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 兵庫の縄文№3  2019.08.22

 兵庫県立考古博物館 兵庫県加古郡播磨町大中1丁目1−1

   企画展「壱岐の古代文化」


交通 JR東加古川駅から徒歩10分
   
 




展覧会の特徴
ごあいさつ

01入口展示
10壱岐島の弥生時代

壱岐の古代文化 -海をめぐる生業と交流-
20祀りと暮らし
23青銅製鏡
25銅矛・鉄剣
27玉製品

30交易と暮らし 一支国の対外交流
32土器
33貨銭
34青銅製 権
35壺 三韓系瓦質土器

研究 瓦質土器と陶質土器
36「周」文字線刻遼東系瓦質土器

40生産と暮らし
  一支国のモノづくりをのぞいてみよう
41カラカミ遺跡の出土物
42焼成時破損土器

43鉄素材の加工 淡路市
44カラカミ遺跡 鍛冶関連道具
45カラカミ遺跡出土 石製鍛冶道具
46ベンガラ加工と赤色土器


50壱岐島の古墳時代
60金銅製亀形飾金具 笹塚古墳

70壱岐の首長墓 
  東アジアとの交流を物語る至宝
72金銅製杏葉
73金銅製馬具
74中国北斉製二彩陶器
75新羅土器
76金銅製パルメット文飾金具
77金銅製単鳳環頭大刀柄頭

80串山ミルメ浦遺跡

90古代からの架け橋 壱岐・対馬・五島
100人面石

110弔いと暮らし 一支国の埋葬文化
111一支国で死んだ人の棺を覗いてみよう
112甕棺

130古代
131壱岐島の古代
150山と暮らし 一支国の狩猟・採集
153動物骨
155鏃
156骨製根挟
石斧

160海と暮らし 一支国の漁撈文化
161一支国の海の生活を覗いてみよう
162貝殻サンプル
163蛸壺
164漁具

200一支国・原の辻歴史年表
210弥生前期・原の辻Ⅰ
220弥生中期前葉・原の辻Ⅱ
230弥生中期後葉・原の辻Ⅲ
240弥生後期前葉・原の辻Ⅳ
250弥生後期後葉・原の辻Ⅴ
260古墳初期・原の辻Ⅵ

300魏志倭人伝に記された
     一支国の世界
祀りと暮し 一支国の祭祀文化
交易と暮し 一支国の対外交流
生産と暮し 一支国の鍛冶文化
 
 展覧会の特徴
  長崎県壱岐島、有名な、原の辻遺跡・カラカミ遺跡を中心とした各遺跡の出土物が展示されています。
  長崎県の考古博物館はほとんどが撮影禁止です。(原の辻遺跡ももちろん。=長崎県埋蔵文化財センター)
  従ってこれらの展示物を画像で見ることとができるのは稀有なことです。

  特に列島での発掘では、劣化腐食した状態の馬具が、ここでは色鮮やかにそのままの形で多く出土しています。

  ※展示では、壱岐島の遺跡と同時代の兵庫県内の遺跡を並行して展示しています。閲覧上区別してご覧ください。
   
 ごあいさつ
壱岐島は、太古より海上交通の要衝、対外交流の拠点として重要な役割を果たしてきました。
旧石器時代より現代にいたるまで、途切れることなく東アジア諸国との交流の歴史を刻み続けてきた壱岐島には、その歴史を垣間見ることのできる史跡や文化財が島内各地に残っています。

 島内に残る➀国特別史跡原の辻遺跡、Ⅱ国史跡壱岐古墳群、③国史跡勝本城跡、④生池跡、⑤カラカミ遺跡、⑥岳の辻、⑦内海湾
 ⑧国重要文化財原の辻遺跡出土品1670点、⑨国重要文化財双六古墳出土品412点、⑩国重要文化財笹塚古墳出土品162点
 計10件の史跡や文化財が平成27年4月24日に「日本遺産」として認定されました。 

