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   中部地方の縄文1 07-2017.05.09-08


    高森町歴史民俗資料館  長野県下伊那郡高森町下市田2243  0265-35-7083  月・祝休館 撮影可


 交通  レンタカー

 見所  新館には、美しい釣り手土器や石棒、縄文中期の装飾土器と、奈良時代の富本銭が展示されている。
     第2展示室には、旧石器から古代までの土器と石器が、見事に分類・展示されている、素晴らしい館です。



01外観
10入口展示
 11増野新切遺跡
 13 瑠璃寺前遺跡
資料
 加曽利E式土器
 勝坂式土器
 
20新館展示室
71土器展示室入口
21土器展示

50日本最古の貨幣
 51富本銭
 53武陵地1号墳
 54古代銭
60武陵地1号墳出土品
 61武陵地1号墳出土品
 
100第2展示室
1 01年表
110縄文時代
 110草創期
 120早期
 131前期
 140中期
  142前葉
  143中葉
  144後葉
 150後期
 160晩期

 

170弥生時代
 171年表
 172前期
 173中期
 174後期
 
200古墳時代
 201前期
  204若宮2号墳の馬具
 210中期
  213北原2号墳
  215土器や石器の使い道
 220後期

230古代
 231古墳時代
 232奈良時代

 242縄文の小型石器と土器
 243弥生の小型石器

   
 
250民俗資料
 251歴史資料
   民俗資料
 01外観
高森町歴史民俗資料館とてもきれいな新館が 建てられています。 高森の地形図 立体地図



 10入口展示



  11増野新切遺跡 D-14住居祉出土物 縄文中期 加曽利E式期   高森町歴史民俗資料館考古学資料

  増野新切遺跡で最大級の縄文時代中期(加曾利E)の住居址 D-14住居址で、深鉢、浅鉢、壺、台付土器、吊手土器、器台、石棒等が出土している。
  住居址規模:7.5m×6.0m 引用増野新切遺跡D14号住居址出土遺物

  少なくとも3時期位に渡る縄文時代中期後葉の住居跡78軒、土坑が発見され、出土土器多く、土偶42点、石器6000点

増野新切遺跡
縄文中期の住居址リンク
増野新切遺跡
D14号住居址
縄文中期土器/加曾利E式

土製円盤
となっているが
磨石ではないか

石棒

壺/縄文中期


  12増野新切遺跡 B2住居址  勝坂式末期
  伊那地方最濃密な遺跡。少なくとも3時期位に渡る中期後葉の住居祉78、土坑が発見され、土器の出土も多く土偶も42点、石器は6000点に近い。

増野新切B2住居址釣手土器/勝坂式末期
縄文時代中期
吊手土器


  13 瑠璃寺前遺跡 3号住居址/縄文時代 後期初頭
  中島地区から後期初頭の敷石住居址が調査され、炉址奥には深鉢を床面にうめその中に石棒を立てた石壇がある。


敷石住居は、特殊な構造なので、一般的には巫女の家とされている

石棒の出土状況/3号住
石棒と深鉢石棒と深鉢 石棒と深鉢
後期初頭の敷石住居址が調査され、炉址奥には深鉢を床面に埋め、その中に石棒を立てた石壇があった。
          引用瑠璃寺前遺跡

 瑠璃寺前遺跡 縄文時代後期土器
 瑠璃寺前遺跡3号住居址出土 石棒&深鉢
 


    この場所に展示されているはずの、「両面顔面把手」、がありません。貸し出し中だったと思われます。リンクをご覧ください


 資料

 加曽利E式土器 引用加曾利E式 - Wikipedia

 概要 縄文中期後半  千葉市若葉区桜木8丁目の加曽利貝塚の北貝塚E地点出土の土器を標準としている。
               関東から中部地方の、縄文時代中期後半の土器型式(様式)名である。

 加曾利EI式
  東北地方の大木8a式の影響を受けている。口縁部文様帯に横S字状、渦巻き状、逆J字の隆帯を張り付けて、隆帯に囲まれた部分に縄文を施し、
  口縁部文様帯と胴部の文様帯の間に無文帯が設ける例が多くみられる。胴部の文様帯は隆帯で区分され、縄文がぎっしり充填される。

