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   西日本の縄文 北陸の辺縁は何処まで 08  2015.10.15

  村岡民俗資料館   兵庫県美方郡香美町村岡区村岡2324-1   開館時間午後1時〜午後5時(火〜金)   月曜休館
                                                   午前9時〜午後5時(土・日・祝)

   交通  レンタカー

   見所  こんな辺鄙な山中に古墳時代の金銅製馬具・刀剣の副葬品が多数。


     小代古代体験の森09  兵庫県美方郡香美町小代区廣井804  0796-97-3206  無人

      見所  縄文〜古墳までの復元住居建物

     植村直己冒険館07   兵庫県豊岡市日高町伊府785  0796-44-1514 水曜休館

      見所  グレートジャーニーで使われた外洋航海用の丸木舟を展示




次  

村岡民俗資料館 08

01外観
05展示資料

10旧石器時代
20縄文時代
30弥生時代

40古墳時代
41古墳を築いた人々のくらし
45副葬品

50古代
 
60小代古代体験の森 09

61道中 
65復元住居

※1山ノ上遺跡

70植村直己冒険館07

71外観
72神田道夫 気球で太平洋横断
73植村直己・世界五大陸最高峰登頂。北極・グリーンランド横断。

74関野吉晴 グレートジャーニー
※外洋航海用丸木舟の展示



 村岡民俗資料館 08
 01外観
旧三方郡役所利用の展示館 一階の状況から期待薄
でも階段から見るリノベーションで期待高まる
やっぱり!素晴らしい。

ぶら下がる黄色い白熱灯は不必要で、邪魔。蛍光灯だけで充分です。
窓際にあるライトコントローラーで消灯しましょう。
 展示品の入れ替え時用のライトですね。
 ダウンライトが反射して見にくくなっています。
 最初の設計になかったものを、
後から無理矢理工事したもののようです。
  セキュリティは完璧ですから
美術品泥棒からも防衛されています。

   国基準


 05展示資料
         管理人さんが遺跡の説明に見せてくれました。 これがないとわからないことが多いです。
         ガイドのパンフレット代わりですね。
文堂古墳の墳丘と
横穴石室全長10.4m
玄室長4.4-4.9m
玄室幅1.6-2.1m
羨道長5.9m
羨道幅1.5-1.7m
出土した武具・馬具 双龍環頭太刀柄頭
圭頭太刀柄頭
頭椎太刀柄頭
頭椎太刀柄頭の裏表
X線写真
双龍環頭太刀柄頭
X線写真
両頭金具(弓筈)X線写真、鉄鏃 轡(くつわ)
金銅装の馬具
杏・葉・帯から吊り下げ装飾品(馬具)
方形・円形の帯金具
鞍金具とX線写真
馬具破片
馬具各種とX線写真
鞍金具
馬具各種
須恵器の高坏・壺・はそう
須恵器と土師器
須恵器の蓋杯・杯、身に蓋受がある
土師器の蓋につまみ
器物の図
漆記号付須恵器
体部にコ字記号をつけるもの


 10旧石器時代
私たちの祖先
但馬の人類痕跡は、
1万数千年前

ナウマンゾウの狩猟と岩陰生活ということかな


 20縄文時代 -狩りと採集の生活- 1万年前〜2200年前 (この地域の縄文の時間幅)
狩りと採集の生活 加曽利式土器にパン等子供用のイメージ図ですから厳密に考えないでね 石器 出土地不明
これは飾りでした
押型文土器の破片のようです 縄文土器
香美町村岡区福岡
タツヶ平遺跡出土
押型文・縄目文の土器 押型文土器 押型文土器 石鏃・スクレイパー・石匙
が、光って写真が撮れずこれでは見えない
石鏃など 出土地不明 箱が分けられているのは場所が違うのかも
黒曜石の破片もあるが、
大分産なのかな
凹石 キャプションがほとんどありませんので。

