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 西日本の縄文  48 鳥取・島根の考古学 大山 2019.10.31

  鳥取県大松江市鹿島歴史民俗資料館 島根県松江市鹿島町名分1355−4 島根県松江市鹿島町名分1355-4
   0852-82-2797撮影禁止 月休

 
  只今、伯耆大山が萌えています。紅葉の真っ最中。
 

  友人と山陰へドライブすることになりました。二カ月に1日しか休みのない友人は、その貴重な一日をあててくれました。
  きっと、日ごろから、厭世的な気分に取りつかれている私を心配してのことのようです。ありがたいことです。

  私も運転免許を持っていても、最近の自賠責保険は運転者限定で、交代したくてもできない仕組みになっています。申し訳ないことです。

 00大山・蒜山へのアクセス

 01蒜山
蒜山近くの高速道
早い紅葉
蒜山
蒜山三座
 蒜山は上・中・下(かみ・なか・しも)蒜山と呼ばれる三峰からなっていますが、
 もとは、一つの古い火山で、浸食によって三峰になりました。

 蒜山は大山ができる以前の火山で、かつてはその麓に広大な堰止湖を持っていました。
 決壊した堰止湖の水は日本海に流れ、その後、大山の形成や地殻変動によって北行する
 流路は閉ざされ、現在では南行しています。

 湖の跡は広大な農地となり、深く堆積した珪藻土を採取して古くはコンロ、現在は濾材を始め
 いろいろな工業原料に利用されています。


 02蒜山大山スカイライン

蒜山から大山へ

無料の観光道路と

域振興の広域農道
といえる
 100mも堆積した古蒜山原湖以外の地域では、酸性の火山灰土で、
 ダイコンの栽培に適している。

 また、牧草地として酪農も盛んである。



 03鬼女台展望休憩所(きめんだい)


 03a鬼女台北側の展望
鬼女台入口  大山環状道路に入る前。蒜山大山スカイラインの途中にある展望台。山の頂上にある。
 ここからの眺めは、大山ファーストインプレッションである。

 ここで大山の美しさに呑まれてしまう。もう、あとは、何を見ても、全て感動である。
 これから雪で閉鎖になるまでの間、大山との出会いは感動の連続であろうと思います。
 03b

奥に大山。右に烏ヶ山

左の溶岩台地に見える城山

奥の大山、通ってきた蒜山、この間にあるのは蒜山火山群の山々である。
 03c鬼女台南側の展望
中国山地に広がる
雲海→
中国山地は朝霧で有名→ 南の暖気と北の寒気が
朝霧となり、夏には
連日雷雲をもたらす
こともある。
しかし、ここからの眺めは、大山でも蒜山でもなく、もっと以前にあったと思われる
巨大なカルデラの外輪山を眺める感じである。

赤マークの古蒜山は大山に取り込まれているがその外側に大きな外輪山が見える

私には蒜山も大山もカルデラの一部にできた小火山に見える。
って、これって、
私の考えすぎかな。
 03dススキ群生地
ススキ群生地
かつてはススキ野原は入会地。茅刈場でした。
ススキは大切な屋根材で、換金できる産物でした。

この辺りにも、広大な茅刈場があったのではないでしょうか。

城山の稜線、大山、烏ヶ山と、手前の雑木を

絵にしようとする老婆
どの構図がいいのか

右手に雑木を選びました
 

 04エバーランド奥大山
  奥大山休暇村から大山環状道路に入り、「サントリーの奥大山の水」の取水場を過ぎて美しい高冷地の風景を過ぎる。
 05大規模岩屑雪崩
 ➀環状道路が屈曲するあたりに、googlemapにもある駐車の列
 ②斜めに切れ込む山の斜面の上に、
 ③左から右へ大規模石屑雪崩が分厚く堆積している。
 
 06鍵掛峠
  大山環状道路、随一のビューポイント
  ここからは大山南壁が、四季を通じて美しく眺められる。もうすぐ、雪の南壁と、麓の紅葉があでやかになる季節もやって来る。
 
 07ブナ林
  芽吹く春から、みずみずしい葉が柔らかな光をつくる夏、まもなくブナ林の紅葉がやって来る。
 

 08大山寺付近
   大山寺の大駐車場は無料 (スキーシーズンだけ有料)

 08a桝水高原スノーパーク
桝水高原スキー場
大山の雄大な眺めの

スキー場です。

桝水高原→大山寺


 08b大山寺
  大山の登山口は「夏山登山道」と「行者登山道(初心者向き)」がある。
  大山寺からは行者登山口が近くて便利。

山門
大山寺の歴史的建造物が

次々と現れる。

コンクリート製の
舞台造り建物
 08c

普通のスギに見える→
こんなにでかい(笑)

