[戻る][TOP]

   
  西日本の縄文  29    2016.04.21-2

   神辺歴史民俗資料館  広島県福山市神辺町大字川北6-1  084-963-2361  月曜休館撮影不可


  交通  神辺駅からタクシー (急峻な山の上で徒歩は不可。復路にタクシーを呼ぶとメーターを倒してくるので目の前でリセットさせること)

  見所  旧石器・縄文は極少ない。が、弥生時代の環濠集落の防衛構造の分析が珍しい。

  時代  旧石器時代〜古墳時代(弥生・古墳が中心)



 
01外観

10旧石器時代
11人類史
12ナイフ形石器

20縄文時代
21石器・土器
 
30弥生時代

31道具
  大宮遺跡は、
  稲穂を摘む
33パネル
  環濠集落 
  亀山遺跡の環濠
  大宮遺跡
  御領遺跡
  大宮遺跡の防衛
  御領遺跡の防衛
  様々な形の器
34土器
35石器
36分銅形土製品
38特殊器台・特殊壺

 
 
50古墳時代
  古墳の作られた時代
  国成古墳
  群集墳の盛行
51古墳
53刀剣 古墳時代後期 6世紀(両方とも)
   単鳳環頭大刀と銀象嵌鍔付大刀
54銀象嵌鍔付太刀 
55単鳳環頭太刀
56直刀・鉄鍔
58迫山古墳群
  迫山第1号古墳
59ナトロンガラス製品 
 
70井原鉄道
71神辺駅
72福山市の博物館と城
73福山駅  
 01外観
山城跡に建設。車しかダメ。駐車場がすくない。 もっと考えればいいのにね。もっと便利なところに作ろうよ。 そしたら、沢山の人が来て、投資額に値する住民サービス率が向上する 眺めはいいが、涼しくはない。下から上昇気流が上がって暑い。




 10旧石器時代



  11人類史
撮影許可を得ています 第3展示室 大宮遺跡の発掘風景はじめに 人類の始まり
ラマピテクス
 オーストラロピテクス
進歩型オーストラロピテクス 
 ホモ・エレクトス
 ソロ人
             
 
ネアンデルタール人
クロマニヨン人
現生人類
    



  12ナイフ形石器
    亀山遺跡は、弥生時代前期の環濠集落として知られていますが、発掘調査によって、
    後期旧石器時代 (4or3.5万年前〜1.2万年前) の、ナイフ形石器 (約2万年前) が2点出土しています。 1点のみ展示

    現在も、芦田川下流域では最も確実な後期旧石器時代の遺跡です。
神辺町道上 亀山遺跡
後期旧石器時代
ナイフ形石器 ナイフ形石器
旧石器時代約2万年前
亀山遺跡
材質は明記されていませんが、サヌカイトかと思われます




 20縄文時代



  21石器・土器
狩猟と採集の社会
御領遺跡の竪穴住居
石鏃 縄文晩期
大宮遺跡
縄文土器 後期後半 縄文土器 後期後半
大宮遺跡

深鉢 晩期/大宮遺跡

石鏃 縄文〜弥生
中島・丹花遺跡
安山岩のようです





 30弥生時代



  31道具
   大宮遺跡は、
   約2000年前の弥生前期から中期のムラの跡です。幅約2mの溝に囲まれた中に、多数の柱穴や土坑が検出され、ムラ跡・住居跡が判明。
   溝内を中心に、弥生土器・石器・紡錘車など多くの遺物が出土しています。

大宮遺跡
弥生土器 壺 中期

斧・砥石
紡錘車・刃器

甕/中期
石包丁 前〜中期 穂摘みの様子※1 石鏃・石錐
弥生前期〜中期
サヌカイト製のようです

 ※1稲穂を摘む
    弥生時代、ある穂は黄色く稔り、ある穂はまだ青く、熟れたものから摘み、一枚の田を何週間もかけて収獲した。
    農具箱には、鎌でなく石の穂摘具が入っていました。