 加曾利EⅡ式
  大木8b式と並行。

 加曾利EⅢ式
  大木8b式や大木9式の影響を受け、底部付近を除き渦巻き状の隆帯を器面全体に施し、隆帯で区分された部分に縄文を充填するタイプが出現する。

 加曾利EⅣ式
  器面全体にM字ないしU字あるいはV字の無文帯の間に縄文が充填される型式である。
    大木9式にみられる口縁部の下肩部両脇に把手のついた浅鉢が出現する。

    現在では、EⅣ式は存在せず、EⅢ式後期と称名寺式土器段階であると考えられている。 引用関東の大木式・東北の加曽利 E 式土器

 称名寺式土器  神奈川県横浜市金沢区金沢町の称名寺貝塚が標準遺跡である。 縄文時代後期初頭の土器形式

       この頃の土器形式の写真後期・堀之内1式

 
 資料

 勝坂式土器  引用勝坂式 - Wikipedia

  概要 縄文中期前半  神奈川県相模原市南区磯部 の勝坂遺跡という大規模集落遺跡を標準とする土器である。
                関東地方及び中部地方の、縄文中期前半の土器型式名ないし様式名である

  特徴 器全体を豪壮、雄大な造形で表現することに特色があり、動物、人物などの顔面把手、蛇を模した把手などがつけられる土器は特徴的である。
      また、水煙式と呼ばれる中部山岳地方の土器は、勝坂式の終末に出現する。

   勝坂1式古相 =狢沢式              (※文献にの両表記があります。ワープロ機能の弊害です。が正記)
   勝坂1式新相 =新道式   中期前半
   勝坂2式    =籐内式   Ⅰ式とⅡ式 中期中葉
   勝坂3式    =井戸尻式 中期中葉

    ※関東地方では、井戸尻式(勝坂3)末葉には、東北地方の大木式の影響を受けた加曾利E式が成立し、
            同じ住居跡から勝坂式終末期の土器と加曾利E式土器が一緒に出土することがある。

    ※中部山岳地域には次の曽利式にも水煙文土器が継承される
    ※狢沢式~井戸尻式までのすべては、井戸尻考古博物館周辺のものです。






 20新館展示室 




 71新館入口の展示土器である。  新館の目玉展示①



  21
  ①深鉢 縄文・中期 角田原遺跡 高さ39cm口径29cm、  径50cm程の土坑から横倒しに潰れて発見された。
    口縁に4個 (現存3個) の突起が付き其々異なったモチーフを表現している。

    1個は大きく把手状で、蛇体状の文様で飾られいてる。外面は横位の隆帯によって5つの文様帯に区画され、隆帯と爪形文、
    沈線による文様が施される。
    後円部は.文様帯は蛇行する隆帯を巡らし、頸部は縦位の沈線で埋める。胴部は三角区画文帯、斜行沈線文帯、楕円形区画文帯が重畳する。

  ②顔面把手 縄文・中期  吉田本城跡 高さ15cm  城跡付近の斜面で発見された。
    深鉢形土器に付く把手で、祭に使われた土器と考えられる。人面が両面に表現され、内部は中空となっている。

    釣り上がった大きな目や開かれた口、そして眉に連なる鼻が表現され、印象的である。
    縄文時代中期にはこのような顔面把手を飾る土器が東日本を中心にみられるが、顔が両面につくのは全国的に5例しかなく極めて珍しい。

①深鉢
深鉢 ②顔面把手 顔面把手




  ③深鉢 縄文・中期 唐草文系土器 増野渡瀬遺跡 高さ70cm 口径40cm   開拓中、2軒の竪穴住居跡が発見され、このうち1軒から出土した。
     口縁部は大きく広がり胴部上半がくびれる。口縁は内湾し、いわゆるキャリパー形となる。

     くびれ部に横位の隆線や波状の粘土紐を巡らし、口縁部と胴部の文様帯に区分する。口縁部文様帯は渦巻状のモチーフを持つ8単位の
     褶曲文を施す。
     胴部文様帯は懸垂文・唐草状の渦巻文を配置し、空間は斜行する沈線で埋められている。 たいへん雄大な唐草文系土器

