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  中部地方の縄文1 15-2017.05.08-02

  伊那市考古資料館  長野県伊那市西箕輪羽広3054-4  0265-78-6166 (考古資料館内に設置の電話)撮影可
                                       常時閉鎖中、カーナビ用は仲仙寺 (0265-73-5472) が適当
  中央アルプス木曽駒ヶ岳千畳敷カール

  常時閉鎖中ですから、見学申し込みは、伊那市教育委員会生涯学習課文化財係:0265-78-4111(内線2724 2725)
  伊那市考古資料館は、現在は収蔵庫として活用されており、考古資料館は、伊那市創造館が展示館となっています。


 交通  レンタカー   場所は仲仙寺という古刹の境内にあります。

 見所 ・本来展示館ですから、伊那谷の考古資料が体系的に整理展示されている。
    ・勝坂式土器の土器形式の解説。
    ・中期中葉の各種土器形式の解説

 注意 ・場所がわかりにくいです。目標は仲仙寺(ちゅうせんじ)です。超有名な古刹です。

こんな大型土器見たことない

     ・伊那市では、神子柴遺跡の神子柴形尖頭器を中心にした展示館、伊那市創造館を開設し、伊那市考古資料館を閉鎖しました。
      創造館には縄文時代の伊那谷特有の石器が並んでおり、旧石器末の神子柴文化の展示館は大変特異な博物館と言えます。

      従って、伊那市としては、創造館を考古展示施設として見学を希望しています。 しかし、考古資料館にも素晴らしい展示があります。

 

目次

01春の伊那市と仲仙寺
05外観・入口展示

展示室

10縄文時代
 11草創期
 12早期

 13前期


40中期
 50中期初頭
 60中期中葉

  勝坂式土器の解説

 61b中期中葉の土器
 70中期後葉
   (唐草文土器期 5000~
      4500年前)

 71a唐草文土器の変遷

   中期後葉の土器

 73唐草文土器の北・南 

 77中期末葉

 80後期
   97狩りは槍から弓へ
 90晩期


92先史時代解説
   旧石器~奈良

100弥生時代
110古墳時代 
120奈良時代 
130平安時代
140中世・近世 
200倉庫
  201縄文時代
  202絵馬


木曽駒高岳 千畳敷


 01春の伊那市と仲仙寺 

  ・連休明けのこの日 (5/8)、名古屋では遅咲きの桜も終わり、草花も散り、深緑の始まりですが、ここ伊那では、まだ新緑の頃。
  高速道路の傍に延々と続くリンゴ畑に花が咲き乱れ、町中の家々にも春の花が今を盛りに咲いていました。 心安らぐ季節です。

  ・仲仙寺は、伊那市一帯の最古の古刹で、周囲に仲仙寺古墳群を持つところから、文化財も豊富なようです。
  私が注目したのは、参道に掛けられた、しめ縄です。独特なもので、千年を超える巨大杉に渡されたそれは、確かな由来を知りたいと思いました。

田んぼに水が張られ雪山が映る季節 木曽駒ケ岳の残雪が美しい。この景色を見に来たのです。 東海ではとっくに終わったのに、伊那の野山は今、花盛り。 延々と続くリンゴの花畑 リンゴの花 授粉用のメイポールという種類のリンゴ
美しく咲き乱れる
個人宅の花壇
仲仙寺のしめ縄 これはヘビだという。伊那最古の古刹 千百年の杉の巨木が林立しています この境内に借地して資料館があります 駐車場からは南アルプスが見渡せる。

  リンゴやナシなどの花が咲き乱れる街中で、各家庭の庭先も、様々な花が咲き乱れ、本当に美しい町でした。 いい時期に旅行しました。




 05外観・入口展示

  顔面把手付大深鉢
   この土器は勝坂式土器に属していると思われる。総高60cmを計る大きな器で、口縁部に半球状の高さ11cmの顔面把手が付けられている。

   柿実状の目で、両端は吊り上がり、口は円く開口している。両耳には耳栓を表現している円形の穴を開け、額は扇状の逆三角形文風の
   文様構成をし、少々上向いた鼻で、鼻穴は縦2本の刻目で意匠している。

   上部に環状把手を付け、その両側に半円形の浮文で乳房を誇張し、土器中心部には浮文による円形の中に、ヘソを示す突起を加飾し、
   その下の逆三角形は女性の陰部を象徴しているものと思われる。昭和45年伊那市有形文化財考古資料に指定された。

