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 2018特別展の旅 05 2018.09.09-3

  金沢市埋蔵文化財センター 石川県金沢市 上安原南60 076-269-2451 月・祝日の翌日休館
   (金沢縄文ワールド)

交通 1. JR金沢駅から倉部行きに乗車、中屋バス停下車、徒歩10分 (便数が少ない)
2. まず、金沢駅東口⑦番バス乗り場から兼六園下まで行く。
次に、兼六園下①⑤乗り場から上荒屋西orいなほ工業団地行きに乗車、上荒屋バス停下車、徒歩10分
見所 環状木柱列で有名なチカモリ遺跡の木柱根が化学処理され、ウッドサークルを復元した展示館、
沢縄文ワールドが展示施設として併設している。
注意 ここは、チカモリ遺跡の環状木柱列の展示館です。

 




10加賀の遺跡探訪
12古代の里探訪マップ

20入口展示1
30入口展示2

32当館所有の指定文化財
33獣形勾玉
34の字状石製品

50入口ポスター

60金沢縄文ワールド
71遺跡って何だろう

100本展
 金沢縄文ワールドのご案内

101縄文時代
金沢の縄文遺跡

1101.巨木の文化
112チカモリ遺跡の木柱根
116木柱根の保存処理

120中屋サワ遺跡の出土品
125種類豊富な木製品

130シンボル展示
 チカモリ遺跡の環状木柱列

139県内の巨木文化

1502.漆と装飾
151黒と赤の世界
 中屋サワ遺跡の出土品
155縄文人のデザイン
161縄文ジャパン

162籃胎漆器
163装身具
165縄文人の祈りと装飾
166板状土偶
168石棒
169装身具

2003.縄文の考古楽


3004.夏休応援企画
301縄文時代
310弥生時代
320古墳時代
330古代
340中世
350江戸時代
     


 10加賀の遺跡探訪
   金沢市・白山市・野々市市が隣接する地域には、国の史跡である「新保本町チカモリ遺跡」、「東大寺領横江荘遺跡」、「御経塚遺跡」をはじめ、
   地域の歴史にとって重要な遺跡や遺跡に関する施設が数多くあります。

   史跡の魅力を更に高めるため、これら3市が連携して、これらの史跡を探訪するマップを作成しました。
   史跡や展示施設をウォーキングやサイクリングなどで巡ってみてはいかがでしょうか。
   

 12古代の里探訪マップ

加賀の遺跡探訪
上に記述
おまる塚古墳
びわ塚古墳
③金沢埋蔵文化財
 センター
東大寺領横江荘遺跡上荒屋遺跡
東大寺領横江荘遺跡 荘家跡
⑥経塚
古府縄文遺跡
チカモリ遺跡
御経塚遺跡
野々市ふるさと歴史館
白山市立博物館
末松廃寺跡
近隣の遺跡探訪地図 加賀地方の遺跡地図



 20入口展示1


 井戸枠遺構 西念・南新保遺跡 弥生時代後期

  素掘りの井戸底に敷かれた2枚の板の上に、上下を逆さまにして据えられていた井戸枠で、刳物(くりもの)の桶を転用したもの。
  元は両脇に把手が付いていたが、転用の際に削られた。底部の方形孔は底板を支える角棒を差し込むためのもの。

  外面に生じた亀裂を補修するため、鍵手状の部材を3カ所に埋め込んで材を引き合わせている。


 西念・南新保遺跡の井戸枠 弥生時代後期
井戸枠
上に記述
甕・壺
西念・南新保遺跡

井戸枠内部に埋納されていた土器



  大友西遺跡の井戸枠 平安時代前期
井戸
  井戸底に網代・木炭・石を組み合わせた浄水施設を持つ。
大友西遺跡

※通常井戸の中に浄水施設は設けない。よほど水質の悪い、濁り水の出る土地だったのでしょう。

井戸枠 大友西遺跡
平安時代前期

十字に組んだ角材で井戸枠を保持し、水質浄化材を通った水だけを

汲み上げようとしたしたようです。



 30入口展示2





 31発掘速報
千田北遺跡
鎌倉時代の墓
金沢城下町遺跡
(安江町1番地点)
江戸時代の土葬墓
金沢城下町遺跡兼六元町
(15番地点)
江戸時代のゴミ穴



 32当館所有の指定文化財
当館が所有している
指定文化財 (考古資料)
◎中屋サワ遺跡出土品
〇柱根、チカモリ遺跡出土
△「の」字状石製品、三小牛ハバ遺跡出土
△石製装飾品一括、北塚遺跡出土
△獣形勾玉、寺中遺跡出土
△無量寺B遺跡出土、金属製品一括
△大友西遺跡出土、金属製品一括
△西念・南新保遺跡出土遺物一括
〇東大寺領横江荘遺跡上荒屋遺跡出土品
△堅田館跡(堅田B遺跡)出土遺物一括

  ◎国重要文化財
  〇石川県指定文化財
  △金沢市指定文化財


 堅田館遺跡 (堅田B遺跡) 出土遺物一括
  本遺跡は、金沢市北部の堅田町にある鎌倉~室町時代の在地有力者の館跡。方形の堀で囲まれた内側に複数の建物跡を検出し、
  陶磁器、土師器、木製品、金属製品など、中世の地方支配階級の生活様式を知る上で欠かせない遺物が出土している。


天目茶碗 鎌倉時代 中国産
小壺 鎌倉~南北朝 瀬戸産
小壺 鎌倉~南北朝 金属製

記述済み


 東大寺領横江荘遺跡上荒屋遺跡出土品
   本遺跡から出土した墨書土器。蓋は外面に、坏は底部にいずれも「東庄」と墨書する。「東庄」は荘園の東側一帯をさすとみられる。
   同遺跡からは「東庄」の墨書土器が500点以上出土している。

