[戻る][TOP]

  中部地方の縄文1 22  2017.05.12-22

    北杜市考古資料館1/2 山梨県北杜市大泉町谷戸2414 0551-20-5505 月・祝日の翌日休館 撮影可

 掲載内容  ①史跡 金生遺跡 ②北杜市考古資料館 1F入口展示 ③2F展示室前廊下の展示収蔵庫

 交通  レンタカー

 見所  八ヶ岳南麓、山梨県北部の膨大な超縄文の考古遺物が展示されている。
       一階では、大型・中型の芸術性の高い土器が展示されている。
       二階入口では、膨大な量の土器が、当地方の土器カタログとして、各形式が並んでいる。

 注意  「吞」「呑」の二種類の文字があります。前者は環境依存文字、後者は普通の文字です。
      〇「酒場遺跡」 ☓「酒場遺跡」 

  この館では、常設展以外の、一階のロビー、二階の廊下には、垂涎の土器・土偶が展示されています。
  どちらにも御注目頂きたいため、敢て二分割しました。分量比は1対2.5になりますが、両方とも素晴らしい。
 
   このページは、Internet Explorer か、Google Chrome での閲覧で正しく表示されます。


目次

10金生遺跡

 金生の村
13復元住居
14壁立住居

50北杜市考古資料館

52一階 入口展示
 大型土器

 土器編年 (中期)

53八ヶ岳南麓の遺跡
54谷戸城八ヶ岳南麓

54入口展示2
55中型土器

60北杜の土偶
61中期前半の土偶

63中期後半の土偶

65後期の土偶1

66金生遺跡の後期土偶

68晩期の土偶

70二階展示室 入口展示

71神取遺跡出土土器
72早期

73前期
 中越式・十三菩提式

74中期前半
 五領ヶ台式・貉沢・新道

75中期前半
 藤内式・井戸尻式

76中期後半
 曽利Ⅰ式・曽利Ⅱ式
 八ヶ岳西南麓~伊那谷

77中期後半
 曽利Ⅲ・曽利Ⅳ・曽利Ⅴ

78加曽利E3式 曽利Ⅴ式

79中期~後期
 加曽利E4式・堀之内式
 
 




  (きんせいいせき)
 10金生遺跡  山梨県北杜市大泉町谷戸金生105  0551-38-2214
  検索すると電話番号がありました。無人の田んぼの真ん中になぜ? きっと役所のでしょう。

 ・縄文後期から晩期の祭祀遺跡です。八ヶ岳南麓。標高760-80m。縄文遺跡では、配石遺構、石組、埋葬施設などの複合施設です。
  この地域は縄文遺跡が濃密に分布し、北杜市大泉町でも縄文前期後半の天神遺跡等大規模集落遺跡が見られ、祭祀遺構も多い。

 ・縄文後晩期の、壁立式竪穴住居、敷石住居。方形・円形のの石組や、立石、石棒、丸石などの配石。石棺状遺構から焼骨・装身具出土。
  墓前祭祀が行われていた。引用抜粋 金生遺跡wikipedia

 ・出土物:中空土偶 石棒 耳飾り など

  11金生遺跡
八ヶ岳を遥かにする 金生遺跡周囲は田んぼだらけです 遺跡を階段の高さ分、盛土して保存しています。

 金生の村
金生の村 集石遺構は、円形・方形石組と石棺で構成する。
円形石組み内には石棒が立石する。方形にも何かの役割が想定される。

鳥取県などに、死体を川原石の間で風葬する (昭和30年代までの) 風習があった。(両墓制)

ムラがガレ場に立地し土壙が掘れず、住居も墓穴も地上に作る形になった。だから風葬したのか。
配石遺構・住居群 石組遺構・配石遺構
 
集落の全貌]
住居域の後ろに墓地群
石ころの上の祭祀集落]
瓜坊の檻/イノシシ祭祀
イオマンテがあった
 壁立式土葺構造
八ヶ岳中信高原国定公園
 
石の多い場所にムラを
形成したようです。

掘れないので壁立住居。
掘れないので石の間に、
遺体を野ざらしにしたようです
  12
円形石組
石棺
遺跡の保存と復元の方法
祭祀に用いたイノシシ幼獣の下顎骨
祭祀用石製品
土偶
土器、石斧 ヒスイ製垂飾
土製耳飾

  13復元住居
復元住居写真右側に集落域
左側が墓地群
墓地群
配石遺構、石組遺構
立石
立石
墓前祭祀は立石に対して行ったと考えられる
両墓制の例から類推すると、→ 風葬する場所は川原石のある決まった場所で、

