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    発掘された日本列島2017   2  2017.11.21-1

  安城市歴史博物館1  愛知県安城市安城町城堀30  0566-77-6655 月休 撮影可

   倭人発見!!―東海の人面文と安城の人面文―
      発掘された日本列島2017―安城市会場の地域展

 交通 ・JR安城駅前から「アンクルバス1番系統」で行けますが、便数・運航時刻が大変不便です。
      博物館からの帰路に利用するのが最適です。  ※アンクルバス=タウンバス

     ・タクシーは駅から2km以内なのに1500円以上です。凄く高い。普通は800円程です。
     ・歩いて行けます。私は、歩いていきました。足の悪い私でも、2.0km20分以内に着きました

 見所 人面文土器
 
 感想 この館はとても興味深い研究をされていて、
     2014年の特別展「大交流時代ー鹿乗川流域遺跡群と古墳出現前夜の土器交流」の図録では、先史時代の東アジアとの交易や、

     国内における物流などを詳細にまとめた素晴らしい冊子でした。
     ただ、その「交易地図」の写真が、不鮮明ながら写っています。何かの参考になるかと存じます。




01外観

100 特別展
東海の人面文と安城の人面文

130第3章 安城の人面文土器
  人面文壺型土器と亀塚遺跡

135亀塚遺跡出土品
138亀塚遺跡の外来系土器

140 第4章 三河最大級の集落群
   鹿乗川流域遺跡群

 南群の遺跡
  (弥生中期〜古墳時代)

141寄島遺跡出土物
  木製品
145姫小川古墳
  下懸遺跡


 北群の遺跡 (弥生前期〜)

147鹿乗川流域遺跡群
148外来系土器と地域間の交流

考察 各地からの移民

149地域による土器の違い
151鹿乗川流域遺跡群の外来系土器

190人面文壺形土器
193人面文壺形土器 亀塚遺跡
195線刻土器

198塚下遺跡
199弥生時代の鳥と農耕祭祀



300
 安城市埋蔵文化財センター
310安城市内遺跡発掘調査報告展

311長先遺跡
312桜皮巻き小型壺形土器
313方形周溝墓群
314安城市内出土土器
320桜井城跡 戦国時代

330姫小川古墳
332三河の埴輪の変遷

333中世の遺物
345坂戸・三本木遺跡
348前期から後期の土器

350弥生土器
351安城の先史時代年表
  埋葬土器
353後期-終末期の土器
354銅鐸形土製品
  銅鐸鋳造技術

 
 01外観 この大変立派な博物館は、一個の人面文土器が発掘されたことをきっかけに建てられたものです。
駅から歩き手前の駐車場入口から入る通用口 中は広い庭でオブジェやモニュメントがある
奥がタワーモニュメント
右が列柱ならぬ
列壁モニュメント
回遊式庭園になっている 右正面が建物の入口 ここが正面玄関口
アンクルバスの停留所もある
 


 弥生時代






 100東海の人面文と安城の人面文

  ごあいさつ
   昭和52年(1977)安城市東町の亀塚遺跡第2次調査で、人面を描いた壺型土器が発見されました。

   人面は瞳のない目、耳飾りなどの精緻な表現で描かれており、その中でも目から頬にかけて描かれている弧線は、
   「魏志倭人伝」の「男子無大小黥面文身」と一致し、和人の習俗を表すきっかけとなり、国の重要文化財に指定されました。

   今回の地域展で、東海地方の人面文と人面文壺形土器が出土した亀塚遺跡を含む鹿乗川流域遺跡群(かのりがわ)について紹介します。


  お断り
   これまで、黥面文身を、「げいめんもんしん」だと思っていましたら「ぶんしん」だそうです。 でも、「紋身」が正しい記述だからと思っていました。
   ネット上でも紋身と入れると刺青だとか出てきます。「文身」は誤植だろうと思っていましたら、なんと、1kmほど離れた所に「文身」と書いた
   店がありました。「紋身」→「文身」に表記が変わったようです。しかし、「ぶんしん」と入れても「文身」は出てきません。きっとやはり誤謬でしょう。



  101会場入り口

発掘された日本列島
2017安城会場
詳細を知らせるポスター 地域展 和人発見!!
東海と安城の人面文
こあいさつ
上に記述
地域展展示会場
地域展、倭人発見は
第1章〜4章で構成。
ただし、撮影禁止
「発掘された・・」の地域展は、撮影可が普通 。

あの秋田県立博物館でも可だった。

これだけ重要な展示物が見るだけなんて、、

聞いてないよ〜!
 
