年前 |
石鏃 |
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石匙 |
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124石器未成品
石鏃未成品 |
石鏃 |
石鏃 |
石鏃 |
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石鏃未成品 |
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石鏃 |
石鏃 |
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125漁撈具
魚を獲る
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縄文人は、仕掛け漁など様々な方法が工夫されたことによって、旧石器時代に比べて魚や貝を多く食べるようになりました。 |
回転式離頭銛のしくみ
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回転式離頭銛は、獲物に命中した後、紐を引くと打ち込まれた銛先の部分が獲物の体の中で傾きを変え、抜けにくくなる仕組みになっています。
アザラシやトド、またマグロなど大きな獲物を獲るのに用いました。 |
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獲物を獲る |
回転式離頭銛 |
回転式離頭銛と
モリとヤス
難しい、モリとヤスの区別が、されている。 |
ウケ(筌)状編物 |
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125漁撈 |
126
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投網漁 |
エリ漁
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石錘 |
エリ漁
萪内遺跡
岩手県盛岡市 |
丸木舟と櫂
青田遺跡 縄文晩期 |
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127漁撈具 籠峰遺跡 縄文後・晩期 約4000~2500年前
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130調理具 |
131
木の実を磨り潰す |
調理具
木の実などを磨り潰す
籠峰遺跡 後・晩期
約4000~2500年前
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石皿・磨石 |
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132籠峰縄文人の食べ物(植物)
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妙高山麓には、現在でもコナラなどの林が見られます。籠峰遺跡では、木の実を加工する叩き石や磨石が1000点も見つかりました。籠峰ムラに住んだ人が木の実を食料とした証拠と言えます。木の実以外にも現在の私たちも食べている山菜やキノコも食べていたことでしょう。 |
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籠峰縄文人の食べ物(植物
上に記述 |
山菜採りのようす |
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フキノトウ・ワラビ・コシアブラ・ギシギシ
草ソテツ・トリアシショウマ |
ゼンマイ・ツクシ・ヨモギ・ワサビ・アサツキ・セリ |
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133縄文の道具と現代の道具
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磨石と石皿
籠峰遺跡 後・晩期 |
擂鉢とすりこ木 |
縄文時代の鍋 深鉢
二本木西林遺跡
縄文後・晩期
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134鍋と火元
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深鉢・鍋とガスコンロ |
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ナベヤカン |
土器で調理をする |
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注口土器、湯呑と急須
籠峰遺跡・縄文後期 |
注口土器と小型深鉢 |
浅鉢とカレー皿
奥の城西峯遺跡 晩期 |
浅鉢
変形防止の砂袋入り |
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136保存する
1干す
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生の貝や魚は腐りやすいので、干し貝・干し魚として保存していました。 |
2燻製にする
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肉と魚は、燻製にして保存していたと思われます。竪穴住居の火だな(炉の上)や梁にぶら下げておき、炉の煙で燻製にしていたのかもしれません。 |
3穴に蓄えておく
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秋は実りの季節と呼ばれるほどたくさんの木の実がなります。この季節は冬に備えるため、大勢のムラ人が山の幸を採りに出かけたことでしょう。
採ってきた木の実は、竪穴住居近くに深い穴を掘って貯えました。穴は、底の方が広く掘られています。理科の実験などで使うフラスコのような形をしていることから「フラスコ状土坑」と呼ばれています。
大きいものでは、深さが3mもあります。ここに土器や籠に入れた木の実を保管していました。穴の中は温度や湿度が安定し、雪が降っても凍りません。縄文式冷蔵といったところでしょうか。 |
保存する |
1.干す
魚を干す |
2.燻製にする
鮭の燻製 |
3.穴に蓄えておく
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貯蔵穴の復元
食料の貯蔵
上車野E遺跡 新発田市
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137壺
壺と保存瓶
籠峰遺跡 晩期
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150晩期土器 |
151
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壺
籠峰遺跡 後・晩期 |
壺
奥の城西峯遺跡
縄文後・晩期 |
壺
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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注口土器
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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152
鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
木の実などを盛り付ける |
鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期
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深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
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深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
深鉢
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
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160住居 |
161籠峰縄文人の住まい
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籠峰遺跡の建物跡は、穴を掘って屋根を造る半地下式の竪穴建物跡と、掘立柱建物跡が確認されています。
現在も豊かな森林が広がっている妙高山麓は、当時も広い範囲で森林が広がっていて、そこから建物に使う木を伐り出してきた考えられます。 |
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籠峰縄文人の住まい
上に記述 |
竪穴住居内部の様子
柱・香炉形土器
石棒・炉・熊の毛皮 |
竪穴建物跡
籠峰遺跡 縄文後期 |
竪穴建物の復元例
馬高遺跡 縄文中期 |
掘立柱建物跡
籠峰遺跡 縄文後期 |
掘立柱建物の復元例 |
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162大型竪穴住居
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大型竪穴住居
和泉A遺跡 上越市中郷区
縄文中期 約5000年前 |
大型竪穴住居
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163工具 道具をつくるための道具 籠峰遺跡 縄文後・晩期 約4000~2500年前 |
164
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165磨製石斧 木を伐ったり、削ったりするときに使う道具
磨製石斧 |
石器製作工具 籠峰
縄文後・晩期
約4000~2500年前 |
磨製石斧 |
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166磨製石斧
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167磨製石斧
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168打製石斧 土堀具
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廊下展示
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170土器に見る動物 |
171縄文土器に見られる動物?たち -中郷区福田大久保遺跡を中心に-
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縄文土器に見られる動物?たち -中郷区福田大久保遺跡を中心に-
福田大久保遺跡(上越市中郷区)の土器です。文様などから2つの破片(資料AとB)は同じ土器の破片であることがわかります。
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➀獣面突起とは
・縄文土器の中には口縁部に動物を表現した獣面突起と呼ばれる「土器の口縁部に動物モチーフとして装飾的に取り付けられたもの」。
・モチーフとなっている動物は、イノシシやクマ、サル、トリヘビ、コウモリなどが考えられている。 |
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②獣面突起研究の歩み(北陸地方中心に) |
③福田大久保遺跡の概要
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・所在地 |
: |
上越市中郷区福田字大久保ほか |
・立地 |
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妙高山の麓にある。矢代川右岸の火砕流台地上の標高約192mに位置する。遺跡の西側には渋江川が流れており、遺跡のある台地との高さの差は約35mある。 |
・調査原因 |
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1976(昭和51)年、新潟県教委による分布調査で登録された。地元の方の話では、県教委の調査よりも前から土器が採集できる場所であったとのこと。1984(昭和59)年に、圃場整備事業に伴う確認調査が、1998(平成10)年に農業集落排水処理場建設に伴う本調査が実施された。 |
・遺構 |
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竪穴建物跡4棟、配石遺構1基、ピット |
・遺物 |
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縄文土器、石器、石製品 |
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③-2福田大久保遺跡と周辺の縄文時代の遺跡
③-2福田大久保遺跡と周辺の縄文時代の遺跡 |
大久保遺跡(縄文中期)
小丸山遺跡(縄文後・晩期)
前原遺跡(縄文中期)
名前のない遺跡が沢山(赤塗りの地域)あります |
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③-3上空から見た福田大久保遺跡 |
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④いつ?どの地域の土器なの?
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⇒縄文時代中期前葉の北陸地方の土器(新保式土器)
文様を見ると、土器の口縁部に文様帯の上下を貼り付けた粘土下で区画し、突起のある
ものは下に貼り付けた粘土紐を垂下する。区画内には➀斜め方向の格子目文を満たすもの、
②縄文土器に間隔をおいて縦方向の半截竹管文による半隆起線文を付けるものがある。 |
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⑤-1なにを表現したものなの?
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・平らな口縁部に、おそらく内と外から板状の粘土を張り合わせて中を中空にした突起が付けられているものです。口はラッパ状になっています。
・文様は細い竹を縦に半分に切った樋のようなもので格子目に施した後、細い粘土紐を貼り付けて、粘土紐の上に縄文を転がしています。
・これだけでは何かわかりません。 |
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⑤-2何を表現したものなの?