今回は、令和元年度離島活性化交付金を活用し、壱岐島の日本遺産及び島の魅力を広く情報発信する
企画展「壱岐の古代文化~海を巡る生業と交流~」を兵庫県立考古博物館にて開催いたします。

本企画展を通じて、兵庫県と壱岐島のつながりを知っていただくと同時に、国境を越えた東アジア諸国との交流によって構築された"壱岐島の歴史"を見ていただき、今まで以上に皆様が壱岐島への関心と興味を持っていただければ幸甚に存じます。
 
 01入口展示
壱岐の古代文化 長崎県壱岐島

右に記述
壱岐島は、九州本土と朝鮮半島との間にある玄界灘に浮かぶ島で、対馬と共に古代より、国境の島として重要な役割を果たしてきました。

旧石器時代より今日に至るまで、途切れることなく"東アジア諸国との交流の歴史"を刻み続けてきた壱岐島には、その歴史を垣間見ることができる史跡や文化財が数多く残っています。
  ミンククジラ骨格標本  ミンククジラ骨格標本  ミンククジラ

生息地域:壱岐島近海
成長段階:成獣に成長している段階
体長:4.8メートル
製作時期:2003年
ミンククジラはヒゲクジラの一種で、クジラの中では小さい部類に属し、成獣で体長7.0m前後、体重7t前後まで成長する。
ミンククジラは、冬11月頃になると子供を産むために日本海から壱岐島近海を通って東シナ海へと南下し、張る3月頃に子供を連れて壱岐島近海を北上します。
壱岐の古代文化 ごあいさつ 壱岐
 
 


 10壱岐島の弥生時代
原の辻遺跡は、中国の歴史書「三国志」の中に書かれた「魏志倭人伝」に登場する一支国の王都で、国内で唯一、国の位置と王都の場所の両方が特定された弥生時代を代表する大規模環濠集落跡です。

遺跡からは、渡来人によってもたらされた最先端の文物をはじめ、文化や神話など東アジア諸国との交流の歴史を語る上で欠かすことができない資料がたくさん発見されています。

原の辻遺跡は、当時の対外交流の歴史を現在に伝える重要な遺跡として、弥生集落遺跡としては静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ケ里遺跡に続き、
国内で3例目となる「国特別史跡」に指定されています。

 魏志倭人伝
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
また一海をわたること千余里で末廬国(松浦、名護屋・唐津付近)につく。四千余戸ある。山海に沿って居住する。草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る。 引用魏志倭人伝

三国志」魏書東夷伝倭人条
原文を上に記述
長崎県壱岐島の位置 東アジア諸国との交流の歴史を体感できる島
 
 
 壱岐の古代文化 -海をめぐる生業と交流-



 20祀りと暮らし

 一支国のお祀りをのぞいてみよう!
  一支国ノ三種の神器は 剣と刀と鏡そしてガラスの玉類
交流によって有力者たちは、珍しい物を手に入れ、祀りの場で使用しました。
鉄剣は、実用的な武器としてではなく、祀りのシンボルとして使われました。
青銅鏡は、もう一人の自分を鏡に映して、問いかけたり、太陽の光を反射させ、見るものに恐怖を与えました。
勾玉には、身を包むお守りの意味があり、身に着けることで、特別な存在であることを見るものに印象付けました。

どれも、一般の弥生人が持つことができない物ばかりであり、祀りの場で使用することで有力者の権力を、世に知らしめるステータスシンボルとして用いられました。

 21
壱岐の古代文化 一支国のお祀りをのぞいてみよう!
上に記述
ここから登場してくるキャラは、
一支国博物館、長崎県立埋蔵文化財センターの展示で使われているキャラです。

 ゆるキャラって言葉あるけど
 コワキャラって言葉を作りたい(笑)
 一支国博物館の固有のキャラクターです

 23青銅製鏡 原の辻遺跡出土 弥生時代後期(2000~1700年前)
青銅製鏡 原の辻遺跡
弥生時代後期
(2000~1700年前)
 25銅矛・鉄剣
中広形銅矛天ヶ原セジョウ神遺跡
弥生後期
2000~1700年前
鉄製剣原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
 27玉製品 原の辻遺跡 2000~1700年前
ガラス製とんぼ玉
原の辻遺跡
ガラス製とんぼ玉 ガラス製粟玉
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
ガラス製粟玉
ガラス製小玉
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
ガラス製勾玉
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
ガラス製勾玉
 

