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  東北の縄文1   15  2016.10.17-1 15

ほっとinやないづ縄文館 福島県河沼郡柳津町柳津下平乙151-1 0241-41-1077 第2・4木耀休館
営業時間 9:00~15:30撮影可

交通 レンタカー 会津若松市内で借り、館までの沿道には観光地が沢山あります。
   
見所 石生前遺跡 (縄文中期~後期) の集落跡の展示館です。
新潟の火焔土器に影響を与えた東北の大木式土器は、この先の八十里越え峠を通って流通しました。
   
特徴 道の駅に付属しています。素晴らしい展示物が沢山あります。必見の館です。

 目
 次

01外観
05入口展示

07石生前遺跡は時代を感じ、
    縄文人に出会う場所

  福島県の考古遺跡

10石生前遺跡
11只見川太郎縄文深鉢
 石生前遺跡 -柳津の縄文文化-
 会津地方の土器の特徴

12 6号住居出土土器
13竪穴住居内部

 
30食・住・衣・心
31panel
32石器

40土偶
42土偶

43耳環
45右-石器

50土器の用途
51柳津深鉢
53土器の形と用途1
55土器の形と用途2
 
60土器文様
62文様に注目1
64文様に注目2
  -土器に見る抽象表現-

70石生前遺跡
71よみがえる石生前遺跡
72土器
73土器

80砂子原居平遺跡 縄文晩期
81panel
85生活道具

90塩ノ半在家遺跡 縄文中期
   
200二階収蔵庫

211~2114
  中期 石生前遺跡の土器
215中期 馬高式土器 
 00
 01外観
会津地方の建築屋根の一部を切っているのは風雪対策か。 桐箪笥は会津三島町の
特産品
只見川は川幅が広く
渕が深い、
だから橋梁は巨大に
なってしまう。
巨大噴火や、カルデラの大崩壊から5000年。自然を取り戻した大地 ほっとin柳津道の駅・柳津町公民館
柳津縄文館



 05入口展示
     柳津縄文館には学芸員が常駐せず、遺跡の詳細はわかりませんでした。

 07石生前遺跡は時代を感じ、縄文人に出会う場所 

  福島県南西部、会津盆地の西に位置する柳津町は、古くから交通、戦略上の要衝として栄え、また、湯の町、日本三大虚空蔵の門前町として
  発展してきました。

  今から3000年以上も昔、只見川流域の河岸段丘上の柳津に縄文人がムラを作り、集団で暮らしていました。
  中でも柳津の石生前遺跡は、縄文時代の最盛期を中心とした遺跡であり、その全貌を詳細に知ることのできる貴重な遺跡です。


 福島県の考古遺跡

3万年前 旧石器時代
桑折町平林遺跡 切出し形ナイフの祖形のような石器が出土
鏡石町成田遺跡 ナイフ形石器が出土
高郷ムラ塩坪遺跡 柳葉形ナイフ、ビュアリン・スクレーパー等が出土  ※ビュアリン=彫器かもしれない。
いわき市大畑遺跡 ナイフ形石器が出土
  猪苗代町大神遺跡 大形ポイント、福島市貝沼遺跡から局部磨製石斧など出土

1万年前 縄文時代
  草創期 福島市仙台内前遺跡から竪穴住居跡と石器製作跡が発見され、爪型文土器が出土
早期 大熊町大平遺跡から本県最古の土器が出土。白川市吉ガ沢、塩田町常世、郡山市古亀遺跡などから尖底深鉢型土器出土
前期 いわき市弘源寺貝塚は東北最古の貝塚。原町市滝ノ原・福島市宇輪台遺跡などから決状耳飾出土。土器は平底甕と鉢が多い
中期 柳津町石生前、二本松市長者宮遺跡などから火焔土器が出土
飯野町白山遺跡などは三本柱、複式炉の住居跡。鹿島町上栃窪遺跡などは炉周辺に敷石を伴う
土偶・石棒・石皿多く、浅鉢型土器・有孔鍔付土器・釣手土器など騎手も増える
後期 手長明神の伝説を伴う新地村小川貝塚、会津坂下町篭原、白川市上原遺跡など
晩期 新地町三貫地貝塚から進展葬・屈葬・甕棺葬など人骨百数十体と犬骨が出土。いわき市着付遺跡、いわき市寺脇貝塚など。
      
紀元前後 弥生時代
中期 石川町鳥内遺跡は東北最古の再葬墓。田島町折橋遺跡の甕棺、楢葉町天神原遺跡の合口甕棺など埋葬跡がほとんど
後期 白川市天王山、泉崎村大山、長沼町東兎田、保原町金原田、須賀川市弥六ノ内、国見町仏供田、いわき市浅田遺跡などから
縄文色の強い天王山式土器が出土
      