 おことわり
    安城市歴史博物館-地域展- 「東海の人面文と安城の人面文」展は、全4章からなっていますが、
    そのうち、東海の貴重な人面文を集めた、第1章、第2章は、撮影禁止でした。

    従って、ここに撮影・掲載した第3,4章は、全て、安城市歴史博物館のものばかりです。つまり、元々撮影可の常設展示のものです。





  130第3章 安城の人面文土器 (弥生時代・亀塚遺跡の土器)

  人面文壺型土器と亀塚遺跡
    1・2次調査では、野外炉や杭列、が出土するも、住居址は未検出。

    遺跡からは、人面文壺形土器をはじめ多数の線刻土器外来系土器銅鏃竪櫛鳥形土器など豊富で多様な遺物を検出。
    特に線刻土器については鹿乗川流域遺跡群の中でも突出して多く、人面文壺形土器と併せて国重要文化財となりました。



   133亀塚遺跡

人面文壺型土器と
亀塚遺跡
亀塚第2次調査 現場風景 土器 出土状況
   135 亀塚遺跡出土品
第3章の展示物
安城市出土在地系土器
三河在地系土器

弥生終末期〜古墳前期

三河地方の在地土器は
壺・甕・高坏・鉢が主要な器種
甕/弥生終末期

三河甕の特徴は、口縁部が「くの字」に屈折し、台が付く

器台・高坏
※安城市は三河地方なので、

 安城の在地系土器とは、
 三河系土器となります。
   136亀塚遺跡出土品 
壺/東遠江系
弥生時代終末期

東遠江系の影響は、口縁の端を折り返していること、文様に縄文が用いられていること。

ただ、製作技法や胎土は三河地方のものです
ポイント解説
東遠江系土器とは

壺や鉢の口縁の端部を短く折り返した
「折り返し口縁」や、
「イチジク」のような形で、体部に縄文を施すなどが特徴的です。
壺/東遠江〜駿河系
弥生時代終末期

口縁の一部を打ち欠き、胴下半部に穴をあけていて、完形のまま横倒しに埋まっていたので、土器棺と思われる。
土器の形状や文様から東遠江から駿河の影響を受けた土器と思われる。
  137亀塚遺跡出土品

桜皮巻き小形壺形土器
ミニチュア土器
桜皮巻き
小形壺形土器
ミニチュア土器 石杵/弥生終末期
鳥形木製品/弥生終末
   〜古墳前期
竪櫛/弥生終末期
・桃核/弥生〜古墳前期
・クルミ
・ドングリ
   桜皮巻き
   小形壺形土器
    弥生終末期

小型の壺形土器を幅4〜6mmの桜の樹皮で籠状に編み包んでいます。これだけ植物質が残るのはごく稀です。
 ミニチュア土器 
    弥生終末期

ミニチュア土器は、普通の土器よりも小さく作られています。

 祭祀に用いたと考えられています。
石杵
 擦り減った面に僅かに水銀が付着していたことから、水銀朱を磨り潰す道具と考えらます。

水銀朱の原産地が限定されていることから他地域から持ち込まれたものと考えられます。

鳥形木製品
弥生終末期〜古墳前期
薄板を鳥形に切り抜いたもの。棒に挿して使用。古代朝鮮の農耕祭祀場に立て並べた鳥竿に付けた説や、墓・住居の境界に並べた説などがあります。
竪櫛
  弥生終末期
竹ひごを折り曲げて櫛歯としています。折り曲げる部分を糸で束ねて黒漆を塗って固められています。束ねた髷(まげ)をヘアピンのように止める為に使用されたものと思われます。 
桃核
 は時代によって形状や大きさが異なります。

亀塚遺跡からは、弥生時代から古墳時代前期にかけてのモモ核が多数出土しています。 
  138亀塚遺跡の外来系土器
南関東系土器 高坏/畿内系
    壺口縁/南関東系
    弥生時代後期

折り返した口縁部に縄文を装飾として多用することが南関東(房総半島ないし東京湾岸)の特徴です。
   ポイント解説
南関東系土器とは?