 30交易と暮らし 一支国の対外交流

 一支国の交流を覗いてみよう
大量に物を運ぶには、大型の土器がコンテナ代わりに用いられました。原の辻遺跡からは国内外の様々な地域の土器が発見されいることから、
海を越えた交流が盛んに行われていたことを窺い知ることが出来ます。

中国大陸から骨占いの文化も一支国に伝わりました。占いによって、収穫の時期や航海の日にちなどを決めていました。
占い以外にも、中国の龍の神話も一支国に伝わりました。中国大陸では、空想上の動物である龍を「水の神様」として信仰していたことから、水を必要とする祭りを行う際に龍が描かれた土器が使用されました。
 31
一支国の交流
 32土器
朝鮮系無文土器
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前

牛角把手付き土器
 33貨銭
貨泉

入田稲荷前遺跡
南あわじ市
弥生時代
2300~1700年前
貨泉

原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
大泉五十
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
五銖銭
原の辻遺跡
弥生後期
2200~2000年前
 34青銅製 (分銅)  原の辻遺跡 弥生後期 2000~1700年前
権=天秤のおもり 青銅製権

原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前

 35壺 三韓系瓦質土器  原の辻遺跡 弥生時代 2300~1700年前

 様々な地域からもたらされた土器
三韓系…現在の大韓民国を中心としたエリアで使用された土器
楽浪系…現在の北朝鮮、平壌(ヒョンヤン)付近で使用された土器。漢の侵攻によって楽浪郡が設置された。
遼東系…中国大陸遼東半島を中心としたエリアで使用された土器。ここも朝鮮系民族の土地であったが、漢によって侵略された。
 それぞれ文化的背景を異にする。

研究 瓦質土器と陶質土器
瓦質土器を素焼き土器の総称と考えていたら、漢代の灰陶の流れを汲む還元焔焼成の楽浪瓦質土器 という記述にぶつかった。
還元焔焼成というのは陶質土器のことで須恵器ともいう。素焼き土器は土師器のことである。
楽浪瓦質土器は、草木灰が釉薬となった素焼きの瓦質土器?チンプンカンプンで矛盾なので追及をやめます。理解不能。
 参考HPを上げておきます。 瓦質土器とは 瓦質土器と陶質土器 日本出土の朝鮮産土器 瓦器とは 陶質土器 還元 還元焔焼成 須恵器 還元

様々な地域の土器
上に記述

三韓系瓦質土器
原の辻遺跡
弥生時代
2300~1700年前
三韓系土器・・・現在の大韓民国を中心としたエリアで使用された土器
楽浪系瓦質土器

原の辻遺跡
弥生後期
2300~1700年前 
   楽浪系土器・・・楽浪郡が設置された平壌(ピョンヤン)付近で使用された土器
 遼東系瓦質土器   遼東系土器・・・中国大陸の遼東半島を中心としたエリアで使用された土器 


 36「周」文字線刻遼東系瓦質土器
「周」文字線刻遼東系瓦質土器 「周」文字線刻遼東系瓦質土器
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
 37陶質土器
陶質土器
原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
卜骨
カラカミ遺跡
弥生中期
2200~2000年前
 
