西日本の縄文 北陸の辺縁は何処まで 13,14 2015.10.20-2〜3
鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室13 鳥取市青谷町青谷667 0857-27-6711 (支所の二階) 平日開館 撮影可
鳥取市青谷郷土館 (あおや郷土館)14 鳥取市青谷町青谷667 0857-85-2351 (支所に併設) 平日開館 撮影可
交通 レンタカーのみ 場所は、鳥取市青谷町総合支所2階にあります。0857-85-0011
時期 弥生時代
見所 襲撃された集落から発見された、一村皆殺しの殺戮痕跡。弥生人の脳
集落史 青谷上寺地遺跡は妻木晩田遺跡と共に、当時の港湾を持つ集落遺跡でした。(妻木晩田遺跡は丘陵上遺跡と思われがちですが)
・弥生前期後葉 (紀元前180頃) から、集落は始まり、
・弥生後期末 (紀元170年頃) 殺戮が行われた。
しかにもかかわらず、
・3世紀半ば(250年頃) まで集落は続き、その頃衰退を始める。
何者かが集落を乗っ取り、知らぬ顔で入り込んで住み続けたようです。
殺戮の様子
殺戮は一村皆殺し。100人以上の幼児から老人まで、男も女も、むごい殺し方で、皆殺しにして、ドブに投げ捨てた。 その後に、
日用品。食器などを使えぬようにわざと半分に壊してドブに投げ捨てた。既に殺した人の食器を手間を掛けて壊して捨てるなど、
尋常ではない。
更に、家財などに一度火をかけ、それをまたドブに投げ捨てている。実に念の入った戦場処理の仕方だ。
そして、物見台をも壊して、火をかけて、捨てている。殺戮者であっても、更にここを乗っ取るのなら必要なものであるのに壊している。
どうにも、わけがわからない。強烈な恨みや偏執的な殺人集団・破壊者のように感じる。 ただし、宝飾品は完全に持ち去っている。
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目
次 |
鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室
00外観
01入口展示 ビデオ案内
10展示室
12食槽・桶
14窓枠・縄
16椀・坏形容器
18かご
22片口・匙
24楯
26線刻板
28工具
32杭・矢板
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40弥生土器 青谷上寺地遺跡の土器
41前期の土器
43中期の土器
45後期の土器
47他地域の土器
49様々な高坏
60器台
61弥生時代終末期〜古墳時代前期初頭の土器
70楼観
出土建築部材の概要
弥生時代最長の柱材 |
鳥取市青谷郷土館 (あおや郷土館) 14
91あおや郷土館 |
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00外観
鳥取市青谷町総合支所画像転載 |
総合支所の中に県埋文青谷調査室が、
駐車場入口左側に
郷土館あり
画像転載 |
青谷上寺地遺跡の関連施設の徒歩地図
JR青谷駅・発掘現場・展示館・埋文展示室・あおや郷土館 |
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01入口展示 ビデオ案内
現代の青谷町 |
6000年前の縄文海進頃の青谷 |
1800年前弥生時代の終わり頃 |
古青谷湾の天然の良港で、外から見えない隠れムラ |
湾奥の青谷上寺地遺跡集落 |
周辺には杉の大木が生い茂っていた |
丘陵上にはカシなど広葉樹が拡大 |
外洋からは見えない防衛に最適のムラ |
海から見た遺跡 |
海辺にはシイやタブ等照葉樹林が繁り砂丘奥に古青谷湾が |
ムラの入口が見える |
湾奥の集落 |
三角州に遺跡が営まれた |
集落周辺にトチ林
有用材の植林かな |
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10展示室 |
12食槽・桶
食槽食器だった。全て半分に割って投げ捨てられた |
下:刳り物の食器
当時はワンプレートに食べ物を入れたようだ |
下:一木造の桶。刳り物 |
割られた桶 |
底の付いた桶 |
桶の内側 |
見事な刳り物
高い技術です |
底板がはまります
きっちりで漏水しない |
小判型の刳り物手桶 |
底板は見当たらないが
名人の作品 |
膨らみがなくても底板が密着して漏水しない。 |
割られた半分。割ったのは、遺跡を襲撃した人殺し達 |
刳り物桶と食槽 |
紡錘形の刳り物桶 |
桶の底板 |
刳り物食器 |
消耗品の食器は
もともと沢山あったようだ |
109人もの住民が殺害されたから、沢山の日用品が壊されて捨てられた |