    この土器は伊那市創造館に移動し、説明板のみありました。


   ※元来、閉鎖された館には、脚注など期待してはいけません。
資料館外観 入口 遺跡地図 持ち出されたのか、
まばらになった棚

深鉢/中期後葉
唐草文Ⅰ期
久保田遺跡/西箕輪
顔面把手付大深鉢
月見松遺跡


深鉢/中期後葉
唐草文Ⅱ期
横吹遺跡/西春近

深鉢/中期/
月見松遺跡

埋甕/中期後葉/
社宮地遺跡
 




 これより、土器・石器等が、整然と分類されて展示されています。 このような展示を眠らせておくのは、いかにも残念です。是非ご覧ください。




  展示室



 10縄文時代

  11草創期

  12早期
押形文土器
細ヶ谷B遺跡
押形文土器
浜弓場遺跡

縄文早期後葉/貝殻沈線文土器/浜弓場遺跡
早期末葉/南村遺跡
おせんべい土器
=東海系土器
繊維土器=在地・関東系
名廻東・細ヶ谷B遺跡
(西春近)

  13前期
縄文前期終末/深鉢
中村遺跡

前期終末/深鉢
名廻南遺跡

中期中葉/深鉢
北丘B遺跡

前期終末/深鉢
山の根遺跡
  

  40中期
   41中期

中期/深鉢
堂地・狐久保遺跡

中期/埋甕/
北割遺跡

中期/御殿場遺跡
中期/埋甕/
北割遺跡
深鉢/御殿場遺跡
中期/深鉢/
御殿場遺跡
中期/ミミズく把手/浜弓場遺跡
中期/蛇頭把手/
浜弓場遺跡
装飾把手/浜弓場
動物把手/菖蒲沢
蛇頭把手/浜弓場
中期
   50中期初頭
深鉢/中村遺跡
深鉢/月見松遺跡
深鉢/塚畑遺跡 深鉢/常輪寺下遺跡 深鉢/月見松遺跡
   60中期中葉
    61a

深鉢/北丘B遺跡
深鉢/北丘B遺跡 深鉢/月見松 深鉢/月見松
深鉢/北丘B
中深鉢/天庄Ⅱ遺跡
深鉢/月見松 有孔鍔付土器
常輪寺下遺跡
深鉢/天庄Ⅱ

釣手土器
深鉢/天庄Ⅱ

  勝坂式土器の解説

    61c花開いた縄文文化 ―中期中葉の土器の遷り変り

       縄文時代の初め頃、日本全国で2万人だった人口が、中期には26万人に増えたことが遺跡数から計算されています。内訳は、
       関東地方に9万人、伊那谷を含む中部地方に7万人が暮らしており、東日本に人口が集中していたと言えます。

       そして、中期の中頃になると、非常に力強く、美しい装飾を持った土器が多く作られるようになります。
       ここでは、縄文文化が花開いた今から5500年前~5000年前に作られた縄文時代中期中葉の土器の遷り変りを見てみましょう。

花開いた縄文文化 貉沢式 各種土器形式 新道式 籐内式 井戸尻式

 勝坂式土器 (勝坂式土器期 5500~5000年前縄文中期前半)
   以下の土器形式は、勝坂1式古相、勝坂1式新相、勝坂2式、勝坂3式、に対応する。

   貉沢式 (勝坂1式古相) 5500~5400年前
   粘土紐で貼り付けた飾りの横に沿って、棒の角で「―」文様を連続で付けます。土器全体を横長の楕円形で大きく区画した文様を多く使います。

   新道式 (勝坂1式新相) 5400~5300年前
   粘土紐の飾りの横に沿って「」の文様を連続で付けます。楕円形で大きく区画する文様の他に、三角形で区画する文様を使うようになります。

   籐内式 (勝坂2式) 5300~5200年前
   粘土紐の上にも刻みや爪形の文様を付けるようになります。楕円形や三角形の大きな区画に加え、生物を抽象的に表わした文様が見られます。

   井戸尻式 (勝坂3式) 5200~5000年前
   人体やヘビ・イノシシ等の立体的な装飾が付けられるようになります。土器の底に近い部分が「く」の字に曲がった形になるのも特徴です。