折り返した口縁部分や胴部に縄文を装飾として多用することが特徴の1つです。
高坏の脚/畿内系  
  弥生終末期

高坏の裾の部分が大きく外に開く形状が畿内系の影響を受けています。 
 




  140第4章 三河最大級の集落群 鹿乗川流域遺跡群

 鹿乗川流域遺跡群とは、
  岡崎市島坂町から安城市木戸町にかけての鹿乗川・西鹿乗川流域の南北約5kmに所在する遺跡群の総称です。

  遺跡群は亀塚遺跡以北の遺跡(北群)と姫下遺跡以南の南群に分けられます。
      (北群は弥生前期より、 南群は弥生中期よりの遺跡)

 鹿乗川流域遺跡群西側の碧海台地上には18基からなる桜井古墳群があります。 
鹿乗川流域の遺跡地図
   鹿乗川流域遺跡群では、弥生時代から平安時代まで、一部空白の時代はあるものの、多くの時期で遺跡や遺物が見つかっており、
   集落が長く継続していること、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、多数の外来系土器を含む大量の土器や木製威儀具をはじめとした、

   特殊遺物が出土していることから三河を代表する遺跡群の一つとされています。




 南群の遺跡 (弥生中期〜古墳時代) 木製品の生産遺跡

  南群は、姫下・寄島・下懸・五反田・加美・惣作遺跡の6遺跡からなります。
  北群の遺跡同様、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて最盛期を迎えます。

  南群の遺跡からは多くの木製品が出土しています。未成品や原材料もあり、木製品の生産がおこなわれていたことが指摘されています。
  また、上位階層者の存在を示す威儀具など特殊な木製品も各遺跡から出土しています。

  姫下遺跡では、古墳時代前期の近畿布留式土器の影響を強く受けた土器群が出土しています。周辺の遺跡にはない特徴として注目されます。
  また、付近には古墳時代前期の築造と考えられている全長約66mの前方後円墳の姫小川古墳があり、姫下遺跡は姫小川古墳の築造と
  密接に関わりがあると考えられています。


  141寄島遺跡出土物

三河最大級の集落群 
鹿乗川流域遺跡群
上に記述
鹿乗川流域遺跡群
北・南群の遺跡図※
鹿乗川流域遺跡群
―南群の遺跡―
上に記述
掘立柱建物 寄島遺跡 
井戸出土状況
      ※図は展示写真を「博物館ニュース2014.1月号91」掲載の図に置き換えて修正しました。


井戸枠/古墳時代前期
寄島遺跡
甕/北陸系/弥生終末期下懸遺跡
線刻土器/壺
北陸系/弥生終末期下懸遺跡
壺の体部に線刻あり
高坏/北陸系/弥生終末期/下懸遺跡
下懸遺跡も亀塚同様
線刻土器が多い
高坏/北陸系/弥生終末期/下懸遺跡


 木製品

 台輪
   高床式建物の床を支える台輪と思われます。2枚1組で直径60cm程の柱を挟むものですが、その柱は未検出です。
   これが台輪であれば、大型掘立柱建物の存在が想定されます。

   鹿乗川流域遺跡群では、姫下遺跡、北群の宮下遺跡でも同様の木製品が出土しています。
   ※南群の遺跡は木製品製造工房ですから、巨大台輪は他所の大型掘立柱建物の建設のために作られたのかもしれません。

 千木
 格式高い掘立柱建物の屋根につけられた千木です。同様の千木は姫下遺跡や下懸遺跡でも出土しています。

・船形木製品/下懸/
・用途不明木製品/
      惣作遺跡
弥生終末〜古墳前期
・腰掛/下懸遺跡
・カゴ底板/惣作遺跡
弥生終末期〜古墳前期
千木/釈迦山遺跡
弥生終末期〜古墳前期
千木
台輪/下懸遺跡
弥生終末〜古墳前期
台輪 台輪 千木 引用wikipedia




  145姫小川古墳

姫小川古墳遠景 姫下遺跡B区南 姫小川古墳の木製品


 下懸遺跡

舷側板/下懸遺跡
弥生終末〜古墳前期
船の側面に取り付けた板。等間隔に穴があり、
舷側板
 舟には、丸木舟準構造船構造船があり、
積載容量の少ない丸木舟のふちに板を立てて大きくした船を準構造船と言い、その板を
舷側板という。

構造船は全て板を繋ぎ合せて作った船。
準構造船
穴には桜の樹皮(防水用詰物)が残っていた
舳先(へさき)堅板(波切り板)
 舟は、舳先の高さまでの波に耐えられ。
普通の丸木舟は川舟程度にしか使えない。

外洋航海には高い波切り用の舳先を付け、更に
準構造船では、船内に波の侵入を防ぐため、
舷側版の先に波切り板を取り付けた。


用途不明木製品下懸遺跡/古墳前期 脚付槽/下懸遺跡弥生後期〜古墳前期 は、食べ物を入れて複数人が手づかみで食べる食器です。

その食槽に脚が付いている、ちょっと上等なのかもしれません。
管玉/勾玉/ガラス小玉
姫下遺跡/古墳前期








 北群の遺跡 (弥生前期〜)

