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 2018特別展の旅 05 2018.09.09-2

  石川県歴史博物館 石川県金沢市出羽町3-1 076-262-3236 月・祝日の翌日休館
   発掘された日本列島2018

  地域展
   いしかわ歴史発掘2018


 交通 JR金沢駅東口 (兼六園口) ⑦番バス乗り場から出る北鉄バス。出羽町下車。徒歩5分

 見所 撮影禁止の石川県立歴史博物館の所蔵遺物や、石川県各地の資料館の所蔵物が垣間見られる。

 注意 展覧会は終了しています。

 



00外観

地域展
 いしかわ歴史発掘

10津幡町 北中条遺跡
 湖岸の縄文集落

20小松市 八日市地方遺跡
23柄付き鉄製鉇
24碧玉製管玉の製作
 資料 八日市地方遺跡

30金沢市 薬師堂遺跡
 戈形木製品が出土

40加賀市 八日市遺跡
 青銅器を作った工房

50能美市 秋常山2号墳
 県内屈指の大古墳群

60加賀市 三木5号墳
 南加賀独特の埋葬施設

70野々市市 末松廃寺跡
 県内最古の古代寺院

80能美市 湯屋B支群1号窯跡
 末松廃寺の瓦を焼いた窯

90金沢市 大友E遺跡
 墨書土器が多数出土

100津幡町 加茂遺跡
 古代の「お触書」発見

109展示室 後部

110羽咋市 寺家遺跡
 羽咋市 シャコデ廃寺跡
 砂丘上の祭祀遺跡

120能登国府の関連遺跡群
 七尾市 古府・能登国府遺跡
 七尾市 古府ヒノバンデニバン遺跡
 七尾市 千野林田野遺跡

 能登国の中心地を発掘


130珠洲市 野々江本江寺遺跡
 中世墓の第一級資料

140白山市 宮保館遺跡
     宮保B遺跡
 二重の堀が巡る中世の館

150七尾市 七尾城跡
 北陸最大級の中世山城

160加賀市 九谷磁器窯跡
 石川を代表する九谷焼の窯

170小松市 大川遺跡
 小松城下の町屋を発掘

180金沢市 金沢城下町遺跡
 加賀藩士が眠る墓地

190金沢市 史跡金沢城跡
 加賀藩主前田家の居城


200金沢市 宝町遺跡
 加賀藩士の与力の屋敷跡
 
 
 
 00外観
JR金沢駅バスターミナル⑦番乗り場 出羽町バス停から
出羽町公園内
兼六園弓道場 石川県立歴史博物館
旧陸軍兵器庫
石川赤煉瓦ミュージアム
石川県立歴史博物館
加賀本多博物館
発掘された日本列島
2018

趣ある入口
二階特別展会場 開場全景 いしかわ歴史発掘 地域展示
「いしかわ歴史発掘」
 
 

  地域展
いしかわ歴史発掘

「発掘された日本列島」展の石川県での開催は、当館で平成16年に開催して開催して以来、14年ぶりになります。全国を巡回する中核展示に加えて、県内遺跡の最新の調査成果を紹介する地域展示「いしかわ歴史発掘」を同時に開催します。

石川県では、約7300の遺跡の存在が確認されています。毎年、約50件の発掘調査が行われていますが、その多くは開発工事に伴う緊急の調査として行われています。また、遺跡を復元したり、歴史公園として公開したりする史跡整備のために、学術的な発掘調査も盛んに行われています。

県内では、近年、北陸新幹線の建設や史跡整備等に伴う発掘調査で新しい発見が相次いでいます。地域展示では、この15年間に調査された遺跡の中から、注目を集めた20遺跡を紹介します。

地域展示
「いしかわ歴史発掘」
20遺跡/15年間を紹介
 





 10津幡町 北中条遺跡 (きたちゅうじょう) 縄文時代 後期中頃~晩期前半 (約3700~3000年前) 地図  津幡町北中条



 河北潟の湖岸の縄文集落
河北潟の東岸の平野に立地する遺跡です
縄文時代後期中頃~晩期前半 (約3700~3000年前)の土器や石器が多量に出土し、建物跡とみられる木柱や土壙 (墓穴) などが見つかりました。

精緻な文様で飾られた精製土器は、土壙の周辺から集中して出土し、墓での葬送儀礼に用いられたとみられます。1000点近く出土した石器の中で
最も多いのが、木の実などの加工に使われた磨石です。食料の中で、植物資源が大きな割合を占めていたことがうかがえます。

河北潟の周辺では、縄文中期 (約5500~4500年前) の遺跡は丘陵の上にあります。
北中条遺跡は低地にあり、平野に進出した新し環境で生活を始めた人々の集落だったようです。