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・平らな口縁部にこんもりした粘土塊を上から乗せて棒状のもので上から縦に孔をあけたものです。
・文様は資料Aと同じです。
・資料AとBは同一個体で、おそらく突起は2か所だけだったと考えられます。と、すると、資料Aは頭、Bは尻尾になります。
・考えられるのはヘビです。Bは蛇のとぐろをイメージしたものなのかもしれません。 |
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173
⑥獣面突起の移り変わり
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⑥-1 出現-縄文前期後葉-
・浮線文という細い粘土紐を貼り付けた紋様が特徴の土器
・口には猪を模した突起が付けられているものが見られます。
・この時期は獣面突起の始まりと考えられています。
・関東地方西部から甲信地方に多く見られ、特に群馬県西部(安中市中野谷松原遺跡など)におおくみられます。
・県内では岩原Ⅱ遺跡(湯沢町)や松ヶ峰遺跡(妙高市)とわずかに確認されています。
・写真下はイノシシと考えられている土器(写真左)と同じ時期のものですが、鼻の表現がなく、トリのようにも見えます。 |
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⑥-2 -縄文前期末-
・極細の粘土紐を格子目状に貼り付けた紋様が特徴の土器です。
・口にはトリ・ヘビ・タツノオトシゴ・の頭と尾を模した突起が2か所付きます。
・石川県能登半島に多く見られます。県内では、鍋屋町遺跡で1例確認されています。
・前期後期のものは土器の口の頂部に4ヶ所貼り付けられているのに対して、前期末のものは顔と尾の2ヶ所からなり、
正面ヶあるという点で異なります。
・のちの中期の獣面突起の起源となったのはこの時期の土器からと考えられています。 |
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⑥-3 発展-縄文時代中期初頭-
・竹管文を斜格子目文にしたり、縄文を付けた後に間隔を置いて斜めほあこぁに竹管文を施す文様が特徴です。
・口縁部には前期末の土器と同じトリ・ベビ・タツノオトシゴの頭と尾を模した突起が2か所付きます。
・首長のものと首の短いものとが見られます。
・福井県から新潟県にかけて分布します。県内では和泉A遺跡遺跡(上越市中郷区)なと゜の妙高山麓に多く見られます。 |
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⑥-4 衰退-縄文時代中期前葉
・この時期の北陸地方の土器は、蓮華文と呼ばれる文様を施すのが特徴です。
・中には口縁にヘビ・トリなどを模した突起が付くものがあります。
・突起は口に4か所付くものが目立ちます。
・中期初頭のものに比べて目や鼻などの表現がないものがあり、首が短いもしくはないものがほとんどです。
・石川・富山・新潟県にかけて分布します。 |
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⑥-5 衰退-縄文中期中葉-
・これまでは獣面突起のほとんどは口の突起部分に表現されていたが、この時期になると土器の器面に動物が表現されるようになります。
・その後、縄文時代後期前葉に一部見られるものの、中期前葉以前のような獣面突起は見られなくなります。
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175県内及び周辺地域の獣面突起
⑥-6
県内及び周辺地域の獣面突起 |
前期後葉~末葉 |
中期初頭 |
中期初頭~前葉 |
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176⑥-6
⑦これらは何だろう
⑦これらは何だろう |
⑦これらは何だろう
・獣に見える突起を集成してみましたが、何の動物なのかは特定できませんでした。
・獣面突起は、縄文時代に生きた人々がイメージして作り出したもので、、現代の我々には理解しづらい表現もあります。
・当時の人々には理解できるものなのかもしれません。 |
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180獣面突起
深鉢形土器
松ケ峰遺跡
縄文時代前期後葉 |
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深鉢形土器
和泉A遺跡
縄文中期初頭 |
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深鉢形土器
福田大久保遺跡
上越市中郷区
縄文中期初頭
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深鉢形土器
福田大久保遺跡
上越市中郷区
縄文中期初頭 |
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190土器 |
191
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192深鉢形土器 和泉A遺跡 縄文中期初頭
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200展示室2
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201不思議な道具
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不思議な3点セット |
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籠峰ムラの特産品
その4不思議な石器 |
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210祈り |
211
籠峰縄文人の祈り
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籠峰遺跡からは何に使ったのかがよく分からない様々な道具が数多く見つかっています。これらの道具は、集落の外側から多く見つかっています。
墓の中から見つかる例はほとんどありません。
籠峰縄文人はこれらの道具で自然や祖先に対して祈りを捧げていたのかもしれません。 |
土偶
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粘土で手作った人形の焼き物です。土偶は、➀こわして土器などとともに、無造作に捨てられた状態や、②墓穴などに副葬あるいは埋納して状態で見つかります。
籠峰遺跡では➀の状態で見つかりました。
縄文人は土偶に自然の恵みへの感謝の気持ちや家族やムラの人々の健康と安全を込めて祈って、壊したり捨てたりしていたのでしょう。ふりかかる災いを代わりに引き受ける守り神としての役割を果たしていたのかもしれません。 |
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212土偶
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土偶 北の原遺跡
縄文時代中期 |
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土偶 和泉A遺跡
縄文中期初頭
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213
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216土偶
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217心臓の表現のある土偶
