北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて17 2014.05.25(日)
合掌集落 ―五箇山・白川郷―
北陸からは下の順番(相倉→白川郷)で東海からはその逆です。
五箇山総合案内所 富山県南砺市上梨754 0763-66-2468
・相倉下梨集落 目標電話番号 相倉民俗館 富山県南砺市相倉下梨352 0763-66-2732
・相倉上梨集落 目標電話番号 村上家 富山県南砺市相倉上梨 0763-66-2711
・菅沼集落 目標電話番号 菅沼保存組合 0763-66-2468
・菅沼合掌造り集落展望広場駐車場 電話番号 0763-67-3008
・白川郷観光協会 岐阜県大野郡白川村荻町2495-3 05769-6-1013 目標電話番号ってカーナビで目指す行先です
※行くなら絶対五箇山です。白川郷は大量の外国人と、著しい観光化破壊を受け、もはや昔の面影はなし。がっかりしました。
五箇山にはまだ、住民の日常生活があり、人も比較的少なく、落ち着いています。早くしないとここにも外国人が押し寄せ破壊されます。
交通 |
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バスを利用すると一つだけの集落を見るにはよいのですが、三か所をめぐるのはむつかしい。 |
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レンタカーが最適です 私は、城端線砺波駅近くのニコレンで借りました。決死して高速道を通ってはいけません。遠回りです。 |
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交通リンク 01 02 03世界遺産バス 04 05加越能バスの路線バスと世界遺産バスを組み合わせると一日で三か所回れるかも |
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※バス料金を考えると岐阜へ抜けてしまうのならバスもいいかも。戻ってくるならレンタカーが最高。いやレンタカーが一番便利で安いと思う。 |
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反省 |
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ここでは悲しみを多く感じ、言葉がかなりきつくなっています。直そうとすると、ますます言葉がきつくなってしまいました。 |
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悪いとは思いましたが、そのまま上げます。あぁ。日本はどうなっちまうんだろう。 |
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01合掌街道 引用合掌街道を紹介
五箇山・白川郷へは富山県高岡市から入ります。 高岡駅・新高岡駅から城端線で砺波駅から下道を行きます。高速は遠回りになります。
順番は、相倉下梨→相倉上梨→菅沼→白川村飯島鳩谷→荻町です
富山県 相倉・下梨集落相倉民俗館が二つ
沢山の合掌家屋 |
富山県 相倉・上梨集落村上家・こきりこ館
・白山宮がある
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富山県 菅沼集落煙硝の館・五箇山民俗館展望広場・多数の民家
五分行くと小白川集落
岩瀬家・行徳寺・ささら館 |
岐阜県 白川村飯島鳩谷ここドブロク祭りがあるそうです。荻町でもやっているそうですがここもいい |
岐阜県 白川村荻町
事前に見る家を決めておかないと歩いて終わりになる。気を付けろ |
ドブロク祭り
岐阜県白川郷、
大阪府長草天神社
島根県佐香神社例祭
大分県白鬚田原神社
香川県三豊市宇賀神社
その他沢山あります。
本当に飲み放題の体験は島根県のを聞いています。酒好きの人は一度は行ってみては? |
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10高岡駅と城端線
11高岡駅
JR高岡駅だったJR廃止前に何百億もかけて立派な駅舎が完成。 |
高岡駅前駅北の繁華街です |
駅構内はきれいで便利。自転車も通れます。 |
駅南。左のデカい建物はパチンコ屋。 |
北陸新幹線駅に反対し駅は随分南に行きました。理由は特急列車の存続を求めました。 |
新幹線は、経費のかかる在来線を切り捨てる切り札みたいですね。 |
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13城端線のラッピング列車
かつて高岡からはあちこちに支線が伸びていました。 |
今では城端線だけです。話題作りでしょう |
ラッピング列車になっています。 |
キャラクターの理由はわかりませんでした。 |