※河北潟では、中期温暖期には丘陵上で暮らし、後・晩期寒冷期海退期には潟周辺にできた低地に暮らした。食料獲得との関係があるのだろうか。

  
 11
展示遺跡 地図 河北潟湖岸の縄文集落
上に記述
北中条遺跡位置
 12北中条遺跡 土壙墓の近くから出土した精緻な文様の精製土器

深鉢

煮炊き用

浅鉢

赤線(墓穴)周囲から集中して出土。供献土器か

注口土器

後~晩期に発達した器種

石鏃

土偶…人形土製品
  顔と胴体の破片

磨石…木の実等の加工
打製石斧 耕起具

石冠…儀礼用石製品
石皿… 食料の粉砕や
  磨り潰し用
 





 20小松市 八日市地方遺跡 (ようかいち じかた) 弥生中期 (約2350~2000年前)  リンク01 02 小松市八日市町地方 04 05 06



 加賀最大の弥生集落
  小松駅の東側一帯に広がる弥生中期 (約2350~2000年前) の遺跡です。
  面積が15万㎡に及ぶ大規模な遺跡で、交易のセンターになっていた加賀最大の拠点集落です。

  中心部に居住域があり、これを囲んで何重にも環濠が巡り、外側は墓域になっていました。
  製作途中の管玉が大量に出土し、ここで作られていた管玉は他の地域にも広く流通していました。

  平成29年に、集落を流れる川の跡から、木製の柄のついた鉄製ヤリガンナが出土しました。柄が完全に残った弥生時代の鉇は、日本初の発見です。
  弥生時代中期前半 (約2300年前) のもにで、日本で鉄器の生産が始まる以前の時期にあたり、大陸からもたらされたとみられます。


 ※小松市で「加賀最大」なんて言うと戸惑う。「小松市だのに加賀市?」「なんのこっちゃ?」。範疇を「石川県か加賀地方」にすればいいのに。

  地元の人にしかわからない言葉。
   加賀国は 金沢市・小松市・加賀市・かほく市(能登国の部分を除く)・白山市・能美市・野々市市・能美郡・河北郡
   加賀藩は江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩
   ほらほら、なんのこっちゃわからんやろ。
 21
加賀最大の弥生集落
上に記述
小松駅前に広がる
八日町地方遺跡
翡翠製垂飾・碧玉製管玉
石川県の碧玉産地
遺跡周辺地図
カンナ出土地
 22

壺…水・食料の貯蔵

甕…煮炊き用、煤つき


石剣…石剣の先端破片
石包丁…稲の穂刈り具

線刻砥石…渦巻き模様


 23柄付き鉄製鉇 (やりがんな) 柄付ヤリガンナ(PDF)

  鉇は木材の表面を削って加工する道具。柄はイヌガヤ属の木製で、桜の樹皮のひもを巻きつけている。


 24碧玉製管玉の製作工程

①原石→②剥離分割(第1段階)

③研磨 (多角柱状材)→④穿孔 (石針)

⑤仕上げ (研削・研磨)→⑥完成

石鋸素材を分割する溝をつける 石針
玉に穿孔する。
瑪瑙(左)と安山岩
翡翠製勾玉未製品
糸魚川産の翡翠
玉砥石
玉を磨く
碧玉製管玉未製品
碧玉は小松で産出する
翡翠製垂飾
翡翠製管玉
川跡から連なって出土
 

 資料 八日市地方遺跡について

 この遺跡の素晴らしい点は、ヤリガンナだけではないと思います。大変珍しいものが沢山出土しています。

 小松市埋文の「重要文化財 八日市地方遺跡」では、弥生中期の出土物に他の遺跡では見たこともないものが多数出土しています。
 小松市埋文のを右クリック「新しいウィンドウで開く」でopen
 小松市埋文の開いた別窓を上から下まで目を通してください

  ©がついているため写真を載せられません。
  重要文化財 八日市地方遺跡を別窓で立ち上げて御覧ください。
  特に珍しいものだけを取り上げます。

人面付土器 T字形の木片
獣形勾玉
魚のダツ形木製品 おたま・匙さじ 柄付磨製石剣 鹿と狩人の絵画土器
③魚形木製品は、おそらく大型魚を釣り上げるためのルアー。  ⑦獣形勾玉は弥生期に多い変わり勾玉の一種でしょうか。


  これらの出土物は、2019.2.23(土)~5.26(日)まで小松市埋蔵文化財センターで公開されます。

  小松市埋文へのアクセス
バス   小松駅前バスターミナル③麦口線「原町」下車徒歩5分 地図時刻表(朝を除いては2時間に1本。のがすと4時間動けない)
レンタカー   ニコレン小松有明店
      レンタカーを借りた人は、近隣の博物館をめぐってみてはいかがでしょうか。沢山ありますよ。(※能美市立博物館は廃館しました)

