青森の縄文 03 2019.09.26-2
十和田市郷土館 青森県十和田市大字奥瀬中平61-8 0176-72-2340月休撮影可
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交通 |
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レンタカー |
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展示 |
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市内の寺上遺跡、明戸遺跡、高見遺跡、切田前谷地遺跡等から発見された縄文時代から中世までの土器、石器、鉄器や江戸時代の古文書や
明治以降の軍馬補充部関連の資料を展示しています。 |
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観光 |
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十和田市の観光、青森県東部の観光 |
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十和田市へのアクセス |
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東北新幹線八戸駅・七戸十和田駅よりバス
路線バス-青森・八戸・三沢・七戸・野辺地・東北町と連絡
バスは旅行には不便なこと間違いない。レンタカーが最適。 |
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十和田市
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十和田市郷土館
展示内容
区分 |
内容 |
歴史コーナー |
市内の寺上遺跡、明戸遺跡、高見遺跡、切田前谷地遺跡等から発見された縄文時代から中世までの土器、石器、鉄器や江戸時代の古文書、軍馬補充部関連の資料を展示しています。 |
馬具コーナー |
馬に関する資料として、嫁入りに使用した馬そりや、馬具、絵馬、獣医の医療器具、蹄鉄工具などを展示しています。 |
昔の道具コーナー |
あかり、アイロン、洗濯機、電話など、今日でも日常的に使われる道具の変遷を学べるように、昔の道具の実物を展示しています。 |
機織コーナー |
高機を中心に、十和田地方で広く織られていた麻布や絹布織り用の機具と材料、並びに製品を展示しています。他に裂織の地機も置いています。 |
農家のくらしコーナー |
昭和20年頃の農家の台所の様子を再現しています。ホド(炉)、カギヅキ(自在鉤)、エンツコ、水瓶など、当時の懐かしい品々を展示しています。 |
引用十和田市郷土館 十和田市 |
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目
次 |
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01外観
02入口展示 (生物展示)
10縄文時代の十和田
16縄文前期~後期土器
20縄文時代晩期の土器
21亀ヶ岡文化
22縄文晩期の土器
23壺形土器
24 19号ピット墓
25皿形土器
27浅鉢形土器
28注口土器
50明戸遺跡の石器
52アクセサリー
53動物解体用石器
55生活道具の石器
81寺上遺跡貝塚出土貝塚
82晩期亀ヶ岡式土器
83土偶
85祈りの道具
86ミニチュア土器
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90弥生・古墳時代の十和田
91弥生時代
100古代
102奈良・平安時代の十和田
103カマドから出土した土器
104平安時代
105墨書土器
106奈良~平安時代 |
120中世
121畠を耕す
123中世の十和田
中世の城館
127中世末期 城棄却
140十和田火山の噴火
160滝沢家文書
164刀剣
170近世・近代
180馬具コーナー
191装蹄作業道具
バオリについて
201馬具
202獣医の解剖道具
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民具
203むかしの道具コーナー
205昔のくらし
206機織りコーナー
208農家の暮しコーナー
210企画展
「履物の歴史と種類」
わらぐつの中の神様
218鶏舞 |
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十和田市郷土館について
十和田市付近は、先土器時代から、日本海側(津軽地方・鰺ヶ沢など)から、十和田湖を経由して、太平洋側(八戸など)へ抜ける街道だった
のではないかと思います。例えば、津軽地方最初の米作文化(砂沢式土器)が、突如八戸付近に現れています。平地や海岸部を歩くと途中に
遺跡が残るものですが、何もありません。これは、遺跡が残せない地域を歩いてきたからです。それがこの、津軽―十和田湖―八戸ルートです。
つまり、十和田市周辺の遺跡には、西と東を結ぶ文化遺産が残っていると思われます。
そして、この館は、唯一ガラスケースで遺物が覆われていない、撮影に適した館です。どうか、見学の際は、展示物を大切にご覧ください。 |
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01外観
十和田市郷土館
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表を車で通ると閉店した喫茶店かと見まごうので、見落とさないようにしましょう。必ずカーナビ走行しましょう。
学生時代の東北旅行の際に、十和田市の北里大学に行ってる友人に会いに行きました。
それを思い出しながら走行しましたが、この交通不便な内陸の土地へどこから来たのかどうしても思い出せません。
何処かの駅に迎えに来てもらったのですが、それがどこなのかも不明。50年前とは交通網が一変していて、今は新幹線からのアクセスが主流となっています。