   北群は、亀塚遺跡以北の遺跡を指します。調査が行われてきましたが、遺跡範囲と当時の集落範囲が一致しないため、複数の遺跡をまとめて
   8つの区域に分けて理解されています。集落は弥生時代前期から継続的に営まれていました。

   ただ、弥生末期から古墳時代にかけての土器が大量に出土することから、この時期に最盛期を迎えたと考えられます。
   北群には、古墳時代前期に築造されたと考えられる全長68.2mの前方後円墳、二子古墳があります。


  147鹿乗川流域遺跡群 北群

鹿乗川流域遺跡群
-北群の遺跡-
二子古墳 壺と壺蓋 

壺蓋/塚下遺跡/弥生終末

壺/本神遺跡/弥生終末

器台・甕/塚下遺跡/弥生終末

甕/近江系/弥生終末期
釈迦山遺跡

壺/塚下遺跡/弥生終末

    近江系土器   特徴的なものとしては、口縁が短く上に屈折する受口状口縁で、外面に文様がつけられる平底甕があります。



  146姫下遺跡  古墳時代前期
    姫下遺跡では、古墳時代前期の畿内系土器群が出土しています。周辺の遺跡には見られない特徴で、姫下型土器群と称されます。
竪穴住居群 土師器 浅鉢・高坏・器台 壺(柳ケ壺形) S字口縁甕・高坏







  148外来系土器と地域間の交流

  弥生時代終末期から古墳時代にかけて各地域の拠点的な集落では、他地域の土器 (外来系土器) が多く出土することがわかっています。
  この動きは日本列島規模で、本来の土器分布を越えて流出流入を確認することができます。

  土器の交流とは、土器を介した人々の交流を表してます。その背景や実態は様々で、土器そのものの移動だけでなく、土器をつくる人の移動や
  遠隔地の土器の特徴をまねて作るなどが考えられます。

  土器の地域色や製作技法、胎土のこまかな研究を進めることによって当時の社会背景に迫るきっかけとなります。

  鹿乗川流域遺跡群では、外来系土器が、ここ、東海地域の中でも特に際立って、多く出土しています。

  中でも、台地上の環濠集落であるところの、
   本神遺跡から畿内X様式系の叩き甕が、
   中狭間遺跡では北陸系土器が、
   姫下遺跡では畿内布留系土器が  まとまって出土しており、遺跡ごとにその時期や、地域、器種は異なっている点も指摘されています。


 考察
 各地からの移民
  この現象は、各地に入植した半島系移民が、更に二次的な移住としてやって来たようです。
  しかし、こんな狭い地域に、全国各地からやって来たのは、それほど当時の移民の定着は不安定で流動的だったのでしょうか。

  それとも、各地域の支配者が計画的に植民をして支配地域を拡張しようとしていたのでしょうか。
  それとも単に、同時、この乾燥台地の麓が、未開拓だったからだけなのでしょうか。それとも、他の魅力があったのでしようか。

外来系土器と地域間の交流について
本神遺跡環濠
本神遺跡環濠

本神遺跡は台地上の環濠集落です

環濠からは弥生後期の畿内系の叩き甕が多数出土し、その数は東日本屈指の量です。
鹿乗川流域遺跡出土
外来系土器

ピンボケ
 





  149地域による土器の違い 引用「博物館ニュース2014.1月号91

西三河の「くの字」甕 北陸の「5の字」甕 南関東系土器 南関東系土器久ヶ原式土器

 弥生時代後期の集落跡から出土した。

 羽状縄文や沈直線、朱彩などの施文要素で美しく飾られた形態的にもみごとな土器。

  引用久ヶ原遺跡久ヶ原式土器

  151鹿乗川流域遺跡群から出土した外来系土器
甕/近江系/弥生終末期
橋下遺跡/弥生終末
釈迦山遺跡/弥生終末
ポイント解説
近江系土器とは
下に記述
甕/北陸系//弥生終末

中狭間遺跡/弥生終末
ポイント解説
北陸系土器とは
下に記述

 ポイント解説
・近江系土器 特徴的なものとしては、口縁が短く上に屈折する受口状口縁で、外面に文様が付けられる平底甕があります。
 
・北陸系土器 口縁の断面形が数字の5の字のように屈曲する「有段口縁甕」が最も特徴的なもので、鹿乗川流域遺跡群でも多数出土しています。
口縁に段を有する者は甕だけでなく、壺や鉢にもみられ、その外面には「擬凹線文」と呼ばれる櫛のような工具で引っかいたような
    文様があるものが多いことも特徴です。

