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 2018特別展の旅 02 2018.8.28-2

 浅間縄文ミュージアム 長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1901-1 0267-32-8922月・祝日の翌日休館

  企画展 「土の中から出て来たよ」


 交通 しなの鉄道「御代田駅」徒歩10分
 



01外観
02入口展示

100「土の中から出て来たよ」企画展
110入口展示「土偶」
 中空土偶
 合掌土偶
 板状土偶
 犬形土製品

112遺跡の発掘調査
116川原田遺跡の発掘調査
117土偶 仮面の女神

120展示会場入口

考察
 屈折土偶
 屈折土偶の変遷と移動

122縄文の仮面の謎
130耳飾り
 石神遺跡の出土物


140宮平遺跡の考古学的調査
141糞石・呪術
 イレズミ・抜歯・ピアス

150川原田遺跡
152 勝坂式土器
153川原田遺跡の土器
156焼町土器

170ともぞう

180焼町土器の発見

200面替小谷ヶ沢遺跡
202縄文の手形と足形
 人面注口土器
 蛇体把手付土器
 注口土器
 手形

207土器のうつりかわり

208埋甕

220祭祀具
220雪メガネ
222土偶
223装身具
224呪術具
225腕輪

230時代の変遷
231仮面のビーナス発掘
232原始古代年表

233国宝土偶の出来るまで
240土偶 縄文のビーナス

250道具
251神子柴石器群

260縄文のランプ?
262蛇体装飾付釣手土器の出土
263蛇体文釣手土器
265顔面付土器
266有孔鍔付土器(南箕輪村💀
267人体文土器
268水煙渦巻文土器
269神像筒形土器
 
 
 01外観
浅間縄文ミュージアム
エコール御代田内にあります
「土の中から出てきたよ」
写真集「土の中からでてきたよ」 の発刊に合わせて、このテーマで行われた展覧会。

 02入口展示
人物埴輪 人物埴輪 人物埴輪
古墳時代5~6世紀
烏帽子は想像復元
 烏帽子を被った埴輪は見たことないですね。

西日本と関東・東北の埴輪には、かなり違いがあるようです。

北関東付近の文化が入ってきたのでしょうか。
 入口展示
  尖底土器  尖底土器 
縄文前期 約7000年前
塚田遺跡 御代田町
小形浅鉢土器  小形浅鉢土器 
縄文中期 約5000年前
川原田遺跡 御代田町
 
加曾利E式土器 加曾利E式土器
縄文中期 約4500年前
宮平遺跡 御代田町
深鉢形土器 深鉢形土器縄文後期
宮平遺跡 御代田町

網代底の文様

土器底部
 加曾利式E式は関東地方の縄文時代中期後半の土器型式。大木8a式の影響を受けた土器として発達した。


土の中から出て来たよ 土の中からでてきたよ
平凡社

小川忠博
土偶「ともぞう」replica
栃木県南那須町
萩ノ平遺跡出土
(栃木県那須烏山市鴻野山字萩ノ平)

縄文後期の敷石住居出土
企画展を報じる記事
 
 



 100「土の中から出て来たよ」企画展





110入口展示「土偶」

  中空土偶 函館市著保内野遺跡出土
  合掌土偶 八戸市是川縄文館展示
  板状土偶 青森県三内丸山遺跡
  犬形土製品 栃木市藤岡神社遺跡   (当然全てレプリカですが、それによって、より詳しく見ることができました。)


  中空土偶

中空土偶replica

  合掌土偶

  板状土偶

  犬形土製品

 112遺跡の発掘調査
発掘や現地説明会
 115発掘調査
 116川原田遺跡の発掘調査 「土の中からでてきたよ」


 117土偶 仮面の女神
国宝仮面土偶
中ッ原遺跡
茅野市尖石縄文考古館
仮面土偶
中ッ原遺跡
中ッ原遺跡
中ッ原遺跡
中ッ原遺跡
中ッ原遺跡

「仮面の女神」取り上げ
守矢氏はタケミナカタと戦った諏訪の縄文首長の末裔
リインカネーション
墓穴の副葬品とは、壊される土偶とは別種。祈祷師の墓だったのか。
reincarnation
死者の魂が別のものとして再び生まれ変わることなどを意味する語。キリスト教におけるイエスの再来が語源とされている。日本語で「輪廻転生」「永劫回帰」などと訳される。
引用webilio 
仮面の女神の裏側
仮面をとめるベルトが頭にかかっている。