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218耳飾りをつけた土偶
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耳飾りを付けた土偶
籠峰井堰
縄文後・晩期
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耳飾りを付けた土偶
籠峰井堰
縄文後・晩期 |
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219土偶変遷
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220有孔球状土製品 |
221
有孔球状土製品 有孔で孔の断面が正円の土製品
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形は、縦長(紡錘形)・円筒形・球形・算盤玉形・下ぶくれ形などがある。文様は有文と無文がある。
時期は、縄文後期のものは縦長形が大半で、晩期になると球形・下ぶくれ形になるとされている。
籠峰遺跡のものを見みると、球形が多く、縦長形、下ぶくれ形が少量という結果から、後期から晩期にかけてのものと考えられる。
使われ方は、装身具説、呪術具説、紡錘車説がある。大きさや形によって使われ方が違うのではと考えている。 |
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有孔球状土製品 |
有孔球状土製品の変遷 |
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有孔球状土製品出土地 |
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222有孔球状土製品
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223土版・土製品
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ミニチュア土器
籠峰遺跡
縄文後・晩期 |
土版
籠峰遺跡
縄文後晩期 |
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土製品
籠峰遺跡
縄文後晩期 |
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230石棒
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石を叩いて棒状に整えた後、磨いて作ったものです。大きさは2mから10cmに満たないものまであります。籠峰遺跡は数多く見つかっています。
石棒の種類は、➀竪穴建物の入口や奥に建てられたり、配石遺構に立てられる太型石棒、②片手で持てる大きさの細形石棒があります。
石棒の多くは壊れた状態で見つかることから、自然の恵みへの感謝の気持ちや子孫繁栄などの願いを込めて、壊して祈りを捧げたのかもしれません。 |
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231
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石棒 |
大形石棒と細形石棒
左大形:和泉A遺跡
右細形:籠峰遺跡
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竪穴建物跡の石囲炉と石棒 縄文中期
岐阜県大野郡堂之上遺跡
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232
太形石棒
和泉A遺跡
中期初頭 |
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太形石棒
北ノ原遺跡
中期中葉 |
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太形石棒
籠峰遺跡 後・晩期
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235石棒・石冠
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石棒・石冠の出土状況 |
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236石冠・石棒
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石冠と石棒
小丸山遺跡
縄文後晩期 |
石冠 |
石冠 |
石棒 |
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石棒 |
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237細形石棒
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240石冠
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石を冠のような形に敲いて整え、最後に磨いた石製品です。縄文時代後晩期の中部地方から北陸地方にかけて数多く見られ、籠峰遺跡でも数多く見つかっています。
形は石棒のようなものや山形など様々ですが、共通の特徴は、底に擦った痕跡があることです。
石冠の中には、上部に飛び出た部分は男性器で、下部の底面には窪みを持つものが多いことから女性器を表していると考えられます。 |
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241岩版
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いろいろな文様が刻まれた石で、縄文時代後期から晩期に造られた。形は隅丸方形や楕円形、円形などがある。石材は凝灰岩、砂岩、流紋岩がある。
特に白色の柔らかい凝灰岩が多く使われている。文様は表と裏に精巧な文様が彫り込まれている。全体に文様が施されているものもある。
籠峰遺跡の岩版の文様を見ると、「玉抱き三叉文」が施されることから、縄文土器で玉抱き三叉文の使用例が多い縄文時代晩期前葉と考えられる。
籠峰遺跡の岩版の形は、文様の検討から制作時の形とは違うものと考えられる。
(籠峰遺跡の岩版の文様を検討すると、制作時の文様が変更されていると考えられる。) |
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242各地の岩版
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東北・北陸
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東北
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北陸
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北陸・関東・東海
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関東
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山陽・山陰・九州
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山陽・山陰・九州
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243籠峰遺跡の岩版