  152
甕/畿内系/
弥生終末

本神遺跡
弥生終末

本神遺跡/弥生終末
ポイント解説
畿内系土器とは下に記述
高坏/西濃系/
弥生終末

亀塚遺跡/弥生終末
中狭間遺跡/
弥生終末
ポイント解説
西濃系土器とは
下に記述

 ポイント解説
・畿内系土器 特徴的なものとしては、叩き甕があります。作る時に、形を整えるための羽子板状の工具(叩き板)を用いて外面を叩き締める
      「タタキ」調整が行われた甕です。土器の外面に工具の跡が残っています。
      本神遺跡の環濠からは多くの「叩き甕」が出土しました。
 
・西濃系土器 西濃系の特徴は加飾です。周辺地域の土器の文様がなくなっていく現象とは逆行して、高坏内面や壺・器台などに
多数の線や刺突文、山形文、連弧文など多用な文様を組み合わせて加飾します。

  153
瓢形壺/伊勢系/
弥生終末/
鹿乗川流域遺跡群

鹿乗川流域遺跡群
弥生終末
ポイント解説
伊勢系土器とは
伊勢系の土器とは
壺/尾張系/弥生終末

本神遺跡・?・?
ポイント解説
尾張系土器とは尾張系土器とは

 ポイント解説
・伊勢系 特徴的なものとしては、口縁の断面形が「S字状」に屈曲する「S字状口縁」です。
      また、ヒョウタンのような形の瓢形壺 (ひさご) に貝殻の縁を用いて弧状の文様を施すことも伊勢系の特徴とされています。
 
・尾張系 壺形土器の外面に華麗な赤彩を施した「パレススタイル壺」は尾張系の代表的な土器です。
口縁の部分を拡張して足形化した装飾を加えています。赤彩する位置も定まっています。





 190人面文壺形土器




 193人面文壺形土器 亀塚遺跡 弥生終末期

  壺形土器の体部に卵形の輪郭、瞳のない目、ヒゲまたはイレズミのような線刻が見られます。
  耳には耳飾りと思われる飾りが描かれています。非常に精緻で残りも良く、弥生時代の習俗をあらわす第一級の資料です。

人面文壺形土器 人面文壺形土器
亀塚遺跡
弥生時代終末期
人面文壺形土器

  195線刻土器
直弧文を描画。古墳前半期に特徴的な文様 線刻土器。亀塚遺跡
弥生終末〜古墳前期
 
壺/寄島遺跡/古墳前期
底部に木葉痕
線刻土器//

線刻土器/古墳前期
姫下遺跡
下懸遺跡
線刻土器/古墳前期
下碧遺跡/釈迦山遺跡
線刻土器/古墳前期
姫下遺跡
下:直弧文を線刻

壺/寄島遺跡/
古墳前期
体部に三角形の線刻
 


  197
 用途不明木材
  同様の木製品に類例がなく、用途不明。端部に鋸歯文を施し、更に黒漆が塗られている。

 団扇形木製品
  中国に起源があり、獣毛や鳥の羽を2枚の板に挟んで祭祀の際に使用したと考えられています。
  畿内を中心に分布しますが、これは畿内のものとは細部の形態等が異なることから、
  
  鹿乗川流域遺跡群で製作された可能性が高いと考えられています。 ※貴人の存在を裏付
用途不明木製品
寄島遺跡/古墳前期
用途不明木製品
上に記述
団扇形木製品/うちわ
惣作遺跡/古墳前期
上に記述
団扇形木製品/うちわ


 短甲
  装飾的な甲の胴部の破片と考えられています。外面には文様を装飾し黒漆を塗り、内面は全面赤漆を塗布。

 
  直径2mmの穴の列が約3cm感覚で並び、この穴に糸や紐を通して縦割れを防ぐと共に、装飾効果を持たせていた。
  弥生後期の木製盾として一般的なもの。
木製短甲/木製盾
下懸遺跡/弥生後期
短甲
上に記述
短甲 盾/釈迦山遺跡/
弥生後期
上に記述
短甲内部の赤漆塗装 


