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目
次 |
01外観
05入口展示
06山田遺跡
07土器形式の変遷
※考察 円筒下層式土器の登場
10概要
11円筒土器
円筒下層式土器
15円筒下層a式土器
17館の沢南遺跡
20石神遺跡
21円筒下層式土器
23ようこそ!
つがる市森田歴史民俗資料館へ
円筒土器について
石神遺跡とは・・
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円筒下層式土器
25円筒下層b式土器
31円筒下層d1式土器
34円筒下層d2式土器
円筒上層式土器 35 円筒上層a式土器
40動物意匠の土器
43人面付深鉢形土器
45円筒上層b~d式土器
50円筒式以後の土器
60装飾的口縁部の土器
61人面付深鉢形土器
63装飾的口縁
特殊な円筒土器 70円筒下層式土器
80円筒下層・上層式
90円筒上層式 |
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110土製容器以外
111石器
113土偶
115装身具
116有孔石製品
117耳飾り
118土製品
122土偶
125彫刻器・土偶・岩偶
127土偶・土版・土製品
石製品 129石器
130石鏃
142石鏃・石錐・ポイント・石匙
161縦型石匙
171磨製石斧
173石棒
175円形土版等
176土製品・骨片
180磨き石
190館内全景
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01外観
つがる市森田歴史民俗資料館 青森県西津軽郡旧森田村立歴史民俗資料館
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展示の中心となる石神遺跡は、縄文時代前期中葉から中期(約6000~4000年前)の、円筒土器文化の遺物を多く出土する遺跡である。
国重要文化財219点を所有する、円筒土器分化による「縄文文化・縄文芸術の到達点を堪能することが出来る」と言われている。 |
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05入口展示 参照十三湖周辺の遺跡変遷
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06山田遺跡 旧称:神崎遺跡の調査
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山田遺跡は、この資料館から東へ1km程のところにある、縄文時代前期~晩期、そして平安時代の遺跡です。
遺跡の歴史は古く、昭和28年には早稲田大学考古学研究室による発掘調査が行われました。
展示品は、平成元年(1989)遺跡内の破壊が行われた際,多くの土器が出土し、再調査したときのものです。
調査は弘前大学と村民で行われました。調査では、十腰内式土器といわれる縄文時代後期(約3500年前)の土器などが多量に出土しました。
展示品はその一部です。 |
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十腰内式土器
山田遺跡 晩期 |
山田遺跡
上に記述 |
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十腰内式土器
山田遺跡 晩期 |
十腰内式土器 |
甕 |
深鉢
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十腰内式土器は甕棺用で、集団墓地を土取り場として破壊したようです。 |
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07土器形式の変遷
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早期
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前期
円筒土器登場6200年前の 十和田カルデラの噴火以降 |
中期・後期
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晩期・弥生
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弥生・古代
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土器形式の変化
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※考察 円筒下層式土器の登場 2021.04.27記述
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円筒下層式土器の登場は、5500年前。これは、5,900年前の十和田カルデラの巨大噴火の影響によると思われます。
円筒下層式土器は、噴火で絶滅した北東北と北海道南部の縄文人のあとに、渡島半島や北東北南西部にルーツを持つ人々が、この土地で
生活するために発明した、長時間煮込み用鍋と言えるでしょう。
縄文人は、巨大噴火から400~500年も経なければ、しかも、硬くて口にできないような食物を、あえて煮込み調理して食べなければならないような
過酷な環境になぜ入り込もうとしたのだろう。
火山噴火は壊滅的な破壊をもたらすが、やがて、高いミネラル分を環境に与え、豊かな自然を作り出す。すると、動植物が繁茂し、縄文人にとっては
豊かな狩猟の場となったのだろう。
考えてみると、鹿やイノシシはとても繁殖力が強く、この2種だけで、縄文1万年間の人々の生命を維持できたほど、獲っても獲ってもすぐに増殖する、
無限連鎖のような獲物である。きっと、噴火後400年もすれば、面白いほど沢山のイノ・シカ・チョウが捕獲できたのだろう。
現代ならば、捕獲動物は解体して肉を細かく分類して冷凍保存するが、縄文時代にはそれは不可能。おまけに沢山獲れるのでいとまがない。
解体は、骨付きのまま、足、肩、あばら、頭、などと大雑把に分け、以前なら、骨髄をたたき割って取り出していた様なことはやめて、
骨付きのまま干し肉にした部位をそのまま鍋に放り込んで煮込む。鹿の片足を煮込む、と考えると、ヒトの腰までの高さの鍋が必要になる。
学生時代、1Fパン・喫茶、2Fお好み焼き、3F中華、の店でバイトしていた。ある日、「今日は倉庫に入らんときよ!」と女性店員がいう。
恐る恐る覗いてみると、中華出汁用に牛の頭を煮込んでいた。大きくて深い鍋で一日中煮込んでいた。
角(ツノ)が落ちた後の冬の鹿の頭も、脳髄を食べるためには頭ごと煮なければならない。やはり大きくて深い鍋が必要になる。
私は今まで、木の皮や、噴火後に生える硬い植物などを煮込むための巨大バケツと考えていたが、案外大きな部位を煮込むためかもしれない。
私はラーメンのだし汁を自分で作る。(ニンニク入りのラーメンは食べられないから) 鶏手羽と豚スペアリブを煮込むといい出汁が出て調味料は少なくてよい。
台湾少数民族の料理には調味料がなく、素材そのままの味しかない(マズイ)が、縄文人は意外とおいしいものを食べていたのかもしれない。
青森県の白神山地遺跡群からは、生のまま運ばれた海の貝が出土している。
海水から引き上げた貝をカゴに入れ、背中に背負って、貝から出る塩水でずぶぬれになりながら、踏み分け道を裸足で走った超長距離ランナーか
深鉢に海水を入れて背負い、カゴに入れた貝を時々浸しながら運んだ、超剛力の荷運び人がいたか。それとも、ドローンを飛ばしたかである。
塩分やミネラルは、神奈川県大磯のアオバトでなくても、どうしても補給なければ ならないものであり、どんな山奥にいた縄文人もこれを確保していた。