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14窓枠・縄
窓枠状木製品
魚の干物でも干したのか |
縄というより綱 |
編みこまれた装飾紐 |
真田紐のような |
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16椀・坏形容器
椀・坏形容器
底はついている |
コップのような形状 |
蓋となっている |
蓋/赤塗の木製品 |
片手付きか |
高坏の一部かな |
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18かご
かご |
かご復元品 |
ザル 昔これにみかんを入れて炬燵で食べた |
って、こんなに背が高かったの |
軽い入れ物は大変重宝する道具です |
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22片口・匙
片口容器 |
匙 |
皿はなく椀だけ |
アイヌでは鍋から団子をすくい上げるヘラです |
細長容器 |
裏に溝があり二つ合わせて縛っていた。弁当みたい。 |
もう一方はこれです |
中央が窪んだ板。 |
食漕と大型匙 |
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24楯
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楯復元品 |
ニカワや漆を塗り重ねて作る |
楯 |
紐通しの孔が無数に |
端は丸くなって引きずらなくなっていたようだ |
巨木から切り出した一枚板は、窓でしょうか? |
大型楯でしょうか?裏に把っ手が付いています |
楯があるなら弓矢に他の武器もあったはず。一応戦闘準備はしていたんだ |
壊れた楯は捨てられた。きっと攻めてきた集団と形状か模様が違ってた |
武器類は全て押収され、持っていかれたため、攻撃用武器が全く見当たらない。 |
青谷上寺地遺跡展示館に少しあるが、大量の鉄剣や鏃などはない。 |
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26線刻板
線刻板 |
腰掛 |
礎板(そばん) 建物の基礎に使った |
タモ網枠 |
線刻のある板(船団) |
人形 呪術に使った |
魚形木製品
鳥形木製品 |
舟形木製品 |
新しい木製家具に落書きは、はばかられる。
すると線刻板は、落書きしてよい板と考えられる。
つまり、魚形・鳥形・人形と同じ、祭祀に使ったものではないか。
それとも装飾なのか。 |
例えば、
鳥の羽を付け集団でカヌーを漕ぐ様子などは、今も沖縄に残る海洋祭祀の祭りを表しているような。
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沖縄の海洋祭祀
女性が正装して美しく彩色したオールを持ち、一列に並んで歌いながら踊る祭祀がある。
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28工具
栓 |
建物の部材を繋ぐ詰め物 |
大型建物が沢山あったことを物語っている |
戈の柄
祭祀用の木製の戈ではなかったか。
隣の木製鉾のように。 |
鉾形木製品
祭祀用具です |
腰掛
こんなに低い腰掛や椅子はどんな使用目的だろう |
箱形木製品 |
椅子or机or台 |
椅子 |
木沓(きぐつ) |
腰掛 |
木包丁/蟻棧(ありさん)
木包丁は木製収穫具
稲の穂摘み具だった。 |
蟻棧は
二枚の板をつなぎ合わせる技法 |
田下駄 |
鍬 |
へぎ板=薄く剥いだ板 |
小屋東 垂木 建築部材 |
鍬 |
鍬 |
臼 一木造の刳り物 |
雑穀を食べるためには必要な道具 |
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古代の鍬転載古代農具の変遷 |
木包丁
転載木から見える弥生時代の山陰 |
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32杭・矢板 青谷上寺地遺跡では何度も大規模な土木工事を行っていました。
杭・矢板地中に腐らずに残った
杭や矢板 |
土木工事は弥生人のお手のもの。 |
きっと、経験と知識で農業や生活の環境を便利に変えていったのでしょう。 |
石斧で杭をこれ程までに尖らせることができるのか。驚きである。 |
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40弥生土器 青谷上寺地遺跡の土器
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41弥生時代前期の土器