  198塚下遺跡

塚下遺跡/
木組遺構出土状況
塚下遺跡木組遺構
流路と土坑の間に木組み遺構を検出。
同様の遺構は三重県津市の六大A遺跡や一宮市の八王子遺跡でも
見つかっている。

水を溜める穴を木組みで流路から保護した施設ではないかと考えられている。
木製品 銅鏃

銅鏃/塚下遺跡/用途不明
木製品に刺さっていた。
銅鏃/亀塚遺跡/古墳前期

用途不明木製品
弥生終末期/塚下遺跡
銅鏃が刺さっていた

箱型容器/弥生後期
中狭間遺跡

十能形容器/弥生後期
中狭間遺跡

衣笠(蓋)/鹿乗川流域遺跡群
弥生終末期〜古墳時代前期
大傘の上に取り付けて飾りを付ける道具

 きぬがさ(衣笠、蓋)
  「貴人に差し掛ける日傘である、大傘」の、上に取り付けて、飾りを付ける道具。 
   大傘は、寺院神社や、葵祭時代祭などの行列などで使われている。




 199弥生時代の鳥と農耕祭祀
    弥生時代には鳥は絵画のモチーフとして多く扱われています。
    鳥は穀霊(稲魂いなだま)や死者の魂を運ぶ特殊な存在として稲作農耕文化の伝来と共に神聖視されていたことが想定されています。

    弥生時代から古墳時代前期の農耕祭祀と鳥との関連をうかがわせる資料として線刻土器や
    鳥形木製品、鳥形土器といったものがあります。鳥形製品は、中国地方東部から東海地方にかけて分布します。

    鳥形木製品は、棒に挿して使用したと考えられています。古代朝鮮で行われていた農耕の祭りの際に
    祭祀場に並べられた「鳥竿」に取り付けられたという説や、墓や住居の場の境界に意識的に並べられたのではないかという説もあります。

    鳥形土器は、液体を入れる容器であり、こちらも農耕祭祀の場で使用された道具の一つではないかと考えられています。

弥生時代の鳥と
農耕祭祀
・器台結合形土器/
   弥生終末期 /
   鹿乗川流域遺跡群

・ミニチュア土器/
   弥生後期/本神遺跡
・ミニチュア高坏/
   弥生後期/本神遺跡
鳥形土製品鳥形土製品/弥生後期
彼岸田遺跡/古井堤遺跡
鳥形土製品
鳥形土製品/弥生後期
下橋下遺跡/古井堤遺跡
 
 特別展 東海の人面文と安城の人面文 を終わります。








 300安城市埋蔵文化財センター

  310平成28年度 安城市内遺跡発掘調査報告展


  311長先遺跡
安城市埋蔵文化財センター
調査遺跡位置図 長先遺跡
弥生中期後葉の方形周溝墓群を発見。方形周溝墓から、ほぼ完形に復元できる弥生土器が出土しました。
遺物出土状況 遺物出土状況 遺物出土状況 遺物出土状況


  312桜皮巻き小型壺形土器
桜皮巻き小型壺形土器
亀塚遺跡
弥生時代終末期
昭和48年1973発見。

高12cmの壺を幅4〜6mmの桜属の樹皮で編み包んでいる。これほど植物質が残るのは希少である。 
桜皮巻き小型壺形土器 皮巻き壺 復元品
紙テープで再現
現代の花器・花瓶にもよくある装飾です。

装飾のためか、滑り止めか、他に目的があったのか、、
 なんでしょう。


 313長先遺跡 縄文中期後葉

   長先遺跡は、油ヶ淵に注ぐ朝鮮川の左岸、碧海台地上に位置します。
   過去に、縄文時代から鎌倉時代までの遺物が採集されたことから、遺跡の存在が知られていました。
   しかし、これまでの調査では、遺物がほとんど出土せず、明確な遺構も見つかっていません。

   今回、開発計画に伴う調査の結果、弥生中期後葉約2100年前 の土器が出土する方形周溝墓を確認しました。
   一辺6m前後ですが、それぞれ大きさや形状が異なることから、全てが同時に造られたのでなく、築造時期にはやや時間差があるようです。

   朝鮮川流域に於いて、初めてこのような墓地が確認されました。
   旧北浦(油ヶ淵)周辺の集落様相や、鹿乗川流域遺跡遺跡群をはじめとする諸遺跡との関連を考える上で興味深い成果を得ることができました。


 方形周溝墓群
   弥生時代の墳墓形式の一つ。正方形または、長方形に溝を巡らし、内側に高さ1m程の低い墳丘がある。
   墳丘は後世の削平により失われ、発掘調査時には溝のみ見つかることが多い。

   調査で確認した方形周溝墓のうち、5、6基は四隅が切れた形状でした。1基は「コ」字形、もう1基は三隅が切れた長方形でした。
   愛知県内で確認されている方形周溝墓は、四隅が切れたものから、そうでないものへと変化すると考えられています。

   今回の調査で確認した方形周溝墓群は、四隅が切れたものと、そうでないものが混在することから
   方形周溝墓が変化していく時期に作られたものと考えられます。
 313
長先遺跡
上に記述
方形周溝墓 図面 方形周溝墓 写真 方形周溝墓
上に記述

