西日本の縄文 17 2015.11.27-2
総社市埋蔵文化財学習の館 17 総社市南溝手265?3 0866-93-8071 平日開館 撮影可
交通
・タクシー 古代吉備文化財センターから中型で3000円でした
・JR服部駅から徒歩11分 (900m)
○基本的に交通不便な地域ですので、倉敷駅または手前の中庄駅近くのレンタカーを借りるのが最善です。
見所
・弥生~古墳の資料
・人面土製品 弥生時代の土偶の一部(土面とも言われている)
・鬼ノ城関連の資料展示
663年白村江の戦いで敗れた大和は唐・新羅連合軍の侵攻を恐れて半島から逃れてきた人々に習って
九州から畿内に至る道中に建設された朝鮮式山城。
近年まで謎の建造物とされていた。(笑)
総社市埋蔵文化財学習の館は、鬼ノ城遺跡関連の展示をしています。鬼ノ城のガイダンス施設は山上に鬼ノ城ビジターセンターがあります。
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もくじ |
01外観
10弥生時代
11米作りの始まり
米作りの始まり
20弥生土器
21a総社市の弥生遺跡
21弥生時代前半
22弥生時代中頃
23弥生時代後半
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31人面土製品
上原遺跡の人面土製品
32様々な弥生人の顔
35呪術・絵画土器
36黥面土器の展示
40弥生時代の葬送
41特殊器台・特殊壺
特殊器台
42土器棺 |
50古墳時代
51古墳時代の暮らし
53新旧の文化
55雑貨
63武装
65埴輪
67装身具
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70須恵器
71福井大塚古墳群7号墳
72福井大塚古墳群12号墳
80鉄鍛冶
90ご飯炊きの歴史
100鬼ノ城 (きのじょう)
101
110こうもり塚古墳 |
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01外観
総社市埋文
普通の民家に見えますね
隣は保育園です |
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鬼ノ城遺跡遠望
663年白村江海戦以降に造られた防衛避難施設 |
※鬼ノ城への地図 |
c14年代に基づく弥生時代の較正年代
よく見えませんので二つの年表を挙げておきます |
弥生時代年表
引用神奈備にようこそ
参考掲示板 |
弥生時代年表
・上段は2003年国立歴博提唱の弥生時代年表
紀元前1千年を弥生早期
の開始とする
・下段は従来の編年表に縄文晩期後半を弥生早期とした年表
転載Wiki弥生時代 |
総社市の年表 |
総社市の特徴的な考古遺跡は、
吉備王国の中心として多くの謎に包まれた巨大墳丘墓や、
大型古墳が長い間造営され、独特な文化が生まれました。 |
※埋文~鬼ノ城の地図
タクシー料金往復6千円
レンタカーを借りて近辺を巡るのが利口です。
レンタカーは倉敷駅 |
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10弥生時代 |
11米作りの始まり
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20弥生土器 同じ用途の土器も、時期別に形が違う |
21a総社市の弥生遺跡
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21弥生時代前半約2100年前
蓄える土器ー壺形土器
盛付用土器ー高坏形土器
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盛付用土器ー高坏形土器
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蓄える土器
台付壺形土器
まるで装飾器台の原型のような土器。
この土器だけ弥生前期の位置に置いてありました。弥生中期なのかもしれません。 |
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22弥生時代中頃約2000年前
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盛付用土器ー高坏形土器
煮炊き用土器-甕形土器 |
煮炊き用土器-甕形土器
貯える-台付壺形土器 |
中央は中期と後期の中間にあります |
煮炊き用土器-甕形土器 |
蓄える土器ー壺形土器 |
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23弥生時代後半約1900年前
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盛付・物入れ‐鉢形土器