現代の野菜は生食可能が多いが、野生植物は苦みが強くアクも強い。干物にした肉や魚からはよい出汁が出るのに、苦みや渋みの植物を
ごった煮はしないだろう。そんなものは別に煮込み調理して下ごしらえをし、縄文食はよい味だったのかもしれない。 |
※円筒下層式土器も大小あるが、深いものでは、大人の腰程のものも多い。 |
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10概要 |
11円筒土器
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円筒土器下層様式遺跡分布図
円筒土器上層様式遺跡分布図
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岩木山北麓
森田村全景と石神遺跡
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円筒下層式土器 縄文前期 約5500~5000年前
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12円筒土器上層様式遺跡分布図 縄文中期 約5000~4500年前
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円筒下層式土器 石神遺跡 縄文前期 約5500~5000年前
円筒下層式土器の特徴 引用「函館市地域史料」
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下層式土器は胎土に繊維を含み、口縁部が平、又は緩やかな波状をした円筒形の土器で、器形・文様要素の違いから(中略)4期に区分されている。 |
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15円筒下層a式土器 石神遺跡 縄文前期
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石棒 |
円筒下層a式土器 |
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初期の円筒下層式土器は、それ以前の土器、
表舘式・芦野Ⅰ式、早稲田六類などに比べ巨大である。
大きく深く進化した理由は、
とても固いものを、長時間煮込まなければ口にできないものを、大量の水を入れて煮込んでいたからに違いない。
北東北と南北海道に甚大な被害をもたらした6200年前の十和田カルデラの噴火により、草本などは死滅し、例えば、松の樹皮や、針葉樹の種実のような低栄養で消化し難いものを食べるための努力ではないかと思ってるのですが。いかがでしょうか。
これは、以前の記述です。20210427加筆 |
円筒下層a式土器 |
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17館の沢南遺跡
石棒 |
凹み皿・磨石 |
石臼
森田村館の沢南遺跡 |
石皿・敲き石 |
石皿 |
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20石神遺跡
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21円筒下層式土器 石神遺跡 縄文前期
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23
ようこそ!つがる市森田歴史民俗資料館へ
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この資料館には、219点の国重要文化財を始めとする、石神遺跡(いしがみ)から出土した、縄文前期中葉~縄文中期(約5600~4000年前)の遺物を中心に展示しています。
青森県を中心とする北東北から南北海道にかけての地域では、この時代には、「円筒土器」と呼ばれる、筒形をした土器が使われていました。展示中の土器を見て下さい。また、その文化を「円筒土器文化」と呼びます。
石神遺跡は、円筒土器文化の代表的な遺跡で、青森市の特別史跡三内丸山遺跡や八戸市の史跡是川一王寺遺跡も同じ時代。同じ文化の遺跡です。
また、出土した土器の芸術性の高さ、遺存状態の良さから、現在でも円筒土器文化研究の中心的役割を担っています。
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円筒土器について
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名付け親は明石原人の命名者として知られる人類学者長谷部言人(はせべことんど)。その後、山内清男(すがお)は、1925・26年の五所川原市「オセドウ貝塚」や八戸市「是川一王寺遺跡」の調査から、円筒土器を、縄文前期の下層式4型式と中期の上層2型式に分類した。
円筒土器の本格的研究は、1965・67年の「石神遺跡」の発掘調査がきっかけで、慶大の江坂輝彌は円筒土器を下層7型式、上層7型式に分類。
弘前大の村越潔も下層式5型式、上層式5型式に大別した。石神遺跡に基づく江坂や村越の編年は、現在も円筒土器研究の基本であり続けている。
ところで、江坂や村越が編年に用いた資料は、発掘調査で出土したものではない。1960年代前半に、石神遺跡内での水田削平に伴って散乱した遺物を、地元有志が採集・復元したものだ。
1975年、これらの収蔵・公開のため、当館が開館した。また、これらの遺物のうち、円筒土器を中心とする219点が1990年に国重要文化財に指定され、全て当館に収蔵されている。
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石神遺跡とは・・
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この資料館から西に1km程の位置にある、縄文時代前期中葉~縄文時代中期を中心とする遺跡。
円筒土器が編年通りに途切れることなく、順序正しく出土する遺跡として知られていたが、近年の発掘調査の結果、
遺跡内に縄文人が円筒土器文化初期から終末期にかけて、土と遺物を混ぜて途切れることなく築き上げた、いわゆる「盛土遺構(マウンド)」が存在し、その中に円筒土器が間断なく折り重なるように埋まっているということが判明した。
近年の調査の概要は、当館のパンフレットに記載している。(※パンフは枯渇) |
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国重要文化財とは
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2006年2月1日現在、全国で、12,495件(内1,071件が国宝)が国重要文化財に指定されている。このうち青森県のものは50件(内2間が国宝)。
絵画・工芸品・考古資料・建造物などに分類され、「青森県石神遺跡出土品」は、「考古資料」に分類される。
青森県には「考古資料」に分類される指定物件が9件あり、石神遺跡出土品の他、三内丸山遺跡出土品などがある。
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ようこそ!つがる市森田歴史民俗資料館へ |
円筒土器について |
石神遺跡とは・・ 国重要文化財とは
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25円筒下層b式土器 石神遺跡 縄文前期
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27
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31円筒下層d1式土器 石神遺跡 縄文前期
