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  北陸の縄文と観光2 08  2016.03.13(日)

   富山県埋蔵文化財センター  富山市茶屋町206-3  金曜休館

    交通 富山駅からレンタサイクル (駅観光案内所で無料貸し出し) or  タクシーかレンタカー

    展示 企画展「縄文時代のとやま -縄文集落にみる生活となりわい-」 
            発掘された日本列島2015展の共催展として行われたものをそのまま延長して展示されたもの。

    見所 ①富山県の縄文土器形式の全てが、実物土器で展示されている。
         ②小竹貝塚の最新展示。

    特記 富山の土器編年が実物土器と図で見ることができます。




次 

00立山絶景
02埋蔵文化財センター
―縄文時代の富山―展

10自然の恵み
縄文時代とは
海の恵み・山の恵み
11パネル
12縄文人の食べ物
13狩猟
14漁労
15採集
16食べる
17住居

富山の土器編年
20縄文の匠
20土器
土器文様の意味

土器の変遷
21草創期
22早期
23前期
 極楽寺式
 朝日C式
 蜆ヶ森式
 福浦上層式
 朝日下層式
24中期 
 新保・新崎式
 天神山式
 串田新式 
25後期
 気屋式
 井口式
 八日市新保式
26晩期
 御経塚式
 中屋式
 下野式

 縄文から弥生へ
 大地式土器
 縄文人と弥生人

 30石器・木器・籠
31石斧
 石斧を作る
32玉作り
 玉を造る
33ヒスイ製品
35翡翠大珠
37木器
 縄・編み物の技

40自然への祈り
41土偶
42石棒・石刀・御物石器
44装飾品
 装う

50小竹貝塚
51小竹貝塚の概要
 小竹貝塚は
 縄文海進
52人骨
 夏の小竹貝塚
 小竹縄文人の寿命と体格
 縄文時代の墓の形
 貝塚と埋葬された人々
 葬式の風景

53骨から分かる疾病や生活習慣
人骨以外の主な出土品
54小竹貝塚の土器
 極楽寺式
 朝日C式
 蜆ヶ森式
 福浦上層式
 朝日下層式

 漆容器・漆塗土器

56道具
60帰路 


 00立山絶景
富山駅2015.10.8の写真2016.3.13時点で 路線バスターミナル工事はとっくに終了していました。 街路樹のある駅前は数少ない。 立山遠望富山駅前から好天時のみ見える絶景 富山市の市電弥陀ヶ原・美女平等火山性丘陵を遠望 神通川から
南方 飛騨山脈遠望
東方 立山連峰遠望

 02埋蔵文化財センター
    ―縄文時代の富山―

   あいさつ文
    近年、北陸新幹線の建設工事に伴って発掘された富山市小竹貝塚をはじめとして縄文時代の遺跡で大きな発見が相次ぎ、
    富山で暮らした縄文人の生活が具体的に分かってきました。
    本企画展ではこれら最新の調査成果をもとに、富山の豊かな自然と共生しながらも、 自然を巧みに利用していた人々の姿を紹介することで、
    とやまの縄文人に想いをはせていただきたいと思います。



 10自然の恵み

  ※1縄文時代とは
       1万年間続いた縄文時代、人々は自然と調和し、その恵みに支えられ、独自の文化を作り上げました。

       13000~2300年前の1万年間、縄文人は弓矢磨製石斧土器を基に、狩猟採集生活を基盤とした定住生活を送っていました。
       自然の恵みにゆだねた生活で、人々は自然に働きかける様々な祀りを生み出し、土偶や石棒など、独特な精神文化を作り上げました。

  ※2海の恵み・山の恵み
       春は山菜採り。海辺で潮干狩り。 漁猟は夏場を中心に行われ、釣りや網漁をし、イルカの追い込み漁もしました。
       秋は落葉広葉樹の森で堅果類を採集し主食としていました。また、山芋やキノコなども利用しました。
       冬は、草木が枯れ、獲物が見つけやすくなり、動物に脂がのっておいしくなった頃に狩猟がおこなわれました。


  11パネル
縄文時代の富山 富山の縄文 縄文時代とは※1 縄文の暮らし 自然の恵み 海山の恵み※2 富山の縄文カレンダー
  12縄文人の食べ物

魚骨・海獣骨

海棲の貝類

獣骨

堅果類
展示物のある遺跡 中期遺跡が急増、後期に激減し、晩期に東北からの移住者で微増している

  13狩猟
   ※1大型動物が絶滅し中小型動物に対象が移ると、狩猟具も、手槍から投げ槍。そして、弓矢へと変化します。
     狩猟を効率化するために、犬や落とし穴が使われました。

※1
食用動物と毛皮用動物
石鏃
秋田県立博物館のアーモンド形でなく、茎もついていない
石槍・骨鏃・
黒曜石製石鏃
飾り弓  狩猟は、大型動物から中小型へ。従って、手槍から投槍、そして、

 弓矢・猟犬で行われ、落とし穴も使われた。

  14漁労 ※2温暖化による縄文海進で遠浅の海ができ、魚介類が増加し、縄文人は様々な方法で海産物を獲得しました。
※2 丸木舟の船首部 小竹貝塚の貝層 小竹貝塚出土
丸木舟の船尾部
逆T字形釣針・組合せ式釣針・単式釣り針は、山東省・朝鮮半島・北九州の新石器段階に共通する文化である。熊本大学
刺突具・ヤス 骨角器 土器片錘・軽石の浮き
海用・川用の錘
漁網模式図  軽石の浮きって、網を付けたら沈むよ。浮力小