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岩版 籠峰遺跡
縄文後晩期 |
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想定される大きさと形 |
大きさ
復元できた文様の最大値で想定される大きさは、縦約16cm横約11cm
形:最初の形は隅丸方形か楕円形と考えられる |
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244石冠
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246石冠
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250墓
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251籠峰縄文人の墓
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籠峰遺跡では、墓が多く見つかっていますが、特に石を組んで作った配石墓が約80基も見つかっています。
配石墓のある時期は建物跡がないことから、籠峰遺跡の周辺に集落があって、籠峰遺跡の周りのムラムラの墓地の可能性が考えられます。 |
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籠峰縄文人の墓
上に記述鍋 |
籠峰遺跡で見つかった遺構 |
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世界各地の様々な葬り方 |
台上葬 ボルネオ |
鳥葬 チベット |
船棺台上葬
北アメリカ北西海岸 |
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252遺体の納め方
遺体の納め方 |
伸展葬 後期
長野県安曇野市
北村遺跡
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屈葬 縄文後期
成人男性 身長不明 |
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253墓地遺跡
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255石棺状配石
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地面に穴を掘って遺体を埋めた後、石を石棺状に並べたお墓です。籠峰遺跡では、様々な種類の石棺状配石が約80基も見つかりました。
残念ながら人骨は発見されていません。同じ種類・方向・大きさ・ペアで作られたものは、夫婦を葬ったという考えもあります。
石棺状配石は、現在の所、魚沼地域と上越地域から見つかっています。
籠峰遺跡は、石棺状配石の種類・数が他の遺跡よりも多いことから、新潟県南部地域のお葬式などの儀礼に関する中心地ではないかと考えられています。 |
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石棺状配石
上に記述 |
石棺状配石の種類 |
石棺状配石群
籠峰遺跡 後晩期 |
石棺状配石墓の移築 |
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258
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籠峰遺跡の配石墓群 |
石棺状配石
籠峰遺跡 縄文晩期
約3000年前 |
石棺状配石
籠峰遺跡 縄文晩期
約3000年前 |
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260埋甕 縄文後・晩期 籠峰遺跡
土器でできたお墓です。 (土器を棺に転用) ※丁度、籠峰遺跡の時期です。展示の土器は、ほぼ埋甕と考えられます。
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270埋設土器
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埋設土器は、日々の調理道具として使われる以外に、棺として使われる場合があります。このようなものを埋設土器(埋甕)と呼んでいます。
埋甕は、穴を掘って土器に人の遺体・遺骨などを入れ、土の中に埋めて納めたものです。 |
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271
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埋設土器 |
埋設土器
籠峰遺跡 後晩期 |
埋甕
口径63cm×高37cm |
土器の内側に含まれる土を調べた結果、脂肪酸とコレステロールが見つかったことから「幼児埋葬用」の埋甕と考えられています。
籠峰遺跡
縄文後晩期 |
埋設土器 |
土器がどのように埋設されているかを調べるために、地面を断ち割って調査しました。 |
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272籠峰遺跡の埋設土器
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3点組み合わせの
埋設土器 |
埋設土器 籠峰遺跡 |
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下の3点で埋甕とした |
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273籠峰遺跡発掘調査
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275深鉢 籠峰遺跡 縄文後晩期
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300展示室3
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301一万年続いた縄文時代
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縄文時代とは約12000年前の土器の発明に始まり、約2500年前の稲作が始まるまでの約一万年間続いた時代で、草創期、早期。前期・中期・後期・晩期の6つの時期に分けられています。
妙高山麓には、縄文時代早期の松ケ峰遺跡を始め、中期の和泉A遺跡、後・晩期の籠峰遺跡などの遺跡があります。 |
土器は時代を語る物差し
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土器は、➀日常品として多く使われていた点、②形や文様によって時間と空間でまとまりがある点、③腐らずに残りやすいという特徴があります。
この特徴を使って文様などの変化から前後関係を推定します。この変化を確認するために地層は下から上に向かって堆積するという法則を利用して土器の前後を関係を調べます。 |
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一万年続いた縄文時代
上に記述 |
土器は時代を語る物差し
上に記述 |
和泉A遺跡の土層断面 |
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303人類誕生700万年を表した図
旧石器時代以降
1万年前 早期
松ケ峰遺跡 |
・約5300年前妙高噴火
赤倉火砕流で焼かれる |
・中期:和泉A遺跡 |
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・中期:和泉A遺跡 |