当時、の名物は、馬肉のジンギスカンでした。初めてジンギスカン鍋を見ました。
その友人も国立癌研究所に就職し、偉い「権威者」になったようです。高校の成績はあまり変わらなかったのに、進路の選択によって、未来が激変することを痛感しました。アメリカの学会で度々発表し、定年後も務めているそうです。凄いね。(笑) |
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02入口展示 (生物展示)
十和田の動物: 深い自然に囲まれた十和田市ですから、珍しい動物のはく製が沢山ありました。
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(考古展示)
10縄文時代の十和田
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11縄文時代の十和田
縄文時代の十和田
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十和田市に人が住みだすのは縄文早期(約9000年前)からとされています。
縄文時代は約1慢年間続いた時代で、人々は狩猟・採集を中心とした暮らしをしていたと考えられています。
市内では、100か所以上の遺跡が確認されており、発掘調査により、寺上遺跡(赤沼地区)、明戸遺跡(滝沢地区)、中村平遺跡(米田遺跡)ではムラの跡も発見されています。 |
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縄文時代の十和田
上に記述 |
縄文6期の遺跡
右に記述 |
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縄文時代 前期~後期の土器
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縄文時代前期 |
縄文時代前期土器
(約6000~5000年前)
深鉢形土器が一般的です。
前期の土器は底が尖っていますが、
次第に平底のものに変わります。
様々な種類の縄文で装飾されることが特徴です。 |
縄文時代中期
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縄文時代中期土器
(約5000~4000年前)
深鉢形土器が一般的ですが、
浅鉢形土器なども増えてきます。
粘土紐などを貼り付けて立体的で派手な装飾が付けられるようになり、
人や動物が表現されたものも出てきます。 |
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15 |
16縄文前期~後期土器
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十和田市の遺跡地図
引用「十和田こども検定39」 |
←この地図は連結していません。
独立しています。 |
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尖底深鉢形土器
十和田市立崎
山ノ外遺跡
縄文前期前半 |
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丸底深鉢形土器
十和田市赤沼
寺上遺跡
縄文前期前葉 |
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縄文時代晩期の土器
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20縄文時代晩期の土器
明戸遺跡 十和田市大字滝沢字明戸22-2
亀ヶ岡文化コーナー
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亀ヶ岡文化は、縄文時代末期の先史文化で、北東北を中心として東日本に広がりを見せた極めて卓越した文化です。
その遺物は、形、文様、製作技術に優れ、美術品としても高く評価されています。
このコーナーでは、明戸遺跡の出土品より、その一帯を紹介します。 |
縄文晩期の土器
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縄文時代晩期
(約3000~2300年前)
深鉢形土器の他、壺形土器、台付土器、皿形土器、注口土器 等様々な器が見られます。器壁が薄いものが多く、縄文や沈線文を組み合わせて美しい文様で飾られることが特徴的です。器面を磨いたり、赤く装飾された土器も見られます。 |
亀ヶ岡文化の土器
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亀ヶ岡文化の土器は、一般的な縄文土器と同様に深鉢形土器を中心とする一方で、浅鉢形、壺形、皿形、台付鉢、台付皿、香炉形、注口土器等、多様な形態の土器が見られます。
また、赤彩や黒色磨研、浮き彫り技法、磨消技法などを用いて、土器を美しく飾り立てる技法が高度に発達することも特徴の一つです。 |
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21亀ヶ岡文化 明戸遺跡
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明戸遺跡
亀ヶ岡文化コーナー
上に記述 |
縄文時代晩期土器
上に記述 |
亀ヶ岡文化の土器
上に記述 |
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22縄文晩期の土器 亀ヶ岡式土器
十和田市滝沢 明戸遺跡
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台付鉢形土器 |
台付鉢形土器 |
台付鉢形土器
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壺形土器 |
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23壺形土器 晩期