弥生時代中期後葉

弥生時代中期後葉
文様の線をよく見比べると、1本の棒で描かれた沈線と、
複数の棒を束ねて描いた櫛描きがある。
沈線の方が古い。
弥生中期後葉
甕・鉢
甕/弥生後期


  314安城市内出土土器
平成28年度 安城市内遺跡発掘調査報告展
壺/弥生中期後葉
いちぢく形の土器

甕/弥生中期後葉

壺/弥生中期後葉
まるい胴は、弥生時代中期、尾張で作られた土器に特徴的なものです。この土器は尾張の特徴を取り入れながら、在地の人が作った土器と言えます。


壺/弥生中期後葉

壺/弥生中期後葉
坂戸遺跡と三本木遺跡の甕を比べると、
随分大きく作られています。
焼けてもおらず、調理用ではないようです。




 320桜井城跡  戦国時代

  321桜井城跡
桜井城跡 大型溝完掘 竪穴建物跡完掘 大型溝完掘


  322桜井城跡 戦国時代
  調査で絵図にないV字型の大型溝を確認。幅4-5m深1.4-2m東西に70m延び、南へ屈曲。溝から戦国期 (約500年前) の鍋・すり鉢・天目茶碗等出土。
  その上層からは近世以降の陶磁器や瓦類が出土した。土層断面から、近世以降に溝が掘りなおされ、再利用されていた。

  また、古代の竪穴建物跡などが複数検出。この一帯に古代から人々が住みついていたことがわかりました。

桜井城跡大型溝の中から戦国時代の生活用品が出土 調査区 図古代の竪穴住居址が見つかる 大型溝 土層断面図
左端:奈良時代/須恵器

戦国時代:天目茶碗
仏餉具・平碗・丸皿

戦国時代:天目茶碗
・仏餉具・平碗・丸皿
・すり鉢
鍛冶関連遺物/中世 鍛冶関連遺物 箱鞴 (はこふいご)
土師皿・内耳鍋
戦国時代

羽付釜/戦国時代

 箱鞴 (はこふいご)
   調査区全体で、鍛冶関連遺物が出土しました。平成27年度の調査でも、鉄滓などが出土しています。
   鍛冶遺構は確認できませんでしたが、付近で野鍛冶などを行っていたと考えられます。

 ※野鍛冶とは、野原で小規模な鍛冶を行っているのではなく、農具・漁具・山林刃物などを扱う者を野鍛冶・農鍛冶と呼んだ。
   製鉄をするものを大鍛冶、刀(かたな)鍛冶は小鍛冶。といった。 Wiki鍛冶屋
  




 330 姫小川古墳 (前方後円墳 古墳前期 約1700年前)

  331
姫小川古墳 後円部 くびれ部 後円部 後円部土層断面
段築とは
前方部

 段築
  古墳の築造方法の一つ。墳丘の基底部を、盛り、叩き締めて平坦部を作り、そこから更に墳丘を盛り上げます。墳丘完成後には、段状に見えます。
   段築 - 土木学会



 332姫小川古墳 (4世紀前半の初期段階)
   姫小川古墳は、碧海台地の東縁部に築造された、古墳時代前期 (約1700年前) の前方後円墳で、古井町〜小川町の「桜井古墳群」の一つです。

   調査では、墳丘長約66m、葺石がなく、一部に周溝がありました。三河における古墳の出現を考える上で非常に重要な古墳です。
   古墳東側に広がる姫下遺跡などには、古墳を造営した集落があったと考えられています。

 埴輪
   桜井古墳群では、姫小川古墳の北約250mにある獅子塚古墳で埴輪が出土します。それまで桜井古墳では埴輪が未発見であったため、
   大きな発見となりました。今回、姫小川古墳でも埴輪が見つかり、再び話題になりました。

   埴輪の出土は、古墳の築造時期を知る上で重要です。この埴輪片は、三河で埴輪が作られ始めた時期 (初期) のものと考えられます。
   また、壺形埴輪の破片である可能性が指摘されています。

調査区位置図
前方後円墳
姫小川古墳

上に記述

埴輪破片

下部に壺形埴輪の透かし穴
埴輪

上に記述
4〜5世紀の埴輪の変遷
姫小川古墳は
4世紀前半の初期段階の築造
三河の埴輪の変遷
・4世紀前半 円筒・器台・壺
・4世紀後半 円筒・
  朝顔形(円筒+壺)登場
  器財埴輪 (蓋) 登場
・5世紀
  器財(甲冑)登場
  人物埴輪登場
※畿内とは少し違うwiki変遷
壺形埴輪模式図