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煮炊き用土器-甕形土器盛付用土器-高坏形土器貯える-台付壺形土器 |
物を盛る器-高坏形土器 |
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31人面土製品 弥生時代前期後半 紀元前3世紀頃
※上原遺跡(かんばら)の土製品は、
館では「人形土製品」とキャプションされていますが、
一般的には「人面土製品」と呼ばれています。
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弥生のヘルメット |
弥生時代の人面土製品
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「人形土製品」の脚注
全身があると思ってのネーミングのようです |
人面土製品 上原遺跡
弥生前期後半
紀元前3世紀頃 |
シャマンをかたどったものと考えられている |
被ることのできない仮面の内側を滑らかに作れた訳は何でしょう。
シャマンの頭部だけをこれ程薄く、人の頭部と同じ大きさに作れる方法は、何かに粘土を被せて作れば薄く、内側もなめらかに仕上がる。
人の頭部に被せれば大きさも人と同じになるでしょう。
その後、焼成すればしっかりした人の頭部土製品となるでしょう。 カリスマ性のある司祭ならば深い意味のある土面となったでしょう。
上原遺跡の人面土製品
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同市教委が14日、上原(かんばら)遺跡(同市上原)から、弥生時代前期後半(紀元前3世紀ごろ)の人頭を象った土製品の一部が出土したと発表した。
JR総社駅の西約2.5kmの高梁(たかはし)川右岸で、茶褐色の素焼きの破片7点が出土。接合すると、頭頂部や額部分になった。
現代人の頭とほぼ同じ大きさで、内部は空洞だった。土器と同様に焼かれ、内側も滑らかに仕上げられている。
表面には眉毛と鼻が作られ鼻孔もあった。両瞼には入れ墨とみられる3本の線が刻まれていた。
額から後頭部にかけては鳥の羽根を模したような高さ2.5㎝の突起が伸びていた。突起を含めた高さは11.1cm、幅17.6cm、奥行き18.1㎝、厚さ6㎜。
突起は「冠羽(かんう)」と呼ばれる羽根飾りと推測。
当時、鳥は豊穣をもたらすとして神聖視されたり、鳥の霊を信仰の対象とする風習があったとされている。
弥生時代の遺跡からは同様の羽飾りを付けた人面付き土器や、鳥の装束を着た祭司を描いた絵画土器が複数発見されている。
農耕儀礼や祭祀の際に呪術師が被って踊ったのではないかと推測。
人の顔をかたどった土器は縄文時代以降、出土例がある。
弥生時代では岡山市の田益田中(たますたなか)遺跡で97年に出土した弥生前期の人面土製品が土器か仮面とみられ、最古級とされてきた。
被る形の土製品は全国初とみられるという。
全文転載ブログ歴歩 |
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32様々な弥生人の顔
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34様々な道具
石器を作る材料石錘・スクレイパー・石鏃 |
糸を紡ぐ道具
紡錘車
参考資料:蚕の繭・
綿と木綿糸 |
武器の出現環状石斧・磨製石剣 |
人を殴った道具
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環状石斧 |
人を刺す切る道具石槍状石器 |
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35呪術・絵画土器
鹿の絵を描いた土器久代・坂井砂遺跡 |
壺に描かれた鹿 |
鹿の絵 |
黥面土器の展示※1
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分銅形土器
三須・畠田遺跡/藤原遺跡 |
北溝手遺跡から分銅形土製品の先祖か? |
建物が描かれた土器
南溝手遺跡/総社市 |
小型家形土器/葬送祭祀で死者に家を送る習慣があったのか、それが
家形埴輪の祖先だろうか |
銅鐸形銅製品/新本・横寺遺跡
個人の信仰用の銅鐸でしょうか。九州でも同様の物が出土しました |
舟を描いた土器/ 新本・横寺遺跡 |
絵を描いた土器/ 新本・横寺遺跡 |
竜?を描いた土器 新本・横寺遺跡 |
竜が描かれた土器 |
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中央/池上遺跡/岡山市
左右/天瀬遺跡/岡山市 |
カップ形土製品/真壁遺跡/箱形土製品/三須畠田遺跡 |
勾玉/
ヒスイ製/窪木宮後遺跡
土製/板井砂遺跡 |