そこにある大石を死体に載せて風葬した。
ここでも、配石遺構が無限に広がっていないことから、

何度も、同じような場所に、同じ石材を使って風葬し、合祀墓のように
立石の石棒を礼拝したのでしようか。
両墓制へのリンク
両墓制 両墓制
両墓制の謎 両墓制
両墓制とは  
両墓制・埋め墓・参り墓
両墓制集落における祭祀と埋葬の空間論
両墓制集落
両墓制(塩飽諸島など)



  14壁立住居
    地盤が掘り込めずに柄鏡型敷石があったため、壁立式住居と判定されました。


コンクリートで固めたのではなく、実際は、

低い石垣を作り、その上に屋根掛けをした。

周囲に配した垂木が地面に固定されず、

かなり不安定。屋根が低く、住みにくい

壁立ちであることを除けば、猟師小屋のようだ。

いつもしゃがんでいる。小人の国みたいだ。

しかし、この集落が
この地域にとっての 重要な宗教センター
だったようです。

北杜市の冬は-10℃以下になる寒冷地です。

また、雪も多いようです。
 







 50北杜市考古資料館





 
  51外観
北杜市考古資料館
田んぼの中にあるこじんまりとした博物館と

思っていましたが、中にはもう、たいそうな量の資料が詰まっていました。

北杜市の縄文文化を育んだ八ヶ岳が美しい。




  一階 入口展示 大型土器



 52入口展示1 大型土器


博物館入口に圧倒される程の大きく壮麗な土器が並んでいます。


藤内式/中期前半/約5千年前/蔵原東久保遺跡


曽利Ⅱ式/中期後半
約4500年前/真原A遺跡※1

曽利Ⅱ式※1


曽利Ⅱ式/中期後半
約4500年前/真原A遺跡

 ※1曽利Ⅱ式/中期後半/約4500年前/真原A遺跡
     X字状の把手が6つ付いた大型の土器です。 
     口縁部は無文で、胴部には渦巻文・J字状等の文様が付けられています。地文には縄文が付けられています。
     高さは約73cmです。

     この土器は、住居跡の出入り口部に埋甕として逆位に埋められていました。底部と胴部には穴があけられています。
     展示では、倒れにくくするために、出土状況のように逆さまの状態で置いています。

 52


曽利Ⅱ式/中期後半約4500年前/真原A遺跡

※2

※2
※2曽利Ⅱ式/中期後半約4500年前/真原A遺跡

 X字状の把手が4つ付いた大型の土器です。
 口縁部には重弧文と呼ばれる文様が、胴部にはU字状・J字状を
 基本とした模様が付けられています。

 地文は半分に割いた竹の内側で刺突文を付けています。高さ67cm。

 この土器は住居の出入り口部に埋甕として逆位に埋められていました。
 底部は故意に割られています。胴部にも大きめの割れ口があるので、
 ここも故意に割られたかもしれません。



曽利Ⅰ式/中期後半
約4500年前/上小用遺跡
※3

曽利Ⅰ式※3
※3曽利Ⅰ式/中期後半約4500年前/上小用遺跡

 口縁部に渦巻き文様が4つ付いた土器です。
 その模様は、水煙文と呼ばれる立体的な装飾に繋がると考えられています。

 頸部には小さな把手が4つ付いていて、そこから胴部に鎖のような模様が垂れ下がります。
 胴部には小さなJ字状の模様もあります。高さ約58cmです。

 この土器は土坑の中に横たわって出土しました。
 おそらくお墓の中に副えられていたものと考えられます。
  52


深鉢/中期/社口遺跡


新道式土器/中期前半
約5千年前/石原田北遺跡
口縁部の造形は、
顔面把手を考えがちだが、
⑦では普通に口縁が高まり、何かを象徴する造形が作られている。

⑨では更に造形が発達している。金生遺跡の中空土偶に似て、これも別の形で顔面を象徴するのだろうか。


藤内式/中期前半約5千年前/蔵原東久保遺跡


井戸尻式/中期前半約5千年前/古林4遺跡


  土器編年 (中期初頭~中期後半)

五領ヶ台式→
(中期初頭)
勝坂式(縄文中期前半)
Ⅰ(狢沢)
大木式
  ↓の影響
Ⅰ(新道)
Ⅱ(藤内)
加曾利E式
   ↓の影響 (縄文中期後半)
Ⅲ(井戸尻)(中期中葉) →  曽利式 (Ⅰ~Ⅴ) (縄文中期後半)
Ⅳ~Ⅵ(国学院大・考古学資料所蔵縄文土器)