 木切れを付ける方が簡単で手に入りやすく浮きやすい。
 なぜ軽石を使ったんだろう。
 意味わからない。
 三本組のヤスなど、北方系の鮭取用具は出ていない様です。

 15採集
  ※3温暖化により東日本に落葉広葉樹林が広がり、ブナ・トチなどの木の実やキノコなどが食糧源となりました。
    春に山菜を摘み、秋には果物や木の実を集め、土堀用の打製石斧で山芋・ユリ根など根菜類や球根類を採集していた。
    堅果類は貯蔵穴に保存した。
※3 堀棒・打製石斧の石鍬 堀棒・打製石斧の石鍬 編み物(かご)・打製石斧  西日本は常緑広葉樹林が広がったが、
東日本は落葉広葉樹に覆われ食糧豊富だった。


 16食べる
  ※4土器の出現により、煮炊きや水さらしによるアク抜きが可能となり、自然物の加食範囲が増加しました。
    また、石皿・磨り石による製粉技術により、ドングリや栃の実などの堅果類が主な食糧源となりました。

    土器は、当初の煮炊き貯蔵用深鉢形から、各種の形があらわれ、盛り付け用の木製の器も使用されました。
    そして、動物の解体や調理には、石匙などの石器が用いられました。

※4
天神山式土器

浅鉢/二ツ塚遺跡/中期
深鉢/浦山寺蔵遺跡/後期
台付深鉢/松原遺跡/中期前葉~後葉/松原式土器 石皿・すり石
縄文土器の種類と用途※5 東黒牧上野遺跡/4500年前/縄文中期中葉 注口土器 吊手土器・注口土器 有孔鍔付土器・吊手土器
磨石
二ツ塚遺跡/中期/立山町
凹石
竹林遺跡/6000~4000年前/中期~後期/南砺市
石匙の使い方 万能ナイフ=石匙
様々な場面で使えた
紐をかけ腰に下げられそうだが大けがしますョ。
※5縄文土器の器種

有孔鍔付土器 
台付土器
浅鉢 
深鉢
吊手土器
注口土器
器台形土器

 17住居
 ※6縄文時代当初の洞窟や岩陰の生活から、早期には10㎡程度の竪穴住居を作るようになる。定住することで安定して暮らせるようになりました。
   前期・中期には超大型住居も出現し、朝日不動堂遺跡では4つの石組炉を持つ120㎡の竪穴住居が見つかりました。

※6 竪穴住居の構造 土堀具 北代遺跡の復元住居
土置き屋根
大型竪穴住居跡/東黒牧上野遺跡/中期中葉

大型竪穴住居跡/朝日町不動堂遺跡/中期初-中
磨製石斧・小型磨製石斧 堀り棒・打製石斧 直坂1遺跡/富山市
吉峰遺跡/立山町
井口遺跡/南砺市
柳田遺跡/朝日町
平岡遺跡/富山市
上久津呂中屋遺跡/氷見
小型磨製石斧は彫器




  富山の土器編年



 20縄文の匠

 20土器
 ※1土器をつくる 縄文土器 (輪積方) での作り方。
     ①粘土にひび割れ防止の砂や植物繊維を混ぜる。
     ②日も状にした粘土を輪にして器の底から積み上げる。
     ③土器の表面に縄・貝殻・ヘラ状工具で施文し乾燥。
     ④800℃で野焼きして完成。

     土器文様は、時期や地域によって様々です。このため、文様から地域の特定や、地域間の交流を読み取ることができます。
     縄文中期の北陸の土器は、半切竹管で押し引いて器面全体を渦巻き状の文様で埋め尽くすのが特徴です。


 縄文土器文様の意味
     学芸員による解説の中で、「土器文様には、その集落で語られる物語が図形化して詰まっている。」と述べられたこと
     が強く印象に残っています。
     これは、地域に特徴的な文様が成立し、その地域で拡大し、受け継がれる理由を述べたものです。

     無意味・無秩序な文様であれば、他人が真似することもなく、本人も再現が困難でしょう。
     しかし、地域に共通する「意味=物語」を文様にすれば、その集団の構成員たちが正確に再現することができるからです。



 土器の変遷

 21草創期 15000年前~9000年前

   草創期の土器は煮炊き用深鉢です。  形は方形平底円形丸底です。
   形や文様の変化は出現期から始まり、 隆線文爪形文押圧縄文→(草創期後半)→多縄文(器面の多くに縄文を施す)

   日本最古は大平山元(おおだいやまもと)遺跡15500年前
   富山県最古は、立山白岩尾掛遺跡11000~13000年前        参考埋文とやま134

土器をつくる※1 縄文草創期の土器
右:深鉢/草創期出現期
 白岩尾掛遺跡/立山町
   11000~13000年前
左三片:草創期爪形文土器
右から二番目は違う土器
 草創期の出現期土器は、方形平底円形丸底です。
  整形しにくい方形平底土器の理由は、

  樹皮籠を編む場合、方形平底になるので、
  このような籠を真似たものと考えられています。

           引用縄文土器が語る    

 22早期 9000年前~7000年前 押形文条痕文
    早期土器は砲弾形で、底部の先端が尖った、尖底土器が中心となります。
    後半には平底深鉢も登場します。
    文様に地域差があらわれ、関東地方では撚糸文中部・北陸・近畿地方では押形文が多く用いられます。

