北陸の縄文と観光2 08 2016.03.13(日) 富山県埋蔵文化財センター 富山市茶屋町206-3 金曜休館 交通 富山駅からレンタサイクル (駅観光案内所で無料貸し出し) or タクシーかレンタカー 展示 企画展「縄文時代のとやま -縄文集落にみる生活となりわい-」 発掘された日本列島2015展の共催展として行われたものをそのまま延長して展示されたもの。 見所 ①富山県の縄文土器形式の全てが、実物土器で展示されている。 ②小竹貝塚の最新展示。 特記 富山の土器編年が実物土器と図で見ることができます。 |
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00立山絶景 |
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02埋蔵文化財センター ―縄文時代の富山―展 あいさつ文 近年、北陸新幹線の建設工事に伴って発掘された富山市小竹貝塚をはじめとして縄文時代の遺跡で大きな発見が相次ぎ、 富山で暮らした縄文人の生活が具体的に分かってきました。 本企画展ではこれら最新の調査成果をもとに、富山の豊かな自然と共生しながらも、 自然を巧みに利用していた人々の姿を紹介することで、 とやまの縄文人に想いをはせていただきたいと思います。 |
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10自然の恵み ※1縄文時代とは 1万年間続いた縄文時代、人々は自然と調和し、その恵みに支えられ、独自の文化を作り上げました。 13000~2300年前の1万年間、縄文人は弓矢・磨製石斧・土器を基に、狩猟採集生活を基盤とした定住生活を送っていました。 自然の恵みにゆだねた生活で、人々は自然に働きかける様々な祀りを生み出し、土偶や石棒など、独特な精神文化を作り上げました。 ※2海の恵み・山の恵み 春は山菜採り。海辺で潮干狩り。 漁猟は夏場を中心に行われ、釣りや網漁をし、イルカの追い込み漁もしました。 秋は落葉広葉樹の森で堅果類を採集し主食としていました。また、山芋やキノコなども利用しました。 冬は、草木が枯れ、獲物が見つけやすくなり、動物に脂がのっておいしくなった頃に狩猟がおこなわれました。 |
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11パネル |
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12縄文人の食べ物 |
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13狩猟 ※1大型動物が絶滅し中小型動物に対象が移ると、狩猟具も、手槍から投げ槍。そして、弓矢へと変化します。 狩猟を効率化するために、犬や落とし穴が使われました。 |
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14漁労 ※2温暖化による縄文海進で遠浅の海ができ、魚介類が増加し、縄文人は様々な方法で海産物を獲得しました。
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15採集 ※3温暖化により東日本に落葉広葉樹林が広がり、ブナ・トチなどの木の実やキノコなどが食糧源となりました。 春に山菜を摘み、秋には果物や木の実を集め、土堀用の打製石斧で山芋・ユリ根など根菜類や球根類を採集していた。 堅果類は貯蔵穴に保存した。 |
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16食べる ※4土器の出現により、煮炊きや水さらしによるアク抜きが可能となり、自然物の加食範囲が増加しました。 また、石皿・磨り石による製粉技術により、ドングリや栃の実などの堅果類が主な食糧源となりました。 土器は、当初の煮炊き貯蔵用深鉢形から、各種の形があらわれ、盛り付け用の木製の器も使用されました。 そして、動物の解体や調理には、石匙などの石器が用いられました。
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17住居 ※6縄文時代当初の洞窟や岩陰の生活から、早期には10㎡程度の竪穴住居を作るようになる。定住することで安定して暮らせるようになりました。 前期・中期には超大型住居も出現し、朝日不動堂遺跡では4つの石組炉を持つ120㎡の竪穴住居が見つかりました。