 53八ヶ岳南麓の遺跡


 54谷戸城とその歴史舞台となった八ヶ岳南麓

   恵まれた自然環境を背景に、八ヶ岳南麓では旧石器時代から人間が活動した痕跡が確認されています。
   このような遺跡は、縄文時代になると更に多くなると共に広がりを見せ、釜無川右岸域、須玉川・塩川流域にも拠点となる大きな集落が発生しました。

   特に、縄文時代中期は遺跡が激増し、国内でも有数の遺跡密集地帯となっていました。

   その後、遺跡数は減りますが、平安時代に入り山地が開発されてから再び人が戻ってくるようになりました。
   この辺りには国が管理する御牧が設置され、馬を生産して朝廷に供給していましたが、

   次第に国家の統制が緩み、馬の供給が途絶えた頃に登場したのが逸見清光でした。

谷戸城とその歴史舞台となった八ヶ岳南麓梅之木遺跡
金生遺跡
谷戸城とその歴史舞台となった八ヶ岳南麓 谷戸城とその歴史舞台となった八ヶ岳南麓


  谷戸城と八ヶ岳南麓
  史跡谷戸城は、流山と呼ばれる小山にある。この流山は、まだ八ヶ岳火山が活動していた大昔に、火山帯が大崩壊して生じた岩屑流(韮崎泥流)
  からできたといわれ、岩屑流に含まれていた巨大な岩塊が止まってできた高まりが、流山になったと考えられています。

  八ヶ岳南麓には流山が点々と残っており、多くは燃料となる薪を集める薪炭林として管理されてきました。

八ヶ岳南麓 谷戸城と八ヶ岳南麓


  八ヶ岳南麓の歴史

八ヶ岳南麓の歴史
梅之木遺跡金生遺跡 金生遺跡の中空土偶
宮間田遺跡「牧」墨書土器
正覚寺、若神子城 獅子吼城笹尾砦 中川砦、朝日山砦 小和田館、出土古銭




  54入口展示2 中型土器


  55中型土器

酒吞場遺跡/藤内式
勝坂Ⅲ式

顔面把手付土器
中期前半約4500年前
向原遺跡

顔面把手付土器/
中期前半約4500年前
平林遺跡

土偶装飾付土器
中期前半約4500年前
寺所第2遺跡
土偶装飾付土器/
中期前半/約4500年前
寺所第2遺跡

顔面装飾付土器/
貉沢式/勝坂Ⅰ式
中期前半約4700年前
寺所第2遺跡

深鉢/藤内式/勝坂Ⅱ
中期前半/約4700年前/
古御所東遺跡

深鉢/新道式/勝坂Ⅰ
中期前半/約4700年前
手所第2遺跡

有孔鍔付土器/
井戸尻式/勝坂Ⅲ
中期前半約4500年前
古林第4遺跡

深鉢/曽利Ⅰ式
中期後半/約4500年前
酒呑場遺跡

    56中型土器

深鉢(籐内式)中期前半
約4700年前
石原田北遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前
石原田北遺跡

深鉢(藤内式)中期前半
約4700年前
古林第4遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前
古林第4遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前
寺所第2遺跡

深鉢藤内式)中期前半
約4700年前
石原田北遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前
石原田北遺跡
 





  60北杜の土偶

    北杜市域も土偶が数多く出土します。現在確認されている土偶が出土した遺跡は80ヶ所以上で、1000個近くもの土偶が発見されています。

    北杜最古の土偶は、天神C遺跡出土の前期後半のものです。それは北杜唯一の前期土偶です。
    中期になると山梨県の傾向と同じように、土偶の出土数が爆発的に増えます。特に中期前半の時期に多く、土偶が作られるピークとなります。
    後期になると半分以下に減少し、晩期にはさらに減少します。

    山梨の北杜以外の地域では、後期から晩期の土偶が僅かしかありません。
    前期から晩期まで各時期を通して数多く土偶が作られた地域は、山梨県では北杜以外にないといえます。