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24 19号ピット墓 人骨 縄文晩期 明戸遺跡
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19号ピット墓の人骨
晩期 明戸遺跡
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19号ピット墓
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縄文晩期の墓で、
足を折り曲げているのが特徴。
頭のところに赤い粉がまかれている。
※赤い粉はおそらく津軽半島突端から産出するものでしょう。 |
粗製土器と精製土器
上に記述 |
亀ヶ岡文化の土器には、
文様が単純で実用的な粗製土器と、
精巧な文様等で美しく飾られた精製土器があります。 |
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25皿形土器 明戸遺跡 十和田市滝沢 縄文時代晩期
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27浅鉢形土器 明戸遺跡 縄文晩期
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浅鉢形土器 |
浅鉢形土器
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浅鉢形土器
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深鉢形土器
明戸遺跡 |
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28注口土器 明戸遺跡 晩期
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注口土器 |
注口土器
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注口土器
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注口土器
明戸遺跡 晩期 |
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注口土器
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鉢形土器
明戸遺跡 晩期 |
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この先は90に続きます |
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50明戸遺跡の石器 縄文時代 |
51
明戸遺跡の石器 |
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石鏃・槍
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石鏃 |
アスファルトが付着した石鏃 |
接着剤のアスファルトは秋田県などに産地があります |
石鏃
アスファルト付着 |
石槍 |
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52アクセサリー 明戸遺跡
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53動物解体用石器 明戸遺跡
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縄文時代の遺跡からは、狩りに使われた石鏃・石槍、獲物の解体に使われたと考えられる石匙・スクレイパーなどが数多く出土します。 |
狩猟に伴う石器 |
石匙 |
珍しい2把手
エスキモーナイフ |
きっとこの刃物は、両手で持って使ったのでしょう。
現代でもこれに似た刃物を見た記憶があります。 |
スクレイパー |
黒曜石の石器・剥片
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黒曜石はガラス質の石で、石器の素材として使われました。北海道白滝など、青森県でも深浦町、青森市に産地があります。 |
石錐 |
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55生活道具の石器 十和田市内出土
石皿と磨石 十和田市内出土 縄文時代
木の実をはじめ植物質の食料を磨り潰すことなどに使用されたと考えられています。
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石皿と磨り石 |
脚付き石皿 |
脚付き石皿 |
脚付き石皿 |
石錘 |
ウキ(軽石) |
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58
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80寺上遺跡貝塚 |
81
寺上遺跡貝塚出土貝・動物骨・植物種子 晩期
寺上遺跡貝塚出土貝類
十和田市赤沼 |
ハマグリ・アサリ・
コシダカガンガラ |
エゾアワビ・イシダタミ
ツメタガイ |
動物骨
イノシシ・シカ・ウサギ |
シカ |
明戸遺跡 晩期
人骨の一部
明戸遺跡 晩期 |
オニグルミ
左端は弁柄・赤鉄鉱 |
クルミ(炭化)明戸遺跡 |
クリ(炭化)明戸遺跡 |
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82晩期亀ヶ岡式土器
亀ヶ岡式土器
NHKドラマスカーレットなんか目じゃない。 |
この神業のような技術を見て下さい。 |
動物の腸に詰めた緩い粘土を絞り出してレース模様を描き。
それで土器を作るなんて。どれほど高度な技なんだ。素晴らしい。
それとも、切り抜いたのか。 |