早期の土器
尖底深鉢/押形文

直坂I遺跡/早期/富山市

尖底深鉢/条痕文
神明原A遺跡/早期/南砺市
刺突文・条痕文
尖底深鉢(条痕文)/神明原A遺跡/早期/南砺市 土器の形/尖底土器
 後半に平底土器登場

文様に地域性顕著
  関東:撚糸文
  中部・北陸・近畿:
      押形文
押形文土器
 丸棒に模様を刻んだ丸 棒を回転させて施文

 文様種類:山形・格子   目・楕円・市松・菱形
  (矢羽根)文等あり
条痕文土器
 土器の外面・内面全体に貝殻や板で平行線を引いた土器
 縄文時代前期、後期を中心に、様々な時期に認められる。引用



 23前期 7000年前~5000年前

       北海道や九州では尖底深鉢形土器が主流ですが、本州では次第に平底へと変化します。
       文様は羽状縄文をはじめ、各種の縄文や竹管文粘土紐貼付など、バラエティーが増えます。
       また、器種も増え、浅鉢が前期後半から現れます。



  極楽寺式 前期初頭/ 極楽寺遺跡/ 富山県上市町
          砲弾型尖底土器が多い。 口縁部は、平らな平口縁と 波状口縁がある。 文様は、羽状縄文、条痕文が施文される。

  朝日C式  前期中葉/ 朝日貝塚/ 氷見市
          胴部に羽状縄文。口縁部に並行する沈線文。連続した爪形文などが施される。
          器型は、胴上部でくびれ、口縁部が開くものが多い。平口縁と4単位の波状口縁がある。

  蜆ヶ森式  前期後葉/ 蜆ヶ森貝塚/ 富山市
          細隆起線文(細い粘土紐貼り付け文)、微隆起線文を口縁部と平行に数段施文し、 胴部は羽状縄文が施文される。
          器形は口縁部が外反し、胴部は円筒形となるのが一般的。

  福浦上層式 前期後葉/ 福浦ヘラソ遺跡/ 石川県志賀町
           口縁部に鋸歯状印刻文を施し、その下に半隆起線文を渦巻状・波状にして埋め、
           胴部には羽状縄文・斜縄文を施す。
           器型は口縁部が直線的に外へ開き、円筒形と胴部が膨らむものがある。
           平口縁と波状口縁があり、口縁端部に耳状突起をもつものが多い。

  朝日下層式 前期末葉/ 朝日貝塚/ 富山県氷見市
           斜縄文を地文とする器面にソーメン状の細い粘土紐を貼付けるのを特徴とする。
           器型は胴部が円筒形で、口縁部が上部で内湾するものと、口縁部でわずかに外反するものが多い。

前期の土器 極楽寺式・朝日C式 蜆ヶ森式・福浦上層式
朝日下層式

極楽寺式/南太閤山I遺跡/射水市
朝日C式/小竹貝塚
/富山市

極楽寺式/南太閤山I遺跡/射水市
蜆ヶ森式/小竹貝塚/富山市
極楽寺式/南太閤山I遺跡/射水市

極楽寺式/南太閤山I遺跡/射水市

極楽寺式/南太閤山I遺跡/射水市
福浦上層式/上久津呂中屋遺跡/氷見市 朝日下層式/小竹貝塚/富山市


 24中期 5000~4000年前

        各地に地方色豊かな土器様式が出現します。 口縁部を飾る大きな突起や粘土紐貼付による隆起文など、
        関東から中部地方にかけては華美なものがあらわれます。
        また、後半には台付鉢吊手土器(ランプ)、有孔鍔付土器などの器種も増えます。


  新保・新崎式 初頭~前葉/ 新保遺跡/石川県能登町/ 新崎遺跡/石川県穴水町
            竹管で施文される半隆起線で飾られ、頸部に横走する半隆起線で上下に区画される。
            口縁部は横方向。胴部は縦方向の構成をとり、口縁部は爪形文・胴部にはB字状文等が描かれる。

  天神山式   中期中葉/ 天神山遺跡/ 富山県魚津市
            粘土紐による隆起線が斜行し端部で渦を巻き、竹管による曲線や三叉文などで器面を埋める。
            器形はキャリパー状やバケツ状となるものが多い。

  串田新式   中期後葉/ 串田新遺跡/ 富山県射水市
            幅広い半隆起線や直角の沈線で区画された、「工」字状文、貝殻腹縁によるミガキまた葉脈状文・刺突文が施文される。
            波状口縁の波頂部が凹む双頭突起が特徴的である。
            新しいものは、前田式、岩峅野式と呼ばれる。

中期の土器 新保・新崎式、天神山式
串田新式
施文具と施文方
押形文土器

新保・新崎式/厳照寺遺跡/砺波市
台付深鉢/新保・新崎式/砂尾谷Ⅱ遺跡/高岡市 台付浅鉢/天神山式
/境A遺跡/下新川郡朝日町
台付浅鉢/天神山式
天神山式/早月上野遺跡/魚津市
天神山式/早月上野遺跡/魚津市
新保・新崎式/長山遺跡/富山市

天神山式/境A遺跡/朝日町
台付深鉢/天神山式/浦山寺蔵遺跡/黒部市

新保・新崎式/長山遺跡/富山市

天神山式/天神山遺跡/魚津市
天神山式/野沢狐幅遺跡/立山町
天神山式/野沢狐幅遺跡/立山町
天神山式/天神山遺跡/魚津市 串田新式/桜町遺跡/小矢部市
吊手土器/天神山式/東黒牧上野遺跡/富山市 串田新式/串田新遺跡/射水市 串田新式/桜町遺跡/小矢部市 串田新式/布尻遺跡/富山市//串田新式/串田新遺跡/射水市


 25後期 4000~3000年前

    土器様式圏が中期より広がります。全国的に波状口縁の深鉢が増加。
    文様は、中期の豪華装飾から、磨り消し縄文を基調とした、洗練された文様の、小型で黒い色調の土器が多くなります。
    また、綿密な文様の精製土器と、縄文だけの粗製土器が区別して作られるようになる。