 








 30金沢市 薬師堂遺跡 弥生時代後期後半~終末期 (約1900~1800年前)   金沢市薬師堂町

 戈形木製品が出土
金沢平野の西部にある遺跡で、弥生時代後期後半~終末期 (約1900~1800年前) の木棺墓などが調査された。
この遺跡から、武器の戈をかたどったとみられる珍しい木製品が出土しました。

戈形木製品には、柄に直行して刃部が2個取り付けられ、一部に火で焦げた跡が残っている。
実用的な武器でなく、武器の威力を象徴する祭器と見られる。

戈は中国で誕生した武器で、弥生時代に朝鮮半島から銅製の戈が日本に伝わりました。日本では、銅戈は主に祭器として扱われ、これを真似て、
石製や木製の戈も作られました。近くの遺跡から銅剣が出土していて、この地域に武器形祭器が広がっていたことがうかがえます。

 31
戈形木製品が出土
上に記述
遺跡周辺地図
 32



革袋形土器

蓋、赤い顔料が塗られた特殊な蓋

戈形木製品

二つの刃部は、柄のほぞ穴に通して固定されている。
黒く変色した部分は火にかけられた焦げ跡。

鍬未製品
広葉樹の板を使った鍬の未製品
 





 40加賀市 八日市遺跡 古墳時代前期 (3世紀後半~4世紀)  リンク01 02 03 04 加賀市動橋町ナ 06 07 08


 青銅器を作った工房
  江沼平野にある古墳時代前期 (3世紀後半~4世紀) の集落遺跡です。
  多くの建物が発掘され、2棟の竪穴建物から青銅器の鋳造に使用されたとみられる炉の跡が見つかりました。

  竪穴建物の床面には炉の底が残り、高温の熱を受けた跡が確認されました。また、製作途中の銅鏃、湯口ばり (鋳型の入口で固まった銅の塊)、
  炉に空気を送るフイゴの羽口 (送風口)、仕上げに用いる砥石も出土しました。古墳時代の青銅器の工房は、日本初の発見となります。

  加賀市には古墳が多く、この遺跡でも板塀で特別に囲まれた建物が見つかり、有力な首長が住んでいたとみられます。
  青銅器の生産は、この首長のもとで行われていた可能性があります。

 41
青銅器を作った工房

上に記述
八日市遺跡鋳造炉跡が見つかった
竪穴建物跡
竪穴建物内の鋳造炉跡 遺跡周辺地図
 42
砥石
青銅器の仕上げ用
鉱滓
銅を鋳造した時の不純物
送風管 フイゴの羽口 鋳型
青銅器の鋳型と銅鏃 湯口ばり
鋳型の入口で固まった銅の塊
銅鏃未製品
 



 秋常山古墳


 50能美市 秋常山2号墳  古墳時代前期末~中期初頭 (4世紀末) 石川県能美市秋常町ヨ  リンク01 02 03 04 05 06

 史跡 能見古墳群 能美市 古墳群

 県内屈指の大古墳群
手取り川の南岸の丘陵にあり、62基の古墳が見つかっています。秋常1号墳は、古墳時代前期末~中期初頭 (4世紀末) に築かれた
全長約140mの前方後円墳で、県内で最大規模の古墳です。

秋山2号墳は、古墳時代中期後葉 (5世紀後葉) ら造られた約30mの方墳です。埋葬施設には刀・刀子・臼玉などの府副葬品が納められ、墳丘から
ヤリガンナ・ノミ・オノなどの工具も出土しました。

和田山23号墳は、古墳時代中期末 (5世紀末) の径23mの円墳です。周囲を巡る溝から54点の須恵器が出土し、この内2点に「二年」「未」が刻まれていた。
日本に文字が普及し始める5世紀に、加賀に早くから漢字が伝来していたことがわかりました。

 51
県内屈指の大古墳
上に記述
秋常山古墳群 和田山23号墳
溝に並べられた多量の須恵器

 52秋常山2号墳

鉄刀、秋常山2号出土

・滑石製臼玉
・鉄製ヤリガンナ
・鉄鑿 
・鉄柄刀子

・刻書須恵器高坏
・朝顔形円筒埴輪
・円筒埴輪

円筒埴輪

円筒埴輪
朝顔形円筒埴輪

刻書須恵器高坏
朝顔形円筒埴輪

 能美市 和田山23号墳

刻書須恵器高坏 (蓋付) 刻書須恵器高坏
和田山23号墳出土。蓋の側面に横向きで「二年」の文字

刻書 「二年」
刻書須恵器壺 刻書須恵器壺
刻書「未」
和田山23号墳出土
胴部に「未」、十二支の未(ヒツジ)とみられる。
     





 60加賀市 三木5号墳  加賀市三木町  古墳時代後期前半 (6世紀前半)