 40生産と暮らし

 一支国のモノづくりをのぞいてみよう!
原の辻遺跡は交易の拠点だったことから、積極的なモノづくりは行われておらず、中国大陸や朝鮮半島から入手した金属製品を他の地域の弥生人に
引き渡すことで生活していました。
カラカミ遺跡では、入手した鉄製品の破片に手を加え、ニーズに合った大きさの鉄素材に加工したり、鉄製品を製作する鍛冶工房が発見されました。
他にも土器づくりの痕跡やベンガラを作る炉跡など様々なモノを創り出す作業場として存在していました。
 41カラカミ遺跡の出土物
生産と暮らし 一支国のモノづくりをのぞいてみよう!
 42焼成時破損土器 壱岐市 カラカミ遺跡
焼成時破損土器
カラカミ遺跡
弥生時代後期
2000~1700年前
焼成時破損土器
カラカミ遺跡
弥生時代後期
2000~1700年前

 43鉄素材の加工 淡路市 五斗長垣内遺跡
米と交換して得た鉄素材は、長大な鉄斧でした。鉄鋌で持ち込むと加工しなければ使えないが、同じ成形するならちょっと形を変えて鉄斧形なら便利である。また、それを熱して、別の鉄斧を当てて切断し、鉄鏃にも加工することが出来た。
五斗長垣内遺跡では、まだ、ハンマーや金床を作るだけの鉄素材゛かなかったので、石で代用しています。

鍛冶関連遺物
五斗長垣内遺跡
淡路市 弥生時代
2300~1700年前
製鉄道具 敲石・台石
敲石=ハンマー
台石=金床
ヤットコは青木で代用
鉄斧、鉄鏃 鉄の破片・鉄素材 鉄素材

 44カラカミ遺跡 鍛冶関連道具

カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
鉄製タビ
タビ
tapiは朝鮮式踏み鍬のことです。
別に鍬先があるのは、普通の狭鍬もあったようです。
牛耕・馬耕以前の農具ですね。
tabi or tapiの実物の展示は稀有なことです
鉄製鋤先
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
鉄素材

カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
ネット上の資料も大変少ない。
 45カラカミ遺跡出土 石製鍛冶道具
磨石、敲石
磨石 弥生中期
2200~2000年前
敲石 弥生後期
2000~1700年前
石台、砥石
石台・砥石
弥生後期
2000~1700年前
 46ベンガラ加工と赤色土器 原の辻遺跡
ベンガラ付着磨石
原の辻遺跡
弥生中期
2200~2000年前
ベンガラ付着凹石
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
丹塗り直口壺

カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
丹塗り壺

カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
丹塗り瓢箪形土器
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
   石杵ですね 原石を少しずつ粉砕した石臼ですね  赤彩土器は人の生死に関わる儀式用→   共献土器か二次葬の骨壺  石川県珠洲に多く出土する骨壺ですね。
 



 50壱岐島の古墳時代


壱岐島に巨石古墳が築造された6世紀後半から7世紀前半頃は、伽耶の滅亡により、倭国と朝鮮半島の国々(新羅・高麗など)との関係が悪化していました。

弥生時代以降も途切れることなく続く交流によって、朝鮮半島の国々と友好的な国際関係を築いていた壱岐島の有力者たちは、悪化した関係を修復するうえで欠かすことができないキーパーソンでした。また、朝鮮半島の国々からしても友好関係にある壱岐島の有力者たちは倭国との交渉において重要な存在として迎え入れられました。

このような歴史から、敵対関係にあった朝鮮半島の国々との関係を取り持つ交渉人として、壱岐島の有力者たちは、重要な役割を果たしました。
そのことを裏付けるものとして、壱岐島の巨石古墳からは、中国北斉製の二彩陶器緑釉を施す新羅土器、数々の金堂製馬具類など、国際色豊かな副葬品がたくさん発見されています。

 51
壱岐島の古墳時代
石室の組み立て
壱岐島の古墳時代
上に記述
 
 60金銅製亀形飾金具 笹塚古墳 古墳時代後期 約1400年前

馬の顔に取り付ける金具で、4本の脚に鋲(びょう)が打ってあることから、革の紐が四方向に取り付けられていたことが分かります。
長寿のシンボルとして用いられる甕を模して作られた飾り金具には長生きしたいという思いが込められていたのかもしれません。