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43弥生時代中期の土器
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45弥生時代後期の土器
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47他地域の土器
広島県北部の弥生土器
岡山県東部の弥生土器 |
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49様々な高坏 岡山〜広島〜出雲のあたりの形式です ※山口県の形式は含まれていない
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60器台 岡山県方面の器台の形式ではないでしょうか
器台 |
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壺 |
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様々な蓋 |
ミニチュア土器 |
ミニチュア土器は
葬送儀礼用です。 |
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61弥生時代終末期〜古墳時代前期初頭の土器
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70楼観-高殿、物見やぐら
出土建築部材の概要
遺跡出土7000点の建築部材には、建物柱材、梯子、護岸工事用矢板、板材、杭や、弥生時代最長の楼観の柱。
蟻桟(ありざん)2枚の板を接合する方法、の板も出土している。部材表面には現代に匹敵する精緻な加工痕や加工具の様相をつたえている。
弥生時代最長の柱材
柱材は弥生時代後期 (約1800年前) のもので、溝の護岸の補強材に使用されていました。直径17p、長さ7m2cmもあり、
弥生時代のものとしては最長です。
床を支える部材(大引)を差し込んだ穴(貫孔)の位置から、建物の床面はおよそ6mのところにありました。
楼観の柱材 |
建築部材の概要 |
最長の柱材 |
楼観の内部構造 |
魏志倭人伝の記述 |
弥生最長の柱材 |
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西日本の縄文 北陸の辺縁は何処まで 19-1 2015.10.20-3
鳥取市青谷郷土館 (あおや郷土館) 14 鳥取市青谷町青谷667 0857-85-2351 (支所に併設) 平日開館 撮影可
交通 レンタカーのみ 場所は、鳥取市青谷町総合支所敷地内で、向かい側にあります。
時期 弥生時代
見所 入口展示で、鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室から、青谷上寺地遺跡の、見てくれの良い小物を借りて展示してあります。
これが、結構いいものなんですよ。少しですが是非ついでにご覧ください。
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91あおや郷土館
郷土館通常は写真展なんかをやっています |
蓋、楯、刺し物箱 |
刺し物箱名人の作品。目釘止め |
杉材製、外に開いた手の込んだ作品
製作に細引き鋸が必要 |
蓋 弥生中期後葉つまみを削り出した。放射状の連続渦文/ 製作には木工轆轤が必要 |
蓋 弥生中期紐通しの把手サメ・魚の線刻/ 制作道具として
回し引き鋸がっあった |
楯 弥生後期初頭〜後葉
割れ止めの綴じ跡。赤と緑の彩色顔料。隠岐産緑土/金属製キリが必要 |
指物の腰掛
弥生後期〜古墳初頭 |
製作には曲尺とカンナに各種のノミが必要 |
割れにくい材で丈夫に作られている |
竪櫛細く精緻な櫛はスキ櫛か
虱をスキ取るためのもの |
発掘されたままです |
縦櫛
弥生後期初頭〜後葉板を糸鋸で切り出した。流水文を彫刻 |
弓式の糸鋸が必要
針金と鏨で歯を付けたか |
直柄又鍬
弥生後期初頭〜後葉
木製四本歯の鍬を柄に目釘で固定。目釘は木製だったか |
畑の畝を耕す程度の道具と思われる。 |
荒れ地をおこす(耕起)には力不足である。 |
勒島式土器
韓国・慶尚南道
弥生中期中葉〜後葉
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半島からの定期船が立ち寄った証でしょうか |
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