    61b中期中葉の土器
釣手土器 釣手土器/
久保田遺跡
深鉢/月見松北丘B
中期中葉/深鉢/
北丘B

深鉢

深鉢/北丘B

/深鉢/小花岡
    62a中期中葉
深鉢/小花岡
鉢/月見松

深鉢/金鋳場
鉢/垣外遺跡
    62b中期中葉
深鉢/月見松 カップ型土器/小花岡 深鉢/北丘B
深鉢/月見松

浅鉢/月見松
    63中期中葉

深鉢/月見松

深鉢/金鋳場

深鉢/カンバ垣外遺跡
    64b中期中葉

深鉢/金鋳場
深鉢/月見松 深鉢/月見松 深鉢/天庄Ⅱ 深鉢/月見松 深鉢/月見松 深鉢/北丘B

埋甕/月見松
深鉢/北丘B 中期後葉/深鉢/常輪寺下
中期中葉/顔面把手/天庄Ⅱ
中期/顔面把手/
北条
顔面把手/中期
北条遺跡
石塚遺跡
常輪寺下





   70中期後葉 (唐草文土器期 5000~4500年前)
     64a
中期後葉



    71a唐草文土器の変遷

    唐草文土器登場! 中期後葉の土器の遷り変り

     縄文時代中期中葉の立体的な大きな装飾が付いた土器は、中期後葉になると「唐草文土器」と称される
     大きな渦巻文とその間にヘラ状の工具で線を描いて装飾する土器へと変わっていきます。

     この「唐草文土器」は、伊那谷・諏訪盆地・松本平・木曽谷を中心として分布する、極めて地域色の強い土器です。

     これらはⅠ期~Ⅴ期の5つの時期に分けられています。
     ここでは唐草文が作られた今から5000年から4500年前縄文時代中期後葉の土器の移り変わりを見てみましょう。

唐草文土器登場! 中期後葉の土器の遷り変り Ⅰ期 Ⅱ期~Ⅴ期
Ⅱ期 Ⅲ期 Ⅳ~Ⅴ期

  唐草文土器 縄文時代中期後葉 (5000~4500年前)

   Ⅰ期 細い粘土紐を貼り付けて立体的な縞模様や格子模様をつけます。 唐草文の代名詞である、大きな渦巻の文様はまだ見られません。

   Ⅱ期 縦方向に腕の骨のような形の文様 (腕骨文) が立体的に表わされます。その両側に渦巻文様が沈線で描かれます。

   Ⅲ期 渦巻き模様が、大きく枝分かれしながら粘土紐で立体的に表わされ、その間に細かな線を何本も描いて装飾します。
       唐草文土器の代名詞ともいえる時期です。

   Ⅳ期・Ⅴ期
       立体的な模様を現さなくなり、大きな模様の間を埋めていた細かいヘラ描きの模様も、大雑把で適当なものになります。
       大きかった渦巻の模様も簡略化され、立体的ではなくなります。

    71b

中期後葉/深鉢/山の根
中期後葉/深鉢/常輪寺下 中期後葉/埋甕/北割
中期後葉/甕/ネズミ平

常輪寺下



  72唐草文様の歴史
   現在私たちが目にする風呂敷などに使われている唐草模様は、今から約2800年前、ギリシアの神殿などの柱に見られる草の模様が原型で
   メソポタミアやエジプトから各地に広がったと考えられています。

   日本にはシルクロード経由で中国から伝わったとされています。唐草模様には、中国伝来の飾部サーつもようという意味があるのです。
   しかし、ギリシアで唐草模様が生まれる2000年以上前、縄文人たちは、既にこの唐草模様を使って500年もの間土器を飾っていたのです。

 中期後葉の土器
深鉢/月見松 深鉢/常輪寺下 深鉢/月見松
深鉢/月見松
深鉢/北丘B
深鉢/常輪寺下
深鉢/月見松
深鉢/北丘B 埋甕
深鉢/横吹
唐草模様の歴史
唐草模様の歴史 唐草模様の歴史
深鉢/常輪寺下