 61金銅製亀形飾金具
笹塚古墳 金銅製亀形飾金具 金銅製亀形飾金具 金銅製亀形飾金具
笹塚古墳
古墳後期 約1400年前
金銅製亀形飾金具
 

 70壱岐の首長墓 東アジア諸国との交流を物語る至宝

 71
壱岐の首長墓 東アジア諸国との交流を物語る至宝

 72金銅製杏葉 笹塚古墳 壱岐島 古墳後期 約1400年前
馬の尻に取り付ける飾り金具の一つです。雲珠から伸びる先端部に取り付けられました。
楕円形をした鉄板の裏打ちに金銅板を重ね、その上に透かしの装飾を施した金銅板を載せ、ハート形の縁を被せ,鋲で固定し完成させています。

金銅製心葉形杏葉
笹塚古墳
古墳後期 約1400年前
壱岐島
金銅製製杏葉 金銅製杏葉
笹塚古墳
約1400年前
 73金銅製馬具

 金銅製雲珠
金銅製雲珠は、八方の脚を持った珍しい留金具です。八方に伸びる脚は5花弁状になって革紐をこていするための3つの鋲と責め金具が取り付けられています。
雲珠は馬の背中に装着する飾り金具を取り付けた革紐をつなぐ装飾ジョイントとして用いられました。


金銅製馬具 金銅製雲珠 金銅製雲珠
壱岐市笹塚古墳
古墳後期約1400年前
金銅製雲珠
壱岐市笹塚古墳
古墳後期約1400年前

 金銅製辻金具
辻金具は、4方に脚を持った留金具です。金銅製雲珠と同じく4つの脚は5花弁状になっており、革ひもを固定するための3つの鋲と責め金具が取り付けられています。中空になった中央にイモガイの螺塔部(らくとうぶ)を輪切りにして取り付けた宝珠飾りがはめ込まれています。

金銅製辻金具 金銅製貝飾付辻金具
壱岐市笹塚古墳
古墳後期約1400年前
金銅製貝飾付辻金具 貝製飾り金具
窟屋1号墳 三木市
古墳時代
イモガイとイモガイの
螺塔部
貝製飾り金具
イモガイの螺塔部
窟屋1号墳 三木市
古墳時代

 74中国北斉製二彩陶器 双六古墳 約1400年前

中国北斉製二彩陶器 中国北斉製二彩陶器
双六古墳 約1400年前

 75新羅土器
 
新羅土器 脚付短頸壷
壱岐市 双六古墳
約1400年前
新羅土器 脚付短頸壷
壱岐市 双六古墳
約1400年前
新羅土器
脚付短頸壷蓋
新羅土器
脚付短頸壷蓋
壱岐市 双六古墳
約1400年前

 76金銅製パルメット文飾金具 双六遺跡 壱岐島 古墳後期 約1400年前
金銅製パルメット文
飾金具
双六遺跡 古墳後期
約1400年前
金銅製パルメット文
飾金具

 77金銅製単鳳環頭大刀柄頭
金銅製単鳳環頭大刀柄頭 金銅製単鳳環頭大刀柄頭
双六遺跡 壱岐島 約1400年前
窟屋1号墳 三木市 古墳時代
金銅製単鳳環頭大刀柄頭
 
 80串山ミルメ浦遺跡 古代(7~9世紀)
 81
串山ミルメ浦遺跡 アワビ殻串山ミルメ浦遺跡
古代(7~9世紀)
製塩土器
九蔵遺跡:淡路市
古代
土師器 甕

串山ミルメ浦遺跡
古代(7~9世紀)
土師器 甑
串山ミルメ浦遺跡
古代(7~9世紀)
亀卜(きぼく)

串山ミルメ浦遺跡
古代(7~9世紀)
 
 90古代からの架け橋 壱岐・対馬・五島
 東アジアとの交流の歴史を体感できる島
長崎県壱岐島
 
 100人面石 原の辻遺跡 弥生後期 2000~1700年前
 101men
人面石

原の辻遺跡 弥生後期
 2000~1700年前
 

 110弔いと暮らし 一支国の埋葬文化

 111一支国で死んだ人の棺を覗いてみよう
死んだ人は甕に入れられ、土の中に埋められました。生きていた頃に大切にしていた物も死んだ人と一緒に棺の中に入れられました。
棺の中~発見されたものは、どれも珍しいものばかりで、中国大陸や朝鮮半島からもたらされた物も含まれています。