高校生に尋ねても知らないなんて |
めんどくさいから
答えなかったのかなぁ |
地元の祭りでしょう
これならわかるのに |
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15列車から見る散居村 島の様に 浮いているように 襲われにくいし攻めにくい
20砺波平野の散居村 -散居村展望台-
中学社会で学んだ散居村。砺波平野。 |
この時期田植えでまるで海に浮かぶ小島 |
のように見え、素晴らしい眺めです |
城端線の列車からの眺めです |
車で走ると
こんな感じ |
散居村展望台
サンプル写真の時から随分時が経ち、針葉樹が伸びました。 |
見えませんね。(笑) |
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31相倉集落 五箇山相倉と言うが、上平村と言ったのだそうだ。
相倉集落の案内板 |
人形山展望台が左にあるという不親切な看板 |
ここが相倉入口です |
人形山展望所
ここからの眺めは大変良いようです。
ちろん相倉集落が眺められるそうです。
気を付けてロードマップで確かめて行ってください。 |
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33相倉集落1
この日、都会からの |
リピーターを集めて田植 |
体験会がありました。 |
ご覧ください。まだ田舎の |
風情のまま。観光客も |
せいぜい祭りの時の人出 |
ぐらいです。外国人もいる |
白川郷は白川村 |
もう郷と言う田舎でない |
紙漉き和紙の工房
人がうじゃうじゃいて |
上げていただきました
北京か上海にいる感じ。 |
小さな農家の感じです。 |
昔、近所に藁屋根の家がありました。二階は葺替用藁の貯蔵庫でした |
ここでは大量の萱は外に小屋を作って貯蔵するのでしょう。大きな家です |
白川村との違いは合掌屋根のほかに板葺のひさしがついていることです。 |
今ではガリバリウム鋼板になっていますが。
いい眺めです。 |
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35展示館 ここは私設の展示館です。村の奥に民芸館があります。そこの方が安いです。どちらか一方だけ見ればいいことです。
池端家 屋号勇助
国立民族学博物館にこの家屋の模型がある。 |
大きな合掌屋根は豪雪に埋もれないため。津南町の縄文住居も同じ構造 |
蚕を飼い、紙漉きをし、必死になって生き延びた |
大きな家ですね。何十年に一回屋根替えで更新される住居内 |
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よく似た根曲材を探して切り出した苦心作。
何年もかけて用意した |
一軒に何十人も暮らした
結婚できるは長男だけ
あとは一生独身でいた。 |
厳しい環境下に生き残るための厳しい掟だった。破ると生きていけない |
この槍は平家の落人の名残のもの。 |
二階は養蚕室。養蚕は24時間作業。五月〜10月まで続く重労働 |
左は中国系マレーシア人
右は香港人でした。
話しました。日本語で |
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どちらも裕福階級の出身この田舎がどのように映っているのだろうか |
私の子供の頃はまだ使っていた養蚕道具。作る職人さんもいました |
糸巻き
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雪靴藁靴 雪を沈める(踏み固める)ために使った。 |
負い籠
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こしき(スノースコップ)と蓑 |
北方系臼と杵。タイ山岳民族にはこれと月の兎式の二系統ある。不思議 |
左コシキ(雪かき道具)
右ワカン(輪かんじき)
富山の芦峅ワカンです |
中国語とは、日本語の倍の速さでしゃべる言葉。しかも、勢いをつけてしゃべるので、
日本人が聞くと、まるで喧嘩を売ってるように聞こえるんですね。 |
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相倉集落の住居の特徴
集落入口から中ほどにかけての住居は、ほぼ同じ形式の住居で、切妻屋根の胴部に玄関を設け、板葺庇(いたぶきひさし)がある。
この形式は、白川郷の様式に庇ひさしをつけたものである。
しかし、この奥、からは住居形式がかわっている。
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37集落2
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41相倉・上梨集落
北アルプスの残雪が
美しい