蓋、須恵器 平安時代前期
   墨書「東庄」

坏 土師器 平安時代前期
   墨書「東庄」

記述済み


  東大寺領横江荘遺跡上荒屋遺跡出土品
  本遺跡は、金沢市西部にある奈良~平安時代の荘園遺跡。
  地方の小規模荘園から東大寺が経営に参加する大規模荘園へと至る経緯を考古学的に確認できることで注目される。

  日常生活品のほか、祭祀具、紀年銘木簡を含む文字資料など、学術上貴重な資料が豊富に含まれており、北陸地方における荘園経営の実態を
  知ることが出来る。

  丸鞆、巡方は古代の役人が公式装束着用の際に締めた革製の帯。(皮帯)の銙具。


鈴  素文鏡
丸鞆  巡方  巡方
鈴 銅製
素文鏡 銅製
丸鞆 金属製
巡方 金属製
巡方 金属製

いずれも、奈良・平安時代
 
記述済み


 33
 獣形勾玉 寺中遺跡 弥生中期 金沢市指定文化財
   金沢市北西部の寺中遺跡から出土した勾玉で、その形状から獣形勾玉と呼ばれる。石材は含ヒスイ石英を用いる。

 無量寺B遺跡出土 金属製品一括 弥生時代終末期

 大友西遺跡出土 銅製品一括 弥生時代後期~終末期
   金沢市北西部の無量寺遺跡と大友西遺跡から出土した弥生時代後期から終末期の金属製品。
   いずれも当時の金属製品の普及を知る上で貴重な遺物である。


獣形勾玉 寺中遺跡
弥生中期

仿製鏡 大友西遺跡
弥生後期

懸垂鏡、銅鏃
  弥生終末期
無量寺B遺跡
  弥生終末期

連鋳式銅鏃
大友西遺跡 弥生終末

記述済み


 34
 の字状石製品 三小牛ハバ遺跡 縄文時代中期
金沢市南部の三小牛ハバ遺跡から出土した円盤状の石製品。三小牛ハバ遺跡は奈良・平安時代に「三千寺」と呼ばれた山林寺院として知られるが。
本品は、縄文時代中期前葉の落とし穴遺構から出土した。
石材は蛇紋岩を用いる。類例は全国で20例あまり報告されているが、本品はその中でも最大の物。


 石製装飾品一括 北塚遺跡 縄文中期
金沢市西部の北塚遺跡~出土した石製の装飾品。指輪形石製品2点、大珠2点、垂飾3点からなる。
縄文時代中期の石製装飾品の内容を示す貴重な資料。


指輪形石製品①、②
北塚遺跡
縄文中期後葉

「の」字状石製品
三小牛ハバ遺跡
縄文中期前葉

大珠① 北塚遺跡
縄文中期後葉

大珠②
北塚遺跡
縄文中期後葉

垂飾②
北塚遺跡
縄文中期後葉

垂飾①
北塚遺跡
縄文中期後葉

垂飾③
北塚遺跡
縄文中期後葉

記述済み
 
 50入口ポスター (取材当時行われていた各地博物館の企画展)
 51
新潟県埋蔵文化財センター
新潟県埋蔵文化財センター 美浜町歴史文化館 史跡古津八幡山 弥生の丘展示館 野々市市郷土資料館 安来市
安来市 石川県立歴史博物館 富山市郷土博物館 金沢縄文ワールド 金沢市








 60金沢縄文ワールド






 70


 71遺跡って何だろう

遺跡ってなんだろう
チカモリ遺跡

広坂遺跡

土の色や質を手掛かりに遺構を見つけます
遺構を丁寧に掘っていきます。

昔の人が使っていた道具などが見つかります。
調査完了。建物遺構があるのが分かるかな。


 縄文時代 定住と土器 約1200年前~

縄文時代 竪穴住居
東市瀬遺跡
アクセサリー
北塚遺跡
「の」字状石製品
三小牛ハバ遺跡
土器の移り変わり①
中屋サワ遺跡
高度な漆技術を今に伝える資料
縄文土器は、
個性的で立体的。

とても複雑な模様のものもあります。


 72弥生時代 稲作と金属器 約2300年前~

弥生時代
 
環濠集落
 西念・南新保遺跡
方形周溝墓
 上安原遺跡

銅鏃・銅鏡
 大友西遺跡
木製の高坏
 西念・南新保遺跡
土器の移り変わり②
西念・南新保遺跡
薄手でまるっこく、模様はシンプル

米を炊くための土器は薄く作るなど、目的によって作り分けています。


 古墳時代 統一と権力誇示 西暦300年頃~
  
古墳時代
高台の古墳
 神谷内古墳群
古墳の副葬品
 神谷内古墳群

おまる塚古墳
びわ塚古墳
玉つくり関連の遺物
 出雲じいさまだ遺跡
土器の移り変わり③
全国で同形の土器を使う
弥生土器を受け継いだ土師器に、半島の須恵器が加わる。



 73飛鳥・奈良・平安時代 寺院と荘園 西暦592年~


飛鳥・奈良・平安時代
墓万所土器 上荒屋遺跡

木簡 上荒屋遺跡

古代瓦、広坂遺跡
(広坂廃寺)
土器の移り変わり④
上荒屋遺跡出土土器
 土器には赤く塗られたもの、内面を黒くいぶしたものもある。

土師器と須恵器が盛んに使われます



 74鎌倉・室町・戦国時代 西暦1185年~

鎌倉・室町・戦国時代
上:巻数(勘定)板
下:レプリカ
堅田館遺跡

切山城跡イメージ図
松根城跡イメージ図
土器の移り変わり⑤
堅田遺跡
中国産の焼き物は高級品

中国産の陶磁器や、漆塗りの製品がみつかります。


 江戸時代 西暦1603年~

江戸時代
金沢城惣構跡

長屋門跡と土塀基礎
広坂遺跡

辰巳用水の隧道
土器の移り変わり⑥
広坂遺跡
今の物とよく似た食器が使われている

全国各地の様々な焼き物が見つかっている
 
 