一支国で死んだ人の棺を覗いてみよう
石棺 甕棺

 112甕棺

甕棺

原の辻遺跡
弥生中期
2200~2000年前
甕棺

原の辻遺跡
弥生後期
2000~1700年前
甕棺

原の辻遺跡
弥生前期
2300~2200年前
 





 130古代




 131壱岐島の古代
律令制によって「壱岐国」として認められた壱岐島は、下国ながら、国境のトマトして重要な役割を任されていました。
741年の「国分寺建立の詔」を受けて、壱岐国では島を統治していた壱岐直(いきのあたい)の氏寺を改修し、壱岐国分寺と改称しました。
改修の際に、平城京遷都時に建立された大極殿で用いられた版木をもとに製作された"軒丸瓦"が使用されていることから、初期段階から壱岐国と中央政権との間には強い結びつきがあったことを、発見された瓦から窺い知ることが出来ます。
律令制の税制に「租庸調」がありますが、壱岐国では、くし山ミルメ浦で加工された干アワビが調として納められていました。


壱岐国分寺の礎石
 
 150山と暮らし 一支国の狩猟・採集
 一支国の山の生活を覗いてみよう!
日常生活で使われなくなったものが集められた「ゴミ捨て場」から、割れた土器と一緒に、動物を捕まえるときに使用していた道具、ドングリやヤマモモなどの木の実、沢山の種類の動物の骨が発見されました。
発見された道具や骨から、当時の狩猟の様子や陸上に生息していた動物について知ることが出来ました。捕まえた鹿や猪を食料として食べた後、残った骨や角は、骨占いや骨角器として利用されました。
 151panel
山と暮らし
一支国の狩猟・採集
一支国の山の生活を覗いてみよう!
 153動物骨
イエネコの骨
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
ネズミの骨
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
猪頭骨
 155
骨鏃

原の辻遺跡 弥生時代
2300~1700年前
石鏃

原の辻遺跡 弥生時代
2300~1700年前
鉄鏃

原の辻遺跡 弥生時代
2300~1700年前
銅鏃


原の辻遺跡
車出遺跡
 弥生時代
2300~1700年前
 156骨製根挟
骨製根挟
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
「根ばさみ」は、鏃の根元を挟みつけるものである

 石斧
石斧・柱状片刃石斧
石斧
原の辻遺跡 弥生時代
2300~1700年前

柱状片刃石斧
玉津田中遺跡 弥生時代
2300~1700年前
神戸市 
 
 160海と暮らし 一支国の漁撈文化
 161一支国の海の生活を覗いてみよう!
日常生活手゛使わなくなった物が集められた「ゴミ捨て場」から、割れた土器と一緒に、魚を獲るときに使用していた道具、アワビやサザエなどの貝殻、沢山の種類の骨が発見されました。
発見された道具や骨から、当時の魚獲りの様子や海中に生息していた生き物について知ることが出来ました。
漁撈具としてだけでなく、祀りの時に使用する骨剣や機織りで使用する紡錘車などにも、クジラの骨が使われているのが一支国のの漁撈文化と言えます。

海と暮らし 一支国の漁撈文化 一支国の海の生活を覗いてみよう!
 162貝殻サンプル
カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
貝殻
マガキ
オオハネガイ
イタボガキ