 南加賀独特の埋葬施設 三木古墳群 

  石川県で最も西側にある古墳群で、大聖寺川沿いの丘陵で5基の小規模な古墳が見つかっています。
  発掘調査された三木5号墳は、径12mで古墳時代後期前半 (6世紀前半) に築かれました。

  古墳の中心部には、横穴式木室が設けられていました。横穴式木室は、木材を使って墓室を造り、それを粘土で覆った埋葬施設です。
  この古墳の木室の特徴は、墓室の壁の一部に石室が使用されていたことです。木室の中には、須恵器などが副葬されていました。

  横穴式木室は、北陸地方では、南加賀にしかありません。石材が使われた木室は、この古墳が初めての発見です。
  石を積んで造られた石室の影響けて、石室と木室の中間的な形になったようです。

 61
南加賀独特の埋葬施設
上に記述

三木5号墳

横穴式木室
周辺地図
 62

須恵器高坏

須恵器蓋坏

須恵器提瓶

須恵器短頸壷

須恵器広口壺

須恵器ハソウ
 





 70野々市市 末松廃寺跡 飛鳥時代後葉 (7世紀後葉) 野々市市末松2丁目地内

 県内最古の古代寺院
  飛鳥時代後葉 (7世紀後葉) 建立の寺院で、手取川扇状地の中央部にあります。昭和41-42年の発掘調査で、東側に塔、西側に金堂が並ぶ伽藍配置が
  明らかになっています。

  近年、史跡の再整備の為に発掘調査が行われました。
  これまで塔や金堂は塀に囲まれていると推定されてきましたが、調査の結果、塀の跡は確認されませんでした。
  塔の東側で見つかった2つの柱穴は、儀式の際に仏堂を飾る、幢幡 (どうばん=旗) をつるす、幢竿支柱(どうかんしちゅう)の跡とみられます。

  新たに、創建時に使われた竪穴建物や、再建時 (奈良時代) の門とみられる遺構も見つかりました。
  北陸最古級の寺の構造を明らかにすることで、仏教がこの地に広がった歴史的背景に迫れると期待されます。
   
 71
県内最古の古代寺院
上に記述
周辺地図

平瓦(布目)

須恵器坏蓋・坏身
軒丸瓦-軒先の蓮華文瓦

幢竿支柱の柱穴
背後の基壇は塔跡
 





 80能美市 湯屋B支群1号窯跡  能美市湯屋町カ52  飛鳥時代後半 (7世紀後半-8世紀初頭)

 末松廃寺の瓦を焼いた窯  湯屋窯跡群

手取川の南岸にある辰口丘陵では、約50基の古代窯跡が見つかっています。焼き物に適した粘土が採れるこの地域では、
飛鳥~平安時代 (7~9世紀) にかけて、主に須恵器が造られました。

湯屋窯跡群では、飛鳥時代後半 (7世紀後半-8世紀初頭) の6基が確認されています。発掘されたB支群1号窯跡は、丘陵の斜面をトンネル状に掘り込んだ窖窯 (あながま) です。窯は、長さが9mあり、当初は須恵器の窯として造られ、後に瓦を焼くようになりました。

この窯で焼かれた瓦が、北東約8kmの末松廃寺 (野々市市) で出土しています。手取り川を越えて重い瓦が多量に運ばれていたことになり、
豪族が寺の造営に関わっていたとみる説があります。

  
 81
末松廃寺の瓦を焼いた窯
上に記述
末松廃寺 湯屋B支群1号窯 遺跡周辺地図

平瓦、製作時の布目圧痕が残る
軒丸瓦、末松廃寺の補修瓦と同時期の瓦

須恵器坏蓋・坏身
 





 90金沢市 大友E遺跡 奈良~平安時代  金沢市大友

 墨書土器が多数出土
  金沢平野の西部にある遺跡で、標高2.5m程の低地に立地しています。奈良~平安時代の掘立柱建物や井戸などが見つかり、
  川の跡から須恵器に文字が書かれた墨書土器や漆紙文書が付着した土器などが出土しました。

  墨書土器は、1000点以上出土しました。最も多い墨書は、魔除けの 「」 (どーまん)です。稲の穀霊の依代 (よりしろ) を示すとみられる「稲依」や
  吉祥句の「大」の墨書も多く、文書を司る役職「案主」(あんじゅ)や農耕に関わる「田舎」(でんしゃ)の墨書もあります。
 91
墨書土器が多数出土
上に記述