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中に赤い顔料が入っています。 |
赤彩の美しい文様が
撮れていません |
是非本物をご覧下さい
底を撮影すべきです |
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83土偶 明戸遺跡 晩期
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土偶 晩期
3000~2300年前 |
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土偶体部
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←写真の、右の土偶の文様は左右対称だが上下は非対象で、よく見ると雌雄がある。
で、しかも、その雌雄の文様を、82➀②の神業土器にも透かし彫りされている。
現代でもこれほど精巧な透かし彫りの香炉はあまり見ない。鉄の刃物がない時代に何を使ってこのような精緻な切込みを入れられたのか。縄文人の造形力にはホントに魅了されます。
ちなみに、←写真の左側の土偶は、地味なのに、意外とよく見かけます。
なぜか。 |
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土偶頭部
土笛
土笛 明戸遺跡 晩期 |
縄文晩期の文様が入った土笛。 |
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85祈りの道具 明戸遺跡 晩期
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岩版 |
縄文の信仰に岩偶(呪術) と岩版(護符)がある。引用文化遺産online
左の岩版は唐草文様に見える二組の渦巻きが一対になっているのが3組よく見える。
渦の中心をよく見ると一方は蛇の頭になっていて、反対側は受け止める絵になっている。
それがよくわかるのは中と右の大型岩版。中は渦巻きの中心がU字形であるのに対し、
右の岩版では渦巻きの先端が蛇の頭状になっている。
きっと雌雄を表す、又は起点と終点を表す、それとも永遠を表すのかな。あの世とこの世? |
土偶 |
土偶 |
スプーン
明戸遺跡 晩期
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耳飾
明戸遺跡 晩期 |
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86ミニチュア土器
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弥生・古墳時代
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90弥生・古墳時代の十和田
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弥生時代になると、青森県でも稲作が行われたことがわかっていますが、縄文時代同様の狩猟、採集を中心とした生活が大きな割合を占めていたのではないかと考えられます。
市内の弥生・古墳時代の遺跡には、姫居遺跡(切田地区)、中里(2)遺跡(法量地区)、長根遺跡(沢田地区)などがあります。
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91弥生時代
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弥生・古墳時代の十和田
上に記述 |
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壺形土器
十和田市切田
姫居遺跡 |
深鉢形土器
弥生前期
中里(2)遺跡 |
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100古代
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102奈良・平安時代の十和田
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奈良・平安時代の青森県は、律令国家の直接的な支配が及んでおらず、これに従わない蝦夷(エミシ)と呼ばれる人々が住んでいました。
この時代になると青森県でも農耕や鉄器の使用が一般化し、文字や仏教等の文化も入ってきています。
市内でも多くの遺跡の存在が明らかになっており、大和田遺跡、六日町遺跡、山ノ外遺跡、切田前谷地(1)遺跡、でムラの跡が発掘されています。
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奈良・平安時代の住居跡
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奈良・平安時代の住居は竪穴式住居跡が主で、平面系は方形を呈しています。
この時代の住居の特徴は煮炊きのためのカマドが付設されていることです。カマドは住居の壁際に、土器や礫を芯材にして粘土で固めて作られます。また、煙道が住居の外側に抜けるようになっており、煙を外に排出する仕組みになっています。 |
土師器と須恵器
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奈良時代・平安時代の焼き物には土師器と須恵器があります。
土師器は素焼きの焼き物で赤褐色をしています。カマドに対応した甕・甑や現在のお椀にあたる坏などが焼かれました。
須恵器は窯で焼かれる灰色で硬質な焼き物で、平安時代になると青森県内でも生産が始まり、広く使用されるようになりました。 |
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奈良・平安の十和田
上に記述 |
奈良・平安時代の遺跡 |
奈良平安時代の住居 |
奈良・平安の住居
上に記述 |
土師器と須恵器
上に記述 |
