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01外観
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02入口展示
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100「土の中から出て来たよ」企画展 |
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110入口展示「土偶」 中空土偶 函館市著保内野遺跡出土 合掌土偶 八戸市是川縄文館展示 板状土偶 青森県三内丸山遺跡 犬形土製品 栃木市藤岡神社遺跡 (当然全てレプリカですが、それによって、より詳しく見ることができました。) 中空土偶
合掌土偶 板状土偶 |
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112遺跡の発掘調査 |
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115発掘調査 | ||||||||||||||||||||||
116川原田遺跡の発掘調査 「土の中からでてきたよ」 |
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117土偶 仮面の女神
「足裏に編み物の跡が」とあるが、よく見えない。繊維の付着かな。すると、植物で編んだ雪靴状の靴を履いていたのかな。 昔々、子供の頃、近くの世話になった老人が亡くなって旅立つとき、白装束の遍路姿にして、足には見たこともない本物のワラジを履かせていた。 その、見たこともないような旅立ち姿の異様さに肝をつぶしたものだった。農家の伝統的な死に装束なのかと驚いたものだった。 副葬の土偶が、壊されもせずに、祈祷師(シャマン)の仮面をつけて、足に旅支度をして添えられたとは、全く知らなかった。 確かに、諏訪地方出土の立派な土偶が破壊を免れて発掘されたのは不思議だったが、それらが墓壙からの出土品だとは、知らなかった。 壊されなかったのは、死後の完全な復活を願ったからかもしれない。 ※(後日記入)きっと、誤解では。土偶を作るときに下に敷いていたアンペラのようなもののことを言っていたのかもしれません。 |
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118仮面の女神 出土状況復元 墓から見つかりました。 中ッ原遺跡 茅野市 縄文後期
秋田県伊勢堂岱遺跡の環状列石、という、墓地からは無数の小型プラモのような土偶が出土する。それらは、ほぼ、同じものがない。 環状列石を構成する石一つ一つは一人分の墓石で、そこから出てくる土偶は、死者の個人を識別するための目印でないかと思っています。 文字の無い時代、墓標代わりに、遺族が手の込んだ故人の面影を作り、最後に必ず一部を壊して遺骨の様に持ち帰り、本体部を墓石に添えた のではないかと思っています。 |
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120展示会場入口 |
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考察 屈折土偶 是川縄文館の屈折土偶、愛称、合掌土偶は、祈る姿ではなく、座位出産の姿でした。私の子供の頃、当時未開拓のアマゾンに入って 原住民の生活に密着してドキュメンタリーを撮り続けた有名な監督がいました。そのフィルムの中に原住民が出産する様子を捉えた 映像を見ました。(牛山純一監督 ドキュメンタリーの神様) それがなんと、確か、近年の韓ドラの中でも見かけたと同じ方法でした。 アマゾンでは、木の枝から蔓かロープ状のものを二本垂らしてぶら下がるようにして、韓ドラでは、天井から下げた帯にしがみつく、でした。 屈折土偶の変遷と移動 合掌土偶は、青森県八戸市、是川縄文館・是川遺跡の対岸にある風張1遺跡から発見された縄文晩期の土偶です。 土偶には正中線と女性器が表現されており、出産土偶です。この土偶を原点として、南に移動するにしたがって各部が省略され、 大阪府で発見されたときには。上半身と膝に繋がった両腕になっていました。(両腕と下肢が一体化して足が省略されていました。) 4.3kaイベント後の東北地方からの気候難民が南下してくる中で、現物を持って移動できないため、頭の中にあるイメージをもとに、つくった、 安産のお守りか、まじないの土偶が、型式学的な変化を遂げながら、大阪まで来た。ただし、驚くことに、大阪と青森の土偶の中間の土偶が 滋賀県から出土していることです。 これは、どういうことなのでしょう。青森から滋賀県までの経過時間(あるいは記憶できた時間)と滋賀から大阪までの時間が同じだったのか。 猛烈な速さで飢餓地帯を抜けて、しかも、世代を重ねながら、滋賀にたどり着き、(この際考えられるのは日本海周りかな)、ここでやっと安住し、 そして、また世代を重ねながらゆっくりと大阪まで拡散した。と、考えるべきなのでしょうか。 ※4.3kaイベントとは。4300年前、縄文中期と後期の境目に起こった寒冷化。 |
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122縄文の仮面の謎 不思議な仮面が、列島の縄文遺跡から60点ほど出土している。とりわけ仮面が多くみられるのは東北地方北部である。 何かの儀式に使用されたものなのであろうか。 岩手や青森にみられる鼻曲がり仮面 (土面) は、神がかったシャーマンの表情だとか、悪霊の顔だとか言われている。 また、鼻や耳、唇をかたどった土製品も出土し、仮面のパーツとも考えられている。
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130耳飾り 石神遺跡 (小諸市) 縄文晩期 おしゃれのためだけではない!? 縄文人が飾る目的は、単なるおしゃれだけではありません。祈りの場で身に着けるもの、同じ集団のしるしとして身につけるものなど、 社会的な意味合いもある道具として主に女性が付けたようです。
さまざまな土製ピアス、玉、骨製ヘアピン 石神遺跡 (小諸市) 縄文晩期 |
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石神遺跡の出土物 引用小諸市石神遺跡発掘調査報告書
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140宮平遺跡の考古学的調査 5000年前の大型住居を掘る 縄文中期後半~晩期 御代田町 佐久地方の古代遺産 御代田の縄文時代 御代田最古の土器 宮平遺跡遺跡ウォーカー 宮平遺跡82 宮平遺跡報告 宮平遺跡報告 古くからの遺物量が豊富なことで知られる御代田町宮平遺跡は、昭和初年に英国人考古学者N.G.マンローなども調査している。 宮平遺跡は湯川流域では中核的なムラで、縄文中期・後期・晩期に及ぶものである。 沢山の竪穴住居のほか、土器棺墓、石組墓、なども見つかり、ヒスイのペンダントや石棒、耳飾り、土偶など多様な遺物も出土した。
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141糞石・呪術 イレズミ・抜歯・ピアス 縄文人は、顔などに入れ墨をする風習があったらしい。遺跡出土の土偶には、入れ墨ともとれる表現が残っているからである。 また、縄文時代には、あえて健康な歯を抜く、抜歯の風習があった。特に口を開けた時目立つ歯が抜かれたという。 成人の全員が歯を抜き、一人が計10本以上抜いた例も知られる。 耳たぶに孔を開け、大きなピアスをつけていたのも縄文人である。直径8cmのピアスも出土している。 激しい痛みを伴う通過儀礼を、縄文人は行っていたようだ。
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150川原田遺跡 縄文時代中期 焼町式土器 北佐久郡御代田町 川原田遺跡は、浅間山南麓の標高880mに立地する縄文中期5000年前のムラで、45軒もの竪穴住居跡が発見された、拠点的集落である。 ムラの脇の沢には湧水があり、人々の生活を潤していたことがわかる。 円形の竪穴住居は家族単位の家屋とみられ、縄文土器や石器などの生活用具のほか、耳飾りや土偶なども出土した。 |