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円筒下層d1式土器 |
円筒下層d1式土器 |
円筒下層d1式土器 |
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円筒下層d2式土器 |
円筒下層d2式土器 |
円筒下層d2式土器 |
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33
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34円筒下層d2式土器 石神遺跡 縄文前期
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円筒下層d2式土器
石神遺跡 前期
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円筒下層d2式土器
石神遺跡 前期
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円筒下層d2式土器
石神遺跡 前期
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円筒上層式土器 縄文時代中期 約5000~4500年前
円筒上層式土器の特徴 引用「函館市地域史料」
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上層式土器は口縁部に4個の山形突起があり、地文には羽状縄文や斜行縄文が多用され、口縁部には隆起線で区画した文様帯をつくり、縄の側面を押捺して飾る大型の豪華な土器で、文様構成の違いをもとに(中略)
5期に区分されている。 |
円筒下層式土器の特徴 引用「函館市地域史料」
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下層式土器は胎土に繊維を含み、口縁部が平、又は緩やかな波状をした円筒形の土器で、器形・文様要素の違いから(中略)4期に区分されている。 |
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35 円筒上層a式土器 石神遺跡 中期
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円筒上層a式土器
石神遺跡 中期 |
円筒上層a式土器
石神遺跡 中期 |
円筒上層a式土器
石神遺跡 中期 |
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40動物意匠の土器 |
41口縁部突起部分にイノシシの頭部を表現した土器 石神遺跡 縄文中期 円筒上層a式土器
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動物突起土器 |
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イノシシ突起の土器 |
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イノシシ突起の土器 |
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43人面付深鉢形土器
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45円筒上層b~d式土器 石神遺跡 中期
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円筒上層b式土器
石神遺跡 中期 |
円筒上層c式土器
石神遺跡 中期 |
円筒上層d式土器
石神遺跡 中期 |
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50円筒土器以後の土器 石神遺跡 縄文中期後葉~末葉
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北海道・北東北の円筒土器型式期の広域編年案 引用円筒土器文化総合研究データベース作成3共同研究 三内丸山遺跡保存活用推進室
※東北地方が円筒下層式のとき、北海道道南の椴川式~サイベ沢式は全て円筒土器のことで、北海道式の呼び名である。
しかし、この編年表で初めて知ったのは、大木式土器が前期から中期まで2000年間も進歩しながら作り続けられたという奇跡のような事実である。
同じ土器を作り続けたということは、その集団は少なくとも2000年間も集団として存在し続けられたということである。 |
51円筒土器以後の土器
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円筒土器以後で、縄文中期後葉の土器形式は、東北では榎林式、最花式、大木10式である。脚注がないので型式は不明です。 |
参照 (4)縄文時代中期
円筒土器以後の土器 |
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円筒上層式 |
円筒上層c式台付鉢形土器 |
円筒上層b式土器 |
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53
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55
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60装飾的口縁部の土器 円筒上層a式 |
61人面付深鉢形土器
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63装飾的口縁 円筒上層C式
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70円筒下層式土器
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71
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72
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80円筒下層・上層式
特殊な形状や特殊な文様付き土器 |
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81
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83
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85
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台付鉢形土器 |
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特殊な形状 |
口縁の装飾 |
補修孔のある鉢形土器 |
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87
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この文様はどこか他の
円筒上層C式 |
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把手付刺突文台付 |
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89
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90円筒上層式