    この頃の稲籾は収穫時期がバラバラでした。稲苗の均質化がまだなされていませんでした。




 33パネル

 環濠集落 
  神辺町には弥生時代前期(2300年前)の亀山・大宮・御領遺跡で発見されています。各遺跡の濠の構造は集落の立地滋養県で異なっています。

 亀山遺跡の環濠 弥生前期〜中期(2300〜2000年前)
  遺跡は道上標高37メートルの独立丘陵上にあり、丘陵頂部から中腹にかけて三重の濠が確認されている。

  まず、2300年前に1番内側が、100年後にはこれを埋めてその外側に2番目が、そして、その50年後に2番目の濠の南半分を利用して
  丘全体に3番目の濠が掘られました。

  これは、人口増加により、ムラが大きくなるのに合わせて環濠の範囲を広げたものです。

 大宮遺跡
  遺跡は、縄文晩期から中・近世までの複合遺跡です。濠は3本で、1番内側の濠に土塁が築かれ、2番目の濠の底には坂茂木があった。
  濠からは、土器・石包丁・石斧・石鏃など生活用具が出土しています。

  また、遺跡からは古墳時代後期(6世紀末)の豪族の居館跡が確認され、遺跡の北1.5qの迫山古墳群と築造時期がほぼ同じことから、
  大宮遺跡に住み、死後迫山古墳に葬られたと考えられています。

 御領遺跡
  弥生時代の竪穴住居・集落・土壙墓・古墳時代の竪穴住居、奈良時代の掘立柱建物、中・近世の遺構など出土。
  環濠集落跡からは、濠の内側に細い溝を掘り、直径20〜30pの柱が2m間隔で建てられていました。

  柱の間隔から板か丸太などの横材を渡した柵列だと考えられます。ここからは人形土製品や弥生土器、石器などが出土しています。

 亀山遺跡の防衛
  V字形 内濠外堀 幅2.1m深さ0.8m V字の濠は中国大陸から下関にかけて見られる形で、大陸から人々が渡ってきた証拠と思われる。

  丘陵に私有楽を構える亀山遺跡では、斜面に濠をめぐらすため、環濠の外側に土塁を築いても侵入してくる敵を丘の上から弓矢を射かけるられる。
  また、内側に土塁を築くと雨で崩壊する可能性がある溜め、外側になっています。

 大宮遺跡の防衛
  逆台形 外濠内堀  幅4.5m深さ1.3m〜1.5m 濠の底には坂茂木があった。
  平地集落の大宮遺跡では、土塁は環濠の内側に築かれています。

 御領遺跡の防衛
  U字形幅5m深さ1.2m 柵列は幅50p深さ20〜30pの溝を掘り、長さ7〜8mの杭14本を約1.5m間隔で打ち込み、溝を埋める工法をとって
  杭列には横木を渡して柵にしていたと考えられます。

  神辺平野最大のムラで、当初は直径120メートルくらいの楕円形の環濠だったと考えられます。
  また、濠の外側に土塁を築いて、堀と柵を合わせた二重の防衛体制をとっていました。


 様々な形の器
  弥生時代後期(約1800年前)のムラで使われていた器。

  食物を貯える壺には据え付け式のもの(大型)と、移動可能なもの(小型)があり、煮炊きに使われた甕は外側がススで汚れている。
  食物を盛り付ける高坏や鉢も種類が多く、 生活スタイルに応じたバリエーションが出てくる。

  日本の食生活には欠かせない個人用の椀(茶碗)が出てくるのもこの頃である。

環濠集落 亀山遺跡 大宮遺跡 御領遺跡 亀山遺跡の防衛 大宮遺跡の防衛
御領遺跡の防衛 様々な形の器 各遺跡の土器

  34土器

 弥生土器のリサイクル
  高坏が壊れたので脚の部分を甕のフタに再利用したもの。右のフタはススの付き具合から直径10cmくらいの甕に使われたらしい。
  高坏の飾りであった丸い透かしも蒸気抜きとして立派によみがえっている。
弥生時代のリサイクル
高坏を甕の蓋に利用
弥生土器 甕と壺