    73唐草文土器の北・南  -土器から見た地域性-

   唐草文土器は、長野県の中部から南部にかけての地域で作られた土器なのですが、その分布の中でも土器の形や模様に地域性が見られます。

   伊那谷北部の唐草文の深鉢を見ると、土器の最大径が上方にあり、逆三角形に近い形をしています。

   伊那谷南部の唐草文土器は、土器の最大径が口の部分 (口縁) よりやや下の方にあり、丸みを帯びた形となっています。
   また、大きな渦巻き模様の間を埋める、細かい線で囲まれた模様を見てみると、北方の土器は直線で描かれ、南方の土器は曲線で描かれています。

  中期後葉の土器
深鉢/常輪寺下 埋甕/東田遺跡
深鉢/南丘A

埋甕/月見松
深鉢/月見松

深鉢/山の根
深鉢/常輪寺下 唐草文土器の北・南
-土器から見た地域性-
北方と南方の
土器文様

唐草文
深鉢 (埋甕)
唐草文Ⅲ期
宮垣外遺跡



    74中期後葉 土器・土偶
深鉢/月見松遺跡 甕/山の根遺跡 甕/山の根遺跡 深鉢/横吹遺跡 埋甕/常輪寺下 深鉢/常輪寺下

土偶/上半身/
百駄刈遺跡
土偶/百駄刈遺跡
百駄刈遺跡
土偶/
常輪寺下・百駄刈遺跡
深鉢
埋甕/天庄Ⅱ1号住

   77中期末葉
深鉢/埋甕
中期末葉
常輪寺下遺跡
  


   80後期
    81後期

ミニチュア土器/百田刈遺跡

甕/月見松遺跡

土面/山伏塚古墳

深鉢/百駄刈遺跡

ed-@4

環状石斧/山の根遺跡

石棒/百駄刈遺跡
    94石器 (縄文時代)
礫器/百田刈
打製石斧/
山寺境外
北丘B
百駄刈

分銅形打製石斧
    95

敲打器/百田刈遺跡

乳房状磨製石斧/常輪寺下・北丘B
定角式磨製石斧
百田刈・常輪寺下遺跡

敲打器/百田刈
独鈷石/島崎

独鈷石/
島崎
菖蒲沢
    96炭化物・骨片 (縄文時代)
炭化物
人骨・獣骨

炭化物

人骨・獣骨

人骨・獣骨

  97狩りは槍から弓へ
   縄文時代は今より5・6℃気温が高かった時代です。縄文以前の氷河期では、今より5・6℃低かったのです。
   氷河期には体長6mもあるナウマン象や、体長4mもあるヘラジカなど、体温を保つのに有利な巨大動物が栄えていました。

   そういった巨大な動物を狩りながら生活していたのが旧石器時代の人々です。大きな動物を仕留める為に、石で大きな槍先、尖頭器を作りました。

   ところが、氷河期が終わり、暖かい縄文時代になると、寒さに適した大型動物が姿を消し、小型で素早い、鹿や兎などの小型獣が繁栄しました。
   これらの小動物を獲るために、氷河期の終わりころに発明され、全世界に広がったのが弓矢です。

   この弓矢の発明がなければ、獲物を狩れない祖先たちは生き延びられず、私たちも今、このようにして生まれてくることがなかったでしょう。

狩りは槍から弓へ
凹石/百駄刈・北丘B
 


   90晩期 
   91

深鉢

深鉢
    98

深鉢

石棒/常輪寺下

縄文晩期/土器片/
名廻東古墳

晩期/土器片/
・城平
大境

石皿/浜弓場
月見松

すり石/後期/
百駄刈
石皿/中期/北丘B

石錘

縄文時代/石皿/
北丘B

砥石/
北丘B・東方・城平
 







    92panel
旧石器時代※1 縄文時代※2 縄文人の食料調達※3 縄文土器の製作法※4 縄文ムラ想像図 埋甕
住居祉 弥生時代の想像図 弥生時代※5 古墳時代※6 古墳築造の様子 奈良時代※7
※1旧石器時代
   地球の歴史に人類が登場し、活躍するのは洪積世後期と言われている。現在、その存在がある程度判明している日本列島の洪積世人類は、

   牛川人、三ケ日人、浜北人、港川人などが知られており、その年代はほぼ二万年前と推定されているが、更に古い石器の存在からそれよりも
   前の存在も考えられている。彼らの生活の舞台は洪積世後期の火山灰層に、その生きた証を留めている。

   彼らは土器を作らず、原石を打ち欠いて製作した打製石斧 (終末期には部分的に磨いた石器もある) を残している。
   これらの石器は大きく分けて、石材の芯を用いたもの (礫核石器) と、石材から剥ぎ取った剥片を使用した (剥片石器) とに大別される。