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103カマドから出土した土器 下屋敷遺跡 十和田市米田 奈良時代
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奈良平安時代の竪穴住居にはカマドが付設されるようになります。展示している土器はカマドから出土した土器で、両脇の甕形土器はカマドの袖の芯材として、中央の土器は、煮炊きする土器の支脚として転用されたものです。 |
カマドから出土した土器
下屋敷遺跡
十和田市米田
奈良時代
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土師器(甕・坏)
下屋敷遺跡 奈良時代 |
土師器(甕・坏)
十和田市相坂
相坂(2)遺跡 奈良 |
土師器(甕・坏)
十和田市相坂
六日町遺跡 平安時代 |
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104平安時代
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105墨書土器 十和田市相坂 高見遺跡・六日町遺跡 平安時代
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平安時代になると墨で記号や文字を書いた土器が見られるようになります。 |
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106奈良~平安時代
須恵器
十和田市相坂
高見遺跡 平安時代 |
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ふいご羽口・鉄滓
十和田市切田
切田前谷地遺跡 平安 |
土製紡錘車 |
機織り用の糸を紡ぐ道具。参考資料として示してある現代の紡錘車と同じ要領で使われたものと考えられる。
十和田市 相坂(2)遺跡 奈良時代 |
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120中世
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121畠を耕す
鉄製品
奈良平安時代になると鉄製品の使用が一般化し、刀子や槍鉋といった工具や鎌、鍬先等の農具が作られました。
十和田市相坂 切田前谷地(1)遺跡 平安時代
鏃・刀子 |
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123中世の十和田
中世の城館
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中世の城館は、河川や沼沢に面した丘陵や段丘などの自然地形を利用しながら、堀や土塁を築いたもので、その地域の支配者が住んだ場所です。
十和田市にも多数の城館が残されており、往時の姿を偲ぶことが出来ます。
また、切田前谷地(1)遺跡、赤沼備中館跡、洞内城跡、伝法寺館跡では発掘調査が行われており、当時の建物跡や生活に使われた道具類が見つかっています。 |
中世
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鎌倉時代、青森県は鎌倉の北条得宗家の領地であった。その後、
室町時代の前半、十三湊を拠点とする安東氏と、八戸の根城を本拠とする南部氏の両雄の時代となる。(※両雄とも港湾・交易を基盤にしていた)
室町時代の後半になると、安藤氏との抗争に勝利した南部氏が全県を掌握したが、この頃の実権は聖寿寺館を本城(後に三戸城に移る)とする
南部氏宗家に移っていたという。
中世末期には津軽為信が津軽地方に勢力を広げ、津軽氏と南部氏が青森県を二分することになる。 |
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127中世末期 城棄却
奥羽仕置(奥州仕置) 奥羽仕置と豊臣政権 奥羽仕置 改易
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140十和田火山の噴火 |
141
中掫浮石
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中掫浮石(ちゅうせり ふせき)は通称「アワズナ」と呼ばれる黄褐色の軽石粒で、約5500年前(縄文前期中葉)に十和田湖の中湖付近が爆発し、噴出しました。降下範囲は十和田湖の東側で、十和田市域にも広く降下しており、この郷土館付近でも、約30cm程度の層となって堆積しています。
※この火山灰によって環境が変わり、円筒下層式土器が縄文前期に、円筒上層式土器が縄文中期に使われることとなりました。 |
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160滝沢家文書
櫛引八幡宮や中渡八幡宮の神事に関する古文書 文献史学の皆さんが喜ぶところです。 |
161
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162
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163
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脇差 |
陣笠 |
胡床・柄杓
こしょう・ひしゃく |
胡床 |
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胡床は
只の折りたたみいす。
曲録はきょくろく
ちょっと高級な折りたたみいす |
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164刀剣
備前長船則光 |
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銃砲刀剣類登録証 |
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脇差 |