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富山の土器編年 |
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20縄文の匠 20土器 ※1土器をつくる 縄文土器 (輪積方) での作り方。 ①粘土にひび割れ防止の砂や植物繊維を混ぜる。 ②日も状にした粘土を輪にして器の底から積み上げる。 ③土器の表面に縄・貝殻・ヘラ状工具で施文し乾燥。 ④800℃で野焼きして完成。 土器文様は、時期や地域によって様々です。このため、文様から地域の特定や、地域間の交流を読み取ることができます。 縄文中期の北陸の土器は、半切竹管で押し引いて器面全体を渦巻き状の文様で埋め尽くすのが特徴です。 縄文土器文様の意味 学芸員による解説の中で、「土器文様には、その集落で語られる物語が図形化して詰まっている。」と述べられたこと が強く印象に残っています。 これは、地域に特徴的な文様が成立し、その地域で拡大し、受け継がれる理由を述べたものです。 無意味・無秩序な文様であれば、他人が真似することもなく、本人も再現が困難でしょう。 しかし、地域に共通する「意味=物語」を文様にすれば、その集団の構成員たちが正確に再現することができるからです。 |
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土器の変遷 21草創期 15000年前~9000年前 草創期の土器は煮炊き用深鉢です。 形は、方形平底・円形丸底です。 形や文様の変化は出現期から始まり、 隆線文→爪形文→押圧縄文→(草創期後半)→多縄文(器面の多くに縄文を施す) 日本最古は大平山元(おおだいやまもと)遺跡15500年前 富山県最古は、立山白岩尾掛遺跡11000~13000年前 参考埋文とやま134
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22早期 9000年前~7000年前 押形文・条痕文 早期土器は砲弾形で、底部の先端が尖った、尖底土器が中心となります。 後半には平底深鉢も登場します。 文様に地域差があらわれ、関東地方では撚糸文。中部・北陸・近畿地方では押形文が多く用いられます。 |
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23前期 7000年前~5000年前 北海道や九州では尖底深鉢形土器が主流ですが、本州では次第に平底へと変化します。 文様は羽状縄文をはじめ、各種の縄文や竹管文、粘土紐貼付など、バラエティーが増えます。 また、器種も増え、浅鉢が前期後半から現れます。 極楽寺式 前期初頭/ 極楽寺遺跡/ 富山県上市町 砲弾型尖底土器が多い。 口縁部は、平らな平口縁と 波状口縁がある。 文様は、羽状縄文、条痕文が施文される。 朝日C式 前期中葉/ 朝日貝塚/ 氷見市 胴部に羽状縄文。口縁部に並行する沈線文。連続した爪形文などが施される。 器型は、胴上部でくびれ、口縁部が開くものが多い。平口縁と4単位の波状口縁がある。 蜆ヶ森式 前期後葉/ 蜆ヶ森貝塚/ 富山市 細隆起線文(細い粘土紐貼り付け文)、微隆起線文を口縁部と平行に数段施文し、 胴部は羽状縄文が施文される。 器形は口縁部が外反し、胴部は円筒形となるのが一般的。 福浦上層式 前期後葉/ 福浦ヘラソ遺跡/ 石川県志賀町 口縁部に鋸歯状印刻文を施し、その下に半隆起線文を渦巻状・波状にして埋め、 胴部には羽状縄文・斜縄文を施す。 器型は口縁部が直線的に外へ開き、円筒形と胴部が膨らむものがある。 平口縁と波状口縁があり、口縁端部に耳状突起をもつものが多い。 朝日下層式 前期末葉/ 朝日貝塚/ 富山県氷見市 斜縄文を地文とする器面にソーメン状の細い粘土紐を貼付けるのを特徴とする。 器型は胴部が円筒形で、口縁部が上部で内湾するものと、口縁部でわずかに外反するものが多い。 |