 井戸からの出土物
  2003年7月に個人住宅の建築に伴い、下御領字田村町で発掘調査が行われました。その結果、弥生時代後期の井戸が検出されました。
  井戸は直径1.1mの円形、深さ2.4mの円筒形を呈し底面も1.0mの円形でした。

  井戸からは弥生時代後期の甕・高坏・鉢・壺・ミニチュア土器壺・砥石が出土しています。
  また、壺には朱が塗られ、この壺と甕が上面に並べおかれた状況で出土していることから、これらの土器は、井戸廃絶の儀式に用いられたと
  予想されます。

井戸からの出土物
井戸の深さ2.4m幅1.1m
弥生後期の甕・高坏・鉢・壺・ミニチュア土器・砥石
井戸廃絶の儀式跡
調査区全景 井戸のようす 弥生土器 甕 後期
高坏・壺 後期
鉢・砥石 後期
甕 後期

壺 後期
籾痕土器/中期/後期


  35石器

砥石・石錘・石斧未成品

太形蛤刃石斧(横斧)
扁平片刃石斧(縦斧)
環状石斧・ 太形蛤刃石斧・扁平片刃石斧 石槍・石包丁未成品
・石箆
サヌカイトの石核


  36分銅形土製品
   弥生時代の中・四国地方を中心に作られた、祈りの道具またはお守り、呪符として使われたと考えられています。
   地域によって繭や鼻をつけ、目と口を描き、笑顔などの表情があるものもあります。
分銅形土製品 弥生中期 大宮遺跡
弥生後期 御領遺跡
弥生後期 中谷遺跡


  38特殊器台・特殊壺

器台脚部/後期/的場遺跡
特殊壺片/後期3世紀/愛宕山墳丘墓

線刻土器/中〜後期/
渡瀬遺跡
 


 50古墳時代




 古墳の作られた時代
  3世紀終わりから4世紀初めになると、西日本各地に古墳が造られ始めました。

  弥生時代以来の生産の向上は、生活を豊かにすると共に、人々の間に次第に貝希有を生み、やがて各地を支配する首長が現れました。
  こうした首長のために造られた墓が古墳です。

  国成古墳
    直径13mの円墳で、周囲には円筒埴輪が巡らされ、中心部には川原石を敷いた埋葬施設が作られていました。
    内部には鏡・刀・勾玉をはじめ、ガラス玉・鉄鎌・刀子・双孔円板などが副葬されており、5世紀に築造されたと考えられます。

  群集墳の盛行
    6世紀になると各地に小さな古墳が群集して作られるようになります。 神辺周辺でも古墳の数が急増する時期です。
    このことは、生産の向上により、首長以外の民衆の中にも小規模な古墳を築くものが現れました。

    しかし、このような古墳に葬られなかった人々もあり、かつての民衆の間にも貧富の差があらわれました。
    こうした中で、畿内大和政権は、次第に全国に渡る直接的な支配へと進んでいきます。

  51古墳
古墳の作られた時代
上に記述
国成古墳
上に記述
群集墳の盛行
上に記述
国成古墳の埋葬施設 滑石製勾玉/中期/
表山2号
大附古墳
管玉/中期5世紀/
大附古墳
切子玉・管玉・勾玉 池坊第1号墳 斜縁獣帯鏡/古墳前期/4世紀/池坊第1号墳 鉄剣/古墳前期/4世紀/池坊第1号墳

  53刀剣 古墳時代後期 6世紀(両方とも)

 単鳳環頭大刀と銀象嵌鍔付大刀
   単鳳環頭大刀は全長約80p刃の長さ56p。迫山1号古墳の横穴式石室内から出土。柄と鞘に8面体の金銅製筒金具、柄頭に楕円形
   (長径6p・短径4.3p)の金銅製環頭が装着され、環頭の中央に鳳凰、その周りに2頭の龍が施されている。