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右側に、重要文化財村上家やこきりこ館
があります。
私は、知らずに立ち寄らなかった。残念 |
菅沼集落入口
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菅沼集落
住居形式の特徴
菅沼集落は、
白川郷と相倉集落との間にある。より、強く白川郷の影響下にあるかもしれない。
この地域は日本海側にあたるため、雪が湿って重く、粘着力がある。ために、急傾斜の屋根勾配になっている。(相倉も同じ)
玄関が切妻側にある。これは家の内部の構造が白川郷形式とは違っていることを示している。
42菅沼集落の生活空間
合掌家屋は江戸〜明治中期に多く建てられた。深雪に耐え閉塞ない構造 |
屋内は養蚕・製紙・煙硝の生産場。居住場所は家族内身分制度で厳しく定められ、婚姻は長男だけだった |
大きな仏間はこの地が深い真宗門徒の信仰に支えられていたから |
菅沼では厩マヤの場所で玄関土間に水屋と小便所がある。玄関はひさしの付け場所で決まった。 |
構造的には関西の一般的田の字形式の民家と基本的に変わりない。 |
玄関の取り付け場所
住居の一階は大工が、上階は農民が建てた。玄関上のひさしを作りやすいのが切妻側だった。
ために、厠と水屋と厩が居間に近接していた。
玄関を胴側にすれば住居と水屋・厠が居間と離れる。これがふつう。 |
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43菅沼集落
煙硝を塩硝と表記した加賀藩は、密造を隠すためでしょう。
年に一度、床板をはがして煙硝土を取り出した後、大量の草木や土や人糞を床下にまき散らす。相当なものでしょうね。臭い。
よくみると、床下に風が通るようになっている。しかし、いくら塞いでも、冬場は相当な寒さだったでしょう。床下から寒気が吹き上げてくる。
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小さな合掌家屋では
アイスとすげ箒の
みやげでした |
いい構図です |
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塩硝の館煙硝製造の展示館 |
民俗館 |
合掌集落の生活空間 |
大きな家ですね |
この逆さ合掌が最も美しい。この時期だけ見られる |
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この家、別の家を買って2軒分繋げてあるたぶんだけど |
偶然田植え前に行けたことを |
心より幸せに思います |
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菅沼で作ってはいないけど、他にはない |
実に菅沼らしい雰囲気を作っている。 |
もはや風景の一部ですね。 |
「こきりこ」楽器。源平合戦前の民間楽器? |
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みやげもの、
さしたる名産のない山家の村で売られているのは上の写真のようなものです。これらは、この集落を演出するために
企画会社が考え、もってくるそうです。
確かに、菅沼餅、菅沼せんべい、なんかより、ぴったりした感じがします。ただ、そこにあるだけで山里を演出しています。
集落の人と話す。
駐車場で誘導しているおじいさんと長い時間話をすることができた。忌憚なく、心の中を聞くことができました。
駐車場は村の観光協会が運営していて、その収入だけが村の利益になる。しかし、若い人の仕事は全くない。という。
この村には、撮ってはいないが、若いお母さんや小さな子供たちが随分多い。集団で散歩していた。
そうしないと、一人では出歩けない。
しかし、後継者がする仕事が今のところない。民宿。土産物。飲食店。駐車場の誘導係。みな老人の仕事ですね。
「もう、消えてしまいそうだから世界遺産になったんでしょう。」と自虐的に言ってました。
白川郷は間もなく満杯になる。すると、五箇山に押し寄せてくる。三年すれば劇的な変化が起こっていることでしょう。
その時には、日本の合掌集落は観光破壊で価値がなくなるでしょう。
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45菅沼集落 展望広場駐車場より 展望台もエレベータも無料です
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50上平村の小白川地区 知らなかったので写真だけ撮って先へ行ってしまいました。
行徳寺これらは、大変有名な
寺や住宅で、付近にも |
行徳寺庫裏多くの見所があります。 |
国重要文化財 岩瀬家ぜひ行ってみてください。 |
屋根に大きな明り取り窓 |
素晴らしい |
白川郷にも菅沼にもない、屋根の明り取り窓。