大友E遺跡

川跡から多量の墨書土器が出土
遺跡周辺地図
 92

人形、穢れを払うみそぎに使われたかたしろ
漆紙文書付着土器
漆のパレットに使われた土器の中に紙の蓋が残る。

文書を再利用した紙には、「申請」などの文字が残る。
緑誘陶器の皿
平安時代の陶器
銅製・石製の巡方
役人のベルト飾り





 100津幡町 加茂遺跡 奈良~平安時代 河北郡津幡町舟橋い

 古代の「お触書」発見
  河北潟の北東岸の平野に立地する遺跡です。奈良~平安時代の道路が見つかり、加賀国から能登国へ向かう北陸道にあたります。
  道路と直交して、河北潟の方向へ大きな溝が延び、陸路と水路が交差する交通の要所になっていました。

  この大溝から加賀郡牓示札が出土しました。

  この牓示札は、嘉祥年間(848-851年)に出された8ヶ条の命令を伝える札です。農民へ農業に励むことを勧める命令は、加賀国から加賀郡を通じて、
  この地にあった深見村に伝えられました。

  平安時代前期 (9世紀) には、農民の税が (律令) の原則通りに収められず、さらに基金や疫病が多発していました。
  牓示札からは、農民の生活や律令制が変化した様子が伺えます。

 101
古代のお触書を発見
上に記述
加賀郡 牓示札 牓示札
縦23.7㎝横61.3 厚1.7㎝
牓示札
牓示札
あまり、書き出したい内容ではないので、読みたい人はご自分でどうぞ。

牓示札 復元

牓示札 復元
加茂郡牓示札
 102

加茂遺跡

加茂遺跡 古代北陸道
遺跡周辺地図 加茂遺跡の概念図
 103
墨書土器 軒丸瓦、平瓦
仏堂の、屋根を飾った、唐草文。って俳句?

鬼瓦、鴟尾

和同開珎銀銭
心葉形金具…馬具
銅製巡方…ベルト
 




 109展示室 後部


日本列島を発掘する 全国埋蔵文化財センター一覧 中国・四国・九州 中部・北陸・近畿 北海道・東北・関東・近畿
発掘された日本列島2018 を支えています。 全国史跡整備市町村協議会の概要 全国史跡整備市町村協 議会の概要
 









 110羽咋市 寺家遺跡 奈良~平安時代  羽咋市柳田町シャコデ 01 02 03 04 05 06
   羽咋市 シャコデ廃寺跡  01 02

 砂丘上の祭祀遺跡
  
能登半島西岸の砂丘に立地する遺跡です。昭和53年に発見され、奈良~平安時代に祭祀が行われた遺跡と判明しました。
平成15年の発掘調査で、大規模に火を焚いた跡も見つかりました。

奈良時代 (8世紀) には、竪穴建物が立ち並ぶ集落になっていて、銅鏡などの祭祀具が出土しています。
平安時代 (9世紀) になると、大型の掘立柱建物を中心とする建物群が建てられ、「神」・「司館つかさのやかた」(浸食の宮司の館)・「宮厨みやのくりや」と書かれた墨書土器も見つかっています。

北側の台地には柳田シャコデ廃寺跡 (やないだ) があり、塔の跡が発掘されています。
奈良時代から政府に重視されてきた気多神社 (けた) にも近く、長年の調査で祭儀 (さいぎ) の施設が広がる古代の景観が見えてきました。

 111
砂丘上の祭祀遺跡
上に記述
寺家遺跡大規模に火を焚いた跡
焼土遺構
柳田シャコデ廃寺跡
塔跡
遺跡周辺地図
 112
ガラス坩堝 (るつぼ)

ガラス溶解具。飛鳥・平城宮から出土するが地方での出土は珍しい。
海獣葡萄鏡中国唐の鏡を真似た
国産鏡
狻猊鏡
さんげいきょう
鏡面の裏に獅子をあしらった銅鏡
素文鏡
祭祀用
文様のない鏡
鉄鐸
祭祀用鉄製ベル
舟形鉄製品
舟をかたどった祭祀用の鉄製品
 113羽咋市 シャコデ廃寺跡
三彩陶器小壺
奈良三彩の蓋付き小型壺

軒丸瓦…柳田シャコデ
墨書土器「神」
墨書土器「司館」

墨書土器「宮厨」
神への供え物を用意する施設か

墨書土器「神」
墨書土器「司館」

瓦塔
柳田シャコデ廃寺跡

軒丸瓦
柳田シャコデ廃寺跡
     






 120能登国府の関連遺跡群

   七尾市 古府・能登国府遺跡  01
   七尾市 古府ヒノバンデニバン遺跡 01 02
   七尾市 千野林田野遺跡

 能登国の中心地を発掘  
能登国は、 奈良時代718 (養老2) 年に越前国から分かれて立国しました。国府が七尾市古府町(ふるこ)付近にも開けられましたが、その場所はわかっていません。