山岳信仰というが、
大変なエネルギーで

こんな山の中に大石を運び、長い長い階段を

構築する。
 08d

神仏習合の寺社である

山岳信仰とは何だろう。

私にはよくわからない。
 08e

高校生のとき、教師が
誘って登山ツアーを
計画してくれ、

一クラス分ほどで登ったのが最初である。
大きな石垣が崩れようとしている。
その後何度も訪れ、夏に2or3度登りました。

でも、行者登山口は初めてです。
 
 
 09大山寺足湯
大山足湯の建屋
トイレに見える(笑)

郵便局の方がそれらしい


 10大山寺から臨む日本海
   息をのむほど美しい風景に感じる。観光案内では、徒歩で、米子市街から大山まで往復できるほど近いという。



 11山陰道
  松江に向かう。無料の自動車道です。


広大な米子平野
弥生時代は大変な

穀倉地帯であり、米交易の一大拠点だった。
王陵の丘
四隅突出型墳墓が多い地域である。

こんな大きな国産材がいまだに産出する
松江市内 右に一畑電車 島根半島に入る
半島内にも広い平野
島根半島は遅れて列島に押し寄せた地塊で、現在の形になるまでには
弥生時代以降、盛んに行われた「鉄穴流し(かんな流し)」による斐伊川の大氾濫が寄与している。

しかし、それとは別に、押し寄せた陸塊の中にこんな広大な平地があるとは思わなかった。

 11a
  2万年前以降の島根県の古地形  引用「縄文時代の島根県の古地形と三瓶火山の活動と影響」
2万年前、最終氷期最盛期と
7千年前、縄文海進極大期の汀線位置

2万年前:隠岐の島まで陸続き
7千年前:島根半島大半が水没
中海・宍道湖地域の縄文時代の古地理変化
10000年前、5000年前
9000年前、4000年前

8000年前、3000年前
7000年前、2000年前

7000年前、2000年前
6000年前、4000年前


   縄文~弥生時代の島根半島と遺跡分布 引用「縄文~弥生時代の景観と遺跡」
(1)後期旧石器~
     縄文草創期
約35000~11600年前
(2)縄文早期
 約11500~7000年前
(3)縄文前期
 約7000~5500年前
(4)縄文中期
 約5500~4500年前
(5)縄文後期
 約4500~3300年前
(6)縄文晩期
 約3300~2400年前
(7)弥生前期
 約2400~2200年前
(8)弥生中期
 約2200~2100年前
(9)弥生後期
 約2100~1700年前
縄文海進・海退と
  遺跡の立地
 


 12鹿島歴史民俗資料館  

 12a遺跡の位置と概要
島根半島の中ほどに位置する鹿島地域は「出雲国風土記」国引きの章に見える「狭田国(さだのくに)」にあたります。
この狭田の国は、原始・古代から海上交通を利用田対外交渉の舞台となり、他地域から運び込まれた文物が数多く出土しています。

こうした文物を通して、海上交通の重要な地であるという立地を生かし、積極的に他地域と交流した先人の営みを紹介します。

鹿島歴史民俗資料館 リーフレット リーフレット
上に記述
島根半島の古代の国

島根半島 鹿島町 佐太講武貝塚
 縄文前期-中期
古浦砂丘遺跡
 弥生前期~奈良
稗田遺跡
 弥生後期~
    古墳前期
 古墳初期
奥才古墳群
 古墳前期後半~
古浦地区
古浦砂丘遺跡 鹿島町の遺跡
 12b
第1展示室
縄文前期佐太講武貝塚(国史跡)8mの剥ぎ取り断面
 佐太講武貝塚(さだこうぶかいづか)
  佐太講武貝塚発掘調査報告書 佐太講武貝塚 佐太講武貝塚・堀部第1遺跡 佐太講武貝塚 佐太-講武貝塚 佐太講武貝塚 佐太・講武貝塚
 縄文前期前葉から中期(約7000~6000年前)にかけて形成された貝塚。

 遺物には土器、石器、骨角器など人工的な遺物と獣骨、貝類、木の実などの自然遺物がある。
 土器は縄文初期末から中期のものまで確認されている。特徴のある土器は丸底や尖り気味の底をもつ条痕文土器である。
 隠岐産黒曜石で作られた石鏃や石斧、石錘など。牙玉(牙製玉)の他、人骨の前頭部の骨片に二つの孔をあけたペンダント
 がある。魔除けを意味したのであろうか。
 獣骨は猪と鹿が多く、猿もある。貝類はヤマトシジミ、アワビ、サザエなどであり、木の実はシイノミが採集されている。
 湖沼水辺に近い佐太講武貝塚のあたりは、自然の恵みによって縄文人の生活に適していたのであろう。引用観光ナビ
古浦砂丘遺跡
弥生前期の半島径弥生人の集団墓地に共献された土器