    北杜の中では、土偶が出土する遺跡は八ヶ岳南麓に多く、茅ヶ岳山麓や甲斐駒ヶ岳山麓はやや少ないようです。



 土偶の多い遺跡は
   八ヶ岳南麓では酒呑場遺跡(155個)、原田農業高校前遺跡(98個)、寺所第2遺跡(30個)、石堂B遺跡(42個)、金生遺跡(233個)で

   茅ヶ岳山麓では諏訪原遺跡(29個)、上ノ原遺跡(32個)、甲斐駒ケ岳山麓では向原遺跡(15個)と、其々の地域に存在します。

   これらの遺跡は、土偶を使った祭りの中心地と考えられます。

北杜の土偶
酒呑場遺跡の中期土偶


 61中期前半の土偶

  中期になると、にわかに大量の土偶が作られるようになります。 特に中期前半がその最盛期です。
  中期前半の土偶の特徴は、真横に広げた短い腕 大きいお尻 膨らんだお腹 おへその下の特徴的な模様、などです。

  それらの特徴から妊娠している女性を表していると考えられています。
  また、土器と同じ施文具で模様がつけられ、模様も土器と似ているものが多くなります。

  更に時期に応じて土偶の顔も変わっていきます。最初は河童のような扁平な頭が多く、徐々に後頭部に円や渦巻きが付けられるようになり、
  ついには島田髷のような形に変化していきます。目はつりあがったものがほとんどで、中期前半の特徴です。

  両手を広げる格好以外に、いろいろなポーズをとる土偶も出てきます。

  中期前半では、酒呑場遺跡が最も多く、土偶が出土しています。原町農業高校前遺跡寺所第2遺跡甲ッ原遺跡諏訪原遺跡など、
  拠点集落と考えられる大規模集落に土偶が多く出土する傾向があります。

中期前半の土偶 一の沢遺跡の中期前半の土偶 中期前半の土偶
出土遺跡分布図
    62中期前半の土偶
中期前半の土偶 諏訪原遺跡 諏訪原遺跡 蔵原東久保遺跡 寺所第2遺跡 向井原遺跡
 


 63中期後半の土偶

   中期後半になると、出土点数は減少しますが、出土遺跡は増加しています。
   北杜市では中期後半に遺跡数が一番多くなります。それに伴い、土偶を持つ遺跡が増えたとも考えられます。

   このことは、土偶の多い遺跡は少なくなり、少数の土偶を持つ遺跡が増えたことを示しているようです。
   この時期で一番多く土偶を持っていた遺跡は原町農業高校前遺跡で、中期前半で最大であった酒呑場遺跡にとって代わります。

  中期後半の土偶の特徴
      ①やや上にあげた腕 ②胸の下の両脇から延びる模様 ③先の鋭くとがった工具で描かれた模様 
      ④おへその下の十字やL字状の模様 ⑤尖ったお尻、などです。 また、⑥口の周辺に模様のあるのも見られます。

   中期後半の終わりの時期には、目鼻の表現が省略された土偶も出てきて、次第に作りが粗雑になります。
   中期末になると、土偶が出土しなくなります。一部の地域を除いて、全国的に土偶が減少し、北杜からも土偶が一時消えていきます。
 63
中期後半の土偶
竹宇3遺跡の土偶
上小用遺跡の土偶
中期後半の土偶出土
遺跡の分布
 63a中期後半の土器
 63b



 65後期の土偶1

    中期末から後期初頭にかけて、土偶の作られない時期がありますが、後期前半にまた作られ始めます。
    土偶の出土する遺跡数は中期と比べて減少します。金生遺跡で大量に作られていたため、出土点数は中期後半より増加しています。

  後期前半では、
    上ノ原、青木、石堂B遺跡などの土偶の多い遺跡もあり、これらの遺跡は、金生遺跡を含め、土偶を使った祭りの中心地であったといえます。

    北杜の後期の土偶は、関東地方で作られるハート形土偶や山形土偶の影響を受けた土偶が見られます

    ハート形土偶は、顔がハート形になっていることから名付けられました。脚を踏ん張るように広げていることも特徴の一つです。
    顔に仮面を付けたように見える仮面土偶は、ハート形土偶の影響を受けています。どちらも後期前半の特徴的な土偶です。


  後期後半になると山形土偶が作られます。

    頭頂部が山のように尖っているため山形土偶と呼ばれています。両手は下げ、先端の手を外に開き、可愛らしい格好をしています。
    この時期は、土偶と同じように、土器も関東地方の影響が強くなります