足裏に編み物の痕跡が

  「足裏に編み物の跡が」とあるが、よく見えない。繊維の付着かな。すると、植物で編んだ雪靴状の靴を履いていたのかな。
  昔々、子供の頃、近くの世話になった老人が亡くなって旅立つとき、白装束の遍路姿にして、足には見たこともない本物のワラジを履かせていた。

  その、見たこともないような旅立ち姿の異様さに肝をつぶしたものだった。農家の伝統的な死に装束なのかと驚いたものだった。
  副葬の土偶が、壊されもせずに、祈祷師(シャマン)の仮面をつけて、足に旅支度をして添えられたとは、全く知らなかった。

  確かに、諏訪地方出土の立派な土偶が破壊を免れて発掘されたのは不思議だったが、それらが墓壙からの出土品だとは、知らなかった。
  壊されなかったのは、死後の完全な復活を願ったからかもしれない。


  ※(後日記入)きっと、誤解では。土偶を作るときに下に敷いていたアンペラのようなもののことを言っていたのかもしれません。

 118仮面の女神 出土状況復元
    墓から見つかりました。 中ッ原遺跡 茅野市 縄文後期
墓からみつかりました  仮面土偶が
墓穴から出土したとは
知らなかった。

土坑といっても墓穴とは

秋田では墓地から無数の土偶が出土した。

 秋田県伊勢堂岱遺跡の環状列石、という、墓地からは無数の小型プラモのような土偶が出土する。それらは、ほぼ、同じものがない。
 環状列石を構成する石一つ一つは一人分の墓石で、そこから出てくる土偶は、死者の個人を識別するための目印でないかと思っています。

 文字の無い時代、墓標代わりに、遺族が手の込んだ故人の面影を作り、最後に必ず一部を壊して遺骨の様に持ち帰り、本体部を墓石に添えた
 のではないかと思っています。

 





 120展示会場入口



 121
屈折土偶


考察
 屈折土偶
  是川縄文館の屈折土偶、愛称、合掌土偶は、祈る姿ではなく、座位出産の姿でした。私の子供の頃、当時未開拓のアマゾンに入って
  原住民の生活に密着してドキュメンタリーを撮り続けた有名な監督がいました。そのフィルムの中に原住民が出産する様子を捉えた
  映像を見ました。(牛山純一監督 ドキュメンタリーの神様

  それがなんと、確か、近年の韓ドラの中でも見かけたと同じ方法でした。
  アマゾンでは、木の枝から蔓かロープ状のものを二本垂らしてぶら下がるようにして、韓ドラでは、天井から下げた帯にしがみつく、でした。

 屈折土偶の変遷と移動
  合掌土偶は、青森県八戸市、是川縄文館・是川遺跡の対岸にある風張1遺跡から発見された縄文晩期の土偶です。
  土偶には正中線と女性器が表現されており、出産土偶です。この土偶を原点として、南に移動するにしたがって各部が省略され、
  大阪府で発見されたときには。上半身と膝に繋がった両腕になっていました。(両腕と下肢が一体化して足が省略されていました。)

  4.3kaイベント後の東北地方からの気候難民が南下してくる中で、現物を持って移動できないため、頭の中にあるイメージをもとに、つくった、
  安産のお守りか、まじないの土偶が、型式学的な変化を遂げながら、大阪まで来た。ただし、驚くことに、大阪と青森の土偶の中間の土偶が
  滋賀県から出土していることです。

  これは、どういうことなのでしょう。青森から滋賀県までの経過時間(あるいは記憶できた時間)と滋賀から大阪までの時間が同じだったのか。
  猛烈な速さで飢餓地帯を抜けて、しかも、世代を重ねながら、滋賀にたどり着き、(この際考えられるのは日本海周りかな)、ここでやっと安住し、
  そして、また世代を重ねながらゆっくりと大阪まで拡散した。と、考えるべきなのでしょうか。