ヒメオウギガイ
カリガネエガイ
マツバガイ
メオニアサリ
チョウセンハマグリ
貝殻
バイガイ
ツメタガイ
テングニシ
サザエ
オオコシダカガンガラ

イシダタミ
スガイ
クマノコガイ
コシダカガンガラ
ハリエビス

カワニナ
レイシ
ホソウミニナ
オオヘビガイ
 163蛸壺・アワビ起こし
土錘、蛸壺
土錘・蛸壺

大中遺跡
 (兵庫県播磨町)
弥生時代
 2300~1700年前
骨製アワビ起こし アワビおこし

 カラカミ遺跡
 弥生後期
 2000~1700年前
 164漁具
骨格製 ヤス

カラカミ遺跡
弥生後期
2000~1700年前
骨格製 銛

カラカミ遺跡
 弥生後期
 2000~1700年前
石錘

原の辻遺跡
弥生時代
2300~1700年前
碇石(いかりいし) 碇石
原の辻遺跡
弥生時代
2300~1700年前
 












 200一支国・原の辻歴史年表

     -魏志倭人伝に記された海の王都-




 210弥生前期・原の辻Ⅰ期 BC3世紀 2300年前
■この頃原の辻集落が誕生する
◇農耕が定着し、各地に集落が誕生する
 211
大溝跡 石田高原地区 円形竪穴住居跡
高元地区
遺跡地図
列埋葬 大原地区
キャプションなし
甕棺でしょう

 220弥生中期前葉・原の辻Ⅱ期 BC2世紀 2200年前
■この頃、原の辻遺跡に船着き場がつくられる
 221

船着き場突堤部
不條地区
弥生中期前葉の土器
 

 230弥生中期後葉・原の辻Ⅲ期 BC1世紀 2100年前
■この頃、朝鮮半島との交流が盛んになり、原の辻集落が対外交易の拠点として栄える。
◇この頃、漢王朝が鉄の輸出を解禁する(鉄器の普及)
■この頃、環濠が整備され「海上弥勒都市」が確立する
◇「漢書」地理誌に倭国がはじめて登場する
◇漢王朝の武帝により、五銖銭が初鋳される

 231
多重の環濠跡
不條地区
弥生中期後葉の土器
 232原の辻遺跡 弥生中期後葉 BC1世紀 2100年前
弥生中期後葉の土器

  玉津田中遺跡:神戸市 弥生時代 2300~1700年前
弥生土器 壺
玉津田中遺跡:神戸市
弥生時代
2300~1700年前
 

 240弥生後期前葉・原の辻Ⅳ期 紀元初頭 2000年前
この頃、低地に掘り巡らされた環濠が埋まる ※本土より250年も早い
■この頃、船着き場が埋没する
57年◇「後漢書」東夷伝に倭国王が登場する
    「漢委奴国王」の金印を授かる
14年◇王奔により貨泉が初鋳される(20年説あり)
07年◇王奔により大泉五十が初鋳される

 241弥生後期前葉・原の辻Ⅳ 紀元初頭 2000年前
弥生後期前葉の土器 ※縦長の土器は、
作り付け型の
かまどにかけるための湯沸用甕か
 
 242 大中遺跡 加古川市 弥生時代 2300~1700年前
兵庫県の
弥生後期前葉の土器
※かまどはまだ普及していなかったようだ

兵庫の弥生土器
大中遺跡
弥生時代
2300~1700年前
 
 250弥生後期後葉・原の辻Ⅴ期 AD2世紀以降 1800年前
248年◇この頃、卑弥呼没する
243年◇帯方郡を通じて黄色の軍旗を卑弥呼に授ける
239年邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る
■この頃、一支国の王都として原の辻集落が再び栄える
147~189年◇桓帝・霊帝期(倭国大乱) この頃、倭国乱れ、あらそいが 続く。卑弥呼を王として擁立し、争いが終わる。
 251
弥生後期前葉の土器 祭祀場跡(原地区) 大型方形竪穴住居跡(原地区)
箱式石棺墓
原の久保地区
弥生後期前葉の土器
 

 260古墳時代初頭・原の辻Ⅵ期 AD3以降 1700年前
この頃から集落の解体がはじまる

西暦350年 1650年前
■この頃、原の辻集落が終焉を迎える

 261
古墳時代初頭 古墳時代初頭の土器

人面石出土状況
不條地区

環濠跡
石田高原地区
 262古墳時代初頭の土器 1700~1600年前
古墳時代初頭の土器
田能高田遺跡(尼崎市)