 気屋式 後期前葉/気屋遺跡/石川県かほく市
       口縁部や頸部に三角形の連続した刺突文を施文する。 深鉢と浅鉢を基本とし、注口土器が伴う。
       器形は突起を付ける平口縁と波状口縁があり、ゆるく膨らんだ胴部が頸部でくびれて、口縁部がまるく内湾する。

 井口式 後期中葉/井口遺跡/ 富山県南砺市
       深鉢は平口縁と波状口縁があり、共に胴部中位で屈曲する。
       口縁部と胴部の屈曲部に横走する凹線を巡らし、巻貝の圧痕などにより凹線を区切る。
       また、この時期から条痕文を施文された土器も現れる。

 八日市 後期後葉/八日市新保遺跡/ 石川県金沢市
 新保式 深鉢は胴中位にくびれ部をもち、大きく外傾し口縁部は「く」の字に外反して内面に段を有する。 穏やかな波状口縁を持つものが多い。
       文様は、数条の並行沈線を縦の沈線・楔形文・「X」字状文で分断するもの、「H」字状の連結三叉文や山形文を波頂部に施文する。

後期の土器 気屋式土器 井口式・八日市新保式 井口式/井口遺跡/南砺市 井口式/井口遺跡/南砺市 気屋式/布尻遺跡/富山市
注口土器/井口式/井口遺跡/南砺市 屋式/布尻遺跡/富山市 イノシシ型注口土器/井口式/井口遺跡/南砺市 注口土器/井口式/井口遺跡/南砺市 イノシシ型注口土器/井口式/井口遺跡/南砺市 注口土器/井口式/井口遺跡/南砺市
井口式/井口遺跡/南砺市 八日市新保式/野沢狐幅遺跡/立山町 鉢/井口式/井口遺跡/南砺市 鉢/井口式/井口遺跡/南砺市 鉢/井口式/井口遺跡/南砺市 鉢/井口式/井口遺跡/南砺市


 26晩期 3000~2300年前  土器の昇華と退嬰

   後期から続く土器の広域化が進み、東日本の亀ヶ岡式土器様式西日本の突帯文(条痕文系)土器様式に、列島は二分されます

   北陸では磨り消し縄文を基調とした「亀ヶ岡式土器様式」の影響を受け、入組文三叉文雲形文などで飾られます。
   彩文土器、赤色顔料を塗布した土器も特徴的です。

  御経塚式 晩期前葉/御経塚遺跡/石川県野々市
         深鉢は頸部で緩くくびれ、外反する平口縁・波状口縁からなり、ズンドウ形を呈する。
         文様は亀ヶ岡式の影響を受けた、三叉文・玉抱き三叉文・入組文・「T」字を主文様とする。

  中屋式  晩期中葉/中屋遺跡/石川県金沢市
         球状の胴部から「く」の字状突起で飾る。入組三叉文を主文様として、列点文・押引き刺突文などが用いられている。
         器種は多種で、特に蓋が目立つ。

  下野式 晩期後葉/下野遺跡/石川県白山市
        文様は棒状工具による連続押引列点文・「S」字状文・楕円行工字文等が主文様となる。
        器種は、浅鉢・深鉢が基本形態で壺が伴う。

晩期の土器 御経塚式・中屋式・
下野式
縄文から弥生へ※12 御経塚式/早月上野遺跡/魚津市 /御経塚式/早月上野遺跡/魚津市
鉢/御経塚式/千鳥遺跡/滑川市 磨り消し縄文 下野式/井口遺跡/南砺市 中屋式/浦田遺跡/舟橋村 鉢/下野式/下老子笹川遺跡/高岡市 鉢/下野式/下老子笹川
壺/大地式/下老子笹川遺跡/高岡市 深鉢/突帯文土器/下老子笹川遺跡/高岡市


突帯文土器が北陸から出土するのは珍しい。
 東海経由の文化か
晩期には、後に弥生早期とされる器種が出現し、半島・大陸人が既に渡来し、生活し・交易していたことが判る。
 半島系土器の器種、壺・蓋、そして突帯文土器である。
 既にこの時。何万・何十万と押し寄せていたに違いない。
 でなければ。九州から北陸・東海まで交易することはできるまい。


 ※12縄文から弥生へ(要旨)

縄文から弥生への移行については、環境の悪化で縄文文化が行き詰まり、そこへ水田稲作の進んだ技術の大陸人が大量に渡って来て、
縄文人を征服し、短期間に列島に弥生文化が広まったと説明されてきた。

確かに縄文中期末から始まる寒冷化は森林の生産力の低下を招き、 東日本の前・中期の縄文文化は打撃を受けます。
しかし、人々は社会構造を転換することで乗り切り、 東北地方では亀ヶ岡文化の精緻な文化を築きました。

一方、西日本の後・晩期には前・中期より人口が増えたとの分析があります。

近年、弥生時代初期の人骨が北九州や瀬戸内海・近畿地方で発掘され始め、その大半が縄文人的な形質を持つ(縄文人との混血)であると報告されています。
このことは、縄文人が弥生人に征服されたのではなく、弥生文化を受け入れたことを示している。

     と言っている。

初期の開拓者は男ばかりで来て、現地にいた縄文人に暴力を働いたことの証明に他ならない、と私は考える。
通婚だなんて、、、、全くの原始人。言葉も通じない裸族と、神妙に縁結びするわけないでしょう。