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36黥面土器の展示※1
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黥面土器/亀塚遺跡/愛知 |
入れ墨
「魏志倭人伝」によると、男は身分の高低に関わらず、皆、顔や体に入墨をしていたそうです。 |
入墨の形や種類はクニや身分で異なっていた。
愛知県安城市亀塚遺跡や岡山県総社市新本遺跡出土の土器には、
共通した入墨を表した顔が描いてありました。 |
黥面土器/総社市一倉遺跡 |
人形線刻土器/宮山遺跡 |
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40弥生時代の葬送 |
41特殊器台・特殊壺
特殊器台は、
古墳時代の埴輪の元になったもので、弥生時代後期後半以降、集団の首長の葬式に使用された、特殊な文様をもつ大きな器台です。
器台の上には特殊な壺が載せられ、器台・壺ともに外面を弁柄で朱く塗られていました。
宮山墳丘墓から出土したこの器台は、弥生時代最後のものですが、これと同じ文様をもつものが、
最古式の古墳である、奈良県箸墓古墳などから出土しており、吉備と大和の関係を考える上で、全国的に注目されています。
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特殊器台 宮山形 |
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弧帯文リンク1 2 |
特殊壺 1 |
特殊器台・特殊壺破片 |
特殊器台形土器 |
特殊器台から
特殊器台型埴輪へ |
弥生器台から特殊器台へ |
特殊器台と壺の変化楯築型→立坂型→向木見型→宮山型→ |
特殊器台型埴輪
都月坂1号墳→元稲荷古墳→メスリ山型古墳 |
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42土器棺
幼児を埋葬した土器棺長良山遺跡/総社市 |
集団墓地の供献土器岩屋土壙墓群/総社市 |
弥生時代の集団墓地岩屋土壙墓群/総社市 |
特別な人の墓 |
宮山墳墓群箱式石棺・土壙墓・特殊器台棺などの集団墓と
前方後円形の墳丘墓に竪穴式石室を持つ首長の墓があった |
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50古墳時代 |
51古墳時代の暮らし |
53新旧の文化
古墳が造られた時代権威を現した鏡
泰上沼古墳 |
古墳時代の土器 |
ムラで使われた土器窪木薬師遺跡 |
法蓮87号墳
法蓮23号墳 |
朝鮮半島からの新しい文化新しい生活・・カマドの付いた家(5世紀代) |
これまで通りの
野焼きor簡単な窯
で焼いた土師器
焼成温度800℃ |
古墳時代後半の土器
約6世紀頃新技術:登窯焼成の須恵器 焼成温度1000℃以上 |
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55雑貨
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紡錘車 |
舟? 玉類 |
蓋物 (合子) |
土垂 |
蓋物 (合子) 復元品 |
製塩実験に使った土器 |
製塩土器 |
製塩実験の様子 |
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63武装
隋庵古墳
帆立貝式前方後円墳
5世紀/総社市西阿曽 |
短甲 |
兜 |
佐野山古墳方墳/5世紀/
総社市井尻野 |
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隋庵古墳出土
鉾・石突 |
佐野山古墳 |
佐野山古墳出土/鉄剣 |
出土武器・武具 |
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竪穴式石室・短甲出土状況 |
鉄剣・鉄鏃・槍鉋
石室見取り図・管玉 |
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65埴輪
大王の墓に並ぶ吉備の古墳 |
作山古墳 5世紀 |
各種埴輪円筒・朝顔形・人形埴輪 |
福井大塚1号墳
人形埴輪 |
朝顔形埴輪 |
円筒埴輪 |
盾形埴輪 |
日本の巨大古墳 |
家形埴輪 |
家形埴輪 |
埴輪棺 |
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67装身具
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石製首飾り |
すりばち池古墳群
1号箱式石棺 勾玉 |
すりばち池古墳群2号墳
勾玉 |
首飾り/石・ガラス製