  ④深鉢 縄文・中期 衰退期の唐草文系土器 煮炊き用 高さ50cm 口径37cm  道路工事中に発見。
     上半部の約1/2を欠く。胴部に煤が付着し、煮炊きに用と思われる。  底は意図的に抜かれ、住居の埋甕に転用されていた可能性がある。

     水平の口縁から頸部で細まり、胴部でやや膨らみながら底部に至る器形で、器面全体を沈線による文様で飾っている。
     口縁部は楕円形の区画文、小さな渦巻文を配置し、胴部には渦巻状の唐草文をいっぱいに描いてある。衰退期の唐草文系土器の一つ。

  ⑤細頸壺 弥生・中期 称宜垣外遺跡 高さ33cm   大島山・称宜垣外京の田地籍の発掘調査。
     細く直立する口頸部と、最大径を丈夫に持つ胴部、小さな底が特徴。体部上半に箆描沈線文と縄文を施している。

     口頸部には横位の沈線、縦位の鋸歯文。肩部には3重の鋸歯文をめぐらし、地文には縄文を施す。胴部上半には大きな雷文を巡らす。
     条痕文系に属する土器で、器形・文様は他に類をみない。山麓に展開する低湿地で、稲作農耕を営んだ人々が携えた土器であろう。

③深鉢 唐草文系
深鉢 唐草文系 ④深鉢 煮炊き用 深鉢 煮炊き用 ⑤細頸壺 細頸壺





 50日本最古の貨幣 富本銭   新館の目玉展示②



  51富本銭とは  683年天武天皇12年に鋳造と推定

   七世紀後半、唐にならい律令国家建設を推進した天武朝は、それまでの無文銀銭を廃止し新たに銅銭を鋳造することを命じた。
   これが我が国初の鋳造貨幣富本銭である。

日本最古の貨幣、富本銭
富本銭とは
考古年表

先史~奈良
ピンボケ
富本銭とは 5世紀前半の前方後円・前方後方墳 武陵地1号墳出土の富本銭 東山道のルート


  富本・七曜星の意味
  富本の意味
    富本銭の上・下に刻まれている「富」「本」の意味は、中国唐時代に出された勅撰類書「藝文類聚」に
    「富民之本、在於食貨」(民を富ませる本は、食と加米にあり)という故事や、
    「晋書」の「富民之本、在於食貨」という馬援の上申によるものではないかとされている。

  七曜の意味
   富本銭の左右に配置されている七曜の星は、中国の陰陽五行思想によるものと考えられている。即ち、古代中国に於いては、
   一切の万物は陰(月)と陽(日)二気によって生じ、五行のうち木・火は陽に、金・水は陰に属し、土はその中間にあるとし、
   これらの消長によって天地の異変、人事の吉凶等を説明しようとする思想である。

富本銭発見新聞記事
富本・七曜星の意味 古墳時代の馬出土数


  富本銭の状態
   武陵地1号墳出土の富本銭の特徴は、外観は錆化が進行し、表面の一部に緑青が浮出するが、遺存状態は良好である。
   輪にほつれが見られるが、これは平城京出土の富本銭にも認められ、鋳造後に通貨として、一定期間使用された形跡を示すものと考えられる。

   蛍光X線による成分分析では、銅を主成分にアンチモンを顕著に含有することが判明した。このほかに少量の砒素・ビスマス・銀・鉛を含有する。
   アンチモンを顕著に含有する特徴は、これまで出土した全ての富本銭に共通し、成分的にも、武陵地1号古墳出土の富本銭は、
   飛鳥池遺跡出土の富本銭に酷似している。飛鳥池遺跡で鋳造された可能性も残る。

富本銭の状態 富本銭 富本銭 富本銭


  53武陵地1号墳 (古墳時代後期) 7世紀前半に築造し、8世紀中頃まで追葬が行われていた。ことが重要。
武陵地1号墳の石室 武陵地1号墳 武陵地1号墳 横穴石室

  54古代銭  日本の古代鋳造貨幣は唐の開元通宝にならい、円形で中央部に方形の孔を開けた円形方孔銭である。
          富本銭以降、和同開珎をはじめとする12種類の貨幣が発行された。
五銖銭ごしゅせん
中国古代貨幣の総称
和同開珎 銀銭
708年鋳造、銀銭銅銭
開元通宝
621年鋳造中国銭、
国内銭はこれをまねた
皇朝十二銭
五銖銭 和同開珎 開元通宝 皇朝十二銭
皇朝12銭