古浦遺跡出土貝輪
子供の墓から出土
 古浦砂丘遺跡(こうらさきゅういせき)
古浦砂丘遺跡調査報告書 古浦遺跡賀語ること 古浦遺跡 古浦砂丘遺跡 弥生時代の東アジア交流 古浦遺跡 古代出雲の人骨 鹿島町歴史民俗資料館

 弥生時代~奈良時代の墓地・集落遺跡

 遺跡は汀線沿いに形成された砂丘上に東西約100m南北60m以上の範囲に広がり、上下4層に遺物の包含が認められる。

上部の
第1層は古墳時代後期から奈良時代にかけて、
第2層は弥生時代末から古墳時代中期頃、
第3層は弥生時代中・後期、
第4層は弥生時代前期の層とそれぞれ区別されている。

注目は、弥生時代前期の層から発見された共同墓地である。 この墓地から掘出された人骨は60体以上に上る。(第4層)
遺体は長方形の墓壙に仰向けに横たえて埋められたもの(仰臥伸展葬) が多い。 なかには列石墓とか置石墓とよばれる簡単な施設をもつ例があり、前者の埋葬遺骸には勾玉1玉、管玉7個が伴っていた。
またこの遺体の顔面上部には銅銹が付着し、生前に銅製の鉢巻をしていたことが推定されている。 呪術師を兼ねる集団のリーダーであろうか。
第4層からはシカの骨を用いた卜骨もえられている。
幼少児の骨は24体発見されているが、うち11体が装身具(貝輪・貝小玉・管玉など) を着用していたとされる。

第2層では墳丘墓とみられる遺構が発見された。 低い方形の墳丘斜面に平たい石を並べた貼石墳丘墓と思われる。 またこの層からは鞴の羽口や鉄滓が採集されており、小規模な鍛冶が行われたことを物語る。
ほかに魚骨・獣骨もみつかっており、骨製の鏃、鉄小刀の柄、鉄製釣針、土錘も採集されている。引用古浦遺跡

堀部第1遺跡
引用堀部第1遺跡
堀部第1遺跡
 堀部第1遺跡 島根の史跡 山陰地方における弥生前期の墓地構造 山陰弥生墳丘墓の研究 堀部第1遺跡

 弥生前期(約2400年前)の配石墓。

 長者の大きな墳丘墓の周囲のいっそう低い平地に墳丘墓を取り囲んで円形に配石墓が何列にも
 並んでいる。
 引用山陰地方における弥生前期の墓地構造
稗田遺跡

準構造船材
 稗田遺跡

引用市報松江2011.10
 下谷遺跡・稗田遺跡 鹿島歴史民俗資料館刊行物のご案内 市報松江2011.10 山陰の弥生時代
 弥生後期~古墳前期

奥才古墳群出土宝器類  奥才古墳群  古墳時代前期~
  奥才古墳群


 奥才古墳群出土宝器類
  古墳時代は、様々な文物が流通した時代です。青銅器や石製の宝器類をはじめ、多くの遺物がこの地にもたらされました。
 
 
 13出雲文化伝承館 蕎麦屋で昼食
 13a
島根半島の平野 そば畑 宍道湖 宍道湖 出雲大社付近の
一畑電車

 13b出雲文化伝承館
   出雲の大富豪の邸宅を再現したものか。

縁の下が塞がれている。

飛騨高山の豪邸より太い器材が使われている

島根も山林王国
山林王が沢山いる

ここでも倉が3番倉まであり、別の展示館になっていた

山林王に、たたら王
大地主、2000続く家系

出雲はすごい。

 13c出雲から大山へ

本当に天気の良い、
寒すぎず暑すぎず

こんなに気持ちの良いドライブは何度もあることではない。

大山を中心の旅。
大変楽しい旅でした。

いいですね。
きれいな姿です。
 
 
 14平成名水百選
地蔵滝の泉
平成の名水百選。

大山に降った雨が強い流れで湧き出す名水。

富山県魚津の観光案内所で頂いたお茶。

大変おいしかった。
茶葉は普通。水が違うからですよ。という。

北アルプスの伏流水も大山の伏流水もきっと良い味を出すのだろう


ここはほんの一瞬、桜の間から大山が見えるビューポイント
道路から、小さなビューポイントまで、物凄くよく知っているなぁと、

本当に感心しました。
友人には、
心から感謝しました。