このことは土器からも見て取ることができます。高岡市下老子笹川遺跡の縄文時代晩期の集落から出土した、

大地式土器は壺形土器で、愛知県を中心に、北陸東海地方に見られます。
 特徴は縄文・弥生双方の要素を併せ持つ土器で、接触土器と呼ばれています。製作者の背後に共存の概念が感じられます。



縄文人と弥生人
異民族が接触した時、文化に差があれば、征服しかあり得ない。

縄文人にとって弥生人は大切な猟場を荒らし、少ない自然資源の獲物を進歩した武器で根こそぎにする敵でしかあり得ない。
弥生人にとっては、農奴として適当な原始人であって、牛馬の代わりに拉致し、それでなければ邪魔者として抹殺したに違いない。

実に人類の歴史においては、このような例しかない。異民族が、あるいは、文化に高低のある者同士が接触して、
平和的に融合した例はない。殺戮か支配か、近年では拒否を表す差別かである。


歴史をおとぎ話に換えるのは科学者としてあってはならないことだ。
宮崎県の弥生時代の縄文人の末裔、山の民は、突帯文土器を使用している。接触して得たより良い文化だったからだ。

しかし、彼らは長く弥生文化を拒否して山中で生活し続けた。(千年たっても別の文化を築いていた)






  30石器・木器・籠

   31石斧
 
   ※1石斧を作る
    境A遺跡(朝日町)は石斧づくりの材料蛇紋岩が多く採れた、石斧作りのムラでした。
    木材の伐採・加工に用いられた磨製石斧は、当初、柄に対して刃が直角な横斧(ちょうな)でした。が、やがて楯斧になりました。

    海岸で適当な大きさの蛇紋岩 (粘りがある石材) を拾い、磨製石斧に加工し、交易した。
    別に。硬質砂岩でも石斧が作られた。

石斧を作る※1 磨製石斧を作る 磨製石斧の生産地と出土地 磨製石斧 完成品・未成品 擦切砥石の使い方 磨製石斧未成品と擦切砥石
硬質砂岩系磨製石斧の制作過程 砥石・台石・叩き石 蛇紋岩磨製石斧の
制作工程
磨製石斧
完成・未成品
横斧と縦斧 石斧の柄

 32玉作り

※1玉を作る
    玉は身を飾るだけでなく魔除けとして、神秘性や呪術性を秘めたものです。
    北陸地方はヒスイや滑石などの石材が豊富で、玉を作る技術が発達しました。
    中でも、翡翠の色は若葉に通じ、自然界の活力の象徴と考えられ、縄文人の憧れの色でした。

    朝日町境A遺跡の人々は、宮崎・境海岸でヒス水の原石を探し、大珠や丸玉け勾玉などに加工しました。
    硬度7というナイフでも傷つかない硬い石に穴を開けるのは大変ですが、
    縄文人は竹と砥石の粉を媒体にして削り、穴を開けました。

玉を作る※1 穿孔の方法と用具 筋砥石と丸玉/境A遺跡/ヒスイ原石/敲石
丸玉の制作工程
/ヒスイ原石/敲石
丸玉の制作工程
筋砥石と丸玉/ 硬玉製大珠の作り方
硬玉製大珠

   33ヒスイ製品
玦状耳飾りの作り方 滑石製玦状耳飾りの制作工程/極楽寺遺跡
玦状耳飾り/小竹・南太閤山1遺跡
ヒスイの産地と出土遺跡
北日本--日高山地
日高山地
南部東日本--糸魚川
糸魚川産地
西日本
若桜・大屋・大佐・長崎
            産地

   35翡翠大珠
全国最大級の縄文時代のヒスイ製大珠 硬玉製大珠 氷見市朝日貝塚出土
鰹節型の珠/糸魚川産
長さ15.9㎝重さ470g
県内最大。高品質で全国的にも貴重な資料です。
 硬玉製大珠は縄文中期に作られ、北陸・中部・関東地方に分布しています。

 大珠をはじめ玉製品の制作遺跡は、
ヒスイの産地である糸魚川姫川などを中心に、
富山・新潟県境付近に分布しており、

 境A遺跡(富山県朝日町)や長者ヶ原遺跡(新潟県糸魚川市)などが有名です。

 37木器
 ※1木器を作る
    縄文時代には生活の道具として木器が使われるようになりました。
    集落周囲の森から、人々は丸木舟や容器、斧柄・タモ枠・弓など多様な木の道具を作りました。

    その他に漆の利用があげられます。
    漆の扱いは、木の管理に始まり、樹液の採集・精製、塗装用の漆の調合・塗装・乾燥といった工程があります。
    特に、不純物の除去や湿度の管理には熟練した技術が要ります。

    縄文時代にはすでにこのような高い「漆文化」が存在しました。

木器を作る※1 縄文時代の木製品小矢部市/桜町遺跡 筒形三足器未成品・
舟型容器未成品
/小竹貝塚
容器/小竹貝塚 筒形容器/小竹貝塚
漆の採集と精製 縄・編み物の技※2 漆容器・漆塊・漆塗り土器/小竹貝塚/大陸から来た技能集団が存在した 縄/シダ/小竹貝塚 編み物(カゴ)/ヒノキ/
小竹貝塚

※2縄・編み物の技

  縄文土器の表面を飾った「縄」は文字通り縄文文化のシンボルです。 縄文時代の縄は麻やカラムシなどの植物繊維を用いました。
  繊維に「撚り」をかけて縄にすることで、同じ繊維量の数倍から十数倍の強さとなり、長さも自由に調節できます。

  縄は日常生活で頻繁に行われる、結ぶ・縛る・巻く・絡める・繋ぐなどに用いられ、欠かすことのできないものでした。
  また、現在のしめ縄からもわかるように撚るという行為に精神的な意味合いが込められていた可能性も指摘されている。