和同開珎~乾元大宝
702年~958年までに作られた銭の総称



 60武陵地1号墳出土品 新館目玉展示③    武陵地1号古墳 高森町武陵地1号墳 秋葉塔の塚 武陵地1号 秋葉塔の塚 富本銭

  墳丘の上にイチイの大木があり、その下に秋葉山権現の石塔が祀られている。地域の人々は秋葉塔の塚と呼んでいる。
  この塚が一躍有名になったのは、平成11年、奈良国立文化財研究所が飛鳥池遺跡から出土した富本銭を日本最古の貨幣と発表してからである。

  この古墳からは、金銅製六窓鐔・金銅製切羽・金銅製鞘金具金環鉄鏃丸玉・須恵器など極めて貴重な遺物が出土している。


  61武陵地1号古墳出土品
  明治時代の発掘で、富本銭と共に武器・装身具・馬具・須恵器・銭貨(せんか)などの多くの遺物が発見された。
武陵地一号墳出土品 解説

  解説パネル
大刀・金銅製刀装具 大刀  鉄製の刀で、反りがないことから直刀と呼ばれる。刀身に鎬がない平造りである。

金銅製刀装具
     刀には各種の装具が付けられる。金銅製の装具は儀仗用の飾り大刀に用いられたもの。

 六窓鍔 倒卵形で6個の台形を透かした大形の鍔。7世紀前半に製作された頭椎大刀(飾大刀)に組み合わされたもの。
 切羽  頭椎大刀の柄頭を安定させるための金具
 鞘金具 大刀の鞘の部分を飾る金具。金銅板を丸めたもので文様は見られない。
 鉄鏃・丸玉・金環 鉄鏃 鉄製の矢尻。茎(なかご)を有し幅広・扁平な平根鏃の一種

丸玉 ガラス製でコバルト色を呈する。中央に紐通しの孔が開けられている。
   数種類の球を組み合わせ、頸飾り・腕飾りとして身体を飾ったもの

金環 環に切れ目があり、耳たぶに挟んで使用する。胴の丸棒を感じように軽めて金をかぶせている
 須恵器・銭貨 須恵器 葬送儀礼用の器で、ハソウ・壺・坏がある。坏はミニチュアで特に珍しい。製作年代は7世紀~8世紀と幅がある。
須恵器 ハソウ2点が7世紀前半、壺が7世紀後半、ミニチュアの坏が8世紀中頃で、3つの時期に大別できる。

銭貨 富本銭の他に熈寧元寳などの数枚の宋銭が出土している。これらは輸入銭であり中世以降に混入したものと思われる
馬具 杏葉  その他
  ここに展示した資料以外にも個人蔵の馬具・銅鋺・金銅板破片・不明金具・石製品などがある。
 馬具は杏葉(2種・2点)があり、いずれも鉄地金銅張の心葉形杏葉でいわゆる飾り馬具である。

 製作年代は2点とも6世紀中頃から後半に位置づけられる。
 異なった2種類の杏葉があることから、2組の馬具が副葬されたものと考えられる。

  武陵地1号墳出土遺物
直刀
大刀×2
刀装具
金銅製六窓鐔
金銅製切羽
金銅製鞘金具
鉄鏃
須恵器 須恵器
須恵器
ハソウ

金環・丸玉
外国銭
須恵器/坏






 




 100第2展示室    ※多くのものがピンボケであることをお詫びします。達筆な文字が読めない私をお詫びします。


    旧石器から古代まで、高森町出土の遺物が、解説と合わせて、大変丁寧に展示されています。
    大変驚きましたし、感心しました。とても偉い人がおられたんですね。 伊那谷の先史時代を研究するならば、是非訪問したい施設です。

  101年表
保存修復室 高森町年表 旧館 第二展示室 旧石器・縄文 草創期-中期前葉 前期-中期中葉
縄文中期前葉-中葉 縄文中期中葉 縄文中期 縄文中期中葉-後期 縄文晩期 弥生時代
 