 100本展




 金沢縄文ワールドのご案内
  日本初の環状木柱列が発見された、縄文時代の国史跡出土の木柱根 (石川県指定文化財) 及び、
  縄文時代の高度な技術を示す中屋サワ遺跡出土品 (国重要文化財) をとおして、金沢の縄文時代の世界を体感して頂くために開設しました。

  展示室は
  チカモリ遺跡と中屋サワ遺跡の出土品を中心とする常設展示コーナーと、
  金沢市内の遺跡出土品をいくつかのテーマで展示する規格展示で構成されています。 2Fは縄文体験コーナーです。



 101入口展示


 縄文時代
日本列島における人類の営みで、最も長く続いたのが縄文時代です。名前の由来は、土器の表面に縄の文様が施されていることにあります。
縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期、の6時期に区分され、およそ1万年間続きました。

当時の人々の暮らしを探ると手段の一つに、発掘調査で地下に残る生活の跡を調べる方法があります。ここでは、調査で分かった縄文時代の暮らしについて紹介します。

住居
家は、地面に穴を掘り下げて床を造り、柱を立てて屋根を掛けた、竪穴住居に住んでいました。中には石で組んだ炉があり、調理や暖房、照明などに用いられました。
人々が集団で生活するムラが発生したのは、この時代と考えられます。竪穴住居数棟がまとまって大きな円を描き、中央に共同で作業を行う広場があった。

道具
人々が捨てたゴミを調査することによって、この時代の食べ物を知ることができます。
イノシシやシカなどの動物、魚や貝、クリ、クルミ、ドングリなどの木の実があります。森や川、海などで狩りや採集をして食べ物を得ていました。
農耕や牧畜などを示す食料のゴミは含まれていません。

また、イヌを埋葬していた例があるため、狩りにイヌが加わっていたことが考えられます。


土器、石器、木器、骨角器などの道具がありました。土器は粘土を焼いて作り、調理具や容器などに、石器は石を加工し、木の加工や狩り、
お祭りなどに、木器は木を材料とし、容器や狩りなどに使われました。

骨角器は動物の骨や角を加工し、狩りの道具やアクセサリーとして使われたと考えられています。
金属はまだなかったため、これらの道具を作るのには石器や木器などが用いられました。

縄文時代とは
縄文時代のムラ



 金沢の縄文遺跡
  金沢市内にはおよそ600カ所の遺跡があります。このうち約125カ所が縄文時代の遺跡です。
旧石器時代    
縄文時代 草創期 12,000年前~ 吉原七ツ塚遺跡
早期 10,000年前~ 田上遺跡
天池遺跡
前期  7,000年前~
小野遺跡 中戸遺跡
上安原遺跡
中期  5,500年前~
大桑中平遺跡
加賀朝日遺跡
古府遺跡 笠舞遺跡 東市瀬遺跡
北塚遺跡
後期 4,500年前~
馬替遺跡 松村遺跡
米泉遺跡 笠舞B遺跡
晩期  3,300年前~
犀川鉄橋遺跡
チカモリ遺跡 中屋サワ遺跡 中屋遺跡
近岡遺跡 角間乾場山遺跡
弥生時代  2,700年前~





 1101.巨木の文化


チカモリ遺跡で見つかったクリの巨木を円形に巡らせた環状木柱列は、それまでの縄文時代にはない大きな発見で、建物説や祭祀空間説などがあります。
近年、同様の遺跡が北陸各地で発見され、縄文巨木文化の姿が浮かび上がってきました。

このコーナーではチカモリ遺跡の環状木柱列について紹介します。

 111
巨木の文化 巨木の文化 木柱根標本





 112巨木の文化(1) チカモリ遺跡の木柱根

チカモリ遺跡は昭和55~59年にかけて発掘調査された、縄文時代の後期から晩期の集落跡です。
土器、打製石斧、磨製石斧、石棒、石刀、御物石器などが出土しました。

特筆すべき出土品として、大きなクリ材の柱根があります。柱根が出土した穴は8から10基のグループで大きく円を描くため、この遺構を環状木柱列と呼びます。

それまでに調査された縄文遺跡からはこのような環状木柱列は確認されておらず、当時は用途不明でしたが、現在では建物跡と考えられています
その後、巨木を利用した同様の遺構が石川県と富山県の各遺跡で相次いで発見され、この地域に巨木文化が展開していたことがわかりました。

柱根はクリの原木にクサビを打ちこんで割り裂き、割れた部分は磨製石斧を用いて丁寧に削っています。
中には綱で引いて運搬するためにエグリを入れた柱根もあります。ノコギリがない時代に大きな木材を自在に加工・利用した縄文人の技術力は、非常に高度であったと言えます。

  


チカモリ遺跡の木柱根
上に記述
人と比べると、柱穴の大きさがわかります。 柱根の出土状況
芯の部分をドーナッツ状になっています。

柱根の表面に綱を掛けて柱を引くための溝があります。

柱根の出土状況
柱根が沈まないように下に板を置いている
つるが残る柱根
右に記述

残ったつる
柱根の下部に掘られた溝は、柱根を運ぶ際につるを掛けるための物と考えられている。

なかには、つるを書けた状態で残っているものもあった。(左の写真)。

展示中の柱根11点のうち、溝が残るものは4点のみであるため、長大な木材の状態で運搬し、現地で切断していた可能性がある。


 113柱根 (門扉) 1
  クリ材をアーチ型に加工し、外側に向かって開口する様に置かれていた木柱。環状木柱列の出入り口に置かれていた。
  2の木柱と対をなし、出入り口を示す門のような役割があったとみられる。