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152 勝坂式土器 川原田遺跡 縄文中期 |
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153川原田遺跡の土器 |
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156焼町土器 川原田遺跡 中期 |
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170ともぞう 萩ノ平遺跡 栃木県 縄文後期 |
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180焼町土器の発見 「ドーナツが出た」発掘にあたっていた女性が叫んだ。だがそれはまさしくドーナツのような突起を持った5000年前の縄文土器「焼町土器」だった。 越後で火焔土器が使われていた頃、東信濃では焼町土器が主流をなしていた。 1990年の発掘から9年後、日本を代表する縄文遺物として「焼町土器」は国重要文化財となった。
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200面替小谷ヶ沢遺跡 (おもがえこやがさわ) 北佐久郡御代田町面替小谷沢にあり、浅間山に水源のある湯川の河岸段丘上.に立地します。 遺跡は御代田町の湯川を見下ろす河岸段丘上にある。2013年の調査では、縄文中期末から後期初頭 (4500-4300年前)にかけてのムラが発見された。 遺跡からは、柄鏡形の竪穴住居や敷石住居、土坑 (各種の穴) などが検出された。 家の中には乳幼児の骨を埋めたとみられる埋甕も残っていた。土の中から住まいのある暮らしの風景が浮かんでくる。 |
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201面替小谷ヶ沢遺跡 |
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202縄文の手形と足形 小形の粘土板に、子どもの手形や足形を押しつけて焼いた製品が、北海道・東北地方の縄文早期と中・後期の遺跡で発見されている。 墓から見つかるものも多い。子どもの誕生の証として親が写し取り墓に供えたり、子どもの健やかな発育、特に手足の発達を願って作られたものと 言われる。
人面注口土器 |
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203蛇体把手付土器 |
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204注口土器 |
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205注口土器 |
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206手形
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207土器のうつりかわり |
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208埋甕 |
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220祭祀具 似ているけれど 土偶の中でも、平たく大きな細い目でひときわ特徴的な遮光器土偶。この土偶は雪の多い東北地方を中心に発見されています。 名前にある「遮光器」とは、北方民族が、雪の反射から目を守るために、サングラスのように使う「雪眼鏡」に由来しています。 ただ、今日では雪眼鏡説よりは、目を強調した形という説が有力です。 |
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221 |
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222土偶 |
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223装身具 |
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224呪術具 |
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225腕輪 |
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230時代の変遷 |
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231仮面の女神発掘 |
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232原始古代年表 |
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233国宝土偶の出来るまで |
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240土偶 縄文のビーナス 茅野市 棚畑遺跡 縄文中期 尖石考古館蔵 |
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242 |
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250道具 | ||||||||||||||||||||||
251神子柴石器群 |
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260縄文のランプ? | ||||||||||||||||||||||
261釣手土器 人間の顔や動物の釣手の付いた土器が、中部・関東地方の縄文遺跡から時折出土する。 その内部で火を灯したランプといわれる土器だが、ナベのように火にかけられたらしい物もあって、謎の多い土器である。 仮にランプだとしても、神聖な火が灯ったのだろうか。 |
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262蛇体装飾付釣手土器の出土 諏訪市穴場遺跡住居跡の釣手土器は、信仰の対象である石棒にかみつくような状態で出土。石棒の先には石皿がありました。 |
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263蛇体文釣手土器 蛇の文様付きランプと見られています。 諏訪市穴場遺跡 縄文中期 |
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265顔面付土器 妊婦を表したとも言われる。へそが飛び出している 伊那市月見松遺跡 縄文中期 |
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266有孔鍔付土器 太鼓とも酒造具とも言われている。 久保上ノ平遺跡(南箕輪村) 縄文中期 |
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267人体文土器 胴部に人体が表現されています 藤内遺跡(富士見町) 縄文中期 |
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268水煙渦巻文土器 湧水の盛り上がりのような表現がされています。 曽利式土器(富士見町) 縄文中期 |
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269神像筒形土器 カミの背中が表現されています。 藤内遺跡(富士見町)縄文中期 |
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