  110縄文時代





  110草創期
縄文時代 表裏縄文土器
表裏縄文尖底土器
有舌尖頭器・スクレイパー・石族を伴う
土器片 (表裏縄文)
草創期
表裏縄文土器 有舌尖頭器/牛牧 

  表裏縄文土器
     表裏縄文土器とは、通常、土器の表面だけに施文される縄目模様が内面にも施された土器のことです。




  120早期
尖底土器 深鉢/繊維入り   
鵜ヶ島台式土器※1
集石炉※2/出原西部  石鏃
石匙/縄文早期
展示が混じっています 

   鵜ヶ島台式土器※1早期後葉7500年前の土器
           口縁の押圧文、ひし形の区画と棒状工具の施文。繊維土器。尖底から丸底に変化していった。 
               赤城南麓の縄文1 赤城山南麓の縄文2

   集石炉※2 径1.8mの円形、深さ65cmの磨鉢状の掘り込みで、花崗岩の礫をぎっしり詰め、その上で火を燃やし、焼け石を作り、
            獣の肉などを石焼調理したと思われる。共同調理場か。

 



  131前期
前期土器

黒浜式土器片 大きめの縄文が口縁から底部までつく。土器は筒型・鉢形、平底。口縁は平なものと花弁状の物と。写真

籠畑式土器片/前期後半
爪型文の組み合わせの美しい文様。
口縁内側に模様。
把手が付く特徴もある。

埋甕/前期末/地文の縄文(太め・細め)
土器は薄めで固い。
平底大きめで安定。

諸磯式土器片、石匙(黒曜石)

諸磯式土器片 隆帯に爪型を付けながら器を飾る関東系の諸磯式土器。
関西系の北白川式土器が出土する。
石器は石匙が多い。

諸磯式土器片/半載竹管文

  黒浜式土器
   約6,000年前の関東地方縄文前期土器型式名である。埼玉県蓮田市黒浜に所在する黒浜貝塚標式遺跡としている。
   黒浜式の土器は胎土に多量の繊維を含んでいて、繊維は焼成によって炭化し、断面は漆黒色である。器形は、深鉢が主体である。

  籠畑式土器
   約5,000年前、諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡群の籠畑遺跡を標準とする、中期初頭の土器である。
    ※しかし、引用論文には、前期後半から中期初頭の土器に含まれている。すると、前期終末期~中期初頭となる。


  諸磯式土器
   縄文前期中葉黒浜式以降の土器形式。縄文時代前期後半、関東地方西部・中部地方・東海地方東部に主体的に存在する。
    ※年代的に約5,500前となるが、そのようには、どこにも書いてないのです。(笑)