門扉1 クリ材
チカモリ遺跡 縄文晩期
打製石斧
チカモリ遺跡 縄文晩期
打製石斧
下に記述

 打製石斧
  石に打撃を加えて、斧のように加工した石器。表面を研磨しないため、加工時の痕跡が残っている。
  木製の柄を付けて土を掘る道具として使用したと考えられている。






 116巨木の文化(2) 木柱根の修理が終わるまで

 木柱根の保存処理
  長い間、土中に埋まっていた木製品は、内部の成分が徐々に溶け出し、代わりに水が溜まって柔らかい状態になっています。
  空気に触れて中の水分が蒸発して乾燥が進むと、表面にひびが入り、ひどい場合には割れたり崩れたりします。

    ※その前に、極端に縮んで小さくなってしまうことが書かれてていません。

  これを防ぐために木製品の保存処理を行います。木製品が出土した時の姿を長く保つためには、薬品を用いて硬い状態に変える必要があります。
  そのためには、まず、ポリエチレングリコール(PEG)という薬品を木製品の内部に浸みこませる作業をします。

  PEGはロウの一種で、常温で固まるので、水槽に入れて約70℃に熱して液体にし、この中に木製品を入れて浸みこませます。
  チカモリ遺跡の柱根の場合、PEGを十分に浸みこませるのに1年かかりました。

  近年では木製品の中に残っている水分をさらに取り除くため、真空凍結乾燥処理を行っています。展示室にある柱根はPEG処理を施したものと、
  真空凍結乾燥を加えたものがありますので、その違いを観察してみてください。

巨木の文化(2)
木柱根の修理が終わるまで
上に記述
保存処理前
水槽の中に保存しています
保存処理前の柱根
表面が柔らかくなっています。
保存処理中の柱根
薬品の入った水槽に浸けます。
保存処理後の柱根
水分と薬品が置き換わって硬くなっています。


 117柱根 (門扉) 2
  1の木柱と対をなし、出入り口を示す門のような役割があったとみられる。

門扉2 クリ材
チカモリ遺跡
  縄文晩期
環状木柱列の年代測定
下に記述

 環状木柱列の年代測定
  シンボル展示されている環状木柱列 (A環・SBО1) の柱根は、年輪の間隔から年代を測定する手法 (年輪年代学的分析) により、
  紀元前820-800年(820-800B.C.)頃の測定結果が出ている。

  また、柱根と同時に出土した長竹式土器に付着していた炭化物の放射性炭素(C14)年代測定の結果、紀元前910-820年前(910-820calB.C.)
  の結果が出ている。

  いずれも土器形式の年代観と一致しており、縄文時代晩期の遺構と遺物であることが、年代測定からも証明された結果となっている。


 118
磨製石斧
チカモリ遺跡
 縄文晩期
表面を研磨調整して斧状に加工した石器。

木製の柄を付けて、樹木の伐採や、表面調整などの木材加工に使用した。
磨製石斧
 
 




 120巨木の文化(3) 中屋サワ遺跡の出土品


  中屋サワ遺跡は平成13-16年にかけて発掘調査された、縄文晩期の遺跡です。
  当時のムラ跡は未検出ですが、河川跡から土器や石器、木製品が出土しました。

  土器は割れていないものもあり、小さな石器は川岸付近で多く出土しました。
  木製品は主に川底から出土しています。

  一般に木製品は土中に埋もれていると、細菌やバクテリアの活動により腐食してなくなります。
  しかし、この遺跡では川底に沈んだ木製品の上に粘土が堆積し、豊富な地下水によって水漬けされ、真空パックの状態になっていたため、
  多数の木製品が腐らずに残っていました。

  低湿地の遺跡では、このような条件によって、保存状態の良い木製品が出土することが多くあり、中屋サワ遺跡もその一例です。

 121 
巨木の文化
~木を割る技術~
巨木の文化(3)
中屋サワ遺跡の出土品
縄文時代の河川跡 川の両岸にある並べられた木材はドングリなどのアク抜き作業の足場です。 河川の断面  溜まった土砂が地層のように観察できます。

黒い土の層から土器や石器が出土しました。 
 122
白木弓 白木弓 石鏃
 123樹皮巻き
樹皮巻・樹皮製品 樹皮製品 樹皮巻
 124
樹皮曲物の底板
トチノキ
樹皮曲物の解説 堀り棒 カエデ製
磨製石斧 蛇紋岩





 125巨木の文化(4)種類豊富な木製品




 中屋サワ遺跡からは、弓、容器、堀り棒、杵など、様々な木製品が出土しました。
 弓は狩りや儀式に使用する道具で、完全な状態で出土したものもあります。食材などを入れるための容器には、完成品のほか製作中の物もありました。

 木の瘤を材料としたものや、東南アジアなどから流れ着いたヤシの実を加工したものもあります。
 堀り棒は土を掘るための道具で、舟のオールのような形をしています。
 杵は食材を潰すのに用いる道具で、先端には磨り減った跡が見られます。

 木で作られたもののほか、樹皮や植物繊維を材料としたものも出土しました。
 ケヤキの樹皮を加工した大きな曲物や、植物の繊維を細かく棒状にしてザルやゴザの様に編んだものなどがあります。

 縄文時代の人々が森の資源を有効に活用していたことがわかります。

未完成容器の出土状況  川底から、楕円形をした木皿の未完成品が裏返しで出土しました。 容器の出土状況 木の葉のような形をした木皿が上を向いて出土しました。

 126木製品

木製品中屋サワ遺跡
縄文晩期
木製容器 鉢 ココヤシ
ココヤシの果実を利用

沖縄以南から、珍しく、日本海側に流れて来たココヤシが残存した。
奇跡の出来事ですね。
木製容器 鉢 杉コブ スギのコブを利用して作った。
※木のコブは大変堅く、繊維が複雑で、それを石器でくり抜いたのは大変なことです。
23琴形木製品 スギ