・約4200年前妙高噴火し大田切川火砕流で和泉A消滅 |
・後・晩期:籠峰遺跡 |
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305縄文土器の移り変わり
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307
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旧石器~縄文前期
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320
➀旧石器時代~縄文時代 草創期 早期 前期(約2万年~5千年前)
・遺跡は妙高山麓と西丘陵上にある。
・平野部には遺跡はみられない。
・時間幅が長いのに、遺跡数は少ない。
・縄文時代前期の遺跡が妙高山麓に少ないのは、妙高産の噴火(約5300年前)の影響か。 |
321松ケ峰・湯の沢遺跡群
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妙高山麓にある松ヶ峰一帯は、親跡平八郎氏が表面採集を行い、縄文時代早期の土器の存在が知られていました。
その後1963から65年にかけて新潟県教委が調査を行い、縄文時代早期と前期の土器や中期~後期の建物跡や土器などが見つかりました。 |
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遺跡地図 |
籠峰遺跡・和泉A遺跡・松ケ峰遺跡群の位置 |
松ケ峰・湯の沢遺跡群 |
松ケ峰・湯の沢遺跡群の発掘 |
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323縄文時代早期土器 約9000年前 松ヶ崎遺跡
縄文時代早期土器
約9000年前 |
押型文土器 |
押型文土器
縄文時代早期
約9000年前
津南町卯ノ木遺跡 |
押型文土器
縄文早期
松ヶ峰遺跡
約9000年前 |
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縄文時代早期の土器
約9000~7000年前 |
深鉢
八斗蒔原遺跡
縄文早期
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深鉢
二本木西林遺跡
縄文早期 |
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325縄文時代前期土器 約7000~5000年前
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深鉢
大沼遺跡
縄文前期
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深鉢
小重遺跡
縄文前期
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深鉢
小重遺跡
縄文前期 |
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350中期
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350
②縄文時代中期(約5000~4000年前)
・縄文時代を通じ最も遺跡数が多い時期
・平野部にはみられない。
・遺跡は妙高山麓と東西丘陵上、砂丘に見られる。
・4000~4500年前に妙高山が再び噴火。 |
351和泉A遺跡
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上越自動車道建設に伴う発掘調査の結果、妙高山の火砕流を挟んで縄文時代中期初頭の集落跡と、縄文時代晩期から弥生時代前期の集落跡が見つかりました。縄文時代中期初頭には、中央の広場を取り巻くように建物跡が見られる、いわゆる環状集落と考えられます。 |
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②縄文時代中期 |
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②縄文時代中期
上に記述 |
和泉A遺跡
上に記述 |
和泉A遺跡土層断面 |
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326縄文中期前葉土器
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深鉢
縄文中期前葉
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深鉢
和泉A遺跡
縄文中期前葉 |
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352深鉢 縄文時代中期前葉の土器 和泉A遺跡 約5000年前
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭
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深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
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上空から見た和泉A遺跡 |
和泉A遺跡の竪穴建物跡 |
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353土器展開写真
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356中期初頭
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
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358中期初頭
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭
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深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭
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深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
深鉢
和泉A遺跡
縄文時代中期初頭 |
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縄文後・晩期
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360
③縄文時代後・晩期(約4000年~2400年前)
・遺跡は妙高山麓と東西丘陵上、砂丘上にある。
・平野部には遺跡はみられない。
・吹上遺跡では晩期の土器片が見つかっている。
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361籠峰遺跡
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籠峰遺跡では、竪穴建物跡、掘立柱建物跡、埋設土器、配石墓、土坑などが見つかりました。遺構のない場所は中央広場と考えられ、その周辺に掘立柱建物跡が、更に外側に埋設土器があります。竪穴建物跡は北西と南西部にあります。配石墓は4か所にまとまっています。
これらの遺構は全て同じ時期にあったわけではなく、ムラとして使われていた時期と、墓地として使われていた時期に分かれる可能性があります。 |