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子持勾玉/大文字遺跡
総社市中林 |
ガラス玉/中山6号墳/
第2主体/古墳中期 |
刀子・鉄鏃 |
馬形埴輪各部名称 |
鐙金具/銀象嵌把頭 |
単鳳環頭柄頭/馬具/
こうもり塚古墳 |
鏡(獣形鏡) 雲珠 |
飾り金具 |
鉄剣
藤原北1号墳
立坂北1号墳
すりばち池1号箱式石棺 |
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70須恵器 |
71福井大塚古墳群 7号墳
個人の墓から家族の墓へ
竪穴式から横穴式石室へ |
須恵器群 |
胴部に小さな円形の孔が開けられた須恵器の総称
胴部の形から壺形・樽形に分けられる。
竹などで作った管を孔に差し込み、液体を注ぐのに用いたと考えられている。 |
はそう
「延喜式」に陶匜とういの口を作る材料として箆竹のだけが上げられている「和名類聚抄」には「匜」は「楾」のことで注口を半ば挿入して使うことから半挿はそうである。 |
福井大塚古墳群/後期古墳群
前方後円墳・円墳6世紀後半~7世紀代で何度かの追葬。
12号墳は6世紀第3四半期に築造された古式の横穴式石室墳で多数の遺物が出土している。 |
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蓋付き七連杯 |
蓋付き七連杯/和歌山県岩出町 |
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福井大塚7号墳 |
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72福井大塚古墳群 12号墳
空撮 |
横穴式と竪穴式石室 |
供献土器 |
福井大塚12号墳尾根先端部の帆立貝式前方後円墳L13m
円筒埴輪横穴石室 |
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80鉄鍛冶
鉄づくりの流れ
って読めないよね |
鍛冶につかった炉 |
炭焼き釜 |
子持ち壺 |
装飾付脚付壺 |
隋庵古墳帆立貝型前方後円墳
5世紀中葉~後半
鍛冶具が出土 |
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鍛冶具 |
鉄器 |
隋庵古墳鉄器 |
鉄を作った大工場
8世紀頃 |
炭焼き釜 |
古代の鉄づくり |
鍛冶工房の鉄器 |
鉄てい(原料鉄) |
鏃・刀 |
鎌・斧・釘 |
鍛冶屋の砥石 |
鉄鉱石
鉄鉱石を砕いたもの
鉄滓 |
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90ご飯炊きの歴史
早期(前4・5世紀)~前期(4世紀)まで、7・800年も土師器で穀類を炊いていた。
低温焼成の土師器からは泥が溶け出し、穀類に混じり、歯の摩耗や病気の原因となった。
中期 (5世紀)以降、蒸し器 (甑こしき)による調理法の導入によって穀類のおいしい炊き方が一般化した。
ご飯炊きの歴史 |
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こしきとかまどによる調理 |
ご飯炊きに使った道具 |
蒸し器の底には蒸気を通す穴が開けられている。形は各地で様々である。 |
ただの丸い大穴の場合もある。 |
底にさなを入れ、布を置いて蒸したようです。 |
それは現代まで全く同じ方法を行っています |
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100鬼ノ城 (きのじょう) |
101
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102復元された鬼ノ城の写真
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110こうもり塚古墳 前方後円墳 6世紀後半
陶棺
陶棺は、古墳時代後期に用いられた棺です。全国で700例以上が知られており、その内、吉備地方が3/4以上を占め、わけても美作では
全国出土量の半数以上が出土していますから、美作の後期古墳を特徴づける棺ともいえます。
こうもり塚古墳の陶棺は、装飾が豊かで、脚に丸い透孔をもち、最古の陶棺のひとつとされています。
当時の高級陶器須恵器
供献土器として、後期古墳に埋納される |
陶棺の蓋
最古の陶棺 |
独創的で見事な立体文様 |
古墳後期の棺。全国で700例以上。美作ではその半数出土。 |
陶棺 |
陶管の脚 |
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120古代の渡来文化
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