  編み物も日常に欠かせないものです。ツル植物の茎を薄くそいだり、カラムシなどの植物繊維を利用して、
  アジロ編やモジリ編でザルやカゴ、魚を獲るウケ・魚網編布とよばれる布などをつくりました。




 40自然への祈り
※1祈る
自然頼みの狩猟採集生活で、縄文人は自然物に霊威を感じ、呪術によって、災いを避け、豊かな恵みを祈りました。

自然の恵みに依存し、狩猟・漁猟・採集によって生活していた縄文人は、豊かな恵みを願う儀礼や、病気・天災を回避するためのまじない・祀りを行っていた。
特に、気候が寒冷化する縄文時代後晩期には、呪術的な遺物が多く作られます。

代表的な遺物として、土偶・石棒・石刀・石剣・三角とう形土製品・御物石器などが挙げられます。

土偶は縄文時代を通じて、いろいろな形のものが各地から出土していますが、そのほとんどが女性を表現しています。
また、その多くは、手足・胴体・頭とバラバラの状態で出土することから、縄文人が土偶を壊す行為に何らかの願いを込めようとしたと考えられます。


   41土偶
祈る※1
作り方のわかる土偶 松原/南太閤山/二ツ塚/長山/遺跡
坪野/東黒牧上野/遺跡
富山県内土偶変遷図
早・前期・中期 中期の造形が最も装飾的に見えます。社会が疲弊すると造形も減退するのでしょうか 後晩期の土偶はある意味進化しているようです。

   42石棒・石刀・御物石器
石刀/境A遺跡//三角とう形土製品/東黒牧上野遺跡/坪野遺跡 石刀 彫刻石棒/早月上野遺跡/魚津市 御物石器/柳田遺跡//
石棒/境A遺跡
御物石器/境A遺跡
御物石器/柳田遺跡
二ツ塚遺跡の石棒出土
御物石器形式図
御物石器 御物石器
 縄文晩期の富山・岐阜の山間地の遺跡で出土。

 中央部より偏った場所に大きなえぐりがあり、

断面が三角形や方形で、側面に文様が描かれているものがあります。
明治時代に皇室に献上したため、
皇室のもの、御物となったためこの名が付きました。

 44装飾品
装う
  縄文人の装身具には呪術的な意味合いが強く、男女差・出自の差(身分差)もあったようです。
  縄文の装身具は、櫛・ヘアピン・耳飾り・ネックレス・腕輪がありました。

  埋葬人骨では男女差も見られ、
  男性は力の象徴としてツキノワグマやオオカミの牙で作った牙玉。 女性は鳥の骨で作ったネックレスや耳飾りが副葬された例があります。
  こうした装身具は、個人の好みやセンスでなく、呪術的な意味合いを持つと考えられます。
  また、装身具の種類によっては、出自や社会的な地位に完形する可能性も考えられます。

装う
装身具を付けた縄文人 髪針・滑車形耳飾りと耳栓
垂飾・玦状耳飾り・歯牙製品・臼型耳飾り

勾玉・垂飾り・玉類

貝輪・勾玉




 50小竹貝塚


  51小竹貝塚の概要

 
※1 小竹貝塚は縄文前期に、縄文海進で汽水域の潟湖となった射水平野の海岸線に位置し、淡水産きヤマトシジミの採取・生産加工を行う季節的な
  集落でした。
集落には、貝塚のほか、墓域・住居域・生産開口域をもち、貝層の厚さは2m以上で日本海側最大級です。

墓域からは前期としては全国最多の91体の埋葬人骨が出土し、その他、木製品・骨角器などの有機質遺物が発見されました。

※2 縄文海進
  縄文前期6000年前を中心に全地球規模で起こった温暖化による4~5m(2-3mとも)の海面上昇を指す。
射水平野は水没し、潟湖となり、周辺に小竹貝塚、蜆ヶ森貝塚、針原西遺跡などの貝塚が発達した。

小竹貝塚の概要※1 貝塚とは 縄文海進※2 小竹貝塚年表
小竹貝塚は千年以上続きました。
富山湾は全体が急深かで海岸が発達せず海産貝が乏しく、淡水産貝塚ができた。
縄文前期の射水平野この図は、百年後も温暖化は止まらず海進が進みこのようになるとの警鐘
小竹貝塚航空写真 貝層剥ぎ取り資料 小竹貝塚土層堆積図 貝層写真 貝層剥ぎ取り標本 小竹貝塚平面図新幹線橋梁の下ですね
遺跡のほんの一部しか発掘されていません。
残念です。
円形の集落範囲の中に遺跡があります。 遺蹟写真/住居跡
貝塚遺跡全体図
初夏の小竹貝塚


  52人骨
28号人骨図/
推定身長157.3㎝
人骨/実物 病変//ブレグマ部肥厚
抜歯
距骨滑車関節面の前面延長
28号人骨出土状況
初夏の小竹貝塚 初夏の小竹貝塚※1
埋葬された縄文人 小竹縄文人の
寿命と体格※2
縄文時代の墓の形
※3
貝塚と埋葬された人々※4
秋の埋葬風景 12・13号人骨 葬式の風景※5
12・13号人骨出土状況
出土人骨一覧分析するには、もう一度表計算データにしないとね 埋葬人骨の珠ど状況大量の人骨写真は
割愛しました
なぜ母子の年齢が並んで埋葬。※6
土器棺に多数の穿孔
海難事故かなぁ
二人同時に埋葬した
※6母に見える中年女性は副葬品もなく、若い女がナイフを副葬されている。