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槍鞘やりさや |
槍鞘➀10cm
木製黒漆塗り金蒔絵
槍鞘②19cm
毛槍(槍先鞘)、
行列の先頭を飾った。
黒漆塗り、金蒔絵の綱状の飾りがつく |
燭台 江戸時代
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御膳
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170近世・近代
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171
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鐙あぶみ 木製 |
畑山庄太郎家文書
地方政治家
江戸中期-明治の文書 |
覚(伝馬票)
松前藩松下覚兵衛通行により人足25名を
切田村に催促した。
明治2年 |
居繰札
定置網設置の鑑札
(許可札) |
切田村で奥入瀬川の鮭漁にあたって、
「居繰」(鮭漁の定置網)二掛け、
遡上を防ぐための「留」一か所を許可した札
天保6年(1835) |
河津周甫使用の
手術器具 |
往診箱 |
薬箪笥 |
薬箪笥 |
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(近代)
180馬具コーナー
馬に関する資料として、嫁入りに使用した馬そりや、馬具、絵馬、獣医の医療器具、蹄鉄工具などを展示しています。
履物 |
わらじ(軍馬用)、馬靴、馬の櫛
乗馬用長靴、冬用蹄鉄、蹄鉄、夏用蹄鉄、蹄鉄釘と型枠 |
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190道具 |
191装蹄作業道具
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200 |
201馬具
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202獣医の解剖道具
解剖道具 |
獣医用行李 |
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203むかしの道具コーナー
あかり、アイロン、洗濯機、電話など、今日でも日常的に使われる道具の変遷を学べるように、昔の道具の実物を展示しています。
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205昔のくらし
昭和20年頃の農家のいろりを囲む当時の生活を再現しています。
ハバキ(草むらなどに入るときに脚のスネに巻き付けて脚を保護する。)一般的には脚絆(きゃはん)というのではないかと思います。
はばきは箒(ほうき)の意味だけど、仮名手本忠臣蔵か何かでお女中が歩く様子を「たまはばき」とか表現したのをうろ覚えしている。
きっと古い言い方なのでしょう。例えば腰冑(こしよろい)がクサズリだったりするように、、、
石臼(この石臼は脱穀用ではなく、茶葉を抹茶(粉状)にするための抹茶臼である。高級品)
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石臼 |
薬研・ハバキ・藁手袋 |
むかしの暮らし
火鉢・御櫃・羽釜 |
そば打ち道具 |
織機・エンツコ・ |
仕事着 |
機織り |
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206機織りコーナー
高機(たかはた)を中心に、十和田地方で広く織られていた麻布や絹布織り用の機具と材料、並びに製品を展示しています。
他に裂織(さきおり=古い衣類を細く裂いて衣類に再生した)の地機も置いています。
※裂織は新潟県でもありました。東北とずっと南の新潟に同じ文化があったのはなぜか?
たかはた |
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207機織りに関わる道具
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ミシン・糸車・農具 |
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カンダィ(鍬)
鋤(長い方) |
糸車 |
縄綯機(なわないき) |
糸繰機 |
糸引き機
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糸撚り機 |
織機 |
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208農家の暮しコーナー
昭和20年頃の農家の台所の様子を再現しています。ホド(炉)、カギヅキ(自在鉤)、エンツコ、水瓶など、当時の懐かしい品々を展示しています。
杵と臼
こんな大きな竪杵は見たこともないです。 |
女性の作業にしては重すぎますね。 |
杵、竪杵と横杵 が、同時に使われているのは始めて見ました。
東南アジアの山岳民族は横杵が多く、台湾では竪杵が使われてました
竪杵は本来は棒で、だんだん両端が大きくなった。手杵・ウサギ杵とも
臼、ひき臼(すり臼)と、つき臼がある。
つき臼には唐臼(からうす)、踏み臼などもある。
脱穀・精米・粉砕等に使用。また、漁家では蒲鉾作りに、
農家では味噌づくりや餅つきなどにも利用した。 |
手押し橇、竹橇 |
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210履物の歴史と種類
先史
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私たちの祖先がいつから履物を使い始めたかはよくわかっていません。民族例にみられるように植物の蔓や皮、動物の皮などを利用したものが最初の履物と推定されています。そもそも庶民においては、歴史時代においてもはだしでの歩行が多くみられ、履物の使用は足を保護しなければならない場合など特別な場合に限られていたのかもしれません。