  わからない


 30弥生時代 -米つくりのはじまり- 2200〜1700年前
米つくりのはじまり 菜畑遺跡型の稲作図 弥生土器と石器 磨製石斧 弥生土器


 40古墳時代
      農耕社会が進み各地の頭目は、地域を統合してその首長に成長した。大和の首長は各地を次々と従え、統一国家を作った。

      首長が大きな墓(古墳)に葬られるようになった3世紀末からが古墳時代の始まりです。
      紀元後300年頃から400年続く古墳時代は、古墳の特徴により、前・中・後の三期に分かれます。

      前期から中期には、前方後円墳に竪穴式石室の古墳が各地に築かれました。
      後期になると、朝鮮半島より伝わった横穴式石室や須恵器の副葬に加え、小規模な円墳などの密集した群集墳が全国に普及した。

 41古墳を築いた人々のくらし 1700-1300年前
土師器転用死者の枕 珠文鏡
結局何のことかわからない珠文鏡でした。

飾りです
鉄鎌と鍬先 円盤状土製品、ミニチュア土器。縄文の葬送では円盤を頭に載せ、ミニ土器を供献した。縄文の風習がまだ続いたのか

飾りです
土師器高坏・
耳状把手付高坏
八幡山6号墳出土
須恵器 壺・横瓶 高坏類 はそう
中の田古墳出土
椀 知見古墳出土
横瓶 
湯呑のような土器
珍しいね
蓮華文石材 これから蓮華文を切り出すのかな
仏教用の石材
土垂 上野遺跡 飾りです
須恵器大甕 6世紀半
長者ケ平1号墳
陶棺 6世紀
長者ケ平2号墳


 45副葬品
文堂古墳出土玉類・珠文鏡 文堂古墳出土太刀柄 文堂古墳出土馬具 八幡山6号墳玉類 兎塚地区出土玉類 八幡山6号墳環頭太刀
八幡山6号墳環頭太刀 文堂古墳出土金銅装太刀
金銅装頭椎太刀
文堂古墳出土 文堂古墳出土金銅装方頭柄頭


 50古代
   -七美郡の成立- 1300〜1200年前

    7世紀中頃遺構古墳は次第に姿を消し、寺院の建立が始まった。
    古墳から寺院へのモニュメントの変更は飛鳥朝廷が全国の土地と人民を国家のものとし、天皇中心の律令体制を作る過程でもありました。

    701年の大宝律令によって地方を支配するための行政区画としての、国・郡制が敷かれました。
    国・郡を統括する地方政庁として、国衙と郡衙が置かれ、国衙に国司として中央役人が。郡衙に郡司として地方豪族が、任命されました。
    文堂古墳の豪族の子孫が郡司に任命され、寺院を建立した。

    律令政治が整うと710年に飛鳥から平城京に遷都した。全国各地で国府の建設が始まった。

    但馬の国衙は現在の日高町に置かれ、奈良時代の七美郡の郡衙は豊田(市原)に置かれた。
    784年長岡京遷都、10年後には平安京に遷都された。その後の400年間を平安時代と呼んでいます。

七美郡の成立
役所か寺院の写真 遺物のようです 情報なくすみません。









        2015.10.15 関連リンク

 60小代古代体験の森 09  兵庫県美方郡香美町小代区廣井804  0796-97-3206  無人

     見所  縄文〜古墳までの復元住居建物


  61途上 

カーナビに騙されて、谷川に落ちそうな山道を走らされました。 行き着いた先はこんな荒れ果てた所。元何があったのか。 収穫は「やまなし」の本物の実。硬くて食えないが。梨だ。 宮沢賢治 やまなし-青空文庫 道路脇に供養塔があり事故で死人が出たことが分かった。 広い道路を進むとここに到達。無人。地元の人が管理している こんな山家に先史〜古墳の住居があったのか。