 若い富者の女が死んだので、無産者の奴隷女が殉死したのでないか


 ※1夏の小竹貝塚 -6000年前のある初夏の午後-
①遠浅の内湾でシジミ漁 ②シジミを土器で煮る ③貝は長く煮ると自然に身が外れます。敷物に広げて干し貝にする。
④貝殻を捨てる ⑤木製品加工場で丸木舟を作っています。 ⑥古い貝塚はお墓に使います
⑦丸木舟で出漁 ⑧イルカの回遊 ⑨犬と遊ぶ子供 ⑩食糧のクリ・オニグルミの木


 ※2小竹縄文人の寿命と体格 91体の埋葬人骨は縄文時代前期としては国内最多です。青年男性が多く、その体格には多様性が見られます。
    1.個体数91体
    2.性別年齢構成 男性35体 女性18体 青年(10代後半~20代)が最多。 次いで胎児・新生児。 平均寿命は短命だった。

     ※元気盛りの働き手が多く死ぬということは、漁労作業中の水難事故でしょう。小竹人は泳げないのに漁労をしていたようだ。

    3.身長 男性22体 165cm以上6体 154cmも多い
         女性7体 平均身長は148cm 縄文後晩期と同じ。

    ※データの出し方がおかしい。なぜ低身長個体の人数を示さないのか。高身長・低身長の割合がわからないではないか。
    ※なぜ女性だけ平均化してしまうのか。高低取り混ぜてしまうとなんにもわからない。意味のない数字で後晩期と同じだとしてしまったようだ。


 ※3縄文時代の墓の形 縄文時代の墓の多くは土壙墓で、数種類に分類されています。

    1屈葬     膝を曲げた状態で埋葬 36体
     ①仰臥屈葬 上向き
     ②側臥屈葬  横向き

    2伸展葬    膝を伸ばして埋葬 1体
    3抱き石葬  遺体の胸に石を置く 9体
    4土器棺葬  土器に入れて埋葬する。乳児が多い。 4基
    5再層     白骨化した骨を集め、再び埋葬する

     副葬品 男性 磨製石斧・石匙・牙玉 ・骨格製刺突具など  
           女性 玦状耳飾・骨格製垂飾・鳥骨製管玉・凹石など

    ※発火具の凹石が女性の副葬品ということは、近年まで火起こしと火を守るのは女性の仕事だった。これは縄文前期から続く風習だったのだ。


 ※4貝塚と埋葬された人々

    縄文人は、全てのものは、自然界を、回帰・再生・循環 すると考え、終わったものを儀式をして送り出すことによって
    再び神の世界から与えられると考えていた。

    そのため、再生を願って、人も、動物も、道具も、送り場に廃棄したのです。


 ※5葬式の風景 -ある秋の午後- ムラのリーダーの葬式 屈葬 抱石葬
    ①遺体の埋葬。モデルは12号埋葬人骨。中年男性。磨製石斧と石匙の副葬。(アイヌと同じ考え。あの世での暮らしのために)

    ②三つ編みの女性 (富山市八尾・長山遺跡の土偶がモデル)  ③玦状耳飾りの女性  ④堀棒と横斧 墓穴堀の道具  ⑤垂飾の女性
    ⑥副葬品を袋に入れている。まとまって出土しているため。   ⑦牙玉を身に着けた男性(牙玉は力や権力を表す)



  53骨から分かる疾病や生活習慣  大半は医者でなければわかりません。よろしかったら、解説お願いします。
ブレグマ部肥厚頭に物をのせて運ぶ習慣があった。南方系の習慣
歯の咬耗は縄文土器で煮炊きすると、粘土が食物に混じる。ために起こる現象
距骨滑車関節面の前面延長・中指関節に跪座小面スチュワーデス座りをするとこうなる 骨から分かる疾患や
生活習慣

現代人もこんなに隠れ病を持っているのかもしれませんね。
本人には、わかっていないだけかもしれません。 シュモール結節は椎間板ヘルニア この男性は主人に仕え常に跪座姿勢であったのかも。これ縄文人骨に多い
磨製石斧と砥石。必要不可欠な組み合わせの副葬品 疾患①
クラブリオルビタリア
栄養失調による骨変形豊かな食糧源のある集落の住人も飢餓に襲われていた形跡を有していた

重いものを背負う習慣か
疾患②虫歯
生活習慣①咬耗・抜歯 歯で皮鞣しするのは女性
男女全員が咬耗するのは泥混じりの食事が原因
抜歯は縄文後晩期の亀ヶ岡式土器と共に蔓延した通過儀礼と思っていましたが、 縄文前期にすでにあった儀礼でした。他の遺跡からも出ているのかな。 生活習慣② 頭頂部が厚く凹んでいた

主人に仕える姿勢です
しゃがむと変形する骨 ロッカー・ジョー遺伝形質 跪座小面 小竹貝塚の日常 ロッカー・ジョー


 人骨以外の主な出土品

  54小竹貝塚の土器※1
       貝塚には
       朝日C式(前期中葉)の頃に人々が住み始め、
       蜆ヶ森式(中葉~後葉の前半)の頃最盛期となり、
       福浦上層式(後葉の後半)の頃衰退します。
       また、東北・関東地方の影響を受けた土器も出土しており、交易が確認されました。

       極楽寺式 前期初頭/ 極楽寺遺跡/ 富山県上市町
               砲弾形尖底土器が多い。 口縁部は、平らな平口縁と 波状口縁がある。 文様は、羽状縄文、条痕文が施文される。

       朝日C式  前期中葉/ 朝日貝塚/ 氷見市   この頃人が住み始める

               胴部に羽状縄文。後円部には多段施文のコンパス文。口縁部に並行する沈線文。連続した爪形文などが施される。
               器型は、口縁部が胴上部でくびれ、口縁部が開くものが多い。平口縁と4単位の波状口縁がある。