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91
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110土器以外
土器以外の国指定重要文化財
石器類・土偶・土製耳飾・土錘・異形土製品・石製垂飾・石製耳飾・玉類・異形石製品 105点
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111石器
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磨製石斧
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土偶 |
土偶
クマ? |
土偶
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玦状耳飾り |
石錐・石槍 |
石匙・ポイント |
石鏃 |
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113土偶
十字形板状土偶 引用
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北東北では縄文時代中期に用いられた板状土偶と呼ばれる、縦長の逆三角型、あるいは両手 を広げた十字型の土偶が出土する。青森市の三 内丸山遺跡では、これまでに一遺跡としては最
多となる2000体以上にも及ぶ土偶が検出されてい るが、そのほとんどはこの板状土偶である。
本来自立しない造りであり、後の遮光器式土偶のような立像を基準に考えるなら、発展期の形態とみなされるが、顔表現を持つ土製品としては世界でも最も早い時期のものであると同時に、縄文期の美的表現の一例としても興味深い側面
を有している。
土偶は初期には世界的に顔を付けなかった。それは、精霊を表現したものであり、顔を付けず、異形のものとして表現された。しかし、縄文中期には
新しい文化の流れが発生し、顔を付ける系統の土偶が発生した。 |
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頭飾りを載せた司祭 |
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胸に顔?お面を胸にかけている姿で顔は取れてしまった。 |
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115装身具
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116有孔石製品
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117耳飾り
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118土製品
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121装身具 ペンダント
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122土偶
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123土偶破片
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124土偶破片
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125彫刻器・土偶・岩偶 |
126 彫刻器
土偶
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127土偶・土版・土製品
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左腕の肩の部分
森田村字床舞字藤山
俗称カメコ山 表面採集
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絵の土偶と同類。
(南津軽郡碇ヶ関(出)
(左腕の肩の部分)
23.8㎝ |
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129石器
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130石鏃 |
131
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133
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134
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135
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137石鏃2
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140石鏃3 |
141石鏃・石槍
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142石鏃・石錐・ポイント・石匙
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143
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160石匙 |
161縦型石匙 |
161
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162
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163縦型石匙 |
164
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165
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166
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170 |
171磨製石斧
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173石棒
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175円形土版等
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176土製品・骨片
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178土製品・石製品・骨片
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180磨き石
「すりいし」ではなく「みがきいし」 っていうか「磨かれた石」でしょうね。 宝物のようなきれいな石です。
他の遺跡では見たことがありません。交換材なら他の遺跡からも出るはずで、この遺跡だけで使われたもののようです。
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190館内全景
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5651-5697土偶 重複
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