突起から穴にかけて
弦を張り、指ではじいて音を奏でたと思われる道具。

現在の琴の原型と言われている。
木製容器 (未製品) 24木製容器未製品 24木製容器 未製品
広葉樹
25木製容器 未製品
トチノキ
 








 130シンボル展示 ~チカモリ遺跡の環状木柱列~




チカモリ遺跡 (国史跡) は、縄文時代後期~晩期のムラ跡です。発掘調査により340本を超える柱根 (柱の根元) が見つかっています。

その中でも、太いもので直径80cm以上もあるクリの木を半分に割り、直径約6mの円形に配置した建物 (環状木柱列) は、使われ方は不明ですが、
柱の大きさと遺構の平面形態から、全国的に注目されています。

ここでは、チカモリ遺跡の環状木柱列の中で代表的なもの (A環:約2,800年前) を、金沢縄文ワールドのシンボルとして、
保存処理を終えた柱根と共に原寸大で再現しています。

大型スクリーンから流れる当時の生活の様子と併せて、はるか古(いにしえ) 、縄文時代の金沢の姿に思いをはせて見てください。

 131
シンボル展示
上に記述
チカモリ遺跡の建物配置 環状木柱列
展示ケースの天板を地面に見立て、

地下には本物の柱根が埋まっている様子を、
地上には立ち並ぶ木柱列の様子を原寸大で再現しています。

用途がわからないので、確実な柱のみを再現していますが、

本来は壁や天井があった可能性もあります。
 133
柱根1 柱根2
 134
柱根3
柱根4 柱根5
柱根6 柱根7
柱根8
柱根9 柱根10
 
 137
縄文人の1年 縄文カレンダーの
採取魚に、フグが含まれているのは、金沢らしい。というか。

金沢に限らず、松島でも、千葉でも、フグは食べていた。
毒抜きの方法を知るまでに、何人死んだんだろうと思ってしまいます。

しかし、肝心なのは、
その縄文の技術や情報が全国に広まって受け継がれていることです。




 139日本の文化(5) 県内の巨木文化

 真脇遺跡 (能登町字真脇)
  昭和57~58年に発掘調査され、環状木柱列のほか300体ものイルカの骨や、彫刻のある長さ2.5mの柱などが出土しました。
  平成元年に国史跡に指定され、平成3年には出土品219点が国の重要文化財に指定されました。

  現在、史跡整備が進められており、史跡公園にはクリ材を用いた環状木柱列が復元展示されています。

真脇遺跡 復元された環状木柱列本物のクリ材を使用 見つかった環状木柱列
半円形に柱根が出土


 米泉遺跡 (金沢市米泉2丁目)
  昭和62年に発掘調査が行われ、縄文時代の河川と共に、石囲い炉がある竪穴住居、礫を集めた配石遺構、柱穴に柱根が残っている環状木柱列
  などが見つかりました。

  河川跡では大量の木の実が出土しています。出土品は土器などのほか、土偶、糸巻きのような形をした有孔球状土製品、
  漆塗櫛や漆が付着したアンギンという布の一部などがあります。

米泉遺跡 見つかった環状木柱列
大きな穴が円形に配置され、中に柱根が残存。
空からみた米泉遺跡
中央やや左寄りに環状木柱列がある

 御経塚遺跡 (野々市市御経塚1丁目)
  昭和30年から発掘調査が行われ、竪穴住居や多数の土器、石器が出土しました。柱根は見つかりませんでしたが、環状に巡る柱穴を確認しています。
  昭和52年に国史跡に指定され、史跡公園として整備されています。

  石器は土掘り具とみられる打製石斧が多く、御物石器、石棒といった祭祀用品もあります。
  平成22年には出土品4,219点が国の重要文化財に指定されました。

御経塚遺跡 空からみた御経塚 
竪穴住居の復元展示あり
御経塚の建物配置 
円形部分が環状木柱列
 





 1502.漆と装飾





  中屋サワ遺跡からは漆を塗った道具や美しい模様の土器が沢山出土しており、既に高度な技術がありました。
  腐りやすい漆製品が出土することは珍しく、弓や櫛、腕輪などと共に当時の生活を知る上で大変貴重な資料です。

  このコーナーでは中屋サワ遺跡の漆製品や縄文時代の装飾について紹介します。



 151黒と赤の世界 ―中屋サワ遺跡の出土品―

出土品の特徴の一つに、黒と赤のコントラストにより生み出され色彩美があります。これらは、特に縄文土器や漆製品によく見ることができ、
特徴ある色彩世界が作りだされています。

縄文土器には表面を黒く着色し、丁寧に磨きあげることで光沢のある深い黒色に仕上げているものがあります。
更に、文様に赤色顔料を塗って装飾するものも見られます。これにより、黒と赤の対比が生み出されるのです。

漆製品にも同様の色彩を見ることができます。籃胎漆器は全体の下地に黒漆を塗り、器の上に赤漆を重ねることで、黒と赤の装飾を生み出しています。
木胎漆器にも黒漆、赤漆、透漆(すかし)を使い分けた装飾が見られます。

黒と赤のコントラストは、縄文時代晩期の人々の精神世界を反映した特別な配色だったのでしょう。

漆と装飾 漆と装飾
上に記述
黒と赤の世界
中屋サワ遺跡の出土品

羊歯状文 深鉢

工字文 深鉢

S字文 深鉢
 152

縄文 鉢

入組文 鉢

入組文 深鉢
 153
縄文土器
中屋サワ遺跡
縄文時代晩期

沈線文 鉢

幾何学文 鉢

幾何学文 浅鉢
 


 155漆と装飾(1) 縄文人のデザイン
縄文時代の土器には様々な文様があり、時代や地域によってデザインが異なります。
表面を光沢が出るくらい丁寧に磨き、細かな文様で飾った土器を精製土器と呼びます。