       蜆ヶ森式  前期後葉/ 蜆ヶ森貝塚/ 富山市  この頃最盛期
               細隆起線文(細い粘土紐貼り付け文)、微隆起線文を口縁部と平行に数段施文し、 胴部は羽状縄文が施文される。
               器形は口縁部が外反し、胴部は円筒形となるのが一般的。

      福浦上層式 前期後葉/ 福浦ヘソラ遺跡/ 石川県志賀町 この頃衰退
               口縁部に鋸歯状印刻文を施し、その下に半隆起線文を渦巻状・波状にして埋め、
               胴部には羽状縄文・斜縄文を施す。

               器型は口縁部が直線的に外へ開き、円筒形と胴部が膨らむものがある。
               平口縁と波状口縁があり、口縁端部に耳状突起をもつものが多い。

      朝日下層式 前期末葉/ 朝日貝塚/ 富山県氷見市
               斜縄文を地文とする器面にソーメン状の細い粘土紐を貼付けるのを特徴とする。
               器型は胴部が円筒形で、口縁部が上部で内湾するものと、口縁部でわずかに外反するものが多い。

小竹貝塚の土器※1 小竹貝塚の土器 越中の縄文土器編年表 旧石器・草創期出現期土器
爪形文土器
旧石器・草創期・早期出現期土器
爪形文土器
押形文土器
条痕文土器
前期極楽寺式
朝日C式
蜆が森式
福浦上層式
朝日下層式
中期新保・新崎式
天神山式(国府)
串田新式
後期気屋式
井口式
八日市新保式
晩期・弥生時代御経塚式
中屋式
下野式//
エゴマの栽培 エゴマ痕 有孔鍔付浅鉢/前期/
小竹貝塚
有孔鍔付浅鉢/前期/
小竹貝塚
浅鉢/前期後葉/赤彩 鉢/前期後葉/赤彩 深鉢/前期後葉 深鉢/前期末 漆容器・漆土器※2
焼成粘土塊・玦状耳飾・ミニチュア土器 玦状耳飾り 土器棺から出てくることから、、6文銭の先祖か? 漆塗り土器 漆塊・漆容器
縄文の木製品 すくい具(液体を掬う)
堀棒(スギ材)
出土した木製品 漆容器 丸木舟出土状況 木製容器

 ※2漆容器・漆塗土器
     漆の利用は、縄文早期 9000年前、垣ノ島B遺跡(函館市)から漆製副葬品が出土し、塗料・接着剤として利用されて来た。
     小竹貝塚出土の赤彩土器は6000年前のものですが、鮮やかな発色です。高い技術を持っていました。



  56道具
縄文時代の食糧 動物遺体 石器が刺さったイルカ骨
 
小型弓とイルカ骨の出土 イヌの墓 小型弓
石斧柄
石斧柄 磨製石斧 ヒノキ製カゴ 石錘 石鏃・尖頭器

単式釣り針と未成品
組み合わせ式釣り針
朝鮮半島・北九州の道具
縄文人のアクセサリー貝輪・土製耳飾・垂飾・腰飾り
笄こうがい・玦状耳飾
櫛・土製耳飾
縄文時代の骨角器 タイの歯鯛の歯の奥歯(臼歯) 鯛の歯を象嵌した漆製品
縄文時代前期後葉

ヤス状刺突具トビエイ棘
鹿角製刺突具

細形針・太形針・
髪針(ヘアピン)
/骨角器
垂飾状歯牙製品
ヘラ・札状加工垂飾
貝輪(ベンケイガイ)
管玉(石製品)
石鏃・石匙
石製装身具 骨格製漁労具 骨格製装身具

 60帰路
講演会に参加したが何を言いたいのか中心課題のない講演だった。

早月上野遺跡出土の石棒の写真はよかった。
何処にも公表されていない、もしかしたら
これ等私物化されているのではないと思われる遺物写真でした。

魚津市からも低品質の黒曜石が出土し、分布していたようです。
良品がなければ、背に腹は代えられなかったのでしょう。
すぐ壊れても使っていた。

きっと、立山連峰から、北アルプスが広がっているのだと思う。

どこかの雪山に登りたいなと思いました。
何処から眺めても
立山は特徴的な山です。
山岳信仰に登ったのは
当然かもしれない。

古代人は、人は死ぬとその魂は山の高みに登り、やがて神のもとに行くと考えていた。
こんなとこから山岳信仰が生まれたら、仏教とは無縁な宗教観ですね
新幹線 はくたか

この車内で本当に
腹の立つ。

馬鹿な日本人を見ました。
私は足が悪いから座りたいのではない。
支払っていない席を勝手占有するのが許せない
金沢ゆきに乗っている
金沢人は
本当にマナー知らずで
物事を考えない人々だと思う。

   東京発金沢行新幹線に富山から乗った。席が空いているのにそこへ荷物を置いている金沢人が何人も何人もいた
   そのそばに行くと、着物を着た、一見して金沢人の厚年の女は大きく目を見開いて睨みつけ、空席を占有している自分の荷物を手でおさえる

   まるで、お前は泥棒か。とか、この荷物を置いているのが目に入らぬか。 いやもっと、座らさへんで。と言ったけんまく。

   ド・井中門金沢人は、昔の鈍行列車のように席は取ったもん勝ちと思っているらしい。未だ40年前の鈍行列車の感覚だ。

   古都金沢だの何のと言っとるが、公徳心のかけらもない、非常識な井中門ばかりだ。とわかった。