   これらの石器の特質は日本列島でその手法や形態には地域差が認められる。伊那市内で現在確認されている旧石器遺跡は数か所だけである。


※2縄文時代
   縄文時代は長い間続き、現在では一万年位前から、弥生時代のはじまる紀元前300年前頃までと言われている。
   この長き時代を現在、土器の文様、または土器製作時の含有物によって六期に大別されている。それは、

      草創期、早期、前期、中期、後期、晩期である。

   更に、それぞれの時期に応じて細分し、土器形式の名称をとって呼ばれるのが一般的であり、これをいわゆる編年と言っている。
   伊那市内で現在確認されている時期別の遺跡数を述べると、次の通りである。

      草創期数か所、早期28か所 前期26か所 中期160か所、後期40か所、晩期15か所。


※3縄文人の食料調達
   縄文時代人達は食料を求めて、狩猟 (鳥獣、魚介類等々を捕る) や採集 (木の実や球根を集める) を常時の仕事として行っていた。
   また、常に安定した獲物を得るために、弓矢や網を、更に毒を使用したりした。更により進んだ生活を望んで、道具を作り、土器を焼いたりした。

   狩猟地域は森林や草深い山野と、海岸の台地と考えられ、その獲物はシカ・イノシシが全体の九割を占めていたと思われる。
   狩りは男の仕事として、採集は女の仕事と考えられているが、その決め手は何もない。

   彼等の食生活はいわば、食料になるものは全て食料にした状態と言っても過言ではない。

   土を掘り窪めて作った竪穴の住居に住んだ。 竪穴住居の中心部付近に、暖房、照明、沸騰の三用途を兼用した炉を築き、一家団欒の場とした。
   住居の形は縄文時代を通じて方形、円形、楕円形がその骨格を成している。大きさ及び数は、時期によって変化があり、画一化されていない。

   縄文中期には一遺跡で100軒以上の住居祉が検出される例がしばしばあり、一大集落地帯を形成している。


※4縄文土器の製作法
   縄文土器の製作法には、輪積み法と巻き上げ法の二つがある。原料となる粘土は近くに産するのを利用したのが一般的である。
   大型の土器は一度に全体を造形するのは至難の術と見えて、要所要所で乾燥させて作り上げたものと思われる。
   全貌が出来上がると表裏面を丁寧に整えて、文様を付けた。

   文様付けが終わると粘土の収縮を考慮したうえで、乾燥させ、600~800℃位の温度で露天焼きしたようである。
   粘土に亀裂防止や増強用の砂・雲母・石英・長石・滑石・鉄平石等を混ぜる場合が増えている。この混合物は地域によって差異が認められる。

   文様は縄文、撚糸を回転させてつけたものや、縄を巻き付けたり、刻み目を入れた細い棒を転がしてつけたものも見られる。
   簡単に手に入る貝殻、竹ベラ等を用いて線を引いたり、突き刺したり、粘土紐を貼り付けたり、逆に抉ったりして、彫刻風な意匠文を付けてある。

   文様配置はある程度の規則のもとに造形がなされていると思われ、これらは地域と時代によって僅かながら変化がある。

   土器の用途は、縄文早期ではほとんどすべてが煮炊き用で、時代が新らしくなるに従って、多種多様の容器が出現する。
   浅鉢や皿等の食器類と、特殊用途を持つであろうと考えられる奇妙な形の土器がみられる。

   太鼓に使用されたと想像できるものや、酒を入れたであろうといわれている土瓶の形をした注口土器。
   縄文中期によくみられる釣手土器、この土器にススが付着していればランプに使用されたものではないかと考えられている。


※5弥生時代
   紀元前三世紀頃に日本列島内に稲作技術を導入した新しい文化が始まる。この文化は先の縄文時代とは異なっている。
   それは、狩猟、漁労、採集を主体とする採集経済から稲作を中心とした生産経済への転換である。 
   この文化は水稲と共に青銅器、鉄器を併用し、日本列島内自生の文化でなく、大陸や朝鮮半島影響下のもとに成立した文化であると言われている。

   弥生時代は受け入れ方に時間的、空間的な差がある。従ってこの時代を、前期、中期、後期の三時期に区分している。
   弥生文化は前述したような過程を経ているために、北九州地方が最も早く成立したとみられている。