古墳時代
4世紀 前期 会津大塚山古墳から岡山県備前町丸山古墳の鏡と同范の仿製三角縁神獣鏡、日本最長の素環頭大刀など出土
5世紀 中期 会津坂下亀ガ森、郡山市正直、須賀川市甲塚古墳などの前方後円墳、本宮町天下前、国見町塚ノ眼古墳などが埴輪を伴う
  後期 いわき市神谷作古墳から天冠をつけた男子胡坐像・女子像・家屋・飾馬・鶏など多数の埴輪が出土


やないづ縄文館入口 石生前遺跡 石生前遺跡は時代を感じ
縄文人に出会う場所
会津地方 福島県の考古遺跡



 10石生前遺跡(いしゅうまえ) 縄文時代中期~後期


  11只見川太郎縄文深鉢 (土器の名前である)  遥かなる縄文時代 わが郷土に生きた人々の 痕跡を求めて
   (縄文中期 火焔式)

    首の部分にさざ波のように貼り付けた文様があり、肩の部分が最も大きく文様もすっきりとした男性的な深鉢形土器です。
    口縁部にメガネのような把手があります。

  石生前遺跡 -柳津の縄文文化-
    遺跡から36棟の住居跡が検出され、この地で集団生活した人々は、独自の豊かな文化を開花させました。

只見川太郎縄文深鉢 只見川太郎深鉢形土器
遥かなる縄文時代
わが郷土に生きた人々の
痕跡を求めて
石生前遺跡 石生前遺跡
-柳津の縄文文化-

 会津地方の土器の特徴
   東北南部の大木系土器と越後方面で発達した馬高式土器とを融合させて生み出した土器です。
 馬高式の影響口縁部分の派手な装飾や上半部の立体的造形に認められます。

   ただし、馬高式の基本的文様要素は前段階の会津地域ですでに生み出されていることから、これをアレンジしたのが越後地域であるとする
   見方もできます。
 大木系土器の影響下半部の浅い線で描いた文様や縄文を施している点です。 転載福島の重要文化財



 12 6号住居出土土器は、
   直径約8mで、中期にみられる「複式炉」を備えたこの住居は、ムラで最大でした。複数の住居跡と重なってはいますが時期的には一番新しく、
   床面の土が焼けており、火災によって焼失したものと考えられます。

   炉跡の埋設土器と、床に置かれた大型深鉢形土器の他、多数の土器片が発掘されました。

6号住居の出土物 6号住居の土器 大形深鉢形土器
/中期/大木式
埋設土器下部/中期/
大木式
住居跡出土土器片


 13竪穴住居内部
  縄文住居は地面を堀り上屋をかけた竪穴住居でした。復元住居には、6号住居跡の炉をそのまま移築しました。
  火を焚く部分が複数あるので複式炉と言います。(石組部分 と 埋設土器部分) 一軒に5~6人が住んだと思われます。

  住居内の空間には棚を作って利用し、中二階を設けて寝所にしたとも考えられます。
復元住居 竪穴住居の内部 中二階に寝所 巨大な壺を2基埋設 保存食置場でなかった 内部は大変広い





 30食・住・衣・心

  31panel
縄文の住環境 縄文の竪穴住居は、気候や地理、地形に応じて様々な形式のものがありました。
前期 には、広場を取り囲むように標準的な住居が数軒集まって集落を形成し、
後期 になると、集落内に大形住居が出現しました。
住居を構える場所 は、生活に必要な物資が最も効率的に入手できる場所、 例えば、河川や湖に近い台地や海岸に近い台地などです。
    住居の内部
には、煮炊きを行う炉がつくられ、狩猟で得た食料を保存しておく場所も設けられるなど、収納のための工夫も施されて
いました。

  四季の恵みと食生活
  縄文の暮らしは狩猟・漁労・採集によっていました。季節に応じ、時期を選んで、食料獲得や土器作りを行い、合間に住居の建設も行いました。
食料需給は、不安定で、保存対策や貯蔵穴も重要でした。 木の実などの他、肉や魚を加工し保存食として、狩りにも携行したのかもしれません。
  石生前遺跡からは、狩猟のためや食料を加工する道具に加え、ヒキガエル類・犬・テン・猪・鹿などの焼けた部分も出土しています。