棒や中空の枝、貝殻、繊維を撚った道具などを用いて文様を描きます。棒は線や凹みを付け、中空の枝はスタンプのように押すと丸い文様ができます。
貝の凹凸した口の部分を横に引くと平行な線ができます。

これらを組み合わせて雲に似た模様や、紐が入り組んだような模様、三角や矢印などの幾何学模様などを描いています。
また、繊維を撚った道具は編み方や転がす方向により、様々な文様を付けることができます。

  

漆と装飾(1) 漆と装飾(1)
縄文人のデザイン
縄文人のデザイン 雲形文
雲が流れるような模様を描きます
三叉文
感じの「人」や「入」に似た模様を組み合わせて描きます
入組文
2本の紐が入り組んだような模様を横に描きます
幾何学文
丸や四角、矢印のような模様を組み合わせて描きます。

雲形文 浅鉢
入組文 深鉢

幾何学文 浅鉢

三叉文
 157

玉抱三叉文 深鉢

深鉢

深鉢
 158

雲形文 鉢

雲形文 注口土器

沈線文 浅鉢
 159

三叉文 蓋

三叉文 浅鉢

三叉文 浅鉢

円弧文 蓋
 
 


 161漆と装飾 (2) 縄文ジャパン
  欧米では漆器をJapanと呼びます。遺跡からは、漆塗りの土器や木製品が出土することがあります。
  北陸地方で漆塗りの最古の例は、福井県鳥浜貝塚から出土した縄文時代早期の櫛です。

  漆を塗ることで見た目の優雅さを演出するとともに、劣化や水漏れを防ぐことができる漆の有効性について、当時の人々は既に知っていたようです。
  中屋サワ遺跡からは、土器の内側に漆の膜が残っているものがあり、漆の原液を入れていた容器と考えられます。

  漆は、原木の表面に傷を付け、しみ出す樹液を集め、これに顔料を混ぜて着色したものを使用します。
  この土器の漆膜は、無色なので顔料を混ぜる前と思われます。

  中屋サワ遺跡では、櫛や腕輪などの装身具や、木の鉢に漆を塗ったもの、籃胎漆器などの容器類、黒い漆を塗った弓などが出土しています。
  土器では、注口土器と呼ばれる現在の急須のような形をした土器に漆を塗ったものが出土しています。

漆と装飾 (2)縄文ジャパン
漆と装飾 (2)縄文ジャパン

上に記述
籃胎漆器のX線写真

籃胎漆器を上から撮影すると全体が丁寧に編んで作られたことがわかる
腕輪の出土状況

赤漆が鮮やかに残る腕輪で、残りの部分も近くから出土しています。
漆塗り弓の出土状況

折れた黒漆塗り弓で、つる巻き部分が残っています。
籃胎漆器の出土状況

河川の深い位置から割れた状態で出土


 162漆製品 縄文土器
  籃胎漆器
   「籃」は竹で編んだ籠のことで、籃胎漆器とは籃を素地とした漆器のことを指す。本品は精緻に編んだ竹籠に黒漆と朱漆を重ね塗る。
   底部は方形に作り、胴部が立ち上がるに従い角に丸みを持たせている。

   全形が判明する縄文時代の籃胎漆器の出土例は全国的にも少なく、本品は重要文化財「中屋サワ遺跡出土品」を代表する逸品である。
   同様の技法は現代の竹工芸でも用いられており、その源流を示す遺物としても貴重である。

漆製品縄文土器 籃胎漆器
上に記述
籃胎漆器

 漆塗注口土器
  宝珠型の注口土器で、焼成した土器の外面に下地となる黒漆を塗り、その上に朱塗りを重ね塗る。
  胴部に沈線と入組三叉文が廻り頂部は閉じているが蓋状の表現がある。

  注口部は1カ所で、反対側に開口部があり、さらにその下に小穿孔がある。本品は底部のみ欠損するものの、全体の形状がほぼ判明する優品である。
  中屋サワ遺跡は漆塗木製品に比べ漆塗土器の出土数が少なし、本品以外では破片が数点出土したのみである。

漆塗注口土器 漆塗注口土器


 木胎鉢1
  木の素地に赤漆をかけた漆器。把手を中心に円弧状の文様を描き出している。漆のかからない部分は風化が進んでいる。

 木胎鉢2
  木の素地に赤漆をかけた漆器。口径180mm、高さ132cmのコップ形に復元できる。口縁部近くには穿孔がある。
木胎鉢 木胎鉢1 木胎鉢2


 163装身具
  腕輪、髪留め、竪櫛など、身体を装飾する道具を装身具と呼ぶ。
  縄文時代の人々は、漆による黒と赤の華やかな色彩で身体を飾っていたことが、これらの出土品からわかる。

装身具 腕輪・腕輪・髪留め
腕輪…サネカズラ
腕輪・腕輪

腕輪…土台となる木に木粉を盛って形を作り、
その上に漆をかける。
土台は腐食しており、木粉と漆が残存する。
腕輪と髪留め髪留め…モクレン製

 結歯式竪櫛
結歯式竪櫛×3
ムラサキシキブ属
結歯式竪櫛 結歯式竪櫛 結歯式竪櫛 結歯式竪櫛


 165漆と装飾(3) 縄文人の祈りと装飾 中屋サワ遺跡 縄文晩期

  この時代の道具は、日常で使用するもののほか、祈りやまじないなどに用いたものがあります。
  祖先を敬い、子孫繁栄を願い、食料に恵まれることへの祈りは当時の人々にとって重要なことでした。