   その後徐々に東日本に伝わっていくのである。その為に、東日本の弥生時代の遺跡は中期以降が多いようにみられる。
   農耕社会の成立は、各ムラ、ムラを統合させた初源的な「クニ」の発生を促し、古代国家統一の母体となったことは否めない事実である。

   「邪馬台国」は弥生後期に存在した「クニ」の一つである。

   農耕社会の成立は道具にも大きな影響を及ぼし、稲作を基盤とした道具へと塗り換えられていく。
   伊那市内の弥生時代の遺跡は現在70ヶ所程発見されているが大部分弥生後期に含まれている。

   弥生時代人の住居は縄文時代と相変わらず、竪穴住居に住み、これらの周囲に高床式と言われる食料保存 (いわば倉庫) の建物を併設した。

   上伊那地方の弥生文化は一般的に下伊那地方を中心とする中島式文化圏と、北信地方を中心とする箱清水文化圏の接点と言われている。
   土器文様の中に両圏を代表する文様特徴が描き出されている。


※6古墳時代
   古墳時代とは、前方後円墳に代表される大規模な墳墓の造営される時代である。
   前代から存続した小さな「クニ」が大和朝廷と言う大きな政治連合を成立し、我が国の租源的国家体制を成立せしめたと考えられる。

   古墳時代は前期・中期・後期に区分される。古墳は一般庶民の墓でなく、上は天皇、貴族、から下は地方豪族、ムラの長に代表される
   いわば有力者の墓である
   その副葬品はその被葬者たちの権力を象徴するものが多く、到底庶民にはまねのできない品々であった。 副葬品の主なるものを記すと
   次のようである。
      鏡、太刀、鉄族、槍、冑、鎌、斧、刀子、馬具、勾玉、管玉、小玉、臼玉、切小玉、ガラス玉等々の玉類、土師器、須恵器等々の器類。

   伊那市内の古墳は現在100か所程あり、全て、後期の古墳に含まれており、地方豪族の墓と思われる。
   円形状を成しており、直径10~25m位、高さ2~3m位の規模で、単独に存在するのでなく、群集墳と呼ばれ、5~20個位固まって存在している。

   市内の古墳群としては上牧古墳群、福島古墳群、野底古墳群、白沢古墳群、老松場古墳群等々があげられる。

   古墳時代の集落は古墳築造の礎となった庶民の居住地区をさしており、彼らの使用した土器や陶器を土師器とか須恵器とか呼んでいる。
   これらの器物を細分してより綿密な時代分けをしている。
   当時、庶民の住居は方形や隅丸方形の竪穴住居で、一方に風向に応じてカマドを作ってある。


※7奈良時代
   都が奈良の平城京に遷都された時を持って奈良時代が始まる。奈良時代は先の時代で確立された律令体制を基礎として国家統一がなされていた。
   政治権力は主に藤原一族によって掌握されており、天皇中心の政治が徐々に確立されつつあった。

   律令体制は整備された戸籍によって人民を把握し、人民に対して租・庸・調の税金を義務付けていた。
   この税の体制は庶民にとって負担が大きく、逆にそれが律令体制を揺るがす原因を作りだした。

   伊那市付近で、前述した税に関しての古い記録が残されており、それを記すと次のようである。

     正倉院御物の庸布に記された天平十年(738)の墨書銘「信濃国伊那郡小村郷交易布一段」がある。

   中央の貴族は栄耀栄華な暮らしをしていたのに比較して、大部分の庶民はカマドを持った土を掘り窪めた竪穴住居に住み、
   生活用器として土師器、須恵器を使用していた。

   この生活のありさまを如実に表したものに、山上憶良の「貧窮問答歌」がある。
 










 100弥生時代






  101 
弥生後期/甕/横吹 弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/城の腰
弥生後期/甕/城の腰 弥生後期/甕/城の腰 弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/和手
弥生後期/甕/
山の根
弥生後期/甕/
城の腰
和手
  102
弥生後期/甕/堂垣外 弥生後期/甕/
鳥井田遺跡
和手遺跡
弥生後期/甕/
堂垣外遺跡
鳥井田遺跡
弥生後期/甕/鳥井田 弥生後期/甕/
和手遺跡
堂垣外遺跡
弥生前期
多頭環状石斧
新井神社境内