官立の寺院である国分寺は国府の近くにある場合が多く、能登国分寺跡の周辺にある古府・国分遺跡では、寺に付属する建物群が見つかりました。
国分寺の南西側にある千野林田遺跡から倉が出土し、国府の近くにあった北陸道の越蘇駅(えそのうまや)との関係が注目されます。

北東側の古府ヒノバンデニバン遺跡から、「市殿」と書かれた墨書土器が出土しました。「市殿」は市に関わる施設とみられ、国府に置かれたマーケット「国分市」がこの近くにあったようです。



 121
能登国の中心地を発掘
上に記述

能登国分寺跡

能登国分寺周辺の古代遺跡
遺跡周辺地図
 122

墨書土器「市殿」
古府ヒノバンデニバン遺跡

土馬
古府・国分遺跡

風字硯・須恵器小壺
古府・国分遺跡

瓦塔(がとう)・転用硯
古府・国分遺跡

緑釉陶器碗・灰釉陶器耳皿
古府・国分遺跡

鞍、千野林田遺跡
千野林田遺跡出土。鞍の前後に立てる部品(前輪・後輪まえわ・しずわ)で、製作途中の未完成品。クヌギ製
 
        





 130珠洲市 野々江本江寺遺跡 (ののえボンこうじ) 平安~鎌倉時代 地図

 中世墓の第一級資料
  能登半島先端部の珠洲市南部にある遺跡です。平安時代末期~鎌倉時代初期 (11世紀末~12世紀) の木製の板碑と笠塔婆が出土しました。
  これらは死後の冥福を祈る供養塔で、墓地に立建てられるのが一般的です。この遺跡では川沿いの湿地に廃棄されたため、木製品が腐らずに残り、
  奇跡的な発見になりました。

  板碑や笠塔婆は、石製の物が数多く残っていますが、木製の物も古くから存在し、木製から石製に変化したと考えられていました。
  この出土品はそれを裏付けるものです。

  平安時代の「餓鬼草子」に見える板碑・笠塔婆と同じ形をしていて、描かれた墓地の風景が実在していたことが明らかになりました。
 131
中世墓の第一級資料
上に記述
野々江本江寺遺跡
地下水の枠湿地から木製板碑・笠塔婆出土

国宝「餓鬼草子」第四段の部分
木製笠塔婆杉製の竿(さお)と翌檜(あすなろ)製の額(がく)。
付近の地図 木製板碑
ヒノキの板材から作られた。

頂部は三角形で、下部が切断されており、

元は2mを超える高さだった。
額には金剛界大日如来を表す梵字「バン」が刻まれている。
 





 140白山市 宮保館遺跡  宮保B遺跡 鎌倉~室町時代 白山市宮保町  01



 二重の堀が巡る中世の館
  手取川扇状地にある中世の館の遺跡で、館は二重の堀に囲まれていました。中心にある内郭は、幅40m、周囲を幅5m深さ1mの内堀が巡ります。
  内部は一部しか調査されていませんが、大型の掘立柱建物が見つかっています。
  
  幅4mの外堀に囲まれた外郭は、1町 (約109m) 四方の敷地になるようです。外堀の外側にも屋敷が広がり、館の西側の屋敷地では木棺を納めた墓が
  見つかりました。この墓には、烏帽子や鉄刀などが副葬されていました。

  「宮保」の地名は中世にさかのぼり、在地領主の笠間氏がこの付近にあった京都南禅寺の荘園 (笠間東保) の地頭をつとめたこともありました。
  館の主はこの笠間氏とみる説があります。
 141
二重の堀が巡る中世の館
上に記述

宮保館跡

烏帽子が発見された木棺墓
遺跡周辺地図 遺跡概念図
 142

中国製、白磁碗・青磁碗
青磁皿

瀬戸美濃灰釉碗
東海地方産の陶器

瀬戸美濃灰釉合子
東海地方産の陶器

碁石
囲碁は13世紀に武士の間に普及した
 143木棺墓の副葬品

鉄刀
土師器皿 烏帽子 絹に漆が塗られ、頂部が折れた折り烏帽子。

武士が被ったので、サムライ烏帽子とも言う。

2点が重なって出土。
烏帽子 烏帽子を被る中世武士
一遍上人絵伝
巻七
 





 150七尾市 七尾城跡 戦国時代 16世紀 七尾市古城町古屋敷町竹町入会字大塚14番124・125番地



 北陸最大級の中世山城
  七尾市の中心部から南東約4kmにある戦国時代 (16世紀) の山城です。

  能登国の守護、畠山氏の居城として築かれましたが、1577 (天正5) 年に上杉謙信によって攻め落とされました。
  標高300mにある本間跡を中心に、南北約2.5km東西約1kmに及ぶ広大な城です。