   県内3例目で、大和政権から地方豪族を掌握する過程で政治的・軍事的シンボルとして、この地の支配者に分与された。

   銀象嵌鍔付大刀は全長約80p刃の長さ70pで同じ石室内から出土している。美術工芸品としての価値も非常に高い。

   どちらも古墳時代後期 (6世紀) における工芸技術の水が集められており、無当時の技術力がうかがえます。
   二つの大刀は、大和政権と備後南部における古墳時代後期の政治的動向を示す貴重な資料である。


    54銀象嵌鍔付太刀 ぎんぞうがんつばつきたち


全景

刀身 切っ先

    55単鳳環頭太刀 たんほうかんとうたち

単鳳環頭 柄頭・柄尻・鞘頭 鉄刀 鞘尻 全景

    56直刀・鉄鍔 ちょくとう・てつつば

鉄刀・鉄鍔 鉄の直刀



 58迫山古墳群

   迫山第1号古墳は、(中略)
    備後南部最大の横穴石室をもち、地域の首長と家族の墓。副葬品の単鳳環頭大刀は畿内政権との密接な関係を示す。
    神辺平野頭部の軍事組織を統率した指揮官級の人物だった。

    古墳群眼下の大宮遺跡から大型建物群の集落が出土しており、支配者一族の館と考えられる。

迫山第1号古墳 迫山古墳群分布図 迫山第1号古墳羨道 石室内 迫山古墳副葬品
耳環・練玉・ガラス玉 ホ具・鉄鏃 須恵器・土師器 土師器/椀・高坏 平瓶・杯蓋・杯身・高坏



 59ナトロンガラス製品  国成古墳 (円墳) 5世紀初め頃

 国成古墳出土のナトロンガラス
   ナトロンガラスとは、ナトロンと呼ばれる蒸発塩を融剤にしたガラスのことです。
   ガラスの原料にナトロンを混ぜることで、溶けやすくなる効果があります。      (※アフリカにナトロン湖があります)

   ローマ帝国や東西分裂後の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)領内の地中海周辺地域では、ナトロンを融剤としたガラスの生産をしていました。
   エジプトの塩湖からナトロンを採取し、9世紀頃まで使用したと考えられています。

   国成り古墳出土のガラス玉8点は、今年、奈良文化財研究所が実施した、蛍光X線(非破壊測定)による元素分析の結果、含まれる元素から
   推定4世紀〜5世紀初め頃、東ローマ帝国領内で生産されたナトロンガラスであることがわかりました。

   ローマ帝国から流出した際の形態は不明ですが、当時、交易圏であった東南アジアに運ばれ、
   そこで丸玉に形成され、その後、日本に流入した可能性が考えられます。

   日本ではこのようにナトロンガラスがまとまって出土した例は極僅かで、大変貴重な資料と言えます。

国成古墳の
ナトロンガラス

上に記述
勾玉
鉄製刀剣 須恵器/珠文鏡 双孔円板・鉄鎌・刀子 ナトロンガラスの丸玉を左右4点ずつ使用




 70井原鉄道  吉備地方のローカル鉄道です。広島県福山市 神辺駅から岡山県総社市を結ぶ鉄道です。
  71神辺駅
JR神辺駅小さな駅だがエレベータなど設備は整っていた。 駅前にタクシー会社もあり(料金水増し運転手もいたが(笑))、 ホームの端に別入り口かと近づくと、 井原鉄道と書いてある。
乗ったことはないが、耳にしたことはある。
こんな所にあったとは
どこまで行けるんだろう
子どものように心騒ぐ。
頼んで、写真を撮らせてもらうことにした。
そこに丁度入線してきた
スマートなボディー。
遅れていない設備。 沿線にはいろいろな施設を持っていろ様です。 乗ってみたいと思いました。
  72福山市の博物館と城
福山城駅北側に隣接している 大きく長い石垣がつづく。 不良工事で、歩道はどこもプールになっていて歩けない。愚かな監査体制 広島県立博物館草戸千軒復元施設以外は撮影禁止 旧石器時代の珍しい石器が展示されている。
残念である。
誰のための?学者のための展示物か?
  73福山駅
福山城を福山駅から