 110古墳時代 
  111
土師器壺/芝垣外遺跡 土師器壺/芝垣外遺跡 壺/名廻東古墳 土師器碗/名廻東古墳
紡錘車/堂垣外遺跡 土師器坏/芝垣外遺跡 高坏/芝垣外遺跡
須恵器 直口壺/
富士塚古墳
土師器碗/名廻東古墳 直刀/名廻東古墳 直刀/鎮護塚東古墳

 120奈良時代 
  121
土師器/杯/芝王 土師器/片口鉢/芝王 土師器甕/芝王遺跡 土師器甕/横吹遺跡

土師器甕/上島遺跡

土師器甕/城平遺跡


 130平安時代 
  131

土師器小型高坏
土師器高台付碗
土師器坏
奈良/土師器甕/
上島遺跡

平安時代/須恵器甕/東田遺跡

平安時代/土師器甕/南村遺跡
土師器甕
平安末期/刀・刀子
下牧経塚
須恵器 瓶、壺
灰釉壺/城平遺跡
フイゴ
平安・中世
鉄製品/百駄刈 鉄・青銅品
百駄刈
古銭


 140中世・近世 
  141

太平鉢/鎌倉時代

中世/内耳鍋/城の腰

中世/内耳鍋/菖蒲沢

古銭




 200倉庫
  201縄文時代

中期中葉/深鉢/月見松

中期中葉/深鉢/堀ノ内

中期中葉/深鉢/月見松

中期/埋甕/丸山清水



  202絵馬  伊那谷は木曽山脈の山中の険しい山道を通じて、木曽の馬生産地と結びついていて、馬市なども盛んに行われていたようです。
         これらの巨大絵馬は、馬の売買の元締めのような有力者が奉納したものと思われます。
 

   駒ケ根市ロープウェイで行く、戦時千畳敷カールは、氷河時代の地形を残す、有名な観光地です。
   一年中手軽に上れる高山です。前回は、素晴らしい登山日和でしたが、今回は本当に残念でした。

   機会があれば、是非もう一度登りたいと思います。皆さんも、きっと素晴らしいとお感じなると思います。

 
 中部地方の縄文1 15-2017.05.11-2

    木曽駒ヶ岳千畳敷カール 長野県駒ヶ根市赤穂1番地 0265-83-2111


  交通  JR飯田線駒ヶ根駅よりバス。ロープウェイ。(冬季も含め、通年運行しています。)

  見所  ・晴天ならば、氷河地形カールに削られた木曽駒ヶ岳宝剣岳が見え、縦走することもできる。
       ・星空の撮影ポイントとして有名で、プロ・アマカメラマンが押し寄せる場所です。
       ・ホテルのレストランから眺める景色も最高です。(晴れていれば!)

 

 01JR駒ヶ根駅→しらび平ロープウェイ乗り場へ
JR駒ヶ根駅氷結・積雪期も運行するバス 中央アルプス木曽駒ヶ岳はこんな景観
駒ケ根高原の素敵な空間を抜けていく
巨大な氾濫原乗用車はここまで。 高原地帯は夏の避暑に行きたいね
行ったことないけど
深い渓谷が見えてきた しらび平のロープ乗り場
 

 02しらび平ロープ駅→千畳敷駅
学生時代に来た。すっかり魅了された
巨大な鳥瞰図
中央・南アルプスと中央構造線

5月中旬の残雪。
2018はもっと少ないかも。暑いから。

前回は抜けるような青空に映えていた白銀の山々
地下から隆起した巨大な花崗岩の山体 標高2612m
夏でも寒いよね。
 

 03千畳敷ホテル

気温4℃。駅舎とレストランとホテルが一体となっています

駅舎の売店。閑散期はあまり置いてない
外は、ミルクを流したような白。真っ白の雲の中です。
中央アルプス国立公園
宝剣岳
千畳敷カール
氷河地形です

以前はこんなでした。

以前はロープ内で女性が生で案内放送していました。

今は、聞き取りにくい録音放送で、やかましいだけでした。
もうすぐこんな景色になるんですよ。
行きたいな。
  04下山、しらび平駅

あきらめてすぐ次の便で下山

標高1662mのしらび平
気温10℃
でも、残雪だらけでした。 ちょっとたのしめたかな。 結構な遊歩道があったけど次のバスが来るので