壺形埴輪の透かし穴の位置

  333中世の遺物 姫小川城跡
中世の遺物/姫塚遺跡 中世13世紀には、姫小川古墳と隣接する姫塚古墳や姫遺跡上には集落が営まれた。

更に、15世紀頃に寺院や城郭を中心に集落が展開し、それらの遺物が出土した。

それが、山茶碗・五輪塔などである。
    (日常陶器のこと)
中世 五輪塔(水輪)

鎌倉時代
 山茶碗・小皿
 壺・瓶子類(へいし)

  姫遺跡では、火葬施設や柱穴、山茶碗 (日常生活用陶器) などが出土し、古代の、竪穴建物跡も見つかっている。

 ※五輪塔の水輪だけが出土しているのは、きっと漬物石にでもしていたのでしょうか。(笑)

     五輪塔の漬物石や、丸く加工した河原石の墓石、などを拾ってきて、お店の風鎮にするなどよく見かける話です。
     知ってか、知らずでか、、、変なことやっている人がいるのだ。





 345坂戸・三本木遺跡  弥生時代後期

  346
坂戸・三本木遺跡 竪穴建物跡
遺物出土状況
竪穴建物跡
遺物出土状況
竪穴建物跡 完掘 出土状況

  347坂戸・三本木遺跡  弥生時代後期
   遺跡は、安城市東部、鹿乗川流域に広がる弥生時代後期から古墳前期を中心とした遺跡の北端に位置し、弥生土器が出土している。

   土層堆積状況から、調査区中央部では、旧河川ないし、弥生中期に鹿乗川の氾濫原となり、それが治まった後、調査区東部分に、
   弥生後期から古墳前期の集落が形成されました。また、銅鐸形土製品が2点出土したことから、旧河川付近で祭祀を行っていたとみられます。

坂戸・三本木遺跡 銅鐸形土器出土地点銅鐸形土製品は水の祀りか。銅鐸形土製品は下の354に掲示 台付甕/弥生後期
ミニチュア台付甕
高坏
台付甕
甕/弥生終末期〜古墳前期
高坏/弥生終末期
  348中期前葉から後期の土器
甕/
弥生中期前〜中葉
弥生中期中葉
高坏・壺/弥生中期末 高坏//弥生中期末 これらの土器が作られた弥生中期頃、鹿乗川の氾濫があった。その後、坂戸・三本木遺跡では集落の形成が進む。

壺/弥生中期末

壺/弥生後期
 



 350弥生土器

  351安城の先史時代年表
安城の考古年表
旧石器〜古墳


  埋葬土器 弥生終末期〜古墳前期

穴あき土器は埋葬用
きっと二次葬、骨壺
横のは蓋だったかも

長頚壷/弥生終末期
長頚壷/古墳前期

壺/古墳前期

  353弥生土器 後期〜終末期

高坏/弥生終末期

台付甕・高坏
弥生後期

内面に赤色顔料が残存
顔料の入れ物だったと考えられます。

  354銅鐸形土製品 弥生中期末〜後期
   銅鐸の模倣製品。安城市では初めて出土。鈕孔や舞の型持ち孔、鰭も省略せず本物に忠実に似せられている。

   ※模倣銅鐸が、近畿式か三遠式かですが、脚注では言及していません。どちらか、、私は三遠式だと思いますが。わかりませんよね。

銅鐸形土製品 銅鐸形土製品 銅鐸鋳造 銅鐸形土製品


 銅鐸鋳造技術
  型持ち
   「片持ち」とは、鋳造の時の中型を支える道具です。これにより、器壁が薄く、中が空洞になるように作ることができます。
   型持ちが当てられる部分には青銅が回らず、鋳上がるとその部分だけ孔が開いたようになります。これを、「型持ち孔」といいます。

鋳造技術、型持ち
鋳型による生産
銅鐸鋳造 模式図 型持ち
上に記述
型持ち孔
  鈕
  鈕孔
  舞
  鰭
  身

  ※土製鐸型製品も銅製品と同じく、鋳型を用いて大量生産されたものと思われます。
   音が出るように土鈴にしてあるほど手が込んでいるのですから、当然、模様や彩色もあったことでしょう。

   何しろ、銅鐸信仰の簡易版ですから。いったいどんな祭祀で、どんな信仰だったのでしょう。想像は尽きません。
   水辺の祭祀にも土製鐸形製品が使われました。
 
  安城市埋蔵文化財センターの展示を終了します。