  人や動物の形をした土偶、石棒や石冠などの石器類はそのような環境から生まれたものと考えられます。
  

  身につけるものに対しても、様々な工夫と努力が伺えます。ネックレス等に用いられた丸玉は、新潟県の糸魚川地方を流れる姫川上流で採れる
  非常に硬い石「ヒスイ」を材料としています。金属の道具がないので、石の加工には大変な労力をかけていたことが想像できます。

  琥珀は大昔の樹木の樹脂が固まって結晶化したもので、柔らかく加工しやすい特徴があり、縄文時代から利用されていました。
  中屋サワ遺跡出土の琥珀は加工する前の状態で、岩手県久慈地方で採れたものです。縄文時代の物の流れは、かなり広範囲に及んでいたようです。

縄文人の祈りと装飾 出土した弓
漆塗り弓は祈りの場で使われました
出土した石器 モノの製造や生産に関する石斧や敲き石、

祈りに関連した石棒や石冠などが出土しました。
中屋サワ遺跡の出土物
縄文晩期
漆塗り弓
漆で装飾した弓。儀礼などに用いられたとみられ、折れた状態で出土するものが大部分である。

白木弓・漆塗り弓の大部分がイヌガヤの枝製

折れた弓とツル巻き部分

ツル巻き部分
 

 166板状土偶
   土偶は人間 (特に女性) を模して造られた土製品。本品のような板状の物を板状土偶と呼ぶ。
   故意に破壊された状態で出土することが多い。
板状土偶 板状土偶 板状土偶 板状土偶
 168石棒

二つとも石刀とありますが
右は、石棒でしょう

石刀…頁岩

(石棒)…粘板岩

石冠…凝灰岩

環状石器…砂岩
 169装身具

石製装身具
中屋サワ遺跡
縄文晩期


琥珀…琥珀原石

丸玉…硬玉(ヒスイ)

垂飾…蛇紋岩
勾玉…硬玉(ヒスイ)
 
 



 2003.縄文の考古楽

   金沢の縄文時代を知る、ビデオコーナーです

 201
 






 3004.夏休応援企画











 301縄文時代
  縄文時代は今から約12,000年前から約2,700年前まで、約1万年間続いた、日本の歴史の中で最も長い時代です。
  この時代、縄目の模様がついた「縄文土器」が多く作られました。これが「縄文時代」の名前の由来です。

  人々は竪穴住居で生活しました。生活のための道具は土や木、石などで作っていました。
  縄文時代には文字がまだありませんので、暮らしぶりや考え方が記録として残っているわけではありません。

  しかし、遺跡の発掘調査で見つかったものから、当時の生活の様子や人々の考え方を知ることができるのです。


 中屋サワ遺跡
  金沢市いなほ1丁目にある遺跡です。縄文時代の河跡から出土した大量の遺物が注目されました。
  土器はもちろんのこと、様々な石製品や木製品が出土しています。

遺跡で知る金沢のむかし 縄文時代
 



 310弥生時代
  弥生時代は日本各地にコメ作りが広まり、前の時代から社会が大きく変化した時代です。

  人々の生活の中心がコメ作りに移ったことで生活の場も平野に移り、より大きな集団生活が営まれるようになります。
  人々の間には身分の差が表れるようになり、集落と集落の間で争いも起こるようになります。また、大陸から金属が伝わったのもこの頃です。


 西念・南新保遺跡
  建物跡や井戸跡、方形周溝墓などが見つかり、弥生土器や木器、石器、金属器などが出土しています。
  弥生時代には水稲耕作中心の社会が形成され、集落規模も大きくなります。

  すると食料や物資を巡る争いが起きるようになり、集落の周囲に外敵の芯に有を防ぐための大きな堀 (環濠) を巡らせた集落 (環濠集落)
  が出現します。西念・南新保遺跡からも環濠の一部とみられる堀が見つかっています。


 ここでは、「食料や物資をめぐる争い」とされている。ものの本によるとそれではなく、「土地と水」の争いだと言われている。
 私は、それらに加えて、農奴獲得も加えたい。なにが正しいのか?

 311
弥生時代 竪穴住居跡西念・南新保遺跡 土器・重圏文鏡


 312西念・南新保遺跡 弥生時代中期


高坏
桶形木製品
アスナロ材
アスナロ材をくり抜いて
円筒を作り、2カ所に穿孔のある突起を削り出す。

底板は下からはめ込んで木釘で留める構造だが底板は存在しない。
表面は丁寧に研磨され、一部に赤色顔料が残る。
 313

短剣、重圏文鏡
 



 320古墳時代
  古墳時代は、古墳という巨大なお墓が出現する時代です。
  地域の有力者達は、自分の権力を示す象徴として古墳をつくり、鏡や武器、勾玉などを副葬品として遺体と一緒に埋葬しました。

  古墳には様々な形と大きさがありますが、四角と丸を組み合わせた形の前方後円墳がよく知られています。

  また、土器もこの頃に大きな変化が見られます。5世紀頃になると朝鮮半島から須恵器を作る技術がもたらされ、日本中に広まります。
  須恵器はとても固くて丈夫なため、様々な形の須恵器が作られ、日本全国で使用されました。


 神谷内古墳群

  金沢市小坂町の丘陵尾根上に作られた古墳群です。
  山川環状神谷内インターの建設に伴い前方後円墳や円墳など計8基の発掘調査が行われました。

  12号墳は古墳時代前期の前方後円墳で、発掘調査が行われた古墳群のうち最も古いものです。
  銅鏡や鉄斧、管玉などが副葬品として出土したほか、周辺から甕や高坏などが出土しています。

  17号墳は12号墳の次に古い円墳で、銅鏡や鉄刀、鉄斧、勾玉、ガラス玉などが副葬品として出土しています。


 321神谷内古墳群 古墳時代前期
古墳時代
上に記述
神谷内古墳群(12号墳) 神谷内古墳群出土の土器と副葬品
鉄斧、銅鏡、刀子、管玉
 322古墳前期 神谷内古墳群 17号墳