  北西側の山麓には穏やかな斜面が広がり、ここに城下町がありました。
  発掘調査で、城へ向かう砂利敷きの道路「大手道」や道に並ぶ屋敷跡が見つかりました。
  また、外側の防御施設にあたる惣構の堀と切岸(人口の急斜面)も確認されました。

  惣構の外側には、町屋の跡が広がっていました。城下町に金工や鍛冶などの職人がいたことを示す出土品が発見されています。

 151
北陸最大級の中世山城
上に記述

七尾城跡 城下を通る
大手道

七尾城中心部の
レーザー測量
線刻画硯
硯の裏面に線刻された絵
遺跡地図 中国製円面硯
瀬戸美濃灰釉香炉、
東海地方産
瀬戸美濃天目茶碗
中国製を真似た
東海産陶器

青磁花生、中国製

瀬戸美濃灰釉皿
 152
 153
黒漆塗 革小札こざね
革の小板をとじ合わせた鎧の一部

革製鎧の一部

鉄砲玉、鉛製
白磁八角坏 中国製

鉛製 鉄砲玉
 154

赤漆塗鎧部品

フイゴ羽口

金箔
金溶解るつぼ

鉄滓
 





 160加賀市 九谷磁器窯跡 江戸時代  加賀市山中温泉九谷町

 石川を代表する焼物、九谷焼の窯
  江戸時代に九谷焼を生産した窯の遺跡で、大聖寺川の上流部にあります。昭和45-46年調査で、1・2号窯跡が江戸時代前期(17世紀)と判明しました。
  また、江戸寺だ前期の絵付窯跡や、江戸時代後期(19世紀)の吉田屋窯跡も確認されています。

  近年の調査で、窯の南側で作業場とみられる造成地と溝が見つかりました。石を組んで丁寧に作られた溝から、磁器の原料となる陶石や絵付けの
  顔料となる朱石が多量に出土しました。ここで水を使いながら陶石や朱石を砕いて、素材を精製したようです。

  長年に渡る調査の結果、素材の準備から窯での焼成まで、遺跡の中で磁器生産の様子が具体的にわかるようになりました。

 161
石川を代表する焼物
九谷焼の窯
上に記述

九谷陶器窯跡

顔料の素材となる朱石が大量に堆積
遺跡概念図 遺跡地図
 162

青磁透文四方鉢

白磁鳳凰文台鉢

染付梅鉢文皿

染付椀
 163

匣鉢、窯で灰から焼物を保護する容器
匣鉢蓋、内側に動物状の線刻画あり
色絵磁器
赤や緑の釉で彩られた皿の破片
刻銘素焼方形鉢 吉田屋窯跡から出土。

吉田屋窯の創業の年にあたる文政7年(1824)や大聖寺九谷の銘がある。

朱石、赤鉄鉱
陶石、磁器の原料
トチン
窯で焼物や匣鉢(さや)などを載せる台
 





 170小松市 大川遺跡 江戸時代 小松市大川町2丁目45



 小松城下の町屋を発掘
  小松城下の北東側にある遺跡で、すぐ北側に梯川 (かけはしがわ) が流れています。この辺りはかつて泥町と呼ばれ、洪水の被害を受けやすい場所
  でしたが、梯川の舟運と城下町の中継地になっていました。

  小松で初めて城下町の遺構が広範囲に確認されました。見つかったのは、北国街道の路面、城下町の外周を巡る堀(新町掘)、堀に掛る橋(小橋)、
  10軒以上の町屋です。

  2万点以上出土した陶磁器の中に、江戸時代前期(17世紀)の九谷焼の磁器37点が含まれていました。北国街道に沿って並ぶ町屋の内、1軒の屋敷跡から
  九谷焼を含む陶磁器が集中して出土しました。ここに焼き物の商店があり、九谷焼も販売されていたようです。

 171
小松城下の町屋を発掘
上に記述

梯川と大川遺跡

大川遺跡、砂利舗装された北国街道
遺跡周辺地図 大川遺跡 江戸中期
 172九谷焼破片
 





 180金沢市 金沢城下町遺跡 (東兼六町5番地区)

  加賀藩士が眠る墓地
兼六園の東側約200mにある東兼六町5番地区では、崖地の崩壊対策のため、江戸時代の墓地跡が発見されました。小立野寺院群の鶴林寺と雲龍寺の
墓地跡で、いずれも加賀藩の中・下級武士の菩提寺だったので葬られた人には藩士が含まれていたとみられます。

埋葬施設は230基も見つかりました。埋葬方法には土葬と火葬があり、土葬が6割以上を占めています。土葬では木棺や大甕に被葬者が納められ、
火葬には臓骨器が用いられました。

墓には様々な副葬品が納められていました。最も多くの墓から出土したのは、三途の川の渡し賃とされる六道銭です。
女性の墓には、櫛や簪(かんざし)、ままごと道具とみられるミニチュアの食器類が納められたようです。