 140中期 約5000~約4000年前

  142前葉
中期土器石器 深鉢/爪型文
・粘土貼り付けの区画、内部に爪型文
前期の特徴が残る
筒型の深鉢型土器

展示が混じっています

この土器の情報は撮影していませんでした。
深鉢/中期前葉 有孔大珠/中期前葉 
 
 143中葉

顔面把手/勝坂期
・深鉢/櫛型文/胴が張り出し半月形の櫛歯文様。この上に太い隆帯文がつく。焼きは固く諏訪地方の影響が強い。

石棒

・深鉢把手部分/装飾土器把手/ミミズク把手/ラッパ形把手/蛇体付
 太い隆帯の構成が特徴
 諏訪地方の影響の強い大型土器

石皿・摺石・敲石

・深鉢形土器
口縁が厚く四つの山形、唐草文、磨り消し縄文結節縄文など、下伊那地方の中期後葉の代表的土器。胴は筒形で長い。

乳棒状石斧/中期中葉

石匙/黒曜石製/中期中葉

  144後葉

・壺形土器/粘土紐による文様構成
 の代表/壺形の美しい器形/
 把手の変化/粘土紐の組み合わ
 せなど郡下最高品の一つ。

・壺/数少ない・・以後不明

・土偶/腹部・脚部

・円板/土器片をまるく磨り上げた
 もの。住居址から多く出る。
 用途不明

・深鉢/左右の把手・沈線による
 渦巻・唐草の文様

・土器の底部六角

定角式磨製石斧

・小型磨製石斧 

・甕形土器の埋甕/住居入口下
  新生・幼児埋葬説有
  中期後葉に例が多い

・甕形土器/唐草条文
中期~後期土器



埋甕/渦巻沈線文、胴部磨消条文

後期への繋がりが見られる 

・壺形土器底部の圧痕/
  左は六角形成形
  右は葉脈圧痕。

 土器回転用/網代痕も有り

石剣

石棒

埋甕/渦巻沈線文、胴部磨消条文
後期への繋がりが見られる
分銅形石斧



 150後期

土瓶型注口土器

・耳栓/耳たぶに穿孔し
挟み込んだ土製耳飾り
臼型耳飾りと
滑車型耳飾り
耳栓
・広口壺/沈線と磨消縄文、
小さい把手で飾られた



 160晩期

石冠

・耳栓/透彫の耳飾り

大きさ、細工の精密さ、更に彩色してあること。
郡下では殆ど出土していない。

条痕文式土器
 
  条痕文式土器 

   土器文様の一種。二枚貝の背や櫛歯のような施文具あるいは植物の茎の束などで土器面をこすって施される。
   特に貝殻を用いたものを貝殻条痕文という。

   縄文時代早期には,貝殻条痕文を主とした装飾性の低い土器様式が出現するが,その後も各地の粗製土器に採用されている
   また弥生土器の一部にもみられる。

     東海地方の、早期弥生系土器は条痕文土器である。晩期の条痕文土器は、その同系統の土器ではないでしょうか。








 170弥生時代


  171a年表 ピンボケです。
弥生時代年表 弥生前期・中期 弥生後期 ピンボケです 弥生時代
土器や石器の使いみち
1石包丁 2〇〇石斧 3甕 4壺
5砥石 6高坏 7台付甕
8紡錘車
9〇〇石斧 10磨製石斧

  弥生年表
前期
2500





中期
2050
 
・水稲稲作が始まる
・弥生式土器づくりが始まる
・弥生文化、九州で発達して近畿・東海地方へ伝播する

・伊那谷に弥生文化が伝わる
 ・豊丘村林里…東海地方の西志賀式土器 (直接持ち込まれた)


・水稲農耕が波及して定着する
・北九州に甕棺墓が盛んに行われる

・水稲下伊那の低位段丘に定着する
  中位段丘にもひろまる
・水田(湿田)耕作の「オヤ」村が中心

・下伊那の土器編年
 ・林里式…豊丘村林里
 ・阿島式…喬木村阿島五反田
 ・恒川式…飯田市座光寺恒川
 ・寺所式…飯田市松尾寺所
 ・北原式…高森町下市田北原

・関東地方で方形周溝墓が営まれる
57年
・倭奴国王漢に使いをおくる
後期
2050
・石器が減少する (鉄器の普及)
 ・下伊那地方には石器が多い

・人口急増し下伊那全域に集落ができる
 ・集落に大小がある。「オヤ村」、「コ村」
 ・高位段丘から標高800m以上に小集落がある(畑作が多い)

・方形周溝墓(首長の墓)「イナのクエ」のはじまり

 ・下伊那の土器編年
   ・座光寺原式…判読不能
   ・中島式…   判読不能
   ・〇〇〇式…  判読不能

239年
・邪馬台国の卑弥呼が魏に使いをおくる

・この頃大和朝廷勢力を拡大する


土器の説明/ピンボケ
ムラの様子/ピンボケ ちょっと不明 後期の様子/ピンボケ
        


  172弥生前期
弥生時代 弥生土器・石器
土器片 甕形土器

口縁部に押切り、
胴部に斜めの条痕がつけられている。

縄文晩期の影響が強い
  173中期

・長頸壺(阿島式)
 頸部が筒形、細長い細かい縄文、
 三角の区画、四角に囲んだ雷文
 特徴、底部木の葉圧痕、
 阿島式→北原式へ/底に布目圧痕
 あり
・左:条痕文土器

・埋甕炉
 口縁六角、胴部に太い条痕文の
 小鉢。底に網代痕。
 伊那では珍しい小型の鉢型土器

・有肩扇形石器

・甕
 埋甕炉/口縁は受け口、口唇部に
 縄文、頸から下に雷文、ボタン状の
 突起が、北原式独特の甕形土器
 文様の多いことは煮炊きに役立つ
 とも 言われている
・炉埋甕/台付甕