これが相倉に伝わって多様な形式の合掌形式となったのでしょう。 |
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60白川郷荻町
61周辺の駐車場 必ず見てください
白川郷では町中の萩町駐車場(閉鎖中)とせせらぎ駐車場の二か所しかありません。
ですから、 全ての車が「せせらぎ駐車場」に入ります。
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白川郷荻町へ向かうと、進入禁止になっていて、指示に従うと「せせらぎ駐車場」へ向かいます。
すると、駐車場の入り口で目つきの悪い人たちが、公営駐車場に入る車を勝手に自分たちの駐車場に誘導するのだ。
誘導して、「食事するなら止めてもいい」という。(このメニューがみんなすごく高い)
公的駐車場だと思って誘導に従ったのに、私設駐車場へ引き込まれ、駐車料金などよりはるかに高い物を食べさされる。
必要もないのに高額料金を払わされるのだ。
実に悪質だ。観光客をだましている。
こんなことにならないために、観光協会や自治体のしっかりした指導と案内板の設置が必要です。
それと同時に、
公的駐車場の場所をよく知っていただくことが大切と思い、この項目を設けました。
荻町駐車場は現在使用禁止。
全てせせらぎ駐車場に停車します。 |
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63うどん屋と「せせらぎ駐車場」
公設「せせらぎ」駐車場しかありません。そこへ入る車を待ちかまえ、 |
観光客の特にレンタカーなどを自分たちの駐車場に誘導し、出られなくして |
停車させて高額の飲食をさせます。
手口が、悪質で、 |
公設駐車場に入ろうとする車を、まるで自分たちの駐車場に入ってきたもののようにだまして誘導し |
飲食させるのだ。
入り口に公設駐車場や
駐車場への見取り図や場内地図の案内がない |
みなさん。騙されないようにしてください。 |
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65変わってしまった荻町
吊橋を渡って以前は何もなかった村はずれから入ります。 |
ほぼ中国語しか聞こえない。中国の街頭のように大量の中国人客。 |
前の様な落ち着いた雰囲気はない。 |
中国人はとにかく大声で怒鳴る。 |
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写真は全て客の少ない方にカメラを向け、 |
チャンスを狙ってシャッターを切ったものばかり |
当然のことだが、合掌造りが増えていた。 |
お店が増えているのだ。村民ならいいが、 |
外から来た者がここで店を出したりしないように |
世界遺産登録は、必要なかったのではないかと思 |
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ここにはもう二度と来ない |
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67荻町展望台
荻町展望台は二か所になっていた |
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人がいないところを狙って写真を撮らねばって |
ここは周りの木が伸びすぎて展望できないぞ! |
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合掌集落は岐阜と富山の間の山岳・豪雪地帯に沢山ありました。(江戸から明治にかけて作られた比較的新しい建物が多い)
明治中期に煙硝が輸入され、主要産業を失いました。
百年経ち、高度経済成長の前頃、昭和30年代前半にまず、ダムができて沢山のムラが沈み、
それぞれの特徴ある文化が消えてしまいました。
合掌造り家屋は、その土地の微妙な気候の差によって少しずつ違い、
屋根の高さや、勾配、庇ひさしや、玄関を作る場所が違います。
また、文化や生活様式や、一家を維持するための掟によっても
間取りなども異なるでしょう。
生業としては、ほぼ同じような生活。
山仕事、養蚕、煙硝作り、、、など。 畑や田んぼ、自分たちの衣類を作る綿花かカラムシの生産などもしていました。
馬小屋や牛小屋は豪雪地帯ですので、同じ屋根の下にありました。
煙硝は、基本的に狼煙のろしと同じで、糞尿に含まれる成分から作られるものです。硝酸カリウムです
参考文献「煙硝の作り方」
参考文献「煙硝を秘密裏に金沢に運んだ煙硝の道」
水分に弱いので雨や水から守りながら、けもの道を運ぶのは大変だったでしょう。
昔よく、古い家の床下や、空き家の物置なんぞに、地面から白いものが晶出していましたよね。あれでしょう。今でもどこかにあるんじゃない?
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