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24中期 5000~4000年前 各地に地方色豊かな土器様式が出現します。 口縁部を飾る大きな突起や粘土紐貼付による隆起文など、 関東から中部地方にかけては華美なものがあらわれます。 また、後半には台付鉢や吊手土器(ランプ)、有孔鍔付土器などの器種も増えます。 新保・新崎式 初頭~前葉/ 新保遺跡/石川県能登町/ 新崎遺跡/石川県穴水町 竹管で施文される半隆起線で飾られ、頸部に横走する半隆起線で上下に区画される。 口縁部は横方向。胴部は縦方向の構成をとり、口縁部は爪形文・胴部にはB字状文等が描かれる。 天神山式 中期中葉/ 天神山遺跡/ 富山県魚津市 粘土紐による隆起線が斜行し端部で渦を巻き、竹管による曲線や三叉文などで器面を埋める。 器形はキャリパー状やバケツ状となるものが多い。 串田新式 中期後葉/ 串田新遺跡/ 富山県射水市 幅広い半隆起線や直角の沈線で区画された、「工」字状文、貝殻腹縁によるミガキまた葉脈状文・刺突文が施文される。 波状口縁の波頂部が凹む双頭突起が特徴的である。 新しいものは、前田式、岩峅野式と呼ばれる。 |
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25後期 4000~3000年前 土器様式圏が中期より広がります。全国的に波状口縁の深鉢が増加。 文様は、中期の豪華装飾から、磨り消し縄文を基調とした、洗練された文様の、小型で黒い色調の土器が多くなります。 また、綿密な文様の精製土器と、縄文だけの粗製土器が区別して作られるようになる。 気屋式 後期前葉/気屋遺跡/石川県かほく市 口縁部や頸部に三角形の連続した刺突文を施文する。 深鉢と浅鉢を基本とし、注口土器が伴う。 器形は突起を付ける平口縁と波状口縁があり、ゆるく膨らんだ胴部が頸部でくびれて、口縁部がまるく内湾する。 井口式 後期中葉/井口遺跡/ 富山県南砺市 深鉢は平口縁と波状口縁があり、共に胴部中位で屈曲する。 口縁部と胴部の屈曲部に横走する凹線を巡らし、巻貝の圧痕などにより凹線を区切る。 また、この時期から条痕文を施文された土器も現れる。 八日市 後期後葉/八日市新保遺跡/ 石川県金沢市 新保式 深鉢は胴中位にくびれ部をもち、大きく外傾し口縁部は「く」の字に外反して内面に段を有する。 穏やかな波状口縁を持つものが多い。 文様は、数条の並行沈線を縦の沈線・楔形文・「X」字状文で分断するもの、「H」字状の連結三叉文や山形文を波頂部に施文する。 |
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26晩期 3000~2300年前 土器の昇華と退嬰 後期から続く土器の広域化が進み、東日本の亀ヶ岡式土器様式と西日本の突帯文(条痕文系)土器様式に、列島は二分されます。 北陸では磨り消し縄文を基調とした「亀ヶ岡式土器様式」の影響を受け、入組文・三叉文・雲形文などで飾られます。 彩文土器、赤色顔料を塗布した土器も特徴的です。 御経塚式 晩期前葉/御経塚遺跡/石川県野々市 深鉢は頸部で緩くくびれ、外反する平口縁・波状口縁からなり、ズンドウ形を呈する。 文様は亀ヶ岡式の影響を受けた、三叉文・玉抱き三叉文・入組文・「T」字を主文様とする。 中屋式 晩期中葉/中屋遺跡/石川県金沢市 球状の胴部から「く」の字状突起で飾る。入組三叉文を主文様として、列点文・押引き刺突文などが用いられている。 器種は多種で、特に蓋が目立つ。 下野式 晩期後葉/下野遺跡/石川県白山市 文様は棒状工具による連続押引列点文・「S」字状文・楕円行工字文等が主文様となる。 器種は、浅鉢・深鉢が基本形態で壺が伴う。
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※12縄文から弥生へ(要旨)
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30石器・木器・籠 |
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31石斧 ※1石斧を作る 境A遺跡(朝日町)は石斧づくりの材料蛇紋岩が多く採れた、石斧作りのムラでした。 木材の伐採・加工に用いられた磨製石斧は、当初、柄に対して刃が直角な横斧(ちょうな)でした。が、やがて楯斧になりました。 海岸で適当な大きさの蛇紋岩 (粘りがある石材) を拾い、磨製石斧に加工し、交易した。 別に。硬質砂岩でも石斧が作られた。 |
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32玉作り ※1玉を作る 玉は身を飾るだけでなく魔除けとして、神秘性や呪術性を秘めたものです。 北陸地方はヒスイや滑石などの石材が豊富で、玉を作る技術が発達しました。 中でも、翡翠の色は若葉に通じ、自然界の活力の象徴と考えられ、縄文人の憧れの色でした。 朝日町境A遺跡の人々は、宮崎・境海岸でヒス水の原石を探し、大珠や丸玉け勾玉などに加工しました。 硬度7というナイフでも傷つかない硬い石に穴を開けるのは大変ですが、 縄文人は竹と砥石の粉を媒体にして削り、穴を開けました。 |