左:扁平片刃石斧/弥生中期

・磨製石鏃   
・磨製石鏃砥石

・壺/長頸壺形土器
 頸部は短く、受け口のように広くな
 る。
 穀物の出し入れに便利。横の線、
 平行線、三角形の中の刺突文が特
 徴。 底布目圧痕
  北原式土器の標準遺跡、
  北原遺跡出土
  174後期

土器口縁部・高坏・甕形土器

石包丁 各種

打製・抉り入り・半月型・方形とか、、

中島式壺形土器
口縁部の折れ方が「く」の字で大きい。頸部の波状文、横線文が美しい。土器の回転に工夫が見られる。

月夜平式土器/甕/
 中島式壺形土器/口縁部が長く立ち上がるのが特徴。施文様はなく、ヘラ状工具による調整痕だけになり、古墳時代の土器の前身である。

中島式甕形土器/口縁部の外反がやや少なくなる。文様はなく、ヘラ状工具による調整痕だけ。

特殊器台型土器

・台脚付甕

 口縁の反り返りは緩やかで、刻みが残る。台脚付の完成品。
胴部に炭化物が多く付、煮沸時の様子がわかる。

・有肩扇状石器
・有肩打製石斧

・四頭石斧(貸し出し中)
 ・環状石斧
 ・紡錘車

・甕/中島式甕形土器

口縁が平らなほど外へ折れ曲がる。櫛状工具による波状文。ヘラ状工具による調整痕に注意。
これだけ大きい甕形土器は少ない。

・田下駄/

深田・泥田で地ならしや、作業をするときに履く大型履物。大型の板製で、四穴・三穴製。弥生時代から使用された。

多頭石斧
  (五頭石斧・環状石斧)
輪形の体に、周縁に切り込みをつけ、それぞれの先に刃をつけたもの。

類似品がニューギニアの土俗品にある。棍棒に固定し、武器に用いた。日本では、これだけ見事なものは甚だ少ない。
 






 200古墳時代




  201古墳前期
  202
古墳時代前期 古墳時代前期 古墳時代前期年表 田屋の塚出土
紡錘車・ハソウ

紡錘車/滑石製の優品
土師器の変遷 土師器の変遷
1南関東では五領式と呼ばれる。(4~5世紀初頃)

2壺と甕とに区別される
 ・壺複合口縁が多く大形
 ・甕S字口縁のものがある(弥生式土器の影響)
3器台や高坏形土器は胴部に孔がある。
  はじめは文様が付くが後半に消滅する

4小型丸底壺、小型器台がある。
 ・高森町出原西部
  203
高坏×2、高坏の脚 高坏×2、高坏の脚 広口壺/須恵器 特殊器台 (土製)・椀(木製)
  204若宮2号古墳の馬具
若宮2号古墳の馬具 鉄地金銅張鏡板 鉄地金銅張鏡板 鉄地金銅張鏡板 鉄地金銅張鏡板
鉄芯金銅装雲珠 鉄芯金銅装雲珠 鉄芯金銅装雲珠 轡(くつわ)
轡(くつわ)


 210古墳中期 5世紀
  211
祝殿塚 古墳中期年表 5世紀 長頚坩・平瓶 年表 400近畿で須恵器の生
  産開始。古墳文化
  最盛期となる
  下伊那で竪穴式石
  室の円墳築造される。
429U字形鍋・鉄鎌・鍬
   先出現。
430この頃下伊那の土 器は須恵器の和泉式
 土器だった。
 埴輪づくり盛ん

付:土器の変遷
   下に記述
  土器の変遷
   1壺は単純口縁で、胴部は球形に近い。
   2高坏型土器には稜が見られ、脚部は裾が大きく開き、壺・甕・鉢・坏・高坏・甑など器種が多い
   3高森町の低位段丘には、この時期の集落が多い。

高森町の前方後円墳と副葬品 大刀 太刀の鍔 高森町の前方後円墳 前方後円墳
埴輪:人物・舞踊・馬型
家型等
調理器具 
?(さな)

カマド
  212
鉄板鏡板付轡
伽藍原の塚
鉄縄式鏡板付轡 鉄地金銅張杏葉 鉄地金銅張杏葉
  213北原2号墳
平瓶
ハソウ
ハソウ
 胴部に小さい孔のある壺形の土師器又は須恵器。
 この孔に竹の管を挿して水を注ぐのに用いた。