日本で見つかっている古い履物の一つに「田下駄」があります。弥生時代に稲作の開始と共に使われたものです。この田下駄は形を変えながら、昭和時代まで使われました。 |
古代
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古墳時代になると、大陸から靴が入ってくるようになり、古墳時代の副葬品の中にも見ることができます。
奈良時代になると、日本は中国などの制度を採り入れた国づくりを行います。国家の基本法となった養老律令では「衣服令」(えぶくりょう)が定められ、国に仕える官人が身に着けるべき衣服・履物が身分によって定められました。
平安時代になると、履物の民衆化が進み、今日の草鞋(わらじ)、草履(ぞうり)、下駄などの、鼻緒のついた履物が発達します。
下駄の前身である「足駄あしだ」が民間から生み出され、武士や婦女子などにも履かれるようになりました。 |
中世・近世
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鎌倉時代になると、武士階級の台頭とともに草鞋(わらじ)や草履(ぞうりが履かれ、一般大衆にも履物を履く習慣が普及するようになりました。また、足裏の半分程の長さの足半(あしなか)草履が登場しました。爪先に力がかかっても鼻緒が切れにくく戦場などで履かれました。
室町時代には鼻緒やカエシで足の紐ずれを防ぐため、足袋(たび)を併用するようになります。
江戸時代になると、町人文化が栄え、草履、下駄、足袋が著しい発達を遂げました。
特に、下駄は様々な形状に変化がみられるようになりました。元禄の頃から桐台、塗り下駄、表打ち下駄や布、皮の鼻緒が用いられ始め、華美な下駄が大流行しました。 |
近代・現代
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明治3年(1870)東京池袋に西洋式製靴工場が創設されました。日本人に合う軍用の靴を量産するためのものでしたが、これ以降、文明開化の風潮に乗って西洋式の靴が徐々に広がっていきました。日本の伝統的な履物にも改良が加わり、ゴムなどを付けた草履や地下足袋(ブリジストン)などが発明され、下駄も機械で作られるようになっていきました。
しかし、昭和30年代以降、高度経済成長期に入ると、大量生産で作られた欧米式の靴が急速に広がり、下駄、草履などの履物はすたれていきました。こうした履物は現在、お祭りの時など特別な場合で見られるのみとなっています。 |
草履・わらじ
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履物の歴史と種類 |
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わらじ・ハバキ |
わらぞうり・むすびぞうり違いに注目 |
雪国の履物
雪国の履物 |
フカグツ
ツマゴ |
カンジキ
スベ |
雪下駄 |
きみがら キビ殻で作ったスリッパ
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きみがら(トウモロコシの皮)を利用して作られたスリッパで、十和田市の名産のひとつとして知られています。
丈夫で軽く、湿気をよばず、冬暖かく、夏は涼しいのが特徴です。また、原料は着色が可能であり、民芸品としても人気があります。
1947年に県並びに三本木婦人会共催により廃物利用研究会が開催され、制作に成功したのが始まりとなっています。
1963年には「十和田きみがらスリッパ生産組合」が設立され、技術の継承、生産、普及に努めています。 |
きみがら(キビガラ)
スリッパ
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農耕と履物
田下駄
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低湿地の深田や泥田で農作業するときに足がはまり動けなくなるのを防ぐものです。
田植え前に敷草等を踏み込んで平らにするオオアシ(大足)と呼ぶ履物もありました。 |
ミソフミツマゴ
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昔は各家庭で味噌づくりを行っていました。
味噌は3月頃から作り出します。水でうるかした大豆をトナガマで煮た後、大きな樽にあけ、大豆をつぶします。
大豆を潰すのは男の人の役割でした。ツマゴ(ミソフミツマゴ)を履き大豆の上にあがり、手にはヘラを持って、大豆をかき寄せながら踏み潰します。
この後の工程は、味噌玉を作り軒下などに数週間吊るし、カビ等を取り除いた味噌玉を砕いて水・塩と混ぜたら味噌樽に仕込みます。この後、味噌を3年寝かせて完成となります。 |
マグツ
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マグツは馬の日詰を守るためのワラ製の履物です。蹄鉄が普及する前はこのマグツが使用されていました。牧野やウマヤで育てられた馬の日詰は弱かったので、馬に履かせて蹄を守りました。 |
田下駄・ヘラ
ヘラは田下駄歩行の
杖代わり |
マグツ(馬靴)
ミソフミツマゴ |
田下駄
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ミソフミツマゴ
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マグツ
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マグツ
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その他の履物
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218鶏舞 衣装 十和田市伝統芸能
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