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33ヒスイ製品 |
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35翡翠大珠 |
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37木器 ※1木器を作る 縄文時代には生活の道具として木器が使われるようになりました。 集落周囲の森から、人々は丸木舟や容器、斧柄・タモ枠・弓など多様な木の道具を作りました。 その他に漆の利用があげられます。 漆の扱いは、木の管理に始まり、樹液の採集・精製、塗装用の漆の調合・塗装・乾燥といった工程があります。 特に、不純物の除去や湿度の管理には熟練した技術が要ります。 縄文時代にはすでにこのような高い「漆文化」が存在しました。
※2縄・編み物の技 縄文土器の表面を飾った「縄」は文字通り縄文文化のシンボルです。 縄文時代の縄は麻やカラムシなどの植物繊維を用いました。 繊維に「撚り」をかけて縄にすることで、同じ繊維量の数倍から十数倍の強さとなり、長さも自由に調節できます。 縄は日常生活で頻繁に行われる、結ぶ・縛る・巻く・絡める・繋ぐなどに用いられ、欠かすことのできないものでした。 また、現在のしめ縄からもわかるように撚るという行為に精神的な意味合いが込められていた可能性も指摘されている。 編み物も日常に欠かせないものです。ツル植物の茎を薄くそいだり、カラムシなどの植物繊維を利用して、 アジロ編やモジリ編でザルやカゴ、魚を獲るウケ・魚網編布とよばれる布などをつくりました。 |
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40自然への祈り ※1祈る
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41土偶 |
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42石棒・石刀・御物石器 |
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44装飾品 ※装う 縄文人の装身具には呪術的な意味合いが強く、男女差・出自の差(身分差)もあったようです。 縄文の装身具は、櫛・ヘアピン・耳飾り・ネックレス・腕輪がありました。 埋葬人骨では男女差も見られ、 男性は力の象徴としてツキノワグマやオオカミの牙で作った牙玉。 女性は鳥の骨で作ったネックレスや耳飾りが副葬された例があります。 こうした装身具は、個人の好みやセンスでなく、呪術的な意味合いを持つと考えられます。 また、装身具の種類によっては、出自や社会的な地位に完形する可能性も考えられます。 |
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50小竹貝塚 |
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51小竹貝塚の概要
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52人骨
※1夏の小竹貝塚 -6000年前のある初夏の午後-
※2小竹縄文人の寿命と体格 91体の埋葬人骨は縄文時代前期としては国内最多です。青年男性が多く、その体格には多様性が見られます。 1.個体数91体 2.性別年齢構成 男性35体 女性18体 青年(10代後半~20代)が最多。 次いで胎児・新生児。 平均寿命は短命だった。 ※元気盛りの働き手が多く死ぬということは、漁労作業中の水難事故でしょう。小竹人は泳げないのに漁労をしていたようだ。 3.身長 男性22体 165cm以上6体 154cmも多い 女性7体 平均身長は148cm 縄文後晩期と同じ。 ※データの出し方がおかしい。なぜ低身長個体の人数を示さないのか。高身長・低身長の割合がわからないではないか。 ※なぜ女性だけ平均化してしまうのか。高低取り混ぜてしまうとなんにもわからない。意味のない数字で後晩期と同じだとしてしまったようだ。 ※3縄文時代の墓の形 縄文時代の墓の多くは土壙墓で、数種類に分類されています。 1屈葬 膝を曲げた状態で埋葬 36体 ①仰臥屈葬 上向き ②側臥屈葬 横向き 2伸展葬 膝を伸ばして埋葬 1体 3抱き石葬 遺体の胸に石を置く 9体 4土器棺葬 土器に入れて埋葬する。