  65復元住居
縄文時代
復元竪穴住居
弥生時代
復元竪穴住居
古墳時代
復元竪穴住居
古代
高床式倉庫
竪穴住居跡保存施設
丘を登るとこの施設があります※1
中には竪穴住居跡がそのまま保存されています 保存施設としては全国的に珍しい、本物が見られます。 外からの撮影はちょっと難しい。

 ※1山ノ上遺跡

  「小代古代体験の森」に隣接する「広井山村広場」のグラウンド整備に合わせて行われた、山ノ上(うえのやま)遺跡の発掘調査で、
  縄文時代早期(約7千年前)の住居跡、縄文土器の破片、石器などが出土した。

  遺跡はグランド整備のため(ほとんどだれも使ってない)破壊され、遺跡はすぐ横の、保存建屋の下に移動された。それが上の竪穴住居跡である。

   引用Wikipediad小代古代体験の森









 70       2015.10.15

  植村直己冒険館07   兵庫県豊岡市日高町伊府785  0796-44-1514 水曜休館


     見所  グレートジャーニーで使われた外洋航海用の丸木舟を展示




    この地からは加藤文太郎植村直己の二大冒険家が輩出しています。 日高町アはドベンチャー魂の土地柄でしょうか。

      以前、北海道ニセコ高原ユースホステルを経営されていた、日高町出身の方がおられました。
      夫婦共々冒険家で、結婚前、一人旅でアフリカを縦断したりと、いろいろなお話を伺いました。
      ご主人は現在、札幌市でアコーディオン協会の会長をされています。
  71外観
広大な土地で入口が分かりにくい 美しく整備されています
四季共々美しいようです
ここに細い道があり この羨道を通ってこの地下に入っていきます
古墳みたいですね


  72神田道夫 気球で太平洋横断
神田氏の業績が讃えられています これが気球のゴンドラ


  73植村直己・世界五大陸最高峰登頂。北極点・グリーンランド横断 単独行
南極点単独行を目指した植村氏でしたが、スポンサーを求めて 放送局と接触したため、必要のない冒険を再現させられ、 帰らぬ人となりました。 北極点単独行では、金に飽かした、日本の大学の邪魔が入ったり、 冒険人生も、大変な冒険だったようです。
縄文時代の石匙と同じ形状のウル(ナイフ)
エスキモーはこれで肉を切りながら食べる
石匙は、大きいままの食材を、食べる時に切って食べた。 小さく切ると煮沸した土器から取り出せなくなるため 植村直己氏の 犬橇の構造全て革ひもで結わえる
滑走面には泥炭を塗った


  74関野吉晴 グレートジャーニー 外洋航海用丸木舟づくり
フィリピンから沖縄まで
航海した外洋航海型丸木舟
帆までも植物繊維で再現され、使用された 鉄斧を作る九十九里浜で砂鉄を集め、鈩で鉄斧を作った。
その斧で、
フィリピンで大木を切り出し、 丸木舟を作り、 準構造船に組み上げ
アウトリガーも取り付け、 帆を編み フィリピンにはこの技術がまだ残っているんですね
立派な外洋航海船完成
釘を使わず、力のかかるアウトリガーさえ結わえてある。古代人の高い技術 この木組みをするために彫器が必要だったのかも
これらの技術は海洋航海の長い経験によって培われた技術と知識、 海図や海の気象や海流を知ること、など 沢山の知識・技術・経験が蓄積されてできたことでしょう。 旧石器人・縄文人の知能の高さには感服します。  スンダランドで海洋漁労に従事していた人々は、
 沈んでいく大地を後に、
少しずつ少しずつ北上しながら、列島にたどり着いたのでしょうね。
 冒険のように一挙に列島にたどり着こうとせず島を一つずつ移動しながら、漁をしながら、の旅ですね。

   旧石器人はスンダランドからサフルランド(オーストラリア・ニューギニア)やマリアナ諸島へ舟で進出しました。