  ※4.3kaイベントとは。4300年前、縄文中期と後期の境目に起こった寒冷化。




 122縄文の仮面の謎
   不思議な仮面が、列島の縄文遺跡から60点ほど出土している。とりわけ仮面が多くみられるのは東北地方北部である。
   何かの儀式に使用されたものなのであろうか。

   岩手や青森にみられる鼻曲がり仮面 (土面) は、神がかったシャーマンの表情だとか、悪霊の顔だとか言われている。
   また、鼻や耳、唇をかたどった土製品も出土し、仮面のパーツとも考えられている。

土製仮面
北海道ママチ遺跡
道立埋文所蔵
仮面の謎
上に記述
仮面土偶
長野県中ッ原遺跡
尖り石縄文考古館
鼻曲がり土面(重文)
岩手県蒔前遺跡
御所野博物館蔵
耳・鼻・唇の土製品重文

岩手県八天遺跡
北上市
ママチ遺跡の土面は、墓地の墓標に架けられていた土面と考えられています。

墓地の溝から発見されたため。
 


 130耳飾り 石神遺跡 (小諸市) 縄文晩期

   おしゃれのためだけではない!?
   縄文人が飾る目的は、単なるおしゃれだけではありません。祈りの場で身に着けるもの、同じ集団のしるしとして身につけるものなど、
   社会的な意味合いもある道具として主に女性が付けたようです。


上に記述

アフリカ原住民の使用例
耳飾り耳朶に穿孔してはめる 玦状耳飾り耳朶に穿孔して通す



  さまざまな土製ピアス、玉、骨製ヘアピン 石神遺跡 (小諸市) 縄文晩期

ペンダント (垂飾)

櫛・笄 (くしこうがい)
膨大な量の耳飾、垂飾です。
制作工房があったのか、装飾品蒐集趣味の権力者の細君がいたのだろうか。
 

  石神遺跡の出土物  引用小諸市石神遺跡発掘調査報告書
玉類 ヒスイ原石 ミニチュア土器 ミニチュア土器(赤彩) 骨角器
 
土偶
耳飾りに見られる
縄文人の顔
この系統の土偶は全国で時々見かけます。

このような形の土偶を作る集団があちこち移動していたのでしょうか。
遮光器土偶 注口土器 ←の3つの土器は、亀ヶ岡文化の影響下の土器、またはそのもののようです。

個性的な亀ヶ岡文化は全国に、時代を超えて影響を与え続けています。






 140宮平遺跡の考古学的調査 5000年前の大型住居を掘る 縄文中期後半~晩期 御代田町

  佐久地方の古代遺産 御代田の縄文時代 御代田最古の土器 宮平遺跡遺跡ウォーカー 宮平遺跡82 宮平遺跡報告 宮平遺跡報告

  古くからの遺物量が豊富なことで知られる御代田町宮平遺跡は、昭和初年に英国人考古学者N.G.マンローなども調査している。
  宮平遺跡は湯川流域では中核的なムラで、縄文中期・後期・晩期に及ぶものである。

  沢山の竪穴住居のほか、土器棺墓、石組墓、なども見つかり、ヒスイのペンダントや石棒、耳飾り、土偶など多様な遺物も出土した。

大型でムラの中心的な住居か?
人面の付いた釣手土器が出土。

   縄文中期
宮平遺跡の考古学調査
上に記述
人面付釣手土器の発見 ランプとされる土器だが
これは石囲い炉に掛けられたらしい。

顔面が意図的に破壊されていた。
炉から見つかった
縄文神 石棒
生殖のシンボル石棒を炉に立てて祀ったらしい
4000年前の土器の棺
人骨は気の遠くなるような歳月が消し去っていた


 141糞石・呪術

 イレズミ・抜歯・ピアス

  縄文人は、顔などに入れ墨をする風習があったらしい。遺跡出土の土偶には、入れ墨ともとれる表現が残っているからである。
  また、縄文時代には、あえて健康な歯を抜く、抜歯の風習があった。特に口を開けた時目立つ歯が抜かれたという。
  成人の全員が歯を抜き、一人が計10本以上抜いた例も知られる。