  縄文の服装
  縄文人の服装は不明ですが、土偶の姿から僅かに窺い知ることができます。ただし、どこまでが写実かを判断するのは難しい問題です。
石生前遺跡からは服装の手がかりになる土偶は出土していません。
  この地方の厳しい冬を考えると、麻やカラムシを用いた新井織物の上に、獣の皮などを加工して着用していたのかもしれません。
なお、身体を飾る装身具については、出土した土偶や耳栓(耳飾り)があり、その風俗の一端を知ることが可能です。

  縄文の精神文化
  精神文化を探求するにはいくつかの方法があります。出土した場所そのものから研究する方法です。様々な出土物に注目すると、
自然や自然物の全てに敬意を払い、精霊の存在を認めた豊かな精神文化が存在したことが分かります。
  石生前遺跡からも、土偶や石棒、身体の一部をかたどった土器、呪術的な雰囲気を漂わせるミニチュア型の製品が出土しています。


食・住・衣・心 縄文人が目指した快適な居住環境 6号住居に重なった家 大地と自然に感謝した
四季の恵みと食生活
会津の縄文カレンダー 謎多き縄文人の服装
縄文の衣と心 縄文人の精神文化 耳栓(耳飾り) 土偶両耳には鼓状の耳飾り
  32石器
石鏃 尖頭器形石器 石錐 石匙 石匙
スクレイパー、打製石斧、磨製石斧、線刻礫、
ミニチュア磨斧(彫器か)
スクレイパー 打製石斧 磨製石斧 線刻のある石 ミニチュア磨製石斧




 40

 42土偶
このリアルな顔を持った土偶は縄文時代中期の物としては他に例を見ない優れたものと言えます。
眉の部分の高まりや、広く高い鼻などは、これまで研究されている縄文人の身体的特徴と一致します。両耳には鼓状の耳飾りが表現されています。

土偶

  43耳環
耳栓(耳飾り) 土錘
網のおもり、または、
釣り糸のおもり
足形(土器の口縁部)土器の上部につけた
足型の土器
ミニチュア土器 円盤形土製品

  45右-石器
凹石
凹石、石皿 石皿
 50





  51柳津深鉢 
胴部中央に丸い豊かなふくらみを持つ女性的な感じのする土器で、縁部分の把手上部にさざ波のような4つの鶏の頭のような冠がある
柳津的な火焔を持つ深鉢形土器です。

※この土器も口縁部火焔土器胴部大木式土器の、柳津的火焔土器のようです。


   
土器に込められた想い ~再発見、縄文土器の美と形~
石生前遺跡から発掘された土器の数々は、大きさの大小やその独特な形の違いによって、縄文人の食生活への関心を掻き立てます。
また、美しいデザインや不思議な装飾からは、豊かな自然と接していた縄文人の暮らしとの深い関連性を理解出来ます。

このような縄文土器の大きさや形、独特の装飾を取り入れた美しさに注目することで、土器に込められた縄文人の様々な「想い」を読み取り、
感じていただきたいと考えます。

柳津清姫深鉢形土器
(土器の名前である)
縄文中期/火焔式
柳津清姫深鉢形土器
土器に込められた想い
 


    ここに来るまでの土器も、これから出てくる土器も、どれ一つとってみても、実に芸術性の高い、

      縄文人の優れた造形力を見せつけられる土器ばかりです。




  53土器の形と用途1
     縄文土器の基本形は深鉢形であり、食物を煮るための道具であったと考えられます。このような土器が多数出土する
   縄文人の食事風景は、
     現代の様に個人の食器を持たず、大勢が一緒に食事を取るスタイルであったと考えられます。


鳥型把手の深鉢形土器
をつけ獣面把手をもつ深鉢形土器
綾杉文の端正な深鉢形土器/大木式/火焔式 深鉢形土器
縄文中期/大木式

深鉢形土器
縄文中期/大木式
深鉢形土器/縄文中期
深鉢形土器/縄文後期

文様が簡略化された深鉢形土器/後期/堀ノ内式

深鉢形土器/縄文中期

深鉢形土器/縄文中期

深鉢形土器/縄文中期



  55土器の形と用途2 -浅鉢形土器-
     「深鉢形土器」程の発達はしませんでしたが、その他の土器も時代を経るに従って、盛んに作られるようになりました。
     「浅鉢形土器」は、盛りつけるための土器。 
     「壺形土器」は食料を保存するため。 
     「注口土器」は酒などを注ぐため。なども石生前遺跡から出土しました。