乳児が多い。 4基 5再層 白骨化した骨を集め、再び埋葬する 副葬品 男性 磨製石斧・石匙・牙玉 ・骨格製刺突具など 女性 玦状耳飾・骨格製垂飾・鳥骨製管玉・凹石など ※発火具の凹石が女性の副葬品ということは、近年まで火起こしと火を守るのは女性の仕事だった。これは縄文前期から続く風習だったのだ。 ※4貝塚と埋葬された人々 縄文人は、全てのものは、自然界を、回帰・再生・循環 すると考え、終わったものを儀式をして送り出すことによって 再び神の世界から与えられると考えていた。 そのため、再生を願って、人も、動物も、道具も、送り場に廃棄したのです。 ※5葬式の風景 -ある秋の午後- ムラのリーダーの葬式 屈葬 抱石葬 ①遺体の埋葬。モデルは12号埋葬人骨。中年男性。磨製石斧と石匙の副葬。(アイヌと同じ考え。あの世での暮らしのために) ②三つ編みの女性 (富山市八尾・長山遺跡の土偶がモデル) ③玦状耳飾りの女性 ④堀棒と横斧 墓穴堀の道具 ⑤垂飾の女性 ⑥副葬品を袋に入れている。まとまって出土しているため。 ⑦牙玉を身に着けた男性(牙玉は力や権力を表す) |
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53骨から分かる疾病や生活習慣 大半は医者でなければわかりません。よろしかったら、解説お願いします。 |
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人骨以外の主な出土品 54小竹貝塚の土器※1 貝塚には 朝日C式(前期中葉)の頃に人々が住み始め、 蜆ヶ森式(中葉~後葉の前半)の頃最盛期となり、 福浦上層式(後葉の後半)の頃衰退します。 また、東北・関東地方の影響を受けた土器も出土しており、交易が確認されました。 極楽寺式 前期初頭/ 極楽寺遺跡/ 富山県上市町 砲弾形尖底土器が多い。 口縁部は、平らな平口縁と 波状口縁がある。 文様は、羽状縄文、条痕文が施文される。 朝日C式 前期中葉/ 朝日貝塚/ 氷見市 この頃人が住み始める 胴部に羽状縄文。後円部には多段施文のコンパス文。口縁部に並行する沈線文。連続した爪形文などが施される。 器型は、口縁部が胴上部でくびれ、口縁部が開くものが多い。平口縁と4単位の波状口縁がある。 蜆ヶ森式 前期後葉/ 蜆ヶ森貝塚/ 富山市 この頃最盛期 細隆起線文(細い粘土紐貼り付け文)、微隆起線文を口縁部と平行に数段施文し、 胴部は羽状縄文が施文される。 器形は口縁部が外反し、胴部は円筒形となるのが一般的。 福浦上層式 前期後葉/ 福浦ヘソラ遺跡/ 石川県志賀町 この頃衰退 口縁部に鋸歯状印刻文を施し、その下に半隆起線文を渦巻状・波状にして埋め、 胴部には羽状縄文・斜縄文を施す。 器型は口縁部が直線的に外へ開き、円筒形と胴部が膨らむものがある。 平口縁と波状口縁があり、口縁端部に耳状突起をもつものが多い。 朝日下層式 前期末葉/ 朝日貝塚/ 富山県氷見市 斜縄文を地文とする器面にソーメン状の細い粘土紐を貼付けるのを特徴とする。 器型は胴部が円筒形で、口縁部が上部で内湾するものと、口縁部でわずかに外反するものが多い。 ※2漆容器・漆塗土器 漆の利用は、縄文早期 9000年前、垣ノ島B遺跡(函館市)から漆製副葬品が出土し、塗料・接着剤として利用されて来た。 小竹貝塚出土の赤彩土器は6000年前のものですが、鮮やかな発色です。高い技術を持っていました。 |
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56道具 |
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60帰路 |
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東京発金沢行新幹線に富山から乗った。席が空いているのにそこへ荷物を置いている金沢人が何人も何人もいた。 そのそばに行くと、着物を着た、一見して金沢人の厚年の女は大きく目を見開いて睨みつけ、空席を占有している自分の荷物を手でおさえる。 まるで、お前は泥棒か。とか、この荷物を置いているのが目に入らぬか。 いやもっと、座らさへんで。と言ったけんまく。 ド・井中門の金沢人は、昔の鈍行列車のように席は取ったもん勝ちと思っているらしい。未だ40年前の鈍行列車の感覚だ。 古都金沢だの何のと言っとるが、公徳心のかけらもない、非常識な井中門ばかりだ。とわかった。 |