   ※寒冷化した後期には、関東からの移住者が大量に増加する。文化が全て関東式なら、集落を完全に乗っ取られたことになる。

後期の土偶
後田遺跡の後期の
仮面土偶

後期の土偶出土遺跡分布
後期の土偶
金生遺跡

姥神遺跡

青木遺跡

石堂B遺跡

石堂B

石堂B
石堂B

    66金生遺跡の 後期土偶

後期の土偶/金生遺跡




 68晩期の土偶

     晩期では、東北地方の亀ヶ岡文化圏で作られる遮光器土偶が有名です。
     この土偶は、晩期中頃からその土器と共に中部地方に強い影響を与え始めます。

     北杜では晩期の遺跡が減少し、土偶をもつ遺跡も減少します。
     金生遺跡では、後期より土偶の数は減少するも、この時期の北杜で最多の土偶を作ります。

    山梨の晩期前半の土偶は、
       山形土偶に似た土偶が引き続き作られます。
       また、その流れをくむ中谷遺跡(北杜市)のようなこの地域特有の模様をもつ土偶も作られます。

    晩期中頃になると、
       東北地方の遮光器土偶を真似たというよりも、「遮光器土偶を真似た土偶」を真似た、といった、間接的な影響と言えます。
       金生遺跡では、遮光器土偶の間接的な影響により、特異な形をした中空土偶が作られたと考えられています

                                                         金生遺跡の中空土偶

   北杜では、縄文晩期を最後に土偶が作られなくなります。縄文時代の終わりと共に土偶も役割を終え、静かに消えていきました。

  晩期の土偶
晩期の土偶
中谷遺跡の晩期土偶

晩期土偶出土遺跡分布
晩期土偶

姥神・青木・石堂B

長坂上条・飛津1

金生遺跡

金生遺跡









 70二階展示室 入口展示











 71神取遺跡出土 石器・土器


 神取遺跡 草創期中葉  北杜市明野

   資料は、槍先型尖頭器・有茎尖頭器・石錐・削器・掻器・局部磨製石斧、微隆起線文土器片・爪形土器片である。
   遺跡自体は後世の撹乱により、決して良好な遺存状態ではないものの、その形態的特徴から縄文時代草創期中葉に位置付けられる。

   また、遺跡内からは尖頭器類の石器石材となる珪質頁岩の剥片類も多量に出土し、一部には接合関係も見られることから、
   石器製作が本遺跡で行われていたことが明らかとなっている。


  神取遺跡出土品 引用
   土器には、微隆起線文土器、爪形文土器。 石器には、槍先形尖頭器有茎尖頭器局部磨製石斧などがある。
   縄文時代初現期の生活の様子がたどれる貴重なものである。                                


 尖頭器
   草創期 (約12,000~10,000年前) 細長い形の尖頭器、槍の先につけたと考えられる。縄文時代草創期に特徴的に見られ、
   旧石器時代の文化と関連を考える上でも重要な石器である。

   基部を舌状に仕上げた有舌尖頭器と呼ばれるものや木葉形をしたものもある。



  二階入口展示


膨大な量の入口展示
神取遺跡

槍先型尖頭器
縄文草創期中葉

削器、有舌尖頭器、石鏃

掻器・石錐・局部磨製石斧
尖頭器
尖頭器 (神子柴形)

下大内、城山、真原A
12,000~10,000
尖頭器

小屋敷遺跡、東光竹表採
上ノ原、上小用、東原A


  72神取遺跡出土 土器

   押型文土器 早期 (約10,000~8,000年前)
    楕円文、山形文・格子文などを彫刻した細い棒で土器の表面を転がして模様をつけた土器。北杜市域では、破片でしか出土していない。

   条痕文土器 早期 (約7,000年前)
    早期後半の土器。植物の繊維を束ねたもので器面を削っている。口縁部や口縁部文様帯を区画するところに刺突を施しているものもある。

 早期の土器
表裏縄文土器
草創期~早期

社口遺跡
押型文土器 城山遺跡 条痕文土器 平屋敷遺跡

   73前期の土器 中越式 十三菩提式

尖底土器(中越式)
前期前半/約5700年前
上北田遺跡

尖底土器(中越式)
前期前半/約5700年前
上北田遺跡

深鉢(諸磯b式)前期後半
約5400年前/天神遺跡

有孔鍔付土器(諸磯b式)
前期後半/約5400年前
天神遺跡

深鉢(十三菩提式)前期末
約5000年前/沢の田遺跡

深鉢(十三菩提式)前期末
約5000年前/
清春白樺美術館南遺跡
中越式
 長野県宮田村役場北
 前期初頭 中部高地
諸磯b式
 神奈川三浦市三崎町諸磯
 前期 中部高地~関東
 先行型式 諸磯a式
 後続型式 諸磯c式
 隣接型式
  ・北白川下層2式
  ・浮島式
  ・大木4式    
十三菩提式
 川崎市十三菩提遺跡
 前期末 中部高地~関東
 先行型式 諸磯C式
 後続型式 五領ヶ台式
 隣接型式
  ・大歳山
  ・福浦上層
  ・大木6式    