  耳たぶに孔を開け、大きなピアスをつけていたのも縄文人である。直径8cmのピアスも出土している。
  激しい痛みを伴う通過儀礼を、縄文人は行っていたようだ。

イレズミ・抜歯・ピアス 縄文人の糞石 縄文時代の糞石
宮城県七ヶ浜町
糞石大木囲貝塚 石棒
宮平遺跡
縄文中期
 


 150川原田遺跡 縄文時代中期 焼町式土器 北佐久郡御代田町

  川原田遺跡は、浅間山南麓の標高880mに立地する縄文中期5000年前のムラで、45軒もの竪穴住居跡が発見された、拠点的集落である。
  ムラの脇の沢には湧水があり、人々の生活を潤していたことがわかる。

  円形の竪穴住居は家族単位の家屋とみられ、縄文土器や石器などの生活用具のほか、耳飾りや土偶なども出土した。
 151
川原田遺跡を掘る 5000年前の住居址発見
中央に石囲い炉があり、周囲に柱穴が6角形に配される
上に記述
勝坂式土器と石皿出土
半分に割れて出た土器を完全に復元した
穴から割れて出た
勝坂式土器

勝坂式土器
土器には髪の毛を編み込んだような複雑な模様が付いていた。

その中には、焼けたトチノミがあった。

炭化トチの実

 152 勝坂式土器 川原田遺跡 縄文中期


 153川原田遺跡の土器


焼町式土器
勝坂式土器の出土状態床に割れて残っていた
川原田遺跡
縄文中期
勝坂式土器
サンショウウオのような文様があります。
勝坂式土器 4つの特徴的な取っ手が付いています。
川原田・中期
 154
人体文土器
人体とも顔とも見られる表現があります
川原田・中期
人体文土器


 156焼町土器 川原田遺跡 中期
極めて大型の深鉢です
川原田・中期
小形の鉢で、赤色に塗られています
川原田・中期
人が踊るような文様が
展開します
川原田・中期

 159
焼町土器 出土状況
川原田・中期
大きく割れて出てきました
川原田・縄文中期
焼土器町
ドーナツ状の装飾が特徴
本物はどっち
片方はレプリカです
 

 170ともぞう  萩ノ平遺跡 栃木県 縄文後期

ともぞう
萩ノ平遺跡 栃木県
縄文後期
ともぞう
萩ノ平遺跡 栃木県
縄文後期

ほほ笑んだような表情

後ろ姿
 




 180焼町土器の発見



  「ドーナツが出た」発掘にあたっていた女性が叫んだ。だがそれはまさしくドーナツのような突起を持った5000年前の縄文土器「焼町土器」だった。
  越後で火焔土器が使われていた頃、東信濃では焼町土器が主流をなしていた。

  1990年の発掘から9年後、日本を代表する縄文遺物として「焼町土器」は国重要文化財となった。

縄文中期のムラ
川原田遺跡

浅間山南麓の緩やかな斜面に遺跡が立地する
ドーナツがでた
上に記述

焼町土器の出土

焼町土器・勝坂土器の
同時出土

左:焼町土器
右:勝坂土器
 


 200面替小谷ヶ沢遺跡 (おもがえこやがさわ) 北佐久郡御代田町面替小谷沢にあり、浅間山に水源のある湯川の河岸段丘上.に立地します。

  遺跡は御代田町の湯川を見下ろす河岸段丘上にある。2013年の調査では、縄文中期末から後期初頭 (4500-4300年前)にかけてのムラが発見された。
  遺跡からは、柄鏡形の竪穴住居敷石住居土坑 (各種の穴) などが検出された。

  家の中には乳幼児の骨を埋めたとみられる埋甕も残っていた。土の中から住まいのある暮らしの風景が浮かんでくる。

 201面替小谷ヶ沢遺跡
小谷ヶ沢遺跡の発掘
酒などなんらかの液体を注ぐポットだろう
乳児の骨を納めたとされる埋甕
埋甕:割れて出土するものがほとんど
柄鏡形住居の発掘 住居内部に石がめぐり、中央部にには石囲い炉がある。