台付土器

  214
中谷の塚 鉄鏃 鉄鏃
  215土器や石器の使いみち
古墳時代
1雲珠
2木口坩
3轡
4朱文鏡
5切羽
6坏
7鉄鏃
8?
9直刀
10ハソウ
11盌

奈良時代
1鎌
2古銭
3青磁
4白磁
 


 220古墳後期
  221古墳後期年表 6世紀
古墳後期年表 534関東地方の古墳も横穴式古墳となる
538百済より仏教が伝わる
000・下伊那に横穴式石室の円墳・前方後円墳
0000が多く築かれる
000・須恵器の生産が普及して日常用器の種類
0000が多くなる。甕は長甕形。甑も大型化。
000・土師器と須恵器が使われる。
000・古墳は衰退し火葬墓が始まる。
646大化の改新  国家の仕組みが整う

附:土師器の変遷
 1坏や高坏の内面に暗文が付けられる。
  後半に内黒の土器が出土する
 2集団が大きくなり低位段丘上に20~30軒の
  大きな集落ができる

大刀:古い時代は直刀を大刀と書き、平安時代以後のものを太刀と書く
儀仗やいくさに用いる。
円墳内部模式図
  222
密閉された金属製品の保存方法は透明な
円筒ケース
鈴杏葉の保存状態 鈴杏葉 鈴杏葉
馬の尻部に付ける飾り
朱文鏡 金銅鈴

金銅鈴と破鏡

金環
直刀/祝殿の塚
(武陵地3号墳)

やり先

鉄剣
 




 230古代




  231古墳時代

古墳時代の風俗衣装・装飾品・機織り・水田農耕
方墳・上円下方墳

釶(シ:短いほこ)

鉄鎌

紡錘車



  232奈良時代

奈良時代年表 700大和朝廷の力が地方に及ぶ

708和同開珎鋳造 武蔵国より銅を献上
710下伊那に郡衙 阿智等3か所に駅を置く

000下位段丘に大きな集落がある。
000土器は土師器と須恵器を用いる
0000土師器・須恵器共にロクロ成形盛ん
土師器の変遷
 1壺は須恵器を用い、食器類は土師器を用いた
大島山・東部

耳皿
耳皿は箸置き 耳皿は両端が内曲りになっている。
当時は竹を曲げたピンセット型で、それを止めるための便利構造です



  233坏

天目釉小坏/室町時代
  234
大島山瑠璃寺前遺跡

灰釉陶器破片/中世

勾玉・玉石
鉄釉小坏 勾玉 盌(わん)
  勾玉 古代の装身具、メノウ、ヒスイ、水晶などを用い、大きさは1~5cm位。孔をあけ、紐を通して頸や襟飾りとした。

 
 240
  242縄文時代の小型石器と土器
縄文時代の小型石器 凹石
磨石/縄文早期後葉
定角式石斧/縄文後期
石匙・磨石斧
石匙・磨石斧/縄文

・深鉢形土器/中期中葉
壺形土器/櫛刃型文が小さく細い。粘土紐の貼り付けが特徴。

口縁が内側に曲がるキャリパー型。
土器が小型になり、中期の終わりに近い。

・深鉢頸部/中期後葉
口縁「く」の字折れ。

渦巻文、波形の粘土紐、頸部の小さい把手が特徴
逆位に埋められた甕
    (伏甕)
  243弥生時代の小型石器
弥生時代の小型石器 桃の種子/縄文後期 炭化物/クルミ・ドングリ
縄文後期
砥石/弥生時代
壺/弥生後期
分銅型石斧/縄文後期
石鏃/縄文 石針/縄文中~後期 磨製石斧 棒状石斧/縄文中期中葉
磨石/弥生中期
石製磨丸石/縄文
 





 250民俗資料
  251歴史資料
中世~近世の権力者の系譜 古文書資料 人形 武具・甲冑

  民俗資料
高機たかはた

一般的な地機より高度な織機
館内に再現された
近代のくらし

敷物はねこだ(ねこざ)
藁縄を編んだ大型敷物

室内で火を焚くと全ての物が煤とヤニで黒ずむ
だから、完全密閉の和箪笥ができたのかな

色々な民具が重なっています。
懐かしいですね。

むしろ編み機
俵も布もムシロも、
みんなこれで編んだのか