   74中期前半の土器 五領ヶ台式(中期初頭) 貉沢式(勝坂Ⅰ) 新道式(勝坂Ⅰ)

深鉢(五領ヶ台式)中期初頭
約5000年前/大原Ⅰ遺跡

深鉢(貉沢式)中期前半/
約4700年前/寺所第2遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前/寺所第2遺跡

深鉢(新道式)中期前半/
約4700年前/寺所第2遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前/石原田北遺跡

深鉢(新道式)中期前半/
約4700年前/寺所第2遺跡

深鉢(新道式)中期前半
約4700年前/石原田北遺跡
五領ヶ台式 中期初頭
 五領ケ台遺跡五領ヶ台くらし
 五領ヶ台貝塚

狢沢式 中期前半
 狢沢式 ムジナ沢遺跡土器

新道式 中期前半
 新道式土器 全国遺跡報告総覧

   75中期前半 土器 藤内式(勝坂Ⅲ)  井戸尻式(勝坂Ⅳ)


深鉢(藤内式)中期前半
約4700年前/石原田北遺跡

深鉢(藤内式)中期前半/
約4700年前/古林第4遺跡

深鉢(藤内式)中期前半
約4700年前/石原田北遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半
約4500年前/上小用遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半/
約4500年前/上小用遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半
約4500年前/上小用遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半
約4500年前/上小用遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半/
約4500年前/上小用遺跡

深鉢(井戸尻式)中期前半
約4500年前/上小用遺跡

   76中期後半 曽利Ⅰ式 曽利Ⅱ式 八ヶ岳西南麓や諏訪湖周辺、伊那谷あたりの縄文土器
渦巻把手付土器(曽利Ⅰ式)中期後半/約4500年前/山崎第4遺跡

渦巻把手付土器(曽利Ⅰ式)中期後半/約4500年前/上小用遺跡

渦巻把手付土器(曽利Ⅰ式)中期後半/約4500年前/津金御所前遺跡

深鉢(曽利Ⅱ式)中期後半
約4300年前/天神遺跡

深鉢(曽利Ⅱ式)中期後半
約4300年前/上小用遺跡

深鉢(曽利Ⅱ式)中期後半
約4300年前/根古屋敷遺跡

   77中期後半 曽利Ⅲ式 曽利Ⅳ式 曽利Ⅴ式

深鉢(曽利Ⅲ式)中期後半
約4300年前/方城第1遺跡

深鉢(曽利Ⅳ式)中期後半
約4300年前/次郎構遺跡

深鉢(曽利Ⅳ式)中期後半
約4300年前/上小用遺跡

深鉢(曽利Ⅴ式)中期後半
約4300年前/次郎構遺跡

深鉢(曽利Ⅴ式)中期後半
約4000年前/上ノ原遺跡

深鉢(曽利Ⅴ式)中期後半
約4000年前/蔵原東久保遺跡

   78加曽利E3式 曽利Ⅴ式

壺型(加曽利E3式)
中期後半/約4300年前
次郎構遺跡

台付土器(曽利Ⅴ式)
中期後半/約4000年前
次郎構遺跡

深鉢(曽利Ⅴ式)
中期後半/約4000年前
次郎構遺跡

深鉢(曽利Ⅴ式)
中期後半/約4000年前
上ノ原遺跡
深鉢(曽利Ⅴ式)
中期後半/約4000年前
上ノ原遺跡

   79中期~後期の土器 加曽利E4式 堀之内式

深鉢(加曽利E4式)
中期後半/約4000年前
小屋敷遺跡

深鉢(加曽利E4式)
中期後半/約4000年前
小屋敷遺跡
加曾利E4式
千葉県加曾利貝塚e地点
縄文中期後半
関東を中心に分布
E1~E4式マデ

深鉢(堀之内式)
後期前半/約3500年前
別当西遺跡

深鉢(堀之内式)
後期前半/約3500年前
別当西遺跡

深鉢(堀之内式)
後期前半/約3500年前
姥神遺跡
堀之内式
千葉県市川市堀之内貝塚
縄文後期前~中葉
関東中心、中部・東北南部・東海・近畿