柄に相当する部分は、
入口部と見られる。

片隅からは横に穴が開けられた大型土器が出土した。


 202縄文の手形と足形
  小形の粘土板に、子どもの手形や足形を押しつけて焼いた製品が、北海道・東北地方の縄文早期と中・後期の遺跡で発見されている。
  墓から見つかるものも多い。子どもの誕生の証として親が写し取り墓に供えたり、子どもの健やかな発育、特に手足の発達を願って作られたものと
  言われる。

縄文の手形足形

  人面注口土器
人面注口土器
石神遺跡 小諸市
縄文晩期
 203蛇体把手付土器
蛇体把手付土器蛇の顔の取っ手が付く
面替小谷ヶ沢遺跡
御代田町 縄文後期
蛇体把手付土器

 204注口土器
注口土器
三田原遺跡 小諸市
縄文後期

三田原遺跡 小諸市
縄文後期

村東山遺跡 長野市
縄文後期
注口土器
村東山遺跡 長野市
縄文後期
 205注口土器
注口土器
村東山遺跡 長野市
縄文後期
注口土器
村東山遺跡 長野市
縄文後期
 206手形
手形大石平遺跡 青森県
縄文後期
手形



 207土器のうつりかわり


土器のうつりかわり
縄文~平安までの佐久地方の土器の変遷です。
時代の要請で形や模様が大きく変化している。
縄文前期~弥生後期 ・縄文土器は、今から1万6000年前に誕生した。
 最初の土器は文様が少なく形も単純だった。
 縄文前期初頭6000年前 塚田式土器 尖底土器

・縄文中期には、土器には派手な装飾が付いた。
 気まぐれな装飾でなく、定型的なメッセージが
 込められていた。
 縄文中期4500年前 焼町式・勝坂式

弥生後期~奈良 ・弥生時代、大陸から稲作が伝わった。
 土器から派手な文様が消え実用的になった。
  弥生時代後期1800年前 箱清水式土器

・古墳時代、大陸から須恵器という窯焼きの土器
 製作技術が伝わり、硬質な土器が作られた。
  古墳時代中期1500年前 土師器・須恵器
古墳中期~平安 ・奈良時代、須恵器が各地に普及する。
 素焼きの土師器も利用された。
  奈良時代1300年前須恵器の普及

・平安時代、須恵器の窯が佐久地方にも沢山作ら
 れた。土師器も利用された。

・平安時代の後半には須恵器がなくなり、
 灰釉陶器などにみられるようになる。


 208埋甕
穿孔された深鉢形土器
面替小谷ヶ沢遺跡
御代田町 縄文中期末
埋甕
住居床に埋め、乳幼児の骨を納めたと言われる

面替小谷ヶ沢遺跡
御代田町 縄文中期末
深鉢 (土器棺)
宮平遺跡 御代田町
縄文中期末
 




 220祭祀具

 似ているけれど
  土偶の中でも、平たく大きな細い目でひときわ特徴的な遮光器土偶。この土偶は雪の多い東北地方を中心に発見されています。
  名前にある「遮光器」とは、北方民族が、雪の反射から目を守るために、サングラスのように使う「雪眼鏡」に由来しています。

  ただ、今日では雪眼鏡説よりは、目を強調した形という説が有力です。

 221
縄文顔vs弥生顔 似ているけれど 雪メガネのイヌイト 遮光器土偶
亀ヶ岡遺跡
遮光器土偶
小諸市石神遺跡

 222土偶
あどけない顔三輪仲町遺跡 栃木県
縄文後期
怒ったような表情
御霊前遺跡 栃木県
縄文後期
微笑みの表情
上り戸遺跡 栃木県
縄文後期
縄文人に壊され胴体無し
八剣遺跡 栃木県
縄文後期
遮光器土偶青森県など東北に特有
石神遺跡 (小諸市)
縄文晩期
ハート形土偶
顔の輪郭がハート
萩ノ平遺跡 栃木県
縄文後期
 223装身具
ひもを通す穴がある装飾品
上欠遺跡・南ヶ谷遺跡
縄文後期 栃木県
ペンダントヘッド
八剣遺跡 栃木県
縄文後期