   ゼンマイのような、渦巻文のある、浅鉢土器
     ゼンマイのような渦巻文と左右に広がる三叉文様が、無文で角張った器形の全体に力強さを感じさせている浅鉢形土器です。
渦巻文と三叉文のある
浅鉢形土器
ゼンマイのような、渦巻文のある、浅鉢土器見えなくしてある。悪! 縄文中期 大木8b式 深鉢形土器
縄文時代中期
朱塗りの浅鉢形土器
/縄文中期/大木7b式
鉢形土器/縄文中期/大木8b式 有孔鍔付土器/縄文中期
大木式8b
獣面のような文様の注口土器/後期/堀ノ内式 つぼ形土器/後期/堀ノ内式 刺突文のある鳥のような蓋型土器/後期/三十稲葉式




 60
 62文様に注目1
厳しくも豊かな自然と共に暮らす縄文人にとって、自然をよく知ることが「生きる」ことに繋がりました。必然的に縄文人は自然についての鋭い観察者でした。
縄文土器に表現された動物的な表現は、狩猟を通じての重要な食糧であると同時に、自然の仲間であったことを示しているのかもしれません。

獣面をつけた土器
襲いかかるヘビの文様を付けた火焔土器
頭部にマムシを付けた深鉢形土器/中期/火焔式沈線紋により描かれた縁部分の把手に耳栓が見られ、顔面を表現した火焔土器
胴部の撚糸文様に3本の縦の沈線があります 深鉢形土器/中期 人面を造形した深鉢形土器

首から縁の把手にかけて隆沈線文で顔を表現。左右の垂下がる線は蛇か耳栓
深鉢形土器/中期 卍文様のある土器 卍模様のある土器 深鉢形土器/中期/大木式 深鉢形土器/縄文中期

刺突文のある深鉢形土器
後期/三十稲葉式※
座部が外に張り出し、縁部分に橋状の把手が付き

口唇部分は外側に反って蓋受けが付き、

胴部に横からの刺突文を施してある深鉢形土器です。
深鉢形土器/後期

 64文様に注目2 -土器に見る抽象表現-
動物以外の表現には、人面風の表現などの他、抽象的で現代から見ると意味不明なものが多くみられます。しかし、当時の縄文人にとっては、暮らしや
生活の中で重要な意味や価値を持っていたはずです。そう考えると私たちにとっては、縄文人の暮らしや社会を考える上で貴重な資料となっています。

     
人を造形した土器
卍文を表す土器
深鉢形土器部分/中期 深鉢形土器部分/中期 深鉢形土器部分/
中期/火焔式
深鉢形土器部分
/中期/大木式
深鉢形土器部分/中期 深鉢形土器部分/中期 浅鉢形土器部分/中期 浅鉢形土器部分/中期 深鉢形土器部分/後期






 70石生前遺跡
 71よみがえる石生前遺跡
  石生前遺跡は、縄文中期 (4000~5000年前) の集落遺跡です。1986年の調査で、多数の遺構遺物、300点を超える土器と遺物が出土しました。
  1994年のには、縄文中期中葉~後期前葉の多数の土器片が、翌年、竪穴住居跡5棟を含む4000点以上の遺物が検出されました。

よみがえる石生前遺跡
実は壁一面に長く貼り付けてある、長大なパネルです
石生前遺跡 遺跡全景
  72土器
  73土器







 80砂子原居平遺 縄文晩期  福島県河沼郡柳津町砂子原(大字)居平(字)  砂子原カルデラの中にあります
  81panel
柳津町の遺跡分布
鮭の遡上する只見川流域に偏在せず、山中にも
柳津町の遺跡分布
村落が点在する。生業は?
石生前遺跡と周辺の遺跡
砂子原居平遺跡の展示

  85生活道具 縄文晩期
石器 石剣 石皿 土器深鉢・浅鉢/晩期 鉢形・スプーン状土製品/晩期 石棒
磨製石斧 打製石斧 独鈷石後期~晩期に出土する石器 凹石





  90塩ノ半在家遺跡 縄文中期
  91土器
塩ノ半在家遺跡の遺物
縄文中・晩期・弥生
尖頭器・砥石・有孔石製品
石匙・石錐(縄文中期)・
蓋型土器(弥生時代)

尖頭器 縄文
尖頭器・砥石/縄文
石匙・石錐(縄文中期)
植物依存体
炭化クルミ/縄文
有孔石製品 蓋型土器/弥生時代
壺形土器/弥生時代
縄文土器/破片
縄文土器 壺形土器/弥生



 200 二階 石生前遺跡
  210二階 石生前遺跡

  211 中期 石生前遺跡の土器
普段は閉鎖されています。 ここは、収蔵庫代わりのようです。 刺突文の土器
三十稲葉式かな
中期
  212 中期 石生前遺跡の土器
  213 中期 石生前遺跡の土器
  214 中期 石生前遺跡の土器
刺突文系・山形県風 多くが普段使いの 土器のようです それでも装飾が 付けられています

  215 中期 馬高式土器