高坏
鉄斧
鉄斧
管玉
管玉は装身具の部品で、穴の糸を通して首飾りや腕輪などとして用いた。 鉄刀
 



 330古代


 331飛鳥・奈良平安
  七世紀後半に「律令」という法律が整備され、天皇を中心とした政治が行われるようになります。都では天皇や貴族が政治を行い、地方では都から
  派遣された役人が政治を行って庶民から税を取り立て、都へ送っていました。また、奈良時代後半には仏教が地方に広まってきました。

  この頃には文字を書いた土器や木簡などが全国各地の遺跡から見つかるようになります。

 上荒屋遺跡
  金沢市上荒屋7丁目にある縄文時代から中世までの遺跡で、奈良時代から平安時代にかけては荘園であったことが発掘調査からわかりました。
  発掘調査では、荘園の管理施設跡や運河跡、船着き場跡などが見つかり、土器に書かれた「綾庄」「東庄」などの文字から、東大寺領横江荘の一部
  であることがわかりました。

  東大寺領横江荘の一部であることがわかりました。奈良~平安時代にかけての荘園の様子を知ることのできる吉様な遺跡で、
  現在は、上荒屋史跡公園として整備されています。

飛鳥・奈良・平安 上荒屋遺跡 墨書土器 上荒屋遺跡 上荒屋遺跡
復元された荘家、木簡
 332上荒屋遺跡 平安時代
墨書土器
「東庄」の墨書。遺跡が東大寺の荘園の一部であった。
長頸瓶 横瓶よこべい
土器の内側には、粘土の粘着を避けるために
模様を彫った当て木を
あて、外側を、これも同様の理由で文様を彫った
叩き板で打ち締め、
成形する。
 長頸瓶
  長頸長胴の瓶。この形の土器は北陸地方では生産量が少なく、畿内から持ち込まれたものと考えられる。
  底部外面に「四合九勺」の墨書があり、口縁部までの容量がほぼ一致する。

 ※一升瓶の半分、五合瓶ではなく、それよりも少なかったということですね。
 酒屋に5合と言ってダマされないように量目が書いてあったんですね。(笑)

 333
木簡と人形 木簡

荷札木簡「玄米五斗二升」
習字木簡「道道通道道」
人形ひとがた

呪術具
 
 340中世

 341鎌倉・室町・戦国時代
   これまで、天皇と貴族が日本の政治を担っていましたが、次第にその中心に武士が登場するようになります。
   平安時代末期に政権を握っていた平氏は源氏によって滅ぼされ、源氏の棟梁である源頼朝が鎌倉に幕府を開きます。

   これ以降、明治時代になるまで、日本の政治は武士によって行われる武家政権が続くことになります。

   また、この頃新しい仏教が生まれ、武士や農民の間で信仰されるようになります。
   北陸では浄土真宗が広まり、信者たちは団結して守護(地方を支配していた武士のこと)を打倒し、加賀国を支配するようになります。

   現在でも金沢を含む北陸地方に浄土真宗のお寺が多いのは この頃の影響によるものです。

 堅田館跡
   金沢市堅田町にある、森下川右岸の丘陵裾に作られた地域有力者の館跡です。発掘調査では、約100m四方の堀に囲まれた敷地内に複数の建物跡
   が見つかり、生活用品や武具・馬具、木簡、中国銭など、地域を支配した武士が用いた様々な遺物が出土しています。

   中でも、般若心経全文を記した「巻数(勧請)板」と呼ばれる木板は、当時の民俗行事を示す貴重な資料です。

鎌倉・室町・戦国時代 堅田遺跡 建物跡 堅田館跡 堅田館跡 様々な遺物 展示資料の遺跡位置
 342
  巻数板
   木製の板の片面に般若心経を書写し、末尾に年月日 (弘長3年1263)と僧侶名を記す。墨は退色しているが、文字の部分が僅かに盛り上がっており、
   長期間屋外でさらされていたことがわかる。

   越後国国人領主色部氏の記録に、毎年正月8日に邸宅の門に張った縄に般若心経を記した板を吊り下げ、領主が家臣・領民らに酒と食事
   を振る舞う行事が行われたとある。また、中世に描かれた絵巻物の中に、館の門柱に文字を記した板を吊るしている図を見ることができる。

   更に現在でも、特定の期日に村境に張った大縄に木板を吊るす習俗が残る地区がある。本品もこのような儀式に用いられたと考えられる。

梅瓶
堅田B遺跡 鎌倉-室町
巻数板かんじょういた 巻数板
土師器皿
鳴鏑(めいてき) 矢の先端に付ける発音道具・「なりかぶら」とも。

「平家物語」には鳴鏑の音が合戦の始まりの合図として描かれている。
 
 350江戸時代
  江戸時代は、徳川家康が開いた江戸幕府が全国の大名を治めていた時代です。

  金沢を含む加賀・能登・越中は前田利家を藩祖とする前田家が治めていました。
  前田家の居城は金沢城で、その周辺には武士や町人が住む金沢城下町が広がっていました。

 広阪遺跡
  金沢市街地のほぼ中心にあり、金沢21世紀美術館の建設に伴い発掘調査を行った、金沢の江戸時代を代表する遺跡です。

  広坂遺跡は江戸時代には武士が住んでいた武家屋敷地で、道路や土塀、井戸跡、建物跡など、武家屋敷を象徴する遺構が数多く見つかり、
  武士が日常的に使用した多種多様な道具類が数多く見つかっています。
 351
江戸時代 広坂遺跡 広坂遺跡 広坂遺跡
土塀の基礎
土器・陶磁器


大皿・皿


徳利・火鉢
灯明皿