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362縄文時代後期の土器 籠峰遺跡 約4000~3000年前
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深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期
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363
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多孔底土器
籠峰 後期 |
多孔底土器
籠峰 後期 |
多孔底土器
籠峰 後期 |
注口土器
籠峰 後期
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注口土器
籠峰 後期 |
水銀朱が付いた
注口土器 籠峰 後期 |
台付鉢 籠峰 後期 |
壺 籠峰 後期 |
壺 籠峰 後期
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異形土器
籠峰 後期 |
鉢 籠峰 後期 |
鉢 籠峰 後期 |
鉢 籠峰 後期
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364東北地方の影響が強い土器
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籠峰遺跡 深鉢 後期 |
籠峰遺跡 深鉢 後期 |
籠峰遺跡 深鉢 後期 |
籠峰遺跡 深鉢 後期 |
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365縄文後期の土器 籠峰遺跡 約4000~3000年前
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深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期
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深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期 |
台付鉢 籠峰 後期
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台付鉢 籠峰 後期
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台付鉢 籠峰 後期 |
台付鉢 籠峰 後期
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366
注口土器
籠峰史跡 後期 |
深鉢
籠峰史跡 後期
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深鉢
籠峰史跡 後期
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長野県の影響が強い後期土器
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深鉢 籠峰 後期
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深鉢 籠峰 後期
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深鉢 籠峰 後期
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深鉢 籠峰 後期 |
深鉢 籠峰 後期 |
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370縄文時代晩期 籠峰遺跡 約3000~2500年前 |
371
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鉢
籠峰 晩期 |
鉢
籠峰 晩期
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鉢
籠峰 晩期
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鉢 籠峰 晩期
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深鉢 籠峰 晩期
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深鉢 籠峰 晩期 |
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深鉢 籠峰 晩期 |
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鉢 籠峰 晩期 |
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深鉢 籠峰 晩期 |
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372長野県の影響が強い晩期土器 籠峰遺跡 縄文晩期
長野県の影響が強い土器 籠峰遺跡 縄文晩期 |
鉢 籠峰遺跡 晩期 |
鉢 籠峰遺跡 晩期
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鉢 籠峰遺跡 晩期
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壺 籠峰遺跡 晩期
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注口土器 籠峰 晩期
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373東北地方の影響が強い晩期土器 籠峰遺跡 縄文晩期
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374長野県の影響が強い土器 籠峰遺跡 縄文晩期
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376
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浅鉢 籠峰 晩期 |
異形土器 籠峰 晩期
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鉢 籠峰 晩期
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浅鉢 籠峰 晩期
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浅鉢 籠峰 晩期
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長野県の影響が強い晩期土器 籠峯遺跡 縄文晩期
北陸地方の影響が強い晩期土器
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379
深鉢 籠峯 晩期 |
深鉢 籠峯 晩期 |
深鉢 籠峯 晩期
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深鉢 籠峯 晩期
配石土坑出土 籠峰
晩期 3千-2500年前 |
縄文晩期土器 |
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381剥製動物
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