小型器台・小型丸底鉢
田能高田遺跡(尼崎市)
古墳時代初頭
1700~1600年前

甕 鵤石田遺跡(太子町)
壺 田能高田遺跡(尼崎市)
古墳時代初頭
1700~1600年前
 263長見寺廃寺址(兵庫県北部、香美町) 古墳時代初頭 1700~1600年前
山陰系土器 兵庫県
山陰系低脚坏
長見寺廃寺址(香美町)
古墳時代初頭
1700~1600年前

山陰系鼓形器台
芝花古墳群(朝来市)
古墳初頭
1700~1600年前

山陰系 甕
長越遺跡 古墳初頭
1700~1600年前

 264一支国の古墳時代初頭の土器
 
 
 300魏志倭人伝に記された一支国の世界 
 (このパネル、本当は、見学順路と逆順です。邪馬台国から一支国への道程を記したものですが、作ったあとで掲示の時に逆とわかったでしょう。)
祀りと暮し
 一支国の祭祀文化 
狗邪韓国
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対馬国
 ↓
一支国
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一支国のお祀りをのぞいてみよう!
  一支国ノ三種の神器は 剣と刀と鏡そしてガラスの玉類
交流によって有力者たちは、珍しい物を手に入れ、祀りの場で使用しました。
鉄剣は、実用的な武器としてではなく、祀りのシンボルとして使われました。
青銅鏡は、もう一人の自分を鏡に映して、問いかけたり、太陽の光を反射させ、見るものに恐怖を与えました。
勾玉には、身を包むお守りの意味があり、身に着けることで、特別な存在であることを見るものに印象付けました。
どれも、一般の弥生人が持つことができない物ばかりであり、祀りの場で使用することで有力者の権力を、世に知らしめるステータスシンボルとして用いられました。
  一支国
 ↓
末盧国
 ↓
狗邪韓国(くやかんこく:朝鮮半島南部)
対馬国(つしまのくに)
一支国(いきこく:壱岐市原の辻)
  末盧国
 ↓
伊都国
 ↓
末盧国(まつろこく:佐賀県宗像市・唐津市)
伊都国(いとこく:福岡県糸島市)
奴国(なこく:福岡県春日市)
 交易と暮し
一支国の対外交流
伊都国
 ↓
奴国
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一支国の交流を覗いてみよう
大量に物を運ぶには、大型の土器がコンテナ代わりに用いられました。原の辻遺跡からは国内外の様々な地域の土器が発見されいることから、
海を越えた交流が盛んに行われていたことを窺い知ることが出来ます。

中国大陸から骨占いの文化も一支国に伝わりました。占いによって、収穫の時期や航海の日にちなどを決めていました。
占い以外にも、中国の龍の神話も一支国に伝わりました。中国大陸では、空想上の動物である龍を「水の神様」として信仰していたことから、水を必要とする祭りを行う際に龍が描かれた土器が使用されました。
   ↓
不弥国
 ↓
不弥国(ふみこく:)
   ↓
投馬国
 ↓
投馬国(とうまこく)
生産と暮し
一支国の鍛冶文化
 
 ↓
邪馬台国
一支国のモノづくりをのぞいてみよう!
原の辻遺跡は交易の拠点だったことから、積極的なモノづくりは行われておらず、中国大陸や朝鮮半島から入手した金属製品を他の地域の弥生人に
引き渡すことで生活していました。
カラカミ遺跡では、入手した鉄製品の破片に手を加え、ニーズに合った大きさの鉄素材に加工したり、鉄製品を製作する鍛冶工房が発見されました。
他にも土器づくりの痕跡やベンガラを作る炉跡など様々なモノを創り出す作業場として存在していました。
  邪馬台国 魏志倭人伝に記された一支国の世界
 狗邪韓国→邪馬台国までの背景写真は、壱岐島「原の辻遺跡」の復元施設です