 181
越前大甕

棺に使われた大甕
福井県産
加賀藩士が眠る墓地
上に記述
金沢城下町
急傾斜地に営まれた江戸時代の墓地跡
金沢城下町遺跡
重なるように埋められた甕棺
遺跡周辺地図
 182

信楽四耳壺、骨壷に使われた滋賀県産

骨臓器、骨壷専用

鼈甲製櫛・簪。亀の甲羅金箔絵が施された

鼈甲製眼鏡 (べっこう)
凸レンズの遠視用

柄鏡、江戸時代に広く使われた銅製鏡
 183

・土人形、反り気味の姿勢は金沢土人形の特徴

・ミニチュアカマドと羽釜
ままごと道具
・ミニチュア急須、ままごと道具

寛永通宝、六道銭として
磁器水滴、獅子形水差し
ミニチュア染付椀、ままごと道具
     





 190金沢市 史跡金沢城跡(玉泉院丸庭園・鼠多門) 江戸時代金沢市丸の内1-1



 加賀藩主前田家の居城
  金沢城は、1583(天正11)年に前田利家が城主になってから明治まで、前田家の居城になっていました。
  平成9年から公園整備のための発掘調査が行われ、その成果に基づいて櫓やぐら・門・堀・庭園などの復元が進められています。

  玉泉院は、城の西側にある曲輪です。1634(寛永11)年に藩主の前田利常が京都から庭師を招き、ここに大規模な庭園を造りました。
  発掘調査で、池や滝石組など、庭園の遺構が確認されました。

  鼠多門は、玉泉院丸の北西側にあった城門です。明治17年に焼失しましたが、近年の調査で、門の礎石や門から上がる坂道、
  門の外に架けられていた橋(鼠多門橋)の跡が発掘されました。

  門の上にあった櫓の海鼠壁 (なまこ) に貼られていた漆喰腰瓦が出土しています。
 191
加賀藩主前田家の居城

上に記述
金沢城跡

玉泉院丸庭園の色紙短冊積石垣と滝石組

色紙短冊積石垣下の滝壺
色紙短冊積石垣
玉泉院丸庭の北東側にあり、正方形や長方形、多角形の切石が巧みに積み上げられた石垣。

上部にある石樋から、水が石垣下の滝壺に流れ落ちる。
滝壺からあふれた水は、下の斜面にある滝石組へ流れて、池に注ぎこんだとみられる。 石製水鉢

玉泉院丸庭園の池から出土。戸室石製で片口。庭石の一部。
石製水鉢
 192
金沢城跡 鼠多門
鼠多門と鼠多門橋
遺跡周辺地図
金沢市丸の内3
海鼠漆喰

鼠多門の海鼠壁に貼られていた。
海鼠壁は黒かったとみられ、門の名の由来となった可能性がある。
海鼠漆喰
腰瓦

鼠多門の海鼠壁に貼られていた。
鉛瓦(軒丸瓦)

鼠多門出土。

木製瓦に2mm厚の鉛が被せられている。紋様は前田家の家紋である
梅鉢紋である。
 





 200金沢市 宝町遺跡 江戸時代  金沢市宝町

 加賀藩士の与力の屋敷跡
  金沢大学の宝町キャンパスと付属病院の地下にある遺跡です。
  この辺りはかつて与力町と呼ばれ、江戸時代には加賀藩士の与力(有力武士に従属する中級藩士)が集住していました。

  この遺跡では、江戸時代の与力の屋敷跡や小立野寺院群の経王寺・如来寺の寺域を囲む溝などが見つかりました。
  江戸時代に日常生活で使われた様々な道具が出土しています。

  多量に出土した陶磁器には、九谷焼も多数確認されました。江戸時代後期の再興九谷は、加賀藩の殖産興業として、1807(文化4)年に
  金沢の卯辰山の春日山窯で焼かれました。この春日山窯や小松の若杉窯の製品が出土しています。

 201
加賀藩士の与力町の
屋敷跡
上に記述

病院の地下に眠る宝町遺跡

宝町遺跡
発掘された遺構と江戸時代の屋敷地
遺跡周辺地図
九谷暦手碗、

若杉窯の製品で1年間の暦が記される。

右は文政2年(1819)、左は同4年。
正月行事用
九谷色絵碗
春日山窯。底に「金城製」の銘。

九谷染付椀
春日山窯。底に「金城文化年製」の銘
焼塩壺、粗塩を焼いて上質の塩を作る容器
漆器椀、蓋に扇や鈴の金彩が施された

土人形
天神堂の人形・鏡・太鼓なども出土

コマ
中央の穴に木の軸を通してまわす

キセル
雁首と吸口

着色の残る下駄