ヒスイ製ペンダント×2
八剣遺跡
サメの歯型土製品
上欠遺跡
縄文後期 栃木県
太珠ペンダントヘッド
八剣遺跡 栃木県
縄文後期
 224呪術具
石棒
縄文のカミとも
八剣遺跡 栃木県
縄文後期
独鈷石・石冠
謎の祭祀具
八剣遺跡 栃木県
縄文後期
石棒
剣遺跡 栃木県
縄文後期
独鈷石
剣遺跡 栃木県
縄文後期
石冠
剣遺跡 栃木県
縄文後期
 225腕輪
土製腕輪
日常用ではなさそう

細い腕の女性用かも
萩ノ平遺跡
縄文後期 栃木県
土製腕輪
 





 230時代の変遷



 231仮面の女神発掘


 232原始古代年表

旧石器・縄文時代 縄文・弥生時代 弥生・古墳時代 有名考古学者



 233国宝土偶の出来るまで

ヴィーナスの誕生茅野市たな畑遺跡 縄文のヴィーナスが
できるまで
パーツを作る

パーツをはめ込む

胴を作る
1ヶ月乾燥し焼成する
へそ穴・肛門などが
つくられていた
 


 240土偶 縄文のビーナス 茅野市 棚畑遺跡 縄文中期 尖石考古館蔵
 241
現れた縄文のビーナス
小さな穴の埋められていた
縄文のビーナス降臨
茅野市棚畑遺跡出土
どっしりとした腰つき
妊婦の表現です
 242
縄文のビーナス出土状況
ほぼ関係で出土
 
 250道具
 251神子柴石器群
神子柴遺跡
謎の出土状況
完全で立派な石器ばかりが出土。
デポ(貯蔵)、住居、墓、など色々な見方がされている
神子柴遺跡 石器の出土
優美な石斧などが出土しました。
神子柴遺跡の考古学者

林茂樹 遺跡を発見
 252
神子柴石器群日本一美しい石器群
南箕輪村 神子柴遺跡
縄文草創期

尖頭器、局部磨製石斧
 255

御代田町 宮平遺跡

ジグソーパズルの
土器復元
 
 260縄文のランプ?
 261釣手土器
  人間の顔や動物の釣手の付いた土器が、中部・関東地方の縄文遺跡から時折出土する。
  その内部で火を灯したランプといわれる土器だが、ナベのように火にかけられたらしい物もあって、謎の多い土器である。
  仮にランプだとしても、神聖な火が灯ったのだろうか。
  
釣手土器
宮平遺跡
釣手土器
東京都武蔵台東遺跡
釣手土器
長野県御殿場遺跡


 262蛇体装飾付釣手土器の出土

  諏訪市穴場遺跡住居跡の釣手土器は、信仰の対象である石棒にかみつくような状態で出土。石棒の先には石皿がありました。

蛇体装飾付釣手土器
把手に3匹、手前に二匹

顔に見えるところが
意図かもしれない

蛇が5匹とぐろを巻いてたかっている土器は

やはり、神聖な祭祀具

なのでしょうか。


 263蛇体文釣手土器
   蛇の文様付きランプと見られています。 諏訪市穴場遺跡 縄文中期
表面視
おもて面は穏やかな顔の表現。または、死者。

半球形の刺突文は珍しい。
体を表現したような線描きは何だろう。 色々なものに見えてくる。
蛇体文釣手土器 裏面視
裏側は、髑髏や野ざらし(行き倒れの腐敗した死体)の背骨など、おどろおどろしいものに見える。
縄文時代の「神聖」とは清浄と穢美と醜などの対立概念が表現されている。
 
 
 265顔面付土器
    妊婦を表したとも言われる。へそが飛び出している
    伊那市月見松遺跡 縄文中期
表面
顔面付土器
妊婦とも言われる
へそが飛び出している
裏面
背面はおどろおどろしい
 
 266有孔鍔付土器
   太鼓とも酒造具とも言われている。
   久保上ノ平遺跡(南箕輪村) 縄文中期
有孔鍔付土器
髑髏を貼り付けた土器
 267人体文土器
   胴部に人体が表現されています
   藤内遺跡(富士見町) 縄文中期
表面
裏面
3本指のカエルに見えるが、
 268水煙渦巻文土器
   湧水の盛り上がりのような表現がされています。
   曽利式土器(富士見町) 縄文中期
 
 269神像筒形土器
   カミの背中が表現されています。
   藤内遺跡(富士見町)縄文中期